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美柑と黒猫と金色の闇 ID:74505

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美柑と黒猫と金色の闇 ID:74505
美柑と黒猫と金色の闇
もちもちもっちもち
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので
す。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を
超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
転生者で憑依者でトリッパーで逆行者な主人公のお話。
具体的にいうと、主人公が柑橘類を振り回したり金色で闇な人をおちょくったりする
アクションでハートフルなラブコメディである。
ニチジョウ ││││││││││
1
サイカイ │││││││││││
ティアーユ ││││││││││
セフィリア ││││││││││
サンニンムスメ ││││││││
ナカナオリ ││││││││││
23
フリダシ │││││││││││
キョーコ │││││││││││
マヨイネコ ││││││││││
ナンバーズ ││││││││││
46
目 次 ミカン ││││││││││││
ヤミ │││││││││││││
リョーコ │││││││││││
リト │││││││││││││
ザスティン ││││││││││
コーチョー ││││││││││
セフィ ││││││││││││
メア │││││││││││││
ネメシス │││││││││││
シズ │││││││││││││
クリード │││││││││││
ヘイキ ││││││││││││
69
247 228 207 185 159 136 115 90
508 474 451 428 397 370 342 313 289 271
時が解決するとはよく言ったもので、その頃にはこの体は自分のものだと、違和感な
ら。
憑依する人間への罪悪感が湧かなかったのは、憑依してから時間が経過していたか
パーでもあるんだと理解せざるを得なかった。
の世界がまんま創作物の世界観と同じであることに気付いたから、憑依者でありトリッ
そして、年を重ねるうちに、外見が前世の創作物の登場人物に瓜二つであることに、こ
のだろう。
だから、目が覚めた時、全くの別人に生まれ変わった自分は、恐らくは転生者という
た。
死因が何だったのかは思い出せないが、死んだということだけは明確に理解してい
転生も憑依もトリップも、全部が全部、いつの間にか行われていたことに過ぎない。
神様なんて者には会っていなければ、怪しげな黒魔術に手を染めた訳でもない。
一生に一度でもあればいい経験を四度も体験したのは、幸運なのか不運なのか。
吾輩は転生者で憑依者でトリッパーで逆行者である、名も結構色々とある。
ミカン
1
ミカン
2
く思えるぐらいには順応していた。
だからといって、憑依する人間に何も思わないほど薄情な人間ではないつもりだっ
た。
││よし、原作改変とやらをしてみよう。
それが、唯一の罪滅ぼしだと思った。
自分が憑依した体は、創作物では重要な位置づけ││ぶっちゃけると主人公である。
主人公故に世界に与える影響力は大きいが、別に全知全能の神様という訳ではない。
誰かが幸せになれば、別の誰かが不幸になる。
創作物の結末はハッピーエンドだったが、それが誰かの不幸の結果に成り立つものだ
ということは、読者という視点で読み進めたからこそ知っていた。
知ってるから、見て見ぬフリが出来なかったから。
なんてそんな馬鹿げた理想を抱いたものだ。
前世とは比べものにならない強大な力が宿る体と原作知識を総動員し、少しでも彼等
を幸せに
て半殺しにしたら、その様子を見ていた黒ずくめな組織にスカウトされて。
児童虐待なんざ生温い修業時代を経て、一人前だと認められたのでお礼と復讐を兼ね
殺されるはずだった両親を救ったら、本来なら育て親で仇な殺し屋に拉致られ。
││そう思っていた時期が、自分にもありました。
!
3
紆余曲折を経て、妙な部署に放り込まれ、物凄く見覚えのある拳銃を貰い、いい加減
足を洗うかとトンズラかましたら、実は組織の正体がとある秘密結社だと気付き、始
まった恐怖の逃亡生活。
自分の幸せも掴めない奴が何寝言ほざいてんだ馬鹿野郎。
壁に仏像を彫るのが趣味の女剣士と不可視の剣を使うヤンホモを見たら逃げの一択
だ。
少しでも彼等を幸せに
エゴを押し付けた自分にいう権利なんてないのだから。
原作では仲間だった彼等に今更のように助力を願うなど、原作改変なんていう究極の
等が不幸だなんて、絶対にある訳がない。
でも、死ぬ筈だった同僚と、生体兵器とは無縁の穏やかな日々を、笑顔で謳歌する彼
これで良かったのかは分からない。
ができた。
ら生体兵器として幼少期を送る筈だった彼女は生みの親である博士の元で過ごすこと
その結果、本来なら賞金稼ぎになる筈だった彼は捜査官を辞めることはなく、本来な
せたり。
本来なら死ぬはずだった捜査員を助けたり、どこぞの闇の武器商人のアジトを壊滅さ
とはいえ、東奔西走な逃亡生活の全てが不幸だったのかと聞かれればそうでもない。
?
ミカン
4
故にこの結末は、誰にも頼らず己の力を過信した自分の末路は、当然の結果だったん
だ。
その日はヤンホモに追われ、偶然逃げ込んだ場所が、何の偶然か博士と少女の隠れ家
で。
などと抜かし
初対面だった彼女達に、原作知識故に親しげに話し掛ければ、何をトチ狂いやがった
のかあのヤンホモ、組織を抜けたのは彼女達が原因だと、この魔女め
やがったのだ。
りで。
薄れゆく意識の中、涙を流す彼女達をヤンホモの毒牙から守れないことが唯一の心残
くれた。
厄介事に巻き込まれた彼女達には罵倒する権利だってあるのに、感謝の言葉を紡いで
結果的には何とかヤンホモの撃退に成功したが、彼女達を庇って負った傷は致命傷。
か彼女の役目を彼女達が負背わされることになろうとは。
正史なら故人になる≪親友≫の救済方法として会わないことを徹底していたが、まさ
!
と叫んだら、驚き何も無いところで転ぶ博士の見た目は若返って
││目が覚めたら、体が縮んでいた。
今度は逆行かい
いた。
!
介抱してくれた博士に話を聞けば、彼女のクローン体である少女はまだ生まれていな
いとか。
これ絶対逆行だわという確信の元、転がり込んだ博士のところで世話になり。
生活能力皆無のドジっ娘の代わりに生まれてきた少女の世話をすれば、何故か嫌わ
れ。
理由は不明だが、襲ってくる襲撃者は、縮んだことによって習得した電磁銃で余裕の
撃退。
その後、色々あって離れ離れになってしまった彼女達は今、どうしているんだろうか。
◆ ◇ ◆ ◇
幸福に満ち溢れた吐息を吐き出し、少年は澄み渡った晴天を仰いだ。
公園のベンチに寝そべり、牛乳を一口。
﹁⋮⋮平和だ﹂
5
﹁そうだよ、これが普通の日常なんだよ。今までが非日常だったんだ。つか凶器振り回
す女剣士やヤンホモに追われる日常ってなんだよ。なんなんだよあいつら絶対人間辞
めてんだろ。女剣士、お前の≪滅界≫って反動でかいんじゃなかったのかよ普通に連発
してんじゃねぇよ婚期逃がせ一生独り身でいろ。ヤンホモ、お前の虎徹会う度にパワー
アップさせてんじゃねぇぞ最後の絶対LV.MAXだろなに最終決戦兵器投入させて
んだ馬鹿野郎。ちくしょう絶対復讐してやるテメェ等揃いも揃って謎の超進化遂げや
バ ー ス ト・レ ー ル ガ ン
がって俺は技の実験台じゃねぇんだぞ覚えてやがれ次会ったらテメェ等の眉間に≪
炸裂・電磁銃≫ぶち込んで風穴どころかその身ごとこの世界から消滅させてやるから
な﹂
どす黒く濁った瞳から流れ出る一筋の涙。
彼ほど平和という日常を噛み締めている人間はいないのではないだろうか。
泣きながら高笑いする少年の姿があったと、暫くの間この界隈に流れるのだった。
﹁ん
﹂
﹁なー﹂
ミカン
6
?
トンっと軽やかな音を立て、馴染み深い生き物がこちらを見上げる。
糸目なデフォルメ顔の気が抜けるような造形の生物。
﹂
例え相手が猫であってもだ
﹂
白猫はこちらを一瞥しただけで、興味は既に手に持つ牛乳瓶に注がれていた。
﹁なー﹂
﹁⋮⋮やらねぇぞ﹂
﹁んなー﹂
﹂
﹁やらねぇからな﹂
﹁ふしゃー
﹂
﹁やんねぇつってんだろ
﹁んにゃおあー
﹁何人たりとも俺の至福の時は壊させねぇ
バチバチ火花散らす両者。
まさに一発触発。
!
!
白猫は研ぎ澄まされた爪を引き出し、少年は懐の相棒を掴んだ。
!
!
!
7
だ
﹂
﹂
勝負
互いが牽制し、己の必殺技を抜き放つ機会を虎視眈々と狙う、その空気は戦場の如し。
﹁││あの﹂
突然の声に、少年は声の主に一瞥だけ送る。
﹂
﹁何か用か、パイナップル頭﹂
﹁ぱっ
﹁今立て込んでんだよ。話があんなら後にしろ﹂
﹁いや、あのね││﹂
﹂
ブラッククロウ
﹁おらどうした猫公。腰が引けてんぞビビってのか﹂
﹁にゃ、にゃにゃ、ふしゃー
!
!
﹁吠えたな猫 テメェのご自慢の爪と俺の≪ 黒 爪 ≫とどっちがスゲェか
﹂
!
!?
﹁ごろにゃんごー
!
!
!
﹁人の話を聞きなさーい
ミカン
8
ドンっ
と音を立て、対峙する両者の間に突き立てられた、牛乳パック2ℓ。
目の前のご馳走に瞳を輝かせる両者をそれぞれ見比べ、少女は嘆息を零した。
!
﹂
﹂
!
一通りの観察を終えた少女は買い物袋をベンチに置き、自身も少年の隣に腰掛けた。
天真爛漫を絵に描いた少年の見た目は、少女と同い年ぐらいだろうか。
マ数字。
黒い髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のロー
牛乳パックを開封する少年を眺めた。
深呼吸を重ね、恐ろしいマイペースっぷりに乱された心を静めると、嬉々としながら
聞かせる。
外見より大人びた雰囲気を纏う、髪を頭頂部で束ねた少女は、落ち着けと自分に言い
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁にゃー
!
!
!
ぜ
﹁おい猫 その辺探せば器ぐらい落ちてるだろ 急いで拾って来いよ半分こしよう
﹁これあげるから。だから、そんな馬鹿らしい理由で喧嘩なんかしないで││﹂
9
﹁君、この辺じゃ見ない顔だけど⋮⋮﹂
﹁おう。最近この街に来たばっかなんだ﹂
﹁そうなんだ﹂
な﹂
﹁さっきはきつくあたって悪かったな。あと、牛乳サンキュー。お前って良い奴なんだ
邪気のない、純粋無垢な笑顔は、同年代の男の子にはドライな対応しかしてこなかっ
た少女の警戒心をあっと言う間に解き解してしまった。
﹂
次いで少女が口を開いた時、自己紹介の言葉が出たのが少年に心を開いた何よりの証
といえる。
﹁私は美柑。結城美柑﹂
﹁酸っぱそうな名前だな﹂
﹁むっ、そういう君の名前は
?
﹁⋮⋮速そうな名前だね﹂
﹁トレインだ。トレイン=ハートネット﹂
ミカン
10
﹁だろ。結構気に入ってんだ﹂
﹂
?
﹁何か言った
﹂
﹁⋮⋮本当に母ちゃんみたいな奴だな﹂
﹁はいは一回﹂
﹁はいはい﹂
﹁のばさない﹂
﹁はーい﹂
﹁返事ははい﹂
﹁へーい﹂
﹁小学生の女の子に母ちゃんは失礼。以後気を付けるように﹂
﹁うへー、ミカンって口煩い奴だな。母ちゃんみたいだ﹂
うだの美味しそうだの、トレイン君ってどういう神経してんのよ﹂
﹁いい加減食べ物の蜜柑から離れて。あと漢字が違う。それと女の子の名前を酸っぱそ
﹁⋮⋮美味そうな名前だよな、ミカンって﹂
﹁怒ってない﹂
﹁⋮⋮怒ってんのか
﹁ふーん。ちなみに私は少しだけ自分の名前が嫌いになった﹂
11
?
﹁いいえ、言ってません﹂
﹁ふふっ⋮⋮﹂
気付けば零れた、花の咲いたような笑み。
男女の差異が芽生え始めた男子の心など容易に貫く美柑の表情は、しかし牛乳を煽る
花より団子なトレインが気付くことはなかった。
﹁んなー﹂
﹂
﹁おっ、遅ぇぞ猫。全部飲んじまうところだったぜ﹂
﹁なー
!
ありふれた、それでもどこか神聖な空気は、午後の公園に流れる。
幸せそうに牛乳を堪能する白猫とトレイン、彼等を静かに眺める美柑。
動物が醸し出すオーラと言えばいいのか、微笑ましい光景に美柑の表情が綻ぶ。
どこからか銜えてきた小皿に牛乳を注ぐと、白猫は飛びつくように舐め始めた。
﹂
﹁冗談だよ冗談。ほれ、皿寄越せ。お前の分も入れてやっから﹂
!
﹁にゃんにゃんにゃーお
ミカン
12
そんな空気を打ち破ったのは、ぷはーっと口に付いた牛乳を拭ったトレインだった。
﹂
?
顔を上げれば不思議そうなトレインの顔。
視線は変わらず飲み口に。
受け取るが、すぐに飲むようなことはしない、できなかった。
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁ほら﹂
飲み口とトレインの口を何度も行き来し、美柑の顔は徐々に紅潮していく。
外見は大人びていても、僅かに染まった朱の頬は、彼女が年頃の女の子だという証拠。
だが、美柑の視線が注がれているのは、開封された飲み口。
ずいっと差し出される牛乳パック2ℓ。
﹁いや、元々これお前んだし。まだだいぶ残ってるからさ﹂
﹁⋮⋮へ
﹁ほい、ミカンも飲めよ﹂
13
﹂
葛藤の時間は、しばらく続く。
﹂
﹁じゃ、じゃあ⋮⋮飲むよ﹂
﹁おう﹂
﹁⋮⋮本当に飲むよ
﹁もしかして牛乳嫌いなのか
﹁そんなこと、ないけど﹂
﹁あっ、間接キス﹂
﹁ぶぅ││││││っ
﹂
目を瞑り、覚悟を決め、僅かに湿った飲み口に唇を付け、冷たい牛乳が喉を通り││
?
?
ナイスなリアクションだぜミカン
トレイン君の馬鹿ぁあああああ
﹂
﹂
!! !!
﹁と、と、とと⋮⋮っ
!?
白濁した液体が美柑の口から噴き出され、漏れ出た汁が細やかな糸を引く。
!!
!!
﹁ぎゃはははははは
ミカン
14
﹁なー﹂
よく晴れた、とある公園での一幕。
◆ ◇ ◆ ◇
頭頂部で揺れる黒髪は、美柑の怒りを露わすかのように激しく揺れていた。
後をトレインは追従する。
牛乳のお礼とからかった詫びにと持った買い物袋をぶら下げながら、前を歩く美柑の
﹁⋮⋮はぁ﹂
﹁怒ってないもん﹂
﹁いや、絶対怒ってんだろ﹂
﹁⋮⋮怒ってない﹂
﹁なーミカン、いい加減機嫌直せよ。さっきは本当に悪かったって﹂
15
﹁なぁ、ミカンの家までは後どのくらいなんだ
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁無視かよ。まっ、別にいいけどさ﹂
﹂
立ち止まった美柑は後ろにいる彼の方へ振り返り││
子供っぽいトレインではなく、自分から折れねばと、そんな子供らしくない考えの元、
しかし、物事というものは時間が経てば自然と解決へ向かうもの。
大人びた性格故に同年代には一目置かれている何時もの美柑はそこにはなかった。
らしくないとは思う。だけど、溜飲はちっとも下がってはくれない。
ちらりと振り返った美柑は、そんなトレインの態度にむすっと唇を尖らせた。
気まずい空気など物ともせず、呑気の鼻唄なんかを歌いだす。
?
一瞬遅れ、すぐ近くで響いた破砕音に驚き急ぎ正面へ向き直ると、何かを振り抜いた
瞬間、買い物袋だけをその場に残し、トレインの姿が掻き消える。
﹁││││え﹂
ミカン
16
姿勢で静止するトレインの姿があった。
﹁あっぶねぇな。誰だよ、こんなもん飛ばしてきたのは﹂
トレインの視線の先にあったのは、拳ほどの大きさのブロック。
﹂
声の当人は呑気だが、もしあれが自分に当たっていたならと思うと、生きた心地がし
なかった。
﹁地球ってのは相も変わらず物騒なとこなんだな。美柑も、怪我とかなかったか
﹁う、うん⋮⋮ありがとうトレイン君﹂
﹁おう、気にすんな﹂
笑顔を浮かべるトレインの手に握られた、異彩を放つ黒光りの得物。
黒と白、そして金の意匠が施された、リボルバー式の装飾銃。
様々な疑問が浮かぶも、どれもが口から出てこない。
とは無縁の生活を送る美柑でも理解できた。
銃身に刻まれた≪XIII≫のローマ数字が目を引くそれが本物であることは、拳銃
?
17
自分と変わらぬ年齢のトレインが持つ不釣り合いな装飾銃が、自分目掛けて飛んでき
た石礫が、全てが非日常過ぎて、同居人の影響で非日常には慣れ親しんだ筈の美柑でさ
﹂
え混乱してしまって。
﹁どわーっ
﹁リト
﹂
﹁み、美柑か
﹂
﹁ん、二人は知り合いなのか
﹂
曲がり角から飛び出し、血相を変えて駆け寄ってくる、高校生くらいの男性。
混乱の渦中にいる美柑の耳朶を、聞き親しんだ声が打った。
!?
君も早く
﹂
一体何が││﹂
!
﹁逃げろ美柑
!
トレインの質問には答えず、リトは美柑に背を向け、盾のように両手を広げた。
?
!?
!?
﹁ちょ、ちょっとリト
!
ミカン
18
﹂
﹁説明してる場合じゃないんだ
﹁⋮⋮⋮⋮ヤミ
早くしないとヤミの奴が
!
﹁待ちなさい、結城リト
漆黒が舞い降りる。
﹂
﹂
!
﹁ちょっ、美柑
﹂
で、でもわざとじゃ││﹂
!?
﹁無視
﹂
﹁ヤミさん、久しぶり﹂
﹁うぐっ
﹁えっちぃこと、ヤミさんにしたでしょ﹂
!?
そっと前へと押し出した。
普段は感情の乏しい顔が怒りに赤く染まっているのを確認した美柑は、リトの背中を
金の髪、赤い瞳、身に纏う黒い戦闘服。
!
騒ぎの元凶は、間を置かずに現れた。
?
19
!?
﹁⋮⋮美柑、久しぶりですね﹂
﹁愚兄が本当に申し訳ないことをしました。なので、遠慮なくやっちゃってください﹂
﹁はい、了解しました﹂
﹁オレの意思は⋮⋮ないんですよね、分かります﹂
背中で涙を流す兄だったが、ここは心を鬼にせねば。
悪気がないことは分かってはいるが、リトのラッキースケベは少々││いや、かなり
過激だ。
折檻だけで済むだろうからと、でも晩御飯はリトの好物でも作ってあげようと、これ
から先の計画を美柑は練っていた。
﹂
!
そして、直後の変化は劇的だった。
喜色混じりのトレインの声を聴いたのは、そんな時だった。
﹁やっぱり⋮⋮久しぶりだな、姫っち
ミカン
20
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮え
﹂
限界まで見開かれた赤い瞳。
呼吸すら忘れてしまったかのように開く小さな口。
あれほど満ち溢れていたリトへの殺気は消え去り。
ヤミという少女の存在全てが、トレインへと注がれていた。
もしかしてこの街に住
﹁何年ぶりだよ元気してたか 相変わらず怒りっぽいとこは変わってねぇんだな
﹂
あっ、姫っちがいるってことはティアの奴も近くに居るのか
んでるとか
﹁⋮⋮トレイン﹂
うな声。
代わりの漏れ出た言葉は、それこそ風にでも掻き消されてしまいそうな、消え入るよ
?
!
怒涛の質問に、しかしヤミは反応せず。
!
!
?
21
ミカン
22
その四文字には、ヤミの万感の想いが込められていて。
何故か美柑には、必死に泣くのを我慢しているみたいに聞こえたのだった。
││だからこそ、野良猫のように自由気ままに生きる彼が羨ましくて仕方がなかっ
だった。
生体兵器として標的の命を奪い、返り血で身を穢す日々が、私に与えられた存在意義
た。
││それなのに、唯一勝ちたいと切望する彼には全く勝てるイメージが湧かなかっ
た。
生体兵器として強要された肉体強化は、私の体に確かなものとして蓄積されていっ
││だから、いつもへらへらと笑っている彼を思い出すと殺意しか湧かなかった。
生体兵器としての日常は、私の表情から感情というものを欠落させた。
││あの笑顔が、私の前からいなくなってからだ。
宇宙一の殺し屋と言われるほど、沢山の命を奪ってからか。
生体兵器としての生き方を強要されてからか。
親が研究所から出て行ってからか。
博士
いつから、期待することをやめてしまったのだろう。
ヤミ
23
ヤミ
24
た。
博士
博士
生体兵器としての私を生み出した親は、いつも彼を目で追っていた。
││故に、親が彼と一緒に消えたと聞いて、私は捨てられたんだと思った。
私は生体兵器だ。
私は殺し屋だ。
私は化物だ。
生体兵器に感情は不要だ。
殺し屋に必要なのは命を殺める術だけ。
化物と彼とでは生きる世界が違う。
だから、彼と過ごした時間は不要なものしかない。
野良猫のように、自分が望むがままに送った日々など。
一緒に読んだ本の楽しさも、一緒に食べた甘味の美味しさも、一緒に飲んだ牛乳の爽
快感も。
彼といた時間の全ては、実にくだらないものでしかないのに。
栄養補給にと口にした携帯食を食べると、彼と一緒に食べた甘味の味を思い出してし
まう。
命を殺めようとする瞬間、彼の笑顔が脳裏を過り、途端に躊躇してしまう。
25
幸せそうに遊び回る子供達を見る度に、自分と彼の姿を彼等に重ねてしまう。
私は生体兵器だ。
私は殺し屋だ。
私は化物だ。
だったら、どうしてこんなにも苦しいんだ。
だったら、どうしてこんなにも悲しいんだ。
だったら、どうしてこんなにも心が痛いんだ。
こんなに辛いのなら。
こんな想いをするくらいなら。
こんな気持ちになるくらいなら。
││私は、あなたと出会いたくなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
金色の闇ことヤミについて、美柑が知っていることはそう多くはない。
口数が少なく、表情が乏しい、それでもたい焼きを頬張る時は幸せそうで、だけどい
つもしかめっ面で牛乳を一緒に飲む、そんな少しだけ変わった、友達になった女の子。
﹂
自分のことを喋りたがらない故に、また美柑自身の年不相応な大人気質が、ヤミのつ
いての情報を探ろうとすることをしてこなかった。
だからこそ、美柑は驚きが隠せないでいた。
││≪姫っち≫。
偶然会った男の子、トレインがそう呼んだ途端、変貌したヤミ。
驚愕という感情を顔に貼り付け、その視線はトレインにのみ注がれている。
﹂
お兄さんは勿論
今はいいかもしれな
!
全身真っ黒にベルト巻き巻きってお前さん、そういうお年頃か
﹁にしても、姫っち変わったな。仏頂面にですます口調もだけど、なによりもその服
なかったけれども
!
!
いけど、年食うとベットの中でも悶え苦しむことになるんだからな
そんなことないけど
!
お兄さん破廉恥な恰好は許しませんよ
!
美柑やリトが息を呑む中、一人だけズケズケとものを言うKYが一人。
!
﹁ちょっと姫っち聞いておりますの
!
ヤミ
26
驚愕に固まるヤミに言い寄り、その手を伸ばす。
﹁⋮⋮⋮⋮へ﹂
﹁││││ぁ﹂
パシっと、乾いた音を立て、トレインの手が払われる。
﹂
固まるトレインだが、自分の行動にショックを受けるヤミの様子は彼からは見えな
い。
﹂
美柑が見守る先で、ヤミは俯き、拳を震わせる。
﹁⋮⋮姫っち
﹁⋮⋮今更、私に何の用ですか﹂
﹁いや、再会のハグでもしようかなと思いまして。はっ、これが世にいう反抗期⋮⋮
﹂
アレか、お父さんとは洗濯物は別にしてってヤツか
﹁はぐらかさないでください﹂
﹁それは姫っちもだろうが
!
!?
?
スモールな俺は見た目子供だから加齢臭とかは無縁だよきっと
!
!
27
﹂
キッと、顔を上げたヤミはトレインを睨め付けた。
﹁どうしてですか
今更のように私の前に現れて
﹂
マイペースにズケズケと 人の気持
何で私の前に現れたんですか
!
ちも知らないで
吐き出す言葉は癇癪。 !
腰まで伸びた金髪を拳状に固め、唖然とするトレインに目掛けて振り下ろした。
ヤミを宇宙一の殺し屋たらしめる、変幻自在の異能。
≪変身≫││。
トランス
振り乱された頭髪が空を舞い乱れ、次第に感情のうねりとなって変貌していく。
!
!
美柑もリトも、普段のヤミとはかけ離れて様相に、静止の言葉が出てこない。
苛烈ともいえる、明確な感情の塊。
!
!
﹁どうして
ヤミ
28
﹁私の前から││消えろ
死んだ││。
﹂
ないほどの規模、威力を誇った一撃だったから。
そう思ってしまったのは、暗殺対象であるリトに放ってきたものとは比べものになら
!!
﹂
﹂
﹂
立ち込めた粉塵の中、クレーターのように陥没した地面が、先の攻撃の威力を物語る。
﹁トレイン君
﹁うひゃあ
﹁││呼んだか
!?
余裕は勿論ある筈もなく。
別のシチュエーションなら赤面ものだが、慌てて首元にしがみ付いた美柑にはそんな
美柑を横抱き││俗にいうお姫様抱っこ││にし、スタコラサッサとその場を離脱。
宙に浮かぶ感覚の後、仰ぎ見た先にあったのは、無傷のトレイン。
﹁ちょいと失礼﹂
!?
?
29
﹁えっ、ちょ、トレイン君大丈夫なの
﹂
そんなことは今はどうでもいいでしょ
﹂
﹁いや、大丈夫じゃねぇよ。マジどうしよう反抗期説は濃厚です﹂
﹁いやいや
!
﹁ミカンに年頃の娘を持つ男の気持ちなんて分かるわけねぇだろ
!
﹂
﹁トレイン君子供だから関係ないよね
﹂
この先に待ってん
!
﹁⋮⋮ねぇ、今更なんだけどリトは
﹂
﹁親しいっていうか、私達は兄妹なんだけど⋮⋮﹂
?
?
﹁リトって、美柑の親しげだったあの兄ちゃん
﹂
﹁ふぅ、此処まで来ればとりあえずは大丈夫だろ﹂
周囲の喧騒が聞こえない、そんな場所になってようやく足を止め、美柑を下ろす。
意味の分からぬことを言うトレインは、そのままどんどん人気のないところへ。
﹁見た目は子供だけど頭脳っつーか中身はいい年してんだぞ俺は
﹂
のはゴミでも見るような眼で、トレインの洗濯物と一緒に洗わないでルートなんだぞ
!
!
!?
!
﹁それなら問題ねぇよ﹂
ヤミ
30
だから撃たないで
﹂
直後、霞むような速さで懐から何かを引き抜くと、死角から飛び出し、前方に腕を突
き出した。
オレだオレ
!
﹁わぁ
!
﹂
?
故意なのか、天然なのか。ヤミへの言動からして恐らくは後者だろう。
下らない軽口は、それだけで緊張を解してくれる。
﹁うん、絶対に有り得ない﹂
﹁惚れるなよ、火傷するぜ
﹁トレイン君って本当にデリカシーがないよね﹂
トも抱えていけたんだけどな﹂
﹁俺も君じゃなくてトレインでいいぜ。でもまぁ、ミカンがもうちょっと重くなきゃリ
レのことはリトでいい﹂
﹁⋮⋮オレからすれば、美柑を抱えた君の方が早く到着してたのがびっくりだよ。後、オ
早かったな。流石は地元民﹂
﹁こんな風に、逃げる前に落ち合う場所だけ言っといたって訳。にしても兄ちゃん、結構
!?
31
﹁トレインは、これからどうするんだ
﹂
﹁消えろっていうから消えてみたんだけど⋮⋮許してくれると思う
﹁いやそんな無茶な
だったらオレが最初に説得を││﹂
﹁取り敢えず、面と向き合って話し合って見るわ﹂
﹂
真っすぐぶれることのない決意の眼差しに、否応なく美柑の視線が惹き付けられる。
かと思えば、すぐさま立ち上がり、手に持った装飾銃で肩を叩く。
嘆息を零し、どうすっかなぁとトレインは膝を折って頭を掻いた。
﹁だよなぁ⋮⋮﹂
﹁本気で許してくれると思ってるなら、トレイン君って大物だと思う﹂
?
?
のか
﹂
?
﹁⋮⋮今更だけど、ヤミさんと知り合いってことは、トレイン君って宇宙人
﹂
﹁今なら言葉の代わりに拳が飛んでくるぜ そうなったらリト、あんたは対処できん
!?
﹁うんにゃ、地球生まれの地球育ちだ﹂
?
?
﹁宇宙人だろうが強かろうが関係ねー トレインみたいな子供に全部背負わせて、オ
ヤミ
32
!
﹂
レだけ見て見ぬフリなんて真似できない 泣きそうなヤミを前に黙って見てるだけ
なんてできる訳ないだろうが
!
掌に思わず頭上を仰ぐ。
無意識に零れる言い訳に自嘲染みた笑みが零れ、俯く美柑の頭に、無遠慮に置かれる
どうせ無理だ、今の自分の言葉なんて届くわけない。
自分には持ちえない気質に、こんな時だというのに羨ましく思えてしまう。
食ってかかるリトもまた、本当に真っすぐで。
!
ら﹂
﹁俺 が 届 け ん の は 幸 福 だ。不 吉 を 届 け る 黒 猫 の 分 も 皆 を 幸 せ に す る っ て 決 め た ん だ か
見る者を安心させ、大丈夫だと信じ込ませる、そんな力がトレインの笑顔にはあって。
こちらの心を見透かす、金色の瞳が緩み、口元が弧を描く。
だから大丈夫、落ち込まなくていい。
﹁問題ねぇ。今の姫っち程度なら、俺一人で十分だよ﹂
33
﹂
そう言って頭を下げるトレインに、リトが折れるのはさして時間がかからなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
見渡しの良い河川敷で、両者は対峙する。
﹁せっかく消えてやったってのに、姫っちは一体俺にどうしてほしいわけ
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
殺意が形を持ち、場の空気を圧迫する。
?
明確な憎悪に表情を歪ませるヤミを前にしても、トレインの軽口は止まらない。
﹁つまり、一生引き篭もってろと
﹂
﹁私が望むことはただ一つ、あなたの完全な消滅﹂
ヤミ
34
?
﹁いいえ、例え辺境の惑星に監禁しようとも生温い。あなたが存在していることが、私に
は許容できない。生死が曖昧だった今までさえ、心休まる時は一日だってなかった﹂
頭髪を拳状に。
両手を鋭利な刃物へ。
背中から伸ばした翼を硬質化させ。
己の持ちうる攻撃手段の全てを、標的へと向ける。
﹂
!
﹂
?
≪ナノスライサー≫。
そのまま、土煙から飛び出してきたトレインに、振り被った腕を叩き付ける。
躱すことなど叶わない筈が、ヤミは立ち込める土煙へ向けて駆け出す。
翼の羽が、拳が、多量の弾幕となってトレインへ殺到。
一斉掃射。 ﹁減らず口を⋮⋮
﹁出来もしねぇことは口にするもんじゃねぇぞ
﹁トレイン=ハートネット。あなたは私の手で始末する﹂
35
極小レベルまで薄く研ぎ澄まされた刃。
﹂
防御しようと翳された装飾銃ごと断ち切ろうとして、
﹁なっ
ガキンと音を立て、≪ナノスライサー≫の一閃が阻まれる。
!?
≪桜舞≫。
そこを縫うように進み、近寄ってくるトレインに、ヤミの中で焦りが募っていく。
壁のように殺到する≪羽根の弾丸≫の弾幕の僅かに空いた隙間。
フェザーブレッド
即座に距離を取り、背中と腕から生やした羽を掃射。
ろうとは││。
ンの銃技に対応することから、普通の銃ではないと思っていたが、これほどの強度を誇
様々な戦場を駆け抜けてきたヤミでさえ未だ出会ったことのない神懸かったトレイ
傷一つない装飾銃。
﹁悪ぃが、俺の≪ハーディス≫は特別製なんでね﹂
ヤミ
36
星の使徒と呼ばれた組織の頭を務めた最強最悪の道使いでさえ、最後まで捉えること
の叶わなかった、達人でも会得するのに10年はかかるという無音移動術。
タオ
ヤミは知らない、知る由もない。
世界を牛耳る秘密結社を、≪道≫と呼ばれる異能を扱う革命組織を相手に、たった一
人で彼等を翻弄し、それぞれの最高戦力から何度も逃げおおせた、トレインの底知れぬ
実力を。
仲間の助力を願えないトレインは、敵の技術を盗み、己のものとすることで、彼等に
対抗した。
例えスモール化し、全盛期の力がなくとも、身についた技術がなくなった訳ではない。
長剣≪クライスト≫を振るい、≪アークス流剣術≫を極めた女剣士。
担い手の心に反応し、成長する≪幻想虎徹≫を操る星の使徒のリーダー。
彼等と比べ、激情に任せて闇雲に力を振りかざすヤミの何と取るに足らぬ存在であろ
うか。
潜ってきた修羅場の質が、戦闘経験値が、全てが、トレインには遠く及ばないのだ。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
37
トランス
≪変身≫の連続使用に、ヤミの息が上がる。
≪桜舞≫をやめ、なおも余裕の態度を貫くトレインは徐に懐を漁り、取り出したサイ
ズの合っていないサングラスをそのまま装着。
﹂
﹂
身構えるヤミの前で、ヤミの大嫌いな笑みを浮かべ、ヤミの大嫌いな軽口を吐き出す。
﹁似合う
﹁ふざけないでください
﹂
デフォルメされた猫のイラストが描かれたそれらを握りしめ、
やれやれと肩を竦め、広げられた掌で転がる二つの白球。 !
?
!
しかし、そこは宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇。
昼間の河川敷を、それらは瞬く間に侵食し、視界は完全な零へ。
途端に発生する閃光と煙幕。
そのまま真下へ叩き付けた。
﹁そいや
ヤミ
38
トランス
寸前のところで閉じた瞳によって閃光の効力は半減、次いで髪を扇型へと≪変身≫さ
せ、視界一杯に広がる煙幕を払おうと力を籠め、
轟音と閃光。
一条の光がすぐ傍を通過するのを理解したのは、ヤミでさえ暫くの時間を必要とし
た。
レールガン
生物の知覚できる限界を超越した、防御不可の一撃必殺。
││≪電磁銃≫。
レールガン
目の当たりにした威力に戦慄するヤミだが、同時にチャンスだとも思った。
≪電磁銃≫は連射できず、反動も大きい。
この煙幕の中、トレインとて狙いを外してもおかしくはないだろう。
レールガン
トランス
≪電磁銃≫の飛んできた方向からトレインの位置を逆算。
頭髪を拳状へ≪変身≫させ、渾身の一撃を前へと突き出す。
﹂
!?
背後から飛来する装飾銃。
﹁っ
﹁残念、はずれ﹂
39
トランス
咄嗟に≪変身≫で硬質化させた手刀で弾いたそれは、しかし物理法則を無視した動き
を見せる。
まるで磁石のように引き戻され、それがグリップ部分から伸びるワイヤーの仕業だと
気付いた時には、全てが遅かった。
﹁本当はそっちがはずれだ﹂
レールガン
トレインは、正面から突き進んでくる。
閃光に煙幕、≪電磁銃≫、唯一の武器すら囮に回したのも、全てはこの奇襲のため。
戦闘中にも関わらず浮かんだトレインの不敵な笑みが、ヤミの逆鱗に触れる。
﹂
!
装飾銃≪ハーディス≫に備わった爪を解き放った。
り、その勢いのまま回転。
直撃を確信したヤミの前で、空中へ飛び上がったトレインは引き戻した相棒を掴み取
伸ばした髪を引き戻し、トレインの背後への死角攻撃。
﹁負ける⋮⋮もんかぁ
ヤミ
40
ブラッククロウ
﹁≪ 黒 爪 ≫﹂
トランス
刹那の間に刻まれた、四筋の爪痕。
≪変身≫によって固められた髪が解け、金糸のように広がる光景を背に、ヤミへと向
き直ったトレインが肉薄する。
負ける││。
そう思って放たれた手刀は、単なる悪足掻きでしかなかった。
﹁終わりだ﹂
手刀を掻い潜り、振りかぶられた装飾銃。
﹂
振り下ろされる終幕の一撃に、ヤミは≪ハーディス≫の名の由来である冥府の神を幻
視した。 ﹁トレイン君、ダメ││││
!!
41
﹂
目を閉じたヤミの耳に、美柑の叫びが届く。
﹁ていっ﹂
﹁∼∼∼∼∼∼∼∼っ
ごんっ。
慌てて頭上を見上げたヤミは、懐かしい光景を目にした。
痛みは治まらず、視界は涙で滲み、そしてようやく戦闘中であることに気付いて。
あまりの痛みに声もでず、ヤミに唯一出来たのは頭を抱え蹲ることだけ。
重い音が頭上に鳴り響き、瞼の裏が真っ白に染まる。
!!
気付けば浮かんだ、痛みとは別の涙が、ヤミの瞳から溢れ、零れ落ちていく。
まるで太陽が降り注ぐみたいに、トレインの笑顔は、冷え切ったヤミの心を温める。
昔と変わらない、変わってしまった自分とは違う、変わることのない不変の笑顔。
そこにあったのは、笑顔だった。
﹁へへっ⋮⋮俺の勝ちだな、姫っち﹂
ヤミ
42
﹁どうして、私も連れて行ってくれなかったんですかっ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どうして、私を置いていったんですか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どうして、いなくなったんですか﹂
き締めた。
差し出された手を握り、立ち上がったヤミはトレインの背中に両手を回し、力一杯抱
堰き止めていたものが外れてしまったみたいに、零れる言葉を止める術はなかった。
﹁なんだよ、姫っち﹂
﹁トレインっ﹂
﹁おう﹂
﹁⋮⋮トレイン⋮⋮トレイン﹂
﹁ん﹂
﹁⋮⋮⋮⋮トレイン﹂
43
もう、失いたくなかったから。
目の前にあるのに、次の瞬間には消えてしまうのではないのか。
あの時のように、何も告げずにいなくなってしまうのでないか。
そんな恐怖を拭うように、伝わるぬくもりを離さすように。
縋りつくヤミに、トレインは黙ってされるがままで。
﹁ただいま、姫っち﹂
それだけで、救われた気がした。
帰ってきてくれたんだと、心の底からそう思えたから。
だからこそ口に出た言葉。
唐突に消えてしまったトレインに言えなかった、ヤミの想い。
届いた気持ち。噛み締める幸せ。
﹁⋮⋮おかえりなさい、トレイン﹂
ヤミ
44
45
黒猫が運んだ幸福を、ヤミはただただ感受するのだった。
リョーコ
﹂
﹁今すぐこの男を追い出してください
入る変態です
この男はいい年して女の子と一緒にお風呂に
!
﹂
﹁あ、朝一に女の子を抱きしめる変質者なんですよ
﹂
まれたばっかの頃だっけ。あっ、目に入っても痛くないシャンプーって今も使ってんの
﹁頭洗うのにビビってたから俺が洗ってやったんだよな。懐かしいぜ、確か姫っちが生
!
?
!
たくさん食えるからいいんだけどさ﹂
﹁ち、ちち、ちっ、小さな子供に暴力を振るう性格破綻者が何を⋮⋮
﹁ヤミちゃん⋮⋮﹂
﹂
﹁姫っち、好き嫌い多過ぎだぜ。毎回俺の皿に嫌いなもん入れるの止めろよ。まぁ、俺は
﹁ひひっ、人の食べ物を取り上げる悪魔の戯言に耳など││﹂
付いていくのはもう嫌だからな﹂
﹁そういや一人じゃ眠れないの、いい加減治ったのか 夜に怖いからってトイレまで
!
?
﹁失礼な。大体、お前から求めてきたんだろうが﹂
リョーコ
46
﹁ちっ、違います
この男の言葉を真に受けないでください
!?
全て出鱈目です
!
﹂
!
何度も⋮⋮﹂
﹂
トレインもいい加減なこと言わないでください
!
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁誤解です
﹁で、実際のところはどうなの
!
襲ってきた﹂
﹁なるほど﹂
!!
なたがいたんだもの。ティアからよく話を聞いてたから、トレイン君だって一目で分
﹁私もビックリしたわ。なんとはなしに夜の散歩に出てみれば、ヤミちゃんと一緒にあ
﹁にしても、まさかリョーコがティアの知り合いだったとはな﹂
彩南町の外れ、奇怪な雰囲気の洋館は夜半にも関わらず賑やかだった。
ヤミと大喧嘩し、和解してから時間が経ち。
﹁貴方達は⋮⋮っ
﹂
﹁事 あ る 毎 に 喧 嘩 吹 っ 掛 け て き て、毎 回 俺 が 適 当 に あ し ら う か ら ム キ に な っ て 何 度 も
?
﹂
﹁毎日毎日、嫌がる俺に姫っちは執拗に迫ってきたんだ。もう一回、次こそはと、何度も
47
かったわ﹂
﹁へぇ、ティアから。ちなみにどんな話だったんだ
﹁ふふっ、内緒﹂
≫は、クスクスと口元を綻ばせる。
﹂
!
らな﹂
﹁どっちかっつーと俺の方が襲われたわ。あんにゃろう、どこでも構わず転びやがるか
﹁あら、トレイン君がそんな節操なしだったら、ティアも襲われてると思うんだけど﹂
﹁年頃の男女が一つ屋根の下なんて、そんなことは私が許しません
﹂
熟れた肢体を惜し気もなく晒す妙齢の美女、彩南高校の養護教諭を務める≪御門涼子
羽織ったガウンから覗くのは、今にも零れ落ちてしまいそうな巨大な双丘。
?
﹂
ないの。ごめんなさいね、トレイン君。ティアの友人として謝るわ。あの子の相手、大
﹁死人以外ならどんな病気も治せるつもりだけど、あのドジッ娘気質は私でも治療でき
変だったでしょ
?
狙う奴は俺がぶっ飛ばしてやるからな﹂
﹁リョーコは話が分かるぜ。安心しろ、住まわせてくれるお礼じゃなくても、リョーコを
リョーコ
48
﹂
﹁よろしく頼むわね、小さなナイト君
﹁おう、任せろ
﹂
﹂
﹁私を無視して話を進めないでください
?
か、早くもヤミの息は荒くなっていた。
﹂
﹁どうして御門涼子のところに住まうなどということになるんですか
私の≪ルナティーク号≫があります
!
を発揮する。
レイン談であり、付き合いの長いヤミでさえ見たことのないクソ真面目面が謎の説得力
地球に流れ着くまでの顛末は割愛するが、二度と宇宙船なんぞに乗るかというのがト
だったり。
研究所内で迷子になりそのまま偶然乗り込んだ宇宙船で辺境の星に、というのが真相
ヤミとの争いの発端、唐突にトレインが消息を絶った原因。
﹁ごめん、俺宇宙船だけはホント駄目なんだ﹂
!
居住場所なら
空気を読まない、敢えて空気を読まないマイペースコンビの舵取りは相当な負担なの
!
!
49
﹂
﹂
説得が無理と悟り歯軋りをするヤミと、そんな彼女の初めて見る顔を楽し気に傍観す
る涼子。
﹁な、なら私も此処に住みます
﹁いや、リョーコに迷惑が掛かるだろ﹂
﹁既に迷惑を掛けてる身で何を偉そうに
﹁いいのよトレイン君、気にしないで﹂
﹁悪ぃなリョーコ、うちの姫っちがワガママばっかり言って﹂
るし﹂
﹁勝手に話を進めるのは感心しないけど⋮⋮別に構わないわよ、部屋はまだまだ余って
!
!
◆ ◇ ◆ ◇
こうして、御門涼子の洋館に二人の新しい住人が仲間入りするのだった。
﹁⋮⋮何でしょう、この釈然としない気持ちは﹂
リョーコ
50
﹁さっ、脱いでちょうだい﹂
﹁⋮⋮おたく、ショタコンだったの
?
く。
﹂
ティアの言う通り、本当に無茶ばかりする子ね﹂
?
﹁≪電磁銃≫だったかしら
レールガン
こんなになるまで放置など普通なら説教コースだが、涼子は淡々と治療を進めてい
たからか、紫に色に変色し、醜く腫れ上がっていた。
観念したのか、左手に嵌めた手袋を脱ぎ捨て、露わになる左手首は時間が経過してい
﹁大丈夫よ。誰にも言わないから﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
さっさと治療を済ませちゃいましょ。左腕、完全に折れてるでしょ﹂
﹁私が気付かないとでも思った
ヤミちゃんが宇宙船に荷物を取りに行っている間に
唐突の脱衣宣言に、トレインは身の危険を感じ後ずさった。
?
51
﹁⋮⋮お喋りめ﹂
﹁同じ不器用者同士、お相子でしょ そんな大技なんて使わなくても、あなたの腕なら
れてる、そんなどこにでもいるただの闇医者﹂
﹁ええ。ちょっとだけ物知りで、色んな組織から狙われて、ドクター・ミカドなんて呼ば
﹁⋮⋮あんた、本当にただの医者か
﹂
空気が急速に張り詰め、冷え切っていく。
そんな彼女を見上げるトレインの瞳は、ぞっとするほどに鋭利で冷たい。
ピクリと肩を震わす姿に、涼子の唇が弧を描く。
﹁≪アークス流剣術≫、≪エルヴァルト槍術≫、≪無双流≫、≪ガーベルコマンドー≫﹂
口を閉ざすトレインを一瞥すると、涼子は徐に口を開く。
ヤミちゃんを無力化する方法なんて幾らでもあっただろうに﹂
?
?
﹁逆に質問するけど、あなたって本当に何者なの 自分の意思で≪細胞放電現象≫を
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
リョーコ
52
?
起こし、宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇にただの地球人の子供が勝つなんて、一体
誰が信じるのかしら﹂
猫 ≫の威圧。
ブラックキャット
正史ならば最強の抹殺人と恐れられる≪ 黒
表面上こそ笑みを浮かべる涼子だが、先程まで淀みなく振るわれていた指先が僅かに
滞っていることに、トレインは気付いていた。
住居の提供に無償の治療行為。
恩を仇で返す訳にもいかず、嘆息とともに圧を霧散させる。
腹の探り合いは終わり、治療も終盤。
﹁⋮⋮俺もそんな気がしてきた﹂
﹁手遅れだと思うわよ﹂
﹁⋮⋮今からでも姫っち説得して追い出すか﹂
﹁そういう一面もあるのね。だとしたら嬉しいわ、身も心も曝け出してくれるなんて﹂
﹁一々言動が卑猥なんだよエロ医者﹂
﹁ふふっ、ゾクゾクしちゃった﹂
53
あれほど酷かった腫れも平常に、肌色も健康そのもの。
簡単な応急処置程度の知識があるからこそ、此処まで完璧な処置を行う涼子の施術
に、トレインは内心唸るしかなかった。
﹁ティア、今でも元気なのかしらね﹂
﹁⋮⋮分かんねぇ。でも、どっかの星で元気にやってんだろ﹂
﹁随分と彼女を信用してるのね。なんだか妬けちゃうわ﹂
﹁言ってろ﹂
﹁ふふっ﹂
﹁⋮⋮あの天然が、自分の娘残してくたばるわけねぇよ﹂
﹁⋮⋮そうね⋮⋮きっと、そうよね﹂
離せと手を引こうとすれば、それを拒むように強く、より強く握り込められて。
お礼を言おうと顔を上げれば、涼子の瞳は真っすぐこちらを向いていて。
治療が終了したのか、患部を包み込むように触れられても、痛みは全く感じない。
﹁ったりめぇだ﹂ リョーコ
54
﹁⋮⋮あなたの気が済むまで、此処にいていいから﹂
強かな彼女は、そこにはいなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
夜は、静かに更けていく。
﹁歓迎するわ、トレイン君﹂
﹁世話になるぜ、リョーコ﹂
気付けば浮かんでいたのは作り笑いではない、心の底からの笑顔で。
りに照らされ、慈しむような慈愛の眼差しでトレインを見詰める。
友人を心配し、無事だけを祈る、友達想いの優しい女性が、窓から差し込める月明か
﹁私も、一秒でも早くティアを見つけ出せるよう頑張るから﹂
55
﹁ぷはぁ
やっぱり風呂上がりの牛乳は格別だぜ
﹂
!
﹂
﹁⋮⋮いただきます﹂
?
﹁はい﹂
﹁お、姫っち帰ってきたのか﹂
胸に抱いた紙袋からは、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
闇に浮かび上がるように、白い肌と金髪、真っ赤な瞳がこちらを見据える。
唐突に響いた幼声。
﹁トレイン﹂
この一杯の為に生きていると言っても過言ではないとはトレイン談。
髪を湯で湿らせ、首にタオルを掛け、腰に手を当て、コップに注いだ牛乳を一気飲み。
!
﹁姫っちも飲む
リョーコ
56
コクリと頷くヤミに、トレインは自分の飲んだコップに新しい牛乳を注ぎ込む。
﹂
?
コク、コクっと鳴り続ける喉音が、静まり返った洋館に響き。
コップの淵に口付け、白濁した液体がヤミの喉へと流れていく。
横一文字に引き結ばれた口が、僅かに開口する。
﹁牛乳飲むのに何故それほどの覚悟が必要なのかは知らねぇが⋮⋮おう、召し上がれや﹂
﹁で、では⋮⋮いきます﹂
薄暗い中でもハッキリ分かるほど紅潮する頬が、実に印象的で。
恐る恐る受け取り、視線が何度もコップとトレインとを行き来する。
言いよどむヤミに首を傾げつつ、トレインは並々と牛乳が入ったコップを差し出す。
﹁いえ、その⋮⋮なんでもないです⋮⋮﹂
﹁ん、どったの
﹁あ、あの⋮⋮﹂
57
最後まで飲み干し、淵に残った一滴さえ舐め取ると、ほっと息つく間もなく黙り込む。
大事そうにギュッと胸に抱いたコップはただの市販品なのに、まるで唯一無二の宝物
みたいで。
﹁⋮⋮ぉ⋮⋮美味しかった、です﹂
﹁おう、そりゃあ良かったぜ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
消え入るような声は、反響することなく掻き消えた。
いやっほーい
﹂
かと思えば次の瞬間、俯いたままのヤミは、胸に抱いた紙袋をトレインへ突き出す。
﹂
﹁そ、その⋮⋮これ、どうぞ⋮⋮﹂
﹁食いもんか
ちょうど腹減ってたんだよ
!
﹁⋮⋮たい焼きです﹂
!
飛び上がって喜び、嬉しそうにたい焼きを頬張るトレインの姿に、ヤミの表情が綻ぶ。
!
!
﹁サンキュー姫っち
リョーコ
58
二人はそのままソファに腰掛け、揃って食事をスタート。
バクバクとチビチビという咀嚼音以外に会話はなく、パンパンに膨らんでいた紙袋
は、徐々にその膨らみを失っていく。
だ
よ
姫っ
ち
ヤミが話し掛けたのは、残すたい焼きが後一つになった頃だった。
ん
ん
そ
れ
で
﹂
?
ん
ぐ
ふ
﹂
!?
ん
!!
﹁こ、こここっ、今度私と一緒に││
﹂
バッと、ヤミは真っ赤になった顔を上げた。
﹁ふぉぐ
ふ
﹁で⋮⋮ですので⋮⋮﹂
﹁ふぉんふぉん﹂
ふ
﹁あ、あの、ですね⋮⋮そ、その店のたい焼きは、その⋮⋮大変、美味しく⋮⋮﹂
﹁ふぉーん、ふぉれふぇ
ふー
﹁その⋮⋮実は、こんな夜中なので、行き付けのたい焼き屋が閉まってまして﹂
﹁ふぁんふぁふぉふぃふぇっひ﹂
な
﹁⋮⋮トレイン﹂
59
バッと、トレインはヤミの抱いているコップを奪い取り、水分摂取のため流し台に急
行。
﹁し、死ぬかと思った⋮⋮﹂
死因がたい焼きの食い過ぎによる窒息死とか洒落にならん。
簡単な水洗いの後にコップを乾燥機の中に入れ、振り返った先でトレインは奇妙な光
景を見た。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
口はパクパクと酸欠寸前の魚のように、顔色は深層から打ち上がった真鯛のように。
﹂
ヤミの謎の行動に、魚に味噌汁に白米と、懐かしの日本食が恋しくなったトレインは、
今度涼子にお願いしてみようと決意するのだった。
﹁悪ぃ、姫っち。行き付けのたい焼き屋が美味くて、それがどうしたって
?
リョーコ
60
﹁⋮⋮いえ、なんでもないです﹂
ズゥーンと沈み込むヤミに、トレインは声を掛けた。
﹂
?
﹁ごめんなさい。許してくれとは言いません。そんな厚顔無恥なつもりもありません。
淡々と紡がれる謝罪の意。
ばいけないことがあったからです﹂
止まってしまえと思いました。そんな私が今この場にいるのは、トレインに言わなけれ
﹁私はあなたに刃を向けました。その命を殺めようと凶器を振るいました。心の鼓動が
深々と、ヤミは頭を下げた。
﹁姫っち
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁でも、久しぶりだよな。こうして一緒にメシ食うの﹂
61
先程は御門涼子に此処に住まわせて欲しいと要求しましたが、それは取り消させてもら
います。今すぐ此処から立ち去ります。この星からも出ていきます。もう二度と、あな
たの前に姿を現したりなどしません。そんな資格、私にはありません﹂
でも、すぐに声が震えてきたのが分かった。
でも、すぐに肩が震えているのが分かった。
でも、すぐに手が震えているのが分かった。
た。
月明かりの届かない暗闇へ消えゆくヤミの手を掴んだのは、自分と同じ幼い手だっ
いという自負を無視し、己の意思で選んだ苦渋の決断。
生体兵器が、宇宙一の殺し屋が、化け物が、自分はターゲットを殺し損ねたことはな
透明な雫が月明かりに照らされ、幻想的な美しさを奏でる。
その言葉を最後に、ヤミは踵を返す。
﹁未練がましい私が望んだ愚かな願い⋮⋮あなたの耳に届かなくてよかった﹂
リョーコ
62
﹁悪いんだと思うんなら、此処にいろよ﹂
振り払おうとする手を、より強くトレインは握りしめた。
!
なこと﹂
﹂
あなたを傷つけてしまっ
自分の全てが怖くて仕方がないんです
!
?
この力が 私の身に宿った異能が
たかもしれないということが
﹁私は嫌なんです
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
!
!
!
!
﹁粋がんなよ。力の扱いも満足に出来ねぇ奴が俺を殺す 出来るわけねぇんだよそん
﹁でも、私は⋮⋮
﹂
強引に振り向かせた時、トレインが見たのは、赤い瞳から涙を流すヤミの顔だった。
嫌々と全力で振り解こうとするも、トレインの手が離れることはない。
掴んだ腕から伝播する震え。
逃げ失せる方がはるかに厚顔無恥なんじゃねぇのか﹂
﹁自分だけで自己完結すんのか。ごめんなさいしてそれでお終いってか。償いもせずに
63
﹁私は生体兵器です
﹂
そんな存在があなた
そうに違いないんです
私は化物なんです
そうに決まってます
私は殺し屋です
の傍にいていいはずがない
!
!
﹁⋮⋮え
﹂
﹁殺れよ﹂
突然の行動に瞠目するヤミに、トレインは平坦な声で語り掛ける。
かと思えば、掴んだヤミの腕を胸の前に引き寄る。
赤い瞳が見返す中、懐から取り出した装飾銃を、トレインは遠くへ投げ捨てた。
!
!
真っすぐ、反らされることのない、金色の瞳。
!
!
深淵を覗き込むように、冷酷でほの暗い金の双眸に、ヤミの体が震える。
普段の温かな笑顔はない。
指先だけを≪変身≫させるなら、俺が動く前に心臓を貫くなんざわけねぇだろ﹂
トランス
﹁どうした。今なら殺り放題だろ。俺は丸腰で、≪ハーディス≫も拾える距離じゃねぇ。
?
﹁生体兵器ならできんだろ。殺し屋なら殺る時に躊躇すんなよ。化物なら罪悪感なんざ
リョーコ
64
感じる必要はねぇ﹂
トレインには、死んでほしくないから。
﹁⋮⋮殺したく、ない﹂
それでも、例え自分が殺されるようなことがあっても。
﹁⋮⋮⋮⋮ぃ⋮⋮⋮⋮ゃ、だ﹂
今すぐ殺せ、迷うな、一思いに、さもなくば殺されるのは自分だ。
生体兵器としての、殺し屋としての、化物としての本能が、全力で警鐘を鳴らす。
自分が殺す側なのに、まるでこちらが命を握られているような錯覚。
叩き付けられる殺気、迫られる殺人行為。
﹁ほら、どうした。あんだけ能書き垂れといて出来ねぇのか﹂
﹁ぅ⋮⋮ぁっ⋮⋮﹂
65
﹁私は、もう⋮⋮誰も殺したくないっ﹂
下した想いに、縫い止められていた体が応えてくれる。
あれだけ固く握られた手は容易に解け、直後に被さるぬくもり。
抱き締められているんだと、ぼやけた頭が遅れて理解する。
﹁生体兵器としても中途半端。殺し屋としても中途半端。化物としても中途半端。だっ
たら、こうして殺すことを迷っているのは、人としても中途半端だからだよ。生体兵器
でも、殺し屋でも、化物だったとしても、人であることには変わりはねぇ﹂
トレインは、あたたかかった。
だから、掴んだぬくもりを離さないよう、ヤミは力一杯抱き締めた。
いろよ﹂
﹁此処にいろ。ゆっくりでいいから、少しずつ人間になっていけばいい。だから、此処に
リョーコ
66
﹁私は、この星にいていいんでしょうか﹂
﹂
﹂
﹁星に住むのに必要なものってなんなんだろうな。住民票
﹁私は、此処にいていいんでしょうか﹂
﹁リョーコがいいって言ったんだからいいんじゃねぇの
?
﹂
?
﹁おう、それで
﹂
﹁今回買ったものとは違う、行き付けのたい焼き屋があります﹂
﹁ん
﹁⋮⋮トレイン﹂
返すトレインの言葉に、迷いはなかった。
﹁俺は姫っちにいてほしいぞ﹂
﹁私は、トレインの隣にいても、いいんでしょうかっ﹂
涙で濡れた瞳が、可笑しそうに笑うトレインの姿が映す。
赤色と金色の視線が交差する。
?
67
?
﹁そこは餡子がぎっしりで、くどくなくて、とても美味しいたい焼きが食べられます﹂
﹁そいつはぜひ食ってみてぇな﹂
﹂
﹁はい。なので、私から提案があります﹂
心の底から、ヤミは微笑んだ。
﹁今度、私と一緒に食べに行きませんか
?
誰がどう見ても、今のヤミは人間の女の子だった。
﹁もちろん﹂
リョーコ
68
リト
﹂
﹂
﹂
﹂
それあたしのアイテムなのに
俺の物も俺の物
おまっ、ずっけーぞトレイン
ナナの物は俺の物
私の操作キャラに爆弾が
﹂
お姫様はキノコ王国のピーチ城にでも引き篭もってろや
﹂
トレインを狙うんだ
!
﹁んなぁ
﹁ふははははっ
﹁きゃあ
﹁モモ、爆殺
!
!
!
﹁そいや﹂
﹁どこのガキ大将ですかあなたは⋮⋮﹂
!
!?
行っくよーみんなー
トレインだ
!
﹁ドラグーン完成
﹁姉上姉上
!
!
!
!?
ください﹂
﹁そ、そうしたんだけど、トレインの動きが速すぎて⋮⋮
﹂
﹂
!?
!
オレでもこんな動きは無理だぞ
!?
これが≪桜舞≫の真髄よ
!
﹁す、スゲェどうなってんだ
﹁わはははは
﹁まうっ﹂
!
﹂
﹁⋮⋮お姉様。私何とも思ってません。何とも思っていませんが││トレインを殺って
!
!
!
!?
69
﹂
﹂
﹁あ、セリーヌがトレイン殿のコントローラーを﹂
﹁姉上今だ
お姉様
﹂
﹂
﹂
お前等ゲーム中に生身拘束するとか卑怯だぞ
!
正義は必ず勝つんだよ
﹂
!
﹁今こそ引き金を引く時です
うん、私やるよ
﹁は、離しやがれ桃色姉妹
﹁み、みんな⋮⋮
!
!?
﹁ピンクの悪魔共がぁあああああああああああ
﹂
﹂
しゅきーん。
﹁やたー
ざまーみろ
!
﹁まーうっ
﹁ははは
大喜びの女性陣。
﹁はっ、汚い花火ですね﹂
!
!!
!
!
!
!
!
!
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
リト
70
﹁ごめん、トレイン。あそこでお前を助けたら、オレがどやされてたから⋮⋮﹂
⋮⋮
﹂
﹂
﹁⋮⋮リトやペケも苦労してんだな﹂
﹁⋮⋮トレイン﹂
﹁トレイン殿⋮⋮
﹂
﹁ま、楽しければいいんじゃない
﹁これでよかったでしょうか
あ、ヤミさんお皿出してもらっていい
?
﹁⋮⋮よくもまぁゲームの勝敗であそこまで一喜一憂できますね﹂
友情が深まる男性陣+α。
!
昼時。
彩南町の住宅街の一角。
?
!
﹁うん、それそれ。ありがとねー﹂
?
﹂
﹁ご冥福をお祈りします。このペケ、これほど自分の非力さを呪ったことはありません
71
﹁みんなー、お昼の準備できたよー﹂
庭付き2階の一戸建て。
﹁どこ見て言ってんだ
﹁壁﹂
﹂
﹂
﹁ペタンコで悪かったな
﹁太るぞ﹂
﹂
それがおたくの素か﹂
﹁⋮⋮本当に可愛くない子供ですね﹂
﹁化けの皮が剥がれてんぜお姫様
?
おかずを献上するのはお
﹁おいこら桃色姉妹。さっきの勝負は反則だろうが、罰としておかず一品ずつ寄越せや﹂
敗者が勝者に従う、これ世の常識
?
﹁それじゃあ、ナナの分も私がいただきましょうか﹂
!
!
!
﹁あらあら、負け犬の遠吠えですか
﹂
﹁そうだぜトレイン
前の方だろうが
!
﹁献上したところで吸収できねぇんじゃ意味ねぇだろうが﹂
!
﹁まあ、化けの皮だなんて人聞きが悪い。でも、仕方がありませんわね。女の子の扱いす
リト
72
﹂
﹂
さ す が で す ト レ イ ン 殿
ら満足にできないお子様なら見間違えるのも当然のことですし﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あたしを無視すんなー
広いリビングに、彼等彼女等は一堂に募う。
リトもそう思うでしょ
﹁ナ ナ 様 や モ モ 様 に あ れ ほ ど 早 く 打 ち 解 け 合 え る と は ⋮⋮
﹂
﹁本当にねー
?
﹂
!
結城兄妹、宇宙植物のセリーヌ、デビルーク三姉妹、そしてペケ。
﹁まーうっ
﹁もうあの人たちはほっとこうよ。私達だけで食べちゃお﹂
かく作ってくれた美柑の料理が冷めてしまいます﹂
﹁早く席についてください、結城リト。プリンセス、早く彼女達を止めてください。せっ
﹁仲が良いっていうか、喧嘩するほど仲が良いと言えばいいのか⋮⋮﹂
!
!
!
!!
73
﹂
普段の面子に加え、結城家に遊びに来たトレインとヤミを交え、昼食はスタートした。
どうしてくれんだ
!
﹁トレインのせいで出遅れたじゃねーか
!
﹂
﹁それはこっちのセリフだ。ナナと違って俺は栄養を必要としてんだよ。成長期なんだ
よ﹂
﹁お前、ホントいい加減に⋮⋮
﹂
﹁もう、二人とも喧嘩はめっ
の
これだからませたお子様は﹂
私のおかずを分けてあげるから⋮⋮トレインどうした
!
!
お姉様の美しさに見惚れてしまいましたか
﹁い、いや⋮⋮なんでも⋮⋮﹂
﹁おや
?
?
﹁まう
﹂
?
﹂
﹁女剣士
﹁そ、その⋮⋮ララの怒った顔が、どうしてか一瞬女剣士に⋮⋮﹂
﹁見惚れるというか⋮⋮大丈夫かトレイン。お前、顔が真っ青だぞ﹂
?
?
のは遠い昔の出来事。はっ、そういや俺って逆行してんだっけ。てことはあいつ等がそ
だ、掴み取ったんだよ平和な日常ってヤツを。女剣士やヤンホモに追い掛け回されてた
﹁は、ははっ⋮⋮そうだよ、気のせいだよ。もうあいつはいないんだ。俺は手にしたん
リト
74
のうちどっかから突然湧いて出てくる可能性も。いやいやいやいや、それはあり得ない
﹂
秘密結社に入らなきゃ女剣士やヤンホモには出会わない筈そうだそうに決まってる同
﹂
じ過ちを繰り返してたまるか俺は俺は││
﹁と、トレイン殿││
!!
﹁⋮⋮トレイン君、急にどうしたの
﹂
?
﹂
?
﹁⋮⋮美柑﹂
﹂
﹁気にしなくていいよ。それに、私はヤミさんと一緒に入れて嬉しいし﹂
﹁⋮⋮き、今日はありがとうございます。お昼までご馳走してもらって﹂
﹁ん
﹁⋮⋮話は変わりますが﹂
﹁ならいいんだけど⋮⋮﹂
﹁問題ないと、御門涼子からお墨付きをいただいているので大丈夫ではないかと﹂
﹁⋮⋮それって大丈夫なの
﹁いつものことです。御門涼子の見立てでは、精神的なものではないかとのことでした﹂
?
新顔であるトレインを中心に騒ぎは拡大。
!?
75
ある晴れた、昼時の出来事。
◆ ◇ ◆ ◇
﹁ちくしょう、暴力女と腹黒女め、本当に人のおかず奪いやがって﹂
﹁まぁまぁ、オレやララのおかずを分けたんだし、それでいいじゃん﹂
なのかよ﹂
﹁あいつ等に盗られたってことが重要なんだよ。なんなんだよあいつ等、本当にお姫様
穏やかな日差しが降り注ぐ、此処は結城家の庭。
多種多様な園芸植物の内の一つの前に立ち、手に持ったジョウロを傾ける。
﹁タダ飯くらったんだからこんぐらいはな⋮⋮中の方はどうにも居心地が悪ぃし﹂
﹁ははっ⋮⋮でも、ありがとうなトレイン。こうして水やり手伝ってもらって﹂
リト
76
﹂
﹁分かるよその気持ち。いつもなら男はオレだけだから、なんか疎外感というか、テン
ションの違いというか⋮⋮﹂
﹁良かったな、ハーレムだぞ﹂
﹁は、ははっ、ハーレムじゃねーよ
言葉が見つからないのか、視線は所在なしげに、指で頬を掻く。
﹁違う違う。⋮⋮その、ヤミのことなんだけど﹂
﹁だから、水やりの件ならもう││﹂
﹁ありがとう、トレイン﹂
にやけるトレインだったが、急にこちらへ向き直るリトに、表情を改める。
で。
女所帯にいるからこの手の冗談は軽く流すと思っていたが、想像以上に初心なよう
やりを。
赤面症も驚きなほどの真っ赤になりながら、リトは雑念を忘れるように一心不乱に水
﹁いや、んなマジになんなくても⋮⋮﹂
!?
77
﹁な ん て い え ば い い の か な ⋮⋮ 雰 囲 気 っ て い う か、表 情 が 柔 ら か く な っ た っ て い う か
⋮⋮うん、なんか女の子らしくなったっていうか﹂
﹂
そういう意味じゃなくって
!
こいつ無自覚な女たらしだと、リトの評価を修正。
今までもその⋮⋮可愛かったよヤ
﹁つまり今までは男勝りなゴツゴツ女だったと。おーい、姫っちやーい﹂
ミは
﹁わああああああ
!
﹁いや、突然惚気られても﹂
!
デビルーク三姉妹がリトの家に住んでいるのも、リトの優しさに惹かれたから。
ヤミが殺し損なっていたのも、そんなリトの優しさに触れていたから。
でも、物凄く良い奴でもあるんだろう。
いたかった﹂
ん、ヤミが変わったのってトレインのおかげだと思うから⋮⋮ありがとうって、そう言
﹁今回みたいに家に招いて一緒に食事なんて、今までなら考えられなかったんだ。たぶ
リト
78
先程は冗談でハーレムといったが、あながち間違いではないのかもしれない。
とはいえ、リトを好きになる奴は苦労するなと、他人事のように思うトレインだった。
﹂
?
﹂
﹁リトの本命って誰なの
﹁はあ
?
!
振り返った拍子に浴びた、ジョウロに入っていた水がトレインの全身から滴る。
﹁⋮⋮いや、今のは俺も悪かった﹂
﹁ご、ごめんトレイン
﹂
返答は、多量の水だった。
!?
﹂
そんなリトに、トレインはどうしても気になっていたことを訪ねてみた。
﹁ん
﹁で、リトさんや。話は変わるけどさ﹂
79
﹂
風邪ひいたら大変なんだからな
今タオル持ってくるから
濡れ鼠ならぬ濡れ猫状態トレインが、不意にひとくしゃみ。
﹁待ってろトレイン
﹁いや、このくらいならそのうち乾く││﹂
﹁たった今くしゃみした奴が何言ってんだよ
まあいっかと零し、見上げた空は青かった。
た。
││宇宙船
﹂
≪黒猫ブラックキャット≫の常人離れした視力が、遥か彼方を飛行する飛行物体を捉
?
膨れた腹は眠気を誘い、視界が徐々にぼやけていくのを頭の片隅で考えていた時だっ
差し。
肌に纏わりつく衣服の感触は依然として気持ち悪いが、それ以上に心地よい午後の日
!
!
そう言って踵を返し、リトは家の中へと飛び込んでいった。
!
!
﹁⋮⋮なんだかんだで聞きそびれちまったな、リトの本命﹂
リト
80
えたのは。
別に宇宙人が珍しいという訳でもなく、というかこの彩南町には自分の知っているだ
けでも相当数の地球外生命体がいる訳なのだが。
ぞくりと、感じた悪寒は果たして、水を浴びて体が冷えてしまったからなのか││
﹂
唐突に響く、甲高い悲鳴。
﹁姫っち⋮⋮ミカンもか
思考が、完全停止する。
﹁お前等、さっきの悲鳴は││﹂
玄関から入り、廊下を掛け、確信とともに伸ばしたドアノブの繋がる先は││脱衣所。
の中へと突き進んでいく。
駆け出すと同時に相棒ハーディスの感触を確かめながら、悲鳴の発生源である結城家
瞬時に頭の思考を切り替え。
!?
81
﹁ちょっ、リト
早く離れ││ひゃんっ﹂
﹁ふぁ⋮⋮っ、結城、リト⋮⋮毎度毎度、どうしてあなたは⋮⋮
濡れた肢体に御髪を張り付かせ、瑞々しい肌に朱が差す。
﹂
﹂
トレインは空気を読んで退室することを選択した。
﹁⋮⋮お邪魔しました﹂
﹂
苦しそうなリトの声と美柑とヤミの嬌声が響く、そんな状況が暫し続き、
ようにすればそのようなことになるのだろうか。
裸の美柑とヤミを押し倒し、胸元を弄り股間に顔を突っ込むという構図は、一体どの
隠すのは、リトの顔と手と足と彼の持つタオルのみ。
生まれた姿のまま脱衣所にいるのは不自然なことではなく、故に今の彼女達の裸体を
浴室から僅かに空いた扉から湯気が漂うのは、先程まで入浴していたからか。
!
!?
これは⋮⋮
!? !?
﹁トレイン君
﹁ち、ちがっ
!!
リト
82
背にする扉から伝わる、どんどんと叩く物音と衝撃。
此処を開けて話を││﹂
返すトレインの声は、全てを悟る仏のように穏やかだった。
﹁大丈夫、俺は何も見てない﹂
﹁その発言が既に大丈夫ではありません
﹁大丈夫、俺は何も聞いてない﹂
﹂
﹁誤解してる 絶対に誤解してるからトレイン君 これはリトのラッキースケベが
!
83
!
﹂
﹁漫画やアニメじゃあるまいし
まるか
ラッキースケベなんてもんがそう簡単に起こってた
!
創作物の世界に転生し、可愛くて綺麗なヒロイン達とそのような関係になれればと
世の理を叫ぶその声は、トレインの心の叫びだった。
!
!
カッと目を見開き、トレインは天井を仰ぐ。
!
思ったことがないと言えば、それは嘘になるだろう。
トレインも男であり、ラッキースケベなどある意味野郎共の夢なのだから。
しかし、トレインが進んだのは桃色な夢世界ではなく、暗黒色の茨道だ。
幼い頃に両親と引き離され、気付けば立っていた原作通りの立ち位置、秘密結社や革
命組織に命を狙われ、女剣士やヤンホモに追い掛け回される毎日。
女の子と言われて真っ先に思い浮かぶのは≪滅界≫を連発する女剣士、デレと言われ
て真っ先に思い浮かぶのはなんか色々とイっちゃってるヤンホモ。
さっきの悲鳴、もしかしてまたリトのズッコケか
﹂
ラブでエッチな展開など、とうの昔に存在しない夢物語だと、トレインは悟ったのだ。
﹁何があったんだトレイン
!
自分の理不尽と戦うトレインにナナとモモは追い打ちを掛ける。
だからラッキースケベなど起こりえない。
さん⋮⋮なるほど、そういうことでしたか、さすがリトさん﹂
﹁セリーヌが先程やらかして、汚れを落とそうと浴室に向かわれたのは美柑さんとヤミ
!
﹁リトっていつもあんな感じなの。だから、トレインも気にしないでね﹂
リト
84
笑顔でそのようなことを平気で宣うララに、トレインの心は完全に折れてしまった。
どうして自分ばかりがこんな目に。
走馬灯のように、逆行する前の修羅道が脳裏を駆け巡っていく。
あんまりな自分への仕打ちに膝が折れ、目頭が熱くなり、同時に胃が悲鳴を上げ、結
城家のドアホンが鳴ったのはそんな時だった。
一体どのような面なのだろうかと、見上げるような高身長の相手の顔を拝もうとし、
言動からして、結城家と親しい間柄なのだろう。
しかし、来客は応対する前に扉を開いてきた。
﹁失礼。ララ様、先程の悲鳴は一体⋮⋮﹂
目の前の現実から逃げたくて、トレインは来客の応対をしようと腰を上げる。
﹁⋮⋮はい、今でます﹂
85
﹁何⋮⋮だと⋮⋮
﹂
こうして直接訪れたということは、何かしら事情があっ
?
てのことだと思うんだけれど﹂
﹁それで、唐突にどうしたの
﹁いや、そういう問題じゃねーだろ﹂
﹁まったく、リト殿には困ったものだな。ララ様達でなかったのはせめてもの救いか﹂
﹁問題ないよ。リトがいつものアレをやっちゃったってだけで﹂
超ド級の悪夢が蘇る。
!?
どうして仲間になってくれない、僕の気持ちに応えてくれない、ねぇトレイン僕のト
れていくなどというとんでも発想で襲い掛かってくるキチガイ。
秘密結社を抜けてからは執拗に勧誘、断れば発狂、ならば四肢を切り落としてでも連
ざく変態。
トレイン以外は生きる価値がない、君さえいれば僕はそれだけで満たされるなどとほ
口を開けばトレイン。暇があればトレイン。どんな時でもトレイン。
﹁はい、モモ様。実は皆様に直接お伝えしたいことがありまして﹂
リト
86
レイン。
半殺しにすれば恍惚とした表情を浮かべ、会う度に≪幻想虎徹≫を使いこなし、レベ
ルを上げ、お前俺を殺す気かとキレれば、どうして僕達は殺し合わなくちゃいけないん
だと逆ギレ。
終いには君を殺せば永遠に僕の物だと宣った瞬間から、奴のことはヤンホモで決定
だった。
﹁おや、君は⋮⋮子供
﹂
?
掴み取った平和な日常、絶対に壊してなるものかと、決意を秘めた眼差しで向き合う。
故に、トレインは激怒していた。
それほどまでに、ヤンホモはトレインの心に一生消えない爪痕を残していった。
常時警戒、恐怖とストレスでどうにかなってしまいそうだった。
心休まる時は一時だってなかった。
﹁実は、セフィ様のことで││﹂
87
全身を覆う怪甲冑。
中性的な顔立ちに縁取られた実直な眼差し。
陽光にきらめく銀の髪。
﹁ララ様、彼は⋮⋮﹂
だがもし、怪甲冑が悪趣味な黒装束になったら。
だがもし、実直な眼差しに影が差せば。
だがもし、下ろした銀髪をかきあげれば。
﹁うん。この子はね、リトの友達で、トレインっていう││﹂
﹂
クリード=ディスケンス、その人の出来上がりである。
!?
!!
﹂
﹁死ねぇヤンホモぉ
﹁ぐぼあぁ
リト
88
89
勘違いが、加速する。
ザスティン
﹁ごめんなさい﹂
土下座。
人生で最初の土下座である。
﹁⋮⋮顔を上げてくれ、トレイン君﹂
頭上から降り注ぐ声に、しかしトレインの頭が上がる気配を見せない。
デリカシー皆無の無神経男ことトレインの殊勝な態度に、遠巻きに彼を見守る住人達
は言葉が出ないようであり、ヤミなどは早々に偽者説を唱え出す始末。
だが、現実としてトレインは自分にできる最大限の謝罪方法を取っている。
に伝わってきている。なにより、反省している者に追い打ちを掛けるほど、私は非道で
﹁謝罪は受け取った。君が反省しているという気持ちも、土下座という姿勢から十二分
ザスティン
90
はないつもりなんだ﹂
朗々と紡がれるのは、確固とした意志に基づく言葉。
これにはトレインも折れるほかなく、床に擦り付けていた頭をゆっくりと上げた。
﹁⋮⋮あの、もう一度確認しますが﹂
全身を覆う怪甲冑。
中世的な顔立ちに縁取られた実直な眼差し。
陽光にきらめく銀の髪。
﹂
だがもし、怪甲冑が悪趣味な黒装束になったら。
だがもし、実直な眼差しに影が差せば。
だがもし、下ろした銀髪をかきあげれば。
﹁おたく、本当にクリードじゃないんだよね
﹁何度も言うが、私の名前はザスティンだ。断じてクリードという名前ではない﹂
?
91
﹂
﹂
ザスティンの容姿は、クリード=ディスケンスに酷似したものだった。
﹁⋮⋮本当に
﹁本当だ﹂
﹁⋮⋮実はクリードの親戚とか
﹂
?
﹂
?
他人の空似。その結論に至り、ようやくトレインは警戒心を解いた。
だ。
それに、改めて観察すれば身長ははるかに高く、髪色も微妙に違うし、声だって全然
たクリードとは対極的だった。
真っすぐに目を合わせるザスティンの眼差しは澄んでいて、暗く濁って腐りきってい
﹁騎士の名に懸けて、嘘ではないと誓おう﹂
﹁⋮⋮嘘とかついてないよね
﹁親戚どころか、クリードという名前を耳にしたのは今日が初めてだ﹂
?
?
﹁ねぇ、トレイン君。結局クリードってどんな人なの
ザスティン
92
そんな時、皆を代表し、美柑が訪ねてきた。
﹂
!?
◆ ◇ ◆ ◇
解が自然と出来上がるのだった。
以後、トレインにクリード=ディスケンスについて聞いてはいけないという暗黙の了
当時の恐怖体験がフラッシュバック。
﹁トレイン殿││
ヤンホモヤンホモ││﹂
て嫌いだヤンホモ来んなヤンホモ失せろヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモ
﹁⋮⋮ヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモなん
悪夢、再び。
﹁クリードがどんな奴かって、それは││﹂
93
四方を壁で囲む、此処はザスティンの所有する宇宙船の一室。
主に模擬戦を目的として使用される、そんな空間に二人は向かい合っていた。
﹁準備はいいかな、トレイン君﹂
﹁おー、こっちはいつでも﹂
柔軟を止め、取り出したのは相棒の装飾銃。
子供の身には持て余すほかない大仰な拳銃だが、それを持つ姿は不思議と堂に入って
いた。
対するザスティンはあくまでも自然体、しかしその眼差しは鋭く研ぎ澄まされ、纏う
雰囲気は見た目子供なトレインを相手にするとは思えないほど剣呑だ。
﹂
?
そんな二人を、ナナは強化ガラス越しに見守る。
﹁なあ、本当に止めなくてよかったのか
ザスティン
94
﹁あら、ナナったらトレインの心配
いつの間にそんなに親しくなったのかしら
﹂
?
?
お灸を据えるにしたってやり過ぎだろ﹂
?
﹁あのような銃を隠し持っていたことには驚きですが、ザスティンの相手になるとは到
悪ガキが相手なんだぜ
﹁それこそ冗談だろ。だってトレインだぜ 口が悪くて意地汚くてデリカシーのねー
集中する視線を相手にはせず、ヤミはガラス越しの二人から目を離さない。
﹁恐らく、トレインを警戒しているのでしょう﹂
とだった。
トレインを相手に全力の姿勢を見せる姿は、あまりにも異質に見えるのは仕方のないこ
誰に対しても律儀で誠実、騎士道精神を重んじるザスティンを知る彼女達に、子供の
同意するモモの声にも、確かに戸惑いの色が見え隠れする。
﹁⋮⋮分かってるわよ。ホント、あんなのザスティンらしくないわ﹂
﹁そうじゃねー。モモも分かってんだろ。ザスティンの奴、あの眼はマジだぞ﹂
?
95
底思えません。ザスティンはデビルーク星王室親衛隊隊長、即ちデビルーク星最強の剣
士なのですから﹂
その一撃は地割れを引き起こし、身体能力はデビルーク星の中でも随一。
普段の間の抜けた一面のせいで忘れられがちだが、純粋な戦闘能力で言えば、王族で
あるナナやモモよりも上であり、三姉妹の中で最もデビルークの血を色濃く受け継いだ
ララ相手に、パワーという一点以外は全てを上回っているのだから。
﹂
﹁⋮⋮私は一度もトレインに勝ったことがありません﹂
﹁へっ
﹁はぁ
﹂
呆けた声がモモから漏れ、信じられないとナナが叫ぶ。
!? ?
らされました﹂
宙一の殺し屋などと言われていますが、トレインには意味などないということを思い知
﹁詳しい経緯は話せませんが、少し前に全力で挑みました。しかし、結果は私の惨敗。宇
ザスティン
96
﹁凄かったよね、ヤミさんとトレイン君の戦い。遠目からだったけど、全然目で追えな
かったし﹂
﹂
?
?
﹁トレイン本人は地球人だって言ってたぞ﹂
いう系の﹂
﹁⋮⋮あいつって実は宇宙人とか
父上みたいに力を使ったら小さくなるとか、そう
言葉を失ったナナとモモは、改めてトレインを注意深く観察する。
そんなヤミが、トレインには一度たりとも勝てなかった。
客観的に見て、ザスティンとヤミの実力は均衡しているといっていい。
総合力ならザスティンに分があるが、ヤミの≪変身≫は暗殺にこそ真価を発揮する。
トランス
紅潮した顔を隠すように俯くヤミに、ナナとモモは言葉が出ない。
す﹂
﹁⋮⋮大丈夫です。それと、そのこともその後の出来事も忘れてくれるとありがたいで
頭は大丈夫なの
﹁いいよいいよ、全然気にしてないし。あっ、それよりヤミさん、あの時凄い音したけど、
﹁その節は、美柑には大変迷惑を掛けました﹂
97
今はそれどころじゃ││﹂
﹂
﹂
﹁⋮⋮どうなってんだよ地球人って。リトみたいな能力持ちが溢れかえってんのか
﹁オレみたいなってどういう意味だよ
﹂
﹁さすがリトさんって意味です﹂
﹁誤解だって
﹁ララ
﹁あっ、始まるみたいだよ。リトはどっちを応援するの
!
﹁まうっ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
けるなーザスティン
どっちも怪我だけはしないでねー
◆ ◇ ◆ ◇
﹂
﹁私はどっちも勝ってほしいし怪我もしてほしくないから⋮⋮頑張れートレイン
?
!
﹁ドンマイです、リト殿﹂
!
!
﹂
負
?
!
!
﹁⋮⋮オレの味方はセリーヌとペケだけだよ﹂
ザスティン
98
一時ではあるが本来の職務を放棄し、人違いによる負い目に付けこみ、今回の試合を
の意思を無視する訳にもいかない。
護衛として、それはあって欲しくない光景ではあったが、ザスティンとしても彼女達
横目で伺えば、ララ達に混じる、宇宙一の殺し屋≪金色の闇≫の姿が確認できる。
聞けば、トレインはヤミと親しい間柄だとか。
ない。
あれほどの殺気、銀河大戦を生き抜いたザスティンでも数えるほどしか浴びたことは
射殺すような眼差し、ザスティンはそれに竦み上がり、動けなかったのだ。
だが、結果としてザスティンはトレインの攻撃を受けた。
突然の攻撃に面食らったが、躱せない速度でも距離でもなかった。
思い出すのは、最初の邂逅。
││やはり、この少年は危険だ。
しかし、意識が依然としてこちらへ向き、警戒心も解いていないことは明白だった。
装飾銃を肩に預け、姿勢は脱力。
余所見をするトレインは隙だらけだが、ザスティンが仕掛けることが出来なかった。
﹁なんか、向こうは随分と盛り上がってんな⋮⋮﹂
99
設けた。
トレインの人間性がララ達に害を及ぼさないか、それを見極めるために。
││瞬間、トレインの姿が掻き消えた。
﹁なっ││﹂
条件反射の抜剣、愛剣≪イマジンソード≫の柄から伸びた光の刃を、振り向きざまに
一閃。
﹁へぇ、ライトセイバーかよ。カッコいいじゃん﹂
火花散らす先で、好奇心に光る金の瞳を捉える。
常軌を逸した速度と戦闘中にも拘らず軽口を叩く余裕。
一瞬とはいえ油断した己に活を入れ、裂帛の気合と共にトレインを弾き飛ばす。
﹂
!
﹁いざ、参る
ザスティン
100
間髪入れずに肉薄。
縦横無尽に振るう光子剣の太刀筋がトレインを襲うが、そのどれもが空を切る。
﹁何故、私の攻撃が⋮⋮っ﹂
急ぎ引き戻した光子剣が、振るわれた装飾銃とぶつかり合う。
しかし、彼は屈むことでこれをやり過ごし、即座にザスティンへ接近。
トレインにとっては初見の技。
﹁ほいっ﹂
う、ザスティンの得意技の一つだ。
質量を持たない光子剣だからこそ可能な芸当であり、振り向き様に伸びた刀身が襲
トレインに背を向け、光子剣が死角になった瞬間、刀身のリーチが倍加。
横薙ぎに振るった光子剣を勢いのまま回転。
﹁ならば││﹂
101
﹁奇襲性は上々、アイデアとしても面白いとは思うんだけどなぁ﹂
鍔迫り合いの中、動揺を隠せないザスティンに、トレインは静かに告げる。
﹁刀身が見えてる時点で、俺には届かねぇよ﹂
脱力と同時に後退。
ブラッククロウ
前へつんのめりたたらを踏むザスティンに、黒猫の爪が襲い掛かる。
﹁≪ 黒 爪 ≫﹂
描かれる四筋の爪痕。
鎧越しに伝わる衝撃に息が詰まり、後退を余儀なくするザスティンだが、その顔に浮
かぶ苦悶の色は時間を置かずに色褪せていく。
﹁⋮⋮軽いっ﹂
ザスティン
102
速度はザスティンより上。
だが、パワーは圧倒的に格下。
華奢な外見は、見た目通りの筋力しか持たないのだろう。
トレインの未成熟な身体では、鋼のように鍛え抜かれたザスティンには十分な威力を
発揮させることが出来ないのだ。
﹁剣士には剣士が相手をしなくちゃな﹂
そう言って突き出した装飾銃の銃口は、あらぬ方向を向いていた。
﹁目には目を、歯には歯を﹂
だが、次の瞬間には細まり、口元は弧を描く。
決まったと思ったのか、僅かに見開かれる金色の瞳。
﹁へぇ⋮⋮﹂
103
銃声。
一瞬遅れ、もう一度。
ザスティンの動体視力では線でしか捉えられないが、銃弾はそれぞれが全く関係のな
い方向を直進し、そのまま四方に存在する壁へ。
誤射か、それにしてはあからさま過ぎるのでは。
トレインの行動が読めず、視線を戻したザスティンの耳に、異音が響く。
﹂
その直後だった。
!?
先の二射は、そのどれもが一見関係ないようで、緻密な計算のもとに放たれ、跳弾し
跳弾を利用した、射線外からの奇襲攻撃。
≪リフレク・ショット≫││。
こった現象を捉えることが叶った。
驚愕に固まるザスティンだが、視線は光子剣に向けられ、だからこそ次の瞬間に起
そして、再び響く異音。
何の前触れもなく、手に持つ≪イマジンソード≫が弾かれる。
﹁││っ
ザスティン
104
たそれぞれの銃弾が空中でぶつかり合い、その一発がザスティンの持つ光子剣の柄を射
抜いたのだ。
まさに神業、そうとしか形容できないトレインの絶技。
弾かれた光子剣は、再度の≪リフレク・ショット≫によって遠くへ弾き飛ばされ、回
収しようと駆け出すザスティンの目の前を黒い旋風が駆け抜ける。
ザスティン
限界まで曲げられた両膝が速度を吸収、光り輝く刀身の剣尖が標 的を射抜こうと突き
換し、両足で壁に着地。
そう思った次の瞬間、勢いそのままに飛び上がったトレインは空中でくるりと方向転
あのままでは壁に激突する。
知らない。
回収を諦め、肉弾戦を選ぶザスティンだが、壁へと突き進むトレインの速度は衰えを
品。
犯した失態に表情を歪ませるザスティンだが、例え剣がなくともその戦闘力は一級
得意げな顔で光子剣を拾い上げたのは、トレインだった。
﹁いただき﹂
105
立つ。
﹁≪雷霆≫﹂
身構えていなければ、躱せなかった。
それほどまでに凄まじい、迅雷の如き威力と速度。
一条の矢となったトレインの一撃は、顔を反らしたザスティンの頬を薄皮一枚で削り
取り、
﹂
!?
ザスティンを捉えていた。
ワイヤーを巻き付けたザスティンの腕を軸に向き直ったトレインの間合いは、完全に
解し。
突然の負荷に無理矢理反転させられ、それが装飾銃から伸びるワイヤーの仕業だと理
直後に感じた、手首への違和感。
﹁っ
ザスティン
106
﹁塵も残さねぇ﹂
≪アークス流剣術≫、終の第三十六手。
嘘になる。
元からその気がないのには気付いていた、手心を加えられて悔しい気持ちがないのは
寸でのところで静止した切っ先の先に、無邪気に笑うトレインの顔が映る。
ザスティンの心を折るには、十分だった。
﹁おう、じゃあ俺の勝ちだな﹂
﹁降参だ﹂
戦意を刈り取り、≪死≫を予兆させる、まさに≪必殺≫と呼ぶべき剣技は、
逃げ場はない、あまりの手数に防ぐ術もない。
視界一杯に広がる突きの壁。
﹁≪滅界≫﹂
107
﹂
それでも、全ては己の弱さが招いた結果。
﹁⋮⋮先の技は
ねぇよ﹂
格が、違い過ぎた。
?
不可思議な装飾の付いたジャケットを羽織り、顔に携えるは不敵の笑み。
一人の青年が、佇んでいた。
だった。
己の未熟さ、相手の強さに敬意を表し、噛み締めるように閉じた瞳を静かに開けた時
完敗だ。
本物は見えねぇぞ。気付いたら技が終わってんだ﹂
﹁なんちゃって技。あいつの技は殆ど盗んだけど、≪滅界≫だけは本家の足元にも及ば
?
﹁切っ先が見えただろ
ザスティン
108
大仰で手に持て余していたはずの装飾銃は、その青年にはよく栄えていて。
何故か思い浮かべたのは、自分の仕える宇宙の覇者。
﹂
≪鬼神≫と呼ばれ畏怖される最強の男に匹敵するほどの覇気が、目の前の青年から感
じられて。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮クロ
?
﹁この剣、返すよ。悪かったな、勝手に使っちまって﹂
代わりにあったのは、自分を見上げるトレインの金色の瞳だった。
次の瞬間には、青年の姿は何処にもなかった。
﹁ザスティン
﹂
そんなはずはない。そう思って目をこすり、瞳を瞬かせ、
ていて。
かつて剣を交わし、任務を共にした知人と、目の前の青年の容姿があまりにも酷似し
?
109
﹁あ、ああ⋮⋮ありがとう。大事な剣なんだ、この≪イマジンソード≫は﹂
﹁え゛﹂
スイッチが入ったように真っ青になるトレインを見下ろすザスティンの目は、穏やか
だった。
先の光景は、きっと幻に違いない。
どことなく知人を彷彿とさせる容姿だが、常に無表情な彼とでは性格が違い過ぎる。
トレインがザスティンを間違えたように、きっと他人の空似だろうと、そう決断を下
す。
それよりも、ザスティンには言わなければいけないことがあったから。
自分の実力が及ばない強者が護衛の傍にいることへの危機感は、そこにはなかったか
ら。
彼の心を体現したように、トレインの剣筋は何処までも真っすぐだったから。
剣を通して心を交わす。
﹁これからも、ララ様達とは良き友人でいてください﹂
ザスティン
110
◆ ◇ ◆ ◇
が、仮に才培殿のピンチとならば 締め切りが間に合わないというのなら何時でも何
です。ですので、リト殿はこれからもララ様の傍にいてもらえると助かります。です
﹁マウルとブワッツについては、今後もアシスタントを務めたいと本人達たっての希望
﹁⋮⋮そっか。親父も寂しがるだろうけど、きっと応援してくれると思うよ﹂
た。
態々椅子に座らず直接床に正座してから放った感想として、トレインは小さく呟い
宇宙船から場所を移し、再び結城家のリビングに集う一同。
﹁⋮⋮お前って漫画家だったんだな﹂
だ。だから、漫画家としての道は諦めると、そうリト殿の父君にはお話をするつもりだ﹂
﹁やはり自分は剣士。そして、二束の草鞋が履けるほど、自分は器用な人間ではないん
111
!
処でもこのザスティン
必ず駆け付けると誓いましょう
﹂
!
﹁誰が師匠だ
﹂
﹁ところで、トレイン師匠﹂
どんな肩書だよと、燃え上がる熱血漢を見下ろすトレインの目は冷ややかだった。
デビルーク星王室親衛隊隊長兼漫画アシスタント。
﹁未練タラタラじゃねぇか﹂
!
﹁必殺技っぽく漢字で書くと≪幻想虎徹≫と││﹂
イマジンブレード
る有名な侍ブレードの名前を冠してみた、名を≪イマジンブレード≫と││﹂
みたんです。限りなく透明に近い光子で構成された、伸縮自在な不可視の剣。地球にあ
点で俺には届かない、そうおっしゃったトレイン殿の言葉を参考に、自分なりに考えて
﹁では、トレイン殿。実は先の模擬戦で新しい技を思いつきまして。刀身が見えてる時
いい加減ツッコミが追い付かなくなってきた。
!?
﹁おい馬鹿やめろ﹂
ザスティン
112
﹁その名を口にすんじゃねぇええええええええ
歩くトラウマことザスティン。
﹂
口撃による精神攻撃は、なるほどデビルーク星最強の剣士は伊達ではなかった。
恐るべしザスティン。
ミに回らなければならないほどの領域に達していた。
本人としては無自覚にトレインの古傷を容赦なく抉るその手腕は、トレインがツッコ
!!
﹂
?
﹁ママがどうかしたの
﹂
﹁お話というのは、セフィ様についてのことです﹂
そう言えばと表情を改め、ザスティンが向き合ったのはデビルーク三姉妹。
か。
自然な流れで反ることが出来た会話の流れに、トレインはララに救いの神を見たと
け
﹁ねーねーザスティン。そういえば最初に此処に来た時に、何か言いかけてなかったっ
113
?
トレインは知らない。
﹁通信を用いては盗聴等の恐れがあるため、こうして直接報告に参ったのです。保安上
ザ ス ティ ン
の理由で公には出来ないのですが、あなた方に知らせぬ理由はないですから﹂
トラウマが運んできたものが、更なるトラウマであることを。
女
剣
士
自分には関係のない話だと適当に聞き流していたことを、後に死ぬほど後悔すること
を。
怒り顔のララにトラウマが重なった理由を、もっと深く考察していれば対策も取れた
ことを。
この時のトレインは、知る由もなかった。
既に、運命の賽は投げられているということに。
﹁実は、近日セフィ様が地球に訪れます﹂
ザスティン
114
コーチョー
奇抜な服装と神出鬼没なミステリアスにより、彩南町の住人にとってはある種の名物
感情の起伏が薄い表情に物静かな雰囲気。
がつきません﹂
能力の領域に達しています。この私の警戒網を掻い潜るあの手腕、そうでなければ説明
﹁いいえ、この際なのでハッキリとさせなければなりません。結城リトのあれはもはや
それが微笑ましい者を見る眼差しであることに、とうの二人は全く気付かない。
似たような背丈に色白な肌は、共に優れた容姿ゆえに行き交う人々の視線を集める。
尖がった黒髪と流れるような金髪。
﹁⋮⋮もういいよその話。つか何回目だよ。いい加減聞き飽きたぜ﹂
ような事態ではありません﹂
﹁いいですか、トレイン。先日の脱衣所での一件は事故であり、決してあなたが想像した
115
的存在になりつつある、≪金色の闇≫ことヤミが、感情豊かで饒舌に話す様子は、それ
だけ衆目を集める。
だからこそ、遠目から見守る人々は総じて同じ思いを抱く。
﹁⋮⋮姫っちも大人になったなぁ﹂
﹁なんですか、唐突に﹂
﹂
﹁いやなに、≪決してあなたが想像したような事態ではありません≫って、つまりはどう
いうことなわけ
﹁∼∼∼∼∼∼∼っ
﹂
!
真っ赤になったヤミの顔を面白げに眺め、トレインのにやけ面は更に深まっていく。
﹂
ヤミの隣に並び立ち、彼女を弄ぶあの少年は、一体誰なのかと。
!!
﹁姫っちのエッチ﹂
﹁そ、それは⋮⋮その⋮⋮﹂
?
﹁え、えっちぃのは嫌いです
コーチョー
116
﹁その発言が既に問題ありです
﹂
﹂
﹁姫っちは本の虫だし、なんつーの⋮⋮耳年増
﹁だ、誰が耳年増ですか
﹂
?
!
﹂
﹁きゃー、耳年増が怒ったー。もしかして図星だったりー
﹁その喋り方を止めなさい
怒髪天を衝く。
?
!?
トランス
そして、普段の黒い戦闘服ではなく、地球の女の子と然とした服を、ヤミもまた纏っ
スポーティでいてカジュアルな装いは、同居人である涼子のチョイスだ。
い。
フード付きのジャケットにハーフパンツという普段着のトレインは、そこにはいな
深呼吸と共に気持ちを落ち着かせ、チラリと横目でトレインの方を伺った。
なにより、そんなことをしてムキになれば、それこそトレインの思う壺。
れた。
感情がうねりとなって金髪がうねるが、衆人環視の中、≪変身≫を使うことは躊躇わ
!
なにそれ、ウーケールー﹂
﹁大丈夫、大丈夫だよ姫っち。お兄さん悪いことだなんて全然思ってないから﹂
117
ている。
若干フリルの多いゴシック調なのは、涼子の趣味なのだろうか。
出かける二人に、特にヤミに向かって意味深なウインクを送ったのが印象的だった
が、たかが外出程度でこのような装いをしなければならないとは、地球人とは複雑怪奇
な生き物だ。
﹁着きましたよ、トレイン﹂
昼前ということで、小腹がすき出す時間帯だからだろうか。
目的の出店の前には長い行列ができ、自分の目論見が外れたことに表情に出さず落胆
する。
涼子の家に住まうと言ったあの夜、トレインに持ち出した提案。
美味しいたい焼き屋を紹介するというヤミの公言通り、こうして訪れた訳だが、もう
少し時間帯をずらすべきだったと後悔する。
﹁早いとこ並んじまおうぜ
﹂
﹁あの、トレイン。この行列ですので、また後日に││﹂
コーチョー
118
!
﹁きゃっ﹂
楽しみだな、姫っち
﹂
言葉を遮り、腕を掴んだトレインはダッシュで行列の最後尾へ突入。
﹁この行列、この匂い
!
何時までもこうしていたいと、ヤミはそれだけを願っていたのに。
ドクドクと心臓が高鳴り、重なり合った手が熱くて、でも心地よくて。
雑多な商店街で、少しずつ音が遠ざかっていく。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
温かいトレインの手が、冷たいヤミにぬくもりを送ってくる。
指と指が絡み合い、肌と肌が触れ合う。
そして、ふと今もなお繋がれた手をじっと見つめる。
心躍らせるトレインに笑顔に、ヤミは先の言葉を再び紡ぐことはなかった。
﹁⋮⋮ええ、私も楽しみです﹂
!
119
﹁あっ⋮⋮﹂
唐突に重なる指が剥がれ、繋いだ手は離れてしまう。
茫然とするヤミが顔を上げると、行列の先が気になるのか、トレインは仕切りに顔を
﹂
列からはみ出させ、先頭の先にある出店の様子を伺っていた。
﹁なぁなぁ、姫っち。此処のたい焼きって何味があんだ
﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁姫っち
やっぱり餡子
﹁ぁ⋮⋮そ、その、餡子とカスタードの二種類です﹂
﹁へー、ちなみに姫っちのおすすめは
﹁⋮⋮はい﹂
﹂
﹁ふーん。ま、片方だけ買うのもアレだし、両方買うか。今から楽しみだぜ﹂
?
?
?
?
無意識に繋いだ手を搔き抱き、ギュッと握る占める。
﹁そう、ですね⋮⋮﹂
コーチョー
120
残り香のように残ったぬくもりが、少しでも長くこの手に残るように。
どうしてそのような行動をとったのか、その意味すら理解できずに。
﹁お、ヤミちゃん久しぶりだね。初顔の君もいらっしゃい﹂
それから十数分。
ようやく訪れた順番に、トレインは嬉々として声を張り上げる。
﹂
﹁姫っちのおすすめは餡子って言っていたけど、別にカスタードも嫌いじゃないよな
餡子とカスタード、どっちも10個ずつな
﹁はい、どちらも好きですから﹂
﹁じゃあ、おっちゃん
!
﹂
そんな風に時間を潰し、出来上がったたい焼きを種類ごとに紙袋に詰め、店員はトレ
年相応な、見る者によってはより一層幼げに映る姿に、ヤミは眦を緩めて見詰める。
たい焼きが焼ける様を興味深そうに眺め、店員に色々と質問を投げ掛けるトレイン。
人の好さそうな顔で注文を反芻し、慣れた手つきで生地を型に流し込んでいく。
何度も足を運んだことのあるせいか、店員はヤミのことを覚えていたようだ。
!
?
121
インとヤミにそれぞれ一つずつ手渡した。
﹁はい。ヤミちゃんの方が餡子で、トレイン君がカスタードね﹂
直後の店員は体を乗り出し、二人の耳元に顔を寄せた。
﹁どっちも一つずつサービスしといたから。他の人には内緒だよ﹂
そう言ってウインクする仕草が、洋館から二人を送りだした涼子と重なる。
﹁サンキュー、おっちゃん﹂
﹁どういたしまして。ヤミちゃんをよろしくね、トレイン君﹂
﹁⋮⋮ありがとうございます﹂
﹁デート、楽しんでね﹂
﹂
!?
身を固くし、両手に抱えた紙袋が零れ落ちる。
﹁でっ
コーチョー
122
﹂
トレイン君ってヤミちゃんの彼氏さんなんじゃ⋮⋮﹂
どうしてデートなどどいうことに
慌てたトレインが寸でのところでキャッチするが、ヤミはそれどころではなかった。
﹂
﹁今はそれどころでは││
﹁聞く耳もたん﹂
﹂
!!
というより、既にヤミなど眼中になく、視線は紙袋に入ったたい焼きをロックオン。
赤面するヤミとは対照的に、トレインの反応は実に淡白で。
﹁姫っちや。男と女が一緒に出掛ければ、それ即ちデートなんだよ﹂
た。
ズルズルと引き摺られ、ヒラヒラと手を振る店員を恨めし気に眺めるしか出来なかっ
再び手を掴むトレインだったが、先程の胸の高鳴りがヤミに湧くことはない。
!
﹁ち、違います
﹁彼氏
﹁あれ、違ったの
!
﹁姫っち、後が閊えてんだから早く行こうぜ﹂
!?
?
123
色気より食い気、花より団子、色事など既にトレインの頭には存在していない。
そんな食いしん坊に当てられたのか、自分だけが意識していたことを恥ずかしく思っ
たのか。
顔は尚も熱いが、ムスッと唇を尖らせるヤミは、去れるがままにトレインに引き摺ら
れていく。
﹂
!
あそこで食おうぜ
!
美味しい││気付けば食べ終わったたい焼きに、ヤミは満足げに息を吐いた。
甘さは決してしつこくなく、二口三口と続けて口に運んでも全くくどくない。
ニー。
サクサクと口当たりの良さがシットリとした餡子の食感と合わさった絶妙なハーモ
パリッとした食感の後、即座にやってくる餡子の甘味。
ヤミもトレインに習い、餡子味のたい焼きを口に運ぶ。
たトレインは早々に紙袋を開け、中に入ったたい焼きを頬張った。
途中、立ち寄ったコンビニで購入したパック牛乳の入った袋を片手に、ベンチに座っ
﹁お、良さげなベンチ発見
コーチョー
124
美
味
い
な
こ
の
カ
ス
ター
ド
﹂
!
生温かな、それでいてザラザラした感触に身を強張らせ、それがトレインの舌だと理
かと思えば、トレインは突然ヤミの指先を咥えた。
﹁ひゃっ﹂
﹁はむ﹂
キョトンとするトレインと合わさり、あまりの子供っぽさに自然と笑みが零れる。
頬についたクリームを掬い取る。
﹁じっとしていてください﹂
そんなことよりと、ヤミはトレインの方へ身を寄せ、指を伸ばし、 りの味わい方だというのは長年の付き合いでヤミは知っていた。
購入したパック牛乳を流し込む様は一見味わっていないようだが、これがトレインな
口一杯に頬張ったたい焼きに、トレインもまた満足げだった。
﹁ふぉふぁいふぁ、ふぉのふぁふふぁーふぉ
125
解した途端、顔に炎を浴び去られたように熱くなる。
﹁ご馳走さん、美味かったぜ﹂
悪戯が成功した悪ガキのような笑みに、ヤミは揶揄われていると悟る。
﹁⋮⋮ぇ、えっちぃのは、嫌いです﹂
ちょうだいな﹂
﹁悪 ぃ 悪 ぃ。ち ょ い と 姫 っ ち に は 刺 激 が 強 か っ た か な。そ う い う 訳 で、そ っ ち の 餡 子
伸ばされる手に、ヤミは反射的に紙袋を搔き抱き遠ざけた。
突然の反応に困惑するトレインに対し、ヤミが取ったのは、
自分の取った行動に、何をやっているのだと猛烈に後悔する。
餌付け作戦敢行。
﹁⋮⋮あ⋮⋮あーん、してくだ、さい⋮⋮﹂
コーチョー
126
﹁あーん﹂
どったの姫っち
言われた通りあーんしてんだけど
﹂
?
﹁⋮⋮⋮⋮っ﹂
﹁ん
?
ど
ど
口に銜え、
ぞ
浮かんだ溜飲は下がり、流石のトレインもヤミの誘いに乗っては来ないだろうと、乗
る。
あれだけ浮かんでいた揶揄い顔は見る影もなく、トレインの表情は驚きに染まってい
口渡し作戦、どうやら成功したようだ。
そのままトレインへ咥えたたい焼きごと顔を突き出す。
﹁ふぉ、ふぉうふぉ⋮⋮﹂
う
絶対に負けてなるものかと、ヤミはおもむろに紙袋から餡子味のたい焼きの頭部分を
そのうえあのにやけ面、絶対に面白がっているのは明らかで。
そして、全く気にするそぶりのないトレインに、猛烈に腹が立った。
?
127
り出した体を支える両手を引こうとした時、その上に別の手が重なる。
まるで、この先を望んでいるみたいじゃないかと自問し。
どうしてか、拒絶しようと行動に移すことが出来なくて。
理性が、これ以上進む状況に静止を掛けるのに。
いが荒くなり、視界が潤んでいく。
鼓動が凄まじい速さで刻まれ、体中の血液が顔に集中しているみたいで、何故か息遣
書籍で読んだ記憶とは若干異なるが、今の状況はまさにそれと言えたから。
≪ポッキーゲーム≫││。
ゆっくりと、しかし確実に、トレインの顔が近付いてくる。
思考が真っ白に染まり、少しの間を置き、トレインは尻尾部分を食べ進めていく。
互いの呼吸が、心臓の音さえも聞こえそうなほどの至近距離。
両手を抑えられては身を引けず、直後にトレインはたい焼きの尻尾部分を咥える。
普段からは想像できないくらい、トレインの眼差しは真剣だった。
﹁⋮⋮そっちから誘ってきたんだからな﹂
コーチョー
128
﹁ふぁ⋮⋮﹂
零れた吐息は、自分のものとは思えないほど艶っぽく、熱を帯びていて。
どうにでもなれ。
﹂
そう思って、ヤミもまた、たい焼きを食べ進めていった時だった。
﹁ヤミちゃあああああんっ
﹂﹂
奴が、姿を現す。
﹁﹁っ
こんな街中で出くわすなんて
﹂
!
﹁奇遇だねヤミちゃん
!
とてもではないがトレインの方など見ることは出来ず、先程の声の方を見遣れば、
下。
バッと音を立てて互いに距離を置き、咥えていたたい焼きの残りが二人の真ん中に落
!?
!!
129
尖った髪、丸サングラス、そして何故かパンツ一丁の不審人物。
肩書は彩南高校校長、その実態は己の欲望に忠実な変態。
何故かメインターゲットとして付け狙われることとなったヤミは、ことあるごとに校
長に襲われ、それを撃退するというのが一種のテンプレ的になりつつあったのだが。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ブチ││。
ヤミの何かが、音を立てて切れた。
﹁⋮⋮校長﹂
トランス
それはそうとわしとその辺でお茶でも││﹂
!
拳、翼、刃││。
それほどまでの、過去に類を見ない速度で成された≪変身≫。
神速。
﹁なにヤミちゃん
コーチョー
130
千手観音さながらの武器を頭髪から形成し、その物量は、さすがの校長といえどただ
では済まないだろう威力に規模だということは容易に想像できたが。
ヤミは、己の中に巣くうどす黒い何かを吐き出すように、感情の赴くままに殺到させ
る。
波打つピンクの髪は清流の如く煌めき、纏う異国の装いは煽情的でありながら、卑猥
現れたのは、美の化身。
め、頭を下げる勇気なのです﹂
﹁争いはなにも生み出さない。必要なのは、相手を許そうとするその心。自分の非を認
凪いだ海面のように、荒れ狂っていた心が平静に切り替わる。
あまりにも美しく、心安らぐ声。
﹁おやめなさい﹂
131
さを微塵も感じさせない。
究極の美とは、美しいという感情以外には抱けないというのか。
﹁⋮⋮そうか、わしは間違っていたんだな﹂
除夜の鐘でも払えない煩悩の権化が、己の過ちを認めた。
無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きで、校長はヤミに頭を下げる。
エ
ロ
本
﹁すまなかったヤミちゃん。わしは此処を立ち去ろう。そして、これまで行ってきた過
ちの償いを行うのだ。そうだな⋮⋮まずは宝の山を処分することから始めよう﹂
≪校長・浄化モード≫爆誕の瞬間である。
言葉を失うヤミに、ヴェールで顔を覆い隠した女性がゆっくりと歩み寄ってきた。
﹂
?
どうして自分の名前を、それも殺し屋としての通り名である≪金色の闇≫までも。 ﹁初めまして、金色の闇さん。ヤミさんとお呼びしてもよろしいかしら
コーチョー
132
﹂
警戒心に身を固くするヤミは、女性の傍らに控えるザスティンの姿に、彼女の正体が
自分と同じ宇宙人であることを悟る。
﹂
﹁そして、もう一人の方がトレイン君⋮⋮あら
﹁⋮⋮トレイン
顔色は蒼白。
らなく。
?
﹁私としたことが⋮⋮名乗るのが遅れて申し訳ありません﹂
震える声で紡がれたトレインの言葉には、縋るようななにかが感じられた。
﹁あの⋮⋮つかぬことを、伺いますが⋮⋮おたくの名前は
﹂
周囲がトレインの様子を訝しむが、女性だけを見つめ続けるだけで気にする素振りす
体は極寒の地に裸で放り出されたように震えていた。
?
?
133
流れるような所作で胸に手を当て、ヴェール越しに女性が微笑むのが分かる。
﹂
﹁娘たちがお世話になっています。私、ララ達の母にあたる、名をセフィと││﹂
﹁せ、ふぃり⋮⋮あ⋮⋮
驚愕に見開かれた金の瞳が、突然の事態に固まるセフィの瞳と交差する。
露わに。
次の瞬間、吹き抜けた一陣の風により、セフィの顔を覆い隠していたヴェールの奥が
自然と近い距離で目を交わす二人。
む。
危ないと声をかけかけたヤミの前で、咄嗟に手を伸ばしたセフィがトレインの手を掴
途端、よろけるトレインが足をもつれさせ、後ろに転び掛け。
!!
!?
慌てふためくセフィだが、なおも固まり続けるトレインに眉を顰める。
んて罪な私の美しさ⋮⋮﹂
﹁た、大変っ。美しい私の素顔が露わに このような子供まで魅了してしまうとは、な
コーチョー
134
でたぁああああああああああ
﹂
そんな⋮⋮あり得ない⋮⋮ この子、私の≪魅了≫が効いてな
それが有り得ないものを見るような、息を呑むような気配に切り替わった。
﹁なんとも、ない
いっ﹂
!?
あまりの異常事態に、セフィはトレインとの距離を更に詰め、
﹁あなたはいったい││﹂
﹁ぎぃやああああああああああ
!?
全力の拒絶と絶叫に、目が点となるのだった。
勘違いが、再び加速する。
!?
?
135
セフィ
月の綺麗な夜だった。
宝石のように色とりどりの光が夜の街を照らし、人々の雑多な声が行き交う。
しかし、それは表通りに限っての話。
一度でも裏路地に入ってしまえば、人の波は途絶え、静寂だけが支配する。
そんな時、ふと見上げた月は、腐敗したこの世のものとは無縁だと言わんばかりに、周
りのことなど素知らぬ顔で、悠然と夜空に浮かび続けていた。
その身は、心は、己の全てを、彼女は自身が所属する組織に捧げ続けてきた。
た。
高潔を絵にかいたような、その立ち姿は傾国の美姫であり、その前に彼女は剣士だっ
気品に溢れ、気高く、纏う雰囲気は静謐。
凛とした声だった。
﹁ハートネット﹂
セフィ
136
それが当たり前だと思ってきたから、物心がつく頃からそうだったから。
それ以外の生き方を、彼女は知らなかったから。
抑える。
﹁何故、クロノスを抜けたのですか﹂
その力は、まさに一騎当千。
に例外として迎え入れられた、不吉の名を冠する13番目の抹殺人。
イレイザー
秘密結社≪クロノス≫に存在する、本来12人で構成された最高戦力≪ 時 の 番 人 ≫
クロノ・ナンバーズ
獲物を狩る捕食者のように、鋭く細められた眼光に、竦みそうになる体を意思の力で
ローマ数字。
暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫の
た。
空に浮かぶ月のように、彼の瞳は暗闇が支配する裏路地でもはっきりと浮かんでい
﹁どうしてですか﹂
137
彼は強かった、最強の名を欲しいままにしていた。
入所した時点で12人のナンバーズの誰よりも強く、今となっては自分を含む全ての
ナンバーズが束になって掛かっても、彼には敵わないだろう。
イレイザー
故に、不殺で同じ結果を成す彼の在り方は、自分の全てを否定することを意味する。
世界の安寧のため、剣を振るい引き金を引く、それが≪クロノス≫の、己の在り方。
大義の為に、人を殺すことの矛盾。
なったから。
≪死≫以外の方法で彼は抹殺対象の生き方を変え、それは世界の安寧を守る結果と
不殺の抹殺人という矛盾を咎める者は誰もいない
イレイザー
ただの一度も人の命を奪ったことはなかった。
≪ 時 の 番 人 ≫の抹殺人として籍を置きながら、与えられた任務の全てにおいて、彼は
クロノ・ナンバーズ
死を持って世界の安寧を保つ≪クロノス≫と、不殺を誓う彼。
だからだろうか、≪クロノス≫は彼の存在を恐れている。
﹁何故、私の前から姿を消したのですか﹂
セフィ
138
﹁何故、この手を取ってくれないのですか﹂
最初は嫌悪を、何時しかそれは憧憬へと。
彼のようになりたいと思い、強さを磨き続けた。
彼の隣に立ち、不殺という生き方を、彼の瞳に映る景色を、自分は見てみたい。 その強さ故に、孤独を強いられた彼に寄り添い、支えとなりたい。
彼を目指し、強くなった己の剣を見てはくれないだろうか。
進んだ針が元に戻ることはないけれど、せめてもう一度、機会をくれないだろうか。
やり直したい。
﹁≪ハーディス≫を抜きなさい、ハートネット﹂
目指した背中を失った後に残ったのは、虚しさだけだった。
だが、隣に並び立つ前に、彼は組織を抜けてしまった。
﹁⋮⋮やはり、答えてはくれないのですね﹂
139
≪クロノス≫を変えるために、その力を貸してはくれないだろうか。
はこのまま自由に生きる。逃げることは許さない。雌雄を決するまで、私は何度でもあ
﹁何度でも言います。私が勝てば、あなたは≪クロノス≫に戻る。私が負ければ、あなた
なたに挑み続けます﹂
人は変わることが出来る。
彼と出会い、変わることのできた自分のように。
生まれた時から≪クロノス≫のために戦うことを宿命付けられた自分に、こうして自
分の意思で未来を決めることを教えてくれたように。
野良猫のように、自由に生きることの尊さを、彼は自分に教えてくれたのだから。
ら。
死よりも生を以て罪を贖わせる彼の在り方を、自分の理想を叶えることが出来たのな
もし仮に、この戦いに勝利し、共に≪クロノス≫を変えることが出来たのなら。
﹁例え≪クライスト≫が折れようと、私の心が折れぬ限り、何度でも﹂
セフィ
140
放っていないと錯覚していたとか言うんじゃねぇだろうな≪滅界≫怖い怖すぎる≪滅
る≪滅界≫はいつだ今かいつだよ一瞬後か1秒後かはたまた一体いつから≪滅界≫を
││≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖過ぎるいつ来
以下、女剣士が話し掛けている時のとある男の思考。
◆ ◇ ◆ ◇
大好きです、トレイン。││愛しています。
胸に秘めたこの気持ち、あなたに伝えたかった。
セフィリア=アークスという一人の女として、伝えたいことがあった。
﹁私は、絶対に負けません。必ず、あなたを超えて見せます﹂
141
界≫≪滅界≫気付いたら技終わってるってなんだよ≪滅界≫それが≪滅界≫どうする
≪滅界≫ヤバすぎる≪滅界≫なんて大嫌いだ≪滅界≫≪滅界≫≪滅界≫││
以上、女剣士が話し掛けている時のとある男の思考。
◆ ◇ ◆ ◇
﹁セフィ様は少数民族≪チャーム人≫最後の末裔です﹂
ベンチに腰を下ろした美柑は、ペケの言葉に耳を傾ける。
ずなのですが﹂
フィ様の顔を見た男はどんな紳士であろうと心奪われ、ケダモノと化してしまう⋮⋮は
﹁種族を問わず、あらゆる生物を虜にする。それはもはや≪魅了≫という能力であり、セ
セフィ
142
隣に座るリトとヤミ、周囲にいるデビルーク三姉妹、そしてセフィは一か所に視線を
集めた。
でもあの女剣士結構な頻度で髪型変えてた
?
に髪型変えてその度に≪ど、どうでしょうか ≫じゃねぇよ俺に感想を求めんな。聞く
し実は金髪碧眼って髪色変えたカラコン説も。つか何考えてたんだあの女剣士。頻繁
て前例もあるし本当に他人の空似だけ
じゃねぇか。アレまんまセフィリアだ、セフィリアの2Pカラーだ。でもザスティンっ
﹁他 人 の 空 似 な ん て レ ベ ル の 問 題 じ ゃ ね ぇ だ ろ。声 も 容 姿 も 体 格 も セ フ ィ リ ア と 同 じ
143
そんなトレインに、セフィはおもむろに近付き彼の正面で屈み込むと、周りには見え
なにかに憑りつかれたみたいに、何事かを呟くトレインは不気味の一言に尽きる。
れやがれ馬鹿野郎が﹂
哀想なものを見る目で俺を見てんだよ助けろよリンスにフラれろフラれてしまえフラ
射だ≫とか言って俺にバズーカぶっ放してくんだぞ。ジェノスもジェノスだ、なんで可
滑った≫とか言って≪ヘイムダル≫ぶん投げてくんだぞ。ベルーガとかも≪すまん、誤
の気付いてねぇのか。毎回殺気全開で睨まれてんだぞ。バルドリアスとか≪悪い、手が
ならジェノスあたりが無難だろうが。≪ 時 の 番 人 ≫の男連中の大半がお前にホの字な
クロノ・ナンバーズ
?
﹂
ぬよう、顔を覆い隠すヴェールを持ち上げた。
﹁ぎゃああああああああああああああ
悲鳴、そして全力後退。
﹁トレイン、すごーい
﹂
﹁本当にお母様の≪魅了≫が効いてない⋮⋮﹂
!?
﹂
﹂
﹁顔を見ただけで≪魅了≫されるなんて、そんな大げさな││﹂
!
﹁ケダモノは母上見んな
﹁ちょっとー
!
その視線は公園に聳え立つ大木の根元で背を向け震えるトレインをロックオン。
周囲の喧騒など見向きもせず、しゃがみ込んでいたセフィは再び立ち上がる。
!?
トコトコと歩み寄り、再びヴェールを持ち上げ、絶叫││その繰り返し。
﹁あの││﹂
セフィ
144
﹁来んじゃねぇええええええええええ
﹁話を聞いて││﹂
﹁ぎにゃあああああああああああああ
﹁トレイン君││﹂
﹂
﹂
﹁≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い││
﹂
と形を変え、その姿に美柑は自分の体を思わず見下ろしてしまうのだった。
服越しでも分かる起伏に富んだ体が、必死に抵抗するトレインによってムニュムニュ
ドレスが汚れるのも構わず、飛び込み捕獲したトレインをギュッと抱き締める。
﹁捕まえたっ﹂
ヴェール越しに伝わる必死さは、まるで自分と同じ子供のようだった。
でも、逃げるトレインを追い掛けるセフィの横顔には、それは影も形もない。
少々天然ボケしたところはあるが、それすら魅力に感じられるほどで。
た。
初めて出会った時、その凛とした佇まいに、ララ達を生んだ母親としての貫禄を感じ
!!
!!
!?
145
﹁誰と間違えているのかは知りませんが、私の名前はセフィ・ミカエラ・デビルーク。あ
なたとはこれが初対面です。それなのに、なぜそれほどまでに私を畏怖するのですか﹂
ヴェールを外したセフィの顔は、後ろ姿ゆえに確認はできない。
代わりに、ダラダラと冷や汗を流す蒼白なトレインの顔はハッキリと認識できた。
﹁私達に必要なのは話し合いです﹂
﹁すみません、勘弁してください、後生ですから、だからお願い、お願いだから離して﹂
合うことができた。なら、私とも手を取り合うことが出来る筈です﹂
﹁ザスティンの時は他人の空似だったというではないですか。最後には互いに手を取り
セフィに決意を感じ取ったのか、トレインは彼女と目を合わせた。
ものすっごい貧乏揺すりしていて脂汗もダラダラなのは変わらないが。
をしてみてください﹂
﹁まずはセフィリアという女性との相違点から述べましょうか。なんでもいいから質問
セフィ
146
﹁⋮⋮壁に仏像を彫るのが趣味とか﹂
﹂
?
地球の食文化については事前に調べましたが、和食は特に興味深かった
!
﹂
!
﹂
!?
≫だ
俺の平穏な毎日を返せ馬鹿女
﹂
﹂
なにが≪美しい私の
!
﹂
﹂
﹂
アレか、趣味は毎日鏡を
!
ヤンホモと同じ趣味とか救えねぇんだよ馬鹿女
自画自賛とか完璧ナルシストじゃねぇか
!
!
返せ
つー化物剣術編み出してんだ
素顔が
!
背の低い男というのはどうしてこう馬鹿なのかしらね
﹂
あなたがチビなだけでしょう
﹁誰がチビだ、このデカ女
﹁一度ならず二度までも
見ることですってか
!
﹁デカくありません
!
!
!
﹁自分で才女とか言ってる時点でマヌケ丸出しなんだよボケェ
私は政治外交を務める才女なのですよ
﹁馬鹿とはなんですか馬鹿とは
!
!
!
!
!
!
!
!
!
﹁うるせぇー女剣士 テメェがそのうち≪滅界≫無双すんのは分かってんだ なん
﹁ちょっ、暴れないでください
﹁やっぱりこいつ過去のセフィリアだー
の。ぜひ食べてみたいと思っているのよ﹂
﹁まぁ、和食
﹁⋮⋮和食って好き
﹁随分と変わった趣味をお持ちですのね、そのセフィリアという方は﹂
147
何故か勃発した罵り合い。
深窓の令嬢のように物静かな印象だったため驚きしか湧かず、実際にデビルーク三姉
妹はセフィの様子に言葉が出来ないようだ。
﹁⋮⋮懐かしい。昔のギド様とセフィ様を見ているようだ﹂
ザスティンの目は、何故か穏やかで。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹂
対し、ヤミの目は剣呑な光が宿っていた。
﹁⋮⋮ヤミさん
﹁楽しそうっていうか、暴言吐いてるけど﹂
﹁トレイン、楽しそうです﹂
?
﹁冷や汗全開だったと思うんだけど﹂
﹁鼻の下など伸び切っていました。抱き締められている時は特に﹂
セフィ
148
﹁どうせ私は子供です。お子様ですから。ええ、御門涼子のような女性的な身体ではな
い、未成熟な身体でしょうよ。ですが、私はティアを元に生まれた存在。故に将来的に
は彼女達に匹敵するほどの成長を遂げる筈です。そのはずなんです﹂
先程の自分のように、己の体を見下ろしながらブツブツと呟くヤミに、今は触れては
いけないと思った、空気を読める女こと美柑。
﹂
現実逃避も含めてか、視線を明後日の方向へ向けた時だった。
﹁⋮⋮⋮⋮へ
昼間の日差しから流れる汗を拭い、せっせと美化活動を務める中年男性。
過ちを一つまた一つと捨てているような気分になれますよ﹂
﹁ふぅ、ゴミ拾いとはかくも素晴らしいものだったとは。ゴミを拾う度に、若かった己の
しんじられないものをみた。
?
149
﹁こ、校長がゴミ拾いをしてる
天変地異の前触れだろうか。
﹂
同性でこれなら、ペケの言うことも決して誇張ではなく、セフィの素顔を直視しても
女性の美柑ですら、そのあまりにも美しい素顔に顔が熱くなるのが分かる。
そう言って振り返ったセフィの顔には、ヴェールが掛かっていなかった。
﹁あら、あなたはあの時の⋮⋮﹂
﹁おや、ごきげんようご婦人。また会えるとは奇遇ですな﹂
何度目を擦っても、頬を抓ろうとも、目の前の光景が白昼夢ということはなかった。
美柑の声に顔を上げた校長は、まるで好々爺のような気軽さで手を上げ挨拶。
!?
なんとも思わないトレインの精神構造はどうなっているのだろうかと思う美柑だった
が、
﹁⋮⋮⋮⋮あ﹂
セフィ
150
﹂
セフィと校長が、ヴェールを挟まず直接目を合わせた。
﹁むひょ││││││││││
﹂
﹂
トレイン君に≪魅了≫が効かないからとついうっかり⋮⋮
顔隠して
次の瞬間、そこにいたのはいつも通りの校長だった。
﹁母上、顔
﹂
ま、待ってー
﹂
お前のミスだろうがうっかり女
﹂
!
﹁そ、そうだったわ
﹁ああ
私のヴェールが
ピューと何故か吹く風。
﹁あなたは黙っていなさい
﹁はい言い訳ぇ
!
ここは私にお任せを││﹂
!!
﹁セフィ様
﹂ ﹁ぜひわしとお茶を
﹁ぐっはぁ
!?
!
!
!
!
!
!
!
!?
﹂
!
!!
151
﹁ザスティンよっわ
﹂
﹂
﹂
リ ト さ ん と い い ト レ イ ン と い い、本 当 に 地 球
ザスティン以外にもいる筈だろうが
﹁デ ビ ル ー ク 最 強 の 剣 士 を 瞬 殺 っ て
人って出鱈目すぎるわ
﹂
ザスティン殿がいるので、必要ないと判断したと思われます
﹁護衛の奴らは何やってんだよ
﹂
﹂
﹂
≪デダイヤル≫も含めて全部修繕中なの
お前の発明で何とかなんないのか
!
﹁そのザスティンがあのザマじゃねーか
!
!
!?
﹁こ、公園周囲の警戒を
!
!
!
ドゴバコズドドンカッキーン。
!
﹁ララ
﹁ごめんリト
﹂
!?
ぬっと、校長の前にヤミは立ちはだかる。
﹁そんなー
!
!
!
!
﹁えっちぃのは嫌いです﹂
セフィ
152
﹁ヤミちゃ││││││││││ん
そして、校長は星となった。
?
◆ ◇ ◆ ◇
二人の存在を欠いて、だが。
﹁トレインの奴もいないぞ﹂
﹁⋮⋮あれ、ママは
﹂
再び公園は静けさを取り戻す。
﹁グッジョブ、ヤミさん﹂
﹁ミッションコンプリート﹂
153
﹂
!!
﹁⋮⋮ま、迷子になってしまいました﹂
置かれた現状は、まさに言葉の通りだった。
風に飛ばされるヴェールを追い、気付けば見知らぬ裏路地へ。
﹁そ、そうよ。こういう時こそ、ララからプレゼントされた発明品の出番││﹂
懐を探るセフィだが、その動きはすぐに止まってしまう。
久しぶりの愛娘達との再会、メンテナンスにと道具を収納する発明品≪デダイヤル≫
をララに預けたのは自分だったではないか。
≪デダイヤル≫は通信機能も備わっているため、今の自分の装備は身に纏う服だけ。
完全な孤立無援に、セフィは途方に暮れてしまった。
ない⋮⋮はぁ、美しさって本当に罪﹂
﹁ま、まずは何か顔を隠すものを探さないと。このままでは道を尋ねることもままなら
セフィ
154
表通りとは反対、薄暗い裏路地の更に奥を目指し、歩みを始めようとした時だった。
うで。
﹁⋮⋮あなたは
?
﹁ネメシス。≪エデン≫が推進してた≪プロジェクト・イヴ≫と並行して進められてい
声を固くするセフィに、少女は静かな笑みを浮かべる。
﹂
だが、トレインが自由気ままな野良猫なら、彼女は獲物をいたぶる無邪気な狩人のよ
暗がりの中で妖しく光る、トレインと同じ金色の瞳。
腰まで伸びた黒髪に褐色な肌を丈の短いワンピースが彩る、童女のような出で立ち。
何の前触れもなく、彼女は現れた。
﹁初めましてだな、セフィ王妃﹂
155
た変身兵器開発計画、≪プロジェクト・ネメシス≫によって生み出された疑似生命兵器
だよ﹂
﹁⋮⋮随分と親切丁寧に教えてくださるのね﹂
﹁なに、何も知らずにというのはあまりにも哀れなのでな。手向けとして受け取ってく
れ﹂
無造作に突き出された腕が、次の瞬間には鋭利な刃へ。
突然の変貌に目を見開くセフィに、少女││ネメシスは一瞬で距離を詰める。
それでも、ネメシスの刃は止まることなく、セフィの心の臓を目掛けて進んでいく。
死にたくない、生きたいと、此処にはいないう最愛の夫を想って涙を流す。
ララ、ナナ、モモ││大切な愛娘が浮かんでは消え、だからこそ願う。
訪れる痛み、そして≪死≫に、セフィは目を閉じる。
突き立てようと迫る剣尖。
﹁新たなる銀河大戦の始まりを告げる狼煙。お前の死は、そのための火種となるのだよ﹂
セフィ
156
轟砲。
直後、澄んだ音を立て、ネメシスの腕先で刃が消失する。
瞠目し、距離を取り、ネメシスは表通りへ続く道を見遣る。
訪れない≪死≫に、ゆっくりと目を開け、セフィは銃声の発生源へ顔を向けた。
﹁││││﹂
出会ったばかりの、幼き頃の夫の瞳と重なり合う。
≪魅了≫の能力に惑わされることなく、真っすぐ自分を見詰めてくれる金の瞳が。
真っすぐな瞳。
﹁迎えに来たぜ、セフィ﹂
硝煙を立ち上らせる装飾銃を肩に置き、彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
﹁ったく、ようやく見つけたと思ったらどういう状況だよこれ﹂
157
セフィ
158
トクン││。
高鳴った胸の鼓動が、熱く胸を刻んだ。
メア
﹁で、誰だお前﹂
日中だというのに、そこは光が殆ど届かない。
裏路地というには幅広い、そんな空間で相対した。
﹂
セフィを背に、装飾銃≪ハーディス≫を肩に置くトレインは、鋭い眼差しをネメシス
へ向ける。
なんだよ、だんまりか
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あ
?
⋮⋮﹂
?
﹁人の顔見て不愉快ですって。ちょっとセフィさん聞きまして 最近のお子ちゃまっ
﹁⋮⋮不愉快だ。こんな辺境の惑星まで来て奴のことを思い出すなど﹂
﹁おーい、人の話聞いてますかー
﹂
﹁は、はっ⋮⋮そうだ、奴が生きている筈がない⋮⋮そうだ⋮⋮そうに、違いないんだ
?
159
?
てホント躾けがなってませんこと。おいたが過ぎるようだし、懲らしめてやろうじゃあ
りませんの﹂
﹁⋮⋮あなたも最近の子供という枠組みに入っていると思うのは私だけなのかしら﹂
驚愕から一転、トレインと同じ金の瞳は隠すことのない苛立ちに細まる。
そのまま無造作に広げられた両手が、別々に変化。
刃だった右手は元通りの手に、左手が黒い霧のように朧げになって空気へ溶けてい
く。
﹁それ以上口を開くな紛い物。今すぐ私の前から消え失せろ﹂
予兆などまるで感じさせない。
突如発生した黒刃が、死角からトレインを串刺しにしようと襲い掛かる。
だが、無造作に翳された≪ハーディス≫が黒刃を阻んだ。
﹁なっ﹂
メア
160
﹂
まさかの反応にネメシスの瞳が見開かれ、ギシリと憎しみに歯を食いしばる。
﹁⋮⋮なら、これはどうだ
四方八方。
﹁がっ
!?
セフィを肩に担ぎ、≪ハーディス≫を振り抜いた姿勢のまま、トレインはポツリと呟
轟音とともにネメシスの体が吹き飛び、周囲のガラクタを巻き込む。
﹂
次の瞬間、セフィの悲鳴を残し、トレインの姿が掻き消える。
﹁きゃっ﹂
必殺を確信したネメシスは、勝利の笑みを口元に刻もうとし、
躱せるはずがない。
あらゆる角度から、黒刃はセフィさえも巻き込むようにトレインへ殺到。
!
161
いた。
﹁⋮⋮今度ザスティンに謝り直そう。勘違いで命狙われるとかマジ理不尽だわ﹂
手ごたえは十分。
骨の二、三本くらいは折るつもりの攻撃だが、これでも手心は加えたつもりだった。
勝負はこれで着いただろう。
そのため、トレインの意識は、既にセフィへと向けられていた。
﹁お、お強いのね﹂
﹁お前一応お姫様なんだろうが。護衛振り切って単独行動とか何考えてんだ﹂
異。
そして、そんな彼女を見て、トレインの中で芽生え出した、セフィとセフィリアの差
≪魅了≫の効かない異常事態は、それだけセフィにとって大事だったのだろう。 しゅんと落ち込むセフィに、追撃の言葉の代わりに零れたのは嘆息。
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
メア
162
セフィが過去のセフィリアだったとして、彼女がこのようなポカを犯すだろうか。
なにより、セフィリアは独り身だったと記憶している。
セフィの声がセフィリアの同じだったためそれどころではなかったが、確か彼女は自
分のことをララ達の母親だと名乗っていなかっただろうか。
セフィはセフィリアではないという推測は、トレインの中では確信へと変わり始めて
いた。
﹂
!
油断なく見据えた先で、一つに結われた長い赤髪が揺れる。
直前まで居た場所に無数の刃が突き刺さり、威嚇射撃に相手は距離を置く。
飛び退き、直後に発砲。
﹁舌噛むぞ
﹁あの、トレイン君││﹂
自分の体に影が差し、濃密な殺気が降り注ぐ。
﹁ネメちゃんをイジメるな﹂
163
﹁あはっ、凄い反応速度。まるで黒猫みたい﹂
無邪気に笑う少女の年は、ヤミと同じくらいだろうか。
好奇心に輝く瑠璃色の瞳に、尻尾のように揺れる赤毛のおさげ。
﹁また女かよ⋮⋮﹂
しても、頭の片隅くらには留めておきたいもの﹂
﹁素敵なナイトさん。あなたのお名前、聞かせて欲しいな。例えこの後死んじゃったと
﹁││私も聞かせて欲しいものだな﹂
ガラクタの山から出てきたネメシスには、傷どころか衣服の損傷すら見られない。
明らかに不自然。 トランス
しかし、不可能な芸当ではない。
ネメシスが赤毛の少女同様、≪変身≫能力を有するのなら。
﹁一思いにと思ったが予定変更だ。この世に存在するありとあらゆる苦痛を貴様にくれ
メア
164
てやる﹂
前方に赤毛の少女。
後方にネメシス。
う存在は﹂
﹁⋮⋮ネメちゃん、今日はどうしたの
﹁なに、昔を思い出しただけだよ﹂
すっごく怒ってるみたいだけど﹂
?
?
﹁怒ってるネメちゃんも素敵だけど、いつものネメちゃんの方がもっと素敵だよ
﹂
﹁見た目だけではなく名前まで⋮⋮そうか、そんなに私の気分を害したいのか貴様とい
﹁トレインだ。おいこらキチロリ、赤毛連れてさっさとお家に帰れ﹂
﹁両手には花。傍には傾国の美姫。羨ましい限りじゃないか、小僧﹂
﹁厄日だ﹂
更には足手纏いが一人。
﹁トレイン君⋮⋮﹂
165
﹁メア⋮⋮﹂
﹂
﹁教えて ネメちゃんはどうしたいの
くよ
ネメちゃんのお願いなら、私は何だって聞
?
ろう。
﹂
!
﹁黒猫くん
私を忘れないでよ
ネメシスの体から漂っていることから、黒霧が彼女の一部であることは間違いないだ
今のネメシスに先程のダメージがある様子はなく、なによりも周囲を漂う黒い霧。
≪変身≫は見た目の修復こそ可能だが、ダメージまでは回復できないはず。
トランス
足捌きのみで躱すが、剣山のように次々と突き立つ剣製能力に終わりは見えない。
足元から突き立つ黒刃。
﹁素敵。やっぱりネメちゃんはそうでなきゃ﹂
﹁私はあの紛い物を消し去りたい﹂
獰猛に、ネメシスは哂う。
?
?
!
メア
166
セ フィ
通路を塞ぐように殺到する髪の剣群は、≪ハーディス≫だけでは捌ききれない。
﹂
﹂
かといって、片腕は荷物で埋まっていて使用は不可。
﹁セフィ
﹁何でしょう
!
﹁きゃああああ
﹂
﹂
﹁高い高ーい
!
悪寒。
﹁││││﹂
イメージするのは、拳で銃弾を弾き敵を制圧する格闘術。
重心を沈め、意識を集中。
上空へセフィを放り投げ、その間に両手足を使って剣群の全てを叩き落とす。
なら、取るべき選択肢は両手足による近接格闘。
!?
!
167
反射的に発動させた、≪細胞放電現象≫。
レールガン
猫 ≫の相棒である装飾銃の飾り布が逆立つ。
ブラックキャット
≪ 黒
轟音と閃光。
トランス
剣群を貫き、メアのすぐ傍を通過する≪電磁銃≫。
その威力は、≪変身≫が解けた髪越しに見えた、メアの表情が物語る。
何が起きたのか、メアには理解が出来ないだろうから。
しかし、生き物としての本能が、先の攻撃の危険性を物語り、大して動いてもいない
あなたという人は、もう少し丁寧な扱いというものを││﹂
のに過呼吸のように息は荒く、滝のような冷や汗は止まることはなかった。
﹁と、トレイン君
流しながら抱き抱えたトレインもまた同じだった。
だが、脂汗を流すのは、落下するセフィの体に片腕を差し伸べ、体捌きで衝撃を受け
!
﹁あなた、腕が折れてっ﹂
﹁うぇ
わ、私ってそんなに重かったの
!?
﹂
﹁⋮⋮どうしてくれんだよ。セフィが重すぎて、結果がこのザマだ﹂
メア
168
!
レールガン
﹁冗談だ、真に受けんな﹂
≪電磁銃≫の反動。
ボディジャック
少なくとも、この戦いの中では片腕は使い物にはならないだろう。
断だったな﹂
!?
﹁⋮⋮姫っちの親戚か。技術ってのは日々進化するもんなんだな﹂
﹁無駄口はそこまでだ、と言いたいところだが⋮⋮姫っち、だと⋮⋮
﹂
る第2世代の≪変身≫能力者であるメアの特殊能力。格闘戦で応戦しなかったのは英
トランス
﹁例え髪の毛一本だろうと、触れてさえいれば対象の肉体、及び精神との融合を可能にす
歯を食いしばって耐え忍ぶ。
全盛期なら絶対に侵さなかっただろうミス、平和ボケし過ぎだと、襲い掛かる激痛を
幾らでも攻撃する隙はあったのに、それを行わない理由など、それ以外にはない。
だからこその、ネメシスの余裕。
﹁まさか≪肉体支配≫を初見で対処するとはな﹂
169
トランス
変身
逢いたかった
生きていたのかトレイン
驚愕に見開かれたネメシスの双眸が、直後には歓喜の色に染まる。
﹂
!!
﹁は、ははっ、はははははははは 生きていたか
ぞ
兵器に姫っちなどとふざけた渾名を付けるのはお前くらいだものな
!!
じ匂いを感じ取って絶望するのだった。
裏路地に響き渡る狂笑に、セフィは身を固くし、トレインはネメシスにヤンホモと同
!!
!?
両掌を顔に沿わせ、全身を悦びで染め上げる。
!!
こいつヤンホモと同類なんじゃねぇのか││そんな恐怖と戦っていたからこそ。
俯いたネメシスから、透明な雫が零れ落ちたことに。
だから、気付けなかった。
のだな﹂
﹁ドクター・ティアーユと一緒に死んだと思っていたが⋮⋮そうか⋮⋮死んでなかった
メア
170
肩を震わせ、僅かに漏れ聞こえる嗚咽に、トレインは気付くことはなかった。
﹁彼女達の狙いは私。足手纏いのいない状態なら、あなたなら逃げ切れるはず。さぁ、急
凛とした声音に、しかしトレインは顔を上げない。
﹁トレイン君、逃げなさい﹂
本当に今日は厄日だと、トレインは顔を俯かせる。
ただでさえ数で不利なうえに足手纏い付き、更に相性まで最悪ときた。
う。
後者については憶測だが、これまでの攻防から物理攻撃は効果が薄いとみていいだろ
自身の肉体を霧状に変換させるネメシス。
触れた相手の肉体を支配するメア。
トラウマに凍り付いた思考が、生き延びるべく高速で働いていく。
﹁生きていて、くれたんだな⋮⋮﹂
171
いで﹂
なおも顔は上げず、横目で伺ったセフィの腕は、震えていた。
トレインの逃亡は、即ちセフィの死を意味している。
そんなことが分からないセフィではない筈なのに、自分の身よりもトレインの心配と
は。
私はあなたが││﹂
﹁なんで俺がお前の命令に従わなきゃいけねぇんだ﹂
﹁トレイン君
だからどうした。
相性は最悪。
足手纏い付き。
数は不利。
﹁誰も俺の目の前で、殺させはしねぇ﹂
!
﹁俺が届けるのは幸福だ。見殺しなんて不吉、ララ達に届けるわけねぇだろうが﹂
メア
172
いつだって数はこちらが不利。
市街戦になれば、住民という足手纏いはそこら中にいた。
相性など、有利だったことの方が少ない。
?
﹁茶番は終わりか
﹂
不敵な笑みを顔に刻み付け、顔を上げ、心配すんなとセフィを見詰めた。
誰かのために涙を流す、そんな心根の優しさは、同じだから。
他人の空似であろうと、セフィとセフィリアが別人であろうとも。
眦に浮かんだセフィの涙を、トレインは拭い取る。
﹁トレイン君⋮⋮﹂
だから、何時ものことだから。
﹁俺は負けねぇ。絶対に勝つ。だからセフィ、下らねぇこと言ってねぇで黙って見てろ﹂
173
ぞっとするほど、ネメシスの声は冷え切っていた。
先程トレインへ向けられていた以上の感情をセフィへと向ける。
今なら特別に下僕にしてやらんこと
大切な玩具を他人に盗られた、そんな表情を浮かべて。
﹁待ってくれてありがとさん﹂
﹂
﹁ふん、今更なんだ。命乞いでもするつもりか
もないぞ
?
﹁それを聞いてなおのこと従わせたくなったぞ、下僕候補﹂
断りだぜネメシス﹂
﹁悪ぃが、今の自由気ままな野良猫ライフが気に入ってんだよ。せっかくの誘いだが、お
?
れぞれが赤と青に塗り分けられた二種類の弾丸。
片腕が使えないため、≪ハーディス≫を上へ放り投げ、漁った懐から取り出すのは、そ
地面に転がり奏でる金属音に、何をするつもりかとネメシスは訝しむ。
≪ハーディス≫のシリンダーを外し、内蔵された弾丸全てを取り出す。
﹁あんま調子に乗ってっとお兄さんお仕置きしちゃうぞ、キチロリ﹂
メア
174
その数、赤が一発、青が五発。
その全てを≪ハーディス≫のシリンダーに装填。
﹂
!
﹁そいやっ
に止まる。
﹂
裏路地を覆い尽くす煙幕が視界を奪い、標的を失ったネメシスの黒霧の動きが一時的
叩き付けられる煙幕玉。
!
なら、その前にこちらから仕掛ける。
一度でも攻められればそのままジリ貧になるのは明白。 フィを巻き込む範囲攻撃は最も有効。
セフィを抱えての守勢か、彼女を放置してからの攻勢の二択しか取れない現状、セ
全身から黒霧を吐き出し、トレインとセフィを囲い込もうと向かってくる。
﹁できるものならな
﹁痛いのは最初だけだ。すぐに気持ちよくしてやんよ﹂
175
ブラッククロウ
﹁ぉ││﹂
﹁≪ 黒 爪 ≫﹂
何かを言いかけるが、その暇すら与えない。
一足で肉薄し、叩き込まれる黒猫の爪。
手ごたえはあったが、打撃部位の損壊が瞬く間に塞がっていく。
物理攻撃の効果が薄いのは百も承知。
だが、苦悶に歪むネメシスの表情から、痛みが存在しない訳でもない。
ブラッククロス
事実、黒霧へ粒子化しない部分への攻撃には、確かな手ごたえが存在するのだから。
吹き飛ぶネメシスに、トレインは容赦なく銃口を向けた。
≪オリハルコン≫と呼ばれる特殊金属で構成された≪ハーディス≫による二段攻撃。
描くは十字。
故に、一気に畳みかける。
﹁≪ 黒 十 字 ≫﹂
メア
176
視界はなおも最悪だが、煙幕越しに体を固くするのを気配で捉えた。
獲物を狩ろうと爛々と輝く黒猫の瞳は、最初に狩るべき標的を捕捉。
み。
だが、ネメシスの攻略法が浮かばない以上、あくまでも彼女に採れる手段は足止めの
目指すは各個撃破。
﹁⋮⋮さてと﹂
とに、彼が気付くことはなかった。
試行錯誤の末、開発に成功したトレインの技術力がとうの昔に相棒を凌駕しているこ
正史ならば相棒の発明品なのだが、彼の運命を変えたのは他ならぬトレイン。
特殊弾、≪ 炸 裂 弾 ≫。
バースト・ブレッド
吹き飛ぶネメシスの腹部を射抜く弾丸が小規模ば爆発を巻き起こした。
爆裂。
﹁おまけだ﹂
177
﹁っ
﹂
果たして、そこにいたのは体を震わすメア。
レールガン
先の≪電磁銃≫による射撃は、なにも苦し紛れの一発ではない。
かった。
﹁く、来るな
﹂
!?
対し、トレインは真っすぐ≪ハーディス≫を向け、引き金を引いた。
悲鳴と一緒に、髪を剣状に≪変身≫させた剣群が押し寄せてくる。
トランス
セフィを一人残したのは、メアが恐怖で動けないという確信があったからに他ならな
えた死の恐怖は、遠慮なく向けられるトレインの殺気と相まり、メアの自由を奪う。
毒がゆっくりと体中を回るように、文字通り必殺技たる威力を秘めた≪電磁銃≫が与
レールガン
予め動くなと命じたセフィを隣になった時、ようやく視界が晴れてくる。
!?
﹁なっ﹂
メア
178
フリーズ・ブレッド
特殊弾、≪ 冷 凍 弾 ≫。
トランス
トランス
着弾と同時に拡散する冷気が、≪変身≫させた頭髪ごと凍り付かせた。
トランス
≪変身≫とは、ナノマシンを用いた変換能力を差す。
トランス
よって、ナノマシンの活動を止めてしまえば、≪変身≫は使用できない。
﹂
フリーズ・ブレッド
呼吸をするように行なえていた≪変身≫が使えないという現実が、メアを更に追い詰
める。
﹁う⋮⋮わあああああああああ
トランス
右手、左手、右足、左足。
﹁あぐっ
!?
拘束から逃れようと抵抗するが、当然解ける訳もなく。
凍結した四肢ごと、≪ハーディス≫から伸びたワイヤーがメアを縛り上げた。
﹂
武器形態へ≪変身≫したそばから、その全てを≪ 冷 凍 弾 ≫が撃ち抜く。
!?
179
トランス
ならばと凍結から逃れた部位を鋭利な形状に≪変身≫させるが、切断される兆候は見
られない。
﹁ど、どうして⋮⋮﹂
﹁悪ぃが、ワイヤーも特別性なんだよ﹂
ナンバーズ≪VII≫、ジェノス=ハザード 。
彼の武器である≪エクセリオン≫とトレインのワイヤーは、同素材で出来ている。
数ミクロン以下の極薄刃であるヤミの≪ナノスライサー≫ですら切断できない≪オ
﹂
﹂
リハルコン≫製のワイヤーに捕らえられたメアに、逃れられる術は残されていなかっ
た。
﹁くっ⋮⋮殺せ
!
﹁何故にくっ殺。お兄さんはおたくの将来が心配です﹂
お前なんか全然怖くない
!
!
死なんて恐れない
!
そう言って声高に叫ぶメアが強がっているのは、誰の目にも明らかだった。 ﹁私は兵器だ
メア
180
メア自身も、それは理解せざるを得ない。
初めてなのだ、トレインのような格上と相対するのは。
自分の力がまるで歯が立たないのも、為す術もなく追い詰められるのも、身の竦むよ
うな殺気を浴びせられるのも、≪赤毛のメア≫として生きてきて、初めての経験だから。
未知の感情に振り回され、必死に自分を奮い立たせるメアの眼前に、トレインは銃口
を向ける。
﹁ありゃりゃ、そういや全弾撃ちきったんだった﹂
響いた音は、しかし撃鉄を叩く音だけだった。
││カチン。
全てを無視して、トレインは≪ハーディス≫の引き金を引く。
迫り来る死に目を瞑るメアも。
セフィの静止の言葉も。
﹁じゃあ死ねよ﹂
181
呑気に呟くトレインの前で、メアは力なくへたり込む。
≪ハーディス≫の装弾数は六発。
ネメシスに一発、メアの髪と四肢にそれぞれ一発ずつ。
銃を扱うトレインがそのことに気付かない訳もなく、それは余りにも白々しい演技
だった。
それでも、メアが感じた恐怖は、そのことに気付かないほどに、あまりにも深く強大
で。
﹂
﹁随分と怖がりな兵器なんだな﹂
﹁⋮⋮っ
!!
は気を失ってしまった。
殺気を霧散させたことで極限状態という緊張から解放された影響か、倒れ込んだメア
攻撃手段を削がれ、体を拘束されたメアに、残された手立てはない。
心の折れる音が、聞こえた気がした。
いねぇよ﹂
﹁兵器ごっこなら他所でやれ。死ぬことにビビってる今のお前を兵器だと思う奴なんて
メア
182
﹂
既に表情に余裕はなく、悔し気な歯軋りが妙に大きく聞こえた。
﹁化け物め⋮⋮
クロノ・ナンバーズ
ネメシスが、メアが踏んだのは、ただの野良猫の尻尾ではない。
触れてはならぬ、禁忌を犯したのだと。
﹁今頃気付いたか小悪党。ご褒美にプレゼントをやろう﹂
!!
≪ 黒
猫 ≫の尻尾なのだ。
ブラックキャット
不吉の名を冠する元≪ 時 の 番 人 ≫の≪XIII≫、正史では最強の抹殺人とされる
イレイザー
纏っていたドレスはボロボロで、褐色の肌が見え隠れし、腹部には大きな風穴が。
ネメシスは満身創痍だった。
六つの穴を埋め尽くし、ゆっくりとトレインは振り返る。
赤、青、通常弾。
空になったシリンダーに次弾を装填していく。
﹁さて、続きと行こうかネメシス﹂
183
だが、そんな彼女等に仇なす者へ届けるのは、受取拒否のできない不吉なのだから。
守護する者には幸福を。
﹁不吉を届けに来たぜ﹂
メア
184
ネメシス
トレインは自分よりも強い。
この私に
それも、圧倒的なまでに。
﹁不吉を届ける、だと
大きく出たじゃないか、トレイン﹂
?
筈なのに。
?
﹁腹の風穴は治さねぇのか
﹂
例え四肢が欠損しようと、何度でも復元が可能なのだから、普通なら別の手段を取る
その身を≪ダークマター≫で構成されたネメシスに、物理攻撃は効果が薄い。
たのか。
恐ろしく戦い慣れした、その戦闘経験値を得るために、どれほどの修羅場を潜ってき
見た目こそ今の自分とさして変わらないというのに。
?
185
間違いない。
トレインは気付いている。
﹁おたくの再生能力、限界があんだろ 俺の攻撃をくらう度に、再生速度が目に見えて
だから、他の部位へ気
?
ら、今回に限っては見逃してやるよ﹂
﹁セフィに土下座して謝れ。二度とこんな真似はしないと俺に誓え。それが出来たんな
老獪のごとき考察力、つくづく外見との懸隔の激しい男だ。
それでも、ネメシスの本質的な部分への理解が及んでることは明らか。
子細については分かってはいないだろう。
を回す余裕がなくなった。俺の攻撃が有効で、再生能力の限界が近付いているからだ﹂
治さねぇところを見るに、その黒霧がおたくの本体なんだろ
落ちてる。その黒霧がおたくの≪変身≫能力のネタなんだろうが、服や腹の損傷部位を
トランス
?
﹁それに、もう勝った気でいるとはな。メアを人質にでもして、私が降参するとでも思っ
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ジョーダンじゃない。誰かを跪かせるのは好きだが、逆はあり得んよ﹂
ネメシス
186
ているのか
│﹂
変身兵器であるこの私が その気になれば、貴様の命など容易に│
?
?
﹁三度は言わねぇ。地獄見るか、五体満足で逃げ帰るか。あまり俺を怒らせるな﹂
叩き付けられる殺気に、ネメシスの体が竦んでしまう。
≪ダークマター≫の闇すら呑み込みそうな、深淵のようなトレインの瞳。
きたんだ﹂
﹁粋がんなよ三下。こちとらテメェ程度の再生能力持ちなんざ嫌になるほど相手にして
トレインは、銃口をネメシスの額へ突き付けた。
胸を踏みつけ、苦悶の声を漏らす様などお構いなしに、マウントポジションを取った
急速に凍り付いていく肢体に、ネメシスは自身の体を思念体へと切り替える前に。
咄嗟に飛び退き躱すネメシスの両足に、トレインは≪ 冷 凍 弾 ≫を打ち込む。
フリーズ・ブレッド
メアを縛る≪ハーディス≫のワイヤーを取り外し、直後に発砲。
﹁あっそ﹂
187
トランス
ネメシスには、逆転の手段があった。
自分の能力が黒霧化する≪変身≫だけだと、そう思っているトレインへの切り札をま
だ切っていないから。
にも拘らず、ネメシスは動けない。
自分は、何時消えても構わない存在だと考えていたはずなのに。
生まれた時から常に死と隣り合わせだったネメシスが、初めて直面した、本物の死の
恐怖。
常なら吐き出せていたはずの軽口は浮かばず、折れない筈の心が罅入っていくのを感
じ、
﹂
!
霧散する殺気に乗じ、霧散させた≪ダークマター≫を黒刃へ変換。
救いの声が聞こえたのは、そんな時だった。
﹁トレイン君
ネメシス
188
﹂
飛び退くトレインには届かないが、そんなことは百も承知。
﹂
﹁すぐに逃げろミカン
﹁えっ⋮⋮
?
動けないトレインを悠々と眺め、人質とした二人に近付く。
﹁⋮⋮ごめんなさい、トレイン君﹂
﹁なに、これ⋮⋮
﹂
セフィと美柑、それぞれの首元に突き立つ黒刃。
﹁形勢逆転だな﹂
舌打ちしながらトレインは駆け出すが、それでは遅いと、ネメシスはほくそ笑む。
虚空を漂う≪ダークマター≫が、二方向へと伸びていく。
本当の狙いは別にあるのだから。
?
!?
189
トレインを屈服させ、先程までの屈辱を晴らそう。
次々と思い浮かんでいく下劣な考えが、ネメシスの嗜虐心をくすぐる。
﹁小娘一人ならどうとでもなったものを。守りやすいからとセフィ王妃を逃がさなかっ
たのは失策だったな﹂
人質となった二人を背に、ネメシスはトレインに向き直った。
トレインを従わせたい。自分だけのものにしたい。彼の全てが欲しくて仕方がない。
ていた。
だが、当初の目的が霞むほどの執着心が、ネメシスの心に間欠泉のように沸き起こっ
ネメシスの目的は、セフィを殺すことで巻き起こるだろう銀河大戦の再発。
吐き出す吐息が熱を持ち、触れた頬は熱く、下腹部が僅かに熱を持つ。
トレインが膝を折る姿は、想像するだけでゾクゾクする。
する、最高に面白い暇潰しになりそうじゃないか﹂
﹁私に土下座しろ。永遠の忠誠を私に誓え。お前のような生意気な下僕を私好みに調教
ネメシス
190
抑えようとも思えない感情が、ネメシスの表情を歪ませる。
﹁││││
砕く。
﹂
ネメシスの顔面を撃ち抜き、間髪入れずに鳴り響く異音が、人質を捉える黒刃を打ち
突然の衝撃。
!!
顔を上げたトレインの双眸に、諦めの色はなかった。
﹁だからお前は三下なんだよ﹂
だから、理解できなかった。
武器である≪ハーディス≫を投げ捨て、それが己に屈した証だと笑みを深める。
その嘆息を、ネメシスは諦めと捉える。
﹁⋮⋮はぁ﹂
191
﹂
仰向けに倒れ込むネメシスが見たのは、セフィと美柑を守護せんと庇い立つ、片腕で
ファイティングポーズを取るトレインの姿。
﹁俺の遠距離攻撃手段が≪ハーディス≫だけだと思ったのか
≪ソニックフィスト≫││。
勝利を確信したネメシスには、何が起こったのかすら理解できないが。
のだ。
音の壁を突破した拳速が生み出す衝撃波が、遠く離れたネメシスの顔面を撃ち抜いた
離攻撃。
銃器を持った相手に対抗するべく編み出された≪ガーベルコマンドー≫唯一の遠距
?
≪ガーベルコマンドー≫、必殺の≪サイクロングレネイド≫がネメシスの体を貫く。
全体重を乗せたコークスクリューの拳撃。
そして、そんなネメシスに、トレインは容赦はしない。
﹁喰らっとけ﹂
ネメシス
192
﹂
!
トランスフュージョン
トランスフュージョン
仰いだ先に見たのは、この程度かと不敵に染まったトレインの表情で。
勝利を掴んだ筈が、握った指の間からすり抜けていく、直面するのは敗北の二文字。
電撃がネメシスを襲い、≪ 変 身 融 合 ≫の証である侵食が引いていく。
≪細胞放電現象≫。
しかし、トレインはその更に上をいく。
﹁俺の体は俺のもんだ﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
﹁甘いのはテメェだ﹂
いかに強者と言えど、体を乗っ取ってしまえば意味はない。
メアの≪肉体支配≫の上位互換、ネメシスの奥の手≪ 変 身 融 合 ≫。
ボディジャック
掴んだ腕に≪ダークマター≫が侵食していき、肌色から闇色へと染まっていく。
貫通したトレインの腕を掴み、確信するは勝利。
﹁だが、甘い
193
﹁な⋮⋮め、るなぁああああああああああ
﹂
その表情が、ネメシスの逆鱗に触れる。
﹁お前は私のものだ
﹂
!!
﹂
やったぞ 私の勝ちだ
!
トランスフュージョン
トレインが私のものになったん
!
だ
!
!
敗北などありえない、そんな存在を支配した自分。
≪ 変 身 融 合 ≫したからこそ分かる、トレインという人間の持つ驚異的な才能。
トランスフュージョン
精神空間を遊泳し、体中を駆け巡るのは圧倒的な全能感。
押し寄せる一体感は、≪ 変 身 融 合 ≫が成功した確かな感触。
トランスフュージョン
果たして、勝利の女神はネメシスに微笑んだ。
引いていた侵食が止まり、徐々に、しかし確かに≪ 変 身 融 合 ≫が進んでいく。
歪な独占欲が、運命を逆転させる。
!!
﹁⋮⋮ははっ、やった
ネメシス
194
もう何も恐くない。
トランスフュージョン
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いていることに。
存在しない空間の筈なんだぞ﹂
﹁私は≪ 変 身 融 合 ≫したんだぞ。此処は精神世界だぞ。私とトレイン以外には、誰も
だが、忘れてはいけなかった。
体だけの支配ではない、記憶を覗き、トレインの全てを知り尽くすため。 より深い一体感を求め、精神世界の更なる奥へと流れていった。
﹁⋮⋮どういうことだ﹂
だがそれは、ネメシスが本当の恐怖を知らなかったからだ。
﹁││││﹂
195
﹁お前は、誰だ﹂
精神世界が、悲鳴を上げる。
闇色の世界で、なおもその存在を主張する、二つの輝き。
金色のそれは、精神世界に視界が慣れるにつれ、その姿をハッキリと浮かび上がらせ
た。
暗色の髪。
金の瞳。
左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。
同様のローマ数字が刻まれた大仰な装飾銃。
依代と見紛う、多くの共通点。 だが、目の前の存在とトレインは、決定的な違いがあった。
青年のような成熟した肢体、鋭く研ぎ澄まされた眼光。
そう、トレインをそのまま成長させた存在が、ネメシスの前に姿を現す。
﹁俺を飼い慣らせるのは、オレだけだ﹂
ネメシス
196
向けられた装飾銃の銃口が、光り輝く。
危険だ。アレは危険だ。絶対に食らってはいけない類のなにかだ。
本能が警鐘を鳴らし、理性が逃げろと叫ぶ。
でも、体が動かない。
それまでトレインから浴びせられた殺気がそよ風に思えるほどの、殺意の波動。
バーストレールガン
気付けば、熱い何かが頬を伝い、流れ落ちていく。
﹁ネメシス﹂
暗転。
﹁││││ひっ﹂
極光。
﹁≪炸裂電磁銃≫﹂
197
光が差す。
閉じた目を開き、見上げた先にあるのは青空。
そして、あどけなさを残す、自分と同じ金の瞳。
﹁お前の負けだ﹂
その瞳に映った自分の体は、消えかかっていた。
元々、メアを依代として繋いできた命。
を悟る。
自分を構成する≪ダークマター≫が消えていく感覚に、ネメシスは己の消滅する未来
だが、不思議と胸中は穏やかだった。
先程の光景は一体何だったのか。
いつの間に精神世界から現実世界に切り替わったのか。
﹁⋮⋮そうか⋮⋮私は、負けたのか﹂
ネメシス
198
﹂
実体化すれば自然とエネルギーを消耗し、それが今尽きようとしていた。
﹁トレイン君っ、この人、体が⋮⋮
﹂
!
﹂
!!
﹁⋮⋮メアは私に操られていただけだ。此度の一件、全ての責は私にある。だから、後生
﹁ネメシスさん⋮⋮﹂
だが、こんな自分にも悲しみ涙する美柑の優しさが、何故か心地よく思えて。
兵器の自分が、人質に謝罪など。
自分らしくはないと思う。
﹁そんなの⋮⋮そんなのって⋮⋮
﹁⋮⋮別に、いつ消えても悔いはない。たまたま今日がその日だっただけだよ⋮⋮﹂
﹁そんなことより自分の体の心配しなよ
﹁ミカン、と言ったか。すまなかったな、巻き込んでしまって﹂
降り注ぐ陽光が、こちらを覗き込む顔によって遮られる。
!?
199
だと思って聞き入れてはくれないだろうか、セフィ王妃。メアのこと、よろしく頼むと﹂
﹁⋮⋮お優しいのですね、ネメシスさんは﹂
つくづく、らしくない。
だが、その甲斐あってか、最後にいいものが見れた。
微笑を浮かべ見下ろすセフィの素顔は、それほどまでに美しかった。
﹁えっ、なにこの空気﹂
この男、最後くらい良い気持ちで終わらせられないのだろうか。
そんなことには一切構うことなく、トレインは真っすぐにネメシスを見下ろした。
犬猫でも相手にするようにしっしっと払うトレインを美柑とセフィが睨み付ける。
どいた﹂
﹁お通夜ムードのとこ悪ぃけど、やることやらねぇといけねぇから。ほらお前等、どいた
ネメシス
200
﹂
﹁ほれ、ネメシス。早いとこ俺の体に憑依しろ。そうすりゃ、取り敢えずはなんとかなん
だろ
何言ってんだこいつ的な感じでネメシスは見つめ返した。
?
﹁さっきの技、俺の体を乗っ取る系のか なんでかは知らねぇけど、憑依は出来ても
201
と
どこまでお人好しなのだお前は
私を助ける理由などないだろうに﹂
﹁くくくっ⋮⋮宇宙の転覆を図り、お前の大事な者にも手を掛けようとした私を生かす
嫌いじゃない、それどころか愛おしくすら思える。
好き勝手にほざくその抗弁。
か、自分死ぬからあの子をお願いって、重いんだよ色々﹂
別にいいかなって。お前が死んだら、なんか俺が殺したみたいで寝覚めも悪ぃし。つ
乗っ取ることは出来ねぇみたいだし、実際に食らった感想としては害もなさそうだから
?
?
﹁⋮⋮何故そうまでして私を生かそうとする。所詮、私はメアと同じ変身兵器なのに﹂
トランス
﹁うるせぇ、負け犬は黙って勝者の言うことに従ってりゃいいんだよ﹂
?
トランス
﹁変身兵器だからだよ﹂
トランス
間髪入れずに、トレインは答える。
何故か惹かれた。暇さえあれば眺めていた。いつしかそれだけでは物足りなくなっ
そして、その感情の中心には、決まっていつも同じ人間がいたんだ。
笑顔が、思い遣りが、純粋無垢な喜怒哀楽が溢れていた。
打算と欲望で満ち溢れた研究所で、そこだけは違った。
されぬまま幽霊のように研究所内を漂っていた時だった。
≪プロジェクト・ネメシス≫は凍結、成功したのに失敗の烙印を押され、誰にも認識
受け、世界を認識してからしばらくした時だった。
まだメアの体を依代とする前、≪プロジェクト・ネメシス≫の結果偶然この世に生を
それは、遠い昔の記憶。
﹁姫っちも変身兵器として生まれたから。だから俺は、お前に生きててほしいんだ﹂
ネメシス
202
ていた。
どうして気付いてくれない、自分は此処にいる、だから気付いて、私を見て。
トランス
それが、いつの間にかトレインを自分のものにしたいという歪んだものへと変わった
んだ。
金色の闇に、変身兵器に向ける、彼の優しい眼差しを、自分にも向けて欲しかったか
ら。
ら。
思念体に過ぎない、生きる意味も持てなかった自分にとって、彼は存在意義だったか
巣食う。
こんな世界、いっそのこと滅んでしまえと、そんな破滅願望が、空っぽになった心に
思えば、あの時からだ、この世界がどうでもよく思えたのは。
ティアーユと一緒に、組織に抹殺されたとものだと思っていたから。
死んだと思っていた。
﹁ああ⋮⋮そうか⋮⋮﹂
203
﹁そうだった⋮⋮そうだったんだな⋮⋮﹂
でも、彼は生きていた。生きていてくれたんだ。
彼に会いたいと、見つけて欲しいと、自分だけを見て欲しいと、その願いは忘れてい
ない。
トランスフュージョン
いつ消えるかも分からぬこの身、それでも諦めず生きようと思ったのも。
必死に生にしがみ付き、メアの体に≪ 変 身 融 合 ≫したのも。
全ては、彼のためだった。
生身の肉体を知ることで、完全な具現化の術を知ることで。
彼と触れ合い、言葉を交わし、気持ちを伝える術を、手にすることが出来た。
それだけで嬉しいと思えるほど、彼の存在は、完全に忘れられないくらい、大きかっ
たんだ。
触れただけじゃ、言葉を交わしただけじゃ、気持ちを伝えても、満たされない。
でも、無理だ。足りない。全然、これっぽっちも。
﹁答えなんて、聞くまでもなかった⋮⋮お前は、そういう奴だものな⋮⋮﹂
ネメシス
204
彼の手で引導を渡される、それだけでも嬉しいはずなのに。
幸せに、笑顔で逝けた筈なのに、悔いなんて無いはずなのに。
それでも、消えたくないと。
彼を求める気持ちが、止まってくれない。
﹁⋮⋮いいだろう。その要求、受けようじゃないか﹂
││だから、ネメシスは、トレインに伝えたいことがあります。
言葉にするのは憚られても、想うだけなら、神様だって許してくれる筈だと。
それでも、伝えたかったから。
彼を傷付け、追い詰め、怒りを買ってしまった自分には、そんな資格はないけれど。
でも、素直になれない自分には、言葉にする勇気はなかったから。
もっと自分の気持ちを知ってほしい。
もっと言葉を伝えたい。
もっと触れ合いたい。 ﹁そんなお前だから、私は⋮⋮トレインが⋮⋮﹂
205
ありがとう、私を見つけてくれて。
あなたは私に生きる意味を与えてくれた。
喜びを、悲しみを、怒りを、楽しみを、感情を与えてくれた。
でも、私にはなにもないから。
返せるものをなければ、なにを返せばいいのかも分からないから。
だから、私の全てを、あなたに差し上げます。
生かすも殺すも、あなた次第。
その代わり、この命尽きるまで、あなたの傍にいさせてください。
いつか消えるその時まで、どうかあなたの心に寄り添わせてください。
この身を全て捧げてもいいと思えるほどに、あなたのことが大好きです。
ネメシスは、トレインが好きです。
﹁今日から私はお前のものだ、トレイン﹂
ネメシス
206
シズ
﹁不満なら出ていく なら早速お金の話をしましょうか。今日までの滞在費プラス今
﹁一応こんなでも俺をタダで住まわせてくれてる恩人なんだぞ。こんなだけど﹂
﹁なんて薄情な女なんだ。トレイン、このような女に構うな﹂
裏路地から場所は移り、仮宿である洋館にトレインは帰宅していた。
怪我人の切なる願いを笑顔で切り捨てる、闇医者こと御門涼子。
﹁ふふっ、嫌よ﹂
﹁助けて、リョーコえもん﹂
207
﹂
?
にょきっと、そんな音を立てながら、少年の体から少女が生えてくる。
﹁⋮⋮お主、プライドというものはないのか
﹁おいこらキチロリ。リョーコの悪口は俺が許さねぇぞ﹂
までの治療代を含めて、ざっと数百万││﹂
?
相当に奇天烈な光景だが、時間が経てば慣れたもの。
ドクター・ミカドとして数多の宇宙人を治療した経験からか、涼子が動揺したのも最
初だけ。
いつもの掴み所のない笑みで、いつも以上に面白げな眼差しを浮かべいた。
﹁男の子なんだから我慢なさい﹂
﹁そんな唾付けとけみたいに言われても。俺、一応骨折してんですけど⋮⋮﹂
けよ。別に治療をしない訳じゃないけど、あくまでも一般的な処置だけ。前回の治療法
﹁前回はヤミちゃんが責任を感じると思ったから、バレないよう特別な治療を施しただ
は即効性のぶん体への負担が大きいの。だから、医者としては自然治癒をオススメする
わ﹂
﹁いや、でもよリョーコ││﹂
﹂
﹁駄目なものは駄目﹂
﹁⋮⋮どうしても
?
暫し見つめ合っては見たが、涼子の意思が揺らぐ気配はなく。
﹁絶対に駄目﹂
シズ
208
ヤミを筆頭に、骨折の理由をどう誤魔化すかと嘆息した時だった。
﹁おい、御門涼子﹂
﹂
ぞわっと、トレインの体から闇が噴き出す。
﹁トレインの頼みが聞けないというのか
だが、涼子とて引くつもりはなかった。
黙って治すのは当然のことだろう﹂
﹁そ の よ う な 理 屈 な ど ど う で も い い。ト レ イ ン が 治 せ と 言 っ て い る の だ ぞ。な ら ば、
にはいかないわ。医者として当然の判断よ﹂
﹁⋮⋮さっきも説明したように、特段理由もなしに患者に負担のかかる治療法をする訳
それでも、妖しく輝く金の瞳は、射殺さんばかりの威圧を持って涼子を射抜く。
トレインという依代を得ても、一度は消えかかったネメシスにさしたる力はない。
?
209
﹂
バチバチと火花を散らし、重苦しい空気が治療室を支配する。
﹁ふぎゃ
!?
﹁それはリョーコだって同じだろうが﹂
﹁だ、だが私はっ、お前のためを思って││﹂
﹁うるせぇぞネメシス。さっきも言ったように、リョーコを酷く言う奴は俺が許さねぇ﹂
﹁な、なにをするのだトレイン
﹂
頭を押さえ、涙交じりになった金の双眸を同色の瞳を持つ依代へと向けた。
撃は有効。
力を失った現状、体を構成する≪ダークマター≫の分散を行えない今のネメシスに打
ゴンっ││殴打する音が、張り詰めた空気を弛緩させた。
!?
しゅんっと俯くネメシスの表情は、トレインからは見えない。
﹁うぐっ⋮⋮﹂
シズ
210
﹁⋮⋮お前の怪我は、私達が原因なんだぞ⋮⋮私だって、トレインの力になりたいのだ
⋮⋮﹂
でも、どんな表情をしているかなど、容易に想像できたから。
これ以上強く言えないのは、戦闘中とのギャップが激しすぎるせいなのか。
あまりにも殊勝な態度、気まずげに反らされた先では、一台のベッドが。
薄く掛けられたシーツからは、波打つ赤毛が覗いていた。
覚める兆候を見せることはない。
そして、今に至っている訳なのだが、手足の凍傷以外には外傷のないメアは、依然目
連れ、自分を依代として憑依したネメシスと一緒に涼子の洋館に向かった。
子のセフィを見つけたという設定の元にララ達と合流を、トレインは気を失ったメアを
先の戦いの後、事を大袈裟にすることを嫌ったトレインとセフィの判断で、美柑が迷
涼子の助手を務める村雨静ことお静が、沈痛な声音で告げる。
﹁メアさん、目を覚ましませんね﹂
211
﹁トレイン君、もう少し何とかならなかったんですか
ジト目のお静は、直後に嘆息。
﹁⋮⋮もういいです﹂
﹂
﹁俺、とある女剣士に出会った時から男女平等を掲げてるんだ﹂
どね﹂
﹁女の子として言わせてもらうなら、女性に銃を向けること自体どうかと思うんですけ
たんだぞ。凍傷だけで済んだのは御の字だろうが﹂
﹁無茶言うなよ、シズ。足手纏いに、途中から片腕ってハンデ抱えた上で二人を相手にし
?
乱れたシーツをかけ直し、メアの顔に浮かんだ汗を拭おうとタオルを取りに席を立っ
た。
﹁⋮⋮すまん﹂
﹁謝るくれぇなら、最初からあんな真似すんな﹂
﹁⋮⋮本当に悪いと思ってる﹂
﹁⋮⋮は
﹂
﹁うむ、なら許す﹂
シズ
212
?
呆けたように見上げるネメシスの頭にポンッと手を置く。
トゲトゲしい自分とは対照的な、女の子らしいサラサラと零れ流れる黒髪を手で弄
ぶ。
のだ。
だから、トレインに出来ることは、もうこれ以上彼女達の手を汚させないことだけな
被害者の親族だったり、直接殺めた彼女達が決めることだと思うから。
答えを出すのはトレインではない。
自衛のために、快楽のために、生きるために。殺しの理由はそれぞれあったとしても。
いけれど。
ネメシスもメアも、殺し屋として生きてきたヤミも、多くの命を殺めたのは間違いな
不殺を貫いてきたトレインには、その答えを導き出すことはできない。
人殺しの罪とは、償わせるべきなのか。
を許すよ﹂
﹁だけど約束しろ。もう二度と誰も殺さねぇって。それが守れるんなら、俺はネメシス
213
﹁あっ、言っとくけど、俺は許したけどセフィや美柑については別だからな。それは俺が
決めることじゃねぇし﹂
﹁⋮⋮分かっているよ。なんだかんだで有耶無耶になってしまったが、キチンと謝罪の
機会を設けるつもりだ。もっとも、今の私はトレインを依代にどうにか生きながらえて
﹂
いる身。謝罪はまたの機会にならざるをえんが﹂
﹂
﹁そういうことなら、今から行こうぜ﹂
結城家訪問だぜい
思い立ったが吉日。
﹁突撃
!
﹁その前に腕の治療だけはしていきましょうね
◆ ◇ ◆ ◇
?
!
﹁あっ、はい﹂
シズ
214
温泉地ということなのか、唐突に上半身を実体化させて謎ポーズをとって誘惑をして
にコテンとトレインの肩へ寄り掛かる。
ある程度は回復してきたのか、片腕を残し実体化したネメシスは、不貞腐れ顔のまま
が﹂
として欠陥もいいところ。据え膳食わぬは男の恥という言葉を知らんのか、ばかもの
﹁褐色ロリに興奮せぬ男など皆不能なのだ。裸のおなごを見ても襲い掛からぬなど、男
﹁おいこら待て、誰が不能だ﹂
﹁⋮⋮ふんっ、私の裸を見ても欲情せぬ不能の言葉など聞く耳もたん﹂
﹁んで、何時まで拗ねてんだよネメシス﹂
トレインとネメシスは、ともに一糸纏わぬ生まれた姿のままに温泉を満喫していた。
やってきました結城家││から何故か繋がっていた温泉地。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁極楽極楽っ﹂
215
きたネメシスだったが、そんなものなど眼中にないと温泉を堪能すれば、この通り拗ね
てしまったのだ。
﹁はっはっは、お兄さんな俺はお前みたいなお子様体型なんざ見てもなんとも思わんの
だよ。十年経ってから出直してこいやお子ちゃまネメシスちゃま﹂
﹁ほう、それはいいことを聞いた﹂
ぽよん。
そんな音と時を同じくして、柔らかな感触が腕に伝わる。
胸の大きさはこれくらいか 尻も大きいのが好みなの
何事かと見下ろせば、見渡す限りの大平原が雄大な双丘へと地殻変動を起こしてい
た。
﹂
?
ロングか、それともショートか ほれほれ、言ってくれねば分
?
﹁⋮⋮ネメシスさん
髪の長さは
﹁それで、他にはないのか
か
?
?
?
からぬではないか﹂
?
﹁お、おまっ﹂
シズ
216
﹂
﹁先程は不能といったが、見た目が少々マニアック過ぎただけだったか。安心したぞ、ト
レイン﹂
﹁いい加減に⋮⋮
!?
霞む思考が、痛みによって活を入れられる。
﹁いっ
﹂
折れた腕に力を入れたのは、無意識のことだった。
﹁私はお前のものだと言っただろう。だから、私を好きなようにしてよいのだぞ﹂
抑えがたい情念を宿す甘い吐息が、トレインの鼻孔をくすぐる。
濡れた掌をトレインの頬に這わせ、密着させた豊満な肢体をしな垂れ掛からせ。
か。
ネメシスの頬が真っ赤に染まっているのは、はたして温泉に浸かっているせいなの
金と金、同じ瞳が交じり合う。
!!
217
悶絶するトレインは、今頃になって接近する気配を察知した。
﹁⋮⋮トレイン君もリトと同類だったんだね﹂
絶対零度の眼差しに、急激に体が冷え込む。
女
剣
士
﹁ふふっ、若いっていいわねトレイン君﹂
トラウマの声に、ガタガタと体が震えた。
タオルで体を隠しても、両名の体格は完全に正反対。
笑顔のセフィと仏頂面の美柑。
ほっと息をついたトレインは、声の主へと視線を向ける。
寄り掛かった体を起こし、最初と同じようにトレインの隣に居座り、湯船に浸かった。
唇を尖らせ、ネメシスは元の子供体型へ。
﹁むぅ、いいところだったのに⋮⋮﹂
シズ
218
﹂
まるでネメシスみたいだと、見比べたトレインがそんな感想を抱いた時、ぎろりと美
柑が睨む。
﹁⋮⋮なに見てるの
﹁いや、あの⋮⋮﹂
﹂
!?
﹁ご一緒してもよろしい
﹂
﹁⋮⋮はい、よろこんで﹂
﹁それと、予備のタオルがあるの。必要
セフィからタオルを受け取り、岩場の陰で腰に巻く。
?
?
﹁⋮⋮はい、とてもありがたいです﹂
﹂
羞恥心に胸を押さえ、痛みとは別の意味で悶絶する。
見られていたのか、先程の醜態。
﹁ぐっはぁ
﹁⋮⋮トレイン君のえっち﹂
?
219
風呂にタオルを浸けないのがマナーだが、混浴となっては話は別。
嫌がるネメシスの体にも問答無用でタオルを巻き付け、岩場の陰から姿を出す。
﹁美柑さんと話したいことがあったからこうして別の温泉に来てみたけれど、まさかト
レイン君とネメシスさんに会えるなんて﹂
﹁こちらもてっきり向こうの温泉に浸かっているのだと思っていたのだがな。それと、
事後承諾になってしまったが、結城美柑。鍵も掛けぬとは不用心だと思い、勝手に邪魔
をさせてもらったぞ。中に入ってみればワープ装置があったのでな、こうして温泉に浸
かっているという訳だ﹂
﹁⋮⋮それについては構いません。こちらにも非があるので﹂
ろう。
謝罪は死に際に聞いたし、この場での陳謝にネメシスの気持ちは十分に伝わったのだ
うこと。
命を狙ったこと、人質として利用したこと、もう二度とあのような真似はしないとい
改まって姿勢を正し、ネメシスは頭を下げた。
﹁ふむ⋮⋮なにを不貞腐れているのかは分からぬが﹂
シズ
220
ネメシスの行いを許してくれた二人に、トレインは内心でほっと息をつく。
一般人の美柑とは違い、セフィは銀河統一を果たしたデビルークの王妃。 王妃暗殺なんて、ましてやそれが銀河転覆を目的としてのものなんて、公になればネ
メシス達がどのような末路を辿るのかなど言うに及ばず。
﹁でも、もう無茶はしては駄目よ 助けてもらった身としてはあまり強くは言いたく
﹁⋮⋮いえ、お気になさらず﹂
﹁私を守ってくれてありがとう。あの時は結局言えずじまいだったから﹂
咄嗟に顔を反らしたのは、無意識のことだった。
鐘。
思ったよりも近くに寄ってきたセフィに、彼女が別人だと理解してもなお鳴り響く警
思考の海に沈んでいた意識が浮上する。
﹁トレイン君﹂
221
てはいけないわ﹂
ないけれど、あなたが傷付くことで、同じように心を痛める人がいるということは忘れ
?
﹁⋮⋮はい、以後気を付けます﹂
セフィはセフィリアとは別人。戦闘能力も皆無。≪滅界≫を連発することもない。
滝のような冷や汗を流しつつも、ガンガンと警鐘は鳴りまくり、胃が悲鳴を上げる。
戦闘時は気にする余裕などなかったが、ザスティンのようなパッと見似てる人レベル
ではなく、セフィの外見は髪と目の色以外はまんまセフィリア。
顔を見ずとも、鼓膜を揺さぶる声は、トレインにかつての悪夢を連想させて、
││ちゅっ。
完全な不意打ちだった。
湿ったリップを音が、頬に熱い軌跡を残す。
﹂
?
初めて見る、セフィの微笑が。
既視感が、トレインを襲う。
﹁私はセフィです。セフィリアではないと言ったでしょ
シズ
222
かつて浮かべたセフィリアの微笑と、完全に重なって。 セフィは紛れもなく、ララ達三人の母親だと、思い知らされてしまった。
なるほど、彼女はセフィリアとは完全な別人だ。
ララのように無邪気に、ナナのようにお転婆で、モモのように小悪魔染みていて。
そう言って、セフィは悪戯が成功した子供のように微笑んだ。
かもね﹂
﹁もしトレイン君が大人で、私が夫と出会っていなかったら、あなたを好きになっていた
あれほど鳴り響いていた警鐘が掻き消え、周囲の音が完全に時を止める。
触れた頬が、信じられないくらいの熱を持つ。
守ってくれた小さな騎士に何もしないわけにはいかないから﹂
﹁夫には秘密よ。あの人、怒ると何をしでかすか分からないから。でも、命を賭けて私を
223
﹁なにを、しているのですか
全身の産毛が総毛立つ。
﹂
﹁もう一度聞きます。さきほど、あなたは、なにを、していたのですか
女剣士やヤンホモに襲われた時に匹敵する、例えるなら生命の危機。
次の瞬間、ヤミの髪や両手が刃物へ≪変身≫。
トランス
て、湯船に浸かっていても体の震えが止まらない。
﹂
││なんてことには当然のごとく目がいかず、血のように真っ赤な瞳が恐ろし過ぎ
タオルが巻かれた肢体は幼く華奢で、剥き出しの肩や頬は湯のせいか、仄かに赤い。
羅。
ギギギ、と壊れかけの発条人形のように振り返ってみれば、そこにいるのは金色の修
?
?
﹁答えないのなら、仕方がありません﹂
シズ
224
トランス
トレインの動体視力が異常ではなければ、その≪変身≫速度は≪滅界≫に匹敵するほ
どだった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その隙に、背中をガッチリとホールドされてしまって。
﹁ヤミさん。こっちは私が抑えとくから、遠慮なくやっちゃっていいよ﹂
だが、体が鉛のように重くなり、闇色に染まった手足は思うように動かない。
﹁協力しよう、金色の闇。さすがに今のは納得がいかん﹂
これまでの経験が、トレインに逃走の選択させる。
﹁あなたの体に直接聞きます﹂
225
ヤミの、ネメシスの、美柑の視線が集中する。
﹂
針の筵とは、今のトレインの状態を指す言葉に違いない。
﹁セフィ、ヘルプ﹂
﹁修羅場って知ってる
のだった。
救援要請は、世話のかかる息子を見守るみたいな眼差しのセフィによって却下される
?
に。
生まれてから初めて体感した男のロマン、ラッキースケベを味わっているというの
背中と正面から伝わってくる人肌の感触とぬくもりは、まさにお色気展開なのに。
タオルのみを纏ったヤミが歩み寄ってくるのに。
背中に美柑、正面にネメシス。
﹁なに、これ﹂
シズ
226
全然嬉しくないのは、どうしてなのだろうか。
﹁⋮⋮ホント、なにこれ﹂
227
クリード
着物、というものがある。
ジパングに古くから伝わる伝統衣装であり、この衣服には一つの特徴があった。
とにかく、着る者を選ぶのだ。
着こなすには色々とあるが、似合わない人には絶対に似合わない。
ましてや、プロポーションに恵まれ、華美な雰囲気を醸し出す西洋人には似合わない
という先入観が、自分達とは対照的であるがゆえに、ジパングの人間には存在していた。
うっとりと細まる碧眼が、僅かな熱を帯びて正面へと投げ掛けられた。
洋折衷。
本人の醸し出す優美さ、体の線から窺わせる艶美さと合わせた、体現された究極の和
波打つ金髪を結い上げ、覗くうなじが色気を醸し出す。
綻ぶ唇は、綺麗な桜色。
﹁⋮⋮美味しい﹂
クリード
228
イレイザー
トレインが≪クロノス≫に属して、今日で一年。
本来は上司と部下の関係だが、休暇中にまで上下関係を持ち込むつもりもない。
≪ 時 の 番 人 ≫のリーダーと不殺の抹殺人。
クロノ・ナンバーズ
そして、トレイン=ハートネットもまた、気にする様子はない。
しかし、セフィリア=アークスは咎めない。
﹁⋮⋮どうやら、聞くまでもなかったようですね﹂
が店の格式に見合うような客ではないことは確かだった。
それを、まるでそこいらの定食屋で食事をとるような雑な食べ方は、とてもではない
級の料亭。
料理の質、座敷から覗く景観、部屋を彩る小物、従業員の応対、どれをとっても最高
代わりにガツガツと音を立て、並べられた料理が次々に消えていく。
返答の言葉はない。
﹁お口にあうでしょうか、ハートネット﹂
229
当の本人に自覚はなく、こうして食事に誘われて初めて気づいた程度の、どうでもい
い記念日。
しかし、共に食事をするセフィリアにとってもどうでもいいかと問われれば、そうで
もない。
ちょうど今から一年前。
それがトレインと初めて会った日であり、同時に敗北した日でもあった。
外部からスカウトされ、力量を図ろうと設けられた一対一の戦いの場。
僅差だったが、接戦の末セフィリアは敗れ、それからトレインを意識するようになっ
た。
いうのに。
何時ものように断られるのを覚悟で食事に誘ってみた結果、奇跡的に了承を貰ったと
特に仲の良いジェノスを筆頭に、他の団員には名前で呼ぶのに、自分だけ苗字呼び。
他の≪ 時 の 番 人 ≫とは距離を縮める中、自分だけが未だに他人行儀。
クロノ・ナンバーズ
自分としては距離を縮めたと思っていたが、それは思い違いだったのか。
﹁アークス先輩﹂
クリード
230
距離の遠さを滲ませる硬い声音に眉根を下げ、箸を置き揃える。
﹂
?
﹁似合ってますよ﹂
会話の意図が掴めず、言葉に詰まってしまって。
﹁え、ええ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮先輩、着物とか着たりするんすね﹂
言外の意味を感じ、気落ちし俯きかけたセフィリアの耳に、それは聞こえてきた。
一瞬の逡巡。
﹁⋮⋮いや、別に﹂
だったでしょうか
﹁いえ、構いませんよ。私の方こそ、無理に付き合わせてしまって⋮⋮もしかして、迷惑
﹁今日はありがとうございます。昼メシ、ご馳走してもらって﹂
231
そして、言葉の意味を理解した途端、火が点いたように顔が熱くなる。
そっと上目に盗み見たが、トレインは食事をする手を止めない。
箸と器が重なり合う音だけが、会話の途絶えた空間に僅かな彩を添えていた。
だが、その僅かな物音さえ、今は気になって仕方がない。
なにか、なにか喋らなければ、なにか会話の糸口になるものはないか。
出口の見えない思考の迷宮から抜け出そうと必死になったセフィリアは、咄嗟に口に
していた。
﹁せ、セフィリアとっ﹂
抜け出しと思ったら、再び迷い込んでしまう思考の迷宮。
焦燥と羞恥で一層熱くなった顔を隠す様に俯き、膝の上に乗せた両拳を握りしめる。
ら⋮⋮あのっ﹂
一年が経ちますし、他のナンバーズのことは、なっ、名前で呼んでいますし⋮⋮ですか
﹁そ、そのっ、何時までもアークスでは他人行儀ですし、ハートネットと出会って今日で
クリード
232
クロノ・ナンバーズ
一気に捲し立て、何をやっているんだと後悔する。
これでは、≪ 時 の 番 人 ≫のリーダーとしての威厳もあったものではない。
落ち着けと必死に言い聞かせ、気持ちを切り替えようと湯呑を手に取り、
﹂
!?
それよりも早く割り込む黒い影が、倒れ込もうとするセフィリアの体を支えた。
持ち前の運動神経は、パニックになろうが反射的に働き、姿勢を正そうとして。
急ぎ立ち上がるが、着慣れない着物の裾に足を取られ、前のめりに。
﹁す、すみませ││きゃっ﹂
う。
逆立った髪は濡れて垂れ落ち、突然の事態に箸と茶碗を持った状態で固まってしま
綺麗な山なりの放物線を描き、飲み口を逆さにして、やがてトレインの頭部へ不時着。
予想外の熱さと不意打ちに、湯呑は中身を残したままトレインの方へ。
﹁っ
﹁セフィリア先輩﹂
233
﹂
何事かと目を白黒させ、仰ぎ見た先にあったのは、見慣れた金の瞳。
﹁⋮⋮大丈夫っすか
?
﹂
一向に打開策の浮かばない窮地に、涙すら滲み出しそうになった時だった。
思考はとうの昔に沸騰状態、呂律など回る筈もなく、謝罪の言葉すら出ない。
何故か固まるトレイン。
湧き上がる途方もない羞恥に口元と横一文字に引き結び、キッと眦を吊り上げる。
だが、色事に関する経験など、セフィリアにある筈もなく。
荒事ならば、幼少期から培ってきた経験でどうとでもなった。
気まずい沈黙。
垂れ落ちたお茶の雫が、セフィリアの頬を濡らす。
?
﹁なにを、しているんだい
クリード
234
濃密な殺意が、部屋を充満する。
咄嗟に伸びた手は空を切り、忘れたように愛剣を帯刀していないことに気付く。
﹁なんの真似ですか││﹂
猫 ≫には劣るが頭
礼節を重んじるが故に、クリードの言動はセフィリアの目に余った。
今にも切られかねない、腰から下げられた愛刀≪虎徹≫の鯉口。
﹁何をしているんだと聞いているんだ女狐。早く僕のトレインから離れろよ﹂
その実力は自分達≪ 時 の 番 人 ≫にも引けを取らない。
クロノ・ナンバーズ
角を現してきた、名前は確かクリード=ディスケンス。
トレインと同時期に≪クロノス≫に入り、最強と謳われる≪ 黒
ブラックキャット
華美な装い、煌めく銀の髪、野心に染まった双眸は憤怒に燃えている。
トレインの言葉に、突然の乱入者の正体を知った。
﹁⋮⋮クリード﹂
235
の背中を任せられるのもまた僕だけだ。例え今は力不足だとしても、いつか必ず、絶対
そ、真の相棒たり得ると僕は思うんだ。僕の背中を任せられるのは君だけ。そして、君
て欲しいんだ。だから教えてくれないか、トレインの全てを。互いを完璧に理解してこ
打ち明けていい。いや、違うな。知って欲しいんだよトレイン。僕の全てを、君に知っ
だ、君の全てを。代わりに打ち明けようじゃないか、僕の全てを。君になら僕の秘密を
とが出来ると思うよ。そして語り合おう、打ち明け合おうじゃないか。僕は知りたいん
厳選を重ねた至高の瓶牛乳を君に味わって欲しいんだ。きっと君の舌を満足させるこ
ルクが好みなんだよね。君の好みを全て網羅した僕に抜かりはないよ。僕自ら厳選に
のティータイムとしよう。僕がワインで、君がミルク。トレインはパックよりも瓶のミ
いんだよトレイン。僕が勝手にしたことだ、君が気に病む必要はないんだ。なら、食後
用意したフルコースだったんだが、無駄になってしまったね。なに、気にすることはな
なければ。それとも、もう満腹になってしまったかな。ははっ、健啖家な君のためにと
だったね。こんな程度の低い粗末な品を口にしてしまうなんて、なおのこと口直しをし
かしい未来について語り合おうじゃないか。おや、でも今の今まで食事をしていたん
らでも遅くはない。君のために用意していた最高の料理があるんだ。そこで僕達の輝
するなんて。言ってくれればこんな店よりずっといい場所を用意するのに。さぁ、今か
﹁酷いじゃないかトレイン。僕からの誘いを断っておいて、こんな女狐と食事をともに
クリード
236
237
に並び立ってみせるよ。今日はそのための決意表明でもあったんだが、早くも言ってし
まうなんてね、僕は自分でも思っていた以上にせっかちだったみたいだよ。さぁ、こん
なところで何時までも話さず、僕と一緒に行こうトレイン。最高の食事、最高のミルク、
そして最高のホテルで一夜を明かそう。きっと長い話になるだろうからね、念には念を
と思ってホテルを予約しておいたんだ。ホテル全てを貸し切ったから、邪魔者はいない
よ。ふふ、今夜は寝かせないよ。休暇は今日までだけど、大丈夫。寝坊しそうになって
も僕が起こしてあげるよ。なんなら明日も休暇にしてしまうかな。ちょうど此処には
女狐もいることだし、手間が省けて良かった。という訳だ、セフィリア=アークス。僕
とトレインの休暇は延長すると≪クロノス≫の老害共に伝えろ。そして今すぐ此処か
ら消え失せるんだ。いい加減目障りなんだよ﹂
敬愛││いや、狂愛か。
トレインへ向ける眼差しは常軌を逸し、道端に転がる塵芥のような眼差しをセフィリ
アに。
クロノ・ナンバーズ
醜悪な笑みと怒りを同居させた、同時にセフィリアの警鐘が全力で告げている。
クリードは、≪ 時 の 番 人 ≫として抹殺してきた者達をも凌駕する危険性を秘めてい
ると。
﹂
武器はなく、服装は戦闘には不向き、だからどうしたとトレインの前に屹立する。
﹁聞こえなかったのか、女狐。消えろと僕は言ったんだよ
んだろう
でなければトレインが僕の誘いを断るわけないじゃないか﹂
﹁恥を知るのは君の方だろ。大方嫌がるトレインを上司権限でも使って無理矢理誘った
その言い草はなんですか。恥を知りなさい﹂
﹁消えるのは貴方の方です、クリード。私とトレインとの会食に突然割り込んでおいて、
?
なんて独り善がりなと、自己嫌悪に苛まれる。
たからで。
柄にもなく粧し込み、心なしか浮かれていたのだって、トレインが誘いに乗ってくれ
今日の食事だって、駄目元で誘ってみたのだ。
避けられている自覚はある。
続けようとする言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
﹁それは⋮⋮﹂
?
﹁クリード﹂
クリード
238
今まで静観していたトレインが口を開いたのは、そんな時だった。
立ち尽くすセフィリアに並び、遠ざかっていく背中に、掛けれる言葉はない。
暗雲たる黒い感情が、セフィリアの心を巣食っていき、
初めて会って、敗北を喫したあの日から、研鑽を詰まなかった日はない。
大きくて、逞しくて││手を伸ばせば届くのに、遠いと感じてしまう。
彼の背中は、クリードという脅威からセフィリアを守護するように不動を貫く。
﹁⋮⋮すまない﹂
ぞ﹂
﹁お前の誘いを断ったのは、先輩との先約があったからだ。妙な勘繰りしてんじゃねぇ
﹁と、トレインっ、僕は││﹂
その力強い言葉が、陽光のように自分の心を照らし出す。
﹁消えるのはテメェだ。俺は今、先輩とメシ食ってんだよ﹂
239
それでも、トレインとの距離を縮めた気はせず、彼との距離は遠ざかっていくような。
だから、せめて今だけは。
﹁⋮⋮分かったよ、トレイン。君の言う通り、消えるのは僕の方だ﹂
顔に悲愴を刻み付け、退室する背中に背負っているのは絶望の二文字。
まるで雨の中、道端に捨てられた子犬のように、今のクリードは儚い存在だった。
﹁次会った時にお前の言っていた牛乳、飲ませてくれ﹂
先程までの絶望の全てが歓喜に変換されたようだった。
切れ長な双眸を限界まで見開かせ、まるで童心に帰ったような笑みをクリードは刻み
直す。
﹂
!
破ったら絶交だからね
!
来た時同様、クリードは嵐のように去っていく。
﹁や、約束だよトレイン
クリード
240
張り詰めていた緊張感は霧散し、室内は元の静けさ取り戻す。
イレイザー
命を奪った罪と返り血に染まり切った手は、決して拭い去ることは出来ないけれど。
決して消えることのない、≪クロノス≫という宿命を象徴する呪印。
きゅっと掴んだ布地を手繰り寄せ、額の刻まれた≪I≫の刻印に突き合わせる。
伸ばした指先が、彼のトレードマークである青いジャケットに触れた。
﹁⋮⋮ありがとう、ございます﹂
り様が。
死を持ってしか世界の安寧を保てない自分には出来ない、選択する強さを持つ彼の有
死よりも生を持って諍いを静める、彼の生き方が。
だからこそ、眩しく感じてしまう。
物心付く頃から≪クロノス≫にいたからこそ、染み付いた抹殺人としての性。
殺すことも視野に入れていた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
241
﹁メシ、冷めちゃいますよ。早いとこ食いましょうや﹂
イレイザー
トレインと一緒にいる時だけ、忘れることが出来る。
自分の宿命も、己が抹殺人であることも、全て。
何物にも縛られない、自由気ままな黒猫と過ごす、この瞬間だけは。
﹂
ただの女として、セフィリア=アークスとしていることが出来るから。
﹁⋮⋮追加、頼みます
?
◆ ◇ ◆ ◇
彼への恋心は、この瞬間も、静かに育まれていたのだ。
思えば、この時には既に芽生えていた。
﹁うす。ゴチになります、セフィリア先輩﹂
クリード
242
﹁││はっ
﹂
速攻で悪夢認定。ついでに封印指定も忘れない。
﹁よりにもよってヤンホモと女剣士の夢、だと⋮⋮
﹂
全身を汗で濡らし、不快感から顔を顰め、至った原因を思い出し顔を青褪めさせた。
真っ暗な室内に、唯一の光源は窓から差し込む月明かりのみ。
跳ね起きた直後、グサッと何かが枕に突き刺さる。
!?
れば月とスッポンくらい違いはあると思う。
あの頃もあの頃で忘れ去りたい記憶など腐るほどあるが、逃亡生活の暗黒時代に比べ
か。
唯一の救いだったのが、夢の内容が≪クロノス≫を抜ける前だった時のものぐらい
というか、夢にまで出るとかどんだけトラウマになってんだ俺と軽く絶望。
る。
さっさと寝て忘れるに限るが、バクバクと高鳴る心臓が否応なしに意識を覚醒させ
!!
243
クリード
244
思えば、ヤンホモと女剣士をクリードとセフィリアだと認識出来なかったのは何故な
のか。
当時はまだ自分が転生者だという自覚はあっても、憑依者の自覚はなかった。
更に言えば、ヤンホモと女剣士の性格の違いも大きい。
スカウトされた組織が≪クロノス≫と知らず、なんか同期の中でハブられてる奴がい
るなと、そんな軽い同情交じりな気持ちで声を掛けたのが、確かヤンホモだったはず。
以来、妙に懐かれてしまい、気付いた時には病んでいたが、それに目を瞑れば良い奴
だった。
同様に、おっかない先輩だと敬遠していたのが、かの女剣士だ。
出会い頭に切りかかってきたので死に物狂いで撃退、それが自分の上司だと知って絶
望した。
上下関係の大切さを知るが故に、適当に理由を付けて誘いを断り続けていた後ろめた
さに限界を感じ、いびられるのを覚悟で食事に誘われれば、意外と気のいい人だと一時
は心を許しかけた。
しかし、名前呼びを強要されたので名前で呼べば熱い茶を浴びせられ、転びそうに
なったのを抱き留めれば気安く触んなと睨まれるという理不尽。
これが噂に聞く後輩いびりかと戦慄したのは今でも記憶に鮮明に刻まれている。
ヤンホモと女剣士、どちらも親交を深めていく中で、違和感が芽生え始め。
≪クロノス≫を抜け、追われるようになって初めて、奴等が原作に登場するクリード
とセフィリアだと、自分が主人公であるトレイン=ハートネットだと自覚したんだ。
トランスフュージョン
首を傾げたトレインは、なんとはなしに横を向いてみた。
故に、今この部屋には自分以外誰もいない筈。
ろう。
とはいえ、内に彼女の存在を感じるため、力を取り戻すために休眠状態に入ったのだ
力を使い果たしたのか、あれ以来姿を見せず、こちらの呼び掛けにも応じない。
≪ 変 身 融 合 ≫したネメシスは、温泉の際にトレインの体を阻害したことで本格的に
室。
年頃かつ男性ということで気を利かせてくれた涼子のおかげで、自分の部屋は完全個
現在、トレインがいるのは涼子所有の洋館の一室。
思いつく限りの罵詈雑言を当時の自分に投げ掛け続け、ふと感じた違和感。
がっ﹂
﹁お バ カ っ、昔 の 俺 っ て ば ホ ン ト 馬 鹿。な に 二 大 ト ラ ウ マ と 仲 良 く な っ て ん だ、ク ソ
245
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ギラリと妖しく輝く刃。
肌触りの良かった羽毛枕に突き立てられた刃物は、気のせいか途中でおさげに。
ゆっくりと刃物から髪の毛へと視線を伝わせ、後頭部から伸びるおさげを通過し、暗
闇の中でこちらを凝視する一対の大きな瞳へと辿り着く。
﹂
﹂
襲撃時に気を失って以降、眠り姫となっていたが、様子を見る限り元気そうだ。
﹁⋮⋮夜這い
再び始める闘争に、長くなるだろう夜に、トレインは嘆息を零すのだった。
ネメシスの仲間││メアの激情は烈火の如し。
!
?
﹁ネメちゃんを返せ
クリード
246
ヘイキ
﹁このっ﹂
﹂
ひょーい。
﹁やぁ
﹂
てってれー。
﹁待て
﹂
ぴょーん。
!
!
﹁逃げるな
!
247
﹂
すたこらさっさ。
﹁私と勝負しろ
﹁この泥棒猫
﹁にゃー﹂
ネメちゃんを返せ
﹂
﹂
本気を出したことなど数える程度、手加減しても名のある宇宙の荒くれ者共を一蹴し
≪赤毛のメア≫の二つ名で名を馳せた、その実力は賞金稼ぎとしても一流。
感情の赴くまま、殺到させる無数の剣群。
!
漏れ出た欠伸を噛み殺し、そんな態度が更なる怒りを増長させる。
少年。
もう一人は辟易とした表情を隠そうともせず、貫かれた羽毛枕に思いを馳せる金目の
一人はその顔を憤怒に染め上げ、刃へ変身させた髪を振り回す赤毛の少女。
トランス
未明の彩南町を縦横無尽に飛び交う二つの影。
!
!
!
﹁ふざけるなぁ
ヘイキ
248
てきた。
慢心していたと問われればその通りであり、それを許される実力が、メアにはあった
から。 だが、それは地球でいうところの井の中の蛙だったのだ。
降り立ったのは、夜の彩南高校。
﹁だからさぁ、何度も言ってんだろ﹂
圧倒的戦闘経験値から導き出される先読みは、もはや未来予知の領域に達していた。
メアの攻撃は悉く空を切り、一度だってトレインを捉えることは叶わない。
に。
超硬度を誇る装飾銃も使わず、≪桜舞≫のような特別な技術を用いた訳でもないの
少なくとも、地球に降り立つ以前までは。
本物の強者を、メアは知らない。
﹁よっ、はっ、そいやっ﹂
249
屋上に着地し睥睨してくるメアに、トレインは道中繰り返してきた説明を口にする。
﹂
なもんだ。俺はただの仮宿、分かる
この先もずっとそうなんだ
﹂
今ま
お前なんかが奪っていい
私を導いてくれたのは
﹂
!
理解してく
≪ 変 身 融 合 ≫の依代なら私が適任だ
トランスフュージョン
﹁ネメシスが俺の中にいるのは、自分を維持するエネルギーがなくなったからで一時的
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
トランス
ネメちゃんだけなんだ
奪わせてたまるか
!
!
今のメアは、独りぼっちで迷子になってしまい泣き喚くただの女の子だった。
在。
メアにとって、ネメシスは母親であり、姉であり、友達である、そんな唯一無二の存
己の半身を失い、どうすればいいのか分からない。
孤独、不安。
ものなんかじゃない
れたのは 一人だった私の居場所になってくれたのは
﹁私は変身兵器だ
!
!
!
!
でだってそうしてきたんだ
﹁だったら今すぐネメちゃんを出せ
?
!
!
!
!
ヘイキ
250
﹁ネメちゃんを返せ
トレイン=ハートネット
﹂
!
のに。
依代である彼は今、内に眠るネメシスとコンタクトを取っていると、そう思っていた
だ。
隙だらけのトレインにメアが仕掛けないのは、彼の行動の意味を理解しているから
意識を集中させ、己が心に呼びかける。
メアの慟哭に、トレインはゆっくりと目を閉じる。
!
ません﹂
その言葉が、メアの逆鱗に触れる。
!!
いつの間にか握られていたのは、長大なバスターライフル。
﹁ふ⋮⋮ざ、けるなぁああああああああ
﹂
﹁おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかり
251
相変わらず質量保存の法則など無視して生み出された銃口が光り輝き、直後に発射。
圧縮されたエネルギーの塊が、一瞬でトレインへと到達。
﹂
耳を劈くような爆音が鳴り響き、発生した粉塵が視界を覆い尽くす。
﹁うわああああああああああ
メアのライフルに弾数などという概念はなく、本人の体力が続く限り連射は可能。
激音が鼓膜を蹂躙し、着弾と同時に伝わる衝撃が屋上を、学校全体を揺らす。
続けざまに二発、三発と打ち込んでいく。
!?
ライフルを支えに、徐々に晴れていく粉塵の中心点を凝視する。
足元が覚束ないのは、≪変身≫の使用回数の限界すら突破したからか。
トランス
珠のような汗を額に浮かべ、乾いた口腔に酸素を満たそうと喘ぐ。
即ち、打ち止めはメアの体力の限界を意味していた。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮っ﹂
ヘイキ
252
﹁相変わらず、随分と感情豊かな兵器じゃねぇの﹂
二度目だ。
心が折れる音を聞いたのは。
猫 ≫にとって歯牙にも掛ける必要もない
それでも、メアは決して膝を折ることはしない。
﹁⋮⋮⋮⋮返して﹂
い。
心身ともに限界、いつもなら内から聞こえてくるネメシスからの励ましの言葉もな
のだ。
賞金稼ぎ≪赤毛のメア≫の全力は、≪ 黒
ブラックキャット
完全な無手、装飾銃を抜いた様子すらない。
爆心地のような屋上に、トレインは埃すら纏わず無傷で立っていた。
﹁地球人のガキ一人殺せねぇなんて兵器としてどうよ。欠陥品もいいところだぜ﹂
253
﹁⋮⋮返して⋮⋮お願い、だから⋮⋮返して⋮⋮﹂
折れる心があるのは、ネメシスが与えてくれたから。
剥き出す感情があるのは、ネメシスが与えてくれたから。
心が折れても、剥きだす感情が朽ちても、ネメシスと過ごしてきた思い出が、楽しかっ
た日々が、メアを支え続ける。
一歩、また一歩。
トレインとの距離を詰め、縋るように必死になって手を伸ばす。
掛け替えのない大切なものを取り戻すために、メアは足掻き続ける。
同時に意識を失っていく時、メアはその声を耳にした。
そして、限界を超えたメアの体は、ゆっくりと崩れ落ちていく。
だけど、≪精神侵入≫するだけの余力は、今のメアにはなかった。
サイコダイブ
伸ばした手が、トレインに触れる。
﹁私から⋮⋮ネメちゃんを⋮⋮奪わないでよぉ⋮⋮っ﹂
ヘイキ
254
朽ちかけの襤褸切れを纏い、瓦礫の中をあてもなく彷徨っていたメアは、彼女と出
壊れた培養カプセル。
壊滅した研究所。
﹁お前、名はなんというんだ﹂
彼女についての一番古い記憶は、金色の瞳だった。
◆ ◇ ◆ ◇
抱き留められたトレインの腕の中で、メアは静かに気を失った。
優しい声音、心地よいぬくもり。
﹁⋮⋮ホント、感情豊かな兵器だな﹂
255
会った。
﹁⋮⋮名前って
﹂
﹁⋮⋮了解、マスター﹂
﹁よし、お前は今日からメアと名乗れ。私もネメシスと名乗るからな﹂
頷いた後、高台から降り立った彼女は、メアと向き合った。
の付けた名で呼ぶのは思うところがあるが、この際致し方があるまい﹂
﹁イヴ⋮⋮いや、奴の名を拝借する訳にもいくまい。となると、識別名か⋮⋮科学者ども
高台で屹立する彼女を、メアは何をするでもなく淡々と見上げ続けた。
顎に手を添え、思考すること暫く。
﹁ふむ⋮⋮なるほど。お前は私と同様、名無しなのだな﹂
?
﹁⋮⋮別に、どっちでも同じだから﹂
﹁むっ、何故ネメシスと呼ばぬ。せっかく付けたのに﹂
ヘイキ
256
彼女が口にしたように、所詮自分と他を識別するための呼び名だ。
自分が何者なのかも分からない、この先どうすればいいのかも分からない。 だから、彼女を頼ろう。従おう。命令されてば、その通り実行すればいい。 そういう存在をマスターと呼ぶのだと、己の中の知識が教えてくれたから。
?
﹁悪くない⋮⋮素敵な響きだとは思わないか
﹂
転がすように反芻し、納得したのかメアへと向き直った。
知識でしか存在しないそれが、今の彼女が浮かべているものだと、自然と理解する。
笑顔。
﹁ネメちゃん﹂
再び思案顔になった彼女だが、ふと表情が綻んだ。
﹁マスターなどという呼び名は味気なくて面白みに欠けるな。ふむ⋮⋮﹂
257
﹁⋮⋮素敵
﹂
﹂
?
トランス
先程みたいに、笑って欲しくて。
見ていて、何故か胸が締め付けられたから。
悲しみ││。
でも、彼女が浮かべている感情なら知っている。
だ﹂
﹁強いて言うなら、未練だよ。変身兵器を愛称で呼ぶ、あいつの真似事がしたかっただけ
差し伸べられた掌の意味を、メアは知らない。
﹁なに、さしたる意味はないさ﹂
﹁⋮⋮どうして、親しみを込めるの
﹁これは愛称と言ってな、親しみを込めて呼ぶ特別な名前なんだそうだ﹂
?
﹁⋮⋮ネメちゃん﹂
ヘイキ
258
ギュッと握った彼女の掌は、温かかった。
口遊んだ響きは、心地よかった。
だからもう、寂しいとは感じなかった。
身も心も彼女と一つになれたから。
自分は一人ではない。
﹁⋮⋮素敵﹂
恐怖はなかった、拒絶しようとも思わなかった。
空っぽだったメアという器が、彼女によって満たされていく。
識する。
病的な白さだったメアの肌が闇色に染まっていき、己がうちに異物が入り込むのを認
その言葉を残して、彼女の体が闇へと解けていく。
﹁⋮⋮やはり、悪くないな﹂
259
◆ ◇ ◆ ◇
心地よい振動に、メアの意識はゆっくりと浮上していく。
埋めていた何かから顔を上げ、何時もより若干高い視線に首を傾げる。
両足が地面を捉えず、視界は絶えず上下し、胸越しに伝わるぬくもりを離し難かった。
﹁重い﹂
目覚め頭にそう宣う、その声に。
自分の置かれた現状を理解して、拒絶しようと心が抗う。
だが、自分の意思は無情にも、脱力した肢体を動かすことは敵わない。
トレインに背負われ、帰路に就くその行動に、メアは抗うことが出来なかった。
がらおんぶってなんの罰ゲームだよ。なんで勝者が敗者の面倒見なきゃいけねぇんだ
﹁女抱えて軽いとかほざく奴はアレだね、強がってるだけだね絶対。骨折した腕庇いな
ヘイキ
260
よ。お前もそうは思わねぇか、メア
﹂
?
?
うし、散々だったわ﹂
害するぐらいには元気だったよチクショウめ。おかげで姫っちやミカンから逃げ損な
﹁元気過ぎんだよあんにゃろうは。死にぞこないのくせに火事場の馬鹿力で俺の動き阻
言葉に不安を乗せ、受け取った声にトレインは鼻を鳴らす。
それだけが、ずっと気掛かりだった。
﹁⋮⋮ネメちゃん、元気してる
﹂
既に勝敗は決し、駄々を捏ねても意味はないと、どちらも理解しているのだ。
憎まれ口を叩き合い、それでも争いには発展しない。
﹁トイチにすんぞこの野郎﹂
﹁⋮⋮ケチンボ﹂
﹁お兄さん無賃乗車は許しません。この貸しは近日中に利子つけて請求します﹂
﹁⋮⋮知らない﹂
261
ざまあみろと内心ほくそ笑んだ。
気掛かりだった心配事が消え、途端に疲れが押し寄せる。
ぽふっと顎を預けたのは、意外と柔らかな髪質のトレインの後頭部。
息を吸う度に香るお日様の匂いは、あれほどあったトレインへの警戒心を削いでい
く。
﹁⋮⋮ネメちゃんは、黒猫くんのところの方が居心地がいいのかな﹂
﹁んだよ、藪から棒に﹂
だから、普段は頑なだったメアの心から、口にもしたくなかった本音が零れ落ちる。
い、楽しそうに笑うの﹂
メちゃん、楽しそうなんだ。その人のことを話すネメちゃんが一番素敵だと思えるくら
口じゃあ散々なこと言ってたし、言ってる本人は隠せてるつもりなんだろうけどね。ネ
﹁ネメちゃんね、よく私に聞かせてくれたんだ。昔、研究所で面白い奴がいたんだって。
ヘイキ
262
認めたくない。
メアにとって、ネメシスは一番の存在だから。
だから、ネメシスにとって、自分が一番ではないことが悔しくてたまらなかったから。
﹂
?
﹁はっ
まだ涼子ん家までだいぶ││﹂
﹁⋮⋮此処でいいよ﹂
精神侵入≫で覗き見たいと思うメアだった。
サイコダイブ
ど う し て そ う 物 事 を 曲 解 す る の か、そ ん な 価 値 観 を 育 ん だ ト レ イ ン の 過 去 を ≪
愕然とする鈍感男、その名はトレイン。
﹁⋮⋮どうしてそうなるのかなぁ﹂
﹁えっ、俺ってストーカーを自分に住まわせてるの
恥ずかしくて話し掛けられなかったんだと思うんだ﹂
﹁ネメちゃん、思ったことをそのまま言ってるようで、全然素直じゃないから。たぶん、
﹁⋮⋮まるで覚えがないんだけど﹂
﹁黒猫くんなんでしょ。ネメちゃんの大切な人って﹂
263
?
﹁此処でいい。体が癒えたら、この星から出ていくよ﹂
諦観の念が、メアを支配する。
持ちを尊重するだけ。私はもう、必要ないの﹂
﹁ネメちゃんの願いが、私の願い。ネメちゃんが黒猫くんと一緒にいたいのなら、その気
此処にいれば、また同じことを繰り返すだろう。
醜い嫉妬心に駆られ、トレインからネメシスを奪い返そうとするに違いないから。
トレインに嫌われるのは、耐えられるけど。
ネメシスに嫌われてしまったら、メアはきっと耐えられないと思うから。
﹁ごめんね、黒猫くん。ネメちゃんのこと、よろしくお願いします﹂
思考停止に陥るメアを置いてけぼりに、トレインは自分の意思を主張する。
間髪入れず、トレインが示したのは拒否の意。
﹁えっ、普通に嫌だけど﹂
ヘイキ
264
﹂
?
もせずに舌打ちを漏らす。
?
トランス
﹁⋮⋮私は、変身兵器なんだよ
﹂
本当に振り落とそうとするので慌ててしがみ付き、そんなメアにトレインは隠そうと
があんなら大丈夫だろ。俺みたいな幼気な少年に何時までもおんぶさせてんじゃねぇ﹂
﹁現在進行形で迷惑かけてる奴が偉そうに。つかいい加減降りろ。そんだけ喋れる元気
﹁⋮⋮いっぱいいっぱい、迷惑かけるかもだよ
﹁そしたらまた撃退するだけの話だ。お前の相手くらいなら片手間で十分だからな﹂
﹁で、でも⋮⋮私はまた、黒猫くんを襲うかもしれないんだよ﹂
当り前のように口にされて、メアは言葉に詰まる。
のところだろうが﹂
じゃん。最初に言ったけど、俺はあくまでも仮宿なの。ネメシスの本当の居場所はメア
﹁ネメシスにも言ったけど、お前等色々と重いんだよ。一緒にいたいんならいりゃいい
265
﹁なんだ。まだ兵器ごっこやってんのか﹂
﹁私は真面目にっ﹂
﹁お前がどう思おうが知るか。俺の中じゃあ、メアはとっくに兵器失格なんだから﹂
湧いてくるのは、理解不能な未知の感情。
﹂
兵器としての在り方の、メアのこれまでを否定する言葉に、以前のような怒りは湧い
てこない。
メアには、トレインという人間が理解できなかった。
﹁だから、今度は人間ごっこでもやってみろよ﹂
﹂
だから当然、その提案の意味も理解できるわけもない。
﹁⋮⋮え
﹁⋮⋮面白いの
﹂
﹁だから、人間ごっこ。俺の周り限定だけど密かなブームになってんだ﹂
?
?
﹁俺が知る訳ねぇだろうが。人間が人間ごっこってなんだよ。新手のイジメ
?
ヘイキ
266
﹁⋮⋮する意味ってあるの
﹂
?
﹁⋮⋮無理だよ﹂
?
﹁無理じゃねぇ﹂
﹁⋮⋮どうして、そんな風に言い切れるの
﹂
ネメシスの依代ではないメアは、生まれて初めての孤独を味わっていた。
どうしてか、不安に駆られてしまって。
﹁最初はごっこ遊びでも、そのうち遊びじゃなくなる。兵器は人間になれるんだ﹂
うで。 人々の寝静まった彩南町にいるのは自分達だけだと、そんな錯覚すら抱いてしまいそ
月明かりに照らされた夜半、人の影は完全に皆無。
帰路に就くトレインの足取りは、最初と変わらず一定のペースを刻む。
﹁あるよ﹂
267
振り返った時、メアが見たのは金色の瞳だった。
トランス
ネメシスと同じ、優しさを宿した素敵な色だった。
ら﹂
﹁知ってるからだよ。メアと同じ変身兵器で、人間になった女の子を、俺は知ってるか
だからだろうか。
寂しくて、不安で、孤独に耐えきれなくなって。
今まで肩に置いていた両手を、トレインの首に回す。
彼の存在をより感じられるよう、二人の間に空いた隙間を埋めるように強く密着す
る。
トレインは、あたたかかった。
﹁⋮⋮なれるのかな﹂
ヘイキ
268
トランス
﹁クロちゃん﹂
トレインの優しさは、反則過ぎた。
不意打ちなんて卑怯だ。
女で子供な自分にも、全然容赦しなかったくせに。
今ままでずっと、辛く当たってきたくせに。
いい﹂
﹁なれるかどうかはメア次第。だから、此処で頑張ればいい。好きなだけ、此処にいれば
溢れだす涙は、止まってはくれなかった。
自分は一人ではないんだと、そう思えたから。
温かくて、心地が良くて、酷く安心できて。
﹁変身兵器な私でも、人間になれるのかな﹂
269
必死に隠そうと堪えた嗚咽が零れ、鼻を啜り、声は掠れる。
それでも、伝えたいことがあった。
﹁親しみを込めて呼ぶ特別な名前。今日から黒猫くんは、クロちゃんだよ﹂
好きの反対は、無関心。
好きと嫌いは、コインの表と裏。
メアは、トレインが大嫌いだったから。
﹁よろしくね、クロちゃん﹂
だからメアは、トレインが大好きになっていた。
大嫌いと大好きは、表裏一体。 ﹁おう。よろしくな、メア﹂
ヘイキ
270
故に、ティアーユが用いたのは、トレインの体にナノマシンを移植するという施術
現代医学では、とてもではないが治療不可能なほどの深い傷。
致命傷を負ったトレインを治療してくれた。
革命組織≪星の使徒≫のリーダー、クリード=ディスケンスとの抗争に巻き込まれ、
ナノマシンの世界的権威である天才女史、ティアーユ=ルナティーク。
思い出すのは、深い悲しみに彩られた彼女の顔だった。
││出来うる限りのことはしました。
ぎて。
それでも、トレインを知る者にとって、彼の存在を欠いた世界は、あまりにも違い過
一人の存在を欠いたからといって、世界に大きな変化など起こりうるはずもない。
季節は一巡し、日は昇り沈み、月は満ち欠け、時間は変わることなく過ぎていく。
トレイン=ハートネットが失踪して、1年が経った。
ニチジョウ
271
ニチジョウ
272
だった。
手術は無事終了、それでも成功は五分五分だったそうだ。
しかし、その結果を待たずして、床に臥していたトレインは姿を消してしまった。
トレインが危篤だという情報を聞きつけ、ティアーユの隠れ家を突き止めた時、彼女
は泣きながら謝罪をしてきたのを今でも鮮明に覚えている。
自分が強ければ、庇われなければ、もっとトレインをしっかりと見ていればと。
││私が余計なことをしなければ、あの人は傷付かずにすんだの
本来ならば忌むべき異能、それでも親しい者を護れればと思って受け入れた優しい
う結末。
その結果が、クリードの怒りに触れ、イヴに凶刃を向け、それをトレインが庇うとい
をした。
だが、≪変身≫と呼ばれる異能を有していたイヴは、良かれと思ってトレインの加勢
トランス
イヴもティアーユ同様、クリードとの抗争に巻き込まれた被害者の一人だった。
ティアーユの遺伝子を基に生み出されたクローン体、イヴ。
思い出すのは、空虚な赤い瞳でこちらを見上げる、幼い彼女の顔だった。
?
273
力。
間接的にとはいえ、トレインが傷付く原因を生み出したイヴは、以降心を閉ざしてし
まった。
しかし、普段は人形のように無感情だった彼女が、眠っている時だけ感情を露わにす
るのだ。
ごめんなさいと、どうしていなくなったのと、わたしがいなければと、生まれてこな
ければと。
絶望、後悔、悲愴││そんな感情を浮かべ、届かぬ言葉を口にしながら涙を流すのだ。
紳士の名に懸けて 俺はまだ奴に礼すら言えてねぇ
!
││絶対に見つけてやる
んだぞ
!
ころを、トレインに命を救われたと言っていた。
かつて、とある犯罪組織に捕まり、駆け付けたパートナー共々殺されそうになったと
国際捜査局≪IBI≫所属の捜査官、スヴェン=ボルフィード。
だった。
思い出すのは、激情のままに行方を晦ませた黒猫を草の根を分けて探す、捜査員の顔
!
裏世界を牛耳る秘密結社≪クロノス≫と、表世界の正義の番人である≪IBI≫。
表と裏、両方が手を組んだからこそ、今までトレインを捕捉することが出来たのだ。
だからこそ、ティアーユに治療を施されたのを最後にトレインの行方が掴めないこと
の意味。
一人、また一人と捜査の手がなくなっていく中、彼はなおもトレイン捜索に尽力して
いた。
自分を、パートナーの命を救ってくれたことの礼を言う、その想いを糧にして。
門
明王の進撃を阻めるのは、限られた力ある存在だけだった。
空間を越えて離れた場所への移動を可能にする≪GATE≫。
力
力場を操る≪GRAVITY≫。
重
様々な特性を持った大小様々な大きさの虫を生み出す≪INSECT≫。
蟲
空が啼いている、風が悲鳴を上げている、動物どころか虫一匹ですら姿を消していた。
絶海の孤島を、一人彼女は歩いていた。
そして、セフィリア=アークスもまた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ニチジョウ
274
空
気
撃
歪
世
界
自身の想像した空想の世界へと対象を落とす≪WARP WORLD≫。
空気を操る≪AIR≫。
銃
銃に氣を送り込み、弾丸として放つ≪SHOT≫。
腐
敗
複
写
魂を放出して、それに触れた者の容姿、頭脳、力を自分のものにする≪COPY≫。
凍
結
触れた者から生気を奪い、一瞬で腐らせる≪ERODE≫。 氷の礫を飛ばしたり、触れた相手を凍結させる≪FREEZE≫。
だが、出来るのは阻むことだけだった。
一時の障害には成り得ても、それ以上のことを成すことは出来ない。
彼等は弱過ぎた。
だからこそ、セフィリアが焦がれた彼の強さがより浮き彫りになってしまう。
絶対不可避だった筈の必殺技ですら、彼には届くことはなかった。
そのことを悔しく想い、同時に嬉しいとも思っていたのだ。
自分の憧れた背中の遠さを痛感し、その背中の逞しさに恋い焦がれたのだ。
でも、目指した背中はもういない。
﹁やぁ、久しぶりだね﹂
275
全ては、過去の話に過ぎなかった。
﹁いつ以来だろう、こうして顔を合わせるのは。ねぇ、セフィリア=アークス﹂
古城の玉座に座ったまま、彼は悠然とこちらを見下ろした。
華美な装い、煌めく銀の髪、彼の醸し出す雰囲気はまさに王の風格。
だが、かつては野心に染まった瞳には、爛々としていた光がない。
あれだけ嫌悪していたセフィリアにさえ、語り掛ける声音は慈しみすら宿していた。
よ。僕達はいつもいがみ合っていた。互いに譲れないものがあったから、そのために引
﹁懐かしいな。でも、随分と昔のことの筈なのに、今でも昨日のことのように覚えている
くことをしなかったんだ﹂
セフィリアは答えない。
クリードは構わず喋り続ける。
﹁でも、そんな僕等の間に、彼はいつも割って入ってくれたんだ。仲を取り持って、時に
ニチジョウ
276
は叱ってくれて⋮⋮僕はね、セフィリア。君が彼に恋慕を抱いていたように、僕は彼に
友情を感じていた。君が僕に彼を盗られたくないと思っていたように、僕も君に彼を盗
られたくなかったんだ﹂
異常な緊張感に、場が張り詰めていく。
クリードが口を開くたびに、≪彼≫を語る度に。
セフィリアの脳裏に、かつての光景が蘇ってくる。
一年という時が経ち、徐々に色褪せてしまう記憶が、クリードの言葉で補強されてい
く。
それが、どうしようもなくセフィリアの心を刺激していく。
握り締めた≪クライスト≫の柄から赤い血が滴り落ちた。
無意識に食い縛った歯から呻き声が漏れる。
心がどうにかなってしまいそうだった。
るよ﹂
﹁ははっ⋮⋮僕達、実は似た者同士だったんだね。だからかな、君の気持ちが僕には分か
277
﹁⋮⋮逢いたいな、トレイン﹂
その言葉で、限界を迎えた。
﹁││││﹂
一瞬だった。
瞬きすら挟む間もない、そんな間隔を経て、クリードの体が消し飛んだのは。
首から上を残し、玉座から転がり落ち、室内を静寂が支配する。
かと思えば、次の瞬間には失った筈の体が元通りになり、クリードは何事もなかった
ように立ち上がり、俯けていた顔を上げ││
直後には、再び四肢が消し飛んだ。
セフィリアはいつの間にか≪クライスト≫を突き出したまま、首だけの存在を見下ろ
した。
﹁感謝します、クリード=ディスケンス﹂
ニチジョウ
278
≪アークス流剣術≫、終の第三十六手≪滅界≫。
突きの壁で逃げ場を奪い、眼にもとまらぬ刺突の連射が痛みもなく対象を絶命させる
奥義。
だが、それは過去の話。
予備動作や過程すら挟まず、≪死≫という結果だけを残す、極限まで突き詰めた動作
や流麗な体捌きが可能にした、感知も予測もさせない究極奥義。
過去に一人、≪滅界≫が通用しないのは、セフィリアが最強だと信じる彼だけ。
ゴッドブレス
だが、今となってはもう一人、≪滅界≫を受けても死なない存在が、目の前にいた。
愛剣≪クライスト≫がブレる度にクリードの体が消し飛び、次の瞬間には再生され
≫││。
再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界
ることができる﹂
が、あなたは蘇り続ける。百回でも、千回でも、幾万幾億でも、私はあなたを殺し続け
﹁不死のナノマシン、≪G.B≫。その力であなたは不死となった。つまり、幾ら殺そう
279
る。
終わりの見えない無限ループに、しかしセフィリアは作業のように淡々とこなす。
そこに、彼女が焦がれ、目指した剣はなかった。
死よりも生を持って罪を贖わせる、そんな彼の、セフィリアの理想などどこにもな
かった。
感情の赴くまま、行き場をなくした力を闇雲に振るう、そんな光景だけだった。
曇天の空、ジメジメと不快な空気、薄暗い室内。
◆ ◇ ◆ ◇
愛する者を奪われたセフィリアは、復讐の刃を振るい続けるのだった。
憎悪と殺意。
﹁死でも償えない、永遠の苦しみ。そんな不吉を、私は届けに来たのです﹂
ニチジョウ
280
そんな中でも、彼女の黄金色の髪は輝きも清涼感さえも失うことはない。
最上級の角度まで下げ、顔を上げた後は相手の目を見て反らさず。
謝罪の後、一礼。
﹁ごめんなさい﹂
る。
羞恥に赤く染まった頬をふんすと鼻を鳴らして誤魔化し、鏡の自分を彼だと仮想す
す。
背中を確認しようとスカートを翻し、覗きかけた純白の布地に慌てて裾を抑えて隠
解れはないか、皺になっていないか、身嗜みを入念に確認。
新。
同じ黒を基調としたものだが、普段着だった戦闘服とは趣の異なる部屋着で気分を一
鏡の前に立ち、左右それぞれの髪を結い上げ、準備万端。
﹁⋮⋮よしっ﹂
281
﹁先日の温泉での一件、非はこちらにあります。頭に血が昇ったとはいえ、それが暴力を
振るっていい理由にはなりません。本当にご迷惑をおかけしました﹂
そして、締めにもう一度頭を下げる。
そっと覗き見た、鏡の中の仮想相手は一瞬ポカンとするが、次の瞬間には笑って言っ
た。
││≪気にしてねぇよ。でも、もうすんじゃねぇぞ≫と。
果たして、それはヤミの希望的観測なのか。
でも、例え怒られたとしても、それはそれで構わない。
温泉での一件以来、気まずくなった関係を元通りに出来るのならば。
邂逅一番に暴力など、トレインと再会した時の二の舞ではないか。
温泉での一件など、一夜明ければ簡単に忘れてしまえただろうに。
昔のような、素直な自分になれたのなら。
﹁⋮⋮トレイン﹂
ニチジョウ
282
何も成長していないと、ここ最近で数え切れないほどついた溜息を零す。
ず。
躓く程度のなだらかな丘は、息を呑むような彼女の急勾配な双丘とは比較にもなら
再生されかけた映像を頭を振って追い出し、そっと触れたのは己の胸部。
不意に湧いた、どす黒い衝動にはっと意識を戻す。
﹁っ⋮⋮﹂
確かに触れた彼女の唇、見たこともないほど赤くなった、彼の頬││
て。
成熟した大人の肢体、タオルでは隠しきれない巨大な双丘、そんな彼女が顔を近付け
姿を消した美柑とセフィを探し、周囲を歩き回っていて、ようやく見つけて。
不意に脳裏を過る、温泉での光景。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
283
﹁⋮⋮大きい方が、好みなのでしょうか﹂
現実から目を反らすように、鏡を後にし自室の扉を潜り抜けた。
外見こそ不気味だが、内装は小奇麗な洋館は見た目通りの巨大な規模を誇る。
涼子がヤミの滞在を二つ返事で了承してくれたのは、その圧倒的な空き室にあった
が。
目的の部屋は、廊下を挟んだ向かい側、目と鼻の先にあった。
右を確認、左を見て、再度右へ。
廊下に自分以外誰もいないことを確認後、手櫛で身嗜みの最終確認。
頭の中で何度も行った謝罪をシミュレートし、煩く暴れ狂う心臓を落ち着けようと深
呼吸。
﹁トレイン││﹂
ノックしようと伸ばした手が、寸でのところで止まる。
﹁おはよう、クロちゃん﹂
ニチジョウ
284
﹁⋮⋮私も一応起きているのだがな、メアよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
?
えへへ∼﹂
?
のだった。
部屋を間違えたかと思ったが、扉に掛かった黒猫印のプレートは確かにトレインのも
一つは聞き覚えがあるが、もう一つは初めて耳にした、恐らくは女性の声が二つ。
﹁え、そう
たようだな。正直見違えたぞ、メアよ﹂
﹁くくっ⋮⋮私の寝ている間になにがあったかは知らんが、随分とトレインには毒され
﹁⋮⋮ネメちゃん
﹂
﹁うん、じゃあ許す﹂
﹁⋮⋮すまん﹂
﹁心配した。すっごく、心配したんだから﹂
││﹂
の顛末は聞いたが、別に無視をしていたわけじゃない。単純に声が届かなかっただけで
﹁⋮⋮あのな、私とて一度は消滅寸前までエネルギーを消耗した身だったんだぞ。昨夜
﹁ふんだ。お寝坊さんなネメちゃんなんか知らないもん﹂
285
即座に気配を殺し、音を立てぬよう扉を開き、中を盗み見る。
﹁ところでネメちゃん。さっきからクロちゃんが動かないんだけど﹂
﹁おお、ようやく動き出したぞ。それと、慌てて服を着ているかの確認をし出したな。安
心しろトレイン。裸なのは私で、お前はちゃんと服を着ているぞ。何の問題もない﹂
﹁なんかゾクゾクしちゃうな。昨日のきりっとしたクロちゃんも素敵だけど、こういう
クロちゃんもそれはそれで⋮⋮﹂
当にトレインはおかしな奴だな。だが、嫌いではないぞ﹂
﹁人の裸を拝んでおいて平気な顔をしているかと思えば、妙なところで慌ておって。本
あっ、それとこれは⋮⋮ミルク
甘くて素敵な香り。ペロペロしていい
﹁えっ、じゃあこの人が私のお姉ちゃん
﹂
?
﹂
﹁私も好きだな。知ってる、ネメちゃん。クロちゃんってお日様の匂いがするんだよ。
扉を粉砕する勢いで開け放った。
?
﹁おお、金色の闇ではないか。温泉以来だな﹂
ニチジョウ
286
?
褐色肌に金目の幼子。
赤毛をおさげにした少女。
﹂
一人は裸でもう一人は下着丸出し 非常識
言いたいことは色々あったが、ヤミがなによりも優先して告げねばならないことは。
です
﹁な、なな何なのですかあなたたちは
!?
﹂
!
泣きそうな声で語りかけてきたトレインに条件反射で返し、 ﹁なんですか
﹁⋮⋮姫っち﹂
トレインの教育上よろしくないと、お姉さん思考に染まったヤミの思考は、
怒髪天を衝く勢いで、火照った頬など気にする余裕もなくズンズンと進撃。
ば。
だが、薄手のシャツに縞パンな赤毛の少女と褐色の肌を晒す全裸な幼子には物申さね
パジャマにナイトキャップな恰好で凍り付くTHE・寝起きなトレインは問題ない。
!
!
287
﹁俺、汚れてないよね
﹂
﹂
涼子所有の洋館は、今日も変わらず穏やかで平和で賑やかだった。
意味不明な問いかけに、ヤミは絶叫で返す。
!!
?
﹁なにを言っているのですかあなたは
ニチジョウ
288
ナカナオリ
﹁美柑ちゃんは好きな男の子っていないの
﹂
だ、だからリトはそんなんじゃ││﹂
!?
﹁⋮⋮サチちゃんはおませさんなだけじゃない﹂
じゃなくて、せめてあたしくらい大人っぽくないと﹂
﹁マミじゃムリムリ。なんてったって美柑は魔性の女なんだから。マミみたいなお子様
いから美柑ちゃんみたいにモテモテになりたいなー﹂
﹁この前も大好くんや小菅くんにラブレター貰ってたもんね。良いなー、私も一度でい
﹁ちょ
て眼中にないもんな﹂
﹁そうそう。美柑には素敵なお兄ちゃんがいるから。いつも騒いでるお子様な男子なん
﹁何度も言ってるけど、いないものはいないよ﹂
その上、美柑が最も苦手とする話題の前兆に、気持ちは更なる落ち込みを見せる。
空気はジメジメ、肌はベトベト、気分はドンヨリ。
?
289
﹂
﹁なんだとー
﹁きゃー
﹂
!
同時に、ここ最近胸の内に溜めこまれた悩みについて、どうしようかと溜息を零す。
大量に貯め込まれた水分は、今にも自分達の頭上に吐き出されてしまいそうだ。
追いかけっこを始める友人、サチとマミを尻目に、見上げた空には分厚い八雲。
学校からの帰り道。
!?
温泉地での一件では、恩を仇で返すような仕打ち。
前なのに。
トレインに助けられ事なきを得て、本来ならばお礼の言葉の一つでも紡ぐのが当たり
リトのようなエッチなとらぶるではない、命を奪い合うような本物のトラブル。
迷子になった彼女を探し、ようやく見つけた時、巻き込まれたトラブル。
思い出すのは数日前、セフィが地球に来訪した日。
﹁⋮⋮なんて言って謝ろう﹂
ナカナオリ
290
﹁⋮⋮嫌われちゃったかな﹂
言った途端、鼻の奥がつんとした。
ランドセルの肩紐を握りしめ、自然と足取りはゆっくりに、そして立ち止まる。
不意に零れた、ぽたっと落下した一滴。
見上げた空は相も変わらずの曇り空だけど、一滴だって雨粒は降っては来ていなかっ
た。
えばの話だけど、どこぞの赤毛がバスターライフル何十発もぶっ放したとか。例えばの
﹁一体何者の仕業なんだろうな。あれか、宇宙人が屋上でドンパチ繰り広げたとか。例
いた。
多量の湿気でも変わらぬボサボサ頭を逆立たせ、件の少年はニヤニヤと口角を上げて
そして見つけた、声の主は周囲の視線を独占していた。
その声に、美柑は瞬時に辺りを見遣る。
﹁おいメア、聞いたかよ。彩南高校の屋上、ぶっ壊れてんだってよ﹂
291
話だけれども﹂
﹁うっ﹂
人別にいるから﹂
赤毛で、所構わず銃弾ぶっ放す、癇癪持ちの女の子
メアの様子がおかしいぞ∼
﹂
?
﹁う⋮⋮ううっ⋮⋮﹂
﹁あれれ∼
﹁う∼∼∼∼∼っ
﹂
とか。あっ、何度も言うけどこれは例えばの話だから。俺の勝手な犯人像だから。真犯
﹁メアってば心当たりとかねぇの
?
﹁クロちゃんがイジメる∼∼∼∼っ
!!
﹂
?
咄嗟に他人のフリをしようとした美柑の判断は、実に正しいものと言える。
が、そんな彼女をイジメて愉悦に浸る小学校高学年男子な絵面も相当なものだった。
小学校高学年くらいの褐色肌の女の子に慰められるおさげな女子高生の図もあれだ
﹂
ちょっとネメシスさん。あなたのお子さん、躾がなってないんじゃございません
﹁あ ら や だ こ の 子 っ た ら。急 に 涙 目 に な っ て 怒 り 出 す な ん て ど う し た ん ざ ま し ょ う。
!
?
﹁おーよしよし、泣くなメア﹂
ナカナオリ
292
﹁お、ミカンじゃん﹂
つかミカン、お前って小学生だったのな。うわー、ランドセルとか懐かし
だが、他人のフリしよう作戦は空気を読まないと定評のある男には通用するわけもな
く。
﹁学校帰り
い﹂
﹁⋮⋮ミカン
﹂
﹂ まさかミカンの学校の屋上もリトの高校みたいな爆心地に⋮⋮
﹁えっ⋮⋮と、その⋮⋮﹂
﹁はっ
﹂
何を話せばいいのか、全くと言っていいほど心構えのなかったが故のパニック状態。
温泉での一件以来、久しぶりの再会。
ズンズンと距離を詰めるトレインに、美柑は先程とは違った意味で逃げたくなった。
?
﹁クロちゃんのバカー
!?
﹁犯人マジ許すまじ﹂
!
!
?
293
﹁イジワル人間
性格破綻者
﹁うが││││││っ
﹂
黒猫
トランス
﹁はっはっは、もっと褒めろ﹂
!
﹂
!
トランス
﹂
どう
!
ねえったら
!
他校の子 というか美柑の知り合いだよね間違いなく
何事かと振り返ってみれば、物凄く嫌な予感のする表情を浮かべた友人二人がいた。
重み。
どうやってトレインに謝ろうかと思考をフル回転させた時、ポンっと両肩に置かれる
ともかく、一時とはいえ与えられた考える時間。
の関係者かなにかなのだろうか。
というか、あの赤毛のおさげな人は普通に≪変身≫能力を使っているが、もしやヤミ
かった。
ヤミという前例のせいか、遠目でヒソヒソとされる程度で通報などされることはな
街中でも構わず使われた≪変身≫だが、此処はかの彩南町だ。
!!
!
?
﹁えっと⋮⋮﹂
どうなのよ美柑
!
?
ほらほらとっとと白状しなさいよ
!
﹁あの男子って誰
いう関係
!
ナカナオリ
294
そ、それに結城じゃなくて美柑って下の名前で、しかも呼び捨て⋮⋮うわっ、う
﹁学校のマドンナな美柑ちゃんにあんな風に普通に話し掛けれる男の子って私初めて見
たよ
わー
﹂
﹂
!?
﹁さ、サチ
マミ
慌てふためく美柑の前で次の瞬間、まるでスイッチが切れたように二人が脱力する。
片やキラキラと、片や真っ赤な顔で詰め寄られては逃げられるわけもなく。
しかも、相手は数多の男子から好意を寄せられながらも浮いた話皆無な美柑。
日頃からこの手の話題には目のない二人だ。
!? !
﹁⋮⋮ネメシス、さん
﹂
﹁ご名答。困っている様子だったからな、いらぬ世話だと思いつつも加勢したというわ
?
ぎょっとする美柑の前で、周りから死角になる位置から金の瞳が姿を見せた。
ぞわっと、肩口ほどで切り揃えられたマミの黒髪が蠢く。
﹁││心配はいらんよ﹂
!
295
けだ﹂
﹁二人は⋮⋮﹂
﹁心配はいらんよ。すぐにでも目を覚ますだろうさ﹂
ほっと胸を撫で下ろすが、なおもネメシスの瞳は美柑に固定されていた。
訝しむ美柑に、ネメシスは小さな嘆息を零す。
﹂
﹁⋮⋮先程の件も合わせて、これで貸し借りはなしだ﹂
﹁えっ
える。
トランスフュージョン
暫く固まるメアだが、すぐに踵を返すとこちらに近付き、意識を失っている二人を抱
そのまま追いかけっこをするメアの体に憑依すると、ピタリと諍いは収束した。
答えを聞く前に、マミとの≪ 変 身 融 合 ≫を解除し、見慣れた子供の姿に。
﹁今日限りの出血大サービスだからな﹂
?
﹁じゃあ、そういうことだから﹂
ナカナオリ
296
﹁えっ、え
﹂
?
﹂
?
﹂
!
!
!
遠ざかる赤いおさげに、美柑の心境は見知らぬ土地に置いてけぼりをくらった幼子な
静止の言葉を投げ掛けようとするも、メアは聞く耳持たずにスタコラサッサ。
そして、事態は既に取り返しのつかないところまで来ていて。
願いね
﹁クロちゃーん この子達は私達が家まで送るから クロちゃんは美柑ちゃんをお
を悟る。
状況についていけず置いてけぼりな美柑は、次のメアの言葉でようやく彼女達の意図
くるりとメアは反転。
﹁⋮⋮どういたしまして
﹁そっか。ありがとね、美柑ちゃん﹂
﹁えと、その件はその、ネメシスさんが謝ってくれたから⋮⋮﹂
で﹂
﹁あ、ちなみに私の名前はメアだよ。それとごめんね、ネメちゃんが迷惑掛けたみたい
297
気分。
﹁⋮⋮あいつ等、二人の家の住所とか知ってんのか
ついこの前は命を狙う死神だったのに。
﹁降ってきたな﹂
◆ ◇ ◆ ◇
﹂
今となっては幸運の女神が遠ざかっていくように思える美柑だった。
?
メアとネメシスのお節介で謝罪の機会は得られたものの、口火を切ることが出来ず。
溜めこんだ水分を吐き出す雨空を見上げながら、そんなことを思った。
神は死んだ。
﹁⋮⋮うん﹂
ナカナオリ
298
こんな時でも足は自然とスーパーに向かい、買い物を済ませる辺り、自分も相当に所
帯染みてるなと思う、小学生で六年生な11歳、その名は結城美柑。
謝罪方法に迷走していたが故の問題の先延ばしとしての寄り道だったが、当然のよう
にトレインは付き合い、更には自分は何も持っていないからと買い物袋を持たせる結果
に。
気まずさと後ろめたさ、積み重なる負債は美柑の口を余計に重くしていた。
﹁⋮⋮うん﹂
﹁借りパクってありだと思う
﹁⋮⋮うん﹂
﹁駄目だこりゃ﹂
?
ただでさえ先日の一件では大迷惑を掛けたのに、今日は今日で荷物持ちなんて不当な
嘆息を零すトレインに、何か不始末でもしてしまったのかと焦ってしまう。
﹂
﹁俺、傘持ってきてねぇんだ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁やみそうにねぇな﹂
299
扱い。
﹁えと⋮⋮そ、そのっ⋮⋮﹂
思考はぐちゃぐちゃ、呂律は回らず、雨もやむ気配を見せない。
とにかく何かを口から紡ぎ出そうと、必死になって頭の中身を言葉にしようとする。
周囲に目を走らせ、じっとこちらを見詰めるトレインは傘を持ってなくて、このまま
﹂
ではずぶ濡れで、でも自分は傘を持ってて、だけど一本しかなくて││
﹁相合傘、する
いまなにをくちばしった。
?
首から昇ってくる熱に頭が沸騰し、顔が火でも浴びせられたように熱くなる。
吐き出した言葉を吟味し、理解した途端だった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ナカナオリ
300
﹂
もっと他に言い方があるだろうと、恐る恐るトレインの反応を伺う。
﹁やだっ、ミカンってば大胆⋮⋮
!?
﹂
﹁そ、そのことはもういいから
﹂
﹁優しく、してね
﹁なにを
?
忘れて
﹂
!
﹂
!
﹂
!
クネクネと身を躍らせ、気色の悪い言動を繰り返すトレイン。
﹁どうしてそうなるの
﹁もうっ、ホントはわかってるくせに。ミカンのハレンチさんっ﹂
!?
!
﹁間接キスで真っ赤になってたミカンはもういないのね。トレイン、ショック﹂
﹁トレイン君までサチみたいなこと言わないでよ
﹁小学生の身でありながら過激な発言。将来は魔性の女で確定ね﹂
﹁ち、ちがっ
﹂
最高に意地悪なニヤケ面をしていた。
!
301
揶揄われていると分かっていても、反論せずにはいられない。
だからこそ、止めたい一心で振り上げた拳に、熱くなった思考が急速に冷え込んでい
く。
拳を解き、胸に引き寄せ、何をやっているんだと自己嫌悪。
俯きかけた視線の先で、持っていた傘がヒョイっと掠め取られた。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁サンキュー、ミカン。傘は俺が持つからさ。相合傘、しようぜ﹂
頭上で花開く傘のように、トレインは純粋無垢な笑顔を咲かせる。
言われるがまま、ランドセルの肩紐を握りしめ、傘を開いたトレインの隣に寄り添っ
た。
雨の中、一つの傘に二人。
﹁⋮⋮うん﹂
﹁んじゃ、行きますか﹂
ナカナオリ
302
不意に肩が密着し、慌てて離れ、でも反対の肩が濡れてしまうからと距離を縮める。
もどかしいジレンマ。
謝りたいのに謝れない、そんな今の自分の心境を現す様な距離感。
隣を盗み見ても、トレインは気にする素振りすら見せずに淡々と前を向いている。
そのことが、どうしてか悔しいと感じてしまって。
大人っぽいとか、しっかり者だとか、ランドセルを背負う姿を意外に思われたように。
心赴くままに、自分のやりたいと思ったことを実行に移すその行動力。
良くも悪くも、トレインという存在は野良猫のようなものなのだ。
た時の記憶や命懸けで守ってくれた彼の背中を思い出す。
風上に立ち、勢いを増す風雨から壁になろうと肩を濡らすトレインを見遣り、出会っ
美柑が濡れないよう、傘をこちらに寄せていることには気付いていた。
でも、真っすぐなところとか、さっきみたいに素直にお礼を言えるところとか。
わらない。
イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
303
だけどそれは、見栄を張っているだけだ。
両親が共働きで、家にいるのはリトだけだったから、寂しくないと言われれば嘘にな
るから。
だから、敵を作らないよう、嫌われないようにと取った行動の結果が、今の自分の評
価。
家に帰った途端に、リトの前で隙だらけになってしまうのは、その反動。
人から拒絶されることを恐れる美柑には、野良猫気質なトレインが羨ましくて仕方が
なくて。
しまう。
トレインはそんな人ではないと知っているのに、もしもがあるかもしれないと思って
今まで築いてきた外面の強固さが、殻を破ろうと奮闘する美柑を阻む。
させる。
だけど、謝りたいけど、拒絶されるかもしれないという恐怖が、踏み出す一歩を躊躇
嫌われたくない、愛想を尽かされたくない、一人になりたくない。
﹁││││っ﹂
ナカナオリ
304
心細さと歯がゆさ、己の矮小さ、自分自身が大嫌いになってしまいそうで、
閃光、そして轟音。
漏れ出た悲鳴は落雷に掻き消され、横殴りに襲い掛かる風雨が肌を刺す。
僅かな痛み、急速に体温を奪う雨粒に、しかし美柑は何もできない。
﹂
抱き着いたせいか、傘を飛ばされたトレインの胸の中で震えることしかできなかっ
た。
﹁ご、ごめっ⋮⋮ごめんな、さい⋮⋮
情けない自分を、嫌いになるだろう。
﹁は、離れるから⋮⋮すぐに、退けるから⋮⋮﹂
トレインだって迷惑だろう、鬱陶しいだろう、早く離れろと思うだろう。
このままでは傘も拾えず、二人まとめてずぶ濡れ、風邪だって引きかねない。
離れなければと思うのに、震える両手はトレインの背中で固く結ばれて解けない。
!
305
﹁だから⋮⋮ご、めんっ⋮⋮﹂
嫌われる。
嫌われてしまう。
鬱陶しい奴だと思われる。
嫌だ。
そんなの嫌だ。
一人は嫌だ。
嫌われたくない。
嫌われたく││
││違う。トレインが覆い被さってくれているからだ。
冷え切った体が熱を取り戻す。
風雨が弱まる。
音が遠ざかる。
﹁大丈夫﹂
ナカナオリ
306
﹁俺がついてるから﹂
トレインは、笑顔だった。
﹁安心しろ、ミカン﹂
零になった距離を開き、濡れそぼった彼の金色の瞳を見詰める。
雨か、それとも涙なのかは分からないけれど。
あやすように、慈しみを込めて、美柑の背中を優しく叩く。
それでも、トレインは呟き続ける。
思い出したように響く落雷が恐怖を蘇らせ、より一層強くトレインにしがみ付く。
まった。
口から漏れ出された言葉は、次の瞬間には形になることなく雨の音で掻き消されてし
呪文のように、耳元で囁かれる言葉に意味はない。
﹁大丈夫。大丈夫だから。怖くない。怖くないぜ。だから大丈夫。怖くないから﹂
307
││兄ちゃんがついてる。
心の底から、大丈夫だと思えた。
◆ ◇ ◆ ◇
﹂
﹁トレイン君﹂
﹁んー
﹂
﹁気にしてねぇって言ったら嘘になるけどさ。もういいよその件は﹂
﹁で、でね⋮⋮その⋮⋮ごめん。酷いことして﹂
﹁⋮⋮ああ、アレね﹂
﹁その、この前の温泉でのことだけど﹂
?
?
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁もうやらねぇって言うんなら、俺は怒らねぇよ﹂
﹁⋮⋮怒ってる
ナカナオリ
308
﹁おう﹂
雲の合間から、光が差し込む。
落雷は止み、風雨は消え、それでも空は相変わらずの曇り空。
﹂
﹂
﹂
全身ずぶ濡れになりながら、トレインと一緒に帰路に就く。
﹁ぶえっくし
﹁凄いクシャミ⋮⋮っくしゅ﹂
﹂
﹁随分と可愛らしいクシャミだことで﹂
﹁ははっ⋮⋮家、上がってく
﹁ミカンってば大胆││﹂
﹁きゃー
﹁ち、ちちち違うから
﹂
﹂
風邪引かないようにって意味で⋮⋮っ、なに想像してんのバカ
﹁濡れたからお風呂に入っていかないかって意味
?
﹁ほほう。俺がどんなことを想像したと
!
!?
﹁うぐっ⋮⋮そ、それは⋮⋮﹂
?
!
!
!
309
﹁一体何を想像したのやら。お兄さん、そのあたりが気になります﹂
﹁⋮⋮トレイン君のえっち﹂
﹁ミカンもエッチ﹂
﹁ばかっ。もう知らないっ﹂
﹁サーセンした﹂
﹁⋮⋮いい。特別に許す﹂
当たり前のことが、嬉しいと感じる自分がいる。
下らない軽口が、彼の纏う空気が、全てが、心地よいと感じる。
リトのような家族とも違う、ヤミのような友達とも違う、クラスの男子とも違う。
世界で唯一、トレインと一緒にいるからこそ感じることのできる、そんな気持ち。
﹁⋮⋮トレイン君﹂
﹁どした﹂
﹁⋮⋮皆には、言わないでね﹂
﹁おう、いいってことよ﹂
﹁⋮⋮さっきはありがとう。正直助かった﹂
ナカナオリ
310
﹂
﹁言わないでって、雷のことか
﹁⋮⋮うん﹂
﹁言わねぇよ﹂
﹁⋮⋮ホントに
﹂
?
わらない。
イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変
最近、とある男の子のことが気になってしまう。
だから、好きな男子はいないけれど。
﹁誰にも言わねぇよ。ミカンと俺と、二人だけの秘密だ﹂
誰かに恋をして、付き合ったことのない自分には、全てが未知の世界でしかない。
自分の外面の良さに惹かれた男子に告白されることも何度かあったけど。
鈍い兄が身近にいるせいか、好意というものに触れる機会はあるけれど。
恋愛とか、自分にはよく分からない。
﹁疑り深い奴だな﹂
?
311
でも、野良猫のように気まぐれに、自分を守ってくれる、強くて優しい、そんな彼の
ことが。
美柑は、トレインのことが気になって仕方がありません。
﹁⋮⋮うん。私とトレイン君、二人だけの秘密だから﹂
ナカナオリ
312
サンニンムスメ
一閃。
赤と金の剣群を斬り抜け、返す刃で絡まった髪を振り落とす。
ハラハラと宙を舞う極上の絹糸にも似た御髪は、抵抗もなく切断された。
トランス
柄から刃まで、全てが黒く塗り潰されたナイフの感触を確かめた後、静かに呟く。
直後、空間に無数の黒い閃きが走り、二色の髪が粉微塵に斬り裂かれる。
左手に嵌められたグローブの感触を確かめ、無造作に振り払う。
黒のナイフが霧散し、次の瞬間には黒いグローブへと変化した。
トレインの一言に、彼の内に宿るネメシスが≪変身≫を行使。
闇が蠢く。
﹁了解した﹂
﹁次﹂
313
﹁ヤミお姉ちゃん、短い髪も素敵だね﹂
トランス
﹁お姉ちゃんと呼ばないでください﹂
質量保存の法則に捕らわれず、≪変身≫によって短く切られた髪の毛は元通りに。
ヤミは背中から両翼を、メアは長大なバスターライフルを生み出し、そのまま一斉掃
射。
しかし、トレインが腕を振るうことで、二人の攻撃は届くことなく阻まれてしまう。
﹁むむっ﹂
目を凝らして漸く視認可能な極小のワイヤーこそ、不可視に思えた防御壁の正体。
だが、二人の波状攻撃を前に、次々に千切れてしまう。
﹁全く、兵器泣かせなご主人様だよ﹂
﹁ははっ、違いない。つーわけでネメシス、次頼むわ﹂
﹁トレインの≪ハーディス≫のような出鱈目金属と一緒にするな﹂
﹁⋮⋮やっぱオリハルコン製のもんと同じってわけにはいかねぇよな﹂
サンニンムスメ
314
嘆息を零しながらも、ネメシスの吐息に滲むのは主人に必要とされているという至上
の喜色。
グローブとワイヤーが掻き消え、次いで姿を現したのは黒い羽衣。
殺到する羽根の弾丸を、エネルギー弾を受け流していく。
トランス
ヤ
ミ
と
メ
ア
闘牛士さながらの華麗な布技、全ての攻撃を捌き切ったトレインは、不敵な笑みを浮
かべた。
≫を生成。
一瞬のアイコンタクトの後、メアは弾幕を張り続け、ヤミは両腕に≪ナノスライサー
﹁アイアイサー﹂
﹁⋮⋮メア﹂
挑発するように羽衣をヒラヒラと靡かせる姿に、二匹の暴れ牛はピクリと反応。
﹁カモーン、変身姉妹﹂
315
背中の両翼を羽ばたかせ、上空からトレインを強襲する。
﹁そいやっ﹂
払い、掬い上げられた粉塵だが、後衛を務めるメアの弾幕には一瞬の目眩ましにしか
ならず。
前衛のヤミが振り上げた必殺の≪ナノスライサー≫だが、
﹁ヤミさん﹂
﹂
!?
束。
振るった羽衣が≪ナノスライサー≫の横から払い、即座にヤミの全身を包むように拘
友人の顔に刻まれる、人を喰った笑みを見た瞬間、ヤミは全てを悟るも時既に遅し。
なった。
粉塵が晴れ、トレインの場所に替わって立つ美柑の姿に、その隙は致命的なものと
観戦している筈の友人の声に、剣筋が鈍る。
﹁っ
サンニンムスメ
316
必死に抵抗するも緩まない束縛に、ヤミは悔しさと羞恥の眼差しで標的を仰ぎ見た。
﹁⋮⋮その、無駄な努力は嫌いではないぞ
﹁ヤミお姉ちゃん
﹁動くな﹂
﹂
﹁ぐぬぬ⋮⋮人質を取るなんて卑怯だぞ
﹁卑怯だってよ、ネメシス﹂
!
!
﹁⋮⋮耳が痛いな﹂
﹂
﹂
疑似的な高速変装術の種明かしにと、美柑の顔と声のまま、口調はトレインに。
羽衣が遮蔽物の役割を、その間に体表面を≪ダークマター≫が覆う。
?
﹁しかし、連中には何故か通じなかった﹂
﹁おお、連中というのがなんなのかは分からぬが、トレインは努力家なのだな﹂
﹁連中の魔の手から逃れるために死ぬ気で覚えた﹂
﹁声帯模写に変装術とは、つくづくトレインは器用なのだな﹂
﹁油断大敵だぜ、姫っち﹂
317
﹁メアさんよ、動くなって俺は言ったぜ。それでも動くっつーんなら⋮⋮﹂
拘束したヤミを抱き寄せ、顔を近付け見つめ合う。
百合の花咲き乱れる急展開。
﹂
﹂
ヤミお姉ちゃん、動いていい
﹂
﹂
ボッと顔を赤くさせるヤミに、美柑の顔のまま迫るトレインは最高の決め顔。
﹂
﹁えっちぃこと、しちゃうぞ
﹁な、ななっ⋮⋮なぁ
ワクワクと瞳を輝かせるメア。
友人の顔に想い人の声のダブルコンボにたじろぐヤミ。
?
?
涙目に首こてんとあざとい仕草で責めるトレイン。
?
!
﹁なにその素敵な展開
! !?
﹁駄目に決まっているでしょう
﹂
﹁⋮⋮駄目、なの
﹁うっ⋮⋮
!!
﹁⋮⋮女の敵﹂
サンニンムスメ
318
そんな彼女等を冷めた眼差しでネメシスは見詰める。
﹂
﹁ふんっ﹂
﹁でえ
であった。
﹂
まさか、あなたは生き別れた私の双子の⋮⋮
?
﹂
﹂
!!
﹁人の顔でなにしてんのかな
﹁わ、私と同じ顔
﹁ですよねー
﹁そんなわけないでしょうが
!?
﹂
勝者であるトレインに微笑むのは、満面の笑顔に青筋を走らせる勝利の女神こと美柑
後頭部の打撃で地面と熱い口付けを交わし合い、激痛に疼く頭を押さえながら反転。
打たれる。
あわやそのまま口付けするかに見えた百合色展開は、突然の乱入者によって終止符を
!?
怒髪天を衝く。
!?
!
319
背筋を刺す殺気に、飛び退くトレインは見た。
美柑
ヤミ
全身を戦慄かせ、怒りと恥ずかしさに顔を紅に染め上げたヤミの姿を。
前門の虎、後門の狼。
﹂
温泉地での顛末の再来を予感したトレインは変装道具一式を脱ぎ捨て、元の姿で戦略
的撤退。 ﹂
﹁待ちなさいトレイン
待て∼クロちゃん∼
﹂
﹁逃げるなトレイン君
﹁あはは∼
◆ ◇ ◆ ◇
ドタバタしていて少しだけエッチで、でも平和な鬼ごっこが始まった。
悪戯好きな黒猫と被害者こと美柑とヤミ、面白さ故に参戦したメア。
!
!
!
!
サンニンムスメ
320
広大な砂漠と無数に点在する朽ちた遺跡群。
その全てが仮想の物質で構成された電脳空間にいるのは、なにもトレイン達だけでは
なかった。
﹂
もしかしてナナも加わりたいの、鬼ごっこ﹂
﹁そんなわけないだろ
?
ど﹂
!
!
恩返しがしたいって思ってたから﹂
﹁ううん。ミカンもだけど、ママもトレインにはお世話になったみたいだし。私も何か
﹁トレイン、携帯持ってないって言ってたし、喜んでくれると思うよ。ありがとう、ララ﹂
﹁トレイン用の≪デダイヤル≫、かんっせーい
﹂
毎度お馴染みな姉妹喧嘩を勃発させるのは、双子であるナナとモモ。
﹁お子様っていうなー
﹂
﹁隠 さ な く た っ て い い じ ゃ な い。お 子 様 な ナ ナ に は ピ ッ タ リ な 遊 び だ と 思 っ た の だ け
!
﹁あら
﹁なにやってんだあいつ等⋮⋮﹂
321
﹂
セリーヌはまだ子供なんだから
﹁まうまう
﹁ダーメ
﹁まう∼﹂
﹁ら、ララ様⋮⋮っ、ご立派になられて⋮⋮
ケータイは大人になってから
﹂
﹂
!
!
﹁どうしたの、リト
﹂
﹁⋮⋮美柑って、学校ではあんな風なのかな﹂
インの話に流され、そして現在のような模擬戦が勃発した次第だった。
今回も例に漏れずゲームに漫画と楽しい一時を過ごしていると、唐突に提案したトレ
一種の溜まり場になりつつある結城家に訪れたトレイン一行。
た。
砂漠のオアシスに集い、リトにララ、セリーヌ、ペケもまたトレイン達を観戦してい
!
!
!
?
﹁ホント、トレインには頭が上がらないよ﹂
﹁⋮⋮美柑、楽しそうだもんね﹂
ないから、前から気になってたんだ。だから、正直スゲー嬉しいんだ﹂
﹁いや、美柑ってあんまり学校でのこと話してくれなくてさ。友達を家に呼んだりもし
サンニンムスメ
322
両親は共働きで家を空けがちで、兄であるリトはお世辞にも家事が出来るとは言えな
い。
だからだろうか。
家事の全てを一手に引き受ける美柑は、早熟で大人びた言動が多い。
周りが年上ばかりであってもそれは変わらず、しっかり者の美柑は皆に頼りにされて
いる。
でも、そんな美柑が少しずつ変わっているのに、リトは気付いていた。
ムキになってトレインを追い掛け回す美柑は、どこにでもいる普通の小学生にしか見
えない。
やんちゃで悪戯好きな、そんな同年代の男の子との出会いに、リトは感謝の念を抱く
のだった。
ずっと一番近くに居た美柑が離れていくような。
そして、ほんの少しの寂寥感。
﹁⋮⋮これで、良かったんだよな﹂
323
そんな気がして、胸に抱いた蟠りを揉み消すように、リトはしっかりと前を向いた。
ね、ネメシスっ
﹂
﹁いいや。ちっとも良くないぞ﹂
﹁うわあ
?
た。
?
胸を撫で下ろすリトとは対照的に、ネメシスは鼻を鳴らし憮然と腕を組む。
復したさ﹂
が心に染みるよ。体の方は、心配せずとも短時間なら苦もなく実体化できる程度には回
﹁リハビリだと言って何度もトレインから追い出された身としては、お前の優しい言葉
﹁⋮⋮お前、実体化なんてして体はもういいのか
﹂
寝間着のような黒いドレスを靡かせるネメシスの姿に、リトは跳ね上がるように驚い
いつの間に横にいたのか。
!?
﹁借りがあったから一度だけ協力してみれば、まさかその一度で芽生えてしまうとは。
サンニンムスメ
324
﹂
﹂
まったく、トレインの奴め。私だけでは満足できんのか﹂
﹁⋮⋮何の話
﹂
﹁気付いていないのか
?
?
﹂
﹁ところで、話は変わるが﹂
﹁ん
﹂
﹁男という生き物は、どのように奉仕すれば喜ぶのだ
﹁はぁ
?
?
ない。
リトはネメシスとメアがどういう経緯でトレインと知り合ったのかを聞かされてい
レインと同じ匂いがするからな、参考程度に聞こうと思ったのだ﹂
﹁何を驚いている。所有物が主人に尽くすのは当然のことだろう。お前はどことなくト
!?
﹂
トレインと同じ金色の瞳を閉じて、ネメシスは大きな溜息を零す。
﹁⋮⋮これだから男という生き物は﹂
﹁いや、だから何が
?
325
それは当事者以外の全員が例外なく当て嵌まり、だからこその驚きようでもある。
日々のとらぶるでほんの少しは耐性を付けたとはいえ、同年代に比べればまだまだ
だ。
赤面して言葉を失うリトに、ネメシスの嗜虐心が刺激されるのは当然の帰結と言え
る。
﹁光栄に思え、結城リト。お前を調教し、ありとあらゆる苦痛と快楽を与えてやろう。そ
﹂
うすれば、おのずと答えも見えてくるだろうさ﹂
﹁何言ってんのこの人
を学べる。どうだ、悪くはない話だろう
﹂
後退るリトに、ネメシスは距離を詰める。
瞳は細まり、口元は弧を描き、じりじりと獲物を追い詰めるように。
次の瞬間、三方から伸びる腕が、リトを掴んで引き寄せた。
!
?
リトさんになんてことをしているんですか
﹂
﹁下僕にしてやろうと言っているのだ。お前は男としての悦びを、私は男への尽くし方
!?
﹁ちょっとネメシスさん
!
サンニンムスメ
326
﹂
﹁ち、調教にげげっ、下僕ぅ リトはケダモノだけどお前になんか絶対に渡さないから
な
!?
リトを背中から抱き締めながら、ララは決然と言い放つ。
ナナが、モモが、威嚇するように殺気立ち。
!
怒る美柑、恥かしがるヤミ、楽しそうにはしゃぐメア。
尚も警戒心を解かない三姉妹には取り合わず、顔を上げたネメシスが向く方角。
だ﹂
だ、あまりにも結城リトがからかい甲斐がありそうだったのでな。少し揶揄っただけ
﹁くくく⋮⋮冗談だよデビルークの姫君。お前達の恋路を邪魔するつもりはないさ。た
対し、俯いたネメシスは静かに肩を震わせる。
るの﹂
﹁駄目だよ、ネメシス。リトは誰かのものじゃない。リトがどうするのかは、リトが決め
327
そして、彼女達の視線の先には、一人の少年が駆けていた。
﹁惚れた男を盗られたくない。お前達の気持ちは、私とて理解しているよ﹂
顔を背けても隠せない。
褐色の肌を赤く染め上げ、潤んだ金色の瞳が映すのは、たった一人の存在だけだった。
﹁⋮⋮知らなかったよ。自分がこんなに欲張りだったとはな﹂
生きてくれていただけで良かった。
触れただけで、言葉を交わしただけで、気持ちを伝えただけで満足だった。
傍にいられれば、それだけで幸せだった。
素直に気持ちを伝えることのできるメア。
誰よりも傍にいたヤミ。
﹁⋮⋮これ以上の幸せなんてないのにな﹂
サンニンムスメ
328
心の距離を縮めた美柑。
身も心も一つとなっても、蠢き続ける負の感情。
嫉妬に狂いそうになってしまう、そんな自分をネメシスは心底嫌悪してしまう。
笑って受け入れてくれるさ﹂
も、トレインには些細な問題でしかないんだ。だから、ネメシスのことも、トレインは
﹁生まれとか、身分とか、トレインは気にしないよ。オレ達が必死になって悩むことで
横目で見遣るネメシスには取り合わず、リトは前を向き続ける。
﹁トレインは、きっと気にしないと思う﹂
掴まれた腕を振り解き、リトはネメシスの隣に立つ。
ものか﹂
﹁⋮⋮人ではない、生き物であるかも怪しい私がこれ以上を望むのは、罰が当たるという
329
そう言って、リトは笑った。
不敵な笑みでもない。純粋無垢な笑顔でもない。
優しい彼の心を映し出したような、そんなあたたかな笑顔を浮かべる。
よ﹂
﹁トレインが届けるのは幸福なんだ。だから、トレインはネメシスを幸せにしてくれる
僅かに瞠目した双眸を細め、リトを見詰めるネメシスの瞳に宿った光は穏やかだっ
た。
トレインのように力を持たず、パッとしない見た目に、綺麗事しか吐かないお人好し。
今まで不思議で仕方のなかった疑問が、すとんと綺麗に嵌ったような。
ララ達がリトへ好意を抱く理由が、少しだけ分かった気がしたから。
長年共にしてきた家族が、その姉が、彼女の友達が。
口元を綻ばせ、リトと同じ方向を向く。
﹁⋮⋮馬鹿者。分かり切ったことを聞くんじゃない﹂
サンニンムスメ
330
そして、自分の全てを捧げてもいいと思えるご主人様が、一緒になって笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇
﹁手伝うぞ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮え﹂
﹁なん⋮⋮ですって⋮⋮
!?
炊飯器のスイッチを押したまま、食材を取り出し終えた冷蔵庫のドアに手をかけ固ま
美柑とモモが立つ台所に、トレインはごく自然に立ち入った。
﹂
その顔に浮かんでいるのは、どこにでもいる人間の女の子の表情だった。
そんな彼等の輪の中に、駆け出したネメシスは飛び込んでいく。
﹁惚れた男と、大好きな者達といられるのだ。私は宇宙一の幸せ者だよ﹂
331
る二人を余所に、まな板の上に置かれた玉葱に、トレインは手を伸ばす。
皮を剥ぎ、玉葱に切れ込みを入れ、慣れた手付きで粗微塵に。
リズミカルに包丁を上下させる手に淀みはなく、基本の猫の手もバッチリ。
﹂
怪我もなく、全ての玉葱を切り終えたトレインは、ようやく周りの異変に気付いた。
﹁⋮⋮なんだよ﹂
﹁と、トレイン君⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あなた、料理が出来るのですか
﹂
﹂
料理などさせようものなら、調理器具で遊ぶなんてことが容易に想像できそうなトレ
平然と言ってのけるその姿に、美柑とモモは災厄を予兆したとか。
﹁おう。簡単なもんしか作ったことねぇし、レパートリーも全然だけどな﹂
?
インの意外過ぎる特技が与えた衝撃は、それだけ大きなものだった。
﹁そんな⋮⋮ありえない⋮⋮
有り得る筈がないもの
!
!?
それ以外に有り得ない
!
﹁おい﹂
﹁お、お姉様の発明品だわ
!
サンニンムスメ
332
﹁喧嘩なら買うぞコラ﹂
﹁どうしたんだよ。なにかあったのか
見開く。
﹁と、トレイン
﹂
﹂
お前、料理できんのか
﹂
﹁ざ、ザスティンが危ないからって包丁握らせてくれなかったんだから仕方ないだろ
﹁モモは普通に料理できんじゃん﹂
﹁うっ﹂
﹁料理くらいできないといいお嫁さんにはなれませんから﹂
﹂
異変に気付き顔を覗かせるナナも、トレインが持つ包丁と粗微塵にされた玉葱に目を
?
素早い切り返しに、ナナは言葉を詰まらせる。
﹁え、ナナって料理も出来ねぇの
!?
﹁⋮⋮どうせあたしは不器用だよ﹂
!
?
!?
333
﹂
不貞腐れるナナの肩に、トレインは優しく手を添えた。
﹁どんまい﹂
﹁ケンカ売ってんのかー
﹁美柑
﹂
!
﹁適材適所ってやつだな﹂
﹁お前らなんか大っ嫌いだー
!!
ナナちゃんどうかしたの
﹂
?
眦から流れ落ちた涙で軌跡を残し、ナナは台所を飛び出す。
﹂
﹁事実上の戦力外通告ですね﹂
﹁えっと⋮⋮その、ナナさんにはセリーヌの相手をしてもらえると助かるな
あたしにもなんか手伝うことないか
﹂
心底憐れむトレインの眼差しが、負けん気の強いナナの対抗心に火を灯した。
!
﹁⋮⋮大方の予想はつきますがね﹂
?
?
!
﹁なになに
サンニンムスメ
334
﹁ナナ姫もまだまだお子様だということだよ﹂
﹂
入れ替わるように、ヤミとメア、ネメシスの三人娘が台所へ入ってきた。
﹁あっ、クロちゃん料理してるんだ。私も手伝おっか
﹂
﹁姫っちも人のこと言えねぇだろ﹂
﹁なっ
!?
トレインへの対応で既に片鱗を見せていた、世話焼きという一面を開花させたヤミ
う。
口ではなんだかんだと言っても、新しい同居人のことをヤミは受け入れているのだろ
ネ メ シ ス と メ ア
﹁まったく、あなたたちときたら。周囲の迷惑を少しは考えたらどうなのですか﹂
﹁⋮⋮スイッチが入ってしまったら止まらんのだ﹂
﹁お前も同罪だろうが、ネメシス﹂
﹁まったく、メアには困ったものだな﹂
﹁えへへ∼。だって、斬るのって想像以上に素敵なんだもん﹂
﹁そう言って手伝ってもらった結果、惨状になった台所の光景を俺は忘れない﹂
?
335
トランス
は、トレインの言葉に心外だと柳眉を逆立てる。
いません﹂
﹁私は≪変身≫で材料を刻むなんて横着もしなければ、妙なスイッチも持ち合わせては
﹂
﹁味噌汁にたい焼きぶち込んだ時点で同類なんだよ俺にとっては﹂
﹁か、隠し味です
き。
点々と餡子の浮かぶ味噌汁の中央に鎮座した、真っすぐにこちらを見上げるたい焼
忘れもしない、あの光景。
﹁隠せてねぇだろ。たい焼きの頭、味噌汁から飛び出てたぞ﹂
!
ヤミお姉ちゃんのたい焼き入りのお味噌汁、とっても素敵な味だったよ﹂
だが、真に間違っていたのは、それらが並んだ御門家の食卓での出来事だった。
?
中々に美味であったぞ
﹂
いない筈だ。だからそう落ち込むでない、ヤミよ。お前の作ったたい焼き入り味噌汁、
﹁地球には鯛味噌なる食べ物があるそうじゃないか。組み合わせとしては何ら間違って
﹁え∼
サンニンムスメ
336
?
﹁メア⋮⋮ネメシス⋮⋮っ﹂
住人の半数に絶賛された、ヤミ作のたい焼き入り味噌汁。
以来、涼子とお静が彼女達を決して台所には入れないようにした判断は英断と言え
た。
﹁ヤミさん⋮⋮
﹂
﹁⋮⋮いえ、トレインが料理を覚えたのはずっと前です﹂
発言だったが、
タダで住まわせてもらっている礼にと料理を覚えたのだろうと、そう思ってのモモの
だ。
その間涼子所有の洋館に住まわせてもらっているのだから、義理堅いトレインのこと
トレインが彩南町に来て、早いもので一月。
﹁なるほど。トレインの料理スキルはそのようにして磨かれたのですね﹂
337
?
ヤミの声音に訪れた変化を察したのか、美柑の表情には戸惑いがあった。
ちは今よりずっとガキだったから料理なんて全然だし。んで、自然と俺にお鉢が回って
﹁前の同居人の料理スキルが壊滅的だったんだよ。作る度に料理黒焦げにするし、姫っ
きたってわけ。それまで料理なんてやったことなかったんだけどな﹂
続くトレインの言葉に滲む、懐かしい響き。
事情を知るネメシスは閉口し、ヤミから聞かせられた過去を美柑は思い出し、言葉を
失う。
モモやメアも、重くなる空気を敏感に察知してか、黙り込んでしまった。
ティアーユ・ルナティーク。
﹂
トレインと同じく、彼女の存在はヤミにとっては余りにも大きすぎたから。
?
この場の誰よりもヤミの過去を知っていてなお、語る内容は失ってしまったかつての
だが、この男は空気を読むような真似はしない。
﹁姫っちの料理スキルって、あれから上達したのか
サンニンムスメ
338
日常。
トレインがいて、ヤミがいて、ティアーユがいた、始まりの記憶。
﹂
?
そこに映る、学生服だろう衣服を纏った二人の少女の姿に、一同は揃って声を上げた。
≫。
事前に持ち込んだデータを取り込み、完全にトレインのものとなった≪デダイヤル
﹁画像って
てたら見つけた昔のティアの画像のことを思えば、それも納得か﹂
﹁確かに、今の姫っちとティアじゃあ色々と違うのかもな。この前リョーコの手伝いし
﹁同じ遺伝子でも、育ちや環境が違うのです。ティアなんかと一緒にしないでください﹂
は親に似るもんだぜ姫っちや。黒焦げだけは勘弁してくれよ﹂
﹁ほほう。前回は味噌汁にたい焼きぶっこんだだけで有耶無耶だったからな。だが、子
う﹂
﹁⋮⋮ 馬 鹿 に し な い で く だ さ い。あ の 頃 の 私 と は 違 う と い う こ と を 教 え て あ げ ま し ょ
﹁ティアの真似して指切って以来、危ないからって包丁握らせてもらえなかったもんな﹂
339
この女の人、ヤミお姉ちゃんにそっくり
﹁ティア⋮⋮﹂
﹁わあ
﹂
!
あ の け し か ら ん 胸 は こ の 頃 に は 既 に 健 在 だ っ た と い う わ け
?
﹁この画像を見れば納得せざるを得ませんね﹂
言っていいことと悪いことがあるよ
!
﹁ヤミお姉ちゃんの胸、本当にちっちゃいね﹂
!?
≪デダイヤル≫から響く着信音には取り合わず、慈しみを込めて言い放つ。
両手で胸を隠し、プルプルと俯き震えるヤミの肩に、トレインは優しく手を添える。
﹂
﹁同じ遺伝子でも、育ちや環境が異なれば別人。なるほど、その通りだな﹂
そして、一同の視線は揃ってヤミの一部へ向けられる。
﹁ヤミさんと、同じ歳⋮⋮﹂
﹁リョーコ曰く、この画像は今の姫っちくらいの時に撮ったもんなんだと﹂
か﹂
﹁隣 に 居 る の は 涼 子 か
﹁この人が、ヤミさんの元になった⋮⋮﹂
!
﹁め、メアさん
サンニンムスメ
340
本文 :見つかったわ。
件名 :ティアーユの行方
差出人:リョーコ
◆ ◇ ◆ ◇
その後暫く、トレインの姿を見た者は誰もいなかった。
﹁どんまい﹂
341
セフィリア
折れた。
不壊物質≪オリハルコン≫で構成された長剣≪クライスト≫。
剛ではなく柔で、力ではなく技術を持って敵を圧倒する≪アークス流剣術≫。
加えて、超速奥義≪滅界≫に耐えうることのできる唯一の剣が、その美しい原型をな
くす。
粉々に砕け散り、僅かに残った刀身と柄だけの存在へ≪クライスト≫はなり果ててし
まった。
幾百幾千、あるいはそれ以上に放たれた≪滅界≫に、≪クライスト≫の耐久が限界を
迎えたのだ。
だが、限界を迎えたのは、担い手もまた同じで。
そして、度重なる≪滅界≫により、彼の命もまた、限界を超えてしまった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
セフィリア
342
欠損した四肢が、再び元の形を取り戻そうとする。
数えるのも億劫になるほど繰り返された光景。
だが、その再生速度は当初とは比べものにならないほど緩やかだった。
その上、再生箇所は歪。
ゴッドブレス
完璧を至上とする彼を知る者なら、それは絶対に起こり得ることのない修復。
≪G.B≫と言えど、基を辿ればただの機械であり、人間の手で造り上げたものに過
ぎない。
この短期間で再生能力を酷使されれば、機能不全を起こしても何らおかしくはなかっ
た。
﹁⋮⋮僕の負けだよ﹂
次の≪死≫が、クリードの最後だということを。
だからこそ、セフィリアは悟る。
﹁⋮⋮これで、最後です﹂
343
イマジンブレード
空から降り注ぐ光の粒子。
刀
タオ
イマジンブレード
≪幻想虎徹≫と呼ばれる、≪SWORD≫の≪道≫を基にして形作られた異能の残骸
が、光の粒子の正体だった。
クリードの体の一部であり、彼の心の具現化したものこそが、≪幻想虎徹≫LV.M
AX。
しかし、己の一部が砕けてもなお、クリードの表情に変化はない。
とうの昔に、クリードの心は折れていた。
トレインに致命傷を負わせ、彼が死んだと悟った時点で、修復など不可能なほどに。
﹁⋮⋮殺してくれ﹂
それは、懇願だった。
心からの、クリードの願いだった。
アークス。君だけが、不死となった僕を殺せる、唯一の存在﹂
し切れない。≪G.D≫の製作者も匙を投げた。だから、君だけなんだよセフィリア=
ゴッドブレス
﹁彼のいない世界なんて、生きる意味などないんだ。君だけなんだ。僕では、僕自身を殺
セフィリア
344
イマジンブレード
クリードの力、≪幻想虎徹≫は諸刃の剣だ。
イマジンブレード
担い手の心に反応し、その姿をより強力に、禍々しい姿へと進化していく。
イマジンブレード
だが、それは同時に、≪幻想虎徹≫とクリード自身の心との密接な同調を意味する。
≪幻想虎徹≫の進化は、彼自身の弱点の露呈に繋がるのだ。
そして、クリードはこの戦いでは、最初からレベルを最大限にまで引き上げていた。
防御を捨て、最大の攻撃を持って圧倒することもなく、≪滅界≫に無抵抗に殺され続
けた意味。
閉じた瞳から涙を流すクリードを見て。
だからだろうか。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
クリードは、最初から死ぬつもりだった。
﹁僕を⋮⋮殺してくれ⋮⋮⋮⋮頼む⋮⋮⋮⋮っ﹂
345
懺悔と懇願を受け止めて。
﹁││││﹂
生まれて初めて。
心の底から。
セフィリアはキレた。
﹁ふ⋮⋮ざけるなぁあああああああああああああっ
咆哮。
﹂
!!
掛け替えのない存在なのだと分かっていな
激情のままに折れた≪クライスト≫をクリードの横へ突き立て、胸倉を掴み上げる。
﹂
!
!
どうしてあなたはそのような選択しか取れなかったのですか なぜ関係の
!
ない者まで巻き込んだのですか
!
がら
﹁そうまでハートネットが大事なのなら
セフィリア
346
トレインの人となりを知る者なら、誰もが理解していることだ。
最強の存在でありながらも、彼は完璧な強さを手にしてはいない。
例え無関係の間柄であっても、目の前で失われそうな命を彼は見て見ぬ振りなどでき
イレイザー
はしない。
不殺の抹殺者は、死よりも生を持って罪を贖わせる彼の在り方は、誰よりも優しい彼
が差し伸べる救いの手こそが、最強であっても完璧な強さには成り得ない、トレインの
唯一の弱点。
クロノ・ナンバーズ
だからこそ、セフィリアはトレインとの戦いには一対一に拘り続けた。
手段を選ばぬ≪クロノス≫にも、加勢を願う≪ 時 の 番 人 ≫にも譲らなかった、己に課
したルール。
ハートネットに
卑劣な真似をしてまで叶える理想など、なんの意味もないのだから。
ティアーユが スヴェンが 彼女達だけじゃない
!
﹁イヴが
!
ハートネットの無事を願う彼女達が今この瞬間もどん
!
大切な人を傷付けられた彼女達のことを少しでも考えたりはし
救われたたくさんの命達が
﹂
な気持ちでいるか
たのですか
!
!
!
!
347
だから、叫ばずにはいられなかった。
自分と同じように、幾度もトレインに挑んだクリードだからこそ。
﹂
セフィリアと同じ気持ちを抱いている筈だと、そう思っていたから。
﹁友として、ハートネットと歩む道はなかったのですか
る。
判別の付かないほどに深く混ざり合った、混沌然とした感情をクリードは爆発させ
折れた筈の心が、色を失った瞳に宿るもの。
﹁は、ははっ⋮⋮どうやら、君には隠し事は出来ないようだね⋮⋮っ﹂
トレインに友情を感じていたと、そうクリードは言っていたのだから。
!
後にも先にもトレインだけだったんだ
﹂
!
!
﹁なら、どうして⋮⋮
!!
﹂
﹁歩みたかったさ トレインは僕にとって唯一無二の存在だった 友と呼べるのは
セフィリア
348
!
﹂
﹁これしかなかったんだよ 弱い僕が最強である彼と対等になれる唯一の方法
かな過去の僕にはそんな間違った選択しか出来なかった
激情と激情。
愚
!
所はあそこじゃない
だから創ったんだ
≪星の使徒≫
強過ぎる彼と対等になる
だ か ら 実 力 行 使 に 出 る し か な
彼に相応しい場所を
!
!
﹁≪クロノス≫にいてはトレインは飼い殺しにされるだけと思った
ゴッドブレス
で も ト レ イ ン は 僕 の 元 に 来 て く れ な か っ た
﹂
そ れ で も 最 強 で あ る 彼 に は 届
それだけが僕の
どうすれば僕はトレインと対等にな
昔のように彼の友達でいたかったのに
ならどうすれば良かったんだ
だ け ど
かった そのために僕は≪G.B≫を造りだしたんだ
を
!
彼の居るべき場
剣の代わりに感情が入り乱れ、憎み合うも似た者同士だった両者は初めて向き合う。
!
!
た め に そ の 為 の 不 死 だ っ た ん だ
かなかった
!
!
!
!
ることが出来たんだよ
願いだったのに
!
!
!
劣等感。
!
!
!
!
!
幼少時代から娼婦であった母親に存在を否定され、助けてと縋った警察官からはスト
!
!
349
レスの捌け口にされ、世の中から爪弾きされてきた、トレイン以外には語ったことのな
いクリードの過去。
トレインを友だと思えば思うほど、友達で居続けたいと願えば願うほど。
ふとした時、クリードは考えてしまうのだ。
最強であるトレインが、弱い自分を必要としなくなる、そんな考えたくもない未来を。
認められたい、対等でありたいという願いが、いつの間にか歪んだものへと変わって
しまった。
なら手段なんて選んでいられない
﹂
決して届くことない、最強の名を冠したトレインの背中の遠さに気付いてしまったか
ら。
実力行使でも敵わない
!
﹁勧誘も失敗
!
る。
だから彼女を利用し
大切な者を失ったクリードだからこそ、過去の自分が愚かだったのだと理解してい
今だからこそ分かる。
!
﹁どんな手を使ってでも僕はトレインに勝つ必要があったんだ
!
セフィリア
350
たんだ 利用してしまったんだよ僕は
イマジンブレード
その選択が、トレインが最も忌み嫌うものだと気付いたから。
﹂
勝利という誘惑に負けてしまって イ
!
ヴを庇うトレインの心の臓に≪幻想虎徹≫を突き立ててしまったんだよ
!
!
から。
卑劣な手段で得た勝利に、意味などないことに気付いていたから。
﹁僕は⋮⋮ぼく、はっ⋮⋮この手で、友を⋮⋮殺めてしまったんだ⋮⋮
きなかった僕は、さぞ醜いことだろう﹂
続けた君は、本当に気高く美しかった。卑劣な手段を使ってさえ、勝利を得ることので
敗れた者同士でも、君は最後まで諦めなかった。正々堂々、トレインを越えようと挑み
﹁⋮⋮ははっ⋮⋮笑ってくれよ、セフィリア。君と僕は決定的に違う。同じトレインに
取り返しのつかないことしてしまったということに、気付いてしまったんだ。
でも、気付くのが遅すぎだ。
﹂
目の前で奪われそうになった命を前に、トレインがどんな行動を取るのかに気付いた
!
!!
351
実力でも、トレインへの想いさえも、自分は負けていたのだと。
自嘲的な笑みを刻み、翳した掌で顔を隠し、それでも隠しきれない感情。
僅かに覗く口元は戦慄き、続く声音は言葉にならなかった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そんなクリードを見下ろしながら、セフィリアは思った。
﹁⋮⋮醜いですね﹂
まるで、自分を見ているようだと。
理想などかなぐり捨て、手段を選ばず、勝つことのみに固執し、トレインを屈服させ
トレインの強さに折れ、畜生の道に堕ちてしまった、そんな自分。
﹁本当に、どうしようもないほどに、醜い﹂
セフィリア
352
る。
気分がいいだろう。トレインの弱点を知る自分なら容易だ。それで彼の全てを手に
出来るのだ。
卑劣な手段で得た勝利に意味などない
そんなものが霞んでしまうほどの価値が、トレインにはあるではないか。
?
﹁勧誘の手を掴まないのも、実力行使が叶わないのも、全部が全部、当然です﹂
段を選んではいられない、そんな誘惑に幾度となく負けそうになった。
何度も心が折れた。正攻法では勝てる訳がないと何度も諦めた。勝利のためには手
トレインに挑み、一蹴され、それでも挑み続け、その度に力の差を見せつけられて。
気高く美しく見えたのは、醜い本心を隠そうと躍起になっていたからだ。
だけど、この構図が入れ替わることは十分にあり得たんだ。
後悔と懺悔の念に呑まれるクリード、糾弾するセフィリア。
でしょう﹂
﹁ハートネットの迷惑を顧みず、自分の想いだけを押し付ける。なんて自分本位な考え
353
だけど、叶えたい理想があったから。
それでも、伝えたい思いがあったから。
﹁ハートネットに嫌われて当然のことをしてきたのですから﹂
死よりも生を持って罪を贖わせる彼の在り方で、≪クロノス≫を変えたい。
胸に秘めたこの気持ち、彼に伝えたい。
﹁ハートネットは、生きています﹂
セフィリアを突き動かすのは、たった一つの想いだった。
﹁ティアーユが、ナノマシン移植の施術をハートネットに施しました﹂
セフィリア
354
折れた心は治せばいい。それでも折れてしまったなら、また治せばいい。
勝てないのなら、更なる研鑽を詰むまでだ。勝てるようになるまで、強くなればいい。
真っすぐに、彼の目を見て、自分の気持ちを伝えるその時まで。
﹁ハートネットに救われたたくさんの命が、彼の帰還を待っています﹂
大好きです、トレイン。││愛しています。
﹁イヴが、ハートネットの無事を願っています﹂
絶対に、この想いだけは曲げる訳にはいかないんだ。
弱い自分が、容赦のない現実から逃げだしそうになったとしても。
何度折れても、何度諦めても。
﹁スヴェンが、失踪したハートネットの行方を追っています﹂
355
﹁クリード=ディスケンス。あなたはいつまでそうしているのですか。ハートネットは
死んだと、自分のせいだと、そうやって自分を責め続けることに、一体何の意味がある
というのです﹂
セフィリアは、微笑む。
﹁立ちなさい。立って、前を向きなさい。後ろを振り返ることは大事なことです。でも、
それは今ではない。ハートネットを見つけた時に、好きなだけ後悔なさい。気の済むま
で謝り続けなさい﹂
理想の体現。
死よりも生を持って罪を贖わせる、そんな彼の在り方を実践する。
今はいない、いなくなってしまった彼の代わりに。
トレインなら、きっとこうしていたと思うから。
﹁ハートネットを友だというあなたが、彼の無事を信じなくてどうするのですか﹂
セフィリア
356
掴んだ胸倉を離し、折れた≪クライスト≫を拾い上げる。
なおも動かないクリードを一瞥して、セフィリアは背を向けた。
◆ ◇ ◆ ◇
激戦の爪痕を残す古城に降り注ぐ光が、あたたかく二人を照らし出した。
ふわりと唇を綻ばせ、静かにその場を後にする。
背中の独白に、セフィリアは何も言わず。 ﹁ありがとう、セフィリア﹂
その言葉が、風に舞う。
﹁⋮⋮ありがとう﹂
357
セフィリアは歩いていた。
≪星の使徒≫のアジトである絶海の孤島を、目的もなく彷徨い渡っていた。
どこに向かえばいいのか分からなくて、ただただ歩き続けていた。
一秒でも早く、動き出さなければいけないのに。
するべきことなど、山のようにあるのに。
なのだ。
これ以上にないほどの組織が結託すれば、必ずトレインを見つけ出すことが出来る筈
≪クロノス≫、≪IBI≫、≪星の使徒≫。
革命組織≪星の使徒≫が有する≪道≫の力は、必ずトレイン捜索に役立つはずだ。
タオ
失意の底に沈んだクリードを叱咤し、前へと向かわせる。
やるべきことは果たした。
去った時に上げていた顔を俯かせ、笑みを潜ませ、確かにあった覇気は何処にもない。
アレだけ偉そうなことを言っておきながら。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
セフィリア
358
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
針を刺す様な激痛、絶えず付きまとう倦怠感。
何度放ったかも分からない≪滅界≫の反動は、確かな傷をセフィリアの体に残してい
た。
極限まで無駄を削ぎ落とすことで連発を可能にしたとはいえ、塵も積もれば山とな
る。
休息を訴える体を無視して、それでもセフィリアは歩き渡り続けた。
せてきた言葉だ。
考えないように、その可能性に至らないように、現実と向き合わないために言い聞か
呪文のように、事実のように、当然であるかのように、言い続けてきた言葉だ。
トレインの生死を疑問視する彼等に、セフィリアは言ってきた言葉だ。
ティアーユにも、スヴェンにも、イヴにも、クリードにだって。
トレインは生きている。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
359
他の誰でもない。
セフィリア=アークスが、自分自身に言い聞かせてきた言葉だ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
一年だ。
常に掴めた所在が掴めず、消息を絶たれてから、既に一年が経っている。
生きているのなら、痕跡の欠片くらいは掴めて当然の年月だ。
なのに、≪クロノス≫も≪IBI≫でさえ、トレインの消息は一向に掴めない。
では何故、トレインを見つけ出すことが出来ないのか。
そんなの、子供だって分かることではないか。
やめろ。
やめろ。
やめろ。
﹁⋮⋮⋮⋮ぁ﹂
セフィリア
360
本当に
?
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
トレインは生きている。
トレインは生きている。
トレインは生きている。
﹁ぁ⋮⋮ぁぁ⋮⋮っ、ぁ⋮⋮ぁぁぁ⋮⋮﹂
考えるな。
考えるな。
考えるな。
﹁⋮⋮⋮⋮ぁ⋮⋮ぁぁっ⋮⋮﹂
361
﹁││││﹂
侵される。
精魂共に尽き果てた心に、可能性という名の怪物が侵食していく。
次々と思い浮かんでは消える、トレインと過ごした記憶。
入団して、共に任務に当たり、憧れ、惹かれて、恋をして、脱退して、追い掛けて│
│。
壊れる音が聞こえる。
﹂
大切なものが、掛け替えのない思い出が、次々に壊れ、失っていく。
!?
同時に砕けていく、セフィリアの心。
それでも、壊れ、失っていく、大切なトレインとの思い出の数々。
壊れた欠片を掻き集め、失った大切なものを探そうと躍起になる。
絶叫を迸らせ、震える体を抱き締める。
﹁⋮⋮⋮⋮ぅ、ぁぁっ、ぁぁぁああああああああああああ
セフィリア
362
﹁ぅ、ぁ⋮⋮ぁぁ、ぁあ⋮⋮﹂
セフィリアは泣きじゃくった。
高潔を絵に描いたような佇まいを歪め、崩れ落ちたセフィリアは泣き続けた。
両の目を瞑り、それでも流れ出る涙をこぼし、溜め込み続けていた弱音を吐き出した。
それだけなのに。
﹁どこに、いるのですか⋮⋮っ﹂
愛する人に逢いたい。
﹁⋮⋮どこですか﹂
たった一つの願いなのに。
﹁⋮⋮⋮⋮ハートネット﹂
363
﹂
たったそれだけの願いなのに。
﹁トレイン⋮⋮っ
ロだった。
普段の彼女なら絶対に取り得ない選択をさせてしまうほど、今のセフィリアはボロボ
一年という年月は、少しずつ、セフィリアの心を蝕み続けていた。
覚束ない手付きで手繰り寄せ、逆手で握り締め、剣尖を自分自身に向ける。
不意に視界の端で捉えた、≪クライスト≫の折れた刀身。
それは、一時の過ち。
!!
トレインは、死んだんだ。
違う。
トレインは、生きている。
﹁⋮⋮最初から、こうすればよかったのです﹂
セフィリア
364
﹁⋮⋮今、あなたのところに、向かいます﹂
だから、旅立った彼の元へ向かう、たった一つの方法。
唯一の手段を取ろうと、≪クライスト≫を持つ手に力を籠めた。
││パキン。
瞬間、突き立てようとした剣尖が届く前に、残った刀身全てを失った。
柄と鍔だけになり果て、胸に沈む≪クライスト≫を見下ろすセフィリアの意識が白く
染まる。
陽の光か、それとも別の何かか。
閃光のような眩しさの中、僅かな力を振り絞って、閉じようとする瞼を開いた。
最愛の人と同じ金色の月が、静かにセフィリアを見守っていた。
意識を失う寸前、見上げた空に浮かんでいたもの。
﹁⋮⋮⋮⋮ぁ﹂
365
◆ ◇ ◆ ◇
目を開ければ、無機質な金属製の天井が映った。
申し訳程度の明かりが室内を照らす。
見覚えのない景色に高鳴る警戒心だが、全身を襲う気怠さがセフィリアのやる気を削
ぐ。
だが、徐々に近付いてくる足音に、疲れた体に鞭打って体を起こし、腰に手を伸ばす。
﹁⋮⋮≪クライスト≫が、ない﹂
空を切る感触。
辺りを見回し、長年共にしてきた愛剣の姿を探すも、長くは続かない。
≪クライスト≫は刀身を失い、武器としての死を迎えてしまったのだから。
﹂
!
﹁││あっ
セフィリア
366
消沈するセフィリアの耳に、その声は届く。
どこか痛いところとかない
気分は大丈夫
﹂
?
記憶にあるものよりも幾分か華やいだ声音に、セフィリアは顔を上げた。
目が覚めたのね
?
﹁良かった
!
あの、どうして私の名前を⋮⋮﹂
?
長く伸びた金髪に眼鏡、その奥に見えるクローン体である彼女と同じ赤い瞳││
戸惑いの表情を浮かべる彼女の容姿は、最後に見た時と何ら変わりはない。
﹁へっ
﹁⋮⋮ティアーユ﹂
いで。
間味溢れる豊かな表情を次々と変えていく表情は、顔だけ同じで中身を入れ替えたみた
研究者らしい、自分の興味のあること以外には淡々としていた様子は欠片もなく、人
から。
矢継ぎ早に語られる質問に面食らったのは、セフィリアの知る彼女との差異を感じた
!
367
﹁⋮⋮緑の、瞳﹂
縁のない眼鏡に彩られるのは、鮮やかな緑色の瞳。 ﹂
声も容姿も瓜二つだが、たった一つの違いが強烈な違和感となってセフィリアを襲っ
た。
﹁⋮⋮あなたの、名前は
?
とは内緒で
その私っ、正体を隠して⋮⋮だから、そのっ⋮⋮
﹂
!?
!?
暗い夜空に浮かぶ、見慣れた金色の月は影もなく。
赤、緑、青││。
疲労を色濃く残す頭が納得のいく答えを導けず、なんとはなしに見た窓の先。
リアの知るティアーユとあまりにも共通点が多過ぎた。
イヴと同じクローンだと言われた方が納得できるほど、目の前のティアーユはセフィ
だが、他人の空似にしては似過ぎている。
あたふたするティアーユの姿は、やはり自分の知る彼女とはかけ離れていた。
!
﹁あ、はい⋮⋮えと、私はティアーユ・ルナティーク⋮⋮はっ そそ、そのっ、このこ
セフィリア
368
369
見たことのない色とりどりの大小さまざまな星が、燦然と存在を主張していた。
ティアーユ
時刻を確認。
現在、お昼過ぎ。
空を見上げる。
夜空である。
星の色は赤やら緑やら青やらだった。
見慣れたお月様の姿はどこにもなかった。
﹁わけわかんねぇ﹂
﹁ネメちゃん、クロちゃんの様子が変だよ﹂
つまり、現時点では自分は過去の世界にいる筈なのだが、ふとした時に疑問に思った
転生して、トリップして、憑依して、逆行して。
けばじきに良くなるだろうさ﹂
﹁宇宙船だけは駄目だと言っていたからな。船旅が堪えたのだろう。暫くそっとしてお
ティアーユ
370
りする。
ナノマシンとか普通にあるから医学面とかは進
件の創作物って宇宙にまで世界観が広がっていたのだろうかと。
﹁描写されてなかっただけってオチ
ロ様なあいつも普通に女子高生してたから疑問に思ったことなかったけど⋮⋮ハッ
モもアヌビスと同類
奴等の正体は地球外生命体
そうだよ、そういうことなら全
!?
!?
満月見る
?
﹂
≪ 細 胞 放 電 現 象 ≫ 続 け ま く っ て ≪ ハ ー デ ィ ス ≫ に 充 電 し ま く っ て
親戚かなんかか。尻尾ってそういうことなの あいつら尻尾弱点なの
バーストレールガン
?
ぶっ放した≪炸裂電磁銃≫で月とか破壊できないかな
?
と変身すんの
?
民族の血を引いてるって訳か。おいおい、だったらデビルーク人ってアレか、野菜人の
部説明がつくぜ。あいつら会う度に謎の超進化遂げてやがったからな。どこぞの戦闘
!
体と仲良くなってたってのかよ⋮⋮⋮⋮はっ つーことは必然的に女剣士やヤンホ
アヌビス、お前番犬の間違いだろ。ヤベェわ。俺ってば気付いてないだけで地球外生命
思わなかったけど、犬が≪ 時 の 番 人 ≫って普通にあり得ないだろ。番人じゃねぇだろ
クロノ・ナンバーズ
ノス≫とか絶対そうだよ。だってそうだろ。普通に意思疎通できてたから疑問にすら
実は俺が知らなかっただけで普通に宇宙人と交信してたってのか。だったら≪クロ
!?
んでるけど、基本舞台設定って現代だった気が。車とか飛行機とか普通にあったし、ク
?
371
﹁ネメちゃん、クロちゃんもう手遅れかもしれないよ﹂
﹁大丈夫だメアよ。私はどんなトレインでも受け入れる覚悟があるからな﹂
一番新しい記憶が結城家で、気付けば宇宙船の中、只今銀河の外れの星に。
目が覚めて最初に見たのが窓から見える宇宙空間だった、そんな当時の心境は語るに
及ばず。
事情を聴けば、今まで行方不明だったティアーユの消息が掴め、ヤミが所有するかつ
ての住居である宇宙船≪ルナティーク号≫で迎えに行くことになったとか。
それは朗報だと浮かれるトレインだが、素直に喜べない理由があった。
﹁なぁ、姫っちや﹂
﹂
﹁話し掛けないでください﹂
﹁なんか怒ってね
﹁怒ってません﹂
?
﹁知りません﹂
﹁結城家でクッキングしてからの記憶がないんだけど﹂
ティアーユ
372
取り付く島もないとはこのことか。
ムスッとしてプイッとそっぽを向き続けるヤミは、目が覚めてからずっとこの調子
だった。
﹁助けて、リョーコえもん﹂
﹁ふふっ、嫌よ﹂
﹂
﹂
そして、相も変わらず、心の病を負った患者の切なる願いを笑顔で切り捨てる涼子
だった。
﹁もうっ、皆さん浮かれ過ぎですよ。特にトレイン君
﹂
﹁シズさんや。なんでもかんでも俺のせいのするのはどういう了見ですかね
﹁トレイン君だからです
ティアーユがいるという星に着陸し、こうして歩き続けること数分。
がっくりと肩を落とし、荒廃した大地を歩いていく。
﹁なんやねんその理屈⋮⋮﹂
!
?
!
373
草木の生えない荒地に、点々と建つ住居は掘っ立て小屋のように頼りない。
お世辞にも生活水準が高いとは言えない、目立つような特産品や観光名所があるとも
思えない。
つまり、組織に抹殺されそうになった人間が隠れ住むにはもってこいの場所とも言え
る。
﹁此処よ﹂
目の前に立つのは、一言でいえばボロ小屋だ。
宇宙生物工学の分野で並ぶ人なしと評される天才科学者の住居には相応しいとは言
えない。
﹁此処が、ティアの⋮⋮﹂
思い詰めたように呟くヤミとは対照的に、トレインの吐いた言葉は辛辣だった。
﹁あのポンコツ、こんなところに引き篭もってやがったか﹂
ティアーユ
374
﹂
﹁トレイン君、女性にポンコツというのはあんまりなのでは﹂
﹁ポンコツをポンコツと言って何が悪い﹂
﹁ティアーユ博士って私達の生みの親なんだよね
﹁一応そうなのだがな⋮⋮﹂
ない。
一番新しい記憶の段階で料理に興味を持っていたのだから、もう手遅れなのかもしれ
おっちょこちょいで何もないところで転ぶドジッ娘気質は当時から既に健在。
既に自分の知る道筋など跡形もなくなりつつあるが、油断は禁物だ。
が湧く。
知識と記憶、それぞれのティアーユとの差異に、唯一知るトレインだからこその畏怖
﹁あのポンコツが、最終的にはヘドロ製造機になるかもしれねぇのか﹂
ネメシスに至っては遠目で観察していただけだが、あの様子だと知っているようだ。
揃って遠い目をするのは、ティアーユの人となりを知るネメシスと涼子。
﹁彼女、研究以外はてんで駄目なのよね。家事なんてさせようものならもう⋮⋮﹂
?
375
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ヤミお姉ちゃん
﹂
﹂
?
自嘲するように、ヤミは言葉を続けた。
﹁⋮⋮否定はしません。実際、ネメシスの言う通りですから﹂
﹁今更になって怖じ気づいたか
﹁⋮⋮やはり、私は遠慮します﹂
怖いもの見たさな心境だったが、メアの戸惑う声がそれを打ち消す。
?
生体兵器で、殺し屋で、化物で。
のですから﹂
い。今、こうして此処に立っているのは、宇宙一の殺し屋と恐れられる≪金色の闇≫な
﹁私はもう、ティアの知る昔の私ではありません。純粋無垢だった≪イヴ≫はもういな
ティアーユ
376
それでも、少しずつではあるけど、ヤミは人間になりつつある。
リトに出会い、美柑と友達になって、トレインと再会し、ネメシスやメアという仲間
も出来た。
彩南町で過ごした日々は、人間である≪イヴ≫の心を取り戻させてくれた。
だけど、≪金色の闇≫が、生体兵器で殺し屋で化物だった自分が消える訳ではない。
﹂
≪イヴ≫と≪金色の闇≫、対極である両者が混在している状態が、今のヤミなのだ。
﹁ティアが生きている。それが知れただけでも、此処に来る価値がありました﹂
≪ルナティーク号≫に戻ってます││。
その言葉を残し、踵を返そうとするヤミの手を、トレインは掴んだ。
身を固くするヤミ、引き留めるトレイン、そんな二人を見守る彼女達。
姫っち、リアルお姫様になっちゃうの
一体何を語るのかと、場に緊張感が満ちていく。
﹁えっ、もしかして悲劇のヒロイン気取り
?
周囲のトレインを見る目が微妙なものに変わっていく。
?
377
だが、呆れ顔のトレインはどこ吹く風だった。
すんだから、今会ったって同じだろうが﹂
﹁姫っちさぁ、問題の先延ばしだって自覚ある どうせ帰りの宇宙船の中で鉢合わせ
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それとよ、姫っちが≪金色の闇≫だってティアはもう知ってんじゃねぇの 伝手と
?
していく。
どこまでも呑気なトレインの物言いに、沸々と湧き上がる衝動がヤミの金髪へと伝播
所詮は他人事。
﹁あー、大丈夫大丈夫。ティアならその辺問題ないって﹂
﹁⋮⋮それなら、尚更会わせる顔がありません﹂
だし﹂
かその手の技術からっきしの俺と違って、ティアはポンコツだけど一応天才科学者なん
?
周囲にも波状し、まさに針の筵な、当の本人ことトレインはどこ吹く風で。
﹁俺は姫っちの全部、受け入れたぜ﹂
ティアーユ
378
優しい声音だった。
呆れ顔は打って変わり、聞き分けの悪い子供を諭すような穏やかな表情へ。
イヴ
親 と子を誰よりも近くで見続けてきたトレインだから、こうして断言できるのだ。
ティアーユ
からこそ。
創作物を第三者視点ではない、実際に接して目で見て耳で聞いて心で寄り添ってきた
ど。
ティアーユとヤミ、二人と過ごした時間はそれほど多くはなかったかもしれないけれ
原作知識を有しているからとか、それだけでものを言っているのでもなくて。
楽観視している訳でもなく、根拠がない訳でもない。
絶対、受け入れてくれるよ﹂
んだ。時間が掛かるかもしれねぇし、簡単にはいかないかもしれねぇけどさ。ティアは
毎回料理黒焦げにするポンコツだけど、自分の娘が可愛くて仕方がねぇ親バカでもある
﹁俺に出来たんだ。ティアに出来ねえわけがねぇ。あいつはなにもないところで転ぶし
379
﹁それでも怖いって言うんならさ﹂
自分と同じ、小さな手を握りしめる。
俺は此処にいるからと、そんな声なき想いを伝えるために。
﹁手、握っててやるから。だから、一緒にティアを迎えに行こうぜ﹂
返事もなし、顔も背けたまま。
それでも、トレインの隣に並び立ち、ヤミは小さく頷いた。
ギュッと握り返された手が、肯定だという声なき想いを伝え返していた。
﹁うしっ。じゃあ、皆でせーのでいくとしますか﹂
ドアノブに手を掛け、後ろを振り返る。
﹂
何故かジト目なネメシスを視界からカットしつつ、頷く一堂に笑顔で返す。
﹁んじゃ、せーの゛
!?
ティアーユ
380
﹁アークス
⋮⋮⋮⋮へ
﹂
?
﹁⋮⋮⋮⋮はっ
ご、ごめんなさい
私慌てて││﹂
!
先に開いたドアがトレインの顔面を強打した。
今から扉を開ける、まさにその瞬間。
!!
﹂
?
﹁久しぶり
何年ぶりかしら
他にもたくさん連れの人達が⋮⋮﹂
?
そして、次の瞬間には笑みが驚愕へと移り変わる。
!
かつての旧友との再会に、成熟した肢体に似合わぬ幼き笑みで応える。
だった。
顔の造形も髪色も、唯一違う瞳の色以外は、その女性は驚くほどヤミと酷似した容姿
見開かれる、緑の双眸。
﹁⋮⋮ミカド、なの
﹁そそっかしいところは相変わらずね、ティア﹂
!?
381
﹁⋮⋮イヴ﹂
﹁⋮⋮ティア﹂
同じ遺伝子を持つ、同じ顔を持つもの同士。
赤と緑の瞳が、長い時を経て今、交わり合う。
﹁ひ、久しぶり⋮⋮元気そうで良かったわ、イヴ││﹂
﹁今の私は≪金色の闇≫です。あなたの知る≪イヴ≫は、もういません﹂
けない。
傍から見れば虚勢に過ぎない、≪金色の闇≫という仮面を張り付けたヤミにさえ気付
それでも、記憶にある≪イヴ≫とは想像もつかぬ、鋭利な表情に言葉が出ない。
聞きたいことがあるだろう、伝えたいこともあるだろう。
う。
予期していたヤミとは違い、予期せぬ再会をしたティアーユは言葉に詰まってしま
﹁っ⋮⋮﹂
ティアーユ
382
双方が持つ後ろめたさが、離れてしまった心の距離を取り戻すのは簡単なことではな
いのだ。
同じ遺伝子を持ち、性格は正反対だけど、同じ不器用者同士だからこそ。
﹁あの、ヤミちゃん⋮⋮ゴメンなさ││﹂
それでも、伝えなければならないことがあるから。
﹂
﹂
ワザとなんだな
あ゛あ゛
﹂
なんで毎度毎度テメェのドジっ娘
口火を切るティアーユの背後に、その男は幽鬼のように忍び寄り、両の拳を彼女の頭
に固定。
﹁ポンコツてめ││││││っ
﹁きゃああああ││││││っ
ぐりぐり攻撃。
ワザとなのか
!?
﹁出会って早々この所業か また俺が被害者か
気質に俺を巻き込みやがんだ
!
!
!? !!
!
!
!
383
﹁ああ
トレイン君なのね
!
﹂
この女子供だろうが情け容赦のない辛辣な言動
鼻水ぅううううううううう
生ぎででくれでぇええええ
﹂
﹁どういう思い出し方してんだ天然娘がぁああああああ
﹁よがっだぁああああ
﹁ぎゃあああああああ
﹂ !? !!
﹂
!
ない。
﹁どれいんぐ∼∼∼ん
!!
﹁ん││││││││││っ
﹁こらーっ
﹂
トレインから離れんかー
!!
﹂
﹁わぁ、凄いおっぱい。画像で見たけど、実物で見るとやっぱり違うな。素敵﹂
!?
﹂
涼子に匹敵する爆乳に顔を埋め、酸素を求め背中をタップするもティアーユは気付か
熱い抱擁でトレインを捕獲し、鼻水と涙交じりの顔を押しつけすりすり。
!? !!
!!
!?
!!
﹁あらあら。女の胸の中で死ねるなら、トレイン君も男冥利に尽きるんじゃないかしら
﹂
?
⋮⋮﹂
﹁あの、トレイン君、赤を通り越して青くなってますよ。わりとシャレにならないのでは
ティアーユ
384
緊迫した空気から一転、ドタバタ騒ぎへ。
ティアーユがおいおいと泣き、トレインがタップし、メアが感心し、ネメシスが怒髪
天を突き、涼子はあらあらうふふとしたり顔、お静が冷静に診察を下す。
そんな馬鹿騒ぎに一人置いてけぼりなヤミはといえば、怒るでもなければ呆れるでも
なし。
◆ ◇ ◆ ◇
この時確かに、≪金色の闇≫は≪イヴ≫だった頃の心を取り戻していた。
それは、かつて存在していた、失った筈だった光景。
童心に帰ったように、あどけなく微笑む。
﹁⋮⋮もうっ、ティアったら﹂
385
ティアーユ
386
ティアーユ・ルナティークはトレインにとって恩人と呼べる存在である。
逆行して最初に出会った人間であり、住所不定無職なショタっ子になった自分に雨風
を凌げる寝床と温かくて異臭を放つ黒焦げの料理を提供してくれた、そんなお人好しが
ティアーユだった。
だからこそ、世話になった恩を返そうと彼女の面倒を見だしたのは自然な流れだっ
た。
巷では天才科学者と評されてはいるが、研究をすれば寝食を忘れるほど没頭し、料理
をすれば作るもの全てを黒焦げにし、そこら中で転ぶ、そんなポンコツを見ていられな
かったからである。
だが、後にトレインはこう語る││あれが苦難の始まりだったのだと。
かつての職場≪エデン≫で連日のように研究室に泊まり込む彼女を社畜かお前はと
定時直後に自室まで引き摺って行くのがトレインの日課だった。
その結果作業速度は大幅に落ち、当然のように研究者共に煙たがられ、なんか物凄く
見覚えのある変態ドクターに実験材料だと付け狙われてしまったので取り敢えず半殺
しにして島流しの刑に。
一向に上達しない料理スキルに業を煮やし、料理をし出したのはこの頃からだった
か。
自分もなにか手伝うと言い出したドジっ子が皿を割れるわ包丁を飛ばすわ発火させ
るわで余計に仕事が増えるので役立たずの烙印を押し何もするな黙って座ってろとブ
チ切れたのは一度ではない。
とか一瞬思いもしたが、何度も繰り返されれば
そして、なにもないところで転ぶ奴のドジっ子スキルには常に巻き込まれていた。
これって逆ラッキースケベじゃね
う結果に。
で幼女だったヤミことイヴが親代わりのポンコツを盗られたとトレインを嫌ってしま
そんなティアーユに巻き込まれ続けたのが原因だったのだろう、当時生まれたばかり
色気よりも殺気の方が勝ってきてどうでも良くなった記憶しかないのだが。
?
ある日突然丁寧な口調で、えっちぃ人は嫌いですと言われた日は反抗期かと泣きそう
になった。
恩人
もう十分恩義返したよね
?
だからもう報いてもよくね
?
?
﹁あのポンコツいつか絶対に復讐してやる﹂
387
我慢する必要なくね
地獄に突き墜としてもいいんじゃね
﹁くくく、手を貸そうではないかトレイン。して、どう調教するのだ
だったとか。
﹂
トランスフュージョン
次々に飛び出す物騒な手法は、耳にした者がいればドン引きするようなものばかり
ドSコンビに狙われたティアーユの明日はどっちなのだろう。
主従とは似るのか、ネメシスに染まったのか、トレインに染まってしまったのか。
態。
のりのりであくどい笑みを浮かべるネメシスは、トレインの体に≪ 変 身 融 合 ≫状
?
?
?
のには原因があり、なんでも介抱していた人物がどこにも見当たらないのだとか。
出会い頭に扉と接吻を交わしたトレインだったが、あれだけティアーユが慌てていた
話の切り上げにと発したのは、二人がこうして出歩いている原因だった。
﹁にしても、傍迷惑な奴もいたもんだぜ。病人なら大人しく寝てろってんだ﹂
ティアーユ
388
せっかくの再会、ティアーユだってヤミと話したいことは山のようにあることだろ
う。
聞けば、今回のように抜け出すことは何度もあるそうで、一見慌てていたように見え
たティアーユも、よく見れば焦りより怒りの方が強いように思えた。
本来なら出歩けるような体ではなく、いる場所は決まって近場にある小高い丘の上。
ならばとトレインが捜索に名乗り出て、付き添う形でネメシスが同伴する流れになっ
たのだ。
﹁トレインはよかったのか かつての同居人だったドクター・ティアーユとの再会な
389
﹁⋮⋮羨ましいよ﹂
ちの方が問題ありなんだからよ﹂
﹁いいっていいって。ティアとはあんな感じの付き合いだったから、俺なんかより姫っ
のだ、積もる話もあっただろうに﹂
?
﹂
内から響くその声には、僅かな影を帯びていた。
﹁ネメシス
?
﹁そうまでもトレインに想われているヤミが、私は羨ましくて仕方がない。私はこんな
にもお前に尽くそうとしているのに、トレインは何時だってヤミに尽くそうとしている
ことがな﹂
﹁尽くすって、お前な⋮⋮﹂
私はお前のものだとか言っていたが、アレってマジだったのか。
トレインが望むなら、私はなんでもしてやれるのだぞ
﹂
調教だの下僕だのと女王様気質なネメシスだからこそ、冗談なんだと流していたのだ
が。
﹁私では駄目なのか
?
荒廃した大地を踏む足音、時折吹き抜ける風音だけが二人の間に流れる。
冗談の類だと笑って流そうとするが、真剣な金色の瞳がそれを阻んだ。
突然の発言に面食らうトレインの頬を、実体化したネメシスの両掌が包み込む。
?
﹁幸せになって欲しいんだよ﹂
ティアーユ
390
自分と同じ金色の瞳を、真っすぐに見詰めた。
そっと抱き締め、ぐずるネメシスの頭をポンッと叩く。
だから、これはトレインの自己満足に他ならない。
人物であっても別人だということは理解しているつもりだった。
逆行した世界で出会ったヤミとティアーユが、トレインの知る未来の彼女達とは同一
争い事とは無縁だった彼女達を巻き込み、涙を流させたのは自分だ。
稽な話。
未来の彼女達を庇い、致命傷を負って、過去の世界に逆行したなんて、そんな荒唐無
だって、言ったところで誰も信じてくれる筈がない。
泣きそうなネメシスに掛けたかった言葉を、トレインはぐっと飲みこんだ。
││そうじゃないんだよ、ネメシス。
一つ悪くはないぞ﹂
抹殺されそうになったのも、ヤミが≪金色の闇≫になってしまったのも、トレインは何
﹁二人のことはトレインのせいではないだろう。ドクター・ティアーユが≪エデン≫に
﹁姫っちも、ティアも、俺のせいで不幸にしちまったからな﹂
391
探し人の元へ向かう足は止めず、あやす様に何度も、何度も。
イヴとティアーユ
男女平等を掲げるトレインだが、女の涙だけは別だった。
﹂
自分などのために涙を流す、 彼 女 達と重なってしまうから。
﹁││おっ、あの人じゃね
﹁ほれ、ネメシス。何時まで泣いてんだよ﹂
﹁⋮⋮うるさい。ずっとこうしていろ﹂
?
らご褒美を寄越せ。鞭ばかり与えて見限られても知らんぞ﹂
﹁ふん、トレインはもっと私を大事にすればいいのだ。立派なご主人様になりたいのな
﹁俺のもの発言はどこいったんだよ。主従逆転ってか
﹂
遠目なので後ろ姿しか視認できないが、波打つ金髪は特徴通りだった。
ティアーユの言葉通り、近場の小高い丘の上にいるのが目的の人物だろう。
?
﹁⋮⋮ばか﹂
﹁ネメシスに憑りつかれずに済むってんなら、これからも飴はあげられねぇな﹂
ティアーユ
392
不貞腐れたのか、トレインの内に戻るネメシスからの応答はなし。
﹂
苦笑を零し、緩やかについた傾斜を昇っていく。
﹁⋮⋮おろ
震えは直立が困難なほどにまで増していく。
冷や汗が噴き出す。
顔が引き攣る。
﹁⋮⋮⋮⋮ははっ﹂
だった。
それが警鐘だと気付いたのは、小高い丘を登り切り、目的の人物を背中を捉えた時
挙句の果てには、第六感とでも言えばいいのか、それが懐かしい響きを打ち鳴らす。
首を傾げるが、震えは一向に収まらず、心なし増しているような気さえしてきた。
ネメシスの仕業かと疑うが、そんな感じではないように思えた。
気のせいか、手足が震えている。
?
393
﹁⋮⋮⋮⋮嘘、だ⋮⋮嘘に、決まって⋮⋮﹂
紫を基調とし、軍服のような意匠を凝らしたロングコート。
波打つ金髪は腰まで届き、風に靡く様は息を呑むほどに美しい。
後ろ姿だけでも相当な美人だと、立ち姿や雰囲気だけで誰もが察するだろう。
条件反射のように腰元に目が行き、何もないことに心底安堵して。
﹂
だから、前の時と同じなのだと、他人の空似なのだと思った。
﹁セフィ、さん
?
﹂
女性が振り返った。
?
ぐしゃっと、鳴ってはいけない音が胃からした。
﹁⋮⋮⋮⋮え
ティアーユ
394
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
息を呑むほど、その女性は美しかった。
輝く様な金髪も、涙で潤んだ碧眼も、なにもかも。
その容姿であらゆる異性を魅了する、宇宙一の美女であるセフィに引けを取らない。
髪色だとか、瞳の色だとか、服越しでも伺える筋肉の付き方だとか。
多少の差異はあれど、目の前の女性はセフィと瓜二つだったが、中でも目を引く相違
点。
││わぁ、素敵な刺青ですね。
自分の≪XIII≫を彷彿とさせる、額に刻まれた≪I≫のローマ数字が、彼女の正
体を告げていた。
﹂
││あっ、この人モノホンのセフィリア=アークスだわ。
﹁⋮⋮あ、あなたは、は⋮⋮
無。
何故か自分同様に驚愕を張り付けるセフィリアだったが、その疑問に裂く思考など皆
!?
395
とか思ったりもしたが、次の刹那には消滅。
かつてないほど頭が働き、この場を切り抜ける膨大な量の作戦案が浮かんでは消え
る。
これって走馬灯じゃね
﹂
セフィリアに自分がトレインだと悟らせない、その為の最適解、それは、
導き出す。
そして、思考時間では悠久、実際には一秒にも満たぬ時間を経て、トレインは答えを
インにある訳もなく。
の当然の解に辿り着く可能性は、生死にかかわるほどの重要な局面に直面しているトレ
逆行して初めて会うんだから正体隠す必要ないだろうという、冷静に考えれば湧く筈
?
お姉さんだ∼れ
?
?
自分のショタっ子な容姿を最大限利用した、自分ただの子供ですよ作戦である。
﹁あれれ∼
ティアーユ
396
サイカイ
﹁僕、クロって言うんだ
﹂
よろしくね
お姉さんはなんていうの
セフィリアさんって言うんだ
?
﹂
この前机の角でごっつんしちゃって痣になっちゃったから、ママが貼って
﹁その、クロ君⋮⋮あなたの左鎖骨の絆創膏は⋮⋮﹂
?
﹁うん
ありがとう、セフィリアさん
﹂
!
その気遣いをほんの少しでいいので過去の俺にも回してはくれませんかね。
あれか、子供だから心配するのか。
!
﹁そう、ですか⋮⋮お節介かと思いますが、気を付けてくださいね﹂
くれたんだ。もう痛くないから大丈夫だよ﹂
﹁あ、これ
!
﹁え、ええ⋮⋮セフィリアといいます﹂
﹁そっか
!
誰がよろしくだ、よろしくなんてしたくねぇよ。
!
!
397
具体的に言うとね、≪滅界≫とか、≪滅界≫とか、≪滅界≫とか、≪滅界≫とかね。
≪ ク ラ イ ス ト ≫ の 錆 に し
先制必中即死技をね、連発とかね、頭おかしいんじゃないの。
そ ん な に 俺 の こ と 嫌 い な の 殺 し た い ほ ど 憎 い の
ちゃうの
?
バイバイ
セフィリ
!
﹂
!
﹁あの、クロ君。先程、私のことをセフィと││﹂
アさん
!
≪クロノス≫時代から人のこと目の敵にして、俺が何をしたっていうんだよ
?
よって、急ぎティアーユ達の元へ戻り、口裏を合わせてもらわなければ。
を話して正体がバレるなんてことは普通に起こりうる未来だ。
セフィリアがティアーユの探し人である以上、あのポンコツがベラベラと要らぬこと
はできない。
装飾銃と左鎖骨の≪XIII≫の刺青はなんとか誤魔化せたが、だからといって油断
外面は笑顔で、内面ではトラウマに遭遇したことによる拒絶反応でボロボロ。
早くも活動限界寸前である、主に胃が、なんか動くたびにぐちゃぐちゃ鳴ってるし。
!
!
?
﹁あ、僕ママからお使い頼まれてたんだった 帰らなきゃ
サイカイ
398
﹂
!?
どさっ。
?
地面に倒れ伏したセフィリアの姿だった。
﹁⋮⋮⋮⋮へ
﹂
﹁っ⋮⋮⋮⋮﹂
そう思って、慌てて後ろを振り返ったトレインが見たのは、
トラウマによる拒絶反応だったが、今の行動は明らかに不自然だ。
る。
一瞬だけ触れたセフィリアの手を全力で払い除け、次の瞬間己の失態を自覚し青褪め
全身の産毛が総毛立つ。
﹁ひぃ
﹁まっ、待って││﹂
399
油断させてからの≪滅界≫の線を危惧した、事実過去に一度騙されて死にかけた。
しかし、額に脂汗を浮かべ、荒い息を吐く様子は明らかに普通ではない。
棒でもあれば距離を取って触診できるのだが、無いものねだりだ。
やむを得ず、細心の注意を払い、警戒心を最大限に引き上げ、即座に飛び退ける心構
えで、ゆっくりと、恐る恐る、怪音を奏でる胃に考え直し、それでもと、だけどやっぱ
り、いやでも、だけどここで見捨てるのは人として、しかし、だがしかし、いやいやい
や││
?
いいところに
││何をやっているんだ、トレイン
││ネメちゃん
││ねねっ、ネメちゃん
救いの女神、降臨である。
!
そんで内から検査をさ。あと
いつにも増して今日は様子がおかしいぞ
││お願い。後生だから、一生に一度のお願いだから。
││ど、どうしたのだトレイン
?
トランス・フュージョン
?
!?
!?
││この女の人にさ、≪ 変 身 融 合 ≫してくんね
?
サイカイ
400
介錯も。
ちょっといいとこ見てみたい
││わ、私に他の女のところへ行けというのか
││ネメちゃんの
!
!
僕、誰か他の人を呼んでくるから
││しょ、しょうがないなぁ
ちょろいな。
﹁待っててセフィリアさん
トレインは走った。
﹂
!
!
!
い。
決してトラウマから逃げるためだとか、ネメシスに嫌なことを押し付けた訳でもな
ベスト。
ティアーユ達への口裏合わせを行うためにも、此処はネメシスと二手に分かれるのが
逃走││否、これは戦略的な撤退である。
倒れ伏したセフィリア、締まりのない顔のネメシスを残して、走り出した。
!
401
﹁わはははは
マスール銀河最強の賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ様の登場だ
﹂
!
更に湧いてきた、変な三人組が。
ら﹂
﹁私も引くわけにはいかぬな。彼女への雪辱を晴らすため、一睡もせずに鍛えたのだか
をね﹂
﹁その案には賛成だが、とどめを刺すのはボクだよ。全身サイボーグ化された、その恨み
さでおくべきか﹂
のメア≫も手が出せねーはずだ。オレ様の宇宙海賊バロック団を壊滅させた恨み、晴ら
﹁てめーは手を出すんじゃねーぞ、ガチ・ムーチョ。このガキ共を人質にすりゃ、≪赤毛
背中に強大な金砕棒を背負った変な恰好の宇宙人が、突然現れた。
そして、そんなトレインに神は試練を与える。
!
クソガキ、≪金色の闇≫に復讐する、そのための人質としてね﹂
﹁悪いが坊や。あんたはこのあたし、≪暴虐のアゼンダ≫が利用させてもらうよ。あの
サイカイ
402
﹄
エロい服着た女の人まで登場してきた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そのままスルーすることにした。
﹃ちょっと待てぇえええええええええ
しかし、回り込まれた。
◆ ◇ ◆ ◇
曰く、≪赤毛のメア≫への復讐のために。
曰く、賞金首である≪金色の闇≫と≪赤毛のメア≫を捕らえるために。
!!
403
﹂
﹂
曰く、同じ殺し屋である≪金色の闇≫に負けて地に堕ちた信用を復活させるために。
﹁すんません。やっぱ俺帰ってもいいっすか
結論。
全部ヤミとメアの仕業だった。
﹁⋮⋮どうやら、痛い目見なきゃ分からないようだねぇ
そう言って、アゼンダは腰に巻かれた鞭を振るってきた。
!
?
﹂
速度は相当なもの、常人には到底目で追うことのできないだろう速度。
﹁なっ
!?
だが、トレインには止まって見える。
よ﹂
﹁あのさぁ。こう見えて俺、急いでんだよね。だから、あんた等の相手してる暇はないの
サイカイ
404
クロノ・ナンバーズ
かつての同期、≪ 時 の 番 人 ≫の鞭使いに比べれば、アゼンダの技量は天と地ほどの開
きがある。
無造作に翳した手が鞭の先端を掴み取り、唖然とするアゼンダを見据えた。
﹁邪魔だ、失せろ﹂
﹂
言葉に殺気を込め、格の違いを知らしめようと言い放とうとして、
﹁うっ⋮⋮﹂
僕怖いよぉおおおおおお
背後からセフィリアの呻き声が聞こえた。
﹁わぁあああああああ
!?
はたして、そこにはゆっくりと立ち上がるセフィリアとなにやってんだこいつ的な目
掴んだ鞭を放り捨て、全力で後ろへと駆け出す。
全力で無力な子供ですよアピールを敢行した。
!?
405
を向けてくるネメシスがいた。
﹁お、驚かせやがって⋮⋮ただのマグレか﹂
﹂
﹂
﹁ボクでも見切ることが出来ないアゼンダの鞭を、あんな子供が見切れる筈がないよ﹂
﹁ふ、所詮はただの子供ということか﹂
自分の演技力には脱帽するしかない。
敵を欺くその技量、子役デビューも夢ではないとトレインは思った。
﹁も、申し訳ありません。手を煩わせてしまって⋮⋮﹂
﹂
﹁いや、気にするな。私はただ、トレインに頼まれただけで││﹂
﹁危ないネメちゃん伏せろぉおおおおおおお
﹁うきゃぁあああああああああああああああ
!? !!
大丈夫だよ僕が着いてるから
!
ネメシスを押し倒した。
どこか痛む
?
﹁ネメちゃん怪我はない
!
サイカイ
406
﹁どどど、どうしたのだ
本当に今日のトレインは変││﹂
まさか名前を間違えるなんて
くそぉ、あいつ
!?
あ ま り の シ ョ ッ ク で ネ メ ち ゃ ん が お か し く な っ
等 め ぇ 絶 対 に 許 さ な い ぞ ぉ
﹁僕の名前はクロだよネメちゃん
ちゃったじゃないか
!
!
なった。
﹂
﹂
﹂
﹁俺、クロ。ネメシス、ご近所の幼馴染。設定説明終了。アンダスタン
﹂
﹁ち、ちち、ちか、ちっ⋮⋮か、かお、ちかっ⋮⋮
﹁││あのっ﹂
﹂
﹁ぎゃあああああああああああっ
﹁どうしたのですかクロ君
﹁怖いよネメちゃぁああああんっ
﹁くっ、こんなに怯える子供を人質にするなんて⋮⋮なんと卑劣な
!
!?
﹂
内緒話の為の至近距離だが、突然の事態にネメシスの顔が爆発したように真っ赤に
ネメシスの顔を搔き抱き、セフィリアの死角へと隠す。
﹂
!
?
!
!?
!?
!?
?
407
﹂
連中じゃないよ、お前が怖いんだよ。
﹁うるせーぞお前等
﹁いいか お前らは≪金色の闇≫と≪赤毛のメア≫を誘き寄せるための餌だ しら
轟音と迸らせ、地面に金砕棒を突き立てたガチ・ムーチョが怒鳴り上げた。
!!
﹂
ばっくれても無駄だぞ
な
!
お前らガキ共が二人と親しいことは調べがついてんだから
!
!
の人数が相手だと内包しているダークマターの方が先に尽きる﹂
﹁ふぁ⋮⋮んんっ、その⋮⋮実体化しての戦闘は無理だ。短時間なら可能だが、これだけ
?
﹂
この中で最弱だろうネメシスでも、楽に処理できる相手だと判断する。
だが、スピードがまるでない、典型的なパワータイプなのだとガチ・ムーチョを評す。
屈強な体格から繰り出される強力な一撃は確かに脅威だ。
!
﹁⋮⋮ネメちゃん、どのくらい回復してる
サイカイ
408
トランス・フュージョン
しかし、あくまでもそれは全快状態だったらという前提での話。
短期間とはいえ≪ 変 身 融 合 ≫の依代だったんだ、ネメシスが現状戦力になること
といえば、トレインの補助が精一杯だろうことは想像に容易い。
トランス・フュージョン
≪プロジェクト・ネメシス≫がどのようなコンセプトなのかは知らないが、ヤミやメ
トランス
アのように自身が戦うのではなく、誰かに≪ 変 身 融 合 ≫しつつ不定形であるダーク
マターの特性を生かした自由度の高い≪変身≫でサポートに徹する方が、実体化の維持
にエネルギーを消耗するネメシスには理に適っているのだから、別に問題はない。
しかし、今回ばかりは得手不得手など度外視してでも戦ってもらいたかった。
﹂
﹂
?
﹁それで、クロはあの女にはどこまで隠すつもりなのだ
?
最悪、力尽くで口封じをしてでも⋮⋮﹂
?
﹁⋮⋮⋮⋮正体がバレるのは死ぬとき⋮⋮か⋮⋮﹂
﹁すまん。すまんクロ、私が悪かった。悪かったから、頼むから戻ってきてくれ﹂
﹁⋮⋮滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い││﹂
﹁別にバレても構わんだろう
僕はただの子供だよ
誰それ、電車男
?
﹁僕の正体に繋がる全て。トレイン
?
409
ネメシスは勿論、今回はトレインも戦力外だ。
よって、連中の相手はセフィリアに全部丸投げしよう。
傍迷惑な連中だが、セフィリアを相手にする彼等に心底同情するトレインだった。
≪桜舞≫で翻弄、≪雷霆≫で超接近、≪滅界≫、相手は死ぬ。
幾度となく喰らってきたセフィリアの必殺コンボを思い出し、ホロリと涙が頬を伝
う。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ざっ、と前に立つセフィリア。
立ち姿は歪み、息遣いは荒く、脚は小刻みに震え、腰にある筈の絶対相手殺すウェポ
﹂
ンが││
?
彼女はなんと言っていただろう、何故自分達はセフィリアの迎えに行ったのだろう。
この時、脳裏を過ったのはティアーユの顔。
﹁ひょ
サイカイ
410
││今のセフィリアは、本来ならば出歩けるような体ではない。
全盛期のトレインが、唯一守勢に回らざるを得なかった最強剣士。
だが、彼女の奥義である≪滅界≫を放ってきた愛剣≪クライスト≫は、どこにも見当
たらず。
立つことさえ一杯一杯の今のセフィリアからは、その面影を感じることさえ難しかっ
た。
﹁どうするよ
﹂
直後、三人組が動き出した。
﹁⋮⋮邪魔者は、消す﹂
﹁ヒヒ⋮⋮必要なのはガキ二人だからね。彼女は必要ないよ﹂
?
睥睨するガチ・ムーチョに、セフィリアは真っすぐ見返す。
﹁⋮⋮そうは、いきません﹂
﹁なんだ、女。用があるのはガキ共だ、テメーは引っ込んでろ﹂
411
上空から一人、左右に一人ずつ、ガチ・ムーチョはその場で不動。
いや、傍にある瓦礫に向けて、強大な金砕棒を振りかぶった。
﹂
反射的に懐の装飾銃に手が伸びそうになり、身構えるセフィリアに動きを止める。
﹁おらぁ
﹂
﹁あばばばばばばばばばば﹂
﹁く、クロ君
﹂
私が守りますから
﹁死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ殺される﹂
﹁大丈夫ですから
!
セフィリアに触れられた瞬間、再発するトラウマ現象。
!
!?
﹁胃が胃が胃が胃が胃が胃が││
!!
﹂
対し、振り返ったセフィリアはトレインとネメシスを抱え、その場から飛び退った。
豪快なスイングの後、粉砕された瓦礫が散弾となって殺到。
!
﹁⋮⋮なんなのだろうな、この状況﹂
サイカイ
412
全身が震え、汗が吹き出し、胃が有り得ない音を奏でる。
それを恐怖から来る異変だとセフィリアは思い、安心させようと強くトレインを抱き
締め、余計に悪化する拒絶反応、これぞまさに悪循環。
﹂
あまりにも奇天烈な光景に、セフィリアに抱き抱えられ、ネメシスは遠い目をするの
だった。
﹁潰れろぉ
踊るように光弾を捌き、流れ弾がワイヤーを直撃、そのまま焼き切れてしまう。
しかし、ワイヤーの上という悪条件な足場であっても、彼女の足運びは流麗だった。
三人組の一人、サイボーグ男が翳す掌が発光し、幾つもの光弾がセフィリアを襲う。
﹁こいつっ﹂
セフィリアは最小限の動きで躱し、本体と繋がるワイヤーの上に降り立つ。
三人組の一人、海賊風の出で立ちの男が自らの武器の先端を分離させ、そのまま射出。
!
413
﹂
﹁どこ狙っていやがる
﹂
﹁す、すまない
﹁││斬る
!
﹂
!
﹁なんと
﹂
﹁ふっ││﹂
着地する軸足目掛け、鞘から抜き放った刀の一撃を見舞うが、
地面に降り立つセフィリアに、三人組の最後の一人、着流し男が肉薄。
!
足場なき空中で体を捻り、繰り出された踵落しが刀身をへし折った。
!?
明王を彷彿とさせるセフィリアの威圧に、三人組は揃って後ろ足を引いてしまう。
しかし、宿る意思の光は消えることはない。
額に汗を浮かべ、荒い息を付くセフィリアは、なるほど確かに全快には程遠い。
﹁⋮⋮引きなさい。命までは奪おうとはしません﹂
サイカイ
414
﹁クロ君││﹂
﹁あたしを無視すんじゃないよ
!
足を止め、迎え撃とうと身構えるセフィリアに、アゼンダは片腕を突き出す。
だからといって、この体では長期戦は得策ではない。
執拗に追いかけてくる鞭から逃れることは、今のセフィリアには困難だった。
迫り来る鞭に飛び退くが、地を這う蛇のように絶えずセフィリアを追尾。
﹂
返事がない、ただの屍のようだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それは良かった。ところで、クロ君は⋮⋮﹂
﹁ネメシスだ。別に気にすることはないぞ﹂
﹁⋮⋮こちらこそ、手荒な真似をしてすみません﹂
﹁や、やるではないか、セフィリアとやら﹂
415
﹁体がっ﹂
念動波。
高速の鞭と並び、≪暴虐のアゼンダ≫の得意とする異能。
﹂
﹂ お静の霊能力には劣るが、本調子ではないセフィリアの動きを阻害するには十分すぎ
た。
﹁そぉら
﹁くっ⋮⋮
!
メシスではなかった。
起きないか
﹂
!
起きろ
!
それでも、絶対に傷付けさせまいと歯を食いしばるセフィリアに、傍観を決め込むネ
服が弾け、皮膚が裂け、血が滲み、それでも鞭の嵐は止まない。
一閃、二閃、三閃││。
トレインとネメシスの矢面に立ち、アゼンダの鞭がセフィリアを襲う。
!!
﹁お、おいクロ
!
サイカイ
416
必死の呼び掛けに、しかしトレインが反応することはない。
うわ言のように﹁滅界怖い滅界怖い滅界怖い﹂と繰り返すだけだ。
﹁くそっ﹂
だからこそ、ネメシスが動く。
トランス
内に蓄積されたダークマターを解き放ち、周囲へ散布。
≪変身≫による防御壁が展開され、アゼンダの鞭を防ぐ。
﹂
早く此処から離れろ ドクター・ティアーユ達に助けを求めるん
﹁ネメシスさんっ﹂
だ
﹁長くはもたん
﹁ですが⋮⋮﹂
﹂
暫くの逡巡の後、踵を返そうとするセフィリアは、足をもつらせてしまう。
﹁いいから行け
!
!
!
!
417
﹂
倒れ伏し、立ち上がろうと両手を支えにするが、それさえも叶わない。
﹂
﹁邪魔だクソガキぃ
﹁あぐっ
!!
トレインは使い物にならず、セフィリアも負傷が重なり立つこともままならない。
変 身 融 合 ≫されてしまった。
トランス・フュージョン
体 は 無 意 識 の う ち に 思 念 体 へ と 変 換 さ れ、緊 急 避 難 先 と し て ト レ イ ン へ と ≪
直撃こそ免れたが、実体化と合わさり急速に消費されるダークマターに、ネメシスの
を襲う。
≪変身≫によって構成された防御壁を突き破り、ガチ・ムーチョの金砕棒がネメシス
トランス
轟音、そして粉砕。
!?
絶対絶命の状況下、それでもセフィリアはトレインを守ろうと力一杯抱き締め。
背後にガチ・ムーチョを、囲い込むように三人組が油断なく距離を詰める。
﹁さぁて、凌辱タイムの始まりだよ﹂
サイカイ
418
419
そんな彼女達を、嗜虐的な笑みを顔に刻み、鞭を扱き、アゼンダは迫る。
そこから先は、嬲り殺しのように一方的なものだった。
◆ ◇ ◆ ◇
自分が犯した罪を見せつけられているようだった。
クリードとの激戦の後、度重なる≪滅界≫により、体はかつてないほど消耗されてい
た。
この世に生を受けた直後、抹殺人として生きることを宿命付けられた、この身に施さ
れた治癒能力向上の強化手術がなければ死んでいてもおかしくはない、それほどの消
耗。
でも、体が全快だったならば、もう一度命を断とうとしていただろう。
もし≪クライスト≫が無事ならば、躊躇なくその刃を心臓に突き立てていただろう。
ティアーユの静止を振り切り、何度もこの丘に足を運ぶのは、身投げでも考えたから
か。
彼の居ないこの世に、もう未練などない。
だから、今度こそはと思って足を運んだ丘の上で、少年と出会った。
暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫の
ローマ数字。
もういない、最愛の彼を彷彿とさせる、そんな少年とセフィリアは出会ってしまった。
クロと名乗る少年は、まるで罪の象徴のようにセフィリアの心を抉っていく。
瞳に宿るのは過度の怯え、行動一つ一つが自分を拒絶するような挙動を取られてしま
う。
それでもと、距離を縮めようと、連中の脅威から守ろうとして。
アゼンダから執拗に振るわれる鞭の連撃に晒されながら、そんな自分の過ちを悟っ
た。
まただ、また自分は一人善がりな行動を取ってしまったのだと。
﹂
相手の迷惑を顧みず、自分の想いだけを押し付ける、なんて自分本位な考えだ。
一体いつまでもつんだろうね
!
!
また繰り返すのか、最愛の彼を彷彿とさせる少年に、また。
これで何発目だい
!
﹁あはははっ
サイカイ
420
セフィリアは不器用な人間だ。
生まれてから今まで、その身は≪クロノス≫に捧げ、培った力は対象を抹殺する術だ
け。
あんたは殺さない
死ぬ寸前までいたぶって、どこかの金持ちに売り
そんな人間が、誰かのことを想うなど間違っているのだろうか。
﹁決めたよ
﹁でもね
﹂
そんなあんたにチャンスをあげようじゃないの
﹂
幸い顔だけはいいんだ その体を上手に使えば妾くらいにはしても
らえるだろうさ
!
何度同じような局面に出会ったとしても。
例え間違いだったとしても。
それでも。
!
もう、何もしない選択だけはしたくないから。
!
自分の居ないところで、最愛の人が傷付き、息絶え、その身を散らしてしまうなんて。
!
!
飛ばすんだ
!
!
421
嫌なんだ、なにも出来ないなんて、そんなの嫌だから。
﹁そのガキを差し出しな そうすればあんたは助けてやるよ だから選ぶがいいさ
﹂
我が身可愛さにガキを犠牲にするか
を見るか
﹂
﹁⋮⋮⋮⋮い、やだ﹂
﹁あ
それともご立派な自己満足に浸って地獄
!
不屈の心を宿した、真っすぐな目で。
背を向けていたセフィリアは、振り返り、アゼンダを見上げる。
鞭の嵐が止み、倒れ込みそうになる体を意思の力で奮い立たせ。
?
!
!
だから、セフィリアは││。
!
!
﹁この、子、は⋮⋮渡さない⋮⋮絶対に、渡す、もんか﹂
サイカイ
422
体力が底を尽き、体はボロボロ、虫の息寸前の体だ。
﹂
それでも、セフィリアの言葉には芯があった、強い響きが込められていた。
﹁今度こそ⋮⋮私は⋮⋮絶対にっ⋮⋮
この命に代えてでも
﹂
﹂
!
﹁守るんだ
返答は、冷淡だった。
﹁あっそ。じゃあ、死ねば
?
!
最愛の人を思い出させる、背中の少年だけは、絶対に。
それでもせめて、この少年だけは。
自分の知らぬ場所で、知らぬ時間に、失ってしまった最愛の人は守れなかったけれど。
人殺しの技術も、強化手術を施された肉体も。
生まれてから培ったものは全て、この時のために。
!
423
サイカイ
424
念動波によって硬質化された鞭の刺突。
躱せる体力はない、例え合っても躱さない。
今セフィリアが避ければ、後ろのクロに当たってしまう。
華奢な身体を目一杯に広げ、迫り来る痛みに、それでもセフィリアは目を閉じなかっ
た。
轟砲。
鋭利だった鞭の先端が裂け、潰され、微塵にされる。
それは、一発の銃弾では有り得ない現象だった。
時が拍を刻むのを忘れてしまったかのように、静まり返る丘で唯一、セフィリアの思
考は回る。
常人より遥かに優れた、セフィリアの聴力だからこそ、その音を捕らえることが出来
た。
││六発。
一度の銃声で、六発の銃弾を射出する、神がかった銃技。
そんな芸当が出来るのも、それを可能にする銃も、セフィリアが知る限りは一つだ。
ク イ ッ ク・ ド ロ ウ
だって、≪六連続早打ち≫は、彼が最も得意とする技なのだから。
やっとの思いで紡がれたアゼンダの問いかけに、少年は淀みない口調で答える。
それでも、沈黙の方が苦痛だと。
﹁何者だい、あんた﹂
い去る。
少年が醸し出す、誰もが膝を屈してしまいそうな覇気は、発言の自由すら彼等から奪
だが、誰もが言葉を発せない。
に立った。
その小さな体には不釣り合いなほど大仰な装飾銃を握り締め、少年はセフィリアの前
幾つもの金属音を響かせ、排出し終えたシリンダーに、新たな銃弾を装填。
止まっていた拍が、再び刻み出した。
﹁すんません。俺、あなたに嘘をついてました﹂
425
クロノ・ナンバーズ
﹁秘密結社≪クロノス≫所属。No.≪I≫、セフィリア=アークス率いる特務部隊≪
時 の 番 人 ≫のNo.≪XIII≫、トレイン=ハートネット。授かりしオリハルコン
製の武器は装飾銃≪ハーディス≫﹂
その言葉の後、準備は終わったと、握っていた装飾銃を横へ突き出した。
クロノ・ナンバーズ
周りに見えるように、銃身に刻まれた≪XIII≫の刻印を見せつけるように。
≪ 時 の 番 人 ≫へ入隊時、セフィリアから授かった、この世に二つとない、世界最高最
強の超金属≪オリハルコン≫によって生成された自慢の相棒、装飾銃≪ハーディス≫
を、誇らしげに。
霊。
瞳から大粒の涙を流し、懸命に絞り出したのは、返ってくることのなかった六つの言
枯れ果てた涙が幾度となく溢れだしてきて。
幾度となく口にした言葉が出てこなくて。
﹁⋮⋮っ⋮⋮ぁっ⋮⋮﹂
サイカイ
426
﹁ハート、ネット﹂
紡ぎ出す、最愛の人の名前。
振り返り、笑みを浮かべた少年の顔が、懐かしい青年の笑顔と重なる。
猫 ≫として、セフィリアの前
ブラックキャット
背中の守護する者に幸福を、眼前の仇なす者へ不吉を届けるために。
に立つ。
自由気ままな野良猫が今、最強の抹殺人である≪ 黒
イレイザー
﹁後は任せてください。今度は俺が、あなたを守ります﹂
決して叶うはずのなかった願いが、今。
愛する人に逢いたい。
たった一つの願いは、成就された。
﹁セフィリア先輩﹂
427
ナンバーズ
殺し屋≪暴虐のアゼンダ≫に賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ、そして復讐者である三人組。
彼等彼女等は、言葉を発することを忘れる。
何かが変わった訳ではない。
標的は子供二人、そして邪魔者が一人。
うち一人は何処かへ消え、もう一人は傷付き、そんな彼女の前に少年が立ちはだかる。
少年になにか特別な変化が訪れた訳ではない。 唯一、その小さな体には不釣り合いな大仰な装飾銃を持っているだけなのに。
﹂
!!
鋼のように鍛え抜かれたその体、例え銃弾だろうが致命傷になどなりはしない。
何を恐れることがあると、ガチ・ムーチョは勇ましく吠える。
そう、たったそれだけのことなのだ。
﹁ガハハハハハハっ
ナンバーズ
428
﹂
﹁秘 密 結 社 ≪ ク ロ ノ ス ≫
な部隊名も
クロノ・ナンバーズ
≪ 時 の 番 人 ≫ 知 ら ね ー な
?
?
そ ん な 組 織 も そ ん
!
相対する彼等の身長、体付き、全てが大人と子供以上の隔たりがあった。
相棒である金砕棒を振り回し、悠々とトレインへと歩み寄る。
!
!
﹂
!
﹁≪マルス≫﹂
を。
目の前の少年は、特例として≪ 時 の 番 人 ≫に迎え入れられた、最強の存在であること
クロノ・ナンバーズ
器を持ち、それらを限界まで極めた超常の戦闘集団。
此処とは別の世界、全十二人で構成され、各々が世界最強硬度の超合金で造られた武
≪クロノス≫の恐ろしさも、≪ 時 の 番 人 ≫の強さも。
クロノ・ナンバーズ
だが、ガチ・ムーチョは知らない、知る由もない。
ねーぜ
﹁テメーみたいなガキ、このマスール銀河最強の賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ様の敵じゃ
429
言葉と共に、トレインの手に具現化する、黒いナイフ。
舐 め て ん じ ゃ ね ー ぞ
同時に装飾銃を懐に仕舞い、舐められているのだとガチ・ムーチョの怒りを買う。
﹂
﹁そ ん な チ ャ チ な ナ イ フ で 俺 様 の 武 器 と 張 り 合 お う っ て の か
!
その時には既に、トレインは懐へと潜り込んでいた。
有り得ない事態にガチ・ムーチョは言葉を失い、その大仰な身体を硬直。
技量が合わさり、ガチ・ムーチョの金砕棒はバラバラに斬り裂かれてしまう。
内に眠るネメシスの≪変身≫により忠実に再現された超振動に、卓越したトレインの
トランス
No.≪IV≫、クランツ=マドゥーク。有する武器はナイフ。
││瞬間、トレインの手が黒いナイフと共にブレる。
だが、アゼンダ達は、不思議とそのような結末にならないだろうと直感した。
振り下ろされる金砕棒に、誰もが幻視するだろう光景は凄惨なものだった。 !
﹁≪ディオスクロイ≫﹂
ナンバーズ
430
No.≪V≫、ナイザー=ブラッカイマー。有する武器は一対のトンファー。
黒いナイフが消え、代わりに具現化された二振りのトンファーを握り締め、振り抜か
れる。
豪雨、そうとしか形容できないラッシュ。
﹂
数百に迫る打撃がガチ・ムーチョに体に沈み、その巨体が吹き飛ぶ。
﹁こいつ、ただのガキじゃない
瞬時に張り巡らされたワイヤーに阻まれ、光弾が二人に届くことはない。
N0.≪VII≫、ジェノス=ハザード。有する武器は鋼線付きグローブ。
だからこそ、トレインは避けなかった。
﹁≪エクセリオン≫﹂
殺到する光弾を避ければ、後ろにいるセフィリアに当たってしまうだろう。
堪らず声を上げ、三人組のサイボーグ男が翳した掌が発光。
!
431
﹁これならどうだい
﹂
着弾、しかしその全てが弾かれた。
﹁≪ア・バオア・クー≫﹂
その瞳に恐怖を宿すことなく、次の一手を静かに呟く。
即席ながら見事な連携プレイに、トレインは為す術もなく。
念動波がトレインの体を縛り、動けない隙を突き、再び光弾を掃射。
すかさず、アゼンダが動く。
!
No.≪XII≫、メイソン=オルドロッソ。有する武器は内に無数の武器を秘めた
強固な鎧。
防御から攻撃へ。
﹁≪グングニル≫﹂
ナンバーズ
432
No.≪II≫、ベルゼー=ロシュフォール。有する武器は大鎗。
速度と手数に重きを置く≪アークス流術≫と対を成す、≪エルヴァルト槍術≫。
重厚な一撃が空いた距離を蹂躙し、生み出された衝撃波がサイボーグ男に直撃。
﹂
最後の遠距離攻撃手段を失い、着流し男が抜刀しながらトレインへ迫る。
﹁いざ
突如軌道を変えた鉄球が着流し男を襲い、その体に鎖が巻き付き自由を奪う。
﹁なんとっ﹂
しまうが、
鎖を握り締め、頭上で旋回させた鉄球を投擲するも、速度がないため簡単に躱されて
球。
No.≪VIII≫、バルドリアス=S=ファンギーニ。有する武器は鎖付きの鉄
応戦すべく、瞬時にトレインは次の一手を具現化。
﹁≪ヘイムダル≫﹂
!
433
≪ヘイムダル≫の各所に設けられた噴出孔からのブーストによる軌道修正。
﹁≪ウルスラグナ≫﹂
必死になって拘束を解こうとする着流し男に、影が差す。
No.≪XI≫、ベルーガ=J=ハード。有する武器はバズーカ。
その強大な砲身は弾切れになろうとも鈍器として使用でき、落下速度と≪ウルスラグ
クソガキの分際でぇ
﹂
ナ≫自身の重量が加わり、振り下ろされる一撃が着流し男を叩き潰した。
﹁野郎
!
後はどうにでもなる
﹂
!
る。
殺らなきゃ殺られんのはオレ達だ
﹂
!
!?
﹁うるせー
﹁これだから男って生き物は⋮⋮
!!
!
﹂
三人組の最後の一人、海賊風の男が取り出した歪な球体に、アゼンダの目の色が変わ
!
﹁小型重力爆弾⋮⋮ばっ、ガキだけじゃなくあたしらまでお陀仏だよ
ナンバーズ
434
﹁おいガキ
これがオレ様の切り札、小型重力爆弾だ 爆発したら最後、ここいら一
帯を吹き飛ばすトンデモねー代物だぜ
﹁≪セイレーン≫﹂
分かったら大人しく降参を││﹂
!
﹁≪アルテミス≫﹂
返答は、無数の矢。
﹂
No.≪III≫、エミリオ=ロウ。有する武器は弓矢。
!
﹂
﹁ガキが向かってるよ
﹁っ⋮⋮アゼンダ
早く爆弾をあたしに寄越しな
それはアゼンダ達をも呑み込み、視界が失われてしまった時だった。
具現化させた黒い羽衣を閃かせ、地面から粉塵を巻き上げる。
No.≪X≫、リン=シャオリー 。有する武器は羽衣。
!
!
声の方向へ、海賊風男は小型重量爆弾を投げ渡し、
!
!
435
粉塵が晴れ、そこにいるのは高速射出術により、大量の矢を射たトレイン。
﹂
その足元に転がる小型重量爆弾に、最後の一人であるアゼンダは歯軋りをする。
﹁あんた、あたしの声を⋮⋮
﹁くそ、ガキがぁ
﹂
切り札である小型重力爆弾を奪取され、残りはアゼンダ一人だけ。
粉塵で海賊風男の視界を奪い、アゼンダの声を真似、トレインを彼女だと誤認させる。
!?
だが、目には目を、歯には歯を、
激情のままに、彼女の代名詞である、予備の鞭を繰り出す。
!
No.≪VI≫、アヌビス。有する武器は鞭。
そして、鞭には鞭を。
﹁≪オシリス≫﹂
ナンバーズ
436
≪暴虐のアゼンダ≫として、長い年月を経ることで漸く可能になった、変幻自在な鞭
捌き。
しかし、トレインの鞭捌きはそれを上回っていた、比べることすらおこがましい。
撓る鞭の先端を正確に捉え、弾き、絡めとる。
堪らず片手を突き出し、念動波を行使するアゼンダよりも早く、トレインは動く。
﹁≪クライスト≫﹂
た。
慌てて反撃に打って出ようとするが、トレインは既に彼女の間合いの内へ肉薄してい
直撃する瞬間、≪ジークフリード≫は霧散。
念動波で止めようにも数が多過ぎ、避けきれないと防御の構えを取り。
ばら撒かれ、その全てが意思を持つかのように標的であるアゼンダへと襲い掛かる。
No.≪IX≫、デイビッド=ペッパー。有する武器は54枚1束のトランプ。
﹁≪ジークフリード≫﹂
437
高潔を絵に描いたように、その剣は美しかった。
トランス
気品に溢れ、気高く、纏う雰囲気は静謐。
これまで生成された武器の全てが≪変身≫による模造品にも関わらず、トレインの手
に握られた漆黒の長剣の完成度は、本物と見紛うほど、細部に渡る細かな意匠さえも再
現されていた。
﹁≪アークス流剣術≫、終の第三十六手﹂
速度と手数に重きを置く、全三十六手存在する流派の最終奥義。
放てば必中、先の先を取り、あらゆる障害を突き崩す、刹那の閃光。
明王の前で痛みも苦しみもなく一瞬で塵と化す、その技の名前は。
◆ ◇ ◆ ◇
﹁≪滅界≫﹂
ナンバーズ
438
﹁││よし、逃げるか﹂
トレインは心に誓った。
必ずや、かの女剣士から逃げねばと決意した。
トレインには女心は分からぬ。
トレインは今まで、女性と付き合ったことはない。
青春時代は修業や仕事に忙殺され、逃亡時代は物理的にも精神的にも殺されかけて。
逆行してからご覧の通り、色事とは無縁のスモール状態だった。
けれども女性の恐ろしさには、人一倍触れているという自負があった。
﹂
セフィリアに命を狙われ、ヤミに命を狙われ、ネメシスに命を狙われ、メアに命を狙
われ││。
﹁⋮⋮ははっ、俺が何をしたと
既に≪滅界恐怖症≫なるものに悩まされている身としては、全くもってシャレになら
そのうち女性恐怖症とか、新しいトラウマでも発症しないだろうか。
?
439
ない。
早いところティアーユ達のところへ向かい、救助を頼もう。
涼子やお静もいるのだから、セフィリアの怪我なんてあっという間に治せるはず。
これまで何度もお世話になったのだ、彼女達の腕は信頼している。
﹁⋮⋮そうと決めたんなら、急がないとな﹂
ネメシスに残ってもらえれば良かったのだが、生憎彼女は現在眠りについていた。
脱退したとはいえ、≪クロノス≫には一応ながら義理がある。
思 い 入 れ の あ る 組 織 を 馬 鹿 に さ れ、だ か ら こ そ ≪ ク ロ ノ ス ≫ の 象 徴 で あ る ≪
クロノ・ナンバーズ
トランス
時 の 番 人 ≫の力で奴等を倒そうと思ったんだ。
そのためにはネメシスの≪変身≫は必要不可欠で、だから彼女に助力を願った。
具現化は一瞬、細部に渡るイメージを行ったから、消耗は最低限で済んだ。
とはいえ、これ以上ネメシスに頼るのは、あまりにも酷というものだから。
﹁だから⋮⋮だから、これはそう、仕方がないんだ⋮⋮﹂
ナンバーズ
440
トラウマのある自分では、セフィリアの介助は出来ない。
だから、それが可能である者に応援を願う。
別になんら不自然ではない、当たり前のことではないか。
ティアーユ達に助力を願おうと。
今の自分に出来ることをしようと。
後ろを振り返らないように。
見ないように。
﹁⋮⋮やめろよ﹂
そして、肩越しに後ろを振り返ろうとして││
地面に縫い付けられたみたいに、そこから先には動いてはくれない。
歩んだ足が、止まる。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
441
﹁⋮⋮⋮⋮ハート、ネット⋮⋮﹂
耳を塞ぐ。
何も聞こえないように、見えないように。
目を閉じ、呼吸を止め、五月蠅い心臓の音だけに集中し││それでも耳から離れない。
﹁⋮⋮⋮⋮なんなんだよ﹂
振り返った時、目にしたのは地に伏したセフィリアだった。
服が破れ、皮膚が裂け、血が流れている。
しかし、一見酷い状況だが、セフィリアの傷は鞭によるものだ。
別段致命傷という訳でもなく、少々処置が遅れたって後遺症が残るほどでもない筈
だ。
﹁⋮⋮なんなんだよ、あんた﹂
ナンバーズ
442
見捨てるという訳ではない。
ただ、自分ではどうすることも出来ないから。
だから、一刻も早く助けを呼ぶだけなのに。
未だに色濃く、根を張る、トラウマを自分に刻み込んだのは、一体誰なんだ。
は。
実力を隠すなんて面倒な真似をしなければならなくなった、そんな理由を作ったの
でも、そうなる原因を作ったのは誰だ。
なら、責任は全て自分にあるというのか。
済んだ。
セフィリアが傷付くことも、ネメシスに負担を掛けることもなく、全てが一件落着で
最初から自分が戦っていれば、こんなことにはならなかった。
自分の正体を偽るため、セフィリアを騙し、その結果負った傷。
沸々と、沸き起こる感情は、怒り。
﹁⋮⋮ふざけんなよ﹂
443
﹁ふ⋮⋮ざっけんなぁあああああああああああああ
﹂
なんなんだよ せっかく過去に流れ着いて
全部が全部、セフィリア=アークスが原因じゃないか。
﹁何なんだよ
平和を手に入れて
!
全部が全部、あんたのせいじゃ
そんな当たり前の日常を手に入れたっていうのに
!
あんたが俺の前に現れたから
怒鳴り散らさなければ。
そうでもしなければ。
!
!!
!
脅威に怯えなくてすむような
﹂
またあんたが
ないか
!
!
!
感情のタガが外された。
!
!
!
俺なんか忘れて世界平和でもなんでもやって
!
!
!
ほっといてくれよ
ていうんだよ
!
俺の関係ないところでやればいいだろ 邪魔なんかしないから
ればいいだろ
!
﹁散々俺を振り回しといてまたか またあんたは俺を振り回すのか 俺が何したっ
ナンバーズ
444
!
﹂
俺がどんな気持ちでいたのか
分かってたまるかよ
だから巻き込むなよ 俺が
分かる訳ない
いつの間に握っていたのか。 ≪ハーディス≫の銃口がセフィリアに向けられる。
だから≪滅界≫を俺に放ったんだろ
震える指が引き金に掛かる。
﹁死なないとでも思ったか
だけどな
あんたなんかに
そうだよな
躱せるからって無事
心が痛くてどうにかなりそうだった 怖かった
毎晩悪
何度も
﹂
やっていいこ
俺はあんたにやめろって言ったのに
気が狂いそうになるくらい≪滅界≫浴びせられて
まともに眠れた日なんて一日だってなかった
何度も何度も何度も何度も
それなのに
人の命弄んでそんなに楽しいのかよ
怖くて仕方がなかったんだよ
何考えてんだよあんた
!
俺は技の実験台じゃねぇんだぞ
!
!
!
夢に魘された
何度も
!
次の瞬間には自分が死ぬんじゃないかって思うと気が気じゃなかった
!
とと悪いことがあるって普通に分かれよ
!
!
痛いんだよ
!
!
俺は死ななかった 他の奴なら死んでただろうさ それでもだ
!
俺はあんたの≪滅界≫から逃げ続きてきたさ
!
ああそうさ
!
!
!
!
じゃないんだよ
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
445
紫電が、≪ハーディス≫に纏わりつく。
バースト・ブレッド
銃口に収束する、必殺の光が今にも放たれようとしている。
特殊弾、≪ 炸 裂 弾 ≫。
レールガン
帯電性質を有する≪ハーディス≫と≪細胞放電現象≫を組み合わせた必殺、≪電磁銃
≫。
この二つを同時に放つことで可能となる、最大の切り札があった。
﹂
俺の前から あんたなんか消えてなくなればい
セフィリア=アークス
!
﹂
﹁消えろ 消えろ消えろ消えろ
いんだ
││だけど。
痛みに魘されているのか。
!!
!
どれだけ待っても、セフィリアは応えてはくれなかった。
!
!
!
﹁だから⋮⋮だから⋮⋮っ、返事しやがれ
ナンバーズ
446
﹂
ざけんじゃねぇ
﹂
意識はとうの昔に失っており、荒い呼吸だけが機械的に繰り返されるだけで。
ざけんな
﹁ち⋮⋮く、しょうがぁあああああああああああああ
咆哮。
長い、天高くまで響き渡るような。
ちくしょう
途端、悲鳴を上げる拒絶反応。
それでも、そんなものは関係ないのだと。
こんなボロ
そう思ってくれ
後悔してるって 昔の自分を悔いてるんだって
力一杯にセフィリアを抱き締め、元来た道を全速力で進んでいく。
﹁分かってんだよ
!
ボロになってまで俺を守ろうとしてくれた 死んでも守るって
!
!
!
直後に、トレインは駆け出した。
ふざけんな
!
﹁ふざけんな
!
≪ハーディス≫を懐に捻じ込み、倒れ伏すセフィリアを抱き起す。
!
!
!
!
!!
447
たあんたの決意が本物だって分かっちまったから
だからさぁ、先輩
﹂
早く治ってくれよ
﹂
負担となる振動は最小限に、最短距離で、セフィリアを治療するために。
!
くれた。
一晩語り
!
﹂
明かしたって足りねぇくらいあるんだからな 終わるまで絶対寝かさねぇからな
覚悟しやがれ
!
!
!
何度も食事に誘ってくれた、模擬戦を申し込んでくれた、こんな自分の為に尽くして
上司として、一人の人間として、≪クロノス≫時代に世話になった。
セフィリアには恩がある。
例え命を狙われた、トラウマを刻んだ相手だったとしても。
彼女が生きていることに、心の底から安堵している自分がいる。
!
﹁だから
!
搔き抱くセフィリアから伝わる、確かなぬくもり。
!
﹁言いたいことが山ほどあんだよ 一つや二つなんてレベルじゃねぇぞ
ナンバーズ
448
!
創作物の登場人物として知るセフィリアは、厳しい女性だった。
だけど、それ以上に優しい人だった。
お願いだから
﹂
死んだ部下のために涙を流す、優しい心根の持ち主だった。
だから頼むから
!
﹁だから
!
だった。
セフィリア先輩
﹂
!
﹁頼むから眼を開けてくれよ
今更のように、そんなことを思ってしまって。
もっと、きちんと向き合えば良かった。
!
だけど、見ず知らずの子供のために命を賭けることの出来る、優しい心根の持ち主
出会い頭に斬りかかってきたり、後輩いびりをするようなハチャメチャな人だった。
実際に目にしたセフィリアは、おっかない人だった。
!
449
﹁ご⋮⋮めん、な⋮⋮さい⋮⋮﹂
風に攫われてしまいそうなほど、それは小さな声だった。
走り続けるトレインの胸の中で、繰り返し、何度も。
﹁ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
セフィリアは、泣いていた。
意識を失い、それでも、懺悔のように、謝罪の言葉を口にする。
子供のように、嫌わないでと、トレインの服を握り締めながら。
ムスッと口を引き締め、ティアーユの隠れ家へとトレインは急ぐのだった。
やっぱり女の涙は嫌いだ。
﹁⋮⋮謝るくらいなら、最初からやるな﹂
ナンバーズ
450
マヨイネコ
﹁ぎゃぁああああああああああああああああ
彩南町のとある住宅街の隅。
﹁ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおお
﹂
﹂
部屋の主ことトレインは、こんもりと盛り上がった布団の中にいた。
悶え苦しむように絶叫を迸らせながら。
生み出してしまった黒歴史という精神攻撃が時間差で襲い掛かって来たみたいに。
﹁何言ってんの 何言っちゃってんの 元上司で命の恩人な先輩になんてことを
!
体張って守ってくれた人にアレはないだろ
!
!
死人に鞭打つような真似もしたし
!? !?
必要最低限な家具が配置された質素な、黒猫印のプレートが掛けられたとある室内。
外見不気味な、内装はモダンな洋館のとある一室。
!?
!!
451
傷が癒えたら即殺だよ
黒・猫・
会いた
嘘ついてごめんなさいっ
≪クライスト≫の錆にされちゃうよ
先輩怒ってるよ プッツンしちゃってるよ
≪滅界≫で仕留められるよ
!
!
!
大体どの面さげて会えと
!?
斬
くねー つかどうしろと
!
!
!
﹂ そしたら絶対先輩落ち込むじゃん
正体を隠している故に全力を出せない自分を庇い。
妙な連中の乱入でピンチに陥り。
バレまいと初対面を装うなんて真似をして。
怪我人の傷口に
元上司にしてトラウマの元凶、セフィリアにもまた、再会してしまい。
だが、再会出来たのは、なにもヤミとティアーユだけではなく。
目的の人物には無事再会し、めでたしめでたしで終わる筈だった宇宙旅行。
!
!
マジでどの面さげて会えばいいのぉ
説明することになるじゃん
塩塗り込む所業じゃん
!?
!?
全ての始まりは、ティアーユを探して降り立った辺境の惑星。
!
!
て言うの なら何で嘘付いたって流れになるじゃん そしたら原因が先輩だって
!
!
﹁⋮⋮ほんと、どの面さげて会えってんだよ﹂
マヨイネコ
452
セフィリアは、今も眠ったままだった。
帰りの宇宙船、その医務室のベッドの上で、顔には幾つもの傷跡。
それ以上に目に焼き付いて離れない、彼女が流した涙の軌跡。
全部が全部、面と向かって話さなければいけないのに。
吐くべき相手のいない、懺悔の言葉。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
て。
改めて見た、セフィリアに刻まれた痛ましい傷跡に、そんな考えは吹き飛んでしまっ
ティアーユや涼子の元にまで担いで運んで。
でも、胸の内を全て打ち明けて。
散々人の平穏を脅かした罰が下ったのだと。
ざまあみろと思った。
﹁⋮⋮⋮⋮マジで俺ってば最低だな﹂
453
それが出来ない間柄であることは、過去の出来事が物語っている。
セフィリアにとって、自分は組織を抜けた裏切者。
例えセフィリアがトレインを襲撃したことに罪悪感を抱えていたとしても、それは変
わらない。
いや、そんな葛藤があったからこそ、セフィリアは涙を流したのではないのか。
でも、本当は分かっているんだ。
彼女は自分にとってのトラウマ、天敵、害悪と言ってもいい。
るから。
それが言い訳染みたように思えるのは、セフィリアに逢いたくないという気持ちがあ
さわり程度の知識しかない自分がいても邪魔になるだけ。
陣。
医療は涼子が、彼女の助手はお静が、医学面にも顔の利くティアーユもいる完璧な布
全ては、セフィリアが目覚めなければ分からない。
むくりと布団から顔を出し、重い溜息を一つ。
﹁⋮⋮はぁ﹂
マヨイネコ
454
今のセフィリアは≪クライスト≫を持たず、≪滅界≫を放てるだけの体力もないこと
くらい。
それでも、頭では分かっていても、ハイそうですかと納得できるわけもなく。
そして、出会った。
﹁﹁││あっ﹂﹂
殺風景な自室から、トレインは久方ぶりに外へと抜け出す。
それでも答えは出てこず、だったらと気分転換も必要だろう。
幸い無職なこの身、時間だけは余りあるほどあり、こうして何度も自問自答してみた。
げる。
大食漢な自分が碌に食事もとっていない現状、改めて意識すれば余計に胃が悲鳴を上
地球に戻ってからというもの、こうして自室に引き篭もってばかり。
グーと、腹は空腹を訴える。
﹁⋮⋮腹減った﹂
455
金と赤、二色な変身姉妹に。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
盗み聞きしていたのか、扉に耳を当てるような格好で固まる二人と相対す。
金のは気まずげに視線を彷徨わせ、赤いのは下手くそな口笛を吹き出したではない
か。
﹂
だが、トレインにはそんなことよりも気になることがあって。
﹁⋮⋮何時からそこに
﹁⋮⋮素敵な独り言だったよ
﹂
一抹の望みを、その問いに込め。
?
しかし、現実は非情だった。
?
﹁その⋮⋮﹂
マヨイネコ
456
﹁トレイン
﹂
ま、待って││﹂
﹁クロちゃ││││ん
﹁このページに乗ってるの全部。それとライス特盛。ドリンクバー追加で﹂
◆ ◇ ◆ ◇
なるほどと、トレインはほんの少しだけセフィリアの気持ちを理解するのだった。
黒歴史のような懺悔を聞かれる、まさに傷口に塩を塗り込むような行為。
後ろから聞こえるヤミとメアの声は無視した。
!!
!?
トレインは駆け出した。
﹁実家に帰らせて頂きます﹂
457
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
笑顔のまま固まる店員を無視し、スタスタとジューススタンドに。
最近のファミレスってスゲーなと、豊富なラインナップにトレイン感動。
取り敢えず全てのジュースを混ぜ、どこぞの川の水のように濁ったドリンクを作成す
る。
││前から聞こうと思っていたのだが、トレインのその資金源はどうなっているのだ
ストローをぶっ刺し、席へと戻ったトレインは頬杖をつきながら応えた。
ら。
胸の内から聞こえるその声に安堵を覚えるのは、彼女に無理をさせた自覚があったか
?
││⋮⋮ちなみに、何か呼び名のようなものは
?
使い道とかなかったから貯まる一方だったんだよ﹂
﹁賞金稼ぎの真似事してたら自然とな。貰えるもんは貰う主義だし、生活する以外には
マヨイネコ
458
﹁あー⋮⋮目立つ行動控えてたから、掃除屋って自称してたな。どったのよ、ネメシス。﹂
﹂
││はは⋮⋮はっ⋮⋮面倒だからと賞金稼ぎのネットワークを頼らなかったのが仇
となったか。
﹁⋮⋮ネメちゃん
﹁待ってました
﹂
﹁お、お待たせしました⋮⋮﹂
ネメシスの回復にはこれが一番だと、前にメアより渡されたものだ。
が、これは逆に主成分の大半がダークマターで造られた特注品。
本来ならば大部分が香辛料が占め、ダークマターは微量しか含まれてはいないのだ
禍々しいオーラを放つ、グルマン星の特産品、その名はダークマター。
瓶。
これはネメシスに気付けが必要だと、取り出したのは真っ黒な靄の入った透明な小
最近になって漸く目を覚ましたが、途端にこれでは不安にもなる。
ドンヨリオーラにブツブツと独り言。
?
459
!
次々と運び出された料理は、すぐに机を占領してしまった。
香ばしい匂いが空っぽの胃袋を刺激し、早く食べろと急かしてくる。
しかし、生憎と前準備が必要なのだ。
小瓶を開け、靄が立ち込めるヘドロ状のダークマターが料理へと注がれていく。
新しい料理を運んで来る店員の物申したい視線には取り合わず、合掌の後に箸を取っ
た。
﹂
!
││ふぁ
ダークマター独特の苦み、それを彩る僅かな甘み。
!?
ぶわっ、パリっ、じゅわっと、ジューシーな濃厚なエキスが口一杯に広がっていく。
口に含み、まずはタレが、噛めば香ばしい皮が、そこから溢れ出る肉汁が。
箸で摘み、口に運ぼうと距離を縮める度に増す芳醇な香り。
まずは照り焼きチキンから。
﹁いっただっきまーす
マヨイネコ
460
461
甘味大好きな変身姉妹には大不評だが、トレインには堪らないアクセントとなる。
濃い口な甘辛いタレに加わる、ダークマターの独特の苦み。
何時までも噛み締めていたいと、味わうように噛み締めていく。
││んっ⋮⋮ぁ⋮⋮だ、め⋮⋮
ないか。
││や、だっ⋮⋮くる⋮⋮きちゃ、う⋮⋮い、やぁ⋮⋮
机一杯に広がる、ダークマターの掛かった料理を片っ端から口に運んでいく。
ハンバーグにパスタ、オムライス、ドリア、ピザ、デザートだって忘れていない。
!!
それがどうだ、二つが合わされば、なにものにも劣らない、至高の一品に化けるでは
ライスだけでは味気なく、ハンバーグだけだと諄くなる。
彩南町に、日本に来て良かったと心から思う。
肉の余韻が冷めぬうちに、艶めく白米を掻き込めば、残ったソースと絡み合って。
ライスだ、ライスが欲しくて堪らない。
!!
空腹が最高のスパイスとは言うが、箸が、スプーンが、フォークが止まらない。
あまりの美味さに無限に食える自信すら湧いてくるほどだ。
││ダメ⋮⋮ダメっ、だめだめ⋮⋮らめぇ⋮⋮っ
だけど、幸せな時間は終わりを見せてしまう。
合掌。
││あぁ∼∼∼∼∼∼∼∼っ
残ったライスとソースを絡め、仕上げの一口を口に運んだ。
最後の一口、名残惜しい気持ちもあるが、残すなんて言語道断。
!?
感謝の祈りを捧げ、残った一口を惜しむように嚥下。
!!
正直、ファミレスだからと舐めていた。
﹁ごちそうさんです﹂
マヨイネコ
462
もちろん、専門店には劣るのだろうが、この安さと早さなら納得がいく。
元々柔らかな高級肉よりも歯応えのある安っぽい肉の方が好みなのも大きいのだろ
う。
べた付く口内をジュースで洗い流し、満足げに溜息を零し、満腹感の余韻に浸る。
りそうだ。
││ああ、こんな快感があるなど知らなかったよ。新境地を見た気さえする。癖にな
﹁いっつも手作りだけど、たまにはこうして外食も悪くねぇな﹂
││うむ。トレインを通じて熱いのが私の体内に注ぎ込まれてきたぞ。
﹁久しぶりに熱々のもん食ったけど、やっぱ出来たてが一番だな﹂
ダークマターを補充した彼女もまた、艶っぽい溜息を長々と吐き出していた。
ネメシスも同じだったのだろう。
││いい⋮⋮最高だっ。
﹁⋮⋮美味かったぜ﹂
463
にゅっと腹から顔を出し、膝に乗る様にネメシスが実体化。
長い黒髪から覗く耳は真っ赤で、息も絶え絶えだと言わんばかりに呼吸が荒い。
まさか実体化が可能になるほど回復するとは、本当にダークマター調味料様々であ
る。
﹂
トロンとした目で、物欲しそうに見上げて来るネメシスに、トレインは笑顔で口を開
く。
﹁││で、さっきのってなに
何故しな垂れ掛かって来る
ネメシスお願い﹂
?
艶っぽい声出すなそんな目で俺を見るなマジでやめろ
?
ながら。
発情した黒髪金目の褐色ロリ猫が恨めし気に口を尖らせているのを視界の端に映し
力づくで隣に座らせ、メニューを開き、呼び出しボタンをぽちっと。
そして、
﹁⋮⋮トレインは意地悪なのだな。そんなこと、私の口から言わせるなんて⋮⋮﹂
?
﹁うん、メシ食っただけなのに何でそうなるんだろうね。後、何故に膝の上
マヨイネコ
464
﹁ほれ、ネメシスもなんか頼め﹂
﹁⋮⋮私をもので釣ろうというのか﹂
﹁黙らっしゃい。おっ、このみたらし団子パフェとか美味そうじゃね
﹁むー⋮⋮なら、それでいい﹂
それと、ごっそさん。美味かったっス﹂
?
ぶ。
!?
﹂
﹁今日のトレインはやけに優しいのだな。ご主人様に優しくされる⋮⋮うむ、悪くない﹂
﹁どーぞ。なんならもっと頼んでもいいぞ﹂
﹁た、食べていいのか
﹂
鼻孔を擽る甘い香り、瞳を輝かすネメシスに苦笑し、一緒に運ばれたミルクを口に運
黄金を溶かしたような蜜がふんだんに塗りたくられた煌びやかなパフェが運ばれる。
驚愕の表情を張り付け、店員が机の上をサッパリさせてから待つこと五分。
短時間でこれだけの量を平らげたからだろう。
もらっていいっスか
﹁はいよ。すんませーん、みたらし団子パフェとミルク追加で。あ、この皿全部片付けて
?
465
ニッコリと、花が咲いたように微笑むネメシス。
気まずげに顔を背けてしまうのは、後ろめたい気持ちがあるからで。
﹂
﹁⋮⋮この前は悪かった﹂
﹁トレイン
視線の先には、ネメシスがパフェスプーンをこちらに突き出していた。
背けた顔を戻した途端、口に差し込まれ、広がる甘味。
﹁トレイン﹂
一瞬の沈黙。
⋮⋮﹂
﹁⋮⋮色々と無理させた。最初から俺が戦ってたら、あんなことにはならなかったから
?
い﹂
﹁悔やむ必要などない。言っただろ、私はトレインのものだと。だから、謝る必要などな
マヨイネコ
466
差し出したパフェスプーンを引き抜き、ネメシスはみたらし団子を乗せ。
その小さな口を一杯に広げ、パクっと。
幸せそうに金色の瞳を細め、そのままこちらへと笑い掛ける。
﹁ありがとう、トレイン。さすがは私のご主人様だな﹂
普段の女王然とした顔を、童女のように綻ばせながら。
本当に嬉しそうに。
れて﹂
﹁だから、嬉しかったんだ。私を救ってくれたように、トレインがセフィリアを救ってく
﹁ネメシス⋮⋮﹂
しいと、心から思うほどに﹂
の私そのもの。初めて見た時から、他人のような気がしなかった。願わくば救われてほ
ないでくれて。あの者は昔の私だ。大切なものを失い、自暴自棄になっていた、かつて
﹁でも、これだけは言わせて欲しい。私は嬉しかった。トレインがセフィリアを見捨て
467
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
言いたいことを言い終えたのか。
山のように盛られたパフェを崩すのに、ネメシスは夢中になり。
グイッとミルクを煽り、空になったグラスにジュースを注ごうとスタンド目指して席
を立つ。
◆ ◇ ◆ ◇
だった。
冷たいジュースが注がれたグラスを頬に当て、真っ赤な顔を冷やすのに専念するの
火照った顔を冷やすために。
﹁⋮⋮顔あっつ﹂
マヨイネコ
468
あれから暫く。
トランス・フュージョン
ファミレスを後にし、≪ 変 身 融 合 ≫したネメシスを伴い、トレインは街中を放浪し
ていた。
││で、これからどうするのだ
?
!!
﹁うっひょ∼∼∼
﹂
夕食までには戻る旨を記し、そのまま送信した。
取り出した≪デダイヤル≫で涼子宛にメールを作成。
当初の予定とはズレているが、結果オーライだと割り切ることに。
とはいえ、元々気分転換に町へと繰り出すつもりでいたのだ。
あの二人のことだ、心配してくれていたんだろう。
跡。
只でさえセフィリアのことで一杯一杯なのに、追い打ちをかけるような黒歴史の傷
し﹂
﹁さーな。まだ考えはまとまらねぇし、姫っちやメアにも出来るなら顔合わせたくねぇ
469
直後、響き渡る間の抜けた声。
振り返った先にいるのは、全世界にいる女の敵だった。
﹁⋮⋮真昼間から何やってんだ﹂
パンツ一丁の不審者が、そこにはいた。
常習犯にも関わらず、アレが校長という地位に着き続けて事実。
間違いなく彩南町最大の謎であることは間違いないだろう。
そして、今も性懲りもなく、一人の女性を追いかけ爆走中。
他人のフリをするのが一番なのだろうが、セフィリアの一件がある手前、無視も出来
ない。
陽が当たりにくく薄暗いが、ド派手なピンクのパンツは良く目立つ。
腹を括り、女性の後を追い裏路地へと消えた校長の後に続く。
﹁仕方ねぇ⋮⋮﹂
マヨイネコ
470
﹂
適当に気絶させるかと、懐から≪ハーディス≫を取り出した、まさにその時。
﹁││なっ
!?
静かに合掌した直後だった。
﹁校長よ、安らかに眠れ﹂
だからだろうか、普通に重傷なのに全く心配する気になれない。
うわ言のように吐き出す言葉全てが桃色な煩悩に染まり切っていた。
火達磨と化すも、さすがは校長と言うべきか。
悲鳴を上げる校長の体が、あっと言う間に炎に包まれる。
﹁ぎょわぁああああああ
﹂
一瞬にして、薄暗かった裏路地が昼間のような明るさに。
!?
471
﹁もー
しつっこい
﹂
!
!?
熱
だが、これまでのような他人の空似である線は限りなく薄いだろう。
超高熱の炎を生成する道、≪HEAT≫の異能を持つ怪獣娘。
タオ
表の顔は女子高生、裏の顔は革命組織≪星の使徒≫に所属。
﹂
その上、先程の炎、自然と答えは導き出される。
か。
というか、髪型も違う上に眼鏡装着しているが、滅茶苦茶見覚えがあるのは気のせい
肩に掛かる程度の黒髪を二つに縛り、見開かれた瞳を眼鏡が彩る。
歳は、女子高生と言ったところか。
掻き消された炎の先には、唖然と佇む一人の女性の姿が。
数千度の熱にも耐えうる超合金で造られた≪ハーディス≫を一閃。
しかし、それはトレインにとって脅威となり得ない。
目の前に広がる、強大な火炎。
!
﹁キリサキ=キョウコ⋮⋮
マヨイネコ
472
﹂
声や容姿、能力に至るまで、目の前の彼女がキリサキ=キョウコであると告げている
のだから。
﹁な、なんでこの子にも私の変装がバレてるのぉ
三度、勘違いが加速する││。
!?
473
キョーコ
火傷とかしてない
辛いなら病院に行くの付き添うよ
﹁いや、ほんと大丈夫。怪我とかほら、全然だし﹂
までに何度も交わした問答に疲れたように息を吐く。
﹂
表通りに面した喫茶店に腰掛け、注文した牛乳を飲みながら、トレインは此処に来る
?
﹁大丈夫
?
眼鏡越しに見える彼女の瞳に宿っているのは、心配の色だった。
?
どちらかというと、年上のお姉さん然とした落ち着きが雰囲気から滲み出ていて。
はいない。
トレインの知識にある、感情的でキレやすい、良くも悪くも天真爛漫な彼女はそこに
眼鏡を掛けているからか、自分の外見が小学生程度なのが理由か。
シュンと落ち込む彼女の姿は、トレインの知る彼女とは掛け離れたものだった。
﹁⋮⋮ゴメンね。勘違いで攻撃とかしちゃって、トレイン君も怒ってるよね⋮⋮﹂
キョーコ
474
﹁⋮⋮あの、キリサキさん
﹂
﹁言い難いならキョーコでいいよ
?
私もそっちの方が言われ慣れてるから﹂
﹂
?
﹂
!?
にゅっと。
﹁おい、キリサキ=キョウコとやら﹂
正直に白状する恭子に嘆息し、どうすれば彼女を納得させることが出来るのか。
﹁⋮⋮はい﹂
ろ﹂
まだ納得しねぇんだから、服脱いで見れるとこ全部見ないとお前、絶対に納得しないだ
﹁此処に来るまでも散々確認しただろうが。人の体ペタペタ触ったりしまくっておいて
﹁な、なんでそうなるの
﹁しつこい。それともアレか、俺が素っ裸になれば納得すんのか﹂
﹁別にいいけど⋮⋮本当に火傷とかしてない
﹁んじゃ、キョーコ。謝罪とかいいから、代わりに俺の質問に答えて﹂
?
475
何時ものように、何の断りもなく、トレインの胸からネメシスが生えてきた。
ネメシス曰く、彼女はトレインの所有物らしいが、断りなく出て来るのは相変わらず
である。
﹂
﹁あまりトレインを馬鹿にするな。あの程度の炎、火遊びにもならんのだからな﹂
﹁⋮⋮なんでネメシスはキレてんの
⋮⋮
﹂
こんなにもお前に尽くしているというのに
声を潜め、遠巻きにこちらを見遣る通行人の方々。
﹂
﹁私 で さ え、私 で さ え あ ん な に ト レ イ ン の 体 に 好 き 放 題 触 っ た こ と が な い と い う の に
?
﹁今すぐにでも俺の体から出てけ、キチロリ﹂
﹁私を捨てるというのか
!?
どちらも見た目は子供だからセーフだが、トレインの中身的には完全に通報ものだ。
げる。
ネメシスの頭を引っ掴み、無理矢理に隣に座らせれば、ムスッと彼女はこちらを見上
!
!!
﹁お前ほんと黙れ。マジで黙れ。締め出すぞゴラ﹂
キョーコ
476
﹁⋮⋮えっと﹂
そして、置いてけぼりをくらった恭子はと言えば。
﹁その⋮⋮間違ってたらゴメンね。ネメシスちゃん、でよかったかな
﹁なんだ、キリサキ=キョウコ﹂
﹂
﹁何故か嫌われちゃったみたいだけど⋮⋮あなたって、宇宙人だったりする
身を乗り出し、声を潜めて放つのは、可能性の一つだった答えへの糸口。
これまでと同じように、どうやら自分の懸念は杞憂に終わりそうだった。
人か
﹂
﹁⋮⋮フレイム、星人
ハーフ
?
﹂
﹁うん。一応、地球人とのハーフ﹂
?
?
﹁⋮⋮は
﹂
﹂
﹁トレインは違うが、私は宇宙人だよ。そういうお前こそ、先程の炎、もしやフレイム星
?
?
477
?
当り前のように交わされる会話に含まれる、トレインにとっての重要事項。
疑問が解決されたのか、恭子は乗り出した体を引っ込め、ネメシスも静かに目を閉じ
る。
しかし、しかしである。
﹁キョーコさんや﹂
﹂
?
﹁どうしたの、トレイン君﹂
﹂
﹁⋮⋮≪神氣湯≫や≪星の使徒≫って単語に心当たりは
﹁んー⋮⋮特にないかな。それがどうかしたの
?
熱
タオ
≪怪獣娘≫の異名を持つハイテンションは影すら見えず、似ているには容姿だけ。
しかし、目の前の彼女は宇宙人であり、異能は宇宙人特有のものだという。
もの。
知識にある彼女の能力、≪HEAT≫は≪神氣湯≫を服薬して目覚めた≪道≫による
定する。
≪星の使徒≫に所属する前という線を予測したが、先程のネメシスの会話がそれを否
﹁いや⋮⋮﹂
キョーコ
478
以上のことから導き出される答えは、一つだけだった。
自分にとっての武器であり、余計な気苦労を背負い込むことになる、諸刃の剣。
﹁⋮⋮創作物の知識、ね﹂
ずだ。
彼女のことは知識でしか知らず、実際には会話は勿論、会ったことがないにも関わら
だからこそ、過去の経験故に、恭子と会ってから今まで、身構えていた自分がいる。
ザスティンの時は模擬戦を、セフィの時には実際に命まで狙われた。
その度に厄介事に巻き込まれ、余計な苦労を背負わされてしまう。
逆行して平和を謳歌しているのに、忘れた頃にやって来る過去の因縁。
分だ。
なまじ声や容姿、能力に至るまで同じだっただけに、判明した今でも信じられない気
ザスティンやセフィに続く三度目の勘違い││他人の空似。
﹁またかよ﹂
479
逆行する前は、正直なかったらトレインは此処にはいなかっただろう。
相手の武器や技などの予備知識は、戦いに置いて非常に重要な位置を占める。
≪滅界≫などを筆頭に、今のトレインを構成する技術の大半はそこから得ているのだ
から。
しかし、逆行してからは、逆に振り回されてばかりだ。
最初に出会ったティアーユ、生まれたイヴことヤミ、そして目の前の恭子にしても。
知識に頼っていたからこそ、恭子のことを知識の彼女と同じ性格だと決めつけた。
だけど、実際に話してみると、落ち着いていて一緒に居てほっとしさえするくらいで。
でもそれは、こうして恭子と面と向かって言葉を交わしたからこそ分かったことだか
ら。
知識として知っているセフィリアは、自分にも他人にも厳しい人だった。
だけど、それだけがセフィリアの全てではない筈だ。
自分の命を狙う、≪滅界≫というトラウマを刻み込んだ最強の女剣士。
同じことが、その逆もまた、セフィリアにも言えるのかもしれない。
﹁そうだよな⋮⋮話してみないと、色々と分かんないことってあるよな﹂
キョーコ
480
それ以上に、仲間のために涙を流せる、そんな優しい人でもあったから。
≪クロノス≫という呪縛を背負いながらも、それでも非常に徹しきれない、そんな人
だから。
﹂
?
﹁おっ、そうだもう一つ﹂
﹁えっと、どういたしまして
﹂
﹁サンキューな。キョーコと話したら、色々と悩んでたことがスッキリしたぜ﹂
あった。
逆行してのスモール化と原因は異なるが、今の自分と恭子の組み合わせに既視感が
既に知識の中の彼女とは別人だと分かってはいるが、それでも零れる苦笑。
突然の行動にポカンとする彼女は、座っているのに目線はさほど変わらない。
自分と恭子、二人分の飲食代を置き、席を立つ。
﹁トレイン君⋮⋮
﹁悪ぃ、キョーコ。俺、もう行くわ﹂
481
?
戸惑う恭子に近付き、懐から取り出した≪ハーディス≫を眼前に翳す。
さながら、騎士の誓いのように。
﹁校長に浴びせた炎。正当防衛なのかもしんないけどよ、やり過ぎは良くねぇ。だから、
代わりに誓うぜ。もし誰かに何かされそうになっても、返り討ちにせずに我慢できるっ
て言うんならよ﹂
恭子を真っすぐに見詰め、誓いの言葉を呟く。
﹂
!
◆ ◇ ◆ ◇
知識の中に存在する、彼女の憧れを脳裏に思い浮かべながら。
﹁俺がお前を守ってやる。││全力で
キョーコ
482
霧崎恭子はアイドルである。
子供向け特撮番組≪爆熱少女マジカルキョーコ≫の主役を務めるなど、その知名度は
全国区。
とはいえ、堂々と歩いていれば案外バレないものだが、認識を改める必要があるよう
だ。
おさげに眼鏡という、完全オフな恰好でさえバレるのだから。
しかし、今の恭子の考えを占めているのは、変装などではなかった。
必要以上に心配してしまったのは、たぶんだけどそれが原因なのだろう。
﹁ふふっ。トレイン君、チビクロみたいで可愛かったなぁ﹂
を纏う、真っ赤な鈴付きのチョーカーを首に巻いた、黒猫みたいな少年だった。
そんな彼女の心を占めているのは、黒髪金眼の小さな、だけど妙に大人っぽい雰囲気
帰路に着く恭子の口から、そんな言葉が零れ落ちる。
﹁トレイン君、か﹂
483
自宅で飼っている黒猫とトレインを重ね、帰宅したらたくさん可愛がろうと、頬を綻
ばせる。
同時に、もっとトレインと一緒に居たかったなと、そう思ってしまって。
急用があったようだが、それでなくとも引き留めるのは難しかったと思われた。
﹁あーんなに可愛いガールフレンドがいるんだから、デートの邪魔しちゃいけないよね﹂
トレインと会話する自分に嫉妬し、蚊帳の外にされてむくれていたネメシス。
肌の色こそ違うが、彼と同じ黒髪金眼。
どういう経緯で知り合ったのかは不明だが、中々にお似合いなカップルではないか。
しかし、ガールフレンドの前でのあの誓い、あれだけは頂けない。
まるで御伽噺の中に出て来る騎士のような誓いを、ネメシスではなく自分にするなん
て。
後ろで凄い顔をしていたネメシスを思い出し、小さな苦笑が漏れ出てしまう。
﹁守ってやる⋮⋮か﹂
キョーコ
484
そして、不覚にもドキッとしてしまった自分にも。
見た感じ小学生くらいだろう、もう少しトレインが成長していたら危なかったかもし
れない。
将来有望なトレインは、果たしてどんな風に成長するのだろうか。
自分を守ると宣言した小さな騎士の成長が楽しみで仕方がない。
﹂
女子高生になっても王子様だのお姫様だっこに憧れを抱く、乙女思考な霧崎恭子なの
であった。
﹁むっひょ∼∼∼∼っ
﹁な、なんでぇ
﹂
﹁キョーコちゅわ∼∼∼∼ん
!!
!?
スーツこそ着ているが、覗く肌は赤い。
土煙を巻き上げ、こちらに向かって爆走してくる特徴的なシルエット。
﹂
その声を聞いた途端、全身を寒気が襲った。
!!
485
﹂
フレイム星人の火焔を浴びてなおピンピンしている生命力は、恐怖しか湧かなかっ
た。
﹁もうっ、なんでいつもいつも⋮⋮
﹂
すぐさま路地裏へと走り込み、掌の炎を生成する。
さっと周囲に目を走らせ、人気の多さに舌打ち。
!!
マジカルフレイムだ
!
!
長
自分にはそれを可能とする力があるのだから。
何も我慢する必要はない、全て焼き尽くしてしまえばいい。
せるのか。
温和な何時もの自分は鳴りを潜め、好戦的な思考はフレイム星人としての血がそうさ
性懲りもなく追い回してくる不審者に天罰を下さねば。
校
悪い者を成敗する、さながらマジカルキョーコのように。
﹁本日も燃やして解決
キョーコ
486
﹁││││だめっ﹂
でも、出来なかった。
トレインとの約束を思い出してしまったから。
﹂
やり過ぎは良くない、必要以上に相手を傷付けることを良しとしないという、彼との
誓いを。
﹁トレイン君と約束したんだから
﹁そんな⋮⋮
!?
そして、唯一の退路に立ちはだかるのは。
﹂
その結果に辿り着いたのが、袋小路だった。
障害を飛び越え、時には蹴散らし、追っ手を撒こうと必死に走って。
掌の火球を握り消し、踵を返して前へ、左へ右へ、日の当たらない奥へ。
!
487
﹁滾ってきた⋮⋮滾ってきましたぞ⋮⋮
﹂
不審者にして女の敵、校長の降臨である。
時間にすれば一瞬にも満たない。
﹂
皮膚が泡立ち、全身を襲う寒気に体を抱き締め、それでも震えは止まらない。
そう思ってしまうほどの何かが、路地裏を支配していて。
もちろん、そんなのはただの錯覚で。
世界が停止した。
約束を守ったと、どこか誇らしげな気持ちでいることがおかしくて。
身を固くし、瞳を閉じ、約束なんて無視すれば良かったと思ったけれど。
!!
!!
わしにもう一度燃え滾るような熱いヤツをー
!!
﹂
﹁キョーコちゅわーん
!?
スーツを脱ぎ捨て、飛び掛かって来るパンツ一丁の不審者。
﹁きゃーっ
キョーコ
488
それでも、心臓を直接握られているような、そんな感覚が何時までも残っていて。
カツン、と音が鳴る。
聞こえる音は徐々に近付き、それは真っすぐに自分へと向かっていた。
俯けた顔を上げることが出来ず、かといって此処から逃げることも出来ず。
﹂
近付く足音が止まり、視線の先に映るのは誰かの靴。
﹁立てるか
咄嗟に伸ばした手が、自分を抱き上げる彼に回り、落ちないようにとしがみ付く。
身を固めた直後、訪れる浮遊感に漏れかけた声を必死に押し殺す。
そう言って伸ばされる手が腋と膝裏に差し込まれる。
﹁ちょいと失礼﹂
でも、見上げるような長身や声の低さから、相手が男の人だということが理解した。
ゆっくりと顔を上げるも、声の主の顔は逆光ゆえかハッキリとは伺えない。
今も体を戒める緊張感とは裏腹に、耳に届いたのは穏やかな声だった。
?
489
﹁⋮⋮悪い、怖がらせちまったみたいだな﹂
相変わらず顔は良く見えなかったが、彼が笑ったのが分かって。
途端、不思議と巣食っていた緊張感が解けるのを自覚して。
自分を気遣ってくれたんだ、優しい人なんだと思って。
﹁さてと⋮⋮﹂
だけど、一息の間を置いた、次の瞬間。
﹁あのさぁ﹂
まるで真逆、いっそ冷酷と言えるほどに、雰囲気が激変する。
﹁これは警告だ。次はねぇと思え。それでももし、同じことを繰り返すっつーんならよ﹂
キョーコ
490
校長が動けないのは、身が竦むように叩き付けられる怒気のせいか。
サングラスの奥にある感情は分からずとも、震える体がその正体を如実に表してい
る。
己の欲望のためになら如何なる困難にも立ち向かう、煩悩の権化が。
﹁っと、悪ぃ。抱えっぱなしだったな﹂
﹁⋮⋮あ、あの﹂
﹁これに懲りて、もうちょい校長らしくしてくれりゃいいんだがなぁ﹂
降り注ぐ昼下がりの陽光に目を顰め、屋上へと降り立つ。
て上へ。
彼は一瞥するだけでそれ以上には何も言わず、軽やかに飛び上がり、左右を壁を蹴っ
無駄に洗練された無駄のない無駄な動きで土下座を敢行。
﹁ごめんなさい﹂
﹁テメェのお宝全部燃やすぞ﹂
491
その言葉で、今の自分の体勢を今更のようにを自覚する。
ドラマでもされたことのない、生まれて初めてのお姫様抱っこ。
赤くなった顔を見られたくなくて、下ろされてもなお、相手の顔を見ることが出来な
くて。
﹁にしても⋮⋮﹂
それでもと。
﹂
勇気を出して、上目遣いで見上げた先には、今度こそハッキリとした姿を捉えること
が出来た。
﹁あの││﹂
﹁スゲェじゃねぇか
!
でも、彼が纏う雰囲気は、これまでのどれとも違っていて。
﹁きゃっ﹂
キョーコ
492
﹁俺との約束守ってくれたんだな
良く頑張ったな
偉いぞ、キョーコ
!
﹂
!
顔は見えても、捉えることの出来ない彼の内面を、歯痒いと思ってしまう。
れて。
最初は訳が分からなくて、次は優しくて、今度は恐ろしくて、今はたくさん褒めてく
!
ごめんなさい⋮⋮私、あなたのこと、その⋮⋮覚えがなくて⋮⋮﹂
!
﹂
?
目の前の彼は、恭子が今日、初めて見た人間だと。
だから、断言できる。
職業柄、様々な人間が入り乱れる現場にいるからか、人の顔を覚えるのは得意な方だ。
でも、本当に覚えがない。
戸惑う彼に、罪悪感が募る。
﹁⋮⋮へ
﹁あ、あの
キョーコはちゃんと我慢できてたし、今度は俺が守らねぇと思ってさ││﹂
﹁校 長 の 姿 見 か け た か ら さ、も し か し て っ て 思 っ て 後 付 け た ん だ け ど 正 解 だ っ た ぜ。
493
﹁いや、いやいやいや
│﹂
忘れるとかねぇだろ普通 お前あんだけ俺の名前呼んで│
!?
だから、今の自分に出来るのは、誠心誠意謝罪をすることだけだった。
アイドルという立場上、今回のようなことが起こっても不思議ではなかったから。
下した推論は、自分のことを一方的に知っているというものだった。
一度見たら、絶対に忘れる筈のない容姿。 ﹁⋮⋮ごめんなさい。本当に、知らないんです﹂
身長は彼の方が頭一つは高く、こちらを見下ろす金の瞳とぶつかり合う。
丸い装飾が付いた青のジャケットを羽織り、右足には装飾銃の入ったホルスターが。
!?
ポンッと、気の抜けたような音が耳朶を打つ。 ﹁⋮⋮⋮⋮あ、そっか﹂
キョーコ
494
トランス
この一生会うことが出来ないなんて可能性だって、あってもおかしくはない。
この機会を逃せば、次に会えるのは何時になるか分からない。
踵を返し、駆け出そうとする彼へ掛ける言葉が出てこない。
﹁あっ││﹂
﹁んじゃ、今度こそさよならだ。姫っち達も心配してる頃だろうし、俺もう行くわ﹂
る。
大人なのに子供みたいな彼とは真逆、子供なのに大人みたいな少年の姿が、彼と重な
実家で飼っているチビクロ、そしてもう一人のことを連想してしまうのは。
こちらを見下ろす金の瞳に、妙な安心感を覚えるのは。
でも、何故だろう。
彼は一人納得するように頻りに頷くだけで。
かそっか﹂
すんならガキの姿よりこっちの方がって思ったけど、一回り成長した姿なんだし。そっ
﹁出会った時はスモール状態だから、≪変身≫した俺なんて分かんねぇのが普通か。脅
495
﹁待って
﹂
﹂
﹂
じゃ、じゃあ名前だけでも
﹂
﹁また、逢えますか﹂
﹁さあ
﹁ええっ
﹂
﹁教えない
﹁なんで
﹂
気付けば、引き留める言葉を投げ掛けていた。
!
﹁そっちの方が面白そうだから
!
?
﹂
!
空いた距離を詰めようと、止めていた歩みを始めようとした時。
クルリと彼は振り返るも、止めることのない歩みは確実に二人の距離を離す。
!
!
!?
!?
﹁俺がお前を守ってやる。││全力で
キョーコ
496
視線の先で、騎士の誓いをした少年がいた。
﹁それまでは俺のことをクロ様と呼ぶがいい
去り際に、そんな言葉を残して。
﹂
屋上から飛び降りた彼を探そうと急ぎ縁へと走り真下に広がる通りを見下ろす。
劇的な出会いとは裏腹に、別れは呆気ないものだった。
!!
先の少年が成長すれば、こんな大人になるのではないかと、そう思わせるほどに。
背格好は違えど彼の容姿は、少し前に会った少年と酷似している。
情報だけを鵜呑みにして、容易に至れた筈の答えを無意識のうちに除外していた。
宇宙人ではないから、子供だったから、目の前の彼は青年だから││。
ローマ数字。
暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫の
付けるぜ﹂
﹁ヒントはやった。答え合わせは次会った時だ。キョーコがピンチならいつだって駆け
497
しかし、時間帯故か行き交う通行人が多く、彼の姿はどこにも見えなかった。
﹁⋮⋮行っちゃった﹂
嵐のように現れ、嵐のように去っていく。
屋上に吹く風が髪を乱し、押さえようと頬に当てた手は熱かった。
今もなお吹き荒ぶ風に負けないくらい、心臓がうるさかった。
﹁クロ様⋮⋮﹂
初めてだから、どうすればいいのか分からない。 年下なのか、年上なのか、あれが本当の姿なのか、それともまた別の姿があるのか。
トレイン君
次にあった時、どんな彼と出会えるのかは分からないけれど。
トクン││。
﹁また、逢おうね⋮⋮クロ様﹂
キョーコ
498
自分だけの騎士様に、また逢えるその時まで。
胸の内で燃える、この情熱の炎が消えることはきっとないだろうから。
◆ ◇ ◆ ◇
トレインは悪寒を感じていた。
その全てがヤミとメアからなのだが、正直後ろめたさよりも恐怖が勝った。
≫の画面を開いてみれば、三桁などとうの昔に超えてしまった履歴の数。
涼子の洋館に戻り、誰とも出くわさないことを不思議に思いつつ、ふと≪デダイヤル
煩わしいからとマナーモードにしていたからか、電話に気付かなかったのだろう。
握るは≪デダイヤル≫、表示されているのは着信履歴。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
499
﹂
﹁なにこいつ等、病んでんの ヤンデレキャラなの
の
?
トランス
変身兵器ってそういう種族な
?
ろうか。
トランス
ど俺から引っ越しする気とかない
メアんとことか個人的にオススメだよ
﹂
?
あの二人
≪デダイヤル≫を持つ手は、さながら中二病でも発症したかのように震えていた。
下らないやりとりで気を紛らわせるも、いざ確認しようとして躊躇してしまう。
﹁おい、それ俺のお家芸﹂
││あれれ∼、さっきの≪変身≫でまた体から力が∼。
?
﹁さっきは≪変身≫ありがとう。おかげで久方ぶりに相手を見下ろせたよ。話変わるけ
トランス
≪ 変 身 融 合 ≫の依代になって結構経つが、いい加減に巣立ちの時なのではないだ
トランス・フュージョン
内から響くのは、ヤンデレ筆頭だろうネメシス。
││なにやら不当な評価を受けているようだが。
?
﹁鎮まれ、鎮まるんだ俺の右腕。ははっ、ビビってるていうのか、この俺が
?
キョーコ
500
に
﹂
トランス・フュージョン
﹁逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ││
││ところでトレイン、話は変わるのだがな。
?
﹁久しぶりね、トレイン君﹂
﹂
落ちた拍子にボタンが接触したのか、重低音の後に宙に映し出されたのは立体映像。
ち。
漏れ出そうになる悲鳴を気合で押し殺し、しかし手からは≪デダイヤル≫が零れ落
突如響く、新たな着信音。
﹁お前の体だが、ヤミやメアの≪ナノマシン≫と酷似したものが││﹂
いざ、履歴の中身を開こうとボタンを押そうとして。
実体化し、真剣身を帯びる金色の瞳を視界の端に捉えつつ。
が、先程の≪変身≫で確信したことがある﹂
トランス
﹁トレインの体に≪ 変 身 融 合 ≫した時にもしやと思い、ずっと疑問に思っていたのだ
!!
501
金髪でも赤毛でもない。
画面一杯に広がるのは、波打つピンクの髪。
床に伏している筈の彼女の登場に身構え、別人であることに気付き緊張を解す。
﹁⋮⋮なんだ、セフィか﹂
相変わらずの心臓に悪い顔に、ウンザリするように返事をする。
かしら
﹂
﹁むっ、随分な言い草ね。意中の彼女を見つけて私のことなんてどうでもよくなったの
﹁嫌よ嫌よも好きのうちよ﹂
ねぇか﹂
﹁言 い 方 に 気 を 付 け ろ。そ れ じ ゃ あ ま る で、俺 が あ の ポ ン コ ツ に 気 が あ る み た い じ ゃ
?
地球の言葉って面白いわね﹂
?
﹁お前に地球の文化紹介した奴呼んで来い。色々といいたいことがあるから﹂
﹁ツンデレ、だったかしら
﹁どこで覚えたそんな言葉﹂
キョーコ
502
﹁││お呼びでしょうか、トレイン殿
セフィのアップで気付かなかった。
﹂
別人だと分かっていても、容易に拭い去れるものではなかった。
途端、脳裏を過るのはかつての悪夢。
る。
その姿にかつての悪夢、同期にハブられ憐れに思い声をかけ懐かれたヤンホモが重な
後ろに控えていた、怪甲冑を着込む今のザスティンを例えるのなら、それは忠犬。
!
イマジンブレード
その名も≪幻想虎徹LV.2≫││﹂
﹁それ以上喋るな、風穴開けるぞ﹂
相変わらず、こちらの古傷をピンポイントで抉って来る奴である。
今度会ったら謝ろうとか思っていたが、速攻で殺意に代わってしまった。
!
光子に擬似的な意思を持たせることで予測不可能、変幻自在な動きを可能にす
!
る生きた剣
!
です
﹁私もトレイン殿にご報告したいことが つい先日、ようやく完成へとこぎ着けたの
503
﹁お楽しみのところ申し訳ないのだけれど﹂
﹁ははっ、さすがは馬鹿女。外見ばっか気にして頭ん中はスッカラカンだな﹂
んだか微笑ましい気持ちになるわ﹂
﹁あの時の私は余裕がなかったのね。あなたを見ていると若い頃のギドを思い出してな
﹁年増め﹂
﹂
﹁ふふっ、本当に昔のギドにそっくり﹂
﹁⋮⋮で、なんか用
て﹂
﹁⋮⋮無駄骨になっちまったけど、正直助かった。ティアの奴を探すのに協力してくれ
セフィは微笑のまま、ザスティンはこちらを注視するだけで何も言わない。
言葉に詰まる。
﹁ティアーユ博士、見つかったのね。良かったわ﹂
?
﹁あなたには命を助けてもらった借りがある。私はその恩を返しただけ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁素直に謝るトレイン君ってとっても新鮮﹂
キョーコ
504
﹁⋮⋮ほんと、マジで助かった﹂
決定打はティアーユと涼子の学生時代の写真だった。
だが、デビルーク王家が築き上げた人脈は伊達ではなく、紹介された情報屋は数知れ
ず。
顔写真と人海戦術、その二つがあったからこそ、辺境の惑星に隠れ住んでいたティ
アーユを見つけ出すことが出来たのだ。
命の恩人という立場を利用してまで頼る、それほどの価値がセフィにはあった。
敵わないなと、脱力してしまうトレインだったが、
流石はデビルークの王妃、そして三女の母親か。
だが、トレインの胸の内など既にお見通しのようだ。
しょう﹂
﹁だから、これで貸し借りはなし。次に会う時には対等な立場で、普通にお話しをしま
505
﹁ええ
あ、アークスが二人
﹂
!?
開け放たれた扉の両側にヤミとメアが、室内には涼子とお静が。
振り返り、驚き立ち尽くす、長い金髪を背中で一つに纏めたティアーユの背後。
﹁⋮⋮ティア、声がデケェ。あと、この人は先輩とは別人││﹂
驚愕一色に染まった声が、洋館の廊下に反響する。
!?
よりの証。
なによりも、額に刻まれた≪I≫のローマ数字こそ、彼女がセフィではないという何
容姿はセフィと瓜二つ、しかし波打つ髪色はピンクではなく黄金。
そして、寝台から身を起こし、彼女はその碧眼で真っすぐにこちらを見ていた。
﹁││││え﹂
キョーコ
506
﹁⋮⋮私と﹂
両者が相見えた、これが最初の瞬間だった。
セフィリア=アークスとセフィ・ミカエラ・デビルーク。
﹁そっくり⋮⋮﹂
507
フリダシ
セフィ・ミカエラ・デビルークについて、トレインの印象は才女︵笑︶だった。
全宇宙統一を果たした現デビルーク王が武なら、政治の一手を引き受ける彼女は知の
王妃。
政治の苦手な夫に代わり各星々との外交に勤しみ、恒久的な宇宙平和が保たれている
ティ アー ユ
のはセフィ王妃のおかげだとは、ザスティンの談である。
正直に言おう、今日の今日まで完全にポンコツと同一視していた。
本人曰く悩みの種であるチャーム人の特性が交渉を有利に進め、実際には大したこと
はない。
そんなセフィについての評価は、この瞬間にも改まりつつあることをトレインは自覚
していた。
﹂
?
﹁随分と古い呼び名を使うのね。そう、あなたの言うジパング、つまりは日本。今の私達
﹁⋮⋮日本、というのがジパングを指すのなら﹂
﹁まあっ、ではアークスさんも日本がお好きなのね
フリダシ
508
﹂
がいる島国独自の文化は素晴らしいわ。以前お邪魔したお宅で出た煮物がまた格別で
﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
﹁ちなみに、アークスさんは何がお好き
あれでしょう、寿司はシースーとも呼ぶのよね ザスティンが言っていた
﹁⋮⋮寿司、でしょうか﹂
﹂
﹁寿司
わ
!
立体映像の隅でグッと指を立てる姿にイラッとする。
﹁そう言えば、トレイン君から聞きましたよ﹂
唐突に出された話題に、こちらを伺う碧眼と目が合う。
だが、それも一瞬のこと。
バッと音がするような早さで元に向き直り、心なしセフィリアは肩を縮こませる。
!
!
またお前か、ザスティン。
!
?
509
﹁ハートネット、から⋮⋮﹂
﹁ええ、アークスさんは和食がお好きだと。そのようなプライベートなことまで知って
いるなんて、随分と親しい間柄なのね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
親しいというか、一方的に刃凶器向けられた間柄です││なんてことは口が裂けても
言わない。
セフィリアも同じ考えにでも至ったのか、室内に気まずい沈黙が下りる。
ゴホンと一咳、集まる視線と遠ざかる気配にゲンナリしつつも、会話を勧めようと口
を開く。
﹂
﹁⋮⋮昔、先輩にメシに誘われたことがあったから、それでだよ﹂
﹁食事会⋮⋮つまりデートね
!
条件反射での否定だが、照れ隠しなんて可愛いものからではない。
トンデモないことを口走るセフィ。
﹁ちげぇよ﹂
フリダシ
510
下手に感情を刺激して≪滅界≫を放たれては堪らない。
長年に渡る逃亡生活で染み付いた、トレインの自己防衛本能である。
誤解されてセフィリアもいい迷惑だろうと、恐る恐るそちらを見遣れば。
﹁ふふっ⋮⋮アークスさんも苦労をしているのね﹂
だった。
灰色の青春を過ごしたのだなと、その結果があの≪滅界≫なのだなと遠い目になるの
反応が初心なのは、恋愛事への耐性がからっきしなせいに違いない。
暇があるなら己を鍛える時間に充てるのは、彼女の性格的に当然の帰結。
物心付く頃から≪クロノス≫に仕えてきたセフィリアのことだ、恋愛事に現を抜かす
何処の世界に、気になる異性に先制必中即死技を連発してくる輩がいるというのか。
まさか自分に気がある││なんて思うほどトレインは自惚れてはいない。
顔を真っ赤にして俯くセフィリアの姿が。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
511
セフィリア
セフィ
セフィは意味深に微笑み、セフィリアの頬へと更なる朱が差す。
顔が瓜二つなせいか、それは不器用な 妹 を見守る姉という構図を見る者に連想させ
た。
共に部下を持ち、上に立つ者同士。
彼女達に違いがあるとすれば、夫を持ち、三人の娘を育てた母親という経験の差か。
あのセフィリアが手玉に取られる姿は、トレインに大きな衝撃となって襲う。
バイス││いえ、これは忠告と思って下さって構いません。あなたがこの先、後悔をし
﹁容姿が似ているせいかしら、あなたのことは他人だとは思えない。だから、これはアド
ないために﹂
普段はヴェールに隠された、チャーム人としての力が集約された瞳。
まるで心の奥底まで見透かすようにセフィは真っすぐセフィリアを見詰めた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ます﹂
﹁争いは何も生み出さない。アークスさんならばこの意味、理解してくれると信じてい
フリダシ
512
﹁初めてトレイン君と会った時、彼は怯えていた。何の力も持たない私に、あなたに似て
いるというだけで﹂
チャーム
そして、それはセフィも同じ。
﹁⋮⋮私にも、力がある。≪魅了≫という、生まれた時からある、呪いのような力が﹂
抹殺人として生を受けたからこそ、力でしか何かを伝える術を持ちえない。
イレイザー
セフィリアにとって、自身の力とは己の存在価値であり、彼女の全て。
続く言葉は出てこず、セフィリアは押し黙る。
﹁わたし、は⋮⋮﹂
﹁ですが、力とは目的を果たすための手段。使い方を見誤れば、それはただの暴力です﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しょう﹂
はお強いのでしょう。その力を身に着けるために、血の滲むような鍛錬を積んだことで
﹁トレイン君は強い。そして、そんな彼があなたに畏怖している。アークスさん、あなた
﹁っ⋮⋮﹂
513
種族を問わずあらゆる生物を魅了する、無作為な能力。
それは否応なしに、常にセフィが果たそうとする目的の前に障害となって立ちはだ
チャーム
かった。
チャーム
≪魅了≫の能力を介してでしか、セフィは何かを伝える術を持ちえなかったのだ。
﹁でも、私は変われた。≪魅了≫の力に惑わされることなく私を見てくれた、彼等のおか
げで﹂
まるで、恋をする乙女のように。
濡れた眼差しがトレインへ、そして彼を通して愛する夫へ。
﹁あなたもきっと、変わることができる。だって、トレイン君は今もこうして真っすぐに
あなたを見ようとしているのだから﹂
﹁デビルークさん⋮⋮﹂
﹁これからもよろしくお願いしますね、セフィリア﹂
﹁⋮⋮はい、セフィ﹂ ﹁セフィと、そう呼んでください。そして、あなたのことも是非、セフィリアと﹂
フリダシ
514
ぎこちなくはあった。
それでも、ずっと強張っていたセフィリアの表情が、僅かだが綻ぶ。
そんな彼女を引き出したセフィは、なるほど大した器だとトレインは感心するのだっ
た。
﹁ええ、必ずまた﹂
﹁そう言って貰えて嬉しいわ。では、続きはまた今度に﹂
い﹂
﹁構いません。王妃という責任ある立場に着いているのです、そちらを優先してくださ
﹁ごめんなさいね。どうしても外せない用事があって⋮⋮﹂
ザスティンの言葉に、セフィは困ったように嘆息する。
﹁あら、もうそんな時間なのね。楽しいことって本当にあっという間に過ぎちゃうわ﹂
﹁セフィ様、そろそろお時間の方が﹂
515
このまま通話は終了。
そう思えたが、﹁そう言えば││﹂と思い出したようにセフィは呟く。
その際、トレインを一瞥し、ニッコリと聖母のような笑みを零す。
﹂
﹁セフィリアって、随分と変わった趣味をお持ちなのね﹂
﹁と言いますと
﹁⋮⋮はい
﹂
﹁壁に仏像を彫るのが趣味なんだとか﹂
?
だと﹂
﹁≪滅界≫と言ったかしら トレイン君が言ってたわ。あなたが生み出した化物剣術
顔を青褪めさせるトレインを余所に、セフィの語りは止まらない。
││ちょっと待て。
?
?
な風に言うなんて。セフィリア、やり過ぎはただの暴力だけど、懲らしめるくらいなら
﹁女剣士だの、馬鹿女だの。本当に失礼しちゃうわ。私と同じ美し過ぎるあなたをそん
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
フリダシ
516
517
と両拳を胸の前で握り締める。
いいと私は思うの﹂
ファイト
つつ。
トレインが思うことは、たった一つだけだった。
││あ⋮⋮あの女ぁあああああああああああああ
セフィはとんでもないものを残していきました。
◆ ◇ ◆ ◇
!?
虚空を見上げていた顔を俯かせ、プルプルと震えるセフィリアを極力見ないようにし
後に残るのは痛みを伴うほどの沈黙。
立体映像はこちらの空気など微塵も読まず、無慈悲なまでに途絶える。
それが、トレインが見たセフィの最後の姿だった。
!
美柑は目の前の光景に、言葉が出てこなかった。
﹁うぅ⋮⋮私は所詮都合のいい女に過ぎないのだ。当事者なのにこうして蚊帳の外に追
﹂
いやられているのがいい証拠だ。そのうち飽きられて捨てられるんだ。そうに違いな
﹂
?
いんだ﹂
ミカド、私は一体どうすれば
﹁まーまー、ネメちゃん落ち込まない。クロちゃんがそんなことする訳ないでしょ
﹁年頃の男女が密室で二人っきり⋮⋮
!
﹂
!?
てんやわんやの騒ぎは、既に美柑の処理能力を大きく超えていた。
無断で入り、訪れたのは広間。
チャイムを鳴らしても反応がなく、中からは物音がするし、何度も訪れているからと
トレインが家出したとの一報を受け、やって来たのは御門邸。
﹁ななっ、何言っちゃってるんですかミカド先生
﹁トレイン君がそんな節操なしなら私達、とうの昔に美味しく頂かれちゃってるわね﹂
!?
﹁というか、あのヤミさんそっくりの人って⋮⋮﹂
フリダシ
518
﹁││不本意ながら、彼女がティアーユ。私のオリジナルです﹂
突然の声に隣を見れば、何時の間に立っていたのだろう。
いつにも増して仏頂面を引っ提げたヤミがいた。
!?
﹁暗殺のプロフェッショナルであるヤミでも無理だったか﹂
だが、ヤミが頭を振った次の瞬間には、大なり小なり落胆の表情を浮かべるのだった。
ネメシスを先頭に、部屋に居た皆がヤミへと詰め寄る。
﹁ヤミよ、どうだったのだ
﹂
言葉は、最後まで続かなかった。
﹁ところで、話が変わるんだけど⋮⋮﹂
﹁いえ、応対しなかった私も問題ありですから﹂
﹁わっ、ヤミさん。ごめんね、黙って入ってきたりして﹂
519
﹁近付くこと自体は可能でしたが、会話を聞き取れる範囲内へは無理です。トレインも
﹂
唯一の出入口を陣取っているので、こうなることは想定済みなのでしょう﹂
﹂
﹁よっぽど聞かれたくないことなのでしょうか
?
ティアったら何を想像しているのかしらね﹂
﹁はわわわ⋮⋮
﹁あらあら
!?
はない筈だ。
﹂
かったが、トレインと出会ってからは益々増している気がするのは、きっと気のせいで
ララが結城家に居候してから、ドタバタな毎日に常識人故にフォローに回ることは多
く。
悪戯っ子なチェシャ猫染みた笑みで揶揄うメアを睨むが、それで態度が改まる訳もな
無言で折檻の体勢に入るヤミを後ろから羽交い絞めに。
﹁どうどう、ヤミさん落ち着いて﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁素敵。さすがはヤミお姉ちゃんのオリジナル、えっちぃ想像ばっかり﹂
?
﹁それで、トレイン君がどうかしたんですか
?
フリダシ
520
気苦労から出る嘆息を零し、事情を尋ねようと口火を切る。
﹂
?
?
そんな美柑の質問に、羽交い絞めを解いたヤミが答える。
色々と謎の多いトレインの交友関係、知っていれば御の字程度の気持ちだった。
妙齢の美女と言えば涼子、そしてティアーユが該当するが、とうの本人達は目の前に。
誰なの
﹁えっと⋮⋮ネメシスさん曰く、未亡人のような雰囲気を纏う妙齢の美女 それって
もやっとした胸のわだかまりを吐き出すようにゴホンと咳払い。
逆に羽交い絞めにされ、はっと正気に。
﹁どうどう、落ち着くのです美柑﹂
﹁⋮⋮ごめん、用事を思い出した﹂
﹁未亡人のような雰囲気を纏う妙齢の美女と密室で二人きりなのだ﹂
521
﹂
﹁プリンセス・セフィのそっくりさんです﹂
﹁⋮⋮ん
﹂
?
?
﹁トレイン君、大丈夫なの
﹂
頭の中に乱立していた疑問符を消し、美柑が尋ねたかったことは一つだけだった。
はないかと本気で思っていたのだが、まさか本当に実在していたとは。
今までその存在だけがまことしやかに囁かれるだけで空想上の怪物かなにかなので
最強は誰かと聞かれ、真っ先に名前の挙がるトレインを恐怖のどん底に堕とす存在。
怯えるトレイン、悲鳴を上げるトレイン、逃げ惑うトレイン。
﹁⋮⋮⋮⋮んん
﹁トレイン曰く、滅界怖いさんです。名前は確か、セフィリアだったかと﹂
?
決してこちらと目を合わせることはしなかったが。
ヤミは質問に答えてくれた。
﹁⋮⋮私はトレインの無事を信じています﹂
フリダシ
522
セフィ
◆ ◇ ◆ ◇
嵐は去った。
しかし、刻まれた爪痕の大きさは中々に直視し辛くて。
埒が明かないと、トレインは背にしていた扉から体を離した。
﹁先輩﹂
まるで壊れた人形みたいだと、その姿を黙って見ていたトレインだったが、
露出した肌を彩る、痛々しい包帯が表すのは、彼女が心身ともに傷心なのだと。
微動だにすらせず、薄い病衣が僅かに上下しなければ、生きているのかすら怪しい。
俯いたままのセフィリアの表情を伺うことは出来なかった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
523
﹂
その後に起こった変化は劇的だった。
﹁││││
!!
﹁ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮
﹂
クロノ・ナンバーズ
だからなのだろうか。
≪ 時 の 番 人 ≫を率いていた女剣士は見る影もない。
﹂
静まり返った部屋に響くのは、シーツが擦れると音もう一つ。
﹁⋮⋮ごめん、なさい﹂
真っ白な山を前に、らしくないセフィリアの奇行も合わさり、トレインは固まる。
シーツを頭から被り、トレインに背を向ける形で縮こまってしまう。
!!
?
今のセフィリアは、≪クライスト≫を有していない。
﹁⋮⋮先輩
フリダシ
524
悪いことをして、叱られることを恐れる幼子のように、今のセフィリアは儚く脆い。
情けない姿を見られまいとしているのが、かつての剣士としての矜持からか。
にあり得た。いえ、そうならなかったのが不思議だったのです。私はあなたを殺そうと
﹁クリードによって負わされた致命傷。あれが私の手によって負わされる可能性は十分
ポタポタと聞こえるのは、零れる涙。
シーツ越しに聞こえるのは、くぐもった嗚咽。
たはずなのに。それでも私は伝えることを止めようとはしなかった﹂
とが出来なかった。あなたの必死な姿を見ていたはずなのに。拒絶の言葉を聞いてい
私の想いを知って欲しい、そんな理由からだった。それだけしか当時の私には考えるこ
﹁ハートネットは最強だと、無敵だと。そんな理由から、私はあなたに刃を向け続けた。
そして、始まったのは懺悔だった。
﹁セフィのいう、通りですっ﹂
525
した。そして、それは私の身勝手な想いなどでは到底免罪符になるようなものではあり
ません﹂
その光景は、トレインに既視感を与える。
先程盗み聞きに来た、セフィリアと同じ金髪を持つ少女なのだと理解する。
﹁私の全てで償います。死ねというのなら喜んで命を断ちます。二度と顔も合わせたく
ないというのなら今すぐにでも此処から立ち去ります。私に出来ることならばなんで
もします。言って下さい。そして、決して私を許さないでください﹂
あの時は、どうしたのだったか。
本気で怒って、本気で脅して、そして││。
嘘や誤魔化しなんて一つだってない。全部が全部、トレインの本音だった。
だから、最後は笑って彼女の行いを許すことが出来たのだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
フリダシ
526
今頃になって、ようやく理解できた。
セフィが去り際の行動は、セフィリアの罪を有耶無耶にさせないためだったのだ。
全部をなかったことにして過ごすことは、たぶんだけど出来るのだろう。
だけど、そんな関係はきっと、近い将来に破綻する。
セフィリアが後悔していることも、トレインが彼女を許そうと思っていることも。
全て分かっていて、だからこそセフィは傷口を掘り返す様な真似をしたんだ。
恭子と出会い、見たものだけが全てではないと悟った。
い﹂
輩。そんな俺の望みを奪ったのはあんただ。だから、俺はそんなあんたを絶対に許さな
で、たまに昼寝して。そんな野良猫ライフが過ごせるだけで良かった。セフィリア先
﹁俺はただ、普通に暮らしたかっただけだった。普通に美味いもん食って、普通に遊ん
正面からぶつからなくちゃいけない。
﹁⋮⋮なんで俺ばっかりって、ずっと思ってました﹂
527
セフィに背中を押され、逃げてはいけないのだと思い知らされた。
﹁今までずっと、そう思ってた﹂
近付く足取りに、迷いはなかった。
≪クライスト≫がないから、怪我人だから、≪滅界≫を放つ体力など残っていないか
ら。
理由は幾らでもあって、でも、どれもが一番の理由ではない。
気の利いたセリフの一つも浮かばなければ、見て見ぬ振りをするほど非情にもなり切
女の涙は苦手だ。
ない。
ベッドの上で、シーツを被ったまま、罪人のように懺悔する、過去の姿など見る影も
手の伸ばせば、白い小山に触れることが出来る。
スよ﹂
﹁でも、それだけじゃなかった。先輩ばっかが悪い訳じゃないってようやく分かったん
フリダシ
528
れない。
でも、真っすぐに気持ちを伝えることくらいなら、今のトレインにも出来るから。
クロノ・ナンバーズ
?
﹁先輩にだけ頭下げさすとか、≪ 時 の 番 人 ≫の連中が知ったら俺、殺されますよ﹂
﹁⋮⋮どうして、謝るのですか
私に感謝など⋮⋮﹂
背中同士を密着させ、二人を隔てるものは薄布一枚だけ。
とんっ、軽い重みがセフィリアの背にもたれ掛かる。
﹁ありがとうございます、セフィリア先輩。こんなになるまで、俺を守ってくれて﹂
ら。
他の誰でもない、セフィリア自身が、情けない自分の泣き顔を見られたくなかったか
固く結ばれた手は、掴んだシーツを頑なに離そうとはしなかった。
そっと手を伸ばせば、セフィリアは身を固くする。
﹁ごめんなさい、セフィリア先輩。あんたの気持ち、俺は聞こうともしなかった﹂
529
﹁そんなことは⋮⋮﹂
ケルベロス
﹁メイソンの爺さんが面白おかしく脚色したのを皆に言い触らして、戦闘狂のクランツ
とバルドリアスのコンビがまず襲い掛かって来るでしょ。遅れて駄 犬 共が騒ぎを嗅ぎ
付けて、他の連中は高みの見物。で、最終的にはベルゼーの奴が雷を落として終わり。
俺が≪クロノス≫に居た頃は、それこそ毎日のようにあった光景じゃあないっスか﹂
たったこれだけのことに、どれだけ回り道をしたのだろうか。
普通に言葉を交わす、こんなにも容易なことが、あの頃の自分達には出来なかった。
まるでこれまで溜めこんでいたものを吐き出すように、トレインの口は饒舌で。
あれだけ恐れていたセフィリアとこんなにも密着しているにも関わらず。
だけど、許されないことをしたことには変わりないと、ずっと自分を責め続けてきた
もう話せないと、死んだと思っていたトレインとこうして再会できて。
セフィリアもまた、可笑しな気分だった。
い。先輩を騙して助けなかった薄情なこの俺を、ずっと恨んでください﹂
﹁先輩、俺に自分を許さないでって言いましたよね。なら、俺のことも許さないでくださ
フリダシ
530
のに。
これではまるで、ご褒美ではないか。
こんな風に、触れ合って、伝え合って、ぬくもりを感じることが出来る。
当り前のことが、セフィリアは堪らなく嬉しくて。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
とめどなく溢れる涙に、申し訳なさを浮かべながらも、それでも改めて思うのだ。
トレインは死んでいなかった、生きていた、確かに此処に存在していた。
大粒の涙を流しながら、シーツの中でセフィリアは微笑む。
﹁だから、先輩。泣かないでください﹂
そのぬくもりは、彼が生きている何よりの証だった。
背中にいるトレインは、あたたかかった。
﹁それで、お相子です﹂
531
たった一つの願いは、成就されたのだと。
愛する人に逢いたい。
決して叶うはずのなかった願いが、こうして。
﹁ハートネット﹂
﹁なんスか、セフィリア先輩﹂
生きていてくれて、ありがとう。
守ってくれて、ありがとう。
慰めてくれて、ありがとう。
﹁いえ、呼んだだけです﹂
進んだ針が元に戻ることはないけれど、機会は何度だって訪れる。
やってしまったことは、もうやり直しが効かない。
﹁⋮⋮なんスか、それ﹂
フリダシ
532
彼を目指し、強くなった己の剣を見せることは、この先二度と叶わないかもしれない
けれど。
想いを伝える方法は、なにも一つだけではないのだから。
﹂
?
﹂
?
﹂
﹁リ ョ ー コ は 患 者 を 途 中 で ほ っ ぽ り だ し た り し ま せ ん か ら。O K な ん じ ゃ な い っ ス か
﹁傷が癒えるまで、此処に泊めて頂けないでしょうか﹂
焦がれ続けた、愛しい金色の瞳と碧眼の視線が交じり合う。
被ったシーツを外し、振り返る。
﹁呼びたかっただけです。あなたの名前を呼びたかった、ただそれだけですよ﹂
﹁⋮⋮マジでどうかしましたか
﹁ハートネット、ハートネット⋮⋮ハートネット﹂
﹁⋮⋮先輩
﹁ハートネット﹂
533
﹁それまでの御恩、必ず返すと約束します﹂
?
﹁そんな風に重く考えなくても大丈夫大丈夫。それに、返すのなら俺じゃなくティアと
かに﹂
﹁分かっていますよ。ルナティークにはよくしてもらいましたから﹂
今はまだ、伝えることの叶わない想い。
﹁ハートネット﹂
大好きです、トレイン。││愛しています。
﹁不束者ですが、よろしくお願い致します﹂
セフィリアは淡く微笑むのだった。
いつの日かきっと、伝えてみせると心に誓いながら。
胸に秘めた、この気持ち。
﹁こちらこそ。よろしくお願いしますね、セフィリア先輩﹂
フリダシ
534
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