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パの輸入に対する為替ダンピング税が課せられた。
パ の 輸 入 に 対 す る 為 替 ダ ン ピ ン グ 税 が 課 せ ら れ た 。 日本 製 ス リ ッ パ の 価 格 が 、 為 替 下 落 の た め に 低 価 格 と な り、 日 本 か らの 輸 入 は9,904足(1933年)か ら45,041足(1934年)に 急 増 し、 南 ア フ リカ 製 品 は ま っ た く競 争 で き な い よ う な 状 況 に な っ た か ら で あ る。 ブ ー ッ と 短 靴 の 製 造 業 者 を 含 め て 、 日本 か ら の 輸 入 は 現 地 の ス リ ッパ 業 者 に 著 しい 不 利 益 を も た ら し、 業 者 か ら保 護 の 訴 え が 相 次 い だ(27)。 4日 (1)南 1920年 本 の 対 南 ア フ リカ 通 商 政 策 ア フ リカ の 通 商 政 策 代 中 ご ろ に 、 南 ア フ リカ 連 邦 の 通 商 政 策 は 、 金 、 ダ イ ヤ お よ び 羊 毛 の 輸 出 に 依 存 し た 政 策 か ら輸 入 代 替 工 業 の 育 成 に 基 本 を お く政 策 に 転 換 した 。 更 に そ の 貿 易 相 手 国 も多 様 化 し て い る 。 す で に1920(大 tryandScience)が 正9)年10月 に は 、 工 業 科 学 諮 問 委 員 会(AdvisoryBoardofIndus- 設 立 さ れ 、1921(大 ofTradeandIndustry)が 正10)年 に は 、4人 政 府 の 助 言 機 関 と して 設 立 さ れ た 。1924(大 国 民 党 と 労 働 党 の 連 立 政 権 が 成 立 し、 同 政 権 は 、BTIの は 、4人 の 委 員 か ら な る 商 工 局(Board 正13)年6月30日 再 編 成 と 関 税 の 改 正 に 着 手 す る 。BTI の 委 員(A.J.Bruwer,M.H.deKock,EJ。Faley,H.E.S.Fremantle)か れ た 。 鉱 山 会 議 所(ChamberofMine)は 自 由 貿 易 を 主 張 した 。 商 業 で は、 AfricanChamberofCommerce)内 、 ら構 成 さ 、 保 護 貿 易 が 農 業 と鉱 業 に 悪 影 響 を 及 ぼ す の で 、 南 ア フ リ カ 商 業 会 議 所 連 合 会(AssociationofSouth 部 の 意 見 が 、 北 部 と 南 部 で 対 立 した 。 工 業 で は 、 南 ア フ リ カ 工 業 会 議 所 連 合 会(SouthAfricanFederatedChamberofIndustries)1ま 、保護貿 易を 主 張 し た 。 農 業 で は 、 南 ア フ リカ 農 業 同 盟(SouthAfricanAgriculturalUnion)が 、 国内 市 場 に 依 存 す る 農 民 と 海 外 市 場 に依 存 す る農 民 の 対 立 の 中 で 分 裂 し た 。 以 上 の よ う な 状 況 の 中 で 、 国 内 工 業 化 の 促 進 を 目 指 し た1925年 関 税 法 は 成 立 す る 。 こ の 法 律 で は、 食 品 、 飲 物 、 衣 類 、 繊 維 、 家 具 、 紙 、 文 房 具 な ど が 保 護 の 対 象 と な っ た の で あ る(28)。 太 田領 事 は、 南 ア フ リカ の通 商 政 策 につ いて 外務 省通 商局 へ の報 告 の 中 で次 の よ うに述 べ て い る。 ま ず 、 南 ア フ リ カ 連 邦 経 済 に お い て 、 「金 鉱 依 存 の 危 険 性 を 緩 和 し、 経 済 の 堅 実 性 を 増 す た め に政 府 は 第 二 次 産 業 の 保 護 と して 種 々 の 施 策 を 講 じて い る 。 そ の主 要 な 産 業 と し て は金 属 製 品、 飲 食 料 品 、 車 両 、 家 具 、 砂 糖 な どで あ る」 と分 析 した。 次 に 、 通 商 政 策 に つ い て 、 南 ア フ リ カ 連 邦 は 英 帝 国 経 済 ブ ロ ッ ク の 一 員 と して 英 帝 国 各 構 成 国 と特 恵 関 税 を 有 す る ほ か 、 国 内 産 業 保 護 の 立 場 か ら通 貨 価 値 下 落 国 の 商 品 に対 して は為 替 ダ ン ピ ン グ 税 を 採 用 し、 他 方 、 最 高 、 中 間 、 最 低 の 三 段 関 税 制 度 を 設 け て 各 国 と の 通 商 協 定 成 立 促 進 を 図 っ て い る。1936(昭 和11)年 ま で の 通 商 協 定 国 は 、 英 本 国(北 ア イ ル ラ ン ド、 非 自 治 植 民 地 、 保 護 領 、 パ レ ス タ イ ン、 ト ラ ン ス ジ ョル ダ ン、 タ ン ガ ニ ー カ 、 カ メ ル ー ン、 トー ゴ ー ラ ン ド、 な ど の 英 国 委 任 統 治 地 を 含 む)、 カ ナ ダ、 オ ー ス ト ラ リ ア 、 ア イ ル ラ ン ド 自 由 国 、 イ タ リ ア 、 オ ラ ン ダ、 フ ラ ン ス 、 ベ ル ギ ー 、 ル ク セ ン ブ ル ク 、 ベ ネ ズ エ ラ、 ス イ ス 、 ス ウ ェ ー デ ン、 ノ ル ウ ェ ー 、 リベ リア 、 モ ロ ッ コ、 エ ジ プ ト、 ドイ ツ 、 デ ン マ ー ク 、 コ ス タ リ カ 、 コ ロ ン ビ ア 、 ア ル ゼ ン チ ン 、 南 ロ ー デ シ ア 、 モ ザ ン ビ ー ク な ど で あ っ た と論 じ て い る(29)。 54 第4章 (2)日 世界恐慌期における日本一南アフリカ通商関係史 本 の 対 南 ア フ リカ通 商 政策 と こ ろで 、 太 田領 事 は、次 の よ うに対 南 ア フ リカ通 商政 策 を提 言 して い た。 す な わ ち、 日本 か ら南 ア フ リカへ の輸 出 品 で主 要 な もの は 繊維 工 業 製 品 と雑 貨 で あ る。 輸 出品 の種 類 と金 額 は 毎 年 増 加 して い るが 、 日本 品 とい う と安 価 品 との 印象 が 強 い。 しか し、 南 ア フ リカ市 場 は、 相 当 の 購 買 力 を 有 す る と考 え られ るの で、 安 価 品 ば か りを ター ゲ ッ トにす る必 要 は な い。 た と え ば 、米 国 の 商 品 はか な り高価 で、 しか も最 高税 を課 され て い るが、 続 々 と南 ア フ リカ に輸 入 さ れ て い る。 日本 は安 価 第 一 主 義 を 再 考 す べ きで あ る。 南 ア フ リカ市 場 は、 日本 品 に と って 「チ ー プ ・ジ ャパ ニ ー ズ ・グ ッズ」 の み の市 場 で は な い。 従 来 か ら進 出 して きた 日本 品 にっ い て はそ の 品質 を検 討 す るだ け で な く、 価 格 の統 制 を行 い、 更 に将 来 有 望 な高 級 日用 品 、 機 械 類 、 理 化学 用 品 の輸 出 に 力 を入 れ るべ きで あ る。 そ の 点 を実 証 す る もの と して 、太 田領 事 は、 南 ア フ リカ連 邦 の 貿 易 統 計 に 基 づ い て 、1932 (昭 和7)年 の オ タ ワ英 帝 国 経 済 会 議 お よ び為 替 ダ ン ピ ン グ税 設 定 以 後 の 日本 品 の進 出状 況 を 次 の よ うに 指摘 して い る。 す な わ ち、 第 一 に、 オ タ ワ協 定 成 立 お よ び 日本 品 に対 す る為 替 ダ ン ピ ン グ税 の設 定 に もか か わ らず進 出 して い る商 品 と して は、 人 絹 織 物 お よ び同製 品 、 自転 車 お よ び 同部 分 品、 陶磁 器 、 ガ ラス製 品、 玩 具 お よ び室 内遊 戯 道 具 が あ げ られ る とい う点、 第二 に、 進 出 を 阻 ま れ た 商 品 と して は、 カ ンバ ス ピー ス グ ッズ、 莫 大 小 製 品 、 セ メ ン トな どが あ げ られ る点 、 第 三 に、 将 来 南 ア フ リカ市 場 で有 望 な商 品 と して は理 化 学 製 品 や機 械 類 が あ げ られ る点 で あ る。 次 に、 日本 は、1931(昭 和6)年 の金 輸 出再 禁 止 以 来 、 外 国 為 替 水 準 を1シ リン グ2ペ ン ス に 安 定 さ せ る政 策 を採 る こ とで外 国 貿 易 の 発 展 に努 力 して きた。 対 南 ア フ リカ貿 易 も こ れ に よ って一 定 の成 果 を あ げ て きた の で あ る。 従 来 か らの 日本 品 の安 値 と 円為 替 下 落 の た あ に、 南 ア フ リカ政 府 は 日本 品 に対 して為 替 ダ ン ピ ング税 を課 した。 南 ア フ リカ市 場 は購 買 力 の大 き い 白人 と購 買 力 の小 さ い黒 人 か ら成 り立 って い る。 しか し、 ア フ リカ人 と同様 白人 の 中 に も生 活 費 の削 減 要 求 が あ り、 市 場 は安 価 品 を必 要 と して い る。 この点 で 、 日本 品 は南 ア フ リカ消 費 経 済 に大 い に侵 入 で き る と考 え て よ い し、 日本 の安 価 で優 良 な商 品 は、 日本 の み な らず南 ア フ リ カ に対 して も貢 献 し、 互 恵 の実 を あ げ て い る。 とは言 え、 太 田領 事 に よれ ば、 「日本 で は輸 出統 制 が な く、 円為 替 安 に乗 じて不 必 要 に価 格 を落 とす こ とで利 益 を犠 牲 に す る だ け で な く、 品 質 を低 下 させ 日本 品 の評 価 を落 して い る。 南 ア フ リカ に お け る白 阿主 義 に よ る対 日偏 見 と国 家 主 義 経 済 政 策 に よ る通 商上 の 障害 を克 服 して 進 出 した の に残 念 な こ とで あ る」 と報 告 して い る。 もち ろ ん 、南 ア フ リカ市 場 に お け る 「チ ー プ ・ジ ャパ ニ ー ズ ・グ ッズ」 の不 評 の 原 因 は、 別 の と ころ に もあ った。 す な わ ち、 日本 品 の売 り捌 きが も っぱ ら南 ア フ リカの エー ジ ェ ン トに依 存 す るか らで あ る。 ジ ョハ ネ スバ ー グや ケ ー プ タ ウ ンで 、 日本 品 を扱 うエ ー ジ ェ ン トは60な い し30に 達 したが 、 エ ー ジ ェ ン トは手 数 料 を 目当 と して い る たあ に競争 が激 し く、 安 値 で小 口 の取 引 を 狙 う。 した が って 、低 品質 の 日本 品 の評 判 が ひ ろ が っ て しま う とい う傾 向 が あ った。 他 方 、 日本 国 内 で は南 ア フ リカ貿 易 に 関係 す る輸 出業 者 あ る い は製 造 業 者 の組 織 が な く、 価 格 と品質 の統 制 が で きな か った 。 ま た、 外 国 貿 易 の知 識 が な い もの が割 り込 む とい う こ と も生 じ 55 た。 経 験 者 お よ び未 経 験 者 が 自由 競 争 の 風 を 孕 ん で 外 国貿 易 に雑 然 と乗 り出 す の は壮 観 で は あ るが、 危 険 性 も潜 ん で い る。 そ こで 、 太 田 領 事 は、 「こ の際 、 輸 出業 に従事 で き る資格 を定 め、 各 地 各 商 品 につ いて 組 合 を造 り、 こ の組 合 に輸 出 の 権利 を与 え るべ きで あ る。 自 由貿 易 主 義 は 過 去 の 夢 で あ って 、 現 在 は国 家 主 義 経 済 な い しブ ロ ッ ク経 済 に邁 進 して い る の で あ る か ら、 無 統 制 と放 任 を 続 け る こ と の方 が よ くな い」 と提 言 した(30)。 か く して 、(1)日 本 人 商 人 間 の商 業 道徳 、(2)輸 出統 制 、(3)日 本 人 の南 ア フ リカ市 場 に対 す る認 識 、 につ いて 次 の よ う な注 意 が 喚 起 され る こ とに な った の で あ る。 第一 に、 日本 人 商 人 間 で 商 業 道 徳 を昂 揚 し、 信 用 を 基礎 とす る品質 本 位 の取 引 を お こな う。 そ れ に 関連 して 、(a)品 質 を考 慮 に入 れ な い よ うな無 理 な註 文 は避 け る。(b)一 商 人 の斬 新 な 意 匠 は、 こ の独 創 性 を保 護 す る よ うに努 め、 類 似 品 ・模 造 品 の製 造 を慎 む。(c)通 信 の交 換 、 商 品 の 積 出 し、 見 本 の提 示 、 手 形 の送 達 につ いて は ク レー ムが っ か な い よ うに留 意 す る。 第 二 に 、 対 南 ア フ リカ輸 出 に従 事 す る も の は関 係 当 局 と連 絡 の うえ 、 商 品別 、 地 域 別 に輸 出組 合 を 結 成 す る。 商 人 だ けで な く製 造 業 者 にっ いて も統 制 が 必 要 で あ る。 とい うの は、 南 ア フ リカ市 場 で は、輸 出業 者 の エ ー ジ ェ ン トと して よ り も製 造 業 者 の エ ー ジ ェ ン トと して契 約 す る傾 向 が 見 られ た か らで あ る。 価 格 統 制 も必 要 で あ る。 日豪 通 商 紛 争 以 後 、 日本人 商人 が南 ア フ リカ に 注 目 し、 日本 品 の売 り込 み競 争 が 激 化 した た め に、 小 口註 文 が 増 え 、 価格 の動 揺 と品質 の低 下 に対 す る苦 情 が 続 出 し、 反 省 が 求 め られ て い た。 第 三 に、 南 ア フ リカ 市場 へ の認 識 を深 め る。 (a)南 ア フ リカ市 場 は、 今 後 は理 化 学 製 品 、 高 級 な 日用 品、 機 械 類 の 「新 市 場 」 と しな け れ ば な らな い 。(b)日 本 品 の 南 ア フ リカ市 場 へ の 進 出 は エ ー ジ ェ ン トに依 存 して い る が、 良 質 の エ ー ジ ェ ン トを得 る の が非 常 に困 難 で あ っ た。 現 在200あ ま りが 日本 人 商 人 の エ ー ジ ェ ン ト と な って い る が、 そ の うち で も十 数 名 で 日本 品 輸 入 の ほ と ん ど を掌 握 して い る実 情 に鑑 み 、 エ ー ジ ェ ン トを整 理 す る必 要 が あ る。(c)日 本 品 の宣 伝 にっ いて は、 南 ア フ リカの 商 業雑 誌 や 新 聞 を 大 い に利 用 す べ き で あ ろ う。 この点 にっ いて は、 各 地 の商 工 会 議 所 を 中 心 に一 層 の 研 究 が 必 要 で あ る(31)。 「日阿取 極 』 が 締 結 され た 時 期 は、 日本 の積 極 的 な ア フ リカ市 場 進 出戦 略 が 試 み られ た 時 期 に あた る。1930(昭 政 府 は、1931(昭 和5)年3月19日 和6)年 に は、 日埃 通 商 暫 定 取 極 が締 結 さ れ、 そ れ を 契 機 に、 度 予 算 の編 成 に あ た っ て、 カ イ ロ に帝 国 公 使 館 の新 設 と東 ア フ リカ に帝 国 領 事 館 の新 設 を決 定 して い る。 東 ア フ リカが と くに重 視 され た の は、1929(昭 が1919(大 正8)年 和4)年 に コ ン ゴ盆 地 地 域 の 通 商 自 由 の 原 則 を規 定 した サ ン ジ ェル マ ン ・ア ン ・ レー条 約 の改 訂 期 に あ た り、 イ ギ リス系 商 業 団 体 が この廃 棄 を考 えて い る と い うよ う な 日本 政 府 の情 勢 判 断 が あ った か らで あ る。 ま た、 西 ア フ リカ にっ い て も、 綿 布 輸 出 を促 進 す る た め に 東 洋 紡 の庄 司 と伊 藤 忠 の伊 藤 は、 輸 出補 償 法 適 用 地 の指 定 を と りっ け、 現 地 調 査 に乗 り出 して い た。 以 上 の よ うな 状 況 の 中 で 、 「日阿 取 極 』 に もとつ く南 ア フ リカ市 場 で の 日本 人 の商 業 活 動 の 自 由確 保 と国 内 に お け る輸 出体 制 の再 検 討 は、 日本 の対 ア フ リカ輸 出戦 略 上 ど う して も必 要 で あ っ た と考 え られ る。 56 第4章 世 界 恐 慌 期 にお け る 日本一南 ア フ リカ通 商 関 係 史 注 (1)筆 者 が こ れ ま で 取 り組 ん で き た 「日本 一南 ア フ リ カ 通 商 関 係 史 研 究 」 に 関 す る 諸 論 稿 に は 以 下 の も の が あ る 。 「戦 前 期 日 本 の 領 事 報 告 に 見 ら れ る ア フ リ カ 経 済 事 情 調 査 の 研 究 『通 商 公 報 』 を 中 心 に して 」(日 本 ア フ リ カ 学 会 前 期 日本 の南 ア フ リカへ の経 済 的関 心 会 科 学 研 究 年 報 」22号 部 ア フ リカ 『貿 易 雑 誌 』 の 調 査 に 基 づ い て 一 、1992年3月)、 フ リカ羊 毛 購 入 問 題 「戦 谷大学 『社 「日 本 ・南 ア フ リ カ 関 係 史 」(川 端 正 久 ・佐 々 木 建 編 『南 日本 領 事 報 告 に基 づ い て 」(川 端正 久編 」(龍 「『日 阿 取 極 」 と 南 ア 『ア フ リカ と 日本 』 頸 草 書 「両 大 戦 間 期 に お け る 日本 の 対 南 ア フ リカ 貿 易 と 日本 企 業 の 活 動 」 杉 山 伸 也 『近 代 ア ジ ア の 流 通 ネ ッ トワ ー ク 』 同 文 館 、 近 刊 、 「日本 ・南 ア フ リ カ 経 済 関 係 の 新 展 開 」 川 端 正 久 ・佐 藤 誠 編 著 『新 生 南 ア フ リ カ と 日 本 』 頸 草 書 房 、1994年 本 ・南 ア フ リ カ 経 済 関 係 の 新 潮 流 」 川 端 正 久 ・佐 藤 誠 編 著 1996年 外務省通商局 、1989年12月)、 ポ ス ト ・ア パ ル トヘ イ トと 日 本 』 頸 草 書 房 、1992年7月)、 房 、1994年12月)、 他編著 『ア フ リ カ 研 究 』35号 、 「マ ン デ ラ 政 権 誕 生 と 日 『南 ア フ リ カ と 民 主 化 』 頸 草 書 房 、 、"Japan'sEconomicRelationswithSouthAfricainthePost-Wa「Pe「iod:Dete「mi- nantsofJapanesePerceptionsandPoliciestowardsSouthAfrica",(ShikokuGakuinUniversity,Ronshu,No.86,1994.),"Japan'sTradewithSouthAfricaintheInter-WarPeirod AStudyofJapaneseConsularReports",PaperpresentedforthellthlnternationalEconomicHistoryCongress:C47:CommercialNetworksinAsia,1850-1930,Milano,13September1994. (2)た とえ ば、 以 下 の よ う な 諸 研 究 を あ げ る こ と が で き る 。HiroshiShimizu,AngloJapanese TradeRivalryintheMiddleEastintheInter-warPeriod,London,1986.M.B.Roseed.,InternationalCompetitionandStrategicResponseintheTextileIndustriessince1870,London, 1991,1.Browned.,TheEconomiesofAfricaandAsiaintheInter-warDepression,London, 1989,C.Worm,Business,PoliticsandInternationalRelations:Steel,CottonandInternationalCartelinBritishPolicies,1924-939,Cambridge,1993,T.Rooth,BritishProtectionismand thelnternationalEconomyOverseasCommercialPoliciesinthe1930s,Cambridge,1993.伊 藤正 直 「1933年 ロ ン ドン国 際 経 済 会 議 と 日本 『日本 帝 国 主 義 の 経 済 政 策 』 柏 書 房 、!991年 1930年 貿 易 ・通 商 問 題 を 軸 に し て 、籠谷直人 代 前 半 の 日 本 綿 業 と 政 府 」 『土 地 制 度 史 学 』117号 の経 済 外 交 第二 次 『人 文 学 報 』 第77号 『日 印 会 商 』(1936∼37年)を 、1996年 」後藤 靖編 「日 印 会 商(1933-34年)の 、1987年 事:例 に 」(京 、同 歴 史 的意 義 「日 中 戦 争 前 の 日 本 都大学 人文 科学研 究 所 、NaotoKagotani,"JapaneseCotton-textileDiplomacyinthe firsthalfofthe1930s:theCaseoftheDutch-Japanesetradenegotiationsin1934".社 済史学会編 『1930年 代 の 日本 経 済 会経 そ の 史 的 分 析 』 東 京 大 学 出 版 会 、1982年 大 戦 間 期 日本 ・東 南 ア ジ ア 関 係 の 諸 相 』 ア ジ ア 経 済 研 究 所 、1986年 ウ ン編 著 (3)石 井修 「戦 聞 期 東 南 ア ジ ア の 経 済 摩 擦 『世 界 恐 慌 と 日 本 の 16、20、22ペ ー ジ 。1.ニ か ら三 宅 坂 へ (4)「 戦 前 期 日本 の南 ア フ リカ へ の経 済 的 関心 ペ ー ジ。 杉 原 薫 (5)次 「経 済 外 交 」1930∼1936年 」 東京 。 頸 草 書 房1995年 『日 本 の 外 交 政 策 』1869、942霞 、225∼250ペ 『両 、 杉 山 伸 也 ・イ ア ン ・ ブ ラ 日 本 の 南 進 と ア ジ ア ・欧 米 』 同 文 館 、1990年 ッ シュ著 、 宮 本 盛 太 郎 監 訳 」 ミ ネ ル ヴ ァ書 房 、1994年 、 清水元編 、 が関 ー ジ。 『貿 易 雑 誌 』 の 調 査 に 基 づ い で 『ア ジ ア 間 貿 易 の 形 成 と構 造 」 ミ ネ ル ヴ ァ書 房 、1996年 」172∼174 、250∼261ペ ー ジ。 の よ う な タ イ トル の 文 書 で あ っ た 。UnionofSouthAfrica,1>OIESexchangedbetweenthe UnionGovernmentandtheJapaneseConsulintheUnionconcerningJapaneseImmigration intoSouthAfrica.(LaidupontheTableoftheHouseofAssemblyonthe13thFebruary, 1931)DocumentNo.A.1一'31JapaneseConsulonJapaneseimmigrationintoUnion.外 省 外 交 史 料 館 調 書 目 録 、 通212「 連 邦 ノ 政 府 間 ノ 取 極 正 文 及 和 訳 」(1931年)を 年5月2日 務 南 阿 弗 利 加 連 邦 ヘ ノ 日本 人 ノ入 国 二関 スル 日本 国及 南 阿 弗利 加 参 照 。 『海 外 経 済 事 情 」 第4年 、 第32号 、 昭 和6 付 ケ ー プ タ ウ ン本 合 領 事 館 事 務 代 理 報 告 。 57 (6)「 ア フ リカ大 陸 縦走 記 」 の 内 容 は次 の よ うな もの で あ った。(1)「 入 る」(6月15日)、(2)「 「 荒 寥 た る大高 原:特 人 種 の カ ク テ ル:有 有 の丘 陵 性 の小 山」(6月17日)、(4)「 済 界 の 心 臓 」(6月18日)、(5)「 (6)「 愈 よ神 秘 境 へ:奥 金 剛 石 と金 の都:南 世 界 一 の 大 瀧 布:ヴ (9)「 天 草 の娘 子軍:悲 不 可 思 議 な天 運:コ 野 獣 国 の 領 内 へ:数 (12)「 赤 道 直 下 で 日本 式 お正 月:踊 自動 車 の 前 に魔i物の 如 き豹: 湖水 一 面 に ソー ダ結 晶 蔵 相 と語 る:『 ア フ リカ の 日本 』 と 自負 」(6月27日)、(14)「 千 古 の 黒 人 王 国:ア め ナ イ ル を下 る:様 大 縦 走 終 る:茫 は ば を きか せ る メ ー ド ・イ ン ・ジ ャ 漠 た る大 海 原 」(7月2日)、(19)「 ビ シニ ア を め ざす 」(7月3日)、(20)「 ど こで も吹 く役 人 風 」(7月4日)、(21)「 人 情 味」(7月5日)、(22)「 厳 然 独 立 を誇 る 山 の行 者 の い で た ち:白 今 も敵 討 の奇 習 澄 み 切 った 高 原 の 都:古 日)、(23)「 徳 川 時 代 の や うな三 勤 交 代 制:日 らぬ 砲声 に流 言 が飛 ぶ:ア ブ ガ ンダ王 国 の 首 相 御 機 嫌 を損 じた王 様 の舞 姫:黒 々 な土 人 の服 装 」(6月29日)、(16) 嬌 者 の河 馬 ク ン」(6月30日)、(17)「 パ ン」(7月1日)、(18)「 全 く不 思 議 」(6月25日)、 り明 か す土 人 達 」(6月26日)、(13)「 人 の踊 るを 見 る」(6月28日)、(15)「 ン ゴ ー河 知 れ ぬ 鹿 の 大 群 」(6月22日)、 壮 な彼 女 等 の運 命 」(6月23日)、(10)「 思 はず銃 を握 り締 め る」(6月24日)、(11)「 ア フ リカ経 ィ ク ト リ ア 瀧 の 壮 観 」(6月19日)、 地 コ ン ゴー に 向 ふ」(6月20日)、(7)「 を 河 蒸 汽 で 下 る」(6月21日)、(8)「 「ス ダ ンに 入 る:愛 美 しい緑 の 都 ケ ー プ タ ウ ンに 色 人 に対 す る差 別 待 遇 」(6月16日)、(3) 名判官 のはな し 木綿づ く 沙 翁 劇 に似 た び た ホ テル が 当 国 一番 の 映 画 館」(7月6 本 式 の お辞 儀 を す る女 」(7月7日)、(24)「 ビ シニ ア の紛 争 」(7月8日)、(25)「 時な ア ビ シニ ア の維 新:大 事変の 遭 遇 」(7月9日) (7)第 二 信 は次 の よ うな 内 容 で あ った 。(1)「 共 同 の 門 戸 た る葡 領 東 阿 と 背 後 地」(8月21日)、 (2)「 牢 固 た る英 国 の経 済 的勢 力」(8月22日)、(3)「 モ ザ ン ビー ク協 定 とは」(8月23日)、(4)「 ず る黒 人 」(8月24日)、(5)「 度 」(8月26日)、(6)「 日)、(7)「 マ ル ケ ス港 に 似 た会 社 領 の ベ イ ラ港:土 工 業 助 成 上 独 占権 が 与 へ られ る=葡 土 人 の 買 ふ もの は先 ず 第一 に衣 服:輸 本 商 品 は印度 商 人 の手 を経 る:メ の 将 来 有 望 な 鉱 物:農 む:コ 唯 一 の貿 易 港 地 開 発 上 の プ ラ ゾ制 入 の大 宗 は綿 織 物 」(8月28日)、(8)「 リヤ ス と入 絹 が 有 望 」(8月29日)、(9)「 ン ゴー の 交 通 状況 」(8月31日)、(11)「 要 な役 割 を演 国 人 は排 他 的 で な い」(8月27 業 発 達 の 見 込 も あ る」(8月30日)、(10)「 ウ ム産」(9月2日)、(12)「 ロ レ ンソ ・マル ケ ス港 無 税 協 定 を 廃 し最低 税 率 を賦 課:重 日 ニ ヤ サ ラ ン ド地 方 東洋 方面 に煙草 の販路 を求 恵 ま れ た る コ ンゴ ー地 方 の鉱 産:世 ベ ル ギ ー政 府 は 自領 へ の入 国 を 喜 ば ぬ:商 界 一 の ラヂ 権 は ギ リシ ャ人 に握 ら る 」(9月4日) (8)第 一 信 は、 次 の よ う な 内容 で あ っ た。(1)「 シ ー政策 」(2月14日)、(2)「 (3)「 蹂 られ た黒 人 労 働 者 」(2月18日)、(5)「 る 白 人 浮 浪 者 の 大 群:所 22日)、(8)「 日)、(9)「 白 人 至 上 主 義 の 彼 等:日 の 建設:連 本 人 の 待 遇 は漸 次 緩 和 人 以 外 に売 らぬ 酒 (10)「 勢 力 の対 立 と連 邦 の三 首 府:一 南 阿 移民 の 角 遂=所 日本 人 は排 斥 の道 つ れ:腰 滞 在 拒 絶 の不 愉 快 極 ま る文 句:姿 差 別 待 遇 の分 岐 点:白 但 し在 留 者 十 五 人 」(2月25 日本 人 は此 限 に あ らず 」(2月26日)、 千 マ イ ル の 引 越 し」(2月27日)、(11)「 謂 ア フ リカ ー ネ ル」(3月5日)、(12)「 節 の説 明 は、 主 と して、 外務 省記 録E320XI-B6「 国貿易状況雑纂 ボ ア の反 英 熱 と 英 人 が繰 返 す ボ ア の逃 避 と新 南 阿 各国貿 易状況 雑纂 南 阿 ノ部 各国貿易状況関係雑纂 南 阿 ノ部 南 阿 ノ部 」、 外 務 第 一 巻 」、 外 務 省 記 録E320XI-B6「 各 第二 巻 」 に依 拠 して い る。 な お 、世 界 恐 慌 期 に お け る南 ア フ リカ の 関 税 そ の 他 の 貿 易 規 則 関 係 に っ い て は、 外 務 省 記 録E312XI-B6「 を参 照 。 を据 を消 した 白人 商 店 」(2月 邦 公 用 語 の 協 定 」(3月7日) 省 記 録E320XI-B6「 南 阿 ノ部 南 阿 の偉 南 阿 白人 の将 来 に暗 影 を投 ず 謂 文 化労 働 生 活 」(2月20日)、(6)「 え た 印度 人」(2月21日)、(7)「 58 ョ ンブ ル伝 統 の シ ー ・ッ ー ・ し い町 異 人種 の街 『ケ イ プ」」(2月15日)、 ア フ リカ の流 行 は土 人 の真 似 か ら:衰 滅 し行 く先 住 民 族 」(2月16日)、(4)「 大 な 眠 れ る購 買 力:踏 (9)本 英 国 の宿 願 成 る:ジ 近 世 文 化 の 門戸:美 第 一 巻 」、 外務 省記 録E312XI-B6「 各国 関税並 法規 関係 雑件 各 国 関 税並 法規 関係 雑 件 南 阿 ノ部 第二巻」 第4章 (10)「 南 ア フ リカ 連 邦 対 代 理 報 告 (11)「 日 貿 易 概 況(1930年)」(昭 『海 外 経 済 事 情 』 第4年 (12)「 (13)「 和8年7月7日 和9年6月23日 南 阿 連 邦 貿 易 年 報(1934年)」(昭 (16)「 付 ケ ー フ.タ ウ ン 藤 村 領 事 報 告 「海 外 経 済 事 和10年7月17日 付 ケ ー プ タ ウ ン藤 村 信 雄 領 事 報 告 「海 外 経 和11年6月29日 付 ケ ー プ タ ウ ン太 田 知 庸 領 事 報 告 『海 外 経 、 第17号) 南 阿 弗 利 加 連 邦 外 国 貿 易 年 報(1936年)」(昭 告 『海 外 経 済 、 第18号) 南 阿 連 邦 貿 易 年 報(1935年)」(昭 済 事 情 」 昭 和11年 (15)「 付 ケ ー プ タ ウ ン茂 垣 領 事 代 理 報 告 、 第37号) 済 事 情 」 昭 和10年 (14)「 付 ケ ー プ タ ウ ン 本 合 領 事 館 事 務 、 第37号) 南 阿 連 邦 貿 易 概 況(1933年)」(昭 情 』 昭 和9年 和6年6月27日 、 第36号) 南 阿 連 邦 貿 易 概 況(1932年)」(昭 事 情 』 第6年 世 界 恐 慌 期 に お け る 日本 一南 ア フ リ カ 通 商 関 係 史 『海 外 経 済 事 情 」 昭 和13年 和12年9月24日 付 ケ ー プ タ ウ ン 太 田 知 庸 領 事 報 、 第6号) 南 阿 連 邦 外 国 貿 易 年 報(1937年)」(昭 和13年11月25日 付 ケ ー プ タ ウ ン 木 下 武 雄 領 事 報 告 『海 外 経 済 事 情 』 昭 和14年4号) (17)外 務 省 記 録K36111-1「 (18)外 務 省 記 録M21014-43「 各 国 駐 在 帝 国 名 誉 領 事 任 免 関 係 雑 纂 務 省 記 録E129J2-4「 帝 国 名 誉 領 事 経 済 並 商 況 報 告 雑 纂 (19)外 述 各 国 二於 ル 本 邦 人 ノ 入 国 居 住 及 営 業 関 係 雑 件 は 、 本 記 録 に 収 め ら れ て い る資 料 に 基 づ 法 規 関 係 」 参 照 。 『ダ ー バ ン 』 ノ 部 」 参 照 。 『ダ ー バ ン 」 ノ 部 」 参 照 。 以 下 の 記 く。 (20)NatalMercury,June131931,"JapaneseMenacetoUnion:UndercuttinginElectricGoods CheapLabour:DurbanIndustryThreatened:Manufacturersmustbesafeguarded",Natal Mercury,June121931,"EconomicFightwithJapan:DurbanBusinessmanAlarmed:Price Cutting:SecretFireYearPlan?:RubberShoesatbelowCost",NatalMercury,May5 1931,"JapaneseShoesDumping:ThreattoLocalIndustry:WhiteLabourCountriesPowerless,LowWagesBehindCheapGoods". (21)NatalMercury,June171931,"MenaceofAsiaticTrade:WesternStandardsfacingGreat Threat:CheapGoodsthefirstmoreinDirectChallege:CallforBritishPreferenceJapaneseTreatyDenouncedasSeriousBlunder". (22)NatalMercury,June171931,"JapaneseTradeMenace:GrowingAlarmofIndustry,Undercutting:FloodofCheapGoods:PresidentforOtherOrients". C23)NatalMercury,June271931,"MadeShirtsCheaperthanRawMaterial",NatalMercury, June271931,"FirstFruitsofJAPTradeInvasion:RetrenchmentofMaritzburgandRand FactoryHands:EmployersthreatentoCloseDownAltogether:CompetitionImpossible" "OnlyRemedyLiesinProtectionofUnionIndustries" ,NatalMercury,June301931, "CheapGoodsofGoodQuality:DisturbingJAPTradeFeatures:TariffUseless Manufacturers'viewOtherLinesFollowShirtsandShoes". (24)NatalMercury,July81931,"GeneralKemp'sClaimforJapaneseTreaty:"MeansofbenefitingFarmersofSouthAfrica":MaizeExportQuotatobefrom30to35percent". (25)NatalMercury,July231931,"JapaneseAgreement","CompetitionforJapFootwear:GovernmenttoAct:FactSought:OfficialLetterCirculated",NatalMercury,July151931,"JapapeseConsulAnswersBack:BlamesGrossExaggeration:"Ridiculous":MenaceTalkCondemnedSouthAfricanMarketnotbigenough",NatalMercury,,Tiny181931,"Defenceof 7APAgreement:NotTradeTreatySaysMinister:NoRealitiesallowedunderNew System:ComplaintsFosteredbyIll-Feeling?". (26)NatalAdvertiser,June291931,"ThePerilfromtheEast",NatalMercury,July171931"AntiDumpingMorebyS.A.BusinessMen:WarDeclaredonEasternTradeCompetition:Proposedforindustrialconference"GraveSituationinUnions":Menaceof"Ridiculous"Low Price". 59 (27)BoardofTradeandIndustry,ReportNo.130,ApplicationofExchangeDumpingDuties toJapan,Pretoria,1932(B.T.1.600/130),ReportNo.163,DumpingofCementfrom Japan,Pretoria,1933(B.T.1.600/163),ReportNo.170,ImplicationofExchangeDumping Duty:Japan,CapeTown,1934(B.T.1.600/170),ReportNo.186,FurthernImpositionofExchangeDumpingDuties:JapanandAustralia,Pretoria,1934(B.T.1.600/186),Report No.196,ImpositionofExchangeDumpingDutiesonSlippersfromJapanandAustralia,Pretoria,1935(B.T.1.600/196),ReportNo.198,ImpositionExchangeDumpingDutyonJapapesePlywood,Pretoria,1935(B.T.1.600/198) (28)AnthonyMinnaar,"TheGreatDepression1929-1934:Adverseexchangeratesandthe SouthAfricanwoolfarmer",TheSouthAfricanJournalofEconomicHistory,Vol.5,No.1, March1990,pp.31-32,AnthonyLumby,"Foreigntradeandeconomicgrowth:South Africaduringtheinter-waryears",TheSouthAfricanJournalofEconomicHistory,Vol.5, No.2,September1990,p.63,WilliamG.Martin,"TheMakingofAnIndustrialSouth Africa:TradeAndTariffsintheInterwarPeriod",TheInternationalJournalofAfricanHistoricalStudies,Vol.23,No.2,1990,pP.75-76. (29)「 南 阿 弗 利 加 連 邦 貿 易 年 報(1936年)」(昭 和12年9月24日 『海 外 経 済 事 情 」 昭 和13年6号)。1930年 付 ケ ー プ タ ウ ン太 田知 庸 領 事 報 告 代 前 半 に お い て 、 ケ ー プ タ ウ ン在 住 の 各 日 本 領 事 が 少 な か ら ず 関 心 を 向 け た い く っ か の 問 題 が あ っ た 。 第 一 は 、 「英 帝 国 経 済 連 盟 規 制 運 動 」 と そ れ に 対 す る南 ア フ リ カ の 態 度 で あ る。1930(昭 和5)年3月24日 、 オ レ ン ジ ・フ リ ー ・ス テ ー ト州 グ ロ ー ム フ ォ ン テ イ ン商 業 会 議 所 年 次 大 会 に お い て 、 南 ア フ リカ 商 業 会 議 所 連 合 会 イ ヴ ァ ン ・ フ ァ ー ル バ ー ガ ー 会 頭 は 、 「英 帝 国 内 の 諸 領 相 互 間 の 利 害 は 錯 綜 して い る の で 、 英 帝 国 内 経 済 連 盟 の 実 現 は容 易 で は な い 」 と発 言 し て い る。 「グ レ ー ト ・ ブ リ テ イ ン と ド ミ ニ オ ン は 互 恵 主 義 を 原 則 と す る通 商 協 定 を 締 結 す る こ と が 緊 要 で あ る 」 が 「英 帝 国 経 済 連 盟 を 夢 想 す る よ り も、 製 品 の 改 良 、 販 売 方 法 の 研 究 が 、 急 務 で あ る と、 英 本 国 の 製 造 業 者 に 警 告 を 与 え た 」 と報 告 し て い る 。 (昭 和5年3月25日 付 ケ ー プ タ ウ ン山 崎領 事 代 理 報 告 『海 外 経 済 事 情 』 第3年 、 第24号 参 照)。 ま た 、 南 ア フ リカへ の 日本 品 の 販路 を 拡張 す るた あ に 、英 国 の 当時 行 った調 査 を反 面 教 師 と して 利 用 し よ う と の 姿 勢 も 見 ら れ た 。1930年 カ に 派 遣 さ れ た 英 国 経 済 使 節(カ 同 綿 花 委 員 会 」(JointCottonCommittee)で 伝 え ら れ て い る 。(1)南 、 英 国 製 綿 製 品 輸 出 の減 退 を調 査 す る た あ に 南 ア フ リ ー ク リー 卿)の 一 員 、 ウ ォデ ィ ン トンが マ ンチ ェス タ ー の 「合 英 国 の 対 南 ア フ リカ 貿 易 に 関 す る講 演 で の 要 旨 が ア フ リカ に お け る地 方 工 業 の勃 興 で あ る。 英 国製 綿 布 へ の関 税 が高 す ぎ る た め に 、 ボ ル ト ン や ロ ー ゼ ン タ ー ル は被 害 を 受 け て い る 。(2)商 商 人 が 店 舗 を 開 き 大 量 の 取 引 を 行 っ て い る 。(3)長 業 中 心 地 に は 、 イ ン ド人 期信 用 で遠 隔 地 の商 人 に対 して大 量 取 引 が 行 わ れ て い る 。 こ れ ら の 小 資 本 家 に 財 政 的 援 助 を 与 え て 商 圏 の 拡 張 を は か る。 英 国 商 人 の 払 う手 数 料 は 低 い 。(4)対 ア フ リ カ 人 商 業 が 南 ア フ リ カ 貿 易 の 主 な 要 素 と な る 。(昭 付 ケ ー プ タ ウ ン本 合 領 事 館 事務 代 理報 告 『海 外 経 済 事 情 」 第4年 、 第19号 和6年4月14日 参 照)ま た、英 国の 金 本 位 停 止 に 対 す る 南 ア フ リカ 側 の 対 応 に っ い て も少 な か ら ぬ 関 心 が 寄 せ ら れ て い た 。 英 国 政 府 の 金 本 位 停 止 は 南 ア フ リ カ 経 済 界 に 衝 撃 を 与 え た 。 ジ ョ ハ ネ ス バ ー グ取 引 所 は 、 二 日 間 休 業 、 プ レ ト リア にお い て 銀 行 家 会 議 が 開 催 され た 。政 府 は、 現行 の 金 本位 を維 持 す る旨 の 発表 が あ った。 し か し、 日 本 か ら の 輸 入 は 南 ア フ リ カ 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 間 直 為 替 開 始 の 暁 に は ニ ュ ー ヨ ー ク を 経 由 す べ き か ど う か は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク ・南 ア フ リカ 間 の 為 替 の 開 き に よ っ て 決 定 さ れ る た め 、 日 本 一 南 ア フ リ カ 問 に 直 為 替 相 場 が た た な け れ ば 日本 か ら の 輸 入 は 打 撃 を う け る 。(昭 和6年9月30日 付 ケ ー プ タ ウ ン本 合 領 事 館 事務 代 理報 告 し て は 、 外 務 省 記 録E120XI-B6「 資料参照。 (30)前 掲、太田領事報告参照。 (31)前 掲、太田領事報告参照。 60 『海 外 経 済 事 情 』 第4年 、 第50号 各 国 財 政 経 済 お よ び金 融 関 係 雑 纂 参 照)以 上 の件 に 関 南 阿 連 邦 ノ部 」 所 収 の