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若者の宗教への関心とアイデンティティーの関係について JMJ から宗教
若者の宗教への関心とアイデンティティーの関係について JMJ から宗教の未来を考える 吉田 有友子 序論 宗教というものは、長きに亘り、人々の生活などの身近な場面から、国家間の政治関係 などの社会的な側面まで、実に幅広く我々と関わってきました。宗教が我々の生活に必要 不可欠な存在であることは明白であり、現代社会においては、宗教に対する我々の考え方 はかつてより、多様化してきていると言えます。 21世紀が「宗教の時代」と呼ばれる今、これからの社会に求められている宗教像がい ったいどのようなものかを問うことは、非常に重要だと思われます。そして、私はこの点 について、同じく近年注目されている若者とアイデンティティーの関係性から述べたいと 思います。 第一章 宗教への新たな関心 現代の若者と宗教との関係はだんだん薄れているように一般的には言われるこの頃です が、世界には宗教に新しい観点から注目し、集うイベントがあります。世界青年の日(World Youth Day=Journées mondiale de la jeunesse)です。このイベントは、まだ歴史は浅 く、1984 年に前教皇ヨハネ・パウロ二世が青年達に、翌年 1985 年の枝の主日(復活祭の 一週間前の日曜日・聖週間の初日となる重要な祝日)にローマに集まることを呼びかけた ことがきっかけで始まりました。85年は国連により、「世界青年の年」と宣言されてい た年で、当初5万人の参加と見込まれていたところ、60 カ国・30 万人もの若者達が教皇 のこの呼びかけに応じ、集まってきたのでした。若者達のこのパワーはすさまじく、それ 以後も毎年枝の主日には、毎年教区ごとに青年の日が行われ、二年ごとに世界規模の青年 の日が各地で開催されてきました。 イベントでは、毎回教皇から一つのテーマが与えられ、そのテーマについて、主にミサ やカテケージスと呼ばれる信仰教育、黙想、フェスティバルなどで考えを深めていくこと が目的です。ここで、明言しておきたいのは、世界青年の日は単なる若者のお祭りイベン トではない、ということです。このイベントでは、準備から結果に至るプロセスの中で、 若者達が心の実りを得ることができるような内容になっています。遠い国へこのイベント に参加するため、募金活動も行われており、実に 140 カ国もの国々から若者が集います。 そして、私が最も注目した点は、このイベントに参加するのはキリスト教の信徒だけで はないとう点です。このイベントの他宗教への開かれた姿勢は、今後の世界青年の日、今 後の世界における宗教のあり様にもつながっていくと私は考えます。この、民族・言語・ 文化・習慣・政治体制・経済などのあらゆる面での異質性を抱える国々の豊かな交流は、 21 世紀を支える若者達が重要視していかねばからない新しいギャザリングの形ではないで しょうか。 第二章 現代の若者を取り巻く諸問題 私たちの生きる現代社会は実に様々な困難にあふれています。近年、「アイデンティテ ィー(あるグループに属する人たちが共通に持っている)=同一性」という言葉が多々指 摘されるようになりましたが、その根幹にあるものとして、集団への帰属意識やそこでの 役割・メリットが注目されるようになりました。 身近に感じやすいものとして、現代の若者のファッションを見てみますと、何かパター ン化したものがあります。○○系、△△系 などと系統分けするのも、似たようなファッ ションをしている人に、何らかの親近感を抱きやすくしているのでしょう。ファッション だけでなく、私達は様々なカテゴリーを通して、同じ価値観や共通意識を無意識に他人と 共有しようとしているのです。 そして、特に最近になってこのことが指摘されるようになった理由は、現代社会のイン ターネットや、高速交通機関の発達によるグローバル化が飛躍的に進み、その反面で各国 の文化や民族意識の境界線が曖昧になってきたという事実が挙げられます。世界中の人々 が垣根を取り払い、交流を深めるのは、言うまでも無く素晴らしいことです。しかし、現 代の私達は自国についての深い知識のないままに、簡単に手に入ってしまう他国の知識を 取り入れている状態にあることが問題なのです。 アイデンティティーというものは極めて繊細なものです。今後、EUなど、国家間の統 合もますます加速していくでしょう。世界は更に境界線のない、「地球村」に近づいてい きます。アイデンティティーの欠落した私達は、自分の属す集団の文化だけでなく、自分 自身の存在価値さえも見失いかけてしまうのではないか、と危惧されています。 しかも、従来の世界観では考えもしなかったようなこの変化の最中で生まれ、育ってき た今の若者達は、とりわけアイデンティティーを失いやすくなっています。そこから、宗 教に新しい観点で注目し始めたのではないでしょうか。 現に、信仰の薄れが叫ばれる近年でも、信仰者が減ったのではなく、信仰の「中身」が 変わったとされる説があります。人格神を信仰する人の数は減少している一方で、「はっ きりとはわからないが、絶大的なもの、超自然的パワーの存在を信じる」という人は急増 しているようです。現代社会はあらゆる分野で自主性が尊重されており、宗教も例外では ありません。教団から教わる「真実」のみに従うのではなく、自ら生きる世界に主観的な 意味を与えるために、自分自身で信仰を作りあげるという新しいスタイルの信仰なのです。 個人が宗教を選べる時代になってきたと言えるでしょう。 そして、1970 年代から、いわゆる「宗教リバイバル現象」が起こり始めました。それ までは、科学の進歩に伴い、どんどん豊かになっていく社会が当たり前のように浸透して いましたが、物質面での豊かさだけが生活を幸せにするのではない、ということに人々が 気付き始めたのです。そして、物質的な豊かさや能率重視の合理主義の流れにばかり傾く ことに疑問を抱き始めた人々は、その対極にある神秘主義へ惹かれるようになったのです。 こころの豊かさを求める現代人に宗教は好まれました。そして、のちに新宗教、新新宗 教と呼ばれるようになる新しい宗教が次々に生まれていったのです。 第三章 今後の宗教のあり方 一人一人の生き方がグローバル化し、多様化してきた現代社会では、これまでの宗教で は人々を惹き付けられなくなってきました。その反面、「皆で共有できる精神的な何か」 が求められるようになり、宗教も時代とともにニーズに合った形に変化しなければならな くなりました。そこで、先に述べたJMJに見られるように、宗教そのものの価値を見直 し、様々な差異を超えて互いに共有できるものを追求する新しい宗教の形に今後需要が高 まってくると考えます。宗教が再び人々を魅了するものとして生まれかわる変化の時代が 始まっています。 しかし、宗教リバイバル現象は決して良い結果だけでなく、昨今世を脅かすイスラム原 理主義の過激化によるテロリストの活動や、一部の新新宗教やカルト宗教の集団による不 可解な行動などは、宗教の持つ危険な一面を覗かせています。若者がこのような事実から、 宗教に対し、危険・反社会的なものというイメージを持ち始めています。 私達はこのような宗教の二極化の最中に立たされています。そして、若い世代が今後の 宗教のあり方について考え、21世紀型の宗教の扉を開く第一人者となる必要があります。 そのために私が考えることは二つあります。一つは教育の改革です。現在の宗教教育は、 伝統ある主な諸宗教の歴史や習慣について触れる程度にとどまっていますが、それでは世 界の宗教のほんの一角を見たに過ぎず、自分の生きている社会との関連性にまで発想をつ なげていくことが難しい内容になっています。一歩離れた場所から宗教を傍観するのでは く、早期から宗教を社会と密接にとらえられる教育方法を模索していきたいところです。 二つ目は、宗教的に中立的な宗教を発展させることです。個々の宗教の優劣を語るので はなく、よりグローバルな視点で、宗教というものをとらえ、宗教と国家の分離を守りな がらも、国際的に受け入れられるプログラムを作ることが望まれます。 社会・国家的にも教育や学問の面で、公私両面で適切な宗教概念の養っていくことが重 要です。宗教の持つ、「異なるアイデンティティーを持つもの同士が互いに同じものを信 じる」というメリットを最大限に生かし、私達が新たなアイデンティティーを創出する基 盤として、宗教を視点を変えて見直していくことが寛容なのではないでしょうか。