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首都圏建設アスベスト訴訟判決

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首都圏建設アスベスト訴訟判決
北九州労健連ニュース
2012 年 12 月 25 日
第 88 号
北九州労働者
の健康問題連
絡会議
TEL 093-871-0449
発行
FAX 093-872-3695
〒804-0012 北九州市戸畑区中原東 3 丁目 1-1
http://rokenren.com/
建設現場でのアスベスト(石綿)被害につ
「一次的」な責任を負うべきなのは被告・建
いて、国に賠償を命じる初の判断が12月5
材企業42社です。ところが判決は、遅くと
日、東京地裁で言い渡されました。国が必要
も81年以降、危険性を明示する注意義務が
な規制を怠ったのは違法と断罪し、政治によ
あったとしながらも、その賠償責任をすべて
る救済を求める意見も付記しました。原告ら
免罪したのです。現場を渡り歩く建設労働者
が求めている、建材製造企業やゼネコンの相
にとって、病気の原因となる建材が、いつ、
応の負担による「被害者補償基金」の創設へ、
どこの会社の製品だったかを特定するのはほ
「大きな一歩」となりうるものです。
ぼ不可能です。
判決は、1972年には中皮腫などの深刻
裁判で、原告側は多数の加害者がいる場合、
な病気を引き起こすとの医学的知見が確立し
被害の因果関係を推定して加害者たちの責任
ていたとし、遅くとも81年1月の時点で、
を問う「共同不法行為」を指摘していました。
防じんマスクの着用義務
付けや警告表示などの規
首都圏建設アスベスト訴訟判決
石油コンビナート施設を操業す
る6社に賠償を命じた、四日市
制をおこなっていれば、
ぜんそくをめぐる公害裁判で活
「被害は相当程度防げた」
用された民法上の規定です(72
と指摘し、国に賠償を命
年、津地裁四日市支部)。
しかし、判決は被害者一人一
じました。
しかし、国の怠慢を指
人についての加害者の特定を求
摘する一方で、ゼネコン
めたうえで、被告42社の中に
などの支配下で労働者と
加害の可能性の少ない企業が含
一緒に働く一人親方や零細事業主は労働安全
まれているなどとして、原告の主張する「共
衛生法上の「労働者」ではないとし、対象か
同不法行為」を認めませんでした。
ら外したので、150人が救済されませんで
した。
これでは有害製品でもうけた加害企業が免
罪されてしまいます。そのせいか、判決は原
アスベスト含有建材の製造を禁止すべきだ
告側に「共感するところが少なくない」とし、
ったとの原告の主張も退けました。80年以
建材企業やゼネコンの責任による救済制度の
降、欧米各国が使用量を急減させるなか、
「石
創設について、
「 立法府と関係当局における真
綿の代替化の努力義務」
( 75年・労働省規則)
剣な検討」を求める異例の「意見」を付け加
にもかかわらず、ニチアスやクボタなどが2
えています。
000年代まで製造し続け、被害を拡大した
事実に目を閉ざす判断と言わざるを得ません。
安全衛生法上の国の責任は「二次的」とさ
れ、賠償額が3分の1に減額されています。
原告の願いは「生きているうちの解決」。救
済制度の早期確立へ、国を動かす運動が求め
られます。
九州建設アスベスト訴訟を支える会
- 1 -
北九州労健連ニュース
ウベボード交渉
福留事務局長より「判決では建材メーカーの共
-建材メーカーの責任を認め、救済基金制度の
被害拡大に寄与したことは否定できず、被害者
創設に向けて社内での検討を-
に対し責任を負わなくていいのかは疑問と付言
福建労は首都圏建設アスベスト訴訟統一本部交
された」
「責任を認め、裁判の目的である救済基
渉団の一員として、12月5日の東京地裁判決を
金制度の創設に向けて社内での検討を」と求め
受けて、12月13日にウベボード株式会社(山
ました。また、丸林書記次長より「被害にあっ
口県宇部市)を訪ねました。
た建設労働者の苦しみを考えてほしい。被害は
同不法行為にはあたらないとされたが、企業が
交渉団に
今後も拡大する。企業として責任を認め申し入
は九州建
れの趣旨を取締役会で議論してほしい」と訴え
設アスベ
ました。交渉はウベボードより管理本部管理部
スト訴訟
の村上部長ほか2名が対応し、事前の申し入れ
弁護団よ
事項に対して会社としては回答を述べられない
り山本団
としたものの、
「個人的な意見としては企業も責
長、福留事務局長ほか1名、福建労より丸林書記
任があると思う」
「役員を含め上部へ申し入れ内
次長ほか4名の計8名でのぞみ、全建総連よりウ
容を伝える」と述べ、継続的に局面に応じて今
ベボードへ事前に申し入れ、懇談に応じる回答を
後も懇談を行っていくことを確認しました。
(通信員・平安)
得ていました。
北九州労健連第 23 回定期総会報告
-次世代の担い手づくりに向け、「労働安全衛生学校」を開校-
去る 11 月 23 日、第 23 回定期総会を戸畑
の池上弁護士が経過報告とともに、北九州に
生涯学習センターで開催しました。総会と学
おけるアスベスト電話相談会の取り組みを提起、
習会には、13 団体と個人の 54 名が参加しま
12 月 8 日の土曜日に実施することを確認しま
した。
した。新日鉄住金アスベスト問題を考える会八幡
総会では、
の野澤さんは、たたかいの共有化の課題とし
第1号議案
てアスベストによる肺癌の労災認定について補強
「総括・方針」
発言、議案補強することを確認しました。福
を田村代表幹
建労の新屋敷さんは、九州建設アスベスト訴訟の
事が報告・提案しました。新年度方針では、
取り組みについて発言、ささえる会への参加
柱として次世代の後継者育成を最重点課題に
を呼びかけました。
位置づけられたことが大きな特徴です。北九
また、議案第2号で「今後の財政運営」に
州労健連に「労働安全衛生学校(北九州 ROUAN
関する議案が本提案され、寄せられた意見に
塾:仮称)を開設し、1 期 10 名程度の受講者
基づく会費に関わる規約(第 9 条)の補強を
の登録制として、1 年間を通じて職場の労働
第 3 号議案として提案され、いずれも承認さ
安全衛生活動を推進していく活動家育成を継
れました。柱とされた収入増に向けた会費増
続的に進めて行きます。
額要請は、各加盟組織で積極的に受け止めら
総会討論では、九州建設アスベスト訴訟弁護団
れ、この内容を含む予算(第 4 号議案)が承
- 2 -
北九州労健連ニュース
認されました。次期役員の選出(第 5 号議案)
総会では、会長に西田弁護士、副会長に上
では、幹事に 34 名、その中から代表幹事を
野先生(宮崎医療生協・医師)、事務局に吉田
11 名選出し、議長に永野忠幸さん(北九州市
さん、松本さん(宮崎民医連)、世話人に長住
職労)、副議長に日高琢二さん(健和会労組)
さん(宮崎民医連)を確認し、年明けて2月
があたることが確認されました。
に世話人会を開催し、役員補充、体制の確立、
総会に引き続く学習会は、9 月 29 日~30
今後の活動を議論することになりました。
日に取り組まれた東日本大震災の石巻市の被
連帯メッセージが鹿児島労健懇と北九州
災地調査の報告を永野議長が行いました。こ
労健連から寄せられ、宮崎の仲間を大きく励
の取り組みは「北九州労健連現地視察第 2 弾
ますものとなった。
『震災から 1 年半、石巻の今を考える』-北
九州労健連
石巻現地視察報告-」としてま
現地実行委員会の運動を
とめられています。後半では、新日鉄住金アス
ベスト問 題 を 考 え る 会 八 幡 が た た か っ て い る
長崎労健懇活動へ継承!
「新日鉄八幡コークス工場のタールによる肺
癌訴訟」について顧問の福田さんが講演、学
大成功裏に終えた「第 23 回人間らしく働
習を深め、たたかいの共有を深めました。
くための九州セミナーin 長崎」一年をかけて
北九州労健連副議長
取り組んできた現地実行委員会は12月11
日高
琢二
日(火)、15 団体 28 名が参加し閉会総会を行
働く人のいのちと健康を守る
った。
現地実行委員会の活動は「何が問題なの
宮崎県連絡会(仮称)結成
か?」を根本から問い直す活動であった。
現 地 企 画
九州で最後(9番目)となる「働くものの
(オープニ
いのちと健康を守る地方センター」が、2012
ング)は長
年 12 月 12 日宮崎で結成された。
崎 の 働 く
結成に先
人々のいの
立ち、
「 宮崎
ちと健康を
県における
守る闘いの成果を振り返り、長崎から九州
過労死の実
へ発信するものとなった。
態」と題し
メイン企画の「パワハラ問題」もタイムリ
て、西田隆
ーな企画で、パワハラを発生させない職場づ
二弁護士が講演を行った。宮崎は自殺率が1
くりが重要であること、労働組合の役割が重
1年間、全国のトップ10に入っていて、今
要であることが共通認識をなった。
年の過労死 110 番では10件の相談が寄せら
また、多くの若者がセミナー運動に参加し、
れている現状が紹介された。過労自死のご遺
次世代へ運動を引き継ぐきっかけとなった。
族も参加され、発言をされた。過労死を防止
現地でのセミナー運動は 30 年の歴史がある
していく運動の重要性が強調され、いの健宮
長崎労健懇の運動に継承することが確認され
崎(略称)の運動が労働者や市民から大きく
た。
期待されていることを確認した。
社会医学研究所
青木珠代
- 3 -
北九州労健連ニュース
新日鉄八幡コークス工場のタールによる肺がん訴訟
意 見 陳 述 書(2)
5
肺がんの末期は、呼吸ができなくなります
父の死亡
から、大変きつく辛い状態になります。本人
平成21年12月4日、父は肺がんで死亡
しました。死亡する10日前頃から父の容体
はもちろん、傍らで支える家族も同じです。
が悪くなったため、病室に家族が毎日交替で
苦しみながら死んでいく父を見るのは、本当
泊まり込むようになりました。
に辛いものがありました。
ただその頃はまだ父の意識もあり、家族と
6
最後に
会話もできていました。私が「お父さん、今
父が亡くなった後、これまで父や私たち家
何が一番したい?」と聞くと,「そうだな、阿
族を支えてくれた人たちから、仕事で肺がん
蘇の外輪山をゆっくり歩いてみたいな」と言
を発症したのであるから、被告会社に責任が
ったことは、昨日のように覚えています。
あるとの助言を受けました。
また、父は病床において「来年の手帳を買
他方、私たち家族は、父が被告会社にお世
ってきてくれないか」と家族に頼み、私が手
話になったという思いもあり、大変複雑な思
元に届けた手帳を受け取り、平成22年のカ
いでした。そのため、遺族や支援者の方々と、
レンダーを笑顔で見ていたその表情は、今で
何度もどうするかについて話し合いをしまし
もまぶたに強く焼きついております。
た。
その後数日が経ち、父が呼吸をしても肺で
ところで、父の死後、被告会社からは謝罪
酸素を取り入れることができなくなったので、
の手紙や謝罪の電話すら来たことがありませ
息苦しさを取り去る目的で麻酔薬が投与され
ん。大企業たる被告会社が、社員が労災で死
ました。麻酔薬を投与した結果、意識レベル
亡したという事実を受けても、何らの対応を
は極端に低下し、父は家族とのコミュニケー
しないのです。この被告会社の対応に加え、
ションがとれない状況になりました。
この裁判が被告会社の他の退職者や現役の
父の最期は、親族らが全員で看取りました。
方々の権利を救うことにつながると思ったこ
横になった父の目から涙が落ちました。 そ
と、苦しみながら死んでいった父の無念さを
の直後、医師が瞳孔を確認して、父が死んだ
会社に知って欲しい、被告会社の責任を明ら
ということを告げました。
かにしたい等の思いで、私たち遺族は裁判を
職業病になったこと、2年近くの闘病生活
することを決意しました。
中、望みどおりの結果にならなかったこと、
被告会社は大きな企業で、私は弱い一個人
家族を残して死んでいくこと等、色々な思い
に過ぎません。それでも私は今まで多くの人
がこめられた涙だったのだろうと思います。
に支えられて、この場に立つことができてい
私は、父が肺がんになって以降、医療の本
ます。
をたくさん読み、たくさんの「がん」に関す
この裁判では、父の死の真実と被告会社に
る論文も読みました。そして、日本の標準治
責任があることを明らかにして、今後、でき
療が世界のそれに遅れていることも分かり、
るだけ多くの、被告会社による被害者の救済
治療方法に関するセカンドオピニオンを求め、
活動に取り組んでいきたいと思います。
主治医以外の多くの専門医に会い、労災保
険・健康保険の適用外治療も続けてきました。
以上で私の意見陳述を終わります。
以 上
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