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論文要旨・審査の要旨
学位論文の内容の要旨 論文提出者氏名 論文審査担当者 論 文 題 目 井藤 主 査 西川 徹 副 査 河原 和夫、中村 佳恵 桂子 Factors associated with mental well-being of homeless people in Japan (論文内容の要旨) <要旨> 目的:本研究は,本邦における生活困窮者の精神的健康度の分布とその関連要因を明らかにする ことを目的とした. 方法:東京都の2地区に在住する生活困窮者を対象として,聞き取りによるアンケート調査を行っ た.アンケートは社会人口統計学的要因と健康関連要因に関する質問項目で構成される.精神的 健康度の測度には日本語版World Health Organization-Five Well-being Index (WHO-5) を用い, 13点未満を精神的健康度不良と定義した. 結果:423人から調査協力の同意を得た.対象者の性別は男性392人(92.7%),女性31人(7.3%), 平均年齢±標準偏差は60.6±11.9歳であった.日本語版WHO-5に欠損値のない396人を解析対象と し,日本語版WHO-5の得点の平均±標準偏差は11.81±5.25,精神的健康度不良の出現頻度は57.1% であった.精神的健康度の関連要因を多重ロジスティック回帰分析を用いて検討した結果,主観 的健康感が不良であること,情緒的ソーシャルサポートが欠如していること,居所に屋根がない こと,疼痛があることが,生活困窮者の低い精神的健康度と有意に関連した. 結論:生活困窮者の精神的健康度の改善のためには,支援つき住宅,情緒的ソーシャルサポート, ヘルスケア・サービスを包括的に提供する介入が必要であることが示唆された. <緒言> 生活困窮者がしばしばメンタルヘルスの問題を抱えていることが指摘されている.しかしなが らこれまでの研究のほとんどは欧米諸国の生活困窮者を対象としており,アジア諸国の生活困窮 者のメンタルヘルスに関する研究報告としては,韓国と日本の報告がそれぞれ1報ずつあるのみ である.Hanら(2003)はソウル・釜山のシェルターを利用している生活困窮者433人を対象として 精神疾患の有病率調査を行い,生涯有病率は60%,調査時点の有病率は50%であったと報告してい る.森川ら(2011)は東京都池袋地区の路上生活者80人を対象として精神疾患の有病率調査行い, 有病率は62.5%と報告している.いずれの研究においても生活困窮者における精神疾患の併存率の 高さが指摘されている. 精神疾患有病率に関して生活困窮者(homeless)とホームレス状態になったことがない低所得 - 1 - 者とを比較すると,物質乱用を除けば DSM-Ⅳで定義される精神疾患それぞれの有病率には差がな い.生活困窮者では個々の精神症状の有無よりも,psychological distress(心理的苦痛)が重要 な意味をもつことが指摘されている(Toro, 1995).生活困窮がメンタルヘルスに与える影響を 考えるとき,精神疾患の有無をとらえるだけでは十分とは言えず,精神疾患の併存,診断基準を 満たさない閾値下の精神症状,生活困窮者が抱える問題のcomplexity(複雑さ)がメンタルヘル スに与える影響を考える必要があり,そのためにはより広い概念的枠組みが必要である. 近年,生活困窮者の研究ではQuality of life(QOL)の評価が重要であると考えられている. 生活困窮,特にその慢性化(Kertesz,2005),生活困窮と精神疾患の併存(Sun,2006)がQOLをよ り低下させることが報告されている. 精神的健康度はQOLとは極めて近い概念であると考えられている.Lawton(1983)はQOLを①行 動能力,②客観的環境,③精神的健康度,④自覚的なQOLの4つの要素から成るものと定義し,精 神的健康度こそがメンタルヘルスの主たる指標(criterion)であるとした.Diener(2009)は, 精神的健康度とは主観的QOLであると考えた.精神的健康度は精神症状や精神疾患の有無にとどま らないメンタルヘルスに関する広い概念であり,生活困窮者のメンタルヘルスを考える際に有用 であると考えられる.本邦の生活困窮者の精神的健康度に焦点を当てた報告はこれまでなされて いないため,今回われわれは生活困窮者の精神的健康度とその関連要因を明らかにすることを目 的として研究を行った. <方法> 対象 調査期間中に①調査地区において生活困窮者の支援を行っている NPO の支援を受けている者で, ②路上あるいは駅舎等,住居として使うことが意図されていない場所を居所としている者(路上 生活者,狭義の homeless),あるいは③シェルターや簡易宿泊所を利用していたり住宅支援を受 けている,路上生活に極めて近い状態にある者(marginally homeless)とした.文書および口頭 で研究の主旨,内容について説明し,同意が得られた 423 人を対象とした. 方法 調査地区は東京都山谷地区と池袋地区,調査期間は 2011 年 12 月 15 日から 2 月 28 日とした.生 活困窮者の支援を行っている NPO のスタッフ 10 名が対面式の聞き取り調査を実施した. 本研究は東京都健康長寿医療センター研究所倫理委員会の承認を得て行われた. 測度 アンケートは精神的健康度,社会人口統計学的要因,住居,健康関連要因に関する項目で構成さ れる.精神的健康度の測度には日本語版 World Health Organization-Five Well-Being Index (WHO-5-J)を用い,13 点未満を精神的健康度不良と定義した.社会人口統計学的要因として年齢, 性別,教育年数,婚姻状況,就労状況,生活保護または年金(障害年金,老齢年金,遺族年金) 受給の有無,月収,ソーシャルサポートを聴取した.居所については,最近 2 週間の主たる居所 を聴取した.健康関連要因として主観的健康感,既往歴,疼痛,視聴覚障害,歩行障害を聴取し た. 統計解析 統計解析にはPASW Statistics version 18 for Windows (SPSS, Chicago, IL, USA)を用いた.精 - 2 - 神的健康度の関連要因の検討は,単変量解析で有意な関連が認められたすべての項目を投入した 多変量ロジスティック回帰分析を変数増加法を用いて行った.有意水準はp>0.05とした. <結果> 基本属性 対象者 423 人の平均年齢±標準偏差=60.6±11.9 歳(範囲:20-95,中央値:62.0),男女比は男 性 392 人(92.7%),女性 31 人(7.3%)であった.対象者の 59.1%が中学校までの教育歴, 95.7% が現在独身,74.0%が就労しておらず,61.1%が生活保護水準以下の収入で暮らしており,20.3% が屋根のない場所を居所としていた.調査地区による違いが認められ,山谷地区の対象者との比 較において,池袋地区の対象者の方が年齢が若く,収入が少なく,屋根のない場所を居所として いる割合が大きかった. 精神的健康度の分布 WHO-5-J に欠損値のない 396 人(93.6%)を分析対象とした.WHO-5-J の平均±標準偏差=11.81± 5.35,13 点未満で定義される精神的健康度不良の出現頻度は 57.1%だった. 精神的健康度の関連要因 単変量解析では,年齢が高いこと(オッズ比[OR]= 1.75, 95%信頼区間[CI] = 1.15-2.66),就労 していないこと(OR=1.67, 95%CI=1.06-2.62),情緒的ソーシャルサポートが欠如していること (PSS1 : OR=1.91, 95%CI=1.27-2.89)(PSS2 : OR=2.14, 95%CI=1.39-3.30)(PSS3 : OR=2.35, 95%CI=1.55-3.55),手段的ソーシャルサポートが欠如していること(PSS4 : OR=1.60, 95% CI=1.04-2.46)(PSS5 : OR=1.88, 95% CI=1.25-2.82),居所に屋根がないこと(OR=2.38, 95%CI=1.39-4.07),主観的健康感が不良であること(OR=4.37, 95%CI=2.78-6.89),疼痛がある こと(OR=2.66, 95%CI=1.66-4.25),歩行障害があること(OR=2.01, 95%CI=1.32-3.05)が,精 神的健康度不良と有意に関連した.次に,変数増加法を用いて単変量解析で有意な関連が認めら れた項目をすべて投入した多重変量ロジスティック回帰分析を行った.主観的健康感が不良であ ること(OR=3.88, 95% CI=2.32–6.49),情緒的ソーシャルサポートが欠如していること(PSS3 : OR=2.77, 95%CI=1.70–4.49),居所に屋根がないこと(OR=2.70, 95%CI=1.47–4.97),疼痛がある こと(OR=1.96, 95%CI=1.12–3.42)が,生活困窮者の低い精神的健康度と有意に関連した. <考察> まず本研究における homeless の定義について説明する.ホームレスの定義は国によって異な り,また同じ国の中でも機関によって異なる定義が用いられている.厚生労働省が示すホームレ スの定義は「都市公園,河川,道路,駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営 んでいる者」である.しかしながらホームレスの語義は「住まいがない」ことであり,住まいが ないのは路上生活者に限られたことではない. Homeless の一般的な定義としてアメリカ合衆国 住宅都市開発省(United States Department of Housing and Urban Development, HUD)による 定義があり,HUD は路上生活者だけでなく住む場所を失うリスクが高い,住居が不安定な者を homeless と定義している.本研究では HUD の定義を用い,本稿原題の homeless の邦訳は「生活 困窮者」とした. 本研究対象者の精神的健康度不良の出現頻度は 57.1%であった.これは大都市在住高齢者を対象 として行った調査(井藤,2012)における精神的健康度不良の出現頻度の約 2 倍にあたる.対象 - 3 - 者の年齢分布は異なるが,生活困窮者の精神的健康度不良の出現頻度は非常に高いことが示唆さ れる. 本研究によって生活困窮者の精神的健康度不良には①主観的健康感の不良,②情緒的ソーシャ ルサポートの欠如,③居所に屋根がないこと,④疼痛があること,の 4 要因が関連することが明 らかになった.これらの要因は大都市在住高齢者の精神的健康度の関連要因を検討した先行研究 (井藤,2012)の結果と類似している.先行研究において精神的健康度と情緒的ソーシャルサポ ートの欠如,健康状態の不良との強い関連が示され,生活困窮者ではここにさらに住居の問題が 加わることが示された.生活困窮者では老化が早く実年齢より 10~20 歳年をとっていること (Cohen,1988),50 歳以上の生活困窮者が抱える健康問題や社会的孤立は高齢者が抱えている問 題に類似していること(Gelberg,1990)等,生活困窮者と高齢者のニーズが共通することが指摘さ れている.これらのことから,生活困窮者が抱える問題は彼らに特有の問題なのではなく,高齢 者が抱える問題でもあると考えられる.よって本研究から得られた知見は生活困窮者の支援だけ ではなく,広く高齢者に対する支援体制の構築に対する示唆を含み得る. 単に住居を与えるだけでは生活困窮者の精神的健康度は改善しない(Hwang 2011).ケースマネ ージメントから食事の提供まで多岐にわたる支援を包括的に提供する体制によって安定した住居 の確保や健康状態の改善が得られるのであり(Fitzpatric-Lewis 2011),また,包括的な支援に よって生活困窮者に限られない社会的弱者のメンタルヘルスケアが改善する可能性が指摘されて いる(Priebe 2012). <結論> 支援つき住宅,情緒的ソーシャルサポート,ヘルスケア・サービスを包括的に提供する介入によ って生活困窮者の精神的健康度が向上する可能性が示唆される. - 4 - 論文審査の要旨および担当者 報 告 番 号 論文審査担当者 甲 第 4718 号 井藤 主 査 西川 徹 副 査 河原 和夫、中村 佳恵 桂子 (論文審査の要旨) 生活困窮者(ホームレス:homeless)の多くがメンタルヘルスの問題を抱えていることが指摘 されながら、我が国では、実態や対策に資する関連要因の分析を行った研究はほとんどなかった。 ホームレス状態になったことがない低所得者と比較すると、精神疾患の有病率は、物質乱用を除 き、両群で差がないことから、精神症状の有無よりも心理的苦痛がメンタルヘルスにおいて重要 な意味をもつと推測されている。そこで申請者らは,本邦で初めて、生活困窮者の精神的健康度 の分布とその関連要因を検討した。その成果を報告した本論文は、ホームレスのQOL向上に繫がる 重要なデータおよび指摘を含み、社会医学的に高い価値をもつと考えられる。 本研究は、東京都健康長寿医療センター研究所倫理委員会の承認を得て行われ、東京都の2地区 に在住するホームレスで,聞き取りによるアンケート調査を進める本研究への参加に対する同意 が得られた423名を対象とした。ホームレスは、アメリカ合衆国住宅都市開発省の定義にしたがい、 路上生活者だけでなく、住居が不安定な者を含めた。アンケートは社会人口統計学的要因と健康 関連要因に関する質問項目から構成され.精神的健康度の計量には日本語版World Health Organization-Five Well-being Index (WHO-5) を用い,13点未満を精神的健康度不良とした.日 本語版WHO-5に欠損値のない396名からの回答では,精神的健康度不良の出現頻度は57.1%であっ た.精神的健康度の関連要因を多重ロジスティック回帰分析により検討し,主観的健康感が不良 であること,情緒的ソーシャルサポートが欠如していること,居所に屋根がないこと,疼痛があ ることが,生活困窮者の低い精神的健康度と有意に関連することがわかった. 以上の結果から、ホームレスでは精神的健康度不良の出現頻度が高く、本研究と同じく東京都 に在住する高齢者を対象とした調査のおよそ2倍におよぶことが明らかになった。また、精神的健 康度不良の要因分析より、その改善のためには,支援つき住宅,情緒的ソーシャルサポート,ヘ ルスケア・サービスを包括的に提供する介入が必要であることが示唆された。このように、本研 究の成果は、ホームレスの精神的健康を障害する因子と改善方法を見出した点で高く評価され、 今後、行政の施策への活用が期待される。