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144号(日本語)

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144号(日本語)
季 報
第144 号
だんだんNEWS
2012
年06月
中国ブロック運動会
中国ブロック運動会
読者の皆さん、今年も半年が過ぎよ
うとしていますが残りの半年もいく
つものイベントが予定され、例えば
日本祭り、グアタパラ入植50周年
記念式典、敬老会、日帰り旅行、慈
善バザールなどがあります。
これらのイベントを通じて県人会会 4月15日、晴天に恵まれ、中国ブロック運動会は青年たちが準備万端整え
員相互の交流や親睦を深め、皆で楽 てくれました。
しいひと時を共有しましょう。
ただ、一時的に晴れたと思うと今にも雨が降りそうになったりと不安定な
編集後記
グアタパラ入植地50周年
2012年7月21日、22日、グ
アタパラ入植50周年記念式典が開
催されます。県人会会員は是非、ふ
るってご参加ください。
この式典には島根県から、環境生活
部次長山岡尚様、文化国際課梅林英
教様が、そして島根県海外移住家族
会からは百合澤正志様が参列されま
す。
敬老会
2012年9月16日、77歳以上の高齢
者を表彰する敬老会が行われます。
敬老会は中国ブロック5県合同で行
われますがこれまでの各県人会への
協力に感謝し、いつまでも長生きし
ていただきたいとの気持ちを込めて
行われます。
若者も高齢者も出来るだけたくさん
の方がこのイベントに参加していた
だきますようご案内致します。
ご寄付
島根県人会にご寄付いただきありがと
うございました。
寄付者
島根県 産業振興部 200レアル
石川広美
200レアル
中林 良
500レアル
天気になりましたが、なんとか照る照る坊主のお陰で、広島県人会の
なかもりしんすけ君が中心となって運動会は開催されました。
日伯両国の国歌斉唱、広島県人会の大西会長の挨拶に続き、しんすけ君が
2012年度運動会の開会宣言を行いました。
各種の競技は幼児向け、青年向け、壮年向け、60歳以上の人向けと
バラエティに富み、参加者は皆、笑いに溢れていました。最後の競技は
鈴割りで締めくくられました。
運動会の途中で州議会議員や都合がつかなかった政治家の秘書たちが挨拶に
訪れました。
お疲れさま会
打ち上げ会(お疲れさま会)が盛大に行われました。
5月12日の夜、第13回中国ブロック運動会の開催に協力してくれた青年たちに
感謝してお疲れさま会が行われ、約30名余りが参加し、夜遅くまで楽しく、過ごし
ました。
まず、幹事県の広島県人会の大西広己会長が今回の運動会の大成功を祝し、主催して
くれた中国ブロックの青年たちに感謝の挨拶をしました。
引き続いて島根県人会の足立操会長が青年たちのいつもながらの献身的な活躍に改め
て謝意を表しました。
挨拶の最後に今回の運動会の取りまとめ役のなかもりしんすけ君がお疲れ会に参加し
た青年のみでなく、都合で参加できなかった青年たちにも感謝の言葉を述べました。
大西会長によるビーバと万歳の乾杯の音頭の後、楽しい食事になりました。
一番のご馳走は広島の名物お好み焼きで参加者は各自が焼き方を教わりながら、自分
でお好み焼きを作りました。
ところが、出来上がったお好み焼きは丸いものあり、楕円形あり、大きなものあり、
小さなものあり、膨らんだものあり、ふくらみの小さいものあり、形がきちんとした
ものあり、不細工な形のものありでなんとも面白い、いろいろなお好み焼きが出来上
がりました。
一番難しかったのはお好み焼きをひっくり返す瞬間でした。上手にひっくり返さない
と中の具材がはみ出てしまい、なんともおかしなお好み焼きが出来てしまいます。
でも、何はともあれ、みんなが一生懸命に作ったお好み焼きですので、外見の形に拘
わらず、それぞれが美味しく、味わい深く、お腹が一杯になるまで、たっぷりといた
だきました。
満腹になったところで、皆、少年、少女時代に戻って、ゲームを楽しみました。
楽しい会は夜遅くまで続きました。
ASSOCIAÇÃO SHIMANE KENJIN DO BRASIL - Rua das Rosas, 86 – Pça da Árvore – Tel: 5071-0082
[email protected]
歴史
グアタパタ移住地の誕生と開拓入植者たちの変遷の歴史
グアタパタ移住地の誕生と開拓入植者たちの変遷の歴史
グアタパラ移住地はサンパウロ州の北西288KMに位置し、グアタパラ市に属している。この地域は近隣ではモ
ンブカと呼ばれている。(ファゼンダ時代より、この一帯をモンブカ地区と呼んでいた)。
1908年、笠戸丸による最初の日本移民が到着し、そのうちの24家族がグアタパラの農場に向かい、通訳平野運
平の仲介でプラード家の農夫になることになった。その後、1942年、第二次世界大戦の勃発まで多くの日本移
民が続々と入植したが、コヒー相場の暴落でグアタパラの農場はサンパウロ州の大きな砂糖生産者であったモ
ルガンティ家に売却された。しかし、モルガンティ家も1957年にこの農場を売却することになった。
この当時、全拓連(現JATAK)の平川氏(前平川農業副大臣)はコチア農業組合の下元健吉組合長に同地区の
すべての日本移民が入植できるようにこの農場を購入するための仲介役を依頼した。
1600ヘクタールのグアタパラ農場のうち、300ヘクタールが購入され、山形、茨城、長野、岡山、島根、山口
、佐賀の7県がそれぞれ分割購入した。余った農場は半分を日本政府が買い取り、残り半分はサンマルチーニ
ョ砂糖会社が買い取った。
1962年、日本移民が再開され、12家族が入植し、1965年までに135家族が入植し、同地域の農場はグアタパラ
入植地と命名された。
1920年当時は、この地域はサンパウロ州でも有数のコーヒー生産地として有名であった。当時はたくさんの建
物が立ち並んでいたが今やコーヒー農園主の廃屋や朽ち果てた映画館が残っているのみである。
毎年7月にグアタパラ入植記念祭が開催されている。今年は入植50周年を記念しての大きな記念式典(謂わ
ば金婚式)が7月21日、22日に開催される。
1962年の再入植開始以来、コチア農業組合が関わってきたが、その頃、農業組合には文化部があった。それが
その後、1984年にグアタパラ農業文化スポーツ協会となり、今ではグアタパラ文協として知られている。グア
タパラ文協は170家族、101名の会員と69の賛助会員で成り立っている。
グアタパラ文協は日本移民100周年記念の際にモイーニョサンマルチーニョ会社の土地20ヘクタール(そこに
はかつてのコーヒー農場主の廃屋が今も残っている)をグアタパラ市に寄贈した。グアタパラ文協ではそこに
緑の公園を作り、初期の開拓移民が到着した場所を保存しようという試みを行なっている。
現在、在伯島根県人会グアタパラ支部には17家族が在住し、元気で活躍している。
在伯島根県人会グアタパラ支部
新田 築
出宮 孝行(アーサー)
孝行(アーサー
島根県での研修は私にと
って重要ことです。
また、初めて祖母の生ま
れた島根県を訪れる機会
に恵まれました。
島根県での留学生、実務研修生の募集
島根県での留学生、実務研修生の募集
会員の皆様、島根県では2013年度の留学生、実務
研修生を募集しています。そこで島根県人会では県人
会員の子弟で自分の先祖の故郷である島根県で知識や
経験をつみたいと考えている青年を募集しています。
興味のある方は名前と連絡方法をメール(shimanekenji
[email protected])か電話(11-5071-0082;よしこさん)
まで連絡してください
ASSOCIAÇÃO SHIMANE KENJIN DO BRASIL - Rua das Rosas, 86 – Pça da Árvore – Tel: 5071-0082
[email protected]
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