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ヒラリズム 6の19 陽羅 義光 ヴァレリーの『リタラチュール』 Paul Valery
ヒラリズム 6の19 陽羅 義光 ヴァレリーの『リタラチュール』 P a u l Va l e r y は 一 八 七 一 年 生 ま れ の フ ラ ン ス の 文 学 者 、ボ ードレールやランボーの影響を受けつつマラルメに私淑、 『テ スト氏の一夜』で脚光を浴びるも、その後二十年間文学の世 界から遠ざかる。 四十代半ばに出版した長詩『若いパルク』詩集『海辺の墓 地』で再び脚光を浴びる、七十四歳で逝くが、その葬儀は国 葬だったというから、その存在が半端ではなかったことが解 るだろう。 若い頃から書き続けた日誌(知的思索の結実)は二百五十 四冊、三万頁に及び、現在では世界文学の最大の知性と呼ぶ 専門家も多いが、生前これほど賞賛の嵐を受けつつも、かた や罵詈雑言を聴いた文学者は類がないであろう。 彼によれば「詩はすべて、意志され、準備され、計算され て、製造される」のである。 わしが『絶対文感』でいうところの、散文の「意識化・徹 底化」に近い。 わしも若い頃からヴァレリーのことばに触れてきたけれど も、元々知的ではないわしの琴線には触れなかった。 このごろ再読、再々読していて、何故だか些か(もしくは 相当に)感じることばがあって、唸っている。 【書物は、著者の肩越しに見るべきだ】 【ポエジーは、その責務として、なんらかの意味における国 語の完全な応用を持つ】 【ばか者は、ふざけることはまじめでないと信じている。ま た洒落は返答でないと思っている】 【僕らの敵の数は、僕らの重要さに比例して増加する】 【いやあ、つまり等々、こういう模索の言葉は、すべて書か れた言葉からは消されてしまうのだが、これが文章の最初の 業績だ】 【芸術にあっては、これに限るという真の主義が存在しない が、理由は人がどのものにも飽き、またどのものにも興味を 引かれるがためだ】 【絵画は、物体を、かつて一度、それが愛情をこめてながめ られたであろう状態において見ることを、我らに可能にして くれる】 【 他 人 を 攻 撃 し て も し か た が な い 、攻 撃 す べ き は 彼 ら の 神 だ 】 【生は死より、ほんのわずか年上だ】 【 一 日 の う ち に 、感 じ た り 示 し た り す る 恋 愛 に は 限 り が あ る 】 記 憶 し て い る こ と ば だ け で も 、き り が な い く ら い 出 て く る 、 まさにことばの「宝泉」だ。