The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities
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The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities
研究シリーズ 1 Research Series 1 シンポジウム報告書 在日フィリピン人の介護人材養成: 現状と課題 2005年11月6日 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges Symposium Proceedings November 6, 2005 龍谷大学アフラシア平和開発研究センター Afrasian Centre for Peace and Development Studies, Ryukoku University 表紙デザイン: 山中大輔・内田晴子 研究シリーズ 1 Research Series 1 シンポジウム報告書 在日フィリピン人の介護人材養成: 現状と課題 2005年11月6日 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges Symposium Proceedings November 6, 2005 龍谷大学アフラシア平和開発研究センター Afrasian Centre for Peace and Development Studies, Ryukoku University ロゴは、ガーナ・アディンクラ模様の「双頭のワニ」 。双頭のワニは、2つの口がたとえ争っても胃袋はひ とつであり、つまり目的は同じなのだから、争わずに協力していこうという意味合いの平和のシンボルであ り、アジアとアフリカという2つの地域を合わせて「アフラシア」という圏域(スフィア)を象徴的に示す とともに、他方で同地域における非暴力による紛争解決と平和の実現を目指す本センターの強い願いを示し ています。 The logo mark of Afrasian Centre is adopted from an Adinkra symbol of “Siamese crocodiles” in the ancient kingdom of Asante that existed in what is now the Republic of Ghana, West Africa. It is a popular symbol of peace and unity, as Siamese crocodiles share a stomach, or the same ultimate goal, even if they tend to fight with each other. −i− −ii− はじめに 龍谷大学アフラシア平和開発研究センター センター長 長 崎 暢 子 龍谷大学は、平成 17 年度からの5年間の共同研究プロジェクト「紛争解決と秩序・制度の構築に関する総 合研究―アジア・アフリカ研究の地平から―」を発足させ、その研究プロジェクトの主体となる研究組織と して、「アフラシア平和開発研究センター」が設立されました。このプロジェクトは、アジア・アフリカにお ける非暴力的な紛争解決と、それをめぐるローカルからグローバルにいたる重層的な制度構築過程を地域研 究の地平から分析し、その成果を研究・教育・社会に還元することを目指しています。 (詳しくはホームペー ジ http://www.afrasia.ryukoku.ac.jp/ をぜひご覧ください。) 2005 年 11 月6日に開催されましたシンポジウム「在日フィリピン人の介護人材養成:現状と課題」は、 アフラシア平和開発研究センター第3研究班と、龍谷大学国際文化研究所「日本における介護分野でのフィ リピン人労働者の受入れに関する研究」共同プロジェクトとの共催で行われました。第3研究班の関心は主 に「ネットワークと地域文化からみた紛争」ですが、外国人による介護とは、まさに文化という要素が深く かかわってきます。世界各地で、外国人の地域社会への受入れ過程でのひずみが地域の緊張や紛争の遠因と なっている事例が報告されています。多民族共生社会への途を歩み始めている日本において、文化の観点か ら外国人労働者についての議論を深めることは、当センターとしても新しい試みです。 当日は、パネリストとしてさまざまな立場の方にお集まりいただき、わたくしたちの予想をはるかに上回 るご来場者の方々を含め、非常に意義深い議論を行うことができました。本報告書が、このシンポジウムの 記録として、在日フィリピン人介護労働者をめぐる今後の研究の進展を促すとともに、介護現場の状況改善 にもつながっていくことを願ってやみません。 −1− 謝辞 本報告書は、文部科学省私学助成学術フロンティア事業「紛争解決と秩序・制度の構築に関する総合研究― アジア・アフリカ研究の地平から」(平成 17 ∼ 21 年度 龍谷大学)による研究助成を受けました。 This publication has been supported by the Academic Frontier Centre (AFC) research project “In Search of Societal Mechanisms and Institutions for Conflict Resolution: Perspectives of Asian and African Studies and Beyond” (2005-2009), funded by the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology, and Ryukoku University. Opinions expressed in this paper are those of the author and do not necessarily reflect the views of the AFC project. このシンポジウムおよび報告書において表明された見解は、それぞれの発言者または執筆者によるも のであり、龍谷大学アフラシア平和開発研究センターの立場を反映するものではありません。また、報 告書の中で使用している図表やデータは、それぞれの発言者または執筆者の責任で引用するものです。 写真は、とくに記載のない限り、アフラシア平和開発研究センターに帰属します。 −2− 目次 「高齢日本社会における在日フィリピン人の経済的・社会的統合」 ……………………………………… 4 The Economic and Social Integration of Filipino Residents in the Ageing Japanese Society マリア・レイナルース・ D ・カルロス Maria Reinaruth D. CARLOS シンポジウムの記録 Symposium Proceedings 当日プログラム Programme パネリスト等紹介 Panelists and Coordinator 主催者冒頭挨拶 Opening Remarks (By Maria Reinaruth D. CARLOS) 上野由香子氏 Report by Ms. Yukako UENO 篠沢純太氏 Report by Mr. Junta SHINOZAWA …………………………………………… 31 林隆春氏 Report by Mr. Takaharu HAYASHI …………………………………………… 32 原田マリアフェ氏 Report by Ms. Maria Fe HARADA ……………………………………………… 37 間嶋アナベル氏 Report by Ms. Anabelle MAJIMA ……………………………………………… 38 安里和晃氏 Report by Mr. Wakou ASATO …………………………………………………… 39 ………………………………………………………………………… ……………………………………………………… 24 26 ……………………… 28 …………………………………………………… 29 パネルディスカッションと質疑応答 Panel & Floor Discussion ………………………………… 45 エッセイ Essays 「介護分野における人材育成についての外国人(フィリピン人)労働者の可能性」 …………… 60 Issues in the Training of Foreign (Filipino) Workers in the Caregiving Sector 上野由香子 Yukako UENO 「間嶋アナベル氏インタビュー」 ……………………………………………………………………… 63 Interview with Ms. Anabelle MAJIMA 「フィリピン人介護士さんとグローバリゼーションの時代」 ……………………………………… Filipino Care Workers in the Time of Globalization 青木恵理子 Eriko AOKI −3− 65 高齢日本社会における在日フィリピン人の 経済的・社会的統合 マリア・レイナルース・ D ・カルロス 第1節 はじめに 本稿の目的は、在日フィリピン人の日本の介護労働市場への参加による社会的・経済的統合を検討するこ とである。 グローバリゼーションにより、「モノ」、「カネ」、「ヒト」の移動が活発となり、そのなかでも、「ヒト」の 移動がホスト社会(受け入れ国)に対して影響が最も強くなってきている。外国人はホスト社会で自らの労 働力を提供したり、財・サービスを消費したりするというような経済活動を行なうだけでなく、母国の文化 を持ったまま実際にそのホスト社会で生活するからである。どの程度自分の文化を守り、どの程度ホスト国 の文化を取り入れるのか、あるいは融合させるのかが大きな課題である。お互いの「文化」の理解が不十分 であれば、外国人とホスト社会住民の間の「紛争」の要因となる。2005 年のフランスの移民騒動はその例で あるが、しかし、外国人が関わっている「紛争」あるいは「対立」は、日頃、ホスト社会のあらゆるレベル で起きている。最も小さい単位では、国際結婚で見られる「家」あるいは「家族」のなかの「紛争」であり、 その他に、職場、コミュニティー(自治会など) 、そして、国家レベルに至るまで存在する。そこで何らかの 回避・対応策が必要である。本稿ではそのひとつの方法が外国人の「社会的統合」だと捉えている。社会的 統合は経済的、文化的、政治的な要素を持つが、その中で特に重要なのは経済的統合だと筆者は考えている。 日本は第二次大戦以前、旧植民地から移民(いわゆるオールドカマー oldcomer)を受け入れたが、それ以 外の国からの人(いわゆるニューカマー newcomer)の受け入れはあまり進まなかった。しかし、戦後日本 の急激な経済発展により 1970 年代以降の発展途上国との所得格差が拡大し、1990 年代から注目されている 少子高齢化によって、特に外国人労働者の受け入れの必要に迫られ、そして、その結果、在日外国人コミュ ニティーが大きくなりつつある。実際、外国人登録者数はここ 30 年間の間、29 倍に増え、その大半は就労 可能な資格を持っている。彼らは自分の労働力を日本の労働市場で提供することで経済的な「価値」を生み、 それが、彼らの日本における「社会的統合」の大きな一歩となるのである。 本研究が在日フィリピン人の経済的統合、そして、日本の介護労働市場に注目する理由はふたつある。ひ とつは、多くの在日フィリピン人が長期滞在の資格を持っていて、長く日本で生きるための手段を必要とし ているからである(第2節) 。もうひとつは、日本では高齢化が進むにつれて、高齢者に対する介護サービス が最も拡大する産業であり、したがって人手不足が最も予想されている産業だからである(第3節) 。 本論に入る前に、日本とフィリピンの間の人的交流の概要を述べたい。日本とフィリピンは地理的に近い こともあって、スペイン植民地時代以前にも日本人が渡比していたことが記録されている。スペインの植民 地時代においては、貿易・商売をする日本人もいたが、多くは徳川家康の迫害から逃れたクリスチャンたち であった。そして、19 世紀から 20 世紀前半にかけて日本人は大農園や道路建設の労働者、食品店や衣服店、 写真屋の経営者、そして「カラユキさん」としてフィリピンに移住した。第2次大戦でこのような関係はい ったん途切れたが、しかし、1960 年代より、再び、商売・研究・観光・永住を目的に多くの日本人がフィリ −4− ピンに渡ってきている。2004 年現在には、登録されているだけで 12,498 人の在留日本人がおり、そのうち、 1,974 人が永住者である。 一方、フィリピン人の日本への訪問や移住については、特に第2次大戦以前の記録が乏しいためあまり知 られていない。日本の占領時代には、将来のリーダーの育成のため、フィリピンのエリートの若者を、いわ ゆる南方特別留学生として日本に留学させた。在日フィリピン人については、終戦後から 1970 年代までに約 400 人のフィリピン人しか日本に住んでいなかった。1970 年代に入ってから、その人数が急激に増加し、そ して、80 年代の日本経済の著しい発展により特にサービス産業や建設業における深刻な人手不足を解消する ために多くの外国人労働者を受け入れるようになった。(詳しくは、池端・ユーホセ[2004]第 15 章 p.583 ∼ 619 を参照していただきたい。)2004 年の入国管理局のデータによると、199,394 人のフィリピン人が在留 許可手続きを終えて、また 30,619 人が不法滞在の形で日本に住んでいる。以上から言えることは、日本にお けるフィリピン人コミュニティーの形成は、その歴史はまだ短いものの、近年、急激に進んでいるというこ とである。それに伴い、これまではなかなか現れなかった彼らの日本社会での経済的・社会的統合の課題が 顕在化しつつあり、対応が急務である。 本論文は以下のように構成されている。まず、次節では、在日フィリピン人コミュニティーの特徴を述べ、 彼らの日本社会への経済的統合の重要性・必要性を議論する。第3節では、日本における介護労働市場の現 状および 10 年後、25 年後の人手不足の見込みを明らかにし、外国人、特にフィリピン人の参加の可能性を 探る。第4節では、介護労働市場へのフィリピン人労働者の参加についての課題を明らかにし、彼らの介護 労働市場での円滑な活用のための政策を提言する。最後に第5節では、本論文をまとめることにする。 第2節 在日フィリピン人コミュニティーについての記述的分析 法務省入国管理局の報告によると、2004 年末現在の在日外国人の登録者数1)は約 197 万人であり、日本 の人口の約 1.55 %を占める。そのうち、フィリピン人登録者数は約 20 万人で、中国・韓国・ブラジルにつ いで、4番目に多い国籍となっている。この数は、1985 年の 16 倍であり、1995 年の約 2.6 倍である(図1) 。 増加率は外国人登録者数全体(合計)のそれに比べて高く、特に 2000 年の入国管理法の改正によって、日系 フィリピン人に対して労働規制がない長期滞在の在留資格が設置されたので当時の増加率は 25 %と突出して いる(図2)。では、在日フィリピン人達はどんな特徴を持っているのだろうか。 同じ入国管理局のデータから、まず在日フィリピン人登録者を男女別・年齢別に見てみよう(図3) 。女性 は全体の 82 %も占めている。その理由は、在日フィリピン人の在留資格の多くは興行従事者(いわゆるエン ターテイナー)や日本人の配偶者としてのものであり、そのほとんどは女性だからである2)。同じ理由で、 年齢別で見ると在日フィリピン人の大半は 25 歳∼ 44 歳であり、言うまでもなくここ 25 年の間に日本人と結 婚したフィリピン人たちが多く含まれている。一方、20 歳∼ 24 歳の女性は興行、あるいは、最近日本人と 結婚したフィリピン人たちであると考えられる[駒井 1995]。 1) ここでいう外国人登録者とは、日本に来日後 90 日以内に市区町村に登録した外国人を意味しており、出国・帰化・ 死亡などによりその登録が削除される。観光や短期滞在を目的とした入国後 90 日間以内に出国する場合には登録しな い場合が多い。 2) 最近は、ホスト(男性)も興行ビザで来日する場合も見られる。 −5− 250 200 200 150 150 100 100 50 50 0 うちフィリピン人(1,000人) 総数(10,000人) 250 0 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004(年) 総数(10,000人) うちフィリピン人(1,000人) 図 1 外国人登録者数の推移(1995 年∼ 2004 年) 出所:財団法人入管協会『在留外国人統計』平成 13 年∼平成 17 年版より筆者作成 増加率(%) 30 25 20 15 10 5 0 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 (年) 総数(%) うちフィリピン人(%) 図 2 外国人登録者数の動向(1996 年∼ 2004 年) 出所:図1に同じ ︵ 45,000 人 ︶ 40,000 35,000 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0- 4 510 9 -1 15 4 -1 20 9 -2 25 4 -2 30 9 -3 35 4 -3 40 9 -4 45 4 -4 50 9 -5 55 4 -5 60 9 -6 65 4 -6 70 9 -7 75 4 80 79 以 上 0 (歳) 男 女 図 3 在日フィリピン人の年齢・男女別外国人登録者数(2004 年末現在) 出所:法務省入国管理局編「出入国管理」(平成 17 年度)より筆者作成 −6− 次に滞在期間を見てみよう。在日フィリピン人の滞在期間の平均は 3.8 年であり、外国人登録者全体のそ れに比べて 1.2 年近く短い。つまり、在日フィリピン人の多くはニューカマーで、フィリピンで生まれてフ ィリピンで教育を受けた者たちである。彼らはオールドカマーである在日韓国朝鮮人とは異なった経済的・ 社会的統合の課題をかかえている。例えば、オールドカマーだと国籍問題や同和問題のような政治的統合の 課題が主だが、フィリピン人の場合はそれよりも経済的統合や地域社会への統合問題が大きい。ニューカマ ーの最も身近な問題としては、言葉の習得や子供の教育、職種・職場での差別が挙げられる。 もっとも、在日フィリピン人の滞在期間は今後長期化することが予測される。在日外国人情報誌連合会 (EMPC)が、在日外国人に①日本に永住したいかどうか、②日本が好きかどうかを尋ねたところ、フィリピ ン人回答者の 57 %(全体の場合は 37 %)は日本に永住したいこと、64 %(全体の場合は 49 %)は日本が 好きだということが判明した[駒井 1998: 241-283]。日本に長く住みたい理由として、すでに日本人と結婚 して日本で家庭を築いたことの他に、日本で働いてフィリピンにいる家族の経済的援助を行なうことが挙げ られている。将来多くのフィリピン人がより長く滞在した場合は、彼らの日本での経済的・社会的統合がま すます重要になってくる。同時に、長期間滞在によって日本語の習得や日本の習慣・文化の理解が可能とな り、これらを武器に日本の労働市場への参加が期待できる。また、長く日本に住みたいという動機が明確な ので「安定した」労働力として日本の経済に貢献できるであろう。 在日フィリピン人の滞在期間は在留資格と深く関わっている。入国管理法の分類を用いたフィリピン人登 録者の在留資格別内訳は図4で示されている。フィリピン人のほとんどは長期滞在(最低6ヶ月)の在留資 格の所持者であり、その約 58 %が第6分類の永住者、日本人の配偶者、永住者の配偶者、定住者および特別 ︵ 250,000 人 ︶ 200,000 150,000 100,000 115,913 (58.13%) 105,938 (57.19%) 97,077 (57.32%) 89,189 (56.93%) 80,858 (55.81%) 50,000 45,343 (31.30%) 46,605 (29.75%) 48,506 (28.64%)52,567 (28.38%) 52,958 (26.56%) 0 2000 2001 ① ② 2002 ③ ④ 2003 ⑤ ⑥ 2004 (年) その他 図 4. フィリピン人登録者の在留資格別内訳の推移(人数および割合、2000 年∼ 2004 年) 出所:図1に同じ 在留資格(在留目的)の分類 ①教授、芸術、宗教及び報道関係 ②投資・経営、法律関係業務、医療、研究、教育、技術、人文知識・国際業務、企業内転勤、興行及び技能 ③文化活動及び短期滞在 ④留学、就学、研修及び家族滞在 ⑤特定活動(ワーキングホリデーを含む) ⑥永住者、日本人の配偶者、永住者の配偶者、定住者および特別永住者 その他 未取得者及び未分類 −7− 永住者である。この分類をさらに詳しく分けたものが図5である。ここで注目すべき点は、永住者および定 住者数の急速な上昇である。前述のとおり 2000 年より、定住者資格は日系人にも与えられるようになったこ とがその主な理由である。また、永住資格の取得者数もここ5年間、2倍以上増えてきた。これも、入国管 理法改正後に見られる現象であり、日本人と結婚しているフィリピン人妻たちが在留資格を配偶者から永住 者に切り替えるケースが多い。永住権を取得することによって、3年に一回の在留資格の更新手続きの必要 もなく、日本人夫と離婚しても日本滞在が保証されるからである。 ︵ 120,000 人 ︶ 100,000 80,000 60,000 40,000 20,000 0 2000 2001 2002 2003 2004 (年) 永住者 日本人の配偶者 永住者の配偶者など 定住者および特別永住者 図 5 日本におけるフィリピン人長期滞在者数の推移(2000 年∼ 2004 年) 出所:図1に同じ 結婚相手としてフィリピン人女性は中国人女性についで2番目に多く、2004 年には 8,397 組、国際結婚全 体の約 27 %を占めているのだが、離婚のケースも年々増える傾向にある(表1)。これをみると、2004 年の 離婚件数は 3,395 件にものぼり、同年度の結婚件数の4割にもなる。彼女たちは離婚しても日本の子供と一 緒に母子家庭として日本に残る場合が多い。彼女たちが日本社会に生きるための経済的自立性を高めること がますます重要になる。 表1 夫妻の国籍別(日本・フィリピン)にみた結婚・離婚件数の年次推移 結婚 1995 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 夫日本・妻フィリピン人 7,188 7,519 7,160 7,630 7,794 8,397 妻日本・夫フィリピン人 52 109 83 104 117 120 夫日本・妻フィリピン人 1,456 2,816 2,963 3,133 3,282 3,395 妻日本・夫フィリピン人 43 66 62 77 84 84 離婚 出所 フィリピン・インフォメーション・サービス http://www.pis.or.jp/data/rikon/rikon.htm アクセス日 2006 年3月 25 日 高畑[2003]はこのような国際結婚の問題について次のように述べている。結婚の一つのパターンとして、 フィリピン人エンターテイナーと彼女が勤めているクラブの常連客との結婚がある。日本人の配偶者として 日本で無制限に働くことが出来るので家族に仕送りも出来るというのがこのパターンの結婚の理由の一つで ある。つまり、この結婚はフィリピン人女性にとって自分のみならずフィリピンに残した家族の「豊かで安 定的な将来」を意味している。しかし、このような結婚も多くの重大な問題を引き起こしている。高畑 −8− [2003]は宮島・長谷川[2000]を引用して、日本人の夫や彼の親戚との「共同生活の破綻」、配偶者の在留 資格を待っている間の「滞在の不安」、「結婚観における相克」、「日本的家族文化との葛藤」、「夫婦間の上下 関係」 、特に出産や子育てについての悩みの相談相手の不在という問題に注目した。時間やお互いの努力、コ ミュニケーションがなければこれらを乗り越えることは難しく、離婚につながる。相談できる人が限られて いることも離婚率の高さに関係する3)。それだけではない。元あるいは現役エンターテイナーであることで、 夫の親戚をはじめ周りの日本人から差別を受けていると感じて彼女たちのストレスが高まり、離婚の要因に もなる場合もある(インタビュー・ノート(大阪)より)。したがって、元エンターテイナーであることの 「汚名」をはらうためにも日本の社会が認める仕事を与えることが重要である4)。 生活保護を受けながら一人で子供を育てるフィリピン人女性は少なくない。日本では、母子家庭に対して 児童扶養手当が与えられるが、母親の収入や子供の人数、地方自治体の決まりによって一人の子供に対する 援助額は毎月最低 2.5 万円∼4万円である。子供がまだ小さい、働いても同額の給料しかもらえないという 理由で働かずにこのような制度に頼るフィリピン人女性は多い。このような傾向が続くと日本政府の大きな 財政的な負担になるうえ、子供が 20 歳になるとこの援助は打ち切られるので、彼女たちはその後の対策も考 えるべきである。つまり、彼女たちが日本の社会において「負担」でありつづけることのないように、彼女 たちの「持続的」な経済的自立の途、言い換えれば、経済的統合がまず必要である。 しかし、現在、在日フィリピン人がどの程度経済的に統合されているのかを扱う研究はまれである。まず、 在日フィリピン人の就職率を見よう。データは古いのだが、2000 年の国勢調査の結果によると、職をもって いる在日フィリピン人は 42,492 人で全体の約 29.3 %である。子供(0歳∼ 14 歳)、留学生・就学生および高 齢者(60 歳以上)を除けば、働いていない在日フィリピン人労働力の数は約 89,829 人と推定できる(もちろ ん、一部は子育てで働けない女性もここに含まれている。また、データでは反映されていないケースもある)。 大雑把な計算だが、同じ傾向が今も続いているとすれば、これは、日本の労働市場において「潜在的」な労 働力あるいは「眠っている人材」である。 職業別就業者数をみると、16,399 人(38.5 %)は卸売・小売・飲食産業で働いている(図6)。ここでいう 飲食店はほとんどスナック、バー等を指しており、そこで、フィリピン人は歌手、ホステス/ホスト、ダン サー等として働いている者が多い(特に興行ビザで来日した人は全部ここに入る) 。次に多い産業は製造業で 12,718 人(29.3 %)である。製造業の主な仕事は工場での製品の袋詰めや組立・点検、お弁当屋さんの箱詰 めである。そして3番目に多いのはサービス産業で、ホテルのベッドメイクや清掃である。 飲食店で働いているフィリピン人たちの大半は「興行ビザ」で来日した女性たちだが、「配偶者ビザ」や 「永住ビザ」の資格を持つ従事者もいる。この仕事は高収入で比較的に体力的に楽なので彼女らにとっては魅 力的である。普通の接客のお仕事なら、一日4時間(夜の8時∼ 12 時)働いて1万円(チップは含まれてい 3) フィリピン人たちは日本の中で「空間的」あるいは「場所的」(spatial)なコミュニティーを作っていないため、 教会や小人数の仲間を通じてこれらの問題を解決する傾向がある。それとは対照的に、華僑は「中華街」のような一 つのコミュニティーを形成する傾向がある。 4) エンターテイナーについての受け止め方は社会・時代・文脈によって異なるが、多くのインタビュー記録によると、 本人または自分や結婚相手の家族が、元エンターテイナーであることを恥ずかしいと考えている場合が報告されてい る。実情はともかくフィリピン社会にはカトリックの影響を強く受けた倫理規範が根強く残っている。エンターテイ ナーという職業を選びながら一方でその職業を否定するような態度の背景にはこのような規範の存在を理解する必要 がある。 −9− ︵ % ︶ 100 80 60 40 20 0 在日外国人全体 農林漁業 運輸・通信業 サービス業 在日フィリピン人 建設業 卸売・小売業・飲食店 その他 日本人 製造業 金融・保険業 図 6 在日外国人、在日フィリピン人および日本人就業者の産業別割合(2000 年) 出所:国勢調査 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/gaikoku/index.htm より筆者作成(アクセス日 2006 年2月 15 日) ない)の報酬がもらえる。しかも、配偶者・永住者ビザの所持者のこの市場への参入はこれから増えると予 測される事情もある。日本政府の現地調査や米国、フィリピンの人権団体の調査による「人身売買」の批判 が強まり、それに対応するために日本政府は 2005 年3月より「興行ビザ」の発行要件を大きく制限した。結 果、この産業における労働の需給バランスが崩れ、供給は在日フィリピン人(配偶者・永住者ビザの所持者) によってまかなわれていく可能性がある。しかし、仕事の性質上、定年まで続けることは困難である。また、 健康保険や社会保険に加入していない小規模な雇用者が多いので年金や健康保険のようなものがない。したが って、特に永住を考える彼女たちには他の産業への参入、すなわち職業転換という選択肢を与える必要がある。 彼女たちに安定した職を考える時に、何が出来るのか、また、日本社会がどんな労働者を必要とするのか、 日本の労働市場の需要と供給を分析することは欠かせない。本稿は、日本の高齢化に注目して、彼女たちの 介護労働への職業転換が一つの有力な選択肢であるという立場であり、次節で詳しく説明したい。 第3節 日本の介護労働市場への参入 本節では、日本における高齢者介護サービス産業の労働過不足を確認し、需要面・供給面それぞれに起因 する労働市場の不均衡を説明した後、在日外国人、特に在日フィリピン人の市場への参入の可能性を検討し たい。 2005 年度のデータを見ると、社会保険・社会福祉・介護事業産業の従事者数は 228 万人で一般飲食店産業 (222 万人)や公務(229 万人)とほぼ同じ人数を雇用しており、また、いうまでもなく、この産業は急激に 拡大している5)。それを受けて、労働市場はどのように対応しているのだろうか。それを説明するのに最も 簡単な指標として有効求人倍率というものが用いられている。全国社会福祉協議会・中央福祉人材センター 5) 総務省統計局労働力調査 平成 17 年平均結果 第 14 表「産業・職業別就業者数」 http://www.stat.go.jp/data/roudou/2005n/ft/zuhyou/201400.xls(アクセス日: 2006 年3月 25 日) −10− の職業紹介実績報告書(2005 年4月∼ 12 月の期間)6)によると、福祉産業の求人倍率は当期間において (月平均)1.03 倍であり、介護保険法が導入された 2000 年以来、初めて1倍を上回った。これは、求職者1 人に対して 1.03 人の求人があることを意味し、ささやかではあるが、この種の職業に就きたい労働者にとっ ては以前に比べて就職しやすく、逆に言えば、介護事業所の人材確保が前に比べて少しずつ難しくなってき ていることになる。 福祉産業の中で、高齢者介護サービス産業は最も大きな割合を占めている。その労働市場の傾向をより明 確にするために、この有効求人倍率を分野別・職種別・雇用形態別7)・地域別で見よう8)。まず、分野別で は、高齢者福祉・介護保険の有効求人倍率は 1.38 倍であった。これは、他に比べて高い数値になっており、 高齢者介護サービス産業がより多くの労働者を要し、福祉産業の中で最も拡大している分野であることがわ かる。次に、職種別で見ると、ホームヘルパーの有効求人倍率は 1.09 倍、ホームヘルパーを除いた介護職の それが 0.80 倍であり、看護職の 4.21 倍に次いで、福祉産業の中で2番目に高いことを示している。ホームヘ ルパーを多く必要とする在宅介護サービスが 2000 年に実施された介護保険法の一つの柱になっているからで ある。 また、雇用形態別でみると、これは福祉産業全体のものではあるが、常勤(正規)の場合は 0.71 倍、常勤 非正規は 5.10 倍、そして、そのほかの非常勤職員は 3.24 倍というデータが出ている。雇用形態別求人倍率の 間に極めて大きな差があることは、この産業に不安定の要素があるからであろう。つまり、労働者はより安 定した正規雇用を希望するのだが、雇用側の多くは事業所の人件費削減や景気対策として、正規職員ではな く非常勤または非正規職員を求める。最後に、地域別で福祉介護職の求人倍率を見てみよう。1倍を超える 都道府県は 22 地域にもなっている。求人倍率が一番高いのは大阪府の 3.68 倍である。このような高水準は 特に大都市圏に見られる現象である。これは、大都市では福祉サービス事業の対象者(高齢者など)が多い というよりも、福祉産業とそのほかの産業の間に人材確保の強い競争が発生しているからである。 では、なぜ福祉産業、特に高齢者介護産業の労働市場においてこのような不均衡が起きているのだろうか。 また、このような傾向がいつまで続くのだろうか。ここで、これらの要因を需要面と供給面の要因に分けて 整理したい。 まず、需要面の要因についてだが、人口学的な要素が主に取り上げられている。総務省は、2005 年 10 月 1日現在の日本の人口は1億 2775 万人と報告しており、人口は 2005 年にピークを達し、しばらく減少し続 けると予測している9)。人口の構成を見ると、65 歳以上の高齢者人口は全体の 19.9 %(2003 年 12 月現在の 確定値)を占め、その割合が年々増え、2050 年には3人に1人が 65 歳以上になると見込まれている 10)。こ れは、いわゆる日本社会の高齢化である。さらに、高齢者人口のプロフィルを見ると、現在、75 歳以上の人 口は 65 歳∼ 74 歳の人口より少ないが、そのうちに前者の方が後者を上回ると予測されている。女性 100 人 に対して男性 73 人で、男性よりも女性が多い。最後に、都市部(東京、大阪、愛知)よりも農村部の方が高 6) 福祉産業関係の求人倍率の統計はすべて全国社会福祉協議会・中央福祉人材センターから引用したものである。 http://www.fukushi-work.jp(アクセス日: 2006 年3月 25 日) 7) 職種別・雇用形態別の数値は両方とも求職者の希望である。 8) 福祉新聞 2005 年 10 月 31 日より。 9) 詳しくは、国立社会保障・人口問題研究所のホームページを参照。http://www.ipss.go.jp/index.html 10) ここでのデータは記載がない限り、すべて総務省統計局のホームページから取ったものである。 http://www.stat.go.jp/ −11− 齢者人口の割合が高く、高齢化のスピードも速い。 日本の高齢化の原因をさらに追究すれば、出生率が落ち込んでいることと平均寿命が長くなっていること が挙げられる。日本の合計特殊出生率は 1974 年の 2.05 %から 2004 年には 1.29 %まで低下した。それは、女 性の教育水準の上昇とそれに伴う労働市場へのより積極的な参加によって、結婚・出産・育児の機会費用が 増大し、未婚率の上昇、子供の数の減少、そして、晩婚化と晩産化が生じているからである。また、特に医 療の進歩によって、日本人の平均寿命が長くなっており、2003 年末には、78.36 年(男性)と 85.33 年(女性) であった。また、2005 年に初めて 90 歳以上の高齢者が 100 万人に達し、平均余命が長くなればなるほど介 護を要する期間も長くなる。 総人口が減りながらも高齢者人口が急激に増え続けると予測されているので、介護を必要とする人口も増 える。しかし、これは、介護労働需要の拡大を必ずしも意味していない。もし、今までどおり、高齢者の介 護が家族によって行なわれれば、介護労働者の需要は増えないだろう。伝統的には、主に長男の妻が両親の 介護を担うのだが、介護者(妻)の社会・経済への進出 11)、さらに自宅での長時間家族介護による過剰な負 担(「介護地獄」)によって、外部からの部分的あるいは完全な介護支援が必要になってきた。また、自宅で 配偶者によって介護を受けることを望んでいる高齢者が多い。総務省の調査 12)(2003 年7月)によると、出 来れば自宅で介護を受けたい人は調査対象の 44.7 %であり、しかも、誰から介護を受けたいかと尋ねられた ところ、約6割は子供ではなく、夫あるいは妻からと答えた。よって、介護労働者の中でも、特に在宅介護 の需要が増えていくと考えられる。 世帯の構成と規模における社会的変化も介護サービスの需要を増やす一つの要因である。日本では、一世 帯の規模が縮小し、人員数は 1970 年の 3.41 人に対して、1990 年には 3.01 人、2005 年に 2.58 人へとさらに 減り、2025 年には 2.37 人になると予測されている。つまり、平均で見ると一世帯は2−3人(つまり両親と 子供1人)しかいない。また、2003 年のデータによると、65 歳以上の者のいる世帯は全世帯の 37.7 %を占 めている。その中身について注意したいのは、2世代や3世代の世帯よりも、単独世帯および夫婦のみの世 帯の数が最も大きく、年々増えていることである。この状況のもとででは、家庭介護がだんだん難しくなり、 「介護」という商品を市場から調達しなければならなくなる。 また、制度的な要因も挙げられている。2000 年度から導入された介護保険制度によって、介護サービスの 利用者数や一人当たりの介護費用 13)が増加し続けている。この制度の下では、介護サービスの対象者は年 齢と健康状態によって5級に分けられ、級によって利用できるサービスの種目が決められている。また、そ の介護保険は現金ではなく一定の点数として利用者に与えられ、それを使って介護費の9割まで賄うことが できる。日本の介護保険制度の特徴は、各サービス項目の値段は政府によって決められていることである。 従って、介護市場の競争は価格ではなく、主に「質」によって行なわれている。 導入された当時(2000 年)、この産業の急速な拡大に伴う人手不足が懸念されていたが、その過剰な労働 需要はすぐには市場に現れなかった。2002 年の求人倍率は 0.48 倍、2003 年のそれは 0.53 倍、2004 年は 0.72 11) 子供の教育費を賄うために、子育てを終える妻はパートの仕事をしなければならないケースも多く、ホームヘルパ ーになることは彼女らの一つの選択肢となっている。 12) 内閣府大臣官房政府広報室「高齢者介護に関する世論調査」 http://www8.cao.go.jp/survey/h15/h15-kourei/index.html(アクセス日: 2006 年3月 10 日) 13) ただし、ここでは、政府の介護給付費と自己負担の合計とする。 −12− 倍であった。介護サービスの需要が伸び悩んだ結果、介護事業所が閉鎖するケースもあった。鈴木[2002] は人手不足の誤算の一つの理由として、利用者の自己負担をゼロに近いと設定して介護の需要が計測された が、実際は 10 %なので右下がりの需要曲線を想定すると、需要が減ることになることを挙げている。 需要の反応が遅れて労働需要の創出はすぐには起こらなかったが、約6年経った今日では、やっとこの制 度が定着し、介護保険への慣れや情報や知識の学習によって、介護認定者数は受給数とともに高い。しかも、 2000 年度∼ 2004 年度の受給者数の伸び率は 72 %である 14)。その中でも、特に在宅介護の受給者率は 94 % で最も高く、それは、日本人の家族観を反映するものだけでなく、介護保険法の一つの方針でもあるからで ある。よって、将来もこの傾向が続き、施設介護労働者より在宅介護(ホームヘルパー)の需要が増えると 期待できる。 介護保険制度の介護サービス需要に対する影響を調べるために、鈴木[2000]や清水谷・野口[2003, 2005]はミクロデータを用いて実証分析を行った。清水谷・野口は、身体的条件(年齢、健康状態)や要す る介護時間は、認定を受ける確率 15)に正の影響を与えることを明らかにした。次に、認定率とともに、介 護サービスの受給率、認定を受けてからの期間の一人当たり介護受給費への影響を分析した。その結果、認 定を受けてからの期間が長くなればなるほど受給費が増加することも彼らの研究で分かった。したがって、 これから介護保険制度が定着し、介護サービスの「購入」 (受給費)もまずまず増えると予測できる。最後に、 彼らが以上の推定結果やいくつかの前提(初期条件)に基づいて 16)将来の在宅介護需要を予測した結果、 2010 年、2015 年、2025 年の在宅介護サービス費用はそれぞれ、2003 年(1.6 兆円)の約 2.2 倍(3.6 兆円)、 3倍(5兆円)、3.3 倍である。介護産業は労働集約的であるので、特に在宅介護サービス費用の増加は介護 従事者の需要を大きく増加させるだろう。実際、一人当たり給付費は着実に増えて、2004 年度の金額は 2000 年度の 1.53 倍であった。 以上で、介護サービス労働者の需要を介護サービスの需要(消費)と主に関連させてその要因を見てきた。 つまり、人口統計学的要因(高齢化・少子化)、社会的要因(核家族化、女性のより積極的な社会参加、未 婚・晩婚化) 、そして、制度的要因(介護保険制度の定着)は介護サービスの需要、したがって介護労働者の 需要を増加させた。また、これから 10 年、25 年も日本における介護労働者の需要が増える傾向があること がわかった。 では、労働供給側はこのような需要の上昇にどのように対応してきたか、そして、これからどのように対 応できるのだろうか。まず、全産業の潜在的な労働提供者数を見よう。それは、生産年齢人口(15 歳∼ 64 歳までの人口)に大きく依存するが、日本の場合、高齢化とともに少子化も起きているので 1995 年をピーク に、生産年齢人口の絶対数および人口全体に占める割合が減り続けている。しかし、不況が長引いているの で労働力の需要も減り、経済全体の労働「不足」よりもむしろ失業が問題になっている。実に完全失業率は 14) 厚生労働省「平成 16 年度介護保険事業状況報告(年報)のポイント」 http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/osirase/jigyo/04/dl/01.pdf(アクセス日: 2006 年3月 10 日) 15) 認定率を非独立変数として用いた理由は、現在の日本介護保険制度のもとでは、「認定」が出発点となり、認定を受 けなければ介護サービス受給者にならないからである。彼らは、認定率の決定要因として①高齢者の属性(性別・年 齢・要する介護時間および介護の必要性(健康状態)・所得と資産など)、②高齢者の家庭の属性(世帯の構成員の数、 世帯の総所得と資産、持ち家など)、③家庭のなかの介護者の属性(介護者の年齢・性別・お仕事の有無、介護に使う 時間・時間帯など)を用いた。 16)詳しくは、清水谷・野口[2003,2005]を参照。 −13− 1995 年(3.2 %)から 2003 年に 5.3 %まで増え、経済が少し回復するにつれて 2005 年に 4.7 %に減った。 人口学的な要因によって、少なくとも 2025 年まで、経済全体に人手不足が発生すると予測されている。日 本の生産年齢人口(潜在的な労働力人口)は 2003 年の時点で 8,540 万人で、国立社会保障・人口問題研究所 の推計によると、人口全体の 66.9 %から 2025 年に約 60 %に減る一方、高齢者人口は 19 %から約 28 %に増 え、従属人口指数が 49.4 から約 67 になる 17)。言うまでもなく、これは、国民経済の生産(供給)側から見 ても、消費(需要)側から見ても重大なインプリケーションを持っている。つまり、安定した経済の水準を 確保するために生産しなければならないが、労働力が足りなければ他の生産要素をより多く投入するか、一 単位当たりの生産力を技術や教育・訓練によって高めなければならない。また、ケインズの言う有効需要の 創出は労働力を含む人口の規模に大きく依存する。 このように、現在、経済全体に労働力が「余っている」 、そして、将来には「足りなくなる」という状況に なると、介護労働の供給側はどのように反応するのだろうか。まず、現在の経済全体的な不況によって、他 の産業に比べて成長の見込みの強い介護産業に若者(学生)や子育てを終えた主婦が集まる可能性は高い。 また、不況でリストラされた失業中の労働者の職業移転先の有力な候補にもなっている。この動きを容易に しているのは、もちろん高齢化による需要の急増だけでなく、制度的な働きにもよるものである。日本政府 は 1990 年代のゴールド・プラン に続いてゴールド・プラン 21 を実施し、介護サービスの供給能力を増加さ せるために、ホームヘルパーや介護士の養成費用の一部を負担した。これは、潜在的な介護労働者にとって 大きなインセンティブとなる。 しかし、労働者にとってのディスインセンティブも見られる。一般的に言われるのは、介護職は給料が低 く、仕事の内容がきつく、休みが取りにくい「労働環境の悪い」職業なので安定した労働力の確保が難しい。 篠崎[2002]のアンケート調査によると、ホームヘルパーやケアーワーカーは次のような悩みをかかえてい る。処遇が不安定であること、安全面(感染症対策など)での不十分な配慮、精神的・肉体的に負担が大き いこと、医療行為への関与の仕方が曖昧であることである。やはり、労働環境の「悪さ」が大きなディスイ ンセンティブになっている。 以上の問題を解消しない限り、介護労働者の十分な提供が出来ない。例えば、ホームヘルパー資格所持者 のなかには、 「将来の就職のため」や「家族の介護のため」として「一応」ホームヘルパーの資格を受ける人 たちがいて、実際に介護職に就かない。また、就職しても長続きせず、結局は2∼3ヶ月後に退職する人も 多い(調査ノートによる)。 数値だけを見れば、介護労働者の供給不足はまだ大きな問題になっていないようだが、しかし、実際、部 分的に人手不足がすでに発生している。つまり、都市部では求人倍率が比較的に高いとデータで現れている のだが、著者の実態調査の結果、農村部でも介護労働者不足問題は深刻である。例えば、ある介護施設長の 話を伺うと、 「安定した日本人介護者の確保はだんだん難しくなってきた。今年だけでも5−6人のスタッフ が辞めてしまった。また市内で新しい施設ができて、うちのスタッフがそちらに取られるのではないかと不 安だ。うちで養成してもなかなか来てくれない」という事情が明らかになった。 しかし、介護産業の人手不足問題はこの 10 年、25 年の間により深刻化するだろう。清水谷・野口[2003, 17) 国立社会保障・人口問題研究所 http://www.ipss.go.jp/index.html および、総務省統計研修所(編) 『第五十五回日本統 計年鑑 平成 18 年』表 2-8「年齢階級別人口及び年齢構成指数」http://www.stat.go.jp/data/nenkan/zuhyou/y0208000.xls (アクセス日はともに 2006 年3月 25 日) −14− 2005]は 2010 年の介護労働力が 2001 年の倍、2015 年のそれが 2.44 倍、そして、2025 年には、2001 年水準 の 3.11 倍と予測している。また、全国社会福祉協議会のデータによると、介護労働者の需要は 1994 年の指 標を 100 とすると、2010 年には 221、その中でも特にホームヘルパーは 841 にまで増加する。もちろん、こ れらの予測はいくつかの前提条件の下に成り立っているが、いずれにしても、2025 年までに生産年齢人口は 倍にも増えないだろう。そこでこの膨大な労働力不足の解消のため、技術進歩による生産性の上昇や労働者 の職業(産業)間転換が必要となるが,8倍もの需要を補うことは明らかに不可能である。 第4節:課題と方策 第2節では、在日フィリピン人の特徴を見ることによって彼(女)らが日本社会の一員として生活出来る よう安定した職業を与えることが必要であると示唆し,第3節では、介護産業において、現在はまだ大きな 問題になっていないが、日本の高齢化や、介護保険法の導入、社会的な変化によってここ 10 年、25 年の間、 介護労働者が不足すると予測した。そこで、在日外国人という「眠っている人材」の活用が一つの解決方法 と考え、本節では、在日外国人の介護労働者としての適応性、そして、介護労働者となった場合に予測でき る問題点や課題を説明した後その方策を考える。 まず、日本で求められる外国人介護労働者像はどのようなものだろうか。言うまでもなく、介護産業は人 に接する(場合によってはその人の命にも係わる)サービス産業であるため、製造業や農業の労働者とは求 められる資質が異なる。筆者は 2005 年度に大阪・京都・滋賀で一般市民および介護労働者を対象に外国人介 護労働者についての意識調査を行った。そこで、介護労働者の資質を列挙し、それぞれの重要性を複数回答 で尋ねたところ、重要あるいはやや重要とあわせて順位の高いものは、「日本語が話せる」と答えた人が 97 %、「日本の常識や習慣を知っている」が 94 %、「介護の経験がある」が 93 %、そして、「日本の介護資 格を持っている」が 89 %であった(図7)。つまり、調査対象者にとっては、①日本の社会で生活するため やコミュニケーションを促すための「言葉」や「文化の知識」 、②介護利用者が安心する標準的なサービスの 100 ︵ % ︶ 80 60 40 20 る て れ 常 識 ・ 習 慣 を 知 っ 作 が 理 料 い る る け る 書 せ が 語 日 本 語 本 日 介 護 の が 験 経 話 あ 生 と 人 本 日 り 活 験 経 じ だ 同 本 に 住 ん が 性 別 が 教 宗 日 介 護 資 格 を 同 持 じ つ 0 重要 やや重要 それほど重要ではない まったく重要ではない 図7 外国人介護労働者が持っている資質の重要度 出所:筆者によるアンケート調査(2005 年) −15− 提供を保証する「資格」や「経験」という2点が最も重要であることが分かった。いずれの資質も取得する のに時間を要する。宗教・性別はあまり重要な要素とみなされていないこともこの調査で明らかになった。 著者らが行なった 2003 年の大阪での調査[Yuchengco Center for East Asia 2004]でも同じ傾向が見られ た。①については、すでに長く日本に住んでいる在日外国人はこれらの条件の一部をクリアできている。在 日フィリピン人の場合、多くはすでに日本の家庭に入り,日本の家族と生活しているので,日常生活の日本 語が比較的話せて 、日本の常識や習慣もある程度知っていることが多い。 しかし、上記の資質をある程度満たしても、それだけで在日フィリピン人が日本人と肩を並べて働くこと は難しい。なぜなら、まず、介護分野で働くための必要条件となりつつある「資格」を取るには時間とお金 がかかる上に、日本語の読み書きが必須だからである。在日フィリピン人がホームヘルパー2級の資格を取 るために様々な工夫が考えられている。ある介護者養成学校のホームヘルパー2級講座の工夫を見よう。こ の講座の対象は在日フィリピン人のみで、週に1回6時間、合計で 12 回行う。これは、通常の必要時間の要 件より多い。もちろん、日本語の標準的な教科書を使うが、通常の日本語だけでなく専門用語も多いので当 然ほとんど読めない。そこで、教官は内容をかいつまんで英語やふりがなを混ぜながら説明する。そして、 とにかく重要な言葉や定義を黒板に書いて受講生にノートを取らせ、レポートを提出させる。これは、内容 の理解度を確かめるためだけでなく、書く練習のためでもある。また、授業の一部を英語で行い、日本語の 授業も設けている。学費もあまり負担にならないように分割払いが可能である 18)。別の地域で介護施設が中 心となって開講するホームヘルパー2級講座では、フィリピン人の受講生は日本人の受講生とまったく同じ 扱いを受ける。日本語のハンディーを少しでも少なくするために地元の国際交流協会がボランティアの日本 語の先生をつけている。このやり方は、フィリピン人の受講生にとって難しく途中で脱落するものもいるが、 その卒業生の一人は現在、ホームヘルパー1級の資格を持ち、ホームヘルパーの責任者に昇進した。以上の ような取り組みが他の地域でも広がれば、「資格」の問題はある程度解消できる。 介護職の「経験」という条件を満たすことも簡単ではない。前出の養成学校は卒業生の就職先となる介護 施設への斡旋も行なっているが、在日フィリピン人の場合、受け入れ先の施設がなかなか見つからないのが 現状である。その理由としては、言葉が不安なことや、スタッフや利用者が外国人になれていないこと、ス タッフが外国人に教える余裕があまりないことなどがあげられる。施設は「すぐ使える人」が欲しいという ことである。確かに、日本人よりも在日フィリピン人に仕事の内容を教える方が手間がかかるのだが、しか し、在日フィリピン人の介護労働者にこのような働く機会を与えなければ、 「経験」を積むことができないの でその条件がいつまでも満たされないことになってしまう。もちろん一般化はできないが、 「一応使ってみる」 姿勢で実際に在日フィリピン人を雇用した施設では、その労働者が最初は生産的ではなかったが、学習効果 により仕事を覚え、また介護者には評判が良いという話が京都での実態調査で出てきた。また、日本人介護 労働者は簡単に退職する傾向があり、安定した労働として期待できないが、フィリピン人が比較的に長く働 くことが出来るのであれば、彼らはより安定した労動源となり、研修に使う時間なども無駄にならない。 (イ ンタビューノート(福知山、2005 年)より。) この経験や資格の壁を乗り越えるために、訪問介護の場合は無理があるかもしれないが、施設内では作業 18) 日本の制度では、決まった時間数の講義と実習を満たせばホームヘルパー 2 級の資格をもらえるので授業に出れば 簡単に取得できる。しかし、在日外国人の場合、最も重要な課題はどの程度授業の内容を吸収できているかというこ とである。 −16− の「分業化」を行なうのも一つの方法である。言葉が不十分で慣れていない彼(女)たちにはまず簡単な作 業からはじめた方が効率的である。ある一定の期間研修や講習会を設けて十分な知識を得られたら、より専 門的な作業をするというのも彼(女)たちの仕事に対する充実感を生み出し、長く勤めるインセンティブと なる。 どのような作業なら外国人に任せてよいと思うかについて、上記で紹介した 2005 年に行なわれた大阪・ 滋賀・京都のアンケート調査では、日常生活支援のうち外国人に任せてもかまわないものを複数回答で選ん でもらったところ、上位3つは、衣類やシーツの交換・洗濯(回答者全体の 74 %)、トイレの掃除(70 %)、 そして、買い物・散歩の付き添い(67 %)であり、資格も経験もあまり関係なさそうなものである(図 8a および図 8b)。それに比べて、下位3つの生活支援項目は命に係わるもの、つまり自宅での 24 時間介護、 点滴の管理、そして服薬の管理であり、資格や経験だけでなく高度な日本語能力も求められる支援項目であ 行なっても良いよ答えた人の割合(%) る。 80 70 60 50 40 30 20 支援項目 10 1 食事の世話 0 1 2 3 4 5 6 7 男子 8 9 10 11 12 13 (支援項目) 女子 2 入浴・排泄の世話 3 衣類やシーツの交換・洗濯 4 通院の付き添い 5 買い物・散歩の付き添い 図8 a 外国人によって行なっても良い介護支援(性別) 出所:図7に同じ 6 自分の部屋の掃除 行なっても良いと答えた人の割合(%) 7 トイレの掃除 8 服薬の管理 90 9 点滴の管理 80 10 床ずれの手当て 11 リハビリテーション 50 12 自宅での 24 時間の介護 40 13 施設での介護 70 60 30 20 10 0 1 2 3 4 5 6 農村部 7 8 9 10 11 12 13 (支援項目) 都市部 図8 b 外国人によって行なっても良い介護支援(地域別) 出所:図7に同じ −17− 介護労働者のみを含むサンプルの結果を見ても同じ傾向が現れている。したがって、施設の中でも同じよ うな仕事が外国人に振り分けられる仕事が決まっていく可能性がある。しかし、在日外国人が決まった作業 だけを与えられ、このような「分業」が固定化することは、経済学から見れば効率的かも知れないが、在日 外国人の「社会的統合」には逆効果になりかねない。あくまでも十分な知識を得るまでの手段であるとここ では考えるべきである。 以上から、在日フィリピン人の介護労働市場への参入は容易ではないといわざるを得ない。しかしこのよ うな政策は、彼(女)らの経済的統合、結局は社会的統合のためだけでなく、日本の高齢化による介護労働 者不足を解消するためにも有用である。在日外国人の労働市場への参入をしやすくし、また、彼らが長く勤 められるような環境を整える必要があるし、在日外国人自身も積極的に介護職に就くために努力しなければ ならない。具体的には、以下のような施策が考えられる。 まず、日本政府は在日外国人の介護労働市場での雇用に対する「姿勢」を表明するべきである。2005 年3 月に策定された第3次出入国管理基本計画の中では、日本の高齢社会において、外国人労働者(特に熟練労 働者)の受け入れを「一層積極的に推進して行くことが重要である」と記載されている[法務省入国管理局 2005: 95]が、介護労働者についての具体的な方策は書かれていない。また、フィリピンからの介護労働者 の受け入れについては、フィリピン政府の働きかけもあって FTA の下で基本合意はできたが、その詳細や 具体的なプロセス・条件がはっきり決まっていない。日本政府が慎重になっているのは、新しく外国から受 け入れる場合、入国管理法の改正問題、彼(女)らの日本での日常生活(住宅、ことば、犯罪など)の問題、 日本国内(特に労働者側)の強い反対の問題などがあるからである。それに対して、在日外国人、在日フィ リピン人はすでにこれらの問題をある程度クリアできている。彼(女)らのような「眠っている人材」に目 を向けて、介護労働者になれるよう支援するのが妥当である。 今まで日本政府は、日本人に対して職業転換(ホームヘルパーも含む)のための助成金を与えているのだ が、在日フィリピン人はそのような制度を利用することはあまりない。シンガポールの場合、看護職へ職業 転換をしたいシンガポール人や永住権を持つ外国人に対して、一時金として約 120 万円と、1年目には毎月 約 6.6 万円、2年目には月約7万円の奨学金を与えて、看護学校に通わせている。また、外国人の医者に対 してシンガポールの医師国家試験に合格するために、研修・勉強のための休暇やお金を支給している。日本 も同様に、永住権を持つ在日外国人にたいして金銭的な支援を実施することをすればより多くの在日外国人 が介護士の資格を受けられる。また、自治体で、在日外国人に読み書きを中心とした日本語講座を設けるこ とも必要である。オーストラリアの場合、永住を目的としている英語の話せない外国人に対し英語教育コー ス(English for General Purpose)を無料で提供し、オーストラリアの国籍を得るために英語能力が義務付 けられている。 民間部門、すなわち介護者養成学校・介護事業所(施設)・介護労働者の派遣会社も在日外国人介護士の 養成・雇用増加に果たす役割は大きい。前述のとおり、現在、外国人がホームヘルパー講座を受けている環 境は両極端である。あるところでは授業の内容をかいつまんで教え、あるところでは日本人とフィリピン人 が机をならべており、前者は時間の制限もあり細かい部分の理解が乏しくなる可能性は高く、かといって後 者は外国人にとってほぼ無理である。そこで求められているのは、在日外国人のための柔軟なコース編成で ある。例えば、日本人の受講生との知識の「差」を広げないように、日本語の授業を設けたり、専攻科目の 受講時間を増やしたりすることで内容をゆっくりでも確実に理解させる。日本語のカリキュラムについては、 高齢者(利用者)との会話だけでなく、業務を円滑に行なうための介護に関する専門用語(Japanese for −18− Specific Purposes)も盛り込まなければならない。また、外国人向けの教科書・参考書も作成しなければな らない。外国人介護労働者教育のレベルアップは、雇用側の不安を取り除くための大前提であり、同時に先 にも述べた介護労働市場の二極分化を回避し、在日フィリピン人にとってのキャリア形成にも貢献できる。 外国人はいつまでも単純な作業に固定化されるのではなく、日本人と同じ能力を持つ外国人も管理職に就く 機会を与えられるべきである。ただし、これらの取り組みは、個々の養成学校に委ねても非効率的であり、 自治体や中央政府の協力が不可欠である。 雇用主である介護事業所の外国人受け入れ体制も現在整えていない所がほとんどである。外国人介護士が 働きやすい職場を作るために、本シンポジウムのパネリスト安里氏によると、報告書など書類業務のマニュ アル作りや英語への翻訳、外国人介護士の能力や興味を生かした仕事の振り分け(例えば、英語教室や外国 紹介の講座を開く)や日本人介護士との定期的な勉強会・交流会の計画・実施などのような工夫が考えられ る。また、外国人の採用・昇進・賃金体制のはっきりした基準を設けることも重要である。現在、このよう な基準(あるいはそのモデル)が存在しないことも多くの施設・事業所が外国人採用に二の足を踏む要因で あろう。以上で述べた工夫は介護事業所が単独で行なうよりも福祉協会のような団体がインセンティブを取 り、所属の介護事業所に呼びかけて実施した方が効果的である。 最後に、在日フィリピン人が日本人介護士と肩を並べて働くのに、大変な努力が求められることは言うま でもない。在日フィリピン人の多くは、日本語が話せても読み書きが不得手な人が多いので、そこを中心に 日本語能力を高めなければならない。介護養成学校に行くのも勉強に対する意欲や時間、学費もかかるので、 これらが「投資」であり、将来それ以上の利益を得るというような長期的な視野を含む動機付けが彼らに必 要である。 また、外国人介護士の採用の議論の中で、文化の違いによる困難が大きく取り上げられている。通常、滞 在期間が長くなればなるほど日本文化の理解が深まると考えられがちであるが、しかし在日フィリピン人の 場合、多くは子育てに専念していたか、あるいはフィリピン人と一緒に働いてきた者が多く、実際に日本的 「組織」の中で働いた経験のある者は少ない。聞き取り調査の中では、「働く文化」や「職場で(同僚と)の 付き合い」に対する理解が不十分であることが指摘された。名古屋のある介護施設では、彼女たちの無断欠 勤や遅刻、勤務中につけたままのピアスや宝石、束ねずにおろしたままの髪、マニキュアをした長い爪など が問題になっている。無断欠勤や遅刻の理由は、たいてい家族である。収入や仕事が優先なのではなく、何 をおいても家族が最優先という論理である。同僚とのコミュニケーションのとり方にもギャップがあり、日 本人は「苦情」がある場合直接本人に言わないが、その施設のフィリピン人たちはそのやり方に馴染めない。 これらを見ると、確かに「文化の違い」によるものが大きい。フィリピンで育てられた彼(女)らは、時間 に対する認識や個人主義の考え方が日本のそれとは大きく異なることが、これらの問題の要因のひとつとい えるだろう。在日フィリピン人介護士の側にこれから重要なのは、ある程度の「日本的組織」への協調性を 育てることや日本の「常識」を知る・理解することに対する努力である。これらは介護士として長く勤める だけでなく、日本社会への統合という観点からも必要なことだと考えられる。 以上にみたとおり、直接外国から介護士を受け入れるのではなく、在日外国人を雇用する場合であっても、 課題は少なくない。これら一つ一つの解決には時間を要するので、すぐにでも取り掛からなければ、5年後、 10 年後、25 年後の日本の介護士不足の解消には役に立たないだろう。 −19− 第5節 まとめ 本論文では、在日外国人、特にフィリピン人という「眠っている人材」の介護労働市場への参加について 議論した。そこで、彼らの介護職業への転換はこの産業の人手不足の解消だけでなく、彼らの日本社会への 統合にも貢献すると主張した。しかし、このような試みは問題が多く、その解決は長い時間や多大な努力が 必要である。 日本では介護サービスの需要が急増している。それは、主に、他の国で見られない日本の急速な高齢化 (人口学的要因)、2000 年に導入された介護保険法の導入(制度的要因)、家族介護者の労働市場への進出や 「介護地獄」の発生(社会的要因)によるものである。2025 年の介護サービス費用は 2000 年の約3倍に膨ら むと予測されている。言うまでもなく、介護は労働集約的なサービス産業であるため、介護サービス需要の 増加に比例して介護労働者の需要も増加する。一方、日本人介護労働者の供給規模は、人口成長率、その中 でも生産年齢人口の労働市場への参加率、そして、介護産業とそのほかの産業との労働者確保における競争 に大きく依存する。介護労働者不足は確実に発生しており、今年初めて求人倍率が 1.0 を超えた。また、以 上の要因によって、日本では 10 年後、25 年後に需要が供給を上回ると予測されている。 一つの選択肢として考えられるのが、外国人を雇うことであり、それは二つの形を取ることができる。1 つ目は、直接外国から介護労働者を受け入れること、2つ目は在日外国人という「眠っている人材」を生か すことである。しかし、いずれにしても、外国人介護労働者を受け入れるのに、 「日本語能力」 、「資格」、「経 験」、「文化」の問題が発生し、また、外国から労働者を直接受け入れる場合、入国管理局は滞在資格、滞在 期間と採用条件のようなものを慎重に決めなければならない。 外国から新たに介護労働者を受け入れるよりも、在日外国人の雇用の方が相対的に問題が少ないと思われ る。先に後者に目を向けようというのが、本論文の一つの主張である。日本政府の外国人介護労働者受け入 れ政策がまだはっきりしない現時点では、ニューカマーの在日外国人という「眠っている人材」に目を向け ることが現実的ではないだろうか。本稿では、在日フィリピン人のケースを取り上げ、その現状と介護産業 への進出の問題点を指摘し、最後に在日フィリピン人の活用が円滑になるための、政府・民間・在日フィリ ピン人それぞれの役割と取れる対策を述べた。 本研究のもうひとつの主張で、かつ、最も強調したい点は、ニューカマー在日外国人(在日フィリピン人) の介護労働市場への参加は、日本の社会に大きく貢献できるということである。ゲストワーカーと違って、 彼らは長期的に日本で生活し、場合によっては生涯日本に住むことになる。今日では、彼らのマイナスの面、 特に外国人による犯罪の増加や外国人労働者の雇用による賃金の低下が懸念されており、日本社会はほかの 社会に比べて外国人の受け入れに消極的である。かといって、グローバル化が急速に進んでいるなかで、彼 らの来日をゲストワーカーのように強く規制することがそもそも困難になる。むしろ、これからは、日本の 社会に出来るだけ少ない負担で彼らの能力を生かし、彼ら自身もこの異国で快適に生活する上で必要な経済 的自立と社会に参加しているという自信を与えることが得策である。彼らを介護労働者として養成すること はその最も有力な方法である。 しかし、在日外国人が日本人と肩を並べて介護現場で働くことは容易なものではない。つまり、言葉の問 題、資格の問題、異文化理解の問題が指摘され、それぞれ、一つずつ解決することが急務である。政府の法 的・制度的な改革だけでなく、養成する側の教育のやり方についての抜本的な工夫、雇う側の外国人と日本 人が一緒に働けるためのハード面・ソフト面の整備、日本人介護利用者やその家族、そして、在日外国人自 身の意識改革はとても重要で、どのようにこれらが具体的に行なわれるのかは今後研究課題である。 −20− 謝辞:本論文の作成に当たって、内田晴子さんから大変有意義なコメントをいただきました。記して感謝い たします。 参考文献 福祉新聞 2267 号(2005 年 10 月 31 日発行)「有給求人倍率 1.03 倍 介護分野、大都市圏で人材難」 Hartley, Robyn (ed.) 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Noguchi, Haruko and Shimizutani, Satoshi (2005) “Supplier-Induced Demand in Japan’s At-Home Care Industry: Evidence from Micro-level Survey on Care Receivers.” ESRI Discussion Paper Series No.148. Tokyo: Economic and Social Research Institute, Cabinet Office. 大淵 寛・高橋重郷編著(2004)『少子化の人口学』原書房. 佐藤虎男(1994)『フィリピンと日本:交流 500 年の軌跡』サイマル出版会. 清水谷 諭・野口晴子(2003)『要介護認定率の上昇と在宅介護サービスの将来需要予測―要介護者世帯への介護サービス 利用調査による検証―(介護サービス市場の実証研究)』ESRI Discussion Paper Series No. 60. 内閣府経済社会総合 研究所. 清水谷 諭・野口晴子(2005)『要介護者世帯調査に基づく在宅介護サービスの将来需要予測― 2003 年度データによる再 推計―』ESRI Discussion Paper Series No. 128. 内閣府経済社会総合研究所. Shimizutani, Satoshi; Suzuki, Wataru and Noguchi, Haruko (2004) “Outsourcing At-home Elderly Care and Female Labor Supply: Microlevel Evidence from Japan's Unique Experience.” ESRI Discussion Paper Series No.93. 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Manila: De La Salle University Press. −22− Symposium Proceedings シンポジウムの記録 Symposium Proceedings シンポジウム当日プログラム 在日フィリピン人の介護人材養成:現状と課題 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges 日 時: 2005 年 11 月6日(日)午後1: 30 ∼5: 00 場 所: (財)大学コンソーシアム京都・京都キャンパスプラザ第3会議室 <開催主旨> 日本社会の高齢化にともない、国内では介護人材不足が懸念されています。日本とフィリピンの FTA 合 意にもとづき、2006 年度からフィリピン人介護労働者が来日するとされていますが、その実像はまだ明らか ではありません。一方、FTA 合意の影で忘れられているのが、すでに日本に住むフィリピン人むけの職業訓 練としての介護人材養成です。あらたにフィリピンから労働者を「受け入れる」よりも、日本語や習慣をす でに身につけている在日フィリピン人でヘルパー就労を希望する人々にヘルパー資格を取らせて新たな人材 リソースとするほうが合理的ではないでしょうか。また、介護人材となる人びとにとっても、それが長期に わたり就労が見込める職種であること、年金・保険に加入できることなど、日本での滞在をさらに安定させ るものだと予測されます。 こうした観点から、「在日フィリピン人の介護人材養成」をテーマに、外国人ヘルパーの雇用者、人材育成 者、ヘルパー、研究者を招いてシンポジウムを行い、在日外国人むけの職業訓練と雇用が促進されるための 施策提言を索出したいと考えています。 <パネリスト> 1.雇 用 者 上野 由香子さん(老人ホーム施設長、京都府福知山市) 2.人 材 養 成 者 篠沢 純太さん(在日フィリピン商工会議所会頭・ヘルパー講座主宰、東京都) 林 隆春さん(人材派遣会社経営・ヘルパー講座主宰、愛知県一宮市) 3.労 働 者 原田 マリアフェさん(ヘルパー派遣会社勤務・サービス提供責任者、京都府舞鶴市) 間嶋 アナベルさん(特別養護老人ホーム勤務・ヘルパー2級資格取得、名古屋市) 4.研 究 者 安里 和晃さん(日本学術振興会特別研究員・龍谷大学、フィリピン人ケアワーカー の海外就労に関する専門家) コーディネーター 高畑 幸(大阪市立大学文学研究科 COE 研究員) <プログラム> 13:00 ∼ 13:30 受付 13:30 ∼ 15:30 パネリストによる講演 15:30 ∼ 15:40 休憩 15:40 ∼ 16:50 パネル・ディスカッション(質疑応答を含む) 16:50 ∼ 17:00 総括 17:30 ∼ 懇親会 <主催> 龍谷大学国際社会文化研究所 「日本における介護分野でのフィリピン人労働者の受入れに関する研究」共同研究プロジェクト 龍谷大学アフラシア平和開発研究センター 第3研究班 −24− SYMPOSIUM PROGRAMME 在日フィリピン人の介護人材養成:現状と課題 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges Date: Venue: Sunday, November 6, 2005 1:30 ∼ 5:00 p.m. Consortium of Universities in Kyoto・Kyoto Campus Plaza Conference Rm 3 In the light of the rapid ageing of Japan, providing care to its elderly population has been recognized as a very relevant and immediate issue. The government has implemented nation-wide programs to train Japanese home-helpers and social workers, and have begun talks with some labor-exporting countries like the Philippines and Thailand under the EPA-FTA for the acceptance of foreign caregivers, both of which aimed to increase the supply of care workers in the country. On one hand, the focus of discussion has been on the "import" of foreign care workers, but on the other hand, less attention has been paid to the significant number of Filipino "residents" in Japan who are potential care workers because of their familiarity to the Japanese society and its culture. Considering the fact that many of them are female and married in Japan, caregiving can be their potential vocation now and in the future. Unfortunately, tapping Filipino residents as potential care workers has not yet been seriously examined. This symposium therefore focuses on Filipinos living in Japan as potential source of labor in the elderly care industry. Through discussions on the views, expectations and experiences of the different stakeholders, we shall attempt to give a clear picture of the current conditions and evaluate the current system of training and employment of Filipino residents as care workers; and in so doing, shall be able to determine the future directions regarding the role of these Filipino residents in Japan's elderly care industry and, on a larger scale, Japan's ageing society. Moreover, the symposium shall also contribute significantly in seeking ways towards the social and economic integration of Filipinos in Japan, an important aspect of globalization that the Japanese government has to deal with in the light of domestic and international pressures to open its doors to international migrants. Panelists & Coordinator: Employer Ms. Yukako Ueno (Head of a nursing home, Fukuchiyama City, Kyoto) Trainer Mr. Junta Shinozawa (President, The Philippine Chamber of Commerce & Industry in Japan; Manages courses for home helpers in Tokyo) Mr. Takaharu Hayash (Head of a personnel placement agency; Manages courses for home helpers in Ichinomiya City, Aichi) Employee Ms. Maria Fe Harada (Works with a home helper placement agency; “Service Coordinator” from Maizuru City, Kyoto) Ms. Anabelle Majima (Works in a state-accredited special elderly home; “Helper Grade 2” licensee from Nagoya City, Aichi) Academe Mr. Wakou Asato (JSPS Research Fellow, Ryukoku University; Specialist on overseas Filipino care workers) Coordinator Ms. Sachi Takahata (COE Research Fellow, Graduate School of Literature, City University of Osaka) Program: 13:00-13:30 13:30-15:30 15:30-15:40 15:40-16:50 16:50-17:00 17:30- Registration Speech by Panelists Break Panel Discussion Integration and Summary Get-together Co-sponsors: Socio-cultural Research Institute, Ryukoku University “Research on the Acceptance of Filipino Foreign Workers in Japan’s Health Care Sector” Group Project Afrasian Centre for Peace and Development Studies, Ryukoku University, Research Group 3 −25− パネリストとコーディネーターの紹介(発言順、肩書きは 2006 年3月現在) ■ 上野 由香子氏 Ms. Yukako UENO 社会福祉法人成光苑(せいこうえん)岩戸ホーム 施設長。 1961 年京都府舞鶴市生まれ。花園大学社会福祉学科卒業。資格:社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門 員、保育士。京都府舞鶴市の特別養護老人ホームでの介護職、相談員職を経て、2001 年より福知山市にある 岩戸ホームに勤務、2003 年より施設長に就任する。社会福祉法人成光苑では、人材育成・教育研修を担当。 ■ 篠沢 純太氏 Mr. Junta SHINOZAWA フリーランス・ライターとしてアジア各地で取材・執筆を続け、1989 年にフィリピン下町の庶民の生活を 描いた『熱帯の闇市』を出版。1996 年から在日フィリピン人向けのバイリンガル月刊誌『クムスタ・マガジ ン』を編集・発刊。『フィリピン・インサイド・ストーリー』の翻訳や『フィリピン裏町探検隊』『現在フィ リピンを知るための 60 章』などの共著による執筆とフィリピンウォッチャーとしてメディアを通して活動。 2000 年以降は、主に NHK − TV の文化ドキュメンタリーの企画・コーディネートなどで番組制作に参画 し、2003 年『介護先進国フィリピン』のリサーチ・コーディネートでフィリピンの介護士育成と海外での就 労の実態を取材。『リタイアメント産業新聞』を発行し、2004 年9月より在日フィリピン人向けホームペル パー 2 級講座を東京・千葉・神奈川で開講、これまでに 150 名の卒業生を輩出してきた。2005 ∼ 06 年度在 日フィリピン商工会議所会頭。クムスタ・コミュニケーションズ社長。フィリピン介護福祉協力センターの 設立準備中。 ■ 林 隆春氏 Mr. Takaharu HAYASHI 「事業をおこして 27 年余りたちました。最初はお金儲けが全て、生活のため家族のために働きました。あ る程度、会社らしくなってくると自分と関わりのある人達のため、社員や取引先にとって、より満足度の高 い経営とは何かを考えるようになりました。売上が 50 億を超えてくると社員の人達や取引先だけではなく社 会が必要とする会社、社会の要請に応える会社を意識するようになりました。 日系外国人の業務請負、介護事業、警備業をコア業務としておりますが、より企業の社会責任(CSR)を 意識した経営を心がけていきたいと思っています。特に外国人の定住支援は、私のライフワークで、中国残 留孤児、フィリピン、インドネシアの日系人、ブラジル人、ペルー人等、南米の人達とのかかわり等、ライ フワークとして深く関わっていきたいと考えております。」 −26− ■ 原田 マリアフェ氏 Ms. Maria Fe HARADA 1986 年にフィリピンを離れ、日本に移住。2000 年、京都府舞鶴市ホームヘルパー養成講座を受講し、ヘル パー2級を取得。舞鶴市では初めての外国人ヘルパーとして、 (株)オリエンタル訪問介護事業所に入社。習 慣、言葉、さまざまな壁にぶつかりながらも、訪問介護員の仕事に従事する。2001 年、勤務実績が評価され、 サービス担当責任者を任せられる。現在も、同社にて勤務。 「ホームヘルパー1級の取得を目指し、日々邁進 しています。」 ■ 間嶋 アナベル氏 Ms. Anabelle MAJIMA 1991 年 20 歳の時に来日し、翌年、日本人と結婚。来日前にも日本語を学んでいたが、1993 ∼ 94 年、日本 人ボランティアによる日本語教室で勉強する。コンピュータスクールでパソコン技能を習得し、平行して飲 食店でパート勤務。2005 年1月、アバンセ・ライフサポートにて第一期生としてホームヘルパー養成講座を 受講、同年4月に卒業。今年(2005 年)6月にホームヘルパー資格を取得し、現在、特別養護老人ホーム永 生苑にてフルタイムで勤務。名古屋在住。 ■ 安里 和晃氏 Mr. Wakou ASATO 日本学術振興会特別研究員。沖縄県人材育成財団、国際交流基金のプログラムでフィリピン大学、シリマ ン大学(ネグロス島)に留学。現在は、アジアにおける外国人出稼ぎ労働者問題に取り組み、韓国、香港、 台湾、シンガポール、日本、アメリカなどでも調査を続ける。 ■ 高畑 幸氏 Ms. Sachi TAKAHATA 1969 年大阪生まれ。大阪外国語大学英語学科、同大学院フィリピン研究科。1992 年∼ 93 年フィリピン国 立大学大学院(社会学科)へ留学。1994 年から 2001 年まで大阪の在日フィリピン人向け月刊紙『ピノイ』 編集担当。2001 年大阪市立大学文学研究科後期博士課程(社会学専攻)単位取得退学。研究テーマは『名古 屋のフィリピン人コミュニティと地域社会への参加』 。日本学術振興会特別研究員を経て、現在、大阪市立大 学 COE 研究員。 −27− シンポジウムの記録 マリア・レイナルース・ D ・カルロス 冒頭挨拶 皆様、本日のシンポジウム「在日フィリピン人の介護人材養成:現状と課題 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges」にお越しいただき、ありがとうございました。 本日のテーマの背景説明および課題提供をさせていただきます、龍谷大学国際文 化学部のカルロスでございます。 そもそも私が、本日パネルディスカッションのコーディネーターを務めていただ く高畑幸さんといっしょに、フィリピン介護者の日本市場への進出の研究を始めた のは 2003 年度で、マニラのデラサール大学の研究所との共同研究がきっかけでし た。日本の国際交流基金のプロジェクトで、私と高畑さんが日本サイドを担当していました。具体的な課題 としては、高齢社会日本における外国人介護者の需要があるかどうか、介護利用者が外国人介護者に対して どのようなことを期待しているのか、そして、受け入れに伴う問題点あるいは「壁」としてはどのようなも のがあるかという3点です。一方、フィリピンサイドは日本市場向けのケアスクールのあり方、カリキュラ ムの検討、介護学校の生徒の日本への期待について調べました。以来、高齢化が進んでいる受け入れ国にお ける外国人介護労働者の役割、とりわけフィリピンと日本のこのような新たな経済関係について研究してお ります。 本日のシンポジウムはこの研究の重要な一環であると思っております。つまり、しばしば「世間知らず」 と批判されている私たちのような研究者だけでなく、今日は、 「当事者」である介護事業者の方、介護養成学 校の経営者の方々、在日フィリピン人介護労働者の方々、また外国との比較の面から本テーマについて研究 しておられる研究者の方に、パネリストとして参加していただきます。本日このシンポジウムに参加してい ただいた皆様とともに、さまざまな観点から活発な議論を交わすことによって、本課題に対するよりバラン スのとれたスタンスができれば良いと思います。 本日は、以下の3つの課題を中心に議論することをお願いしたいと思います。 ① まずは、日本の介護労働市場の現状に関する課題です。介護労働者の需要・供給の要因は何か、そし て、現在だけでなく 10 年後、25 年後のこの市場で見込まれる需要と供給の関係、また、そのなかで、 外国人介護者の需要があるかどうかを議論していただければと思っています。 ② 次に、外国人介護労働者を受け入れるとすれば、どのような形、どのような方法で、この拡大しつつ ある市場に参加できるのか。我々は、大きく分けて3つあげられると思います。一つはフィリピンから 直接、介護労働者に来てもらうことです。これは去年の末に日本とフィリピンが基本合意をした自由貿 易協定の主な項目です。次に、日本人の介護職への職業転換によってもたらされる他産業での労働者の 空洞化、そして、そこでの外国人労働者による、いわば「埋め合わせ」です。第3番目の方法は、本日 の大テーマである在日フィリピン人の介護職の養成・雇用です。それぞれの方法は日本の経済・社会、 フィリピンの経済・社会について異なったアプローチ、結果、インプリケーションをもたらしますので、 現在、10 年後、25 年後にどの方法が最も適しているかを検討する必要があると思います。 −28− ③ 最後に、フィリピン人を介護労働者として養成・斡旋・雇用する場合の課題です。まず現在、どのよ うな形でフィリピン人が養成・斡旋・雇用されているのか、現状を確かめた上で、どのような「壁」が あり、どのような問題が予測され、これらに対して、どのような解決法があるのかを考えなければなり ません。これは、主に現場に出ていらっしゃるパネリストの方々にご自分の経験を踏まえてお話してい ただきたい課題です。 いくつかの「決まりごと」を提案させていただきます。まずは、介護労働者の定義です。ここでは、訪問 介護者や施設所属の介護者のような、フィリピン人が現時点でできる介護職を考えております。とりあえず、 現段階ではこの2つの介護職に限定させていただきます。もちろん将来、看護士や医者の受け入れも視野に 入れなければなりません。もう一つは「将来」の定義です。特に需要と供給を考える場合、どこまでの期間 を示すのかをはっきりしなければなりません。できれば現在から 10 年後、25 年後の日本の状況を考えてい ただきたいと思っています。 メインの議論に早く入りたいという皆様のお気持ちが良く分かります。申し訳ありませんでした。私もパ ネリストの皆様のお話をとても楽しみにしておりますので早速、講演に入りたいと思います。 上野 由香子氏(老人ホーム施設長、京都府福知山市) 今日は介護現場における外国人労働者、とりわけフィリピン人労働者の雇用の可 能性について、雇用主の立場からお話したいと思います。もっとも私は、雇用主と いう以前に一介護福祉士、社会福祉士、そして介護支援専門員ですので、介護保険 市場の中で現場の介護を見てきた一個人というところでのお話になるかもしれませ ん。お断りしておきたいのですが、私どもの事業所は現在、在日フィリピン人を含 む外国人スタッフを実際に雇用しているわけではなく、将来的に、良い人材であれ ば前向きに雇用したいと考えております。すなわち、フィリピン人介護労働者の雇 用に大きな期待を寄せている介護施設の代表としてお話をさせていただいていると いうことです。 在日フィリピン人の雇用に前向きである理由は、大きく次の三つです。 ① 介護スタッフの不足。私どもの事業所は現在、常勤 45 人、非常勤 50 人ぐらいの規模ですが、私の印 象ではとくに介護保険導入以降、人材不足の深刻化を日々感じるところです。数の不足はイコール質の 低下につながります。少子高齢化と人材不足がますます深刻化するなかで、外国人労働者の雇用に大き く期待するのです。 ② 良い人材であればどこの国の人であろうが関係ない、というのが私自身の信条です。職場の人材育成 担当者としての個人的なスタンスですが、質を問われる介護の現場では、個々のスタッフの質やヴァリ ュー(価値)がサービスの質を左右する、と日々実感しています。 ③ 将来的な介護現場や介護サービス市場のグローバル化、例えば FTA なども視野に入れたとき、一番 身近なのがフィリピンです。 以上三つの点、おのおの詳細の部分についてお話いたします。 まず、一点目の介護スタッフ不足について。平成 12 年の介護保険導入後、介護市場は大きく変化しました。 −29− それまでの社会福祉法人のほぼ独占といってよい状況から、民間事業所が参入し、介護保険事業所の数が増 加し、絶対的な介護人材の数が読めない時代になりました。私どもが事業所展開させていただいている京都 府福知山市は、山間部・僻地も含む地域ですが、この1、2年、介護保険事業所の数は軒並み増えています。 「今度どこどこに新しい施設が出来るらしいよ」と聞くにつけ、人材確保は大変だろうなと心配したり、もし かしたら自らの施設から何人かが流れていくんじゃなかろうかと戦々恐々としたりする現状です。また雇用 形態の多様化に伴い、被雇用者つまり労働者の側の求めるニーズや、介護職のそれぞれの思いが多様化して います。雇用主、事業所管理をまかされている者としてはこのあたりが悩ましい事項です。 「岩戸ホーム」は 昭和 50 年に始めた歴史ある古い施設で、幸いなことに 10 年、20 年のベテランスタッフが定着してくれてい ますが、その中においても3年未満の介護スタッフの離職率は年々上がっています。特に現場に対する帰属 意識の低下は悩ましいところです。 二点目の、良い人材と国籍は関係ないという点について。具体的に良い人材とは何かを考えてみますと、 高い技術と知識に加えて、介護スタッフとしての自身のミッション(使命感)やモチベーション(動機づけ)、 これが帰属意識と伴って非常に大きな位置を占めると思います。人材育成の観点からは、ここ数年メンタル ケア、ヘルスケアも重要課題になってきています。在日フィリピン人では、成光苑でのヘルパー2級講座で 過去7∼8人が資格をとられましたが、国民性としてキリスト教に基づくホスピタリティが基本的に備わっ ていらっしゃるので、基本的に介護に対する方向性がとてもポジティブという印象です。日本人だと、お世 話をさせていただくというよりは、お嫁さんなり世話ができる人が仕方なくする、きついしんどい苦しいと いうネガティブなイメージで介護を捉える方が多いという印象です。したがって、メンタルケア、ストレス マネジメントの面でフィリピン人は強いと思っています。 逆に、在日フィリピン人がもしかしたら弱いかなと感じるところは、介護現場でのスタッフ間の人間関係 の中でつまずかれたり、非常に孤立感、疎外感を感じられたりという、日本人の介護スタッフと比べると脆 い部分をもっていらっしゃるのではないかと思います。高い理想やミッションというよりも、少しだけ豊か で余裕のある人がちょっとだけしんどい方のお世話をするのは当たり前、身体健康な者が苦しんでおられる 方を助けるのは当たり前、という意識があるのが強みなのですが、仲間のちょっとした言葉の端々に傷つい たりする脆さがあるのではないでしょうか。 また、戦争中の偏見あるいはつらい体験に基づいて高齢者はフィリピン人に世話をしてほしくないのでは ないか、介護上の信頼関係が築けないのではないかという危惧はよく耳にしますが、私がいろいろなところ で様子を見せていただく限りでは、それらは殆ど心配するに値しませんでした。実習中も、高齢者の方々と よいコミュニケーションがとれています。高齢者の方々も、最初は外国人というと意識しますが、それでお 世話をしてほしくないということは全くありませんでした。むしろ最近では、言葉が適切かどうかわからな いのですが、エンターテイナー、夜の商売に関わっている人としての若いフィリピン人女性のイメージが田 舎へいけばいくほど浸透しておりまして、その部分に対しての偏見を感じることがあります。例えば地域の 方から、下宿体制をとって研修生を何人かで住まわせるのはどうか、とか、お仲間を連れてこられて夜遅く まで騒ぐのではないか、とかいう声が出ることがあります。私どもの地域はとくに田舎なのでそれを感じま す。 三点目の FTA や介護のグローバル化において身近なのはフィリピンであるという話については、時間も 参りましたので、他のパネリストの先生方からお話しいただけると思います。 −30− 篠沢 純太氏(フィリピン関連の出版・企画会社経営、東京都) 私は在日フィリピン人向けのコミュニティ・マガジンを、1996 年から7年ほど 月刊で出しておりまして、コミュニティ活動、情報提供、イベント参加などをして きました。また在日フィリピン商工会議所のメンバーとして、フィリピン大使館や フィリピン側の商工会議所と連携しながらの情報交換やビジネスに携わってきまし た。在日フィリピン人がどういった形でこの日本社会に定着していくのかに関心が あります。 自由貿易協定・ FTA ― EPA ともいいますが―これは二国間の人・モノ・ サービスの自由な往来を可能にする枠組みです。フィリピンとの間では昨年 2004 年 11 月 29 日に大枠の基本的合意が発表され、今はどのような形で実施するのか協議している段階です。 2005 年内に最終合意、2006 年には実施と言われていましたが、ここにきて交渉が難航しており、2005 年 10 月末にフィリピン貿易産業省のアキノ事務次官が来日した際には、年内合意は難しく来年のいつごろになる のかも不明という話になり、これは日本の一部メディアでも報じられました。フィリピン側は看護師、介護 士を大量に受け入れて欲しいのですが、日本側は大量受入れについては慎重で、一度に大きな門が開くとい うことにはならない模様です。 私どもはメディアの発行だけでなく、テレビの番組コーディネートや企画も手がけておりまして、2003 年 に『介護先進国フィリピン』という NHK の1時間ドキュメンタリー番組をつくりました。すでにフィリピ ンの介護士がイギリス、カナダ、イスラエル、米国へたくさん出て行って、プロフェッショナルとして非常 に高い評価を得ているという事実がありましたので、フィリピンの介護士養成の様子を取材し、またそこで 養成された人がカナダでどのように働き、受け入れられているのかを取材しました。その取材ビデオを名古 屋と東京で介護士、介護福祉士、介護施設の方々に見ていただいてディスカッションをしました。反応とし て多かったのは、FTA でどれほどの人数が日本にくるのか、それに対して準備が必要である、ふるいにかけ るシステムはどうなっているのか、といった声でした。また取材の中で、フィリピンの介護士資格をそのま ま受け入れてよいのか、日本の制度とどのようにすりあわせうるのか、という質問も受けました。 これまで在日フィリピン人コミュニティと付き合って一緒に仕事をしてきた経験上、一度に大量に受け入 れると必ずなにか問題が起こるだろう、という不安が私にはありました。何か起きたときに、やっぱりフィ リピンからの介護士はだめだ、日本では使えない、という烙印が押されてしまうのではと思いました。それ までに何が出来るかと考えて、日本の四年制の福祉大学で、あるいは二年制の専門学校なら働きながら介護 福祉士やホームヘルパーの資格をとれる就学生のような形で、フィリピン人留学生を受け入れてもらえない かと相談にも行きました。だいたい断られました。そこで、在日フィリピン人で日本の看護師や介護士の有 資格者はいないだろうかと調べましたら、正確に島の名前を覚えていないのですが、たしか種子島だったか でオートバイに乗って介護ヘルパー2級資格をとったフィリピン人がいまして、それを NHK のドキュメン うんの タリー番組にしたこともあります。そのほか、シスター海野という方が 1970 年代にバギオの日系フィリピン 人の若い女性 15 人を日本に送り、彼女らが日本で看護の勉強をして資格をとって働いていたということもわ かりました。ただこれらは単発の動きで、日本社会に根付いていくことはなかったのです。今回、FTA の関 連で急に脚光を浴びてしまったので、多くの関係者が一斉に動き出しているというのが現状です。入国して −31− くるのが 100 人なのか、そのあと増えるのかどうかもわかりませんが、そのとき彼ら彼女らを誰がどのよう にケアするのでしょうか。老人をケアする外国人労働者を、誰がケアするのか。経団連などは、外国人庁と いう部門を設置して適切な受け入れをするよう提案しています。気候や文化の違いなど、外国人労働者の背 景に関する予備知識と受け入れ準備もないままでは、問題が起こるのは目に見えていると思います。 一方、日本生活が5年 10 年たつ在日フィリピン人はいま 20 万人近くいます。ヘルパー2級などの資格をも ち、経験をつんだ在日フィリピン人たちが、カウンセラー、マネージャー、コーディネーターといった形で、 これから来るフィリピン人介護士をまとめたりサポートしたりできるのではないか、というのが私たちの考え たやり方です。2004 年、渋谷でフィリピン人を対象に介護ヘルパー2級講座を開講しました。東京都認定のヘ ルパー講座主宰会社とタイアップして、日本のヘルパー講座の内容をどうやってフィリピン人に教えるか、使 用言語や教科書はどうしようかなどと議論しながら、2004 年9月6日に第一回講座を開講しました。渋谷だけ ですでに 10 回、ほぼ毎月 10 人から 20 人が授業を受けています。千葉県の津田沼や、市原、川崎などでも開 講し、総勢 150 人の有資格者がいます。そのうち 18 人が病院や介護施設に就職し、35 人が登録して就職活動 中、17 人はフィリピンに戻りました。帰国した方たちには、実は、日本で働くためではなく、将来 FTA が実 施された時のリーダーになってほしいという狙いで受講してもらいました。親戚訪問や観光ビザでの来日で、 働けるビザではありませんが、勉強したり資格をとったりすることに問題はありませんでした。帰国後は自分 のできることを、住まいに近いところでパートタイマーでもいいから実践的に訓練を続けていてほしいと思っ ています。中にはフィリピンの介護学校で教えている人もいます。また、フィリピンでは引退して老後をフィ リピンで過ごす外国人にビザを出しますが、その担当官庁であるフィリピン退職庁(PRA: Philippine Retirement Authority)に依頼して、いま登録制度を準備中です。日本人が退職してフィリピンで老後生活を するとき、日本の介護ヘルパー2級資格をとった彼ら彼女らが介護のお手伝いをすることができるわけです。 ただ、外国人のための養成システムを日本側でつくっていかないと、日本人向けの教科書をそのまま翻訳 しても難しいというのがこの一年やってみての実感です。今日のようなシンポジウムを契機に、知恵を出し 合いながら、そのような養成システムづくりをすすめることが必要ではないかと思います。 われわれのヘルパー2級の卒業生たちは、在日フィリピン人介護士協会、というのをつくろうと動いてい ます。日本の政府や自治体に必要な要求をしたり、あるいは何かお手伝いできませんかと働きかけたりする ためです。2006 年春に発足式があるということです。またこの 10 月に、長野県の介護福祉士協会、高齢者 福祉協会などの方々 15 人を連れてフィリピンの介護の実態をみるツアーを、フィリピン大使館の協力も得て 開催しました。来年は私ども在日フィリピン商工会議所も中心になって協力して、フィリピンの介護の現場 や退職者ホームでどのような養成や介護が行われているかを、日本の現場の方々に実際に見ていただきたい と思っていますし、そのようなお知らせなどもさせていただきたいと思います。 林 隆春氏(人材派遣会社経営、愛知県一宮市) 私どもアバンセ・コーポレーションでは、人材派遣、介護―訪問介護と施設の両方です―そして警備 の三つの仕事をやっております。働いている日系人の方が多くて 1800 名以上、グループの年商が 90 数億円 ぐらいの会社です。ケアスクールでの介護人材育成の仕事は、人権活動や定住支援という感じでやっており ます。メディアの方がたくさん取材に来られて、みなさん FTA とつなげて考えられます。でも多分、ケア −32− スクールの生徒さんたちと今度 FTA で来られる人たちは介護スキルも日本語、日 本の生活習慣への理解度も違うでしょうし、そういう意味では違った領域で働く人 たちの話をしているという気がします。 外国人にそういった職域で働いてもらうことには非常に抵抗が強いです。最大の 抵抗勢力は社内で、なんで外人なんやという話になるんですね。それでケアマネー ジャーさんが一人、ケアスクール担当者も一人辞めちゃったんです。そういう意味 じゃ、一人一人を口説きながら理解納得してもらって進めなきゃならんというのが 作業としてたいへんでした。生徒さんとどんな風に関わっていくんだということで は、フィリピン人社会のキーマンを探して、そういう方と一緒に活動しない限り難しい。われわれ日本人が 十分説明して理解してもらおうと思っても、皆さんあともう一歩のところで引いちゃいます。そういうとこ ろが生徒集めも含めて難しかったです。ヘルパー講座の教材の問題ですが、 (私どものいる)愛知県は日本人 と同じものを使えというんですね。同じものを使って同じ教育して同じスキルを身につけてほしいというこ となんですが、同じ教科書で同じ教育したら絶対についてこれないんだから、それで同じスキルがつくわけ がないんですよね。まさに同化政策ここに極まれりっちゅう感じでね。あとは講師のスキルでカバーするし かないわけです。三期生まで送り出してきましたが、なかなか後のことも難しい。実習先を探すのもたいへ んです。とくに訪問介護なんてどこも受け入れてくれないです。そうじゃないですかね? 訪問介護だけじゃ なく施設でも、いっぺん試してちょうだいよということで相談に行くんですけれども、なかなか抵抗がつよ い。そういうようなことで、運営してまいりました。 人材派遣というぼくらの業界からみて外国人労働者とはどういうものかという説明をさせていただきます。 派遣労働者数、派遣会社数、売上高ともすべて右肩上がりで、アウトソーシングというのはまさに成長業種 です(図1)。平成 11 年、12 年頃から急速に伸び、フリーターの数もこの頃伸びました。これは企業のリス トラと平行していて、総額人件費を下げるために、若い人の新規採用ができないなら、中の人間を外の人間 に替えてコストを下げていこうよという戦略の下、日本の経済の立ち直りに合わせてこういう産業とフリー ターが増えてきたと理解していただければいいと思います。 図1 アウトソーシングの市場 出典:厚生労働省 −33− 図2 アウトソーシングの効果 (注)2003 ∼ 2004 年度についての雇用者所得は NRI 経済見通しに基づく。なお、国民所得については名目 GDP の伸び率に従った。 (出所)NRI、財務省「法人企業統計調査」 アウトソーシング業界はなぜ伸びたのか。右肩上がりの曲線が労働分配率、利益を総額人件費で割った数 字です。右肩下がりの曲線は企業の収益率です(図2)。1972 年、73 年頃、まさに第一次オイルショック以 降、総額人件費が上がってきた。1990 年にバブルがはじけた、1992 年、93 年になってこれじゃあたまらん ぞという中で、企業は「冷やし玉」が必要だからアウトソーシングに走ったということです。総額人件費の 冷やし玉は日本人のフリーターだけで出来たのかというと、日本人の人口、とくに若年人口は基本的には増 えてないんです。昨年 2004 年に生まれた子どもさんは 110 万人、二十歳人口は 150 万人。ぼくら派遣会社か ら見ると、これから先、毎年2万人ずつ「仕入れ」が減っていくわけです。ごめんなさいね。言い方がおか しいのかもしれませんが、われわれ派遣会社はそういう発想をするんです。ではどうやって補っていくのか。 図3 外国人登録者数の推移 出典:法務省入国管理局 2000 年あたりから急速に外国人が増えてきています(図3) 。増え始めたのは 1990 年の入管法の改正以降で すから、おそらく定住者ビザが呼び水になって、ぼくらのような人材派遣業者が総額人件費を下げるために利 益出すにはこっちがいいよと企業に提案して一気に呼び込んできたんだろうと考えております。1999 年あたり −34− から若年労働者が減りつつあるなかで、僕らのような業界が外国へ目を向けて、そういった労働力を導入し始 めたということなんですね。これが業界成長の理由ですが、その中でいろんな問題が起こっております。 フリーターさんが増えているということですが、ぼくらのような非正規[労働者]を扱う業者にとってこの 人たちは大切な資源です。しかし市場原理はどこかで違った反作用があるものなんですね。ぼくらの業界は 急激に伸びた関係で CSR(企業の社会的責任)の発想は非常に弱いです。上場した業界のメンバーともいろ いろ付き合いがありますが、自分達が急成長する中で誰に迷惑かけているんだろう、市場原理のマイナスの 部分を意識して NPO 等市民活動と関わる、という発想が非常に弱いです。フリーター、ニートに対して、 ぼくらの業界がどのような対応をすべきかという発想をする人がほとんどないどころか、フリーター、ニー ト対策で行政からいろんな受託事業とってこよう、という人ばかりです。そうすると外国人をどんどん受け 入れることで起こるいろんな問題はどうなるか、日本には外国人を定住者として受け入れる仕組みはないの で、外国人のことは誰が考えるんだということになるんですよね。 経済面 学習困難 不明 27.2% 不就学 4.2% 家庭問題 家事手伝い 日本 の学校 42.4% その他 前期 後期 回答なし 外国人 学校 26.1% (人) 0 2 4 前期 207 人 不明 27.4% 不就学 7.2% 日本 の学校 39.3% 前期のみ 26 人 (12.6%) 外国人 学校 26.1% 6 8 10 後期 233 人 同一 対象者 181 人 後期のみ 52 人 (22.5%) 図4 外国人の義務教育年齢児童の実態 例えば学校の問題があります。ブラジル人が急速に増えた岐阜県可児市の例です(図4)。左の円グラフで、 日本の学校に行っている子が 42 %、外国人学校が 26 %です。合わせて 68 %、約3分の2の人が学校に行っ ていて、3分の1の人が学校に行っていない。 「不明」というのは捕捉できないということですから、行って ないと思います。こういう人たちがどんどん育ちつつあります。また右下の図では、前期と後期を通じて就 学実態を捕捉できた同一の生徒さんを除くと、前期のみの人が 26 名、後期のみの人が 52 名、となると 80 名 近い人たち、全体の3分の1ぐらいの人たちは前期と後期で同じ場所にいないわけです。(編集注:出典は可児 市国際交流協会『外国人の子どもの教育環境に関する実態調査 2004 年度調査報告書』2005 年3月) 非常に流動性の高い労働力が必要ということで企業は外国人労働力を導入したのですが、子どもたちまで こういう形で影響を受けちゃっているんです。いまはどこの企業も厳しくて四半期決算ですから、来月期忙 しくなるのは分かっているけどとりあえず今月期首切っておこうよ、となる。総額人件費をとにかく下げた いが、日本人だと首切ると組合で問題になったり地元で批判受けたりするので、弱い外国人をバッファ(緩 衝材)にしているということを数字が表しています。そういう労働者が必要なことはある程度やむを得んで しょうが、そのことによって、何をやったかという仕事に対する成果より、何時間働いたかということしか −35− 見えない人たちがどんどん育ってきているわけです。まして組み立て・検査・弁当屋さんの領域です。私ど もの会社も日系フィリピン人が二百数十名おりますが、この人たちはまさに 90 %以上がこの領域で働いてい ます。20 代 30 代は体力という市場価値が売り物になりますが、40 代 50 代になったらどうするのか。右上の 表では子どもの不就学の理由が、経済難、学習困難、家庭問題、家事手伝いとなっています。勉強について いけないということと同時に経済的理由も大きく、ですから児童就労もすごく増えてます。ブラジルの場合、 義務教育が4・4制で、ここに出てくる外国人の学校 26 %というのはほとんどがブラジル人の学校ですけれ ども、義務教育を 14、15 才で卒業して、あと何をやるのかということです。正規の仕事ができないので地下 にもぐっていろんな問題を起こしてしまう例が増えています。 外国人というのは、労働力としてだけでなく生活者としていろんな部分で受け入れていかなきゃならんの ですが、その対応は、日本はまだまだ時間かかるというのが実感ですね。日本の行政も日本型共生、日本型 同化のイメージを持っていません。企業も基本的には間接雇用、非正規労働者、単純作業者としての雇用を 望んでいます。そんな中で外国人庁などの大きな傘も必要だと、われわれも関わっていて実感しています。 図5:年齢・男女別外国人登録者数の構成比 出所:法務局入国管理局(平成 15 年末) 日本の外国人登録の特徴は 20 代 30 代が圧倒的に多いことですが、しかし、定住でなくとも定住に近い考 え方で住んでいる人も増えていて、10 年たつとこのグラフの頭(人口のピーク)が右にずれます。そのとき、 20 代で通用したものが 40 代では通用しません。だから市場価値をつけて定住をきちっと支援するという仕 組みが必要なんです。子どもにとっては、学校に行く意味が見出せない。お父さんお母さんが日本語が分か らなくても何不自由なく働いとってわたしはなんで学校へいくんだ、という感じで、子どもの就学率が落ち ているという部分も大きいわけなんですよね。 ケアスクールの問題です。在日外国人たちに市場価値をつけて社会に送り出すという仕組みが、基本的に 日本にはほとんどありません。トヨタさんなんかと話しても、きちんとしたモノづくりのサプライチェーン はあっても、コンプライアンスや経営倫理のサプライチェーンはどうなる、という議論をしていきますと、 二次下請け以外は全く把握していないといいます。トヨタ(豊田市)だけみても地域社会が劣化してきたと いう問題もけっこうあるわけで、できる範囲からまずやっていこうと、人権活動の一環としてやってます。 フィリピンの人たちにスキルをつけた上で、最初から紹介というと嫌われるので、紹介予定派遣で3、4ヶ −36− 月でも使っていただいて、よければ正規採用をお願いできませんか、その代わり応分の負担もお願いしたい という形です。ぼくらも在日外国人の方も施設も、三者それぞれが応分の負担をしながら雇用創出していく、 コミュニティ・ビジネスという考え方です。 今年に入って始めたもんですから、まだまだマッチング能力は足りない。そこはこれから数年というレベ ルで、われわれも施設の方々もこれから十分勉強しなきゃ、していただかにゃなりません。ヘルパーの人た ちもまだまだスキルは足りないです。フィリピンのケアギバー(care giver :介護労働者)が 750 時間の講 習をやるのに、日本のヘルパー講座は 130 時間しかやらないので、圧倒的にスキルは足りないわけです。ぼ くらのケアスクールでは 168 時間、介護保険法とか難しいところは、いっぺん聴いたってわからないので2 回聴いていただいて、なおかつ日本語教室を1時間ずつぶら下げて勉強していただいてます。生徒さん方は 家へ帰ってから子どもと一緒に、日本語の勉強もだいぶやっていたみたいですけどね。ケアスクールの業者 さんは日本語ができたら入れてあげるといいますが、実際には日本語で苦労しているために社会参加できな いのだから、日本語は出口でいいよという仕組みで動かしてます。実際はじめてみると、素晴らしいです、 みなさん。評価も高いです。日本人のケアスクールだと、1割か2割は寝とったか聞いとったか分からん人 がいますが、この人たちは寝ないですよ。 コミュニティ・ビジネスという考え方で広めていきたいと考えておりまして、大阪や福岡やらいろんなと ころから、やりたいという希望が出ております。どんどんわれわれの案を出しながら、みんなでどうやって これから在日の社会を育てていくんだという話をしたい。教材の問題が大きくて、日本の教材なんて(外国 人向けには)まともに使えないんですが、たくさんのスクールが連携すれば文部科学省の予算も考えられる とちらっと聞きました。これからもこういうことに関わっていきたいと考えております。 原田 マリアフェ氏(介護士、京都府舞鶴市) いま現在、訪問介護事業所でサービス提供責任者をさせていただいてます。事業 所は 50 人のヘルパーを使っていまして、利用者さんが 180 人です。自分の仕事と しては、ヘルパーの予定を組んだり、同じサービス提供責任者の調整をしたりして います。自分の担当の利用者さんについては、できるだけ月に最低1回は自宅訪問 しています。こちらはケアマネと、どういう援助をしたらいいか、どういうヘルパ ーの入れ方をしたらいいかという調整もします。最近はだいたい事務所の中にいる んですけれども、ヘルパーが休みのときはわたしが援助に入ったり、問題があった −37− ら対応したり、だいたいこういう仕事をしてます。 最初ヘルパーになったとき、もう自分も、外国人としてどのように日本人に受け入れられるかすごい不安 やったんですけど…。やはり言葉の壁がすごい大きいんですね。もちろん今でも新規の利用者さんとこに入 って自分の名刺を渡すときに、やっぱりカタカナで書いてあるので、利用者さんにも家族の方にも、ほんと にもう2回も「え? 外国人ですか?」と聞かれるんですけど(笑)、まあ素直に「はいそうです」って言っ て・・・。たぶん向こうの方も不安だと思うんですけど、でもこっちとしては何回か家に通ってできるだけ コミュニケーションがとれるようにがんばっています。いまは、ほんとにもうコミュニケーションもとれて いるので大丈夫です。 利用者さんの自宅を訪問するときには、もう「マリアさま、マリアさま」と言われてるんですけど(笑)、 なんていうんですか、自分の明るさとかが大事です。在宅介護の方は一人暮らしのお年寄りが多いので、寂 しい気持ちの人とか、これは何回も聞いているんですけど「死にたい」と言う人もけっこう多いんですね。 やっぱり「夜になるとさみしい」とか「怖い」とか、「お父さんのとこ行きたい」とか言われるんですけど、 こっちの方は冗談で「お父さんはまだ一人でいたいからまだ行ったらダメー」とか言うんです(笑) 。そうい うフォローしかできないんですね。 現在フィリピン人が介護に入ることの問題は、たぶん習慣とか言葉だと思いますが、わたしが実際に入っ てみて、記録が多いんですね、それが自分の一番の悩みです。周りの人に教えてもらったりとか、漢字がわ からないときは、もう利用者さんに聞いて教えてもらったりもしてます。 今も、1級の講座にがんばって行っています。来年1月の介護福祉士試験にもちょっと挑戦しようかなと 思ってます。じゃあ、終わらせていただきます。 (写真提供:原田マリアフェ氏) 間嶋 アナベル氏(介護士、愛知県名古屋市) みなさん、こんにちは。わたしは間嶋アナベルです。34 才で名古屋に住んでいます。日本は 14 年目です。 今年 2005 年の6月にホームヘルパーの資格をとりました。今は名古屋市にある特別養護老人ホーム永生苑で 働いて半年になります。まだ経験は浅いです。認知症、寝たきり、車椅子といろいろの方がいて、お世話は とても大変ですが、毎日楽しく仕事しています。夜勤専門です。16 時間働いています。 なぜ介護士になろうと思ったか。去年、友達が脳梗塞で倒れたとき面倒をみることになったんです。友達 −38− の面倒をみている間に、元気になっていく姿をみて嬉しく感じました。またリハビ リをしている時に、他の多くの患者さん、障害者の人や、老人の人をみて、弱い人 たちの力になりたいと思うようになりました。でも今までのヘルパーの養成講座は 日本語が読めて書ける人しか受けられず、わたしはずっとあきらめていました。で も去年の 12 月、フィリピン・レストランでアバンセのチラシを見ました。日本語 が心配だったので、日本語の授業もあって、心配なときは通訳の方と先生に時間を かけて教えてもらえると聞いたのですぐに申し込みをしました。 介護の勉強で難しかったことは、介護、保険といった今まで聞いたことのない言 葉を理解すること。特に漢字はなかなか覚えることができなかった。でも何度も何度も辞書をつかって調べ、 ノートに書き、読んで少しずつ覚えていきました。楽しかったことは、勉強をしているうちに知らなかった ことをどんどん覚え、知識が広がっていくのがわかり、自分が成長していると感じて嬉しかったですね。ま たいろんな人と話すことで、いろんな考えがあることがわかり、心が広くなっていく感じが嬉しかったです。 以前、工場で働いていました。そのときは手だけをつかう仕事でした。今までの仕事は日本人の下にいる と感じましたが、介護の仕事は患者さんと話すことができ、患者さんのことを考えて行動するといった心の 通った仕事をすることができる、自分の能力を全て使うことができる、と感じているんですね。誰かの下で はなく、看護師やケアマネさんと協力しながら仕事している。また人の命を扱う仕事であり、責任とやりが いを感じています。 これから日本で働くフィリピン人の介護士について。日本とフィリピンの FTA の合意によってフィリピ ンから来る看護師・介護士と一緒に働くのは楽しみにしています。わたしたちが介護する人たちをよく理解 するために、日本の文化や日本語をよく勉強してほしいです。また介護の仕事は大変だし、いやなこともい っぱいありますが、いつも介護する人たちの気持ちを考えて心から接してあげることが大切だと思います。 日本の政府が日本で働くチャンスを与えてくれたので、その期待に応えるようがんばってほしいと思います。 ありがとうございました。 安里 和晃氏(研究者) この数年間米国、香港、シンガポール、台湾、韓国、ベトナム、フィリピンとい った、移住労働者を多く送り出している、あるいは受け入れている国々で調査をす る機会がありました。今回の報告ではこうした調査をもとに、日比 FTA による看 護師、介護士の受け入れが政治的に突然決定されたのではなく、実はグローバルな 背景があってその波が日本まで押し寄せてきたのではないかという考えを示したい と思います。そして、受け入れが決定されたからには、どのような制度を作り上げ ていく必要があるかという点について、私の考えを示したいと思います。『at』と いう新しい雑誌に日比 FTA について書いた原稿を配布資料として準備してありま す。これは別途お読みください。(編集注:安里和晃「短期集中連載 移動の世紀の < 再生産労働 > 1−不自由な労 働力/外国人労働者の現在」 『at クォータリー あっと』1号、123-138 頁.) −39− <介護部門をめぐるグローバルな構造> 私が各国で調査して共通に感じることは、介護の需要増加と供給不足です。需要増加の主な理由は高齢化 と脱家族化です。これまで介護を提供するのは家族や親族といったインフォーマルなネットワークでしたが、 核家族化が進み、有業女性の増加つまり共働き世帯が増え、また価値観が変化したことによって、家族の外 で介護を―あるいは育児もそうですが―をするようになった。これが脱家族化です。また高齢化はそれ 自体で、介護の需要を増大させます。政府によるサービスの提供が限定的であればあるほど、そこに市場が 形成されます。 供給不足の理由としてよく言われるのは、3K で表現される介護の性質です。しかし、こうしたイメージ は制度によって作られているところがあります。制度とイメージという点では施設介護が好例です。ちょっ と前まで日本では施設介護というと放棄された高齢者が措置によって入居するというネガティブなイメージ がありましたが、介護保険制度の施行で制度が変われば、生き方の権利のひとつとして施設が捉えられるよ うになりました。同じように介護労働者をめぐる諸制度のあり方は、職業観も変えることになるでしょう。 具体的には賃金やその他の労働諸条件です。しかし現状では低賃金であり、離職率が高い。さらに高齢者介 護施設よりは病院で働く方が、待遇の面でも働き甲斐の面からもいいという考え方は諸外国でよく見られま す。 また、少子化による労働力人口の減少は労働力の獲得競争をもたらすでしょう。こうなると、介護部門で は労働力を確保することがいっそう難しくなるでしょう。また最近は介護に従事する男性も増えてきました。 これからも男性介護者は一定の割合を占めるでしょうが、女性の介護は男性が担うことができないことから、 今後とも現場では女性が多く求められることには変わりありません。しかし女性の就労が多様化した現在で は、「女性職」に女性が集まらなくなるといったことがおきています。これらの状況は台湾、シンガポール、 香港、アメリカといった多くの国々でほぼ共通して見られています。 日本の厚生労働省はパートタイマー女性がいるから介護労働者の不足はない、と比較的楽観的ですが、し かし 20 代 30 代の若い世代においては、男性賃金の低下からフルタイムの共稼ぎで一人前という世帯が増え ています。そのため、これまでの雇用のあり方で、介護労働力が確保できるかといえば、私は難しいと思い ます。介護の需給ギャップは、これから日本でも深刻化すると思います。この問題の解決のために、外国人 労働者を導入する、あるいはエスニックマイノリティといった少数者を担い手とするという方法を取ってい る国々が増えています。そういう意味において、諸外国の経験を踏まえると介護労働市場はグローバル化せ ざるを得ない。実は、フィリピン政府はこのことを予期していました。日比 FTA による看護師・介護士の 受け入れ問題はきっかけに過ぎず、背後には介護をめぐるグローバルな構造があるということです。 <アジアの状況> 家事・育児・介護の外部化と国際商品化は、アジア各国で定着して来ました。特に、台湾、香港、シンガ ポール、韓国といったアジア NIEs 諸国では、約 50 万人の家事労働者および施設や住込みの介護労働者が就 労しています(図1)。家事・育児・介護の外部化の進展とともに外国人家事・介護労働者の数は 1997 年の アジア経済危機以降も増加しています。 −40− (人) 600000 500000 400000 韓国 シンガポール 台湾 香港 300000 200000 100000 0 88 91 94 97 2000 2003(年) 図 1 アジア NIEs における外国人家事・介護労働者数の推移 注:合法滞在者のみ (出所)各国政府(内部)資料をもとに作成 これらの地域は、日本と比べると政府の役割が小さい点に特徴があり、育児や介護のサポートは自前で調達 する必要があります。一方、女性の労働力率は 20 代から 40 代にかけて日本より高い。フィリピンやインド ネシアから外国人家事・介護労働者を受け入れるというのは、家事・育児・介護の担い手を調達できるよう にするための市場の整備でした。こうした制度が 1974 年に香港で、1978 年にシンガポールで、1992 年に台 湾で、2002 年には韓国で整えられたわけです。 住込み家事労働者の賃金は、台湾、香港では月5−6万円、シンガポールでは月 2.5 万円です。実は日本 でも日比 FTA で住み込み家事労働者を入れるかどうかという議論がありましたが、入国管理法上の問題で 見送られました。なお、香港やシンガポールの賃金は安過ぎる、搾取じゃないかという意見もあります。し かし、問題は賃金よりも斡旋料です。実際の斡旋料は賃金に比例します。仮に日本で労働基準法を適用して 適正賃金を設定したとしても、斡旋料は高騰するでしょう。私の調査では、2年契約の斡旋料はだいたい7 ヵ月分の賃金に相当します。仮に日本で月給 20 万だとすると、斡旋料は 140 万円まで達する可能性がありま す。表面上の制度と実際には大きな違いがあります。斡旋料については特にそうです。これが大きな問題と なるでしょう。看護師・介護士の受け入れにあたって、フィリピン側の所管は海外雇用庁(POEA)ですが、 送り出し労働者の選定過程でブラック・マーケットが形成されるでしょう。外国人労働者の受け入れをめぐ っては、労働者の賃金を上げればいいという話では必ずしもありません。 <介護の内からの国際化> 介護市場の国際化が望ましいか否かの議論はありますが、内からの国際化はすでに始まっています。例え ば在日韓国・朝鮮人の方たちでしたら、そのコミュニティの高齢化に対応した若い世代が介護市場に参入し ていますし、南米の日系人、定住フィリピン人も入ってきました。就職差別やスキル、言語の面でなかなか 日本の労働市場に参入できないという問題を少数者は抱えています。介護労働市場は、そうした人たちを受 け入れています。福祉国家スウェーデンでもアメリカでも、介護労働市場に占める難民や有色人種の割合が、 全人口の割合よりも高いという傾向があるようです。介護では内側からの国際化というのが珍しくないよう です。 <施設介護労働者の処遇―台湾とシンガポール> 諸外国における施設介護の事例を紹介します。台湾では介護労働者の約3分の1をベトナム人、フィリピ −41− ン人、インドネシア人といった外国人労働者が占めています。90 %以上が女性で、最近はベトナム人が急増 しています。労働基準法が適用され、最低賃金が―だいたい最低賃金が最高賃金と考えていいのですが ―月約6万円です。週に1日の休日、帰国休暇などの基準はだいたい守られていて、だんだんと就労の環 境はよくなっているというのが調査からわかってきました。彼女らは2年ごとの契約を延長して最長6年ま で就労することができます。フィリピンやベトナム出身の看護師も介護労働者として多く働いています。 さて、いくつか介護労働市場について検討してみたいと思います。 (人) 250000 200000 150000 外国人労働者(家事・介護労働者 を除く) 家事・介護労働者 100000 50000 0 1992 1995 1998 2001 2004 (年) 図 2 台湾における家事・介護労働者とその他の外国人労働者の推移 (出所)行政院労工委員会『労働統計月報』各月 台湾の例ですが、左の柱が建設業・製造業、右の柱が家事・介護の外国人労働者数を表しています(図2)。 2000 年以降、経済不況の影響を受け、建設業・製造業の外国人労働者数は減少していますが、家事・介護部 門では増えています。建設業・製造業の外国人労働者数が景気変動に敏感に反応しているのに対し、家事・ 介護部門はそうとはいえない。これは少子高齢化といった人口構成の変化が、外国人労働者の受け入れの増 加をもたらしていることを示唆しています。経済の短期変動ではなく長期的な人口構成の変化にもとづくの で、家事・介護労働市場は安定した労働市場を形成しているといえます。にもかかわらず、この労働市場で は多くの外国人労働者が台湾では求められています。 香港、シンガポール、台湾、韓国における外国人家事・介護労働者を出身国別にみると、フィリピンが 46 %、インドネシアが 43 %を占めます。フィリピン人労働者の占める割合は近年低下しています。その分、 インドネシアやベトナムが伸びています。これは送り出し国間の競争が激しくなっていることを意味します。 1990 年代初頭まではフィリピン人の割合が 70 %を超えていましたが、インドネシアとベトナムが積極的な 送り出し政策を採り始めています。わたしがベトナムへ調査に行ったときは、 「リムジンを付けますので飛行 機の便を教えてください」とまで言われました(笑) 。もちろん断りましたが。それだけ送り出しに強い関心 があります。 (ベトナムのハノイの写真を見せながらのお話)台湾で就労する労働者は、中国語や介護についての出発 前研修をベトナムで受けなければなりません。これは斡旋業者が担当することになっています。ある斡旋業 者の研修所でわたしが中国語で挨拶したら、発音が間違っていたらしく生徒が一字一句訂正してくれました。 出発前研修は有名無実化しているという事前の予想に比べると、よい状況でした。 −42− シンガポールの場合、フィリピン、ミャンマー、インド、スリランカから労働者を受け入れています。施 設介護労働者の9割以上が外国人です。シンガポールの施設には入居者の身の回りの世話を主に担当する付 添い人(Health Attendant)、身体介護を担当する看護助手(Nursing Aide)、準看護師(Assistant Nurse) 、 正看護師(Registered Nurse)に分けられます。賃金は付添い人で月約 2.5 万円、看護助手で月約3万円と かなり抑えられています。特徴的なのは、出身国の看護師にはキャリア形成のチャンスがあり、台湾とは対 照的です。例えばフィリピンの看護師が看護助手としてシンガポールで就労し、成績がよければシンガポー ルの看護師資格の取得のための職業訓練を受けることができます。道のりは長いのですが、看護師の資格を シンガポールで取得すると永住権も申請することができます。人材不足がより深刻なので、スキルアップと 市民権を抱き合わせてインセンティブとしているのです。シンガポール政府の外国人労働者政策は、低賃金 の固定、強制的な妊娠検査など他国と比べても強権的なところが目立ちますが、施設就労の外国人労働者に 関しては休日や帰国休暇が与えられ、施設内から電話をかけたり、外出したりすることも比較的自由です。 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% 50 歳 以 上 40 -4 9歳 30 -3 9歳 外国人計 フィリピン人 インドネシア人 ベトナム人 台湾籍介護労働者 20 -2 9歳 19 歳 以 下 割合 ただし、施設によって外国人労働者の管理方法は大きく異なります。 年齢 図 3 台湾における介護労働者の国籍別年齢構成 (出所)行政院労工委員会編(2003) 『外籍労工運用及管理調査報告(含外籍監護工)』など 施設の経営者や看護師長と話をすると、外国人を雇う方がいい理由のひとつは、年齢が若いことです。台 湾人介護労働者は 50 代が多く、外国人労働者は 20 代と 30 代が最も多く就労しています(図3)。若い外国 人労働者は体力があること、また指示や命令がスムーズであることも外国人労働者が好まれる理由のひとつ でもあるようです。台湾のいくつかの施設では、看護師よりも介護労働者の方が年上だと「なぜあんたに命 令されなきゃいけないのよ」という反発があり、なかなか指示が伝わらないということでした。 今日のひとつの重要なポイントですが、施設で就労する外国人労働者は決して安くありません。使用者の 立場からすれば地元労働者と外国人労働者の雇用コストは同じぐらいです。これは、外国人労働者の賃金が 低く設定されていても、使用者は税金、住居費、食費、斡旋費用、渡航費などの負担を賃金とは別に求めら れるからです。シンガポールでは地元労働者の雇用コストが低いという施設もあります。つまり、台湾やシ ンガポールにおいては、外国人労働者の雇用理由を賃金に求められないのです。外国人労働者が安いという のは誤りです。日本の FTA の場合も、事前の日本語研修費用などを考えると外国人労働者の雇用には莫大 なコストがかかることになるでしょう。 −43− (人数) (ドル) 40000 50000 45000 40000 35000 30000 25000 20000 15000 10000 5000 0 35000 30000 25000 20000 人数 賃金 15000 10000 5000 19 93 19 94 19 95 19 96 19 97 19 98 19 99 20 00 20 01 20 02 20 20 03 03 年 末 0 (年) 図 4 医療保険サービス業の賃金と労働者数の推移 (出所)行政院主計処編『薪資與生産力統計年報』 外国人労働者が導入されると地元労働者が締め出され、賃金も低賃金化するといわれることがありますが、 少なくとも台湾ではそうではありません。介護労働者数も賃金も上昇しています。この上昇率はサービス業 全体の平均よりも高い状況にあります。これは介護労働市場が急速に拡大していて、施設の外国人介護労働 者が増加しても、地元労働者に悪影響を及ぼしているとは必ずしもいえないことを示しています。日本の場 合も外国人が参入したからといって介護労働の賃金が下がるなどと簡単にはいえません。ただし労働者の階 層化がおこるという懸念はあります。 <外国人介護士はどのように雇用されることになるのか> FTA で来日する外国人労働者はどのように雇用されることになるのでしょうか。施設に住込みとなれば、 日本人が就きたがらない夜勤や祝祭日勤務などに充てられることになるかもしれません。シンガポールでは 夜間は地元労働者が全くいないという施設も多くあります。スタッフの配置に苦労している施設は多いと思 いますが、単身出稼ぎ者は家族の事情による突然の欠勤などがなく、比較的柔軟性があります。そして、外 国人労働者の場合、借金返済の必要性や出身国への仕送り期待にこたえなければならないことから、勤務態 度はよいというのが一般的です。では定住フィリピン人はどうでしょうか。定住フィリピン人の場合は家族 がいますから、例えば子どもが熱を出せば仕事を休むこともあります。定住者と出稼ぎ者では提供可能な労 働力の質が異なります。 注意しなければならないのは、外国人は安価な労働力ではないし、ただ単に足りないから入れればいいとい うものではありません。そして移住労働者は語らない存在ではありません。例えば今日のパネリストのお二人 はきっと、いろんな大変な経験もされたかもしれません。わたしたちが外国人労働者受け入れのシステムをつ くる上では、彼女らの経験からも学ばなければなりません。基本的にフィリピン人労働者は、日本人より権利 意識が明確です。安く使ってやろうとか長時間サービス残業をさせてやろうなどと思っていると、あとで大き な外交問題になる可能性もあります。香港ではフィリピン人労働者が初めて家事労働者の組合を結成しました。 そして、インドネシア人、タイ人労働者をまとめてきたのもフィリピン人を中心とした支援組織でした。さら に、フィリピン人の家事労働者組合は、地元香港の家事労働者の組合の結成も支援した経験を持っています。 −44− <マネジメントをどうするか> 施設で受け入れた場合、マネジメントをどうするか、これは極めて重要な問題です。これまで指摘されて きたような、パスポートを取り上げて逃げることができないようにさせるとか、強制的に雇用主の管理のも と貯蓄をさせるなどの管理方法ではうまくいかないでしょう。施設介護においては、明確な職階と職務分担 が存在しますが、チームワークによる連携を基本として介護が行われます。そこでは上司や看護師、同僚と のコミュニケーションが非常に重要になります。もし、人間関係上の理由でフィリピン人が日本人スタッフ とコミュニケーションをとりにくい職場環境に置かれると、フィリピン人スタッフは入居者の体調の変化な どの申し送りをしないかもしれません。そうすると大きな問題になる可能性もあります。さらに、フィリピ ン人はスケープゴートにされてしまうでしょう。しかし、これはフィリピン人スタッフのみの問題ではあり ません。これは多国籍からなる職場におけるコミュニケーションのシステム化という、マネジメントの問題 です。少数者が表現することのできる職場環境をどのように作るかがが受け入れのポイントになるでしょう。 米国で聞いたのは、日本人の看護師がヒスパニック系のスタッフとうまくコミュニケーションを取れなく て問題が生じた事例です。日本人は仕事ができて当たり前と思っているので部下や同僚を褒めないことが一 般的ですが、ヒスパニック系スタッフは、仕事がうまくいけば “You did a good job.”(「よく出来ましたね」) と褒めてほしいと思っている。さもないとあたかも自分の尊厳が否定されているように感じるのですね。ヒ スパニック系の人たちが不満に思っていたのは、言語能力の問題ではなくてお互いを認め合う行為がもっと 必要だということでした。外国人労働者の受け入れは新たなマネジメントのシステムを必要としています。 日本語の記録がたいへんだという話がありましたが、手順をある程度マニュアル化し、日本語を必要とし ないチェックシートをつくる必要があります。台湾では、一日の仕事の流れのチェックシートを中国語とイ ンドネシア語併記で作成しています。マニュアル化できない点も多くありますから、報告の義務については アメリカでもシンガポールでも重要視しています。いずれにせよ外国人看護師・介護士の受け入れに際して は、職務内容の手順化だけではなく受け入れ側の経営者や看護師の労務管理能力が問われることになります。 定住フィリピン人をどう位置づけるかですが、フィリピン人労働者と使用者の間に入る「メンター (mentor :相談相手)」のような役割があると思います。外国人労働者の受け入れには言語の翻訳だけでな く文化の翻訳が必要だからです。アジアを中心に多くの施設を訪れてきましたが、フィリピン人看護師・介 護士の受け入れに失敗したら、それは受け入れ側の責任です。 ありがとうございました。 パネル・ディスカッション (お名前はすべて敬称略) 高畑: それでは後半のパネル・ディスカッションに入りたいと思います。主に日 本人のパネリストへの質問票をいただきましたが、途中で、原田さん、間嶋さん、 また間嶋さんのお友達の方も今日はいらしてますので、フィリピン人の方ですでに ケアワーカーとして働いている当事者の方の御意見も聞きながら進めていきたいと 思います。これまでの話の途中で、FTA によるフィリピンからの人材を連れてく る話とややごっちゃになっていしまったかなという印象がありましたが、シンポジ ウムとしては、タイトルどおり、在日フィリピン人の介護人材養成ということに焦 −45− 点を当てていきたいと思いますので御了承ください。質問の中には FTA 関連のものもだいぶありますので、 そのあたりは最後に安里さんにまとめて答えていただきたいと思います。ではまず上野さんからお願いしま す。 上野: どなたでも、という形でいただいた御質問で『介護労働力として期待されているのは在日フィリピ ン人の中でも日本人と結婚して定住している女性にほぼ限定されているのでしょうか』 『フィリピン人以外の 外国人は介護人材養成の対象とならないのでしょうか』とあります。 一点目について、在日フィリピン人の方の中でも日本人と結婚しておられるフィリピン人女性は、必然的 に定住期間が長いですし、将来的にも継続して日本に住んでいただけることが見込める方です。FTA では3 年以内という期間で就労しながら介護福祉士なりの資格を取得することになっていますが、利用者との信頼 関係やスキルアップ、例えば原田さんのような介護マネジメントへのキャリアアップも含めて考えますと、 1年、2年、3年という期間ではなかなか積み上げにくいものがあるのではというのが、私たち介護現場で 働かせていただいている者の実感です。その意味で、定住期間の長い方、そしてこれからも定住していただ ける方に限定したいと私自身は考えています。 二点目については、在日朝鮮韓国人の方はこれまでの日本在住の経緯が異なりますし、私どもの施設でも、 ごくごく自然に当たり前に一緒に働いています。また私どもの施設ではありませんが、中国人の方をモデル 的に、研修ビザだったと思うのですが1年から3年の試用期間という形で雇用されている社会福祉法人がご ざいます。私自身は、先ほど申し上げましたように、環境と条件が整えばフィリピン人以外であっても国籍 はどこであってもよいと考えます。 高畑: この点についてフェさんとアナベルさんのご意見も伺ってみたいと思います。結婚して日本に長く いる人の方が介護の仕事で利用者さんとなじみやすいというか、働きやすいという点があるかどうかについ て、どう思われますか。 原田: そうですね、まず言葉の点で、ここにいるフィリピン人は日本語がわかっているので、ここにいる フィリピン人たちの方がいいと思います。 間嶋: コミュニケーションはここにいるフィリピン人の方がわかると思うんですけど、でも団体で働けれ ばフィリピンからくる人の方がいいと思いますね。なぜかというと、ここにいるフィリピン人はファミリー (家族)もいるし子どももいるし、週に2回とか、6時間だけ働けるとか、まただんなさんの税金の関係で収 入が何万円を超えないようにとかありますよね。フィリピンから来る人たちの方が、ファミリーのためにこ こに来て働いていますし、サービスもファミリーに対するように心から仕事します、パッション(情熱)が 違いますからね。 篠沢: ひとつめの御質問ですが、なぜ日本人と結婚したフィリピン人の奥さん達が、いま介護の勉強をし ようとしてるのか、というフィリピン人の側からの発想で考えていただきたいんです。結婚前は日本で働い ていて、数としてはエンターテイナーとして来ていた人が非常に多いです。うちのスクールの卒業生ですと 30 代の後半、35 才ぐらいからの人が最も多く、子どもを預けながら授業に通う人もいます。子育てが一段落 −46− したとき、自分がこのあとどういう仕事ができるのか、日本社会に受け入れてくれる場所が果たしてあるの かと考えるのです。以前のようなエンターテイナーや工場の仕事の機会は、35 才を過ぎたら非常に限られて きます。そのような不安感と、日本社会の中できっちり認められた仕事をしていきたいということは、我々 が入学時に行うインタビュー(面接)の中で必ず出てきます。スーパーマーケットのパートタイムの仕事を 得ても、読み書きが不得意であったり、あるいは何かのコミュニケーションでつまづいたりすると、すぐに 裏で惣菜を切ったり袋詰めなどにまわされてしまいます。当初、フィリピン人は漢字が読めないから中国人 の方がいい、とかなり差別されたこともありました。 二番目の御質問ですが、長野県で在日タイ人向けのヘルパー2級講座がありました。今は千葉県のある会 社が、タイ大使館の協力も得て、定期的ではありませんが希望者が集まれば開講しています。 高畑: この点、林さんの御報告の中で、ケアスクールによる付加価値効果と働く人の誇りについて、また、 いま 20 代 30 代が多い定住外国人の働く人たちが 40 代以降になったときに仕事が限られるというお話があり ましたが、その点に関連してコメントいただけますか。 林: われわれはコミュニティ・ビジネスという考え方で、フィリピン人コミュニティがこれから 10 年 20 年先に劣化しないような仕組みを考えたいとやっています。持続可能なビジネス・モデル、もっといえばフ ィリピン人が自分たちで自由にビジネスをやっていくというコミュニティが出てくればいいなと思って、い ま動かし始めたところです。われわれが上手くいかないと次にやってくれる人が誰もおらんもんですから、 いま挑戦しているという段階なんですね。 高畑: 今後日本の中で生きていくことに関して、資格をとることで、自分の中の気持ちなりプライドなり で何か変わったことがあれば話していただけますか。 間嶋: 資格もらったときは、やっと、と思った。やっと認められたな、と思いました。ずっとフィリピン 人のイメージは違いますからね、 (フィリピン人はみんな)夜の仕事とか。気持ちがすごく嬉しかったですね。 これからプライドもって日本で、誰にでも、仕事は何ですかと聞かれても介護士です、とプライドもって言 えるので。 原田: 施設関係が多いみなさんと違って、わたしはあくまでも在宅介護で働いているという立場です。先 ほどコミュニティの話も出ましたが、わたしは現在も舞鶴でフィリピン人のコミュニティのリーダーをさせ てもらってるんですけれども、自分はリーダーとしてメンバーに何をできるかと考えて、やっぱり口だけじ ゃなくって自分が行動して、まあ資格とって、何とかメンバーたちもついて来れたらと思ってたんですね。 現在、6人か7人ぐらいヘルパー2級の資格もってるんですけど、ただ、その中で二人しか施設で働いてい ないです。介護の給料はちょっと少ないんですね。夜の仕事に比べたら2倍ぐらいの差があるのかな、ちょ っとはっきりしないですけど、それぐらい安い。やっぱりここにいるフィリピン人たちはフィリピンの家族 にも送金しているので、やっぱり資格持っていても、給料の大きい夜の仕事の方がいいとみんな考えている みたいです。 −47− 林: ただ、原田さんはちょっと特殊なケースだと思います。フィリピンの方で訪問介護に入っているのは 1%か2%だけで、98 %の方は施設にお勤めだと理解していただいた方がいいと思います。それだけこの方 は優秀なんだと思います。多分いまの訪問介護で、フィリピンの方が行かれて、受け入れてくれるというの はほとんどないと思います。 原田: でも、でもですね、ごめんなさい(笑) 、現在ほんっとに在宅の方で待っておられるお年寄り、ひと り暮らしでいる人たちは、どうするんですか。ほんとにもう現場の方も在宅まわってるヘルパーの方も少な いんです。いま施設の方しか考えてないんですけども、みんな待っておられるんで、在宅の方も是非、考え ていただきたいと思ってるんです。 林: すいません、頑張ります。(一同、笑い) 高畑: 施設より訪問介護の方が人手不足ということですね。 原田: はい、そうです。 高畑: 今日は名古屋からアナベルさんのお友達がいらしてます。アバンセ・コーポレーションのケアスク ールの卒業生で、「中部フィリピン介護協会」というのが出来たそうで、そちらから二人来られてるのでお話 いただけますか。 斉藤シェリー: みなさんはじめまして、斉藤シェリーと申します。アバンセ・コーポレーションの方でい ろいろ学んで、とても嬉しかったです。こういう資格はみなさんのフィリピン人の力と思って勉強しました。 最初はどういう風に介護士なるのか、 (途中で)やめるかなと思ったんですけど、ほんと悩んで(勉強)しま した。うちもおばあさんが家にいる。家族のために、子どものために、どうやってみんな生活できるか、と いうことが最初の気持ちです。そしたらだんだんみんなと仲良くなって、いろいろな夢があって、わたしと 同じフィリピン人でこうやってみんな頑張っているんで、嬉しいですね。フィリピンから介護士もこれから 来るんで、みんなも同じく力になるようにと思います。それがいちばん(だと思います) 。誇りがつまってる んで。 鈴木ジャネット: みなさんこんにちは、鈴木と申しま す。間嶋アナベルさんのお姉さんです(笑)。わたしは これまでは夜はお店に行っていました。最初に介護の勉 強をした妹(アナベルさんのこと)からいろいろ話を聞 いていて、誘ってもらって、第二期生として勉強して資 格をとりました。認知症の施設で働いてまだ1週間です。 ただほんと、いろいろたいへんで、今の施設はわたしが 初めてのフィリピン人です。100 人ほど入院していて、 わたしはいま2階で 60 人の認知症と痴呆の人を(担当 −48− しています)。やっぱり漢字が難しくて、でも職場の人がサポートしてくれるので助かります。漢字とか仕事 のことでいろいろ質問します。ありがとうございます。 高畑: 林: ありがとうございます。次に、教材についての質問がいくつかあったと思いますが。 教材は日本の教材を使えという指示ですが、講師の先生方は非常に困っておられます。あんな分厚い ものをフィリピンの人に急に教えたって分かるわけないし、日本語が読めるわけでもないので、重要なもの だけを選んで教えるようにしています。しかし何が重要かというのも難しいです。施設といっても、特別養 護老人ホームもあればグループホームもあり、もっと症状の軽い人と接するところもある。訪問看護もある。 その時々によってニーズが違うわけです。その人が社会に出て本当に役立つことを教えているのか、教える 側が疑問をもっています。時間数が足りないし、教える側の悩みは深いです。 篠沢: 『フィリピン人学習者に日本語を教えてどんな問題がありましたか。どんな教材を使用しています か。どの程度の日本語達成度が望ましいと考えていますか』という御質問を栃木さんという方からいただき ました。ヘルパー講座で必要なことは、日本語ではなく概論や保険の知識や実習です。極端にいえば、何も 分からずに講座を 130 時間ずっと眠って座っていても、終わったら終了証が渡され、資格がとれてしまう。 (ヘルパー講座を始めるにあたって)いろいろ議論しまして、その頃は日本語と介護を結びつけるような 教科書は何もありませんでしたので、講師たちにヒアリングして、よく使う介護用語にふり仮名をふって単 語帳をつくり、受講生に配りました。フィリピン人だけのクラスだと、板書で読めない文字があると積極的 に質問し、講師はふり仮名をふるようになりました。また講師は顔を見れば受講生の理解度はすぐに分かる ので、理解している人に「あなた悪いけど説明してあげて」と指示し、タガログ語で受講生同士で説明が行 われます。ところが、津田沼で日本人にフィリピン人が数人混じったクラスを開講したことがありましたが、 そのときはフィリピン人受講生から全く質問が出ませんでした。後で聞くと「恥ずかしい」 「授業の進行が遅 れるからみんなに悪い」という理由でした。その後は、必ずフィリピン人だけのクラス編成にしました。 日本語の教科書がないので、例えば国際交流基金が使っている教科書を利用して、自己紹介や挨拶などの 基本事項を、介護施設の状況に置換えて教えています。「おじいさんおばあさん」と言わずに「利用者さん」 と言う、などは日本語の先生の方が勉強してやってくれてます。僕たちのケアスクールでは、日本語は一日 の終わりに復習という意味で1時間か1時間半やっています。林さんの所でもそうだと先ほど伺いましたが、 申し送りに必要な読み書きの部分をコンパクトにして、文例を出してそのまま暗記してもらったりノートに 書いてもらったりしています。 望ましい日本語の達成目標については模索しています。在日フィリピン人の方は基本的には話す聞くは非 常に上手ですが、読み書き、あるいは介護分野の用語まで母国で訓練を受けた人は割合でいうとかなり少な いのです。しかし学ぶ機会があればとても熱心です。クラスの中でリーダーが出てきて分からない人に教え る、フィリピン人だけのクラスだと必ずそうなります。小型の IC 辞書を持っている人もいますし、また面 白いのは、今は携帯電話を辞書代わりに、例えば「かいご」と入力して「介護」という漢字を出すんです。 デジタル文字なので、それを見て書いた「護」の中がちょっとごちゃごちゃしているような(笑)そういう こともありますが、僕としてはそれで伝わるならいいと思います。FTA で条件とされている日本語検定2級 は本当に必要なのか、とても疑問に思います。 −49− 高畑: 先ほど林さんの御報告にもありました、日本語は入り口ではなくて出口でとおっしゃったのと関連 するかなと思います。介護の勉強をする中での日本語の勉強は難しいですよね。経験者のお二人はいかがで すか。 原田: わたしの場合は先に日本語を勉強して、日本語能力試験2級まで受かって、それからヘルパー2級 の資格をとりました。それでも、日本語2級を受かっていても、まだ漢字とかはたいへん難しいんです。わ たしの場合は在宅なので仕事が終わったあとに、家族の方にも連絡ノートを書かないといけない。わたしが 何をしたか、利用者さんはその1時間の間どういう風に過ごしたか、それを全部。ヘルパーの連絡ノートだ けやったら簡単に書けるんですけど、家族の方だと丁寧な言葉で書かないといけないし・・・。だからさっ きもお話あったんですけど、携帯で漢字の変換を、内緒で(笑)やってるんです。 林: みなさん、そうだ。(笑) 原田: そうです、はい(笑)。でもたまに、あの、変換しても何個か出てくるんですよね、どれを書いたら いいか分からないときもあるんですね(笑) 。そのときは利用者さんに「すいません、これは何と書いたらい いんですか」と聞いて教えてもらってます。ヘルパー2級の勉強の時は、主人にテキストの漢字にひらがな を書いてもらったりとか、テキストの内容をインターネットで調べて先に英語で読んでから、日本語で読ん で理解したりしていました。 間嶋: 勉強中はいつも辞書を持ってます。最初は読み方がわからないけれど、先生は例えば「介護」と書 いてある上にひらがなで書いて、横に英語で意味を書いてくれる。今もそうやってます。仕事で看護師さん たちとのミーティングがあります。レポートを書くときが、わたしもまだ、一番難しい、たいへんだと思い ます。ひらがなでいいかな、漢字でいいかなと(迷います)。でも 60 人の老人たちのお名前は全部、漢字で 書いてます。ちゃんと、横に書いてありますから、毎日書くとだんだん覚えて、見なくても書けます。でも たまに忘れたときは覗くけれど(笑) 。昨日やったこと今日やったこと、申し送りのレポートで毎日のことは ほとんどは同じでしょうね、だから毎日見て覚えます。それからどうやって専門の言葉を使うかな、と思い ます。例えば「薬を塗りました」というのは何か専門じゃないみたいね、と思って、一度先生に聞いたら 「塗布」というんですね。「塗りました」と「塗布しました」は全然違う。それが欲しいんですよね。やっぱ り、せっかくこういう仕事ですから言葉の使い方も専門になりたいですよね、そういう本が欲しいです。お 願いします。 高畑: 介護講座の中での日本語教育の問題が出てきました。『介護の日本語』というテキストがあります。 名古屋のアバンセさんでも使っておられますよね。それをつくられた方が来られてますので、コメントいた だければと思います。(編集注:日本フィリピンボランティア協会編『介護の日本語』日本フィリピンボランティア協 会、2005 年) 栃木: どうもはじめまして。日本フィリピンボランティア協会の事務局スタッフの栃木と申します。先ほ −50− ど御紹介いただきました『介護の日本語』は、ボランティア体験スタ ッフとしてフィリピン人を3年前から東京のある老人ホームに定期的 に受け入れていただいて、そこで老人ホームの日本人スタッフが、フ ィリピン人を受け入れて実際にどのような日本語が必要になったか、 という実践の立場から会話の形でつくらせていただいたものです。例 えば朝起きてからお年寄りとどういう会話を交わすのか、おむつを介 助するときや、お風呂に入れるときにどういう言葉をかけるか、利用 者さんとフィリピン人介護士のコミュニケーションの形を9場面ぐら いつくりました。 私は白百合女子大学で日本語を専門として勉強しておりますので、 日本語の立場からのコメントになりますが、介護士の日本語は「特定 分野の日本語 Japanese for Specific Purposes」というカテゴリーに 入ると思います。日本語教育の立場からも、フィリピン人介護スタッフにどのような日本語を学習させるか、 その方向での今後の研究が必要だと思いました。 高畑: 龍谷大学の田尻先生から、一言コメントいただきたいと思います。 田尻 * : わたしはインドネシアに関わっていますが、非漢字圏の方々への日本語教育のノウハウの蓄積は、 かなりたくさんあるんです。さっき(国際交流)基金の日本語教科書を使っておられると聞いて愕然とした んですけど、古すぎる。われわれが持っているものがあるのに接触がないのが問題で、こういう場に積極的 に出て行かなきゃならないと思いました。例えば『漢字 500』という比較的スタンダードな本があるんです が、その介護版をつくればいいし、それについての漢字のノウハウもあるんです。こういうことについて、 もっと積極的にお互いに言い合わなければならないだろうと思っています。わたしも外国人定住を日本語教 育の観点から見た本を出しています。(編集注:田尻英三・田中宏・吉野正・山西優二・山田泉著『外国人の定住と 日本語教育』ひつじ書房、2004 年)(* 編集注:田尻英三・龍谷大学経済学部教授。日本語教育学、日本語学(方言)、イ ンドネシア語学。) さっき林さんがおっしゃったように、子どもたちの問題が絶対的に大きな問題で、在日外国人の話をする ときに欠かせない。いま宇治市で中国人の子どもを教えていますが、日本語も中国語もできない子どもたち が相当増えていて、そのまま進学できずに不登校になっていくという、つらい現実があります。もっといろ んな立場からできることがあると思います。日本語を一応プロとしてやってますので、学内も含めて、もっ と横の形でふつうに話せる場ができたらなと思っております。 篠沢: 今のお話、非常にありがたいと思います。在日フィリピン人が介護士として育っていくというのは 初めてのことです。わたしのところだけで出来ることもありますが、限られているんです。例えばヘルパー 講座を主宰できる会社を探して提携します。今度は日本語学校の先生と契約して、月水金と一ヶ月間来てい ただいて、しかし先生が何人か変わると途中で派遣みたいなことは出来ないと言われたりします。もう少し 公的なプロジェクトにして、そこに日本語講師、介護施設、フィリピン・コミュニティをよく知っている人 たち、大使館や厚生労働省なども参加してくるような形にすることが必要だと思います。先ほどの『介護の −51− 日本語』、僕も最初に買わせていただいて「こういう本も出来たからこれでお願いします」と日本語の先生に 言ったら、 「自分たちは今までのテキストでずっとやってきたから」と言われてしまったことがあったんです。 これを機会に、それぞれの方面のプロの方、エキスパートの方の御意見を持ち寄って、新しいプロジェクト、 なにか横断的な試みが現場も含めて進めばいいなと思っています。今日は、実はそのために東京から来たよ うなものです。 高畑: 林: ありがとうございます。頂いた質問の中で時給や階層化に関するものがありました。 御質問に『今後外国人労働者が増えてきたときに、階層化がおこる可能性はないのでしょうか』とあ ります。これはもう、階層化は起こり得る問題だと思います。施設長さんは非常に前向きに、スキルやサー ビスの質などで対応を考えておられますが、オーナーさんは、これから介護保険財政が苦しくなって経営が 大変だから、ある程度は「冷やし玉」がいるよという考え方を明確にお持ちです。日本人の今の賃金をどう 維持するかという考え方で経営者がいる限りは、階層化は避けられないと思います。 次の御質問は『在日フィリピン人の介護人材養成事業はコミュニティ・ビジネスとのことですが、なぜ在 日フィリピン人向けなのでしょうか』ということですが、これは別に限定しているわけではなく、私どもの 事業ではブラジル人の方もおられます。ただ(受講者の国籍を)広げることができないのは通訳の必要があ るからです。講師の先生に加えてフリーの通訳さんがフォローしないと、日本語のスキルがみなさん違うの で、同じように授業進めると必ずついて来れない人が出てくるものですから。どうしても特定の国にまとめ て授業をしないと、さっき篠沢さんがおっしゃったような問題も含めて起こりますので。 『施設への紹介や派遣の際、時給など給与は日本人と同額なのでしょうか』という御質問。紹介予定派遣 の場合には、受入れ施設の職員とまったく同額です。ただ、われわれもまだ始めたばっかりですので、職能 給などいろんな制度をとっておられるところでは、2年、3年先どうなるかわからない部分があります。そ れは施設側がお考えになることなので。 『FTA も含めて今後さまざまな業種での外国人労働者の受け入れについて今後どのようになるとお考えで すか』という御質問。FTA で入ってくるのが 200 人だといいますが、外国人登録者数を見れば日系人だけで 30 万人ぐらい、研修生も7万人、(すでに日本には)いろんな人がいっぱいおるのに正面のドアからの 200 人だけでどうしてこんなに議論になるのか、不思議な話です。私の本業の方の話になりますが、例えばトヨ タ自動車は期間工などの形でも外国人は一人も使わないし、一次下請けでも急速に日系人・外国人は減って います。ところが二次三次下請けではすさまじい勢いで増えています。四次下請けまでいくと、いま研修生 と合法的じゃない労働者まで増えてきています。それはなぜか。会社の利益とは基本的に、売上げが左に立 てば右には経費が立ち、経費の中には仕入れ・諸経費・人件費があり(売上げから経費を引いた)残りが利 益です。しかし仕入れの部分で調整できる企業は一次下請けレベルまでで、二次下請け以降は総額人件費を 下げて利益を出そうとするんです。そうなると二次三次下請けで日系人が、四次下請けで研修生が増えるの は当たり前なんです。いまのような形で外国人を呼ぶ仕組みがあり、経営者もその仕組みをよく理解し、な おかつモノづくりのサプライチェーンと経営倫理やコンプライアンスのサプライチェーンは別だと考えてい る限りは、この構図はたぶん消えないと思います。介護施設の中でも同じ構図をもってくる可能性は非常に 高いと思っています。同じ(労働者)単価を維持するためには、法的な制約や中間業者が入らないようにす るなど、いろんな仕組みを考えないと難しいと思います。別にトヨタが特別悪いわけじゃないんですよ、も −52− っと悪いとこもあるかもしれんけどね(笑) 、でも社会保険やコンプライアンスの部分を下請けに乗せちゃっ て、これは請負・人材派遣業者の問題だよと上手く処理する仕組みをつくっちゃっている以上は・・・。四 次下請けのレベルで不法就労者や研修生が増えているということは、最低賃金でも受けられないような仕事 がそこで増えているということなんです。さまざまな業種での外国人労働者の受け入れ、この点については たくさん議論しなければならないんですが、とにかくこの構造が変わらない限り、階層化はおこるというの が実際に関わっていての実感です。 高畑: 最後に安里さんから FTA 関係の質問にまとめてお答えいただきたいと思います。 安里: 外国人労働者を受け入れることによって生じる階層化ですが、これは受け入れ制度がどのようにな るかによって大きく影響されるでしょう。外務省に電話で問い合わせたところ、受け入れ方法についてはま だ決まっていない点が多いとのことでした。おそらく受け入れ団体が未だ決定されていないというところに 理由があると思います。受け入れ団体がどのような利害を反映しているかによって、フィリピン人看護師・ 介護士の位置づけは大きく異なるでしょう。受け入れ団体という極めて重要な点に関しては、どうも政府は ノータッチのようです。 FTA による受け入れ数は看護師と介護士 100 人ずつとか 200 人ずつとかいろいろ言われていますが人数は まだ決まっていません。労働力移動は FTA における問題の一部でしかありませんから、これだけで FTA 交 渉全体が停滞しているとは思えませんが、フィリピン政府と日本政府は人数をめぐって大きな隔たりがある のは間違いないと思います。 わたし自身よく受ける質問の1つに、 『フィリピンの医療状況は頭脳流出でどんどん悪化しているのに、日 本の都合でフィリピン人看護師・介護士を導入することについてどう思いますか』というのがあります。こ ういった構造をめぐる問題については、私自身矛盾を抱えています。ただフィリピン、シンガポール、香港、 台湾どこに行ってもフィリピン人が私に聞いてくるのは、 「日本はなぜフィリピン人を受け入れてくれないん ですか」ということです。 「日本で働きたい、行ってみたい」と、まあ最終的にはアメリカに行きたい人が多 いんですが、「何で日本は開けてくれないんですか」という質問をほんとによく受けます。 また受け入れ国である香港やシンガポールの雇用主がよく指摘するのは、 「これは働きたい側と人材が欲し い側の双方に利点があるウィンウィン(win-win)の政策だ」という意見です。おそらく、働きたいと思っ ているフィリピン人、あるいは win-win だと感じている香港やシンガポールの雇用主と、受け入れが倫理的 に好ましくないと考える意見には違いがあるかもしれませんが、こうした意見も多く存在することを指摘し たいと思います。 今の FTA を契機とする経済再編の枠組みでは、勝ち組と負け組が出てきます。例えば東南アジアのデト ロイトを目指すタイ、あるいはマレーシアでは企業の受け入れが進む一方、インドネシアとフィリピンは苦 戦するでしょう。その中でフィリピンはどうやって雇用を確保し貧困を削減していくのか、ということが大 きな問題となります。その戦略のひとつが「人の送り出し」です。社会的コストが非常に大きいことは政府 も認識していますが、すでに送り出しの長い経験があります。インドネシアやベトナムが送り出しを積極的 に始める中で、フィリピンは送り出し人材の「高度化」を図ることを戦略として位置づけています。 例えば、わたしたちは価格の安いフィリピンのバナナ、パイナップル、ヤシ油を消費して生きていかざる を得ないという構造の中でいます。そして今度は人が足りないからフィリピン人を連れてこようとしていま −53− す。アロヨ大統領の提案とはいえ、都合がよすぎる考え方かもしれない。しかし矛盾の中で生きざるを得な いわたしたちが、フィリピン人労働者を受け入れるとき、それを矛盾の拡大として容認しながら受け入れ制 度を作っていくのか、それとも矛盾の解消の1つの手立てとして受け入れを考えるのかが問われていると思 います。現在、外国人労働者の導入については、 「安かろう、悪かろう」のイメージで語られることが多くあ ります。今回受け入れられるフィリピン人の多くは看護師の有資格者です。このような人材をどのように活 用するのかは、受け入れ制度にかかっています。受け入れが決まったからには、各国の経験から学んで、よ りよい受け入れ制度を作るための議論を始める必要があるのではないかと思っています。制度設計について、 日本は後発性の利益を得る立場にあります。 フィリピンの医療事情がよくないことについては、わたし自身フィリピンのボホールという田舎に住んで いたのでよくわかります(笑) 。賃金を上げれば流出は防げるという考えもありますが、おそらく上手くいか ないでしょう。フィリピンの問題は短期出稼ぎを人的資本の蓄積として捉え、労働者の帰国後システムの中 で位置づけられないことに、制度上の問題があります。出稼ぎがなくなれば、フィリピンの医療事情が好転 するというものではありません。 斡旋料について御質問をいただきました。シンガポール、台湾、香港では、斡旋料が受け入れ国の期待賃 金の大体7ヵ月分というように、実際のコストとは関係なく成立していると私はみています。斡旋料の内訳 は訓練費用・航空チケット代などとなっていますが、受け入れ国の期待賃金と斡旋料が比例するということ は、コスト積み上げではなくて、これだけの斡旋料を取っても送り出しに支障はないというように市場原理 で決まったものと考えられます。 『介護の女性化についてどういう風に考えたらよろしいのでしょうか』という御質問。これまで介護・育 児は女性が無償で、しかも自分のキャリアを犠牲にして行なってきました。ひとつの解決策として、2000 年 の介護保険の施行による介護の社会化があったと理解できます。ただし介護労働者の低賃金という問題は残 されたままです。製造業の場合、機械化などの技術革新によって生産性が上昇し、賃金が改善されるといっ たことがあります。しかし介護の場合は事情が異なります。一人で機械を操作してボタンを押したら 100 人 の介護ができるような状況でも来ない限り大幅な生産性の向上は見込めない。つまり、介護労働は労働集約 的で、生産性の向上が困難な職種なわけです。そこで政府による所得の再分配が求められるわけですが、逆 ピラミッド型の人口構成はそれを困難なものとしているわけです。 田尻: 質問ですが、看護や介護の試験の問題文は、ふつうに習っている日本語と違いますでしょう? 試験 問題の日本語ってへんな日本語が多くて(笑)実際に使う日本語とは違うので、変えていかなければならな いと考えています。その点で苦労話があったら教えてください。試験用の日本語の勉強をどこでされました か? 原田: 舞鶴でシスターたちのボランティアの教室で日本語を教えてもらってるんです。それでも十二年目 にしてやっと(笑)日本語能力検定2級がとれたんですけれども。そんなに簡単なもんじゃないです。来年 の1、2月に介護福祉士の試験を受けるので、こないだ問題集を買ってきたんですけど、全然、分かりませ ん(笑)。介護福祉士用の英語の本はないかと、いまちょっと探してるんですけど、もしあったらお願いしま す。 −54− 田尻:もうほんとに、以前インドネシア人で焼物を判定する人の日本語を頼まれたときと全く同じです。一 定数の外国人が入ってくるならば、こういう試験の日本語をわかりやすいものにしなければならない、これ は日本人にとってもいいことなんですね。日本語能力検定も難しい試験ですが、これと介護分野の試験の日 本語とは全く違う。 原田: はい、全然違います。 田尻: そういうことを言い続けなければならないと自分も思います。もしかしたらこちら側の責任かもし れません。日本語勉強しても試験に通らない、なぜなら教えているものが違うから、ということになる。も しかするとわたし、教育現場も含めて、みんなを敵にまわそうとしているんですけれども・・・(笑) 。教育 の日本語は少しいびつな日本語だと思ってますので、そういうご苦労があったのではないかと質問しました。 ありがとうございました。 篠沢: 介護の分野では英語を使うことも多いようなんですが、ヘルパー2級をとって実習に出たフィリピ ン人からよく出る意見として、そのカタカナ英語も一緒に日本語として教えてほしいというのです。そうい う語彙は日本語辞書にも出てないし、学ぶ機会もない。日本人の介護士さん看護師さんは、フィリピン人だ から英語の方が分かりやすいだろうという親切心から使うのでしょうが、かえって意味が伝わらない。在日 外国人のための日本語というのは、これまでの日本語教育とは全く違うものではないでしょうか。 玉置 * : 今日のテーマからやや外れるかもしれませんが、根源的に介護というものをどう考えるかという 問いです。受け入れる以上はよいシステムをという安里さんの意見に同感ですし、介護現場の人のやりがい があるという声にも共感しました。しかしだからといって、受け入れシステムさえよければ、これから介護 がどんどん外国人、フィリピン人に任されていくという方向だけでいいのでしょうか。日本人の若者のモチ ベーション(動機づけ)も生まれさせて、日本人も一緒に介護現場で働いていくようなシステムをつくるこ とも同時に考えていかないといけないのではないでしょうか。(* 編集注:玉置 泰明・静岡県立大学大学院教授。 社会人類学。) 林: 介護というものをひとくくりに考えることに問題があると思います。在宅、デイケア、これから普及 してくる小規模多機能、特別養護老人ホーム、療養型、と多様化しているので、外国人にどこの部分に参加 してもらえるのかということです。在宅に近い形での外国人の参加には、日本人はまだ抵抗が強いです。わ れわれがあちこちへ相談に伺ってもですね、 「じいちゃんと仲良うなったら困る」とかいろんな話が出てきま すからね、 (外国人介護労働者に対する理解は)やっぱりまだそのレベルなんです。施設で、とくに特別養護 老人ホームのような介護度の高い人たちならばまあ納得してくれるんじゃない、とそんな感じです。これか らのわれわれの挑戦の具合、そしてフィリピン人の方々の頑張り具合によって、いろんな職域の中に馴染ん でくるとは思います。まだまだこれからということで理解していただく方がいいと思います。 上野: 介護の根本的な部分の考え方はここ 10 年で大きく変わってきました。しかしこれから外国人労働者 の参入を考えるにあたって、おっしゃるように、単に二層化してしんどい部分は外国人におまかせ、少子高 −55− 齢化して人材不足の部分は外国人におまかせ、という考え方では先々のことを考えるとだめだと思います。 私どもの成光苑では日本人も外国人も同じ場面で養成しています。例えばフィリピン人労働者がうちの施設 に入ってきたときには、彼女たちのモチベーションの高さや介護に対する考え方、―もちろん彼女達には (外国で)働かないといけないという厳しい状況もあるのですが―それによって今の職場に風穴を開けてい ただきたいという期待があります。 (外国人との)共存ということも含めて、日本人職員もグローバルな視点 をもって、自分達がこれまで築き上げてきた介護の専門性はこれからどうなっていくんだろうか、あるいは 日本が積み上げてきた介護技術とフィリピンならフィリピンのホスピタリティに基づく介護技術とはどう違 うんだろうか、などいろんな考える材料があるので、介護現場を考え直すよいきっかけになると思います。 介護の世界はこれまで閉鎖的で、なかなか自分達のやり方を省みる機会がなかったことも否めません。国際 化も含めて視野を広げる機会としていただきたいと思います。 安里: 今回の FTA は日本の介護の将来像、あるいは就労のあり方を考え直す良いきっかけになると思い ます。例えば日本では 16 時間の勤務体制がありますが、海外ではさすがに 16 時間というのはほとんど聞い たことがありません。長時間勤務によって夜勤の回数を減らし、少数のスタッフでやりくりするための方策 です。厚生労働省は夜勤で賃金が増えるとか家族の団らんが増えると指摘していますが、私は労働者の使い 捨てだと思っています。 なお、外国人労働者の導入が介護を外国人に全面的にゆだねることにはならないと思います。1人の介護 には介護士・看護師、OT、PT、ソーシャルワーカーなど多くのスタッフが関与します。外国人労働者はそ の一端を担うということになるでしょう。今回の FTA をきっかけとして、日本の高齢社会のビジョンとと もに、働き方など外国人労働者だけに限らないより広範囲な議論ができればと思います。 間嶋: 私が仕事するときは、夜勤明け、休みという感じです。だから 16 時間でも、家に帰って、寝て、一 日また休んで、そういう感じです。 安里: そうですね。でもつらくないですか。働く人の福祉は高齢者の福祉と大きくつながっている。介護 とはそういう性質のものだと思います。 (編集注:この後、青木教授による議論の総括がありましたが、 紙幅の都合上、より詳しい分析・考察と合わせた論文「フィリピ ン人介護士さんとグローバリゼーションの時代」の所収をもって 代えさせていただきます。) 高畑: パネリストの皆さん、長い時間どうもありがと うございました。篠沢さんの方から御提案がありました ように、ケア人材の育成については、日本語教材づくり、 現場でのシステムづくりなどについて、様々な方の参加 が必要とされるのではないかと思います。その点で田尻先生の方から日本語教材の改訂について御提案いた だいたこともたいへん心強く、また在日外国人の人材育成や職業訓練などへもっと公的なサポートが得られ −56− るように、今後考えていけたらいいなと思います。 今日のシンポジウムは小規模でしたが、たくさんご参加いただきありがとうございました。いくつか問題 がなかったわけではございません。例えば、介護士を外国から受け入れることは必然という前提のもとに議 論していた点、また介護が女性の職場であることがあたかも当たり前のような話し方であった点、それはす なわち低賃金労働が正当化されかねない議論であった点、などなどいくつか問題があったかと思うのですが、 今日、御参加いただいた方々の力をあわせて、在日フィリピン人、そのコミュニティや職業がさらに発展し ていくよう、よりよいもの、より生き甲斐のあるものになるよう、広がっていったらいいかなと思います。 今日はどうもありがとうございました。 −57− エッセイ Essays Essays 介護分野における人材育成についての 外国人(フィリピン人)労働者の可能性 上 野 由香子 少子高齢化の進行、団塊の世代の要介護人口の増加が深刻な社会問題としてクローズアップされる中、介 護現場を担う介護スタッフの確保と育成については(介護現場における看護師等医療職も含む) 、私たち介護 福祉施設の管理者にとっては非常に悩ましく、かつ確実な懸案事項として直面を余儀なくされています。介 護保険制度施行以降、社会福祉法人以外の民間事業所参入が進み、不足する介護スタッフとして外国人労働 者の進出への期待も大きく、ここ数年は FTA の進展とともに次第に議論されるようになって参りました。 私は老人介護分野介護福祉施設の管理者としてのみでなく、一介護福祉士、社会福祉士として、また人材 育成に関わる者としてフィリピン人介護労働者の実務性を次の切り口で考えています。 1.不足する介護スタッフの量としての切り口 前述しましたが、私の印象としては介護福祉分野に関心を示し福祉分野以外の他職の専門職種からの介護 分野への転職組スタッフが増加した反面、主に介護を業とするケアワーカーやホームヘルパーの採用が、介 護保険導入以降確実に困難となっていると感じています。新規介護保険事業所が増加の一途を辿り、マンパ ワーの拡散・希釈化に拍車が掛かったこと、働き手側のニーズやモチベーションが多様化していること 等・・・、様々な理由があると思いますが、人が人を支える介護現場においては、極端な量の不足は質の不 足に直結します。 私が介護現場に足を踏み入れた 20 年前は、経験と技術に長けた先輩にご利用者お一人お一人に合った介護 方法を、毎日毎日手取り足取り叩き込まれたものですが、残念ながら現在の介護現場は、どこの施設も時間 的・マンパワーの量的に余裕がないのが現状です。ご利用者の命と尊厳をお預かりする介護現場の OJT(オ ン・ザ・ジョブ・トレーニング=職務を通じての研修)については、今までの育成の仕組みを根本から見直 す必要にも迫られています。 最近は介護サービスの個別化・ユニット化が進み、自立へむけた介護展開に向けてスタッフの増量を図り たいと考えている管理者も多いのですが、採用する意思があっても、その時々の現場ニーズに応じて「欲し い時に採用出来るスタッフが見つかりにくい」のも現状です。ご存知のように介護サービスはローテーショ ン勤務に支えられており、勤務時間や休日は変則的にならざるを得ないからです。その量的不足部分を外国 人労働者が担っていける可能性は大きく、更に労働力として「いつでも、どこでも、必要なだけ」提供でき るシステムを構築すれば、介護スタッフの量的不足で悩む事業所においては朗報となるのではと考えていま す。 2.介護サービスの質としての切り口 私事で恐縮ですが私は当法人内外の介護人材の育成に関わっており、訪問介護員要請事業の中で在日フィ リピン人ホームヘルパーも要請して参りました。その中で感じたことは、日本人ホームヘルパーと同じカリ −60− キュラムでは、在日フィリピン人ヘルパーの質の確保は難しいということです。在日年数にもよりますが文 化の違いや言葉のハンデは大きく、在日フィリピン人を短期間で一定量養成しようとするならば、別の仕組 みを早急に検討しなくてはなりません。もし日本の介護現場において、在日フィリピン人の提供する介護は 質が悪いと評価されれば今後の外国人介護労働者の普及の障害となるでしょうし、なにより私自身が、いち 介護福祉士として介護の「質」にはこだわりたい思いもあります。 それでは介護の「質」の中身とはなんでしょう。少し甘ったるい言い方をすれば、技術・知識はもとより、 介護に対する使命感であったり、モチベーションであったり、人間愛であったりするのではと考えます。言 い換えれば、入り口としてまず人が好きでなければ介護には適さないし、日本人でも介護に向かない人はた くさんいます。その上で育成や要請の次のステップには、どのような適正な目標を持たせるかを盛り込むこ とが大切になってきます。今まで知る限り、フィリピン人はキリスト教に基づいたホスピタリティに裏づけ された、社会的弱者に対する独自の使命感をもともと備えているように思います。また使命感だけでなく自 己の生き甲斐ややり甲斐に敏感に反応されます。 フィリピン人介護労働者を日本の介護現場で活躍させるためには、資格取得までのプロセスと現場での OJT 両方で、個別のプログラムとフォローアップにより日本の介護を解りやすく学んでもらいながら、日本 人介護労働者以上に介護経験や在日年数にあわせて適切で到達可能な目標を持たせ、ステップアップ・キャ リアアップの可能性を示唆することが必要だと考えています。 そのようなカリキュラムをどのように構築していくかが現在の課題で、その中身を検討するためには、介 護現場の現状を知る私達介護福祉施設関係者が、多くの専門家や関係機関の方々と情報交換や連携をとるこ と、地域でのネットワーク作りも重要となってきます。 確かに介護人材の量的・質的不足に直面している介護現場ではありますが、共に利用者の尊厳を守る者同 士としても、単なる外国人労働者の受け入れ先だけではだめだと考えます。受身ではなく積極的に課題や可 能性を提言したいと思っています。是非今回のシンポジウムがそのきっかけになることを期待しています。 3.その他国際交流や政治的手法としての切り口と介護福祉の基本姿勢 以上、介護現場の現状としての考察と私見を述べましたが、ここにはやはり人間の尊厳を最も重きものと する「介護福祉分野」であるからこそ、ノーマライゼーションの原則に基づいた外国人労働者の人権を尊重 する視点、職場環境の整備、地域社会への啓蒙活動等をおろそかにしない基本姿勢を、 (自分自身のスタンス も含み)内外に先ず問いたいと思います。 人口の年齢構成や人類発展のための資源の保有率等を地球規模で考えた時、福祉分野もグローバル化や共 助体制を進めていかなければならない時代に突入していると言って過言でないのでしょう。また、ひと(労 働力)の移動は今も昔も政治的手法や国際交流に大きく影響を与えてきました。今後も FTA の動向には目 が離せない介護福祉現場において、甘いことばかりを言っていられないことも承知しています。 しかし私たちの法人や施設が、日本社会のみならず国際社会に対してどのような理念やミッションを持ち、 どのように社会貢献への責務を果たしていくのかを十分に議論したうえで、フィリピン人介護労働者はまず 在日フィリピン人からソフトランディングで導入していきたいと考えています。すなわち、そのあたりの議 論が十分に成熟していない施設や事業所が、単に「珍しく、お手軽で、安い」労働力としてフィリピン人を 雇用しようとする時、必ず介護福祉事業所の品位を堕落させる結果になるのではと危惧しているからです。 そのあたりの第三者的なチェック機関も必要です。今回のようなシンポジウムを機会に、私たち介護サービ −61− ス提供事業所は外国人労働者について、もっと勉強し議論しなくてはならないし、普及に適した育成、研修、 職場環境等の整備も含み、啓蒙・啓発活動も必要だと思っています。 昨今、介護の一部機械化や介護現場の多重層化・合理化が進んでいますが、最後のところでは、 「ひと」が そのぬくもりをもって関わらなくてはならないのが「介護福祉分野」であることは明らかなことです。同じ 地球上に生活する人間同士として比日両国間で「今、少し力を貸して下さいね」と友好的に交流できること を心より希望しています。 (2005 年 11 月 19 日) −62− 間嶋アナベルさんインタビュー 聞き手:マリア・レイナルース・ D ・カルロス 1.お仕事の内容について 今、私は夜勤の仕事をしています。それは、午後4時から翌日の午前 10 時までです。まず、施設に着いた ら、当日に使うものを用意します。例えば、オムツやお茶ポットなどです。その後、他のスタッフと引継ぎ の会議をして、オムツの交換やお食事の介助、洗濯物の収集、巡回、体位交換、使うものの消毒などなどで す。忙しいですよ。通常は2人の日本人と働き、彼らと交代で仮眠を2時間ずつ取ります。朝6時ぐらいに みんなを起こしてお食事の介助をします。そして、朝に出勤するスタッフと引継ぎ会議をして、10 時までに 全部のお仕事を終わらなければなりません。忙しいですが少しずつ慣れてきましたよ。お年寄りを相手にす るのは苦と思いません。なぜなら、私はフィリピンでも兄弟たちや兄弟の子供たちの面倒をよく見ていたか らです。また、主人の母親や主人のことも私が面倒を見たいと思っています。 2.日本人のご主人や彼の親戚の貴方のお仕事に対する考えについて 私の主人は結構私の好きなようにやらせてくれます。10 年間もスナックで働くのも許してくれました。ホ ームヘルパーの勉強をしたいと彼に打ち明けたとき、彼は「お年寄りを相手にするのは難しく、急に怒った り、わがままを言ったりするので大変ですよ」と言いました。でも、彼は私が今の仕事に頑張っていて、 時々テレビや新聞に出たりする姿を見て、直接には言わないが、私を誇りに思っていると感じます。 今はもう大丈夫ですが、施設で働き始めたとき、私がお給料をもらい社会保険や年金にも加入できたこと は少し不安だったみたいです。つまり、私がスナックで働いていたときは、税金も社会保険料も年金も払い ませんでした。彼に頼っていました。私はこれから経済的に独立できそうなので嬉しいですよ。 3.介護労働者として、在日フィリピン人ではなく、直接フィリピンから来た介護士の方が良いとの意見について 今の施設では、外国人介護士の「欠勤」が問題になっています。つまり、家族の誰かが急に病気になった とか、子供の学校での行事、疲労などを理由に休んでしまいます。しかし、施設では人材が不足し、急にス ケジュールを変えるのは無理ですよ。また、何人かのフィリピン人介護士は他のお仕事(夜のお仕事)もし ています。そうすると、どうしても家族優先で、また、介護士の仕事をしなくても良いでしょう? 介護士の 仕事に集中できないし、そのインセンティブも少ない。雇う側にとってそれは不安定な労働力でしょう。フ ィリピンから直接来ると、ほとんどの場合、家族をフィリピンに残して日本に来ますので、家族の「邪魔」 もないし、介護の仕事に専念できます。彼らはなるべく日本にいる間にたくさん稼ぎたいので残業も OK で しょう。 ただ、彼らは日本語能力が不足しているし、日本のやり方・習慣に慣れるまで大変でしょう。なので、最 初は施設で単純な仕事(シーツ交換や洗濯、物干し)でも良いと思います。そして、働きながら日本語の勉 強や日本のホームヘルパーの資格を取る。途中であきらめないことが大事です。 −63− 4.在日フィリピン人たちの介護職に対する考えについて 私の周りには日本人と結婚し長く日本に住んでいて夜にお仕事するフィリピン人女性は多いですが、たぶ ん彼女たちはホームヘルパーになるのは難しいです。彼女たちはお客さんにお酒を注いだり、飲んだり食べ たりして、一日4時間働いて1万円もらえます。一方、施設で働くなら、仕事がハードだし、夜勤もあり一 時間 1,000 円程度です。そうすると若いうちに楽で給料も多い方を選ぶでしょう。彼女たちが考えていない のは、夜のお仕事は不安定で年をとるにつれて難しくなることです。長期的に安定している介護職の方が私 はいいと思いますが・・・。 5.介護職に就いて嬉しいこと いろいろありますよ。「お仕事は?」と聞かれるときに「介護施設の職員です」と誇りを持って言えます。 前はスナックで働いていますとなかなか誰にも言えませんでした。恥ずかしくて誰にも知らせませんでした。 日本人があまりやりたがらないお仕事をしていて、日本の社会に役に立っているなあと実感する場面もあり ます。私の腰が痛くて、行きつけのお医者さんに相談したら、私の現在の職業を聞かれました。老人ホーム ですと私が答えたら、そのお医者さんも嬉しくなり「頑張ってください」と励ましてくれて、また、私のカ ルテの職業の欄の「スナック」を消して「介護者」と書きました。嬉しかったです。 もう一つは、私の頑張る姿を見たフィリピン人の仲間が介護職に興味を持つようになったことです。ホー ムヘルパーの勉強を始めたときは、時間やお金、エネルギーの無駄だと言われましたが。 6.将来の目標について 私はたくさん勉強したいです。特に専門用語やホームヘルパー1級の勉強に力を入れたいと思います。ま た、今の施設での仕事に自信がついたら訪問介護もやってみたいです。 日本語については、私は2人の利用者さんを担当しており、その方々についてのレポートを書かなければ なりません。そのレポートはある程度詳しくないといけません。例えば、単に「利用者さんは嬉しいです」 だけでなく、なぜ嬉しくなったのか、どのようにその嬉しさを表情に表したのかも書かなければなりません。 また、今の施設で他のフィリピン人ホームヘルパーやケアマネージャーと定期的に勉強会をしたいと思っ ています。 (2005 年 12 月 23 日) −64− フィリピン人介護士さんと グローバリゼーションの時代 青 木 恵理子 はじめに 当小論の目的は、シンポジウムの概要をまとめ、日本におけるフィリピン人介護士の活躍という現象から、 現代という時代に光をあてることにある。フィリピン人介護士のスムーズな雇用や適応のためのノウハウに 関する示唆は、経験に裏付けられたパネリストや質疑応答の参加者のかたがたによって提出されている。こ のシンポジウムにおいて私が果たすべき役割は、フィリピン人介護士という具体的な問題を通して現代の抱 えている根本的な問題を浮き彫りにし、誰にとっても望ましい未来を実現するために私たちが見極めておか なければならないこと及びしなければならないことに関して、文化人類学と生活者という観点から示唆を提 示することである。 1.シンポジウムの概要 2005 年 11 月6日の日曜日に、京都駅に程近い京都キャンパスプラザで、「在日フィリピン人の介護人材養 成:現状と課題」というシンポジウムが開催された。予定人数を超える参加希望が寄せられ、その関心の高 さがうかがわれた。主催者に連なるものとして自画自賛になってしまいそうだが、シンポジウムは終始充実 した熱気溢れるものであった。6人のパネリストは、 「フィリピン人介護士の日本社会への参加」に関与する 多様な方々であり、フロアーの参加者もまた積極的な関心をもった多様な方々だった。以下にその概要をま とめよう。 パネリストのお話に先立ち、主催者のひとりであり、経済学を専門とする龍谷大学のカルロス先生から以 下の3点が問題提起された。 1.日本の介護労働の現状と将来への見通し 2.日本の介護労働市場へのフィリピン人の参入に次の3タイプあることの確認 ① FTA によるフィリピン人介護士の日本での雇用 ② 他産業から介護産業への日本人労働力転換に伴うフィリピン人による他産業労働の補填 ③ 在日フィリピン人介護士の雇用 3.在日フィリピン人が日本の介護労働をになうことに関する現状と問題点の主たるステーク・ホルダー の整理と各パネリストがお話いただくトピックの確認 パネリストのお話は経験に裏打ちされた説得力のあるものばかりだった。最初にお話いただいたのは、京 都府福知山で老人ホーム施設長をされている上野由香子さん。介護に関わってきた豊かな経験がその落ち着 いた物腰によく現れていた。在日フィリピン人を介護労働者として雇用することになる立場から、以下の3 点を主たる理由として雇用に前向きであると話された。 −65− 1.介護スタッフの不足。これは少子高齢化による絶対数の不足だけでなく、2000 年の介護保険導入以 後の介護の市場化にともない、介護保険事業所の乱立と介護労働者の帰属意識の低下により介護労働 供給の不確定性が高まったことにもよる。 2.よい人材であれば出身国などは関係ない。よい人材とは、高い技術と知識だけではなく、使命感、 モチベーション、事業所や利用者と継続的な関係を続けていこうとする責任感、人と関わるという意 味でのコミュニケーション能力を持った人材である。これらの点に関して、在日フィリピン人は優れ た人材である。にもかかわらず、日本社会とくに田舎では、 「夜の仕事」をしているなどの偏見が根強 いことは問題である。 3.FTA など介護サービス市場のグローバル化という流れの中で、(在日)フィリピン人は日本の介護 サービス市場にとって最も身近である。 2番目にお話いただいたのは、在日フィリピン商工会議所会頭であり、在日フィリピン人の方のためのヘ ルパー講座を主催されている東京にお住まいの篠沢純太さん。公私にわたってフィリピンに関わっておられ、 在日フィリピン人の方たちやそのコミュニティの将来を介護士という職業を通じて開くために親身にご尽力 されていることが、語り口や人柄からも伝わってきた。篠沢さんの活動は多岐にわたる。1996 年創刊のコミ ュニティ・マガジンの発行、フィリピン大使館やフィリピンの商工会議所との情報交換やビジネス等での連 携、『介護先進国フィリピン』という NHK ドキュメンタリーの作成など。篠沢さんはまた、関係者たちに 様々な形で働きかけることにより、FTA によってフィリピン人介護士が来日する場合に予想される問題を明 らかにし、フィリピン人介護士が日本で活躍できるようにするために熱心な取り組みをしてきた。両国民の 交流にかかわる長い経験から、FTA でフィリピン人介護士を受け入れる際に最も重要なことは、気候や文化 などの違いがあることをよく認識し、彼女たちに対して十分な生活のケアを保障してゆくことだと篠沢さん は指摘する。在日フィリピン人は、両国の言葉や文化を橋渡しする経験をもっているので、FTA によってフ ィリピンから来日する介護士をサポートする人々として大いに期待できる。彼女たちを対象として、試行錯 誤しながらヘルパー2級養成講座を開講し、かなりの数の有資格者を輩出してきた。介護士養成用の日本語 教材開発を含め養成システムの開発、在日フィリピン人介護士協会支援、日本側の福祉協会とフィリピンの 介護士養成現場との橋渡しなどに奮闘している。篠沢さんの活動は、どのようなことをしたら、介護労働へ のフィリピン人の参入を回路として、フィリピン人と日本人の交流が盛んになるかという視野の広い発想に 支えられている。 3番目の話し手は、名古屋で人材派遣会社を経営し、在日外国人を対象としたヘルパー養成講座を開講し てきた林隆春さん。養成講座開講を人権活動や定住支援の一環、在日外国人社会を育ててゆくためのコミュ ニティ・ビジネスと位置づけている。日本における外国人労働者の増加は、1990 年の入管法の改正を節目と している。その時期はバブル経済の崩壊と重なっている。その後、企業は経営立て直しのために人件費削減 を強力に推し進め、リストラおよび派遣労働者・フリーター・ニートの増加、人材派遣会社の急成長の時代 が到来しそれが現在まで続いている。さらに、1999 年ごろから若年労働者が減少することと呼応して、人材 派遣会社は非正規採用という形で使い捨てしやすい外国人労働者へと目を向けるようになり、2000 年あたり から急激に外国人労働者が増えてきた。そのような現状のなかで、CSR(企業の社会的責任)を省みる人材 派遣会社はほとんどない。しかし、外国人労働者の子どもたちの不就学率の高さに典型的に現れているよう に、彼らの将来は開かれていないことはあきらかである。今後、彼らを労働力としてだけではなく生活者と −66− して受容し、同化ではなく共生を可能にするような取り組みが必要である。林さんは、人材派遣会社を経営 してきたからこそ養われた批判的視点から、グローバリゼーションの時代における日本の労働市場のありか たを、在日外国人を含む日本社会の将来にかかわる問題と位置づけている。そのような視点から、ヘルパー 養成講座開講とその改善を目指して奮闘している様子がつたわってきた。人材派遣会社というと、企業利益 優先、使い捨ての労働力の供給源というマイナスのイメージが付きまといがちであるが、時代を見据えた現 状への鋭い批判に基づき、企業人として CSR を自問しながら、共生社会を目指した柔軟な活動を粘り強く 続けている林さんに感銘を受けたのは私ばかりではない。 4番目と5番目にお話いただいたのは、日本で既に介護の仕事に携わっている在日フィリピン女性の原田 マリアフェさんと間嶋アナベルさん。ともに 30 歳代。原田マリアフェさんは現在、訪問介護事業所でサービ ス提供責任者をしている。ヘルパーになった当初は、外国人ということでご本人と利用者双方に生じる不安 を取り除くために、コミュニケーションがとれるよう努力した。ひとり暮らしのお年寄りの寂しさに寄り添 うよう心がけている様子がよく分かった。原田マリアフェさんは、フィリピン人が介護する場合に問題とな るのは、習慣と言葉であると指摘している。現在は、介護士1級講座を受講し、2006 年1月には介護福祉士 の資格試験にも挑戦する計画をもつなど、介護という仕事に生きがいと誇りと楽しみを見出している様子が よくわかった。間嶋アナベルさんは、2005 年6月にホームヘルパーの資格をとり、特別養護老人ホームで、 夜間専門 16 時間勤務の仕事をしている。個人的な経験から、弱い人たちのために働きたいと思うようになり、 上述の林さんの開講しているヘルパー養成講座で資格をとった。その勉強のプロセスのなかで、自らの知識 が広がり、成長していることを実感しとても嬉しかったとのこと。介護の仕事は、今までしてきた工場労働 とはことなり、心のかよった仕事であるので、また日本人の下で働くのではなく、対等な協力関係のなかで 働くことができるので、責任とやりがいを感じる。今後、FTA によって、フィリピンから来る看護師・介護 士と一緒に働くことを楽しみにしていると述べた。間嶋アナベルさんも、介護の仕事に携わるには、日本の 文化と言葉を知ることが重要であると指摘している。原田マリアフェさんと間嶋アナベルさんに共通してい る暖かい人柄と介護職への誇りはとても印象深い。 パネリストの最後を飾ったのは、外国人出稼ぎ労働者問題を研究している安里和晃さん。まず、現在、 様々な理由による介護の需要増加と供給不足が、介護市場のグローバル化を必然的にもたらしていることを 指摘し、FTA によるフィリピン人介護士の日本で将来的な活躍はその一環であると位置づけた。このような グローバル化・国際商品化・外部化がみられるのは介護だけではなく、介護同様、長い間女性が家庭のなか で行なってきた家事・育児についてもいえる。保険制度などが発達していないアジア NIEs 諸国では、介 護・育児・家事の多くが、NIEs 以外のアジア諸国からの出稼ぎ者によって担われている。介護労働は、植 民地主義の歴史を通して生じたエスニックマイノリティや難民にとってアクセスしやすい労働である点で経 済だけでなく政治的な状況も反映しているといえる。 安里さんは、台湾とシンガポールの詳細な例を紹介しながら、日本における介護労働のグローバル化が本 格化したときに予想される事態をシミュレートし、日本における望ましいシステムを作ってゆくうえでの以 下のような留意点を示唆した。 1.指示系統の末端である介護士の年齢が低いほうが、仕事がスムーズにおこなわれる傾向がある。海 外からの介護士は若年の人が多いと予想されるのでのぞましい労働力といえるだろう。 2.外国人介護士を雇用する場合に雇用者および使用者が支払うのは賃金だけではなく、税金、生活費、 斡旋費、渡航費なども含むので、外国人介護士を導入するのが安上がりであると考えるのは幻想であ −67− る。 3.介護労働市場が急速に拡大しているので、介護労働の賃金が下がるとは必ずしもいえないが、労働 の階層化が起こる可能性はある。 4.FTA によって来日するフィリピン人介護士は単身であるので、家族のある在日フィリピン人介護士 とくらべると、労働力として柔軟である。しかし、FTA フィリピン人介護士であれ在日フィリピン人 介護士であれ、辛い経験があるのは当たり前であるので、それに対して耳を傾けていかなくてはなら ない。そのような点を省みないと外交問題にもなりかねない。 5.良好な人間関係を構築維持していくためのマネジメントが重要である。具体的には、限界ある言語 能力によって介護能力が阻害されないような手順のマニュアル化が必要である。FTA によって出稼ぎ に来るフィリピン人介護士にとって、在日フィリピン人は「メンター(mentor :相談相手)」のよう な役割を果たすことが期待できる。 安里さんが最後に強調したのも、言語の翻訳だけでなく文化の翻訳が必要であるということだった。 以上のようなパネリストのお話のあと、休憩を挟んで活発な質疑応答の時間がもたれた。質疑応答も含め シンポジウム全体の内容やそれを支える諸前提を踏まえ、在日フィリピン人介護士およびに FTA によりフ ィリピンからの出稼ぎにくる介護士の問題を導きの糸として、冒頭で述べた考察を以下においておこなおう。 2.言語と文化の問題 まずは、パネリストの提言のなかに、言葉と文化や慣習の理解が鍵であると繰り返されている点に注目し たいと思う。私の専門は文化人類学である。文化人類学は異文化理解を主な目的とする。文化人類学の特許 ともいえるフィールドワーク(現地調査)では、現地の言語の習得の重要性が強調される。文化人類学の知 見を踏まえつつ、フィリピン人介護士が日本で働く場合に、言語と文化の翻訳がどういう点において重要で あるか考えてみたい。 言葉と文化の違いとそれに対する無理解は確かに、出稼ぎであるか定住であるかに関わらず、フィリピン 人の介護士さんが日本で活動する際には深刻な障碍となりうる。篠沢さんが懸念するように「何か(問題が) 起きたときに、やっぱりフィリピンからの介護士はだめだ、日本では使えない、という烙印が押されてしま う」というような文化的風土、小さな失敗を待ち構えて「やっぱり外国人は・・・」と言って外国人を排除 してゆくような文化的風土が日本には確かにある。 また、林さんの次のような経験は、職業柄、人を理解することに長けていると思われる介護という職域に 携わる人々であっても、言葉と文化が異なる人たちに対しては途端に理解が困難になることを示している (シンポジウム記録参照)。 外国人にそういった職域で働いてもらうには非常に抵抗感が強いです。最大の抵抗勢力は社内で、なん でやという話になるんですね。それでケアマネさんが一人、ケアスクール担当者も一人辞めちゃったん です。そういう意味じゃ、一人一人を口説きながら理解納得してもらって進めなきゃならんというのが 作業として大変でした。 また、原田マリアフェさんが、率直に述べている以下の言葉から、介護を受ける日本人やその家族だけで −68− なく、介護をするフィリピン人(外国人)にとっても、言葉と文化の違いが大きな不安要因とみなされてい ることが分かる(シンポジウム記録参照)。 最初にヘルパーになったとき、もう自分も、外国人としてどのように日本人に受け入れられるかすごい 不安だったんですけど・・・。やっぱり言葉の壁がすごい大きいんですね。もちろん今でも新規の利用 者さんとこに入って自分の名刺を渡すときに、やっぱりそのカタカナで書いてあるので、利用者さんに も家族のかたにも、ほんとうに2回も「え? 外国人ですか?」と聞かれるんですけど(笑)、まあ素直 に「はいそうです」って言って・・・。たぶん向こうのかたも不安だと思うんですけど。 確かに、日本語が十分に分からないために、協働する介護関係者間で、あるいは、介護関係者と被介護者 及びその家族の間で連絡がうまくできないのは、介護の業務に差し支える。そういう点で、言語の習得、と くに介護職という領域に特化した日本語の習得は重要であろう。言語理解の不十分な点を補うために、連絡 のための適切なチェックリスト開発、二ヶ国語表記のチェックリストなどの使用も役にたつであろう。フィ リピンと日本の文化や生活習慣の違いが引き起こした或いは引き起こすであろう具体的な問題が述べられて いなかったのでよくはわからないが、確かに自分たちの「当たり前」が別の人たちにとっては「当たり前」 ではないということを理解しない自文化中心的な行動が、様々な問題を引き起こすことは十分にありうる。 文化や生活習慣が異なる外国人との共存に慣れていない日本社会では、一般の人々の間に「やっぱり外国人 は・・・」 「なんで外国人と一緒にやらなくてはいけないんや」という外国人排除の傾向がいまだに高く、行 政においては同化主義的な傾向(林さんの指摘)がいまだに高いという現状から、言語の翻訳だけでなく文 化の翻訳も重要であるという指摘は適切である。したがって、このような現状のなかに FTA によってフィ リピンから出稼ぎにくる介護士を迎え入れる際に、既に日本での長い経験をもつ在日フィリピン人(介護士) の役割は重要になろう。 しかしながら、パネリストのお話からも、言語や文化が異っていてもコミュニケーションは可能であるし、 文化的に異なるからこそ介護に新風を送り込むことができるという側面もあることがわかる。例えば、日本 語能力が日本人ほどではなくても、在日フィリピン人介護士さんは高齢者とよいコミュニケーションがとれ ていると上野さんと原田さんは指摘している。また日本人には見られないフィリピン人の明るさや、キリス ト教に基づく使命感やホスピタリティが、日本においては得てしてネガティブになりがちな介護を肯定的な ものにしているという点も指摘されている。 言葉や文化が異なることは、効率性の点からは問題を発生しやすいかもしれないが、人と人との触れ合い という意味でのコミュニケーションという点から、或いは自明性のなかで硬直している事態を揺るがして 人々を自由にしてゆくという点からは大きな利点なのである。殊に、国際化が叫ばれている日本の現状のな かでは、もしも国際化が単なるスローガンではなく人々がそれを本当に求めるならば、真の意味でお茶の間 からの国際交流を可能にするものとして、在日フィリピン人介護士さん、さらにはフィリピンからの出稼ぎ 介護士さんの活躍に大いに期待することができる。 3.歴史的権力作用と日本におけるフィリピン人女性のイメージ 外国人に対するイメージは、単に言葉や文化や生活習慣の違いによってもたらされるわけではない。イメ ージの大部分は、人間一般の他者化の作用のもと、歴史的な経緯や社会的価値観を反映したネジレを孕んで −69− 形成されてゆく。外国人に対する悪いイメージやスキャンダラスなイメージは、よいイメージや単純な価値 判断ができないイメージと比べて、容易に浸透し、根強く人々の見方に居座り続けるという傾向がみられる。 それは日本にかぎったことではない。そのようなイメージの形成は、グローバルな構造に関連する情報や関 心の偏りや力の問題にも関係している。例えば、日本においては、欧米人に関してのほうが、それ以外の 人々に関してよりも、情報量は多く関心が高い。また、日本人が自らのライフスタイルのあり方を求めると き、往々にして欧米人を参考にする。それとは対照的に、非欧米人に対しては、情報量が少なく関心が低い にもかかわらず、いやむしろそうであるからこそ、悪いイメージやスキャンダラスなイメージによるステレ オタイプを当てはめる傾向が高い。日本で生活するフィリピン人に対するイメージも例外ではない。 フィリピン人が仕事を求めて海外に移動するようになったのは、20 世紀の初頭にさかのぼる。仕事の種類 は様々であるが、1980 年代以降の日本にかぎっていえば、エンターテイナーの女性が日本におけるフィリピ ン人出稼ぎ者の大多数をしめてきた。武田[2005]の提示する 2002 年の統計によれば、日本へのフィリピン 人出稼ぎ者の 96 パーセントが女性であり、その大多数がエンターテイナーだった。このような偏りは、フィ リピンの事情というよりも日本の事情を反映したものである。1970 年代までは、日本への出稼ぎフィリピン 人のうちの男性の占める割合は、女性よりも高かった。1970 年代は、日本人男性による近隣アジア諸国への セックス・ツアーが盛んな時代でもあった。アジア女性からの抗議により、それが自粛に追いやられると [山岸 1998; 武田 2005: 40]、日本人男性の性的需要を満たすために、彼らがアジア諸国に行くのではなく、 日本の風俗産業が、アジア諸国、なかでもフィリピンの女性を日本に引き寄せるということが 1980 年代以降 に起こってきた。1981 年にはマニラと東京の間で、エンターテイナーのビザ発行を促す協定が結ばれ、フィ リピン女性がエンターテイナーとして来日する途が法的なバックアップを得た[武田 2005: 12]。 法務省入国管理局『在留外国人統計』および入管協会『在留外国人統計』をもとに作成された 1980 年から 2003 年までの『フィリピン人の外国人登録者の総数、女性数、および在留資格別数の年次推移』[武田 2005: 81]によると、1984 年までは、総数の増加率は1パーセント代であったが、1986 年には 3.4 パーセントにな り、1992 年には 11.2 パーセント、1999 年には 20 パーセントを超え、その後、右肩あがりに増加し、2003 年には 33.4 パーセントに至った。このような数の推移は、日本におけるバブル経済の隆盛と崩壊、1990 年 の入国管理法の改正による外国人労働者への定住者ビザの発行、冷戦の終結を契機とした一元的なグローバ リゼーションの始まりと進行などと時を同じくしている。また、本シンポジウムのパネリストである林さん のお話で統計的に示された、2000 年前後に同時に起こってきた、企業の総人件費の引き下げ、フリーターな ど派遣労働者数の増加、企業によるリストラの増加、ニートの増加、若年労働者の不足、外国人労働者数の 増加などとも時を同じくしている。これらの現象がどのように相関しているかについては更なる研究が必要 であるが、日本へのフィリピン人の移住が日本だけの事情によるのではなく、グローバルな状況との相関の なかで起こってきていると推測することはそれほど無理のあることではないだろう。 上と同じ統計データによると、1986 年以降、フィリピン人の外国人登録のうち女性の占める割合は、83 パ ーセントと 88 パーセントの間を推移していることは注目に値する。フィリピン海外雇用庁のデータに基づい て作成された『2003 年の出稼ぎ先国と出稼ぎ労働者数』一覧[武田編著 2005: 13]によると、フィリピン人 の出稼ぎ労働者のうち日本を出稼ぎ先とする人数は、62,539 人にのぼり、サウジアラビアの 169,011 人、香 港 84,633 人に次ぎ、第三位となっている。公的機関が提示する統計資料からでさえ、フィリピン人女性のエ ンターテイナーは相当な数にのぼることから、不法就労なども入れると実際に日本の風俗産業に関わるフィ リピン女性の数はかなりのものであると推測できる[武田 2005: 77-82]。エンターテイナーとして来日した −70− フィリピン女性のほとんどが風俗産業にかかわっていることから、日本人は往々にして日本にいるフィリピ ン女性全体を逸脱した性的なイメージで捉えることが多い。例えば、1988 年から 1991 年まで静岡県下で文 部省雇用の英語補助教員を勤めたアフリカ系アメリカ人女性のハードゥンは、大阪への職務上の旅に同行し たセクハラ傾向のある同僚の男性教員が、或いは、生脚で歩いていた彼女を町で呼び止めて外国人登録証の 提示を求めた男性警察官が、彼らが自らのパートナーとして理想とする(夢想・幻想・妄想する) 「貞節な日 本女性」というステレオタイプと対極にある「貞節を欠き性的倫理的ときには法的にも逸脱しているフィリ ピン人女性」というステレオタイプを明確に持っていたことを報告している[Harden 1997]。 このようなステレオタイプ化されたイメージは、上述の男性教員や警察官だけではなく、日本社会全体に 広く見られる。それは、パネリストの上野さんの次のような指摘のなかにも示されている(シンポジウム記 録参照)。 エンターテイナー、夜の商売に関わっている人としての若いフィリピン人女性のイメージが田舎へ行け ばいくほど浸透しておりまして、その部分に対しての偏見を感じることがあります。例えば地域の方か ら、下宿体制をとって研修生を何人かで住まわせるのはどうか、とか、お仲間を連れてこられて夜遅く まで騒ぐのではないか、とかいう声がでることがあります。私どもの地域はとくに田舎なのでそれを感 じます。 或いはまた、シンポジウムの質疑応答のなかで、外国人が在宅介護に近い形で参加することに対する日本 人の抵抗感が強いことを示すために、パネリストの林さんが引いている「じいちゃんと仲良うなったら困る」 という被介護者の家族の言葉にも、日本人たちが在日フィリピン人女性に一般的に抱いている偏見の残響を 聞くことができる。 しかしながら、フィリピン女性に対するスキャンダラスで悪いイメージが日本人の間で広く根強く流通し ているという現象は、既に述べたように、フィリピン人女性の本質に関わるのではなく、グローバルな構造 に関わる歴史的経緯や社会的価値観を反映した、人間一般に共通する他者化の作用によることに留意しなけ ればならない。 日本に出稼ぎにくるフィリピン人のほとんどが、エンターテイナーの資格でやってくる女性であるのは統 計データからあきらかである。しかし、このような事態も、フィリピン人女性が、日本人女性とは異なり、 「貞節を欠き性的倫理的ときには法的にも逸脱している」ために起こったわけではない。1970 年代まで無批 判に行われていた日本男性によるアジア諸国へのセックス・ツアーが 1980 年代にはいってから自粛され、日 本の女性の職域が拡大し、様々な要因から日本の風俗産業が隆盛し、その労働者が不足するという状況のも と、日本とフィリピンの法的なバックアップさえも得て、多くのフィリピン女性がエンターテイナーとして 来日するようになったのである。日本男性がアジアの女性を性的商品として消費するという構図或いは現地 妻という形をとった長期的な性支配の構図は、日本人男性そのものの力によって生じたものではなく、多く のフェミニストが指摘するように、日本人男性が無自覚であるために現実化した、グローバルな地政的構造 あらわ の顕れにすぎない。 また、エンターテイナーという資格は、必ずしも男性の性的消費の対象となることを意味しないが、武田 丈ら[2005]によって収録されたライフストーリーや解説によると、在日外国人、或いは不法滞在や不法就 労を余儀なくされている在日外国人という弱い立場ゆえに、雇い主に高利益をもたらす売春やフーゾクへの −71− 従事が、暴力やレイプなどという方法によって強制される場合がかなりある。毎年数万人にのぼるフィリピ ン人女性がエンターテイナーとして活動しているにもかかわらず、テレビ・映画・ステージなどといったエ ンターテイナーにとって一般的な活躍の場に彼女たちが全く登場しないのは、エンターテイナーとしては彼 女たちに周辺的な地位しか与えられていないからであると判断できる。このような現状に対して、人身売買 の警告をアメリカが発したことは無理からぬことである。かくして 2005 年からは、日本が受け入れるフィリ ピン人女性エンターテイナーの数は大幅に縮小され、FTA による介護士としての期間限定の移住が浮上して きた。パネリストの安里さんも指摘するように、フィリピン側関係者には、人身売買の懸念も感じられるく らいの期待と意欲が感じられる[安里 2005]。 もし売春やフーゾクなどのセックスワークに従事することが「貞節を欠き性的倫理的ときには法的にも逸 脱している」とするならば、その需要者・消費者として、或いは暴力やレイプによる強制者として、主体 的・積極的役割を果たしている日本人男性の姿が不可視のままであるのは極めて興味深い。売春/セックス ワークについての多くの議論が指摘しているように、性支配構造の支配側に立つものは不可視となる。例え ば、1990 年代にワイドショーで喧しく論じられた援助交際。そのとき問題とされたのは、「清純であるべき 女子高校生たち」であり、女性たちにお金を与えていた男性たちは問題外におかれ、その姿は不可視のまま あらわ であった。そこに顕れているのは、日本社会における、中年男性と若い女性をめぐる性権力の中心−周辺構 造であるが、若いフィリピン人女性のエンターテイナーと(中年の)日本人男性の関係に顕在化しているの は、フィリピン国内−日本国内−グローバルな脈絡などを相互に連動させる磁場をめぐって生成される、よ り多元的な性権力の中心−周辺化構造である。セックスワークのこのような形での周辺化と、恋愛と恋愛結 婚内の性の中心化とは同じコインの裏表となっている。男女に関わらず一般に日本人が、上述のようなイメ いだ ージを日本に住むフィリピン人女性に懐いているのは、性をめぐる中心−周辺化作用に取り込まれ、参与し ているからである。このようなヘゲモニーのなかで、シンポジウムに参加した在日フィリピン人女性自身が、 自ら携わっている水商売を示すのに「夜の仕事」という隠語めいた言葉を使っているのは、日本社会での市 あらわ 民権獲得への意思と、それを難しくしている現実との葛藤の顕れであろう。 以上、フィリピン女性に対するイメージについて長々論じたのには、二つの目的がある。一つの目的は、 そのようなスキャンダラスなイメージは、様々な権力作用によって歴史的に形成された偏見であるので、速 やかに取り除かなければならないということを示すためであった。もう一つは、フィリピン人女性が日本で の介護の仕事に参入することは、エンターテイナーと同様の歴史的権力作用の磁場のなかにあることを示す ためであった。 4.共生:ホスピタリティとコンヴィヴィアリティ 前節では、武田[2005]や Harden[1997]などに共鳴させて、権力論という観点から議論してきたが、 日本で働くフィリピン人女性をめぐる事柄は、権力論では語りつくせない豊かさを持っている。今回のシン ポジウムと懇親会で接した在日フィリピン人女性たちや私が居住している地域で知り合った在日フィリピン 人の女性たち或いはパネリストの林さんが主催するヘルパー養成講座の様子を伝えるホームページに登場す る在日フィリピン人の女性たちも、 「貞節を欠き性的倫理的ときには法的にも逸脱している」というイメージ からは程遠い明るさと慎ましい自信を漂わせていた。自らの(やってきた)水商売の仕事を「夜の仕事」と 呼ぶことなどによって、日本社会における性をめぐるヘゲモニーに恭順の姿勢を示す一方で、そのような仕 事それ自体をホスピタリティやコンヴィヴィアリティ(後で詳述)を実現する場として楽しんでいるように −72− 見受けられた。また、介護士の資格を取得したにもかかわらず「夜の仕事」を続ける理由が、フィリピンに いる家族の貧困であったとしても、彼女たちの表情には、武田[2005]が記述する抑圧された弱者の悲惨さ は全くみうけられない。なれない日本で自負心をもって楽しげに子育てする彼女たちが介護に携わるという ことは、日本人にたいしてはなかなか感じることのできない希望を私に感じさせてくれる。この節と次の節 において、このような直観が根拠のないものではないことを他者との共生の問題および介護の示唆する根源 的な問題を考察することを通して示したい。 パネリストの上野さんは、フィリピン人はホスピタリティに溢れていると述べている。フィリピン国内の 政治的問題や深刻な貧富の差を見るならば、或いは、闇ブローカーとして日本に不法就労のフィリピン女性 を送り込んでいるフィリピン人もいることを考えるならば、すべてのフィリピン人があらゆる状況において ホスピタリティに溢れていると断じることはできないだろう。しかし私自身が日本、留学先のオーストラリ ア、旅の途中などで会ったフィリピン人たちの印象はホスピタリティに溢れたものであったのも事実である。 ホスト社会の人々と仲良くやってゆこうと努力している移民の人々がホスピタリティ能力を養うことになる のは想像に難くない。さらに、介護というケア(配慮に満ちた世話)を通じてホスト社会に関わろうとする 人々がホスピタリティに満ちているというのは納得できる。 ホスピタリティという語は、病院を表す語であるホスピタルと同様、「客を丁重に接待すること、宿泊所」 を意味するラテン語のホスピティウム hospitium、さらに「来客ともてなし役のホスト、見知らぬ人」を意 味するホスペス hospes に由来する。つまり病院 hospital は他者である旅人とりわけ貧しく病んでいる巡礼 者たちを歓待する場、ホスピタリティはホストとゲストの間のささえあいに通じる。エマニュエル・レヴィ ナスやルネ・シェレールなどの現代フランス思想家たちは、オスピタリテ hospitalité を、見知らぬ者、自分 たちとは異なる他者を差別・排除するのではなく「よく来たね」と心からもてなす姿勢すなわち「歓待性」 と位置づけている[川本 1998: 48-49]。 このような点から考えて、在日フィリピン人介護士がホスピタリティを発揮して、日本において活躍して いるのはよく理解できる。現在、介護士の資格を取得しようとしている或いは既に取得した在日フィリピン 人女性の多くは 10 年以上日本で暮らし、日本人男性と結婚し家庭を築いてきた 30 代の人が多い。言語も文 化も異なる日本において、公共圏・親密圏(後で詳述)の両方で、日常的な人間関係を長い間かけて作って きたプロセスはまさにホスピタリティに満ちていたといえる。彼女たちのそのような経験は、日本の介護現 場に確実に寄与するだろう。 共生という言葉がしばしば叫ばれる現代日本において、在日フィリピン人女性のこのようなあり方はとて も興味深い。共生という言葉が多用されるようになったことに関し、井上達夫は「調和や一体性の幻想が崩 壊し隠蔽抑圧されていた対立が噴出する状況の下で、新たな共存枠組みを模索する問題意識が根底にある」 と分析し、 「現代的意味での共生は、自他が融合する『共同体』への回帰願望ではなく、他者たる存在との対 立緊張を引き受けつつ、そこから豊かな関係性を創出しようとする営為である」と主張する[井上 1998; 川 本 1998: 7に引用]。井上は、このような共生のイメージを「宴」を意味するコンヴィヴィアリティ conviviality に求める。 「宴」といっても、会社の忘年会・新年会のようなものではなく、オープン・ハウス・パーティー(招 待を特定諸個人に限定しないパーティー)が、我々の《共生》理念に比較的近い。そこでは、所属も背 景も利害関心も異にする多様な人々が、出逢いを求めて集う。緊張感をユーモアで包んだ会話を通じて、 −73− 初対面の人々の間に、関係を新たに形成する場が生まれる。他方、よく知り合った人々も、他者が入り 込めない内輪話に自閉して、馴れ合いの気安さに安住することを慎み、自分たちの共通関心事と関係の 歴史を、他者の関心と理解に開かれた言葉で語るだけの、節度と度量をもつことを期待される。 [井上・ 名和田・桂木 1992: 25-26、川本 1998: 8 に引用] ここで井上が暗黙の理想としているのが近代的自律的主体をもつ人間(無標であることによって男性)で ある点は、近代の中心−周辺化構造に対して無自覚である井上の限界である。ここでは、その点を差し引い たものをコンヴィヴィアリティと位置づけよう。パネリストの篠沢さんが関与されている日本人も巻き込ん だ在日フィリピン人コミュニティや、林さんがコミュニティ・ビジネスというときのコミュニティのあり方 はコンヴィヴィリアリティに基づいた共生のありかたにきわめて近いように思われる。背景も出身も様々で あるフィリピン人女性たちが、日本という異郷にやってきて様々な形で集う。そのような集い方もコンヴィ ヴィアリティそのものであるだろう。今回のシンポジウムで知り合った、介護の仕事をしながらスナックで の仕事も続けている名古屋在住のフィリピン人女性たちとシンポジウム世話人のカルロス先生と私は、意気 投合して、彼女たちの店がはねたあと、深夜 12 時からパーティーをやろうという話で盛り上がった。時間の 都合でまだ実現できていないが、それは間違いなく「宴」=コンヴィヴィアリティとなるであろう。介護職 という脈絡で考えてみると、介護に参与する(しようとする)在日フィリピン人女性の持つこのようなコン ヴィヴィアリティの度量は、そのホスピタリティとあいまって、介護職の同僚たちとの関係、介護を受ける 高齢者の家族との関係、高齢者自身との関係を形成する上で力を発揮するだろう。 5.「ただ、ともにある」:介護の示唆する生の根源的な問題 在日フィリピン人女性介護士に対するより深い期待は、介護の示唆する生の根源的な問題にかかわってい る。生の根源的な問題は、上で引用した井上だけではなく、生産的自律的人間が中心化された社会の中心に こぼ のみ焦点を合わせた人々の視界からは零れ落ちてしまう。近代とは、生産性を中心化するシステムである。 それは、資本主義経済システムと国民国家システムとを両輪としている。後期近代やポスト・フォーディズ ムなどの名称で呼ばれる現代においては、生産性を絶え間なく維持拡大するためにも、自律的主体の実現の 形態としても、余剰的消費が奨励されている。老人とくに介護を必要とする老人など、そのような人間像か ら外れる人々は周辺化・排除される。介護の示唆する生の問題は、現代日本を含め近代以降の社会において は、根源的であるにもかかわらず周辺化されている。以下では、その根源性に関して明らかにしてゆく。 近代システムは社会を、生に関して補完的な二領域、すなわち公共圏と親密圏からなるものとして構成す る。政治思想史研究者である斎藤純一[2000; 2003]によれば、親密圏とは、具体的な他者の生及び死への 配慮を契機とする持続的な秘匿的関係性が実現される領域であり、公共圏とは、生命のニーズが権利として 要求される領域である。分かりにくいので言い換えよう。親密圏では、人は配慮(ケア)と親密性によって 生き、公共圏では、契約・権利・正義などを原理として活動する。親密圏と公共圏という補完対が、生に関 する近代固有のさまざまな対、私的領域と公的領域、再生産と生産、女性と男性、女子どもと男、自然と文 化/社会、肉体と精神、非西洋世界と西洋世界、未開と文明、感情と理性などの補完対群と共振しあうのは、 それが生全体の秩序性にかかわるからである。このような生の秩序のなかで、家事・育児・介護および親密 圏・私的領域・家庭内領域は周辺化され、 「男は仕事、女は家庭」という男女の配置が長い間理想や常識とさ れてきた。 −74− あらわ 「女性の社会進出」といった言い方に顕れているような、「社会」とは公共圏・公的領域であるということ が暗黙の前提とされる視点からは、親密圏・家庭内領域は不可視となる。公共圏・公的領域は、親密圏・私 的領域よりも権力の集中する場であり、優越性が付与されてきた。人が「公私混同」と叫ぶのは、公共圏に 親密圏の事柄をもちこむ場合であって、その逆ではないことがよい例である。このような価値観のなかで、 先進諸国や NIEs 諸国では、機会があれば、女性も公的領域へと進出してゆくような変化が生じた。日本も 例外ではない。そのような状況のもと、「家事・育児・介護のために女性のキャリアを犠牲にしてよいのか」 という問いが市民権をえるようになった。近代システムの中心的価値である生産性との関連から、家事・育 児は再生産活動として価値が付与されうるが、介護は再生産活動にも当てはまらないので、単なる困難とみ なされがちになる。そのような近代システムの常識や理想に抗して、2004 年の芥川賞受賞作『介護入門』は、 介護の示唆する根源的な生を暖かく照らし出した[モブ 2004] 。介護は、苦労ではあっても、不毛な苦渋や 絶望ではないことを独特の筆致で描いた『介護入門』は、多くの人の共感を得た。 介護の実践者であり理論家でもある三好春樹も、介護、殊に痴呆老人の介護を通じて、人は生の深淵を経 験できることを多くの著書のなかで伝えている。介護において重要なのは、一般化可能な介護力ではなく具 体的個別的な介護関係であると三好は言う1)。端的に言えば、介護は資本主義経済の原理にはなじまないこ と、商品ではないことを、或る大手介護企業の誤算の例を引いて示している2)。 介護保険導入以前、導入後の介護市場は 12 兆円と予想され、3割のシェアをとる公算でその大手介護企業 が乗り出してきた。資本力にものを言わせ、シェア獲得競争でひとり勝ちするだろうといわれていた。とこ ろが、介護保険施行後わずか3ヶ月で、全国の営業所の半分が撤退するという事態になった。介護保険導入 以前に地域福祉を担っていたのは、社会福祉協議会という半官半民の団体であった。それぞれの市町村から 予算をもらって独占的に地域の介護の仕事をしてきた社会福祉協議会は、競争などしたことがなかった。資 本主義の最先端を行くその企業に社会福祉協議会が対抗できるとは、介護業者を含め朝日新聞や厚生労働省 など介護保険を推し進めてきた人たちは全く予想していなかった。そのような人たちの目から見れば、老人 は産業廃棄物のようなものであって、介護する家族たちは「産廃」に押しつぶされる「介護地獄」にあえい でいる人たちだった。だから、適切な介護を品質管理の行き届いた商品のように提示すれば、一も二もなく 飛びついてくると思っていた。しかし、介護認定をして「お宅は、いくらまで使えますよ」と言っても、6 割くらいの家庭しか使わなかった3)。介護を委託する家族にとって、介護はパッケージ商品ではない。具体 的個別的人間関係に埋め込まれた介護こそが求められているのである。どんなに関係の悪い家族であっても、 老人が寂しい思いや屈辱的な思いをするくらいなら、自分たちでやりくりして介護しようと思う。三好の経 験によれば、老人本人もその家族も、個別具体的な「あの人」に介護に来てもらおうと考えるのであって、 「ヘルパー」一般に来てもらうとは決して考えない。件の大手介護企業のテレビコマーシャルのように、制服 で標準化された人が「こんにちは、****(企業名)です」とやってきたら、介護してもらおうとは思わ 1) 以下の議論は三好春樹に多くを負っている。社会科学という観点からみると、彼が使っている統計的な数字は、出 典が明らかにされていない、因果関係が実証的に検証されていないなどの欠点をもつ。しかしながら、経験に基づい た彼の視点は、常識を覆すほどの説得力をもつ。 2) 以下の記述は、三好[2003a]に基づいている。三好は介護保険導入前後に頻繁にテレビコマーシャルで流れていた 多くの人に耳なじみのある、企業の実名を使っている。 3) 6割の家庭が、介護保険をつかって介護を委託したが、その理由については述べられていない。実証的であるため にはその辺も明らかにする必要がある。 −75− ない。これまで長いこと付き合いのある社会福祉協議会のあのおばちゃんやあのおにいちゃんに介護しても らうほうを選んだ。その結果、資本主義の最先端を行くその大手介護企業は撤退していったと三好は結論付 ける。 立派な制服に典型的に表れているように、介護企業はマニュアルを厳密に導入して商品としての介護の品 質の管理と標準化を行なおうとしている。ところが、よい介護は、個別具体的な関係であるから、近代的マ ニュアルはなじまない。そのようなマニュアルは介護関係の形成の妨げにさえなる。例えば、資本主義的介 護業者は、 「介護士は顧客である老人本人やその家族と、どんなに小さなものであっても、金品の授受を決し てしてはならない」とマニュアルで禁じている。介護をパッケージ商品と位置づけている業者は、介護士と 老人或いはその家族の関係を、サービス提供者と顧客の関係とみなしているのであるから当然である。個別 具体的な関係も文脈もそこに入り込む余地がない。お茶一杯であっても、小さなお菓子一つであっても、決 して受け取れない。これを、親密圏である家のなかで実践されるとかなり困惑する。贈り物を含め、等価交 換でない物品の授受が人間関係を柔軟に作り上げていることは、文化人類学者の発言を待たなくても分かる だろう。市場経済交換とは、そのような関係を作らない交換である。このようなマニュアルを無視して、個 別具体的な関係を発展させて、よい介護を実践していった例を三好は報告している。[三好 2003a: 40-41] 介護はまた、近代的人間観にもなじまない。先の大手介護企業は、「お客様第一主義」を掲げ、「顧客」サ ービスに努めようとした。そこで想定されていることは、 「顧客」の自立した個人としての要望の形成であり、 それに基づいた自己決定である。 「自己決定」は「選択の自由」及び「自己責任」とセットをなす、現代のグ ローバル化した世界におけるヘゲモニーを形成しているネオリベラリズムの基本原理であるが、それとは対 立するはずの福祉学においても、 「自己決定」は「人権」とともに基本原理となっている。この一致は偶然で はなく、ネオリベラリズムも福祉学もともに、近代的人間観を暗黙の前提としているからにほかならない。 三好は次のような一般例を挙げて、介護において「自己決定」を中心化することがいかに見当違いかを示し ている。 「もう死んだほうがいい」と言ってボヤくおばあさんはいっぱいいますが、 「自己決定だから、お手伝い しましょう」というわけにはいきません。[三好 2003a: 42] 福祉の学校で教えられた「自己決定」の原理を無反省に尊重する行動が、介護の現場において不協和音を 響かせる例を私自身経験している。 共働きの兄家族と同居している私の母は、重度の骨粗鬆症のために、10 年前から家に引きこもりがちにな りこの数年間車椅子生活をし、介護士さんにお世話になっている。たまたま私が母を訪問しているとき、学 校を出て間もないと思われる若い男性の介護士さんが母を病院につれて行くことになった。暑い夏の日だっ た。彼は、二つの帽子を母に示して、床に座って母の眼を覗き込もうとしながら、 「どちらにしますか」とこ れ以上ないくらい明確に区切った力のこもった発音でたずねた。引きこもりで気分のさえない母は答えるこ とができなかった。母の自己決定を引き出すべく、彼はさらに懸命に母と視線をあわせようとしながら同じ 質問を何度か繰り返した。繰り返すたびに、彼の声にヒステリックな響きが増し、母の戸惑いも増していっ た。それは、母にとっても介護士さんにとっても気の毒なできごとだった。 自己決定の原理は、自律的主体という近代的人間を条件付ける。近代システムは、言語の領域においては、 明確に切った発音を介した明確な情報を中心化する。しかしながら、話すことが成し遂げるのは、情報の伝 −76− 達だけではない。話すことがはらむより深い層について、メルロ=ポンティは、失語症患者の例を引きなが らつぎのように洞察する。 患者のうちには、テクストの意味を理解せずに、 「調子をつけて」テクストを読むことができる患者がい る。これから考えると、言葉や語には、意味作用の最初の<層>のようなものが付着していることにな る。この<層>は思考を、概念的な発語としてではなく、スタイルとして、情緒的な価値として、実存 ミ ミ ッ ク 的な身振りとして示すのである。[メルロ=ポンティ 1999: 23-24] 近代システムによって中心化された、成人(男性) 、健常者にとっては、言語活動とは主として自律的主体 によって、或いは間主体的に実現されるものであるが、深層には言語活動そのものを可能にする間身体的な 実存が広がっている。そのような実存を竹内敏晴[1975]は「からだの共生」という言葉でとらえようとす る。大人になるとともに、言語活動は記号性に重点をうつし、知らず知らずのうちに「からだの共生」から 疎外されてゆく。成人(男性)と健常者の言語活動が、差異すなわちネガティヴな側面に重心をもつのに対 し、子ども、痴呆老人、知的障害者の言語活動はその「からだの共生」というポジティヴな実存に重心をも つ。痴呆を生きるとはそのような、生の深淵への回帰である。医師である小澤勲が伝えている毎日楽しげに つどう特別養護老人ホームの痴呆老人たちの以下のような様子は、生の深淵における「からだの共生」と言 語活動のかかわりを示す好例である。 だれか一人が笑う。 「あんたは笑い過ぎじゃ」といいながらみんなが笑っている。話の多くはすれ違い、 う ときには偶然のように交叉しながら、倦むことなく続いている。幼稚園児にみられる集団独語(ピアジ ェ)に類する、と考えていただいてよい。このような風景は一度出逢うと決して忘れられない。・・・ 彼らの多くはアルツハイマー型痴呆、それも痴呆がかなり進行した時期にあるのだが、室伏君士は彼 らを「なじみの仲間」と名づけて、次のように描写している。 「・・・(中略)・・・別のことをしゃべ っているのに、もっともらしくうなずきあったり、調子のあった笑いの雰囲気の中で、話しかけたり口 をはさんだりして、かなり積極的な流れで進行している。」[小澤 2003: 143] 生の深淵に回帰した老人の介護において重要なのは「ただ、ともにある」ことだと小澤は指摘する。 ・・・そもそも人は理解が届かなければ人と関係を結び、人を慈しむことができないわけではない。食 べる、排泄する、衣服を替える、入浴する、そういった日常生活への援助を日々続ける。そこから「た だ、ともにある」という感覚が生まれる。ともに過ごしてきた時の重なりが理解を超える。[小澤 2003: 150] 間身体性、「からだの共生」 、「ただ、ともにある」ことは、近代システムの浸透とともに生活世界から失わ れてゆく。私は、1979 年から 1984 年までのあいだに、約3年間を文化人類学のフィールドワークのために、 インドネシア東部のフローレス島の中央山岳地域に暮らした。フローレス中央山岳地域は、近代システムの 影響が少ない地域である。私が長期滞在した 1979 年から 1984 年においてはそのような地域性がとくに顕著 であった。その間、言語や文化の点で異なるいくつかの村で過ごしたが、どこの村にも共通した印象深い朝 −77− の情景がみられた。人々は空が白みはじめたころに起き、家の外に出、腰を下ろす。熱帯といえども山間部 の朝方は肌寒いことが多いので、布ですっぽりとからだを包んでいることもある。数メートル離れたところ もた には隣人たちが同じように腰を下ろしている。幼い子どもは、大人に凭れたり、大人がからだを包んでいる 布のなかに入り込んだりしている。ときどきぼそぼそと言葉をかわす。時間にしたら 30 分から1時間くらい だろうか、ただそこにじっと座っている。まさに「ただ、ともにある」時間である。 「ただ、ともにある」時 間は、日々の生活の多くの場面にみられた。アリエス[1980]がいうような子どもの近代は、当時のフロー レス島中央山岳地域の村々にはほとんどみられなかった4)。老人はといえば、いることだけで目に見えない 力を発している存在であった。たとえば、そのころ導入されたサッカーの試合の際には、老人の観戦が要請 された。老人たちがただそこにいるだけで試合する若者たちを護るといわれていた。 グローバルな近代システムに取り込まれてゆくと、人々は生の深淵から疎外され、 「ただ、ともにある」こ とが難しくなる。子どもも老人も望まれない傾向が増し、子どもは育ちにくくなり老人はいづらくなる。こ とに、グローバル近代システムによって中心化された領域において、すなわち地方よりも都会において、発 展途上国よりも先進国において、そのような傾向が増す。先進国では DINKS(子供を持たずに共働きする カップル)が生活スタイルとして一般化していることからも、うかがい知ることができる。自殺、摂食障害、 少子化など先進国において発生している生をめぐる社会問題が共通性をもっていることから考えて、それら がグローバルな近代システムによる生活世界の「貧困化・植民地化」に根ざしていると判断することは妥当 であろう。グローバルな近代システムによって中心化された先進国よりも発展途上国においては、また同じ 発展途上国でも首都などの都会よりも地方においては、そのような生をめぐる問題が見られない、見られた としても稀であるという傾向があることを 100 年近い歴史をもつ民族誌学が示してきた。介護士になるフィ リピン人女性たちの生まれ育った環境はさまざまであろうが、フィリピンが発展途上国であることから、生 の深淵から疎外されている傾向はより低く、したがって、 「ただ、ともにある」能力はより高いことが期待で きるであろう。このような点から考えると、彼女たちが、生の深淵へ回帰した老人たちの介護に対しても 「ただ、ともにある」能力を発揮することは大いに期待できる。 近代システムに取り込まれた社会においては、生の価値はとても限定された形をとる。人々はこぞって、 若さに固執するようになる。若さは、さまざまな数値で測定され、メディアを通じて標準化されたイメージ として流通するようになる。そのような生の価値に呼応して、性的快楽への欲望は、生と自己実現にかかわ る消費への欲望として、食の快楽(グルメ)への欲望と共に掻き立てられている。性的快楽への欲望は、親 密圏と同様に周辺的・秘匿的でありながら、親密圏の影のようにメディアによって増殖させられてゆく。メ ディアは通常は公共的なものであるが、性的快楽への欲望を生成する情報やイメージは公共圏の影の領域を 流通する。フィリピン人エンターテイナーたちは、日本社会において、親密圏の影であると同時に公共圏の 影の領域に置かれている。シンポジウムのなかでも使われていた「夜の仕事」という表現の使用は、そのよ うな位置づけを表象している。しかしながら、彼女たちのうちの多くが日本人の伴侶を得て日本社会に根付 いている。影或いは「夜」を経由して、子供という未来を産み育む位置へと移動した。さらに、介護士にな った人は、ホスピタリティやコンヴィヴィアリティという資質とともに、近代システムによって何重にも周 4) その後、1990 年代の中ごろには、開発を推進するスハルト政権の政策が何らかのかたちで及ぶようになった。1990 年代の終わりから 2000 年代のはじめにかけて私が訪れたときには、子どもに対し発達という観点から接する大人たち もちらほら見かけるようになった。[青木 2002]参照。 −78− 辺化されていたからこそ養われた「だだ、ともにある」能力をもって、グローバリゼーション時代の日本社 会に大きな貢献をなす可能性をもっている。 メルロ=ポンティや竹内などが洞察しているように、人は生の深淵に根ざして生きている。ところが、近 代システムは、生の深淵から疎外するような方向に人々や社会のあり方を変容させてきた。その結果、生を めぐる様々な問題が噴出してきている。日本社会全体の未来に影を投げかける少子化や子供をめぐる多くの 問題もその一端であろう。もしも人々が真剣に耳を傾けるならば、生の深淵に触れる経験である介護は、そ のような現代社会へのアンチテーゼとオルタナティヴを示す可能性、閉ざされかけた未来を開く可能性を宿 している。そのような可能性の実現にむけて社会が動き始めるならば、そのプロセスの中で在日フィリピン 人介護士さんは重要な役割を果たすことになるであろう。 6.おわりに:グローバリゼーションの時代と私たちの未来 既述のように、フィリピン女性がエンターテイナーとして出稼ぎに来るのは、近代システムによるグロー バルな中心−周辺構造と近代の生の社会秩序―公共圏と親密圏の秩序―に深く関係しているが、フィリ ピン女性が介護士として日本で働くこともまた然りである。経済学的比喩でこれらの現象を図式的に記述し よう。 近代システムにより中心化された領域、即ち先進国と公共圏は、周辺化された領域、即ち発展途上国と親 密圏に依存して自らを再生産している。風俗産業が中心領域の再生産を「影」で支えているように、公共圏 の采配のもと親密圏から異化された介護は、中心領域が自らの再生産の障害とみなす高齢者への対処として、 中心領域の再生産を支えている。周辺領域は中心領域の再生産のために労働資源を供給していることになる。 日本国内においても、中心領域の再生産のための周辺からの介護労働の供給という構造的現象が見られる。 介護保険導入以降、介護労働市場の最下層にヘルパーとして参入した人の多くが中高年の主婦である。彼女 たちは、家事や育児という再生産労働に従事してきた経験から、生を支える能力という介護労働資源を身に つけた人々である。 近年の日本における四年制大学進学率が象徴的に示しているように、教育に関する男女の格差がなくなっ た。女性に対しても男性と同等の教育投資がなされるようになったのである。経済的論理に従えば、その当 然の結果として、公共圏で男性と同等の労働力となることの要請が若い女性に対してもなされる。その一方 で、社会の再生産にとって絶対的な必要条件である出産への要請も若い女性になされている。公共圏への参 加は、近代的人間像にとって不可欠のものであり、大学までの長い教育期間を通して、若い女性たちの多く もそのような人間像をモデルとするようになり、男性同様のキャリア形成を目指すようになった。日本を動 かしている後期近代システムは、余剰的消費が生産とともに推進されることによって成り立っている。豊か な生活、ゆとりある生活とは、余剰的消費を実践することと密接に結びつき、男性同様多くの若い女性たち にとっても自己実現の具体的な形となっている。余剰的消費のためにも女性たちは男性並みのキャリア形成 を望むようになった。現在の日本において、公共圏における労働は、男女に関わらず一人の人間の能力と時 間という資源をぎりぎりまで使い果たすことを要求する。そのような状況のなかで、若い女性たちは一般に、 キャリア形成を妨げる出産・育児・家事、とりわけ嫁として夫の両親の介護を厭うようになる。晩婚化、非 婚化、出産の高齢化・回避の傾向が高くなり、その結果としての少子化が生じるようになった。結婚出産し た場合にも、再生産労働や介護労働は自らの帰属する親密圏外からの供給を受けるようになった。現在、介 護労働のなかでももっとも末端に位置する掃除・洗濯・食事の用意などの生活支援のための労働の多くは、 −79− 主婦である中高年女性によって供給されている。しかし、若い女性たちがキャリア形成を中心とした生活を するようになると、次世代においては、生を支える能力という介護労働資源を身につけた人々は圧倒的に少 なくなると予想される。そうなると、日本社会が再生産され存続してゆくために、フィリピンをはじめとす る発展途上国から多くの介護労働が供給されるということになるのだろうか。もしそうだとしても、それで 問題はないのだろうか。 三好も指摘するように、介護は商品ではないので、需要と供給間の釣り合いがとれればよしというわけに はいかない。したがって、経済的な需要供給関係が中心原理となって、フィリピン人介護士さんが日本の介 護に従事するようになると紛争が発生することが当然予想される。例えばパネリストの安里さんが指摘する ように、FTA によってフィリピン人介護士が日本に導入された場合、労働一般および介護労働の階層化とい う問題が生じることが予想される。そこに必然的に生ずる搾取は当然問題である。グローバリゼーションの 結果盛んになった発展途上国から先進国への介護労働力移動。経済的には需要と供給のバランスがあってい るので、レッセフェール状態でうまくいくように見える。しかし、そこには私たちひいては地球全体の未来 にかかわる深刻な問題が見え隠れしている。 パネリストの林さんは、日系ブラジル人が急速に増えた岐阜県可児市のデータを引きながら、彼らの日本 国内における移動性の高さ、彼らの子どもたちの低就学率を示した。10 年後には教育を受けていない日系ブ ラジル人が成人となり、コミュニティは確実に劣化すると指摘する。このような現状は、彼らの未来を閉ざ すばかりでなく、日本社会全体の未来にとっても大きな問題となる。林さんは、企業の社会的責任として、 今後、彼らを労働力としてだけではなく生活者として受容し、同化ではなく共生を可能にするような取り組 みが必要であると訴えている。私自身、1999 年から 2000 年にかけての半年ほどの間、日系ブラジル人を含 む日系南米人の多く居住する地域の小学校でフィールドワークをおこなった経験がある。日系南米人の大人 たちは少しでも賃金のよいところを求めて頻繁に移動していた。来日の第一の理由が収入の増大であるから、 子どもの教育も含め生活全般が、それに従属するようになっていた。その小学校の日系南米人の子どもたち はすべて県営住宅に暮らしていた。両親は、朝から晩まで工場などで働き子どもと過ごす時間は極めて少な かった。出身国に暮らしていれば、両親は子どもを社会へと導くよきナヴィゲーターになったのであろうが、 言葉も習慣も異なる日本ではそれもかなわない。そのような環境のなかで、子どもたちは不安を抱え、しば しば学校でも問題を引き起こしていた。グローバリゼーションを磁場として、発展途上国から先進国への労 働移動が経済的理由を最優先している場合には、生をめぐる暗雲は必ずたちこめ、移民だけではなくホスト 社会の未来をも閉ざしてゆくことになるであろう。事情は多少異なるとはいえ、フィリピン人介護士さんの 労働力を、経済的理由を最優先して使い続けると、同じような暗雲が立ち込めることになるであろう。 パネリストの安里さんがフロアからの質問に答えて指摘しているように、フィリピンでは、グローバルな 労働市場の形成により、医師や看護士などの医療専門家が国外へ流出した結果、フィリピン国内の医療が劣 化している傾向がみられる。介護士は医療専門家ほどの専門性を認められていないので、介護士の流出はそ れほど重要でないように見えるかも知れない。しかし、問題はより深刻な結果をもたらす可能性をはらんで いる。なぜなら、日本にやってくると予想されるフィリピン人介護士の年齢は、従来ならば、子どもを生み 育て、コミュニティ形成に大いに貢献するような年齢であろう。彼女たちが出稼ぎに来ることで、出身コミ ュニティが劣化し次世代育成がうまく行かないならば、そのコミュニティの未来が閉ざされるばかりでなく、 介護労働をそこに求めることによって再生産可能な日本社会の未来にも大きな問題が生じることになる。一 つのコミュニティがだめなら、他にいくらでも介護労働を供給したいコミュニティはあるという発想は、倫 −80− 理的に過っているばかりでなく、地球規模での危機的状況を見誤っている。生を支え育む能力、次世代を育 むことのできるコミュニティ性は、社会的資源である。そしてそれは、人と人の絆によって形成される生活 世界のなかで伝えられてゆく。それ以外の方法では伝えてゆくことができない。近代システムは、生活世界 を貧困化5)させ、生を支え育む能力を枯渇させ、次世代を育成できるコミュニティ性を劣化・崩壊させる。 経済原理にのみしたがって、介護労働を供給するコミュニティを利用してゆくことは、現在の環境利用と相 似的な関係にあろう。環境問題が地球規模の深刻な問題であることは、多くの人の理解するところとなって いる。コミュニティ性の崩壊もまた、環境問題同様、地球規模の深刻な問題であることを理解しなければな らないであろう。それは、まず近代システムの中心領域である先進国において起こってきた問題であるが、 近年の経済的グローバリゼーションに伴う大規模な労働移動は、先進国による発展途上国の社会的資源の搾 取であり、その結果、発展途上国においても、同様の生の問題を生じさせることになるかも知れない。グロ ーバルな労働移動の一形態であるフィリピン人介護士さんに介護をお願いする場合には、利用する私たち一 人一人に社会的責任があることを自覚する必要がある。 介護が示す生の深淵とのつながりと「ただ、ともにある」能力の回復を通じて、そして、フィリピン人介 護士さんとの責任ある共生を通じて、私たちは地球の未来を閉ざす暗雲を払うことへむけて確実なあゆみを 始められるであろう。 このシンポジウムは、紛争とその解決に何らかの形で貢献することを標榜するプロジェクトの一環である。 研究者といえども俯瞰的な高見からの研究に甘んじることを許さない現状がグローバルにひろがっている。 現実へコミットすることの責任を遅ればせに感じている研究者である私にとって、介護や介護士養成の現場 で働かれている方々の謙虚で落ち着いた人柄に接することにより、小さなことで論争的になりがちな研究者 社会の現状と私自身の器の小ささを自覚できたことは、このシンポジウムがさまざまな当事者と研究者たち とのとても有意義な出会いの場であったことを示唆していよう。 参考文献 青木恵理子(2002)「『子どもの文化人類学』試論:インドネシア・フローレス島における 20 余年にわたるフィールドワー クに基づいて」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第4号 163-184 頁. 安里和晃(2005)「移動の世紀の〈再生産労働〉―不自由な労働力/外国人労働者の現在」 『at』1号 123-138 頁. アリエス,フィリップ(1980)『<子供>の誕生:アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』(杉山光信・杉山恵美子訳) みすず書房. 渕上英二(1995)『日系人証明:南米移民日本への出稼ぎの構図』新評論. ハーバーマス,J. (2000)『近代:未完のプロジェクト』(三島憲一訳)岩波文庫. Harden, Jacalyn D. (1997) ‘The Enterprise of Empire: Race, Class, Gender, and Japanese National Identity.’ In Lancaster, Roger N. and Micaela de Leonardo eds., The Gender/ Sexuality Reader: Culture, History, Political Economy. New York and London: Routledge. pp.487-501. 井上達夫(1998)「共生」 廣松渉 他編『岩波 哲学・思想事典』岩波書店. 井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫(1992)『共生への冒険』毎日新聞社. 5) 筆者は、ハーバーマスとは多くの点において見解を異にするが、「近代システムによる生活世界の貧困化」という視 点は共有している。ハーバーマス[2000]、中岡[1996]参照。 −81− 川本隆史(1998)「講義の七日間 ― 共生ということ」野家啓一他編『岩波 新・哲学講義6』1-66 頁. 川本隆史(2001)「福祉と連帯のつながり ― 『介護の町内化』と『内発的義務』めぐって」『月刊福祉』8月号 28-31 頁. メルロ=ポンティ、モーリス(1999)『メルロ=ポンティ・コレクション』(中山元編訳)筑摩書房. 三好春樹(2003a)「2章 介護のもつ力」三好春樹・芹沢俊介『老人介護とエロス ― 子育てとケアと通底するもの』 雲母書房 31-61 頁. 三好春樹(2003b)「3章 実感子育て論」三好春樹・芹沢俊介『老人介護とエロス ― 子育てとケアと通底するもの』 雲母書房 63-86 頁. 三好春樹(2003c)『痴呆論:介護からの見方と関わり学』雲母書房. モブ・ノリオ(2004)『介護入門』文藝春秋社. 中岡成文(1996)『ハーバーマス:コミュニケーション行為』講談社. 大宮知信(1997)『デカセーギ:逆流する日系ブラジル人』草思社. Ortner, Sherry B. (1995) “Resistance and Ethnographical Refusal.” Comparative Studies in Society and History. 37(1): 173-193. 小澤勲(2003)『痴呆を生きるということ』岩波書店. 斎藤純一(2000)『公共性』岩波書店. 斎藤純一(2003)「親密圏と安全性の政治」斎藤純一編『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版 211-236 頁. 武田丈編著(2005)『フィリピン女性エンターテイナーのライフストーリー:エンパワーメントとその支援』関西学院大学 出版会. 竹内敏晴(1975)『ことばが劈かれるとき』思想の科学社. 山岸素子(1998)「日本における女性移住労働者: 80 年代からの軌跡と課題」『女たちの 21 世紀』15 号 2-8 頁. −82− 龍谷大学アフラシア平和開発研究センター 研究シリーズ 1 シンポジウム報告書 在日フィリピン人の介護人材養成:現状と課題(2005年11月6日) マリア・レイナルース・D・カルロス 石坂晋哉 内田晴子 編 The Filipino Residents in Japan as Potential Care Workers: Realities and Challenges Symposium Proceedings (November 6, 2005) Afrasian Centre for Peace and Development Studies, Ryukoku University Research Series 1 Ma. Reinaruth D. Carlos, Shinya Ishizaka & Haruko Uchida (eds.) 発行日/2006年3月31日 発 行/龍谷大学アフラシア平和開発研究センター http://www.afrasia.ryukoku.ac.jp/ 〒520-2194 滋賀県大津市瀬田大江町横谷1−5 TEL / FAX 077-543-7173 印 刷/株式会社 田中プリント PUBLISHED BY AFRASIAN CENTRE FOR PEACE AND DEVELOPMENT STUDIES, RYUKOKU UNIVERSITY 1-5 Yokotani, Oe-cho, Seta, Otsu City, Shiga 520-2194 TEL / FAX + (81) 77-543-7173 http://www.afrasia.ryukoku.ac.jp/ PRINTED BY TANAKA PRINT CO., LTD. ISBN 4 - 903625 - 10 - 9 ISBN 4 - 903625 - 10 - 9 EXECUTIVE SUMMARY The provision of care for the elderly has become a pressing issue in Japan in the past 10 years. While demographic changes have been cited as the main reason, there have also been economic and social factors which contribute to the increasing demand for caregivers. Moreover, the implementation of the Long Term Care Insurance System from April, 2000 has encouraged the use of professional elderly care at home. In response to such need, the Japanese government has held talks with some labor-sending countries like the Philippines to accept foreign caregivers under the Free Trade Agreement (FTA). Less attention, however, has been paid to the significant number of Filipino residents of Japan who can be a stable source of labor in this industry, as many of them are quite familiar with the Japanese language and culture and are expected to stay in Japan for a considerable period of time. Also, the urgency to respond to the issue and the still ambivalent provisions under the FTA are also convincing arguments for their training and employment as a viable alternative to the FTA plan. The Symposium therefore puts the Filipino residents into focus and examines their potential as caregivers. The training and employment of Filipino residents in the caregiving industry is not easy. Being able to communicate, not only with the elderly but also with their colleagues in the workplace, is very crucial, and this can only be achieved through serious learning of the Japanese (and preferably, also local) language and culture. Their efforts as caregivers, however, pay off as the job boosts their sense of self-esteem and economic independence, and makes them feel that they are useful members of the Japanese society. Indeed, their employment in the caregiving industry, which has strong labor market potential, plays a big role in their economic and social integration in the Japanese society. The experiences of other Asian countries show that economic development results in the “international commodification” of elderly care and therefore, the employment of foreign careworkers, particularly women from less developed countries. However, it must be emphasized that when agency fees and transportation costs are considered, they are not a cheap source of labor. Furthermore, in these countries, interpreting not only language but also culture prove to hold the key to success in the employment of foreign caregivers. The Symposium confirms that tapping the Filipino residents to work as caregivers is a viable and mutually-beneficial solution to the increasing labor demand in this industry as well as their economic and social integration in the host society, Japan. The success of their training and employment, however, not only depends on the efforts of the Filipino residents themselves in improving their language and cultural proficiency, but also, and perhaps more crucial, on the willingness and readiness of the Japanese stakeholders to work with them. Indeed, we are challenged with the task of formulating policies and plans that are concrete, realistic and beneficial to all parties.