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アーント・エスターへの作者のまなざし: 『大洋の宝石』を中心に 伊勢村 定

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アーント・エスターへの作者のまなざし: 『大洋の宝石』を中心に 伊勢村 定
アーント・エスターへの作者のまなざし:
『大洋の宝石』を中心に
伊勢村 定 雄
序
2005 年 10 月にアメリカを代表する劇作家の一人で、2 度のピュリツァー賞を取
ったオーガスト・ウィルソン(August Wilson)が癌でなくなった時、まだバラク・
オバマの名前もこれほど知られてはいなかった。このアフリカン・アメリカンの劇
作家を世に送り出した作品は、
多くの批評家が認めるように『フェンシズ』
(Fences)
であり、『マ・レーニーズ・ブラック・ボトム』
(Ma Rainey’s Black Bottom)である
ことは疑う余地がない。しかしながら、彼の作品には、
『2 本の列車が走る』
(Two
Trains Running)を契機として、その姿勢に変化が見られ、アーント・エスター(Aunt
Ester)なる人物が登場する。彼女は、さらに『大洋の宝石』
(Gem of the Ocean)で
は、生身の人間として登場するだけでなく、『キングヘドレー 2 世』
(King Hedley
II)では亡くなったことが伝えられる。だが、
『2 本の列車が走る』では、彼女は鉄
と石炭の街、ペンシルヴェニア州のピッツバーグ(Pittsburgh)市、モノンガヒー
ラ(Monongahela)川に降りて行けるぐらいの、ワイリー・アベニュー 1839 番地
(1839 Wylie Avenue)に住んでいて、齢 300 歳を超え、地域の黒人社会の象徴的な
リーダーであるとされている。この『2 本の列車が走る』についてリチャード・ぺ
ッテンジル(Richard Pettengill)とのインタヴューで、ウイルソン自身は、マルコ
ム X(Malcolm X)とアーント・エスターについて次のように発言している:
So there’s Malcolm X, symbolized by the rally, although he never became as important
a part of the play as I originally thought he might. The other way is Aunt Ester, who
became more important than I thought she was originally going to be....(208)
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この発言は、エスターの位置づけが変化したことを示唆しており、アーント・エス
ターが初めて『2 本の列車が走る』で登場した時、『大洋の宝石』に描かれている
ほど明確なエスター像はなかったことになる。
さらに、
よく言われるように、
『大洋の宝石』が、
ピッツバーグ・サイクル(Pittsburgh
Cycle)の始まりと銘打たれているようなまとまりのある芝居群に入るならば、
Broadway.com Review の記者エリック・グロード(Eric Grode)が指摘するように、
「年
代順に書いて欲しい」という意見もないではない 1。だが、実際の歴史的年代では、
最も明確にアーント・エスターが出現するのはピッツバーグ・サイクルの最初の作
品となる 2003 年に書かれた『大洋の宝石』であり、これが第 2 の疑問である。
また、続けて、この芝居は彼の作品中の人物が自分達と同じような「触知できる
(palpable)」存在を欠いたドラマであるとグロードは指摘する。ならば、何故オー
ガスト・ウィルソンはあえてこの作品では、こうした矛盾する形でアーント・エス
ターを登場させたのか、という疑問も残る。これが第 3 の疑問である。
本論では、それ故、その前の『ジョー・ターナー去来す』
(Joe Turner's Come and
Gone 1911)から最後の作品である『ラジオ・ゴルフ』
(Radio Golf)に至る系譜の中で、
『大洋の宝石』を考察しつつ、こうした疑問を検証する。
本 論
1. プロローグとしての『ジョー・ターナー去来す』におけるバイナム・ウォーカー
(Bynum Walker )
オーガスト・ウィルソンの作品には、アーント・エスターが登場する前に、彼女
に類似した性格を持つ人物が登場する。このアーント・エスターの前触れは、オー
ガスト・ウィルソン自身が最も好きだと公言する作品『2 本の列車が走る』の中に
存在する 2。事実ボニー・ライオンズ(Bonnie Lyons)とのインタヴュー(1997)で、
エスターとバイナムは類似したところがあるのではないかとのライオンズの指摘
に、ウィルソンは 「 過去を要求し、過去に執着するところでは、あなた方の経験は
生きており、人が利用できる知恵や経験の宝庫がある 」 と言っている 3。また、ウ
ィルソンはサンドラ・シャノン(Sandra Shannon)との対話の中で、
「私の大事にし
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ている作品は『ジョー・ターナー』であるといってもよい。この中に他の芝居で出
ているほとんどのアイデアが詰まっている。それは『フェンシズ』(Fences)では
なく『ジョー・ターナー』なのだと」4。上の、オーガスト・ウィルソンの証言は次
にあげる様々な点を照合すると納得の行く内容である。例えば、ジョー・ターナー
に連れ去られた妻を探し歩いて、
自らの同一性(identity)をなくしていたヘラルド・
ルーミス(Herald Loomis)を救うためのブードゥー教の儀式に似た行為は、その中
核をなすものである。この儀式を主催するバイナム・ウォーカー(Bynum Walker)
とエスターの性格を比べてみればその違いは明白である。バイナムは次の 4 点を
特徴とする。即ち、1)
救いをなくしたアフリカ系アメリカ人たちを歌によって癒す。
2)ブードゥー教的呪術を使って、人を癒す商売をする。3)“Oh Lordy...” というよ
うに、キリスト教的な語彙も用いる。4)普通の肉体を持った人間である。こうし
た特長は、ヘラルド・ルーミスを取り巻く状況が史的事実の隠喩に満ちていること
と共に、呪術的な儀式はあるものの、神話化という一線を越えてはいないことの反
映である。
2.『二本の列車が走る』の中のアーント・エスター
一方、アーント・エスターは『二本の列車が走る』で初めて登場し、ピッツバ
ーグのアフリカ系アメリカ人の間では、精神的リーダーであり、ワイリー 1839 番
地(1839 Wylie)に住んでいて、困ったことがあれば相談に乗ってくれると噂され
る人物であった。だが、1969 年の段階で、スターリング(Sterling)にアーント・
エスターを紹介するホロウェイ(Holloway)の言葉によれば、“She’ll tell you. She
don’t try to hide it. And she don’t care if you believe or not. She three hundred and twentytwo years old. She’ll tell you.”(T. T. R. 24)と言われていた。またその年齢は 322 歳
であった。ここでも、アーント・エスターは一度も姿を現さないが故に、更に伝説
的非実在の存在としての性格を強めている。エスターなる人物がワイリー 1839 番
地に住んでいるとだけ伝えられ、作品中にはその姿を現ず、困ったことがあれば、
皆がアーント・エスターを訪ねるように言う時、さらにミステリーは増してくる。
その代表的な様子が、まだ教化院(penitentiary)を出たばかりのスターリングにホ
ロウェイがいうせりふに集約されている:
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HOLLOWAY “All he got to do is go see Aunt Ester. Aunt Ester could straighten him
out. Don’t care whatever your problem.”(23)
HOLLOWAY Eighteen thirty-nine Wylie. In the back. Knock in the red door. You
can’t miss it. Don’t care who answer. Just say you come to see Aunt Ester....
You got to pay her, though. She won’t take no money herself. She tell you to go down
and throw it into the river. Say it’ll come to her. She must be telling the truth, cause
she don’t want for nothing. She got some people there to take care of her and they
don’t want for nothing either.(T.T.R.23-4)
これが、
『2 本の列車が走る』において紹介されている代表的なアーント・エスタ
ーのイメージなのだ。だが、この作品での主人公は、あくまで教化院を出たばかり
で、それ故に生きていく術を欠いた若者、スターリングである。この前面に出ない
ことが、さらにエスターの伝説化を強くしていると言える。また、その伝説化され
た人物像も、フィクションの中のフィクション化された姿として受け入れられると
考えることも可能である。
3.『大洋の宝石』(1904)におけるアーント・エスター:虚構からの逸脱
しかしながら、2003 年、名優と言われるプリシラ・ラシャッド(Pricilla Rashad)
を迎えての『大洋の宝石』のニューヨーク公演では、エスターが生身の主人公と
して実際登場することによって、舞台というフィクションの世界から飛び出し、
実在感を持ってしまう。また、別の舞台については、ヒューストン・クロニクル
(Houston Chronicle)紙のエヴェレット・エヴァンズ(Everett Evans)は、“A central
Wilson character comes to life” と表現している。更に、デイリー・プリンストニアン
(Daily Princetonian)紙のアンナ・ビアレック(Anna Bialek)は、“Between fantasy
and reality:‘Gem of the Ocean’” と評し、ファンタジーも読み取ろうとしている。し
かし、このアーント・エスターなる人物が、実在感がある者かどうかについては疑
問が残ったままである。
次に、少し具体的に『大洋の宝石』を見ながら、このことを吟味してみよう。歴
史上の設定では、
『大洋の宝石』は、1904 年に設定されており、もしエスターが実
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在の人物ならば、彼女の年齢は 257 才であり、生身の人間だという認定は常識で
は不可能である。しかも、この『大洋の宝石』で、彼女は生身の人間として登場し、
その伝説的なイメージを払拭しながら、現実のアフリカ系アメリカ人たちの生き方
に関わり、やさしく教え導いて行く役割を担っている。
この作品で、アーント・エスターは、ペンシルヴェニア州、ピッツバーグ市のヒ
ル地区(Hill District)
、ワイリー・アヴェニュー 1839 番地に住むエスター・タイラ
ー(Ester Tyler)という高齢(a very old, yet vital spiritual advisor for the community)
の精神的助言者として知られており、彼女の家が『大洋の宝石』という芝居の舞台
となっている。エスターの周りには彼女の世話をする門番のイーライ(Eli)、家事
を取り仕切るブラック・メアリー(Black Mary)がいて、そこにアラバマ出身のシ
チズン・バーロウ(Citizen Barlow)が訪ねてくる。ところが、この時、ピッツバ
ーグでは釘(a bucket of nails)を泥棒したという罪で追われたギャレット・ブラウ
ン(Garret Brown)が、川に飛び込んで自分の無実を主張しながら、
おぼれて死んだ、
という事件が起きていた。このギャレット・ブラウンの死を契機として、何故彼は
死なねばならなかったのか、そして犯人は誰なのか、という事を軸として展開して
いく『大洋の宝石』という芝居で、その犯人を追う役割が、同じく黒人で、かつブ
ラック・メアリーの兄であるシーザー・ウィルクス(Caesar Wilks)である。この
シーザーとブラック・メアリーという兄妹の間にはある事件を契機として確執が生
じていた:
BLACK MARY: That was before you killed that boy.
CAESAR: He was a thief! He was stealing. That’s about the worse thing you can do.
To steal the fruits of somebody else’s labor. Go out and work for it! That’s what I did.
I ain’t never stole nothing in my life. That’s against the law. Stealing is against the
law. Everybody know that.
BLACK MARY: It was a loaf of bread, Caesar. He was stealing a loaf of bread.
(Gem 36)
このため、シーザーは白人の体制下で保安官として雇われ、黒人社会の番犬として
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彼らの上に権力の頂点に立っていたのである。
A fellow named John Hanson started a riot. I seen that wasn’t gonna be nothing but
bad news. I took him on one-one. Man-to-man. He busted my eye. That’s why I
can’t see but so good out my one eye. He busted my eye but I put down the riot. ...
They gave me a gun and a badge. ...(Gem 38)
一方、このコミュニティーの中で駆け込み寺的な存在であるアーント・エスターは、
黒人たちの敬愛を一身に集め、支えとなっていた。その一貫として、迷いの中にい
たシチズンの告白を聞く場面がある:
CITIZEN: I stole a bucket of nails. The mill wouldn’t pay me so I stole a bucket of
nails. They say Garret Brown stole it he ran and jumped into the river. I told myself to
tell them I did it but every time I started to tell them something got in the way....
(Gem 44)
これがシチズンの苦悩であり、この苦悩から開放されるためにアーント・エスター
の元へやって来たのであった。これに対して、エスターは無実の罪を否定するため
に死を選んだギャレット・ブラウンを思って言うのである:
...He say I’d rather die in truth than to live a lie. That way he can say that his life is
worth more than a bucket of nails. What is your life worth, Mr. Citizen? That what
you got to find out. You got to find a way to live in truth. If you live right you die
right. Like Garret Brown....(Gem 45)
エスターはこう言って、シチズンを屍の街(the City of Bones)へと導くために、モ
ノンガヒーラ川の上流へ行き、一セント硬貨 2 枚(two pennies)を探すように命じ、
暴動が高炉で起こったという知らせで 1 幕は閉じる。実はこうして、具体的な描
写が入れば入るほどエスターの年齢と現実との乖離を感じさせてしまっている。
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さて、つづいて 2 幕では、シチズンが 2 ペニーを持ち帰ったという報告とともに、
アーント・エスターの儀式が始まる:
AUNT ESTER:
...It’s made of bones. Pearly white bones. All the buildings and everything is made
of bones. I seen it. I been there, Mr. Citizen. My mother live there. I got an aunt and
three uncles live down there in that city made of bones. You want to go there, Mr.
Citizen? I can take you there if you want to go. That’s the center of the world....
They coming across the water. Ten thousand hands and feet coming across the water.
They on their way. I came across the ocean, Mr. Citizen. I cried. I had lost everything.
Everything I had ever known in this life I lost that. I cried a ocean of tears....
(Gem 52-3)
さらに、彼女自身が売られたときの売買証書で作った船をシチズンに見せる。彼
が そ れ を、“this is a piece of paper.
(54)” と い う と エ ス タ ー は、“That not what you
call your ordinary boat. Look at that boat, Mr. Citizen. There’s a lot of power in that
boat....That boat can take you to that city, Mr. Citizen. Do you believe it can take you to
that city?”(Gem 54)と言う。このようにエスターはやさしくシチズンを促し、彼
をアフリカン・アメリカンのルーツへと誘っている。次のイーライとソリー(Solly)
との会話のあと、さらに続けて、エスターはシチズンに核心的なことを述べている:
AUNT ESTER: You see this boat, Mr. Citizen? It’s called the Gem of the Ocean.
(Aunt Ester hands him the paper boat made from the Bill of Sale.)
You gonna take a ride on that boat. Come on, black Mary. Solly. Eli. Mr. Citizen is
going to the City of Bones. You can’t never have enough help on that boat. Whatever
happen you hold on to that boat. You hold on to that boat and everything will be all
right.(Singing:)
(Gem 63)
彼女は歌い始め、イーライとソリーとブラック・メアリーの三人に引き継いでいく。
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アーント・エスターが言う「その船」とは、彼女が奴隷の身分を経験して来た証で
あり、それはまさに「大洋の宝石」である。それは『アミスタッド』に描かれた悲
惨な歴史に直結してしまう過去である。また、その船は、直接 「 骨の街 」 に連れて
行くが、それに固執する限り、全てがうまく行くのだと、エスターは諭す。その街
は今彼らの歌によって出現したコミュニティーであり、そのイニシエイションを経
て、シチズン・バーロウは自らの自信を取り戻す。それはバイナム・ウォーカーの
言葉と同様、歌はまさに、離ればなれにされた人々を結びつける(bind them する)
ものである。それこそが巷ではブルースの精神として知られているものだ。演劇評
論家のモーリーン・デゼル(Maureen Dezell)は、1619 年に始まった何百万人もの
アフリカ人がアメリカに拉致されてきたことが、この芝居の中心のトピックである
(Dezell 253)、であると、言っているが、まさに、この「しかばねの街(the City of
Bones)
」の話はこのことに対する言及なのである。
また、1904 年という設定についても、ジム・クロウ法(Jim CrowLaw)が成立し、
人種差別(racism)が吹き荒れていた時代で、まだ奴隷制の時代からはさほど遠
くない時代であることを、デゼルは指摘する。それ故:Gem chronicles a time when
slavery and the Civil War were living memories for many black Americans.”(Dezell 253)
と言うように、まさにアーント・エスターを詳細に描くことはそれだけ、アフリカ
系アメリカ人の歴史に触れる必然が含まれるのである。だからこそ『大洋の宝石』
は一連のサイクルプレイ(Cycle Plays)の始まりだと称される作品であり、オー
ガスト・ウィルソン自身もなかなか踏み出せなかった理由はそこにあるのではない
かと考えられる。一方で、一度「エスターは死なない」と明言したことの理由はこ
の歴史の近さなのではないのかとも考えられるのである。こうしてみると、『2 本
の列車が走る』では輪郭しか見えなかったアーント・エスターの姿がはっきりとし
てくる理由も納得が行くとともに単純化されていることにも気付く。
3. エスターは何故バイナムのような男性ではないのか?
ハリー・J. イーラム・ジュニア(Harry J. Elam Jr.)によれば、
「オーガスト・ウ
ィルソンの女性は第二次的な役割しか与えられておらず、男達に対抗する形で行動
している。また、マ・レーニー(Ma Rainey)も女性の性はあまり強調されていない」
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アーント・エスターへの作者のまなざし:『大洋の宝石』を中心に
(Elam. Jr. August Wilson’s Women 165)という。作者オーガスト・ウィルソンの生
まれた家庭もそうであったように、生物としての父親はいたにしても、家族として
は存在していないのが、アフリカ系アメリカ人たちの置かれた状況であり、これは
変化していなかった。特に奴隷制下の家庭においては、ばらばらにして売られたり
するのが日常であったため、彼らのコミュニティーでは母親中心のつながりが強か
ったのだ。この状況をウィルソン自身も至るところで強い口調で非難している。こ
のコミュニティーについて、ハリー・J. イーラム・ジュニアは , “historically, African
Americans have been connected to and through extended families and socialized to think
themselves as a community.”(Colored Contradictions 12)、と言うが、この社会的な伝
統の中に、アーント・エスター像は存在していると言ってよいだろう。ウィルソン
は『2 本の列車が走る』を書く時にこうしたアーント・エスターの可能性を考えて
いたのではないかと想像されるが彼自身の証言はない。
4. アーント・エスターの年齢について
疑問の一つとして残るのが、エスターの年齢である。クリス・ジョーンズ(Chris
Jones)はオーガスト・ウィルソンの発言を引用しながら、
「家路へ向かって」
(Homeward Bound)というエッセーの中で次のように言っている:
“When I went back to look at the break-up of the so-called black family,” Wilson says, “I
found myself at 1619. There was never been a black family structure in this country.
Most American social policy—such as welfare in the 1930s and 1940s—was designed to
break up the black family.”(American Theatre Nov. 1999 p.70)
これは、
『キングヘドレー 2 世』
(King Hedley II)を書いた頃の作者の言葉であるが、
彼の意識は常にそのアフリカ系アメリカ人の家族に向けられていたとすれば、エス
ターの年齢も、まさにこの作者の意識とともにあると断定して良いだろう。かつ、
この超自然的な 322 歳という時間的な広がりこそが、オーガスト・ウィルソン自
身が象徴的に、敗者(losers)としての立場で、この失われた時間を埋めようとし
た(Jones 81)とした証左なのである。かつ、歴史を書き替える(re-write)という
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オーガスト・ウィルソンの立場の重要な部分と言えるのである。
この作品を、立教大学のジョン・ドーシー(John Dorsey)教授を含め他の批評家
たちも「連作歴史劇の完成」と言う形でまとめている。このように考えると、前作
の『2 本の列車が走る』の登場人物たちが、
「ワイリー 1839 番地にいるアーント・
エスターのところへ行ってご覧よ」という時の作者のエスター像と、
『大洋の宝石』
に出ている、具体化された生身のエスターとの間には、一見大きな隔たりが存在す
るかに見えるものの、一貫した継続的意識の中で、この歴史劇の連作が続けられた
ことが分かるのである。
エスターは地域の黒人社会の精神的リーダーであるばかりではなく、その使う用
語には、はっきりとキリスト教的用語とともに、ブードゥー教的儀式めいたこと
も含まれている。問題は、彼女が果たして、バイナム・ウォーカーと同様に生身
の(mortal)存在であるかどうかと言う点だ。もしも、彼女が生身の人間であれば、
これはバイナムと同じであり、この神話化という流れから離れてしまう結果を招く
ことになりかねない。では、実際の生身の人間としての経歴が、彼女自身の口から
どう紹介されるのかを、彼女自身の口から聴いてみよう:
You think you supposed to know everything. Life is a mystery....
I’m on adventure. I been on one since I was nine. Years old. That’s how old I was
when my mama sent me to live with Miss Tyler. Miss Tyler gave me her name. Ester
Tyler....
(中略)
I got memories go way back. I’m carrying them for a lot of folk. All the old-timey
folks. I’m carrying their memories and I’m carrying my own. If you don’t want it I
got to find somebody else. I’m getting old. Going on three hundred years now. That’s
Miss Tyler told me. Two hundred eighty-five by my count.
(Gem 43)
[下線筆者]
この彼女の経歴を語る行為は直接的にはアフリカから奴隷としてさらわれて来たこ
とを示唆していると思われるが、一方では彼女にまつわる伝説からエスターという
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アーント・エスターへの作者のまなざし:『大洋の宝石』を中心に
存在をはじき出している。何故なら、彼女は普通の人間であり、エスター・タイラ
ーという名前をそのまま引き継いだ、と彼女は告白したのであり、名前だけが世代
間を渡っていることが告げられているからだ。また別の視点で見れば、エスターの
年齢の不思議さは、「ほら話し(Tall Tale)
」の延長線の一つに過ぎないとも言える。
特に、伝聞を元にしたほら話しの手法はアフリカ系アメリカ人の間では常套手段で
あり、一人アーント・エスターを例外扱いするのも不自然だからである。
さらに、生身の肉体を持ったエスターは、
『キングヘドレー 2 世』の中で死んだ
ことが伝えられるが、結局エスターは、役割を終えたから死んだのではなく、一連
のサイクルプレイの中での次の役割を、最期の作品で担う準備として 5、伝説の世
界の仲間入りを果たしたかのように死んでいくのだ。
結 び
こうした一連の流れをアーント・エスター という人物を通してみると、そこに
は作者の視線がどこに向けられているかが分かる気がしてくる。
『ジョー・ターナ
ー』では道に迷うものたちに対してむけられているのもの、それはどちらかと言え
ば、先祖の視点。
『2 本の列車が走る』ではエスターという存在は認められるもの
の、その描かれ方は伝説化を志向しつつ書かれている。一方、
『大洋の宝石』では、
現在により近いこともあり、より可視化され、否が応でも、生身の肉体を感じさせ
られ、伝説化と逆の方へと向かっているような感を与えている。エスターの具体的
な姿が登場した『大洋の宝石』の執筆年代は『ラジオ・ゴルフ』の前であり、しか
も 10 年ごとの表で分かるようにピッツバーグ・サイクルプレイの最初に位置しな
がらも、最初に書かれなかった。このアーント・エスターにまつわる作品群の中で
最も重要で、核心の部分である作品を『キングヘドレー 2 世』の後に出したことは、
サイクルプレイを完成するため、即ち彼の遺作『ラジオ・ゴルフ』のための人間ア
ーント・エスターを想定していたからであろうか。それでこそ、ショッピングモー
ルに生まれ変わろうとする、ワイリー 1839 番地の地所もアフリカ系アメリカ人を
取り巻く環境の変化とマッチしたものとなるのである。
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<Notes >
1. “By the end, though, Gem--the earliest in the cycle chronologically, set in 1904
Pittsburgh―concerns itself less with chewing the fat and more with summoning the
gods. This is, to put it mildly, an unwise decision. Wilson and director Kenny Leon end
up scrambling to reconcile the characters’ workaday concerns with the play’s ungainly
dip into magical realism, and the damage is irreparable.(http://www.broadway.com/
gen/Buzz_Story.aspx?ci=503365)
2. Conversations with AW 214; 彼の言葉では、Joe Turner, my favorite of my plays....
3. Aunt Ester suggests your experience is alive, that there is a repository of wisdom and
experience a person can tap into.(Conv. with AW 218)
、とオーガスト・ウィルソン
は答えている。
4. ”My signature play would be Joe Turner’s Come and Gone. Most of the ideas of other
plays are contained in that one play. So, if I had to pick up one play as my signature
play, that would be it, but not Fences.(Conv. withAW 251)
5. August Wilson の連作史劇を時系列に並べると次のようになるが、『大洋の宝石』
は中でも、最後から 2 番目の作品であり、
エスターが死んだことが知らされる
『キ
ングヘドレー 2 世』より後の作品であることの意味は大きいと考えられる。以
下の時系列の表を参照のこと。
〈The Pittsburgh Cycle〉
1900s Gem of the Ocean(2003)
1910s Joe Turner’s Come and Gone(1984)
1920s Ma Rainey’s Black Bottom(1981)[set in Chicago]
1930s The Piano Lesson(1990)[Pulitzer Prize]
1940s Seven Guitars(1995)
1950s Fences(1985)[Pulitzer Prize]
1960s Two Trains Running(1991)
1970s Jitney(1982)
1980s King Hedley II(2001)
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アーント・エスターへの作者のまなざし:『大洋の宝石』を中心に
1990s Radio Golf(2005)
* 下線の Title は Aunt Ester に関連のある作品。
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