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団地再生と地区計画
団地再生と地区計画 武庫川女子大学教授 大坪 明 1. 住宅団地の略史 住宅団地とは何を指すのであろうか。それは一般的には、一団の土地に計画的に建設された住宅群と 考えられる。「戸建」住宅地で団地と称されるものもあるが、主として RC 造の集合住宅で構成された ものが、いわゆる「団地」と認識されている場合が多い。 それでは、この様な居住形態は何時ごろから始まったのであろ うか。コペンハーゲンでは、17 世紀前半に旧城壁内の城に近い 場所にデンマーク王クリスチャン4世の海軍兵士のために建設さ れた一団の住宅群があり、その後居住者の増加とともに 18 世紀 に住宅地は拡大された。それらは現在も残っており、「ニューボ ダー(Nyboder)」と呼ばれている。これは兵舎ではなく、家族 も住まうことが出来る住宅であった。直線の道路に沿って計画的 Fig.1 ニューボーダーの住宅群 に建設されており、当時の「団地」と呼ぶことが出来るであろう。 日本では、関東大震災の後に震災復興に際して地震・火災に強 い住宅市街地を建設することを目的として設立された同潤会が建 設したアパート群が、その初期の事例であろう。同潤会の業務は 戦時下で住宅営団に引き継がれ、戦後に住宅営団が解散されると 東京都内の同潤会住宅は東京都に引き継がれ、その多くは居住者 に払い下げられた。これらは、日本の近代化の過程における住文 化の遺産として貴重なものであったのだが、再開発等で姿を消し、 Fig.2 同潤会青山アパートメント (1926~27 年建設、撮影昭和初期) もはや現存するものが無いのは残念である。 欧州では、住宅市街地や住宅団地の建設ラッシュは 20 世紀の 初頭の産業の興隆とともに一度起こっている。例えばドイツでは、 1921 年のピエストリッツ団地(ヴィッテンベルグ)やベルリン におけるブリッツ・ジードルング(1925~27)やジーメンス・シ ュタッド(1929~31)、シュトゥツガルトのヴァイセンホフ・ジ ードルング(1927)の建設などが集中している。また、オランダ での H.P.ベルラーヘのアムステルダム南部拡張計画の実施(1918 ~21)もこの時期であった。これらは、集合住宅群によるユート Fig.3 ブリッツ・ジードルング(ベルリン) B.タウト、H.ワグナー 世界遺産に認定されている ピア建設の理想に燃えていた時代の産物と言うこともできようか。 欧州の第二次世界大戦後の住宅建設ラッシュは終戦の直後から 起こり、戦後の住宅不足問題を解決するために都市近郊で住宅団 地の建設が盛んに行われた。従ってこれらの団地の再生の必要性 は日本より早く訪れている。日本の団地建設ラッシュは 1950 年 代初頭から胎動が始まる。当時の吉武泰水・鈴木成文による公営 住宅標準設計 51C タイプの開発は、大量の公的住宅の供給を前 に、日本人の生活にモデルとなる住宅の展開を構想したものであ った。団地建設の本格的化は 1955 年の、勤労者向けの住宅供給 を目的とした日本住宅公団(現在の都市機構の前身)の設立から 1 Fig,4 初期公営住宅標準設計 51C である。公団による団地建設の第一号は 1956 年に建設された、 堺の金岡団地であった。その後 1960 年代半ばから、住宅建設5 ヶ年計画が数次に渡り策定され、高度経済成長とあいまって団地 やニュータウンが都市近郊で次々と建設された。団地建設の当初 には、団地はサラリーマンの憧れの居住地で、入居競争率は 10 ~20 倍ということが一般的であった。西宮市でも 1963~64 年に Fig.5 公団団地第一号の金岡団地 かけて、当時西日本最大規模であった約 4,600 戸を有する浜甲子 園団地が、更に 1979 年には高層の武庫川団地が建設された。 2. 住宅団地の現状の課題・再生の必要性 前述したように住宅団地は、我国においては主として 1950 年 代半ばころから、都市に集中する人口の受け皿として建設された。 従って、当初は建設戸数の確保が最優先課題であった。この結果、 当時の団地住戸の規模は 40 ㎡台を中心とし、現代の一般的な住 Fig.6 我国の平均住宅面積の推移 居規模から見ると狭小である。また、当時の中層階段室型住棟は、 高齢化率比較 高齢者にとっては階段の昇降に不便を感じるものである。この結 40 35 果、高齢者の出不精=引き篭もりが誘発されることにもなる。住 浜甲子園団地 宅設備や外部建具に関しては、都市機構では空き家になった機会 を利用してライフアップと称する更新を実施してきたが、全てが 更新されているという訳ではなく、また、風呂や便所・台所のス ペースは元々狭いので、現代の一般的な整備水準からみると貧弱 である。長期居住者の存在と若い子育て世代の入居が尐ないこと 高齢化率(%) 30 25 西宮市平均 20 西宮全体 武庫川 浜甲子園 15 武庫川団地 10 5 0 H18 H19 H20 H21 年度 から、極端な尐子高齢化が進んでいるという面がある。同時に、 Fig.7 西宮市と浜甲子園団地・武庫川団地 の高齢化率比較 子供世代が独立し高齢者世帯中心の人口構成となると、当初は想 定していなかった高齢者サービスの機能が不足するとともに、一 方では生活に係る購買力も低下し、団地内や団地近傍の商店の売 り上げ低下を招いている。結果として、商店の撤退・商店街の衰 退を招き、生活利便に支障を来たす事にもなる。また、高齢者の 買い物や医療機関への通院等の外出時の際の足の確保も重要な点 である。元気な時期は車や単車・自転車等の利用をいとわなかっ たが、高齢になると便利なタクシー利用の高額負担には耐えられ ず、単車・自転車の利用もおぼつかなくなる。それに対する安価 Fig.8 当時は憧れの対象であったステン レス流し台も、今や古びて見える。 で安全な移動手段の確保が、やはり必要となる。 一方、欧米では生活文化の異なる移民の流入や就業できない人 たちの沈殿等の様々な社会的背景から、住宅街区や住宅団地にお いて社会的蛮行=バンダリズムや、更には犯罪が多発し社会問題 ともなっている。これらの背景には、物理的な空間が抱える問題 もあるという分析もなされており、空間構造の改変や解体にまで 結びつく再生手法が採用されることが多い。 Fig.9 問題を抱え 1970 年に取り壊される プルーイット・アイゴー団地註1) 2 海外でのバンダリズムは横に置いたとしても、我が国でも前述の様に、1950 年代半ばから 60 年代初 頭にかけての住宅団地は様々な課題を抱えている。居住者が生き生きと快適な生活を送ることが出来る ようにするためには、これらの課題を克服し居住環境を整えることが必要になる。これを実現するのが 団地再生であり、ハード面の整備もさることながらソフト面の居住者支援策も整備することが大切にな る。例えば、団地内の居住者の再配置を行うシステムを整備することによって、階段の昇降に本当に支 障を来たす人を 1 階に居住する様に誘導することが可能になれば、必ずしも EV 設置が不要になるとも 考えられる。建築関係者は、いきおいハード面に目を向けがちであるが、生活を支えるという意味では、 むしろソフト面の処置により解決できることが多いことを、一方で真剣に考える必要がある。 3. 団地再生の事例 団地再生は、前述したように団地が持つ様々な課題を解決するために行われるのだが、一つの団地で も、その課題は複合的に要素が絡み合っている。しかし、その中で主要課題と考えられるものを類型化 すると、以下の 4 つのタイプに分類できるであろう。各々に沿った事例を当てはめて紹介してみよう。 ① 団地再生により、バンダリズムの横行による犯罪多発を抑止し普通の市民生活が可能な街にする。 このタイプは、日本では余り目にすることが無く、海外に多い事例である。英米やオランダ等の 国にそれを見ることが出来る。移民など異文化の背景を持つ層の団地への定着と、その人達がなか なか就労できないことに対する不満が施設の破壊や犯罪へと向かい、地域を危険な場所にしてしま っていた。特に高層住宅の足元や棟間のオープンスペースでは、居住者の目も行き届かず、犯罪が 多発する原因ともなっていた。高層棟の撤去および低層棟の挿入により、空間スケールをヒュマナ イズするとともに、外部空間に人の目が行き届く様な工夫により再生がなされている。 ベイルマミーア団地(オランダ・アムステルダム)Fig.10・11 この団地は、1960~70 年代にアムステルダムの中心部から 南東に 7~8Km の郊外に建設された大規模団地である。10 階 建て 1 辺 100m 程度の長大板状棟が 6 角形のハニカムパター ンに配置され、住棟間は運河がめぐる広大なオープンスペー スとなっていて、正に CIAM の「水と緑と太陽」という思想 を体現した様な団地であった。しかし建設後間もなく、かつ てのオランダ植民地からの移民が増え、生活文化の異なる人 との共同生活を好まない人たちが転出し、空き家が増加した。 その結果、治安が悪化して問題団地となった。80 年代後半 にアムステルダム市・南東区・パトリモニアム住宅協会の3 者が運営協議会を組織し、大規模な再生事業(空間的再生、 社会・経済的再生、管理面での再生の3本を統合する総合的 Fig.10 ベイルマミーア団地の 再生前 a、再生後 b の比較 アプローチ)を開始した。再生手法としては、相当数の高層 棟を間引き、対面する棟との間隔が 170m にもおよぶ大規模 な隣棟間オープンスペースに、ヒューマンスケールの2~3 階建ての住棟を配置してスケール感を減じている。道路・通 路を通し人や車の往来を誘導して、人の目が行き届くように している。同時に高架道路の両側にビルを建設し、沿道利用 Fig.11 オープンスペースに低層施設が配 置されたベイルマミーア団地 の促進をしている。 3 ランウエルロード団地(イギリス・ロンドン)Fig.12・13 1980 年代の英国では、経済悪化から都市部の住宅街区に おけるバンダリズムが横行していた。1985 年に地理学者ア リス・コールマン註2)の研究レポート文献2)を受け、サッチ ャー政権は社会住宅の改善に着手した。コールマンは「相互 浸透する空間」を提唱し、「入居者が明確な領域的アイデン ティティーを感じないような空間、住宅の窓から眺め渡すこ Fig.12 再生前のランウェルロード団地 とが出来ないような屋外空間の廃止、複数住棟で利用し、外 部の人も入ることが出来るような混用空間の廃止」が指摘さ れ「公園の中のタワー住棟」は否定された。タワー・ハムレ ッツ区のランウェルロード団地も、この指摘に基づき団地改 善プロジェクトが実施された。高層棟を一部撤去して道路を 通し、それに並行な低層住棟を配置する。低層住棟の前後に Fig.13 再生後のランウェルロード団地 は専用庭を設け、領域性を明確にしている。 ② 団地再生により、建物の質の向上と居住環境の改善により快適な生活を提供する。 一般的な団地再生は、ほぼこのタイプである。団地の持つ背景や立地により、採用される手段は 多尐異なるが、旧東独圏の団地の再生は概ねこれにあたると言えるであろう。旧東独では、計画経 済により、1980 年代まで工業化とその生産を支える従業員の居住地の整備が急ピッチで進められ た。集合住宅団地の住棟は、プラッテンバウという PC 版を用いた 4~10 階程度の建築が主体であ った。時代が下るにつれ、この建築の施工が完全ではなくなり、建築の質が低下した。一方、1990 年の東西統一は、旧東独産業の凋落と旧西側地域への人口流 出を促すことになった。これに対して、団地の再生は、建物 と居住環境の改善整備と並行して、産業の誘致などの対策が 講じられている。 ヘラースドルフ団地(ドイツ・ベルリン)Fig.14-16 ヘラースドルフ団地は、1980 年代にベルリン中心部から Fig.14 ヘラースドルフ団地の外構 再生前(右)と再生後(左) 東へ 15Km ほどの位置に建設された比較的新しい大規模団地 である。目標の住宅建設計画を達成するために急ピッチで建 設されたので、建築の完成度が低い。主として子育て世代の 入居を想定して、学校などの教育施設は一応の整備をみたが、 壁の崩壊時点では商業施設や公園等の都市施設をはじめ住棟 廻りの外構もろくに完成していない状況であった。東西統一 後は、この様な居住環境の悪さを理由に転出する住民が増え、 Fig.15 整備されたセンター施設 空き家の増加に併せて犯罪も増加して行った。この様な状況 に対し、「即効性のある改善事業は既に始まっており当団地 に住み続けても安心だ」というサインを示し、住宅所有者・ 居住者・自治体・政府が緊密に協力し合い、総合的なコンセ プトに基づく 6 つの再生戦略をもって、再生への道が早期に 示された。また、そのプロセスを着実に実施している。住棟 間の中庭は四季の庭などに整備され、住棟階段室に小エレベ 4 Fig.16 団地内に整備されたオフィスビル ーターも設置された。団地のセンターには商業施設や行政の出先機関が、団地内には就労場所とし てのオフィスが整備されている。住居も画一的ではなく、様々な所有形態や規模のものが提供され、 住戸内の改修は DIY で出来るシステムも用意されている。公園や緑地も、ベルリン郊外の自然緑 地とのネットワークが考えられて整備が進められている。 ライネフェルデ南団地(ドイツ・ライネフェルデ)Fig.17-19 ライネフェルデは、1961 年以前は人口 2,500 人程度の小村 であった。しかし、西ドイツ国境から数十キロメートルしか 離れていないということから、東独の西側に対するプロパガ ンダ的産業立地が図られた結果、織物業やセメント・カリの コンビナートがつくられた。従業員の居住用に当団地が建設 され、東西統一直前の 1989 年時点での人口は 16,000 人とな Fig.17 ライネフェルデの旧住棟 っていた。しかし、東西統一後は、東独の産業の大部分の例 にもれず、当地の産業も西側の競争力には勝てず、産業の衰 退 → 離職者の増加 → 居住者の転出 → 団地の人口減尐・活 力低下という事態を招いた。その様な状況に対して、「労働 と居住と自然の新しいバランス」をテーマとして掲げ、「都 市の規模縮小」と「環境の質の向上」、「居住と労働のバラ ンスの再構築」という施策が実施された。環境改善と建築の 改善に関しては数次にわたるマスタープランの作成とコンペ の実施により質の確保が図られた。既存住棟は減築を始めと する様々な改修を加えられ、多様な住棟・住居が作られてい Fig.18 南団地のマスタープラン る。外部環境も植樹、緑の軸や緑地およびサッカースタジア ムの整備等により、環境向上が図られている。就業の確保に 関しては、幹線道路のバイパスを団地近くに通し、流通の利 便を確保した上で、新規産業が誘致された。また、チュウリ ンゲン州の他の団地と共同で 2000 年に開催されたハノーバ ー万博の場外会場として団地の再生が展示され、多くの人が 訪れた。当団地の再生は、万博の特別賞をはじめとし、ドイ Fig.19 減築で出来たシティービラ ツ都市計画賞や UIA の賞も受賞した。 ③ 団地再生により、地球環境問題の改善に一定の寄与をする。 このタイプは北欧に多いが、EU 全体としても団地のサス ティナブル化の技術を確立するために 2002 年~2004 年にか けて 9 ヶ国が参加しスロイロ註3)(Sureuro)会議が開催され、 パイロットプロジェクトとして、参加国の 12 団地を対象と した実地検証が実施された。この様に、欧州では地球環境問 題と団地再生を絡めて考えることが次第に根付いてきている。 これは、既存団地においても現代生活の新たな価値基準とな りつつある循環型社会に対応した技術を応用して、その再生 を図ることが一般化してきているからと考えられる。この点 5 Fig.20 スロイロの成果活用のイメージ スロイロで開発したツールを用いて住宅 管理主体を支援する は、わが国においては、ようやく都市機構によりストック活 用の技術的検証が始められたところであり、省資源や省エネ ルギーの面での対応は遅れていると言えよう。 インスペクトーレン団地(スウェーデン・カルマール)Fig.21-23 当団地は、スロイロプロジェクトの一つとして改修された。 1955~57 年に建設された 160 戸からなる小さな団地だが、老 朽化や環境に良くない資材の使用等を改善すると共に、 Fig.21 インスペクトーレン団地のソーラ ーパネルを載せた屋根 Agenda21 註4)を団地レベルで推進するために再生の処置がと られた。モデルとなる 3 タイプの改修住戸が提示され、その 中から入居者が適するタイプを選択した。3 タイプとは、浴 室や台所・玄関ホールと 1 寝室の最小限の改修で済ませ、傷 みが尐ないものは全てそのまま使う「慎重改修タイプ」、概 ね全室の内装更新&プラン上でキッチンと寝室を入れ替え& ディスポーザー付流し台の設置等をした「標準改修タイプ」、 Fig.22 窓の外の気候調整スペース そして標準改修住戸の改修内容に加え浴室の拡大・外部建具 の外側に設置したガラス建具との間を気候調整スペースとし た「新技術採用タイプ」である。また、バルコニーを拡大し たりバルコニーに建具を入れたりする選択も可能であった。 更に給湯・給熱・給水は定額制であったものを従量制にする ことよって、消費量の削減が行われた。その他、屋根にソー ラーパネルを設置し温水を発生させたり、雨水の貯留・循環 利用やゴミの分別収集を行ったりもしている。環境面だけで はなく、生活支援策として一部の階段室内に通り抜け型 EV を設置して階レベルと踊り場との双方に出られることにより、 全く階段を利用せずに生活出来る仕組みが盛り込まれた。コ ンセプトとしては、団地の領域を超えて、地域と一体となっ Fig23 インスペクトーレン団地で考えら れた資源循環のコンセプト た資源循環のフロー(Fig.23)が考えられたが、全てが実現 しているわけではない。 ヘデビューゲーデ住区(デンマーク・コペンハーゲン)Fig.24-26 当住区は、19C 後半に城壁外に市域が拡大した時に出来た 職・住混在地区の一部である。18 棟が中庭を囲み、そこに も住宅が建っていた。街区整備は市の他の初期再開発の様に 建替えるのではなく部分改修を行うという市の方針により、 Fig.24 ヘデビューゲーデの太陽電池パネ ルと壁面緑化 環境改善のために 1972 年に中庭の住宅が撤去された。また、 保存に相応しいという指摘を受け、1993 年に住棟の保存が 決まった。住宅省の「環境に優しい都市 Action Plan」の下で、 環境面に対する配慮に焦点が当てられて、当住区の更新は環 境に優しい都市実現の技術を実証するプロジェクトとなった。 改修は以下の様な項目が複数戸ずつ実施された。 ・ プリズム:屋根設置の太陽追尾反射鏡を用いて太陽光を 6 Fig.25 ユニット化されたファサードと PV 建物内部に取り込む。 ・ フローラ:植物を利用した空気浄化と冷気利用冷蔵庫。 ・グリーンキッチン:環境配慮素材を使用した台所の改修 と、増築した温室を利用した給排気の熱交換。 ・ サンウオール:壁面や屋根面の太陽熱パネルと熱交換器 による熱回収システム。トレリスを用いた壁面緑化。 ・ファサード:太陽電池や低熱損失ガラスを組み込みモデ ュール化された出窓・バルコニーなどの設置。 Fig.26 中庭の集会施設 ・ その他:廃棄物の分別とその集積場所の設置、不用品のリサイクル利用、中庭の共同利用と集 会所設置、共同洗濯場での雨水利用等、個々の家庭の熱・電気・水消費量計測など。 結果は、モニタリングされた熱・電気・水の消費及び CO2 発生量は国内基準を下回っている。 ④ 団地再生により、狭小で老朽化した建物を建替え、増床とともに新規世帯の入居を促進する。ある いは高密度化し余剰地を売却する。 日本で実施されている団地の建替えは、大半がこのタイプである。スクラップ&ビルドである点 からして、解体された資材を再利用するとしても、やはり資源循環の思想からは程遠い。この建替 えには民間によるものと都市機構の様な公的セクターによるものがある。中でも、特に民間事業者 によるものは、建替え合意を得る際のインセンティブとして住民に無償還元できる床面積が問題と なるため、様々な制度を活用しながら許容の限度一杯まで容積を確保しようとする。結果は周辺市 街地のスケールとはかけ離れたものになることが多い。従って、周辺住民も含めた地域による、一 定の計画内容に対する規定=地区計画が必要だと考えている。 新千里桜ヶ丘メゾンシティー(大阪府・豊中市)Fig.27-29 当団地は 1967 年に大阪府住宅供給公社によって分譲され た団地であった。北側道路沿いには長さが 100mにも及ぶ 4 階建て住棟があったが、スターハウスも 3 棟あり、圧迫感を 感じることはなかった。2005 年に民間デヴェロッパーが参 画した等価交換による建て替え事業が完成し、高層高密度団 Fig.27 建替え前の桜ヶ丘団地 Fig.28 建替え後の桜ヶ丘団地 地へと生まれ変わった。千里ニュータウンの豊中市側は、再 度開発される市街地の姿を誘導するべく、2004 年に「千里 ニュータウン地区の今後の土地利用の考え方」が提示され、 規制がかけられている。しかし、これは容積と建物高さに規 制を加えているだけで、出来上がる市街地の姿に対する想像 力が乏しく、規制が極めて不十分といわざるを得ない。しか し、当団地の建て替えの話が持ち上がったのが上記規制以前 であったので、規制からは外れた高さを持つものとなってい る。(この建て替えの話が持ち上がったことを契機に規制が できたと言ってもよい。)従前は 4 階建て 272 戸であったも のが、建替えにより 19 階建て 542 戸と極めて大規模になっ た。近隣から壁のように見える建替え住棟は、視界を大きく 遮るものになっている。戸数密度も 110 戸/ha から 215 戸/ Fig.29 巨大な壁に見える桜ヶ丘の住棟 7 ha と変化した。また、分譲住宅であるために、住宅以外の 用途を排除する傾向がつよく、道路との親和性に欠ける。 浜甲子園団地さくら街(兵庫県・西宮市)Fig.30-32 浜甲子園団地は、米軍キャンプ跡を西宮市が買収し、住宅 公団の団地を誘致し昭和 37~39 年にかけて建設された、 31.1ha 総戸数約 4600 戸で当時としては最大の団地であった。 同団地も築後 40 年程が経過した、典型的高経年団地であり、 Fig.30 建替え前のさくら街 その一部である「さくら街」は、2001 年から建て替えが行 われた街区である。この街区には地区計画が制定されている。 その内容は、地区内を住宅地区と沿道地区に分け、それぞれ に壁面の位置と建物高さと用途を規制している。特に、沿道 地区は住宅地区より高さを押さえて従前のスケールから建替 え後の違和感を減ずると共に、店舗等の住宅以外の用途の立 地を許容し、また、道路沿いの住戸も道路からアプローチで Fig.31 建替え後のさくら街 きる様にするなど、道路と団地内との親和性を高める工夫が なされている。更に、遠望した際の屋根や外壁の景観に配慮 すると共に、長大な板状棟になることを牽制する項目が記載 されている。団地の再生には、この様なきめ細かい計画的規 制が、周辺環境との親和性を高める意味でも重要なのである。 結果は他団地に比して適切なスケール感となって表れている。 Fig.32 沿道を低く内部を高くした景観 4.都市再生と地区計画 浜甲子園団地さくら街のように、団地の計画内容を場所々々に応じた適切なものにするには、規 定をきめ細かくする必要がある。以下に浜甲子園団地の地区計画の内容を見てみよう。 Ch.1 浜甲子園団地地区計画 地区計画の目標:居住水準向上・バリアフリー化。適切な住棟規模・配置、1 棟当たりの住戸数、周辺環境に配慮した良質な都市型住宅地の形成。 中高層の住宅を主体としつつ、歩行者空間やまとまったオープンスペースの確保等安全・安心で快適な住宅市街地の形成を図る。 土地利用の方針 ・住宅地区:適切な住棟規模・配置、1 棟当たりの住戸数、周辺環境に配慮した良質な都市型住宅地の形成。 ・沿道住宅地区:地区内主要道路及びブルーバール沿いに利便性を考慮した中層集合住宅を中心とするゆとりとうるおいのある住宅市街地の形成 地区施設の整備方針:既存の緑環境の継承と緑化推進により並木道による回遊性のある歩行者空間の充実・ネットワーク化。地区内コミュニティー形成 の中心となる東西軸のブールバールの整備。枝川・鳴尾川沿いの遊歩道整備 建築物等の整備方針:地区ごとに建築物の用途・高さの最高限度の制限。適切な住棟規模・配置、1 棟当たりの住戸数、周辺環境に配慮した良質な都市 型住宅地の形成。団地周辺の環境に配慮した都市景観、歩道と一体となった緑豊かな歩行者景観の形成を図るため、建築物の壁面位置の制限を定める。 地区施設:ブールバール幅員 20m、延長 156m 住宅地区(約7ha) 用途制限 自動車車庫(建築物に付属するものを除く)、店舗、飲食店等 建築物の ・南甲子園線沿道(西側道路沿い):5m 壁面の位 ・地区北側道路沿道(北側道路沿い):5m(建築物の高さ 10m 以下の場合は 3m) 置の制限 ・地区内細街路沿道:3m (上記規定は、外壁中心性ンの長さが 3m 以下、ないしは物置その他の用途で軒の 高さ 2.3m 以下かつ床面積 5 ㎡以内の場合は、「5m」を「3m」とする。 建築物の 高さの最 高限度 1.敷地面積 500 ㎡以上の場合は、45m 以下かつ次に定める北側斜線制限の通り ・北側水平距離 8m 未満は H≦l×1.25+5m ・北側水平距離 8m 以上は H≦l×0.6+15m 2.敷地面積 500 ㎡未満の場合は、水平距離 4m 未満の範囲にあっては H≦l×1.25 +5m かつ 10m 以下 建築物の 形態若し くは意匠 の制限 ・建築物の屋根及び外壁その他戸外から望見される部分の形態、意匠および色 彩は周辺との調和に配慮 ・建物の形態は長大な板状とすることを避け、適切な建物規模となるよう配慮 する。 8 沿道住宅地(約 4.2ha) 自動車車庫(建築物に付属するものを除く) 同左 1.敷地面積 500 ㎡以上の場合は、20m 以下かつ次に 定める北側斜線制限の通り ・北側水平距離 8m 未満は H≦l×1.25+5m ・北側水平距離 8m 以上は H≦l×0.6+15m 2.敷地面積 500 ㎡未満の場合は、水平距離 4m 未満の範 囲にあっては H≦l×1.25+5m かつ 10m 以下 同左 これらの規制内容を総合すると、空間構成の手法は以下の様に要約出来る。 ・ 「住宅地区」と「沿道住宅地区」の設定により、沿道における住宅以外の用途の導入を誘導す るとともに、道路と団地内との関係性の構築を行う。 ・ 建物の高さ・規模に応じてきめ細かく道路からのセットバック距離を設定する。 ・ 沿道住宅地区は路上での圧迫感及び周辺景観に対する配慮から、絶対高さを 20m以下に制限。 ・ 遠望した際の建物屋根のシルエットに配慮する。 ・ 長大な板状の建物になる事を牽制する。 実現すべき空間や用途を含む街の構成を明確にイメージし、規制内容に盛り込むことにより、その あらかじめイメージされた内容を実現するのが地区計画である。 ところで、都市を再生させるためのこの様なきめ細かい計画的規定に基づく街の構成の誘導は、 実は米国では最近のゾーニングの見直しに盛り込んでいく傾向が出てきている。ニューヨークでは、 数地区で都市再生のための都心居住促進策を伴う用途地域の見直しが行われているので、この様な 傾向の一つの事例を見てみよう。 グリーンポイント・ウイリアムズバーグ地区の用途地域見直し ニューヨーク市では衰退した都市活力を取り戻す都心居住 を促進するために、中堅所得者~低所得者が手頃な価格で居 住できる住宅を上乗せする場合の容積ボーナス制度を用途地 域の見直しと合わせて実施している。この地区は、マンハッ タンのイーストリバーを挟んだ東隣のブルックリン区の北端 にある。そのイーストリバー沿いにある低密度利用のウォー Fig.33 ウイリアムズバーグ地区位置図 ターフロント部分と、その一皮内陸側の部分について、中堅 所得者用の適正価格住宅供給プログラムを適用している。ニ ューヨーク市の用途地域は基本的に R=住居地域、C=商業 地域、M=工業地域の 3 種類であるが、それぞれに数種類の 容積と高さ規制の異なる細分類がある。また、MX=混合用 途地域が追加された。上記プログラムでは、それぞれ基本の 用途地域の容積に応じて、適正価格住宅供給をする場合には Fig.34 ウオーターフロント部分(青表示) と内陸部分(茶色表示)の見直し区域と 元の用途地域 20%~160%程度の住宅容積のボーナスを得ることができる という制度である。用途容積型地区計画に似た内容であろう か。用途見直しに際して、主として沿道を中心に基本の用途 地域に商業用途が付加的にオーバーレイされ、更に、内陸部 の幾つかの街区において積極的に混合用途地域が設定されて いる。同時に、ウオーターフロント部分に関して、水際で人 が歩く歩路や広場の設定と、一皮内側の道路から水際に至る Fig.35 用途地域見直しの結果の一部 赤のドットが商業用途の付加されたゾー ン、MX は混合用途 接続路の設定や見通しの確保など、我国の地区計画における 地区施設に相当する様な施設の配置がウオーターフロント・ アクセス・プランで示唆されている。 これらから見えてくることは、一つは、都市計画の中心と なる用途地域制が、都市再生のための見直しにおいて当該地 域の実情に基づき誘導したいイメージをきめ細かく作り上げ、 9 Fig.36 水辺へのアクセスプラン その実現の準備を計画レベルで行う方向に向かっていて、非常に「地区計画」に近づいているとい うことである。即ち、地区の状況に則して計画を誘導するには、その地区に相応しい「地区計画」 に近い規制誘導策の必要性が認識されていることである。もう一つは、用途混合が積極的に図られ ている点である。住居地域への商業用途のオーバーレイと、住居地域や工業地域での混合用途への 転換がそれを物語っている。ここで、地域の計画を誘導する上で、何がその地域に相応しいかとい うことを把握することが必要なのである。 団地再生という、極めてその近隣に影響力の大きい変革を実施しようとする際には、何がその地 域に対して相応しいかを近隣の人々も含めて見極め、それを誘導するきめ細かな方策が重要となる。 民間による団地の建替えでは、これが決定的に欠落しているということができる。 参考文献 文献1:“The renewal of what was tomorrow’s idealistic city. Amsterdam’s Bijlmermeer high-rise”Gerben Helleman, Frank Wassenberg 文献2:“Utopia on Trial Vision and Reality in Planned Housing 1985”「ユートピアへの審判-計画住宅地のビジョンと現実」 Alice Coleman 文献 3:「ライネフェルデの奇跡-まちと団地はいかによみがえったか」”Das Wunder von Leinefelde” Wolfgang Kil 文献 4:The Refurbishment of the Inspektoren project in Kalmar Autumn 2000, Kalmarhem 文献 5:CELEBRATING 100 REZONINGS - New York City Department of City Planning.mht 註 註1)プルーイット・アイゴー団地:ミノル・ヤマザキの設計で 1951 年にセントルイスのスラム街に建設された。 CIAM~コルビジェの思想をそのまま実現した様な高層住宅団地だったが、コミュニティーが育つような空間ではなく犯 罪の巣窟となったことにより 1972 年に解体された。 註 2)アリス・コールマン:1923~、ロンドン大学キングスカレッジの地理学者。名誉教授。1960 年代の英国第二次土 地利用調査を指揮し、また、彼女が行った土地利用計画や都市デザインの分析結果は政府に採用されている。 註 3)スロイロ:(Sustainable Refurbishment Europe)スロイロは戦後の住宅ストックを更新するための推進過程を開発し、 そのノウハウを評価してきた。住宅の修復と維持管理について上記3分野の中での経済・社会・環境面の優先順位をバ ランスさせつつ持続可能性を持つアプローチを目指した。その目標は実施と調査の間の緊密な連携に基づく持続可能性 の高い優れた実施戦略を交換し、強化し、流通させることである;プロジェクト協議会はヨーロッパ9ヶ国(スウェー デン、デンマーク、フィンランド、オランダ、英国、フランス、ドイツ、チェコ、イタリア)のメンバーによって構成 された。それらのプロジェクトは EU の第五フレームワークの下で「エネルギー・環境そして持続可能な開発」プログ ラムにおける重要行動4:「明日の都市と文化遺産」に立脚して立ち上げられた。実施期間は 2002 年3月~2004 年6 月であった。 註 4):アジェンダ 21:21 世紀に持続可能な開発を実現させることを目指す地球規模の行動計画のこと。1992 年、リオ デジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)で、「環境と開発に関するリオ宣言」「森林原則宣言」とと もに採択された。前文と「社会的・経済的要素」「資源の保全と管理」「主要な社会構成員の役割強化」「実施手段」 の4つのセクションから構成されている。条約のような法的拘束力はないが、各国の政策への反映が期待されている。 図版出典 Fig.1,3:Wikipedia Fig.2:朝日クロニクル 20世紀巻 2 Fig.4:http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95bun-35_4.html Fig.5:毎日新聞 1957 年 2 月 Fig.6:国交省住宅土地統計調査 Fig.11,13,15,16,17,21,22,24,25,26,29,32f:大坪 Fig.8:サンウエーブ HP Fig.9:「近代建築の失敗」 Fig.10:“The renewal of what was tomorrow’s idealistic city. Amsterdam’s Bijlmermeer high-rise”Gerben Helleman, Frank Wassenberg Fig.12:鈴木克彦京都工芸繊維大学教授 Fig.14,:“The Hellersdorf Project“ Documentation,Strategies,Constituents,Partners Berlin,June 2000 Fig.18,19:2005 年 5 月ライネフェルデ市長講演プレゼンターション Fig.20:http://www.sureuro.com/ Fig.23:The Refurbishment of the Inspektoren project in Kalmar Autumn 2000, Kalmarhem Fig.27,30:国土交通省 Fig.28,31:Google Earth Fig.33,34,35,36:CELEBRATING 100 REZONINGS - New York City Department of City Planning.mht 10