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『19世紀学研究』 (新潟大学) 第1号
ISSN 1882-7578 革命 とハ ビ トゥス 一一メー ヌ・ ド 0ビ ランの 『習慣論』 とフランス・ スピリ チュア リズムの伝統 香 田 芳 樹 19世 紀 学研 究 第 1号 (2008年 3月 )抜 刷 19世 紀学学会 019世 紀学研究所 革命 とハビトゥス 一―メー ヌ・ド・ビランの『習慣論』とフランス・スピリチュアリ ズムの伝統 香 田 芳 樹 西田幾多郎は晩年 のエ ッセー 『フランス哲学 についての感想』 (昭 和 11年 )で メーヌ・ ド・ビ lそ こで彼 は、 ビ ラ ンが ロ ックの経験論や コンデ ィ ラ ンの習慣論 との 出会 い を述懐 して い る。 ヤ ックの感覚論 に影響 を受けなが らも、独 自に主意主義的、理想主義的な立場か ら習慣 を捉 え 「普通 は、哲学的に重要 な役 目を 直 した ことを評価 して い る。注 目すべ きは習慣 とい うような、 有つ とは考へ られない」現象が、 フランスのサ ン・ アンチ ーム (sens intime)一 ― これを西田 は「内奥感」 と訳 してい る一一 の哲学 を ドイツ観念論やイギ リス経験論か ら区別 す る重要な指 標 となって い るとい う西 田の指摘である。確 かにフラ ンス哲学史 にお いて習慣 は重要 な役割 を 担 って きた。習慣論 を記 したラヴ ェ ッソ ンや、習慣 を道徳 の起源 としたベ ルクソンはす でに古 典的評価 を受けて い るが、 現代 で も反復 の心理学的な意義 を追究 した ドウルーズや、社会学的 視点か らハ ビ トゥス を階層形成 の重要な要因 とみたブルデ ュー はフラ ンス習慣論 の連続 した理 論的基盤 の上 に立 つ。 もちろん彼 ら以前 にもモ ンテーニュやデカル トの優 れた習慣理解があっ たことを忘れてはな らない。彼 らに共通するのは、当た り前 であ りなが ら日常生活 を支配 して い る法則 に対す る深 い洞察 で あ った。それは、 フラ ンス語 のサ ン (感 覚 )が 英語 のセ ンス とも ドイツ語のジ ンとも違 う意味 をもって い るところに現れて い る と西田は言 う。サ ンが概念体系 に とらわれな い、「直覚的な物 の見方考へ 方」 を可能に して い ることを見て とった彼 の慧眼は 一― 自身は主題化す ることはなか ったが一― 習慣論 の本質 を正確 に看破 して い る。 日常世界 とス ピ リチ ュアル な精神世界 との境界 をか き消 した り、浮か び上が らせた りす るのが習慣 で あ ることをビランは直覚的に捉 え、その機能を解明す ることで二つの世界 の共立的な構造 を解明 しよ う とした。以下 では彼 の習慣論 を紹介 し、 この思索が フランス革命 とい う時代 とその学的 状況 と密接 に関連 して い ることを論 じる。 l西 田幾多郎全集 岩波書店 211113年 、第 7巻 312-315頁 。西田は特にビランを敬愛 し、当時留学中の山内 得 立に著作 (特 に習慣論)が 入手で きないかたびたび打診 している。西田のビランヘ の傾倒は、「思想が共鳴 するところがあって面白い」 こと以外に、彼の「 日記にあらはれた人物J像 に対する共感 もあったようであ る。参考 :大 正10年 1月 29日 付書簡 [533]全 集 第20巻 4頁 。 64 19世 紀学研究 1 メーヌ・ ド・ ビランと彼 の時代 1.1 意志の哲学者 1799年 10月 6日 、フラ ンス学士院の 国立道徳政治科学研究所 (Linstitut n江 lonal des Sciences morales et politiqucs)は 、 「思考 の働 きにお よぼす習慣 の影響が どの よ うなもので あるか明 らか にせ よ、 すなわち、 同 じ行為 の繰 り返 しがわれわれの知的機能 のそれぞれにひ きお こす効果 を 説明せ よ」 とい う題 目で懸賞論文 を募集 した。結果的に受賞作 はなかったが、メー ヌ・ ド・ ビ ラ ンの応募論文は高 い評価 を受けた。習慣 に関す る懸賞問題 は一年半後 の1801年 4月 6日 にも 再 び出され、彼 は前回の論文 に大幅に手 を加 えて再度応募 した。応募作 は全 部 で 7編 、 これを カバニス、ガ ンゲネ、 レヴェエ ル・ ルポ、 ドノウ、デステュ ッ ト・ ド・ トラシか らなる委員会 が審査 し、全会一致でメー ヌ・ ド・ ビラ ンの受賞 を決めた。 1802年 7月 6日 の ことで ある。選 考委員 を代表 してデス トゥット・ ド・ トラシは、「本書 は畑眼鋭 く、微細 で深 い観察に満ちて い る。著者 は学識 と才能 の豊か さを証明 し、主題 を大 い に照 らし、科学 に新たな進歩 をもた らす のに大 い に能力がある」とビランを絶賛 した。賞金 は1500フ ラ ンと金 メダルだった。2な にゆえ 研究所が三 度にわたって同 じ問題 を世 に問 うたのかは不明で あるが、第一 回 目で ビ ラ ンの論文 がすでに注 目を集めた ことは疑 いがない。研究所 はおそ らくこの気鋭の哲学者が さらに洞察 を 深 めることを期待 したのであろ う。そ してまた これは習慣論 の確 立が学会 にとって焦眉 の課題 であったことを物語 っている。 論文は委員会 の薦め もあって受賞直後 に印刷 された。 これは1841年 にクーザ ンの編集によっ て fEuvers philosophiques dc Maine de Biranと して出版 され、さらに1922年 にティセラン編 の 全集 に入れ られた。西 田が読む ことので きたのはこの版 で ある。 メーヌ・ ド・ ビラ ンは自己の精神 をフラ ンス革命 との対峙にお いて形成 した といって も過言 ではない。生前彼 は哲学者 として よ りもむ しろ行政官、政 治家 として著名だったが、 これは彼 が混迷を極めた時代 と正面か ら向き合わざるをえなかったか らにはかならない。彼 は ポ agis, ie veux,donc ie suis≪ (わ れ行為す、われ意志す、ゆえにわれ在 り)と い う言葉 によって「意 志の哲学者」 とされる。人間の行動 の根底に意志をみて、それが人間に自由を保障すると考え た哲学者は政治的転覆には失望 したが、自由の精神が思考のアンシャン・ レジームを粉砕する ことには期待 をいだいた。アカデミズムか ら距離をおいた市井の哲学者 とい う彼 のライフスタ イルは、彼に形而上学的な思考スタイルをゆるさなかった。1823年 の 日記に彼は、 「だか ら、私 たちの生 きる通常の世界 に降 りてい く哲学者が必要なのだ」と書 いている。3そ れは抽象思考が 造 りだしたあらゆる ドクサか ら解 き放たれた 〈 私〉が、現に生 きる世界のあ りふれた体験をま ず記述できる哲学を構築す ることであった。 par Picnc TIsscrand(以 後 Tと 表 記 し巻 数 を ラ テ ン数字 で 表記 す る。)TOm ル ルαbj′ ″ル s′ ′たヵ c″ セ ル ρ′ ′Sι r),PanS 1922,pp I― III本 論 で は 『習慣 論』 と表記 す る。 `″ Manc dc Bilan:力 α′ ,6dion lntcgrale publi6c par Hcnn Gouhier,Ncuchatel 1954 57,v3,p209 :村 松正隆 れ とその ““ メーヌ・ ・ビ ン C17ν ι な ル Mα j″ ι″ Bj″ ″,cdtte Ⅱ,卸 ″ Cι : (現 〉 秩序 ド ラ 研究 東信堂 2007年 、4頁 以下参照。 革命とハビ トゥス 65 メーヌ・ ド・ ビラ ンが近衛兵 として ヴェルサイユ宮 で国王一家 を護 り負傷 した ことは有 名 で ある。 この時 ビラ ン22歳 。 もっ とも多感な時期 に彼 は政 治的ア ンシ ャ ン・ レジームが崩壊す る の を目の当た りに したのであ る。彼 はモ ンテスキ ュー 的理想であ る憲法制 定に理解 を示 した が、王政の廃上 を望んだわけではない。む しろ極端 を嫌 い 中道 を行 く立憲王政論者だった。彼 が革命後 しば らくはパ リに留 まったの も目下の混乱 も遠か らず 王権 の もとに沈静化 す ると考 え たか らであろ う。 しか し期待 とは裏腹 に、 1791年 ミラボーが急死 し、 ジロン ド派が国民公会で 発言権 を失 う と、代 わって山岳派 に代表 される急進的主張が幅を利かす よ うになる。 1792年 第 一次恐怖政治 の頂点 をなす「九月虐殺」が起 こると、 ビラ ンはパ リを離れ故郷 に戻る決心 をす る。パ リを遠 く離れた故郷 ベ ルジュ ラックで思索 に耽 りなが ら、 ビラ ンはル イ16世 と彼 の妻 マ リー・ ア ン トワネ ッ トの処刑 について 聞 き、 マ ラーの暗殺、 ダ ン トン、 ロベス ピェールの処刑 の報 を受けたのである。 ロベス ピェー ルの失脚後、中央政府 は1795年 に彼 を ドル ドーニュ県 の 行政官 に任命す る。 これが彼 と政界 との最初 のつ なが りとなった。その後総統政府 の五百人会 議 の代表 に選ばれてパ リに出るが、97年 のクー デターで解任 され再 び故郷 に帰 る。その総裁政 府 は99年 ナポ レオン 。ボナパ ル トのブリュメール十八 日のクー デターで瓦解 してい る。その後 ビ ラ ンは1800年 か ら故郷の市議会議員、02年 県議会議員、05年 県知事顧間、06年 ベ ルジュ ラッ ク郡長 と政治家 としての道 を歩み始める。 しか し彼 に とってこ うした人生行路 は必ず しも本意 ではなかった。彼 はむ しろパ リに留 まって哲学者 として生計 を立てる ことを望み、 ソルボ ンヌ 大学哲学科のポ ス トを友人 の推挙 を得 て手 に入れ よ う とす るが、ナポ レオンの反対 に遭 い諦め ざるを得 なかった ことがわかって い る。4彼 に哲学の思 い止みがた くしたのはフランス学士院 の懸賞論文である。それは ビラ ンにとって、 いってみれば遠 ざかる哲学者へ の夢 を繋 ぎとめる 淡 い希望 で あ ったのか もしれない。 1798年 の「観念 の形成 の及 ぼす記号 の影響」 とい う課題 に 答 える ことはで きなかったが、 しか し翌99年 に出された「思考の働 きにお よぼす習ll■ の影響が どの よ うな もので あるか明 らかにせ よ」には論文 を完成 させ応募 して い る。先 に述 べた よ うに、 結果的に この論文 は受賞 とはな らなかったが、 ビラ ンの哲学的思索 の 出発点 となる もの となっ た。 1.2 フランス革命以降の科学 フランス革命 はその 自由の精神 を先行する人文主義 (フ マ ニスム)か ら学んだが、政治的イ デオ ロギーが高邁 な古典復興の精神 を受け継 いで真 の精神 の 自由を勝ちえたか とい う と、 これ は疑 わ しい。それ どころか指導者間の疑心暗鬼や権力闘争 は恐怖政治かアナー キズ ム とい う、 自由 とは似て も似 つ かない下等 な政治形態 しか生みださなかった。メーヌ ・ ド・ ビラ ンが暴力 や善意、悪意 とい った内的状態が人間を内側か ら支配 す る過程 を解 き明か した い と考 えた の は、革命後 の混沌 とした政治状況 と関係がある。そ のことは彼 の次 の言葉 にも表れているので 4 Charlcs― Manc Do五 mond dc F61etz宛 の 1808年 の 手紙 を参 照 。 (T vI)Gcrhard Funkcl Mα j″ ′ ル β′ ′ αη j,sc力 ′ jsc/1ι P力 7Jο s9ρ 力 76ο 力 ′ S″ れ グρο′ sD′ ″たι ″∂ッ 17 66 19世 紀 学 研究 ″A″ c′ ι ″R′gj″ ι″′グB′ rgarお■jgrlz″ j′ Frα η 々r`jcll,Bonn 1947,S はないだろ うか。 「嫌悪や怒 りの感情 はそれ 自体悲 しい。善意は心地 よ く、本能や初期体験 はわれわれにそ の感情 をもっと広 げ、 さらに別の善意 を求め させ る。 しか し逆 にこれ とは別 に、時 として 嫌悪 にある種 の喜 びを起 こさせ る社会的人為 的習慣 もある。教育上の偏見や、時には理性 で さえも人を断罪 した り憎 んだ りす る悲 しい義務 をわれわれに課 した り、同情や不寛容の 罪 を犯 させ る。た とえ初めの悪 感情が酷 くとも、 ある種 の本能がそ こか ら善意 を発展 させ れば、反省や義務や、時には復讐心です ら一段落す るだろ うに」5 彼 の生 きたのは、理性、義務、 習慣 といった人間の在 り方 自体 に疑問符が付 された時代だった ので ある。 「 自由」が人間の本 質 に関わる問題 として意識 されたのは16世 紀 で ある。宗教革命 はそれを信 仰 の 自由 と、人文主義 は人 間性 の解放 と理解 し従来のカ トリックの教条主義 と鋭 く対立 した。 こ うした 自由をめ ぐる抗争 の歴 史は詰 まる ところ、理性 の 自由な行使 に正当性 を与 えるための 闘争 だった といえるだろ う。 18世 紀 はそれゆえ理性の時代 の幕開けを告げた といえる。 あ らゆ る極桔か ら精神 を解放す る理性 はやがて武器 となる。宗教改革期か らすでにイデオ ロギー化 し た自由精神が政治的暴力 と化す ことは しば しば見 られたが、 18世 紀 フランスで も理想 は暴力 に 踏みに じられた。 18世 紀 フランスの哲学 にはこ う した政治的 ラジカリズ ム と対決 しつつ、 もう一 度確 固 とした 人間の定義 を見 つ けだそ う とす るものだった とい える。 ロ ックやヒュームのイギ リス経験主義 の流れを汲んで コンデ ィヤ ック (1715-1780)が 感覚論 を完成 させてい たが、革命後 のフランス 思想界 は彼 の思想か ら出発 した。6彼 らの多 くはナポ レオ ンによって「イデオローグJと 名 づ け られ、不毛な哲学論議 を尊ぶ輩 として攻撃 された。 またラロ ミギエー ル (1756-1837)の よ うに コンデ ィヤ ックの愛弟子 なが ら、人間に内在す る精神 の力 を主張 して、 師の機械的感覚論 を批 判 した哲学者 も現れた。 こ う した「唯心論」 とも訳 される精神主義 (ス ピ リテュ アリスム)は その後のラヴ ェ ッソンやベ ルグソンヘ とつ なが るフランス近代哲学の原型 をつ くったが、それ は同時に L.Cl.サ ン =マ ル タ ン (1743-1803)の 神智学や FA.メ スメル (1734-1815)の メスメ リズ ムゃ動物磁気説 として心霊 学的な底流 をなす こととなった。医学の分野では X.ビ シャが 組織論 を書 き、人体組織 に内在す る生命特性 (prOpd6t6s宙 tales)を 提唱 し、生気 論 (vitalism) と呼ばれる思想の先駆 け となった こと もこ う した思潮 の上で理解 されるべ きである。革命後 の 思想的風景はそれゆえ形而上学、唯物論、唯心論、感覚論、経験論、生気論、神秘思想が渾然 と混 ざ り合 って奇妙 な風景 を織 りな して いた。メーヌ 。ド・ ビラ ンはこ う した状 況下 で習慣 を 論 じたので ある。本稿では特 に コンディヤ ックやデステュ ッ ト・ ド・ トラシの「感覚論」「記号 5TH,p230,(1) 。 当時 コ ン デ ィ ヤ ッ ク の 影響 を受 け て 書 か れ た著作 と し て、 c_F Volncyの Caたた″s“ ′グ″cわ y′ ″′αζ αお′ 物ο″″′(17991802),G6randoの Sjg″ as(1799),P (1793),R Caballisの Rクρροrぉ 動 ρ″ Si9′ ′′′励 ″ο″′ル ′ jο Laromiguittcの レ s Sa4sα ′ ″∫′ ′′ ι δjグ ルs(1800),Lancclinの 1/1/70グ 〃C′ ブ ο″ a′ 物″αFlls′ グ′ s sι j′ れ σ′ S(1800),A Dcstu■ dc Tracyの E′ ′ηぉどidゼ 0あ g′ ι(180115)な どが 挙 げ られ る。Funkc(1947),p23参 照。 `“ 革命とハビ トゥス 67 論」 と、ビシャの「生理学」 が ビラ ンの習慣論 に与 えた影響 を考察 して い きたい。 1.3 コンデ ィヤ ックと トラシの記号論 ビラ ンの 『習ll■ 論』が懸賞論文 として書かれ た もので ある ことは、 この著作 の性格 を決定 し て い る。つ ま りそれは習慣 一般 につ いての哲学 ではな く、「習慣 が知性活動 に どの よ うな影響 を与 えるのか」 とい う問 い に対する答 えなので あ る。その意 味 で ビラ ンには、知性論 にもとづ いて習慣 の構造 を分析せ ざるをえない制約があ った。そ してここで い う知性論 とは感覚分析 の 上 に築 かれた「記号論」のことである。そのことはこの著作 の構成 を見れば明 らかである。 第一 部 受動的習慣 感覚へ の習慣 の影響。持続的感覚 と反復 的感覚 第一章 I.持 続的、 または反復的感覚 の弱 ま り方 についての推測 Ⅱ.反 復 によって変質する印象 とは何か Ⅲ 弱体化す るとき刺激的印象 が必要 になる こと 知覚へ の習慣 の影響。反復的知覚。 それが よ り明確 になる こと 第二章 I.反 復的感覚 の弱体化。明確化 の第一 原因 Ⅱ 器官 における運動の簡易化 と精級化。第二 原因 Ⅲ.中 枢器官 での運動 と印象 の連合。第三の原因 連合的知覚 とそ こか ら帰結す る習慣 の諸判断 第三章 I 同時性 によって連合 された知覚 Ⅱ.継 続す る順 序 によって連合 された知覚 Ⅲ.習 慣的印象 と観念 の比 較。そ こか ら引 き出される判断 感覚的であ り想像 に固有 な習慣 第四章 第二 部 能動的習慣 第一章 人為的記号 と諸 印象 の連合。記憶 とその異種 の基礎 づ け 第二章 経験 について。機械的記憶 の習慣 について 第三章 経験 について。 感性 的記憶 につい て 第四章 経験 について。表象的記憶 について。 この習慣 を形成する適切 な手段 の指示 第五 章 言語習慣 あるい は同 じ語 の頻繁 な繰 り返 しが まず どの ように実在 についてのわれわ れの判断を基礎 づ け るのか。 さらにわれわれが概念や観念 に関 して もつ ことがで き るものをどの よ うに変 えるのか 第六章 承前。判断に続 くものの反復と論理 の操作 と方法 へ の習慣 の影響 第七章 結論 ビラ ンは「習慣 と知性」 の関係 を「記号」「感覚」「EΠ 象」「知覚」「記憶」 といったキー ワー ドで解明 しようとした。 ここか ら彼が、懸賞論文 の 出題者であるフラ ンス学士院を多分 に意識 60 19世 紀学研究 して い ることがわかる。なぜ な ら審査委員の主査 は当代 きっての記号論者デステ ュ ッ ト・ ド・ トラシだったか らである。デステ ュ ット・ ド・ トラシは コンデ ィヤ ックの正 統的後継者であ り、 感覚論者であった。 コンデ ィヤ ック同様彼 は知 の根拠 を感覚 とした。なぜ な ら、何 もの も知 ら れることな く認識 され得 ない し、その知 ることの もっとも単純 な形式が感覚だか らである。感 覚 か ら出発 して観念の形成、知へ の統合過程 を分解 してみることが、人間の知的活動 を解 明す る とい うことなので ある。7コ ンデ ィヤ ックであれ トラシであれ、人間の 自我、もしくは実存 は 感覚する ことの上 に築かれ うるものなのである。後 に見 るよ うに ビ ラ ンはこ うした感覚論か ら 出発 しなが ら、やがてそれ と対決 しつつ 、 自己 の習慣論 を完成 させ ることになる。 フランス学士院の懸賞論文が トラシの発案である ことは彼 が前年 の1798年 に「学士院報告」 に寄稿 した 『思考能力 に関する論文』 か ら推 し量れる。そ こにはこのフ ラ ンス観念論 の大家が 習慣 につ い て並 々 な らぬ関心 を もっていた こ とが記 されて い る。彼 の習慣 の定義は簡明であ る。「なん らかの判断が我 々の なかで頻繁 になされる と、その判断 としてその 同類 とは我 々 に とって極 めて容易 になる。そ して [… ・]容 易 な判断は我 々の注意 を引 きつ けないか ら我 々 に意 識 されな くなる。そ こか ら、多数 の判断が ほ とん ど限 りな く容易 にな り迅速になって、ほ とん ど意識 されない無数 の活動 をほんの一 瞬 の うちに行 い なが らそれを説明す ることが我 々にほ と ん ど不可能 である とい う事実が でて くる。」8し か し、繰 り返 しによる行為 の迅速化 を説明す る こ とはで きて も、それが ハ ビ トゥス として内在化す る過程 はこれで は説明 され な い。 とは言 え、 この単純 な定義 は、習慣 を作 るものが半U断 であ り、そ の判断を形成するものが記号である ことを明 らか に した点で評価す べ きである。9こ こか ら出発 して ビ ラ ンは 自己の習慣論 を模索 す る。 コンデ ィヤ ックの記号論か ら出発 した ビラ ンは『記号論草稿』 を記 したが、完成 させ ること はなかった。それは彼が記号論 自体 の もつ欠陥、すなわちそれでは情感や情 動 といった人 間の 心理的状況 を説明で きないこ とを予感 したか らであった。原理主義的感覚論者 コンデ ィヤ ック は人 間を「感覚 の集成」、それ どころか「感覚 の変形」とさえ言 い切 り、その感覚が観念や思考 へ と変形す る過程 を記号 によって説明 しようとした。記号 とは恣意的 (人 為的)に なる ことに Ю して再生 よって過去 の経験 を自由に再生で きる道具 となる。 そ された経験 の数 々 を結合 (リ エ ゾン)し 、連合 (ア ソシアシオ ン)し た ものが観念であ り、その観念 の連合が知識である。彼 にとってこの経験 ―記号 ―観念 の連合 を容易 にす るものが習慣であ った。観念 と結 びつ かない 経験 は偶発的記号 として習慣 とも知識 とも無縁である。た とえば熱 い ものを見ただけで熱 い と 感 じる感覚 は、以前 に知覚 した熱 さの経験 を記号が呼び出すか らであるが、 これは熱 い ものを 見た とい う偶発的経験が偶発的記号であるか らにす ぎない。偶発的経験 は受動的である。人間 7村 松 (2007),19頁 以下参 照 。 8 Dcstutt dc Tracy,A L Claudc:M`“ οj″ r滋 ル 0″ ′ 〃 グι ′ ′sar,Pans 1992,p 161-172 ρ 9三 輪 正 :デ ステュッ ト・ ド・ トラシとビシャにおける習慣の 問題、『カルテシアーナ』第 9号 1989年 、 1s″ 12頁 。佐藤国郎 :メ ーヌ・ ド・ビラン研究 [自 我 の哲学 と形而上学]悠 書館 2007年 37-48頁 。 Ю北 明子 :メ ーヌ・ ド・ ビランの世界 経験する (私 )の 哲学 勁草書房 1997年 147頁 以下参照。 革命とハビ トゥス 69 が意志の力 で 自由に呼び出せ ない受動的感覚 を コンデ ィヤ ックは「想像」 と呼 び、 「記憶」 と区 別 した。記憶 は人 間が呼 び出 しのために作 った恣意的記号 を使 って経験 を呼び出す ことがで き る。 呼 び出された経験 は感覚そ の ものではな く、感覚 した状況や した ものの名前 である。 コン デ ィヤ ックは、繰 り返 しによって恣意的記 号 の使用 を容易 にす るのが習慣 であ り、 これによっ て感覚機能 自体 は衰 えると考 えた。 しか しデ ス トゥッ ト・ ド・ トラシを始め とす るイデオロー グや ビ ラ ンはこ うした感覚 と習慣 の理解 に疑間を感 じていた。 なぜ な らそれによっては、 一 部 の機能 は繰 り返 されることで強 くな る (再 生 す る)こ とは説明で きないか らである。 フランス 学士院の懸賞論文は コンデ ィヤ ックの こ う した極端 な感覚論 をもう一 度批判的に検証 してみる 必要性 を示唆 した もので あ った。 2 ビラ ンの 習慣論 2.1 習慣と慣れ 人が知覚作用によって受けた刺激がやがて消えて い くか、意識されな くなる現象は習慣に よって説明できる。感覚論 の立場からは、印象 は消えてい くのではなく、習慣によって記号化 され感覚 に、つ まり原因に戻 ってい く。例えば感覚に とりわけ強い刺激 を与える「恐怖」をビ ランは次のように説明す る。 「すでに見たように、驚 きや不安や感嘆などといったさまざまな感情は、新たな尋常でな い対象が現れるか、ずいぶんたってからもう一度ギクリとしない と起こらないことは、わ れわれは経験か らそのつ ど気がついている。 (知 覚 はず っと変わらないが)す べ ての感覚は 対象が同じで見慣れた ものに なる と消え る。または、想像がそ の対象を予感 し、先にイ メー ジして しまう習慣 をもった り、判断が確かにな り、容易で早 くなるにつれてそ うなる のである。 」n 感覚はわれわれが感覚する対象 にまだ慣 れていない ときにもっとも印象深 い。それはビラ ンの い うように驚 き、不安 といった否定的感情 の場合 にもっとも顕著に現れる。不意 に鳴 った雷に 悲鳴をあげた人 も、それがひっきりなしに一定時間続 くとさすがに驚 きや恐怖に慣れる。さら に雷が鳴 っていることがわかっていて も、つ まり「知覚」はしていて も、稲光か ら先取 りして まだ遠 いことが判断できれば、それはもう恐怖 の対象ではなくなる。おそらく四六時中雷が落 ちているような地方に住 んでいる住民がいれば、雷を恐れることはないのだろ う。 しか し注意 しなければならないのは、感覚消失は慣れによって感覚が麻痺 した り鈍化 したか ら生 じたので はないとい うことである。 ビランもい うように知覚 自体は常にそ こにあ り、閃光や轟音を感覚 して い るので ある。違 うのは感覚が消えたのではな く、感覚が記号化 された とい うことで あ る。それはもはや五感に与えられた刺激ではな く、「雷鳴」「閃光」を伴 った「放電現象」 とな り、予測可能なものとなる。いやそれどころかこの 自然現象につ けた「雷」 とい う名辞それ自 ‖TH,p151fこ のことをビ ンは「 ラ 感受性が印象 の原因の次元へ と移行するJと 説明 している。(TⅡ ,p85) 70 19世 紀学研究 体 によって雷 は習慣化 (つ ま り記号化 )さ れ、把握可能な観念 となったので ある。感覚が消失 するのでは な く記号 になること、 つ ま り理解 の一 部になる ことこそ ビラ ンのい う「習慣」 なの で ある。 こ う した見解 を ビラ ンはデステ ュ ッ ト・ ド・ トラシか ら学 んで い るが 12、 トラシが習慣 の受動的性格 をあま りにも強調 しす ぎる ことには同意 しない。 これだけでは、人が新 たな形質 を獲得 して い く過程、一―例 えば自転 車 に乗れるようになること一― を説明で きないか らであ る。結論か らい えば、印象 を慣れによって無意識化す る作用がある ことを認め、「受動的習慣」 と名 づ け る一 方 で、 ビラ ンは「能動的習慣」 と呼 ぶべ き作用 もある と主張 した。 ビラ ンの習慣 観が簡潔 にまとめ られてい る箇所 を少 し長 いが引用 してみ よ う。 「すべ ての意志的運動 は、何度 も繰 り返 されると、少 しず つ簡単 に速 く正確 になる。速 さ や正確 さや容易 さが増す につ れて、運動か ら帰結す る努力、 または印象 も弱 まる。 この増 加 の最終段階で、運動 は自分 自身にまった く無感覚 にな り、運動が 目指 した成果やそれが 作 った印象がなければ、意識 に現れな くな る。 この二つの一般的でかつ恒常的原理はまっ た く同 じや り方 で、単純 な運動性 と知覚機能 の 同時発達 に携 わ り、その後でそれ らの機能 の器官 の類縁関係、 もしくは同一性 をはっきり示す。それ らは第二 に次のことを示 して い る。外的運動 の感覚器官は一方 で完全 に機能 し、知覚 が正確 で精妙 になるにつ れ、他方で 個人が行動面や、行動 に形や徴 を与 える操作や判断の面で、次 第にまった く盲 目となる。 それにつ れて感覚器官 の反応がだんだん と早 くな り、簡単 にな り、努力がだんだん必要で な くな り感 じられな くなる。すなわち、知覚の複合 機能が、迅速 さや余裕や明 らかな受動 性 によって く 感覚〉 とい うべ きものに近づいて い くことを示 して い る。われわれの運動能 力 を、成果である簡便 さに包み こむことで、習慣 は、意志的行為 と無意志的行 為 の境界線 を、経験か ら得た もの と本能的行為 の境界線 を、感 覚機能 と知覚機能の境界線 を消 してい く。 われわれが二つの機能 の違 い をはっきりさせ よ うとして も、習慣 はそれ らをます ます 13 混同 して しまい、最初期 までそれが不分不離 で ある ことを示すのである。」 感覚 によって得 られた印象 は何度 も繰 り返 される と弱 まる。 これは単なる忘却ではな く、繰 り 返 されることによって非意志的に、 つ ま り受動的になる ことで ある。印象 を変 質 させ る繰 り返 しをビランは習慣 と呼 ぶが、 これは印象 を弱める一方、他方でそれをよ り精級で正確 にす る。 それは、対象 を知覚 す るとき以前ほ ど苦労 を必要 としない し、以前 よ りもっと詳 しく知 ってい るか らである。 これはビランの例では次 の よ うになる。 「音楽 の初心者 は、指 と弓を動か し、位 置 を決めるのにやっとで、楽器か ら出た音 をほ とん ど区別 しない。触れる器 官 の動 きは繰 り返 И す ことですば らし く容易 になる。筋 肉の努力 は消 えるか、演奏 中 もはや感 じられない。 」 それ まで努力 しな ければで きなか った ことが今や無意識でで きるようになる。 習慣 はまさに、「経 験か ら得 た もの と本能的行為の境界線」 を消 して い くので ある。そ の消滅 の過程 をビランは記 号 によって説明す る。 2 TIsscrand,TⅡ ]TⅡ ,pp XXVIII ,P102f 14 T II,P 105 革命とハビ トゥス 71 2.2 受動的記号 と能動的習慣 ビランによれば記号には二種類ある。一つは 〈 記憶 の記号)で あ り、 これは意志を使って記 想像 の記号)で あ り、 これは習慣によって無意識に 憶を再生す るのに使 われる。 もう一つは 〈 生み出される。 「われわれはこの著作 の最初で記号を大 きく二種類に分けた。一つ は性質を同じくす る意 志の運動によって造 られてい る。その記号はオリジナルから感覚印象 を作 り、感覚印象は オリジナルを区別 し、固定 し、呼び出す役 目を果たす。それは記憶 の最初の基礎である。 もう一つはあ らゆる印象か らで きて いる。それは習慣によって一束一か らげにされてい る。その一つが息を吹 き返す と、その他のもの も再生させる能力をもつ。 ここに想像の最 Б 」 初 の動力がある。想像の記号は思い通 りにはならない。 記号には「FΠ 象 を作 り、オリジナルを呼び出す もの」 と、印象それ自体 になってしまったもの と二つある。前者には意志的な働 きがあるが、後者 にはない。また前者を後者に変えたのが習 慣 であるとされる。後者 は想像 と呼ばれ、意志の働 きをす り抜けて、勝手に自己増殖す る可能 性がある。さらに見 てみよう。 「それ (想 像 の記号)は 個人の外にあるものであ り、個人の意志には未知の原因である。意 志はつねに機能を果たそうとするが、習慣は迅速 さや簡便 さを身につ けさせて、それに気 づ くのを邪魔す る。記憶 の記号 は原則的に (そ の記号 の本性上)自 由に使 うことができる。 しか し習ll■ はまたもやそれを感覚できないようにす ることで、それを変形 し、その本性 を 変え、その機能をゼロにす る。このようにしてわれわれは、イメー ジや視覚像が最初の抵 抗 としてつけたオリジナルや記号 の機能、つ まりまずわれわれの外にくっきりそれらを刻 みつ けようとす る運動がまった く認識できなくなる。同様に、音声印象 を区別 した り呼び 出した りする際、習慣は声 の動 きに介入 させない。われわれの初期能力が発展 してい くと きに、習慣はこのような効果 を果たすのである。つ まり、それはその本性上 区別されるべ き二つの印象を どんどん近づ け、同じものと見なしてしまう。それは個人が自分なりに行 動 しようとする ときに、単純な感覚 と知覚や判断を分け区別をさせないようにし、最終的 には呼び出しとい う意志的記号 を想像の受動的記号に変えてしまうのである。 」 “ ビランは人間の知的活動を「記憶」 と「想像」 に大別す る。二つ とも眼前に対象を必要 とし な い、抽象的な思考様式であるが、違 い は「意志的運動」 (les mouvements volontaires)の 有 無にある。人が記憶か ら何か を再生 しようとする とき、その ものの像や名を思い出そ う とす る。彼は「名称」 「視覚」 「触覚」 「味覚」 「聴覚」が与えて くれる「感覚印象」を使 って 「嗅覚」 事態を総合的に再生 しようとする。刺激は一般に感覚器官に感覚されるだけだが、それらは知 覚を通せばEF象 として記憶に刻み込まれる。 この記憶に刻み込まれた「徴」が「記号」である。 記号 とい う言葉 でわれわれは普段ただの名辞を思 い浮かべ がちだが、例えばあるものの手触 15 T II,p 179 `TⅡ ,P179-180傍 72 19世 紀学研究 点原著者。 り、色、重さ、かお りといった感覚的なもの も、現実の対応物をもつ「記号」である。そして それらの記号は感覚印象 として保存 されている。それゆえ感覚印象 の第一の機能 は 「呼 び出し」 (rappeler)と されるのだ。それは行為 を欲 したときに、いつでも自在に呼び出す ことがで きる 意志的記号である。記号は人間の行動につねに随伴 している。例えば、出勤する前に手帳で今 日のスケジュールをチ ェ ックし、取引先までの道の りを確認 して、商談相手の顔を思 い浮かベ なが ら商談の手順 をシュミレーションす るとき、記号を使 って呼 び出す記憶はもう一つの現実 を形づ くっている。 しかしすべてを記号を使 って呼び出さなければならないわけでもない。今 日の仕事の手順を思い描 きなが ら人は何気なくコー ヒーメーカーにお気に入 りの コーヒー を入 れ、スイッチを入れる。テレビで今 日の天気を確認 しなが ら締 めるネクタイ、ヮイシャッのボ タン、スケジュールをイメー ジしなが らこぐ自転車。こうしたことは同 じ朝 の風景であ りなが ら、ほとんど意識されずに行われている。いや こうしたことまでいちいち手帳を見て確認 しな ければならないのであれば、朝のひとときはもっと慌ただしくなってしまうだろ う。当た り前 で「習慣化」 してしまった一連の行動 は「知覚」や「判断」や「記憶」の回路を通さずに再生 で きる。 ビランはこのように再生 される感覚を「想像」 (imagination)と 呼んだ。 これはわれ われの語感にある「想像」 =「 空想」 とは少 し違 う、さまざまなイメージ (image)の 連合か らなるイマジネーションなのである。朝起 きたときの感覚、朝食をとるときの感覚 といった一 連のイメージが次のイメージを喚起 して、先の行動を誘発 してい く。それは人間に意志を使 わ せず、まった くの受動 を強いるが、その無意志性 と受動性 のおかげで、 「抵抗なく」完全にそれ を成 し遂げることができるのである。逆に、すべ てを意志 の管轄下におかなければ活動できな い とすれば、出勤するまでの数分ですでに疲れ果ててしまうことだろ う。習慣化 した行動はイ メージの連合、すなわちイマジネー ションによって 自動的に処理 した方がよいのである。習慣 はわれわれの感性を鈍化 させることで、過度の刺激にさらされない ようにする重要な適応機能 なのである。 しか しビランは、習慣がわれわれの印象 を変化 させるのは、それが受動的に得 られたものの 場合に限ると考える。意志的な運動は印象 を徐 々に消滅させるのではな く、それを多様 にし、 別の印象 を作る。例えば聴覚 はお気に入 りの音楽を何度聞いても魅力的に感 じる。色彩 は何度 も繰 り返 し見 られると別の色に変 わって しまうだろ うか ?感 覚の中には習慣 によって鈍 くなる フそれ ものがある一方、習慣によってその感度を維持 し、それどころか鋭敏にす るもの もある。 が能動的習慣 である。 「人為的記号によって観念連合 を容易 にし、また連合 された観念の呼 能動的習慣 をビランは、 び出しを容易にすること」 と定義 している。これは受動的習慣が印象 を無意識の うちに想像 と して再生す るのとは別の仕方で行われる。人為的記号 とは「知覚 と二次的に結びついて、持続 的に繰 り返されることで感覚されなくなった最初 の運動にとって代わ り、習慣の効果で失われ るか ベ ー ル をか け られ るか した意識活動 を更新 し、印象 を呼び戻 しとい う運動機能 に近づ け ′ T II,p90 革命とハビ トゥス 73 て、それ らを想像の領域か ら記憶の領域 に移動 させ る」 “ 記号 で あ る。習慣が印象 を想像 の領 域 に運びこむの とはまった く逆 に、人為 的記号 は想像の領域か ら印象 を記憶 に運び出す。 とい うことは人為的記号 は習慣 と正反対の位置 にあるものだ といえる。 2.3 ビシ ャの生理学 との対決 コンディヤ ックや トラシか ら出発 して独 自の習慣論 の建設 を模索 した ビラ ンは、その後、思 索 を深めるに したがって、習慣の基礎 には記号論や感覚論 によっては汲みつ くせ ない人間の身 体 メカニズムが ある ことに気 づ き、補遺や註 によって 自著 を補 っていった。形而上学的思考か ら離れて彼 が選んだのは生理学 との共同作業 で あ った。後年 の補遺 にはそれゆえ X・ ビシ ャの 名前が多 くみ られる。 マ リー・フラ ンソワ・グザヴイエ・ビシ ャ (M血 c― Fran9ois― Xavier Bich江 1771-1802)は 組織学 の名著 とされる 『生 と死の生理学的研究』 (1800年 )で 、生 を物理 一化学 的な現象 とは捉 えず、む しろ生の背景 にある生命力 (force宙 tale)こ そ生命現象 の源泉 で ある 19当 A・ ハ ラー によって提唱 とした生気論 (vitalisme)を 唱えた。 され、 F・ ホフマ ンによっ 時 て発展 して いた生気 論 は医学界 のみな らず、メスメルの磁気療法に代表 されるように社会 現象 にまでな り、デ カル ト的機械的人間観 を凌駕 しようとして いた。例 えば ビシ ャと同時代人 であ る代表的生気論者ブ ルーメ ンバハ は、一般的な生命力 (vies宙 tales)と して「収縮力 J「 刺激 「感覚性」をあげるが、それに加 えて生物 の形態形成 を指揮 し、栄養 によって生命体 を 感受性」 維持 し、異常 か らそれ を快復 させ る力 として「形成衝動」 (nisus fomativus)が 存在す る と仮 20生 定 した。 気論 の歴 史的展開を調査 した ドリー シュは、ブルーメ ンバハ が仮説 に とどめた も のを臨床で実証 したのが ビシャだ とす る。ブルー メ ンバハ が形成衝動 と呼 んだ ものを ビシ ャは 「生命特性」 (prOp五 6t6s vitales)と 呼 び、すべ ての組織 に備 わった生命機能 を決定す る力 と考 えた。彼 は生理学 こそ生命の神秘 を刺激 と力学 のメカニズムによって解 き明かす学問 と考 えた が、それは機械論的生命観が いかに事実 を無視 して い るか痛感 したか らである。その ことを次 の一節が よ く物語 ってい る。「生命 の機能は、 どれ も実 に多彩 な変化 を被 る。 自然 な度合 い か ら逸脱 する ことも多 々見受け られるのだ !そ れ らはあ らゆる種類の計算 を逃れる。ほとん ど、 示 される事例の数だけ公式が必要 になるだろ う。 それ らの現象 にあっては、 なにも予測がつ か ず、なにも予言で きず、なにも計算で きない。 もし物理法則が生命法則 と同 じ変動、同 じ変化 を被 った ら、世界 は どうな って しま うのだろ う」 (『 一般解剖学』 p.LII以 下参照 )。 21こ の予測 も計算 もで きない生命法則 を解 く鍵が「習慣」 なので ある。 こ う した生命観 はビランに大 きな 影響 を与 えた。『習慣論』 へ の補遺 には次の よ うな一節が見出される。 S T II,p196傍 点原著者。 ` D Bichat,Marie Francois Xavicr R`cを rcル s′ りsjο ′ gj9″ ο rあ ッ ′ ι ι α ο ,Pans 1850ビ ラ ンとビシャとの関連 `ss′ `′ “ に つ い て は次の研 究 を参照 :A Bcrtrand:χ α ν r Bjc力 α′ι j″ ル β ′ rα ″ ′ ′ ι′ ′ ,Aκ 力ll asグ ♭′Йr9′ οbgi`Crttj″ ′ `Mα グι″ j`j″ ι″gα ′ ι,15(1909),P4344И 3 20当 `グ 時ハ ラーの生理学 は「刺激感受性」 と「感覚性 Jを 区別 したが、 カバニス らは刺激が受動的にのみ感受 さ れるわけではな く、それ も動態 を含んだ感覚の中で捉 え られ るべ きである とした。 ビ ラ ン もカバ ニスの この 理解 に沿 っている。 aハ ンス・ ドリー シュ :生 気論 の歴 史 と理論 (米 本昌平訳 )書 籍 工房早川 2007年 50頁 よ り引用。 r′ jι 74 19世 紀学研究 「物体を粘膜組織に直接押 し当てることで生 じる感覚には慣れが基本的に影響する。粘膜 組織は体内器官であ りつつ、外部的には皮膚である。未知の物体、あるいは自分に触れた 時の抵抗か ら生 じる反発や圧迫感はすべ て、現実に器官が損傷 しなければ、す ぐに消えて い く。粘液組織は臭 いに無感覚 になるし、日は味覚に反応 しなくなるし、尿道はず っと装 着 しているゾンデに慣れるし、 胃や腸を被 っている組織はどんな固形物質や流動物質を食 べ ても無関心になる。圧迫感や抵抗感は この場合 まった く受動的で、同様に運動感覚が意 22 志をもたなくなれば、それは習慣によってまった く消滅 してしまう。 」 こうした医学的知識をビラ ンはビシャか ら学 んでいるが、 しか し彼 に追従 しようとはしない。 「ビシャは言 う。『器官の深部では接触はつねに単一的である。 (そ れは器官の初めで しか 多様化 しない。 )膀 脱は尿以外 と接触 しない し、胆嚢は胆汁 としか、胃はたった一つの塊に 還元される食物 としか接触 しない。感覚の単一性は知覚の無力化を引 きお こす。知覚する ためには比較 しなければならないが、ここでは比較のための二つの術語が欠けている。 』そ れは確かに正 しいが、ビシャの言うような意味においてではない。現実の情感 (les sensadons aHbcivcs“ elles)は ある状態 と別の状態を頭で比較 した結果生 じるのではなく、有機体の 状態がずっと同じように継続することにある。 もし人格 の形成がなければ、情動 もないこ とだろ う。 これは、 コンディヤ ックやボネや彼 らに続 く形而上学者たちが読み違えたデリ ケー トな点である。分析の誤 りは大 きい。彼 らは、単純な情動に人格があると考え、感情 のある状態 と別の状態の比較をしようとした。そして喜 びや苦 しみの激 しさをこの比較か ら導 き出せると考えた。ボネはそれどころか、人格はある変化か ら別の変化に移行する感 覚にあるとまで言 い切 った。感覚には人格が前提 とされているにもかかわらず、である。 彼 らはすべての機能をたった一つの感覚の中にどうしても見つけ、すべ てをただ一つの力 23 だけから説明 したかったのだ。誤 りはここにある。 」 ある刺激が′ さ地よかった り悪か った りす るのは、感覚がその刺激 とそれ以外 の刺激を比較す ることができるか らであ り、快感・不快感 とは畢党比較 にす ぎない、 と生理学者 ビシャは断言 する。現に、ある刺激だけを感覚器官に与え続ければ、それは快感でも不快感でもな くなる。 それは異物を身体 に挿入 した際にもはっきりわかる。刺激にやが て感覚は慣れて しま うか ら だ。 胃や牌臓や膀眺が好悪 の感情をもたないのは、その接触相手がただ一つの刺激だか らであ る。比較 の対象がなければ、好悪感 も起 こらない。知覚 とは刺激を好悪感をもって感覚するこ とであ り、比較 を前提 にしている。では情動 (感 情)は 好悪をもっているので、知覚に当たる のだろうか。そうであればそれは比較を前提 として起 こることになる。 ビランは情動 は知覚で はない と考える。それは情感が人間の変わらないある継続的部分、つ まりその人の「人格」に 本質をお くと考えたか らである。この人格 の上で人は努力 し、意志的に認識 ・感覚する。 この 継続的人格 こそハ ビ トゥスによって形成されるべ きものである。ハ ビ トゥスによってビラン ″TⅡ ,P87,(1)傍 点原著者。 おibid同 に TH,p75(1) 様 革命とハビ トゥス 75 は、 コンディヤックやボネや トラシのように人間を感覚の受動的総体 として捉える見解 を決定 的に決別 し、また ビシャの提唱 したような受動的生命観か ら脱 し、主体的能動的実存 としての 人間像 を提示できたのである。 処女作 であった 『習慣論』にビラ ンはその後 も継続 して関わ り、人間を形づ くる力 は何か、 それによって形成される人間とはそもそも何 かとい う問いに思 いを馳せた。それは彼が形而上 学的な「純粋習慣論」から「実践習慣論」へ 向かう強力な動因 となったのである。それゆえ習 「生 きる通常の世界に降 りてい く哲学者」となるための道標 だっ 慣 をめ ぐる考察は彼 自身のい う たといえるであろう。 76 19世 紀学研究