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サウンドスケープの学校導入への可能性
Hirosaki University Repository for Academic Resources Title Author(s) サウンドスケープの学校導入への可能性 外谷, 和 Citation Issue Date URL 2005-03-31 http://hdl.handle.net/10129/1804 Rights Text version author http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/ 修士論文 サウンドスケープの学校導入への可能性 Bringing the Concept of Soundscape into School Music Curriculum in Japan 指導教員:今田匡彦 助教授 国立大学法人弘前大学大学院教育学研究科 教科教育専攻音楽教育専修音楽科教育分野 03GP216 外谷 和 Kazu Sotoya 2005 年 3 月 0 弘前大学 目次 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 要旨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 第一章 問題の所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 1. 音、そして学習指導要領・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 (a) 日本の伝統的音楽聴取 (b) 中学校学習指導要領 2. イメージと即興・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 (a) 音、音素材と即興 (b) イメージから創造へ 第二章 サウンドスケープ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 1. 天体のハーモニーと或いは形式: 「アポロン的」音楽観・・・・・・・・・・・21 (a) 西洋音楽の原初〈ピュシス〉と中国の音階 (b) 「音楽」の語源(ムーシケー)と、現在の音楽 (c) 東洋の「アーハタ」と、日本の「もののね」観 (d) アフリカの「オンガク」と、オーストラリア・アポリジニの「ドリームタイム」 2. 西洋 19 世紀の音楽観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39 (a) 「巨匠」の神格化 (b) 聴衆の変化と聴取の変化 (c) 「アポロン」的音楽から「デュオニュソス」的音楽へ 3. シェーファーとサウンドスケープ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 48 (a) サウンドスケープ思想 (b) 耳のメカニズム (c) 聞こえることと、聴くこと (d) プラトンとアリストテレス (e) 音楽を創造すること (f) 透聴力とイヤー・クリーニング (g) その他の音楽家の活動 (h) シェーファーの教育活動 1 (i) 動くこと 第三章 リトミック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 1. デュオニュソスとしての身体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 (a) 「デュオニュソス」的な音楽 (b) リトミック 2. リトミック講習会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71 (a) 実践 (b) リズムに合わせる (c) リトミック的な創作(教育)活動 (d) リトミックとサウンドスケープの共通項 (e) 日本でのリトミック活動 3. 他のメソード・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・88 4. 身体の零度を獲得するために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・92 (a) 音楽とイメージ、そして身体 (b) 第二章と第三章のまとめ 第四章 日本の学校教育への導入―まとめにかえて・・・・・・・・・・・・・・・・98 (a) 「形式」と「内容」 (b) 「アポロン」的音楽と「デュオニュソス」的音楽の融合 (c) 具体的な活動 (d) まとめ 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112 2 謝辞 論文を書くにあたり、実に多くの方々のご指導、ご協力を得ることができた。ここに心 から感謝いたします。 特に学部生時代から大学院の 2 年間、論文指導をしていただいた今田匡彦先生には、多 大なるご指導をいただきました。論文の書き方から、構成の仕方など、研究のあらゆる面 においてご指導、ご指摘していただきました。あまり出来のよい学生ではなかった私を最 後まで、親身にご指導いただいたことは忘れません。また、私に音楽家であることの自覚 を持たせてくださいました。ここに心からの感謝の念を表します。 そして、発表の場において、的確なご指導をしてくださった諸先生方に深く感謝いたし ます。 さらに、先輩、後輩方に多くの助言、協力をいただき、大変お世話になったことをここ に記し、感謝したいと思います。 また、学生生活を温かい眼で見守ってくれた家族に深く感謝します。 最後に、ここにお名前を挙げることの出来なかった方を含め、本論文を作成する上でお 世話になった全ての人に感謝を申し上げます。 2005 年 1 月 31 日 3 要旨 その昔、ギリシアの人々は、天空の星々が運行する際、音を奏でると考えた。神の手に なる超自然の音に、人々が何を聴こうとしたのか、想像の余地もないが、この「天体の音 楽」が、どうやら音楽の起源の一つと考えられているようだ。自然の均衡の中に見られる 音を基盤に、例えばピュタゴラスは音階の原型を見出した。自然の法則を基盤とした科学 的、且つ、論理的思考を、その後の人はアポロン的であるとしたが、音楽、或いは芸術が その後の世界で発展していく段階で、イロジカルな感性のうごめきを、人々は音楽のなか により求めるようになったらしい。所謂デュオニュソス的音楽、或いは、芸術の概念であ る。この 2 つの概念は、時折、形式と内容といった区分によっても考えられ、音楽、美術、 文学、映画、ファッションなどなど、あらゆる芸術分野に当てはめることができる。さて、 音楽教育の場では、この 2 つの概念をどのように扱って行くべきなのか。 「聴く」という行 為に着目し、カナダの作曲家 R.マリー・シェーファーによるサウンドスケープ思想、及び、 スイスの作曲家 E.ジャック=ダルクローズによるリトミック( 「動く」という行為)を通し て検証する。 4 アポロンとデュオニュソス、形式と内容、「聴くこと」と「動くこと」といった概念は、 音楽を追求していく上で欠くことのできないキーワードであるにもかかわらず、例えばこ れまでの学習指導要領で深く触れられることはなかった。この事実を、今後の日本の音楽 教育を考えていく上での重要な問題の一つとして提示したい。 5 第一章 問題の所在 1. 音、そして学習指導要領 (a) 日本の伝統的音聴取 江戸時代、江戸の「音楽」は,歌舞伎下座で御殿・寺院などの奏楽を暗示するもの(野 村良雄,1966, p.322)だった。また、日本の歴史の中で「音楽」という言葉が使われはじ めたのは、 『万葉集』が書かれた奈良時代(710~784)(国安,1981) という記録もある。 さらに、田中直子(1986, p.143)は以下のように述べている。 「現代の日本では、あらゆる種類の音楽現象を総じて『音楽』と呼んでいる。しかし、 このような用い方は西洋音楽摂取以後のことであって、それ以前、特に古代においては、 中国、朝鮮など外来の器楽曲及びそれらを模倣した楽曲のみを『音楽』と言っていた。 一方、日本古来の調べや歌が『うたまひ』とか『あそび』、あるいは『もののね』とい った言葉で表されていたことは興味深い。このことは、日本の音楽文化の基層において は、音楽が音響現象のみで成立していたのでなく、身体的所作や宗教的及び文化的な行 6 事と共にあり、より包括的な脈絡の中で存在していたことを示唆しているからである。 ここで最も注目すべきことは、当時の音楽が『もののね』という言葉でとらえられてい た事実である。 『もののね』、つまり物の音を字義どおり解釈すれば、何かの物が発する 音、となる。この物がたてる単なる音を雑音、騒音とみなし、それらを可能な限り排除 して純粋な音色、複雑な音響構造を追及してきたのが、私達に馴染み深い西洋近代の『音 楽』である。これはいわば反物音的音楽観であるが、それに対して日本の音楽観は汎物 音的感性に支えられている。」 西洋の「音楽」は、作りだされた人工的な音(和声や、旋律、リズムなどを用いて作 曲された作品)によるものであり、日本の「音楽」は自然に鳴る音や、耳には聞こえな いが、調和のとれた事・物自体であると田中は述べている。つまり、日本では、風の音 や虫の鳴き声など自然界の音を「もののね」として捉え、人々は独特の聴取方法を持っ ていたことが、 「古池や 蛙飛びこむ 水の音」、 「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」(芭 蕉)などの俳句に示されている。これらの例を見て分かるように、 「水の音」や「蝉の声」 の語句から、そのあたりの風景や音環境を想像することができる。つまり、環境音その ものを聴く行為が日本の伝統的な音楽聴取の方法であったとも言える。このような伝統 7 的な音聴取の方法自体が、伝統的な音楽を学ぶ上では必要なのであろう。 (b) 中学校学習指導要領 中学校学習指導要領では、音楽科の目標の中に、「伝統的音楽」を学ぶ必要性につい て述べている。つまり、明治以前における日本の音楽聴取の方法を学ぶことは、中学校 学習指導要領で示された伝統的な音楽を学ぶことに一致すると考えられる。 日本の伝統的聴取である「もののね」観的な聴取方法は、その鋭い聴覚故に、音の違 いに気づくことに繋がると考える。音の違いに気づくことによって、響きの音色や調和 が聞き取れるのではないだろうか。これは音楽を表現することに直接的な関わりがあり、 音楽を聴取する時もやはり同様である。音の違いに気づくことは、音楽を学ぶ上で非常 に重要であると考える。これは、学校音楽教育において重要な事である。 中学校教育のガイドラインである中学校学習指導要領、音楽科の項では、表現と鑑賞 を通して、音楽を愛好する心情、音楽に対する感性、音楽活動の基礎的な能力、豊かな 情操、これらを育てることを大きな目標として掲げている。中学校学習指導要領による と、音楽を愛好する心情とは、「音楽への永続的な愛好心」である、と書かれている。 音楽活動の基礎的な能力とは、ソルフェージュに代表されるように、音色やリズム、 8 旋律、和声など、様々な要素を感じ取る能力である。 豊かな情操については、音楽科という枠組みを超え、学校教育という立場から、知的 情操、道徳的情操、美的情操、宗教的情操(1999, p.9)などがあるという。音楽科教育で は、特にこの中の美的情操を育成することを目標にしている。中学校学習指導要領のこ のような音楽に対する立ち会い方は、その昔、音楽(或いは芸術)を、なにか別な効用を もたらすものとして評価したアリストテレスを想い起す。つまり、音楽という A は、 実はなにかものの役に立つ B という内容を持つ、ということである。 そこでもう一度、中学校学習指導要領 (1998)を見直してみる。 「表現及び鑑賞の幅広い活動を通して、音楽を愛好する心情を育てるとともに、音楽に 対する感性を豊かにし、音楽活動の基礎的な能力を伸ばし、豊かな情操を養う。」 学校音楽は、歌唱、器楽、創作などを含む表現活動と、鑑賞活動の2つに分かれてい る。これらの活動は、文部科学省の検定を経て発行される音楽教科書に掲載された楽曲 を基盤にして行われる。そして、最終的にこの2つの活動を経験すれば、音楽の基礎的 な能力が伸び、豊かな情操が養われる、ということらしい。情操とは何かを具体的に説 9 明することは容易ではない。そのような意味で、中学校学習指導要領はなにか精神医学 的な効果をねらっているようでもある。また、この目標の中で、最初に書かれている「表 現及び鑑賞の幅広い活動を通して」という部分に着目してみる。中学校学習指導要領解 説 (1999, p.6-7) の中では以下のように表記されている。 「音楽との関わり方であり、両者を互いに関連させながら学習を進めることが大切であ る。……特に『幅広い活動』と示した理由は、生徒が楽しく音楽とかかわるために、一 人一人の個性や、興味・関心を生かした、多様な音楽活動を求めているからである。ま た、我が国や世界の古典から現代までの作品、郷土の伝統音楽や世界の諸民族の音楽な ど、多様な音楽を教材として扱い、さらに、音楽の素材となる音について関心をもたせ たりすることも、重要な音楽活動として、位置づけている。こうした幅広い音楽活動を 充実させていくことが、音楽科の目標を実現させる為の基盤となる。」 ここで注目されるのは、郷土の伝統音楽、世界の諸民族の音楽を取り上げている点で ある。これは、これまでの日本の学校音楽が西洋音楽に傾きすぎていたことを示唆して いる。そして、郷土の伝統音楽にもなにか役に立つ B という内容がある、と示唆して 10 いるようにもみえる。しかも、伝統的音楽が何なのかの明記がされていないため、曖昧 な言葉になっている。また、 「多様な音楽」の表記について西田治 (2002, p.46) は日本 の音楽教育の変化について以下のように述べている。 「西洋音楽だけでなく、価値の多様性を肯定するという方向性が打ち出されてきた事に より、それまで西洋音楽・西洋美学を『唯一絶対の美の基準』として形成されてきた音 楽教育がある意味において自己解体をしようとしている。そして、これは『唯一絶対の 〈真・善・美〉が存在しない』、そして『多様性を肯定した』という意味において、 『音 楽教育におけるポストモダン』と捉える事も出来る。」 中学校学習指導要領にも、これまで西洋中心の学校音楽教育を反省し、新しい発想が 組み込まれつつあることを、西田は示している。「音楽」という言葉に内包される多く の意味を包括的に捉え、西洋音楽という一つの形にとらわれないようにすることを示唆 している。西洋医学では治しきれない病気に、漢方を処方しましょう、ということだろ うか。つまり、明治時代に始まった音楽科の授業は和洋折衷を挙げていたものの、その 内容は西洋音楽そのものであった。そこで、中学校学習指導要領では、多様な音楽を教 11 材に挙げることを記載したと考えられる。若尾裕 (2000,p.105) は以下のように述べて いる。 「結局のところ、子どもたちがどのような音楽を覚えてゆくかについては、教育の世界 では、昔ほど誰も自信をもって結論めいたことがいえない状況なのである。だから、多 様化、マルチ・カルチュア、ワールド・ミュージックなどの言葉のもとに、とりあえず 面白そうなものは何でも一通り揃えるというようなプログラムに落ち着きつつあるよ うに見える。」 2. イメージと即興 (a) 音、音素材と即興 中学校学習指導要領には、音楽の素材となる音について関心を持たせることには触れ られているが、「音に関心」を持つための具体的な内容が明記されていない。中学校学 習指導要領解説では「音楽の素材としての音」(1999,p.16) を以下のように表記してい る。 12 「音楽は音からなり、音楽表現は音を媒体とする。したがって、まず音について知るこ とが必要となる。音楽の素材としての音は、楽器の音のみならず、私たちを取り巻く環 境にある様々な音を含めて考える必要がある。声においても曲種に応じた様々な発声が ある。また、一歌唱曲の中でも、その時々の表情やイメージにふさわしい音色や響きを もつ声が求められる。このように音の特性への関心とは、リコーダーを吹く場合でも、 打楽器を打つ場合でも、常に出している音の響きを注意して聴く姿勢につながっていく ものなのである。」 以上の文言は、音に対する興味・関心を持つことの重要さを示唆するものではあるが、 この内容を受けた具体的な活動はほとんど示されていない。今まで内容については自信 ありげだった中学校学習指導要領だが、音自体、つまり形式に話しが傾いたとたんに言 葉少なげになるようだ。また、中学校学習指導要領 (1998) では以下のような記述があ る。 「表現したいイメージや曲想をもち、様々な音素材を用いて自由な発想による即興的な 表現や創作をすること。」 13 ここで問題なのは、「自由な発想による即興的な表現や創作」という箇所である。即 興とはいったい何であろうか。即興演奏について柴田純子 (1984, p.1377) は、「部分 的即興」と「純粋即興」という具合に、演奏家がどの程度関与するかによって使い分け ている。 「理想的な純粋即興演奏では、演奏者の表現衝動が直接に音響を生み出し、その音響か らさらに新たな表現衝動が生じる。この場合、音楽は演奏行為自体からつくりだされる ので、表現を精錬し形式化するというよりも個性に非常に密接したものとなり、演奏手 段や演奏家の能力による度合いが高い。純粋即興は実際上きわめて難しく、特に長時間 続けて行う場合にはなんらかの構成原理にたよることが多く、17~18 世紀のオルガン 即興演奏においては、対位法的処理の技術が即興の必須条件となっていた。」 即興演奏をするということは、表現衝動、つまり、演奏したいという欲求が前提であ り、中学校学習指導要領で言うところの「表現したいイメージや曲想をもち」の箇所が それに当たると考えられる。イメージはイメージであるのだから、当然、漠然としたも 14 のである。その漠然としたイメージを明確化する為に必要なのが、美術、音楽、文学、 映画、演劇などの表現媒体である。そして、イメージを表現媒体に落とす際に必要とな るのが、技術である。技術は体の部位を使用するという点で、身体と密接な関係がある。 技術には同時に、特定の表現媒体、ここでは音楽の形式、様式などを理解する知性も含 まれる。このようなイメージと技術との相互作用(この 2 つは分離されるべき要素では ないのだが)を、一般的に音楽ではソルフェージュなどの基礎能力と呼ぶ。以上のよう に、即興演奏には、構成原理という規定をともなうことがうかがえる。柴田が示したよ うに、約束事として規定を設けることが、即興演奏にとって必要なこととして挙げられ ているからだ。また、三宅榛名 (1984, pp.133‐144) は以下のように述べている。 「即興演奏にあるべき姿は私にとっては、音楽に耳を澄ませ、それに必要十分な指が常 に瞬間的について行けば良いということでもあるけれど、同時に音楽の動き方によって、 自分の手の中に入っていいなかったものを獲得するということだった。だからこそ私に とって即興演奏は強烈に意味があったとも言える。それは『完成』とか『完結』ではな く、常に『試み』であり、『試み』の中にいまだ知り得なかった自分が見えてくること だ。」 15 三宅は、即興の条件として、耳を澄ませることを要求している。また、彼女はピアニ ストでもあるために「十分な指」という表現をしているが、これは、即興には身体的な 技術(或いはメカニック)が必要とされていることを示唆している。 さて、このように即興音楽は決して安易なものではない。それに対して中学校学習指 導要領では即興をあまりにも手軽に考えているのではないだろうか。話しが即興演奏、 つまり音楽自体の細部に関わると、やはり言葉足らずになるようである。自由な発想を 表現する為には、三宅が示唆するように、技術が要求されるということである。では、 自由な発想が、即興技術を通して芸術作品に至るには、どのようなプロセスが必要なの だろうか。 (b) 「イメージ」から創造へ そこで次に、 「表現したいイメージや曲想をもち」という箇所について考えてみたい。 これは、表現したいイメージを“もっていること”が前提であり、表現すること(技巧) を中心目標に据えている。しかしながら、中学校学習指導要領では「イメージ」につい て明らかにされていない。そこで、イメージする事について再検討していく。今田匡彦 16 (2004) は、プラトンのイデア論、アリストテレスのミメーシス論をベースにしながら、 芸術作品が生み出される過程を以下のように示している。 イデア論 イデア(理想) ↓ イメージ ↓ 技術(表現) ↓ 芸術作品 イデア論についての詳しい事に関しては次章以降に説明するが、このイデア論からみ ると、表現する為には、まず、イメージを「もつこと」が必要であり、このイメージを 育むための活動が必要なのである。つまり、表現をする為のイメージをもつトレーニン グをする為の目標が必要であると考える。イメージというタームには、音楽の核心を思 17 わせる響きがある。それは、神によるイデアと、人間くさい技術との仲介という意味に 於いてである。そこで、次のような目標を設定してみた。 ・ 様々な音を注意深く聴くことにより、自由な発想ができる。そのイメージに合わせ た音楽表現をする。 このような目標を立てることにより、イメージを“もつため”の活動に焦点を当てた 授業を考えることができる。それは、「音を聴く」ということである。中学校学習指導 要領でも音について関心を持たせることを目標として掲げている。では、音に関心をも たせる、とは何を意味するのであろうか。中学校学習指導要領(1998)には、次のよ うに表記されている。 「音に関心をもつことにより、音楽の美しさ、味わいといったように感覚的な経験をす ることが出来る。また、一人一人がそれぞれの感じ方が出来るようになる。その結果と して、音楽を『知覚』し、自らの表現しようとする行為として、個性的・創造的な学習 に結びつく。」 18 中学校学習指導要領に「音素材」という発想が導入された背景にはイギリスで展開さ れた「創造的音楽作り」からの影響が考えられる。この創造的学習はジョン・ペインタ ーによって提唱された。日本には音楽教育者によって取り入れられた。創造的音楽作り についてジョン・ペインター (1982, p.7) は以下のように述べている。 「創造的音楽作りとは一体何であろうか? 何よりもまずそれは、個々の生徒にとって 個性的であるようなことを表現する方法である。また、創造的音楽には、選んだ素材を 探求し、決定する自由がある。教師はこの作業にできる限り口出しすべきではない。教 師のつとめは、生徒が考えを進めていくきっかけを作り、自らの批判力や洞察力を発達 させる手助けをすることである。どんな芸術にあっても、創造のプロセスは、選ぶこと としりぞけることであり、創造の諸段階で素材を評価し、確定することである。」 子どもの表現しようとする積極的な活動を促し、音素材を探求し、その音を使って音 楽的な活動をすること、音素材に注目する必要性を示唆している。音素材を探求すると はどのようなことなのだろう。それは、まず、音を聴くことから始まるのではないだろ 19 うか。様々な音を聴くことによって、自らの内での比較・検討を通し、自分で音素材を 決定するに至り、表現することにつながっていくのではないだろうか。 イメージを表現する形式と内容とは一体なにか。一つの鍵は音そのものの中にある。 そして音そのものは聴くことなしに開示されることはない。では、その音をよく聴くた めにはどのような方法でアプローチしたらよいのだろうか。 そこで、第二章、第三章で、ペインターと同時期に創造的な音楽教育活動をしていた シェーファーのサウンドスケープと、身体に着目したダルクローズのリトミックについ て考察したい。 20 第二章 サウンドスケープ 1. 天体のハーモニー、或いは形式:アポロン的音楽観 (a) 西洋音楽の原初〈ピュシス〉と中国の音階 音楽科教育が対象としているのは、勿論、音楽である。では、音楽、とは一体何か。 ただ、音を楽しむ、という行為が音楽なのだろうか。音は我々の日常生活の中にいくら でも転がっている。いちいちそんなものに耳を傾けていては、病気になってしまう。冗 談を言っているわけではない。それほど我々の音環境は劣悪である、とも言えるのだ。 車の騒音などを聴いてもなにも楽しいことなどない。故に、我々は、音の中から、政治 権力、社会構造、経済的生産様式、神話体系、他文化からの感化などの要素によって制 度化された「音」 (今田, 1991,p.216)をわざわざ音楽と命名して、教育の対象として いるのだ。制度化された音、となれば、そう簡単に楽しむなどと言ってはいられまい。 さて、この「制度」は、果たして絶対なのか。制度とは、社会の情動性、心理性、正当 性(今田, 1991)を基盤に成立している以上、寧ろ、常に変化すると考えるのが自然 であろう。制度化された音楽をその対象とする音楽科教育に於いては、故に、制度と音 21 楽との関係を常に相対化する、別の思想が必要となる。矢野暢(1988, p.319)は言 う。 「いわゆる『サウンドスケープ』の概念が音楽に導入されたのは注目すべき動きであっ た。これは音楽を再び生活空間の要素としてとらえなおし、いわば〈ピュシス〉として の音の状況を音楽の根本前提として措定する発想であるからである。音(サウンド)が物 理的空間概念として『スケープ』と結合されたことは、芸術の成立に基づく近代的=西 欧的閉塞からの音楽の開放であった。それは、現実に生きて存在する音を把捉する試み という意味で、無定形な〈雲〉と一線を画するものであると同時に、古典音楽の様式の 枠から音を開放する試みであるという点で、それは〈時計〉からの離別でもある。しか も、それは同時に、〈制度としての音楽〉を、近代化を通過した状況における現実の生 活空間のなかで求めてみようとする大胆な試みでもある。〈ピュシス〉への回帰と〈制 度としての音楽〉の再確認という、いわば本質的に齟齬しあう二つの課題と同時に取り 組む動きとして『サウンドスケープ論』は注目すべき特徴をもっている。」 音、或いは、制度化された音楽を〈ピュシス〉つまり、自然、または始原的状況に回 22 帰させる試みとしてのサウンドスケープは、カナダの作曲家 R.マリー・シェーファー によって 60 年代後半に考えられた音楽思想である。矢野が指摘するように、もし近代 化を通過した後の音楽について考える上でこのサウンドスケープ思想が重要であるの なら、当然音楽科教育にとってもなんらかの意義が期待できるはずだ。 西洋音楽の原初の音楽について、マリー・シェーファー (1986.p.25) は以下のよう に述べている。 「音楽の起源を扱った二つのギリシア神話において非常にはっきりと示されている。ピ ンダロスの『ピュティア頌歌』第十二番は、アウロスがアテナによってどのようにして 考案されたかを語っているが、それはメデューサが首を打ち落とされたのち、彼女の姉 妹たちの心もはりさけんばかりの嘆きに心を打たれたアテナが彼女たちに敬意を表し て特別なノモスをつくったときであったという。ホメロスのヘルメス賛歌には別の音楽 の起源が語られている。それによれば、リラが考案されたのは、ヘルメスが亀の甲羅を 共鳴体として使えば音が出るのではないかと考えた時だという。」 前者の起源説は、メデューサの姉妹たちの大きな悲しみを、言い換えるなら感情の動 23 きによって音楽が始まった、という考え方に基づくものであり、西洋ロマン派の音楽の 発想となるものであった。後者の起源説は、亀の甲羅の共鳴を利用するという科学的な 発想、シェ―ファの言葉を借りるなら、「宇宙に存在する物質の音響特性」によって音 楽が始まった、という考え方に基づくものである。そして、この後者の音楽、即ち「宇 宙に存在する物質の音響特性」によって、音に合理的な秩序を与えようとしたのが数学 者のピュタゴラスである。彼は、張った弦の比率によって音階が生じること、音階に数 学的な規則性があることを発見した。このような規則性は西洋だけではなく東洋、中国 においても数学的に音階を設定していた。増山賢治 (1966,p.1116) は以下のように述 べている。 「音楽理論としての宮・商・角・徴・羽の五声(中国における音階)や音律算定法(定義 音楽で使用する音の高さの相互関係を音楽的かつ数学的に算出する方法)の三分損益法 (中国の音律算定法、三分損一法と三分益一法とを交互に行って律管の管長を算出する 方法)の記載が見え、十二律(理論的に可能な十二の均)の名称も戦国時代に確定した。」 音律算定法や三分損益法といった方法によって中国でも、ピュタゴラスと同様に、数 24 学的に音階を設定していた。さらに、ピュタゴラスは天体の運動が持つ規則性に注目し た。音階と天体、両者に規則性を見出し、音楽と数学を結びつけたのである。このこと は、音楽の起源を考える上で注目すべき項目である。このような、数学的、科学的な視 野から音楽を捉えているのが、アポロン的な音楽ということになる。アポロンとは、ギ リシア神話に出てくる万物の神である。このアポロン的な音楽について、シェーファー (1986.p.25) は以下のように述べている。 「アポロンの神話では音楽は外なる音、神がわれわれに宇宙の調和を知らしめるために 送った音なのである。 アポロン的な考えでは音楽は、ユートピアや『天体のハーモニ ー』といった超越的な世界観と関連した精密な、静かですみわたった、数学的なもので ある。」 宇宙の調和、つまり「天体のハーモニー」を音楽として捉える。この「天体のハーモ ニー」とは、星々の周期的な運動の規則性を見出し、星の運動に音階を当てはめ、「天 体」という宇宙の法則に音楽の発想を取り入れた概念である。 25 (b) 音楽の語源(ムーシケー)と、現在の音楽 また、音楽という言葉を歴史的に探ってみると、欧米におけるミュージックや、ムジ ークなどの一連の同義語は、1 つの共通した語源に由来している。それはラテン語のム シカ musica であり、さらにさかのぼってみるとギリシア語のムーシケーmousike とい う言葉にたどり着く。ポーランドの美学者のタタルキエヴィチによれば、古代ギリシア の芸術は、構成的芸術 constructive art と、表出的芸術 expressive art という 2 つ の形で始まったという(国安,1981)。今でこそ様々な形で、芸術という冠がついていた りするが、当時のギリシアでは、それらはその両者の構成要素に過ぎなかった。例えば、 彫刻や絵画、建築などは構成的芸術(テクネー)に含みこまれるし、表出的芸術(三位 一体のコレイア choreia)は、舞踊、音楽、詩の 3 つの融合体であった。コレイアとは、 コロス choros に由来した語で、「歌と舞踊の統一体」 (国安.1981) を意味している。 そしてピタゴラスの時代 (約 580 B.C‐.約 500 B.C.) には、この表出的芸術はムーシ ケーと呼ばれるようになった。ムーシケーとは、アポロンに仕える女神の名ムーサイ (mousai、ムーサ mousa の複数)に由来していて、「ムーサイ的」、「ムーサイに関わる」 という意味の形容詞であったが、後に名詞になった。国安洋 (1981,pp.376-377) は以 下のように記している。 26 「このムーシケーに関する包括的な研究はゲオルギアデスの<ギリシア人の音楽とリ ズム Music und Rhytthmus bei den Griechen> (1958) に見られるが、それによるとム ーシケーの本質的特徴は次の点にある。(1) 韻文、音楽、舞踊のおのおのが互いに分か ちがたく融合した統一体であった。そこにおいて音楽は独立して存在するものではなく、 ムーシケーという全体的なものの1側面にすぎなかった。(2) 原初形態においては舞踊 が三位一体の中核であったが、ムーシケーという名称を得るようになってからは、韻文、 音楽、舞踊の 3 者を統一する根は言語である。この点からムーシケーは音楽的に規定 された韻文と説明しうる。(3) われわれの外に確固として客在する作品という対象的側 面が強調される今日『音楽』概念とは対照的にムーシケーは人間の行為・活動として規 定されるものであった。(4) ムーシケーは行為として存在するがゆえに、それは人間の 『感受性=本能的なものにまで深く根ざし、同時にロゴスに支配されることにより、美 的カテゴリーにおいて余すところなく現れるのではなく、倫理的カテゴリーをも要求す る』ものであった。つまりムーシケーは、今日の音楽のように美的=自律的存在ではな く、その根源的働きは倫理的機能にあった。(5) ムーシケーは人間のエートス(性格、 道徳的気風、品位)を規定する力、全人間的なものを規定する力であった。(6) ムーシ 27 ケーは人間の精神的善導の総体、精神的教育の総体、すなわちパイディアとしての力で あり、それゆえ教育として重要な意味を持っていた。」 ムーシケーは、もともと音楽だけの訳語ではなく、韻文、音楽、舞踊の統一体として 存在していた。また、音楽が、西洋 19 世紀的な意味での「美的=自律的」存在(このこ とについては後で述べる)としてあるのではなく、より全人的な活動、つまり、包括的 な人間の営みの一つとして存在したと考えられる。それゆえ、音楽は人間の精神的な教 育に関連付けられ、教育の立場においても重要な役割を担っていたのである。このよう な包括的な意味での音楽の重要性は、例えば中世における「自由七科」にも現れている。 この「自由七科」について神保常彦 (1982,p.845) は以下のように述べている。 「中世の art は、学問としての技術の意味をもっていた。中世の大学の 7 つの基礎学科 (天文、幾何、算術、音楽、文法、弁論、修辞)が artes liberales と呼ばれたのは、これ による。 芸術を模倣技術とする古代の思想は、この後も長く支配したが、18 世紀後半 になると、美的技術という思想が起こり、模倣技術の考え方は交代した。美的技術への 転換に伴って、fine art[英]、schone kunste[独]、beaux arts[仏]、の語が生まれたが、 28 現代ではむしろ単に arts、kunst のほうが慣用されている。」 ヨーロッパ中世において、教育の一環として音楽は重要な位置を占めていたのである。 さらに、ここで一番注目したいのが、音楽が「感受性」や「美的カテゴリー」に即する ものではなかったという点である。「感受性」や「美的カテゴリー」のような人間の主 観によって裏打ちされているようなものではなく、「倫理的機能」、つまり、善の行い、 究極的には神様の行いを模倣しようとしていたのではないだろうか。18 世紀後半から 19 世紀にかけての「感受性」や「美的カテゴリー」は、明治期の日本の音楽教育に取 り入れられ、現行の学習指導要領においても、「心情」、「感性」、「情操」といった言葉 の中に端的にあらわされている。つまり、音楽にはなにかそのものとは別の内容がある ということのようだ。どうやらこのような考え方は 18、19 世紀に起こったらしい。 (c) 東洋の「アーハタ」と、日本の「もののね」観 星々の運行に耳を傾けようとした古代ギリシア人たちの超自然に対する形而上学的 な姿勢は、また、東洋の人々の文化においても共通項を見出すことができる。シェーフ ァー(1986.p.371)は以下のように述べている。 29 「人間が生まれる以前、耳が創造される以前には、ただ神のみが音をきいた。そのとき 音楽は完全なるものであった。東洋にも西洋にもみられる不可思議な文書が、そうした 時代がかつて存在していたことを暗示している。『サンギータ・マカランダ』は、音に は『アナーハタ』―打たれない―と『アーハタ』―打たれた―という二つの形態がある と教えている。『アナーハタ』とは、天空の上層に漲る精気エーテルの震動で、人間の 耳にはきこえないがあらゆる現象の基礎となっている。つまり『アナーハタはこの世の 存在の基礎である永遠の数のパターンを形づくる』のだ。」 この「アーハタ」という概念は、西洋音楽のアポロン的な音楽と共通している。ピュ タゴラスのいう数学的あるいは、天体の規則性と比較してみても、その内容は同質のも のであると考えられる。つまり、これらの西洋と東洋の音楽の原初には共通点があり、 ともに、宇宙の調和とその規則性にちなんでいることがわかる。これらの考え方かえら もわかるように、太古の人々は「天体のハーモニー」や、「アナーハタ」を聴こうとし ていたのである。このような超自然(ここでは天体)の音、実際には鳴っていないが「完 全なるものとしての音楽」という意識をもって接していたのであろう。さらに言うなら 30 ば、この完全なる音が何かを考えてみなければならない。それは、音が完全なるものと して知覚すること、天体に動く星々の音、「アナーハタ」という打たれない音、これら は完全なる音として認識され、実際にはきこえないはずの音、即ち、沈黙を聴くことに 在るのではないだろうか。 日本においても、沈黙は調和のとれたものとして扱われていた。第一章で紹介した芭 蕉の句「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」などは、特にそのことを示している。蝉の鳴 き声が鳴り響くからこそ、岩という自然の静かさが聴こえるというものである。この芭 蕉の句はまさに、沈黙を聴いているのである。 このように日本でも、「天体のハーモニー」や「アナーハタ」に似た発想がある。そ れが「もののね」観である。「もののね」観とは調和のとれたもの・ことを音楽として 捉えていこうとする発想である。また、「もののね」観で音に対して意識を向けた俳句 は数多く存在している。岩宮眞一郎 (1997,pp.105‐107) は次のような俳句を紹介して いる。 「『水とりや氷の僧の沓の音―芭蕉』……『六月の風ののりくる瀬音あり―久保田万太 郎』……『鈴虫の声ふりこぼせ草の闇―亜柳』……『除夜の鐘幾谷こゆる雪の闇―飯田 31 蛇惣』……『川音に勝る雨音梅雨深し―成瀬正俊』……『うぐいすの音づよになりしニ 三日―去来』」 このような句は、読み手自身に音への注意をうながし、自然の中に鳴っている音を想 像させることで、初めてその句の味わいが深まるのである。自然音に注意を払い、それ を注意深く聴く、という行為は日本においても多くの歌人の存在が示すように、なされ ていたのである。また、平安京の音文化について中川真 (1992.p.47) は以下のように 述べている。 「京都に残された梵鐘の配置は、今日の私たちの都市計画では考えられないような、大 規模な音の設計が古代から中世に達成されていた可能性を示唆した。これは上意下達と いうようなものではなく、個々の寺院が当時の音の美学に沿って、ごく自然に組み立て たものだろう。その結果、京は玄武、青龍、朱雀、白虎、麒麟という幻の獣神によって 中央と四辺を守護され、同時に鐘の五種の調の響きに覆われるという、まさに地上に建 設されたコスモスあるいは曼陀羅都市として出現したのである。そしてその基底には、 人々の鋭敏な聴覚が想起された。」 32 現代人では想像もつかないような梵鐘のサウンドスケープが、平安京では展開されて いたようである。つまり当時の聴覚文化は現在とは全く異なっていたことを中川は示唆 している。平安京の文化において、5 種類の鐘の音が自然の流れの中で鳴り響く様子か ら、当時の人々の聴覚が想像される。中川の指摘するように、当時の人々の「鋭敏な聴 覚」が、その根底を支えていたのである。 平安京の人々の聴覚文化は、第一章で示した田中の示唆する「もののね」観と類似し ている。韻文、音楽、舞踊のロジカルな融合を目論んだ西洋、「アナーハタ」という概 念を打ち立てることで独自の論理による聴覚の洗練を示唆した東洋、これらはある意味 では言葉によって裏付けされた聴覚文化である。しかし、書き記された文化の外側にも 当然音は存在し、また、人々の生活が在った。 (d) アフリカの「オンガク」とオーストラリアンアボリジニの「ドリームタイム」 アフリカの無文字社会について、中村雄祐 (1994,p.18) は以下のように書いている。 「経済の低迷と密接に関連する問題として国民の識字率の低さがあります。フランスに 33 よる植民地支配の結果、現在もマリの公用語はフランス語と定められているのですが、 住民ほとんどは現在もなお、全国で 10 ほどある民族語を使っており、しかもそれらが 日常生活の中で文字に記されることはめったにありません。政府としては『フランス語 を中心に、しかしできるだけ民族語も用いた教育を』という方針を採ってはいるのです が、乏しい教育予算のために、民族語の文字化はおろかフランス語教育すら滞りがちと いうのが現状です。マリの計画・国際協力省の統計によれば、1991 年現在、小学校就 学率は約 20%、何語にせよ読み書きができるという 6 歳以上の人間は国民(700 万人) の約 19%、国民の大半が住む村落部でわずか 11,5%に過ぎません。」 中村によれば無文字社会とは、話し言葉しか情報のやりとりが出来ないような社会の ことである。しかし、世界中にある無文字社会の人々も、オンガクもしくは、それに近 いものを持っているだろう。言葉を基盤としたロジカルな概念としての「音楽」と、ア フリカの無文字社会に見られる音響文化とでは、概念上の違いがあるのではないだろう か。今田 (2002,p.60) は、 「オンガク」という概念について以下のように書いている。 「『音楽』は日本に於いては古代から使用されてきた言葉である。例えば、平安時代に 34 は『音楽』は、中国大陸や朝鮮半島から宮廷へ持ち込まれた輸入された器楽作品、及び その模倣に対して用いられたとされる。明治期に移入された西洋の music に、なぜか この訳語があてがわれたが、果たして非西洋圏の音響文化全般を『音楽』という概念で 統一することができるのか、という疑問に従って、今回擬似中立語(筆者による造語)と して『オンガク』という音声、及び概念を実験的に導入することとした。」 この項でも、今田の示唆に従って、 「オンガク」という言葉を使用していきたい。 「オ ンガク」と、「うた」(歌詞が言語であることに注目して)との関係性について、今田 (2004) は以下のように述べている。 「〈うた〉〈オンガク〉を並べて、共通項を探る、果たして〈うた〉は〈オンガク〉か、 と。〈オンガク〉がメタ言語としての役割を果たす、ということは、普遍項の存在は別 として、D・クック、J・ナティエなど、多くの音楽学者たちが云うところである。ヨ ーロッパの芸術歌曲やオペラでは、言語の役割が絶対ではあるが、言語そのものと、メ タ言語としての〈オンガク〉とは、全く別物であることを、我々は認識すべきであろう。 〈オペラ〉の存在がなければ〈交響曲〉はミステリーだろうか?そんなことはない。日 35 常生活に、時たま生ずる裂け目が、 〈オンガク〉、或いは〈アート〉への入り口であるな ら、〈うた〉の可能性は、やはり無限に広がる、ということだけだ。」 オンガクは言葉ではないもののそれに近しいものとしての機能を備えている。しかし、 オンガクにぴったりと対応している名辞(単語、あるいは語句)を持たないものが圧倒的 に多い。名辞については色々なものがあるが、無文字社会の人々にとっては、総称名辞 が存在することは希であり、ほとんどの場合は個別的なジャンル名、曲名のみが意図的 に使われている。また、山口修 (1981,p.28) は以下のように書いている。 「無文字社会にしばしば見受けられるように、アフリカでもやはりいわば文字文化的な 役割を音楽に与えていることが多い。具体的にいうならば、神話、伝説、物語、教訓詩、 時事的話題といった、他の社会でなら文字として置き換えるかもしれないものを叙事詩 的な歌詞内容として(声楽)が作られ伝承されるのである。また日常的言語表現をしたら 角が立ったり不自然であったりするような誹謗、風刺、滑稽などの題材を歌詞に盛り込 み、音楽表現に置き換えていっそう効果をあげるということもしばしば行われる。」 36 これはオンガクの音の高低差やリズムなどの音楽的パターンに約束として意味づけ るモールス信号的な要素もあるだろうが、また、日常的言語表現をしたら角が立ったり 不自然であったりする題材をオンガクと絡めることによって中和して表現できると言 うことは、言語とオンガクの異なった関係づけの意図がある、と言うことだろう。 また三宅棒名 (1980,p.240) は以下のように言っている。 「世界の中には、明らかに分析できる論理と、分析できない論理が存在するのだった。 更に言えば、分析という概念自体ヨーロッパの概念であるとすれば、真実は分析のかな たに存在する。」 アフリカ民族文化の「西洋とは異なった具体的な空間、環境をもっていてそれと切り 離せないこと」(三宅,p.246) を無視して、西洋的な視点・都合からアフリカのオンガク を抽出することは、アフリカのオンガクをアフリカの「音楽」にしてしまうという、西 洋的な押し付けではないだろうか。こうしたアフリカの無文字社会には、自分たちのオ ンガク観があり、我々の持っている西洋的な「音楽」観と異なっている。こうした「音 楽」観の差異から、「音楽」というものの観念が、いろいろな角度から捉えられること 37 がわかる。この違いをウォーカー (1990,pp.187‐188) は、オーストラリアのアボリジ ニのオンガクを例にとって以下のように言っている。 「これは一般に、オーストラリアのアボリジニ文化における多くの民俗学研究で報告さ れたものである。例えば、生存のためにドリームタイムの果たす役割は絶対に重要であ ると考えられる。このドリームタイムは、生存に関わる本当の創造として見なされてい る。彼らの宇宙を形作る超自然的な力と接触するときがこのドリームタイムである。こ のドリームタイムは、歌などのすべての芸術的な活動においての源泉や宝庫と見なされ ている。このような信仰システムでは、創造的なものに、西洋的な考えという定義は存 在していない。そこには彼ら彼女ら自身の音楽の創造者としての場所はない。アボリジ ニの音楽とリストのような西洋作曲家の間の違いには、顕著かつ質の違いが現れてい る。」(筆者訳) ここでウォーカーが示しているものは、西洋と非西洋の発想の違いについてである。 アボリジニの世界では西洋の尺度は存在していない。むしろ、アポリジニ文化における 「ドリームタイム」は、古代ギリシアの「天体の音楽」、日本の「もののね」観と類似 38 しているアポロン的な音楽なのではないだろうか。 そもそも音楽とはその発生から、長い間、これまで紹介してきたようなアポロン的な ものであり、自然音や超自然の音に耳を傾けようとしていた。しかし、時代が進むにつ れてこのようなアポロン的な音楽観が変化した。その変化の流れを考察していく。 2. 西洋 19 世紀の音楽観 (a) 「巨匠」の神格化 西洋音楽世界では、19 世紀を境に音楽の意味合いそのものが変化していくことにな る。それまでの音楽、つまり、自然音や超自然音を聴くという行為から、自律して神聖 化された“音楽”に移行していくことになる。そこで、資本主義社会に支えられていた 西洋文化での音楽の流れを考察していく。資本主義によって過剰に付加された恣意的な イメージの存在が、西洋音楽を支えていたのではないか、という仮説を立ててみる。こ の仮説に関してアメリカの歴史学者ウィリアム・ウェーバー (1977,pp.5‐21) が以下 のように述べている。 「過去の音楽家たちが一躍『巨匠』としてクローズアップされ、肖像画や胸像の形で人々 39 にあまねく知られ、尊敬や崇拝の対象となる。こうした変化のほとんどは十九世紀の前 半に起こったことである。……一口に言えば、この変化の動因は音楽文化の担い手が貴 族からブルジョワへと移行したことであった。平たく言ってしまうと、産業革命を通じ て富を獲得し、市民革命を通じて権力を獲得したブルジョワ階級が演奏会を支える層と して加わったために、聴衆層が飛躍的に拡大し、演奏会が商業ベースにのるようになっ たのである。」 つまり、過去の作曲家を尊敬や崇拝の対象として見せることにより、商業としての「音 楽」が確立してきた、というわけである。例として、ベートーヴェンを挙げてみると、 ベートーヴェンがまだ生きているころの肖像画と、19 世紀にはいってからの彼の肖像 画は、とても同一人物を題材にしているとは思えないほど似ていないのである。このこ とを渡辺裕 (1989, p.47) は以下のように書いている。 「バッハが『教会音楽に一生を捧げた敬虔な教会音楽家』に仕立て上げられたように、 ベートーヴェンは『過酷な運命に立ち向かった意志の人』に仕立て上げられた。例のも じゃもじゃ頭のシュティーラーのイメージは、とりわけ好まれたものだったようである。 40 十九世紀の中頃から二十世紀の初頭にかけて、ベートーヴェンを題材にした絵画・彫刻 のたぐいが盛んに作られるが、それらのものが参考にした肖像画は、その多くがシュテ ィーラーのものか、それに類する『男の中の男』風のものであり、『優男』風のものや 目をぱちくりさせたものがつかわれることはまずなかった。力強いベートーヴェンのイ メージはこうしてますます固定化してゆく。」 このように、実際の姿とはかけ離れていたとしても、商業として成立させる為に、ヒ ーローやスターに仕立て上げることによりブルジョア層にクラシックを浸透させたか ったのであろう。しかもこの時代には現代のように CD や MD などの音響設備などは なく、いわゆるコンサートホールでの演奏会以外には音楽らしい音楽に触れる機会がな かった。つまり音楽に接する機会が限られているので、楽譜を買ってもらうためには、 神格化(スター化)させることが手取り早やかったのである。現在のように様々なメデ ィアによって音楽に接することができる時代ではなかったことが、ベートーヴェン等の 神格化に、いっそう拍車をかけることになったのだろう。 (b) 聴衆の変化と聴取の変化 41 ここで少し、クラシックコンサートの会場を想像してもらいたい。コンサートホール という区切られた空間は、外の世界と内の世界とではっきりと区別され、一度演奏が始 まると咳払いや話し声の音、パンフレットをめくる音、というような一切の音を出す行 為が禁じられる。これらは、決まったルールではなく暗黙の了解として聴き手に浸透し ている。そして、演奏が始まると、その音楽の美しさを味わい、陶酔しなくてはいけな い。西洋音楽において、このような聴取が当たり前になっている。そこで、西洋音楽に おける聴取の記録に触れてみることにする。 西洋音楽は、これまで述べてきたように音楽以外のところで、様々な価値を付加し、 音楽の存在に影響を与えてきた。これらの文化的な背景が音楽に与えた影響は大きい。 こうして、様々な付加価値がついてきた西洋音楽は、音楽聴取法も大きく変化させた。 18 世紀から 19 世紀初頭にかけての聴取に関して以下のような記録がある (ペーター, 1984, p.169) 。 「お客がうるさくて歌詞の大半が聞き取れないに違いない。」 一切の音を出すことを禁じている、というような現代の暗黙の了解からは程遠いこの 42 記録は面白い。また、渡辺 (1989,p.58) は以下のように述べている。 「われわれが慣れ親しんでいる演奏会のスタイル、つまり、静まりかえったコンサー ト・ホールで一心に名曲に聴き入るような演奏会のありかたは、19 世紀に起こった社 会構造の変動の置き土産である。」 ここでいう「社会構造の変動」とは、市民革命や産業革命といった改革によって音楽 の担い手の変化してきたことを指している。そもそも西洋音楽は王侯貴族の為に書かれ てきたという歴史をもっている。それが、市民革命によって王侯貴族が没落し、代わり にブルジョワがその担い手となって音楽家を支えてきた。音楽の担い手が、個別から大 衆に代わったことによって、音楽は商業主義の影響を受けることになっていった。これ らのことを渡辺 (1989, p.18) は以下のように述べている。 「音楽を『まじめに』聴こうとする者も、もっぱら『社交』や『娯楽』に没頭するもの も、ミソもクソも一緒にまじっていた十八世紀のアマルガム的な演奏会が聴衆の質に応 じた機能分化をはじめたのである。それを今日でいう『クラシック』と『ポピュラー』 43 に相当するような二つの音楽文化がはっきりと区別されたことを意味していた。」 また、クラシックの世界では、音楽美学の観点から聴取法について、美的享受が上げ られることもある。美的享受については、ハンスリック (1992, p.23) は以下のように 述べている。 「音楽の感性的な美は、感情的なイメージから受けるものではなく、曲自体がもつ客観 的特性にある」 つまり、聞き手が美的享受を受けるためには、前提として楽曲自体に美がなくてはな らない。ここでは作り手、いわゆる芸術家は美をもった楽曲を創り出さなければならな いといけない、といっているわけである。つまり芸術家の務めは唯一無二の美の探究で ある、といっている。唯一無二、これは本質的なものとも言い換えられるであろう。本 質の探究、つまり形而上学的な思考の方向性が西洋音楽を支えているというのである。 また、渡辺 (1989,p.59) は以下のように述べている。 44 「『この旋律はきれいだ』とか『このリズムはノリがいい』などという具合に、細部の 感性的な音響刺激にとらわれているような聴き方は「娯楽音楽」のそれであり、 「高級」 な音楽鑑賞にはふさわしくなかった。真の聴衆には、感覚表層に現れるそれらの多彩な 音響刺激を統一的に捉える精神の働きが要求された。それは言い換えれば、作品を一つ の全体として理解し、各部分をその全体の中に位置づけるような構造的な聴き方が求め られているということである。」 渡辺は、19 世紀の聴衆のあり方として、当時の聴取のあり方を示している。これは、 音楽自体に美が宿っていることを前提とした発想であり、音楽作品を芸術として、作品 そのものを味わうことを意味している。このような聴取は 19 世紀の西洋文化・社会に 支えられていたものであり、非常に特殊なものなのであるといえる。 (c) 「アポロン」的音楽から「デュオニュソス」的音楽へ 西洋の音楽が文化・社会によって支えられていたことについて、今田 (2000, pp.21 ‐22) はジャック・デリダの脱=構築、ロラン・バルトのディノテーション(第一義 45 的言語) ・コノテーション(第二義的言語)、第一義的言語“言葉の意味そのまま”第二 義的言語“文化や社会によって裏打ちされた逐語的な意味”:これらの概念を音楽に応 用し、以下のように述べている。 「西洋音楽とはヨーロッパ世界内部の恣意的な文化現象であり、全人類に共通する普遍 的な力、ア・プリオリを含有している訳ではない。西洋音楽も言語同様差異の体系であ り、われわれは、ある音楽を、その音楽が生産、享受される特定コンテクストを通して しか理解することは出来ない。つまり、われわれは全人類が共有する音楽的普遍性の存 在の有無を解明してはいない。……このディノテーションとコノテーションの概念は音 楽、或いは音にも当てはまる。われわれは音そのものの真実を音響的に聞いて感動する のではなく、あくまでもそこから発せられているメタファーを聞いているのだ。寧ろわ れわれは、最初から第一言語など持ち合わせていないのかもしれない。」 この文言から、本質というものが西洋的な発想であり、本質を追及しようとしたのも やはり西洋的な発想であった事がわかる。現在日本においての音楽の中心は西洋音楽で あるが、デリダや今田が言う脱構築的な考えから、この西洋音楽には今まで信じられて 46 きたような普遍的で絶対的な「音楽」自体は発見できないものであると言えよう。確か に西洋音楽は、「本質」を追求してきた為に今日のように発展してきたという背景を持 っている。このことから音楽における「本質」の役割について考えてみると、本質自体 をどうこう、というよりは、音楽の発展の為のツールとしての役割を果たしていたこと がわかる。また、今田 (2003,p.56) では、西洋音楽について以下のように述べている。 「確かに、西洋音楽の、音響学的基盤は、科学的な根拠などとは関係のない、迷信であ って、例えば、ハーモニクスと関連したピタゴラスの数学とは、どこかで縁を切ってし まっている、などということは、数学者やら、物理学者やらがずっと指摘してきている。 ところがシェーンベルクの音楽というのが、大変、陶酔的、主観的情念の音楽、としか、 私には思えないので、故に、これはまったく、デュオニュソス的音楽、ということにな り、そもそも、西洋音楽に、アポロン的音楽などあるのか、と、云ってみたいとこでは あった。」 今田は西洋音楽がいつの頃からかアポロン的音楽からデュオニュソス的音楽に変わ っていったことを指摘し、音楽がもとはアポロン的であったことを示唆している。また、 47 西洋音楽はデュオニュソス的な音楽であるとし、西洋音楽を取り入れた日本の音楽もま た、デュオニュソス的な音楽であることも示唆している。 そして、この西洋音楽の流れは、現在の日本における音楽教育の場においても大きな 影響を与えた。そもそも日本の学校音楽教育は明治時代に学制の頒布に伴い、西洋音楽 を取り入れてきたという歴史をもつ。この日本に取り入れた西洋音楽は現在でもその色 を残している。しかし、特に 19 世紀という限定された期間における西洋という、一つ の文化に固執している現在の音楽教育は少し無理があるように考えられる。 それに対してシェーファーはサウンドスケープを提唱することで、音楽とは何かを再 検討している。 3. シェーファーとサウンドスケープ (a) サウンドスケープ思想 サウンドスケープとは、カナダの作曲家 R.マリー・シェーファー (1933~) がした提 唱した概念である。彼は、この思想を用い、音楽そのものを再検討している。そこで、 今回の研究では音を考える為のツールとしてのサウンドスケープ思想を研究・分析し、 実践を通じて、学校教育への導入を分析・検討していこうと思う。 48 サウンドスケープとは、以下 (シェーファー,1986, p.398) のように定義されている。 「音の環境。専門的には、研究フィールドとしてみなされた音環境の一部分。現実の環 境をさす場合もあれば、特にそれがひとつの環境として考えられた場合には、音楽作品 やテープ・モンタージュのような抽象的な構築物をさすこともある。」 ある特定の空間で人々が聴く、あるいは聞く音は、例えば、自然音、都市の騒音、楽 音など様々である。これらの音すべてを一つの風景として捉え、人々がどのように知覚 し、価値付けているのかを探るのが、サウンドスケープ研究の一つの柱である。 シェーファーのこの思想には、音をデュオニソス的な「芸術」、あるいは西洋 19 世 紀美学的な自律した「音楽」の狭い枠組みから開放しようという企みがあるのではない だろうか。故に、彼は、インド哲学などの東洋思想を援用することで、音を巡る思想の 再構築化を試みるのである。よってシェーファーはアポロン的音楽の重要性を主張する のである。 物理的には実際上聞くことのできない「天体の音楽」に耳を傾けようとした古代人た ちの衝動、糸を操り整数比から音列を導いたピュタゴラスの行為、それらアポロン的な 49 音楽には、何か“自然にある”音を聴こうという人間の意志のようなものが感じられる。 (b) 耳のメカニズム そこで、まず聴くという行為について考えてみる。聴くということは耳を通して音を 聴く行為である。これは、人間でいうところの五感の一つである聴覚が関係している。 聴くという行為には、まず我々の身体性を無視して考えることはできない。今田 (2004) は以下のように述べている。 「かつても、今も、ヒトは声を持ち、発する。耳や口、目や鼻、そして手足などの部位 はただただ、そのヒトに、意味もなく在った。原初が原初である為に邪魔なのは解釈な のだから、やはり意味もなく在った、としか云いようがない。と同時に、そのヒトの外 側には、風や木、火や水などが、やはり意味もなく、ただ在って、時折聞こえる狼の遠 吠えや、雷鳴などと、そのヒトの声、との間には大した違いなどなかったに違いない。」 身体という部位が存在し、それぞれの部位にそれぞれの働きがあるとしたとき、人間 の身体には実に様々な意味をもたらすことになる。人間の身体の働きを考えた時、「聴 50 く」行為に一番密接に関わってくる部位は、やはり耳になるのではないだろうか。そこ で少し聴覚を通して聴くことのメカニズムについて考察してみる。聴覚のメカニズムに ついて、勝木保次 (1982, p.1501) は以下のように表記している。 「人間の耳は外から見える外耳、これにつづいて体の中にある中耳、内耳の 3 部門か らなる。このうち外耳は外界から音波を導き、中耳はそれを内耳へ損傷少なく伝える装 置で、内耳は音波を受け取り聴神経に伝えるための装置である。神経に伝えられた音波 の信号は、電気的なパルスとして脳に伝えられ、最終的には大脳皮質の特定の領域、聴 覚領に到達する。そこで従来、音は大脳皮質で聞かれると考えられたが、実際はそれだ けではなく、少なくとも上位脳のいくつかの場所で音のいろいろの性質が感ぜられるの であり、それらの複雑な組み合わせを総括して、われわれは音楽として受け取ってい る。」 人間の耳では、外耳は受け取った音を振動に変え、中耳でその振動を内耳まで導き、 内耳でその振動を音の信号に変え、聴神経を伝って脳に情報を送る、ということになっ ている。また、音楽を上位脳の様々な箇所で聞き取っているということは、人によって 51 感じ方が異なっていることを示唆するものであり、さらに、経験によって聞こえ方が異 なることを示唆している。つまり、文化や社会といった大きな枠組みが音楽に関係して いることを示している。 (c) 聞こえることと聴くこと 上記のような聴覚のメカニズムは人間に備わっているものである。しかし、聴くこと は上記のような機能的な一連の流れだけではない。聞こえることと聴くことは別の問題 なのである。このことについて鳥越けい子 (シェーファー,1992.p.159) は以下のように 述べている。 「たしかに、近代科学は、音の世界をめぐるさまざまなメカニズムを解明した。しかし 西洋近代における自然科学の確立と共に、音の在り方は多くの人間にとって身体と切り 放された単なる『客体』となってしまったようである。同時に私たちの音の世界はそれ 自体、とても狭いものになってしまった。人間の音への旺盛なイマジネーションと多様 な聴き方も、既にそのかなりの部分が失われてしまったのかもしれない。」 52 音を聴く行為の中に「人間の旺盛なイマジネーション」が関わっているとするならば、 聴覚を鋭く鍛えることは、音楽教育の中でも重要な位置に据えられるべきものである。 また、音楽が 19 世紀西洋美学の洗礼を受ける以前、音楽にプロフェッショナルとアマ チュアの二項対立が持ち込まれる以前の音の在り方は、もっと身体に寄り添っていたも のであるということを示唆している。プロフェッショナルとアマチュアについては渡辺 (1986,p.189) は以下のように述べている。 「演奏会は基本的には『聴く』ためのものであり、プロおよび音楽大学の学生や卒業生 といったセミ・プロの演奏家の手によるものであった。」 渡辺によれば、プロの演奏家とは、演奏会で「聴かせる」ことのできる専門家、つま り、専門知識や専門技術をもった人を指している。 (d) プラトンとアリストテレス ギリシア時代の哲学者、プラトンのイデア論を使ってイメージすること検討してみる。 イデアとは“存在における真実の姿” (パノフスキー,2004) を指している。イデア、 53 つまり本物とでも言い換えられる、存在し得ない理想、ここに西洋音楽の目指した音楽 の本質が宿っている。本質は目に見えないし、匂いもない。つまり五感で感じられるも のではないので、頭の中で考えるより手はないはずである。椅子を例に考えてみよう。 職人は椅子のイデアによって、イメージを創り出し、それに似せて実在の材料から椅子 を作る。しかし、実際に出来上がった椅子はイデア通りかと言えば、そうではない。つ まり本質は頭の中にしか存在し得ないものであり、実在してしまうと本質とは違ってき てしまうものなのではないだろうか。西洋音楽はこうして、目に見えぬ理想の音楽を追 求し、そして様々な形で残ってきた。 また、アリストテレスはプラトンの思想を批判的に受け継いでいた。アリストテレス のイデアに対する考え方自体はプラトンのそれと変わらないが、ミメーシスに関しては、 全く逆の立場を取っている。このミメーシスに関して今村仁司 (1988,p.596) は以下の ように述べている。 「古代ギリシアでは芸術活動の創作活動は模倣活動(ミメーシス)と呼ばれた。絵画、叙 事詩、演劇、人形劇などは日常必要品を作る技術活動と同じ性質の技術的活動(テクネ ー)であった。」 54 ミメーシスとは模倣を意味している。プラトンの考え方には、まずイデアがあり、そ れに基づいて作り手がイメージを作り、さらにそのイメージに基づいて作品を作る。つ まり椅子が作品として完成された時、その実体としての椅子は、ア・プリオリとしての 椅子、つまりイデアから少なくとも 3 段階は遠くなる。このように考えたプラトンは、 イデアから距離をおくことで作品を作る芸術家たちの行為を「自然の模倣者」として芸 術家を彼の共和国から追放した。一方アリストテレスはイデアの存在を前提としながら も芸術家のイメージが作品化する過程に於いて、イデアに近づく可能性を示唆した。ま た、アリストテレスは芸術のもつ内容、あるいは具体的な効用について説き、芸術家を 擁護した。つまりアリストテレスにとってミメーシスそのものが形而上学であったと言 えなくもない。つまり、アリストテレスは、人間は不完全ではあるが神の創造物であり、 故に努力をすればイデアに近づくことができる、というのである。 注意深く聴取することは、このプラトンのイデア論に応用させると、イメージを育む ことに密接なつながりがある。イメージを持たないことには、音楽は、ただの技術表出 の場になってしまい、芸術性は薄れてしまうかもしれない。では、音楽を注意深く聴く、 ということはどういうことだろうか。それは、音楽に歩み寄ろうとする行為とも言える。 55 (e) 音楽を創造すること シェーファーのサウンドスケープ思想を、教育の場でどのように扱ったらよいのだろ うか。本論の「聴くこと」に焦点をあてて検討してみる。人間は、音を音として聴取し ようとする意識が働く時、「聞こえる」と「聴く」ことが分類されるのではないだろう か。ただ単に耳の能力をもって聞くことは受動的である。しかし、音を音として認識し ようとする意志が働く時には、それは能動的な聴取に変わる。この能動的な意味での聴 くという行為は、音をただ聞くだけではなく音のイメージを頭の中で想像する力を指し ている。音は音楽に直接的に結びついている。それは、音を注意深く聴取した際に感ぜ られるなんらかの創造力、言い換えるならイメージを喚起しているという点であろう。 音をイメージする力を養うことは、音楽科の授業で最も基礎的な、且つ最も重要な意味 があると考える。そもそもイメージすることとはなんだろうか。ここで言うイメージと は、音を聴くことを通して音楽を頭の中で創造する行為である。つまり、音を聴いたと きに何気なく聞き流す行為と区別され、音を聴き音楽を想像することである。聞き流す ことと区別され、頭の中に音楽を想像することは、自らの内に音楽をもつ行為ともいえ る。よって、イメージを持って聴くことは音楽を創造する過程において重要なことであ 56 り、さらに創造過程にあるイメージを持って聴くことは鑑賞の行為でもあり、創造活動 の一部であるとも言える。 音楽において創造することの重要性について、ニコラス・クック (1992, p22) は以 下のように説明している。 「スーパーマーケット音楽の場合不愉快なのは、聴き手が音楽にとくに注意を向けなく ても何らかの効果がもたらされるという、まったく受け身的な傍観者にされていること である。何をどのように聴くかを決める聴き手の自由、言い換えるならシューマンの言 う想像力の自由が奪われているからである。」 クックは、音楽を聴取する際に重要なのは、聴き手が想像力をもって頭の中に音楽を 創造することであることを示唆している。また、シューマンの言う「想像力の自由」と は、聴くことによって、音楽を頭の中に創造することであろう。前述したような西洋美 学的な発想とも捉えられるだろうが、聴き手の意識が能動的なのか、受動的なのかによ って個人的な音楽の価値が決定するというのである。受動的聴取とは、クックのいうス ーパーマーケット音楽に示されるように、聴き手の意識とは別のところで聞かされてい 57 る状況であり、能動的聴取とは、耳の能力を鍛え、音・音楽の世界に耳を傾け、その音・ 音楽を頭の中で創造する行為であり、音楽の創造活動の一種であると考えられる。では、 聴く行為を能動的に活動しようとする際に重要なのはなんなのだろう。それは、上記し た耳の能力がポイントになるだろう。聞く行為は我々の意識とは無関係に行われている。 それは、我々の耳にはまぶたに相当する器官が存在していない為である。日常、音との 接点である耳という器官は、日常であるが故に、慣れというフィルターが存在する。し かし、音・音楽を能動的に聴取しようとする際、このフィルターが、それを邪魔してい る。音を音として認識する為には、フィルターを剥し、もっと澄んだ聴取が必要になる のである。 (f) 透聴力とイヤー・クリーニング 聴く行為は、先述したサウンドスケープでも重要な項目であり、サウンドスケープの 中では透聴力と言われている。透聴力についてはシェーファー (1986, p.395) は以下の ように述べている。 「文字通りには、澄んだ聴取。サウンドスケープ研究でこの用語を使う場合、そこには 58 神秘的なことは何もなく、特に環境音に対して発揮される、並外れた聴取能力を意味す るだけである。聴取能力はイヤー・クリーニングの実践によって透聴的な状態にまで訓 練することができる。」 学習指導要領で示された、音に興味・関心をもたせることは、音をよく聴く行為が基 礎になることは言うまでもない。そこから、音楽の授業に必要な方法が見つけられるだ ろう。シェーファーは、透聴力を鍛える方法としてイヤー・クリーニングという概念を 提唱している。シェーファー (1986, p.395) はイヤー・クリーニングについて以下のよ うに説明している。 「音をはっきり聴き分けることを目的とした耳の訓練のための体系的プログラム、特に 環境音を対象とする。」 環境音を対象とするものの、音に対して鋭い分析を加える為、 「透聴力」、つまり音を よく聴くことのトレーニングを示している。透聴力を鍛え、聴く行為自体を鍛えること により、自然音や超自然音といったアポロン的な聴取を取り戻したい、というのであろ 59 う。つまり、19 世紀クラシックという一つの特殊なファッションにこだわるのではな く、もっと音楽の根幹に迫りたい、というシェーファーの意志が、サウンドスケープの 概念を生み出したのではないだろうか。 (g) その他の音楽科の活動 また、シェーファーのサウンドスケープと似た活動としてアメリカの作曲家、ポーリ ン・オリヴェロスのソニック・メディテーションがある。オリヴェロスは、若尾裕 (1990,pp.165‐p.166) によるインタヴューの中で、聴く行為について以下のように述 べている 「あたりまえに聞こえるかもしれないが、音楽は聴くという行為無しには成立しえない。 いかなる音楽も聴かれなくては音楽にならない。しかし、いままで音楽の音の側、音の 作り手の側に対してばかり議論されてきいたのではなかったか。音の聴かれ方の側、音 の受容の側については不問に付されてきたのではあるまいか。」 これまで説明してきたように、音楽は文化・社会によって変化することを前提として 60 考えれば、オリヴェロスのいう、「聴く行為そのものが音楽である」と考えられる。彼 女の活動は、19 世紀的な聴取のあり方、つまり、普遍的な聴取法と考えられている現 代の聴取方とは異なり、様々な方法から聴く側に焦点をあて、聴く側に対して問題提起 をしている (若尾,1990)。オリヴェロス (若尾,1990,p.151) の活動には以下のようなも のがある。 「あなたのエクササイズのなかで、こんなのを思い出すのですが。耳と目を閉じて、頭 の中の音を想像して、今度は耳を開いて注意を外側に移す、そしてまた内側に注意を移 すというエクササイズ…拡張し、内側と外側を対比させる。そこには多様な可能性があ ります。こうしたエクササイズを始めていくと、たいへん多くの可能性が開けていくん です。一つを会得するとまたつぎの別の音への考え方が生まれる。」 これらのエクササイズによって、音楽をどのように捉えるか、また、音楽を捉える為 に聴くことが重要であることを述べている。様々な音への関心を高めるエクササイズで あると考えられる。また、第一章で紹介したペインターも聴く行為に着目した作曲家の 一人である。ペインター (1982,pp.63‐64) の活動には例えば以下のようなものがある。 61 「1) (無音程も有音程も含めて)と打楽器的に使われた他の楽器とを結びつけて、沈黙を 徹底的に取り入れた曲を作ってみよう。2) 課題 1)と同じ音素材を使って、沈黙‘に ついての’(沈黙の感じを伝える)作品を作ってみよう。以上 2 作品をテープに録音して、 両者の本質的なちがいを語し合ってみよう。」 ペインターはここで音と同時に沈黙にも着目している。彼は、アメリカの作曲家ジョ ン・ケージや、ヴェーベルンといった沈黙の中に音楽を創りあげてきた作曲家を参考に して、沈黙を積極的に捉えて行こうとしている。 若尾 (1990, pp.ⅹ‐ⅹⅱ) はシェーファー、ペインター、オリヴェロス等の活動を 次のようにまとめている 「(1)共同体と音楽(2)音楽とヒーリング(治療)(3)音楽教育の三つの分野が僕から見た主 たる犠牲である。それがいかに重大なことであり、その結果いかに大きな影響を現代に 残したか。」 62 若尾は、西洋音楽が幅を利かせるようになり、上記の三つの分野において、問題が生 じていることを示唆している。そこで、これまで、伝統的であったクラシック的な音楽 教育家らは少し距離を持った音楽教育家の事例を報告することで、三つの分野の新しい 可能性を示唆している。 (1)~(3)については、(1)の「共同体と音楽」は、シェーファ ーのサウンドスケープに代表されるように、音楽がクラシックに占有された頃、共同体 でなる音は雑音とされ、共同体に鳴る音に対する考えの発展が阻害されてきたことから、 共同体に鳴る音そのものに着目する思想がある。(2)の「音楽とヒーリング」は、個人 の意識や心と関連している点においてオリヴェロスと関連するが、古代ギリシア時代か ら続いてきた治療としての音楽の存在が、19 世紀に止まったことを示唆し、現代まで の 200 年間、発展が認められないことを鑑み、現在の音楽療法に関係していること述 べている。(3)の「音楽教育」では、シェーファー、ペインター、オリヴェロス三者に 共通して関連している。ギリシア時代の「自由七科」の中にも表れているように、音楽 教育は現代の音楽教育とはその意味を異にして存在していた。 (h) シェーファーの教育活動 さらに、シェーファーの活動について検討してみよう。彼はどのような教育活動を行 63 っていたのだろうか。シェーファー (1992,p.1) は以下のように述べている。 「私たちがここでテーマとするのは音であり、目的とするのは人々に音をより良く聴く ことを教える方法を示すことである。音楽家としてその必要性を私なりに感じているの は言うまでもない。が、声や音によるメッセージの交換がおこなわれている限り、聴く ということはいかなる教育においても重要なことである。」 その一つとして『サウンド・エデュケーション』が挙げられる。シェーファーは若尾 (1990,p.13) とのインタヴューの中で以下のように述べている。 「創造的な教え方をするためにまず学ぶべきことは、口を閉じることです。もはや、あ なたは先生ではありません。あなた自身も学習者なのです。そして他の人が創っている ものを観察し、そこから学ぶのです。ほとんどの先生は子どもたちから学ぼうと思いま せん。彼らはただ教えたいのです(笑)。だからそういう人たちにとっては後ろに座って 『ほう』とか『へえ、おもしろい』とか言いながら学ぶことが、とてもむずかしいので すね。それが一番根本の問題です。そうすれば教師自身が学べ、そして教師の方がより 64 いろんな経験を積んでいるから子供たちを指示して助けたりできるのです。」 シェーファーは、これまで述べてきたように「天体の音楽」を聴く為に、沈黙が必要 であることを述べている。聞こえない音を創造し、聞こえない音を聴くこと、これが、 シェーファーの教育の根幹になるのではないだろうか。また、教育活動ということで、 教師と子ども達がいっしょに参加することを示している。そうした活動の中から、耳を 鍛えること、つまり「透聴力」がつくというのである。では、具体的にどのようなエク ササイズがあるだろうか。彼の活動の中には以下 (シェーファー,今田,1996,p.81) のよ うなエクササイズがある。 「ふたりが教室のはじとはじに行く。それから合図と同時に、おたがいに相手がいる方 にむかって、違った音をたてながら歩きだす。言葉をしゃべったり、ちょっとふざけた 音をたてたり、リズムをとりながら手をたたいたり……。どんな音でもかまわない。ふ たりがすれちがったとき、おたがいの音を交換しよう。ふたり組みになって暮らすみん なでやってみよう。音といっしょに、身ぶりをいれてやったら、もっとおもしろくなる よ。ちょっと変なふうに歩いてみたり、ピョンピョンとんでみたり、スキップしてみた 65 り、腕をふってみてもいいかもね。音と同じように、身ぶりも交換してみよう。」 この活動は、聴くことに焦点をあてた上で、身体の活動も要求しているエクササイズ である。このエクササイズでは、相手の音に注意する必要があり、音を記憶することが 求められる。さらに、相手の動きにも注意を払っていることに注目したい。 (i) 動くこと 動くことを取り入れることにより、聴覚以外の五感も刺激することになる。相手の動 きを見て模倣する。つまり、視覚や触覚などにも刺激を与えることができるのである。 動くことの重要性について三浦雅士 (2000,p.25) は以下のように述べている。 「人間は言葉を話すことによって人間になったと言われます。話すというと、人と人が 話すことだと思っている人が多いようですが、とんでもない。それももちろんあります が、ほんとうはそれ以上に、山や海、木や岩に向かって話す必要があったのです。そし て、何よりもまず、自分で自分に言い聞かせるために話す必要があった。舞踊も同じこ とです。人間には、山や海、木や岩に向かって踊る必要があった。熊や鹿に向かって踊 66 る必要があった。そして、何よりも、自分が何ものであるか自分自身に教えるために踊 る必要があった。また、そういうことの全体を忘れて、宇宙と一体化し、死をも忘れる ために踊る必要があったのです。」 ここで三浦は、言葉と同様に、舞踊、つまり動きも人間にとって重要なものであるこ とを述べている。しかし、舞踊は近代に入るまで、その芸術性は表立つことはなかった。 芸術といわれる活動、例えば、音楽には楽譜が残り、美術には作品が残り、演劇には台 本が残る。しかし、舞踊は、身体そのものが作品となるため、作品が残らなかったため であろう。今日的な意味での芸術としての舞踊は近代に入ってからのことだが、それ以 前にも音楽も舞踊も存在していた。古代ギリシアのムーシケーは、音楽・舞踊・詩の三 位一体のものであった。つまり、音楽と舞踊は切っても切れない関係を持っていたので ある。また、三浦 (2003,p.246) は、以下のように述べている。 「身体というまったく手つかずの処女地、新しく切り開かれた次元をも手に入れたのだ。 マンフォードの言葉を借りれば『裸で何も塗らず、形を変えず、飾らない人間の身体』 を、そしてルソーの言葉を借りれば『未開人の身体』を手に入れたのだ。これは未曾有 67 のことではなかっただろうか。人間は裸で生まれてくる。だが、誰もそれを意識しはし ない。裸で生まれてくるというそのことの重大さに気づくのは、言語、表情、動作、衣 装そのほか、社会が要求するすべてのものをしっかりと身につけた後でしかないのだ。 人間は自身の誕生を遡行するようにしてしか知りえないのである。裸の身体、自然のま まの身体とは、したがって、ほんとうは後から見出された理念でしかない。理念でしか ないその裸の身体が、しかし、いまや座標の原点すなわち身体の零度と見なされ、その 原点を中心に、身体という広大な未知のひろがりが姿をあらわしたのである。」 舞踊とは、ルソーの言葉を借りるなら「未開人の身体」(三浦,2003) 、つまり、「身 体の零度」を音楽と動きを通して獲得する為の行為である。シェーファーの透聴力とは、 ある意味では「未開人の聴覚」、 「聴覚の零度」を獲得する為の概念と考えられる。聴覚 とはつまり、身体の一部であり、より包括的な芸術活動へ展開させる基礎となる。では、 「聴覚の零度」を獲得した後、展開される芸術活動にはどのようなものが可能なのであ ろうか。次の章では、そのための一つの活動として、ジャック=ダルクローズの提唱す るギムナスティーク・リトミーク(律動体操)について考察していく。 68 第三章 リトミック 1. デュオニュソスとしての身体 (a) 「デュオニュソス」的な音楽 前章のアポロン的音楽と対比する為、ここではまずデュオニュソス的な音楽について 考察したい。第一の冒頭で示したように、音楽の起源説として、アテナがメデューサの 姉妹の嘆きからノモスをつくったことと、ヘルメスが亀の甲羅を共鳴体として使った、 ということを挙げた。これを踏まえて、シェーファー (1986,pp.25‐26) はデュオニュ ソス的な音楽について以下のように述べている。 「デュオニュソス的な考え方では、音楽とは不合理で主観的なものである。音楽はテン ポのゆらぎ、強弱の陰影、調性の色彩の違いといったさまざまな表現方法を用いる。そ れは、たとえば、オペラ舞台の音楽、ベル・カントの音楽であり、リード楽器のような その声はバッハの受難曲の中にもきくことができる。そして、十九世紀から二〇世紀の 表現主義の音楽に到るまで有力であったロマン主義の芸術家による音楽表現はまさに 69 デュオニュソス的音楽観そのものである。」 音響特性に注目したアポロン的音楽、感情や主観に注目したデュオニュソス的音楽、 これらは、どちらもギリシア神話の時代から言われている音楽の構成要素である。ニー チェは『悲劇の誕生』の中で、このアポロン、デュオニュソスを、ギリシア彫刻、ホメ ロスの叙事詩(合理性)と音楽(抒情)という二項対立に当てはめて論じているが、そ の後 1888 年、狂気に陥る数週間前のニーチェは、自らを「デュオニュソスの哲学者」 (1992,p. 3)とした上で、「キリスト教にはアポロン、デュオニュソスのどちらの概 念も皆無である。つまりキリスト教はあらゆる美的価値を台無しにする」 (1992, p.49) と述べ、この2概念の調和の重要性を暗示している。一見、合理主義批判からキリスト 教批判へのシフトを表しているようだが、実は人間の生き方も芸術も、キリスト教的道 徳観、価値観に囚われるべきではない、というニーチェの主張は、故に、西洋形而上学 の外側に光を見出したシェーファーと共通する、と私は考える。 (b) リトミック リトミックは、エミール・ジャック=ダルクローズによって考案された音楽教育への 70 アプローチ方法である。ダルクローズの提唱する音楽教育のメソードは、西洋音楽の様 式にそったものであるが音楽科教育に有効であると考えた。 ダルクローズ (チョクシー他,1994, p.54) は音楽教育として、リトミックに以下のよ うな目標を掲げている。 「ジャック=ダルクローズは……学生の様々な能力を伸ばす方法を見つけ出すことに 生涯を捧げた。それは、音楽を、感じ(feel)・聴き・創り出し・知覚そして想像し(sense and imagine)・関連づけ・関係づけ・記憶し・読み書きし・演奏し解釈する能力であ る。……彼は、心と身体や、感覚と表現との間のギャップに悩む学生を自由にしてやる ために研究したのだ。」 ダルクローズは、音楽を理論的な知識への傾倒に伸び悩む学生の姿から、実践的な音 楽の学習法を考案していく。そこで、実際にリトミックの講習会に参加し、どのような 活動があるのかを講習会を通して体験してきた。それは次のような活動である。 2. リトミック講習会に参加して 71 (a) 実践を通して 第 5 回カワイ教育カレッジ―リトミック in 浜松 ・日程/7 月 2 日~7 月 4 日 7 月 2 日、入門コース ・参加者 50 名程度 ・ 歩く 1、 歩き続ける (空間・高さ・他者の位置を意識する) 。 2、 歩き続け、他者と目が合ったら 5 秒間目を合わせ続ける。 3、 3 つのパターン (自分が自然に歩ける速さ・アップテンポ・スロー) で歩き分け る。 4、 足の部分 (つま先・かかと・外側・内側) によって歩き方を変える。 5、 合図によって足の部分の中から 1 パターンを選び歩く。 「歩く」という普段の動きの中にも、テンポの違いや、緊張関係が存在することを理 解する。また、2 の活動では他者と接近する際にクレシェンド、離れていく際にデクレ 72 ッシェンドの関係を体感することができた。さらに、足の様々な部位を使って歩くこと で、歩き方や、歩くテンポが変わり、歩くという一連の行動にバリエーションが加わる。 ・ 座っての活動 1、 1 つの大きな輪になって座り、太鼓のリズムに合わせて 4 分の 4 拍子の一拍ごと に膝を叩く。このリズムをベースとし、その 2 倍速のテンポを胸(心臓)の位置で 叩き、2 倍遅いテンポで地面(地球と言っていた)を叩く。 2、 上記の条件を指導者の合図で打ち分ける。 3 種類のテンポを使い分けることにより、拍子やリズムの意識付けとし、音楽 (リズ ム)に合わせて活動をする為の準備段階としての位置づけができる。 ・ 輪になって活動 1、 1 つの大きな輪になって座り、 「座って活動」の時のリズムを手拍子に変え、隣の 人に伝えていく伝達ゲームをおこなう。 2、 ルールを覚えたら、3 つにグループを分け (1 つのグループだと多すぎる為) 、同 73 様に伝達ゲームを行う。その際、身体を振り向かせることで右回りを左回りに変 えるなど、拍手以外 (頭を叩く、足踏みなど) でビートを刻んでもよい。 伝達ゲームにすることにより、自分が音を発しない箇所では、他者の発する音に注意 を向ける必要性が生じる。そこで、他者の出す音と、自分の出す音に意識が向く。また、 右回りから左回りに方向を変えることは、緊張感を持続させる効果があり、音の発する 所を注意深く聴くことが要求されている。 (入門コース 7 月 3 日、A コース 参加者 50 名程度 1 コマ、リトミックⅠ―基本的な動き ・ 人に合わせる 74 入門編(2)―基本的なリズムの動き) 1、 2 人ペアになり手をつなぎ、音楽に合わせて円を描くように回す。その際、曲を よく聴き、p や f に合わせて円の大きさや動きを調整する。 2、 2 人ペアとなり、片方の人が 4 拍を身体(頭を叩いたり、肩を叩いたりなど)を使 って叩き、もう片方の人が、その真似をする。 3、 5~6 人のグループを作り、その中の 1 人が、身体を使って 8 拍を表現し、隣の人 に回す。 4、 5~6 人のグループのまま、8 拍を 4 拍ずつに分け、初めの 4 拍を前の人の動きと し、前の人の動きを模倣する。後の 4 拍は自分の動きとして、ビートを表現する。 円を描く活動では、音楽の強弱や、テンポ感が必要であり、2 人とした意図として、 他者の感じる音楽と自分の感じる音楽の違いについて感じることができるのであろう と感じた。また、ペアになっての活動は、人のリズムを模倣する活動であり、音楽的な 活動として注目したい。さらに、4、の活動は、他者の創りだすリズムと自身が創るリ ズムがあり、模倣と創作の活動であり、また、自分の創るリズムを他者が合わせている ことから、自分のリズムを客観的に聴くことができる。 75 ・ 歩く 1、 自分の楽な速さ(いつもどおり)で歩く。 2、 同じスピードで歩いている人を見つけ、手をつないでグループを作っていく。 3、 出来上がったグループ(7~8人程度)で輪を作って座り、手拍子による伝達ゲーム を行う。 4、 目をつむり、手拍子を隣の人に伝える。また、始めの人だけを決め、目をつむっ たまま、音も発さずに、頭の中のイメージだけで音楽に合わせてビートを伝達さ せ、曲が終わったところで誰が最後の人かを当てるというゲームを行った。 1 と 2 の活動では、自分の刻むテンポと、他者の刻むテンポを意識させることができ るのではないだろうか。また、3 の活動を通して、4 の活動では、ビートを身体だけで はなく頭の中においても印象付けることが出来た。音楽がどの瞬間に終わるのかわから ないため、音楽を集中して聴くことが出来た。 ・ スキップする 1、 ピアノの演奏に合わせてスキップする。4 パターンあり、それぞれ曲感(調性やテ 76 ンポ)が異なる。 2、 Ⅰパターンごとにペアを変え、1~4 の人とする。 3、 「1 の人」という合図で、1 の人を探し、手をつないで、1 のパターンのスキップ をする。 4、 3の活動と同様に「2 の人」、 「3 の人」、 「4 の人」という合図で、それぞれペアを 探し、それぞれのパターンのスキップをする。 この活動では、スキップというリズム運動を通して、おそらく、フレーズやリズムパ ターンの記憶のためのゲームだったように感じた。また、ペアを変えてそれぞれのパタ ーンをスキップするという行為は、一定のテンポのなかでのバリエーションの可能性を 学習することができるであろう。 ・ 背中を押す 1、 2 人ペアになり、4 分の 4 拍子や、4 分の 3 拍子を意識しながら相手の背中を押 す。押された方は押された力に合わせて、前方に向かって歩いていく。 2、 1 の活動と同様に相手の背中を押す。押された方は指揮をしながら前方に向かい 77 歩いていく。 この活動では、力の減衰を身体で表現することによって、拍の中での力の減衰につい て体感することができ、4 分の 4 拍子や 4 分の3拍子などを意識させることにより、拍 子の感覚を身につけるための活動となっていた。 ・ ダンスする 1、 2 人ペアになり、身体の前で両手を握り、音楽に合わせて左右に振る。適当なと ころ (自分で音楽的に切れたと感じたところ) で手を解き、違うパートナーを探 す この活動では、曲全体を感じとり、身体表現することにより、曲のもつイメージ (調 性、フレーズ感) を意識することが出来た。 (A コース 78 リトミックⅠ―基本的な動き) 3 コマ、リトミックⅡ‐2―基本的な動き ・ 寝る 1、 床に大の字に担って横になる。その際、床と身体の接着点を意識する。 2、 床に横になったまま、深呼吸をする。その際、深呼吸と共に体が重くなっていく ことを確認する。 3、 深呼吸をしながら、体の 1 部(足、背中、頭、腕、尻など)に意識を集中させる。 4、 自分のビート(心音)を意識して聞いてみる。 身体をリラックスさせ、横になっての深呼吸は、腹式呼吸の練習として有効である。 また、床と体の接点を意識させることは、深い呼吸 (腹式呼吸) をし易くする効果があ った。自分のビートを聴くという行為も同様の効果があった。 ・ マッサージする 1、 2 人ペアになり、マッサージをする。マッサージをする方の人は、ピアノの音高 (高音は高い位置、低音は低い位置) に合わせてマッサージをする。また、音に強 79 弱に合わせてマッサージする力も加減する。 この活動は、音の高低に合わせてマッサージをすることによって、音の高低を意識さ せることができる。また、ピアノの強弱によって、力の関係を意識することができる。 ・ 呼吸をする 1、 “タンレン (下腹部あたり) ”に息を入れるイメージで、呼吸を繰り返す。その際、 テンポを変えてみる。 この活動は、腹式呼吸の練習でもあり、また、自然な息の流れを感じることができる。 また、テンポを変えて呼吸をすることによって、ゆったりした息の流れを感じ、緊張感 のある呼吸を体験することができる。 ・ 真似をする 1、 2 人ペアになり、前後になり、前の人がテンポを設定して歩き、後ろの人が前の 人のテンポを模倣する。「変えて」という合図で、前後の関係を逆転させ、それ 80 まで後ろだった人が、テンポを設定して歩き、それまで前だった人が模倣する。 2、 1 の活動に、「速く」という合図や「遅く」という合図を加え、「もとの速さ」と 合わせて 3 種類のテンポで歩く。さらに「チェンジ」という合図で、パートナー を変え、近くの人とペアを組んで 1 と 2 の活動をする。 この活動では、他者のテンポに合わせることを学ぶことができる。さらに 3 種類の テンポを使い分けることから、テンポ感を養うことができる。また、「チェンジ」の合 図で、パートナーが変わることによって、様々なスピードのテンポを模倣することがで きる。 (b) リズムに合わせる 実体験からいえることとして、上記した一連の活動は「リズムに合わせて動く」、と いうことが挙げられている。リズムにあわせるということは、そのリズムを聴いていな ければできない。そこで特に注目したいのが、リトミックの活動には「聴く」という行 為が前提とされている点である。上記の活動では、音楽やリズムを、身体を通して表現 する活動が多く見受けられるが、それらの活動を行うためには、その音楽やリズムをよ 81 く「聴くこと」が要求されている。つまり、聴覚を鍛えることの重要性がリトミックで は注視されているのである。さらにいえば、リトミックの活動は、身体の動きを通して 聴覚を鍛え、また、様々な活動を通すことにより表現力が向上し、音楽表現自体の質の 向上も期待できる。音楽にあわせて動いてみると、音楽は、曲想やテンポ、リズム強弱 など様々な要素がある。音楽にあわせて動くという行為を通して、音楽おいて重要なそ れらの要素を体感的に学べる、ということである。このことに関して、J.マーセル (板 野,1975, p.ⅲ) は以下のように述べている。 「すべての複雑性の中にあるリズムは、完全に動的意識、われわれの筋肉の運動感覚の 上に依存するものである。そこで心理学上正しい音楽へのアプローチは、自由で全身的 な反応の方法によることである。われわれは、単に耳だけで聴くことによって音楽に入 ろうとすることがまったく理解できない。全身体が音楽に調和し、反応できるようにな って、音楽に入るべきである。動きの意識なしには音楽は偉大な芸術とはならず、ただ 音の数学にすぎないだろう。音楽に関係づけた動きの意識の高揚は、正しい心理学的原 則の上に発見された音楽教育システムの偉大な業績のひとつである。……ユーリズミッ クのシステムは、リズムを理解する上で、心理学的原則の教育方法の世界での完全な認 82 識である。音楽教師は、ユーリズミックについて知り、理解すべきである。」 マーセルはここで、よく聴き、それを運動にあわせる (動くこと) ということ、それ 自体が、既に音楽であることを述べている。また、音楽に動きをあわせるという行為は、 教育の場においてもふさわしいことを述べている。板野はリズムに焦点を当てているが、 これは、その他の音楽的要素にも応用可能であると考える。それは、音の強弱やテンポ、 フレーズ感などである。動くことを通して音楽を理解する、感じることが、音楽の導入 としては適切であることを示唆しているのである。 (c) リトミック的な創作(教育)活動 また、どのような表現をすればよいのかという創作的な活動を通して、自ら考えて表 現することを学べるのではないだろうか。このことについてダルクローズ (1975.p.4) は以下のように述べている。 「今まで、手や指の筋肉を動かすだけで、明確なリズムを心の中で把握することに満足 していたとしても、触角機能を呼びおこすのに必要な効果を生み出すために、全身体機 83 能を十分に活用したとすれば、もっと激しい感情が表現できるはずである。身体そのも のが音と思考の間に介在する役割をはたし、やがて聴覚感動の直接的媒介―それは、 我々の身体に眠っている振動と協和のいろいろな動因によって呼びさまされ強化され ていく―になっていく教育体系、すなわち、呼吸機能は言葉のリズムを句切り、筋肉は 音楽的感動を表現する教育体系を、私は楽しみにして待つ。」 リズムをつかむことや身体表現をすることは、直接的に音楽教育に結びついている。 天体の音楽に近づき接触するのは人間の身体に他ならない。神や自然とコミュニケート するとき、人々は身体を震わせ、そして踊ったのである。身体は視覚化され、音を伴う。 身体は言語化される以前の言語をジェスチャーにより語る。つまり、芸術は身体そのも のである。そして、身体は「聴く」ことによりさらに開放される。人は何もない不気味 な闇からその身体を開放することはできない。そこにあるのは緊張だけであろう。泳ぎ の上手い者は水に開放される。スノーボーダーは雪原に開放される。そして、ミュージ シャンの身体は時としてアンサンブルに開放されるのである。子ども達は、身体を通し てしか音楽の能力を養うことができないのである。例えば、合奏を例にしてみよう。合 奏は、他者の演奏する音楽に合わせて自分の音楽を演奏することである。他者の演奏を 84 よく聴かないことには、合わせることなど出来ようはずもないのである。合奏だけでな く、その他の音楽活動も「聴くこと」が前提とされている。森きみえ (2004,p.802) は リトミックについて以下のように述べている。 「心理学と生理学の原理をふまえて展開されたもので、音楽のリズムをたんに聴覚でと らえるだけではなく、視覚や触覚や筋肉感覚でも受容し、全身での反応運動の体験を通 して感覚の鋭敏化を図り、全人的な人格の形成を指向する音楽の基礎をおく芸術教育法 である。この創造的で総合的な芸術教育においては、リズム運動がすべての訓練の基礎 になるものとして重視され、リズム運動、ソルフェージュ、ピアノの即興演奏の 3 部 門が相互に関連づけて実践される。」 リトミックでは、身体の開放のために聴覚以外の感覚も用い、音楽を全身で「聴く」 ことを目指している。ダルクローズ (1975.p.5) は以下のように述べている。 「まず最初に、歩く技術をわきまえることから始め、声の動きとからだ全体の動きを合 わせることに進む。これが、きっとすぐに、リズムによって行うリズム教育の指導法を 85 確立することになるであろう。」 歩く行為はリトミック活動の基本となっている。そこで、まずはこの歩くという方法 を取り入れ、 「聴く」ことに焦点を当てた授業を展開したいと考える。さらに、 「聴くこ と」を効果的に導入するために、第二章で説明したマリー・シェーファーの提唱するサ ウンドスケープの概念と共に、学校導入への方法として、取り入れてみたい (以下、詳 細は第四章で) 。 (d) リトミックとサウンドスケープの共通項 では、リトミックはどのような経緯で成り立っていったのだろうか。 第二章で紹介したサウンドスケープは、アポロン的な音楽を目指していることを確認 してきた。では、リトミックの場合はどうであろうか。森 (2004,p.802) は以下のよう に述べている。 「ダルクローズの独創的な表現方法である〈動きの造形〉(プラスティック・アニメ pladtique anime) は、古代ギリシアの音楽と舞踊と詩の三位一体の思想に基づいた、 86 音楽と身体運動の統合をめざす舞踊的なものである。本来、音楽は聴覚で受容するが、 これは音楽を視覚的にも受容できるという考えに基づいて、音楽と身体運動の表現の合 致のありよう、音楽の全容が鑑賞者に伝達されるというものである。」 そもそもリトミックは古代ギリシアのコレイア (音楽と舞踊と詩の三位一体) に注 目している。シェーファーのサウンドスケープもまた、古代ギリシアからの流れの (ア ポロン的な) 音楽に注目している。ここにサウンドスケープとリトミックの共通項が見 て取れるだろう。ではまず、サウンドスケープとリトミックの共通項として考えられる 「聴く」という行為に注目してみたい。聴く行為は、仮に想像力をもって頭の中に音楽 を喚起する行為であるとすると、頭の中で行われる創造、つまりイメージすることが重 要であると言える。そして、音楽教育として考えていかなければならないこととして、 特定 (西洋 19 世紀美学に基づいた音楽) の音楽に固執せず、様々な音楽の一つの種類 として西洋音楽を見直していく事ではないだろうか。塩原麻里 (2000,p.285) は、以下 のように述べている。 「音楽的感覚と深い関係にある身体的感覚は、筋肉と身体運動に伴う触覚、例えば床を 87 裸足で移動するときの足の裏の触覚、等を時間、空間、エネルギーと関連させながら鍛 えることによって発達していくと考えた。音楽的にリズミカルでないことは身体全体が リズミカルでないことと同意義であると確信した彼は、まず身体全体の筋肉と神経を音 楽によって刺激しながら心身のバランスを整え、音楽刺激に即座に応答することによっ て身体全体のリズム感覚を鋭敏にしていく訓練法を開発した。」 これは音楽と身体の関係について述べている。リズムのない音楽がないように、リズ ムのない身体運動もまたないのである。これは、古代ギリシアのコレイア (音楽と舞踊 と詩の三位一体) とは、芸術の根源でありリトミックが目指した、音と動きによる身体 の知的開放とはいえないだろうか。つまり、塩原の言う音楽と身体関係性は、古代ギリ シアのムーシケーの発想をもとにしていることを示していると考えられる。 (e) 日本でのリトミック活動 リトミックは現在、日本の様々な場所で実践されている。その始まりは、約 100 年 ほど前の 1906 年から歌舞伎俳優の二世市川左団次や、作曲家の山田耕筰、俳優の小山 内薫など様々な分野の人たちによって日本に次第に持ち込まれてきた (森きみ 88 え,2004) 。現在では例えば、幼児教育などにおいては、教育活動の初期の段階からリ ズム教育をほどこし、音楽だけではなく、様々な目的の基で実践されている。その目的 は多様で、音楽の基礎活動としての意味合いは勿論のこと、運動機能の発達や、表現力 の向上などが期待されている。 3. 他のメソード リトミックにはいくつかの類似するメソードがある。例えば、コダーイや、オルフ、 スズキ、ワードなどである。 ハンガリーで生まれたコダーイ・メソードは以下 (塩原,2000,p.286) のようなもので ある。 「わらべ歌を中心とした歌唱教育を通して、聴いたものを見ることができ、見たものを 聴くことができる、読譜力と内的聴取に裏付けされた音楽性を見につけることを目標と している。子ども達が歌っているときに自然に伴う動きとしての、歩く、走る、跳ぶ、 弾む、踏むといった身体動作が奨励されており、歌や歌詞や歌遊びの内容を身体運動で 89 模倣したり、その歌のリズムを動作で強調することも多く行われている。」 コダーイ・メソードにおいても、身体動作を伴って活動を行うことが奨励されている。 また、ここで注目したいのが「自然に伴う動き」の箇所である。即ち、ここでいう自然 の動きとは、音楽表現に伴って表出する動きのことであり、音楽を体の内部に取り入れ、 それを表出することを指しているのではないだろうか。自己の中に音楽を取り入れるこ と、これは第二章で示した頭の中に音楽を創り出す行為とも類似しているだろう。 次にオルフ・メソード について塩原(2000,p.286)は以下のように述べている 。 「音楽は本来動き、ダンス、そしてスピーチと共にあるという理論を基本として、特別 に開発されたオルフ楽器での即興演奏を中心とした独自の音楽教育を展開している。」 オルフ・メソードは、音楽の本来のものとして、ダンスとスピーチにも注目している。 これは、古代ギリシアのコレイアの発想と共通している。つまり、サウンドスケープや リトミックの概念とその根幹を同じにしていると考えられる。 スズキ・メソード について塩原は(2000,p.287) は以下のように述べている。 90 「スズキ・メソードが子ども達に身につけさせようとしている最も高い音楽性とは、楽 器が自分の身体の一部として感じることができるようになること、すなわち楽器が生み 出すハーモニーのほんの少しの変化も逃さずに身体で感じ取り、その感覚があたかも自 分自身の中で生まれてもののように鮮明に感じ取ることができるようになることであ る。」 スズキ・メソードの「身体で感じ取り」という目的は、リトミックの目的と関連して いる。リトミックでは、身体そのものが楽器の役割を果たしているが、身体によって音 楽を自己の内に感じ取ることは、リトミックの概念と類似している。 最後にワード・メソード についての塩原(2000,p.287)の見解を紹介しておこう。 「五線譜を使って声楽を教えるという伝統的な音楽教授法に、身体運動を取り入れた例 として興味深い。ワードは基準となるリズムと共に、……小節線によって区切られた強 拍と弱拍の不自然なリズムから子ども達を解放して、彼らにより音楽的なリズム感を育 成するために、身体動作で身振りをつける教育法を考えた。」 91 ワード・メソードにおいても、身体動作を取り入れることによって、音楽的なリズム 感が得られることを示している。また、コダーイ・メソードとスズキ・メソード、さら にリトミックを貫く共通項として「自然の動き」が挙げられる。自然の動きについて三 浦 (1994,p.249) はフレドリカ・ブレアの見解を参照しつつ、以下のように述べている。 「自然が最も美しい―自然な動きとは身体構造と重力との調和が生み出すものなのだ。 自然の動きは全て、思考や感性や動機など何らかのものを表現しているのだというデル サルトの観察は若い舞踏家に衝撃を与えた。」 自然の動き、そして、自然の衝動による表現は、調和の取れた美しさがあることを述 べている。コダーイ、スズキ、リトミックといったメソードは、音楽という表現を聴い た時に生じる欲求、いわゆる身体的な衝動から、音楽を表現しようとしているのではな いだろうか。 4. 身体の零度を獲得するために 92 (a) 音楽とイメージ、そして身体 さて、リトミックはこれまで紹介したような様々なメソードに影響を与えていること がわかる。つまり、音と動きによる身体の開放は、今世紀の多くの音楽家、音楽教育家 が共通してめざしていたことなのではないだろうか。英国の哲学者バーノン・リー (塩 原,2000,p.289) は以下のようなことを述べている。 「音楽を聴いているとき、その音楽の運動感覚的イメージを認知することで、私達が過 去に経験した様々な行動にまつわる類似した動作の図式が活性化され、同時にその過去 の行動と共に経験した様々な感情が音楽によって呼び覚まされるという。音楽を聴取し ている過程では、そのように呼び覚まされた感情と聴いている音楽とが瞬間的に融合し あい、さらに新しい感情を生み出していくので、私達は感動を経験するのだとリーは考 えている。」 鳴っている音楽と、そのイメージが過去の自身の経験を呼び覚まし、また、呼び覚ま されたイメージがその時に聴いている音楽と融合し、音楽的な感動を呼び覚ます。リト ミックの概念はこのような一連の「図式」によって、音楽的な感動を喚起し、体験する 93 ものに音楽を感じさせるのである。 (b) 第二章と第三章のまとめ ここで、第二章、第三章をまとめてみたい。サウンドスケープは古代ギリシアの時代 から続く音楽 (アポロン的な音楽) にその発想の根幹を見ることができると考えられ る。リトミックは、その身体の開放性という意味ではデュオニュソス的でもある。両者 は共に、音楽教育の立場において「聴くこと」の重要性について述べているが、この 2 つの組み合わせは、アポロンとデュオニュソスの融合とも考えられる。 先に述べたように、古代ギリシア時代における音楽 (ムーシケー) はコレイアによる ものであった。音・音楽をよく聴くことに伴って動きが生じる。そして、動くことによ ってリズムが生み出される。つまり、聴くことから始まり、自らの身体を動かそうとい う欲求が生じるのである。そこで次のようにまとめることができるのではないだろうか。 ・ サウンドスケープは「音」の立場からアポロンを基調とする。 ・ リトミックは「動き」の立場からデュオニュソスを基調とする。 (表.1 参照) 94 三浦雅士(2002,p.110-111)は以下のように述べている。 「舞踊は現在ただいまの芸術です。踊る側も見る側も、同じ場所、同じ時間にあって、 同じ空気を吸っていなければならない、そういう芸術です。その制約が、長いあいだ舞 踊に不利に働いてきましたが、いまや逆転してきました。どういうふうにか。舞踊の享 受のされ方のほうが、人間にとって本来的なのではないかと思われてきたからです。音 楽についてはもとより、たとえば絵にしても、ラスコーの洞窟から、寺院の壁画や仏像 にいたるまで、美術品は決して抽象的なものとして鑑賞されてきたわけではない。ある 日ある時ある出来事として、つまり、ほとんど舞台芸術のように体験されてきたのです。 詩もまた朗読されることによって体験されなければならない…詩も舞踊も、もっとも古 くかつもっとも新しい表現行為です。それはつねにいまにかかわるとともに、その始原 にかかわっているからです。」 サウンドスケープもリトミックも現在ただいまの表現行為である。同じ空間で、同じ 時間を共有し、一瞬にして消えていく音に耳を傾け、そして、身体を通して感じ、動く。 サウンドスケープが「哲学における認識論、存在論の詩的体系化の試みを、音によって 95 具現しようとした」(今田,2000, p.23)のであるならば、リトミックは同じことを動き によって具現しようとしたのではないか。つまり両者の音楽的な目的は同質のものであ ると考えられる。そして、最も重要な共通点は「聴く」という行為に他ならない。そこ で第 4 章では、 「音」と「動き」を同時進行的に融合させ、学校音楽教育の導入の可能 性を模索していきたい。 96 表.1 サウンドスケープ リトミック R,マリー・シェーファーによって考案 ジャック・ダルクローズによって考案 ○アポロン的音楽 ○デュオニュソス的音楽 ・数学的、科学的 ・主観的、感情的 ・「天体の音楽」、「アーハタ」、「も ・19 世紀西洋美学的 ののね観」、「平安京の音文化」、 ・「コダーイ・メソード」、「オル 「ドリームタイム」 フ・メソード」、 「スズキ・メソー ・オリヴェロス、ジョン・ペインタ ド」、「ワード・メソード」 ・正しい(とされる)聴取の仕方 ー ・身体の開放 ・澄聴力 ○澄んだ聴覚をとり戻る為、「イヤー・ク ○身体の開放の為に、リトミックの概念 「動き」そのものに注目した。 リーニングの」概念を用いて、 「聴く行為」 を用いて、 そのものに注目した。 ⇩ 身体の零度を獲得する 97 第四章 日本の学校教育への導入―まとめにかえて (a) 「形式」と「内容」 スーザン・ソンタグ (2000, pp.16-17) は、以下のように述べている。 「ヨーロッパ人の芸術意識や芸術論はすべて、ギリシアの模倣説あるいは描写説によっ て囲われた土俵のなかにとどまってきた。この説によれば、必然的に、芸術というのも 自体が、個々の作品をこえて、疑わしいもの、弁護を必要とするものにならざるをえな い。この弁護の結果、奇妙な見解が生じてくる。すなわち、あるものを『形式』と呼び ならわし、またあるものを『内容』と呼びならわして、前者を後者から分離するのだ。 そして、いとも善意にみちた動機にしたがって、内容こそ本質的、形式はつけたしであ ると見なすという次第だ。」 自らの共和国から画家や役者を追放したプラトンは、故に、歴史的に芸術否定論者と いうことになっている。また、芸術を擁護したアリストテレスも、芸術は医学的に有用 であるとした点に於いて (ソンタグ, 2000) 、芸術そのものへの解釈はプラトンと変わ 98 りないのである。つまり、この 2 人が芸術にみたものとは、デュオニュソス的な「内 容」だったと考えられる。ソンタグ (2000, p.32) は以下のように続ける。 「透明、これこそ今日芸術において、また批評において、最高の価値であり、最大の開 放力である。透明とは、もの自体の、つまりあるものがまさにそのものであるというこ との、輝きと艶を経験することの謂である。これが、例えばブレッソンや小津の映画の、 あるいはルノワールの『ゲームの規則』の偉大さにほかならない。」 ソンタグがいうところの「透明」とは、芸術自体を感じる、つまり形式そのものを聴 いて、見る、という行為に他ならない。また、今田 (2003, p.53) は、以下のように書 く。 「ピアノの演奏スタイルに『新即物主義 (ノイエ・ザッハリカイト) 』というのがある。 19 世紀末に横行した『過剰解釈』による演奏に対する反発から出てきた演奏法である (e.g., 青柳, 2000) 。音楽科教育にもおそらく「新即物主義」が導入されるべきなのだ ろう。」 99 (b) 「アポロン」的音楽と「デュオニュソス」的音楽の融合 サウンドスケープの「天体の音楽」から「聴く行為」、リトミックの「身体の開放」 から「動き」、これらに注目し、第三章で示したように「アポロン的」なものと「デュ オニュソス的」なもの、との融合、つまり、「音」と「動き」の融合をめざして音楽の 授業を考えてまとめに変えたい。三浦 (2000,pp.150‐151,pp.163‐164) は、20 世紀 のバレエについてアポロン、デュオニュソスをキーワードとしつつ、以下のように説明 している。 「……ニーチェは、ソクラテスとプラトンが、ギリシア古来の神々を追放してしまった のだと述べています。ニーチェは、追放された神々の筆頭にデュオニュソスを挙げてい るのですが、このデュオニュソスこそ死と再生の神々と言っていいものだったのです。 そしてそれはまた、舞踊の神でもあったのでした。ニーチェがデュオニュソスとアポロ という二つの類型を提示したことは有名です。これを、混沌と明晰と言ってもいいでし ょう。あるいは、複雑怪奇なものと理路整然としたものと言ってもいい。ニジンスキー の『春の祭典』は、明らかにデュオニュソス型に属するものです。そして、興味深いの 100 というほかありませんが、バランシンは明らかにアポロ型のコリオグラファーです。… …ジョン・クランコがバランシンとグレアムの結合という考えを抱いたのは、このよう に考えると、バレエとモダンダンスの結合という以上に、バランシンとニジンスキーの、 つまりアポロ的なものとデュオニュソス的なものの結合ということであったことが分 かります。バランシンの抽象的なバレエの美しさは明らかに天上的です。バランシンは、 花は花であるだけで美しい、説明はいらないと、繰り返し語っています。バランシンに とってバレエは花なのでした。」 音楽には、バレエ同様、常にアポロン的な要素とデュオニュソス的な要素が混在して いるに違いない。そのバランスが、例えば第二章で触れた 19 世紀の音楽文化により歪 められた、デュオニュソス的な要素が、極度に強調されたと考えることが出来る。この 亀裂は、音楽と舞踊の分離に象徴される。三浦(1995, p.41)は言う。 「だが、近代、とりわけヨーロッパの近代において、この両者の緊密な関係に深い亀 裂が生じた。音楽が純粋な芸術であろうとして舞踊を排除しはじめたのである。交響曲 の前身は舞踊組曲、舞踊組曲の前身は舞曲である。音楽は舞踊から生じたといっても誤 101 りではない。音楽は、したがって、近代にいたって、それ自身を育んできた舞踊という 母体を離れようとしたのだということになるだろう。」 三浦はその原因として、レコード、つまり複製芸術の登場をあげているが、「音の分 裂症〈schizophonia〉という概念を提唱することにより、オリジナルとコピーによる音 の再生産」(今田, 2000, p.26)を指摘したシェーファーとも共通する。 さて、アポロンとデュオニュソス、この音楽が持つ2つの要素のバランスを、均等に するにはどのような活動が必要なのだろうか。アポロン的思考を核とするサウンドスケ ープと、身体の開放性という、ある意味でディオニュソス的な魔術を秘めたリトミック を調合することにより、この難しい課題に取り組めるのではないか。この章では、以上 のような見解にそって、クラス・ルームでの具体的な活動を提案したい。 (c) 具体的な活動 授業の目的としては、音・音楽を注意深く聴き、自身の内部でその音楽を想像し、身 体を通して創造することが目的となる。今回の授業では、アポロン的な音楽については 聴覚に求めている。よって、音楽をよく聴くことが必要である。それから音楽によって 102 喚起されるイメージを想像させる。具体的に言えば、紙などを配布し、音楽を聴いて感 じたことを書き取らせる。その際、子ども達自身に極力、音を出させないように注意す ることである。 授業の目的 ・ 自ら発する音を極力抑え、音・音楽をよく聴くこと。 ・ イメージを、身体を通して、表現すること。 ・ 音楽的な体験を通して、音楽を感じること。 第二章、三章で考察してきたことを踏まえた授業作りを提案する。まず、動きの基と なる形として、歩くことからはじめてみる。歩くことを通して、音楽のリズム感や直接 的経験ができるからである。そこで、歩きながら「聴く」ことの実践を行いたい。 ○歩く ・ 歩きながら自分の出す音を注意深く聴いてみる。 ・ 歩き方を変え、自分の出す音の変化を聴いてみる。 ・ 他者の出す音を聴いてみる。 103 ・ 他者の出す面白い音や、動きを真似してみる。 ・ 他者の出す音が違っているなら、どこが違うのかよく聴いてみる。 ・ 何人か音や動きを真似してみる。 次に、班の作品を作ってみたい。ある程度、上の 2 つのような活動を行ってから、 今度は、班単位に規模を拡張し、班の中で相談して、動きや音を決定し、発表してみる。 上手くいったら、さらにクラス単位に規模を拡張し、同様に作品をつくってみる。 ○動きの作品を作る ・ 何人かの班を作り、歩く行為を基本として、歩き方やそれに伴う音を用いて一つの 作品を作る。 ・ いきなり動きだけで作るのは、あまりにも難しい為、何かの曲(構造的にわかり易い もの)を与える。 次に、第二章で紹介したシェーファーのサウンド・エクスチェンジを参考にしてみる。 サウンド・エクスチェンジは、聴くこと、動くことの両面の発想を含んでいるエクササ イズである。これは、自分の音と動きを創りだす一種の創作の活動でもあり、相手の音 104 や動きをよく聴き、よく見るという面では鑑賞の行為でもある。さらに、自分の創りだ した音や動き、相手の創りした音や動きを表現する活動にもなっている。サウンド・エ クスチェンジは表現、鑑賞、創作といった学習指導要領の音楽科の目標として掲げられ ているものを含んでいるのである。 ○サウンド・エクスチェンジ ・ 具体的な活動は第二章を参照 次に、紙の作品を作ってみたい。紙はちょっとしたことでもすぐに音が出る。触った 時の音、折るときの音、破る音、風になびく音、紙同士をこすり合わせる音、グシャグ シャにまるめる時の音、これらの音を使って、紙の作品を作ってみたい。その際には、 効果的に音が出るように、動きを意識させることを忘れないようにしたい。 ○紙の作品 ・ 作品を作る前に、一枚の紙をクラス全員で回してみる。その際、音を立てないよう に注意する。 ・ 次は、音を出してみる。一枚の紙でもいろいろな音が出せる。破る音、たたく音、 105 さする音、ひらひらさせた時の音、穴をあける時の音、などなど。一人一個の自分 の音を探してみる。ただし、他の人が出した音はその人の音なので、使ってはいけ ない。 ・ 紙のパフォーマンスを創る。何人かの班を作り、紙を使って、パフォーマンスを考 えさせる。紙の出す音、リズムを効果的に用い、一つの作品を作ってみる。 次に、声の作品を作ってみたい。声は様々な音を発することができる。歌うときの声、 笑い声、泣き声、話し声、ひそひそ話をする声、大声、小声、わめき声、ザワザワする 集団の声、……。これらの声を使って、一つの作品を作りたい。 ○声のパフォーマンス ・ 紙のパフォーマンス同様、今度は声のパフォーマンスを創ってみる。作品を作ると きには、声にリズムパターン、強弱などを効果的に用いると、作品らしさが出てく る。勿論この作品にも動きを取り入れてもかまわない。 これまでは音を出すための作品作りだったが、次はこれまでとは逆に、音を一切出さ ないようなエクササイズをしてみたい。シェーファー、ダルクローズ、ペインター、オ 106 リヴェロス等の誰もが注目してきた「沈黙」を聴いてみたい。自分が普段は音をあまり 聴いていなかったことを体感してもらいたい。これは、私の体験になるが、サウンドス ケープの音調査をした時のことである。自然音 (風の音や、鳥の鳴き声など) に耳を傾 けた後、人工音 (車の音や、工事の音など) を耳にすると、普段はあまり気にしていな かった音 (人工音) が、とても騒がしく聴こえた。普段の耳にはフィルターのようなも のがあり、耳は聴いているようで聴いていないのだ、ということを体感したのである。 このような体験をしてみることにより、音に注意を払うこと、よく聴いてみることにつ ながるのではないだろうか。また、沈黙を入れた作品を作ってみたい。 ○沈黙を聴く ・ これまで、作ってきた作品に、今度は沈黙を入れてみる。一切音を出さず、周りの 音をよく聴いてみる。沈黙を出そうとする時、そこに音楽的な「間」を感じること ができるかもしれない。 次に、楽器を作ってみたい。日常生活の中でも、好きな音、嫌いな音を見つけて、そ の中から、気に入った音のするものを探し出し、どのようにすれば、さらによい音がす るか、試してみたい。そのような楽器を持ち寄り、リズムパターンを作り、一つの作品 107 を作りたい。 ○楽器を作る ・ 好きな音を探してみる。 ・ 音源を持ち寄り、どのようにしたらよりよい音が出せるのかを検討してみる。 ・ 持ち寄った楽器を音の系統(打撃音、振る音、弾く音など)のグループに分けて、そ れぞれのグループで作品を作ってみる。 ・ 作った楽器を用いて、好みに合わせて編成し、作品を作ってみる。 最後に、子ども達に、自分たちの考える作品を作ってもらいたい。紙を使ってもいい し、声を使ってもいい。それまでに学んだものを一つの作品として作り上げてもらいた い。 ○作品を作る ・ いくつかの班にわけ、これまで学習したことを参考にしつつ、一つの作品を作って みる。自分たちの班で新たな要素を考えて加えてみてもいい。 (d) まとめ 108 ダンスの重要性について、三浦(1995, pp.21-22)は以下のように述べている。 「ダンスは、たとえば体育などというたかだかこの一世紀に隆盛した学科などよりは るかに古い歴史を有しているのである。体育だけではない。ダンスは、音楽や演劇、美 術や文学以上に古い歴史をもっているといっていい。音楽や演劇、美術や文学をそれそ のものとしてもっていない民族がかりにあったとしても、舞踊をもっていない民族はあ りえないだろう。音楽も演劇も、むしろ舞踊から派生したと考えたほうがいい。」 言葉を書きとめ、楽器を奏でることをしる以前から、勿論人間は動いていた。話し言 葉もまたジェスチャーであり、舌の舞踊である、と三浦は指摘している。また、同時に 三浦(1995, p.22)は、ダンスの教育的意義についても述べている。 「たとえば、ジョン・ロックに『教育に関する考察』という著作がある。岩波文庫に 入っているので、教育者ならだれでも読んでいるだろう。そこにはじつに多くのダンス に関する言及がある。話題にされるのはつねに『読み、書き、ダンス、外国語をならう こと』なのである。たとえば『子供たちの身体の動作については、以前に申しましたよ 109 うに、ダンス教師が適当なときに、なにがもっともふさわしいか、彼らに教えるでしょ う』といったような言葉がちりばめられている。ところが、いまどきの学校の先生たる や、ダンスのダの字も口にしない。なぜこういうことになったのか。」 三浦は、その理由として産業革命による人間の身体の規格化、均質化を挙げている。 農村でのびのびと民族固有の舞踊を踊っていた若者達が、工場労働者として従事するた めに、彼らの時間感覚、空間感覚が画一化される必要があったというわけである。 音楽が身体と密接に繋がっていることはこれまでにも述べて来た。形式を客観視する アポロン的なプロセスを経て、身体的な開放であるデュオニュソス的な魅力に触れない 限り、ある意味では、音楽を経験したことにはならないのかもしれない。この2つを音 楽の核心として的確に理解し、どのように分かり易く子ども達に授業の中で伝えていく かが、今後の音楽科教育の重要なテーマの一つとなるのではないだろうか。三浦(1995, p.40)は言う。 「舞踊と音楽との関係は、切っても切り離せないものだ。ギリシア神話に登場するミ ューズの役割を見ても、カリオペは叙事詩を、ポリュヒュムニアは讃歌を司るが、テレ 110 プシコールは歌と踊りをともに司るのである。舞踊と音楽はひとつのものと見なされて いるのだ。ストラヴィンスキー作曲、バランシン振付の『アポロ』にしても、舞踊と音 楽の緊密な関係を高らかに歌い上げているといっていい。ある意味では、踊ることは演 奏することであり、演奏することは踊ることなのだ。」 音楽(またはオンガク)とは何か、を定義付けることは難しい。しかし、本論文で考察 してきたように、音楽と舞踊、アポロンとデュオニュソス、形式と内容、そしてミメー シス、これらの概念は音楽を追求していく上で、欠くことのできないキーワードである。 日本の学校音楽教育のガイドラインである学習指導要領は、しかしながら、これらのキ ーワードをまったく無視している。言い換えれば、音楽そのものから目を背けているの である。これは今後の音楽教育を考えていく上で、大きな問題となるのではないか。学 校社会、文化の狭い枠組みをこえ、今回の研究が、より広い視野にたった音楽教育の一 つの可能性に繋がれば幸いである。サウンドスケープ、リトミック、アポロン、デュオ ニュソス、形式、内容、これらのキーワードは、プロの音楽家を目指す人々、或いは現 役のミュージシャンにとっても重要であるからだ。 111 参考文献 ・ 今田匡彦.(2004).『うたについて:声のア・プリオリ、或いはアフォーダンス』.日本音 楽教育学会大会レジュメ. 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