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2013 年度 月3倫理Ⅱ(高橋教官) シケプリ
2013 年度 月3倫理Ⅱ(高橋教官) シケプリ こんにちはわたなべです。授業の内容を詳しくまとめたシケプリはユータイサク web と か、さんななのホームページの昔のやつで素晴らしいのがあるので、それをみてもら ったほうがわかりやすいと思います。たくさん種類があるけど、どれも書いてあること はだいたい同じです。個人的におすすめは、ももいろトロツキーさん?のやつです。 このシケプリでは講義で毎回配られている資料の簡単な要約やまとめをのせます。 過去シケプリにはなかった資料もあったので、一度目を通すことをおすすめします! あと、過去の先輩方のシケプリは量が多いので、それらをもっと簡単にしてほんとに 要所だけをまとめておいたので、一夜漬けの人はこれみてがんばってください! <試験について> テストは「全体的な問題」がでるそうです。論述で一問です。この講義は「赦しとは」と いうテーマなので、赦しについてそれぞれ考えたことを書くと良いそうですが、それは 難しいので、授業で取り上げた資料や主張への批判でも良い、みたいなことを先生が 言ってました。プリントがほしいひとはコピーするので言ってください。1 月 20 日の授 業までで、㉑まであるはずです。補講の分はまた後日あげます。 テーマ「赦し」 「赦し」(forgiveness) ≠許し(permission) 「赦し」は可能か不可能か?可能ならどのように可能なのか、不可能ならそれはなぜ か?→「正解のない問い」 赦し=キリスト教的 資料①ハンナ・アレント 『人間の条件』 古代ギリシャ以来格上とされてきた「観想 theoria」に対し、「実践 praxis」を重視 労働(labor) 生きるための生産・労働 代替・予言・遡行可 Totalitarianism 仕事(work) モノの製作 活動(action) words&deeds(言葉と行為)=人間的活動 ⇒政治(politics)の基礎 実践(praxis) action により他人に認められる⇒存在の確認 公的空間での action こそ「政治 politics」⇒政治を重視 ex)アテネの民主政治 ※活動は plurality(多数性)を本質的に持つ →一人では赦せない・赦されない=他者との関わりが不可欠 ・ action の二つの弱点 ①不可逆性 irreversibility ②不可予言(予見不可能)性 unpredictability →相手が人であるため ➡挫折・虚無が付きまとう ★救済策 remedy ①不可逆性→「赦し」の能力、過去志向(↔「復讐」) ※「罰」は赦しの代替物 ②不可予言性→「約束」を守る能力、未来志向 「赦し」=過去の行為に関するもの:過去の行為の「罪 sins」は、「ダモクレスの剣 (非常に危ういリスク)」として、すべての新しい世代の上にぶら下がっている。 赦し・約束⇒Action の一種が action の弱点を救う ・「赦し」と「ナザレのイエス」 action の世界における「赦し」 ←「ナザレのイエス」考案 世俗的レベルで考えるに値すると彼女は考えた(×宗教的) イエスの教え: ①「神だけが赦しの力を持つのではない」 ②「赦しの力は神から来るのではない」 →「人間が神に赦されることを臨むのならば、まず人間がお互い同士を赦し合わなけ ればならない。人間が互いに赦し合うなら、神も同様に赦すであろう」 ⇨「赦しは義務」 ∵「彼ら(=人間)は自分のなすことを知らない」 ⇒極端な犯罪と意図的な悪には適用されない ハンナ・アレント…赦しの教えの普遍的(非特定宗教)意味を論じる。イエスの教えは 公的・政治的場面で意味を持つ。人間的に理解できない意図的な悪は赦されない。 罰せられない。 ◎先生の疑問 アレントは理解・共感できないために赦すことができないといったが、赦しが悪をゆる すことなら、その悪が理解・共感できるのなら、すぐに解決してしまう ←理解・共感できないからこそ、赦しが必要なのでは 資料②ハンナ・アレント『全体主義の起原 The Origins of Totalitarianism』 全体主義 totalitarianism (ex.ナチズム Nazism、スターリン主義 Stalinism) 「人類史には法則があり、滅びるべき者がいる。」 ナチズム:ユダヤ人 スターリン主義:ブルジョワ階級(↔プロレタリア階級) 『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 アイヒマンの有罪(死刑)を支持=罰≠赦し (∴政治における服従=支持) 応報刑論の観点から処罰(ヨサル・ロガト)←アレントは異議を唱える 資料③④ウラジミール・ジャンケレヴィッチについて ジャンケレヴィッチ:フランスで対ナチスのレジスタンスに参加していたユダヤ人 赦しの全能性を認める ←アレントとは異なる 『われわれは許し乞う言葉を聞いたか』(資料④) ナチスの犯罪=”the imprescriptible”(時効不可能) 忘却には意志がない←赦しには意志(言葉と行為)があるべき ・時効は忘却を法的・公的に規範化・正統化させる ・犯罪の忘却が生じるのは軽薄な心のせいである ⇒時間の経過は赦しではない ルサンチマン的に覚えている ・フランスへの批判 フランス人は 1945 年には占領軍(ドイツ)と和解したかのように なってしまっていた ⇒フランス人は忘れてしまったのでは? (ハイデガー批判) ・ドイツに対する批判 ドイツ人=「罪を悔いない」国民 独国家は謝罪してない ホロコーストは理解できない罪であり深刻な断絶が生じる ⇒深刻であればあるほど赦しは求められる 赦しの条件 ①赦しをえるためには赦しを乞う必要がある。 ②罪人が一定の苦しみをうけていること ③犯罪の性質 (理解しえない罪)「赦しは絶滅キャンプで死んだ」 ④犠牲者本人のみ赦す権利 第三者(国や政治家、生き残りの人々)は赦し得ない カール・ヤスパース Karl Jaspers『戦争の罪を問う』(資料⑤) ドイツ:自分も含めて罪を認める人々もあるが、自分は罪はないが、他の人たちには 罪があると説くような人が多い 「われわれドイツ人には、われわれの罪という問題をはっきりと洞察し、そこから当然 の帰結を引き出すという義務が一人一人に課せられている。それはわれわれの人間 としての尊厳によって生ずる義務である。」 自己へ問いかける問題 「4つの罪」 ①刑法上の罪(審判者:裁判所):「勝者の裁き」ともいわれる。自然法と国際法の中 で公平な裁判であるかが問題 ②政治上の罪(審判者:「戦勝国の権力と意志」):為政者の行為において成立し、私 が或る国家の公民たる地位においてこの罪が成立(※唯一集団上の罪) ★政治は結果主義であるから、支持した人々皆が罰を受けるとき、支持していない人 もはびこらせた点において罪を負う ③道徳上の罪(審判者:「自己の良心・身近な人々との精神的な交流」):私のすべて の行為について私は道徳的な責任がある。命令されてもやったことは罪となる。情状 酌量があっても罪は罪 ④形而上的な罪(審判者:「神だけである」):神に御前において後ろめたさを感じる。 ③との違いは自らが「罪」を犯しているかどうか。④は罪を犯していない。 「集団」(国家や人類)と「個人」の関係 1.集団→個人(刑法上の罪) 2.集団→集団(政治上の罪) 3.個人→個人(道徳上の罪) 4.神→個人(形而上の罪) (神→集団?) アレントは当初、ホロコーストを赦すことも罰することもできないとした。(∵動機が分 からない、理解できない) ⇨エルサレムのアイヒマン裁判で上図の1は可能だと考え るようになった。 赦される側の条件 奥野修司『心にナイフを忍ばせて』(資料⑥) ジャンケルヴィッチ:赦しに値するのは「悲嘆と見放された状態」にある場合だけ 殺人を犯した加害者⇒少年法の適用年齢であったため処罰されず 被害者遺族⇒心に深い傷 家庭崩壊に陥りかけ、非常に苦しい時期を過ごす ⇒犯人の元少年が犯罪歴を隠して別の土地に移り住み、弁護士として活躍して地 元の名士として成功 ←少年法の観点から見れば犯人は無事更生=成功例 ⇔犯人は被害者遺族に一度も謝罪したこともなく、賠償金も支払っていない 遺族は彼を赦すことが出来ない(彼が成功しているため?) ☆このように、この赦しの条件はある程度の妥当性を持っている ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 (資料⑦⑧) ・ゾシマ長老の話(資料⑦) 「悲嘆と見放された状態」でないとしても赦しは成り立ちうるのか? ゾシマ:民衆からもあがめられている高徳の人物 長老の下に、社交界の名士(過去に殺人を犯す)が訪れる。彼は有力者であって、皆 からも尊敬され、裕福な慈善家として知られていた。隠ぺい工作の結果召使が冤罪 のまま処刑されることになり、彼が法的に訴追されることはなくなった。 彼は良心の呵責からゾシマに過去の罪を告白し、民衆にもこの事実を告白しようと する。しかし妻子が絶望することを恐れて、なかなか告白することはできなかった。最 終的には彼は告白し死ぬ。 彼は、確かに社会的には成功者であり、その意味では「悲嘆と見放された状態」には なかった。しかし、内面では長きにわたって良心の呵責に苦しみ、「悲嘆と見放された 状態」にあったと考えられる。 ☆このことから、ジャンケルヴィッチが唱えるように経済的な次元に限定しなければ、 「悲嘆と見放された状態」というのは、赦しの条件として妥当しうるのかもしれない。 ⇔ただ、このケースはむしろ、条件①の赦しを乞うことに近いかも。もちろん彼は殺 してしまった被害者本人から赦しを得ることはできない(条件④)。代わりに彼は罪を 悔悛している。 ★赦しの条件の再整理 赦しの条件は、結局お金でも、相手の社会的な地位でもなく、相手が赦しを乞うてい るか否かなのではないか?「何も反省していない人」には赦しを与えることはできず、 そのような人に赦しを与えるのはむしろ不道徳 ・第三者の問題(資料⑧) アリョーシャとイワンの赦しに関する議論 将軍が子供に犬をけしかけ、母親の目の前で食い殺させた事件 イワン: 母親が将軍に対して赦せる権利を持つのは、自分自身が受けた苦しみ(息 子の残虐な死にざまを見せつけられたこと)に対してのみ。殺された息子の分を代わ りに赦してやることはできない。 ⇒被害者本人しか加害者に対して赦しを与えることはできない ※唯一例外的に赦しを与えることが出来る存在について言及=キリスト ☆取り返しのつかない罪を犯し、その罪を心の底から悔いても、被害者本人から赦し を得るのは不可能。それでも生きていくために、人は神、すなわち被害者に代わって 赦しを与えてくれる究極の第三者を求めるのである。 ★被害者が赦す以前の神の赦しはありうるか? 被害者は犯人が自分に対して赦しを乞い、そのうえで自分が赦しを与えるのでなけ れば納得できない ⇔犯人としては、被害者本人から赦しを得ることはできないから神に赦しを乞い、赦し を得た⇒神による赦しとは何なのかは、未だ判然としていない。 犯罪の性質と赦し 磯谷利恵さんの事件(資料⑩) 若い女性が三人の男性に惨殺された事件 日本では一人殺しても死刑にはならないが、手口の残酷さから遺族が死刑を求めて 闘っている。残酷さ、すなわち犯罪の性質のために赦しが不可能になり、しかし近代 刑法のもとでは個人的な報復は赦されないから処罰、極刑が求められている。 て ★同害報復の法理 カント:“jus talionis”「タリオの法」という考え方⇒要は「目には目を、歯には歯を」 私的な報復を認めてしまうと、目には目をにならず、過剰な復讐がなされてしまう →私的な報復を禁じる代わりに方が報復を果たすカント曰く、これ以外に正義はあり 得ない この法理は一見正しいように見えるが明らかに限界がある ∴同害報復を徹底した場合に、滑稽、実現不可能でありうる 同害報復が、どの程度までなら適用できるのかは興味深い 『ジャンケレヴィッチとウィアード・ラベリングの往復書簡』(資料⑪) ウィアード・ラベリング:ドイツ人。ホロコースト後の世代だが、ジャンケレヴィッチにドイ ツの過去の犯罪への悔悛の念を表明。しかし、ラベリングの卑下するコメントはジャン ケレヴィッチへの皮肉とも。 ジャンケレヴィッチ:ラベリングのような、ナチスの行為を十分に引き受け、かつそれ とはまったく関係のない人からの言葉を待っていたと述べる。しかし、「赦しは不可能」 ※書簡中に一度も「赦し」という言葉が出てこないことには注意が必要。 <集団-集団の赦し> ・ジャック・シラク仏大統領演説 1995年7月16日(資料⑫) 過ぎ去らない過去はドイツにとってはナチス、フランスにとってはヴィシー政権である。 ヴィシー政権は反共和政、「自由・平等・博愛」を否定した「家族・労働・祖国」の保守 政権であり、今までのフランス共和国政府・大統領は責任を認めてこなかった。 初めて認めたのがジャック・シラク大統領(任 1995~2007)。 シラクの演説の背景にはジャンケレヴィッチの思想がある。 「彼らに時効にできない負債(dette imprescriptible)を負っている」 ・リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー独連邦大統領演説『荒れ野の四〇年』(資料⑬) ★ヨーロッパ最大のユダヤ人地区ワルシャワ・ゲットーのワルシャワ・ゲットー記念 碑(ユダヤ人蜂起を後世に残す)に 1970 年、ブラントがドイツ首相として訪問 過去の克服がこれをきっかけに始まる。ユダヤ人を迫害した罪を乗り越えること。 ☆赦しを求めるという言葉はなくただ哀悼の意を示しただけ。 ・ローマン・ヘルツォーク独大統領演説@ワルシャワ 1994年8月1日(資料⑭) ベルリンの壁が崩壊、東西ドイツの統一がもう実現。ワルシャワ蜂起50周年記念 にドイツ大統領が招待されたとき:史上初の「赦しを乞う」というフレーズがでる。 「私はドイツ人によって皆さん方になされたことについて、赦しを乞います。」 ・ヨハネス・ラウ独大統領声明@ベルリン 1999年12月17日(資料⑭裏) 東西ドイツは統一され、東ドイツの独裁政権崩壊。それを機に東ドイツの大戦中の強 制労働被害者が補償を求めて訴えを起こした。ドイツ政府は企業と財団を設立し、少 額ではあるものの補償を行った。 「私は今日、ドイツの支配下で奴隷労働と強制労働を強いられたすべての人々に 思いをいたし、ドイツ国民の名において赦しを乞います。」 重要なのは、お金での解決ができないと認めた上で加害責任を認め、彼らが被害者 であることを公的に認めたこと。 ・ヨハネス・ラウ独大統領演説@イェルサレム 2000年2月16日(資料⑮) 「第三者性」が興味深い。ドイツ大統領もイスラエルも第三者。 イスラエルはユダヤ人の被害者の代表となれるか? →代表が赦せば赦しは成立するか?→儀式としての赦し ×個人レベル 第三者に赦しで傷つく人もいる ・シュレーダー独首相の露紙への寄稿 2005年(資料⑮裏) 「ドイツ人の名において、ロシアその他の民族が(ナチスの侵略で)受けた苦難への許 しを請いたい」 ☆政治的な「赦し」の意味 法的政治的なモノに「第三者性」は不可避 ジャンケレヴィッチ:「赦し」は加害者・被害者の二者間にのみ通用 →法的政治的なもの(恩赦、元首のスピーチ)は成り立たない 政治的行為は法によって正当化されるが「赦し」は成り立たない ドイツが心から悔悛(repentance)し罪を償おうとしない限り赦せない ◎近年の和解 reconciliation の風潮 国内の和解 ex.)フランス人とユダヤ人、アパルトヘイト後の「国民和解委員会」 「国民和解委員会」:デズモンド・ツツ Desmond Tu Tu 委員長の活躍によって、被害者 の不満も ジャック・デリダ『世紀と赦し』 (資料⑯) ジャック・デリダ: ジャンケレヴィッチの講義をきく 赦し:限界・尺度・加減がない 法律とは異質 アブラハム宗教の遺産 国家元首らによる赦しを乞う発言←アブラハム的言葉遣いによる 交換の論理がある:改悛などの条件付赦し=economical 「ジャンケレヴィッチの議論についていきかねる」 条件付きの赦しと無条件の赦しは相いれない デリダ:赦しは現実的には政治・経済的 ←批判的検証が必要 ➡その材料として、概念としての「無条件の赦し」 償い・贖いなど対価を払う赦し➡無条件の赦しとは?? <信仰と赦し> アーミッシュ:アメリカでキリスト教再洗礼派に深く帰依し、機械文明を拒否して共同 生活を営んでいる集団 (資料⑰) アーミッシュ共同体にある学校に、男が乱入し、銃を乱射、その後自殺するという事 件が発生した。この銃乱射襲撃事件の後、アーミッシュによる赦しが行われ、全米の 注目が向けられることとなった。 アーミッシュは犯人の未亡人と遺児も事件の被害者であると考え、心の中で赦しを行 った。 →犯人の埋葬に多くのアーミッシュが参列・アーミッシュから遺族への金銭的な支援 「神に赦されるためには彼らを赦さなければならない」という信仰に基づく ★ポイント ①犯人が自殺している もし犯人が生きていて、その上で赦しを乞うことをしなかっ たなら? ②誰が誰を赦したのか? よく見てみると、被害者遺族が、加害者遺族に対して赦しを与えているだけでは? ③すべてのアーミッシュが赦しているのか? コリー・テン・ブーン『Love your enemy』 (資料⑲) 父はオランダでユダヤ人を匿っており、ばれて姉妹は強制収容所に連行された。姉 ベツィーはなくなったが、収容中にコリーに赦しの精神を説いていた。後コリーはドイ ツミュンヘンで講演会を行うが、そこに当時彼女らを迫害していた親衛隊員が参加し ていた。彼女は公演中に「 赦しの精神」を説き、「私たちが自分の罪を告白するなら、 神はそれを海の底に沈め、二度と取り上げない」と語る。これを聞き親衛隊員は、彼 女に対して握手を求めてきた(迫害していた相手とは気づいていない)。彼はキリスト 教に入信し、すでに神からの赦しを得ていたが、ホロコーストの被害者本人からの赦 しを乞うてきたのである。 「神は人が赦しを乞うものを赦すことで、その人にも赦しを与える」 →彼女も親衛隊 員を赦そうとした⇒「I could not forgive」 握手に応じられない。 そんな中でも何とか赦そうと手を差し出そうとした彼女に不思議な感覚が訪れ、彼女 は親衛隊員を心から赦した ”I forgive you, brother!” I cried. ”With all my heart.” ★赦しとは感情ではなく、意志によって行う行為 人間同士赦し合うことで初めて神の赦しが成される。自分に対して悪を行う最中の相 手を赦さねばならない 鈴木怜子『すべては神様のプログラム』 (資料⑱) 著者:日本YWCAYoung Women's Christian Association の会長。 朝鮮長老教会の神社参拝決議…1940年代、仏教キリスト教諸団体を国策に協力さ せる動き。日本基督教団、朝鮮長老教会に神社参拝を「強要」。しかし、キリスト教信 仰を「否定はしていない。」朱基徹(チュ・キチョル)牧師(殉教死)の孫と偶然出会い、 彼女から「赦される」 (あくまで孫としての赦し) 韓国人クリスチャンの彼女が日本で神社を参拝⇒天の?声「赦しなさい」 ⇒ヤスバースのどの赦しなのか?話を聞く(理解)うえでの赦し≠無条件の赦し」 キリスト教的赦しとは→無条件の赦し(?) 佐賀・西鉄バス乗っ取り事件 (資料⑳) 事件概要:17歳少年が高速バスを乗っ取り、乗客を切り付け一人を殺害 被害者の女性の一人:切られている最中に少年を赦していたといえるのでは。 ※無条件の赦しではない。 ①相手が少年である。 ②こんな所まで追い詰められているのだから、何か彼にあったに違いない(彼女の 息子の経験から) →少年法の趣旨を尊重する立場 一方で「自らを傷つける者を愛す」というキリストの教えにあっている。 ユゴー『レ・ミゼラブル』 (資料㉑) ジャン・バルジャン:司教の家から銀食器を盗む→司教はそれを赦し味方だと告げる ジャン・バルジャンは赦しを乞うていない⇔窃盗という法的な罪に加え、司教を裏切 るという倫理的な罪も赦している→これは無条件の赦しか? ※彼が善人となることを“条件に”赦している、とも考えられる。 <まとめ・最後に> ★復讐・罰・赦し 第一に、個人―個人、集団―集団、個人―集団の間に、赦しの対象となるようなもの、 「害」が生じる。その害に対する反応 ①復讐 revenge これが最も natural な自動的な反応である、とアレントは述べるが復讐の中では報復 の連鎖が生まれてしまう。(→近代社会における私罰の禁止) ②罰 punishment 復讐の連鎖を止める行為の一つ。罪にふさわしい罰を与えることで応報的正義をか なえる。カントは同害復讐(タリオの法)を支持した。 ∴最も理性的であり、これ以外に明確な基準はないから ⇔現実問題として同害復讐は可能だろうか?与えた“行為”ではなく、与えた“苦痛” と同じ“苦痛”を与える、と解釈 ③赦し fogiveness 罰を科さずかつ復讐の連鎖を止める行為。 赦す“権利”を持つ=復讐や刑罰を科す“追求する権利”を放棄する権利を持つ ★「赦し」には似ているけれども違うもの 1,法的な赦し ⅰ時効・・・法的な責任の追及の権利が放棄される。公訴権の消失。 ⅱ恩赦・・・国家元首がその人の一部の罰を減少させる ⅲTRC・・・Truth and Reconciliation Commission 2,忘却 時間と共に記憶が薄れてしまうことが忘却であるが、記憶が薄れたからといって赦し は意味しない。赦しは単なる時間の問題ではなく意思の問題である。ジャンケレヴィ ッチは、時効を与えることによって忘却すること、忘却と共に法的な赦しを与えようと していることに抗議。 整理した表(2011年のシケプリからそのままぱくってきたやつです) 以上です!! お勉強がんばろう!訂正・ミスあれば教えてください。だめだめシケタイですみません でした。