...

コーナーにある居場所(第7章) - Soka University Repository

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

コーナーにある居場所(第7章) - Soka University Repository
翻 訳
コーナーにある居場所(第7章)
Elijah Anderson /有里典三 訳
【文献解題】
Ⅰ 以 下 の 翻 訳 は,1978 年 に 発 刊 さ れ た イ ラ イ ジ ャ・ ア ン ダ ー ソ ン(Elijah
Anderson)の処女作(Ph. D. 論文にあたる)
『コーナーにある居場所』(A Place on the
Corner : A Study of Black Street Corner Men, 1stedition, 1978 ; 2nd edition, 2004)の結論部
分 pp.207‐216 の完訳である。本書は初版刊行から 26 年後の 2004 年に改訂第2版
が出版されているが,33 年たった今も都市研究の分野における基本文献として頻
繁に引用されている。学術書としては,すでに都市社会学分野の古典としての評価
が定まっている。本書は,William F. Whyte, Street Corner Society, 1943, Cayton,
Horace, and Drake, St. Clair, Black Metropolis, 1945, Herbert Gans, The Urban
Villagers, 1962, Elliot Liebow, Tally’s Corner, 1967, Gerald Suttles, The Social
Order of the Slum, 1968, Hanners, Ulf, Soulside, 1969, William, Kornblum, Blue
Collar Community, 1974. など現代のアメリカを代表する都市エスノグラファーた
ちの研究と同じ系譜に位置づけられる作品であるが,現在のアメリカの大都市で最
大の社会問題となっている黒人男性のストリート・カルチャーに真正面から切り込
み,部外者(特に中流階級の白人)には見えない都市下層階級の生活世界と意味秩序
を参与観察とインタビューを使って忍耐強く,そして克明に解読した第一級のエス
ノグラフィーである。
著者のイライジャ・アンダーソンは,第二次大戦中にミシシッピ川のデルタ地帯
にある小都市で生まれ,アメリカ中西部のインディアナ州サウスべンドで成長し
た。1969 年に地元のインディアナ大学で B. A. を取得。その後,シカゴ大学社会学
部の大学院に進学し 1972 年に同大学から M. A. を取得した。指導教授はジェラル
ド・サトルズ(Gerald D. Suttles)である。在学中に恩師のサトルズ教授がシカゴ大
学を去ったため,大きな空虚感を感じながらノースウェスタン大学社会学部の博士
課程に進み,ラべリング理論にもとづく参与観察的な逸脱行動の研究で有名なハワ
ード・ベッカー(Howard S. Becker)教授の下で博士論文の完成に向け研究を継続
した。1976 年に A Place on the Corner : A Study of Black Street Corner Men の研
究によって同大学から Ph. D. を授与された。この研究は 1978 年にシカゴ大学出版
─ ─
101
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
局から彼の最初の著書として刊行されている。
Ⅱ 次に,『コーナーにある居場所』を読み解く際のポイントとなる点を指摘し
ておきたい。まず,どのような理由からイライジャ・アンダーソンがストリートで
たむろする黒人男性たちを博士論文の研究対象に選んだかである。彼自身が述懐し
ているように,その背景には,彼が育った家庭環境や子供時代を過ごした黒人ゲッ
トーでの生活体験といったバックグラウンドが密接に影響していることがわかる。
彼は 1970 年から 73 年までの3年間にわたって,シカゴ市内のサウスサイド地区
(=黒人ゲットー)にある『ジェリーの店』と呼ばれたバー兼酒屋に出入りし,その
店の常連客であったおよそ 55 人の街角の黒人男性たちを対象に参与観察を行った。
ジェリーの店は荒廃した建物の中にあったが大通りの角に位置していた。そこは労
働者階級や非労働者階級の黒人男性や,近隣や近隣以外の場所に住む黒人男性の集
まりの場(gathering place) になっていた。本書の目的は,そのバー兼酒屋や周辺
の黒人ゲートーでローカルな階層システムを構成している一般的な要因を探り出
し,それに焦点を当てることである。
特に本書では,社会組織とその構成要素についての争点,すなわち,社交性,地
位,アイデンティティ,信念,そして価値についての次のような基本問題に焦点が
当てられている。
①ここでたむろしている男たちは,どのような規則や[行動]原理に基づいて活
動しているのだろうか?
=【価値についての基本問題】
②ここにはどのような社会的ヒエラルヒーが存在するのか?
=【社会組織・地域の階層システムについての基本問題】
③彼らは社会的相互作用の中で,どのようにして自己表現をするのだろうか?
=【社交性についての基本問題】
④ここではさまざまな地位が,どのように相互に交差し合い,あるいは対立し合
い,あるいは支え合っているのだろうか?
=【地位についての基本問題】
⑤いかにして,どのような方針にしたがって,この地域の人びとは彼ら自身が尊
敬に値する存在であることを他者に思い出させたり説明したりするのだろう
か?
=【アイデンティティについての基本問題】
⑥ここでは「ひとかどの人間になる」ためにはどのような信念が必要になるだろ
うか?
=【信念についての基本問題】
Ⅲ 本書の社会学的貢献の一つは,本書が地位や社会集団についての一連の概念
的な研究成果を提示している点である。『ジェリーの店』は街角の黒人男性たちの
居場所(their place),重要な集まりの場所(gathering place),一種のクラブハウス
─ ─
102
Elijah Anderson /有里典三 訳 コーナーにある居場所(第7章)
として位置づけられる。その集まりの場所は,彼ら自身の社会的ルールや標準的な
礼儀作法(propriety)を作り上げ,維持するための舞台装置として重視されている。
彼らがより大きな黒人社会や白人社会からの絶え間ない注視から逃れ,くつろぎ,
ありのままの自分でいられるのはこの舞台装置の上である。また,そこは自分とい
う存在が他者にとって重要だとわかる場所であり,彼らのことを気にかけ彼らの意
見に関心をもってくれる人びとがいる黒人男性たちの居場所でもある。アーヴィン
グ・ゴフマンが,その舞台装置を「特赦」(remission) の一つ,すなわち社会にと
っての「舞台裏」として言及したものに相当する。そして,常連客の黒人男性たち
がジェリーの店でたむろするという行為は,基本的に自分たちのローカルな階層シ
ステムを構成したり再構成したりする人間的なプロセス,すなわち完全な「外面的
場面」(front stage)に参加していることを意味している。
彼らが日常的に社会的相互作用を繰り返す内に,自分たちの居場所(place)や位
置(position)を求めて張り合っているときに,「ワインヘッドたち(=飲んだくれの
男たちの意)
」,「フードラムたち(=ゴロツキの男たちの意)」,そして「レギュラーた
ち(=良識のある男たちの意)」という下位集団(subgroups) の存在が明らかになっ
た。この集団かあの集団か,常連客の男たちが[3つの内の]どの下位集団を自分
と同一視するかは,一般社会が多少なりとも評価している資産を彼らがどのように
統 制 す る か に か か っ て い る。 こ う し た 状 況 の 中 で,「 拡 大 第 一 次 集 団 」(the
extended primary group)の基本的な輪郭が浮き彫りにされる。集合的行為,地位,
そして階層の結果はことごとく流動的である。ここでの地位は,羽振りが良くなっ
たり落ち目になったりする男たちとの間の社会的相互作用の中かそのプロセスにお
いてのみ存在し,店にいる他者が黒人男性たちのことをどう考えどう受け入れるか
にかかっている。
Ⅳ 1970 年代初頭の大都市インナーシティ・コミュニティは今日のそれと比べ
ると比較的穏やかであった。しかし,80 年代に入り製造部門が米国の都市部から
次々に撤退し脱工業化都市段階に入ると貧困の原因がますます構造化する。それに
ともなって,インナーシティ・コミュ二ティの衰退・空洞化が一段と深刻になって
いった。麻薬の売買,ストリートの犯罪,詐欺,賭博が都市のインナーシティ・コ
ミュニティでますます広がっていく。ストリートの世界とディーセントな世界との
深刻な緊張関係がより一層シャープに示される。イライジャ・アンダーソンがその
後に出版した『ストリート・ワイズ』(1990 年)と『ストリートのコード』(1999 年)
の二作は,ともにフィラデルフィアを対象とした研究であるが,多くの点で『コー
ナーにある居場所』の中で輪郭だけを示したイシューをさらに徹底的に掘り下げた
研究であることがわかる。したがって,これらの著作で取り上げられたテーマの継
続性と発展性に注目すると,イライジャ・アンダーソン自身の研究上の力点の変化
とともに,80 年代以降に米国のインナーシティ・コミュニティが直面した構造的
な問題状況が明らかになる。
たとえば『ストリート・ワイズ』では,黒人の疲弊したコミュニティと人種が混
─ ─
103
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
ざり合いミドルからアッパーミドルまでの階層を含むもう一つの対照的なコミュニ
ティが,どのようにして同じ地域で共存し,公共の空間の取り決めを行っているか
という問題が,70 年代半ばから 80 年代後半までのフィールド調査を通して追及さ
れている。一方,『ストリートのコード』では,個人間の(対人関係における)暴力
の社会文化的な力学(dynamics)を民族誌的に記述することに力点が置かれている。
この個人間の暴力こそ,80 年代から 90 年代にかけて米国の都市部にある大多数の
近隣住区の生活の質を蝕んでいる最大の社会問題となっている。特に,インナーシ
ティに住む若者たちの間の暴力は,21 世紀に入ってさまざまな階層と人種の若者
を巻き込んだ国家的規模の問題になっている。何故これほど多くのインナーシティ
の若者たちが,お互いに正当な理由のない攻撃と暴力を行使しようとするのか? イライジャ・アンダーソンは,この疑問がきっかけとなって,最近ではインナーシ
ティの黒人ゲットーにみられる公共の生活,とりわけその公共的な社会組織の性質
に研究の焦点を移している。
(以上,訳者による文献解題)
【翻 訳】
3つの下位集団と拡大第一次集団
ジェリーのバー兼酒屋に入り浸っている男たちは,自分たちのローカルでインフ
ォーマルな社会的階層システムを形成するようになった。男たちがジェリーの店に
集まってくるのは,交際のためだけではなく社会的認知と尊敬を得ようとして張り
合うためでもある。ほとんどの常連客にとって,ジェリーの店はひとかどの人間に
なるための居場所なのだ。なぜなら,グループのメンバーたちがお互いにとって重
要な存在だからである。このインフォーマルなシステム内の地位は,行為に重点を
置いた不安定なもので,グループの他のメンバーのことをどう考え,何を話し,何
を行うかによってほぼ決定される。その男の地位は,彼が何についてあるいは誰に
ついてうまく主張できるかで決定される。その男がどの程度の地位にあるかは,他
者が彼に対して示す服従や評価によって知ることができる1)。個人的な自由のやり
取りがそのまま社会秩序を映し出す実況放送になっている。社会的認知や評価を追
い求める際に,グループのメンバーは自尊心に見合った行動をとろうとする。彼ら
は利用できる手段を使って他者を出し抜こうとする。すなわち,たいていの場合,
インフォーマルな社会的階層システム内部の他者に注意を向け,その男がワインヘ
ッド,フードラム,レギュラーといった下位集団の行動規準を満たしているか否か
を判断して,その男を出し抜こうとする。競争による地位やアイデンティティの追
及を通して下位集団が現れる。それはちょうど,男たちが一方に味方しようとした
り,一定の男たちには反対しそれ以外の異なった「種類の男たち」と意気投合する
─ ─
104
のと同じである。こうしたプロセスの中で,彼らにとって何がふさわしい地位なの
かという問題も付随して起こってくるが,ジェリーの店内のグループに一定の拡大
した階層組織的特性が見られるようになる。私が[一般社会の]社会規範(social
rules)と[ジェリーの店内で形成された]拡大第一次集団の規準(standards)との
間に相互作用が存在することを理解したのは,まさしく社会的相互作用の最中に現
れ,言葉や行為によって,一定の男たちにあれこれの理想や価値観を守らせようと
する争点(the issues)の性質を研究したからである。
グループのメンバーたちが交際しようとするのは,そのグループの中で自分たち
についての一定の見方を裏切らない他者である。その際に,さまざまな地位に基づ
いたコア・グループを形成し,それらが集まることによって,私が拡大第一次集団
と呼んでいるものが形成される。その男にとってどの地位がふさわしいのかという
問題(the issue of status)は,どのような仲間との交際を選択するかによって解決
される。たとえばワインヘッドは,他のワインヘッドといっしょにコーナーでぼん
やりと突っ立っている傾向がある。フードラムは,他のフードラムを探していっし
ょにうろついているように見える。レギュラーは,自分と同類だとみなした他の男
たちとつき合う傾向がある。彼にとって何がふさわしい地位なのかは,誰のこと
を,どのように,どんな男たちの前で話すことができる人間か検討すればわかる。
[自分にとってのふさわしい地位が]間違っていることがわかると,その男は他人
の意見に従うのが普通である。時には,何もしないでただぼんやりと突っ立って,
ある人の有名な一代記について議論することがある。──この人やあの人は本当に
「ワインヘッド」か「フードラム」か「レギュラー」かと。男たちがどのような判
断を下しどんな意見を支持するかに注目すると,彼ら自身が抱いている自己イメー
ジが浮かび上がってくることが多い。
確かに地位に基づくグループ(the status groupings)間の移動もある程度は存在
する。通常,この移動は仕事に就いたり仕事を失ったりすることと関係している。
あるいは,その人の人生に起こった何か大きな出来事と関係している。この移動
は,他者からの集合的諸力(the collective efforts of others)によって強まったり弱ま
ったりする。この移動は,誰かを地位に基づいたグループに入れたり入れなかった
りする単純な決定によって起こるものではない。ましてや,その男自身の個人的な
意思によって移動できるものではない。ジェリーの店内で形成された拡大第一次集
団の中では,男たちの行為は,集合的プロセスに部分的に作用する独立したパーツ
とみなすことができ,そのプロセスの中で社会秩序やそこでの居場所が定義され形
成される。本書で議論したように,ジェリーの店で空間を共有している男たちの集
合行動は,拡大第一次集団の内部で階層(rank)やアイデンティティを決めるにあ
たって重要となる2)。たとえば,タイガーが[拡大第一次集団の内部で]レギュラ
ーの地位を得ようとすると,その成否は,彼自身の特別な自覚,彼自身のモチベー
ション,彼の新しい仕事によって決定されるだけでなく,その舞台装置(the
setting)の中で痛切に感じられる他の男たちの利害関係,とりわけレギュラーの地
位を主張している男たちの利害関係によっても左右された。タイガーはレギュラー
─ ─
105
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
たちが認めさえすれば,ワインヘッドの地位から移動してレギュラーたちとつき合
うことができるだろう。また,妻が入院中に,ハーマンがだらしない身なりでうろ
ついて,生活が不規則になり,レギュラーというよりもむしろワインヘッドである
かのように振る舞うようになると,グループの男たちが心配して元の正しい道にハ
ーマンを押し留め,ワインヘッドのグループから引き離した。ハーマンの友人たち
は,彼がこの残余的な[ワインヘッドの]グループに入ることを喜ばなかったので
ある。また,黒人警官のマイクが自分のクラブのメンバーを選ぶときに,フードラ
ムやワインヘッドには加入するように頼まなかった。ここでのマイクの行為は,事
実上フードラム独特の「フードラムらしい行動」をとることによって,「レギュラ
ーではない」フードラムやワインヘッドを区別したのである。私のフィールド・ノ
ーツにくまなく記録されたこうした事例は,ジェリーの店内で形成された拡大第一
次集団の男たちが,彼らの集合行動を通して,全員が社会的階層組織(the social
hierarchy)の維持に貢献していることを示唆している。そこには社会秩序が存在し
ているのだ。なぜなら,男たちが自分の居場所にとどまるからであり,他の男たち
も彼らをその居場所にとどめようとするからである。その結果,地位を核とするグ
ループが形成されるが,その男たちは,敵対している人や事象によって周囲の者に
少しは知られている。男たちは社会的尊敬と評価を勝ち取ろうと張り合っているた
め,さまざまな下位グループの中にも個々人の中にも,ある程度の対立が存在して
いる。だが,グループの男たちがお互いに十分に気配りをしながら競争をすると,
とりわけ一般社会とぎくしゃくしている間は,男たちの行動もお互いに親密かつ保
護的なものになるだろう。そのグループが拡大化し階層化するようになるのは,ま
さしくこの親密な出会いによって生じる競争的な性質のためである。その結果,形
成される階層組織や地位の点で,とりわけより拡大した集団内部の階層組織や地位
が状況的に変化しやすく不安定な性質をもっている点で,この拡大第一次集団はク
ーリーの第一次集団と明確に異なっている3)。
主要な価値と残余的な価値
ジェリーの店の拡大第一次集団の内部では,「安定した生活の糧を得るための手
段」や「良識があること」が主要な価値のようである。一方,「タフである」「大金
を得る」
「ワインを手に入れる」,そして「何か楽しいことをする」は,残余的な価
値である。つまり,良識的な行為を支える「小道具」(props) が何らかの理由で,
実行不可能だとか,役に立たないとか,達成しがたいと判断したのちに,グループ
の男たちが受け入れる価値である。ある一定のグループが共有している主要な価値
を男たちが実現できなくなると,そのグループに特有のアイデンティティを維持す
る上で,残余的な価値がより重要になってくる。一般社会とはこの点で密接に関連
している。というのは,一般社会との関連でフードラムとレギュラーを比較する
と,一つの重要な違いは,仕事に対する志向性すなわち「安定した生活の糧を得る
ための手段」に関してである。レギュラーには就業傾向があるが,フードラムやワ
─ ─
106
Elijah Anderson /有里典三 訳 コーナーにある居場所(第7章)
インヘッドにはそうした傾向はない。ストリート・コーナーでは,これが原因とな
って生活スタイルや自己呈示をめぐって重大な食い違いが生じることになる。レギ
ュラーは少なくとも[仕事に就く]チャンスがあることを自慢し,自分たちが「良
識派」であり「人生観」をもっていると自己呈示する。たまり場で始終うろついて
いるワインヘッドやフードラムは,一般的には[レギュラーに]服従している。と
いうのは,彼らは一般社会の階層システムの中で支持され,そのシステムに基盤を
もった仕事の有無をめぐって,否応なくレギュラーと比較されるからである。
こうした違いは,一つには,特に意義のある職業に就いていることが,社会的に
も個人的にも生き残る上でたいへんに重要かつ効果的な手段であることを物語って
いる。仕事が手に入らないと,「良識的な」価値に基づく行動規準にふさわしい生
活が難しくなる。そして,残余的な価値に基づく行動規準を選ぶ以外には,自尊心
を維持する道がますますなくなっていく。尊敬を得るための手段として「良識的」
と呼べるようなものがなくなってしまったら,男たちはフードラムやワインヘッド
として「ひとかどの人間になる」ことがもっと容易だということに気づくかもしれ
ない4)。ある男性が仕事を見つけることができないと,働かないで一日中ストリー
トのあちこちで寝そべっているようになる。この行動は,最初は偶然に散歩に出た
だけかもしれないが,すぐにその男に備わった[仕事の]代用行動になる。その
後,その男はその行動を社会的に強化する条件を手に入れるため,この習慣をやめ
ることがますます難しくなることが多い。
「下層階級の」価値を説明しようとする際に,一般社会の価値を少し真似たりそ
れと近似させたりしたものだと主張する研究者もいた。たとえば,ロッドマンは次
のような見解を提起した。低収入の人たちは一般社会の行動規準を満たすことがで
きないので,特殊な生活環境に適応させるために自分たちの価値を無理に拡大解釈
しなければならないのだと5)。この見解にはある程度の真実が含まれているだろう
し,私自身の分析によっても裏付けられている。だが,そこでの男たちの生活や彼
らの地域的階層システムがもつ内的な一貫性と統合性を評価するのに,ロッドマン
の考えはあまり役に立たないと考えている。ジェリーの店で私が研究対象にした
人々は,一般的な基準を満たすために一組の定まった価値を「無理やり拡大解釈す
る」というよりも,利用可能なさまざまな方針に従って自分たちの特殊な行動規準
を作り出しているように見える。たとえば,ジェリーの店に集まる一定の男たち
は,同じ地位の仲間たちの間で「申し分のない」フードラムだと評価されている。
ワインヘッドについて言えば,たとえその環境から離れる手立てがあったとして
も,飲み仲間の男たちと打ち解けてつき合えなければ決して満足しない者もいる。
社会的相互作用の中に埋め込まれそこから発生する行動原則や行動規準の性質
は,ほとんどがジェリーの店に集まる男たちが仲間集団(peers)の間で,他の男を
尊敬したり他の男から尊敬されたりするときにどのような手段を利用できるかで決
定されると思う。それで私は,拡大第一次集団の男たちが印象づけようとしている
相手との社会的相互作用の中で,相手の要求に応じることも相手に自分の意思を伝
えることもできる行動規準を男たちが作ろうとしていたと論じた。創発的価値(the
─ ─
107
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
emerging values)には,服従や社会的尊敬を要求する際に,相手との交渉が可能で
共に取り組まねばならないことを納得させる社会的プロセスが本質的にからんでい
るように思われる。
ジェリーの店内で,グループの男たちは,人をいじめたり,人に冗談を言った
り,人をからかったり,それ以外にも一般的なプレー(playing)を頻繁に行ってい
る。男たちが自己呈示をするときは大概そうだが,自分自身や活動のことを話した
とたん,観衆(audiences) は男たちが嘘を言っていると思っている6)。[話す側の
男も]このことを予想しているので,[観衆に]「吹き飛ばされたり」「撃ち落とさ
れたり」しないように,話の裏付けとなる十二分な証拠を呈示するのが普通であ
る。一例をあげると,家族への献身的な愛情が争点になると,仕事をしている証拠
としてしわくちゃになった古いチェックの切符の半券を見せたり,親類との親密な
写真を見せたりして[家族への愛情を観衆に]信じてもらいたいと願うのは,普通
の人間にとって珍しいことではない。かつてハーマンは,二週間の休暇を取って短
いバス旅行に行く準備をしていたときに,「まちがいなく旅行に行くことを奴らに
見せつけるために」梱包した旅行鞄をもってジェリーの店へ行ったことがあった。
だが,フードラムの一人が近づいてきて次のように告げた。「奴はその晩留置所に
しけ込んでいたんだ。汚点(stigma)については何の後ろめたさも感じていないと
言いたいんだ。それと,みんなからの承認と関心も期待しているのさ。」また,一
人のワインヘッドは,飲み仲間だけでなく他のグループの男たちにも印象づけるた
めに誰彼なしにウィンクをし,通行人や拡大第一次集団の他の男たちに物乞いをし
ては「鉄」(小銭)を稼いでいた。ジェリーの店はひとかどの男になるための居場
所,すなわちメンバーである男たちがお互いに重要な関係にあり,そこでの交渉に
よる取り決めで地位(negotiated statuses)が決定する場面である。その場面にいる
男たちはお互いに張り合っている。男たち自身のグループ(crowds)の中では,メ
ンバーの男たちは対等に行動することができる。だが,違った種類の男たちと対面
すると,拡大第一次集団の中で認知された信念に応じて,彼ら全員が[自らの]欠
点 を 思 い 出 し て 萎 縮 し て し ま う。 グ ル ー プ の 男 た ち は 正 当 な 居 場 所(rightful
places)を維持する限りは,ひとかどの男でいることができる。その正当な居場所
が維持されることによって,グループが容認した位階(group-sanctioned ranking)
が現れ,あれこれの地位をめぐる問題の解決も可能になる。
男たちの言葉でいうと,「やつらは自分たちの手に負えるカモとつるんでいる」
ということになる。男たちは「ひとかどの人間になる」ために手に入るそうした手
段を利用しているようである。一定の男たちにとって,これは「割り込み」(cutting
into)
,あるいは特定の仲間と何もしないでぼんやりしていることを意味するかもし
れない。もっとも,その特定の仲間は,敬意を集める手段がその男に欠けているこ
とを思い出させることもできなければ,進んで思い出させようともしない。──つ
まりは,その男にただお世辞をいって,自分たちの方へ引き付けているだけにすぎ
な い。 し た が っ て, そ の 男 が 支 持 し よ う と し て い る 地 位 の 特 性(the status
attributes)とは,通常は彼のもっとも親しい男たちがもっている複数の価値の客観
─ ─
108
Elijah Anderson /有里典三 訳 コーナーにある居場所(第7章)
的な結果(function) なのである。そして,階層システムの中でもっとも親しい同
類の男たちを決定するのは,部分的には,地位や尊敬を得る手段となるさまざまな
特性をその男たちが共同して統制することを通してである。
「安定した生活の糧を得るための手段」は,良識派の価値を満たすためにほとん
ど本質的なものだと考えられている。グループ内の一定の男たちによって良識派を
名乗る資格がないとみなされた者は,別のグループを見つけて交流したり,「良識
的」以外の重要な価値を満たすことで満足するだろう。ある男がフードラムかワイ
ンヘッドと呼ばれている男たちとうろついていると,その男自身がフードラムかワ
インヘッドの一人として分類され,「奴らと同じことをする」男と見られているこ
とに気づく。奴らと同じ行為には,たとえば「ワインを手に入れようと努力する」
行為から「群刑務所の内情についてなら話せる」といった行為まで,どんなことで
も含まれている。
どの地位がその男にふさわしいかという問題は,社会的相互作用の中で生じたり
解消したりするので,時として男たちは多くの支配的な価値を同時に実行しようと
しているようである。だが,ある男が自分で自分の地位を決め,特定のグループの
アイデンティティへの支持を得ようとすればするほど,その男は「正規の賭け以外
の賭け」をますます抱え込むことになる。すなわち,その男は,最初にそのアイデ
ンティティをせがんだ時から,このことを予期していなかった他の男たちによっ
て,支持されたり恥をかかされたりしていることに気づくだろう。このような正規
の賭け以外の賭けは,その男が望むアイデンティティを支持するかしないかに関わ
りなく,活動方針や自己呈示のスタイルへの態度表明をする上で決定的となるはず
である。
社会統制
こうした社会的同一化がいったん行われると,重要な他者がその男のことを正当
に評価した方法で,その男はますます無理をして振る舞うようになるだろう。これ
らの[重要な]他者はその男の行為の検閲官(censors)として機能する。拡大第一
次集団の内部で社会統制の基礎を形成するのは,まさしく敬意あるいは心理的報酬
として与えられるこの条件付きの評価である。社会的に認められた行動をとらない
と,ワインヘッドであれ,フードラムであれ,レギュラーであれ,自分の仲間とト
ラブルになる危険性がある。仲間の男たちとのトラブルは,狼狽,あざけり,誤解
といった形をとって起こる。そのために,グループ内での地位を失う可能性もあ
る7)。
トラブルが起こるのは,あるグループの男が元の居場所から逸脱しつつあると思
われるとき──その男がみんなで同意した境界や地域の階層システムの正当性を尊
重していないと思われるときである。脅迫されたと感じた男は,通常は意図的に嘲
笑したり正面から争うことで,仕返しをするか「事態を正そう」とするだろう。だ
が,こうした状況下でこそ,一定のグループの男たちは,逸脱者がめざす[目標と
─ ─
109
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
しての]人物像や性格と,グループの男たちが証明できると思う実際の逸脱者の人
物像や性格との間に,大きな不一致が存在することを示して逸脱者に「不満をまく
し立て」ようとするだろう。こうした戦略をもってしても逸脱者を「更生」させる
ことができなければ,その時はもっと直接的な方法,おそらくは暴力を使うはずで
ある。社会統制を維持する際に,こうした個人的属性をめぐる競争やそれと付随し
て起こる内紛の脅威がどれほどの影響をもたらすかは,観衆の特性によってほとん
ど左右される。──すなわち,観衆がその個人(逸脱者)をどう定義するのか。観
衆が加わることによって地位をめぐる競争がどうなり,その結果,個人の定義はど
のような影響を受けるのか──によってほとんど左右される。
大部分の男たちは,拡大第一次集団の外でもトラブルは避けたいと思っている。
特に,フォーマルな社会的統制機関[訳注;警察組織や裁判所を指す]とのトラブ
ルは避けたいと思っている。この点は特にレギュラーにとっては当然のことであ
る。なぜなら,レギュラーは法秩序の中で強い経済的社会的な関係をもって生活し
ているからである。だが,レギュラーは,良識という道徳観念に並はずれた敬意を
示すこともある。レギュラーは何がトラブルかを察する感覚が広く発達していて,
自らをトラブルに巻き込む男や状況に対してとても敏感である。レギュラーはトラ
ブルに巻き込む男や状況を避けようとする。レギュラーの中には,ジェリーの店に
出入りしている他の男たちの素性を考えれば,トラブルに巻き込まれないでいるこ
とを自慢する者さえいる。トラブルに巻き込まれない点をもっと評価されてもいい
と主張する者もいる。[反対に]拡大第一次集団の中のフードラムは,その多くが
「長期間ダウンタウンに住んでいたという経歴」をもっているので,むしろトラブ
ルに巻き込まれた経験を自慢するだろう。フードラムはトラブルを探し出し,それ
と真向から取り組んで自己肯定の手段にすることを[経験から]学び取っているの
である。
社会的階層システム(社会的秩序)
社会統制のプロセスやトラブルとの重大な関係と結びついているのは,「落伍し
た」(down)という概念である。グループの男たちは,この形容詞を個人にも行為
にも使っている。それはポジティブな言葉であり,拡大第一次集団の社会的秩序の
中で評価される[個人的な]属性にも関係するし,世俗的な知恵と良識的な判断を
基礎とした拡大第一次集団の男たちの社会的行為にも関係する概念である。[個人
の属性に注目すると,]落伍したワインヘッド,落伍したレギュラー,そして落伍
したフードラムがいる。落伍した部外者もいる。「落伍した」は,グループ独自の
特殊な地位の原理があったとしても,それらを超越しているように見える。その概
念は,特定の地位に基づくグループ内の「居場所」(places)を一つの階層システム
に変えてしまうからである。「落伍した」男は社会的秩序に気づいている。だが,
もっとも重要なことは,落伍した男は社会的秩序の中にある自分の居場所を理解し
ていることである。その男は自分が何者であるのか知っている。その舞台装置の中
─ ─
110
Elijah Anderson /有里典三 訳 コーナーにある居場所(第7章)
で,自分と他の男たちとの間にトラブルが起こらないようにするために,自らが理
解したとおりに行動しようと懸命に努力する。
仲間集団(peer-group) がもつ検閲力(censorship) は,階層化をもたらす中心的
な要因のようである。検閲行為(Censoring acts)には会話,沈黙,そして一定の男
たちに関心を向けたり彼らから関心をそらしたりする集中的な動作が含まれる。し
たがって,グループの男たちは,自分たちの欠点を思い出させない他の男たち,あ
るいは欠点を進んで思い出させようとはしない他の男たちを探す。こうして他の男
たちは,アイデンティティやインフォーマルな地位を自分の権利として主張するコ
ンテクスト(context)を準備する役割を果たす。重要な他者がもつ検閲力によって,
社会統制や社会階層の基礎が築かれる。
アイデンティティとインフォーマルな地位
どのようなアイデンティティやインフォーマルな地位を自分の権利として主張す
るのか。この点は,自分自身と仲間になりたくない他の男たちをはっきりと区別す
ることで,自己イメージをどの程度管理できるかによっても決まる8)。ここでは次
のような方法で男たちの地位が識別される。まず,グループの規範にどのようにア
プローチするかで識別する方法。また,グループの規範にどのようにアプローチす
るかがわかっている他の男たちをどう扱い,そうした男たちにどう扱われるかで識
別する方法である。ある男たちは,自分たちの公共的な相互作用の場面で他の男に
罰を受けずにやらせる行為によって,一部で名前を知られている。行為と相互行為
は程度問題になる。ある男の特殊な行為が重要な意味をもつこともあるが,別の男
による同じ行為がほとんど意味をなさないこともある。また,世の中の経験を積ん
でいる他の誰かに影響されたり,これらの特殊な男たちがふさわしいと思う行為に
影響されるのも当然である。
一定のグループの男たちが,自分たちの判断と仲間集団の判断の両面で自らを際
立 た せ る こ と が で き る の は, 規 範 を 犯 し た か ど で 一 定 の 男 た ち を 身 代 わ り
(scapegoats)に仕立てあげることによってである。拡大第一次集団の内部で他の男
たちを身代わりとして扱うことによって,集団の内部にこれまで以上の関係と個人
的なつながりができる基礎になるだろう。「しくじった」男たちを選び出すことに
成功すれば,非難を受けている男は自分の欠点をもっとうまくおおい隠すことがで
きるだろうし,自分が一定の行動規準を支持していると想像することもうまくでき
るだろう。
言葉によるコミュニケーションは,それ故に,社会的アイデンティティを特定す
るためにとても重要である。グループの男たちがある人,ある出来事,ある行為に
ついて話すとき,同時にその男たちは問題となったテーマと自分自身を結びつけて
いる。しかしまた,グループの男たちは,話し方の違いに注目することで,その男
がレギュラーか,ワインヘッドか,フードラムか識別しているのである。そうした
話し方を手掛かりにして,他の男たちはその話し手が「どのような種類の人間」な
─ ─
111
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
のかを見抜く判断力を身につける。そして,そのような話し方とそれに対する反応
を通して,明らかとなった集団規範の連続体の中に,話し手を位置づけることがで
きる。このことは,他の男の地位(places)に注目が集まっているときに特に当て
はまる。地位を要求するためのもっとも効果的な手段の一つは,仲間になりたいと
思う男たちと集まって,理想的なアイデンティティを誹謗中傷する他の男に言葉で
反論することである。このように,つき合いたくない男たちに敵対して一方の側の
肩をもつと,その男は自分の好きなグループとより親密になるようである9)。
だが,その男は仲間になりたいと思う男たちに必ずしも受け入れられるとは限ら
ない。仲間になりたいと望まれた男たちは,その男の地位が上昇したことに脅威を
感じるかもしれないし,単にその出しゃばり屋を避けているだけなのかもしれな
い。望まれた男たちは,自分たちの行為,ささやき声,ジェスチャー,顔の表情,
そして会話の中の沈黙を利用して,自分たちと比較してその男が何者であるのか気
づかせようとする。その男がそのメッセージの意味を正確に理解できなければ,口
頭で批判されるだろう。拡大第一次集団の男たちは,望まれていない地位の上昇を
言葉によって阻止する試みを「仕返し」(squaring off)と呼んでいる。拡大第一次集
団の男たちは小道具を取り出して,基準を満たせないときにグループがその男にど
のような制裁を科すのか注意を促し,部外者(the outsider)にふさわしい元のアイ
デンティティに留めようとする。これらの基準はその場で創られる。なぜなら,そ
うした基準は相互作用の最中に現れ,自分たちのグループと照らし合わせて部外者
の男を評価するからである。この評価は部外者の男の面前や人前で行われる。私た
ちの社会では,違った階級のグループ内に,こうした会話の利用法をめぐって興味
深い類似点がみられる。特にそれは,対人関係や集団関係において社会統制を行う
ときの会話の利用法をめぐってである。たとえば,中流階級の人々の間では,ゴシ
ップないしはゴシップの前兆が,社会統制を維持するための集団の装置として利用
されている。ジェリーの店では,相手の男と[面と向かって]直接行われる会話の
脅威を使って,[男たちの間で]社会統制が行われていた 10)。
補 遺
さらに,
[本書の]特殊な関心は,街角やジェリーの店内にいる拡大第一次集団
の男たちの地位や階層と彼らが日常生活の中で獲得する地位や階層が「同じ水準」
(on line)である点にもおかれていた。ジェリーの店に入り浸っている男たちと同様
に,ストリート・コーナーでたむろする黒人の男たちが拡大第一次集団の中でどの
ような地位を獲得するのか。そのプロセスについて研究することには一定の社会学
的利点がある。なぜなら,街角でたむろしている黒人の男たちは,より広範な黒人
社会と白人社会の双方から,これまで限られた社会参加の機会しか認められてこな
かったからである。拡大第一次集団の男たち,とりわけレギュラーたちは,一般社
会の一員であることを望んでいるので,「良識的であること」や「安定した生活の
糧を得るための手段」を強調しているように見える。地位やアイデンティティの観
─ ─
112
Elijah Anderson /有里典三 訳 コーナーにある居場所(第7章)
点からレギュラーたちの特殊な生活問題に注目すれば,もっと一般的なレベルで社
会階層(social rank)の力学を洞察することができるだろう。それは日常生活のあ
りきたりの経験の中で構成され,再構成されている力学である。
読者の中には,私がジェリーの店で今も進行中だと述べた地位やアイデンティテ
ィについての不安定さとダイナミズムは,アメリカ社会で黒人貧困層が置かれてい
る構造的な地位(position)にその原因があると考える人がいるかもしれない。だが,
あまりにも性急にこうした結論に飛びつくと,この研究で指摘したいくつかの重要
な社会学的教訓をつかみ損なってしまうだろう 11)。
私はいくつかのプロセスを通して,黒人の男たちがお互いに服従したり服従され
たりしていること。また,黒人の男たちが一定の他者とつながったり,小道具を使
ってそれぞれの仲間内で尊敬の対象となっている男たちのアイデンティティを高め
る手助けをしていることを説明した。彼らは自分と同じ種類の男や男たちの集団と
寄り集まり,違った種類の男や男たちの集団とは対立する。対立する男や男たちの
集団は,少なくとも当座は身代わりとして,──すなわち彼らが自分たちとは異質
な存在だと理解したいものの見本として役立つだろう。集団や個人のアイデンティ
ティは社会的相互作用が行われている間は実感されている。会話や特殊な行為を通
して[他者との]コントラストや相違点を明らかにしたあとで他の男たちと交流が
できる者は,[自分が]一定の他者とは違うことを断固として指摘し,相対的に価
値のある存在として自己を規定することができる。社会的秩序は,交渉や交換によ
って生じる相互作用の内容と見ることができる。黒人の男たちが相手に対して働き
かける行為や相手と共同して行う行為はきわめて重要である。なぜなら,黒人の男
たちが集合的に行う行為こそが社会的階層システムを構成し,社会的階層システム
となるからである。
注
1)Erving Goffman, “The Nature of Deference and Demeanor,” in his Interaction Ritual
(Chicago : Aldine, 1967) ; Erving Goffman, Asylums (New York : Doubleday, 1961)〔ゴ
ッフマン(石黒毅 訳)
『アサイラム』誠信書房,1980 年〕を参照。
2)空間のもつ社会的意義にかんする優れた著作については,Edward T. Hall, The Hidden
Dimension (New York : Doubleday, 1966)〔ホール(日高敏隆・佐藤信行 共訳)
『かく
れた次元』みすず書房,1970 年〕を参照。
3)Charles Horton Cooley, Social Organization (New York : Scribner’s, 1909)〔クーリー
(大橋幸・菊池美代志 共訳)
『社会組織論』青木書店,1970 年〕
,esp. p.23 を参照。
4)Robert K. Merton, “Social Structure and Anomie,” in his Social Theory and Social
Structure (New York : Free Press, 1957)〔マートン(森東吾・森義夫ほか 共訳)
『社会
理 論 と 社 会 構 造 』 み す ず 書 房,1961 年 〕
;Richard A. Cloward and Lloyd E. Ohlin,
Delinquency and Opportunity (New York : Free Press, 1960) を参照。
5)Hyman Rodman, “The Lower Class Value Stretch,” Social Force 42, no. 2 (December
1963) : 205-15 を参照。
─ ─
113
通信教育部論集 第 14 号(2011 年 8 月)
6)Marvin Scott and Stanford Lyman, “Accounts,” American Sociological Review 33
(February 1968),pp.46-62 を参照。
7)Howard S. Becker, “Notes on the Concept of Commitment,” American Journal of
Sociology 64 (1960) 32-40 ; and Orrin E. Klapp, Heroes, Villains, and Fool (Englewood
Cliffs, N. J. : Prentice-Hall, 1962), esp. pp.2-5 を参照。
8)Erving Goffman, The Presentation of Self in Everyday Life (New York : Doubleday,
1959)〔ゴッフマン(石黒毅 訳)
『行為と演技──日常生活における自己呈示』誠信書
房,1980 年〕を参照。
9)こうしたタイプの地位のプロセスは,社会言語学的には,
「コード変換」やこの変換が
助長し維持する印象と相互に関係しているのかもしれない。Dell Hymes, Foundations
in Sociolinguistics. (Philadelphia : University of Pennsylvania Press, 1974), pp.103-5 を
参照。
10)Samuel Heilman, Synagogue Life (Chicago : University of Chicago Press, 1976), esp.
chap.5. John Szwed, “Gossip, Drinking, and Social Control : Consensus and Communication in a Newfoundland Parish,” Ethnology 3, no.4 (October 1966) : 435 を参照。
11)たとえば,これらの頁を読んだ後で,同僚の E. Digby Baltzell は,彼の著書 Philadelphia Gentlemen(New York : Quadrangle Books, 1971)の心酔者たちが,おそらくは
すでに「ひとかどの人物だ」と思われるが,あらゆる種類の服従の手法を身に着けて
いると述べている。つまり,上流階級のクラブの階層組織内に見られる社会的相互作
用の込み入った出来事は,ジェリーの店のバーで発見されたものよりおそらくはもっ
とフォーマルであろうが,それと類似した社会的プロセスの事例であると述べている。
─ ─
114
Fly UP