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能地克宜 2009年3月 国語教育専攻 単位取得退学 いわき

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能地克宜 2009年3月 国語教育専攻 単位取得退学 いわき
2011年10月30日
博士学位論文審査概要
申請者:
能地克宜
2009年3月 国語教育専攻 単位取得退学
いわき明星大学 人文学部 表現文化学科
助教
論文題目:室生犀星研究
−−自伝小説における虚構性の考察−−
申請学位:博士(学術)
審査員:
主査:
副査:
副査:
副査:
1、
早稲田大学教授 金井景子
早稲田大学教授 千葉俊二
早稲田大学名誉教授 東郷克美
関西学院大学教授 大橋毅彦
本論文の目的
本稿は、室生犀星(1889−1962、明治 22−昭和 37)の自伝小説群に着目して、常に同時
代の新たな潮流を摂取し、進化し続けた犀星文学の再評価を試みている。
室生犀星は生前にも(非凡閣版全集全 13 巻、別巻1巻)、死後にも(新潮社版全集全 12
巻、別巻2巻)全集が編まれた、日本の近代文学を代表する文学者の一人である。本格的
な文学活動は、1918 年に刊行された第一詩集『愛の詩集』をもって詩人として開始される。
その翌年には小説家としても、「幼年時代」(1919)、「性に眼覚める頃」(1919)、「或る少
女の死まで」(1919)など幼年期から青年期に至る自伝小説を発表している。40 年以上に
わたる文学活動を概観すると、およそ 10 年毎に自伝小説を書き継いでいることがわかる。
それらの自伝小説は、刊行されるたびに情報の増補あるいは訂正が繰り返され、
「事実」と
は異なった、さまざまな「虚構」が織り込まれてきた。
犀星研究においては、1980 年代半ばに基礎資料の整理が行われ、大正時代から昭和時代
にかけて、常に文壇の中核に位置して、詩や小説、評論といったジャンルを横断して旺盛
な活動を続けた犀星の足跡が検証された。
「あにいもうと」
(1934)をはじめとする代表作
の研究が開始されたが、大きな問題点の一つは、自伝小説群が伝記研究の根拠と見なされ、
情報源として機能してきたことであった。
1990 年以降には、それまで看過されて来た昭和初期の実験的な作品群や、
「市井鬼もの」
(都市の下層民を描いた作品群)の再評価などが行われた。しかしここでも、自伝小説の
試みを正面から包括的に論じることは十分にはなされなかった。つまり、自伝小説群の解
明は伝記研究に回収されるという限界性を持っていたのである。
本稿は、大正中期から戦後にいたる自伝小説群を、小説の方法を模索する実験の場とし
て捉え、自らの生い立ちを語る認識が深化する様態を追尋する。
1
犀星は、
「私」の視点から生い立ちを描くという出発点での素朴な描写法を、自然主義リ
アリズムに回収されない、同時代への挑戦的な試みとして進展させて行った。その際参照
していたのは、同時代の映画の手法およびそれらに関する言説と、雑誌『変態心理』を主
軸とした同時代の変態心理言説であった。それらは「香爐を盗む」(1917)をはじめとし
てこの時期集中的に試みられた「官能描写」
(当初は高い評価を得、やがては批判の的とな
る)を生み、視点人物をやがては客体化して見られる存在へと反転させる手法を編み出す。
また、「心臓」(1922)や「幾代の場合」
(1928)では、他者の内面に参入し、自己を他
者に仮託して語るという手法がとられる。本稿では、その手法を血縁のない家族の中で育
った幼少期の記憶が、家族の側からも描かれ、偽者の家族を語ることが真実の自己を語る
ことと通底するという、自伝小説の語りの深化を促すことに繋がっていくと考える。その
ことは、従来の研究史において「市井鬼もの」として範疇化され、自伝小説とは関連性の
ないものとして評価されていた作品群を、その語り手の視点や描写法の観点から、自伝小
説群と有機的な関連をもつものと捉え直すことにもなる。
本稿では、
『弄獅子』
(1936)を同時代の純粋小説論議の場に戻し、アンドレ・ジイド受
容を踏まえた「純粋小説」の独自な実践例として、横光利一のそれとは異なる文学的な可
能性に論及している。また、これまでは異色の「老人文学」といった評価に止まっていた
「蜜のあはれ」(1954)を、メタフィクション―犀星による犀星文学のモチーフや手法の
模倣、パロディ―として、戦前までの自伝小説の限界性を戦後に突破した一つの到達点と
位置づけている。
2、
本論文の構成および論の概要
第一章
小説家室生犀星の誕生
――自伝小説=虚構に目覚める頃――
室生犀星の小説家としての活動は、1919 年に発表された「幼年時代」、
「性に眼覚める頃」、
「或る少女の死まで」など幼年期から青年期に至る自伝小説を書くことから始まった。以
後も複数の作品を発表していく。
その特色として、第一に挙げられるのは、自伝小説を書く度に詳細な情報が書き加えら
れていくことである。情報の増補が繰り返される自伝小説は、犀星研究において、事実と
見なされ、伝記研究の根拠として引用されてきた。
1929 年、犀星は前年の養母の逝去を機に、実母の消息を伝える資料だけを残し、他をす
べて破棄したとされている。これは、自らの起源を空白にし、オリジナルを自らの創作の
世界に閉じ込めたことを意味している。それにもかかわらず、これまで犀星の伝記を編む
際、多くの研究者は確証のとれない「事実」を補うために自伝小説を参照し、それを事実
として記してきた。犀星の生い立ちを語ることの難しさは、語ること自体が既に犀星の虚
構の世界に入り込んでしまうという構図から抜け出せなくなる点にある。犀星研究に現時
点で必要なのは、新たに自伝小説を執筆し続ける過程で、どのような虚構意識を編成しえ
たかについて究明することである。
2
本章では、詩人として出発した犀星が、最初の小説集『性に眼覚める頃』(1920)刊行
に至るまでの言説を分析対象としている。詩から小説へと文学の場を広げる際に、北原白
秋の自叙伝詩における「母」の表象からの影響に着目している。また、「小景異情 その
二」
(1918)の分析を踏まえて、詩では書きえない自らの過去を語ろうとする意志ゆえに、
小説へと移行した軌跡を追尋している。
第二章
方法としての官能描写、映画的手法
――自己を書くことから他者を書くことへ――
「結婚者の手記」
(1920)以降、犀星は自身を主人公とする小説は書かなくなっていく。
「二本の毒草」(1920)や「美しき氷河」(1920)など、
「私」を視点にして周囲の人物た
ちの日常を傍観し、詳細に記述する手法へと転じていく。そこで、着目された(次第に批
判の対象にもなったのであるが)のは、
「官能描写」であった。換言すれば、犀星は小説創
作において自己を書くことから他者を書くことへの大きな転換を、
「官能描写」によって成
し遂げた。
本章では、未完の散文詩「海の散文詩」
(1919)が小説「海の僧院」
(1920)へと改稿さ
れる過程を分析し、犀星の「官能描写」の実験性について論じている。
「官能描写」を可能にした重要な要素のひとつは、犀星の映画受容であった。1920 年代
の映画の状況を踏まえ、犀星がシーンとして場面の描写を試みることで小説世界を構築し
ていく手法を連作「国粋」
(1921)や連作「幻影の都市」
(1921)を分析することで明らか
にする。都市を俯瞰するカメラ・アイの視点、虚構の存在が現実の存在でもあるという、
映画の幻影性が生み出した描写のあり方など、後年の小説手法に繋がる試みがなされてい
る。
本章では、これまでの研究史において、ほとんど論じられることのなかった映画受容に
言及し、それを小説手法の獲得と照応させている。
第三章
「変態」を表象する「感覚」
――室生犀星「香爐を盗む」の方法――
千葉亀雄は「新感覚派の誕生」(1924)で横光利一、川端康成らを新感覚派と命名した
が、彼ら以前に独自の「感覚」を有する作家として室生犀星を挙げた。そこで千葉は、犀
星文学の「感覚」を、新感覚派に比して古く未成長なものと批判しており、以後同時代評
では、犀星文学の「感覚」のうち、性欲的、官能的なもののみを評価する傾向があった。
だが、
「香爐を盗む」で焦点化されていたのは、性欲的、官能的な「感覚」に止まらぬ、同
時代の「変態心理」言説によって意味づけられるような異常心理であった。
同時期は、すでに多くの指摘があるように、クラフト=エビング『変態性欲心理』
(1913、
大日本文明協会事務所)を契機として、
「変態心理」や「変態性欲」が、思想と世相の流行
となっていた時代である。幻視、幻聴、ヒステリーといった現象を小説の題材に取り上げ
3
ていた犀星は、広く「変態」言説に関心を寄せていたことがうかがわれる。また犀星は自
伝小説『弄獅子』においても、彼が少年時代に感じたものを「変態性欲」として意味づけ
ている。
「香爐を盗む」では、
「嫉妬妄想」や「色情妄想」など、異常心理が性欲を生み出すとい
う当時の言説に従った女主人公の姿が描かれている。
また同作品は、同時代におけるヒステリーを題材とした小説と比べても一線を画したも
のとなっている。例えば宇野浩二の小説『苦の世界』(1920)がヒステリーを外面から描
写しているのに対して、同作品はヒステリー状態を女の内面に着目して描いている。女の
異常心理が男にまで感染していく様相を描いた点においても出色である。
後に犀星は新心理主義文学の手法にもとづいて女性の心理を描くことになる。その時「香
爐を盗む」で試みられた身体を通した心理表象が、内面を通した心理表象へと進化をみせ
る。
本章では、これまで「官能描写」にのみ特色がある作品として看過されてきた「香爐を
盗む」を、同時代の「変態」言説と連携させ、視点の転移といった犀星独自の小説手法の
試みがなされたものとして再評価している。
第四章
抑圧された殺人の記憶
―室生犀星「心臓―退屈な孤独と幽霊に就いて―」―
1920 年代前半の犀星の小説の特徴は、これまで「官能描写」に集約されてきたが、その
多くにおいて視点を担っていたのは傍観的な「わたし」という語り手であった。だが「心
臓―退屈な孤独と幽霊に就いて―」
(1922)は、
「音」や「声」が過剰に語られた点に特色
がある。本稿ではそれらの「音」
「声」の語られ方に着目し、抑圧された語り手である「わ
たし」の無意識を読み取り、そこに顕在化する感覚的表現に、この時期の小説の特質を見
る。
「心臓」では、人物が次々とテクストから消えていくのだが、
「音」や「声」のイメージ
は残存してそれぞれ異なる意味を生成する。このテクストの重要性は、
「わたし」が聞く存
在から聞かされる存在へと変容し、次第にその苦悩を語り始める点にある。
結末部分で「わたし」の過去に犯した殺人の記憶が語られるが、
「わたし」は「聴く」こ
とを通じて自身への抑圧を解いていく。
「心臓」は「音」や「声」によって語り手が動かされ、語り手自身に主体・客体の二面
性が与えられている点で当時の犀星作品における言語感覚の特徴を集約したものである。
後に伊藤整が高く評価したように、それは新感覚派に先行するものであった。
本章では、1920 年代前半の犀星作品にあって、
「心臓」を、語り手の主体性が揺らぎ、
それによって物語が展開していく感覚小説の一つの到達点として、改めて位置づけている。
第五章
女性心理との「交際」
―室生犀星「幾代の場合」論―
4
本章では、自然主義リアリズムの傾向が顕著となる 1928 年頃の文学活動が、犀星文学
全体においてどのような意味をもつのかを考察している。
「幾代の場合」
(1928)の心理描写に注目する。
「幾代の場合」以前の作品では、女性が
傍観者的に語られていた。それに対し、同作品では幾代の内面を描写しつつ、複数の人物
の心理が描かれる独自なものとなっている。
伊藤整は『新心理主義文学』
(1931)の「室生犀星」のなかで「幾代の場合」に対して、
結末部分―幾代と共犯関係にあった母と幾代が分離する―を高く評価し、新心理主義文学
理論の到達点の一つとしている。
「幾代の場合」はこれまで模索、混沌とされた昭和初年代の犀星の小説が次第に心理描
写に重点を置いていくその出発点に位置する作品であり、それまでの自身の傍観的・映画
的描写方法をも超克した小説なのである。
第六章
「くろがねの扉」を開く室生犀星
――「市井鬼」生成の場としての『鐵集』――
1930 年前後の文学活動を考える上で、詩集『鐵集』
(1932)は一つの転機にあたる。翌
年以降、「市井鬼もの」と呼ばれる小説群へと向かう。詩と小説に通底する犀星の試みを、
対象を把握する方法と、女性表象のあり方を通して検討する。
これまでの研究史では、
『鐵集』所収の詩は自意識によって自己を突き放す認識の表象と
意味づけられてきた。自己と他者を往還しながら対象の内面までも捉え描き出すことに成
功したのだ。一方、ここで犀星文学の女性像にも変化が生じる。かつては女性自身の身体
が断片的に表象されていたのだが、その断片を積み重ねて女性の全体像が形成されるよう
になるのである。
この『鐵集』が刊行されるまでの間に、犀星は「くろがねの扉」をモチーフとした詩を
数編発表している。ここにも「市井鬼」の原型の一つが看取される。
「くろがねの扉」の「向
側」にあるものは「金銭、女、精神力」である。この「金銭、女、精神力」は「市井鬼」
たちの生の原動力となっていくものであり、犀星はこの時期に詩的表現の「扉」を破り、
小説でこれらの題材を書くべきだと意識し始めたと考えられる。
第七章
身体化する「市井鬼もの」/決壊する「あにいもうと」
―室井犀星の小説・演劇/映画―
本章では、映画化あるいは舞台化された「あにいもうと」をめぐって、小説の冒頭およ
び結末のシーンの取り扱いに着目する。加えて、「市井鬼もの」における「あにいもうと」
の位置づけを問い直す。
「あにいもうと」は犀星の小説中、初めて映画化された作品である。当初、木村荘十二
監督『兄いもうと』(1936)を賞賛していた犀星は、一転して、原作に忠実過ぎて奇異な
5
感じを受けたと述べている。それに対して、小説の冒頭および結末のシーンがない、金子
洋文演出の演劇『兄いもうと』に深い関心を寄せて行くのである。
小説の冒頭および結末のシーンとは、河川の流れを変えるしごと=川師である赤座(赤
座家の家長、もんと伊之の父)が、人夫たちを指揮して「荒い瀬すぢ」を塞いで川の流れ
を変える作業をするシーンである。作中、
「関係の断絶」を志向する人間として描かれる赤
座を象徴するシーンなのであるが、これらが描かれることにより、物語は圧倒的な存在感
を放つ赤座に統括されることになる。映画では小説世界と同様に、最初と最後に瀬すじを
断つ(=人々の関係とこれまでの文脈を断つ)赤座の存在が描き込まれているのだが、演
劇では冒頭に赤座の姿はなく、末尾には流れを断つのではなく、石を取りのけて再び流れ
を回復する赤座の姿が描かれる。そこには、小説「あにいもうと」の荒々しい家父長の姿
はなく、代わりに現れているのはアットホームな父親像である。
「あにいもうと」と同年、4ヶ月遅れで発表された同作品の続編「神々のへど」
(1934)
において、犀星は「あにいもうと」の世界から 20 年後の世界−−父・赤座と妹は死亡し、
伊之は行方不明になり、生き残ったもんは三児の母親になって周囲と諍いを繰り返すさま
が描かれた。秩序も救済もないその世界は、まさに「市井鬼もの」の世界そのものである。
犀星の映画への違和感と演劇への関心は、赤座によって統括された世界を選ばず、赤座を
退却させた後の混乱に満ちた世界=「市井鬼もの」の世界への傾倒を示唆していて興味深
い。
従来、
「あにいもうと」は「市井鬼もの」の嚆矢という位置づけが支配的であったが、厳
密に作品を分析し、同時代のメディア・ミックスの様態を参照すると、むしろ赤座の不在
こそが「市井鬼もの」の要件なのである。
第八章
「都会の底」に生きる少女たちの行方
―室井犀星「女の図」と徳田秋聲「チビの魂」の比較を通して―
「女の図」(1935~1936)と「チビの魂」(1935)はこれまでそれぞれ貰い子の少女た
ちの心と運命を描き出したものだという類似性に注目されて来た。だが、本章では、その
貰い子の描かれ方の差異から犀星と秋聲の市井に生きる人々の捉え方を検討し、犀星が秋
聲の「チビの魂」に何を見出し、どのようにして秋聲を乗り越えようとしているのかを考
察している。また、そのことによって、「市井鬼もの」のリアリズムの方法が、1935 年前
後の文学状況においていかなる意味を持っていたのかを検討している。
犀星は、秋聲の小説の中で私小説から最も遠いものとして「チビの魂」を挙げている。
「「チビの魂」がゾラやバルザックの拡がりや発展を髣髴させるところまで行ける」という
可能性は、
「女の図」において少女たちの物語から拡がっていく長篇小説として具現化され
ているのである。こうした意味において「チビの魂」は連作小説「女の図」を書き続けて
いくに際して、乗り越えるべき反措定的な存在であった。
犀星文学と秋聲文学が交錯する場としての「都会の底」(都市の下層民がうごめく社会)
が明らかにしたのは、人間の内面を語ることによって「野性」を表出した犀星文学のリア
リズムの可能性と、
「野性」を求めながら「客観」を脱することが出来なかった秋聲文学の
6
リアリズムの限界である。
第九章
救済なき復讐、漂流する「市井鬼」
――室生犀星「龍宮の掏児」の試み――
本章は「龍宮の掏児」(1936)の具体的な分析を通して、連作という形式が「市井鬼も
の」の核心をどのように描き出しているのかを明らかにし、それが昭和初年の時点での犀
星の文学および同時代の文学の中でどのような意味を持つのかについて考察する。
「市井鬼もの」の「文学的マニフェスト」と呼ばれてきた「復讐の文学」(1935)で、
書くことによって「正義や懲戒や討伐、或は復讐し或は戦ひ、ひたすら正義に就く」こと
を宣言する犀星は、「都会の背景をつくつてゐる」「冗らない悲惨事」は「必ず救はれ整理
される筈のもの」であるという「救助の観念」を述べている。しかし、美貌の主人公が「龍
宮のやうな都会のそこ」に堕ちて行き、自身の駆使する「騙り」によって男たちを手玉に
取ることでようやく手に入れた地位もかつての自分に似た境遇の女によって横領されると
いう筋立てを持つ本作品は、主人公の「復讐」が心理的な救済から金銭の交換による経済
的救済へと変化し、さらには、「復讐」が新たな「復讐」を生み出していく。「復讐」によ
って救済の構図そのものが崩壊されているのだ。物語の最後、自身の地位が危うくなるや、
自分の拳を窓ガラスに叩きつけ、
「その硝子の一片を手に取るが早いか、前歯でじやりじや
り噛み挫きながら」、血まみれの口で叫ぶ主人公の姿は、もはや彼女から自身の武器である
「騙り」の言語が失われていくことを表している。まさに「復讐」も救済も機能しなくな
ったところで中篇小説「龍宮の掏児」という物語が閉じられる。
つまり、
「龍宮の拘児」は救済という本物の「龍宮」には決して辿り着かないという、救
済なき都会の底辺を転々とする世界を描いた小説なのである。そして、同作品が初出では
その都度完結を迎えながら、連作化によって、その完結がしょせんは新たな物語の始まり
でしかなかったことを読者に教えるのだ。そして、救済なき世界が果てしもなく繰り広げ
られていく様を見る。おりしも「龍宮の掏児」が発表された 1936 年は、日本における、
さらに言えば世界全体における貨幣システムの変容、すなわち金本位制が廃止された年で
あった。主人公が同時代の世界的な金融大恐慌という時代背景の中で救済なき世界を生き
ており、やがて迎えることになる管理通貨制度への「不安」が女主人公の「騙り」の機能
停止というかたちで描き出されているのである。
第十章
自伝小説の不可能性
――純粋小説としての『弄獅子』――
『弄獅子』は、犀星の評伝が書かれる際の情報源として最も頻繁に引用されてきたので
ある。ところが、『弄獅子』を詳細に読めば、その構成は、「生ひ立ちの記」(1930)の前
後に、それとは異なる意図のもとに書かれた自伝小説「弄獅子」
(1935)をはじめ、
「木馬
の上で」
(1935)、
「野人の図」
(1935)という短篇小説を配するという、複雑なものとなっ
7
ている。そして、幼少時の養母からの虐待経験などの記述が過剰に誇張されている。また、
冒頭で、
「僕」の子供たちが読者として設定されていたが、途中その設定は忘却され、終結
部、その試みが失敗に終わり、「小説」にしかなり得なかったという感慨が綴られている。
そして、他の自伝小説との決定的な差異として、これまで「私」を搾取する存在とのみ捉
えられてきた「養母」から「私」は「野蛮」という性質を受け継いだ「正純な血統」であ
るという認識が示されている。それは、
「女中」の子=犀星、と「女中」の孫=子供達とい
う自らの出自の「正純な血統」を書き記す意識が薄れ、養母とのいわば不純な「血統」こ
そ「正純な血統」であることを明かしていく試みでもあった。
犀星を逆説的な発想—−不純なものを語ることが純粋な自己を語ることになり、養母を語
ることが自身を語ることになるという発想に導いたのは、純粋小説論議の契機となったア
ンドレ・ジイドの小説『贋金づくり』であった。「私生児」である主人公の青年が、自ら
の出生を知り、家出することから始まるこの小説は、
「贋の父」であると発覚した予審判事
に青年が宛てた手紙の中で、本物の「あなたの子供達」と贋物の「私」とのあひだに、い
つも取扱ひに差別のあつたことが記されている。
「贋金つかひ」の物語は、
「私生児」=「贋
金」が本物を「贋物」に換えていくこと(中村栄子)によって推進されていく。『弄獅子』
において犀星は、自分自身についての純粋な自伝小説など書きえず、自己を書こうとすれ
ば、自己の生い立ちにまつわる様々な夾雑物が入り込んでくること、そして、そのような
夾雑物の最たるものとしての「養母」を嫌悪しつつそこに自己の根源を見出し、養母を書
くことが自己を書くことでもあるという認識に至りつく。
フィリップ・ルジュンヌは『自伝契約』
(1993、水声社)においてジイド文学の特徴を、
「一つ一つ取れば、少しも自伝的な忠実さを求めてはいないが、しかしそれらが全体で構
成する空間の中では、相互作用によってジッドのイメージを決定するテクスト」と意味づ
け、それを「自伝空間」と呼んだが、犀星が長年にわたって書き続けた小説もまた、小説
を書いても決して事実には辿り着かないが、だからこそ、小説を書き続ける「自伝空間」
の所産であった。そして、室生犀星にとって『弄獅子』で実践された「純粋小説」とは、
「純粋小説」を書くことではなく、
「純粋小説」など書きえないということを示すためのも
のであった。
第十一章
室生犀星の自己言及小説
――「蜜のあはれ」の方法――
「蜜のあはれ」(1959)は自らを「あたい」と呼ぶ金魚と「をぢさま」と呼ばれる人物
の対話によって構成されている。従来この小説は、繰り返し、前衛的または超現実主義的
と評され受け入れられてきた。本章では、この小説を書かれたものの疑わしさを問う小説
と捉え直している。
犀星は、1914 年にいち早く、映画”Tiger”の一場面を詩「凶賊 TIGRIS 氏」として書き
表したように、映画の描写する手法に特に強い関心を持っていた。小説を書き始めた 1920
年前後には作中人物を外側から描写する手法を多用し、
「主題から書かずに情景から書く作
家」と呼ばれていたほどである。しかし、1920 年代から 30 年代にかけて、犀星はそうし
8
た外側からの描写をやめ、むしろ作中人物の内面をそのまま描くようになる。たとえば「あ
にいもうと」の冒頭部では作中人物の内面が小説の地の文にそのまま表れるが、その表情
の描写から人物の内面を読みとることは一切できない。「蜜のあはれ」の場合、「あたい」
の姿そのものは決して描写されない。つまり、その身体を描写しないことによって、金魚
でありながら少女でもある「あたい」という非映像的な表象が可能になっているのである。
「蜜のあはれ」は、創作物であるはずの「あたい」が次第に「をぢさま」と同様の創作
力を身につけることで虚構世界の中で主体的な立場に立つようになる、いわば「をぢさま」
が「あたい」を統御できなくなる物語なのである。それはメタフィクションによって「「文
学は現実を模倣する」という古典主義的前提に則るフィクションの諸条件を根底から問い
直し、最終的にはわたしたちのくらす現実自体の虚構性を暴き立てる」
(巽孝之)ことに他
ならない。
では「蜜のあはれ」が暴き立てる「現実自体の虚構性」とは何か。それはその後に記さ
れた「後記 炎の金魚」との関係において一層明確になる。大西永昭はこの後記が「蜜の
あはれ」と共に「をぢさま」によって書き記され、
「金魚の死(略)を描くことで、この「話」
らしい話のない小説にストーリー上の結末を与えている」と指摘する。しかし、この「後
記 炎の金魚」には「蜜のあはれ」の「ストーリー上の結末」も「嘘」であるとも記され
ている。
「蜜のあはれ」の自己言及性は「後記 炎の金魚」との間で完結しうるものではない。
「蜜のあはれ」における「あたい」の「今まであたいの化けの皮をはいだ人は一人しかゐ
なかつたのに、あんたは一見、すぐ剥いでおしまひになったわね」という台詞は、犀星の
長編小説「女の図」(1936)の「あたいの化の皮が剥がれて了つた。あたいはどうなる。
あたいは化け損ねて了つた」という一節の「引用」になっているのである。夜毎盛り場を
歩く「女の図」の少女は小説の中で「街の果に汚れた泥の付いた二疋の金魚が泳いでゐた」
と喩えられているが、
「蜜のあはれ」の「あたい」とはこの少女が下層社会の生活から抜け
出してパトロンのもとで庇護された姿である。
「あたい」は、犀星が 1935 年前後に繰り返
し描いた金銭に執着する女性たちの後日譚として読むことができる。
「蜜のあはれ」は犀星
による犀星文学のモチーフや手法の模倣、パロディである。それは自らの過去の文学的営
みを通して小説における書かれたものの自明性を問い直す行為であり、そのような意味に
おいて「蜜のあはれ」は犀星文学の一つの到達点なのである。
3、
総評
【評価された点】
以下の通りである。
① これまでの室生犀星研究において、トータルに論じられることのなかった自伝小説群を、
その小説手法に着目し、前後の時期の実験的な小説群と連携させつつ論じた点が極めて
独創的である。従来の研究史では詩歌と小説を相互に関わらせつつ論じる試みも稀だっ
たので、今回、
『抒情小曲集』や『鐵集』の詩篇に言及した点にもこれまでにない特色が
9
② 「幾代の場合」あるいは「龍宮の掏児」など、全体にわたって代表作以外の小説の掘り
起こしというパースペクティブの広さがあった。その作品選択に必然性があり、個々の
分析や同時代の言説との影響関係についても説得力がある。
③ 第十章の「自伝小説の不可能性―純粋小説としての『弄獅子』―」は、犀星の自伝
小説を同時代の純粋小説論議の文脈を浮上させて再読する試みである。
「純粋な自己を語
ろうとすればするほど、不純な自己を語ることになる」という犀星の自伝小説のパラド
ックスが、ジイドの『贋金つくり』の影響によってテーマとして明確に再把握されたと
いう論旨に説得性がある。これは、文学史における犀星の再評価のポイントともなる点
である。
【問題点および今後の課題】
また、質疑(公開発表会の席上を含む)で提起された問題点および今後の課題としては、
以下の通りである。
① 副題にも用いられている「虚構」ということばが、論の全体の中で多用されており、
「事
実でないこと」という一般的な意味合いから、文芸作品におけるフィクションの様態を
指すものまで広がりがある。
「虚構性」という用語に関しても全体を通して厳密な用い方
がなされているか、再検討することが望ましい。
② 犀星の小説手法を観点として、横断的に全体像を捉えて行く試みは意欲的であるが、章
によっては前後とのつながりが不十分に感じられる点もあった。各章の有機的なつなが
りを意識した書き方が求められる。
③ 第十章の「自伝小説の不可能性―純粋小説としての『弄獅子』―」に最も大きな可
能性を感じたが、同時代の中に犀星の『弄獅子』での試みを位置づけ直すとすれば、太
宰治の『道化の華』をはじめ、同様のテーマあるいは小説手法で試行錯誤する他の作家
や作品などにもより一層の目配りが必要になるであろう。全体を通じて、室生犀星の研
究史を強く意識し過ぎたために、着実ではあるが、日本の近代文学あるいは文学そのも
のといった広がりの中で犀星の作品をどう再評価するのか、改めて聞いてみたい。
これらに関して、当日の公開発表会の席上でも、申請者からの補論の提示や、それに対
する新たな質問が出された。いずれも、本論文に対する建設的な提言であった。また、大
局的な課題として、室生犀星の作家研究というアプローチを、いかに文学全体の問題へと
拓いて行くかについてもさかんな論議があったが、これは申請者個人の課題というより、
文学研究に関わる者全体で今後も深めて行くべき課題でもある。
以上により、審査員一同の総合的な判断の結果、本論文が「博士(学術)」を授与するに
十分に値するものであるとの結論に達したので、ここに報告する。
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