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妄想的観念の発生・維持に関する 臨床心理学的研究
妄想的観念の発生・維持に関する 臨床心理学的研究 東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻生命環境科学系 山 修道 1 目次 目次 2 本論文の背景 3 本研究の構成 48 第1部 健常大学生の妄想的観念 51 研究1 大学生の妄想的観念の多次元アセスメント 51 研究2 妄想的観念を持つ健常大学生の早急な結論判断バイアス 66 研究3 大学生における妄想的観念による苦痛と対処行動の関係 83 第2部 統合失調症患者の妄想的観念 97 研究4 統合失調症患者の妄想的観念の多次元アセスメント 97 研究5 慢性期統合失調症患者における早急な結論判断バイアス 112 研究6 慢性期統合失調症患者における妄想的観念による苦痛と対処行動の関係 127 総合考察 136 引用文献 152 2 本論文の背景 本論文の背景を説明するに当たって,妄想的観念に関する実証的な研究の動向を,①妄 想的観念の定義と連続説について,②妄想的観念のアセスメントと多次元性について,③ 妄想的観念の発生要因について,④妄想的観念の維持要因についての 4 点からまとめた. 背景Ⅰ 妄想的観念の定義と連続説について 妄想の定義 妄想は,精神疾患の操作的診断基準 DSM-IV(American Psychiatric Association,1994)に よれば,「外的現実に対する間違った推論に基づく誤った確信であり,その矛盾を他のほと んどの人が確信しており,矛盾に対して反論の余地のない明らかな証明や証拠があるにも かかわらず,強固に維持される」信念であると定義されている.妄想は,統合失調症の主 要な症状であり,誤った推論から導かれる極端な信念である. 妄想と統合失調症 統合失調症は,抑うつ,不安と並ぶ,三大精神病理の一つである.統合失調症の診断に は,妄想の有無が大きなウェイトを占めてきた.DSM-Ⅳでは,統合失調症の診断基準に, ①妄想,②幻覚,③解体した会話,④ひどく解体したまたは緊張性の行動,⑤陰性症状の うち 2 つ以上が,1 ヶ月間ほとんどいつも存在することを挙げている.しかし,奇異な内容 の妄想がある場合には,それだけで統合失調症と診断するように定義されている. DSM-Ⅳの妄想の定義は,Jaspers(1948)の古典的な定義に基づいている.Jaspers は,妄 想の特徴として,①主観的に強い確信を持つこと(確信性),②経験から判断して正しい論 理に従わせることができないこと(訂正不能性),③あり得ない内容であること(内容の不 3 可能性)の 3 点を挙げた.たとえ信念に反する経験・事実・反駁があっても,確信が揺る がない(Scharfetter, 1980)信念や,出来事の独断的解釈を行ない,十分検討を加えない信念 を妄想という(Authur, 1964). 現代精神医学での一般的な定義(Mullen, 1979)でも,①絶対的な確信を伴うこと(absolute conviction),②客観的な証拠が無いこと(self-evidence),③適切な論理に欠けていること(lack of amenability to reason),④空想的もしくはありえない内容であること(fantasic or inherently unlikely content),⑤所属するサブカルチャーに受け入れられないこと(being a belief not shared by the believer's own subculture)が妄想の5つの条件であると定義されている.Mullen (1979)の定義のうち,①が Jaspers の①確信性,②と③が Jaspses の②訂正不能性,④と⑤ が③内容の不可能性に当たる. 妄想の「有無」 Jaspers の定義以来,妄想は「ある―なし」の非連続的な現象と捉えられてきた.しかし, 実際の臨床場面では,妄想の「ある―なし」の区別は必ずしも明確ではない.統合失調症 の妄想でも,Jaspers の定義を満たさないような中途半端な妄想も多く見られる.また,妄 想は, 「妄想か否かを判断する主観」が加わる動的な概念である(Kingdon & Turkington, 1994). 妄想の内容が「了解可能か不能か」は,判断する側が所属する文化・サブカルチャーによ って分かれてくる.そのため,妄想の「ある―なし」を明確に,一義的に判断することは 難しい. また,疫学調査の結果からも,妄想の「有無」は,必ずしも明確ではないことがわかっ てきた.Strauss(1969)は,臨床場面で見られる妄想が,確信度(conviction:体験が現実 であるという確信の程度) ・心的占有度(preoccupation:体験に費やす時間) ・内容の不適切 4 さ(implausibility)などの複数の次元によって構成されており,単純に「ある/なし」だけ で評価する方法に疑問を投げかけた. Strauss の問題提起をきっかけとして,WHO による国際統合失調症パイロット研究(WHO, 1979)が行われた.パイロット研究では,119 名の統合失調症患者を対象に,現在症診察表 (Present State Examination: Wing, Kooper & Sartorius, 1974)を実施した.現在症診察表は, 症状評価の半構造化面接である.半構造化面接基準を用いて,妄想のアセスメントを行っ たところ, 「判定不能」な妄想を持つ患者が 74 名いた.PSE における「判定不能」カテゴリ ーは,①情報不足による「評価不能」と②情報が十分あるにもかかわらず妄想の有無を確 定出来ない「有無不確実」の 2 つに分けられる.「有無不確実」な妄想だけを持つ患者は, 23 名だった. 「有無不確実」な妄想は,①内容が必ずしも不可能ではなく,妄想と正常思考 の中間的なもの,②特殊な文化的・状況的要因(宗教・入出眠時)があるもの,③絶対的 な確信を持っておらず,非現実であるという認識があるものの 3 つに分けられた.最初の 調査の時点では,PSE の基準で「妄想あり」とされた患者が,1 年後の追跡調査では,「有 無不確実」になっていたケースもあった. WHO のパイロット研究の結果を踏まえて,Strauss は,①妄想は「ある/なし」の二段階 評価ではなく,連続的にアセスメントしたほうが良い,②妄想を,連続体(continuum)と して捉えなおした方が良い,③「ある/なし」の次元だけではなく,確信度や心的占有度 など複数の次元で捉えた方が良い,④統合失調症という疾患そのものも,連続体として捉 えた方が良い,と提案した. 妄想と妄想様観念 妄想は統合失調症の症状であり,病的な信念である.しかしながら,統合失調症患者で 5 なくても,妄想に似た考えを持つことがある.妄想に似た考え・信念は,妄想様観念と呼 ばれる.妄想様観念は,DSM-Ⅳでは,「妄想ほどの強さはない観念で,自分が苦しめられ ている,迫害されている,または不当に扱われているという疑念」と定義されている. Jaspers は,統合失調症の妄想を一次妄想,統合失調症以外の疾患患者や健常者の持つ妄 想様観念を二次妄想と呼び,両者を区別して定義した(Jaspers, 1948).Jaspers の定義以来, 妄想と妄想様観念は,非連続的であると考えられてきた.しかしながら,妄想の有無が一 義的に判断できないのと同様に,妄想と妄想様観念の線引きも非常に難しい. 健常者の妄想様観念 また,最近の研究では,妄想様観念は,健常者も予想されている以上の頻度で持ってい ることが,実証データから示されてきた(Peters, Joseph & Garety, 1999; Cox & Cowling, 1989; Verdoux, van Os, Maurice-Tison, Gay, Salamon & Bourgeois, 1998; Bijl, van Zessen, Ravelli, de Rijk & Langendoen, 1998; 山崎・丹野, 2004).妄想様観念の中でも,「他人が自分のことを 陥れようとしているのではないか?」といった被害観念や,「何でも自分と関係があるので はないか?」と疑う関係念慮は,健常者の間でもそれほど珍しいものではない(Fenigstein & Vanable, 1992).van Os, Hanssen, Bijl & Ravelli(2000)の調査では,症状評価の構造化面接 で,17 の症状のうち 1 つ以上症状があると判断された被調査者は,全体の 17.5%だった. 一方,DSM-III で精神病性障害と診断された被調査者は,全体の 2.1%だった.また,Poulton, Caspi, Moffit, Cannon, Murray & Harrington(2000)の調査では,26 歳時点で妄想的観念を体 験したことがある被調査者は,全体の 20.1%だった.精神疾患と診断されない一般健常者 でも,妄想様観念を体験しうることが,実証データから明らかになってきている.また, 10 代後半から 20 代にかけての青年期では,30 代以上の成人よりも高い頻度で妄想様観念 6 を持つことが分かってきた(Verdoux & van Os, 2002). 妄想の連続説 妄想と妄想様観念,または,妄想と通常の信念を連続的に捉えるべきか,非連続的に捉 えるべきか,現在でも多くの議論が重ねられている(van Os, Gilvarry, Bale, van Horn, Tattan, White & Murray, 1999; van Os et al., 2000; Mullen, 2003; Jones, Delespaul & van Os, 2003).妄想 様観念については,本当に「他人が自分のことを陥れようとしている」か否かという客観 的な正誤は,それほど問題にはならない.仮に誤った信念であっても,信念を持っている こと自体が問題なのではない.それよりも,「自分が不当に扱われている」という疑念の強 さや,苦痛感情などの主観面がメンタルヘルスの上で問題となる(丹野・石垣・杉浦,2000; Peters, Day, McKenna & Orbach, 1999; Freeman, Garety, Fowler, Kuipers, Bebbington & Dunn, 2004; Garety, Freeman, Jolley, Dunn, Bebbington, Fowler, Kuipers & Dudley, 2005). 近年の実証研究では,妄想と妄想様観念を連続体として捉える研究が増えている.特に 心理学的な研究では,連続体仮説を採用した研究がほとんどである.また,DSM-Ⅳでも, 妄想と妄想様観念は,連続的なものとして捉えられている(丹野ら,2000).この点は,Jaspers の定義と異なっている.連続体仮説では,妄想(delusion)と妄想様観念(delusion-like ideation) を区別せず,妄想的観念(delusional ideation)として両者を連続的にとらえている. 治療介入の判断 しかしながら,仮に妄想と妄想様観念が連続体であったとしても,実際に医療のケアが 必要かどうかの判断は, 「必要/不必要」の非連続にならざるを得ない.臨床以外の場面で は,妄想や精神疾患に限らず,医学的な疾患は「ある―なし」の現象ではなく,疾患の重 7 症度が連続的に推移するものである(Rose & Barker, 1978) .例えば,血圧や耐糖能(グルコ ース許容量)は連続的に分布しているが,治療が必要かどうかを決めるときに初めて,非 連続的になる.そして,高血圧や糖尿病という疾患としてみなされ,治療・介入が行われ る. このような臨床的な意思決定が存在するが故に,「臨床家は,『妄想や幻覚などの精神病 症状があること=治療が必要なケース』という見方をしてしまう(Johns & van Os, 2001)」 と言われている.臨床家の非連続的な捉え方が,診断基準にも影響を及ぼしており,その ために妄想と妄想様観念は非連続的に捉えられている面もある. 妄想的観念の体験頻度の分布 連続説に立つ研究では,妄想(delusion)と妄想様観念(delusion-like ideation)をとりあ えず区別せず,妄想的観念(delusional ideation)として両者を連続的にとらえている.しか しながら連続説は,現時点ではあくまで作業仮説である.では実際には,妄想的観念の体 験頻度はどのように分布しているのであろうか?理論的には以下の 3 つが考えられる (Figure 0-1) .仮に 5 つの要因が妄想的観念の発現に寄与しているとする.5 つの要因が等 しく発現に寄与しており,寄与に大きな差がない場合は①の分布になる.いわゆる正規分 布である.一方,5 つの要因が互いに相互作用し,かつ同時に協同して妄想的観念の発現に 寄与する場合,非連続に近い②の分布になる.独立に作用し,かつ同時に協同して寄与す る場合は①と②の中間となる③の分布になる(Johns & van Os, 2001). 8 ① ② ③ Figure 0-1 統合失調症の症状の分布(Johns & van Os, 2001 より) 抑うつの連続性と妄想の連続性 精神疾患で連続性についての研究が進んでいるのは,抑うつである.遺伝研究やコミュ ニティを対象とした研究から,抑うつは症状の連続体として存在することが分かっている (Weich, 1997).妄想や幻覚といった精神病症状(psychosis)と抑うつは,発生メカニズム やリスク要因・治療法がある程度重複していると考えられている(van Os, Jones, Sham, Bebbington & Murray, 1998).もしそうだとすれば,抑うつだけが連続的で,妄想は非連続的 であるとは考えにくい.妄想は,発症率が抑うつよりも低いために,分布がゆがんでいる ことは考えられるが,連続的でないとは言えないだろう.抑うつの連続性に関するデータ は,妄想の連続性を支持する傍証であると考えられている. 妄想と統合失調症の関係 統合失調症の症状である妄想の連続性は,統合失調症そのものの連続性と必ずしもイコ ールではない.アメリカの併発例調査では,28%の人が幻覚や妄想といった統合失調症の 症状があるとしてスクリーニングされたが,最終的に医師によって統合失調症と診断が下 されたのは,広い診断基準に基づいた場合でも 0.7%であった(Kendler, Gallagher, Abelson & Kessler, 1996).このことから,臨床的な「統合失調症」という判断は,幻覚や妄想などの精 9 神病症状の連続体の中にある下位分類に過ぎないと考えられる.遺伝学的には,統合失調 症の症状が単一遺伝子の表現形であるとは考えにくく,多要因の現象であると言われてい る.多要因の遺伝子が関係している表現形は,身長や体重,慢性疾患である糖尿病や心臓 疾患のように連続的に分布する. 連続説の研究方法 このように連続説に基づく仮説が主張されても,妄想の連続性について研究は 1990 年代 になるまであまり進まなかった.特に精神医学分野では,治療・介入の判断が非連続的で あったことも影響し,連続性についての研究が行われなかった. しかし,連続説が定着した 90 年代以降には,妄想のアナログ研究が行われるようになっ た(Fenigstein & Vanable, 1992; Linney,Peters & Ayton, 1998; Green, Williams & Davidson, 2001; Martin & Penn, 2001; Colbert & Peters, 2002; Combs & Penn, 2004).アナログ研究とは,妄想と 妄想様観念の間に連続性を仮定し,妄想的観念として連続体で捉えた上で,健常者を対象 として妄想の発生メカニズムを研究する方法である. 連続説に立つ研究では,一般人口を対象とした大規模疫学調査が主に行われている(van Os, Hanssen, Bijl & Vollebergh, 2001).臨床場面では,連続的な性質の極端な部分が集まって くるため,本質的に連続的かどうかの証拠を示すデータは収集できない.そのため,健常 者を対象とした調査が必要になる.疫学研究の結果からは,精神科を受診していない人で も,統合失調症の発症率よりも高い率で妄想的観念を持つことが明らかになっている. 連続説を支持するデータ①:妄想的観念は,統合失調症・抑うつのリスクファクター 妄想的観念を持ちやすい人は,統合失調症やうつ病の発症リスクが高いという報告があ 10 る(Tien & Eaton, 1992; Chapman, Chapman, Kwapil, Eckblad & Zinser, 1994; Poulton et al., 2000). Chapman et al. (1994)は,1970 年代から 80 年代にかけて,7800 名の大学生を対象にスクリ ーニング調査を行った結果を元にして,妄想的観念や知覚異常体験を持ちやすかった被調 査者(psychosis-proneness subjects)508 名が,その後 10 年間で統合失調症を発症していたか どうかを追跡調査した.Chapman et al.(1994)では,①知覚的偏奇尺度,②魔術的思考尺 度,③身体的アンヘドニア尺度,④衝動調節尺度の尺度で,平均値+1.96 標準偏差以上の 得点の被調査者をスクリーニングした.追跡調査の結果,①知覚的偏奇尺度の得点が高か った群では,10 年後の統合失調症発症率が 1.7%だった.大学卒業者の生涯有病率が 0.5% であることを考えると,統計的には有意ではなかったが,比較的高い値だと言える.また, 感情障害の発症率は,対照群が 20.3%だったのに対して,①知覚的偏奇尺度得点高群では 35.2%であり,統計的にも有意な差が見られた.また,Poulton et al.(2000)は,11 歳時点 で幻覚様体験・妄想的観念があると自己報告した被調査者を追跡調査した.その結果,体 験 し た こ と が あ る と 自 己 報 告 し た 被 調 査 者 は , 26 歳 時 点 で 統 合 失 調 症 圏 障 害 (schizophreniform disorder)を発症している率が 42%と非常に高い率だった. 妄想的観念に伴う苦痛が強かったり,妄想的観念に長い時間とらわれたりする場合は, 不適応につながってしまう可能性がある.このようなハイリスク群を対象とした早期介 入・予防研究も注目されている(Morrison, French, Walford, Lewis, Kilcommons, Green, Parker & Bentall, 2004). 連続説を支持するデータ②:デモグラフィックデータとの関連パターン 妄想的観念は,年齢が若いほど体験率が高くなることがデータでは示されている.一般 人口を対象とした疫学調査でも,18∼29 歳の年齢層で最も体験率が高かった(Verdoux et al., 11 1998).統合失調症を発症しやすい年齢も,10 代から 20 代の青年期である. また,都市中心部の方が農村部よりも妄想的観念の体験率が高いという調査結果もある (Lundberg, Cantor-Graae, Kabakyenga, Rukundo & Ostergrena, 2004).統合失調症の発症率も, 都市中心部の方が高く,郊外になるほど低い事が知られている.このように,統合失調症 と妄想的観念の間には,同じような関連パターンが存在する.このことが,統合失調症の 妄想と健常者の妄想様観念の間に連続性がある証拠であると言われている. 連続説を支持するデータ③:共通の生物学的基盤 統合失調症患者の家族は,統合失調症の発症率が高いことはよく知られている(Gottesman & Shields, 1982).また,行動遺伝学的研究によれば,統合失調症の一致率は,一卵性双生児 のほうが二卵性双生児よりも高い(Gottesman & Shields, 1982).このようなデータは,統合 失調症に生物学的基盤があることを示唆している. 一方で,統合失調症そのものの発症率だけでなく,統合失調症患者の家族は,妄想的観 念をもちやすいことも示されている(Kendler, McGuire, Gruenberg, O'Hare, Spellman & Walsh, 1993; Kendler, McGuire, Gruenberg & Walsh, 1995).これらのデータは,統合失調症の妄想と 健常者の妄想様観念の間にも,共通の生物学的基盤があり,両者が連続している可能性を 示唆している. 統合失調症の連続性:統合失調症型人格 幻覚や妄想といった症状の連続性に関する研究が増える一方で,統合失調症そのものが 連続的であると捉える研究も増えてきた.統合失調症という疾患そのものが連続している と捉える研究では,統合失調症が,統合失調症型人格(Schizotypal Personality, Schizotypy) 12 の極端なものであると捉える.統合失調症型人格傾向の強い健常者は,幻覚様体験や妄想 様観念を持ちやすい.統合失調症患者の家族は,統合失調症型人格傾向が強いこと(Tsuang, Stone & Faraone, 1999)や,統合失調症型人格傾向の人は,統合失調症患者と共通の認知的 特徴を部分的に持つことが明らかになってきている(Freedman, Adler, Olincy, Waldo, Ross, Stevens & Leonard, 2002; Tsakanikos & Reed, 2005).最近では,統合失調症型人格傾向と脳機 能や遺伝子の関係についての研究もある(Fisher, Mohanty, Herrington, Koven, Miller & Heller, 2004; Linney, Murray, Peters, MacDonald, Rijsdijk & Sham, 2003). 統合失調症そのものを連続的に捉える研究では,症状だけでなく疾患単位で見ても,健 常者と統合失調症患者の間に質的な差異を仮定しないことになる.統合失調症の連続説は, 妄想の連続説よりも,ラディカルな仮説である. 健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想的観念を同一のパラダイムで研究する意義 健常者を対象とした妄想のアナログ研究は,連続説を作業仮説としている.連続説は精 神医学よりも異常心理学や臨床心理学による統合失調症理解に寄与する.健常者の心理メ カニズムを枠組みとして,統合失調症患者のどこに異常があるのか,妄想がどのように発 生するのかを解明することが出来る.また,妄想様観念や幻覚様体験と,妄想・幻覚の発 生メカニズムが分かれば,妄想様観念・幻覚様体験が,妄想・幻覚になってしまうことを 防ぐことが出来る. 一方,妄想様観念・幻覚様体験と妄想・幻覚の違う点は,①体験の頻度,②確信度,③ 心的占有度,④行動への影響度,⑤苦痛度,⑥二次的な帰属などが考えられている.Strauss (1969)は以下の4つの条件を挙げて,妄想様観念・幻覚様体験と妄想・幻覚の区別をし ている.それは,①観念・体験を客観的な現実として確信している程度,②文化や状況刺 13 激によって規定されていない程度,③観念・体験に支配されている時間の長さ,④体験の 異常さである.しかし,データからは体験内容の異常さと確信度は,病気かどうかを決め る要因ではないことが分かっている(Garety & Hemsley 1994).一方,体験の文化非規定性, 心的占有度,苦痛度は,病気かどうかを決める重要な要因であると考えられている.この ように,病気かどうか,すなわちケアが必要か必要でないかに大きく影響する要因と,影 響しない要因が存在すると考えられる.妄想と妄想様観念を同一のパラダイムで研究し, 両者の共通点・相違点が明らかになれば,臨床的な示唆が得られるだろう. 連続説と治療・予防 連続性を仮定する見方は,①統合失調症患者の個人精神療法,②家族の心理教育,③一 般者のメンタルヘルス教育で「病態理解の進展,スティグマの軽減」に役立つ可能性があ り(Kingdon & Turkington, 1994),治療的にもメリットがある見方である. 治療や予防を考えると,連続体のどの位置で病的な状態になるのかを見極める必要があ る.また,病気の状態と健康な状態が連続しているのかどうかを区別しておく必要がある. 連続している状態は①の状態である.もう一つは②のように準連続の状態である(Johns & van Os, 2001; Figure 0-2). 14 ①連続 ②準連続 ケアの必要性 ケアの必要性 症状のレベル 症状のレベル Figure 0-2 症状のレベルとケアの必要性の関係(Johns & van Os, 2001 より) 症状のレベルは連続しているが,症状のレベル自体がケアの必要性と比例するのではなく, ある閾値を越えて初めてケアが必要になる,というモデルである.高血圧や糖尿病がこの モデルに当てはまる.可能性としては②のほうが高いと考えられる.前にも述べたように, ケアの必要性については,「必要/不必要」のように非連続的な判断になる.その点を考え ても,②のような準連続の分布と考えるのが妥当であろう.症状そのものは連続的に分布 しているが,疾患/非疾患は非連続であると考えられる. 妄想と妄想様観念の定義と位置付け 妄想と妄想様観念の定義と位置付けは,両者を連続的に捉えるか,非連続的に捉えるか によって,かなり違ってくる.最近の実証研究では,連続説にたつ研究が増えてはいるも のの,依然として議論の余地が残る問題である.また,両者はあくまでパラダイムの問題 であり,現象の捉え方の問題であるため,どちらが正しいとは言えないかもしれない.妄 想と妄想様観念に関する実証研究は,ここ 10 年の間に本格化した新しい分野であるため, 概念定義も研究者によって統一されていない. 15 非連続説では妄想,妄想様観念,通常の信念を非連続的に分け,妄想は統合失調症に特 異的であると考える(Figure 0-3)のに対して,連続説では,妄想,妄想様観念,通常の信 念の境界はあいまいで連続的になる(Figure 0-4).また,連続説では,統合失調症患者以外 でも妄想がみられることを強調する. また,丹野ら(2000)は,妄想(delusion)と妄想様観念(delusion-like ideation)をとり あえず区別せず,両者をひとまとめにして「妄想的観念(delusional ideation)」として捉え た上で,連続説を作業仮説として,統合失調症患者(①)と健常者(②)でどこがどう違 うのかを調べていく方法論を提案している(Figure 0-5). 統合失調症 通常の信念 妄想様観念 妄想 Figure 0-3 非連続説における妄想・妄想様観念・通常の信念の位置付け 通常の信念 統合失調症 妄想様観念 妄想 Figure 0-4 連続説における妄想・妄想様観念・通常の信念の位置付け 16 通常の信念 統合失調症 妄想的観念 ② ① Figure 0-5 作業仮説としての妄想的観念の位置付け 連続性とアセスメント法 連続性の程度は,症状のアセスメント法にも大きく左右される.アセスメントの基礎と なる考え方には,①症状を体験していても,必ずしも統合失調症になるとは限らないとい う考え方,②連続体に従って,病気の状態から病気「的」(統合失調症的:schizotypal)な 状態が分布しているという考え方の2つがある.このどちらを取るかで分布も変わってく る.また,質問紙に含まれる項目の性質によっても分布が異なってくる.Schizotypal Personality Questionnaire(Raine, 1991)のように統合失調症患者の家族にも見られる症状を 項目に含むものは正規分布に近くなり,知覚的偏倚尺度(Perceptual Aberration Scale; Chapman, Chapman & Raulin, 1978)のように病理的な項目を含むものは分布がかなり歪むこ とも分かっている. このように,妄想的観念を連続的に定義することと,妄想的観念をアセスメントする方 法は密接に関係している.そこで次に,妄想的観念のアセスメント法について,これまで に開発された方法を概観した.そして,近年注目されている妄想的観念の多次元アセスメ ントについてまとめた. 17 背景Ⅱ 妄想的観念のアセスメントと多次元性について 妄想のアセスメント 妄想は Jaspers 以来,統合失調症の診断において重要であるとされてきた.妄想が「ある」 か「ない」かが,統合失調症の診断材料とされ,妄想の有無が診断の上で大きなウェイト を占めてきた.そして,妄想を客観的に測定するためのアセスメントツールが開発されて きた. 非連続的アセスメント Jaspers 以来の記述精神病理学では,統合失調症の妄想は了解不能であり,了解可能な妄 想様観念や健常者の信念とは質的に異なるとされてきた.この考え方はドイツ流の記述精 神病理学に特徴的である.ドイツ流の記述精神病理学は診断・鑑別に重きを置いていた. 明確な診断のためには病的な妄想は健康な信念との間に明確な線引きが必要になったと考 えられる.非連続的なアセスメントによって,妄想は詳細にわたって記述され,主題ごと の細かい分類も行われた. 連続的アセスメント しかし,1960 年代以降の実証研究では,統合失調症患者が完全に妄想と判断しにくい信 念を持つこと(Strauss, 1969)や,健常者でも妄想に似た観念を持つこと(Fenigstein & Vanable, 1992)が報告されている.統合失調症患者の妄想と健常者の信念の間にはある程度連続性 を仮定する研究も増えてきた.妄想と妄想様観念の定義は,長い間非連続的であったため, 「連続的なアセスメント」という発想が出てこなかった.しかしながら,前にも述べたよ うに,妄想と妄想様観念の区別は必ずしも明確ではなく,統合失調症の妄想でも,Jaspers 18 の定義を満たさないような中途半端な妄想も多く見られる.また,被害妄想的な観念は健 常者でも珍しくないことが報告されている.そのため,妄想を正確にアセスメントするた めには,妄想の程度を連続的な次元(dimension)によって測定するツールが必要である. アセスメント機能の変遷 症状評価・臨床研究から治療・アナログ研究へ 妄想のアセスメントツールには,用途・機能別にいくつかの種類がある(Table 0-1).客 観的なアセスメントツールが作られ始めた 70 年代ころは,症状評価や抗精神病薬の効果評 価に用いられることが多かった.80 年代後半から,イギリスでは妄想の認知行動療法が開 発され始める.妄想の認知行動療法の一環としてアセスメントツールが開発された.これ は症状評価よりも,治療のためのツールとしての機能が大きい.90 年代以降は妄想のアナ ログ研究に伴い,質問紙が研究の被験者をスクリーニングするために用いられるようにな った.ハイリスク研究にも用いられるようになった. 19 Table 0-1 妄想のアセスメントツール 尺度 日本語 刊行年 測定対象 a−1) 症状評価・臨床研究(精神症状評価尺度の一部) Brief Psychiatric Rating Scale Present State Examination 簡易精神症状評価尺度 現在症診察表 1962 1974 精神症状全般 精神症状全般 面接法 面接法 1977 精神症状全般 面接法 1978 精神症状全般 面接法 Manchester Scale (Psychotic Assessment Scale) Comprehensive Psychopathological Rating Scale 包括的精神病理評価尺度 (CPRS) 測定方法 Schedule for Affective Disorders and Schizophrenia (SADS) Schizophrenia Change Scale (SCS) (Montgomery ScizophreniaScale (MSS)) AMDP 1978 精神症状全般 面接法 1978 精神症状全般 面接法 1979 精神症状全般 面接法 Maine Scale 1981 精神症状全般 面接法 1989 精神症状全般 面接法 1990 精神症状全般 面接法 ミネソタ多面人格目録 1956 精神症状全般 質問紙法 陽性症状評価尺度 陽性陰性症状評価尺度 The Positive and NegativeSyndrome Scale (PANSS) Structured Clinical Interview forDSM-III-R (SCID) MMPI a−2) 症状評価・臨床研究(陽性症状・妄想に特化した尺度) 1984 陽性症状 面接法 The Psychotic symptom rating scales (PSYRATS) 1999 陽性症状 面接法 A Rating Scale for Psychotic Symptoms (RSPS) Scales for Rating Psychotic and Psychotic-like Experiences as Continua (SRPPEC) Dimensions of Delusional Experience Scale 1999 陽性症状 面接法 1980 陽性症状 面接法 1983 妄想 面接法 Personal Ideation Inventory 1984 妄想 面接法 Scale for the Assessment of Positive Symptoms (SAPS) Maudsley Assessment of Delusions Schedules (MADS) (日本語のみ) Multi-dimensional Assessment of Personal Ideation 1993 妄想 面接法 1996 妄想 面接法 Paranoid Scale 1959 妄想 質問紙法 Delusions-Symptoms-States Inventory (DSSI) 1975 妄想 質問紙法 b)治療的アセスメント Personal QuestionnaireAssessments of Conviction and Preoccupation 1985 妄想 治療法 Characteristics of Delusions Rating Scale 1987 妄想 治療法 Reaction to hypothetical contradiction and Accomodation 1987 妄想 治療法 Coping Strategy Enhancement (CSE) 1992 妄想 治療法 Reasoning about Delusions 1994 妄想 治療法 ABC assessment 1996 妄想 治療法 Magical Ideation Scale 1983 質問紙法 Schizotypal Personality Scale 1984 Schizotypal Personality Questionnaire 1991 1992 妄想 統合失調症型 人格傾向 統合失調症型 人格傾向 妄想 質問紙法 1996 妄想 質問紙法 c)アナログ研究 パラノイア尺度 Paranoia Scale Evaluative Belief Scale 質問紙法 質問紙法 1996 妄想 質問紙法 Peters et al. Delusions Inventory (PDI) 日本語版 PDI 1999 妄想 質問紙法 妄想観念チェックリスト(日本語) (日本語のみ) 2000 妄想 質問紙法 Paranoia Suspicious Questionnaire 20 症状評価・臨床研究用アセスメント① 精神症状評価尺度の一部 妄想のアセスメントは,客観的な精神症状評価尺度の一部に組み込まれていた.標準化 されており,一般的に普及している尺度であるため,研究にも利用しやすい.しかし,妄 想を評価する尺度は全体の尺度のごく一部である.そのため,項目数が少なく得点の幅も 小さくなってしまうことがある.信頼性が低かったり,治療反応性が鈍くなるというデメ リットがある.妄想の内容まで細かく踏み込んだアセスメントも難しい. 症状評価・臨床研究用アセスメント② 陽性症状・妄想に特化した尺度 陽性症状や妄想に的を絞ってアセスメントするツールもある.陽性症状・妄想のみを詳 しくアセスメントすることが出来る.定量的な分析も可能である.また,Scales for Rating Psychotic and Psychotic-like Experiences as Continua(SRPPEC; Chapman & Chapman, 1980)の ように,非臨床群と臨床群の両方に適用可能なアセスメントツールもある.連続的なアセ スメントが出来る.しかし,大部分が面接法によるアセスメントであり,コストがかかる という難点がある.新しい尺度も多く,標準化がされていなかったり,日本語訳がなかっ たりするものが多い. 治療的アセスメント 妄想の認知行動療法を行う際に用いるアセスメントである.個別の妄想を特定し,客観 的に評価した結果を治療者と患者で共有するためのものである.治療技法の一環として用 いられる.個別のアセスメントに向いており,治療効果評価にも使える.しかし,反復測 定が必要であり,大規模な調査研究や実験研究には不向きである.反復測定の縦断データ であるため,統計的な分析も難しい.そのためシングルケース研究によく用いられる.目 21 的はあくまで妄想の治療であり,治療のための道具という色彩が強い. アナログ研究用アセスメント 健常者を対象としたアナログ研究を行う際に用いるアセスメントである.ほとんどが質 問紙による自己記入式アセスメントである.質問紙法は,客観的かつ簡便に症状評価が出 来る.調査のコストが少なく,大量データが集めやすい.大規模な疫学調査に向いている. また,実験群のスクリーニングにも使われる.多変量解析を用いてデータ分析することも 出来る.臨床群を対象として実施することも可能だが,知的レベルの高い患者や安定期の 患者でないとデータの信頼性が下がってしまう. アセスメント形式の変遷 他者評価から自己評価へ 妄想のアセスメントは,ほとんどが面接による他者評価式の尺度である.臨床場面で用 いられるものは,MMPI,Paranoid Scale,DSSI 以外はほぼ全て面接による他者評価式であ る.質問紙による自己評価式尺度は,最近になって作られ始めたばかりである.標準化さ れたものは MMPI 以外にはない.ここにも記述精神病理学の影響が見られる.正常な判断 が出来ない患者には,自分の症状の客観的な評価は難しいと考えられていたためである. しかし,妄想は,異常な「信念」であり,主観的な現象である.主観的な信念は,行動の ように客観的に測定する事が難しい.主観的な信念を可能な限り客観的に測定するために は,質問紙による自己評価のほうが適切であるとも考えられる. 妄想以外の質問紙症状評価尺度は,抑うつの評価尺度である BDI (Beck Depression Inventory; Beck, Ward, Mendelson, Mock & Erbaugh, 1961)や,不安の評価尺度である STAI (State-Trait Anxiety Inventory; Spielberger, Gorsuch & Lushene, 1983)などがある.質問紙 22 法による妄想の評価尺度もこれまでいくつか開発されてきた(Table 0-1).しかし,精神科 患者のみを対象としたものか,健常者のみを対象としたものに限定されていた.そのため, BDI や STAI のように,健常者と患者両方に適用可能な妄想の症状評価尺度がなかった.そ れは,Jaspers の定義以来,妄想が「ある―なし」の非連続的な現象と捉えられてきたため である. 他者評価式アセスメント 臨 床 研 究 や 抗 精 神 病 薬 の 効 果 研 究 で は , BPRS , PANSS ( Positive Syndrome Positive Scale; Kay, Opler & Fistbein, 1971),SAPS(Scale for the and Negative Assessment of Syndrome; Andreasen, 1990)などのような面接形式の他者評価式の症状評価がほと んどの場合用いられる.面接形式のアセスメントは,妄想に関する詳細な情報を得られる 利点がある.ブラインドで評価を行うことで,プラセボや治療者バイアスを避けることが 出来る.標準化されているため,コンセンサスを得られやすい.しかし,他者評価式アセ スメントは,実施にコストがかかる.信頼性のある評価を行うためには訓練が必要である. また,評価者の人的コストもかかる.評定者間一致度はおおむね良いものが多いが,実際 利用するとスコアが大きくずれることもある.評価者が複数いる場合には,スコアを出来 るだけ一致させるためのディスカッションが必要になる.面接形式の他者評価式アセスメ ントは,日常臨床のアセスメントや大規模疫学調査には不向きである. 自己評価式アセスメント 健常者を対象としたアナログ研究や疫学研究では,質問紙が用いられることが多い.質 問紙は,調査にコストがかからず,大量のデータを集めることが出来るという利点がある. 23 得られたデータに多変量解析のような複雑な統計処理を施すことも出来る. 妄想や統合失調症型人格のアセスメントに質問紙法を用いるメリットは大きい.90 年代 以降,質問紙による妄想のアセスメントツールが開発されてきている.しかし,質問紙に よる精神症状評価は MMPI 以外は標準化はされていない.認知機能・知的機能の落ちた統 合失調症患者に用いると,データの信頼性が落ちたり,患者に負担がかかったりする恐れ がある.統合失調症患者に用いる時には,実施に十分な説明や配慮が必要になる. 多次元アセスメント 妄想は,「ある」か「ない」かの現象として捉えられてきた.しかし,実際には,妄想が あっても社会適応が良い患者もいる.単純に妄想の「ある」「なし」だけでは,不適応的な 症状なのかどうかは判断できない. 「ある」か「ない」かの一次元だけでは,臨床アセスメ ントとして不十分である.そのため近年では,妄想を様々な次元から測定する多次元アセ スメント法が多く開発されている. 多次元アセスメント研究①:設定された次元 Strauss(1969)の問題提起や,WHO(1979)のパイロット研究を受けて,Kendler, Glazer & Morgenstern(1983)は,52 名の妄想患者を対象に,多次元アセスメントを用いた横断研 究を行った.Kendler et al.(1983)は,半構造化面接を用いて,妄想の①確信度(conviction), ②心的占有度(preoccupation),③般化度(extention),④内容の奇異さ(bizarreness),⑤解 体度(disorganization)を評価した また,Garety & Hemsley(1987)は,55 名の妄想患者を対象に,CDRS(Characteristics of Delusions Rating Scale)を実施した.CDRS は,妄想を①確信度(conviction),②心的占有度 24 ( preoccupation ), ③ 行 動 阻 害 度 ( interference ), ④ 抵 抗 ( resistance ), ⑤ 忘 れ や す さ (dismissibility),⑥不合理さ(absurdity),⑦明快さ(self-evident),⑧証拠探し(reassurance seeking),⑨心配(worry),⑩不幸感(unhappiness),⑪心的妨害度(pervasiveness)の 11 次元から評価できる.視覚的アナログ尺度(Visual Analogue Scale)を用いて測定し,それ ぞれの次元を 10 段階で評価する. 多次元アセスメント研究②:次元間の相関係数 Kendler et al.(1983)では,④内容の奇異さについて,評定者間一致度が低かった(κ=.30). また,①確信度と②心的占有度(r=.36),①確信度と③般化度(r=.36)の相関係数は,有意 ではあったが低かった.加えて,2 つのペア以外に有意な相関が見られなかった.Garety & Hemsley(1987)では,55 個の相関係数のうち,有意なものは 12 個であった.妄想を構成 する次元間の相関は強くない.このような先行研究の結果から,妄想が単純な一次元の変 数ではなく,多次元的であると考えられている. 多次元アセスメント研究③:多次元を縮約するための主成分分析・因子分析 多次元アセスメント研究では,研究によって次元の種類や数が異なる.初期の研究では, 精緻にアセスメントするために,5 個以上の次元を設定していた.多くの次元を設定すれば, それだけ詳細なアセスメントが可能になる.しかしながら,情報量が多くなりすぎるため, 結果の解釈が煩雑になる.また,設定された次元の中には,重複する類似した次元も含ま れる.Kendler et al.(1983)や,Garety & Hemsley(1987)では,多くの次元を縮約するため に,主成分分析や因子分析を行っている.Kendler et al.(1983)では,因子分析の結果,5 つの次元が,①巻き込まれ度(delusional involvement)と②構成度(delusional construct)の 25 2 つに分かれた.また,Garety & Hemsley(1987)では,主成分分析の結果,11 の次元が, ①苦痛度(distress),②強度(strength),③強制感(obtrusiveness),④関心(concern)の 4 つに分かれた. 多次元アセスメントによる記述研究 多次元アセスメント研究から,妄想の次元は概ね,①体験内容の奇異さ(bizarreness), ②苦痛度(distress),③心的占有度(preoccupation),④確信度(conviction)の 4 つに集約さ れる(Bentall, Corcoran, Howard, Blackwood & Kinderman, 2001).4 つの次元の中で,最も不 適応に結びつきやすいのは,苦痛度(distress)である(Freeman & Garety, 1999).統合失調 症患者の中には,持続的に妄想が残っている患者が多く存在する.しかしながら,妄想そ のものは残っていても,日常生活を営むのに支障がない患者も多い.妄想を持っていても, 主観的に苦痛を感じていなければ,社会生活上問題はない場合が多い.逆に,主観的な苦 痛度が強ければ,不適応的な行動に結びつきやすく,入院などのケアが必要になる. 心的占有度と確信度:信念を考える時間と信念の強さ 宗教的信念との比較 Jones & Watson(1997)は,健常者の宗教的信念と妄想を,多次元アセスメントで比較し た.その結果,確信度に差はなかった.また,Peters et al.(1999)は,新興宗教信者と妄想 を持つ統合失調症患者を,多次元アセスメントで比較した.①体験数,②苦痛度,③心的 占有度,④確信度の 4 つの次元から比較した.その結果,統合失調症患者のほうが,②苦 痛度が強く,③心的占有度が高かった.一方,①体験数と④確信度の得点に差はなかった. ②苦痛度と③心的占有度は,妄想様観念が病的かそうでないかを区別する際には,重要な 次元である.一方,体験の内容と確信度は,病的かどうかの判断にはそれほど重要ではな 26 いと示唆されている. 多次元アセスメント研究の問題点 統合失調症患者の妄想の多次元性を示した先行研究は,小数事例を対象としたものが中 心である(Table 0-2).数は少ないが,大規模サンプルを対象とした研究もある(Appellbaum, Robbins & Roth, 1999).これらの研究では,次元間の相関が低いことを根拠に,妄想が多次 元的であると考察している.しかしながら,①研究ごとによって設定された次元が異なる, ②次元の数が多く,解釈が複雑になってしまうという問題点がある. 27 Table 0-2:多次元アセスメントによる妄想研究 研究者 年 対象者 30 名未満の患者群を対象とした臨床研究 Hole et al. 1979 統合失調症 8 名 Brett-Jones et al. Chadwick & Lowe Chadwick & Lowe Sharp et al. 次元 次元間相関 ①確信度 ― ②心的占有度 1987 統合失調症+失調感 ①確信度 確信度×心的占有度:r = .13 情障害 9 名 ②心的占有度 確信度×行動阻害度:r = .04 ③行動阻害度 心的占有度×行動阻害度:r = .37 ④反証への抵抗 ⑤順応度 1990 統合失調症 6 名 ①確信度 ― ②心的占有度 ③不安 ④確信度(100%) ⑤同化度 ⑥反証への反応 1994 統合失調症 6 名 ①確信度 ― その他 6 名 ②心的占有度 ③不安 ④確信度(100%) ⑤同化度 ⑥反証への反応 1996 統合失調症 6 名 ①確信度 ― ― ②心的占有度 ③不安 ④他の感情 ⑤真偽率 ⑥確信度 ⑦心的占有度 ⑧信念維持要因 ⑨感情 ⑩妄想に基づく行動 ⑪阻害行動 ⑫他者への開示性 ⑬組織化 ⑭洞察 28 因子分析・主成分分析 その他 ― ― ― ― ― ケーススタディによ る縦断治療効果研究 ― ケーススタディによ る縦断治療効果研究 ケーススタディによる 縦断治療効果研究 Table 0-2:多次元アセスメントによる妄想研究(続き) 研究者 年 対象者 次元 次元間相関 因子分析・主成分分析 その他 30 名以上の患者群を対象とした臨床研究 Kendler et al. 1983 統合失調症 34 名 失調感情障害 8 名 抑うつ 3 名 非定型精神病 5 その他 2 名 ①確信度 ②心的占有度 ③般化性 ④内容の奇妙さ ⑤内的一貫性 確信度×心的占有度:r=.36 確信度×般化性:r=.36 2 因子 ― ①巻き込まれ度:確信 度・心的占有度・般化性 ②構造 内容の奇妙 さ・般化性・内的一貫性 Garety & Hemsley 1987 統合失調症 35 名 失調感情障害 3 名 抑うつ 3 名 躁うつ病 3 名 躁病 3 名 不明 8 名 ①確信度 ②心的占有度 ③行動阻害 ④抵抗 ⑤忘れやすさ ⑥非合理性 ⑦自己確証度 ⑧証拠探し ⑨心配 ⑩不幸感 ⑪般化度 確信度×心的占有度:r=.06 確信度×非合理性:r=.32 心的占有度×行動阻害度:r=.28 心的占有度×忘れやすさ:r=-.36 心的占有度×自己確証:r=.27 心的占有度×不幸感:r=.31 抵抗×非合理性:r=.28 抵抗×心配:r=.38 抵抗×不幸感:r=.46 忘れやすさ×不幸感:r=-.36 忘れやすさ×般化度:r=.32 非合理性×自己確証度:r=-.49 証拠探し×不幸感:r=.27 心配×不幸感:r=.70 4 成分 ①苦痛 ②強さ ③押しの強さ (obstrusiveness) ④結論づけ(concern) ― Wessely et al. 1993 全被験者 83 名 統合失調症 62% 妄想性障害 9% 感情障害 26% その他 3% ①確信度 ②行動維持要因 ③感情との関連 ④行動 ⑤心的占有度 ⑥体系化 ⑦洞察 ― ― ― 29 Table 0-2:多次元アセスメントによる妄想研究(続き) 研究者 年 対象者 次元 30 名以上の患者群を対象とした臨床研究(続き) Eisen et al. 1998 強迫性障害 20 名 ①確信度 身体表現性障害 20 名 ②心的占有度 気分障害 10 名 ③反論への反証 ④観念の固定化 ⑤反証への抵抗 ⑥洞察 ⑦関係念慮 Appelbaum et al. 1999 臨床群 1136 名 統合失調症 抑うつ 躁うつ その他 ①確信度 ②負の感情 ③行動 ④不活動 ⑤心的占有度 ⑥広汎性 ⑦流動性 次元間相関 因子分析・主成分分析 その他 ― 1 因子 因子負荷量:.48∼.92 項目―全体相関 r = .38~.85 r = .15~.53(詳細は未記載) 2 因子 ①強さと注視感 (intensity and scope) 確信度・広汎性・心的 占有度 ②行動と感情 行動・不活動・負の感 情 疾患別の次元得点 比較 内容別の次元得点 比較 疾患・内容別因子 構造比較 30 PDI の概要 Peters et al(1999)は,①簡便な症状評価と②連続的な多次元アセスメントの 2 点を実現 するために,妄想的観念を測定する自己記入式尺度 Peters et al. Delusions Inventory (PDI)を開発した.PDI は現在症診察表(Wing et al., 1974)の質問項目を元に作成された 40 項目から構成されている.被検者はまず妄想について記述された項目について,思い浮 かんだことがあるかどうかを 2 件法(はい・いいえ)で回答する.40 項目のうち「はい」 と回答した項目については,「思い浮かんだときにどのくらい苦しいか(苦痛度)」・「どの くらい頻繁に思い浮かべるか(心的占有度)」 ・ 「どのくらい本当だと思うか(確信度)」を 5 件法で評定する.そして,それぞれの値を個人ごとに集計し,体験数(40 項目のうち「は い」と回答した数) ・苦痛度・心的占有度・確信度の 4 つの次元について得点を算出できる. PDI 短縮版 Peters, Joseph, Day, & Garety(2004)は,主成分分析を用いて,Peters et al.(1999)の 40 項目の中から主成分負荷量の大きい 21 項目を抽出し,PDI 短縮版を作成した.PDI 短縮版 は,PDI を用いた 21 の先行研究のうち,13 の研究で用いられている(Table 0-3).また最近 では,PDI 短縮版を項目に含めた Community Assessment of Psychic Experiences(CAPE)が開 発され,疫学調査などに応用されている.統合失調症患者にアセスメントを行う場合,認 知障害や注意の障害があることを考慮する必要がある.特に自己記入式アセスメントを行 う際には,被調査者の負担を最小限にとどめる配慮が必要である.臨床研究を行う場合に は,短縮版を作製する意義は大きいと言える. 本論文の研究1では,健常者を対象に PDI の信頼性・妥当性を確認した.また,研究3 では,PDI 短縮版を作製し,健常者における信頼性・妥当性を確認した.研究4では,統合 31 失調症患者を対象に PDI40 項目版の信頼性・妥当性を確認した.その上で,PDI 短縮版の信 頼性・妥当性も確認した. PDI を用いて多次元アセスメントを行う意義 欧米では PDI を用いて,コミュニティを対象とした大規模調査や統合失調症のハイリス ク者のスクリーニングが行われており,妄想的観念のアセスメントツールとして使用され ている(Table 0-3).本研究では,日本語版 PDI を作成し,健常大学生と統合失調症患者の 妄想的観念を,①体験数,②苦痛度,③心的占有度,④確信度の4つの次元からアセスメ ント出来るようにした.そして,これまで先行研究では検討されてこなかった,次元間の 関連について実証データを元に分析を行った. 発生要因・維持要因研究のツール 健常者を対象としたアナログ研究を行う場合には,妄想的観念の程度によって被験者を スクリーニングする必要がある.そのためには,妄想的観念を測定する尺度が必要になる. 本研究では,PDI を用いて,妄想的観念を持ちやすい健常者を被験者としてスクリーニング した.また,多変量解析に耐えうるサイズのデータを集めるコストが小さい事も,質問紙 法のメリットである.本研究では,PDI を用いて約 200 名の健常者を対象とした縦断調査を 行い,妄想的観念による苦痛を維持させる要因を,多変量解析を用いて検証した. 32 Table0-3:PDIを用いた先行研究の結果 研究者 年 研究内容 使用法 方法・結果 Peters et al. 1996 PDI の作成・開発 信頼性・妥当性の検討 21 項目版:体験数のみ.予備研究.詳細なデータ報告はなし. Peters et al. 1999 PDI の作成・開発 信頼性・妥当性の検討 40 項目版:4 つの次元全て使用.次元間の相関係数は算出し ていない.苦痛度・心的占有度・確信度は単純加算した値を 使用. Peters et al. 1999 新興宗教信者と妄想患者における妄想的観念の 妄想的観念の評価 比較 21 項目版:4 つの次元全て使用.妄想患者のほうが,新興宗 教信者よりも,苦痛度と心的占有度が強かった. Verdoux et al 1998 一般人口対象の大規模調査 妄想的観念の評価 21 項目版:体験数のみ使用.体験数と年齢の間に負の関連が 見られた. Verdoux et al. 1998 プライマリケア患者対象の大規模調査 妄想的観念の評価 21 項目版:体験数のみ使用.精神科罹患歴のある群の方が, 体験数が有意に多い. Verdoux et al. 1999 妄想的観念を持ちやすい健常者が,抑うつに罹 妄想的観念の評価 患するリスクの検証 21 項目版:体験数のみ使用.低群・中群・高群の 3 群に群分 け.高群の抑うつ罹患リスクは,低群の 9.5 倍(オッズ比). van Os et al. 1999 プライマリケア患者対象の大規模調査 妄想的観念の評価 21 項目版:体験数のみ使用.精神症状のある患者 11 名,GHQ で健康に問題ありと判断された 245 名,健康に問題なしと判 断された 378 名を対象.群の主効果あり. Nunn et al. 2001 大麻・アルコール常習者の幻覚様体験・妄想的 妄想的観念の評価 観念の頻度 21 項目版:4 つの次元全て使用.体験数は,大麻使用者の方 が有意に多い.確信度は,大麻とアルコール両方使用者が有 意に強い. Green et al. 2001 妄想的観念を持ちやすい健常者の脅威関連感情 対象者スクリーニング の処理について 21 項目版:体験数のみ使用.実験群の群分けに使用. Morrison et al. 2002 幻覚様体験を引き起こす心理的要因 21 項目版:体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の合計値を 「PDI 総得点」として使用.尺度の併存的妥当性の確認に使 用. 妄想的観念の評価 33 Table0-3:PDIを用いた先行研究の結果(続き) 研究者 年 研究内容 使用法 方法・結果 Stefanis et al. 2002 一般人口における妄想的観念の次元について 妄想的観念の評価 PDI21 項目版を元に,項目を部分的に修正して,質 問紙 CAPE を作成して使用.陽性症状・陰性症状・ 抑うつ症状の 3 つの下位尺度. 次元は頻度と苦痛度の 2 次元.項目ごとに相関係数 を算出し,平均値を算出.陽性症状の頻度と苦痛度 の相関は,r=.67 Verdoux et al. 2002 大麻使用者の妄想的観念 妄想的観念の評価 質問紙 CAPE として使用.頻度のみ使用.陽性症状 の頻度と,大麻使用度は,重回帰分析で正の関連. Verdoux et al. 2003 妄想的観念を引き起こすストレッサーについて 対象者スクリーニング 質問紙 CAPE として使用.頻度のみ使用.多次元使 用せず. Linney et al. 2003 双生児法による行動遺伝学的研究 妄想的観念の評価 21 項目版:4 つの次元の合計値「PDI 総得点」を使 用?明確には記載されていない. Schurhoff et al. 2003 統合失調症と双極性障害の家族研究. 妄想的観念の評価 21 項目版:体験数のみ使用. Janssen et al. 2003 統合失調症患者と家族の「心の理論」 妄想的観念の評価 40 項目版:体験数のみ使用. Hanssen et al. 2003 疾患別の妄想的観念の比較 妄想的観念の評価 質問紙 CAPE として使用. 頻度と苦痛度 2 次元使用. 陽性症状の頻度と苦痛度の相関は r=.82 Lundberg et al. 2004 疫学調査.都市部と農村部の比較. 妄想的観念の評価 都市部の方が,農村部よりも体験数・苦痛度・心的 占有度が有意に高かった. Husky et al. 2004 妄想的観念を持ちやすい健常者の,対人行動とネガ 対象者スクリーニング ティブ感情の関連 Peters et al. 2004 PDI21 項目短縮版の作成 信頼性・妥当性の検討 Morrison et al. 2005 尺度の開発 併存的妥当性の検討 34 質問紙 CAPE として使用.頻度のみ. 21 項目版:4 つの次元全て使用.4 つの次元全てで, 妄想患者のほうが健常者よりも有意に高い値だっ た.次元間の相関係数は算出していない.苦痛度・ 心的占有度・確信度は単純加算して使用. 21 項目版:4 つの次元全て使用.Briefs about Paranoia Scale (BAPS)との相関係数を算出.BAPS の下位尺度 を独立変数,苦痛度を従属変数とする重回帰分析を 実施.次元間の相関係数は算出していない. 背景Ⅲ 妄想的観念の発生要因について 妄想の発生に関わる心理学的要因 近年,妄想を有する統合失調症患者には,特異的な推論のバイアスが見られることが分 かってきた.Garety & Freeman(1999)の系統的なレビューによれば,妄想の発生メカニズ ムに関する心理学的な研究は,①心の理論の障害(Frith ら),②確率判断バイアス(Garety ら),③原因帰属のバイアス(Bentall ら),④セルフ・ディスクレパンシー(Bentall ら)の 4つの理論を背景とした研究に大別される. 知覚異常仮説 Maher(1974)は,生物学的な異常が基盤となって知覚に異常が生じ,知覚の異常を説明 しようとして異常な信念である妄想が発生すると考えた.Maher(1974)は,説明を考える 推論プロセス自体は正常であると考えた.健常者でも病原体によって知覚の異常が生じる と,妄想を持つ事がある(Maher & Ross, 1984) .また,突発性の難聴が,被害観念の原因に なる(Zimbardo, Andersen & Kabat, 1981)ことも知られている.また,妄想患者は推論が出 来ないという証拠に乏しい(Maher, 1988)という見方もある. Maher(1974)の異常知覚モデルは,単一の原因で妄想の発生を説明でき,シンプルであ る.しかしながら,①知覚異常がないのに妄想が生じるケースを説明できない(Chapman & Chapman, 1988),②「妄想患者には推論のバイアスがある」というエビデンスが増えてきた, ③異常知覚の原因は生物学的な要因だけではなく,心理学的な要因も関与している(Slade & Bentall, 1988)など反証もあり,完全に妥当なモデルとは言えない. 35 Maher(1974)モデルの意義 Maher(1974)のモデルは,それまで「心理学的に了解不能」と考えられていた妄想を, 「個人の主観的な経験の説明」と捉えなおし,Jaspers 以来の妄想理論に一石を投じた.Maher (1974)のモデルがきっかけとなって,1980 年代以降に妄想の心理学的研究が進んだ. 心の理論障害仮説 Frith(1992)は,他者の意図を推論する能力である「心の理論(Theory of mind)」に障害 があると,他者の意図を読み違えて,関係妄想や被害妄想が生じてしまうと考えた.発病 前の発達上の問題が,「心の理論」障害につながると考えた.Frith(1992)はまた,自己の 意図のモニタリングが障害されると,作為体験(させられ体験)が生じてしまうと考えた. この 2 つの仮説を統合して,自己や他者の意図のモニタリング障害が,統合失調症の妄想 につながると考えた. Frith(1992)のモデルを元に,Corcoran, Mercer & Frith(1995)は,統合失調症患者を対 象に,「心の理論」課題を実施し,実験的に検討した.Corcoran et al.(1995)では,統合失 調症患者を症状によって階層的(hierarchically)に分類して,被害妄想と心の理論障害の関 係を調べている.Corcoran et al.(1995)では,被害妄想がある患者は,心の理論課題の成績 が健常者よりも悪かった.Corcoran et al.(1995)以降も,心の理論障害と妄想の関係を調べ た研究はいくつかある. しかし,①仮説を支持する研究が少ないこと(7 つのうち 2 つ), ②階層的な分類の結果,最も重症な群の患者は様々な症状を持っており,妄想との関連が 明確でないこと,③心の理論課題の成績は,陽性症状よりも陰性症状と強い相関があった こと(Doody, Gotz, Johnstone, Frith & Cunningham Owens, 1998)など,心の理論障害仮説を 支持する実証データは弱い. 36 帰属バイアス−セルフディスクレパンシー仮説 Bentall, Kaney & Dewey(1991)は,自尊心が低い人が自己を防衛するために,被害妄想 が生じると考えた.Zigler & Glick(1988)は,被害妄想が「カムフラージュされた抑うつ」 であると考えた.Colby, Faught & Parkinson(1979)は,自尊心への脅威を防衛するために, 物事の原因を外的に帰属するバイアスが,被害妄想であると考えた.自分自身にとって悪 い出来事を自分自身に内的帰属すると,自尊心が傷つけられ抑うつが生じてしまう.抑う つに陥ることを防衛するために,悪い出来事の原因を他者に帰属し,その結果「他人に悪 い事をされている」という被害妄想が生じる. 「こうありたい」と願う理想の自己像と,現 実の自己像にズレ(discrepancy)がある場合,現実との間に矛盾が生じてしまい,ズレを修 正しなければならなくなる.被害妄想には,ズレを修正せずに矛盾を解消する機能がある. Bentall, Kinderman & Kaney(1994)は,妄想患者の帰属バイアスとセルフディスクレパンシ ー理論を統合したモデルを考えた. Kaney & Bentall(1989)は,被害妄想患者と抑うつ患者の帰属パターンを比較した.その 結果,抑うつ患者が悪い出来事を内的に,良い出来事を外的に帰属するのに対して,被害 妄想患者は,悪い出来事を外的に,良い出来事を内的に帰属していた.しかしながら,Kaney & Bentall(1989)では,内的帰属と外的帰属の差得点を扱っているため, 「被害妄想患者は, 悪い出来事を外的に,良い出来事を内的に帰属する」と明確には言えないという批判もあ る.以後の研究では,悪い出来事を外的に帰属するバイアスは実証されているが,良い出 来事を内的に帰属するバイアスは実証されていないものが多い(Garety & Freeman, 1999). Lyon, Kaney & Bentall(1994)は,①被害妄想患者が表面的には自尊心が低くないこと, ②潜在的には自尊心が低いこと,③理想自己と現実自己の間にズレがあることを実験的に 示した.しかしながら,以後の研究では,3 つすべてを支持できた研究はない.Bentall et al. 37 (1994)のモデルを支持する実証データは弱い. 確率判断バイアス仮説 確率判断バイアスに関する研究では,最も頑健なデータが得られている.妄想の発生要 因を確率判断のバイアスであると考える研究は,ここ 10 数年の間に見られるようになった 比較的新しい研究である.以下にその流れを図示する(Figure 0-6) 確率判断バイアスを妄想発生の原因と捉える研究は,Hemsley & Garety(1986)のモデル が最初である.Hemsley & Garety(1986)は,認知心理学の意思決定研究の枠組みを利用し て,妄想の発生・維持メカニズムについて考察した.認知心理学では,ベイズ理論にもと づいて,人間が信念を形成し,意思決定するプロセスを数量的に把握する(Fishoff & Beyth-Marom, 1983).ベイズ理論では,人間が信念を形作るプロセスを,「情報」と「確信 度」で記述する.人間はさまざまな信念を持っており,信念によって確信度は異なる.ま た,同じ信念でも,新たな情報が入ってくると確信度が変わる.情報を参照し,信念の確 信度を変えながら,日常の意思決定をしている. Hemsley & Garety のベイズ意思決定モデル Hemsley & Garety(1986)は,妄想を信念と捉え,「情報」と「確信度」によって記述し た.そして,妄想を持つ統合失調症患者は,①少ない情報から判断してしまうこと(情報 収集バイアス),②強い確信をすぐに持ってしまうこと(確信度バイアス)をモデルから予 測した. 38 Figure 0-6 確率判断バイアス研究の流れ <健常心理学> 1980 <妄想研究> Fischoff & Bayth-Marom(1983) ベイズ意思決定モデル <妄想以外の研究> Hemsley & Garety(1986) ベイズ意思決定モデルの応用 Huq et al.(1988) ベイズ確率推論課題 妄想型と非妄想型の比較 Volans(1976) ベイズ確率推論課 題による実験研究 強迫と恐怖症 Garety et al.(1991) ベイズ確率推論課題 統合失調症+妄想性障害 1990 Griffin & Tversky(1992) コイントス課題 Garety(1991) ベイズ意思決定モデルの考察 Mortimer et al.(1996) ベイズ確率推論課題 相関研究 統合失調症患者 1995 Dudley et al.(1997a) ①ベイズ確率推論課題 ②コイントス課題 妄想型統合失調症・うつ病 Linney et al.(1998) コイントス課題 ウェイソンの 2-4-6 課題 変形 4 枚カード課題 Book/Suicide Task PDI 高得点群/低得点群 Peters et al.(1997) ベイズ確率推論課題 プライミング課題 実践的推論課題 妄想患者群・うつ病 Peters et al.(1999)縦断研究 ベイズ確率推論課題 プライミング課題 実践的推論課題 妄想患者群・うつ病 Dudley et al.(1997b) 感情価を含む素材による ベイズ確率推論課題 妄想型統合失調症・うつ病 Young & Bentall(1997) 性格特性語による ベイズ確率推論課題 妄想群(混合)・うつ病 Fear & Healy(1997) ベイズ確率推論課題 妄想性障害・強迫性障害 Brankovic & Paunovic(1999) ベイズ確率推論課題 妄想を持つ統合失調症患者縦 断研究 2000 Colbert & Peters(2002) ベイズ確率推論課題 Need for Closure Scale PDI 高得点群/低得点群 Moritz et al.(2005) ベイズ確率推論課題 妄想を持つ統合失調症患者 39 ビーズ玉課題を用いた 実験研究 Huq et al. (1988)の実験 Hemsley & Garety(1986)の提案した妄想発生のモデルをもとに,Huq, Garety & Hemsley (1988)は実験研究を行った.Huq et al.(1988)は,妄想型の統合失調症患者を対象に,ベ イズ確率推論課題を実施した.その結果,妄想型の統合失調症患者は,妄想型以外の統合 失調症患者や統合失調症以外の精神疾患群と比較して,判断するまでに収集する情報が少 なかった.また,同じ情報量が与えられた場合,妄想型の統合失調症患者は,妄想型以外 の統合失調症患者,対照群と比較して,確信度が高かった. Huq et al.(1988)は,妄想を持つ患者が,情報収集バイアスと確信度バイアスを持つこと を実験的に示した.この 2 つのバイアスは,ひとまとめにして「早急な結論判断バイアス ( Jumping To Conclusion bias )」と呼ばれている.Huq et al.(1988)は,早急な結論判 断バイアスを,妄想形成の心理的要因となる認知バイアスであると考えた. Garety, Hemsley & Wessely(1991)は,Huq et al.(1988)と同様のパラダイムで実験を行 った.Garety et al.(1991)の実験結果では,判断するまでに収集する情報は少なかったが, 同じ情報量が与えられた場合の確信度には差は見られなかった.しかし,反証となる証拠 が与えられた場合には,対照群が確信度があまり減少していない(むしろ増加している) のに対し,妄想群は確信度が大きく減少していた.Garety et al.(1991)はこの現象を反証効 果(disconfirmation effect)と呼んだ. Garety et al.(1991)のパラダイムを応用した研究は,以後 2 つのパターンに分かれていく. 1 つ目は,実験素材をニュートラルなものから,感情価・意味を含ませたものに変えて実施 した研究である(Dudley, John, Young & Over, 1997b; Young & Bentall, 1997).2 つ目は,実験 素材は変更せず,他の課題と比較したり,他の症状群と比較した研究である(Dudley, John, Young & Over, 1997a; Fear & Healy, 1997). 40 またここ数年では,妄想的観念を体験しやすい健常者(アナログサンプル)を対象とし た推論バイアス研究も行われてきている(Linney,Peters & Ayton 1998, Colbert & Peters 2002). Colbert & Peters(2002)は,妄想的観念を持つ健常者を対象に,ベイズ確率推論課題を実施 した.その結果,妄想的観念を体験しやすい健常者は,情報収集バイアスを持っていたが, 確信度バイアスは持っていなかった.これらの結果から,Colbert & Peters(2002)は,情報 収集バイアスは妄想の発生に関与し,確信度バイアスは妄想の維持に関与していると考察 している. しかしながら Colbert & Peters(2002)では,実際のビーズとガラス瓶を用いて,実験者が ビーズ玉の取り出しを行う実験条件だった.また,確信度の評定には,箱 A である確信度 のみを 0∼100 の間で評定させた.このため,箱 A である確信度と箱 B である確信度の合計 値が 100 であるという主観確率の条件を満たしていなかった可能性もある.このように, 実験条件の設定や条件の統制に問題があったため,確信度のバイアスが検出できなかった 可能性も否定できない. また,統合失調症患者を対象とした先行研究では,妄想を持つ患者は,確率判断課題で, 少ない情報から高い確信度にいたってしまうことが一貫して示されている(Garety & Freeman, 1999).しかし,先行研究では,妄想型の統合失調症患者を対象としている研究が ほとんどである.特に,急性期の入院患者を対象としている研究がほとんどであり(Table 0-3),慢性期の統合失調症患者を対象とした研究は今までのところ 1 つしかない.急性期の 症状が治まった後の,慢性期の統合失調症患者でも,些細なストレスによって妄想が再発 することはよく知られている.急性期の患者だけではなく,慢性期の患者でも,妄想の発 生しやすさに関連する認知バイアスが明らかになれば,妄想の認知行動療法の開発に寄与 できると考えられる. 41 42 Table 0-3 確率判断課題対象者の治療段階とバイアスの有無 研究者 年 対象 N 治療段階 バイアスの有無 情報収集 確信度 ○ ○ Huq et al. 1988 妄想型統合失調症 精神科患者対照群 健常者 15 10 15 入院患者 妄想あり Garety et al. 1991 妄想型統合失調症 妄想性障害 不安障害 健常者 13 14 14 13 入院患者 妄想あり ○ × Mortimer et al. 1996 統合失調症 43 慢性期 リハビリ 段階 △ ― Dudley et al. 1997a 妄想型統合失調症 抑うつ 健常者 15 15 15 妄想あり ○ ― Dudley et al. 1997b 妄想型統合失調症 (被害妄想+誇大妄想) 抑うつ 健常者 15 妄想あり ○ ― 16 15 Fear & Healy 1997 妄想性障害 強迫性障害 妄想・強迫併発群 健常者 22 26 15 30 妄想あり ○ × Peters et al 1997 妄想 抑うつ 健常者 23 23 24 妄想あり 入院患者 ○ △ Brankovic & Paunovic 1999 急性期症状あり 急性期症状なし 不安 健常者 29 16/29 31 35 入院患者 (縦断) ― ○ Peters et al. 1999 妄想 抑うつ 健常者 17 18 20 入院患者 (縦断) ○ Time1 ○ Time2 × Moritz et al. 2005 統合失調症 精神科対照 健常対照 31 28 17 入院患者 ○ × 43 背景Ⅳ 妄想的観念の維持要因について 症状対処行動について いったん発生した妄想的観念が心理的な苦痛に結びつくと,生活に支障をきたし,不適 応につながる.統合失調症患者の急性期の妄想は,抗精神病薬の服薬により無くなること が多い.しかし,抗精神病薬を服薬していても,妄想が残る患者もいる.慢性期の統合失 調症患者の中には,急性期の症状が治まった後も,薬物が効きにくく,持続的に妄想が残 っている患者が多い(Brown & Herz, 1989).持続性の妄想によって,社会適応が妨げられて いるケースもある.また,いったん妄想が無くなった患者でも,生活上のストレスにより 再燃することが知られている.しかしながら,一方で,持続的な妄想に対処するために, 患者自身がさまざまな対処行動を自ら考え,実践していることが知られている(Tarrier, Harwood, Yusopoff, Beckett & Baker, 1990).統合失調症患者のうち 67%以上が,能動的に対 処行動を使っているという報告もある(Falloon & Talbot, 1981). 妄想が維持される理由:「安全希求行動」 妄想は,間違った信念で,かつ強く保持される信念と定義されている.ではなぜ間違っ た信念であるにも関わらず,持ち続けてしまうのだろうか.Freeman, Garety & Kuipers(2001) は,1 つ目の理由として,仮説確証バイアスを挙げている.しかしながら,間違った信念で あれば,普通に生活していれば,反証が出てきて覆されるはずだとも考えられる. それにも関わらず間違った信念が維持される要因として,Freeman et al.(2001)は,安全 希求行動(Safety behaviour; Salkovskis, 1991)を挙げている.安全希求行動は,もともと不 安障害の維持要因として研究されてきた.安全希求行動とは,脅威を知覚した場合に,安 全な場所へ逃避する行動のことである.安全希求行動をとると,脅威を一時的に避ける事 44 が出来る.しかしながら,安全希求行動を続けていると,知覚された脅威が実際には破局 的なものではないことをいつまでも学習できない.そのため,逃避的な行動が強化され続 けることになる.実際には破局的でない状況を,破局的に捉える間違った信念は,妄想そ のものである.Freeman et al.(2001)は,妄想の維持する要因として,逃避的な安全希求行 動が,大きな役割を果たしていると考えている. 妄想的観念による苦痛と対処行動 健常者の妄想的観念による苦痛が,長い期間維持される場合と,そうでない場合がある. 妄想的観念による苦痛が,不適応につながるかどうかは,苦痛への対処行動によって変わ ってくる.また,統合失調症患者の妄想についても,対処行動が影響していると考えられ る.慢性期の統合失調症患者を対象とした臨床研究では,妄想への対処行動の重要性が指 摘されている.統合失調症患者を対象とした心理教育プログラム(Lieberman, 1988)では, 症状をモニタリングし,計画的に対処していく方法を学習していく.心理教育プログラム では,症状が再燃した場合に,症状が起こった状況から逃避してしまう対処を取らないよ う,「前向きな」対処行動を学習していく.積極的に症状に対処することで,患者自身の自 己効力感が増し,社会適応にも良い影響を及ぼす.しかしながら,逃避的な対処行動を続 けると,症状対処への自己効力感が増えず,症状に伴う苦痛がかえって増強されてしまう と考えられる. 妄想的観念による苦痛に限らず,心理的な苦痛への対処行動は,個人差も大きく,状況 による差も大きい.Lazarus & Folkman(1984)は,様々な対処行動を,①逃避型,②計画 型,③責任受容型,④肯定評価型,⑤対決型,⑥隔離型,⑦社会的支援模索型,⑧自己統 制型の8つのタイプに分けた.このうち,①逃避型の対処行動は,一般的なストレス状況 45 でも,心身のネガティブな状態を増幅させてしまうことが知られている(Holmes & Stevenson, 1990).また,①逃避型の対処行動をとりやすい人は,抑うつになりやすい(Endler & Parker, 1990)という報告もある.また逆に,②計画型の対処行動は,一般的なストレス状況で, ポジティブな対処行動であるとされている.②計画型の対処行動をとると,抑うつが低減 されるという報告もある(Billings & Moos, 1985). このような一般的なストレス状況への対処行動の個人差は,妄想的観念が思い浮かび, 苦痛を感じたときの対処行動にも影響している可能性がある(Freeman, Garety, Bebbington, Smith, Rollinson, Fowler, Kuipers, Ray & Dunn, 2005).妄想的観念が思い浮かんだときに,ど のように対処するかによって,苦痛が強まることもあれば,弱まることもある.不適切な 対処行動をとり続け,苦痛が弱まらず,統合失調症の発症につながる可能性も考えられる. 妄想を持つ統合失調症患者は,一般的に①逃避型の対処行動を用いやすいと言われてい る(Gispen-de Wied, 2000) .van den Bosch & Rombouts(1997)は,統合失調症患者,抑うつ 患者,神経症患者,健常者を対象に,ユトレヒトコーピングリスト(Utrecht Coping List) を実施し,対処行動の違いを検討した.その結果,統合失調症患者のみが,健常者と比べ て,逃避型対処行動の得点が有意に高かった. 連続説の立場から考えると,健常者が妄想的観念の苦痛に対処する際にも,逃避型対処 行動が苦痛を増強させてしまう可能性が考えられる.Schuldberg, Karwacki & Burns(1996) は,妄想的観念を持ちやすい人が,①逃避型と③責任受容型の対処行動を用いやすいと報 告している. 逃避型の対処行動は,その場限りの苦痛の低減にはつながるものの,苦痛を感じる状況 に対する破局的認知が修正されない.また,積極的な対処の機会を減らしてしまうため, 状況へのコントロール感が高まらず,苦痛が維持・増強されてしまう(Freeman & Garety, 46 2000).一方,計画型の対処行動は,積極的に状況をコントロールしていくアプローチであ るため,状況へのコントロール感が高まり,苦痛が維持されにくいと考えられる. このような理論的予測に基づき,Freeman et al.(2005)は,健常者 1202 名を対象に,多 次元パラノイアチェックリストとコーピングスタイル質問紙を実施した.調査の結果,逃 避型の対処行動は,妄想的観念の苦痛度と有意な正の相関を示した(r=.28, p<.01).また, 計画型の対処行動は,妄想的観念の苦痛度と有意な負の相関を示した(r=-.20, p<.01). このような結果から,Freeman et al.(2005)は,妄想的観念が思い浮かんだときには,計 画型の対処をしたほうが,逃避型の対処をするよりも,有効である可能性を指摘している. しかしながら,Freeman et al.(2005)は,横断データによる相関研究にとどまっている.横 断データによる相関研究のみでは,苦痛が対処行動に影響を与えるのか,対処行動が苦痛 に影響を与えるのかはっきりしないという問題点が残されている. 背景のまとめと本研究の目的 本論文の背景となる先行研究をまとめると,以下のようになる.近年の先行研究では, ①妄想と妄想様観念を区別せず,「妄想的観念」として連続的に捉えられるようになってい る,②妄想的観念を,質問紙により多次元的にアセスメントする方法が応用されはじめて いる,③妄想的観念の発生には,「早急な結論判断バイアス」が影響を与えている,④逃避 型対処行動が,妄想的観念による苦痛を維持させる要因として注目されている. 連続説に立つ研究では,基本的には統合失調症患者の妄想的観念と,健常者の妄想的観 念の間に同じ発生・維持メカニズムを想定している.しかしながら,連続説はあくまで作 業仮説であるため,健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想的観念の間には,メカニ ズムの違いがある可能性も否定できない.メカニズムの違いがあるのかどうかを確かめる 47 ためには,統合失調症患者と健常者の妄想的観念を同じアセスメント手法で測定し,同じ 実験パラダイムでメカニズムを実証的に検証していく必要がある.そこで本研究では,共 通の研究パラダイムを用いて,健常者と統合失調症患者両方を対象にデータを収集した. そして,健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想的観念のどこが同じでどこが違うの かを明らかにした. 本研究の構成 本研究の構成をまとめると以下のようになる(Table 0-4).本研究の第 1 部では,健常者 を対象としたアナログ研究を行った.また第 2 部では,統合失調症患者を対象とした臨床 研究を行った.第 1 部,第 2 部ともに,研究の流れは,①アセスメント法の開発と記述研 究,②発生要因に関する研究,③維持要因に関する研究という流れに沿った. Table 0-4 本論文の構成 アセスメント法の開発 記述研究 妄想的観念の発生要因 妄想的観念の維持要因 第1部 健常者(大学生) 第2部 統合失調症患者 <研究1> <研究4> 妄想的観念の 多次元アセスメントと 次元間の関係 妄想的観念の 多次元アセスメントと 次元間の関係 <研究2> <研究5> 妄想的観念を持つ 健常大学生の推論バイアス 慢性期統合失調症患者の 推論バイアス <研究3> <研究6> 妄想的観念による 苦痛と対処行動 妄想的観念による苦痛と 対処行動 48 本研究では,妄想的観念の発生・維持モデルを,認知行動モデルで記述した.臨床心理 学における認知行動モデルは,もともとは抑うつの認知療法を Beck とともに開発した Ellis (1977)の ABC 図式がベースになっている(Figure 0-7).抑うつの ABC 図式では,悩みを 誘発する出来事(Activating events:A)を,どのように受け取るか(Belief:B)によって, 結果としてのネガティブ感情(Consequence:C),すなわち抑うつ感情が生じると捉える. この ABC 図式は,認知行動モデルでは基本となるモデルである.ABC 図式は,抑うつだけ ではなく,不安障害や強迫性障害にも応用されてきた.不安障害や強迫性障害のモデルで は,ABC に加えて,結果として生じた感情への対処行動(D)を組み込んだモデルが想定 されている(Figure 0-8) . A Activating events B Belief C Consequence 悩みを誘発する 出来事 受け取り方,考え方, 信念,認知体系 結果としてのネガテ ィブな感情,悩み Figure 0-7 A 出来事 Ellis(1977)の ABC 図式 B 認知 C 感情 Figure 0-8 対処行動を含めた ABCD 図式 49 D 対処行動 近年では,このような認知行動モデルが,妄想的観念にも応用されつつある.本研究で は,対処行動を含めた ABCD 図式を基本的な枠組みとした.ABCD 図式では,記述研究(研 究 1・4)は B と C,発生要因研究(研究 2・5)は B,維持要因研究(研究 3・6)は C と D の部分にそれぞれ相当する(Figure 0-9). また,本論文では,第 1 部と第 2 部の結果を比較し,健常者と統合失調症患者の共通点 と相違点を明確にした. 第 1 部と第 2 部の比較の結果を認知行動モデルに基づいて整理し, 妄想的観念の発生・維持要因を記述した.健常者の妄想的観念と,統合失調症患者の妄想 的観念のメカニズムの違いについて,認知行動モデルを元に考察し,治療・介入への示唆 を得ることを目的とした. 維持要因研究 (研究 3・6) 発生要因研究 (研究 2・5) A 出来事 B 認知 C 感情 記述研究 (研究 1・4) Figure0- 9 本論文で対象とした部分 50 D 対処行動 第 1 部 健常大学生の妄想的観念 研究1 大学生の妄想的観念の多次元アセスメント 要約 研究 1 では,大学生の妄想的観念を多次元的にアセスメントするために,Peters et al. Delusions Inventory を日本語に翻訳し,信頼性・妥当性を確認した.その上で,妄想的観念 の 4 つの次元(①観念の有無,②苦痛度,③心的占有度,④確信度)の間の相関係数を算 出した.また,苦痛度を従属変数,心的占有度と確信度を独立変数とする重回帰分析を行 った.そして,①苦痛度と心的占有度の関連が強い,②苦痛度と確信度は関連が弱い,と いう2つの仮説を検証した.その結果,仮説は支持された. 背景 妄想は Jaspers の定義以来, 「ある/なし」で記述されてきた.しかしながら近年の研究か ら,妄想は①単純にあるかないかを決めることは難しいこと,②「ある/なし」のみでは 記述できない多次元の現象であることが分かってきた.そして,連続体仮説に基づいて, ①連続的なアセスメント,②多次元によるアセスメント法が開発されている. これまで多次元アセスメント研究は,①多数事例を対象とした研究が少ないこと,②設 定された次元が研究ごとにまちまちであること,③次元の数が多すぎて解釈が困難である ことという問題点がある. Peters et al.(1999)は,妄想的観念を多次元的にアセスメントするために,Peters et al. Delusions Inventory(PDI)を作成した.PDI は現在症診察表(Wing et al., 1974)の質問項目 を元に作成された 40 項目から構成されている.被調査者はまず妄想的観念について記述さ れた項目について,思い浮かんだことがあるかどうかを 2 件法(はい・いいえ)で回答す 51 る.40 項目のうち「はい」と回答した項目については, 「思い浮かんだときにどのくらい苦 しいか(苦痛度)」・「どのくらい頻繁に思い浮かべるか(心的占有度)」・「どのくらい本当 だと思うか(確信度)」を 5 件法で評定する.そして,それぞれの値を個人ごとに集計し, 体験数(40 項目のうち「はい」と回答した数) ・苦痛度・心的占有度・確信度の 4 つの次元 について得点を算出できる. 妄想的観念の体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の 4 つの次元のうち,不適応と直接 結びつくのは,苦痛度であると言われている(Freeman & Garety, 1999) .仮に妄想的観念を 持っていたとしても,主観的な苦痛が弱ければ,社会生活に支障はきたさないだろう.逆 に,主観的な苦痛が強ければ,心理的なケアが必要になってくる.適応/不適応を直接左 右する苦痛度が,他の次元から予測できれば,予防的な介入が可能になるかもしれない. PDI を用いた先行研究 PDI を用いた研究は,1996 年から 2005 年までの間に,21 の研究がある(背景Ⅱ:Table 0-3 参照).21 の研究のうち,次元間の相関係数を算出している研究は 2 つある.2 つの研究 (Stefanis, Hanssen, Smirnis, Avramopoulos, Evdokimidis, Stefanis, Verdoux, & van Os, 2002; Hanssen, Peeters, Krabbendam, Radstake, Verdoux & van Os, 2003)では,心的占有度と苦痛度 の相関係数はいずれも r=.50 以上と高い値だった(r=.67, r=.82).しかし,2 つの研究いずれ とも,心的占有度と苦痛度の相関係数しか算出しておらず,確信度と心的占有度,確信度 と苦痛度の関連は明らかになっていない. また,2 つの研究に限らず,多次元アセスメントを使用している全ての研究では,次元の 得点を算出するときに得点を単純加算している.相関係数を算出した 2 つの研究でも,単 純加算した次元得点をもとに算出している.多次元アセスメントでは,「はい」と回答した 52 項目のみに,苦痛度・心的占有度・確信度を 5 件法(もしくは,頻度と苦痛度を 4 件法) で評定する. 「はい」と回答しなかった項目は,自動的に得点が 0 点になってしまう.その ため,次元得点を単純に加算して算出すると,各次元の間の相関係数が必然的に高くなっ てしまうという問題がある. 体験数の影響を取り除くためには,単純加算した次元得点を,体験数で割る必要がある. そうすれば,1 つの体験当たりの苦痛度・心的占有度・確信度が算出でき,相関係数を算出 する際に実際以上に高い値にならない.研究 1 では,次元間の関連を検討する際には,単 純加算得点を体験数で割った値を苦痛度・心的占有度・確信度の指標とした. 先行研究から予測される仮説 心的占有度と苦痛度の関連については,2 つの先行研究の結果から,本研究でも正の関連 があると予測できる.確信度と苦痛度の関連については,直接実証データで検証した研究 は今のところない.Peters et al. (1999)では,妄想患者と新興宗教信者の両群に PDI を実施し た.妄想的観念の体験数は,両群に有意差がなかった.苦痛度と心的占有度は,妄想患者 群のほうが強かった.確信度は,両群に有意差がなかった.苦痛度と心的占有度は,両方 とも患者のほうが強く,健常者のほうが弱かったのに対して,苦痛度と確信度は,苦痛度 のみ患者のほうが強く,健常者のほうが弱いという結果だった.間接的にではあるが,Peters et al.(1999)から,苦痛度と心的占有度は関連があり,苦痛度と確信度は関連がないと推測 できる. 目的 研究1では,まず健常大学生の妄想的観念を多次元的に測定するために,日本語版 PDI 53 を作成した.日本語版 PDI を用いて,健常大学生における妄想的観念の体験率を調べた. 次に,妄想的観念の苦痛度・心的占有度・確信度の各次元の関係について,①苦痛度と心 的占有度は正の関連がある,②苦痛度と確信度は正の関連がないという 2 つの仮説を立て, 検証した. 方法 手続きおよび調査対象者 心理学・教育学の講義を受講している大学生を対象に,講義時間を利用して質問紙調査 を実施した.有効回答の得られた 604 名(男性 430 名,女性 174 名)について分析を行っ た.健常者の平均年齢は 19.1(18∼38,SD 1.6)歳であった.倫理的な配慮から,対象者に 氏名を記入することは求めず,6 桁の暗証番号を設定させ,記入を求めた.調査後,希望者 には調査結果を個人的にフィードバックし,心理的な相談にも応じた. 使用した尺度 日本語版 Peters et al. Delusions Inventory(PDI) 妄想的観念を多次元的にアセスメントするために,PDI を日本語に翻訳した.日本語版作 成の際には,原著者より翻訳の許可を得た上で,翻訳を行った.日本語版の項目は,日本 語版現在症診察表(Wing et al., 1974)の項目を元に作成した.複数の翻訳者が訳した日本語 訳を元に議論したうえで,表現が日本語版現在症診察表と整合するようにした. PDI の回答法 PDI の回答法は,以下の通りである.被調査者はまず妄想的観念について記述された項目 54 について,思い浮かんだことがあるかどうかを 2 件法(はい・いいえ)で回答する.40 項 目のうち「はい」と回答した項目については, 「思い浮かんだときにどのくらい苦しいか(苦 痛度)」・「どのくらい頻繁に思い浮かべるか(心的占有度)」・「どのくらい本当だと思うか (確信度)」を 5 件法で評定する(Table 1-1). Table 1-1 PDIの項目例と回答方法 どのくらい 苦痛か 頻度で考えるか 本当だと思うか あまり苦痛でない どちらでもない かなり苦痛である とても苦痛である ほとんど考えたことがない あまり考えたことがない どちらでもない かなり考えている いつも考えている 全く本当だと思わない あまり本当だと思わない どちらでもない かなり本当だと思う 完全に本当だと思う いるかのように感じたことがありますか? はい どのくらいの 全く苦痛でない 考えの有無 あなたは何かの力によってコントロールされて どのくらい 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 いいえ 例えば,「1.あなたは何かの力によってコントロールされているかのように感じたこと がありますか?」という質問項目について,感じたことがある場合は, 「はい」と回答する. そして,その考えが思い浮かんだときにどのくらい苦しいか(1:全く苦痛でない∼5:と ても苦痛である),どのくらい頻繁に思い浮かべるか(1:ほとんど考えたことがない∼5: いつも考えている),どのくらい本当だと思うか(1:全く本当だと思わない∼5:完全に本 当だと思う)を評定する.思い浮かんだことがある項目についてのみ,苦痛度・心的占有 度・確信度を評定する. PDI では,体験数(40 項目のうち「はい」と回答した数) ・苦痛度・心的占有度・確信度 の 4 つの次元について得点を算出できる.PDI の得点を集計する際には,まず 4 つの次元そ 55 れぞれについて,値を個人ごとに集計する.苦痛度・心的占有度・確信度は,40 項目の全 ての得点を合計する.この時,体験していない項目(「いいえ」と回答した項目)について は,苦痛度・心的占有度・確信度は 0 点とする.苦痛度・心的占有度・確信度の 40 項目の 合計得点を算出した後で,合計得点を体験数で割って,「はい」と回答した 1 項目あたりの 平均値を算出した.本研究では,1 項目あたりの平均値を,個人の苦痛度・心的占有度・確 信度の得点とした. 信頼性・妥当性の検討 質問紙の信頼性指標である内的整合性については,α係数を算出した.α係数は,4 つの 次元全てについて算出した.再検査信頼性については,1 回目の調査から 2 週間∼1 ヵ月後 に 2 回目の調査を実施し,1 回目調査と 2 回目調査の両方に回答した 389 名について算出し た.再検査信頼性も,4 つの次元全てについて算出した.妥当性については,基準連関妥当 性を検討した.基準連関妥当性については,調査対象者のうち 344 名にパラノイア尺度 (Fenigstein & Vanable, 1992; 丹野・石垣・大勝・杉浦, 1999)を実施し,PDI との相関係数 を算出した. 結果 PDI の信頼性 PDI のα係数は,いずれの次元を測定する尺度でも.85 以上(α=.88-.90)だった(Table1-2). また,再検査信頼性は,いずれの次元を測定する尺度でも.75 以上(r=.77-83)を示した (Table1-3).PPDI の得点は,2 週間∼1 ヵ月の間では安定した指標であることが分かった. 56 57 Table1-2 PDI40 項目版の内的整合性(α係数) 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 .88 .89 .90 .88 Table1-3 再検査信頼性(ピアソンの積率相関係数) 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 .82 ** .77 ** .83 ** .82 ** **: p<.01 PDI の妥当性 パラノイア尺度と PDI 得点の相関係数を Table1-4 に示す.PDI の全ての次元と,パラノ イア尺度得点との間に有意な正の相関が見られた. Table1-4 基準連関妥当性(パラノイア尺度との相関係数) 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 .55** .33** .43** .25** **: p<.01 大学生における妄想的観念の体験率 項目別の体験率を Table1-5 に示す.体験率は,被調査者のうち, 「はい」と回答した被調 査者の割合を算出した.PDI の項目の中で最も体験率が高かった項目は,妄想様曲解に関す る項目(「6.あなたは誰かがあなたについて思わせぶりなことや,二重に受け取れる意味 58 のことを言ったりしていると感じたことはありますか?」 )で,体験率は 64.4%だった.ま た,最も体験率が低かった項目は,宗教妄想に関する項目(「21.あなたは自分がキリスト や神・仏に近いように感じたことがありますか?」)で,体験率は 3.3%だった. 59 Table1-5 大学生における妄想的観念の体験率 項目内容 体験率 6 あなたは誰かがあなたについて思わせぶりなことや,二重に受け取れる意味のことを言ったりしていると 64.4% 感じたことはありますか? 9 あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じたことはありますか? 64.1% 4 あなたは自分の感情や行動がコントロールできていないように感じたことがありますか? 60.6% 7 あなたはテレビや新聞などを見て,これは自分のことを言っているのだと感じたことがありますか? 37.7% 32 あなたは自分の外見のせいで他の人が自分を奇異な目で見ていると感じたことがありますか? 36.3% 8 あなたは誰もかれもあなたの噂をしているかのように感じたことがありますか? 35.8% 11 あなたは誰かがあなたをわざと傷つけようとしているかのように感じたことがありますか? 34.3% 17 あなたはあなたの人生に特別な目標や使命があるように感じたことがありますか? 34.1% 20 あなたは自分がとても特別な,もしくは普通でない人間であるかのように感じたことがありますか? 32.8% 1 あなたは何かの力によってコントロールされているかのように感じたことがありますか? 30.8% 31 あなたは普通の人よりも自分は罪深いと感じたことがありますか? 28.8% 36 あなたは自分の考えが異質なものに感じられますか? 28.0% 40 あなたは他人が自分の考えを読むことが出来るように感じたことがありますか? 26.3% 33 あなたは頭の中の考えが全く無くなってしまうように感じたことがありますか? 26.3% 28 あなたは自分の臭いで他の人が不快になっていると思いますか? 26.2% 10 あなたは周りの物事が現実的でなかったり,まるであなたを試すための実験が行われているかのように感 26.0% じたことがありますか? 19 あなたは自分が重要人物である,または重要人物になると運命付けられているように感じたことがありま 24.8% すか? 16 あなたは特別な能力や権力などを持っているように感じたことがありますか? 24.5% 12 あなたは何らかの方法で迫害されているように感じたことがありますか? 22.5% 13 あなたはあなたに対する陰謀があるように感じたことがありますか? 20.4% 3 あなたは自分自身ではない他の力によって,自分が支配されているという感じはありますか? 19.2% 15 あなたは誰かもしくは何かがあなたを見張っているように感じたことがありますか? 17.5% 22 あなたは人間はテレパシーで交信できると思いますか? 14.2% 35 あなたは世界が終わるように感じたことがありますか? 14.2% 39 あなたは自分の考えが誰かもしくは何かに邪魔されているように感じたことがありますか? 14.1% 27 あなたは配偶者やパートナーが浮気をしているかもしれないといつも心配していますか? 13.2% 24 あなたはあなたの周りに奇妙な方法であなたに影響を与える力があるように感じたことがありますか? 12.4% 26 あなたは魔法やブードゥー教,オカルト的な力を信じていますか? 12.3% 37 あなたは自分の考えが鮮明過ぎて他人に聞こえているのではないかと心配になりますか? 11.9% 38 あなたは自分の考えが反響して自分に返ってくるように感じたことがありますか? 11.6% 23 あなたはコンピュータのような電子機械があなたの考えに影響を与えるように感じたことがありますか? 11.6% 2 あなたはまるで意志を持たないロボットか抜け殻みたいに,人やものにとりつかれているかのように感じ 10.4% たことがありますか? 5 あなたは人やものが,あなたの心を操っているように感じたことがありますか? 10.1% 18 あなたは不思議な力が働いて世の中を良くしているように感じたことがありますか? 9.9% 34 あなたは体の中が腐っているかもしれないように感じたことがありますか? 7.0% 25 あなたは何らかの方法で,神に選ばれたように感じたことがありますか? 6.5% 30 あなたは見知らぬ他人が自分とセックスしたがっていると思いますか? 5.0% 29 あなたは特殊な方法で自分の体が変わったように感じたことがありますか? 3.8% 21 あなたは自分がキリストや神・仏に特に近いように感じたことがありますか? 3.3% 60 各次元間の相関係数 妄想的観念の体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の間の相関係数を Table1-6 に示す. 相関係数は,妄想的観念を少なくとも 1 つ体験していると回答した被調査者 352 名(男性 265 名,女性 87 名)のデータから算出した.妄想的観念の体験数と苦痛度(r=.25, p<.01), 体験数と心的占有度(r=.32, p<.01)の間に有意な正の相関が見られた.また,苦痛度と心的 占有度(r=.32, p<.01),心的占有度と確信度(r=.45, p<.01)の間に有意な正の相関が見られ た.一方,体験数と確信度,苦痛度と確信度の間に有意な相関は見られなかった. Table1-6 各次元間の相関係数(N=352,体験数≧1) 体験数 苦痛度 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 ― 0.25** 0.32** 0.09 ― 0.32** 0.07 ― 0.45** 心的占有度 確信度 ― ** p<.01 苦痛度・心的占有度・確信度による重回帰分析 妄想的観念の心的占有度と苦痛度の間に正の関連があり,妄想的観念の確信度と苦痛度 の間に正の関連がないことを確かめるために,妄想的観念の苦痛度を従属変数,心的占有 度と確信度を独立変数とする重回帰分析を行った(Table 1-7).その結果,心的占有度から 苦痛度への標準偏回帰係数は有意な正の値であった(β=.36, p<.01).一方,確信度から苦 痛度への標準偏回帰係数は,負の値である傾向がみられた(β=-.10, p<.10). 61 Table 1-7 苦痛度を従属変数,心的占有度・確信度を独立変数とする重回帰分析 独立変数 標準偏回帰係数 (β) t p 心的占有度 0.36 6.46 ** 確信度 -0.10 -1.71 † ** p<.01, † p<.10 考察 大学生の妄想的観念の体験率について 本研究の結果から,大学生が妄想的観念を体験していることが分かった.大学生は,思 春期後期であり,これまでの研究から妄想的観念を一般成人の中でも相対的に高い頻度で もちやすい年齢であることが分かっている.Verdoux & van Os(2002)の調査でも,PDI の 得点と年齢が負に相関しており,18 歳∼29 歳が最も得点が高かった.本研究では,最も体 験率の低い項目でも 3.3%の被調査者が体験しており,統合失調症の生涯有病率よりも高い 値であった.また,最も体験率の高い項目では,64.4%の被調査者が体験していた. 本研究の結果から,妄想的観念の内容によって,体験率にばらつきがあることも分かっ た.先行研究では,宗教的な内容の妄想的観念は,青年期は少なく,年齢とともに増加す るという報告がある(Verdoux et al., 1998).本研究でも,宗教妄想に関する項目(「8.あなた は自分がキリストや神・仏に特に近いように感じたことがありますか?(3.3%)」)は体験 率が最も低かった.大学生を対象とした丹野ら(2000)の調査でも, 「神や守護霊などから 自分が導かれている」といった宗教的な内容の「庇護観念」は,最も体験率が低かった. 本研究の結果は,先行研究の結果と一致するものであった.今後は,妄想的観念の内容に 62 よって,どの程度体験率が違うのか,また,発達の仕方がどのように違うのかを明らかに していく必要がある. 仮説1:心的占有度と苦痛度の間には,正の関連がある 本研究の結果から,妄想的観念の心的占有度と苦痛度の間に正の相関関係があった.ま た,重回帰分析でも正の関連があることが分かった.認知行動モデルに沿って考えると, 妄想的観念について考える時間が長くなったり,強く気になるようになれば,それだけ生 活に支障をきたすようになり,苦痛が強まると言える.逆に言えば,妄想的観念について 考える時間が短く,あまり気にならなければ,苦痛は弱いとも言える.本研究は横断研究 による相関研究であるため,データから直接因果関係に言及することは出来ないが,認知 行動モデルに沿って考えると,妄想的観念の心的占有度を減らせば,苦痛度が弱まり,不 適応につながるのを防ぐことが出来る可能性が示唆された. 仮説2:確信度と苦痛度の間には,正の関連はない 心的占有度と苦痛度の間には,正の関連が見られた.一方,確信度と苦痛度の間には, 正の関連は見られなかった.確信度と苦痛度の相関係数は,非常に低い値であり,統計的 にも有意ではなかった.重回帰分析の結果からも,確信度と苦痛度の間に正の関連は見出 せなかった.本研究の結果は,Peters et al.(1999)の結果から予測した仮説と一致し,仮説 が支持された.健常大学生においては,妄想的観念に強い確信を持っていたとしても,直 接は苦痛につながらない場合があると考えられるだろう. 63 認知行動モデルでの位置づけ 妄想的観念による苦痛は,認知行動モデルでは認知の結果生じる感情(C:Consequence) に位置づけられる.苦痛度と正の関連があった心的占有度は,認知の中でもより感情に近 い要素だと言えるだろう.逆に苦痛度と正の関連がなかった確信度は,心的占有度よりも 認知に近い要素である可能性がある.本研究ではまた,確信度と心的占有度の間にも正の 相関関係があることが分かった.しかしながら,本研究は横断研究であるため,確信度と 心的占有度の間の因果関係については,データから言及はできない.今後は,確信度と心 的占有度の間の因果関係について,縦断調査や実験的手法を用いて,検証していく必要が あるだろう. 臨床・予防的意義 本研究の結果と認知行動モデルから,妄想的観念の苦痛が強まらないようにするために は,確信度を下げる働きかけよりも,心的占有度を下げる働きかけの方が,より有効であ る可能性が示唆された.また,確信度が仮に強い場合でも,心的占有度が低ければ,不適 応にはつながりにくいことも示唆された.健常者レベルの妄想的観念については,確信が 強い場合でも,考える時間が短く,頻度が少なければ,間違った信念であっても生活に支 障をきたさないため,苦痛につながりにくいのではないかと考えられる.逆に,心的占有 度が強ければ,苦痛が強まり,不適応につながりやすいかもしれない.今後は,妄想的観 念の心的占有度が強い場合と,確信度が強い場合で長期間追跡調査を行い,精神疾患の発 症リスクが違うかどうかを検討していく必要もあるだろう.発症リスクの違いが明らかに なれば,多次元アセスメントを用いて予防的介入が出来るようになる可能性もあるだろう. 64 本研究の限界 本研究では,健常者の中でも年齢の若い大学生を対象とした.大学生は妄想的観念を体 験しやすい年代であり,また統合失調症の好発年齢であるため,精神疾患の予防という点 からみると,研究の対象とする意義は大きい.しかしながら,年齢的に偏ったサンプルで あるため,健常者全体に一般化することは出来ない.今後は幅広い年齢を対象とした疫学 調査を,組織的に行う必要がある. 本研究では,心的占有度と確信度を独立変数,苦痛度を従属変数とする重回帰分析を行 った.しかし,心的占有度と確信度の間の相関係数が比較的高い(r=.45, p<.01)ことから, 多重共線性のために標準偏回帰係数の値が不安定である可能性がある.重回帰分析の解釈 は,慎重に行う必要がある. また,本研究のデータは全て横断調査によるデータである.そのため,因果関係に直接 言及することは出来ない.今後はプロスペクティブな調査研究を行っていく必要があるだ ろう. 65 研究2 妄想的観念を持つ健常大学生の早急な結論判断バイアス 要約 研究 2 では,健常者の妄想的観念の発生に関わる推論バイアスを,ベイズ確率推論課題 を用いて検証した.研究 1 で作成した日本語版 Peters et al. Delusions Inventory(PDI)を用い て,妄想的観念を持ちやすい健常大学生(PDI 得点高群)と,持ちにくい健常大学生(PDI 得点低群)をスクリーニングした.そして,ベイズ確率推論課題を実施した.その結果, PDI 得点高群は,PDI 得点低群と比べて,①少ない情報で判断を下すこと,②確信度がすぐ に強くなることが分かった.妄想的観念を持ちやすい健常者も,妄想患者が持つ「早急な 結論判断バイアス(Jumping To Conclusion Bias)を持つことが分かった. 背景 近年の実証研究から,妄想の発生には,早急な結論判断バイアス(Jumping To Conclusion Bias)が心理学的要因として影響していることが示されている(Garety & Freeman, 1999). 早急な結論判断バイアスは,ある仮説や信念が正しいか間違っているかを判断する場合に, ①少ない情報から,②すぐに強い確信を持って判断を下す推論のバイアスである.早急な 結論判断バイアスのうち,①少ない情報から判断するバイアスは情報収集バイアス,②す ぐに強い確信を持ってしまうバイアスは確信度バイアスと呼ばれる.早急な結論判断バイ アスは,この2つのバイアスの組み合わせであると考えられている. 先行研究では,早急な結論判断バイアスを持つかどうかを調べるために,ベイズ確率推 論課題を用いている.ベイズ確率推論課題は,①判断までの情報収集量と②確信度を測定 できる課題である. 66 ベイズ確率推論課題を用いた先行研究 妄想を持つ患者は,早急な結論判断バイアスを持つことが明らかになっている.しかし, 先行研究では,明確な妄想を持つ急性期の患者を対象とした研究がほとんどである.ビー ズ玉課題によるベイズ確率推論課題を用いた研究は,1988 年から 2005 年までの間に 10 の 研究が行われている.そのうち 7 つが,急性期の入院患者を対象とした研究である(Table 2-1). 非臨床のアナログ研究は,妄想的観念の発生メカニズムを明らかにできるだけでなく, 妄想的観念が不適応につながらないようにする予防を考える上でも重要である.しかし, 妄想的観念を持ちやすい健常者を対象とした,非臨床のアナログ研究は,これまでに 1 つ しか行われていない(Colbert & Peters, 2002). Colbert & Peters(2002)では,PDI 高得点群の方が,判断までに集める情報収集量が少 なかった.しかし,確信度には PDI 高得点群と PDI 低得点群の間に有意な差が見られなか った.Colbert & Peters(2002)は,この結果から,①妄想的観念を持つ健常者は,情報収集 バイアスのみを持つ,②情報収集バイアスは妄想的観念の発生要因であり,確信度バイア スは妄想的観念の維持要因であると述べている. しかしながら,Colbert & Peters(2002)には,方法論的な問題がある.Colbert & Peters (2002)では,確信度の測定の際に,2 つ想定される仮説のうち,一方の仮説の確信度のみ しか評定させていない.主観的な確信度を確率の評定値として用いる場合には,起こりう る仮説の確信度の合計が 100 になる必要がある.ベイズ確率推論課題の場合, 「箱が A であ る」という仮説 A と,「箱が B である」という仮説 B が考えられる.確信度バイアスを検 出した Huq et al.(1988)では,仮説 A と仮説 B の確信度の評定値が,合計 100 になるよう に,実験装置を用いて評定させている.Colbert & Peters(2002)では,確信度評定法の違 67 いがアーチファクトになり,確信度バイアスが検出出来なかった可能性も否定できない. また,Colbert & Peters(2002)では,PDI の得点を 4 つの次元(体験数・苦痛度・心的占 有度・確信度)全て合計した得点で,被験者のスクリーニングを行っている.この方法で は,妄想的観念によって引き起こされた苦痛のように,認知行動モデルでは分けて考える べき要因が交絡してしまう.そのため,妄想的観念を体験している程度でスクリーニング が出来ていない可能性もある. 68 Table 2-1 ベイズ確率推論課題の先行研究の結果 研究 Huq et al., 1988 Garety et al., 1991 情報量(ビーズを取り出した回数) 妄想(15) 非妄想(10) 対照群(15) 妄想(15) 非妄想(10) 対照群(15) 1.22 (1.57) 3.58 (3.51) 2.60 (1.17) 79.6 (17.37) 64.42 (12.38) 65.13 (9.37) 統合失調症 (13) 妄想性障害 (14) 非妄想不安群 (14) 対照群 (13) 統合失調症+妄想性障害 (27) 非妄想不安群+対照群 (27) 2.38 (1.94) 3.00 (3.29) 3.71 (1.68) 5.38 (3.15) 6 名が 1 回取り出し後 95%以上 2 名が 1 回取り出し後 95%以上 統合失調症患者のみ 43 名 妄想の重症度と相関なし(-.17) 陰性症状との重症度(-.41) Mortimer et al., 1996 Dudley et al.,1997a Fear & Healy, 1997 Peters et al., 1997 確信度(0%∼100%) 測定せず 妄想あり統合失調症 (15) 非妄想抑うつ群 (15) 対照群 (15) 2.4 (0.7) 4.1 (1.6) 4.1 (1.4) 測定せず 妄想性障害 (22) 強迫性障害 (26) 妄想強迫併発 (15) 対照群 (30) 妄想性障害 (22) 強迫性障害 (26) 妄想強迫併発 (15) 対照群 (30) 1.5 (0.9) 3.4 (2.5) 2.7 (1.8) 2.6 (1.3) 79 (12) 58 (13) 79 (14) 70 (21) 妄想 23 抑うつ 23 対照群 24 妄想 17 詳細なデータの記載なし Peters et al., 1999 妄想 抑うつ 抑うつ 18 対照群 20 詳細なデータの記載なし 対照群 詳細なデータの記載なし 妄想 抑うつ 詳細なデータの記載なし 69 対照群 Table 2-1 ベイズ確率推論課題の先行研究の結果(続き) 研究 情報量(ビーズを取り出した回数) Brancovic & Paunovic., 1999 Colbert & Peters, 2002 妄想型統合失調症 妄想型統合失調症 非妄想不安群 症状あり(29) 症状なし(16/29) (31) 測定せず 対照群 (35) ※従属変数の取り方,ビーズの比率, デザインが異なるため,比較できない 統合失調症(妄想あり+なし) Moritz & Woodward, 2005 確信度(0%∼100%) 妄想あり(17) 妄想なし(14) 2.71(2.69) 3.07(2.57) 2.87(2.50) 不安・抑うつ (28) 対照群 (17) 4.89(2.82) 4.59(1.84) PDI 得点の高い健常者(17?) PDI 得点の低い健常者(17?) 5.12(2.98) 8.71(5.59) ※1∼7 の間で,確信度を得点化 「1=絶対 A」∼「7=絶対 B」まで ビーズの比率は,90:10. PDI 得点の高い健常者(17?) PDI 得点の低い健常者(17?) 1∼3 回目 10 回目 1∼3 回目 67.98(16.51) 89.76(22.34) 66.50(12.97) 70 10 回目 95.21(13.27) 目的 先行研究の問題点を踏まえて,研究 2 では,確信度の評定値が合計 100 になるように評 定できるインターフェイスを用いて,被験者に確信度の評定をさせた.また,研究 2 では, PDI の 4 つの次元のうち, 体験数のみを用いて被験者のスクリーニングを行った.その上で, ベイズ確率推論課題を,妄想的観念を体験しやすい健常者に実施し,早急な結論判断バイ アスを持つかどうかを検証した.また,研究 2 では,これまでの先行研究で検証されてき た情報収集量の少なさ(「情報収集バイアス」)と確信度の高さ(「確信度バイアス」)に加 えて,情報収集中の確信度の推移について分析を行った.確信度推移については特に仮説 は置かず,探索的に分析を行った. 仮説 研究2では,「妄想的観念を体験しやすい健常者は,早急な結論バイアスを持つ」という 仮説を立て,検証した.妄想的観念を持ちやすい健常者は,妄想的観念を持ちにくい健常 者と比べて,ベイズ確率推論課題において,①少ない情報で判断を下してしまう(情報収 集バイアス),②情報収集初期の段階で確信度が強くなる(確信度バイアス)と予測した. 方法 手続きおよび実験参加者 実験参加者を Table2-2 に示す.実験参加者をスクリーニングするために,大学生 604 名 を対象に実験に先立って Peters et al. Delusions Inventory(PDI)を実施した.そして,調査対 象者のうち,PDI で妄想的観念の体験数が上位 25%(体験数≧12)である対象者を PDI 高 得点群,体験数が下位 25%(体験数≦4)である対象者を PDI 低得点群とした.実験実施時 71 にも PDI を実施し,得点が条件を満たしていることを確認した.実験実施時に得点が条件 を満たしていなかった被験者は分析から除外した.また,過去もしくは現在に精神科罹患 歴がある実験参加者は,分析から除外した. Table 2-2 実験参加者の属性 PDI 高得点群 PDI 低得点群 (N=16) (N=16) 平均 SD 平均 SD 年齢 19.6 1.6 19.6 1.9 PDI 得点 17.9 4.7 2.6 1.2 IQ 111.4 14.2 113.3 14.4 ベイズ確率推論課題 教示と課題の提示 Garety et al.(1991)によって実施されたベイズ確率推論課題を,パーソナルコンピュータ 上に再現して行った.実験の手続きは,先行研究に基づいて行った.まず文章で次のよう に教示をした. 「ここに箱が 2 つあります.箱 A の方には,赤いビーズがたくさん入っています.赤い ビーズが 85 個・白いビーズが 15 個入っています.箱 B の方には,白いビーズがたくさん 入っています.白いビーズが 85 個・赤いビーズが 15 個入っています. 」 次に実験者が,どちらか一方の箱を選び,次のように教示をした. 「私が A と B どちらを選んだかを当ててもらいます.箱の中から 1 つずつビーズを取り出 72 すので,ビーズの色を見てどちらの箱か当ててください.何個かビーズを取り出して,分 かった時点で箱が A か B かを答えてください. 」 以上の教示を行った上で,課題を行った.コンピュータ上の課題を行う前に,実際の素 材を用いて練習課題を行った.被験者が課題を十分に理解したことを確認した上で,本試 行を実施した.プログラムの作成には,Visual Basic 4.0 を用いた.プログラムの提示には, 15 インチ CRT ディスプレイを用いた. 情報収集量の測定(情報収集課題) ベイズ確率推論課題は,①情報収集量を測定する課題(情報収集課題),②確信度を測定 する課題(確信度評定課題)の 2 つから構成されている. まず,以下の手続きで,①情報収集量を測定する課題を行った.初めに,被験者に分か らないように,コンピュータが箱 A か B どちらかを選んだ.コンピュータが箱を選んだ後, 被験者に任意の数だけビーズを箱から取り出させた.被験者には,どちらの箱が選ばれた か分かるまで,ビーズを取り出させた.選ばれた箱が分かった時点で,選ばれた箱が A か B かを被験者に答えさせた.この時,コンピュータが選ぶ箱(箱 A)とビーズを取り出す順 番は,あらかじめ決めておいたものに従った(Table2-3, Table2-4). 以上の手続きで,情報収集量を測定する課題を 2 回行った.そして,被験者がどちらの 箱か判断するまでに取り出したビーズの数を,情報収集量と定義した.1 回目と 2 回目に取 り出したビーズの数の合計を,情報収集量の指標とした. 確信度の測定(確信度評定課題) 次に,②確信度を測定する課題を以下の手続きで行った.コンピュータが箱を選んだ後, 73 被験者に 20 回ビーズを取り出させた.被験者に,1 回ビーズを取り出すごとに, 「箱が A で ある」確信度と「箱が B である」確信度を同時に評定させた.確信度は 0%∼100%の間で 評定させた.ディスプレイ上に表示されたメーターを用いて評定させた.画面には,「箱が A である確信度」と「箱が B である確信度」の両方のメーターを表示した.確信度の評定 値が,確率の公理を満たすようにするため, 「箱が A である確信度」と「箱が B である確信 度」の合計値が常に 100%となるようにした. 被験者が 1 回ビーズを取り出すごとに,確信度を自動的にコンピュータに記録した.1 人 につき 20 回確信度を評定させた.Colbert & Peters(2002)と同様に,1 回目取り出し後∼3 回目取り出し後の確信度の平均値を,情報収集初期の確信度の指標とした.また,情報収 集中の確信度の変化を検討するために,①1 回ビーズを取り出した後の確信度,②10 回ビ ーズを取り出した後の確信度,③20 回ビーズを取り出した後の確信度の 3 つの指標を用い た.また,確信度の推移を詳細に検討するため,1 回目∼20 回目の確信度全てを従属変数 とする多変量分散分析を行った.確信度評定課題でも,コンピュータが選ぶ箱(箱 A)とビ ーズを取り出す順番は,あらかじめ決めておいたものに従った(Table2-3, Table2-4). Table 2-3 箱の中のビーズと正解 情報収集課題 確信度評定課題 箱A 箱B 正解 1 回目 黄 85/黒 15 黄 15/黒 85 箱A 2 回目 黄 85/黒 15 黄 15/黒 85 箱A 赤 85/緑 15 赤 15/緑 85 箱A 74 Table 2-4 ビーズを取り出す順番 1 情報収集課題 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 1 回目 黄 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黒 黄 2 回目 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黒 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黒 確信度評定課題 赤 赤 緑 赤 赤 緑 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 緑 結果 情報収集量 PDI 高得点群と PDI 低得点群の情報収集量について,平均と標準偏差を Table2-5 と Figure2-1 に示した.t 検定を用いて,両群に差があるかどうかを分析した.その結果,PDI 高得点群の方が,PDI 低得点群よりも,情報収集量が有意に少なかった(t=2.59, p<.05). Table 2-5 決断までの情報収集量 取り出したビーズの数 PDI 高得点群 PDI 低得点群 平均 SD 平均 SD 6.9 2.1 9.6 3.6 * p<.05 75 * 15 * p<.05 * 取 り 出 10 し た ビ 9.6 ー 6.9 ズ 5 の 数 0 PDI高得点群 PDI低得点群 Figure 2-1 決断までの情報収集量 情報収集初期の確信度 PDI 高得点群と PDI 低得点群の情報収集初期の確信度について,平均と標準偏差を Table2-6 と Figure 2-2 に示した.t 検定を用いて,両群に差があるかどうかを分析した.そ の結果,PDI 高得点群の方が,PDI 低得点群よりも,情報収集初期の確信度が有意に高かっ た(t=3.62, p<.01). Table 2-6 情報収集初期の確信度 PDI 高得点群 PDI 低得点群 p 情報収集初期の 確信度(1∼3 回目) 平均 SD 平均 SD 72.8 12.3 59.7 7.6 ** p<.01 76 ** 100 ** p<.01 ** 90 情 報 収 集 80 初 期 の 70 確 信 度 60 72.8 59.7 50 PDI高得点群 PDI低得点群 Figure 2-2 情報収集初期の確信度 情報収集中の確信度の変化 PDI 高得点群と PDI 低得点群の情報収集中の確信度について,平均と標準偏差を Table2-7 と Figure 2-3 に示した.取り出し回数(1 回目,10 回目,20 回目)を被験者内要因,群(PDI 高得点群,PDI 低得点群)を被験者間要因とした分散分析を行ったところ,取り出し回数の 有意な主効果と(F=108.4,p<.01)群の有意な主効果が見られた(F=4.43,p<.05).また, 取り出し回数と群の間に有意な交互作用が見られた(F=3.16, p<.05). Bonferroni 法により有意水準を 1/2 に補正した上で,被験者群ごとに分散分析を行い,取 り出し回数の単純主効果の検定を行った.その結果,PDI 高得点群で,取り出し回数の有意 な単純主効果が見られた(F=40.04, p<.005).PDI 低得点群でも,取り出し回数の有意な単 純主効果が見られた(F=69.56, p<.005). 確信度の変化の程度を検討するため,群ごとに,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の 差,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差を,被験者内対比の検定によって検討した. 77 その結果,PDI 高得点群では,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の差は有意だった(F=41.75, p<.01).また,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差も有意だった(F=7.29, p<.05).PDI 低得点群では,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の差は有意だった(F=52.28, p<.01).ま た,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差も有意だった(F=17.01, p<.01). Bonferroni 法により有意水準を 1/3 に補正した上で,取り出し回数の水準ごとに分散分析 を行い,単純主効果の検定を行った.その結果,1 回ビーズを取り出した後の確信度は,PDI 得点高群の方が,PDI 得点低群よりも有意に強かった(F=11.60,p<.003).一方,10 回ビー ズを取り出した後の確信度は,PDI 得点高群と PDI 得点低群の間に有意な差はみられなかっ た(F=1.52,p>.03).また,20 回ビーズを取り出した後の確信度も,PDI 得点高群と PDI 得点低群の間に有意な差はみられなかった(F=0.38,p>.03). 1 回取り出し後∼20 回取り出し後の確信度全てを Figure2-4 に示す.1 回取り出し後∼20 回取り出し後の確信度全てを従属変数,群を独立変数とする多変量分散分析を行ったとこ ろ,取り出し回数の主効果(F=74.65, p<.01),取り出し回数と群の交互作用(F=4.03, p<.05) がいずれも有意になった.群の主効果は,有意傾向であった(F=4.11, p=.052). Bonferroni 法により有意水準を 1/20 に補正した上で,取り出し回数の水準ごとに分散分析 を行い,群の単純主効果の検定を行った.その結果,1 回取り出し後(F=11.60,p<.0025), 2 回取り出し後(F=15.92, p<.0005),4 回取り出し後(F=12.72,p<.0025)の確信度で,群の 単純主効果が見られた. 78 Table 2-7 情報収集中の確信度の変化 PDI 高得点群 PDI 低得点群 p 平均 SD 平均 SD 1 回取り出し後 70.7 13.2 57.6 7.8 ** 10 回取り出し後 90.1 12.8 83.9 15.5 n.s. 20 回取り出し後 96.0 7.6 93.7 12.8 n.s. ** p<.003, n.s. p>.03 * 100 95 ** 90 PDI高得点群 確 信 度 85 PDI低得点群 80 ** 75 70 65 *** 60 55 ** 50 1回取り出し後 10回取り出し後 20回取り出し後 被験者内対比の検定:** p<.01, * p<.05 取り出し回数の水準ごとの単純主効果:*** p<.003 Figure 2-3 PDI 高得点群と PDI 低得点群における確信度の変化 79 100 * p <.0025 ** p<.0005 PDI高得点 PDI低得点 90 確 信 度 80 70 60 50 1 2 * ** 3 4 5 6 * Figure2-4 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 取り出し回数 PDI高得点群とPDI低得点群の確信度の推移 80 考察 本研究で行ったベイズ推論課題では,PDI 高得点群のほうが,PDI 低得点群よりも,①決 断までの情報収集量が有意に少なかった.また,②情報収集初期の確信度が有意に高かっ た.本研究の結果は,仮説を支持する結果であった.本研究の結果から,妄想的観念を多 く体験している健常者も,妄想患者と同様に,情報収集バイアスと確信度バイアスの両方 を持つことが示された. 情報収集中の確信度の変化については,群と取り出した回数の間に,交互作用が見られ た.相対的に見れば,PDI 高得点群は,PDI 低得点群と比べて,ビーズを取り出した後の確 信度の変化が小さかった.しかし,両群とも取り出し回数の単純主効果がみられたため, PDI 高得点群も,情報収集中に確信度を変化させていたと言えるだろう.また,情報収集初 期には,PDI 高得点群の方が有意に確信度が高かったが,情報収集するにしたがって,PDI 高得点群と PDI 低得点群の間の確信度の差がなくなっていった.PDI 高得点群は,PDI 低得 点群に比べて,自由に情報収集できる条件(情報収集課題)では,情報が入るとすぐに確 信度が上がってしまうため,決断が早まるのだろう.だが,情報収集量があらかじめ決め られている条件(確信度評定課題)では,PDI 高得点群は,情報収集初期の段階で確信度が すぐに上がるものの,その後情報を収集していく中で,確信度が PDI 低得点群に近づいて いくと考えられる. 認知行動モデルでの位置づけ 本研究から,妄想的観念を持つ健常者も,妄想患者と同じ,早急な結論判断バイアスを 持つことが明らかになった.認知行動モデルに基づいて考えると,健常者の妄想的観念の 発生プロセスにも,早急な結論判断バイアスが影響していることが示唆された. 81 健常者も妄想患者と同様に,早急な結論判断バイアスを持つのであれば,早急な結論判 断バイアスそのものは,健常者と統合失調症患者を分ける要因ではない可能性が示唆され る.早急な結論判断バイアスを持ち,その結果妄想的観念を多く体験していたとしても, それだけでは心理的苦痛や不適応・精神疾患にはつながらない可能性がある. 臨床・予防的意義 早急な結論判断バイアスに介入するアプローチは,妄想的観念の発生原因にダイレクト に働きかけることが出来る可能性がある.早急な結論判断バイアスを無くすことが出来れ ば,妄想的観念の発生そのものを食い止めることが出来るかもしれない.しかしながら, 早急な結論判断バイアスは,①不適応との直接的な関連が薄いこと,②介入によって修正 出来るかどうか疑問が残ることなどから,介入の直接のターゲットとするには現時点では 疑問が残る.早急な推論バイアスが,介入によってどの程度変化するかを,今後の基礎的 な研究で検証していく必要があるだろう.介入によって修正できることが分かれば,精神 疾患の有効な予防・治療法として応用できる可能性がある. 本研究の限界と今後の展望 本研究で対象とした被験者は,主に大学生が中心であり,比較的年齢が若かった.また, IQ の平均が 110 と高かった.これらの統制できなかった要因に,結果が影響されている可 能性が排除できない.今後は幅広い年齢,IQ の被験者を対象に研究を行い,知見を確認し ていく必要がある. 82 研究3 大学生における妄想的観念による苦痛と対処行動の関係 要約 研究 3 では,妄想的観念による苦痛への対処行動が,妄想的観念による苦痛に及ぼす影 響を,縦断調査と共分散構造分析を用いて検討した.①逃避型対処行動が,妄想的観念に よる苦痛を強める,②計画型対処行動が,妄想的観念による苦痛を弱めるという 2 つの仮 説を立て,縦断調査と共分散構造分析を用いて, 双方向因果モデルを検証した.大学生 318 名を対象に,Peters et al. Delusions Inventory 短縮版とストレスコーピング質問紙を,1 ヶ月 間隔をおいて 2 回実施した.妄想的観念を体験していた大学生 186 名のデータを用いて, 共分散構造分析を行った.共分散構造分析では,道具的変数モデルを用いて双方向の因果 パスを設定した上で分析した.その結果,①逃避型の対処行動が妄想的観念による苦痛が 強まることが分かった.しかし,②計画型対処行動が妄想的観念による苦痛を弱めること は支持されなかった. 背景 妄想的観念が心理的な苦痛に結びつき,苦痛が長く続くと不適応につながることが先行 研究から示唆されている(Freeman & Garety, 1999).先行研究から,妄想的観念の維持要因 として,安全希求行動(Safety Behaviour)が挙げられている.安全希求行動とは,脅威を知 覚した場合に,安全な場所へ逃避する行動である.安全希求行動をとると,脅威を一時的 に避ける事が出来る.しかし,安全希求行動を続けていると,知覚された脅威が実際には 破局的なものではないことをいつまでも学習できないため,逃避的な行動が強化され続け る.その結果,妄想的観念が反証されず,維持されてしまう.安全希求行動のような逃避 的な対処行動が,妄想的観念を維持する要因として,大きな役割を果たしていると考えら 83 れる(Freeman et al., 2001). 連続説をベースに考えると,健常者の場合でも,逃避型対処行動が妄想的観念による苦 痛を増強させてしまう可能性が考えられる.妄想的観念を持ちやすい人は,①逃避型と③ 責任受容型の対処行動を用いやすいという報告もある(Schuldberg et al., 1996). Freeman et al.(2005)は,健常者を対象に調査を行い,①逃避型の対処行動は,妄想的観 念の苦痛度と有意な正の相関を持つこと,②計画型の対処行動は,妄想的観念の苦痛度と 有意な負の相関を持つことを実証データから示した.Freeman et al.(2005)は,この結果か ら,妄想的観念が思い浮かんだときには,計画型対処をしたほうが,逃避型対処をするよ りも,有効である可能性を指摘している.しかしながら,Freeman et al.(2005)は,横断デ ータによる相関研究にとどまっている.そのため,①対処行動が妄想的観念の苦痛に影響 するのか,②妄想的観念の苦痛が対処行動に影響するのか,影響の方向性が明らかではな い. 目的 本研究ではまず,研究 1 で大学生を対象に用いた日本語版 Peters et al. Delusions Inventory (PDI)の短縮版を作成し,信頼性と妥当性を確認した.日本語版 PDI 短縮版を用いて,大 学生が高い頻度で妄想的観念を体験していることを確認した.また,Lazarus & Folkman (1984)による対処行動の分類を用いて,妄想的観念による苦痛への対処行動をアセスメ ントした.その上で,縦断調査と共分散構造分析によって,妄想的観念による苦痛と,苦 痛への対処行動の影響関係について検証した. 84 仮説 本研究では,縦断調査と共分散構造分析によって,先行研究から導かれる以下の 2 つの 仮説を検証する.①逃避型対処行動は,妄想的観念に伴う苦痛を強める,②計画型対処行 動は,妄想的観念に伴う苦痛を弱めるという 2 つの仮説を検証する. 方法 手続きおよび調査対象者 心理学・教育学の講義を受講している大学生 318 名(男性 242 名,女性 76 名,平均年齢 18.9 歳)を対象に,講義時間内に質問紙調査を行った.第 1 回目の調査から 1 ヶ月後に, 第 2 回目の調査を行った.第 1 回目に回答した 318 名のうち 209 名(男性 152 名,女性 57 名)が,第 2 回目の調査に回答した.調査の際には,調査内容の説明を行い,書面で同意 を得た.倫理的な配慮から,対象者に氏名を記入することは求めず,6 桁の暗証番号を設定 させ,記入を求めた.調査後,希望者には調査結果を個人的にフィードバックし,心理的 な相談にも応じた. 使用した尺度 1.Peters et al. Delusions Inventory21 項目短縮版 Peters et al.(1999)は,一般人口における妄想的観念の体験率を調査するために,Peters et al. Delusions Inventory(PDI)を開発した.PDI は,現在症診察表(Present State Examination; Wing et al., 1974; 高橋・中根訳,1981)の質問項目をもとに作成された 40 項目から構成さ れている.Peters, Joseph, Day & Garety(2004)は,主成分分析を行い,主成分負荷量の高い 21 項目を抽出して短縮版を作成している. 85 本研究では,研究 1 で作成した日本語版 PDI の 40 項目の中から,Peters et al.(2004)が 作成した 21 項目に対応する項目を抜き出し,日本語版 PDI21 項目短縮版を作成した.そし て PDI21 項目短縮版の信頼性と妥当性を確認した上で使用した.回答と集計の手続きは, 研究 1 の日本語版 PDI の方法と同じである. PDI21 項目短縮版の妥当性を確認するために,PDI40 項目版を,心理学・教育学の講義を 受講している大学生 604 名(男性 430 名,女性 174 名,平均年齢 19.1 歳)に,講義時間内 に調査を実施した.そして,PDI21 項目短縮版に該当する 21 項目の得点を算出し,40 項目 の得点と相関係数を算出した. 2.ストレスコーピング質問紙(Stress Coping Inventory: SCI) ストレスコーピング質問紙(SCI)は,Lazarus & Folkman(1984)の Way of Coping Questionnaire(WCQ)を元に作成された,64 項目の質問紙である(日本健康心理学研究所, 1996).SCI は,ストレスに対してどのような反応・対処の傾向があるかをとらえるために 作られた.SCI では,まず「強い緊張を感じた状況」を記入し,その時に自分のとった対処行 動を「あてはまる」 「少しあてはまる」 「あてはまらない」 の 3 件法で回答する.64 項目の質 問は 逃避型 , 計画型 , 責任受容型 , 肯定評価型 , 対決型 , 隔離型 , 社会的 支援模索型 , 自己統制型 の8つの下位尺度に分類される.SCI の信頼性については,質 問紙の標準化にあたって検討されているものの,詳細は公表されていない.そのため本研 究では,SCI の下位尺度のα係数を算出し,内的整合性を確認した上で使用した.妥当性に ついては,下位尺度間相関係数のパターンから因子的妥当性が確認されている(日本健康 心理学研究所,1996). 本研究では,まず被調査者に PDI を実施した.次に,PDI で「思い浮かんだことがある」 86 と回答した項目の中から 1 つを選ばせた.そして,「その考えが思い浮かんだときに,どの ように対処したか」を SCI によって回答させた. 3.パラノイア尺度(Paranoia Scale) Fenigstein & Vanable(1992)は,「何でも自分と関係があるのではないか」と疑う被害妄 想的な思考傾向(パラノイア傾向)と,公的自己意識が関係するという仮説を実証するた めに,MMPI のなかから 20 項目を選び出してパラノイア尺度を作製した.丹野ら(1999) は,Fenigstein & Vanable(1992)のパラノイア尺度をバックトランスレートし,日本語版パ ラノイア尺度を作成した.丹野ら(1999)は,日本語版パラノイア尺度の内的一貫性と再 検査信頼性を検討している.日本語版パラノイア尺度の内的一貫性は,α=0.84,再検査信 頼性は r=0.669 と,十分な値であった.パラノイア尺度は,丹野ら(2000)が作製した妄想 観念チェックリスト(DICL)の構成概念妥当性を確認するために使用されている. 本研究では,調査対象者のうち 117 名を対象に,内的整合性と再検査信頼性が確認されて いる日本語版パラノイア尺度を実施した.そして,PDI21 項目短縮版とパラノイア尺度との 相関係数を算出し,大学生における PDI 短縮版の基準連関妥当性を検討した. 分析方法:道具的変数モデルによる共分散構造分析 ①逃避型の対処行動が,妄想的観念による苦痛を強める,②計画型の対処行動が,妄想 的観念による苦痛を弱めるという 2 つの仮説を検証するために,道具的変数モデル (reciprocal effect model)を用いて共分散構造分析を行った.道具的変数モデルは,縦断デ ータを用いて,2 変数間の双方向的な関係を分析するために考案された(Finkel, 1995; 豊田, 1998).対処行動と症状の関係は,単方向ではなく,双方向である.不適切な対処行動が症 87 状を強め,その結果適切な対処行動が取れなくなるという循環関係にある(小杉, 2002). 横断データのみを用いた共分散構造分析では,双方向の因果関係を想定した場合,変数の 数に対してパスの数が多くなってしまい,構造方程式の解が求められなくなる.しかし,2 つの変数を十分な期間を置いて 2 回測定し,過去に測定した変数を道具的変数として導入 すると,双方向の因果パスの解が求められる. 本研究では,PDI で 1 つ以上妄想的観念を体験したことがあると回答した 186 名のデータ について,道具的変数モデルを用いた共分散構造分析を行った.そして,妄想的観念に伴 う苦痛と対処行動の,双方向の関係を検討した. 結果 PDI21 項目短縮版の信頼性・妥当性 日本語版 PDI21 項目短縮版の内的整合性を検討するために,1 回目の調査データからα係 数を算出した.また,再検査信頼性を検討するために,1 回目調査と 2 回目調査の PDI 得点 の相関係数を算出した.PDI では,「体験したことがある」と回答した項目のみについて苦 痛度・心的占有度・確信度を評定する多次元アセスメント尺度である.「体験したことがな い」と回答した項目については,Peters et al.(1999)に従い,苦痛度・心的占有度・確信度 を自動的に 0 点とした.その上で,体験数・苦痛度・心的占有度・確信度のα係数を算出 した.再検査信頼性も,4 つの次元全てについて算出した.また,PDI の基準連関妥当性を 確認するために,体験数とパラノイア尺度得点との相関係数を算出した(Table 3-1). 分析の結果,PDI21 項目短縮版は,十分な内的一貫性(α=.75-80)を示した.再検査信 頼性については,次元によってばらつきがあった(r=.42∼.74).体験数は高い再検査信頼性 を示した(r=.74)が,苦痛度,心的占有度,確信度は,中程度の再検査信頼性であった(r=.42 88 ∼.57). PDI21 項目短縮版の体験数とパラノイア尺度との相関係数は有意であった(r=.55, p<.01). また,PDI21 項目短縮版の得点と PDI40 項目版の得点の相関係数も高い値を示し(r=.87∼.95), PDI 短縮版に一定の基準連関妥当性があることが示された. Table 3-1 PDI 短縮版の信頼性・妥当性 信頼性 内的整合性 (α) 再検査信頼性 (r) 妥当性 体験数 苦痛度 心的 占有度 確信度 .75** .75** .80** .74** .56** .57** PDI40 項目との相関係数b .75** パラノイア 尺度との 相関係数a 体験数 苦痛度 心的 占有度 確信度 .42** .55** .95** .87** .89** .87** a. PDI の体験数と,パラノイア尺度との相関係数(N=117) b. PDI40 項目版より,21 項目を抜き出して算出した得点と,40 項目全体の得点の相関係数(N=604) ** p<.01 SCI の信頼性 SCI の下位尺度ごとの内的整合性を Table 3-2 に示す.SCI の下位尺度ごとの内的整合性を 検討するために,1 回目の調査データからα係数を算出した.その結果,逃避型対処行動の 内的整合性がやや低かったものの(α=.66),その他の尺度については概ね満足のいく値で あった(α=.71-.86) Table 3-2 SCI 下位尺度の内的整合性 下位尺度 逃避 計画 責任受容 肯定評価 対決 隔離 社会支援 模索 自己統制 α係数 .66 .86 .85 .83 .71 .73 .73 .77 89 妄想的観念の体験率・体験数・苦痛度・心的占有度・確信度と性差 妄想的観念の体験率と,体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の平均値と標準偏差を Table 3-3 に示す. 体験率は,PDI の 21 項目のうち,少なくとも 1 つに「思い浮かんだことがある」と回答 した被験者の割合である.大学生における体験率は,95.3%と非常に高い値だった.体験率 と PDI の各次元において,性差の有無を検討した.Fisher の正確検定を行ったところ,体験 率に有意な性差はみられなかった(p=.99).PDI の各次元については,それぞれの次元につ いて t 検定を行った.Bonferroni 法により有意水準を 1/4 に補正し,p=0.0125 とした.その 結果,全ての次元において性別による有意な差はなかった(体験数:t=.32, p=.75,苦痛度: t=1.87, p=.06,心的占有度:t=.10, p=.92,確信度:t=.73, p=.46). Table 3-3 妄想的観念の体験率・体験数・苦痛度・心的占有度・確信度 体験数 N 苦痛度 心的占有度 確信度 体験率 平均 SD 平均 SD 平均 SD 平均 SD 全体 318 95.3% 5.5 3.4 2.49 0.94 2.74 0.92 3.08 0.92 男性 242 95.0% 5.5 3.4 2.43 0.94 2.74 0.94 3.06 0.93 女性 76 96.1% 5.4 3.6 2.66 0.94 2.73 0.85 3.15 0.86 項目別の体験率を Table 3-4 に示す.最も体験率が高かった項目は,妄想様曲解に関する 項目(「3.あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じたことはありますか?」) で,体験率は 74.4%だった.また,最も体験率が低かった項目は,宗教妄想に関する項目 (「8.あなたは自分がキリストや神・仏に近いように感じたことがありますか?」)で, 90 体験率は 3.5%だった. Table 3-4 PDI 短縮版の項目と項目別体験率(体験率順) 項目 3 あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じたことはありますか? 体験率 74.4% 1 あなたは誰かがあなたについて思わせぶりなことや,二重に受け取れる意味のことを言ったりしていると 63.1% 感じたことはありますか? 7 あなたは自分がとても特別な,もしくは普通でない人間であるかのように感じたことがありますか? 39.7% 2 あなたはテレビや新聞などを見て,これは自分のことを言っているのだと感じたことがありますか? 38.8% 6 あなたは自分が重要人物である,または重要人物になると運命付けられているように感じたことがありま 37.2% すか? 15 あなたは自分の外見のせいで他の人が自分を奇異な目で見ていると感じたことがありますか? 34.4% 14 あなたは普通の人よりも自分は罪深いと感じたことがありますか? 33.1% 18 あなたは自分の考えが異質なものに感じられますか? 31.5% 4 あなたは何らかの方法で迫害されているように感じたことがありますか? 29.0% 16 あなたは頭の中の考えが全く無くなってしまうように感じたことがありますか? 26.2% 10 あなたはコンピュータのような電子機械があなたの考えに影響を与えるように感じたことがありますか? 24.0% 5 あなたはあなたに対する陰謀があるように感じたことがありますか? 24.0% 17 あなたは世界が終わるように感じたことがありますか? 14.8% 19 あなたは自分の考えが鮮明過ぎて他人に聞こえているのではないかと心配になりますか? 14.5% 9 あなたは人間はテレパシーで交信できると思いますか? 10.4% 20 あなたは自分の考えが反響して自分に返ってくるように感じたことがありますか? 10.4% 12 あなたは魔法やブードゥー教,オカルト的な力を信じていますか? 10.1% 13 あなたは配偶者やパートナーが浮気をしているかもしれないといつも心配していますか? 9.5% 21 あなたはまるで意志を持たないロボットか抜け殻みたいに,人やものにとりつかれているかのように感じ たことがありますか? 11 あなたは何らかの方法で,神に選ばれたように感じたことがありますか? 8.2% 8.2% 8 あなたは自分がキリストや神・仏に特に近いように感じたことがありますか? 3.5% 妄想的観念の体験数・苦痛度・心的占有度・確信度と対処行動の相関係数 妄想的観念による苦痛と,妄想的観念への対処行動の関連を検討するため,PDI の各次元 と対処行動の相関係数を算出した(Table 3-5) .分析は,PDI で妄想的観念を 1 つ以上体験 していると回答した 303 名のデータについて分析を行った. 91 逃避型の対処行動と,妄想的観念の苦痛度の間には有意な相関が見られなかった.また, 計画型の対処行動と,妄想的観念の苦痛度の間にも有意な相関は見られなかった. 逃避型,計画型以外の対処行動と,PDI 各変数の相関係数を算出した.妄想的観念の体験 数と,責任受容型対処行動,肯定評価型対処行動の間に弱い正の相関が見られた(責任受 容型:r = .14, p<.05;肯定評価型:r = .15, p<.05).また,妄想的観念の体験数と,隔離型対 処行動の間に,弱い負の相関が見られた(r = -.16, p<.01).妄想的観念の苦痛度と,責任受 容型対処行動の間に,弱い正の相関が見られた(r = .14, p<.05).また,妄想的観念の苦痛度 と,肯定評価型対処行動の間に弱い負の相関が見られた(r = -.13, p<.05).加えて,妄想的 観念の心的占有度と,隔離型対処行動の間に弱い負の相関が見られ(r = -.19, p<.01),妄想 的観念の確信度と,隔離型対処行動の間に弱い負の相関が見られた(r = -.12, p<.05). Table 3-5 PDI 各次元と対処行動の相関係数(N=303) PDI 逃避 計画 責任受容 肯定評価 対決 隔離 社会支援 模索 自己統制 体験数 -0.03 -0.06 -0.14* -0.15* 0.06 -0.16** -0.09 -0.05 苦痛度 -0.11 -0.08 -0.14* -0.13* 0.01 -0.08** -0.04 -0.01 心的占有度 -0.02 -0.01 -0.09* -0.09* 0.03 -0.19** -0.04 -0.03 確信度 -0.01 -0.02 -0.02* -0.05* 0.10 -0.12** -0.03 -0.01 * p<.05, ** p<.01 道具的変数モデルによる仮説の検証 妄想的観念による苦痛と,苦痛への対処行動の関係を明らかにするため,道具的変数モ デルを用いた共分散構造分析を行った(Figure 3-1, Figure 3-2). モデル①では,妄想的観念の苦痛度と,逃避型対処行動の関係を検証した.モデル①の 適合度は,GFI=.99,AGFI=.99 と,十分に高い値だった.モデル①では,逃避型対処行動か 92 ら苦痛度へのパスが,有意であった.一方,苦痛度から逃避型対処行動へのパスは有意で はなかった. モデル②では,妄想的観念の苦痛度と,計画型対処行動の関係を検証した.モデル②の 適合度は,GFI=.99,AGFI=.86 であり,十分に高い値であった.モデル②では,計画型対処 行動から苦痛度へのパスと,苦痛度から計画型対処行動のパスのいずれも有意ではなかっ た. e1 苦痛度 1 回目 .47** .10 苦痛度 2 回目 .85 .23** -.03 e2 .61** 逃避型 1 回目 逃避型 2 回目 .80 GFI=.99 AGFI=.99 Figure 3-1 逃避型対処行動と妄想的観念の苦痛度の関係 e1 苦痛度 1 回目 .46** -.08 苦痛度 2 回目 .04 .88 -.14 e2 .48** * 計画型 2 回目 計画型 1 回目 .89 *** GFI=.99 AGFI=.86 Figure 3-2 計画型対処行動と妄想的観念の苦痛度の関係 93 考察 大学生の妄想的観念について PDI21 項目短縮版を用いた本研究でも,大学生の大部分が妄想的観念を体験していること が確認された.特に妄想様曲解(「3. あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じた ことはありますか?(74.4%)」,「1. あなたは誰かがあなたについて思わせぶりなことや, 二重に受け取れる意味のことを言ったりしていると感じたことはありますか?(63.1%)」) は,半数以上の大学生が体験していた.また,本研究でも,「8.あなたは自分がキリストや 神・仏に特に近いように感じたことがありますか?(3.5%)」 「11.あなたは何らかの方法で, 神に選ばれたように感じたことがありますか?(8.2%)」 「12. あなたは魔法やブードゥー教, オカルト的な力を信じていますか?(10.1%)」などの宗教的な内容の妄想的観念は,体験 率が低かった. 逃避型・計画型対処行動と妄想的観念 共分散構造分析の結果,逃避型の対処行動が原因となって,妄想的観念による苦痛を強 めてしまうことが分かった.先行研究では,逃避型対処行動と,妄想的観念の苦痛度が正 に相関することが分かっている(Freeman et al., 2005).本研究の結果は,先行研究と整合す る結果であった.しかも,縦断調査と共分散構造分析を用いて,対処行動が苦痛に影響す ることが分かった.妄想的観念によって苦痛が生じたときには,逃避型の対処行動は対処 法として有効ではなく,むしろ苦痛を強めてしまい逆効果になってしまうことが示唆され た. 逃避型の対処行動が,妄想的観念による苦痛に影響するとすれば,逃避型の対処行動が, 妄想的観念に伴う苦痛を強めてしまい,統合失調症の発症リスクを高めている可能性もあ 94 る.仮に妄想的観念を体験していたとしても,逃避型の対処を取らなければ,苦痛が強ま らないため,妄想的観念そのものを持っていても不適応につながりにくいと考えられる. Peters et al.(1999)は,妄想的観念の体験数が同程度の健常者と統合失調症患者を比較し た.統合失調症患者の方が,健常者よりも,妄想的観念の苦痛度と心的占有度が強かった と報告している.そして,妄想的観念の有無よりも,苦痛度や心的占有度の次元のほうが, 不適応により強く結びついていると述べている.逃避型の対処行動を取らないように働き かけることで,妄想的観念による苦痛を強めないようにすることが出来れば,統合失調症 の一次予防が可能になるかもしれない. 一方,計画型の対処行動と妄想的観念の苦痛の間には,明確な影響の方向性は認められ ず,仮説は支持されなかった.計画型の対処行動は,抑うつの問題解決療法で強化される 対処法である.問題解決療法は,①問題を定式化し,②代替可能な解決策を産出し,③計 画を立案し実行するというプロセスをセラピストの援助の下に強化・学習していく治療法 である(D’Zurilla, 1986).問題解決療法のステップのうち,②代替可能な解決策の産出は, 「うまくいくようにやり方を変えてみる」「いくつか違う解決方法を思いつく」「似たよう な体験を思い出し,それを参考にする」 「以前の出来事を参考にして,解決しようとする」, ③計画の立案と実行は,「その問題を解決するために,慎重にプランをたてる」「困難を打 開するために,慎重に考えてから実行する」「解決のために,計画をたてて実行する」「や るべきことがわかっていれば,なお一層の努力をする」といった計画型の対処行動にそれ ぞれ対応している.抑うつに関しては,問題解決療法によって計画型の対処行動が強化さ れ,抑うつ症状が低減されることが分かっている. しかし,抑うつとは異なり,妄想的観念に伴う苦痛に対して,計画型の対処をすれば, 苦痛が軽減されるとは示されなかった.統合失調症の心理社会的介入でも,問題解決訓練 95 は取り入れられている(皿田, 2003).しかし,統合失調症の問題解決訓練は,あくまで生 活上で生じた問題に焦点を当てており,症状から生じる心理的苦痛を直接的には扱うもの ではない.妄想的観念に伴う心理的な苦痛を,計画型の対処行動で軽減するのは難しいの かもしれない.また,妄想的観念による苦痛が生じるために,計画型の対処行動が取れな くなる可能性も否定できない. 本研究の限界と今後の展望 本研究では,縦断調査と共分散構造分析を用いて,より因果関係に踏み込んだ形で妄想 的観念に伴う苦痛と対処行動の関係を検討した.しかしながら,本研究では大学生のみを 対象としているため,本研究の知見を臨床に応用するためには,患者を対象とした調査が 必要である.また,さらに厳密に因果関係を検証するためには,実験研究や介入効果研究 を行っていく必要があるだろう 96 第 2 部 統合失調症患者の妄想的観念 研究4 統合失調症患者の妄想的観念の多次元アセスメント 要約 研究4では,統合失調症患者の妄想的観念を,質問紙を用いて多次元的にアセスメント するために,統合失調症患者における日本語版 Peters et al. Delusions Inventory(PDI)の信頼 性・妥当性を検討した.まず PDI40 項目版の,統合失調症患者における信頼性と妥当性を 確認した.次に被調査者数を増やした上で,PDI21 項目短縮版の,統合失調症患者における 信頼性と妥当性の検討を行った.その上で,健常大学生を対象とした研究1の結果をもと に以下の仮説を立てた.①統合失調症患者の妄想的観念は,心的占有度と苦痛度の間に正 の関連がある,②確信度と苦痛度の間には正の関連がない.これらの仮説を,相関分析と 重回帰分析で検証した.その結果,仮説①は支持されたが,仮説②は支持されなかった. 背景 先行研究から,妄想は,「ある/なし」のみでは十分に測定できない,連続的で多次元的 な現象であることが示唆されている.また,近年では,妄想と妄想様観念をまとめて,「妄 想的観念」と捉える連続説に立つ研究が増えている. 妄想患者を対象とし,多次元アセスメントを用いた先行研究は,2005 年までに 10 の研 究がある.そのうち,30 名以上の患者群を対象とした先行研究は 5 つある(Kendler et al., 1983; Garety & Hemsley, 1987; Wessely et al., 1993; Eisen et al., 1998; Appelbaum et al.,1999) .し かしながら 50 名を超える統合失調症患者を対象とした研究は,2 つしかない(Wessely et al., 1993; Appelbaum et al.,1999).また 2 つの研究のいずれも,次元間の関連についてデータを 提示していない. 97 Kendler et al.(1983)と Garety & Hemsley(1987)では,統合失調症患者の数は 50 名以下 だが,次元間の相関係数を詳細に提示している.Kendler et al.(1983)では,10 個の相関係 数のうち,2 個が統計的に有意だった.また,Garety & Hemsley(1987)では,55 個の相関 係数のうち,13 個が統計的に有意だった.2 つの研究では,データから,妄想の次元間の 関連は弱く,したがって妄想は多次元的な現象であると結論づけている.しかしながら, 次元間の個々の相関パターンについては,相関係数の数が多いこともあり,踏み込んだ考 察を行っていない.また,先行研究で設定されている次元の数は,2∼14 とばらつきが大き く,また,設定されている次元の種類も研究によって異なるため,研究間の結果の比較が 難しい. このように,臨床の患者群を対象とした実証データに基づく多次元アセスメント研究に は,①多数事例を対象とした研究が少ないこと,②設定された次元が研究ごとにまちまち であること,③次元の数が多すぎて解釈が困難であることという問題点がある. また,多 変量解析を用いて次元の間の関連を検討した研究はない. 多数例を対象に調査を行う際には,質問紙法による調査が簡便で実施しやすい.しかし ながら,統合失調症患者の妄想的観念を多次元的にアセスメントする質問紙は,作成され 始めたばかりである.第 1 部の研究 1,研究 3 で作成した Peters et al. Delusions Inventory (PDI) は,健常者の妄想的観念だけではなく,精神疾患患者の妄想的観念を測定することも出来 る.多数例を対象として,妄想的観念の多次元アセスメントを行う場合には,PDI を用いる のが良いと考えられる. 目的 研究4では,統合失調症患者における日本語版 PDI の信頼性・妥当性を検討した.まず 98 PDI40 項目版の,統合失調症患者における信頼性と妥当性を確認した.次に PDI21 項目短縮 版について,被調査者数を増やした上で,統合失調症患者における信頼性と妥当性の検討 を行った. 日本語版 PDI の信頼性・妥当性を確認した上で,統合失調症患者について,大学生を対 象とした研究1の結果をもとに,苦痛度・心的占有度・確信度について仮説を立てて検証 した. 仮説 Kendler et al(1983)では,心的占有度と確信度の相関係数は r=.36 で,統計的に有意な相 関だった.一方,Garety & Hemsley(1987)では,心的占有度と確信度の相関係数は,r=.06 で,統計的にも有意ではなかった.統合失調症患者を対象とした先行研究では,今のとこ ろ一貫した結果は得られていない. 大学生を対象として妄想的観念について調べた研究1では,妄想的観念の①心的占有度 と苦痛度の間に正の関連があること,②確信度と苦痛度の間に正の関連がないことが示唆 された.この結果を踏まえて,研究4では以下の 2 つの仮説を立てた.統合失調症患者の 妄想的観念でも,大学生の妄想的観念と同様に,①心的占有度と苦痛度の間に正の関連が ある,②確信度と苦痛度の間に正の関連はない. 方法1:日本語版 PDI(40 項目)による妄想のアセスメント 手続きおよび調査対象者1 DSM-Ⅳの基準から精神科医により統合失調症と診断された患者を対象とした.調査にあ たっては,研究に関する説明を十分に行い,患者本人の同意を得た上で調査を行った.質 99 問紙調査は個別に実施し,有効回答の得られた 30 名(男性 19 名,女性 11 名)について分 析を行った. 統合失調症患者の平均年齢は 28.2(18∼43)歳であった.入院患者が 9 名,外来患者は 21 名であった.服薬量はクロルプロマジン換算で平均 536.3(23∼1127,SD 302.5)mg,治 療経過年数は平均 8.9(1∼17,SD 4.7)年であった(Table 4-1). Table 4-1 調査対象者:日本語版 PDI(40 項目) 平均 SD 年齢 28.2 5.9 罹病年数(年) 8.9 4.7 536.3 302.5 服薬量(CP 換算 mg) 使用した尺度 研究1で翻訳した,日本語版 PDI40 項目版を使用した. PDI への回答方法は,研究1の 方法と同じである. 統合失調症患者における日本語版 PDI の信頼性・妥当性 質問紙の信頼性指標である内的一貫性については,α係数を算出した. 基準連関妥当性 の検討には,陽性・陰性症状評価尺度(Positive and Negative Syndrome Scale:PANSS)を用 いた.PANSS は,評定法に習熟した精神科医師 1 名が評定した.PANSS の陽性症状尺度・ 陰性症状尺度と PDI の 4 つの次元(体験数・苦痛度・心的占有度・確信度)との相関係数 をそれぞれ算出した.また,PANSS の妄想関連項目(「妄想」 ・ 「猜疑心」 ・ 「誇大性」)と PDI 100 の体験数との相関係数も算出した. 結果1 統合失調症患者における日本語版 PDI(40 項目)の信頼性 内的整合性の指標であるα係数は,いずれの次元を測定する尺度でも 0.80 以上(α =.84-.90)だった(Table 4-2).統合失調症患者に用いた場合でも,日本語版 PDI は高い信頼 性を持つことが確認された. Table 4-2 統合失調症患者における日本語版 PDI(40 項目)の内的整合性(α係数) 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 .85 .90 .89 .84 統合失調症患者における日本語版 PDI の基準連関妥当性 PDI の次元のうち,体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の全てが,PANSS の陽性症状 尺度得点と有意に相関していた(r=.41-47, p<.05) .一方,陰性症状尺度得点との相関係数は, 全ての次元で有意ではなかった(Table 4-3). PDI の体験数と,PANSS の妄想関連項目(妄想・誇大性・猜疑心)の合計得点との相関 係数は有意であった(r=.56, p<.05) .PDI の体験数と,PANSS の妄想関連項目のうち,猜疑 心との相関係数が有意であった(r=.63, p<.05) .また,誇大性との相関係数が有意傾向であ った(r=.52, p<.10; Table 4-4).統合失調症患者に用いた場合でも,日本語版 PDI は,一定の 基準連関妥当性を持つことが確認された. 101 Table 4-3 統合失調症患者における PDI(40 項目)の基準連関妥当性 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 陽性症状 -.46* .47* -.47* -.41* 陰性症状 -.05* .08* -.05* -.11* *: p<.05 Table 4-4 PDI 体験数と PANSS 妄想関連項目の相関係数 PDI 体験数 †: p<.10 妄想関連項目合計 妄想 誇大性 猜疑心 .56* .43a .52† .63* *: p<.05 a: p=.13 102 方法2:PDI21 項目短縮版による妄想のアセスメント 手続きおよび調査対象者2 DSM-Ⅳの基準から精神科医により統合失調症と診断された患者を対象とした.調査にあ たっては,研究に関する説明を十分に行い,患者本人の同意を得た上で調査を行った.質 問紙調査は個別に実施し,有効回答の得られた 86 名(男性 55 名,女性 31 名)について分 析を行った.統合失調症患者の平均年齢は 34.2(18∼65,SD 10.6)歳であった.入院患者 が 11 名,外来患者は 75 名であった.服薬量はクロルプロマジン換算で平均 654.9(0∼3027, SD 605.3)mg,治療経過年数は平均 12.3(0∼45,SD8.4)年であった(Table 4-5). Table 4-5 調査対象者:PDI21 項目短縮版(N=86) 平均 SD 年齢 34.2 10.6 罹病年数(年) 12.3 8.4 服薬量(CP 換算 mg) 655.0 605.3 使用した尺度 研究 3 で作製した日本語版 PDI21 項目短縮版を使用した. PDI21 項目短縮版への回答方 法は,研究 3 の方法と同じである. 統合失調症患者における PDI21 項目版の信頼性・妥当性 信頼性指標である内的整合性については,α係数を算出した.再検査信頼性を検討する ため,1 回目の調査から 1 ヶ月間隔をおいて 2 回目の調査を実施した.86 名のうち,45 名 103 が 2 回目の調査に回答した. 基準連関妥当性を検討するために,54 名に対して PANSS を実施した.PANSS は,評定 法に習熟した精神科医師 1 名と臨床心理士 1 名が評定した.PANSS の陽性症状尺度・陰性 症状尺度と PDI の 4 つの次元(体験数・苦痛度・心的占有度・確信度)との相関係数をそ れぞれ算出した.また,PANSS の妄想関連項目(「妄想」 ・「猜疑心」 ・「誇大性」 )と PDI の 4 つの次元との相関係数も算出した. 結果2 統合失調症患者における PDI21 項目版の信頼性 α係数は, いずれの次元を測定する尺度でも 0.80 以上であり,高い値であった(α=.83-.88). 再検査信頼性は,全ての次元で有意であり,中程度∼高い値であった(r=.56-82; Table 4-6). Table 4-6 PDI21 項目版の内的整合性(α係数)と再検査信頼性 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 内的整合性(α) .83** .88** .87** .85** 再検査信頼性(r)a .82** .56** .71** .56** a: N=45 ** p<.01 統合失調症患者における PDI21 項目短縮版の基準連関妥当性 PDI の次元のうち,体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の全てが,PANSS の陽性症状 尺度得点と有意に相関していた(r=.30-44, p<.05) .一方,陰性症状尺度得点との相関係数は, 全ての次元で有意ではなかった(Table 4-7). 104 PDI の体験数と,PANSS の妄想関連項目(妄想・誇大性・猜疑心)の合計得点との相関 係数は有意であったが,低い値であった(r=.26, p<.05).PDI の体験数と,PANSS の妄想関 連項目のうち,妄想との相関係数が有意であった(r=.34, p<.05).また,猜疑心との相関係 数が有意であった(r=.29, p<.05).誇大性との相関係数は,有意ではなかった. Table 4-7 PDI21 項目版の基準連関妥当性(ピアソンの積率相関係数) 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 陽性症状 -.30** .30** .44** .33* 陰性症状 -.03** .02** .10** .11* 妄想関連 項目合計 -.35** .39** .51** .34* 妄想 -.34** .23** .42** .22* 誇大性 -.03*= .05** .24** .05* 猜疑心 =.29*=* .44** .30** .27* * p<.05, ** p<.01 統合失調症患者における妄想的観念の体験率 項目別の体験率を Table 4-8 に示す.最も体験率が高かった項目は,妄想様曲解に関する 項目(「3.あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じたことはありますか?」) で,体験率は 41.9%だった.また,最も体験率が低かった項目は,嫉妬妄想に関する項目 (「13.あなたは配偶者やパートナーが浮気をしているかもしれないといつも心配していま すか?」)で,体験率は 8.3%だった. 105 Table 4-8 統合失調症患者における妄想的観念の体験率 項目内容 体験率 9 あなたは見かけとは全く違うという人がいると感じたことはありますか? 41.9% 31 あなたは普通の人よりも自分は罪深いと感じたことがありますか? 38.8% 32 あなたは自分の外見のせいで他の人が自分を奇異な目で見ていると感じたことがありますか? 38.4% 12 あなたは何らかの方法で迫害されているように感じたことがありますか? 37.6% 6 あなたは誰かがあなたについて思わせぶりなことや,二重に受け取れる意味のことを言ったりしてい 34.9% ると感じたことはありますか? 20 あなたは自分がとても特別な,もしくは普通でない人間であるかのように感じたことがありますか? 34.1% 7 あなたはテレビや新聞などを見て,これは自分のことを言っているのだと感じたことがありますか? 33.7% 13 あなたはあなたに対する陰謀があるように感じたことがありますか? 31.8% 36 あなたは自分の考えが異質なものに感じられますか? 25.6% 22 あなたは人間はテレパシーで交信できると思いますか? 23.3% 33 あなたは頭の中の考えが全く無くなってしまうように感じたことがありますか? 22.4% 37 あなたは自分の考えが鮮明過ぎて他人に聞こえているのではないかと心配になりますか? 20.9% 19 あなたは自分が重要人物である,または重要人物になると運命付けられているように感じたことがあ 20.9% りますか? 38 あなたは自分の考えが反響して自分に返ってくるように感じたことがありますか? 18.8% 35 あなたは世界が終わるように感じたことがありますか? 16.5% あなたはまるで意志を持たないロボットか抜け殻みたいに,人やものにとりつかれているかのように 14.0% 感じたことがありますか? あなたはコンピュータのような電子機械があなたの考えに影響を与えるように感じたことがありま 14.0% 23 すか? 2 26 あなたは魔法やブードゥー教,オカルト的な力を信じていますか? 14.0% 25 あなたは何らかの方法で,神に選ばれたように感じたことがありますか? 14.0% 21 あなたは自分がキリストや神・仏に特に近いように感じたことがありますか? 12.8% 27 あなたは配偶者やパートナーが浮気をしているかもしれないといつも心配していますか? 8.3% 106 PDI の各次元間の相関係数 妄想的観念の体験数・苦痛度・心的占有度・確信度の間の相関係数を Table 4-9,Table 4-10 に示す.相関係数は,PDI40 項目版と PDI21 項目版両方について示した. 統合失調症患者 30 名を対象とした PDI40 項目版の場合,妄想的観念の体験数と苦痛度 (r=.45, p<.05),体験数と心的占有度(r=.45, p<.05)の間に有意な正の相関が見られた.ま た,苦痛度と心的占有度(r=.41, p<.05),心的占有度と確信度(r=.73, p<.01)の間に有意な 正の相関が見られた.一方,体験数と確信度(r=.27, p=.16),苦痛度と確信度(r=.27, p=.15) の間の相関は,有意ではなかった(Table 4-9). Table 4-9 各次元間の相関係数(PDI40 項目版:N=30) 体験数 苦痛度 心的占有度 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 ― .45* .45* .27** ― .41* .27** ― .73** 確信度 * p<.05 ― ** p<.01 統合失調症患者 77 名を対象とした PDI21 項目短縮版の場合,妄想的観念の体験数,苦痛 度,心的占有度,確信度の 4 つの次元の全ての組合せで有意な相関が見られた(Table 4-10). 107 Table 4-10 各次元間の相関係数(PDI21 項目短縮版:N=77) 体験数 体験数 苦痛度 心的占有度 確信度 ― .42** .43** .24*= ― .50** .37** ― .45** 苦痛度 心的占有度 確信度 * p<.05 ― ** p<.01 苦痛度・心的占有度・確信度による重回帰分析 統合失調症患者でも,①妄想的観念の心的占有度と苦痛度の間に正の関連があり,②妄 想的観念の確信度と苦痛度の間に正の関連がないことを確かめるために,妄想的観念の苦 痛度を従属変数,心的占有度と確信度を独立変数とする重回帰分析を行った(Table 4-11). その結果,心的占有度から苦痛度への標準偏回帰係数は有意な正の値であった(β=.44, p<.01).一方,確信度から苦痛度への標準偏回帰係数は,正の値である傾向がみられた(β =.21, p<.10) . Table 4-11 苦痛度を従属変数,心的占有度・確信度を独立変数とする重回帰分析 独立変数 標準偏回帰係数 (β) t p 心的占有度 0.44 4.00 ** 確信度 0.21 1.94 † ** p<.01, † p<.10 108 考察 統合失調症患者における妄想的観念の体験率 統合失調症患者でも,健常者と同じく,妄想的観念の内容によって体験率にかなりのば らつきがあった.しかしながら,健常者とは異なり,体験率が 50%を超える項目はなかっ た.また,数は少ないものの,PDI の項目に含まれる妄想的観念を体験していない統合失調 症患者もいた(9.3%).本研究で対象とした被験者の多くは外来通院患者であり,急性期の 患者は少なかった.そのため,妄想的観念を体験していない患者も含まれていたと考えら れる. 仮説1:心的占有度と苦痛度は正の関連がある 本研究の結果から,統合失調症患者の妄想的観念の心的占有度と苦痛度の間には正の関 連があることが分かった.これは,健常者の妄想的観念(研究1)と同様の結果である. 統合失調症患者でも,妄想的観念について考える時間が長く,頻度が多いほど,苦痛が強 いことが示唆された. 仮説2:確信度と苦痛度は,統合失調症患者では正の関連がある 統合失調症患者では,確信度と苦痛度の間に正の関連が見られた.この点は,健常者で 見られたパターンと異なり,統合失調症患者においては,想定していた仮説は支持されな かった.PDI40 項目版では相関係数は有意ではなかったものの,値は健常者よりも高かった (r=.27, p=.16).PDI21 項目短縮版では,確信度と苦痛度の相関係数は有意であった(r=.37, p<.01).本研究の結果から,統合失調症患者では,確信度の強さが苦痛度の強さに直接影響 している可能性が示唆された. 109 認知行動モデルでの位置づけ 本研究の結果から,健常者の場合は,妄想的観念に確信を持っていても苦痛につながら ないが,統合失調症患者の場合は,妄想的観念への確信が苦痛に直接つながる可能性が示 唆された.健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想的観念の違いは,確信が苦痛につ ながるか否か,なのかもしれない. 信念や思考の強さが直接感情や行動に結びつくかどうかは,妄想に限らず,適応/不適 応を分ける要因として重要である.強迫性障害における侵入思考の発生要因とし て,”Thought-Action Fusion”が注目されている(Rachman, 1997).Thought-Action Fusion とは, 思考(考えた内容)と実際の行動が,同じであるとみなしてしまう認知である.思考の内 容と感情や行動を区別することが出来れば,妄想的観念が思い浮かんだとしても,苦痛に つながりにくいだろう.逆に,思考の内容と感情や行動が密接に結びついている,と認知 している場合,妄想的観念が,苦痛につながりやすくなる可能性がある.統合失調症患者 で確信度と苦痛度が結びついた背後には,Thought-Action Fusion のような,思考に対する認 知(メタ認知)が関与しているかもしれない. 臨床的意義 統合失調症患者を対象とした本研究からも,心的占有度と苦痛度の間に正の関連がある ことが分かった.しかしながら,統合失調症患者では,確信度と苦痛度の間にも正の関連 があることが示された.統合失調症患者の妄想的観念による苦痛を和らげる際には,心的 占有度を下げる働きかけだけではなく,確信度を下げる働きかけも必要であることが示唆 された.また,確信度が苦痛につながらないように,Thought-Action Fusion のような思考に 対する認知(メタ認知)に働きかけると有効であるかもしれない.その際には,強迫性障 110 害への認知療法の技法を応用できる可能性がある.しかしながら,統合失調症患者には, 注意や記憶などといった認知機能の障害もあるため,応用する際には工夫が必要になるだ ろう. 本研究の限界と今後の展望 本研究で対象とした統合失調症患者は,外来通院中の患者が多かった.また,ほぼ全員 が抗精神病薬を服用していた.急性期の患者の妄想や,未服薬患者の妄想についても,更 にデータを収集して検証する必要がある.また,統合失調症患者の場合にも,健常者と同 様に確信度と心的占有度の間の相関係数が高かった(r=.45, p<.01)ため,多重共線性により 重回帰分析の標準偏回帰係数の値が不安定になっている可能性も否定できない.統合失調 症患者を対象とした本研究では,100 名近い被調査者のデータを収集したが,多変量解析か ら安定した結果を得るためには,更にデータを収集した方が良いとも思われる.今後はさ らに大規模なサンプルを対象に調査を行い,分析を進めていく必要がある. 111 研究5 慢性期統合失調症患者における早急な結論判断バイアス 要約 研究 5 では,慢性期の統合失調症患者が,早急な結論判断バイアスを持つかどうかを検 討した.早急な結論判断バイアスは,①情報収集バイアスと②確信度バイアスに分けられ る.慢性期の統合失調症患者群は健常者群よりも,決断までの情報収集量が少なく,情報 収集バイアスを持っていた.しかし,すぐに確信度が高くならず,確信度バイアスは持た なかった.また,患者群は,情報収集中の確信度の変化が小さく,情報を十分に収集した 後でも,確信度が高くならなかった. 背景 先行研究から,妄想の発生に影響する認知バイアスは,「早急な結論判断バイアス」であ ることが分かっている(Garety & Freeman, 1999).妄想を持つ患者は,早急な結論判断バイ アスを持つことが明らかになっている. 急性期の妄想は,入院治療や抗精神病薬の服薬で無くなることが多い.しかしながら, 慢性期の統合失調症患者でも,生活上の出来事やストレスによって,妄想を再発すること がある.また,抗精神病薬を服薬していても,妄想が残る患者もいる.慢性期の統合失調 症患者の中には,急性期の症状が治まった後も,薬物治療への反応性が乏しく,持続的に 妄想が残っている患者が多い(Brown & Herz, 1989).このことから,慢性期の統合失調症患 者でも,妄想の発生に影響する認知バイアスを持っている可能性が考えられる. ビーズ玉課題によるベイズ確率推論課題を用いた研究は,これまでに 10 の研究が行われ ている(研究 2:Table 2-1 参照).しかし,慢性期の外来患者を対象とした先行研究は,今 のところ 1 つしかない(Mortimer, et al., 1996).Mortimer et al. (1996) では,Research Diagnostic 112 Criteria により診断された 43 名の統合失調症患者を対象に, ベイズ確率推論課題を実施した. Mortimer et al.(1996)では,リハビリテーションを受けている慢性期の外来患者を対象に ベイズ確率推論課題を実施し,症状の重症度得点と情報収集量の相関係数を算出した.そ の結果,妄想の重症度と情報収集量の相関係数は有意ではなかった.統合失調症患者全体 で見た場合は,1 回の情報収集で決定した被験者が 43 名中 18 名(41.86%)だった.しかし Mortimer et al.(1996)では,患者群における情報収集量の平均値はデータとして提示され ていない.また,相関分析のみで,健常対照群との比較も行われておらず,確信度の測定 もされていない. このように,先行研究には,①慢性期の統合失調症患者を対象とした研究の数が少ない, ②慢性期の統合失調症患者を対象とした研究は,情報収集のみしか測定しておらず,先行 研究との比較ができないという問題点がある. 目的 先行研究の問題点を踏まえて,本研究では,妄想を持つ急性期の統合失調症患者に見ら れる推論バイアスが,慢性期の統合失調症患者にも見られることを検討した.本研究では, Garety et al.(1991)のパラダイムに従い,情報収集量と確信度を測定した上で,健常対照群 にも課題を実施し,課題の成績を比較した.また,情報収集中の確信度の変動について, 探索的に検討した. 仮説 研究5では, 「慢性期の統合失調症患者は,早急な結論バイアスを持つ」という仮説を立 て,検証した.慢性期の統合失調症患者は,健常者と比べて,ベイズ確率推論課題におい 113 て,①少ない情報で判断を下してしまう(情報収集バイアス),②情報収集初期の段階で確 信度が強くなる(確信度バイアス)と予測した. 方法 手続きおよび実験参加者 実験参加者の属性を Table 5-1 に示した.患者群は,DSM-Ⅳによって診断された統合失調 症患者 15 名を対象とした.統合失調症患者は,全員外来患者であった.外来患者のうち, ①デイホスピタルに 3 ヶ月以上継続的に通所している患者,②3 ヶ月以上継続的に就労もし くは就学している患者を対象とした.実験参加者の症状を評価するために,Brief Psychiatric Rating Scale(BPRS:Overall & Gorham, 1962)を実施した.BPRS の評定は,患者担当のコ メディカルスタッフと主治医が共同で行った.実験参加者の IQ を測定するために,Wechsler Adult Intelligence Scale Revised (WAIS-R) 3 下位検査短縮版(小林・藤田・前川・大六,1993) を実施した.WAIS-R の下位検査のうち,知識・絵画完成・数唱の 3 下位検査を実施し,IQ を算出した.健常者群は,年齢・性別・IQ を患者群と一致させた 20 名を対象とした.患者 群は全員が抗精神病薬を服用していた.実験参加者には実験の趣旨を書面および口頭で説 明し,同意を得た.研究の実施に当たって,東京大学医学部附属病院倫理委員会の承認を 得た. 114 Table 5-1 実験参加者の属性 患者群(男性11名,女性4名) 健常者群(男性 10 名,女性 10 名) 平均 SD 平均 SD 年齢 28.7 4.3 24.9 9.7 罹病年数(年) 10.9 4.8 ― ― 服薬量(CP 換算 mg) 504.3 408.0 ― ― 34.6 8.5 ― ― 4.0 1.7 ― ― 6.9 2.7 ― ― 100.4 13.4 110.0 20.0 BPRS スコア 合計得点 妄想関連項目a) 陰性症状 b) IQ a) 「誇大性」と「思考内容の異常」の合計 b) 「運動減退」,「情動鈍磨」,「感情的ひきこもり」の合計 ベイズ確率推論課題 教示と課題の提示 Garety et al.(1991)によって実施された確率判断課題を,パーソナルコンピュータ上に再 現して行った.実験の手続きは,研究 2 と同じ手続きである. まず文章で次のように教示をした. 「ここに箱が 2 つあります.箱 A の方には,赤いビー ズがたくさん入っています.赤いビーズが 85 個・白いビーズが 15 個入っています.箱 B の方には,白いビーズがたくさん入っています.白いビーズが 85 個・赤いビーズが 15 個 入っています.」 次に実験者が,どちらか一方の箱を選び,次のように教示をした. 「私が A と B どちらを選んだかを当ててもらいます.箱の中から 1 つずつビーズを取り 出すので,ビーズの色を見てどちらの箱か当ててください.何個かビーズを取り出して, 115 分かった時点で箱が A か B かを答えてください.」 以上の教示を行った上で,課題を行った.コンピュータ上の課題を行う前に,実際の素 材を用いて練習課題を行った.被験者が課題を十分に理解したことを確認した上で,本試 行を実施した.プログラムの作成には,Visual Basic 4.0 を用いた.プログラムの提示には, 15 インチ CRT ディスプレイを用いた. 情報収集量の測定(情報収集課題) ベイズ確率推論課題は,①情報収集量を測定する課題(情報収集課題),②確信度を測定 する課題(確信度評定課題)の 2 つから構成されている. まず,以下の手続きで,①情報収集量を測定する課題を行った.初めに,被験者に分か らないように,コンピュータが箱 A か B どちらかを選んだ.コンピュータが箱を選んだ後, 被験者に任意の数だけビーズを箱から取り出させた.被験者には,どちらの箱が選ばれた か分かるまで,ビーズを取り出させた.選ばれた箱が分かった時点で,選ばれた箱が A か B かを被験者に答えさせた.この時,コンピュータが選ぶ箱(箱 A)とビーズを取り出す順 番は,あらかじめ決めておいたものに従った(Table 5-2, Table 5-3). 以上の手続きで,情報収集量を測定する課題を 2 回行った.そして,被験者がどちらの 箱か判断するまでに取り出したビーズの数を,情報収集量と定義した.1 回目と 2 回目に取 り出したビーズの数の合計を,情報収集量の指標とした. 116 Table 5-2 箱の中のビーズと正解 箱A 情報収集課題 箱B 正解 1 回目 黄 85/黒 15 黄 15/黒 85 箱 A 2 回目 黄 85/黒 15 黄 15/黒 85 箱 A 確信度評定課題 赤 85/緑 15 赤 15/緑 85 箱 A Table 5-3 ビーズを取り出す順番 1 情報収集課題 確信度評定課題 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 1 回目 黄 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黒 黄 2 回目 黄 黄 黄 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黒 黒 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黄 黒 赤 赤 緑 赤 赤 緑 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 緑 確信度の測定(確信度評定課題) 次に,②確信度を測定する課題を以下の手続きで行った.コンピュータが箱を選んだ後, 被験者に 20 回ビーズを取り出させた.被験者に,1 回ビーズを取り出すごとに, 「箱が A で ある」確信度と「箱が B である」確信度を同時に評定させた.確信度は 0%∼100%の間で 評定させた.ディスプレイ上に表示されたメーターを用いて評定させた.画面には,「箱が A である確信度」と「箱が B である確信度」の両方のメーターを表示した.確信度の評定 値が,確率の公理を満たすようにするため, 「箱が A である確信度」と「箱が B である確信 度」の合計値が常に 100%となるようにした. 117 被験者が 1 回ビーズを取り出すごとに,確信度を自動的にコンピュータに記録した.1 人 につき 20 回確信度を評定させた.1 回目取り出し後∼3 回目取り出し後の確信度の平均値 を,情報収集初期の確信度の指標とした.また,情報収集中の確信度の変化を検討するた めに,①1 回ビーズを取り出した後の確信度,②10 回ビーズを取り出した後の確信度,③ 20 回ビーズを取り出した後の確信度の 3 つの指標を用いた.また,確信度の推移を詳細に 検討するため,1 回目∼20 回目の確信度全てを従属変数とする多変量分散分析を行った. 確信度評定課題でも,コンピュータが選ぶ箱(箱 A)とビーズを取り出す順番は,あらかじ め決めておいたものに従った(Table 5-2, Table 5-3). 結果 情報収集量 患者群と健常者群の情報収集量について,平均と標準偏差を Table 5-4 と Figure 5-1 に示し た.t 検定を用いて,両群に差があるかどうかを分析した.その結果,患者群の方が,健常 者群よりも,情報収集量が有意に少なかった(t=3.43, p<.01). Table 5-4 決断までの情報収集量 患者群 健常者群 p 合計 平均 SD 平均 SD 5.40 2.92 11.05 5.54 ** ** p<.01 118 15 ** ー 取 り 出 10 し た ビ 11.05 5.4 ズ 5 の 数 0 患者群 健常者群 ** p<.01 Figure 5-1 決断までの情報収集量 情報収集初期の確信度 患者群と健常者群の情報収集初期の確信度について,平均と標準偏差を Table 5-5 と Figure 5-2 に示した.t 検定を用いて,両群に差があるかどうかを分析した.その結果,患者群の 方が,健常者群よりも,情報収集初期の確信度が弱い傾向が見られた(t=1.74, p<.10). Table 5-5 情報収集初期の確信度 患者群 健常者群 p 情報収集初期の 確信度(1∼3 回目) 平均 SD 平均 SD 58.1 12.5 65.4 12.2 † p<.10 119 † 100 情 報 収 集 初 期 の 確 信 度 90 † 80 70 65.4 58.1 60 † p<.10 50 患者群 健常者群 Figure 5-2 情報収集初期の確信度 情報収集中の確信度の変化 患者群と健常者群の情報収集中の確信度について,平均と標準偏差を Table 5-6 と Figure 5-3 に示した.取り出し回数(1 回目,10 回目,20 回目)を被験者内要因,群を被験者間要 因とした分散分析を行ったところ,取り出し回数の有意な主効果と(F=25.12,p<.01)群の 有意な主効果が見られた(F=11.67,p<.01).また,取り出し回数と群の間に有意な交互作 用が見られた(F=5.05, p<.01). Bonferroni 法により有意水準を 1/2 に補正した上で,被験者群ごとに分散分析を行い,取 り出し回数の単純主効果の検定を行った.その結果,患者群では,取り出し回数の有意な 単純主効果はみられなかった(F=2.19, p>.05).健常者群では,取り出し回数の有意な単純 主効果が見られた(F=70.83, p<.005). 確信度の変化を細かく検討するため,群ごとに,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の 差,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差を,被験者内対比の検定によって検討した. 120 その結果,患者群では,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の差は有意だった(F=13.38, p<.01)が,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差は有意ではなかった(F=.01, p>.10). 健常者群では,①1 回目の確信度と 10 回目の確信度の差は有意だった(F=59.76, p<.01).ま た,②10 回目の確信度と 20 回目の確信度の差も有意だった(F=19.07, p<.01). Bonferroni 法により有意水準の値を 1/3 に補正した上で,取り出し回数の水準ごとに分散 分析を行い,単純主効果の検定を行った.その結果,1 回ビーズを取り出した後の確信度は, 患者群と健常者群の間で,有意な差はなかった(F=1.01,p>.03).10 回ビーズを取り出した 後の確信度は,患者群の方が,健常者群よりも低い傾向がみられた(F=5.22,p<.03).また, 20 回ビーズを取り出した後の確信度は,患者群のほうが,健常者群よりも有意に低かった (F=14.91,p<.003). 1 回取り出し後∼20 回取り出し後の確信度全てを Figure5-4 に示す.1 回取り出し後∼20 回取り出し後の確信度全てを従属変数,群を独立変数とする多変量分散分析を行ったとこ ろ,群の主効果(F=9.96, p<.01),取り出し回数の主効果(F=30.40, p<.01),取り出し回数と 群の交互作用(F=3.69, p<.05)がいずれも有意になった. Bonferroni 法により有意水準を 1/20 に補正した上で,取り出し回数の水準ごとに分散分析 を行い,群の単純主効果の検定を行った.その結果,1 回目から 10 回目では群の単純主効 果は見られなかったが,11 回目では有意傾向(F=9.38, p<.005)であった.また,12 回目以 降は,13 回目を除き,全ての水準で群の有意な単純主効果が見られた(12 回目:F=11.55, p<.0025,14 回目:F=14.03, p<.0025,15 回目:F=15.02, p<.0005,16 回目:F=14.11, p<.0025, 17 回目:F=17.43, p<.0005,18 回目:F=16.70, p<.0005,19 回目:F=13.63, p<.0025,20 回目: F=14.91, p<.0005) 121 Table 5-6 情報収集中の確信度の変化 患者群 健常者群 p 平均 SD 平均 SD 1 回取り出し後 59.4 12.1 63.7 12.9 n.s. 10 回取り出し後 71.5 20.1 85.1 15.1 † 20 回取り出し後 71.4 27.5 96.6 8.7 *** *** p<.003,† p<.03,n.s. p>.03 ** 100 ** 95 90 健常者群 患者群 85 *** 80 † 確 信 75 度 70 65 60 55 * 50 1回取り出し後 10回取り出し後 20回取り出し後 取り出し回数 被験者内対比の検定:** p<.01 取り出し回数の水準ごとの検定:*** p<.003,† p<.03 Figure 5-3 患者群と健常者群における確信度の変化 122 100 † p <.005 * p <.0025 ** p<.0005 慢性期患者 健常者 90 80 確 信 度 70 60 50 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 † 12 * 13 14 15 16 17 18 19 20 * ** * ** ** * ** 取り出し回数 Figure 5-4 患者群と健常者群における確信度の推移 妄想を持つ患者と妄想を持たない患者の比較 妄想と情報収集量・確信度の関連を確かめるため,被験者を妄想を持つ群と持たない群 に分けた.BPRS の「不自然な思考内容(妄想) 」項目の得点が 3 点以上の患者群を妄想あ り群(8 名),2 点以下の患者群を妄想なし群(7 名)とした.情報収集量と情報収集初期の 確信度について比較を行った結果,両群に有意な差は見られなかった. IQ・服薬量との関連 ベイズ確率推論課題における IQ の影響を検討するため,IQ と情報収集量・確信度の相関 係数を,患者群・健常者群それぞれについて算出した.その結果,両群ともに,IQ と情報 123 収集量・確信度の間に有意な相関は見られなかった.また,確率判断課題における服薬量 の影響を検討するため,服薬量と情報収集量・確信度の相関係数を,患者群について算出 した.その結果,服薬量と情報収集量・確信度の間に有意な相関は見られなかった. 考察 結果のまとめ 慢性期の統合失調症患者は,ベイズ確率推論課題のうち,情報収集課題では決断までに 収集する情報量が少なかった.確信度評定課題では,情報収集初期の確信度は強くなかっ た.情報収集中の確信度の変動は,慢性期の統合失調症患者のほうが,健常者よりも小さ かった.早急な結論判断バイアスのうち,①情報収集バイアスについては仮説が支持され た.また,②確信度バイアスについては,仮説が支持されなかった. 慢性期の統合失調症患者の推論バイアス 本研究から,慢性期の統合失調症患者は,決断までに収集する情報量が少ないことが分 かった.一方,慢性期の統合失調症患者には,急性期の統合失調症患者に見られた確信度 バイアスは見られなかった.すなわち,慢性期の統合失調症患者は,急性期の患者のよう に,すぐに強い確信を持たなかった.また,本研究では,慢性期の統合失調症患者は,情 報を収集した後でも,確信度が上がりにくいことが示された. 認知行動モデルでの位置づけ 本研究から,慢性期の統合失調症患者では,早急な結論バイアスのうち①情報収集バイ アスのみが見られることが分かった.また,②2 個目以降複数ビーズを取り出していったと 124 きの確信度の変化が,健常者よりも小さかった.慢性期の統合失調症患者は,得られた情 報を確信度の更新に活用できないために,情報を収集しても確信度が変化しなかった可能 性が考えられる. 情報を提示されたときに確信度が変化しにくいバイアスは,妄想の訂正不能性の原因と なっている可能性が考えられる.しかしながら,先行研究では,保持している仮説の反証 となる情報が提示された際には,妄想を持つ患者のほうが,確信度の変動が大きいことが 示されている.このようなバイアスを,反証効果と呼ぶ.確かに,妄想を持つ統合失調症 患者は,確証情報が連続した後で,反証情報が 1 つ提示された際の確信度の変動が大きい ことが報告されている.しかしながら,反証効果を追試できなかった研究もある.確信度 のバイアスは,測定方法に影響されやすいため,実験の条件や測定方法を整備していく必 要がある.アーティファクトの可能性も否定できない. 臨床的示唆 亀山・太田・宮内・安西・平松・池淵・増井(1982)は,慢性期の統合失調症患者の 小集団における意思決定過程を分析した.健常者集団では,①主題設定,②情報の収集, ③情報の整理・起案,④検討・吟味,⑤判断・決定という 5 つの段階を順番に経て意思決 定がなされる.しかし,統合失調症患者の集団では,①の主題設定から②③④を経ずに, ⑤判断・決定がなされていた.亀山ら(1982)は,こうした意思決定過程の特徴は,認知・ 思考の障害を反映したものであると述べている.早急な結論判断バイアスが,亀山ら(1982) が集団で見出した慢性期統合失調症患者の意思決定過程の基盤となっているのかもしれな い. 亀山ら(1982)は,統合失調症患者の意思決定過程に働きかけるために,治療者は情報 125 収集や検討・吟味を促すことが必要であると述べている.妄想を修正するためには,直接 妄想を否定するよりも,間接的に妄想を変容させるのが効果的である(Watts, Powell & Austin, 1973).妄想を修正するためには,妄想について患者自身に情報を集めさせたり,患者自身 に検討・吟味を促す働きかけが有効だと考えられる.Garety & Hemsley(1994)は,実際に 妄想の認知行動療法において,情報収集や検討・吟味を促す手法を用いて,効果を挙げて いる.妄想への認知行動療法的な介入は,妄想の治療のみならず,再発予防やリハビリテ ーションの分野においても有効であると考えられる. 本研究の限界と今後の展望 本研究で対象とした統合失調症患者は,全員が抗精神病薬を服薬していた.確率判断課 題の結果と服薬量の関連は認められなかった.しかし,抗精神病薬を服薬しているため, 情報収集量が少なくなったり,確信度が上がりにくくなった可能性は否定できない.今後 は未服薬の統合失調症患者を対象とする必要がある. また,本研究で対象とした患者群は,慢性期の中でも限定されていた.本研究で対象と した患者群の平均服薬量は,比較的高容量(CP 換算 504mg)であり,慢性期ではあるが寛 解まで至っていない患者も多かった.今後は,より症状が安定した寛解期の患者を対象に する必要がある. 126 研究6 慢性期統合失調症患者における妄想的観念による苦痛と対処行動の関 係 要約 研究 6 では,慢性期の統合失調症患者が妄想を体験したときの対処行動が,妄想による 苦痛に及ぼす影響を,縦断調査と共分散構造分析を用いて検討した.共分散構造分析では, 大学生を対象とした研究 3 で用いた 2 つの仮説(①逃避型対処行動が,妄想に伴う苦痛を 強める,②計画型対処行動が,妄想に伴う苦痛を弱める)を作業仮説として,双方向因果 パスを想定し,健常者と統合失調症患者で影響のパターンが同じか違うかを検証した.慢 性期の統合失調症患者 43 名を対象に,PDI21 項目短縮版とストレスコーピング質問紙を,1 ヶ月間隔をおいて 2 回実施した.共分散構造分析では,道具的変数モデルを用いて双方向 の因果パスを設定した上で分析した.その結果,統合失調症患者では,大学生と異なり① 逃避型対処行動を取ると,妄想に伴う苦痛が強まることは支持されなかった.また,②計 画型対処行動が,妄想に伴う苦痛を弱めることも支持されなかった.慢性期の統合失調症 患者では,健常者とは逆に,妄想に伴う苦痛が強いと,逃避型の対処行動が増強されてし まう可能性が示唆された. 背景 統合失調症の症状である妄想は,抗精神病薬を服薬することで無くなる事が多い.急性 期の妄想については,抗精神病薬の服薬と入院治療が行われている.しかし,急性期を過 ぎて退院し,抗精神病薬を服薬しながら地域生活を送っている場合でも,妄想的観念によ り持続的に苦痛を感じている患者もいる(Brown & Herz, 1989).妄想的観念による苦痛が続 くことで,社会適応が妨げられているケースがある.また,いったん急性期の妄想が無く 127 なった患者でも,生活上のストレスにより再燃することが知られている. しかしながら一方で,持続的な妄想的観念による苦痛に対処するために,患者自身がさ まざまな対処行動を自ら考え,実践していることが知られている(Tarrier, Harwood, Yusopoff, Beckett & Baker, 1990).統合失調症患者のうち 67%以上が,妄想的観念による苦痛が生じた 際に,能動的に対処行動を使っているという報告もある(Falloon & Talbot, 1981). 慢性期の統合失調症患者を対象とした臨床研究では,症状による苦痛への対処行動の重 要性が指摘されている.統合失調症患者を対象とした心理教育プログラム(Lieberman, 1988) では,症状をモニタリングし,計画的に対処していく方法を学習していく.心理教育プロ グラムでは,症状が再燃した場合に,症状が起こった状況から逃避してしまう対処を取ら ないよう,「前向きな」対処行動を学習していく.積極的に症状に対処することで,患者自 身の自己効力感が増し,社会適応にも良い影響を及ぼす.しかしながら,逃避的な対処行 動を続けると,症状対処への自己効力感が増えず,症状に伴う苦痛がかえって増強されて しまうと考えられる. 妄想を持つ統合失調症患者は,一般的に①逃避型の対処行動を用いやすいと言われてい る(Gispen-de Wied, 2000) .また,妄想を持つかどうかに関わらず,統合失調症患者は,逃 避型対処行動を取りやすいこと(van den Bosch & Rombouts, 1997)や,逃避型対処行動を取 りやすい統合失調症患者は,幻覚・妄想の重症度が強いこと(Lysaker et al., 2004)が報告さ れている.しかしながら,先行研究は横断研究にとどまっているため,妄想の苦痛が対処 行動に影響するのか,対処行動が妄想の苦痛に影響するのかが分からないという問題があ る. 128 目的 健常者を対象とした研究 3 では,縦断調査と共分散構造分析を用いて,逃避型の対処行 動が,妄想的観念による苦痛を維持・増強させてしまうことが分かった.そこで本研究で は,研究 3 の結果を作業仮説とし,慢性期の統合失調症患者でも,健常者と同じように, 逃避型の対処行動が妄想的観念による苦痛を維持・増強させるかどうかを,縦断調査と共 分散構造分析を用いて検証した.また,計画型対処行動が,妄想的観念による苦痛に及ぼ す影響についても検討した. 仮説 本研究では,縦断調査と共分散構造分析によって,先行研究と研究 3 の結果を元に以下 の 2 つの仮説を立て,統合失調症患者における妄想的観念の苦痛と対処行動の影響関係を 検証した.分析に当たっては,①逃避型の対処行動は,妄想的観念による苦痛を強める, ②計画型の対処行動は,妄想的観念による苦痛を弱めるという 2 つの仮説を作業仮説とし た. 方法 手続きおよび調査対象者 DSM-Ⅳの基準から精神科医により統合失調症と診断された患者を対象とした.調査にあ たっては,研究に関する説明を十分に行い,患者本人の同意を得た上で調査を行った.質 問紙調査は個別に実施し,有効回答の得られた 52 名(男性 35 名,女性 17 名)について分 析を行った. 統合失調症患者の平均年齢は,37.2(18∼65)歳であった.全員が外来患者であり,デイ 129 ホスピタルに通院中の患者が 21 名,作業所に通所中の患者が 31 名であった.服薬量はク ロルプロマジン換算で平均 668.9(0∼3027,SD 646.2)mg,治療経過年数は平均 14.7(1∼ 45,SD 8.9)年であった. また,統合失調症患者 52 名のうち,1 ヵ月後の縦断調査にも回答した調査対象者は 43 名 であった.縦断調査にも回答した調査対象者の服薬量は,クロルプロマジン換算で平均 664.1 (0∼3027.3,SD 652.2)mg,罹病期間は平均 13.7(1∼33,SD 7.6)年であった. 使用した尺度 1.PDI21 項目短縮版 研究 3,研究 4 で信頼性と妥当性を確認した PDI21 項目短縮版を用いて,妄想的観念のア セスメントを行った. 2.ストレスコーピング質問紙(Stress Coping Inventory: SCI) 本研究では,妄想的観念への対処行動をアセスメントするために,研究 3 で用いたスト レスコーピング質問紙を用いた.まず被調査者に PDI を実施し,次に,PDI で「思い浮かん だことがある」と回答した項目の中から 1 つを選ばせた.そして,「その考えが思い浮かん だときに,どのように対処したか」を SCI によって回答させた. 分析方法:道具的変数モデルによる共分散構造分析 ①逃避型の対処行動が,妄想的観念に伴う苦痛を強める,②計画型の対処行動が,妄想 的観念に伴う苦痛を弱めるという 2 つの仮説を検証するために,道具的変数モデル (reciprocal effect model)を用いて共分散構造分析を行った.道具的変数モデルは,縦断デ 130 ータを用いて,2 変数間の双方向的な関係を分析するために考案された(Finkel, 1995; 豊田, 1998).対処行動と症状の関係は,単方向ではなく,双方向であると考えられている.不適 切な対処行動が症状を強め,その結果適切な対処行動が取れなくなるという循環関係にあ る(小杉, 2002). 横断データのみを用いた共分散構造分析では,双方向の因果関係を想定した場合,変数 の数に対してパスの数が多くなってしまい,構造方程式の解が求められなくなる.しかし, 2 つの変数を十分な期間を置いて 2 回測定し,過去に測定した変数を道具的変数として導入 すると,双方向の因果パスの解が求められる. 本研究では,PDI で 1 つ以上妄想的観念を体験したことがあると回答した被調査者に加え て,自由記述から妄想的観念を体験していると回答した 43 名のデータについて,道具的変 数モデルを用いた共分散構造分析を行った.そして,妄想的観念に伴う苦痛と対処行動の, 双方向の関係を検討した. 結果 妄想的観念の体験数・苦痛度・心的占有度・確信度と対処行動の相関係数 妄想的観念による苦痛と,苦痛への対処行動の関連を検討するため,PDI の各次元と対処 行動の相関係数を算出した(Table 6-1).分析は,PDI で妄想的観念を 1 つ以上体験してい ると回答した 48 名のデータについて行った. 逃避型の対処行動と,妄想的観念の苦痛度の間に有意な正の相関が見られた(r=.32, p<.05). 一方,計画型の対処行動と,妄想的観念の苦痛度の間に有意な相関は見られなかった.逃 避型対処行動と,妄想的観念の心的占有度の間にも有意な正の相関が見られた(r=.30, p<.05). 逃避型,計画型以外の対処行動と,PDI 各変数の相関係数を算出した.妄想的観念の確信 131 度と,隔離型対処行動の間に強い負の相関が見られた(r = -.52, p<.01) . Table 6-1 PDI 各次元と対処行動の相関係数(N=48) 社会支援 模索 自己統制 -0.17** -0.04 0.01 -0.23** -0.12 0.14 PDI 逃避 計画 責任受容 肯定評価 対決 隔離 体験数 0.06* -0.16 -0.11 -0.01 0.05 苦痛度 0.32* -0.02 -0.02 -0.22 0.15 心的占有度 0.30* -0.11 -0.07 -0.14 0.11 -0.21** -0.06 0.04 確信度 0.16* -0.16 -0.02 -0.10 0.23 -0.52** -0.09 0.09 * p<.05, ** p<.01 道具的変数モデルによる仮説の検証 妄想的観念による苦痛と,苦痛への対処行動の関係を明らかにするため,道具的変数を 用いた共分散構造分析を行った(Figure 6-1, Figure 6-2). モデル①では,妄想的観念の苦痛度と,逃避型対処行動の関係を検証した.モデル①の 適合度は,GFI=.98,AGFI=.81 と,十分な値だった.モデル①では,逃避型対処行動から苦 痛度へのパスは,有意ではなかった.一方,苦痛度から逃避型対処行動へのパスが有意で あった. 苦痛度 1 回目 .81** 苦痛度 2 回目 * e1 .67 GFI=.98 AGFI=.81 .26* .41** -.13 e2 .63** 逃避型 1 回目 逃避型 2 回目 .69 Figure 6-1 逃避型対処行動と妄想の苦痛度の関係 132 ** p<.01, * p<.05 モデル②では,妄想的観念の苦痛度と,計画型対処行動の関係を検証した.モデル②の 適合度は,GFI=.99,AGFI=.95 であり,十分な値であった.モデル②では,計画型対処行動 から苦痛度へのパスと,苦痛度から計画型対処行動のパスのいずれも有意ではなかった. e1 苦痛度 1 回目 .77** ** p<.01, * p<.05 .66 苦痛度 2 回目 GFI=.99 AGFI=.95 -.37* .03 -.14 e2 .70** 計画型 1 回目 計画型 2 回目 .67 Figure 6-2 計画型対処行動と妄想の苦痛度の関係 考察 結果のまとめ 道具的変数モデルによる共分散構造分析の結果,妄想的観念の苦痛度から逃避型対処行 動へのパス係数が有意な正の値となった.一方,逃避型対処行動から妄想的観念の苦痛度 へのパス係数は有意な値にはならなかった.①逃避型対処行動が妄想的観念の苦痛度を強 めるという仮説は支持されず,大学生を対象とした研究 3 とは逆の結果になった.また, 計画型対処行動と妄想的観念の苦痛度の間のパス係数は,両方向ともに有意な値にはなら ず,②計画型対処行動が妄想的観念の苦痛度を弱めるという仮説は支持されなかった. 逃避型・計画型対処行動と妄想 共分散構造分析の結果から,妄想的観念による苦痛が,逃避型の対処行動を強めてしま 133 う可能性が示唆された.これは,研究 3 で健常者の妄想的観念による苦痛と,逃避型対処 行動の関係とは逆のパターンだった. 慢性期の統合失調症患者の場合,健常者とは異なり,妄想的観念に伴う苦痛が強すぎる ために,逃避型の対処行動を取らざるを得ないのかもしれない.統合失調症患者を対象と した認知行動療法では,逃避型対処行動を消去し,適切な対処行動を増強する前段階とし て,苦痛を和らげるために受容的な環境の下で治療関係を構築していく(丹野・坂野・長 谷川・熊野・久保木, 2004).その上で,逃避型以外の適切な対処行動を学習していく.本 研究の結果は,臨床的な介入から考えると妥当であるとも言える.統合失調症患者に働き かける際には,まず苦痛を軽減した上で,対処行動を学習するように働きかけていく必要 があるだろう. また,統合失調症患者の場合には,対処行動の選択幅が少なく,苦痛を感じたときの対 処行動が,逃避型対処行動に偏ってしまっている可能性も考えられる.対処行動が逃避型 対処行動に偏っているとすれば,苦痛の強弱が直接逃避型対処行動に影響を与えている可 能性も考えられる. 統合失調症患者においては,逃避型対処行動が妄想による苦痛を強めるという仮説は支 持されなかった.しかしながら,健常者の妄想的観念と逆のパターンだった点は興味深い. 対処行動と苦痛の影響関係の方向性によって,統合失調症患者の妄想と健常者の妄想的観 念の違いを明確に出来る可能性もあるだろう.変数間の関係の違いが,患者と健常者を分 ける要因なのかもしれない. 本研究の限界と今後の展望 本研究では慢性期の統合失調症患者を対象に調査を行った.本研究で対象とした被験者 134 数は 43 名であり,多変量解析から安定した結果を得るにはやや少ない人数である.今後は 多施設共同研究を組織的に行い,さらに大規模な調査を行った上で,知見を確認する必要 がある. 135 総合考察 本論文のまとめ 博士論文では,第 1 部で健常者の妄想的観念について,第 2 部で統合失調症患者の妄想 について,実証データに基づいた研究を行った. 第 1 部では,研究1で妄想的観念を多次元的に測定できるアセスメントツールを開発し た.そして,妄想的観念の苦痛度,心的占有度,確信度の関係を明らかにした.研究2で は,妄想的観念の発生に関わる認知バイアスについて検討した.研究 3 では,どのような 対処行動が,妄想的観念による苦痛を維持・増強させるのかを検討した. 第 2 部では,研究 4 で,第一部で開発したアセスメントツールを用いて統合失調症患者 の妄想を測定し,統合失調症患者の妄想の苦痛度,心的占有度,確信度の関係を明らかに した.研究 5 では,慢性期の統合失調症患者について,妄想の発生に関わる認知バイアス を検討した.研究 6 では,どのような対処行動が,統合失調症患者の妄想による苦痛を維 持・増強させるのかを検討した. 本論文から得られた知見 第 1 部:健常者の妄想的観念について 研究 1 では,妄想的観念の次元間の関係・構造を,苦痛度との関連に焦点を当てて分析 した.その結果,心的占有度(妄想的観念を考える時間・頻度)と苦痛度の間に正の相関 関係が見られた.一方で,確信度と苦痛度の間には相関関係は見られなかった.重回帰分 析では,心的占有度から苦痛度へ正の影響が見られた.健常者の妄想的観念では,考える 時間が長いと,苦痛につながりやすい可能性が示唆された.また,確信度は,苦痛とは関 連しないことも示唆された. 136 研究2では,妄想的観念を持ちやすい健常者も,妄想の発生に関わる早急な結論判断バ イアス(Jumping To Conclusion Bias)を持つことが明らかになった.早急な結論判断バイア スは,少ない情報で判断する①情報収集バイアスと,すぐに確信度が高くなる②確信度バ イアスの 2 つに分けられる.Colbert&Peters(2002)では,妄想的観念を持ちやすい健常者 は,早急な結論判断バイアスのうち,①情報収集バイアスを持つが,②確信度バイアスは 持たなかった.しかし,本研究では,妄想的観念を持ちやすい健常者も,①情報収集バイ アスと②確信度バイアスの両方を持つことが明らかになった.本研究では,確信度を,確 率の公理を満たすように測定したため,正確に確信度を測定できた.また,被験者スクリ ーニングの際に,PDI の体験数得点のみを用いた.先行研究では,体験数・苦痛度・心的占 有度・確信度全ての得点を合計した値でスクリーニングをしていた.そのため,スクリー ニングの際に,妄想的観念による感情の影響が交絡してしまった可能性も否定できない. 本研究では,PDI の体験数得点のみをスクリーニングに用いたことで,妄想的観念を持つ程 度のみでスクリーニングを行うことが出来た.そのため,妄想的観念の発生に関わるとさ れる確信度バイアスを検出することが出来たとも考えられる. 研究3では,逃避型の対処行動が,妄想的観念による苦痛を強めることが,縦断調査と 共分散構造分析を用いて明らかになった.先行研究では,横断研究から,逃避型対処行動 と,妄想的観念の苦痛度の間に正の相関関係が見出されている(Freeman et al., 2005).本研究 では,縦断調査と共分散構造分析を用いて,より因果関係に踏み込んだ形で逃避型対処行 動と妄想的観念の苦痛の関係について確認できた. 第 2 部:統合失調症患者の妄想について 研究 4 では,統合失調症患者の妄想を多次元的にアセスメントした.そして,妄想的観 137 念で見出された苦痛度・心的占有度・確信度の関係・構造が,統合失調症患者の妄想につ いても当てはまるかどうかを確認した.統合失調症患者では,心的占有度と苦痛度の間に 正の相関関係が見られた.また,統合失調症患者では,確信度と苦痛度の間にも正の相関 関係が見られた.この点は,健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想で,異なる点で ある.統合失調症患者では,確信度と苦痛度の結びつきが強いことが示唆された. 研究 5 では,慢性期の統合失調症患者が,妄想の発生に関わる早急な結論判断バイアス を持つかどうかを確認した.慢性期の統合失調症患者は,早急な結論判断バイアスのうち, ①情報収集バイアスを持っていたが,②確信度バイアスは持っていなかった.この結果は, 先行研究とも一致する結果だった.加えて,慢性期の統合失調症患者は,③情報収集後の 確信度変化が小さかった. 研究 6 では,統合失調症患者を対象に,逃避型の対処行動と,妄想による苦痛の関連を, 縦断調査と共分散構造分析で検証した.大学生を対象とした研究3の結果から,統合失調 症患者でも, 「逃避型対処行動が,妄想による苦痛を強める」という仮説を立てて検証した. しかしながら,統合失調症患者では,仮説は支持されなかった.また,統計的には有意傾 向だったものの,健常者とは逆に, 「妄想による苦痛が,逃避型対処行動を強める」という 関係が見出された. 第 1 部と第 2 部の結果の比較 第 1 部と第 2 部の結果を,Table 7-1 にまとめた.健常者を対象とした第 1 部と,統合失 調症患者を対象とした第 2 部の結果のうち,①妄想的観念の心的占有度と苦痛度の間に正 の関連があること,②妄想的観念を持ちやすい健常者と,慢性期の統合失調症患者の両方 に情報収集バイアスが見られたことが共通点として挙げられる.逆に相違点としては,① 138 妄想的観念の確信度と苦痛度の間に,健常者では正の関連がなかったが,統合失調症患者 では正の関連が見られたこと,②妄想的観念を持ちやすい健常者には確信度バイアスが見 られたが,慢性期の統合失調症患者には確信度バイアスが見られなかったこと,③妄想的 観念を持ちやすい健常者は,情報収集中に確信度を変化させていたが,慢性期の統合失調 症患者は,情報収集中に確信度を変化させていなかったこと,④健常者では,逃避型対処 行動が妄想的観念による苦痛に影響を与えていたのに対して,統合失調症患者では,妄想 的観念による苦痛が逃避型対処行動に影響を与えていたことが挙げられる. Table 7-1 第 1 部と第 2 部の結果のまとめと比較 第1部 研究 1・4 心的占有度と苦痛度 確信度と苦痛度 研究 2・5 研究 3・6 第2部 関連あり 関連なし 情報収集バイアス 関連あり あり 確信度バイアス あり なし 確信度の変化 変化する 変化しない 逃避型対処と苦痛の関係 逃避→苦痛 苦痛→逃避 認知行動モデルとデータに基づく考察 第 1 部と第 2 部の結果を,認知行動モデルに沿って記述した.黒い矢印の部分が,本研 究のデータから示唆される部分である. モデルは,健常者(大学生)の場合(Figure 7-2) と統合失調症患者(Figure 7-3)に分けて記述した. 139 A 出来事 B 認知・信念 C 感情 D 行動 妄想的 観念 出来事 仮説 情報 収集 判断 高確信度 確信度 変化 ③ 心的 占有度 本研究の結果から 示唆される部分 ① 苦痛度 逃避型 対処 確信度 ② ④ Figure 7-2 健常者(大学生)の妄想的観念の発生・維持モデル A 出来事 B 認知・信念 C 感情 D 行動 本研究の結果から 示唆される部分 妄想的 観念 ① 出来事 仮説 情報 収集 判断 高確信度 確信度 変化 ③ 苦痛度 心的 占有度 逃避型 対処 確信度 ② Figure 7-3 統合失調症患者の妄想的観念の発生・維持モデル 140 ④ ①心的占有度を下げるためにはどうすればいいか? 心的占有度が高い状態は,妄想的観念について常にとらわれている状態である.例えば, いつも「私は狙われている」と考えている状態である.このような時には,妄想的観念そ のものに注意が向き続けている.そのため,妄想的観念という思考そのものに向きつづけ ている注意を逸らす必要がある.精神科リハビリテーションで行われている作業療法は, 作業の遂行に注意を向けることで,間接的に妄想的観念へ向いている注意を逸らす効果が ある.このように間接的な方法を用いて,心的占有度を下げていく方法が効果があるだろ う.逆に,直接「考えないように」と指示をすると,白熊効果のように,逆説的に心的占 有度が増える可能性もある.妄想的観念への介入には,思考抑制に関する研究の知見が応 用できる可能性もある. ②確信度と苦痛度の関連について 統合失調症患者の場合,妄想的観念の確信度と苦痛度の関連が見られた.認知行動モデ ルに基づいて推測すると,統合失調症患者の場合は,妄想的観念を本当だと思うと,苦痛 につながりやすい可能性がある.信念の確信の強さが,ネガティブな感情につながりやす い.思考と感情・行動を切り離せない現象を,Thought-Action Fusion と呼ぶ.Thought-Action Fusion は も と も と 強 迫 性 障 害 の 認 知 行 動 モ デ ル で 想 定 さ れ た メ カ ニ ズ ム で あ る . Thought-Action Fusion は, 「思考はコントロールできない」というメタ認知に基づいている. Thought-Action Fusion が強い場合,ネガティブな思考を強く確信すると,ネガティブな感情 につながりやすくなるだろう.妄想的観念の確信度と苦痛度の関連が強くなり,Figure 7-4 のような交互作用が想定される.今後は Thought-Action Fusion のような思考に対する信念が, 妄想的観念の確信度と苦痛度の関連の強さに及ぼす影響を,確認していく必要がある. 141 + 苦 痛 度 TAF低 TAF高 − 確信度低 確信度高 Figure 7-4 予測される Thought-Action Fusion(TAF) と確信度・苦痛度の関連 ③推論バイアスについて 妄想的観念を持ちやすい健常大学生の場合は,確信度を変化させた上で,早く判断を下 すと考えられる(研究 2).一方統合失調症患者の場合は,確信度を変化させずに,早く判 断を下す(研究 5)と考えられる.推論バイアスについては,この点が健常者と統合失調症 患者の質的に異なる点ではないだろうか.健常者の場合は,情報を検討し,確信度を変化 させた上で,判断を行っているが,統合失調症患者の場合には,情報を検討せず,確信度 を変化させずに判断のみを急いでしまうとも考えられる. このような決断を急ぐバイアスについては,まずは判断を遅らせる介入が有効であろう. 行動療法の技法を応用して,判断する前に待つことが出来れば,報酬によって強化してい く方法が有効かもしれない.また,仮説を仮説のまま保持させ,情報を集めて確信度を変 化させていく思考のプロセスを学習していく方法も有効である可能性がある.その際には, 142 考えられる選択肢を複数挙げることが重要であろう.最新の研究では,妄想患者は,対立 仮説や代替案(Alternatives)を複数挙げられないという思考のバイアスがあることが報告さ れている.対立仮説を挙げ,対立仮説がどのくらいの可能性があるかを慎重に検討させ, 代替案を検討していく思考法を学習していく方法が有効であるかもしれない.そのような 思考法を学習していく際には,問題解決訓練が応用できるだろう(D’ Zurilla, 1986). 臨床の事例報告では,妄想的観念を直接否定する方法は,かえって妄想的観念を強めて しまうことも報告されている(Watts et al., 1973).妄想的観念を直接否定せずに,対立仮説 を先に検討して,情報を収集し,間接的に妄想的観念を否定する方法が介入法としては有 効である可能性がある. (例:「私は狙われている」と考えている場合には,「私は狙われて いない」という対立仮説の可能性を,情報を集めて検討していく.) しかしながら,このようなトレーニングによって認知バイアスが変わるのかという疑問 もある.近年では,認知機能リハビリテーションによって,注意・記憶・実行機能などの 認知機能が,統合失調症患者において改善したという報告もある(Wykes & Reeder, 2005). 早急な結論判断バイアスを改善するトレーニング法を開発し,実際の効果をデータで検証 することが今後の課題であろう. ④妄想的観念による苦痛と対処行動について 大学生の場合には,逃避型対処行動が,妄想的観念の苦痛度の強さに影響していた.し かし,統合失調症患者では,妄想的観念の苦痛度の強さが,逃避型対処行動に影響してい た.これは,大学生と統合失調症患者で,対処行動の選択幅が異なっていたためである可 能性がある.大学生の場合は,妄想的観念による苦痛を感じたときに,逃避型以外の対処 行動を幅広く選択できるのではないだろうか.もしそうだとすれば,大学生の場合は,逃 143 避型対処行動を選択するかどうかが,苦痛の強さに影響を与えることになるのだろう.一 方統合失調症患者の場合,妄想的観念によって苦痛を感じたときには,逃避型対処行動を 取ることが多い可能性がある.そのため,苦痛の強さが,逃避型対処行動に影響を与える のだろう(Figure 7-5).このことから,発症前の妄想的観念の場合には,逃避型対処行動を 取らないようにすることが,苦痛の軽減につながり,予防に生かせる可能性がある.一方, 統合失調症患者の場合には,まずは休息などにより苦痛を軽減し,逃避型対処行動を取ら ないようにした上で,逃避以外の対処行動を取れるようにしていくことが必要である可能 性がある. 健常者(大学生) 統合失調症患者 逃避以外 苦痛 逃避以外 対処の 選択幅 苦痛 対処の 選択幅 逃避 逃避 Figure 7-5 健常者と統合失調症患者の対処行動と苦痛の関連パターンの違い 144 間接的な働きかけ それぞれの研究から得られた示唆をまとめると,以下のようになる. 介入のポイント 有効であると考えられる介入 ①心的占有度 (作業などに注意を向けて)思考に対する注意を逸らす ②確信度と苦痛度 思考に対する認知(メタ認知)への介入 ③推論バイアス 妄想そのものではなく,対立仮説を検討して,間接的に否定する. ④対処行動 逃避以外の対処行動の強化 本研究の結果から有効ではないかと示唆された介入法は,いずれも間接的な介入法であ る.妄想的観念の心的占有度を直接減らそうとするのではなく,作業などに注意を向けて, 間接的に心的占有度を減らしたり(①)妄想的観念の確信度を直接減らすのではなく,思 考に対するメタ認知に働きかけて,確信を持ったとしても苦痛につながりにくいようにし たり(②)するほうが,介入の際には有効なのかもしれない.統合失調症患者の場合は, 妄想的観念そのものを直接反駁したり,「考えないように」と制止したりする働きかけは, 有効ではない可能性も考えられる.逆に言えば,直接的なアプローチで認知や行動を修正 できないことが,病気か病気でないかを分ける分岐点なのかもしれない.今後の臨床研究 では,直接的な介入と間接的な介入のどちらが有効かを,実証データを元に検証していく 必要があるだろう. 急性期ではなく,慢性期 以上のような心理学的介入法は,急性期よりも慢性期のほうが,効果的であると考えら れる.急性期の幻覚妄想状態では,精神運動興奮が強く,まずは薬物療法と入院による外 145 的刺激からの隔離が必要である.言語的な介入も難しい.抗精神病薬を服薬し,急性期の 症状が落ち着いた慢性期では,陰性症状の改善とともに,言語的な介入が徐々に有効にな ってくる.慢性期で抗精神病薬を服薬していても妄想的観念による苦痛が強い場合には, 上に述べたような方法で,介入を行っていく必要があるだろう. 残された問題と今後の展望について 情報収集バイアスと確信度バイアスは,本当に妄想的観念の原因なのか? 本研究も含めて,これまでの研究では,「妄想的観念を持つ」群と「妄想的観念を持たな い」群のように,疾患や個人差要因で群分けしてから,その群に特徴的な認知過程を検出 するというパラダイムで,間接的に因果を推論していた.本来であれば,情報収集バイア スや確信度バイアスを持つ個人を長期間追跡調査し,発症リスクが高いことを示す必要が ある.そのためには,組織的に大規模な研究を年単位の長期間で行う必要がある. 情報収集バイアスと確信度バイアスの原因は何か? 先行研究では,取り出したビーズの数を提示していく条件(記憶補助条件)でも,妄想 患者の情報収集量は少ないままだった(Dudley et al., 1997).そのため,単純に記憶の障害 であるとは考えにくい.認知機能の中で推論バイアスと関連が深いと考えられるものは, 実行機能であろう.先行研究から,統合失調症患者には実行機能に障害があることが分か っている.実行機能の役割は,注意の配分や切り替えと想定されている.また,思考に対 するメタ認知も,実行機能に当たると考えられている.認知機能の中では,実行機能の障 害が考えられる中では最も可能性が高い原因ではないだろうか.また一方でパーソナリテ ィとの関係も近年の研究からは指摘されている(Colbert & Peters, 2002).あいまいな状況に 146 苦痛を感じる「あいまいさ不耐性」や「結論への志向性」などが,JTC の基盤にある可能性 も考えられる.また,衝動性との関連も考慮する必要があるだろう.いずれにせよ,この ようなパーソナリティの基盤には,実行機能の個人差が影響しているだろうし,脳機能の 個人差が基盤となっているだろう.今後は,どのような認知機能や脳機能が,JTC の基盤で あるかを,実証的なデータから検証していく必要があるだろう. 147 本研究の意義 妄想的観念の多次元アセスメントツールの開発 本論文の研究1と研究4では,妄想的観念を多次元的にアセスメントするために,日本 語版 PDI を作成した.そして,研究1では大学生,研究4では統合失調症患者を対象に, 信頼性と妥当性を検証し,確認した.PDI は,①妄想的観念を質問紙でアセスメントできる こと,②苦痛度・心的占有度・確信度の 3 つの次元から多次元的にアセスメントできるこ と,③欧米の研究でも数多く用いられていることなどの利点・長所がある.PDI の日本語版 を作成し,大学生と統合失調症患者の双方で信頼性・妥当性を検証した意義は大きい.PDI は,研究2のように,妄想的観念を持ちやすい健常者をスクリーニングする際にも用いる ことが出来る.また,研究3や研究6のように,大量データを収集し,多変量解析を用い た分析で,妄想的観念の維持要因を明らかにすることも出来る.PDI は,妄想的観念の発生・ 維持要因を調べる上でも重要なツールである.今後は,PDI を利用した大規模疫学調査や, 日本と欧米との比較研究などを行うことが出来るだろう.また,PDI を用いて,治療介入の 効果判定にも応用できるだろう. 妄想的観念の次元間の関連 本論文の研究1と研究4では,PDI を用いて妄想的観念を多次元的にアセスメントし,次 元間の関連を検討した.これまでの先行研究は,妄想的観念を多次元的にアセスメントし, 次元間の関連が低いことから,妄想的観念が多次元的であることは見出していた.しかし, どの次元がどの次元と関連があるのか,または,どの次元とどの次元の関連がないのかに ついては,未検討のままだった.本論文では,妄想的観念の次元間の関連パターンについ て検討した.そして,健常者の妄想的観念では,苦痛度と関連がある心的占有度,関連が 148 ない確信度という構造が明らかになった.妄想的観念が不適応につながらないようにする ためには,苦痛度を下げる必要がある.苦痛を下げるためには,確信度を下げるよりも, 心的占有度を下げ,考える時間を減らすようにする介入の方が有効である可能性も考えら れる.このように,次元間の関連が分かると,介入の際のターゲットを絞ることもできる だろう. 妄想的観念の発生に関わる認知バイアス 本論文の研究2と研究5では,妄想的観念の発生に関わる認知バイアスである,早急な 結論判断バイアスについて検討した.研究2では,妄想的観念を持ちやすい健常者を対象 に,研究5では,慢性期の統合失調症患者を対象に,それぞれベイズ確率推論課題を実施 し,バイアスの有無を検討した. 先行研究は急性期の入院患者を対象とした研究が多く,実験時点で妄想が「ある」患者 を対象とした研究がほとんどである.本論文の結果から,先行研究で今まで対象とされて いなかった被験者でも,早急な結論判断バイアスを持つことが分かった. 先行研究と研究2・研究5から,発症前,急性期,慢性期を通じて,情報収集バイアス が比較的安定して存在することが示唆された.これまでの研究は,「早急な結論判断バイア スを持つ人が,妄想的観念を持ちやすい」という仮説を直接検証していないという研究デ ザイン上の限界がある.このようなデザインでは,因果関係の推論は間接的にならざるを 得ない.今後は,早急な結論判断バイアスを持つ人が,妄想的観念を持ちやすいことを示 す研究や,妄想の発症リスクが高いことを示す研究が必要である.早急な結論判断バイア スが妄想的観念の原因であることが,実証データからも示されれば,ベイズ確率推論課題 を精神疾患の予防のためのスクリーニングテストとして応用することが出来る可能性もあ 149 るだろう. 妄想的観念による苦痛と対処行動 本論文の研究3と研究6では,妄想的観念による苦痛と,苦痛への対処行動の関連につ いて,逃避型対処行動に着目して検討した.研究3と研究6では,縦断調査と共分散構造 分析を用いて,より因果関係に踏み込んだ形で関係を検討した.研究3では,逃避型対処 行動が,妄想的観念による苦痛を強めるという仮説が支持された.これまでの先行研究は, 横断研究にとどまっていたため,縦断調査でも仮説を実証できた点で本研究の意義は大き い.また,健常者については,対処行動が,妄想的観念による苦痛に影響を与えるという 方向性にも間接的にではあるが言及できた.対処行動と心理的苦痛の方向性はこれまで双 方向に影響しあうと考えられていた.しかしながら健常者レベルの妄想的観念による苦痛 を扱う場合には,対処行動が心理的苦痛に影響を与えるという一定の方向性が示唆された. 一方統合失調症患者を対象とした研究6では,妄想的観念による苦痛が対処行動に影響を 与えるという健常者とは逆のパターンが示唆された.対処行動と心理的苦痛の関連パター ンの違いが,健常者と統合失調症患者の違いである可能性も考えられる.統合失調症患者 はそもそも母数自体が少なく,調査資源へのアクセスも容易ではない.そのため統合失調 症患者の大規模調査を行う際には非常にコストがかかる.本研究のサンプルサイズはまだ 十分なものとは言えないが,今後さらに大規模な調査を行っていく上での基礎資料となる だろう. 150 倫理的配慮 本研究では,健常者を対象とした研究を行うにあたっては,調査の際には氏名の記入を 求めず,参加意志を確認した上で調査を行った.また,調査の結果はフィードバックし, 希望者には面接や心理相談にも応じるように配慮した. 統合失調症患者を対象とした臨床研究を行うにあたって,東京大学医学部倫理委員会の 承認を得た上で,研究を行った.また,調査に当たっては,対象者にインフォームドコン セントを行い,同意を得た上で調査を実施した. 151 引用文献 American Psychiatric Association 4th edition. 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Delusions Inventory (PDI;Peters et al., 1999)を作成した。PDI は 40 項目の質問紙尺度で、妄想的観念の①体験数、 ②苦痛度(どのくらい苦しいか)、③心的占有度(どのくらいの頻度か)、④確信度(どの くらい本当だと思うか)の 4 つの次元を測定できる。日本語版 PDI の信頼性・妥当性を検 討するため、大学生 604 人を対象に調査を行った。日本語版 PDI は、内的一貫性、再検査 信頼性ともに高く、基準連関妥当性も十分であった。 妄想的観念の②苦痛度と、③心的占有度・④確信度の関係を調べるため、相関係数を算 出した。その結果、②苦痛度と③心的占有度の間に有意な相関が見られた。②苦痛度と④ 確信度の間の相関係数は有意ではなかった。②苦痛度を従属変数、③心的占有度と④確信 度を説明変数とする重回帰分析を行ったところ、③心的占有度から②苦痛度に有意な正の 影響が見られたが、④確信度から②苦痛度には正の影響は見られなかった。研究1の結果 から、健常者の妄想的観念では、苦痛度と心的占有度の間に正の関連があり、苦痛度と確 信度の間には正の関連がないことが分かった。健常者の妄想的観念では、確信度よりも心 的占有度のほうが、不適応に関連があることが示唆された。 研究2では、妄想的観念を持ちやすい健常者が、「早急な結論判断バイアス」を持つこと を確認した。先行研究では、妄想を持つ患者は、健常者と比べて、①少ない情報から②強 い確信度で判断を下す「早急な結論判断バイアス(Jumping to conclusion bias)」を持つこと が分かっている。 実験に先立って大学生に PDI を実施し、PDI 高得点群 16 名と PDI 低得点群 16 名をスク リーニングした上で、ベイズ確率推論課題(Garety & Hemsley, 1991)を実施した。ベイズ 確率推論課題は、①情報収集課題と②確信度評定課題から構成されている。①情報収集課 題では、PDI 得点高群の方が、PDI 得点低群よりも、判断までに取り出したビーズの数が有 意に少なかった。②確信度評定課題では、PDI 高得点群の方が、PDI 低得点群よりも、情報 収集初期の確信度が有意に強かった。研究2の結果から、妄想的観念を持ちやすい健常者 も、早急な結論判断バイアスを持つことが明らかになった。 研究3では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究 では、逃避型対処行動は妄想的観念による苦痛と正に相関することが示されている (Freeman et al., 2005)しかし、妄想的観念による苦痛と対処行動の間の影響の方向性が明 らかではない。研究3では、「逃避型対処行動が、妄想的観念の苦痛を強める」という仮説 を立て、縦断調査と共分散構造分析を用いて検証した。大学生 186 名を対象に、PDI 短縮版 (21 項目)とストレス対処質問紙(Lazarus & Folkman, 1980:64 項目)を、1 ヶ月間隔で 2 回実施した。縦断データのうち 1 回目のデータを道具的変数とし、2 回目のデータの変数間 で、双方向のパス係数を算出した。その結果、対処行動から苦痛へのパス係数が有意にな り、仮説が支持された。健常者では、逃避型対処行動が妄想的観念の苦痛を強めると示唆 された。 研究4では、統合失調症患者における PDI 短縮版の信頼性・妥当性を確認した。統合失 調症患者 86 名を対象に調査を行った。PDI 短縮版は、統合失調症患者に用いた場合でも内 的一貫性が高く、再検査信頼性も十分な値であった。妥当性を確認するために、症状評価 面接尺度の PANSS を実施した。PANSS の陽性症状得点、妄想関連項目得点と有意な正の相 関が見られた。陰性症状得点とは、有意な相関は見られず、PDI 短縮版が一定の妥当性を持 つことが確認された。 統合失調症患者の妄想的観念の②苦痛度・③心的占有度・④確信度の関係を調べるため、 妄想的観念を体験している統合失調症患者 77 名のデータについて、相関係数を算出した。 その結果、②苦痛度と③心的占有度の間に有意な相関が見られた。また、②苦痛度と④確 信度の間にも有意な相関が見られた。②苦痛度を従属変数、③心的占有度と④確信度を説 明変数とする重回帰分析を行ったところ、③心的占有度から②苦痛度に有意な正の影響が 見られた。また、④確信度から②苦痛度にも正の影響の傾向が見られた。研究4の結果か ら、統合失調症患者の妄想的観念では、苦痛度と心的占有度の間に正の関連があること、 確信度と苦痛度の間にも正の関連が見られることが分かった。 研究5では、慢性期の統合失調症患者が、早急な結論判断バイアスを持つことを確認し た。先行研究では、急性期の妄想患者が、早急な結論判断バイアスを持つことが分かって いる。研究5では、統合失調症患者 15 名、健常成人 20 名を対象に、ベイズ確率推論課題 を実施した。その結果、①情報収集課題では、統合失調症患者群の方が、健常者群よりも、 判断までに取り出したビーズの数が有意に少なかった。しかし、②確信度評定課題では、 情報収集初期の確信度に有意差は見られなかった。研究5の結果から、慢性期の統合失調 症患者は、情報収集バイアスを持つこと、確信度バイアスを持たないことが分かった。 研究6では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究 では、逃避型対処行動をとりやすい統合失調症患者は、幻覚・妄想の重症度が強いこと (Lysaker et al., 2004)が分かっている。しかし、対処行動と妄想的観念による苦痛の間の影 響の方向性が明らかではない。研究6では、研究 3 の結果を元に「逃避型対処行動が、妄 想的観念による苦痛を強める」という作業仮説を立てた。そして、縦断調査と共分散構造 分析を用いて、統合失調症患者と健常者で苦痛と対処の影響の方向性が同じかどうかを検 証した。統合失調症患者 43 名を対象に、PDI 短縮版とストレス対処質問紙を、1 ヶ月間隔 で 2 回実施した。道具的変数モデルによって、双方向の因果パス係数を算出した結果、統 合失調症患者では健常者とは逆に、妄想的観念による苦痛が、逃避型対処行動を強めるこ とが分かった。 4.第 1 部と第 2 部のまとめ 健常大学生と統合失調症患者の結果を比べて、一致した部分は、①心的占有度と苦痛度 に正の関連があること、②妄想的観念の発生に情報収集バイアスが影響していることの2 つであった。一致しなかった部分は、③健常者では確信度と苦痛度の正の関連が無かった が、統合失調症患者では正の関連があったこと、④妄想的観念を持ちやすい健常大学生は 確信度バイアスを持っていたが、慢性期の統合失調症患者は、確信度バイアスを持たなか ったこと、⑤妄想的観念を持ちやすい健常大学生は、情報収集中に確信度を変化させてい たが、慢性期の統合失調症患者は、確信度を変化させていなかったこと、⑥健常大学生で は、逃避型対処行動が苦痛を強めていたが、統合失調症患者では、苦痛が逃避型対処行動 を強めていたことの4つであった。 5.考察と臨床的示唆 統合失調症患者では、確信度と苦痛度の正の関連があった。思考の強さが苦痛感情に直 接つながることが、統合失調症患者の特徴であろう。統合失調症患者の場合は、思考をコ ントロールするメタ認知に働きかける必要があるだろう。また、統合失調症患者は、情報 収集の過程で確信度を変化させられるように働きかけていく必要があるだろう。決断を遅 らせ、対立仮説についての情報を集めて、確信度を変えていく介入が有効である可能性が ある。対処行動については、統合失調症患者は、対処行動が逃避に偏っているため、苦痛 が直接対処行動に影響している可能性が示唆された。統合失調症患者の妄想的観念に介入 する際には、間接的な介入が有効である可能性が示唆された。