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リーフレット
第 回企画 95
山本太郎展
桜川/隅田川
古典
休館=日曜(四月十八日を除く)
・四月二十九日〜五月五日
二〇一〇年四月十二日㈪〜五月十五日㈯ 開館=月曜〜土曜 午前九時〜午後五時 入場無料
関連イベント=四月十七日㈯ 午後三時〜 作家による作品解説 午後四時十五分頃〜 原智彦パフォーマンス(ともに会場内)
四月十八日㈰ 午後二時三十分〜三時三十分 囃子・曽和尚靖(能楽 幸流 小鼓方)×山本太郎( 0705教室)
ニッポン画百花繚乱
〜絵師・山本太郎のあれやこれや
〒466-8666 名古屋市昭和区八事本町 101-2(名古屋キャンパス4号館1階)
(名古屋市営地下鉄名城線・鶴舞線〈八事〉駅下車、北改札口経由5番出口直結)
TEL:052-835-5669 URL:http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html
澤木政輝(毎日新聞学芸部)
出会いは衝撃的だった。
を使い、緑青、群青、黄土、代赭、朱といった古来の顔料を用いた、ホ
山本太郎 Taro Yamamoto
ンモノの「伝統絵画」である。ウケ狙いの伊達や酔狂ではなく、腰の据
1974 熊本県生まれ
わった確信犯なのだ。
また、発想こそ斬新で、奇想天外なインパクトを与えるが、デフォル
メ、クローズアップ、トリミングという構図手法、たらし込みや金碧、
描表装といった技法、本歌取りや象徴化という主題設定は、いずれも琳
何かの媒体で、
「白梅点字ブロック図屏風」
を目にしたのである。実は、 派の絵描きが代々受け継いできたエッセンスと言える。伝統的なツール
それが雑誌だったかテレビだったか、またそれがどういう趣旨の記事だ
にこだわりながら、現実に目を背けず、描くべきテーマを現代社会に求
ったか番組だったか、全く覚えていないのだが…。網膜から飛び込んで
めることこそがニッポン画の真骨頂。そんな姿勢を見るにつけ、私は、
きた像の衝撃は、今も鮮明に脳裏にある。
山本こそが琳派の正当な後継者である、とさえ言いたくなるのである。
「そう来たか!」と思った。大学で能楽部に所属していた私は、人並
琳派的要素をいかんなく発揮したのが、先に挙げた山本の代表作であ
み外れて能に淫してきたのだが、これだけ鮮烈に、能のエッセンスを現
る「白梅点字ブロック図屏風」であった。たらし込みを用い、複雑に折
代にえぐり出したものに出会ったことはない。作者の山本太郎なる人物
れ曲がった白梅の枝は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を彷彿させるし、
が、ほぼ同じ時期に、同じ京都で、別の大学の能楽部にいた男だと知っ
画面左端に袖先と杖だけがのぞく弱法師は、対象の象徴化を見事に果た
て、私は軽い嫉妬を覚えた。その思いは、押し掛け取材を敢行し、人と
している。一直線に伸びた点字ブロックが行き留まる丁字の先に白梅が
なりを知るに及んだ今も余り変わらない。しかし、その人間的な魅力に
枝を伸ばす構図は、写生の概念から言えば「あり得ない」光景である
はすっかりやられてしまうし、その作品世界にはグイグイ惹きつけられ
が、盲人が心眼で梅見を楽しむという主題を極めてスマートに表した
てしまった。山本太郎の美術史上の評価は専門家の先生方にお願いする
上、我々が目指すべき成熟した社会の優しさをも示唆するものだ。また、
として、身を憂き草の瓦版屋としてはこの際、山本太郎という絵描きの
弱法師の傍らに佇立する電信柱は、能舞台の橋懸かりと本舞台の境界に
面白さを世間様に喧伝するのがお役目というものであろうかと思う。
立つシテ柱をイメージさせ、屏風によって切り取られた画面の外に、観
初めて山本太郎に接して、大方の人がまず奇異に思うのが「ニッポン
世元雅作の能「弱法師」の世界が広がる。具現化された画面にとどまら
画」なるその作品の呼称であろう。そもそも「日本画」とは、単に日本
ず、深遠な物語世界を具えていることも、山本の描く虚実綯い交ぜの世
で描かれる絵のことではなく、西洋の絵画に伍する近代的な絵画とし
界の大きな魅力であると言えるだろう。
て、明治期に造り出された美術概念なのだそうな。つまり、雪舟も永徳
山本の原点には、カーネル・サンダースを描いて日本ケンタッキー・
も、宗達も応挙も、みんな「日本画」ではないのである。山本太郎はそ
フライド・チキン社に買い上げられた「ニッポン画K松翁図屏風」や、
の「日本画」が成立する以前の、日本の伝統的絵画様式を用いて、現代
雷神を往年のアニメロボットに置き換えた「風神ライディーン図」に代
日本の世相や風俗を描き取ることを業とし、その作風に山本一流の諧謔
表されるように、パロディ的な着想を先行させた作品群があるが、画歴
を込めて名付けたのが「ニッポン画」というわけだ。実際、昭和初期の
を追っていくと、動機を後追いする形で思想を深化させていった経緯が
町家に住まい、茶を点じ、香を薫いて、謡を謡う暮らしぶりを見ても、 窺える。例えば、未来的なフォルムのスポーツカーがもうもうたる排気
ちょっと派手な柄行きの着流しにスニーカーで闊歩するかぶいた風情
ガスをあげる「黒煙」や、渡辺始興の「吉野山図屏風」を思わせる山に
にしても、画家というより絵師と呼びたくなる佇まいが山本の魅力でも
舗装道路が渦巻く「今山水図」は、環境破壊への風刺という視点が盛り
ある。
込まれたものだ。電柱やフェンスに蔓を絡ませた一連の「朝顔図屏風」
作品の特徴はパッと見で微笑を誘うような面白さにもあるが、よくよ
は、有名な利休居士の逸話を想起させる一方で、一見無機質に思われる
く見れば、
本人が「ニッポン独自の笑いである『諧謔』を持った絵画ナリ」 現代の街角にも、目の付けよう次第で、潤いや粋が見出せることを喝破
と称するように、意外性であったり、皮肉であったり、モジリ、モドキ、 するものであろう。
パロディ、風刺といった要素がちりばめられていることに気付かされ
次々と新たな芸風を開拓し、進化し続けてきた「ニッポン画」の今後
る。それは技法こそ「ニッポン」臭いものの、20世紀後半のアメリカ
の展開だが、山本太郎は目下、さらに物語世界に分け入ろうとしている
を席巻したポップアートに一脈通じるものだ。アンディ・ウォーホルが
らしい。「白梅点字ブロック図屏風」に次いで能を題材とした「 青 敷 秋
キャンベル・スープの缶やドル紙幣に大量生産と消費社会、自由平等主
草図屏風」は、セイタカアワダチソウ生い茂るブルーシートハウスに水
義のアメリカ社会を描き取ったのに対し、山本太郎は電柱と松竹梅、丹
衣を羽織った老女が佇む、現代の「卒都婆小町」であった。今回の展覧
頂鶴とクリスマスツリーが同居する風景に、土俗的風習と先端科学をこ
会では、
「桜川」と「隅田川」の能に取材した作品が目玉になるという。
き混ぜ、和洋折衷で融通無碍な現代ニッポンを投影するのである。
ともに愛児と生き別れ、狂女となって行方を尋ね歩く母の物語である。
尊いのは、山本の描く絵が単なる装飾絵画やポンチ絵に堕していない
ことだ。何となれば山本の絵は「伝統絵画風」ではなく、上質な金銀箔
ブルーシート
季節はともに春。満開の桜や風に揉まれる枝垂れ柳の下、我が子恋しさ
に狂う女の修羅を山本太郎がどう描くのか。刮目して待ちたい。
参考図版① 「白梅点字ブロック図屏風」2006年 撮影:上野則宏 第一生命保険相互会社蔵
1999 ニッポン画を提唱
2000 京都造形芸術大学美術学科日本画コース卒業
主な個展
1999「ニッポン画」複眼ギャラリー(大阪)
2001「天晴レ日本°」日下画廊(大阪)
2002「市中の庵—米村庵」複眼ギャラリー(大阪)
2003「両A面展—火鳥風月/動食彩絵」立体ギャラリー射手座
(京都)
/
「ニッポン画大全」
Pepper's Gallery(東京)
/
「平成美人画曼荼羅」美容室マンダラ(京都)
2004「住吉ニッポン画詣」ストリートギャラリー(神戸)/「涅槃?—NIRVANA?—」
Pepper's Loft Gallery(東京)
2005「Who's clothes?—誰ケ袖—」立体ギャラリー射手座(京都)/
「銀の波・金の星」
銀の波・ひかり蔵(金沢)
2006「ヒーロー来迎 HERO Ray GO!」ギャラリーレイ
(名古屋)/
「日本°画屏風祭」立
体ギャラリー射手座他京都市内9会場/「水泡の恋 —長谷雄草子より—」ニュー
トロン(京都)
2007「ビューティフルニッポン」ストリートギャラリー(神戸)/
「誰ソ彼日本°」銀の
波箔座(金沢)
、元麻布ギャラリー TOYAMA(富山)
2008 イムラアートギャラリー(京都)
/
「風刺花伝」高島屋(京都・新宿)
2009「山本太郎展 ~ニッポン画物見遊山~ 」美術館「えき」KYOTO(京都)
主なグループ展
1993「1人展× 5」画廊喫茶ブラウン(熊本)
ブルーシート
参考図版② 「青
敷 秋草図屏風」2008年
参考 謡曲「桜川」
「隅田川」について
「桜川」と「隅田川」はともに謡曲の物語。同じような筋立てなのに
結末が違う、いわばパラレルワールドのような作品。
どちらの物語とも、子供と離ればなれになってしまった母親が、幼
子を捜してはるばる旅をしている。「桜川」では母親は日向国から常陸
国、「隅田川」では都から武蔵国に旅をして、それぞれの川にたどり着
く。物語の季節はどちらも春。
「桜川」では狂女となった母親が川に散った桜の花びらを網ですくっ
ている。その姿を見物するために地元の僧侶とお供の子供がやってく
る。はたしてその子供こそが実子、桜子であった。親子は桜舞い散る
なか再会を果たす。
「隅田川」でも同じように母親は遠く隅田川までやってくる。川向こ
うで誰かの念仏供養をしているようなので、所の人(船頭)に訪ねる
と「一年前の今日、人買いに連れられて来た子供が川岸で亡くなった
のでそれの供養」だという。それこそ幼い我が子であった。供養のた
め母親が念仏を唱えていると我が子の姿が現れる。しかしそれは抱き
たくても抱けない、近寄りたくても近寄れない幽霊なのであった。
1997「タブララサ展」四条ギャラリー(京都)
2000「MIXEDUP」複眼ギャラリー(大阪)
/
「私が描く21世紀の美術館展」スペースレ
インボー(熊本)
2002「DISCOVERIES-GROUP 1」フローレンスリンチギャラリー(ニューヨーク)
2003「日本画は死んだか?」浮遊代理店(奈良)
/
「みつば展」よつばカフェ(奈良)
2004「京都府美術工芸新鋭選抜展 2004—新しい波—」京都府京都文化博物館(京都)
/
「小さな古い家のために」複眼ギャラリー(大阪)
、大野邸(奈良)
2005「ニュートロンに初詣」ニュートロン(京都)/
「日本画ジャック」京都府京都文
化博物館(京都)
、アナザームーブメント(金沢)
2006「二人の太郎は同じ初夢を見るか?」ニュートロン(京都)
/
「砂の女と現代の美術」
京都芸術センター(京都)/「キラキラジェネレーション」ギャラリーレイ(名古屋)
/「混沌から躍り出る星たち2006」ギャラリーオーブ(京都)、スパイラルガーデ
ン(東京)/「ニッポンvs美術」大阪市立近代美術館(仮称)
・心斎橋展示室(大阪)
2007「VOCA 2007—新しい平面の作家たち—」上野の森美術館(東京)/「日本画滅
亡論展」中京大学 C・スクエア(名古屋)/「美術のボケ展」海岸通ギャラリー
CASO(大阪)
/
「RANGA—現代蘭画—」フォーエバー現代美術館(秋田)
2008「日本画の精華—江戸から現代まで」富山県水墨美術館(富山)
2009「子どもびじゅつかん 日本画探検 ~古い絵と新しい絵~」板橋区立美術館(東京)
/
「九州ゆかりの日本画家たち」熊本市現代美術館(熊本)
受賞歴
1999「第四回昭和シェル石油現代美術賞」入選
2000「フィリップモリスアートアワード2000」入選
2007「VOCA 2007」VOCA賞
その他
2007 横須賀市制100周年記念シンボル事業「YOKOSUKA 国際交流フェスタ」/ Y’s
COUNTRY WORLDにて舞台に紅白幔幕図を展示(よこすか芸術劇場・神奈川県)
2007 新作狂言「狂言なんかこわくない」演出・脚本・出演:わかぎゑふ 出演:茂山
正邦 茂山童司 茂山あきら 舞台のトラップに紅白幔幕図を原画に使用(沖縄・
大阪・滋賀 3会場巡回)
コレクション
京都造形芸術大学/日本ケンタッキー ・フライド・チキン株式会社/第一生命保険相互
会社/株式会社東北新社
作家ホームページ
http://www.h7.dion.ne.jp/~nipponga/
「櫻子」2009年 紙本着色 29.7×21cm 撮影:豊永和明
協力:イムラアートギャラリー
「桜川」2008年 紙本金地着色銀彩 66×145cm
「隅田川桜川」2010年 紙本着色燻銀彩 二曲一双 169×167cm(各)
個人蔵
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