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フィールドワークによる農業・農村地理学研究 はしがき 私はこれまで日本

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フィールドワークによる農業・農村地理学研究 はしがき 私はこれまで日本
フィールドワークによる農業・農村地理学研究
はしがき
私はこれまで日本やカナダを中心とした地域において、主にフィールドワークに基づい
て、地理学的視点から農山漁村の調査・研究を行ってきた。その 1 つの原点となったのが、
静岡県南伊豆の沿岸集に関する共同調査への参加と、富山県黒部川扇状地農村の調査であ
った。ここでは、どのように研究を始め、どのように研究をまとめ、さらに次の課題に展
開させていったか、その際に誰からどのような影響をうけたかについて、ついてふりかえ
ってみることにしよう。
南伊豆の沿岸集落研究
私は 1971 年 4 月に東京教育大学大学院理学研究科修士課程に進学し、人文地理学を専攻
するが、最初に本格的な地域調査を行ったのは南伊豆であった。人文地理学研究室では、
第 2 次世界大戦直後から、青野壽郎先生(1952a、1953b)、尾留川正平先生(1979)
、そし
て山本正三先生と引き継ぎながら、毎年、下田市の臨海実験所を拠点に周辺の沿岸集落を
対象として大学院の「人文地理学野外実験」実施してきたが、そろそろこれまでの成果を
まとめようという雰囲気にあった。そして、あらためて下田市白浜から南伊豆町石廊崎ま
での沿岸集落を網羅的に調査し、1950 年代から 1970 年代はじめまでの変化を明らかにす
ることになった。
1971 年 9 月に実施された野外実験では、
体力がありそうだということで、
私には下田からもっとも遠い石廊崎が割り当てられ、毎朝 8 時すぎのバスで現地に向い、
隣接する大瀬を担当する櫻井明久さんが下車すると 1 人になってしまい、これから午後 5
時頃のバスで帰途につくまで、どうすごそうか心細い思いがしたことを覚えている。
南伊豆調査の基本テーマは「共同体的組織を基礎として、集落をめぐる海域から耕地域、
山域まで、多様な環境資源を活用し、組み合わせて生活を行ってきた沿岸集落が、1950 年
代後半からどのように変化したか」ということであった。そのために土地利用の観察、住
民生活の聞き取りを行い、現地で一次資料を入手するともに、それを証拠づける記録類や
統計を集めるよう指導を受けた。土地利用については、形がかなりゆがんだ地籍図を用い
て現状を記録することを、初日に山本正三先生と先輩の菅野峰明さんに現地に来てもらい
手ほどきをうけた。聞き取りの方は、とにかく話を聞いてこいということであった。話を
してくれる人に漁業や農業、観光、集落の行事の実態と変化など、やみくもに聞いて、夜
のゼミではいろいろ指導をうけて、翌日またでかけるという、調査を 1 週間繰り返した。
住民の話を丁寧に聞くこと、それによって地域イメージをつかむこと、そのことを説明す
るためにデータを自分つくったり、集めたりすることが、この時に学んだことで、その後
の私のフィールドワークの基本的な姿勢となった。南伊豆の調査は、1974 年頃まで、年 1
回の野外実験以外にも、年間 2-3 回は実施し、白浜や須崎、柿崎、田牛などの集落調査や、
南伊豆全体の漁業についてまとめることになったが、これらは最終的には 1978 年に二宮書
店から出版された『沿岸集落の生態』に収録されることになった(山本・尾留川
1978)。
黒部川扇状地の農業・農村研究
農業水利研究
修士課程での指導教員は教授の尾留川先生であったが、先生は東京教育大学の移転や日
本地理学会の役員等で多忙で、実質的に助教授の山本正三先生に指導していただいた。1971
年 11 月頃であったか、山本先生に修士論文のテーマを相談し、富山平野の農業水利を対象
とすることにした。当時の1つの流行であった A.K. Fhilbric(1957)の提唱による Areal
Functional Organization の考え方に基づいて、正井泰夫先生がアメリカの都市で(Masai,
1961)
、山本先生と朝野先生が茶業(山本・朝野 1968)
、斎藤 功先生が酪農(斎藤 1971)、
そして大学院の先輩であった内山幸久さんが果樹で(内山
1972)研究を行っていたが、
それを農業水利に適用して地域の構造を探ることになった。そして、農業水利がつくる空
間的範囲が、農業水利のみならず農業や生活、社会全般にかかわる空間的広がりと密接に
関係していることを明らかにしようとした。
富山平野を構成する黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、庄川の扇状地で予備調査を行
い、適当な広さと、実家からの近接性などから黒部川扇状地を選択した。後に調査した新
潟県高田平野の農村や茨城県下利根平野、香川県丸亀平野の農村などでは、農業用水が極
端に不足したり、低湿地で過剰な水を排除することが大きな課題であることから、確かに
水利のまとまりが様々な経済活動や日常生活、社会組織などの空間的な広がりと密接な関
連があったが、水量が豊で水利規制が少ない黒部川扇状地では、そのような事実を見つけ
るのが困難であった。最初の課題設定に対して、フィールドが適切でなかったことは、調
査を進めるにつれて痛感したが、途中でフィールドを変えるには手遅れで、結局農業水利
の空間的広がりにしぼって何とかまとめた。しかし、修士論文提出後の挫折感が大きく、
博士課程進学者は修士論文の成果を、論文提出直後の日本地理学会春季学術大会で発表す
ることが恒例であったが、私は「南伊豆石廊崎の観光地化」という共同調査の結果でかん
べんしてもらうことにした。そして、博士論文のテーマも、
「レクレーション資源としての
景観の評価法」という異なった方向を考えることにした。結果的に、これも途中で挫折し
て、また農業水利に回帰することになるが。
修士論文のことはあまりふれてもらいたくなかったが、当時、日本地理学会集会専門委
員であった正井泰夫先生と茗荷谷の駅で偶然会い近くの喫茶店でコーヒーをごちそうして
もらったが、その後で大会で発表していないから例会でやるように言われ、断れなくなっ
てしまった。東京大学の地理学教室で、40 分ほど発表した後で質疑応答が 1 時間近く続き、
様々な意見とアドバイスを得ることができた。おかげて、発表の際に準備した原稿を基に
して、地理学評論に何とか投稿することができた(田林 1974)
。この論文のおかげで、後
に石川県手取川扇状地と新潟県高田平野の事例を加えて、北陸地方の扇状地性平野の農業
水利の特徴を、空間的側面から検討して、博士論文を作成することができた(田林 1977,
1990)
。
農村変貌に関する調査
農業水利の調査を行っていた 1970 年代初め頃は、黒部川扇状地で圃場整備事業がさかん
に行われており、農業が機械化・省力化される一方、農村に工業が進出し農家の兼業化が
進むなど、農村は大きく変化していた。農業水利の調査で農家を訪ねても圃場整備事業の
話ばかりされることが多かった。このような土地改良にともなう農村変貌は、高度経済成
長を迎えた日本全体でみられた現象であった。1960 年代初めまで伝統的な景観や機能が強
く残っていた黒部川扇状地では、他地域よりも急速に明確な形で、様々な事象の変化がお
きた。そこで、修士論文の調査の時にやった無駄を少しでも活用しようと、博士課程進学
直後から、南伊豆調査の要領で、農村変貌を景観と就業構造に着目して調査をし、それを
まとめることができた(田林
1975;;山本・田林
1975)
。この時に大きな刺激をうけた
のが、Clout(1972)の Rural Geography であった。農業地理学や集落地理学ではなく、
農村の都市化や兼業化、農村の地域計画や政策構築といった内容は非常に魅力的に感じら
れた。一時期博士論文研究にしようと思った「景観の評価」という題材に興味をもったき
っかけの1つも、この本に取り上げられていたからであった。
「黒部川扇状地の農村変貌」の調査の中で、もっとも大きな成果は、地域のイメージの
捉え方であった。農業水利の際に調査した4つの集落のなかから、1つを選び調査を始め、
多くの農家で聞き取りを行ったが、南伊豆のような明確な地域のイメージをつかむことが
なかなかできなかった。あるとき、集落の区長を勤めている A 氏に彼自身の農業と農家経
営、土地利用に関する過去 20 年余りの変遷についてじっくりと聞くことができた。A 氏の
事例は伝統的生活から新しい生活、すなわち農村的生活から都市的な生活への転換を明確
に示していた。そして、これが 1960 年から 1970 年代にかけての黒部川扇状地の基本的動
向を示しているように思えた。そして、この方向で論文をまとめるために、具体的なデー
タを収集した。
黒部川扇状地農村から日本と世界の農村へ
日本の農村空間区分
事例地域のフィールドワークによる研究を行うなかで、不安に思ったのは、そこで得ら
れた結果がどれくらい普遍的であるのかということであった。その不安を和らげてくれた
のが、「日本の農村空間区分」に関する研究であった。それまでの農業・農村の地域差は、
農業的土地利用や農産物の種類、販売額、農業労働力といった農業の要素に基づいて整理
されていたが、現実には労働時間からいっても収入からいっても農外就業の方が圧倒的に
重要であることが、黒部川扇状地農村の調査でわかった。私が調査をやっている様子を黒
部川扇状地まで見に来たり、日本地理学会秋季学術大会の際の砺波平野巡検などに参加し
た山本正三先生は、従来とは異なった形で農村地域を整理しようという着想に至ったよう
で、夏休みで富山に帰省しようとしていた私を呼んで、高等学校の恩師であった北林吉弘
先生(後に富山大学教授)に、富山県を何らかの形で区分してもらってくるように言われ
た。方法や基準についての具体的な指示はなかったので、雲をつかむような思いで、富山
県の分県地図を買って、北林先生を富山中部高等学校の社会科準備室に訪ねた。
普段は新しい発想が湯水のようにわく北林先生であったが、この時ばかりはよい考えが
浮かばないようで、地図を前に長考するばかりであった。1970 年農業センサスの集落類型
地図を参考にするからと、自宅までついていったが、また、地図をみながら考えこむ始末
であった。ところが夕方ごろ、突然、次のように言い始めた。「富山市から近い私の家は、
自分が教員で妻が薬剤師、父が農業をやっている。安定した通勤兼業が家の経済の中心だ。
君が言っていた黒部川扇状地では、最近になって通勤兼業が始まったが、中小の工場へ日
給月給制で勤めるなど不安定で、その分農業の比重は高い。
」そして、富山市と高岡市を取
り囲むように線を引き、黒部川扇状地農村と同質であると考えられる残りの富山平野と区
分した。それからは簡単であった。五箇山でイメージできる山地は出稼で特徴づけること
ができ、能登半島の付け根の氷見丘陵は土木日雇地域とし、そのほかに農業重要な近郊の
野菜や果樹地域、いまだ伝統的農村の性格が残っている、富山平野の東端部と西端部を分
けた地図ができあがった。
私は、それぞれの農村類型を地図化し、北林先生の話や自分の調査結果、そしていくつ
かの論文を参考にしてコメントをつけて、山本先生に提出した。山本先生は地図をみるな
り「これで行こう」と言い出して、
「それぞれの都道府県の農業や農村に精通している農政
担当者や農業技術者、地理学者などの、農家の就業構造に関する主観的な判断に基づいて
区分する」とう方法で調査を進めることになり、今度は冬休みに北陸地方の他の県に行く
ように指示された。北陸農政局で石川県の区分を依頼したが、始めは半信半疑だった担当
者が、できあがったものをみて、非常に感激して、太鼓判をおしてくれた。福井県、新潟
県と調査を続け、まず、北陸地方の区分ができあがった(山本・北林・田林 1976, 1987)
。
その後山本先生は協力者とともに精力的に全国の都道府県をまわり、ついに日本全体の区
分ができあがった。この研究は、農家あるいは集落での実態調査から得た知見を、全国レ
ベルまで拡大したものであり、また高度経済成長以降大きく変化した日本の農村を地域的
に整理した重要な成果となった(山本・北林・田林 1987)。私はなによりも個々の農家や
集落の調査が、日本全国にまで結びつくというダイナミズムを感じた。
ブナ帯文化論
1975 年 5 月から東京教育大学の助手になったが、その頃、夏休みや春休みになるのを待
ちかまえて、東京学芸大学の市川健夫先生と白坂蕃先生、お茶の水女子大学の斎藤
功先
生、山本正三先生、石井英也さんたちと、中央高地、北関東、東北地方、九州などの農村
や山村へ、3日から1週間程度の巡検に出かけることが多かった。その都度何かテーマを
決めて、集落や役場で話を聞きながら、かなり広い範囲を車で巡るというのが常であった。
私は主に運転手用員であったが、市川先生と山本先生は実に博識で、車の中や宿でさまざ
まなことを教えていただいた。また、細かな現象を結びつけて、一般的な傾向を探ったり、
事例地域を比較して相互の特徴を明らかにするということを教わった。1977 年に斎藤 功
先生がブナ帯文化論を提唱し、これに賛同した市川先生や山本先生とともに、ブナ帯研究
会という形で組織的に研究を進めることになった。長野県菅平高原や大分県飯田高原、東
北地方の水稲作の研究に新しい工夫をすることができた(市川健夫・山本正三・斎藤
功
1984)
。
霞ヶ浦地域研究
筑波大学になって大学院の野外実験のフィールドとして、南伊豆の沿岸集落に代わるも
のとして茨城県霞ヶ浦沿岸地域が選ばれ、1978 年 11 月に最初の調査を東岸の麻生町と玉
造町で実施した。この地域は、伊豆と同様に水域と耕地、台地といった多様な土地資源を
複雑に組み合わせて生活が行われ、さらにはその位置的・自然的・歴史的条件を背景に、
多様な性格をもつ関東の縮図ともいえる地域であった。私が主に関係した農村での調査は、
小農複合経営という視点からなされた。伝統的小農複合経営は、
「危険分散と地力維持、年
間を通した労働配分を念頭におきながら、多種類の農産物を持続的に生産するために小規
模な土地を多角的・集約的に利用し、農外就業も取り組むことによって生活を維持するも
の」であった。このような農業は、高度経済成長期以降大きく変化したが、それでも日本
農業は依然として小農複合経営という枠組みで捉えることができる。山本正三先生を中心
とした、筑波大学の人文地理学研究グループの重要な研究姿勢の1つが、まず、現実を記
録することから始めることであった。そのために現地における土地利用や景観の観察を注
意深く行い、次いで、それらをつくっている経済活動や社会・文化・政治活動などについ
て、住民や関連組織からの聞き取り、様々な記録や地図などから情報を収集し、さらに既
存の統計や文献などを用いて考察をするということである。
1978 年から 30 年以上にわたって、毎年、フィールドワークを重視しながら、地域調査
を続けてきた。そしてその成果を蓄積し、大学院教育と研究の発展をめざしてきた。調査
地域も霞ヶ浦地域から、茨城県さらには関東近県におよんでいる。これらの研究にブナ帯
研究の際の地域調査の成果を加えてまとめたものが、『小農複合経営の地域的展開』である
(山本・田林・菊地 2012)
。
カナダ研究
東京教育大学の人文地理学教室の雰囲気として、日本とともに外国での研究を経験する
ということがあった。先輩の高橋伸夫先生はフランス、石井英也さんと小林浩二さんはド
イツ、菅野峰明さんはアメリカという具合であった。私も博士課程 3 年生の時にロータリ
ー財団の奨学金をもらってアメリカに行くことになっていたが、東京教育大学の助手に就
職することになってしまったので留学を断念することになった。外国へ行くことができた
のはその 4 年後で、博士論文も終わってからであった。カナダのグエルフ大学は、1970 年
代に農学と獣医学、そして栄養学の3つの単科大学が核となってできた総合大学であった
が、これらの分野では北アメリカでも高く評価されていた。地理学も農業・農村地理学に
特徴があった。
かつてグウエルフ大学の教授で筑波大学におられた谷津榮壽先生の推薦で、P. Keddie 先
生に受け入れていただいた。彼はハイブリッド・コーンの南オンタリオでの拡散過程を実
証的に明らかにしたフィールドワーカーで、休日になると周辺の農村の巡検にさっそって
くれたり、南オンタリオの農業地域の基本的な見方を教えてくれた。半年くらいたってか
ら自分で農場で聞き取りを行ったが、規模や経営内容は異なるが、南オンタリオの家族経
営を行っている農民の雰囲気と農業への姿勢、基本的な経営の仕組みは、黒部川扇状地の
農家とそっくりで、日本での調査の経験が多いに役だった。農家で、
「おまえは英語はそこ
そこだけど、農家のことはよく知っているね」といわれて、うれしかったことを思いだす。
ワタールー大学の R. Krueger 先生はナイアガラの果樹地帯の研究で有名であるが、彼もフ
ィールドワーカーとして Keddie 先生と似た雰囲気をもっており、いろいろ教えていただい
た。Kddie 先生はミスター・カナダといわれるほど物知りで、彼のカナダ地誌の授業は非常
に魅力的であった。後に知り合ったブリッティシュコロンビア大学の J. Robinson 先生、サ
イモンフレーザー大学の P. Corosel 先生のカナダ地誌の授業も魅力的で、それ以来カナダ
地誌および日本地誌に強く興味をもつようになった。
農家の兼業化や農業のタイポロジーというそれまで関心をもっていた課題について精力
的に研究していたのが、J. Mage 先生で、特に兼業農家はカナダでも、重要な地位を占めて
いることがわかって驚いた。また、彼に刺激をうけてタウンシップごとのクロップ・コン
ビネーションに基づいて 1951 年と 1961 年、1961 年の南オンタリオの農業地域区分を行っ
たが、自然条件や都市の影響などに規定されて、この 20 年間に農業の地域分化がおきたこ
とが明確にわかった。B. Smit や A. Joseph といった先生方は、農村地域計画やサービス施
設の適正配置、農業の持続的発展といった先進的なテーマに取り組んでおり、後にもう少
し勉強しておけばよかったと思った。カナダでは日本とは異なる視点からの多様な研究が
行われ刺激的であったと同時に、両国に通ずる伝統的な地理学研究あるいは地理学者の共
通な認識を感じることができ安心したりした。
農業地理学から農村地理学へ-むすびにかえて-
私の場合は、1970 年代から 1980 年代初めにかけての、南伊豆の研究、黒部川扇状地研
究、ブナ帯研究の経験が基盤となって、後の新しい研究課題が生まれ、研究が発展してい
った。黒部川扇状地における農村の研究は、土地利用・景観、就業構造、社会組織を中心
に、現在に至るまで、続けている。1970 年代から 1980 年代の初めには、農業部門を発展
させ農家の自立経営を目指す動きが活発であった。このようななかで、私は黒部川扇状地
のチューリップ球根栽培や稲作経営について調査した。稲作については、北陸地方や東日
本に対象を広げた。黒部川扇状地おける農業水利や水稲作、チューリップ球根栽培、自立
農業経営などの分布図を作成してみると、いくつかの独特なパターンが繰り返しでてくる
ことがわかった。これらを手掛かりに、地域区分や地域構造図を描いてみた。同じような
ことをカナダの南オンタリオや日本列島でも後に試みた(山本・田林 2006)
。
さらに高橋伸夫先生を研究代表者とする科学研究費「わが国におけるコミュニケーショ
ン空間に関する地理学的研究」の分担者として、黒部川扇状地の公民館を中心とした住民
のコミュニケーション活動の調査を行った。これによって地域のコミュニティ活動の活発
さが、持続的農村の実現に通ずると考えることができ、日本や世界を対象とした持続的農
村研究に発展していった。1995 年に筑波大学で開催された国際地理学連合の持続的農村シ
ステム研究グループの国際シンポジュウムの世話をしたころから、それ以降、世界各地で
介さされる国際シンポジュウムで、日本の農村の状況を紹介することになった(Sasaki,
et.al. 1996)
。また、1990 年代から日本全体で脱農化傾向が著しくなり、農業や農村が誰に
よって担われるかという問題が生じてきた。どのような形の農業の担い手が考えられ、そ
の性格や地域差にについて、日本全国で検討した(田林・菊地・松井編 2009)。さらには、
1990 年代終わりから農村の生産機能が後退し、むしろ消費機能が目立つようになってきた。
現代の農村空間は、生産空間という性格が相対的に低下し、消費空間という性格が強くな
ってきている。このことを、農村空間の商品化と捉えることができる(Cloke 1993)
。これ
らの状況を、私が代表者の科学研究費基盤研究(A)「商品化する日本の農村空間に関わる
人文地理学的研究」によって、14 人の分担者とともに検討した。最近では、農村空間のの
商品化にようる観光振興について興味をもっている。
このように、私の研究の推移を大きくみると、農業水利や稲作、チューリップ球根とい
った農業生産あるいはその土地基盤の研究から、農家の就業や農村景観、生活組織を含む
農村の変貌、持続的農村、農業・農村の担い手、農村空間の商品化といったように展開し
てきた。これは農業地理学から農村地理学への方向性を示すものであるが、常にフィール
ドワークを基盤としてきた点は変わらない。
参考文献
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山本正三・北林吉弘・田林
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山本正三・北林吉弘・田林
明編
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山本正三・田林 明 1975
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山本正三・田林 明 2006 「変容する日本の地理空間」山本正三ほか編『日本の地誌第 2
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阿部和俊編『経済地理学 50 年』掲載予定原稿
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