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経済成長と国家間および国内の所得格差

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経済成長と国家間および国内の所得格差
ESRI Discussion Paper Series No.114
経済成長と国家間および国内の所得格差
by
山下
道子
August 2004
内閣府経済社会総合研究所
Economic and Social Research Institute
Cabinet Office
Tokyo, Japan
ESRIディスカッション・ペーパー・シリーズは、内閣府経済社会総合研究所の研
究者および外部研究者によって行われた研究成果をとりまとめたものです。学界、研究
機関等の関係する方々から幅広くコメントを頂き、今後の研究に役立てることを意図し
て発表しております。
論文は、すべて研究者個人の責任で執筆されており、内閣府経済社会総合研究所の見
解を示すものではありません。
経済成長と国家間および国内の所得格差
山下道子*
* 国際協力銀行開発金融研究所特別研究員
本稿の作成に当たりご指導いただいた香西泰所長をはじめ、経済社会総合研究所
の多くの方々の有益なコメントに謝意を表したい。
経済成長と国家間および国内の所得格差(要旨)
1. 問題意識
世界経済の現状を見ると、東アジア諸国のように急速な経済成長を達成して先進国にキャッチ
アップした国もあるが、多くの途上国では経済が停滞しており、国家間の所得格差は一様に縮小
してはいない。本論文ではこのような (a)「条件付き所得収斂」の理論を念頭に、世界的に見た国
家間の所得格差の傾向を分析するとともに、(b1)各国の所得水準と所得不平等度の関係を観察
して、いわゆる「クズネッツ仮説」を検証し、さらに(b2)成長率と所得の不平等度との関係を調べ、
(b3)所得不平等度が経済成長を促進するか抑制するかについても検討する。
2. 目的
21 の先進国(ルクセンブルグを除くDAC 加盟国)と35 の途上国(DAC 非加盟国)について、
1820∼1994 年の所得水準(1 人当たりGDP)とその成長率の関係を追跡し、所得収斂が起きてい
るかどうかを検証する。また、「クズネッツ仮説」(開発の初期に所得格差は拡大し、発展とともに格
差は縮小する)を念頭に、1970∼1990 年代のそれらの国の国内所得分布(ジニ係数)と所得水準
との関係を検討する。さらに、64 の途上国について 1960∼1990 年代のクロスカントリー分析を行
ない、所得不平等は成長促進的か抑制的かを吟味する。
3. 分析手法
1 部では Maddison (1995)のデータをもとに、1820∼1994 年を 5 期間に分けて、56 カ国の所得
水準(対数表示)とその成長率の関係をプロットする。また各国の所得と地域の平均所得との相対
比が収斂しているかを見る。一般化最小 2 乗法(GLS)を用いて各期間の平均成長率を初期所得、
人口増加率、地域ダミーで回帰し、初期所得がマイナスの説明力を持つかどうかを調べる。
2 部では Deininger and Squire (1996)のデータと世銀の世界開発指標(WDI)を用いて、1960∼
1990 年代の56 カ国の所得とジニ係数の推移をプロットし、ジニ係数が所得の2次曲線または 3 次
曲線で近似されるかどうかを調べる。逆に、所得分布が成長に及ぼす効果を計測するために、64
の途上国を対象にツーギャップ・モデルの説明変数にジニ係数を加えてクロスカントリー分析を行
ない、国内の所得不平等はその国の成長を促進するか抑制するかを地域別に検証する。
4. 結論
(1) 56 カ国のクロスカントリーで初期所得を説明変数とする成長回帰分析を行うと、1950∼1994 年
の推計期間では有意にマイナスの説明力を持つ。これは所得収斂が広く見られることを示唆する
が、初期所得が低いまま「貧困の罠」に陥っている国が多数ある。
(2) 1970∼1990 年代のジニ係数(所得の不平等度)を被説明変数とし、1 人当たり所得(ドル価格
対数表示)の 2 次曲線への回帰分析を行うと、3080 ドルの所得水準でジニ係数が山になり、クズ
ネッツ仮説と整合的な結果が得られた。
(3) 最近、先進国では所得格差が再び広がっているとの指摘があるため 1 人当たり所得(ドル価
格)を 3 次曲線で近似すると、ジニ係数は 3000 ドル前後で山、17000 ドル前後で谷を描いた。
(4) 64 の途上国を対象に 1990 年代のジニ係数を成長率に回帰させると、アジアでは所得の不平
等が成長にマイナスの効果を持つ一方、中南米とアフリカではプラスの効果を持った。
i
Abstract
The objective of this paper is to empirically test the following: (a) the tendency of per
capita income gaps between the countries worldwide, (b1) the relationship between
the level of per capita income and the degree of income inequality to verify Kuznets’s
inverted-U curve hypothesis— inequality first rises and later falls as the economy
develops, (b2) the relationship between the growth rate of per capita income and the
degree of income inequality, and (b3) it further investigates whether income inequality
promotes or curbs economic growth by running the cross-country growth regressions.
The convergence theory is related to the international distribution of per capita income,
while Kuznets’s hypothesis focuses on the time profile of income distribution in the
course of development in a country. One observes that the economies of the least
development countries in Latin America and Africa have often been trapped in poverty
for decades, while many countries in East Asia have taken off from poverty and on to
the sustainable industrialization paths.
The cross-country growth regressions by the generalized least square (GLS) method,
based on the long-term data from 1820 to 1994 of 56 countries collected by Maddison
(1995) revealed that the coefficient of the initial income was significantly negative for
the period 1950-1994, suggesting that the convergence of income is pervasive.
However, the trend of the ratios of individual-country income to regional-average
income were not likely to converge, except for the developed countries.
The cross-country analysis for the period 1960s-1990s—with a dependent variable
being the income inequality presented by Gini coefficients, taken from the data
collected by Deininger and Squire (1996), along with an explanatory variable being the
logarithm of per capita GDP—proved that Kuznets’s inverted-U curve hypothesis was
plausible, since Gini coefficients fitted to a negative quadratic curve of the logarithmic
income. Using data from the 1990s, the quadratic curve had a peak at $3080 of per
capita GDP. When Gini coefficients were regressed to a positive cubic curve of the
dollar-termed per capita GDP, the curve peaked at $3000, and bottomed at $17000,
reflecting a recent recurrent increase in income inequality in the developed countries.
A cross-country growth regression to some explanatory variables including Gini
coefficients revealed that income inequality had a negative impact against growth in
Asia, whereas it had a positive impact against growth in Latin America and Africa.
ii
目次
1 国家間の所得分布 ......................................... 1
2 国内の所得分布 ............................................. 3
2.1 クズネッツ仮説の検討.......................... 3
2.2 成長は不平等を招くか......................... 4
2.3 平等は成長促進的か........................... 5
3 まとめと今後の課題........................................ 7
付論: 文献展望
(1) 条件付き所得収斂 ............................. 29
(2) クズネッツ仮説 .................................. 30
参考文献......................................................... 32
iii
図表目次
1 国家間の所得分布
図 1-1 1 人当たりGDP と成長率の関係(1820 年∼1870 年)............................... 9
図 1-2 1 人当たりGDP と成長率の関係(1870 年∼1913 年)............................... 9
図 1-3 1 人当たりGDP と成長率の関係(1913 年∼1950 年)............................. 10
図 1-4 1 人当たりGDP と成長率の関係(1950 年∼1973 年)............................. 10
図 1-5 1 人当たりGDP と成長率の関係(1974 年∼1994 年)............................. 11
図 1-6 1 人当たりGDP と成長率の関係(1820 年∼1994 年)............................. 11
図 1-7 GDP 全体額と成長率との関係(1950∼1973 年)
..................................... 12
図 1-8 GDP 全体額と成長率との関係(1973∼1994 年)
..................................... 12
図 2-1 先進国の相対所得の推移(その 1)....................................................... 13
図 2-2 先進国の相対所得の推移(その 2)....................................................... 13
図 2-3 途上国の相対所得の推移(アジア)....................................................... 14
図 2-4 途上国の相対所得の推移(アフリカ)..................................................... 14
図 2-5 途上国の相対所得の推移(中南米)...................................................... 15
図 2-6 途上国の相対所得の推移(ソ連・東欧)................................................. 15
図 2-7 人口増加率と成長率の関係(1820 年∼1913 年)................................... 16
図 2-8 人口増加率と成長率の関係(1913 年∼1950 年)................................... 16
図 2-9 人口増加率と成長率の関係(1950 年∼1994 年)................................... 16
表 1-1 所得収斂理論の検証(基準値は先進国)............................................... 17
表 1-2 条件つき所得収斂理論の検証(基準値は先進国)................................. 18
2 国内の所得分布
図 3-1 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1950∼1990 年代 西欧)
................ 19
図 3-2 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1950∼1990 年代 英・南欧).......... 19
図 3-3 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1950∼1990 年代 北欧)
................ 20
図 3-4 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1950∼1990 年代 日米豪)............ 20
図 3-5 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1960∼1990 年代 アジア)............. 21
図 3-6 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1960∼1990 年代 アフリカ)........... 21
図 3-7 1 人当たりGDP とGINI 係数の推移(1960∼1990 年代 中南米)............ 22
図 3-8 1 人当たりGDP とGINI 係数の関係(1980∼1990 年代 全世界)............ 22
図 3-9 1 人当たりGDP(対数表示)とジニ係数(1960∼1990 年代 全世界)........ 23
図 3-10 1 人当たりGDP 成長率とジニ係数(1980∼1990 年代 途上国)............ 23
図 3-11 1 人当たりGDP 成長率とジニ係数(1960∼1990 年代 全世界)............ 24
図 3-12 1 人当たりGDP 成長率と就学率の相関(1980∼1990 年代 途上国)..... 24
表2
所得水準・成長率別にみた開発途上国の GINI 係数の推移..................... 25
表3
所得分布(ジニ係数)の決定要因分析(基準値は先進国)........................ 26
表4
所得分布(ジニ係数)の成長促進(抑制)効果分析(基準値はアジア)........ 27
表5
所得分布(ジニ係数)の成長促進(抑制)効果の地域別推計..................... 28
iv
経済成長と国家間および国内の所得格差
本論は「経済成長は所得格差を拡大するのか縮小するのか」、「
所得の不平等は経済成長を
抑制するのか促進するのか」という問題意識の下に、(1)世界的にみた国家間の所得分布の動
向、(2)国内の所得分布とその国の成長経路、の 2 点を考察の対象とする。
1 部では Maddison (1995)のデータをもとに、21 の先進国(ルクセンブルグを除くDAC 加盟国)
と35 の途上国(DAC 非加盟国)について、1820∼1994 年の所得水準(1 人当たりGDP)とその成
長率の関係を 5 期間に分けてクロスカントリーで追跡し、長期的にみると国家間の1人当たり所得
は収斂しているのか発散しているのかを計測する。
2 部では Deininger and Squire (1996)のデータをもとに、それらの国における国内の所得分布
(ジニ係数)と所得水準または成長率との関係を調べ、高成長あるいは高所得が不平等の原因と
なっているかどうかを検証する。また、世銀の世界開発指標(WDI)を用いて1960∼1990 年代のク
ロスカントリー分析を行ない、平等が成長の促進要因か抑制要因かを計測する。
1 国家間の所得分布
Maddison (1995)の長期データをもとに、1人当たりGDP の初期値 y(対数表示)とその年平均成
長率 g の関係を 1820∼1869 年、1870∼1912 年、1913∼1949 年、1950∼1972 年、1973∼1992
年の 5 期間に分けてプロットしたものが図 1-1∼図 1-5 である。先進国では2つの大戦期(1913∼
1949 年)に所得が大戦以前(1870∼1912 年)より低下した西欧諸国で、戦後(1950∼1972 年)は
4 パーセントを上回る成長を遂げたほか、日本 8 パーセント、台湾、ギリシャが 6 パーセントを超え
て成長した。アメリカは 1870 年以来、平均すると2 パーセントの成長を続けている。近年(1973∼
1992 年)になると、日本、イタリアを除いて先進国の成長率が 2 パーセント以下に低下し、韓国、
台湾、中国、タイなど東アジアの新興工業国が 6 パーセント前後の高成長を記録した。
全期間の所得水準(対数表示)と成長率の関係をプロットすると図 1-6 が得られる。これを2 次
曲線で近似すると 3560 ドル(1990 年国際ドル)を頂点とする逆U字を描いており、所得がそれを
超えると成長率が低下する傾向にある。ただし、貧困国の成長率は概して高所得国の成長率より
低く、停滞している途上国が多く見られる。1950 年、1973 年の Geary-Khamis 方式による購買力
平価(100 万ドル: 対数表示)1 で表した GDP 全体額を横軸に、1950∼1973 年、1973∼1994 年の
平均成長率を縦軸にプロットしてみると(図 1-7、図 1-8)、GDP 全体額でみた国家間の所得格差
は縮小傾向にはなく、むしろ 1973∼1994 年の方が成長率のばらつきが大きい。
Maddison (1995)のデータを用いて先進国の 1 人当たり所得の平均を1 として、各国の相対的な
所得水準の変化を見ると、所得格差が徐々に縮小したというより近年における格差縮小が顕著で
ある。とりわけ西欧諸国では 1994 年の相対所得が最低の 0.89 から最高の 1.16 の間に収斂して
いる(図 2-1、図 2-2)。同様に、途上国の 1 人当たり所得が収斂しているかどうかを見ると、アジア
では近年において韓国、台湾(データのない香港やシンガポールも同様)の急成長により、所得
格差が拡大している(図 2-3)。アフリカでは全般的に所得が低下する中で、南アフリカの後退が
著しい(図 2-4)。中南米では大戦以前に高い水準にあったアルゼンチンとチリのほか、戦中期に
1
マディソン(2000)p.247 に訳者解説がある。
1
急成長したベネズエラも後退を続けているため、全体として格差は縮小している(図 2-5)。ソ連・
東欧では格差に変化はないものの、所得水準は相対的に低下している(図 2-6)。
人口増加と経済成長の関係をプロットしたのが図 2-7∼図 2-9 である。1820∼1913 年にさかの
ぼると、移民が流入した新大陸のカナダ、アメリカ、オーストラリア、アルゼンチンの人口増加率
(2.5∼5.35% )と成長率(1.25∼1.7%)が正の相関 を示している。しかし、人口増加率 の低い
(1.05%)ドイツでも 1.4%の成長を遂げている反面、人口増加率が高い(1.85%)ブラジルの成長率
は低い(0.25%)など、相関は弱い(図 2-7)。1913∼1950 年には石油を産出したベネズエラが飛び
抜けて高い成長率(5.3%。人口増加率 1.5%)を達成している他は、ほとんど相関がない(図 2-8)。
1950∼1994 年には日本、韓国、台湾、中国、タイなど高い成長(4.3∼6.2%)を記録した東アジア
諸国の人口増加率が、日本(0.9%)を除くと比較的高い(1.75∼2.6%)。しかし、それ以外の国では
むしろ負の相関がある(図 2-9)。
ウィリアムソン(2003)は人口増加と成長率の関係について、新大陸では食糧生産の資源制約
を問題としないだけの豊かな耕地があったことに加え、労働節約的な技術進歩によって引き起こ
された急速な資本蓄積が利潤と熟練労働者の賃金を上昇させ、高い人的資本を持つ人々を惹き
つけた、としている。その結果、18 世紀末から19 世紀後半にかけてのアメリカの所得分配は極端
に不平等化し、技術進歩は利潤と熟練を利することになった(pp.25-26)。しかし、同様に広い耕
地に恵まれていた中南米ではこうしたメカニズムは働かず、人口増加率と成長率の正の相関は見
られなかった2 。
表 1-1 は Maddison (1995)の 5 期間の長期データを用いて、初期所得 log(y)、平均人口増加率、
先進国を基準値とする途上国の地域ダミーを説明変数とし、ウェイトつきGLS によって成長率 g に
回帰させた結果である。いずれのケースも log(y)の係数は有意にマイナスである。1913∼1994 年
を推計期間として長期で見ると、人口増加が経済成長にプラス効果を及ぼしており、アジア、中南
米、アフリカの地域ダミーはいずれもマイナスである(ケース1)。前半の 1913∼1950 年で推計す
ると、対象期間に移民の流入により大幅な人口増加を記録した中南米の事情を反映して、人口
増加率と中南米ダミーの係数がともにプラスである(ケース2)。しかし、後半の1950∼1994 年では
戦後の人口増加が逆に成長率を引き下げている(ケース3)。
表 1-2 は世銀の世界開発指標(WDI)のデータ(y は 1995 年価格ドル表示)を用いて、1960∼
1999 年の年代別平均成長率に対して同様の回帰分析を行った結果である。説明変数は初期の
log(y)以外に、人口増加率、初等教育の就学率、政府消費の GDP 比率、先進国を基準とする途
上国の地域ダミーを用いた。その結果 log(y)、人口増加率、政府消費比率、中南米ダミーの係数
はいずれもマイナス、アジアダミー の係数はプラスとなった。就学率は 1980 年代以降、成長率に
有意にプラスの効果を及ぼしている。地域別に成長率と就学率の相関をとると、アジア 0.54、アフ
リカ△0.14、中南米△0.06 となり、アジア地域に限定すれば、教育はきわめて大きな成長促進効
果を持っていることになる。
2
原田泰(2004)「人口減少は一人当たり所得を高める」大和総研エコノミスト情報 による。
2
2 国内の所得分布
「経済発展の初期に所得の不平等が拡大し、経済が成熟するにつれて平等になる」というクズ
ネッツの逆U字曲線仮説は、先進国経済の歴史的な観察から生まれたものである。2.1 節ではこ
の仮説が途上国経済にも当てはまるのか、先進国では所得格差が再び拡大しているのか、という
疑問をクロスカントリー・データで検証する。2.2 節では成長率と所得の不平等度との関係を調べ、
2.3 節では所得不平等度が経済成長を促進するか抑制するかを計測する。
2.1 クズネッツ仮説の検証
国ごとに所得格差の推移を時系列でみたクズネッツ曲線は、1 人当たり所得水準でみた経済の
発展段階に対応している。そのため、1 時点の各国の所得水準を横軸に、ジニ係数を縦軸にとっ
たクロスカントリー・データでしばしば同様の議論がなされる。Deininger and Squire(1996)は長期
の時系列で成立する関係をクロスカントリー・データで検証することに疑問を呈している3 。クズネッ
ツが先進国経済で観察した逆 U 字曲線が普遍的な関係であれば、クロスカントリーで所得水準と
ジニ係数をプロットすると同じようなカーブが描けるはずである。これは各国が持続的な成長によ
って貧困層のボトムアップを実現すれば、所得の上昇にともなって曲線上を右に移動し、国内の
所得格差が拡大から縮小へ変化することを意味している。
国内のダイナミズムをクロスカントリー ・データで論ずることの問題点は、ある国で成長が加速し
て労働需要が増えたとしても、国境を越えた労働移動は限定的なので、隣国の所得水準や所得
分布に直接的な影響を及ぼさないことにある。貿易や対外投資などを通じて間接的な影響はある
ものの、経済のダイナミック・プロセスは国ごとに固有の制度や慣習にとらわれているため、グロー
バル化の恩恵は限られているからである4 。東アジアの新興工業国群は例外的に日本を先頭とす
る雁行型経済発展を遂げ、貿易と直接投資を通じた技術の伝播により次々に産業高度化を促す
良循環を生み出したとされる5 。
Barro (1999)は何が不平等(ジニ係数)の決定要因か、という観点からクロスカントリーで推計を
行った。その結果、ジニ係数に中等教育の就学率、法による政治指数、民主主義指数などの変
数を回帰させた残差に対して、1人当たりGDP の対数表示 log(y)がプラス、log(y)の2乗項がマイ
ナスの説明力を持っており、逆U字型のクズネッツ曲線を検出したとしている(Figure 5)。速水
(2000)は 19 カ国について、1995 年における1人当たりGDP と1980∼1990 年代におけるジニ係
数の関係を両対数目盛でプロットすると、2000∼3000 ドルあたりを頂点とする2 次曲線がきれいに
フィットするとしている(p.193, 図 7-2)。
先進国を含め、1960∼1994 年の所得水準(1990 年国際ドル)とジニ係数をプールしてクロスカ
ントリーでプロットしてみると、ジニ係数の分布は 1 人当たりGDP がおよそ 3000 ドルの水準で山、
17000 ドルの水準で谷となる緩やかな 3 次曲線を描く(図 3-8)。他方、所得水準を対数表示にし
3
Deininger and Squire(1996)は国ごとの時系列でクズネッツ仮説を検証すると、およそ 9 割の調査対象国でU 字型曲線は検証
されないとしている。また、経済成長と貧困の関係をみるにはジニ係数は不適当で、所得階層別に収入の増減を調べる必要が
あると指摘している(
p.573)。
4 Kuznets(1955)は途上国の所得格差が先進国以上に大きく、
低所得階層を底上げする政治的・行政的な圧力が希薄であるこ
とから、先進国で観察さた所得分布の推移が途上国で踏襲されるかどうか疑問があるとしている(pp.20-26)。
5 例えば、伊藤隆敏・他(2000)を参照。
3
てプロットすると、低所得国のデータがばらけて高所得国のデータが固まりになるため、3000 ドル
前後を山とする逆 U 字曲線が当てはまる(図 3-9)。一部の先進国と新興国では 1980 年代以降、
所得格差が拡大に転じている。こうした所得格差の反転の理由について、労働節約的な技術革
新が知識労働者に対する超過需要を発生させる一方、IT 技術に適応できない未熟練労働者が
供給過剰に陥り、労働市場が 2 極分解に向かう可能性が指摘されている。
Deininger and Squire の疑問と反証は傾聴しなければならないが、クロスカントリー・データに逆
U 字曲線が当てはまるとすれば、クズネッツ仮説にもそれなりの 妥当性があるとも考えられる。先
進国に対して 3 次曲線が当てはまるのは、工業化を超えた新しい技術革新の影響を示すものとも
考えられ、時代によりクズネッツ曲線の形状が変容する可能性も想像される。そこで、世銀のデー
タ(1995 年ドル価格)を用いて、1970∼1990 年代のジニ係数を被説明変数として、log(y)に関する
2 次式と3 次式を当てはめてみる。
ジニ係数に含まれる人口増加率と初等教育の就学率の影響をコントロールし、先進国の所得
分布を基準とする途上国の地域ダミー を説明変数に加えてクロスカントリーで推計をした結果が
表 3 である。70、80、90 年代の 3 期間のデータをプールして推計したケースでは、log(y)3 と人口増
加率の係数はプラス、就学率の係数はマイナスであった(表 3 のケース1)。地域ダミーは中南米
のみ有意にプラスとなっている。他方、1990 年代のデータのみで推計したケースでは、就学率の
係数はプラスであった(同ケース 2)。1990 年代のデータに 2 次曲線を当てはめたケースでは
log(y)2 の係数がマイナス、人口増加率がプラス、アジアダミー がマイナスであった(同ケース3)。こ
の係数に基づいて計算すると、3080 ドル(1995 年ドル価格)の水準で山となる逆U字曲線が検出
される(先出の図 3-9 を参照)。
2.2 成長は不平等を招くか
108 カ国における682 の調査に基づいて実証研究を行った Deininger and Squire(1996)は、所
得分布のデータについて次のような点に注意を促している。世銀の調査をはじめ途上国では支
出調査に基づいてジニ係数が算出されるため、所得調査によるジニ係数より数値が低く、したが
って格差が小さく算出されやすい。この報告によれば、支出ベースと粗所得ベースのジニ係数に
は平均して 6.6 ポイントの差があった。さらに、貧困世帯と富裕世帯に規則的な世帯人員の差が
あれば、調査単位が世帯か個人かによって算出結果は異なる。世帯を対象にしたジニ係数は、
個人単位のジニ係数より平均すると1.69 ポイント低かった。対象所得が課税や社会保障などの移
転前の粗所得(グロス)か、移転後の純所得(ネット)かによっても、ジニ係数は大きく異なる。
Deininger and Squire のデータから、同一の個人または機関が同一の定義により行った調査を
選択し、国内の所得格差を表すジニ係数の推移を地域別に見た。ジニ係数を算出するもとになる
所得または支出のデータは、各国の調査ごとに対象が異なるため、国どうしの数値の厳密な比較
は困難である。これらの注意を念頭において、Maddison(1995 )の推計による各国の1人当たり
GDP(1990 年価格の国際ドル表示)とジニ係数の推移をプロットしたものが図 3-1∼図 3-7 である。
先進国のジニ係数の多くは世帯単位の粗所得調査に基づいている。
1980 年代以降、中欧ではベルギー、オランダにおいて所得格差が拡大する一方、ドイツ、スイ
スでは格差が縮小している(図 3-1)。イギリス・南欧ではイギリス、イタリアにおいて格差が拡大し、
スペイン、ポルトガルで縮小している(図 3-2)。北欧では 1970 年代まですべての国において格差
4
が縮小していたにもかかわらず、1980 年代以降は拡大に転じている(図 3-3)。新大陸とアジア・
太平洋では格差縮小のカナダと格差維持の日本を除いて、アメリカ、オーストラリア、ニュージー
ランドで1970 年代以降、格差は拡大している(図 3-4)。これらの図を押しなべて見ると、先進国で
はスイス、カナダ、日本を例外として、1 人当たりGDP がおよそ 15000 ドルを超える水準を境に、
所得格差は縮小から拡大に転じていることがわかる。
表 2 は世界銀行の世界開発指標(1995 年価格ドル)により58 の途上国を対象に、1960 年代の
1人当たりGDP の平均値(初期所得)と1980∼90 年代の平均成長率(発展スピード)のマトリック
スで分類した上で、ジニ係数の推移を比較したものである。東アジアでは高成長を遂げた国と地
域のうち、中国とタイのジニ係数は上昇しており、韓国、香港、マレーシアでは低下している。算出
ベースが異なる中国と台湾を別にすると、韓国のジニ係数がとりわけ低い。韓国と香港では所得
格差の縮小過程にある一方、中国とタイはまだ拡大過程にあるといえよう。台湾とシンガポールで
は先進国同様、格差縮小から拡大に反転した可能性がある。
1980∼1990 年代に中成長している国のうち、1960 年代の所得分類で最貧国に属していた国
のジニ係数を見ると、パキスタンとスリランカのみ上昇傾向にある。反面、中所得国・中高所得国
に属するパナマとチリでもジニ係数は上昇しており下降局面にはない。一方、高所得国のイスラ
エルのジニ係数はきわだって低く、時系列的にもほとんど変化がない。停滞国では中所得国のコ
ロンビア、中高所得国のメキシコ、高所得国のアルゼンチンで格差が拡大しており、ガーナ、パラ
グアイ、ジャマイカ、ブラジル、コスタリカで縮小している。マイナス成長国では最貧国のナイジェリ
アと中所得国のペルーで格差が拡大しているほかは、大きな変化はみられない。
世界銀行が支出ベースで算出した最近時点のジニ係数(表 2 の脚注 1)を比較すると、ケニア、
ジンバブエ、南アフリカのジニ係数の大きさが注目を引く。反対に、ネパール、エジプト、モロッコ、
コートジボアールのジニ係数は比較的小さい。算出ベースの違いを無視すれば、一般的に中南
米とサブサハラ・アフリカで国内の所得格差は大きく、アジアと北アフリカで格差は小さい。経済が
成長している過程では中国のように格差が拡大する国もあれば、韓国や台湾のように縮小する国
もある(図 3-10)。しかし、経済が停滞している国では所得格差も固定化する傾向にある。
2.3 平等は成長促進的か
経済成長と所得格差の関係を調べるために、Barro(1999)は Penn World Table のデータを基に
したクロスカントリーの成長回帰分析に、Deininger and Squire (1996)によるジニ係数を説明変数
に加えて推計したところ、1人当たりGDP 成長率から就学率や民主主義指数などのコントロール
変数による説明力を除いた残差とジニ係数 gini の間には相関が見られなかった(Figure 1)。そこ
で、ジニ係数と1人当たりGDP の対数表示との交叉項 gini*log(y)を説明変数に加えると、ジニ係
数がマイナス、交叉項がプラスで有意になった(Table 4, Figure 2, Figure 3)。これらの係数を用
いて成長率に対するジニ係数の影響を計算すると、1人当たりGDP が 2070 ドル以下(1985 年価
格のドル表示)であればマイナス、それを超えるとプラスの影響が及ぶ(p.21)。すなわち、所得の
低いアジアでは不平等が成長にマイナス、所得の高い中南米では不平等が成長にプラスの効果
をもたらすことになる。
5
ハロッド・ドーマーの成長モデルを開放経済に拡張したツーギャップ・モデルを用いて6 、表 2 の
途上国に対して Barro と同様の推計を試みる。データは世銀の WDI から基本的に 1990 年代の
平均値をとり、ウエイトつきGLS で回帰させた結果が表 4 である。被説明変数は 1 人当たりGDP
成長率、説明変数は GDP に対する投資比率、輸入比率、FDI 比率に加えて、ジニ係数とアジア
を基準とする地域ダミーを導入した。いずれのケースもジニ係数は有意にマイナスの説明力を有
しており、基準となるアジアでは平等が成長促進的であることを示唆している。
説明変数にジニ係数と地域ダミーとの交叉項を加えると、交叉項の係数はともにプラスとなり、
中南米とアフリカではむしろ不平等が成長促進的という結果になった(表 4 ケース1)。地域ダミー
に代えて、log(y)とジニ係数との交叉項を説明変数に加えると、Barro の結果と同様にジニ係数が
マイナス、交叉項がプラスで有意となった(同ケース 2)。ただし、ジニ係数がプラスの影響を持ち
始める所得を計算すると、非常に大きな値になった。説明変数に政府消費の GDP 比率を加える
と係数がマイナスとなり、大きな政府が成長抑制的であることを示している(同ケース3)。
1960∼1990 年代のデータをプールして、成長率とジニ係数の関係をクロスカントリー で見ると
(図 3-11)、全体ではマイナスの相関があるものの、国別に見れば動きは一様でない。相関係数
を計算すると、サンプル全体では△0.47 であるのに対し、地域別にみるとアジア△0.51、アフリカ
△0.53、中南米はプラスの 0.67 であった。表 5 はプール・データを用いて地域別に推計した結果
である。これをみると、ジニ係数はアジアでは大きなマイナス、中南米ではプラスの効果を持ち、
所得格差が経済成長に及ぼす影響の地域による違いをより鮮明に示している。
このように、地域によって成長要因が大きく異なる実態は、いずれの推計においても地域ダミー
が高い有意性を持つことにも反映されている。途上国の地域的な構造の違いを無視したクロスカ
ントリー分析の手法に疑問が残ると同時に、推計に用いた説明変数が途上国の構造的な差異を
説明しきれていないことを意味している。人的資本への投資が成長の鍵を握る要因であると主張
するウィリアムソン(2003)は、なぜ学校教育に対する投資が中南米で低く、東アジア高かったのか
という疑問に対して、小規模な稲作と大規模な農園のように異なった農業技術への初期の特化が
二つの全く異なる発展の道をたどらせ 、東アジアの平等な所得分配が人的資本への投資を容易
にした、と答えている(pp.91-93)
他方、1980 年代における中南米と東アジアの経済パフォーマンスを比較し、その差異の原因を
追求した Sachs(1985)は、「為替レート管理と貿易制度」の差異が最も大きいと結論づけている7 。
東アジアでは介入主義的な政府によって外資を輸出産業に振り向け、獲得した外資を債務返済
に充てることができたのに対し、中南米では都市労働者の政治的な圧力により保護主義的な貿
易・通貨政策がとられたためである、と指摘した上で、その理由として東アジアでは戦後実施され
た土地改革と分配政策により所得が比較的公平に分配されていたために、政府は政治的な圧力
を受けることなく市場の効率化を進めることができた、としている。
6
7
Two-gap モデルを用いた時系列分析については Yamashita and Khachi (2003), ESRI Discussion Paper 43 を参照。
絵所秀紀(1997)「開発の政治経済学」pp.150-153 による。
6
3 まとめと今後の課題
(1) 推計結果
1 節では Maddison(1995)のデータにより、1820∼1994 年を 5 期間に分けて1人当たりGDP の
水準 y と成長率 g の関係をプロットしてみると、3560 ドルを山とする逆U字曲線が描けた(図 1-6)。
この曲線はそれより低所得の国では成長が加速され、高所得の国では成長が減速することを意
味している。しかし、貧困国の多くが「貧困の罠」にはまっており、クロスカントリー での統計的な観
察は一国におけるダイナミズムの生起を保証するものでない。GDP 全体額でみても国家間の所
得格差は拡大していることから(図 1-7、図 1-8)、不平等の拡大を低所得国における人口増加の
みに帰することはできない。
同じデータを用いて、クロスカントリー推計により log(y)、人口増加率、途上国の地域ダミーを説
明変数とするg への回帰分析を行うと、1950∼1994 年の推計期間ではいずれの係数も有意にマ
イナスの説明力を持ち(表 1-1)、高所得であるほど成長率が低下することが示された。次に、世
銀の WDI データを用いて 1970∼1990 年代の平均成長率をg として、説明変数に初等教育の就
学率、政府消費の GDP 比率を加えると、就学率とアジアダミー の係数がプラス、政府消費比率の
係数がマイナスとなった(表 1-2)。地域別に成長率と就学率の相関をとると、アジア0.54、アフリカ
△0.14、中南米△0.06 となり、アジア地域に限定すれば、教育はきわめて大きな成長促進効果を
持つことになる(図 3-12)。
2.1 節ではクズネッツの「逆 U 字曲線仮説」を検証した。1980∼1990 年代のジニ係数と1 人当
たりGDP の関係を全世界のクロスカントリーでプロットしたところ(図 3-8)、およそ 3000 ドルの水準
で山、17000 ドルの水準で谷となる3 次曲線を描いた。しかし、ジニ係数と対数表示の 1 人当たり
GDP の関係をプロットすると、低所得国のデータが散らばり、高所得国のデータが固まるために、
3080 ドルの水準で山となる2 次曲線が当てはまる(図 3-9)。1970∼1990 年代のジニ係数を被説
明変数とするクロスカントリー推計を行なうと、ジニ係数が log(y)の 2 次または 3 次曲線で近似され、
フィットは同じように高い(表 3)。
2.2 節で Maddison(1995)の1人当たりGDP とDeininger and Squire (1996)のジニ係数の関係を
地域別に時系列で追ったところ、先進国では 1970 年代まで縮小を続けた国内の所得格差が反
転し、再び拡大する傾向がみられた(図 3-1∼図 3-4)。東アジアの新興国では経済成長とともに
中国、タイのジニ係数が上昇する一方、香港、韓国のジニ係数は横ばいで推移している(図 3-5)。
停滞しているアフリカや中南米では、国内の所得分布においてもダイナミックな展開が見られなか
った(図 3-6∼図 3-7)。
2.3 節ではジニ係数(所得の不平等)が経済成長に及ぼす影響をみた。ツーギャップ・モデルの
フレームを用いて、1990 年代の途上国のジニ係数をクロスカントリーで成長率に回帰させてみると、
アジアではジニ係数は成長にマイナスの効果を持つ反面、中南米とアフリカではプラスの効果を
持っている(表 4 のケース1、表 5)。一方、説明変数にジニ係数とlog(y)との交叉項を加えて計測
すると、ジニ係数がマイナス、交叉項がプラスの効果を持つことから、所得の高い中南米では不
平等であるほど成長率が高い結果となった(表 4 のケース2、ケース3)。
7
(2) 今後の課題
所得分布がより平等で高成長を実現しているアジア新興国に共通しているのは、中所得層の
貯蓄率と教育水準の高さである。これらの国では豊富な国内貯蓄が原資となり、物的のみならず
人的投資が活発である。成長の源泉が工業からIT 産業へ移行するにつれて、知識労働者がスム
ーズに供給される土壌があり、賃金の全般的な上昇が期待される。反対に、所得分布がより不平
等な中南米やアフリカでは経済が長期的に停滞、または後退している国が多数に上り、国家間の
所得格差も広がっている。本論で検証を試みた Barro の所得収斂理論もKuznets の逆U字曲線
仮説も、途上国の地域ダミーがいずれも有意な説明力を持っており、地域に特有な経済成長のメ
カニズムを解明する必要がある。
アメリカでは製造業の賃金格差が拡大している他、経営者によるストック・オプションの行使など
を通じて一部の富裕層に富が集中する傾向が強まっている8 。IT 産業では知識労働者の高賃金
を回避するために、コンピュータ・ソフトの開発を中国やインドなどの途上国へ委託する動きがある。
他方、1990 年初のバブル崩壊により10 年以上にわたって低成長が続いた日本では、1992 年に
13.9 パーセントであった家計の貯蓄率が 2001 年には 6.9 パーセントに半減したほか、世帯間の
所得格差も拡大している9 。また若年層の雇用問題が深刻化する中で年金基金の持続可能性が
疑問視されるなど、世代間の所得格差も拡大すると見込まれている。IT 革命後の知識社会への
移行がマクロ経済、所得分布、労働市場などにいかなる影響を及ぼし、またそれが途上国にどの
ように波及していくかは、きわめて興味深い今後の研究課題であろう。
8
所得階層で上位 20 パーセントに属する家計の所得合計が下位 20 パーセントに属する家計の所得合計に対する割合
は、73 年には 7.5 倍であったのが 96 年には 13 倍へと拡大している(高田(2000), p.176)。
9 橘木俊詔(1998)
「日本の経済格差」岩波新書。
8
図1-1 1人当たりGDPと成長率の関係
(1820年~1870年)
1人当たりGDP成長率(%)
8
6
4
2
0
2.0
2.5
3.0
3.5
4.0
4.5
4.0
4.5
-2
1人当たりGDP(対数表示)
図1-2 1人当たりGDPと成長率の関係
(1870年~1913年)
1人当たりGDP成長率(%)
8
6
4
ガーナ
2
0
2.0
2.5
3.0
3.5
-2
1人当たりGDP(対数表示)
(データ) Maddison (1995)
9
10
図1-5 1人当たりGDPと成長率の関係
(1973年~1994年)
8
韓国
台湾
1人当たりGDP成長率(%)
6
中国
タイ
4
2
0
2.0
2.5
3.0
3.5
4.0
4.5
-2
-4
ザイール
-6
1人当たりGDP(対数表示)
図1-6 1人当たりGDPと成長率の関係
1820年~1994年(5期間のプール)
8
1人当たりGDP成長率(%)
6
4
2
0
2.0
2.5
3.0
3.5
-2
-4
-6
1人当たりGDP(対数表示)
(データ) Maddison (1995)
11
4.0
4.5
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
付論:文献展望
(1) 条件付き所得収斂
新古典派経済学で用いられる Solow-Swan 成長モデルでは、人口増加率、貯蓄率、および技
術進歩率が外生的に与えられると、1人当たり資本ストックはいずれ各国固有の均衡水準 k*に収
束する。そこで均衡所得水準 y*が達成されるとともに、経済成長(1人当たり所得の増加)はそれ
ぞれの技術進歩率を反映したものに落ち着く。過渡的には資本ストックが均衡水準を下回る度合
いが大きい国ほど成長率は高くなる。世界経済の現状を見ると、東アジア諸国のように急速な経
済成長を達成して先進国にキャッチアップした国もあるが、多くの途上国では経済が停滞しており、
国家間の所得格差は一様に縮小してはいない。
こうした現象を説明するために、Barro (1991)はその国の資本蓄積のみならず 、政策や制度的
な要因が成長率に影響を与えるとする「条件付き所得収斂理論」を提唱した。この理論によれば、
均衡所得水準 y*は労働者の勤労意欲、貯蓄性向、政府の経済政策など、国ごとに特有な条件
によって様々な値をとるため、各国の所得水準が一定値に収束する保証はない。また技術進歩
率や貯蓄率を一定としているため、なんらかのショックにより均衡資本ストック k*が上位にシフトし
ない限り、k*の低い国は「貧困の罠」に閉じ込められることになる。
Barro (1997)は Penn World Table 10 の約 100 カ国における1960∼1990 年のクロスカントリー・
デ
ータを用いて成長率を計算した。その結果、1人当たりGDP (y)の成長率と対数表示の所得水準
log(y)の間に単純な相関は見いだせなかった(Figure 1.1)。しかし、成長率を平均寿命、教育年
数、出生率、政府消費率、法による政治指数、交易条件の変化率、民主主義指数、インフレ率、
地域ダミーなどの変数によって回帰させた残差と log(y)の間にマイナスの関係が成立するとして
(Figure 1.2)、これらの影響をコントロールすれば所得が高いほど成長は鈍化し、やがて所得は
収斂するという「条件付き所得収斂理論」を検証した。
世銀のDollar and Kraay (2003)によれば、200 年以上にわたって拡大を続けた国家間の所得格
差は、全世界の 3 分の 1 の人口規模を持つ中国とインドの成長をきっかけに、1975 年前後をピー
クに縮小に向かっている。平均以上の高成長を達成した国は、貿易や投資の自由化といったグロ
ーバリゼーションの利益に加えて、教育、税制、社会政策、土地改革、市場経済化といった国内
の制度改革によって貧困を削減した(pp.120-121)、と主張している。
これに対して Galbraith(2003)は、国連統計によれば国家間の製造業の賃金格差は 1980 年代
以降、北欧と東南アジアを例外として確実に拡大しており、その原因は高金利、債務危機、急激
な自由化などグローバリゼーションにともなう弊害である、と反論している(p.178)。アジア通貨危機
前後の東アジア諸国の1人当たり所得(ドル表示)を IMF 統計で比較した木下は、中国を除く
2002 年の各国の所得は 1996 年より低下しており、所得格差も拡大したと述べている11 。
マディソン(1990)は 1980 年を基準とする国連の購買力平価(国際ドル)を用いて、主要な32 カ
国について 1900 年から1987 年までの 1 人当たりGDP を推計した。それによれば、OECD 諸国と
アジア途上国、中南米諸国との所得格差は 1900 年時点で 3.7 倍、2.4 倍であったものが、1987
年時点では 5.3 倍、3.4 倍にまで拡大している。1987 年の最貧国であるバングラデッシュと最富裕
10
データについては Summers and Heston (1991)を参照。
11
木下俊彦「東アジア共同体づくりの課題―日本、求心力の形成主導を」日本経済新聞(2004 年 2 月 5 日)
。
29
国であるアメリカとの格差は 8 倍から36 倍に拡大した。しかし、この間の人口増加率が OECD 諸
国 0.5 パーセント、アジア2.1 パーセント、中南米 2.6 パーセントであることを考えると、地域的な所
得格差の拡大は人口の増加に帰着できるとしている(pp.7-13)。
(2) クズネッツ仮説
アメリカ、イギリス、ドイツの経済の発展過程と所得分布の推移を観察した Kuznets (1955)は、発
展段階が農業から工業へと進むにつれて国内の所得格差は広がるが、工業部門の賃金が上がり、
生産性の低い農業部門が縮小するにしたがって所得格差は縮小に向かう、という仮説を数値例
によって示した(pp.12-15)。この関係は逆U字型のクズネッツ曲線(経済発展の初期に所得格差
は拡大するが、成長の過程で格差は縮小する)とよばれている。他方、戦後のインド、セイロン、プ
エルトリコ経済の観察を通じて、クズネッツは途上国における所得格差は先進国の発展段階初期
における所得格差より大きく、経済成長を促すダイナミズムが欠如しているため、先進国と同様の
発展過程をたどる保証はない(p.24)、と論じている。
ウィリアムソン(2003)はリカードの発展理論 12 に基づいて産業革命におけるイギリスの経験を次
のように評価している。不均斉的な技術進歩が都市と農村の賃金格差を拡大する一方、「穀物
法」によるパン価格の上昇が労働者の実質賃金 を抑制し、地主と労働者の不平等を拡大した
(pp.53-61)。こうした旧勢力を温存する価格政策と、新興勢力によるそこからの解放がクズネッツ
曲線を説明する一因である。Lewis(1954)は持続的な成長が労働需給を逼迫させ、賃金の底上
げを通じて成長の恩恵が貧困層に及んで初めて所得格差は縮小する、として生存賃金で無限弾
力的に労働力を供給してきた農業の過剰労働が資本蓄積の進行により枯渇し、賃金が限界生産
性曲線に沿って上昇し始める時点を「転換点」と呼んだ(速水(2000), p.87)。
1920∼1930 年代の日本の所得分布を市町村の税務データによって調べた南(1996)は、当時
の所得不平等がきわめて深刻であった理由を次のように説明している。大量の過剰労働力の存
在が労働分配率を低下させ、熟練労働力を温存した大企業と不熟練労働力を多く抱える中小企
業の賃金格差を拡大するなど、戦前の都市における所得分布の悪化傾向は「過剰労働力を伴っ
た経済成長」の必然的帰結であった(P.72)。日本の所得分布が平等化に向かうのは、戦後の高
度成長が過剰労働力を解消し、賃金全体が上昇に転じた後である。
不平等の拡大と密接な関係を持つ途上国の人口増加について、速水(2000)は所得向上にと
もなう内生的変化であるよりは 、先進国の保健・医療技術の移転によって引き起こされた外生的
変化という側面が強い(p.202)、と指摘している。その上で、(1)多くの途上国が工業化を急ぐあま
り、発展の初期段階から資本集約的な先進国の技術を導入し、大企業を優遇して資本分配率を
上昇させた。(2)非農業での雇用吸収力が弱いため農業に過剰な労働力が滞留し、生産性の向
上を妨げた。(3)人口圧力の増大で農地はより劣悪な土地へと拡大され、リカード的な差額地代
13
の上昇によって、地主と小作との所得格差を拡大した。(4)貧困の増大が相互扶助の慣習に守
られてきた 農 村 共 同 体 を破 壊 し、貧 困 層 は 都 市 の スラムへ 流 出 した、と分 析 している
12
人口増加につれて食料価格が上昇を続ければ、非農業部門における資本利潤率はそれ以上の資本蓄積を不可能にす
るほど低くなり、労働者の賃金は生存ぎりぎりの水準にとどまる一方、地主の地代所得は高止まりする、という停滞的
均衡状態に陥ることを「リカードの罠」という(速水(2000), p.85)。
13 優等地と劣等地における農業生産費の差が地代として地主の懐に入る(速水(2000), P.81)
。
30
(pp.195-202)。
1970 年代にはローマ・クラブが「成長の限界」というレポートを公表し、先進国における資源の
浪費と途上国における人口爆発が食糧危機と環境破壊をもたらし、地球を破滅に導くと警告した。
しかし、人口増加圧力は確実に弱まっている。国連の人口委員会は 2050 年の地球人口を120 億
人と予測していたが、2002 年推計では 89 億人にまで大幅に下方修正されている。Leibenstein
(1957)らは出生率が低下する理由として、産業革命後に社会・経済システムが大きく変化し、労働
立法や教育制度が子供の養育コストを上昇させる一方、社会保障や保険制度などが老後保障と
しての子供の効用を低下させたことを指摘し、さらに最大の要因は子供の死亡率が低下したため、
子供の数を増やすことに対する親の限界不効用が増加したことにある、と説明している(速水
(2000), p.77)。
先進 9 カ国における賃金格差を比較した Blau and Kahn (1996)は、アメリカの賃金格差が他の
国より大きい理由として、(1)個別的な賃金決定がなされていることにより、スキルがより高く評価さ
る賃金体系となっている。(2)賃金階層の上位 90∼50 パーセントより、下位 50∼10 パーセントの
賃金格差の方が大きい。したがって低賃金に対する抑圧が格差を広げている。(3)低賃金労働
者の比率が他の国より多い(賃金階層が二極分解している)、などをあげている。また、多くの先
進国において賃金格差が拡大しているとの研究報告を引用している(p.792-793)。
31
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