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An Essay on the Formation and Development of Day

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An Essay on the Formation and Development of Day
保 育 所 の 成 立 と発 展 に 関 す る 試 論
19世紀 フランスの事例から
岡
部
造
史*
An Essay on the Formation and Development of Day Nurseries
(creches): The Case of 19th-Century France
Hiroshi
OKABE
は じめ に
わ が 国 で は現 在 、 出 生 率 の 低 下 す な わ ち 少 子 化 へ の対 策 が 喫 緊 の 課 題 で あ り、 「子 育 て 支 援 」
の た め の さ ま ざ ま な方 策 が 検 討 され て い る 。 出 生 率 の低 下 は 欧米 諸 国 にお い て も共 通 の 問題 で あ
る が 、 そ の 中 で フ ラ ン ス は1990年
代 後 半 か ら出 生 率 が 順 調 な 回復 を示 して お り、 わが 国 に お い
て 「少 子 化 対 策 の モ デ ル 国 」 と して 注 目 を集 め て い る1)。
とこ ろ で 周 知 の通 り、 日本 の 「子 育 て 支 援 」 の重 要 な分 野 の 一 つ に、 子 供 の保 育 の 問題 が あ る。
この 分 野 にお い て も フ ラ ンス の 施 策 は重 要 とさ れ 、 これ ま で 多 くの 現 状 分 析 や 紹 介 が な さ れ て き
た2)。そ れ ら に よれ ば フ ラ ンス の保 育 サ ー ビス は か な り多 様 で あ るが 、 施 設 保 育(集
在 宅 保 育(家
庭 保 育)と
に大 別 さ れ る 。 前 者 は 保 育 所(託
児 所)creche3)、
団 保 育)と
後 者 は保 育 マ マ
assistantematemelleに よ る保 育 が 中 心 で あ る 。 特 に保 育 マ マ に よる保 育 は 全 体 の約3分 の2を 占 め
て お り、 フ ラ ンス の 特 色 と され る。 そ れ で は 、 こ う した保 育 制 度 は どの よ う に して形 成 され た の
だ ろ うか 。
フ ラ ン ス の少 子 化対 策 の う ち、 家 族 給 付 制 度 の 歴 史 的経 緯 につ い て は わ が 国 で も言 及 され る こ
とが 多 い が4>、保 育 サ ー ビス に つ い て は 十 分 に明 ら か に さ れ て き た とは言 い 難 い 。 しか し他 国 の
制 度 を参 照 す る 際 に は、 現 状 分 析 だ け で な く制 度 に 関す る 歴 史 的 考 察 も また 必 要 で あ ろ う。 こ う
した観 点 か ら、 本 稿 で は フ ラ ン ス の保 育 制 度 の歴 史 を、 そ の 主 力 の一 つ を なす 保 育 所 の 成 立 と発
展 に着 目 して 跡 づ け る こ と を 目 的 とす る。
フ ラ ンス の 保 育 所(集
団保 育 所)は
日本 の保 育 所 と異 な り、3歳 未 満 の 子 供 を受 け入 れ る保 育
施 設 で あ る(ち な み に3歳 か ら小 学 校 入 学 まで の子 供 は教 育 施 設 で あ る幼 児 学 校ecolematernelle
に 通 う)5)。 保 育 マ マ に代 表 さ れ る在 宅 保 育 が 乳 母 な ど に よ って 古 くか らお こ な わ れ て い た の に
対 して6)、保 育 所 は19世 紀 に な って 初 め て 成 立 した もの で あ る。 在 宅 保 育 が す で に存 在 す る 中 で 、
保 育 所 は どの よ うな理 由 か ら設 置 され た の か 。 ま た そ れ は どの よ う に普 及 ・発 展 した の か 。 この
*お かべ ひ ろ し 武 蔵野 大学 非常 勤/文 教 大学 生活 科学 研 究所客 員研 究員
133
問題 の 検 討 は 、 フ ラ ンス の 保 育 制 度 の 歴 史 を考 察 す る際 に きわ め て重 要 な位 置 を 占 め る と考 え ら
れる。
フ ラ ンス の 保 育 所 の 歴 史 につ い て 、 管 見 の 限 りい ま だ体 系 的 な研 究 は な され て い な い が7)、そ
の歴 史 的 評 価 と して 、 労 働 者 層 に対 す る 社 会 統 制 の 手 段 とみ な す 見 解 が 存 在 す る 。 た と え ば ラベ
ル ジ ュ は19世 紀 パ リの 保 育 所 に 関 して 、 そ れ を人 道 主 義 の 産 物 で あ る と 同 時 に社 会 秩 序 維 持 の
手 段 で あ っ た とす る8)。 しか し、 保 育 所 の 成 立 ・発 展 を 単 に社 会 統 制 の進 展 と して の み把 握 す る
こ とは 、 歴 史 的 な理 解 と し て あ ま りに不 十 分 で あ ろ う。 こ の 点 で 示 唆 的 な の は ロ レ ニエ シ ャ リエ
に よる 第 三 共 和 政 期(1870-1940年)の
乳 幼 児 政 策 に関 す る 著 作 で あ る。 この 研 究 は保 育 所 に 関
して も詳 細 な デ ー タ を提 示 して い るが 、 乳 幼 児 政 策 を、 さ ま ざ ま な主 体 が 関 与 し、妥 協 や 変 化 を
と もな う複 雑 な プ ロ セ ス と して 捉 え る こ と を試 み て い る9)。本 稿 で は こ う した 研 究 を踏 ま えつ つ 、
支 配 階 層'°)と民 衆 との 関 係 だ け で な く、 中央 と地 方 との 関 係 や 支 配 階 層 内 の 差 異 な ど も視 野 に
お さ め 、 また 時 代 状 況 の変 化 も考 慮 す る こ とで 、 社 会 統 制 とい う従 来 の 歴 史 的 イ メ ー ジの 深 化 を
図 りた い ー-)。
フ ラ ンス の 保 育 所 の 歴 史 を検 討 す る 際 、 本 来 そ の成 立 か ら現 代 まで を射 程 に入 れ るべ きで あ る
が 、 こ こ で は と りあ えず 第 一 次 大 戦 前 夜 まで の 時 期 を考 察 対 象 とす る。 以 下 、 第 一 章 で は 保 育 所
の 創 設 者 の 思 想 や 論 理 を 明 らか にす る。 続 く第 二 章 で は保 育 所 の 普 及 と発 展 の プ ロ セ ス を、 地 方
(ノ ー ル県)の
事 例 か ら、 主 に 支 配 階層 の 動 向 を 中心 に検 討 す る。 そ し て最 後 に保 育 所 の タ ー ゲ
ッ トで あ る 労働 者 層 の 反 応 、 す な わ ち保 育 所 事 業 の実 態 につ い て 言 及 した い 。 なお 、本 稿 で 用 い
る史 料 は 保 育 所 創 設 者 の 著 作 、 ノ ー ル 県 文 書 館(ADN)所
(AML)所
蔵 の 市 議 会 議 事 録'2)、ル ー ベ 市 文 書 館(AMR)所
蔵 の非刊行 史料 、 リール市 文書 館
蔵 の非 刊 行 史 料 、 そ れ に 同 時代 文 献
な どで あ る 。
1保
育所の成立
フ ラ ンス で は18世 紀 後 半 か ら保 育 所 設 立 の 思 想 が み ら れ る が'3)、実 際 に そ れ が 建 設 さ れ た の
は 、19世 紀 前 半 の パ リ に お い て で あ る 。 当 時 の パ リ は急 激 な工 業 化 ・都 市 化 の 只 中 にあ り、 生
活 の た め に家 庭 の 外 で働 く数 多 くの 女 性 を生 み 出 した が 、 そ の こ とは ま た、 働 く母 親 の 子 育 て の
問題 を提 起 す る こ とに な っ た 。 先 にふ れ た よ う に、 フ ラ ンス で は古 くか ら生 まれ た子 供 を遠 方 の
乳 母 に あず け る 慣 習 が存 在 した が 、 パ リ で は 乳 母 を雇 う余 裕 の な い 貧 困 層 も多 く、 そ う した 階層
の働 く母 親 は、 当 時 「託 児 所garderie」 や 「離 乳 児 あ ず か り所maisondesevrage」
と呼 ば れ た施
設 に子 供 を あ ず け て い た14)。これ ら は民 衆 層 の 社 会 関 係 の 中 で 成 立 した もの と考 え られ 、 当 時 の
パ リ及 び そ の郊 外 に お い て 数 百 存 在 した と され る。 しか し衛 生 面 な どで の 不 備 が 指 摘 され 、 そ れ
に対 す る公 権 力 の 監 視 ・規 制 も十 分 な もの とは い え な か っ た。
こ う した 状 況 に対 して 、 法 律 家 で 当 時 パ リ1区 の 助 役 で あ っ た フ ィル マ ン ・マ ル ボ ーFirmin
Marbeau'5)は 、 母 親 が 働 い て い る子 供 をあ ず か る新 た な施 設 の 設 置 を提 案 し、 王 室 や 教 会 関 係 者 、
行 政 当 局 の 協 力 の も と に 、1844年11月
に現 在 の パ リ8区 に位 置 す る シ ャ イ ヨ ー 地 区 に フ ラ ン ス
で最 初 の保 育 所 を 開 設 した(図1)16)。
こ の保 育 所 は2歳 未 満 の 嫡 出子 を対 象 と し、 母 親 が 品 行
方 正 で あ る こ と な どが 受 け 入 れ の条 件 と さ れ た 。 子 供 の 世 話 は 子 守 女berceusesが
担 当す るが 、
食 事 の 時 間 に は 母 親 が 授 乳 の た め に 立 ち 寄 る こ と と さ れ た 。 ま た 役 員directricesや
inspectrices(い ず れ も女 性)及
監視 員
び 医 師 が所 内 の 監 督 を お こ な い、 特 に医 師 は 毎 日訪 問 す る こ と と
134
(CrOc6epourle8enfanlsp題u▼reaou7erte3Ch趣iHo乙
図1マ
ル ボ ー の 保
」
育 所 の 内 部
出 典:LABERGE,AnnF.,《MedicalizationandMoralization:the'CrechesofNineteenth-CentryParis",Journal
ofSocialHistory,v.25,n.1,1991,p.68.
され た17)。
こ の保 育 所 は労 働 者 に対 して 従 来 よ りも廉 価 で 、 か つ環 境 の 良 い 保 育 の 場 を提 供 す る こ とが 目
的 で あ り、 ひ とつ の 慈 善 事 業 と して 構 想 さ れ て い た 。 しか しマ ル ボ ー に と っ て 慈 善 と は 同 時 に 、
「統 治 の 手 段 」 で もあ っ た'8)。当 時 の パ リで は 労 働 者 の 貧 困 や 劣 悪 な 生 活 環 境 が 深 刻 な 「
社会問
題 」 を形 成 して お り、 支 配 階 層 は革 命 運 動 の 防 止 と い っ た 観 点 か らそ の対 策 を迫 られ て い た 。彼
らは労 働 者 の貧 困 問 題 を労 働 問 題 とは 考 えず にそ の労 働 習 慣 や 生 活 習 慣 に起 因す る と し、 労 働 者
の道 徳 化 に よっ て 問 題 が 解 決 で きる と考 え た 。 そ の 際 、 道 徳 化 の土 台 と され た の が 健 全 な家 族 生
活 で あ り、特 に親 子 関係 で あ っ た19)。した が っ て 、 当 時 子 供 の 問 題 は社 会 秩 序 の維 持 にか か わ る
問 題 で あ り、保 育 所 は支 配 階 層 に よ る統 治 の 一 環 と して 構 想 され て い た2°)。
そ れ で は 保 育 所 は 、 「社 会 問 題 」 へ の対 応 策 と して 具 体 的 に どの よ う な役 割 を果 た す も の と さ
れ た の か 。 マ ル ボ ー は 、 保 育 所 が 以 下 の よ う な さ ま ざ ま な 「効 能 」 を持 つ と主 張 す る21)。ま ず 、
保 育 所 は適 切 で 衛 生 的 な生 育 環 境 を提 供 す る こ とで 乳 幼 児 の衰 弱 や 死 亡 を 防 ぎ、 将 来 的 に よ り多
くの屈 強 な 労働 者 や兵 士 を生 み 出 す 。 次 に 、 母 親 は 従 来 よ り も安 い 費 用 で子 供 をあ ず け る こ とで
よ りい っ そ う家 計 を助 け る こ と に な り、 家 族 も貧 困 に陥 らず にす む 。 他 方 、子 供 の 受 け入 れ 条 件
を満 たす た め に母 親 が健 全 な 家 庭 生 活 に努 力 す る とい う 「道 徳 的効 果 」 も期 待 され た。 さ ら に こ
う した保 育 所 に よる慈 善 は 、 貧 困 層 の人 々 に宗 教 や 法 律 、 体 制 へ の 敬 意 を 生 じ させ 、冨 者 と貧 者
135
との 「
慈 善 と感 謝 か らな る 絆 」 を作 り出 す こ と に よ っ て 、 一 種 の 階級 協 調 を実 現 す る と され て い
た。
以 上 の 点 を ま とめ る な らば 、 保 育 所 は 、 母 親 の 家 庭 外 労 働 と家 庭 内 で の 育 児 を 両 立 させ る こ と
で 労 働 者 層 の 経 済 的 な必 要 を満 たす と と もに 、彼 ら を健 全 な 家 族 生 活 を通 じて道 徳 化 す る こ と に
よ っ て 、 既 存 の社 会 秩 序 の 安 定 を 目指 す もの で あ っ た 。 そ れ は一 言 で 言 うな ら ば 、 「労 働 と徳 に
よ っ て貧 困 と戦 う」 こ とで あ り22)、この 意 味 で は先 行 研 究 の指 摘 す る よ う に、 社 会 統 制 の 手 段 で
あ っ た とい え る 。
しか し母 親 の家 庭 外 労 働 を認 め る こ と と、 親 子 の 絆 や 「母 性 愛 」 に基 づ い て家 族 を道 徳 化 す る
こ と とは 、根 本 的 に矛 盾 す る も の で あ っ た。 す な わ ち保 育 所 に よ る社 会 統 制 とは 、 労働 者 の必 要
との 妥 協 を図 っ た た め に、 当 初 か ら限 定 的 な も の と して 構 想 され て い た23)。さ らに 、 母 親 の 労 働
の 問 題 に対 して 、子 供 を家 庭 で 養 育 させ る在 宅 援 助 で は な く家 庭 外 で の子 供 の集 団保 育 とい う方
策 が 選 択 され た の は 、 費 用 が よ り安 く済 む とい う経 済 的 な理 由 に よ る もの で もあ っ た24)。
以 上 の よ う に 、 フ ラ ンス の保 育 所 は19世 紀 の 工 業 化 ・都 市 化 の 進 展 を背 景 と し、 労 働 者 の貧
困 問 題 の 解 決 に よ る 社 会 秩 序 の 維 持 と い う支 配 階 層 の 課 題 と結 び つ い て 生 ま れ た もの で あ っ た 。
しか し上 記 の よ うな 矛 盾 を は ら んで い た た め 、 当 時 の 社 会 統 制 にお い て い わ ば特 異 な位 置 を 占 め
る もの で もあ っ た25)。こ の施 設 は地 方 にお い て どの よ う に普 及 ・発 展 した の か 。 次 章 で は こ の 問
題 を検 討 す る。
II保
育 所 の 普 及 と発 展
一 ノール県の場合一
マ ル ボ ー に よ る最 初 の施 設 設 置 の後 、 保 育 所 は急 速 な広 が りをみ せ 、パ リ を含 む セ ー ヌ 県 で は
1850年 代 始 め に26の 保 育 所 が 活 動 して い た26)。フ ラ ンス全 体 で は、1868年 の 公 式 調 査 に お い て
85の 保 育 所 が 確 認 され て い る27)。政 府 も こ の 種 の事 業 に 多 大 な 関 心 を寄 せ 、1848年 の 二 月 革 命
な ど に よ る体 制 の変 動 に もか か わ らず 、 数 回 に わ た っ て設 置 を促 す よ う県 知 事 に通 達 を出 して い
る28)。しか しそ の 有 用 性 が 直 ち に公 権 力 に よ っ て承 認 され た わ け で は な く、1849年
は託 児 所 協 会Societedescrechesの
と1853年
に
公 益 性 承 認 の 要 求 が 政 府 に よ っ て 否 決 さ れ て お り29)、保 育 所 が
公 式 に認 可 され る の は1862年 の 政 令 を待 た な け れ ば な ら な い3°)。
そ の後1870年
代 に は 、保 育 所
の 設 置 を部 分 的 に義 務 化 す る こ とが 国 政 レ ヴ ェ ル にお い て提 案 され て い る が 、 実 現 す る こ とは な
か った31)。
パ リ に お け る保 育 所 の 普 及 につ い て は 、 す で に ラベ ル ジ ュ が 検 討 して い る。 そ れ で は 地 方 の状
況 は ど の よ う な もの で あ っ た の か 。 以 下 で は 地 方 の事 例 と して 、 北 フ ラ ンス の ノ ー ル 県 を取 り上
げ る(図2)。
この 県 は 当 時 セ ー ヌ 県 に 次 ぐ人 口 を有 す る 国 内 有 数 の 工 業 地 帯 で あ り、 特 に 県 庁
所 在 地 の リー ル 及 び周 辺 の ル ー べ 、 トゥル コ ワ ン、 アル マ ンテ ィエ ー ル とい っ た都 市 は 繊 維 工 業
の 中 心 地 域 と して多 くの 女 性 労働 者 を か か えて い た 。 ま た早 くか ら労 働 者 の 劣 悪 な生 活 条 件 に よ
っ て も知 られ 、 乳 児 死 亡 率 な ど も高 い数 値 を示 して い た。 以 上 の 点 か ら、 この 地 域 は 地 方 で の保
育 所 の 普 及 ・発 展 を考 察 す る 際 に格 好 の事 例 を提 供 す る もの と考 え られ る 。
1.慈 善 と し ての 保 育所 事 業
まず 、 保 育 所 設 置 以 前 の ノ ー ル 県 にお け る子 供 の保 育 の状 況 につ い て 一 瞥 して お きた い 。19
世 紀 中 葉 の リー ル に お け る労 働 者 の 生 活 を詳 細 に分 析 した ピエ ラー ル は、 当 時 こ の 地 域 に は 「ガ
136
〈ノ ー ル 県 全 図 〉
鳥
〈フ ラ ン ス 全 図 〉
図2ノ
出 典:ポ
ニ ー ・G.ス
ミス 、 井 上 堯 裕/飯
ール県 の地 図
泉 千種訳
象 世 界 』(法 政 大 学 出 版 局 、1994年)。
『有 閑 階 級 の 女 性 た ち
フ ラ ンス ブ ル ジ ョ ア女 性 の 心
た だ し都 市 名 の 表 記 は 本 文 中 の もの と多 少 異 な っ て い る 。
ル デ ィエ ンヌgardienne」 や 「ソ ワニ ュ ー ズsoigneuse」
と呼 ば れ る女 性 に よ る保 育 が 約60か 所 に
お い て お こ な わ れ 、 衛 生 や 安 全 面 で の 不 備 が 指 摘 さ れ て い た とす る32)。また リー ル の あ る市 会 議
員 は1871年
に 、 市 内 に は家 族 の 生 計 の た め に外 で働 く既 婚 の女 性 が2千 人 存 在 す るが 、 そ の子 供
た ち は不 潔 さ や 空 腹 に苦 しん で い る と述 べ て い る33)。こ の よ う に、 ノ ー ル 県 に お い て もパ リ と同
様 、19世 紀 半 ば に お い て子 供 の保 育 の 問 題 が 深 刻 な もの と して 受 け 止 め られ て い た こ とが わ か
る。
前 述 の よ う に 、 保 育 所 は地 方 都 市 に も早 くか ら普 及 し、1850年 代 始 め に は マ ル セ イユ 、 ル ア
ン、 ナ ン ト、 ボ ル ドー な どの都 市 で そ れ ぞ れ 複 数 の保 育 所 が存 在 した34)。一 方 ノ ー ル 県 で は1846
137
年 に 県 南 部 の ド ゥエ 、1850年 に は カ ン ブ レ にそ れ ぞ れ保 育 所 が 設 置 され たが35)、本 格 的 な普 及 は
1860年 代 を待 た な け れ ば な らな い 。 こ の 時 期 か ら1880年 代 にか け て リ ー ル とル ー べ とい っ た 主
要都 市 に そ れ ぞ れ4つ の 保 育 所 が 設 置 され 、 ま た アル マ ンテ ィエ ー ル や 県 北 部 の ダ ンケ ル ク とい
っ た都 市 に も施 設 が 置 か れ る こ とに な っ た36)。
と こ ろで 、 ノ ー ル県 の 主 要 都 市 に お い て 保 育 所 の 設 置 が他 の 地 方 都 市 に比 べ て遅 れ た の は どの
よ うな 理 由 に よ る もの な の か 。 こ れ に つ い て 、本 稿 で は 明確 な 手 が か りを得 る こ とが で きな か っ
た が 、 ひ とつ 注 目す べ き は保 育 所 事 業 の 担 い手 の 問 題 で あ る 。 地 方 都 市 で の保 育 所 の 建 設 に 際 し
て は 、教 会 関係 者 や 地 方 議 員 、 宗 教 サ ー ク ル 、 労働 者 な どの 多 様 な イ ニ シ ア テ ィヴ が み られ た が
37>
、 ノ ー ル 県 の 場 合 、 カ トリ ッ クの 信 仰 に厚 い ブ ル ジ ョワ 女 性 が 重 要 な役 割 を担 っ た 。 ス ミス に
よれ ば、 彼 女 ら は19世 紀 初 期 に は夫 と 同 じ く実 業 活 動 に参 加 して い た が 、 工 業 化 の 進 展 に伴 い
家 庭 に退 く と同 時 に宗 教 や 慈 善 事 業 に傾 倒 し始 め 、 世 紀 後 半 以 降 、 彼 女 ら の慈 善 組 織 は県 全 体 に
普 及 す る こ と に な っ た と い う38)。こ う した点 を考 慮 す る な ら ば 、保 育 所 の建 設 時 期 は 子 供 の状 況
だ け で な く、 慈 善 事 業 の 担 い 手 の状 況 に も大 き く左 右 され た と考 え られ る。
で は 、 ノ ー ル 県 の ブ ル ジ ョワ女 性 は どの よ うな 意 図 か ら保 育 所 を建 設 し た の か 。 ス ミス も主 張
す る よ う に、 彼 女 ら は単 にパ リ の先 例 に倣 っ た わ けで は な い 。 保 育 所 の 設 立 は ま ず何 よ り も、 こ
の 地域 にお け る 高 い 乳 幼 児 死 亡 率 を 減 少 させ る こ とが 目的 で あ っ た。 しか し単 に子 供 の 救 済 の み
が 目指 され て い た わ け で は ない 。 リー ル の 保 育 所 で は母 親 の 品 行 方 正 や子 供 が 嫡 出 子 で あ る こ と
が 受 け 入 れ 条 件 と さ れ て お り、 ま た 「怠 惰 と悪 徳 を奨 励 し、 母 性 の神 聖 な絆 を損 な う」 こ との な
い よ う に、 母 親 が1日10サ
ンチ ー ム の 養 育 料 を 支 払 う こ とが 定 め られ て い た。 ま た ル ー ベ で は母
親 が授 乳 の た め に保 育 所 に1日2回
立 ち寄 る こ とが 義 務 と され て い た。 す な わ ち こ こ で も、 母 親
の 労 働 を助 け る と同 時 に、 「貞 節 な 母 性 」 に基 づ く労 働 者 の 道 徳 化 が 目指 され て い た の で あ り、
こ の 点 にお い て 、 ノ ー ル 県 の保 育 所 もま た 社 会 統 制 と して の性 格 を有 して い た39)。た だ し彼 女 ら
の構 想 を1840年 代 の マ ル ボ ー らの もの と単 純 に 同 一 視 す る こ と は で き な い 。 ブ ル ジ ョワ 女 性 に
とっ て 保 育 所 と は神 が 与 え た社 会 秩 序 へ の 服 従 を 示 す もの で も あ り4°)、
労 働 者 に よる 革 命 運 動 の
防止 とい っ た意 図 が 明確 に示 さ れ て い た わ け で は なか っ た か らで あ る 。
一 方 、 こ う した 保 育 所 の 設 置 を め ぐっ て 、 ノ ー ル 県 の都 市 有 力 者 の 間 で は見 解 の 対 立 が 存 在 し
た 。 た とえ ば リ ー ル 市 議 会 で は1870年 代 始 め に保 育 所 の 有 用 性 を め ぐ っ て 論 議 が 起 こ る が 、 保
育 所 に 反 対 す る議 員 は そ れ が 母 子 を 引 き離 す もの で あ る こ と、 しば しば伝 染 病 の発 生 源 とな っ て
い る こ と、 あ ず け られ た 子 供 の 死 亡 率 が 高 い こ とな ど を指 摘 し た4')。た と え ば最 初 の 点 に つ い て
あ る 議 員 は 、 「道 徳 的 観 点 か ら は 、 保 育 所 は家 族 の 絆 の侵 害 で あ る」 と述 べ 、外 で 働 く母 親 に対
して は む しろ在 宅 援 助 の 支 給 を検 討 す べ きで あ る と主 張 した42)。こ う した 意 見 は市 議 会 に お い て
優 位 を占 め る に は至 らな か っ たが 、保 育 所 に賛 成 す る議 員 の 中 に も、 そ の 有 効 性 につ い て慎 重 な
態 度 を取 る者 が存 在 した 。 ま た 同 じ時期 の トゥル コ ワ ンで は 、 聖 職 者 が 労 働 者 の 道 徳 化 の た め に
は 、 母 親 が 作 業 場ateliersに 通 わ ず に家 事 に専 念 して い る 方 が 好 ま しい と み な して い た とい う43)。
こ う した 事 例 は 、 母 親 の 労 働 の必 要性 に配 慮 しつ つ 労 働 者 の 道 徳 化 を図 る とい う保 育 所 の性 格 を
め ぐっ て 、 都 市 の 支 配 階 層 の 間 で コ ンセ ンサ ス が 形 成 され な か っ た こ と を示 す もの とい え る。 こ
の こ と を踏 ま え る な らば 、 ノ ー ル県 に お け る保 育 所 の 普 及 は 、 地 域 の 支 配 階層 の コ ン セ ンサ ス の
も とに お こ な わ れ た の で は な く、 慈 善事 業 に携 わ る ブ ル ジ ョワ女 性 と男 性 で あ る 都 市 有 力 者 層 の
間 で の 、 あ る い は都 市 有 力 者 層 内部 で の 対 立 を は らむ もの で あ っ た と考 え られ る 砌。
138
2.自
治体保育所 の成立
前 節 にお い て 述 べ た よ う に、 ノ ー ル 県 にお け る保 育 所 は ブ ル ジ ョワ女 性 に よ る カ トリ ッ ク 的慈
善 事 業 と して の 色 彩 の 強 い もの が 多 か っ た 。 この た め1880年 代 に初 等 教 育 を め ぐる 共 和 政 とカ
トリ ッ ク との抗 争 が 激 化 す る と、 都 市 有 力 者 の 間 で も保 育 所 の 宗 教 的 性 格 へ の 批 判 が 噴 出 した 。
た と え ば1883年
の リ ー ル 市 議 会 で は保 育 所 が 住 民 の 学 校 選 択 に悪 影 響 を及 ぼ して お り、 ま た嫡
出子 で な い子 供 を排 除 して い る と して 批 判 され 、 そ の 結 果 、 保 育 所 へ の補 助 金 の廃 止 が 決 定 され
て い る45)。
た だ しこ こで の 批 判 は 、 母 親 の家 庭 外 労 働 を容 易 にす る とい う 、保 育 所 の 機 能 そ の もの に も向
け られ て い た 。 た とえ ば 先 の リー ル 市 議 会 に お い て 保 育 所 批 判 の先 頭 に立 っ た議 員 ク レ ピCrept'
は 、 母 親 の子 供 へ の 愛 情 こそ が 家 族 の 最 も強 固 な基 盤 で あ るが 、 保 育所 は母 親 の子 供 へ の 授 乳 の
機 会 を奪 っ て お り、 自然 の 法 則 に 反 して い る と述 べ て い る46)。1880年 代 にお い て も保 育 所 そ の も
の に対 す る批 判 は依 然 と して 存 在 した の で あ り、 そ れ が保 育 所 の宗 教 的 性 格 へ の批 判 に別 の論 拠
を 与 え る こ と に な っ た とい え る。
と こ ろ で 前 述 の よ う に、 保 育 所 にお け る非 嫡 出子 の排 除 は労 働 者 の 道 徳 化 と して の 意 味 を持 っ
て い た 。 しか し19世 紀 末 以 降 、 医 療 技 術 の 進 展 と人 口 問 題 の 深 刻 化 を背 景 と して 、 保 育 所 で は
家 族 を重 視 す る カ トリ ッ ク的 道 徳 の 遵 守 よ りも む しろ 乳 幼 児 死 亡 を防 ぐた め の衛 生 措 置 が 重 視 さ
れ る よ う に な る47)。た とえ ば1880年
代 後 半 に政 府 に よ る 保 育 所 調 査 が お こ な わ れ るが 、 そ こで
は 先 の 非 嫡 出 子 の扱 い だ け で な く、 保 育 所 の 衛 生 状 態 全 般 につ い て 細 か く質 問が な され た 。特 に
問 題 と な った の は 当 時不 衛 生 と され て い た チ ュ ー ブ付 哺 乳 び ん の使 用 で あ り、 政 府 は この 種 の 哺
乳 び ん を使 用 す る施 設 に対 して 国 家 補 助 金 を停 止 す る措 置 を取 っ た48)。また1897年5月
の 政令 で
は 、 県 知 事 が 子 供 の生 命 や健 康 に危 害 が 及 ぶ と判 断 す る場 合 に保 育 所 の 閉鎖 を命 令 で き る な ど、
衛 生 に 関 す る措 置 が 強 化 され て い る 。 さ ら に 同 年12月 の 内 務 省 令 で は 、 チ ュ ー ブ 付 哺 乳 び ん の
使 用 自体 が 禁 止 され た 。 こ う した 衛 生 の 重視 は 、道 徳 化 を め ぐっ て 保 育 所 が 抱 え て い た矛 盾 を解
消 す る もの で あ り、 支 配 階 層 の 問 で の見 解 の 対 立 を軽 減 す る方 向 に働 い た と思 わ れ る。
1890年 代 に な る と、 先 の 慈 善 保 育 所 批 判 の動 きな ど を受 け て 、 都 市 自 治 体 に よ る保 育 所 建 設
が 始 ま る 。 ノ ー ル 県 で は1910年
頃 ま で に リ ー ル 、 ル ー べ な どに 自治 体 の公 立 保 育 所 が 設 置 され 、
特 に ル ー ベ で は 第 一 次 大 戦 前 夜 まで に4つ の 施 設 が置 か れ て い る。 た だ し 自治 体 の 保 育 所 事 業 が
慈 善 事 業 に取 っ て代 わ っ た わ け で は必 ず し もな い 。 ル ーベ で は 慈 善 保 育 所 が市 の 補 助 金 の 廃 止 に
よ る財 政 難 な どか ら1900年
ま で にす べ て 閉 鎖 さ れ た が 、 リ ー ル で は 自治 体 保 育 所 設 置 の 後 も民
間 施 設 の 活 動 が 続 い て い た こ とが 史 料 か ら確 認 で きる49)。したが って 、 自治 体 保 育 所 の建 設 は結
果 と し て保 育 所 全 体 の増 加 に つ な が っ た の で あ り、 ノ ー ル 県 で は1910年 頃 に公 立 民 間 合 わ せ て
16の 保 育 所 が確 認 され て い る5°)。
と ころ で 、 自治 体 に よ る保 育 所 建 設 の 動 きは 、 子 供 の救 済 は カ トリ ック 的 慈 善 や 道 徳 で は な く、
科 学 的 か つ平 等 主 義 的 な 基 準 に基 づ くべ き とい う考 え に よる もの で あ った51)。こ う した動 きは保
育 所 の社 会 統 制 の あ りか た に影 響 を与 え た の だ ろ うか 。 これ につ い て 、 た と え ば ル ー ベ の 自治 体
保 育 所 の 規 則 で は 、 慈 善 保 育 所 の 「母 親 の 義 務 」 や 母 親 の 品 行 方 正 と い っ た 条 項 が み ら れ な い 。
そ の 一 方 で 、伝 染 病 の疑 い の あ る あ ら ゆ る子 供 を直 ち に 隔 離 で きる な ど、 科 学 や 衛 生 に基 づ く措
置 が 強 化 され て い る52)。この こ とは 、 社 会 統 制 の 主眼 が 秩 序 維 持 で は な く、 科 学 的 な根 拠 に基 づ
く身体 の 規 律 化 に置 か れ る よ う に な っ た こ と を示 して い る よ う に思 わ れ る。 そ こ で の 社 会 統 制 と
は家 族 を単 位 とす る の で は な く、 個 人 ひ と りひ と りに直 接 か つ 平 等 に向 け られ る もの で あ っ た 。
139
皿 保育所事業の実態
19世 紀 後 半 か ら20世 紀 初 頭 に か け て 、 フ ラ ン ス の 保 育 所 は大 き く発 展 した 。1880年 代 末 に は
全 国 で お よそ260の 施 設 が 存 在 し、1907年 に そ の 数 は450に
まで 拡 大 した53)。しか し先 行 研 究 は 、
保 育所 をめ ぐ る支 配 階層 の 意 図 は ほ とん ど実 現 しな か っ た と して い る54)。そ れ で は 当 時 の ノ ー ル
県 の保 育 所 事 業 、 特 に子 供 の 受 け入 れ の 実 態 は どの よ うな もの で あ っ た の か 。 そ れ は マ ル ボ ー ら
の構 想 した よ う な社 会 統 制 上 の 機 能 を果 たす もの だ っ た の か 。 最 後 に こ の 点 を確 認 して お きた い 。
ノー ル 県 第 二 の 都 市 ル ー ベ にお い て慈 善 保 育 所 と 自治 体 保 育 所 に あず け られ た子 供 の 数 は グ ラ
フ1の 通 りで あ る。 特 に慈 善 保 育 所 の場 合 、 施 設 の 閉 鎖 な どの た め に子 供 の 数 にか な り変 動 が み
人数
450
一●一 慈 善 保 育 所
一■ト 自治 体保 育 所
400
350
300
250
200
150
100
50
0
グ ラ フ1ル
ー ベ の保 育 所 に お け る子 供 数
出 典:ADN,x57-58;AMR,QIII(a);VilledeRoubaix,Crechesmunicipales,n.1,n.d(AMR).
140
ら れ る が 、 全 体 と して 増 加 傾 向 に あ り、 特 に 自治 体 保 育 所 の 設 置 に伴 い20世 紀 初 頭 に は 年 間400
人 以 上 に ま で 達 して い る。 しか し当 時 の ル ー ベ の 年 間 出 生 数 は お お よ そ2千 人 台 か ら3千 人 台 で
推 移 して お り55)、こ れ らの 子 供 た ち は都 市 の 子 供 全 体 の ご く一 部 を 占 め て い た に過 ぎ な い 。 同 様
の 傾 向 は リ ー ルや ダ ンケ ル ク に お い て もみ ら れ る 。
そ れ で は彼 らは母 親 が 働 い て い る子 供 全 体 の 中 で どれ だ け の 比 率 を 占 め て い た の か 。 これ に関
して本 稿 は 十 分 な デ ー タ を提 示 す る こ とが で きな い が 、 た と え ば1876年 の リー ル の保 育 所 の 報
告 は 、従 来 か らの 「託 児 所 」 の存 在 が 保 育所 事 業 拡 大 の深 刻 な 障 害 の 一 つ とな っ て い る と述 べ て
い る56)。当 時 乳 幼 児 保 護 法 の 実 施 に か か わ っ て い た 医 師 た ち も、 日中 の 間近 所 の 女 性 や 「ソ ワニ
ュ ー ズ 」 に あず け ら れ る子 供 の 存 在 につ い て しば しば 報 告 して い る57)。こ れ らの 事 例 は 、保 育 所
の 設 置 の 後 も、 子 供 を 「託 児 所 」 や 子 守 女 な ど従 来 の 保 育 の場 にあ ず け る母 親 が 後 を絶 た な か っ
た こ と を示 唆 して い る58)。
労 働 者 層 が 保 育 所 を忌 避 した 理 由 と して は、 まず 、 受 け入 れ 条 件 が 厳 しか った り、 さ ま ざ ま な
書 類 の提 出が 必 要 で あ っ た点 が あ げ られ る。 しか しそ もそ も、 保 育 所 の運 営 形 態 が 働 く母 親 の ニ
ー ズ に完 全 に応 え る もの で は なか っ た 。 た とえ ば ル ー ベ の あ る市 会 議 員 は1892年 に 、 保 育 所 に
月 曜 の 朝 あ ず け られ た子 供 が 土 曜 の夜 ま で 居 続 け る こ と を可 能 にす べ き とい う提 案 をお こ な い 、
以 下 の よ う に述 べ て い る。
「私 は労 働 者 階 級 の た め に 、 保 育 所 の 現 行 の組 織 を変 更 す べ き と考 え ます 。 現 在 は毎 日夜 の8
時 に子 供 を保 育 所 か ら連 れ て 帰 ら な け れ ば な り ませ ん が 、 多 くの 女 性 は そ の 時 間 ま で働 い て お り、
同 じ時 間 に工 場fabriqueと 保 育 所 に い る の は 非 常 に難 しい の で す 。
朝 、 仕 事 の前 に 子 供 の支 度 を して保 育 所 に連 れ て 行 くの は 時 間 が か か り、 母 親 は休 む こ と もで
きず に健 康 を 害 し ます 。 私 は この 点 に 関 して家 庭 の 母 親 の 要 求 を満 たす た め に は、 何 か 別 の こ と
が 必 要 と考 え ます 。」59)
この 発 言 は 、 た と え保 育 所 よ り高 額 で あ っ て も、 よ り柔 軟 な保 育 の あ りか た を労 働 者層 が 求 め
て い た こ とを 示 して お り、 よ り廉 価 で 環 境 の 良 い 保 育 の場 を提 供 す る とい う保 育 所 の 趣 旨の 限界
を示 す も の とい え る。 しか し先 行 研 究 の い う よ う に、 労 働 者 層 は単 に保 育所 を忌 避 した だ け で は
な い 。 た とえ ば ル ー ベ の 自治 体 保 育 所 で は、 母 親 が 、 子 供 を幼 児 学 校 に 送 り迎 え を す る時 間が な
い こ と を理 由 に年 齢 制 限 を過 ぎ た子 供 を ひ きつ づ き保 育 所 が あ ず か る こ と を求 め た り、 母 親 で は
な く父 親 が 子 供 の 受 け 入 れ を 申 請 す る とい っ た事 例 が み られ る6°)。
こ う した事 例 か らは 、 設 立 者
の 意 図 に そ ぐわ ない 形 で あ っ て も、 労働 者 は彼 ら(彼 女 ら)な
りの保 育 所 に対 す る 需 要 を有 して
い た と も考 え られ る。
保 育 所 に よ る子 供 の受 け入 れが 進 ま な か っ た 理 由 は 労働 者 の側 だ け で な く、 保 育所 そ の もの に
も求 め られ る。 た とえ ば 施 設 の数 を増 や す こ と は土 地 や 建 物 の確 保 の 問 題 か ら容 易 で は な く、 そ
の た め 労 働 者 が 子 供 の 受 け入 れ を 求 め た 場 合 で も、 収 容 定 員 の 関係 で 断 ら ざ る を得 な い 場 合 が あ
っ た。 た と え ば ダ ン ケ ル ク の慈 善 保 育 所 は1877年
に 揺 りか ごの 空 きが な くな っ て しま っ た た め 、
何 人 か の 子 供 の 受 け 入 れ を延 期 せ ざ る を得 な か っ た と報 告 して い る。 ル ーベ で も1891年 に、 建
物 が 狭 い た め にす べ て の入 所 申込 を 受 理 で きな か っ た との 報 告 が み られ る61>。ま た ノ ール 県 の事
例 で は な い が 、 ロ レ(=エ
シ ャ リエ)と
モ レ ル は 、伝 染 病 の可 能性 の あ る あ らゆ る 子 供 を排 除 し
た こ とが 、 か え っ て子 供 数 の減 少 を招 い た と して い る62)。
いず れ に して も、 保 育 所 が 受 け 入 れ た の は母 親 が 働 い て い る子 供 の ご く一 部 に過 ぎず 、 「託 児
所 」 や 子 守 女 な どに よ る、 民 衆 層 の 自発 的 な保 育 の ス タ イ ル は依 然 と して持 続 して い た とい え る。
141
日数
160
一■一慈 善 保 育 所
+自
140
治 体保 育 所.
120
100
80
60
40
20
0
グ ラ フ2ル
ー ベ の 保 育 所 の 子 供1人 あ た り年 間 平 均 出 席 日数
出 典:ADN,X57-58;AMR,QIII(a),
しか し20世 紀 始 め 以 降 、 こ う した 在 宅 保 育 に も本 格 的 な 規 制 が お こ な わ れ て い く こ と に な る 。
す で に1874年 乳 幼 児 保 護 法 で は子 供 の保 育 を お こ な う人 物 へ の 公 権 力 の 監 視 が 規 定 され て い た
が 、 ノ ー ル 県 で は1910年4月
の知 事 通 達 に よ って 、 あ らゆ る 「ソ ワニ ュ ー ズ」 に対 して この 法 律
が 適 用 さ れ 、 彼 女 らが 子 供 を あ ず か る際 に は市 町 村 へ の届 出 と、 医 療 証 明書 及 び 市 町 村 長 に よ る
身 元 証 明 書 の 取 得 が 義 務 づ け られ た63)。
一 方 、 保 育 所 が あ ず か っ た子 供 も、 規 則 正 し く施 設 に通 っ て い た わ け で は な い 。 子 供 の 出 席 状
況 は慈 善 保 育 所 と 自 治 体 保 育 所 と を 問 わ ず きわ め て 不 規 則 で あ り、 出 席 日数 が1年 の う ち100日
に 満 た な い こ と も多 か っ た(グ
ラ フ2)。 そ の 原 因 と して は、 まず 母 親 の労 働 自体 が 不 規 則 で あ
っ た こ とが あ げ られ る 。 母 親 は 自分 が 仕 事 が あ る 日に の み 子 供 を保 育 所 に連 れ て 行 き、 仕 事 が な
い 日 は家 で 育 て る こ と を好 ん だ ω。 ま た彼 女 ら の住 居 や 職 場 自体 が 頻 繁 に移 動 した た め 、子 供 が
ひ とつ の 保 育 所 に長 期 間 通 う こ とが で きな か った こ と も考 え られ る 。 こ う した状 況 下 に お い て は 、
支 配 階 層 が 意 図 した よ う な社 会 統 制 が 実 際 に な さ れ る余 地 は か な り小 さ か っ た とい わ な け れ ば な
らな い 。 実 際 、 保 育 所 の 業 務 報 告 で は社 会 統 制 上 の効 果 につ い て ほ と ん ど言 及 され て お らず 、 所
内 の 衛 生 状 態 や 子 供 の 健 康 、 あ る い は施 設 の財 政 運 営 な ど に 関す る 内 容 が 大 半 を 占め て い た 。 こ
の こ と は、 現 場 の運 営 者 に とっ て 、 子 供 を健 康 な状 態 で あ ず か る とい う 日常 的 な 業 務 が 何 よ り も
142
重 要 な 関 心 事 で あ っ た こ とを示 して い る 。
おわ りに
19世 紀 の フ ラ ンス に お い て 、 保 育 所 は都 市 労 働 者 層 の 貧 困 問 題 に対 す る慈 善 事 業 と し て 開 始
さ れ た 。 そ こ に は 子 供 の救 済 以 外 に、 母 親 の 労 働 へ の 配 慮 と労 働 者 家 族 の 道徳 化 に よ る社 会 統 制
とい う意 図 が 込 め られ てい た 。 しか し こ こで の社 会 統 制 は労 働 者 層 の 必 要 との 妥 協 を 図 っ た た め
に、 そ の 内 部 に矛 盾 を抱 え る こ と に な っ た 。 こ う した 性 格 を持 つ 保 育 所 は 、 そ の 普 及 に お い て支
配 階層 の コ ン セ ンサ ス を得 る こ とが で き なか っ た 。 そ もそ も地 方 にお い て 、 パ リ の創 設 者 の 意 図
が そ の ま ま反 映 され て い た わ け で も な か った 。
19世 紀 末 以 降 、 保 育 所 にお い て 道 徳 化 が 重 視 さ れ な くな り、 母 親 の 労 働 を可 能 にす る代 わ り
に彼 女 ら と子 供 に衛 生 教 育 を施 す と い う、 よ り直 接 的 な個 人 の 規 律 化 が 社 会 統 制 の 中心 とな っ た 。
た だ し こ う した 変 化 に もか か わ らず 、 労 働 者 層 の 態 度 や 施 設 自体 が 抱 え る 問 題 の た め に 、 第 一 次
大 戦 まで の時 期 にお い て保 育 所 の 実 際 の 社 会 的 影 響 力 は か な り小 さ な もの で あ り、 従 来 の 民 衆 レ
ヴ ェ ル で の 自律 的 な在 宅 保 育 も存 続 した 。 しか しこの 時 期 は そ う した保 育 も ま た本 格 的 な 制 度 化
の兆 し を みせ た の で あ り、 そ の 意 味 で 現 代 フ ラ ンス の 保 育 制度 の 原 型 な い し は萌 芽 が 現 れ 始 め た
時 期 で あ っ た と もい え る。
以 上 、 社 会 統 制 の 問 題 を 中 心 に19世 紀 フ ラ ンス の 保 育 所 に つ い て考 察 した 。 分 析 は き わ め て
大 ざ っ ぱ な もの で あ り、 保 育 所 内 で の 子 供 の保 育 の具 体 的様 相 な ど、 まだ まだ検 討 しな け れ ば な
らな い 問 題 も多 い 。 しか し保 育 所 に よ る社 会 統 制 、 民 衆 層 の 反 応 、 彼 らの 自律 的 な保 育 方 式 の持
続 とい っ た 問題 は、 我kが
フ ラ ン ス の 保 育 制 度 につ い て考 え る 際 に重 要 な 示 唆 を与 え る もの と考
え る 。 保 育 所 の そ の 後 の歴 史 も含 め て 、 さ ら に検 討 して い きた い 。
注
1)柳
沢房 子
「フ ラ ン ス に お け る 少 子 化 と 政 策 対 応 」(『 レ フ ァ レ ン ス 』(国 立 国 会 図 書 館)、2007年11月
号)。
2)た
と え ば、 以 下 の 文 献 を 参 照 。 野 澤 正 子 「フ ラ ン ス の 児 童 福 祉 の 現 状 一 保 育 を 中心 と して 一 」(『社 会
問 題 研 究(大
阪 府 立 大 学)』 第33巻
第2号 、1984年)、
赤 星 ま ゆ み 「フ ラ ン ス に お け る 家 族 の 変 化 と幼
少 期 サ ー ビ ス の 状 況 一 パ リ市 の 乳 幼 児 保 育 政 策 を 中心 に一 」(『 日仏 教 育 学 会 会 報 』 第24号
星 三 和 子 ほ か 「保 育 の 現 場 か ら み た 日仏 の 子 供 の 発 達:社 会 文 化 的 要 因(1)一
(『日仏 教 育 学 会 会 報 』 第27号
401号 、2000年)、
3)crecheは
4)た
星 三 和 子 「フ ラ ン ス の 家 庭 的 保 育 」(『現 代 の エ ス プ リ 』 第
『
世 界 に学 ぼ う!子
育 て 支 援 』(フ レー ベ ル 館 、2003年)。
「
託 児 所 」 と訳 す 場 合 も あ るが 、 本 稿 で は 日本 で の 名 称 に合 わせ て 「保 育 所 」 と した 。
と え ば 、 岡 田 實 「フ ラ ン ス の 家 族 政 策 の 発 展 」(『経 済 学 論 纂(中
1995年)な
5)現
、1998年)、
汐見 稔幸 編著
、1995年)、
予 備 的 な分 析 一 」
央 大)』 第36巻
第1・2合
併号、
どを参照 。
在 フ ラ ンス の 保 育 所 に は 、 施 設 で 大 勢 の 子 供 を あ ず か る 「集 団 保 育 所crechecollective」
と、 親 が 保
育者 を雇 って運 営す る 「
親 の 自主 管 理 保 育 所crecheparentale」 、 実 質 的 に保 育 マ マ が 自分 の 住 居 で 子 供
の面 倒 をみ る 「
家 庭 保 育 所crechefamiliale」
の 三 種 類 が あ る が 、 本 稿 で 「保 育 所 」 とい う場 合 、 基 本
的 に第 一 の も の を想 定 して い る 。 な お 、 企 業 内 の 保 育 施 設 な ど も こ こで は と りあ えず 対 象 外 と して い
る。
6)フ
ラ ン ス の 伝 統 的 な 乳 母 に よ る子 供 の 養 育 に つ い て は 、SUSSMAN,GeorgeD.,SellingMothers'Milk
143
TheWet-NursingBusinessinFrance,1715-1914,Urbana,UniversityofIllinoispress,1982な
7)た
だ し19世
ど を参 照 。
紀 に 関 し て は 、 以 下 の 医 学 博 士 論 文 が 概 略 を 示 し て い る 。THEVENIN,Charles,Histoirede
l・institutiondescreches,Thesepourledoctoratenmedecine,paris,Bonvalot-Jouve,1907.ま
た現代 までの通
史 的 記 述 と し て は 、 と り あ え ずMOZERE,Liane,Leprintempsdescreches'Histoireetanalysed'un
mouvement,paris,L・Harmattan,1gg2,ch.2を
参照 。
8)LABERGS,AnnF.,≪MedicalizationandMoralization:theCrechesofNineteenth-CenturyParis≫,Journalof
SocialHistory,v.25,n.1,1991,pp.65-87.
9)ROLLET-ECHALIER,Catherine,Lapolitiquedl'egarddelapetiteenfancesouslaIIIeRepublique,Paris,
PUF/INED,1990,pp.8-9,87-95,526-539et576-580.
10)本
稿 で は
「支 配 階 層 」 の 語 を 、 保 育 所 建 設 に 携 わ っ た 都 市 の 有 力 者 か ら 全 国 レ ヴ ェ ル の 政 治 家 ・官
僚 ま で 幅 広 い 層 を指 す もの と し て 、 ま た 男 性 も女 性 も含 む も の と して 用 い て い る 。
ll)19世
紀 フ ラ ン ス 史 研 究 に お け る 社 会 統 制(社
ス 近 代 社 会1814∼1852一
12)リ
秩 序 と 統 治 一 』(木
ー ル 市 文 書 館 は1916年
会 統 御)論
へ の批判 につい て は、小 田中直樹
鐸 社 、1995年)、16-17頁
の 火 災 に よ っ て19世
『フ ラ ン
も参 照 。
紀 の 史 料 が ほ と ん ど焼 失 して し ま い 、 利 用 で き る の は
市議 会議 事 録 な どのみ であ る。
13)THEVENIN,op.Clt.,1爬partie,ch.II.
14)「 託 児 所 」 及 び 「離 乳 児 預 か り所 」 に つ い て は 、THEVENIN,op.Clt.,1・epartie,Ch.1;MARBEAU,F.,
"Creches .-nourrices.-garderies.-SeVrage",Annalesdelacharite,9・annee,1853,pp.12-23を
参照 。 こ れ らは
「施 設 」 と さ れ て い る が 、 実 際 に は1人
の 女 性 が 数 人 の 子 供 を あ ず か る と い う 、 在 宅 保 育 に 近 い もの で
あ っ た と考 え られ る 。
15)マ
ル ボ ー の 経 歴 に つ い て は 、 と り あ え ずTHEVENIN,op.CIZ.,pp.44-48を
参 照 。
16)MARBEAU,J.-B.-F.,Descreches,oumoyendediminuerlamisereenaugmentantlapopulation,26me6ditiOn,
Paris,Comptoirdesimprimeurs-unis,1845,pp.33-40.
17)こ
の保 育所 の規約
・規 則 に つ い て は 、MARBEAU,Descreches,pp.61-71の
もの を参 照 。
18)MARBEAU,F.,DupauperismeenFranceetdesmoyensd'yremedierouprincipesd'economiecharitable,
Paris,Comptoirdesimprimeurs-unis,1847,p.88.
19)以
上 、19世
紀 前 半 に お け る 労 働 者 の 貧 困 問 題 に 対 す る 支 配 階 層 の 対 応 に つ い て は 、LYNCH,
Katherine,Family,Class,andIdeologyinEarlyIndustrialFrance:SocialPolicyandtheWorking-ClassFamily,
1825-1848,Madison,UniversityofWisconsinPress,1988;PROCACCI,Giovanna,Gouvernerlamisere:La
questionsocialeenFrance(1789-1848),Paris,Seuil,1993;阪
族 一 』(岩
波 書 店 、1999年)、
学 図 書 刊 行 会 、2004年)、
20)た
第 五章 、 赤司 道和
上孝
『近 代 的 統 治 の 誕 生
『19世 紀 パ リ 社 会 史
労働
一 人 口 ・世 論
・家 族
・文 化 』(北
序 章 な ど を参 照 。
と え ば マ ル ボ ー は1845年
の著 作 の 中で 、社 会 の繁栄 が拡 大す る一方 で捨 て子 や婚 外子 、犯 罪 な ど
が 増 加 し て い る と の 認 識 を 示 し 、 「貧 困 と 不 道 徳 へ の 神 聖 な る 反 対 運 動croisade」
の必 要 を訴 え てい る
(MARBEAU,Descreches,pp.9-10)0
21)以
下 の 内 容 は 、MARBEAU,Descreches,pp.105-134を
参 照。
22)MARBEAU,Descreches,p.20.
23)Cf.ROLLET,CathrineetMOREL,Marie-France,Desbebesetdeshommes:traditionsetmodernitedessoins
auxtout-petits,Paris,AlbanMichel,pp.332-333.
24)LUC,Jean-Noel,≪Nouvelleeconomiede1'assistanceetgardepubliquedujeuneenfant:lacreationdelaSalle
d'asileetdelacrechedanslapremieremoitieduXIXesiecle≫inGUELIN,AndreetGUILLAUME,Pierre
(dir.),Delacharitemedievaledlasecuritesociale:EconomiedelaprotectionsocialeduMoyenAgea
l'epoquecontemporaine,Paris,Editionsouvrieres,1992,p.169.
25)当
・家
海 道大
時 の 家 族 道 徳 に 基 づ く社 会 統 制 の 具 体 策 に つ い て は 、 た と え ばLYNCH,op.CIZを
144
参照 。
26)THEVENIN,op.cit.,p.59.
27)ROLLET-ECHALIER,op.cit.,p.87.
28)ADN,X57/1(以
下 、 文 書 館 史 料
に つ い て は 議 事 録 な ど を 除 い て 、 文 書 館 名 の 略 記
と 史 料 番 号 の み を
表 記 す る).
29)LABERGE,art.cit.,pp.68-69;MOZERE,op.cit.,pp.44-46.
30)以
下 、 全 国 的 な 法 律
や 政 令
に つ い て は 、DUVERGIER,J.B.,Collectioncompletedeslois,decrets,
ordonnances,reglementsetavisduC・nseilit'Etatの
31)マ
ル ボ ー は1874年
市 町 村
も の を 参 照
し た 。
の 乳 幼 児 保 護 法 案 検 討 委 員 会 に お い て 、100人
ま た は 地 域
に お い て 保 育 所 設 置
を 義 務
と す る 追 加 条 項
以 上 の 女 性 が 家 庭 外
を 提 案
で 働
い て い
る
し た(ASSEMBLEENATIONALE,
RAPPORTfait,aunomdelacommissionchargeed'examinerlapropositiondeloideM.TheophileRoussel,
relativedlaprotectiondesenfantsdupremierageetenparticulierdesnourrissons,parM.TheophileRoussel,
membredel'Assembleenationals,Annexeauproces-verbaldelaseancedugjuin1874(N.2446),Versailles
,
Cerfetfils,1874,pp.98-99)0
32)PIERRARD,Pierre,LavieouvriereaLillesousleSecondEmpire,Conde-sur-Noireau,CharlesCorlet,1991,
pp.169-170.
33)Proces-verbauxdes-deliberationsduConseilMunicipaldeLille(AML,1D12)(以
下PVCMLと
略 記),
Seancedu20decembre1871,p.269.
34)THEVENIN,op.cit.,pp.59-60.
35)こ
の う ち
36)た
だ
ド ゥ エ の 保 育 所
し ア ル マ
は 、1870年
代 に は 閉 鎖
ン テ ィ エ ー ル で は 、 男 性
さ れ た よ う で あ る(ADN,X5714)。
の 産 業 家 が 保 育 所 設 置
の イ ニ
シ ア テ
ィ ヴ を 取
っ た(ADN,
xssil)0
37)THEVENIN,op.cit.,p.60.
38)SMITH,BonnieG.,LadiesoftheLeisureClass:TheBourgeoisesofNorthernFranceintheNineteenth
Century,PrincetonUniversityPress,1981,pp.45-49(井
ン ス ブ ル ジ
39)以
上 堯 裕/飯
ョ ワ 女 性 の 心 象 世 界 』(法
上 、ADN,X57/4;SMITH,op.CIZ.,pp.142-143(前
40)SMITH,op.Clt.,pp.144-146(前
泉 千 種 訳
『有 閑 階 級 の 女 性
た ち
フ ラ
政 大 学 出 版 局 、1994年)、51-56頁).
掲 訳 書 、160-161頁).
掲 訳 書 、162-164頁).
41)PVCML,Seancedu19juillet1870,pp.337-338.
42)PVCML,Seancedu2aout1870,pp.359-363.
43)ADN,X58/6.
44)ス
ミ ス は 、 ブ ル ジ ョ ワ 女 性
の 慈 善 事 業
と 、 男 性 で あ る 共 和 主 義 政 治 家 や 実 業 家 の 福 祉 政 策 が 対 立 す
る も の で あ っ た こ と を 指 摘 す る(SMITH,op.Clt.,ch.6(前
掲 訳 書 、 第6章))。
45)PVCML,Seancedu20mars1883,pp.279-286.
46)PVCML,Seancedu20mars1883,p.285.
47)ROLLETetMOREL,op.cit.,pp.335-340.
48)ADN,X57/7-8.
49)PVCML,Seancedu30decembre1912,p.904.
50)BERTIN,Jean,Laprotectiondelapremiereenfance,plusspecialementetudieedanslaRegionindustrielledu
Nord,UniversitedeLille,Thesepourledoctorat(sciencespolitiqueseteconomiques),Lille,CamilleRobbe,
1910,p.117.な
お 、
こ の 博 士 論 文 で は ル ー ベ に3つ
の 民 間 保 育 所 が 存 在 す る と し て い る が 、 史 料 で は 確
認 で き な か っ た 。
51)Cf.-SMITH,op.Clt.,pp.156-161(前
掲 訳 書 、175-181頁).
52)ADN,X57/9et58/8.
53)THEVENIN,op.cit.,pp.127-128.
145
54)LABERGS,art.cit.,pp.76-82;ROLLET,Catherine,≪Exclusionouaccueil?:Historiquedelaplacedes
parentsdanslesstructuresd'accueildupetitenfant≫,Cahiersdelapuericulture,n.122,1994,pp.9-10.
55)『
フ ラ ンス
・ア ル ジ ェ リ ア 都 市 保 健 衛 生 統 計StatistiquesanitairedesvillesdeFranceetd'Algerie』
の数
値 に よる。
56)ADN,X57/6.
57)こ
れ ら の 医 師 の 報 告 は 、 ノ ー ル 県 文 書 館 所 蔵 の 県 行 政 資 料(ADN,1N)の
(名 称 は 数 回 変 更 さ れ た の で 、 以 下PEPAと
略 記 し 、 そ の 後 のO内
中の乳 幼児 保 護業 務報 告
に 報 告 年 度 を 示 す)に
掲 載 され て
い る。 なお 、 ノール 県 にお け る乳幼 児保 護 法 の実 施 につ い ては 、以 下の 拙稿 にて検 討 した。 岡部造 史
「フ ラ ン ス に お け る 乳 幼 児 保 護 政 策 の 展 開(1874-1914年)一
215号
58)こ
ノ ー ル 県 の 事 例 か ら 一 」(『 西 洋 史 学 』 第
、2004年)
の 点 に つ い て は 、 先 行 研 究 で も 指 摘 さ れ て い る(ROLLET,art.cit.,p.10)。
59)BulletinmunicipaldeRoubaix(AMR),Seancedu10juin1892.
60)AMR,QIII(a)/10.ち
な み に後 者 の 申 請 は 、 母 親 が 家 庭 外 で 働 い て い る 子 供 の み 受 け 入 れ ら れ る と
の理 由 で 却 下 さ れ て い る 。
61)以
上 、ADN,X5716et8.
62)ROLLETetMOREL,op.cit.,p.337.
63)PEPA(1909),p.123.
64)ADN,X57/7.
146
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