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見る/開く - 東京外国語大学学術成果コレクション
丘ヲ 東京外国語大学論集第76号(2008) 反覆と音楽−ヴラジーミル・ナボコフの『ルージンの防禦』 鈴 木 聡 1.テクストの盤面 2.叙述の布置 3.棋譜と旋律 4.憐憫と反復 1.テクストの盤面 ヴラジーミル・ナボコフの『ルージンの防禦』(ロシア語版1930年、英語版1964年) 1)は、『マーシェンカ』(ロシア語版1926年、英語版1970年)幻と『キング、クイーン そしてジャック』(ロシア語版1928年、英語版1968年)3)に続く、彼の長篇小説第三 作である。それまでの二作品と同様に、主要な舞台となるのは1920年代のベルリーンであ り、『マーシ土ンカ』の場合と同じく、ここでも亡命ロシア人たちの共同体が背景をなして る。そればかりでなく、ふたつの作品の関連性は意図的に明確化されているということがで る。『マーシェンカ』の登場人物であったアルフヨーロフとその妻マーシェンカは、数年後 なおベルリーンにとどまっていたらしく、『ルージンの防禦』の幸人公夫妻の知り合いとし いくつかの場面で傍役を演じるのだ(第八章、第十三章、第十四章)。 主人公がロシアで過ごした幼年時代が、作者ナボコフ自身の回想と深く結びついている点 両作品に共通して認められる特徴である。ただし、『マーシェンカ』においては、主人公ガ ニンの記憶という枠組みのなかで遡行的に再現されていた過去が、『ルージンの防禦』にあ ては、時間軸に沿っていくつかの印象的な出来事を呈示するという叙述形式でたどられると ろに違いがある。その過程で点綴されたイメージやモティーフが、のちのち、変形されつつ 覆されることにより、主人公の人生の軌跡が、なにか逃れがたい定めによって徹頭徹尾支配 れたものであることが暗示される。別言するならば、『マーシェンカ』の場合とは異なり、 こでは、主人公の過去は、懐旧の対象として現在と対置されているわけではない。それはむ ろ、彼の悲劇的な最期へといたる一連の手筋としての意味を担うことになるのである。 その観点からいうと、『ルージンの防禦』の主人公を魅了するとともに、競技者としての の運命を翻弄し、宿命的な破局へと向かわせるチェスは、プロットの機構を超えて、テクス 自体に構築的、再構築的なゲームとしての特質を帯びさせる波動の源となっていると見るこ