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岩手県野田村における震災復興ボランティア活動報告
岩手県野田村における震災復興ボランティア活動報告 河村信治・齋 麻子・細川 靖 A Report of the Volunteer Activities in Noda Village for Revival from the Disasters caused by the Great East Japan Earthquake Shinji KAWAMURA, Asako SAI, Yasushi HOSOKAWA 八戸工業高等専門学校紀要 第 46 号 別冊 平 成 23 年 103 八戸工業高等専門学校紀要 第 46 号 (2011, 12) 岩手県野田村における震災復興ボランティア活動報告 河村信治 *・齋 麻子 *・細川 靖 ** A Report of the Volunteer Activities in Noda Village for Revival from the Disasters caused by the Great East Japan Earthquake Shinji KAWAMURA, Asako SAI, Yasushi HOSOKAWA はじめに 東日本大震災を受けて、八戸高専では3月末より教職 員および学生の有志で、岩手県九戸郡野田村への復興支 援ボランティア活動に組織的に取り組んできた。活動初 期より京都大・大阪大の防災研究者および西宮の災害N PO、弘前大人文学部のグループらと連携し、「チーム 北リアス」という名称でネットワークを結成して、被災 地と‘顔の見える’信頼関係を築きながら、とくに津波 被災地北側から被災コミュニティの支援や復興まちづく りを継続的にサポートしていく活動の輪の広がりと拠点 を作っている。 本稿では八戸高専グループおよびチーム北リアスのこ れまでの活動経過および今後の展望について報告する。 1.野田村へ向かうまでの経緯 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれにと もなって発生した大津波、福島第一原子力発電所の事故 等を中心とした複合的な災害は、東日本の広域にわたっ て甚大な被害をもたらした。三陸海岸の北端に位置する 八戸市は、今回の震災で港湾や市川地区など沿岸の住宅 地を中心に大きな津波被害を受けた。八戸高専でも学生 および教職員の一部では自宅・実家が被災し避難生活を 余儀なくされた方もいる。幸い関係者の人的被害は免れ、 内陸の高台にある学校自体での被災は、2日間の停電と、 地震による建物一部の損傷程度であったが、被災直後は 帰省していた学生の安否確認ほか業務復旧に一週間程費 やした。その間、市内の情報と、メディアを通じてスポッ ト的に伝わる宮城~岩手南部の甚大な被害や福島の原発 事故のニュースはもちろん衝撃的だったが、一方で気が かりだったのは、八戸から南へ延々と連続しているはず の三陸海岸北部の情報がほとんど伝わってこず、被害実 態が全くつかめないことであった。 (原稿受付:2011 年 9 月 24 日) * 総合科学科 ** 電気情報工学科 八戸市では3月14日に社会福祉協議会による災害ボラ ンティアセンターが立ち上がり、市内在住の本校学生が 個人的にボランティア活動に参加している情報も耳には いってきた。被災後10日程で校内が落ち着いてくると、 複数の若手教員から「われわれも何かボランティアがで きないか」という声があがり、まずは市内の状況を確認 した。八戸市内ではボランティアセンターを通しての個 人的な参加が進んでいる様子で、この時点でとくに組織 的な参加の必要性は低いようであった。一方では全国に ネットワークを持ち地域づくりに関わっている八戸青年 会議所ほかいくつかのグループはすでに釜石など他所の 甚大な被災地に支援物資を送ったり、炊き出しに出かけ たり、といった動きを見せていた。 北部津波被災地を視察に訪れた永田素彦、渥美公秀、 矢守克也各氏ら注(1) 関西の防災(社会心理学)研究者 グループが3月23日に八戸に立ち寄り、山下祐介弘前大 学人文学部准教授(当時)(社会学)の紹介で、八戸社 会福祉協議会事務局長・浮木隆氏らとともに河村が彼ら と情報・意見交換を行う機会を得た。永田氏らのグルー プは、1995年の阪神淡路大震災以来国内外の災害救援活 動と研究実績を持つ専門家集団であった。彼らは専門家 として、今回の広範にわたる被災地の広がりのなかで、 南部に較べて北部の地域が情報過疎になりやすくまた支 援も手薄になる可能性を予測した上で、津波被災地北側 からの支援活動の展開を考えていた。また、弘前大学の 同専門の研究者や、阪神震災時に支援を行った当時の八 戸青年会議所との縁があったため、八戸を起点に三陸沿 岸北部の被災状況の初期調査を実施したのであった。彼 らの報告によれば野田村は八戸から沿岸を南下して最初 の(したがって最北の)壊滅的津波被災市街地であり、 緊急に外部からの人的支援が必要とされる状況であると のことであった1)。そのために八戸または久慈を拠点と して津波被災地北側からの支援連携が有効であろうこ と、また被災者とくに弱者や情報の陰への配慮等、問題 意識を共有した上で、弘前大人文学部の研究者ら(社会 学、心理学、経済学)とも連携して野田村に向かうこと になった。 104 河村信治・齋 麻子・細川 靖 2.八戸高専の活動 2.1初期の活動 3月29日に河村と吉田雅昭(電気情報工学科)とで弘 前大グループと連携して視察と打合せに野田村を訪れ た。野田村の中心部は本来、三陸海岸北部では比較的広 い平地と十府ヶ浦の美しい砂浜が広がる景観があったの だが、海岸寄りを走る国道45号線から海側には、破壊さ れた堤防と、多くは倒され疎らに残るだけの松林、線路 が完全に無くなってしまった(国道の反対側に残骸が捩 れていた)三陸リアス鉄道の土手があり、陸側は500m 以上奥の村役場周辺の施設群までの間、市街地であった はずの空間がすべて見通せてしまう瓦礫の原が無残に広 がっていた。 被災した村役場庁舎自体がようやく復旧したばかりの 様子であり、不休で働きづめらしい職員の方々は疲労困 憊を隠せず無表情で、しかし私たちのような外部からの 問い合わせに対しても一所懸命に対応され、頭が下がる 思いであった。ものものしく人が行き交う役場入口脇ロ ビーの一画にボランティア受付の窓口が設置されていた が、話を伺うと、活動しているのは地元の中学生~大学 生中心で、まだ外部からのボランティアの受け付けまで は手が回らない様子であった。野田村の場合、避難所は 地域コミュニティ単位で中~小規模なものが10箇所程設 定されており、役場の職員は常駐せず、コミュニティの リーダーが中心になって運営されていた。ある中核的な 避難所を訪ねてみたところ、リーダーの統率のもと避難 所内は支援物資や寝具がきれいに整頓、管理されており 驚かされた。避難所内は十分暖かく、テレビも設置され ていた。また最初に何か不足しているものは無いか訊ね ると、概ね物資は足りているとの答えが返ってくるのが 常であった。この時期注(2)、野田村に関しては、被災直 後のような衣食にも事欠く状況ではもちろんなく、避難 所の生活は予想以上に秩序があるように見えた。ただし、 不足しているモノや事が無いといえる状況ではないのは 明らかで、ニーズの掘り起こしや把握ができていない状 況であった。ボランティアをコーディネートする災害ボ ランティアセンターの立ち上げについても、社会福祉協 議会の全国ネットワークで他県からサポート要員が派遣 され、体制作りが急がれていたが、私たちが野田村に入 り始めた時点ではまだ稼動はしていなかった。役場でも 避難所でも、もともと地域コミュニティ力が強く、自助 でこれまでなんとかしてきた社会が、外部からの介入に 対して意識的、無意識的にガードしているようにも感じ られた。この頃、受け入れ態勢の整っていない被災地に ボランティアに入ることの是非についてメディア等でも 話題になっていた。慎重に、デリケートな被災地との信 頼関係を作っていくことが必要なのは確かであった。た だし実はシステム不全のときこそボランティアの活動の 意義があるはずなのである。注(3) 翌3月30日に、齋・細川・吉田ほか本校教職員と学生 の集団で、紙オムツや衛生用品等の支援物資をクルマに 積んで野田村に向かった。支援物資は本校教職員や地域 の協力者から提供を受けたものである。これら多くの支 援に支えられ、それを預かる者は何とかその想いを届け たいという使命感を強くして被災地に赴くことになる。 以後しばらくの期間、私たちは直接避難所を訪ねて個別 のニーズを引き出し、可能な範囲で縁を頼りに呼びかけ て支援物資を提供してもらい、直接被災者に届ける、と いう活動を続けた。こうした活動は、本来行政からみれ ば掟破り的な動き方であるが、村役場や社会福祉協議会 には、あくまで個人的な関係においての活動と断わった 上で、報告と情報交換は続け、偏った独善的な行動とと られないよう気を遣った。また避難所に対しては、とく にリーダーの方に、要望に応えられても応えられなくて も私たちは八戸高専グループとしての責任で動いている ことを説明し、ご理解いただくよう努めた。そして同行 する教職員および学生は八戸高専のスタッフジャンパー を着て活動した注(4)。こうした活動の継続により、私た ちは被災者と行政双方に対してコミュニケーションがと りやすい顔の見える関係を早々に築くことができたので はないかと思う。 2.2活動の多様な展開 活動は手探りであり、刻々と変化する現地の復興の段 階に合わせて支援の内容も臨機応変に変えてきた。支援 物資の内容をとりあげてみても、ニーズは1~2週間で どんどん代わっていった。たとえば当初は中古の自転車 でもたいへん歓迎されたが、整備不十分なものはタイヤ・ チューブやワイヤー類等がすぐ破損した。ある避難所に 被災した自転車屋さんが避難していたため、工具や補習 パーツ類を何度か調達して届け、修理・保守をお願いし ていたが、やがて新品の自転車が支援物資として出回り はじめると、中古自転車は持て余し気味になった。学寮 に放置されていた自転車の登録抹消等手続きに時間をか けていただいた寮務関係者にはご迷惑をおかけしてし まった。オンデマンドを心がけていたが、それでもミス マッチを避けることの難しさを痛感した。 機能し始めたボランティアセンターを通しての瓦礫の片 付けや支援物資の仕分け作業に学生たちを派遣させるこ とができるようになってからも、われわれ自身や、他団 体と連携して実施する独自のプロジェクトも続けていっ た。 齋は被災下での育児の困難にとりわけ気づくところが 岩手県野田村における震災復興ボランティア活動報告 写真1 瓦礫の片づけ 多く、はじめ八戸の“ママ友”ネットワークの協力を得 て不足しがちな物資の収集に尽力したが、その次には避 難所での子育てサポート(学生と一緒に小さい子どもの 遊び相手になることで、母親の育児ストレスを緩和する) の試みを数回実施した(避難所解消後は場所、日程の問 題で一時休止中)。また物資支援に余裕が出てきてから は川口恵未(物質工学科)らとともにフリーマーケット を複数回運営してきた。これはチケット制にして持ち帰 り品数を限定するなど提供方法を工夫することで、単な る物資の提供というより、選択の楽しみやコミュニケー ションの場作りの意味が大きくなり、質的に大きな転換 であった。こうしたイベントの際には、さまざまなノウ ハウと経験を持ち信頼できる協力団体注(5) に連携して 炊き出しを実施していただいた。 永田氏(京大)にはしばしば八戸高専グループの活動 に同行して専門家として指導や調整に当たっていただい ている。5月26日には本校で、永田氏を講師に関西の大 学直伝の「足湯隊」(小さなたらいに湯を汲んで被災者 に足を浸かってもらいながら、リラックスした気分で話 105 を聴くスキル)の研修会を実施し、同29日に野田村での 復興イベント時に、村役場隣の総合センターにおいて本 校学生による足湯プロジェクトを実施した。またこのと き同所で、東京在住のコンテンポラリー・ダンサー佐藤 美紀氏らによる身体ほぐしアクティビティーも実施され た。佐藤氏らは八戸ポータルミュージアム「はっち」を 通じて八戸市のまちづくりに関わったアーティスト注(6) のグループの一人で、その後も独自に野田村の訪問を重 ねて活動を続けている。「はっち」の縁では他に木村伊 兵衛賞受賞の写真家・浅田政志氏が、八戸市内のカフェ 経営者で頻繁に野田村での炊き出しを実施している外舘 真知子氏らとともに被災写真の保護と展示のプロジェク ト(「写真班」と呼ばれている)を継続している。今後 も八戸市のまちづくりに縁のあった写真家、美術家、舞 踊家等による、感性的、文化的なエンパワーメントにも 期待するところは大きい。そのほか八戸グループでは、 八戸工業大学のボランティアグループ「チームkokoro」 が連携してフリーマーケット等を実施してきた。 2.3連携の拠点として このようにわれわれは本校関係者や八戸の地域内外の 方々からの幅広い協力や支援を得ながら、野田村の方々 と協力関係を作りつつ活動を展開してきたが、八戸高専 自体が、被災地へのアプローチの入り口として、連携の ハブの役割を担ってきた面もある。 7月27 ~ 30日には函館高専の学生と教員によるボラ ンティアバスが、本校北辰寮に宿泊しながら、野田村で 3日間の活動を実施した。本校の寮務関係者に便宜を 図ってもらう一方、函館高専のバスに本校学生はじめ、 後述するシャレットワークショップの参加学生らも便乗 させていただき、現地においても、災害ボランティアセ ンターを通しての作業や、シャレットワークショップへ のオブザーバー参加等、共同での活動となった。 3.チーム北リアスの連携 写真2 足湯プロジェクトの実施 弘前、関西それぞれの野田村支援活動も並行して活発 に実施されてきた。弘前大学人文学部では李永俊教授 (経済学)を代表として独自に災害ボランティアセンター を立ち上げ、弘前市役所や弘前市社協と連携して、9月 末まで毎週水曜日または土曜日交互にボランティアバス を派遣してきた。関西からは、最初に野田村視察に訪れ た一人である渥美公秀大阪大学教授が理事長をつとめる 災害救援NPO「日本災害救援ボランティアネットワーク (NVNAD)」が、何度も西宮からボランティアバスを派 遣したほか、八戸や弘前グループの活動に対しボラン ティアバス代など予算面での援助も行った。NVNADは 106 河村信治・齋 麻子・細川 靖 阪神淡路大震災以降、国内外の災害救援活動に携わって 手法である注(7)。今回はあくまでこれから地域の方々 きており、被災地支援のさまざまな知識、ノウハウ、経 と一緒に野田村の復興を考えていくための導入的な位置 験を持つ団体であり、たいへん心強いパートナーである。 づけであり、期間も2日間のみと短いものであったが、 5月上旬にこれら活動の連携をより強め、継続的な支 建築学会、都市計画学会関係者の協力を得て、当日は上 援活動を続けていくために、関西、弘前、八戸のグルー 記の大学と本校以外に、弘前大学教育学部住居学研究室 プを中心として、広く団体・個人からなる緩やかなネッ (北原研)や、京都大学(永田研)、北海道教育大学、ま トワークを「チーム北リアス」(共同代表:永田(京大)、 たオブザーバーとして函館高専の学生が参加し、学生・ 河村(八戸高専)、李(弘大)、寺本弘伸(NVNAD常務 教員含めて50名を超える活気ある展開となった。貫牛氏 理事))という名称で立ち上げた。それぞれの活動の負 らにアドバイザーになっていただき、地域を歩き、教員 担や足かせには決してならないように、互いに情報を共 による繰り返しの指導を受け、一晩徹夜に近い作業の末 有したり、知恵やノウハウを出し合ったり、時には一緒 に、野田村中心市街や下安家集落の復興プランを提案し に活動したりすることを目指している。連携に当たって た。これをたたき台として、今後は地元の方々と一緒に は、八戸社会福祉協議会および八戸青年会議所のサポー 復興のイメージを語り合う場を創っていきたいと考えて トがあった。最初は5月14日に仮設住宅への引越手伝い いる。 のボランティアを共同で派遣し(総勢約80名)、その後 もイベント時などに一緒に活動を行っている。さらに野 田村在住の地域づくりのキーパーソンである貫牛利一氏 から土地を無償で借用し、NVNADの予算でプレハブ2 棟からなるチーム北リアスの現地事務所兼ボランティア の宿泊所を建設した。ここを拠点に、現在では定期的に 研究会を実施し、地元の方々との関係を深めつつ、被災 者に寄り添った息の長い支援活動を続けていこうとして いる。 写真3 チーム北リアス野田村現地事務所開設 4.シャレットワークショップの実施 7月28 ~ 29日には、首都大学東京・都市システム科 学域研究室、工学院大学・建築学部まちづくり研究室と 八戸高専を中心に、野田村において地元の方およびチー ム北リアスの協力を得て、まちづくり・建築系学生によ るシャレットワークショップを実施した。 シャレットワークショップは、専門家や学生が限られ た期間、集まって突貫でプランニングや設計を実施する 写真4, 5 シャレットワークショップの様子 5.本校学生にとってのボランティア活動 八戸高専から野田村まではクルマで2時間弱程度のた め、活動は概ね日帰りで、月2~3回、教員のみでの活 動も数えると週1回以上のペースで野田村に通ってき 岩手県野田村における震災復興ボランティア活動報告 た。当初は意欲のありそうな学生に直接声がけして同行 を促していたが、震災復興ボランティア活動の単位化が 教務委員会で認められたため、ボランティア説明会を開 催し、参加を希望する学生にはいったん校内ボランティ ア登録をしてもらい、活動予定が決まると参加可能な登 録者を募って出かけている。現在登録者は80名。活動参 加学生は1回5~ 20名規模で、毎回簡単なふりかえり シートを記入し、時間数や課題など一定条件を満たせば 特別学習単位1単位が得られることになっている。 シャレットワークショップには、それまでのボラン ティアとは別の文脈で、建設環境工学科の学生の参加を 促し、これまでの活動には参加していなかった学生が数 名参加した。この中には今年度のデザコン参加者が含ま れる。 また専攻科1年生のエンジニアリングデザインの科目 で、3名の学生が被災地の復興支援をテーマとして、現 在写真班(前出)の活動をサポートしながら課題に取り 組もうとしている。 これまでの活動をふりかえってみると、活動内容は臨 機応変かつデリケートな対応が求められる局面が多い。 専門家を含むおとなでも判断が難しい局面が多く、学生 自身で考えたり工夫したりできる場面は限定されると思 われる。しかしこのような状況下でも、細川研究室の学 生が、卒業研究で試作した市民ワークショップの携帯電 話による情報共有システムを用いて避難所の情報共有を 試みたり、体育館に山積みになっている支援物資と避難 所のニーズのマッチングのために在庫物資の画像付きメ ニューを作成し避難所に配布して歓迎されたり、と高専 生らしい試行錯誤を行ってきた。 さらにいえば、ただちに役に立たずとも、国難と呼ば れるこの震災のさまざまな被災の現実を目の当たりにし て深くその現実を受け止めることが、未来のものづくり のために必ず大きな意味を持つに違いない。学生に対し ては、被災地に行く前から何ができるかと逡巡するより、 とにかくまず一緒に現場に行ってみることを勧めてい る。前出の足湯プロジェクトに参加したある学生は、相 手を務めた被災者の方の手に触れながら話しを聴いて、 話が重くて受け止めるのが辛かった、とコメントした。 想像を超える現実の重さに向き合い痛みを自覚できたこ とが、この学生にとって深い経験となったであろう。渥 美氏は災害ボランティアの核心の一つとして「ただ傍に いること」を繰り返し説いている。被災地における活動 への関心以前に、被災地(者)に共感しその痛みを一部 でも共有することが重要なのは、筆者もこれまでの活動 を通して強く感じたところである。 ボランティア活動を通した、学生へのフィードバック については、さらに活動を続けた上で、稿を改めたい。 107 おわりに 被災地にとって外部からの共感をともなった干渉(お 節介)の継続が、地域の復興のための刺激あるいは触媒 になると考えている。まちづくりでよく言われる「風の 人」とか「よそ者、若者、ばか者」のたとえは、復興支 援にも共通すると思われる。 身近に被災された方や、直接地元の被災に対しての支 援、目配りはもちろん大切である。一方で、今回の大震 災による広範かつ多様な被災の広がりを視野に入れなが ら、身近な他所(近隣)の応援をしあう、それを続ける ということが、復興のために求められている。 今回の報告では、思いがけない震災発生からまで半年 あまりの私たちの活動を紹介した。これまで一所懸命活 動してきたことは確かであるが、被災地(被災者)本位 で考えているか、自分たち本位の発想や活動になってい ないか、ということはたえず自問しなくてはならない。 災害ボランティアの在り方については、当代きっての専 門家である渥美氏らの豊富な経験と深い見識から、さま ざまな気づきや学びを得ることができる。敬愛すべき異 分野の研究者グループとの協働は、私たちにとって貴重 な機会である。現地の災害ボランティアセンターが役割 を終えようとしているこれからが、実は被災地の人たち と一緒に復興を考えていく大事な段階になる。おそらく はこれからもいろいろ活動内容、方法を探りながら当事 者意識をもって復興支援に取り組んでいきたいと考えて いる。 本稿の最後に、これまでさまざまな形で活動をご支援 いただいた皆様に経過報告を兼ねて、深く感謝いたしま す。また今後の活動についてもどうか見守っていただき たくお願い申し上げます。 注 ⑴ 永田素彦京都大学人間・環境学研究科准教授、渥美公秀大阪大学 人間科学研究科教授、矢守克也京都大学防災研究所教授、八ッ塚 一郎熊本大学教育学部准教授、の4氏 ⑵ ちなみにこの日3月29日時点で野田村では行方不明者が0になっ ている。震災による野田村での死亡者数は最終的な公式発表によ れば37名、村民の犠牲者は28名とされている。これは被災地を見 て較べた感覚的な印象ではあるが、津波で破壊された空間の広さ を考えると、野田村の人口規模(5千人弱)を割り引いたとして も岩手県中南部~宮城県方面の沿岸地域と比較して犠牲者が少な かったといえるのではないかと感じられる。いずれにせよ多くの 方々がよく逃げられていることに敬意を覚える。また早々に行方 不明者が無くなったことは、その後の復興のスピードを速める要 108 河村信治・齋 麻子・細川 靖 因にもなったであろう。 ⑶ 災害ボランティアを社会のなかで「しくみ」として体制化しよう とすること(秩序化)は、ボランティアの自由な可能性と被災者 にとっての便益を損なう面があること/しかしながら「効率」や 「秩序」を求める一般的社会通念から常に秩序化の圧力にさらさ れていること/について渥美公秀氏はこれを「秩序化のドライブ」 と呼んで批判している。文献2),3)参照。 ⑷ 平成23年度八戸高専には野田村出身の現役学生が3名在籍してお り、そのほかにも卒業生やそれらの縁者など、野田村で活動して いて、親しみを持って声をかけられることは多かった。単なるユ ニフォームとしてではなく、これまで築かれてきた当地域での「八 戸高専ブランド」に助けられた面は大きかったといえる。野田中 出身の現役学生のひとり、M 5弐又君は積極的にボランティアに 参加し、現場でのリーダーシップを発揮してくれた。また地縁に 関しては、もともと久慈地域で地域資源の活用をテーマとした研 究を続けてきた細川が、当地域関係者とのさまざまなつながりを 持っていたことも、八戸高専グループが野田村に入っていく際の アドバンテージとなった。 ⑸ 佐藤勝俊本校名誉教授や建設環境工学科矢口淳一教授のご家族が 所属する「八戸友の会」、昨年デザコンでものづくり部門審査員 をお願いした特定NPO法人「自立支援センターアライブ・パル」 (横 浜大介理事長)など。「アライブ・パル」には野田村までのトラ ンスポートや、チーム北リアスの活動のための助成金の獲得など 多方面にわたり協力いただいている。 ⑹ 八戸ポータルミュージアム「はっち」は八戸市中心市街地活性化 の拠点施設として今年2月11日に開館した。そのコンセプトの一 つに「アートによる地域活性化」があり、施設開館の準備段階か らとくに地域の資源を題材とし、また地域の人の参加をともなう コミュニティ・アートの展開を柱としてきた。このような戦略的 な精神的・文化的なエンパワーメントは被災地復興においても有 効なものと考えられる。文献4)参照。 ⑺ 建築学における都市デザイン教育の手法として、また,専門家が 短期集中型で地域の診断と提案をおこなう手法として、アメリカ を中心に発達してきた。日本では,建築学会都市計画委員会で毎 年、学生公募型で実施されている。 参 考 文 献 1) 矢守克也「増補版<生活防災>のすすめ:東日本大震災と日本社 会」2011,ナカニシヤ出版. 2) 管磨志保・山下祐介・渥美公秀(編)「災害ボランティア論入門」 シリーズ災害と社会⑤,2008,弘文堂. 3) 矢守克也・渥美公秀(編著) 「防災・減災の人間科学」2011,新曜社. 4) 河村信治(2010)八戸市中心市街地活性化市民ワークショップと 八戸ポータルミュージアムに関連するまち育て活動,2010年度日 本建築学会大会(北陸)都市計画部門研究協議会論文集,pp.82-85.