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医療・医療保険制度改革と地方分権
ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 44 医療・医療保険制度改革と地方分権 伊 関 友 伸 城西大学経営学部教授 大きく動く国の医療・医療保険政策 わが国における医療・医療保険政策は変革の時を迎えている。現在、国は年齢階層別人 口で大きな割合を占める第一次ベビーブーム世代が後期高齢者となる2025年に向けて「社 会保障・税一体改革」を推進している。医療・介護分野においては、サービス提供体制改 革として「入院医療の機能分化・強化と連携(急性期への医療資源集中投入、亜急性期・ 慢性期医療の機能強化等)」と「地域包括ケア体制の整備(在宅医療・在宅介護の充実) 」 を進めている。 2014(平成26)年6月には、国会で「医療介護総合確保推進法」が成立した。同法は、 地域における効率的かつ効果的な医療提供体制の確保を目指すため、医療機関が都道府県 知事に「高度急性期」 「一般急性期」 「亜急性期等」 「長期療養」などの病床の医療機能等を 報告することを求めている。都道府県は、それをもとに地域医療構想(地域の医療提供体 制の将来のあるべき姿)を医療計画において策定することとされている。併せて、医療・ 介護の連携強化を図るため、都道府県の事業計画に記載した医療・介護の事業(病床の機 能分化・連携、在宅医療・介護の推進等)について、消費税増収分を活用した新たな基金 (地域医療介護総合確保基金)が都道府県に設置された。2014(平成26)年度の予算は904 億円、2015(平成27)年度・2016(平成28)年度の予算は1,628億円に及ぶ。2015(平成 27)年3月31日には、厚労省より地域医療構想策定ガイドラインが示され、各都道府県に おいて2016(平成28)年半ばを目指して計画策定が進められている。 さらに2015(平成27)年5月には、国民健康保険の財政基盤を強化するため、2018(平 成30)年度に国保の財政運営の主体を市町村から都道府県に移すことを柱とした「医療保 険制度改革関連法」が成立した。同法では、都道府県は県内の統一的な国保の運営方針を 定め、市町村ごとの分賦金決定及び標準保険料率等の設定、保険給付に要する費用の支払 ⓒ2016 Institute of Statistical Research ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 45 い、市町村の事務の効率化・広域化等の促進を実施する。市町村は、地域住民と直接顔の 見える関係の中、保険料の徴収、資格管理・保険給付の決定、保健事業など、地域におけ るきめ細かい事業を引き続き担う。財政運営に当たっては、都道府県が医療費の見込みを 立て、市町村ごとの「分賦金」の額を決定することとし、市町村ごとの分賦金の額は、市 町村ごとの医療費水準及び所得水準を反映するとされている。 都道府県の役割の拡大 今回の医療・医療保険政策の改革の特徴として、医療・医療保健政策における都道府県 の役割が拡大していることがある。地方分権の視点からすると、今回の都道府県の役割の 拡大は、地方分権の拡大なのか、それとも中央集権の拡大なのか。 地方分権と保健医療福祉政策はどのような関係にあるのか。わが国において「地方分権 =良いこと」と考えられることが多い。しかし、地方分権を機械的に進めた場合、保健医 療福祉政策の推進にとって悪影響を与える可能性があることには注意すべきだ。 そもそも、国と地方自治体の事務の配分の方式については二つの考え方がある。 一つは、 一つの事務はできるだけ一つの主体に専属的に割り振るというもので「分離型」と呼ばれ る。もう一つは、一つの事務について複数の主体が機能等に応じた割合を持つように割り 振るもので「融合型」と呼ばれる1。わが国の国と地方の関係は、明治時代からGHQの統 治下、高度成長期を通じて融合型の行政が行われてきた。2000(平成12)年に施行された 地方分権一括法により廃止となった事務機関委任事務は、融合型の行政を行うための有力 なツールとなった。 例えば、終戦直後、連合国軍公衆衛生福祉局(PHW : Public Health and Welfare Section)は、戦争の影響で衣食住が極端に欠乏し衛生状態も悪化する中で、保健医療福祉 政策について強力な指導を行った。厚生省-都道府県-保健所-市町村という政策ネット ワークを確立させ、地方自治体が国(厚生省)の機関として事務を行う機関委任事務を積 極的に活用する。事務の実効性を高めるために国庫補助支出金の定率定額補助、機関委任 事務を行う保健所や福祉事務所、児童相談所などの設置義務や医師や保健師などの配置義 務を定めることにより、全国一元の政策を実現させた。全国あまねく保健医療福祉政策を 実現させるために、機関委任事務制度は機能した。連合国軍の統治が終わっても保健医療 福祉政策の基本的な体系は変わらなかった。 一方、 「分離型」の主張として有名なものとして、同じ復興期に出された「シャゥプ勧告」 と「神戸勧告」がある。当時、地方自治体の戦後改革に伴う事務の増大に対応して支出が 1 松本英明(2005)『地方自治法の概要』学用書房、41〜42頁。 ⓒ2016 Institute of Statistical Research ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 46 急増する。このため、地方税制の見直しが行われ、1949年5月には、米国よりシャゥプ税 制使節団が来日。同年9月、使節団は「シャゥプ勧告」を提出する。また、同年12月には 神戸正雄を委員長とする「地方行政調査委員会議」が設置され「神戸勧告」を提出する。 二つの勧告は、地方税制について、国・都道府県・市町村の行政事務の配分のあり方につ いて検討を行った。シャゥプ勧告を受けた神戸勧告は、①行政責任明確化の原則、②能率 の原則、③市町村優先の原則を指針として提言する。提言のポイントは、国と都道府県・ 市町村の事務を明確に分けて責任を持って行わせる。国の存立のために直接必要な事務を 除き、地方自治体の区域内の事務はできる限り地方自治体の事務とし、特に住民に身近な 市町村に事務の多くを配分する。税源も国は所得税、道府県は道府県民税・地方消費税、 市町村は市町村民税・固定資産税というように明確に分離するというものであった。 二つの勧告が提案した行政事務の配分見直しは、朝鮮戦争後の政治情勢の転換、GHQ の占領政策の終わり、中央集権化・能率化に向けた各省庁の巻き返しなどにより棚上げ となった 2。しかし、二つの勧告の「分離型」の事務配分の考え方は、わが国における地 方分権の推進の理論的な主柱となり、地方分権一括法の成立にも大きな影響を与えるも のとなった。 原理的な地方分権が保健医療福祉政策に与える影響 市川喜崇『福祉国家における中央―地方関係』は、福祉国家における福祉的政策につい て「国と自治体が関心と責任を共有する共管領域の拡大」ととらえることができるとし、 「機能と責任が必要以上に錯綜するのは好ましくない」とする一方、原理的に「『共有』を 認めず、責任の徹底的な分離を求める」場合、 「福祉国家にとって逆行的な帰結をもたらす」 と指摘する3。 原理的に国と地方自治体の役割を分けて国の地方自治体への責任と関与を認めない場合、 国が保健医療福祉政策についての責任を放棄(その最も大きなものは財政責任の放棄)し て地方自治体に丸投げすることや、反対に選挙で選ばれた首長が限界を超えて保健医療福 祉政策予算の削減を行うことに関与ができないという問題を生む。原理主義的な分離論は、 新自由主義的な考えと整合を持ちやすく4、保健医療福祉政策の縮減を生みやすい。 保健医療福祉政策に関し、政策機能と権限を完全に分離させることは現実的ではない。 一定の割合、国・地方自治体は共同して責任を負う(国の関与が生じる)ことは必要であ ると考える。今後、急激に少子高齢化が進み、社会保障関係費や医療・介護サービスの需 2 3 4 藤田武夫(1978)『現代地方財政史中巻』日本評論社、11頁。 市川喜崇(2012)『日本の中央-地方関係』法律文化社、216~217頁。 市川喜崇(2012)『日本の中央-地方関係』217頁。 ⓒ2016 Institute of Statistical Research ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 47 要が急増することが確実な状況において、医療や保険制度、福祉制度について国が統一的 な制度を作り、地方自治体が一定の裁量を持ちながら、地域の実情に合った制度の運営を 行うことが最も効率的であり、制度から漏れる人を最も減らすことができると考える。 医療・介護サービス提供体制の改革についていえば、国・都道府県・市町村がそれぞれ 国民(地域住民)に対して責任を持ちつつ国が方向性を示し、都道府県・市町村が地域の 特性に合わせて改革を行う「穏やかな中央集権アプローチ5」による改革がなじむものと考 える。現在の国の進める医療介護提供体制の改革は、大きな方向性では間違っていないと 考える6,7。 その一方、地方や医療・介護現場の実情を無視した中央集権型政策の展開(無理な医療・ 介護予算削減が典型)は、かえって地域の医療・介護の現場を破壊する危険性がある。あ くまでも現場の視点に立った改革が進められる必要がある。 5 「緩やかな中央集権アプローチ」は保健医療福祉政策のみに当てはまる理論であるか、他の政策 にも該当する理論なのか。地域の特性に応じた質の高い政策を展開するためには、地方自治体・職 員が自立して政策立案をすることが重要である。分権は国・地方の政策立案のあり方の原則と考え る。 「穏やかな中央集権アプローチ」は、超少子高齢社会を迎え、これから絶対的に不足する人的・ 物的リソースをいかに地域の偏在なく配置し、効率的にサービスを提供するかなど、全国的な視点 での政策立案の必要な分野の政策に限られた理論と考える。 6 現在の地域医療崩壊の要因の一つは、医師看護師不足・地域偏在にある。医療体制や医師養成 の政策は国が行っており、地域医療は国の政策ミスの結果ともいえる。筆者は、2014(平成26) 年に、明治維新から今日の自治体病院、地域医療政策の歴史を概観した『自治体病院の歴史』を上 梓した。本の論述を通じて分析すると、厚生労働省は、国民にあまねく医療を提供するため、適切 な医療提供体制のコントロール政策を目指してきた。その中で、1962(昭和37)年の「公的病院 の病床規制」による民間病院・病床の急激な増加(過大な病床に少ない医師・看護師を分散せざる を得なくなった)、1972(昭和47)年の医療体制が整備されていない中での老人医療費無料化、1997 (平成9)年の橋本行革における医師養成数抑制政策の継続、2004(平成16)年の小泉医療構造改 革における競争原理を強調した新医師臨床研修制度導入など、政治の関与が医療政策の一貫性を歪 め、結果として医師看護師不足・地域偏在を生んでいる面もあるとも考えている。国が適切な医療 政策を展開させるためには、官僚に余裕を持たせ、医療介護の現場や地方の政策担当者との議論の 場を増やすこと(政策立案における「現場」と「専門性」の重視)が重要と考える。現在、安倍内 閣や財務省が進めようとしている過度の医療費抑制政策は、再び医療現場を崩壊させる危険性があ ることを指摘しておきたい。 7 1983(昭和58)年3月、後に厚生事務次官となる吉村仁は「医療費をめぐる情勢と対応に関する 私の考え方」という論文を発表する。吉村論文は、「このまま医療費が増え続ければ、国家がつぶ れるという発想さえ出てきている。これは仮に医療費亡国論と称しておこう」と、厚生労働省の医 療費抑制策の始まりとして批判が多い。しかし、吉村論文には「医療費の総枠の伸びは、国民所得 の伸び程度にとどめながら、治療から予防へ、大病院からプライマリーケアの開業医外来へ、医師 へのハシゴからホームドクターとの信頼関係へ、CUREからCAREへ、材料費から技術料へ、非効 率部門から効率部門へ、など各種の効率的な配分換えを進め、質の良い医療こそが真に伸びてゆく 方法を探って」などの今日的な議論も行われている。吉村次官など厚生官僚が活躍したのは、第二 臨調の時代であるが、第二臨調は医療分野の改革は吉村たち厚生官僚の政策提案に任せる姿勢を 取っている。 ⓒ2016 Institute of Statistical Research ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 48 自治体内分権の視点 さらにいうならば、保健医療福祉政策に関しては、国・都道府県・市町村間の分権の視 点に加えて、自治体内の保健医療福祉職員への分権の視点も重要である。地方分権が実現 して、地方自治体の力が強くなったとしても、現場の声が保健医療福祉政策に反映すると は限らない。自治体内部の力関係を考えれば、地方分権により首長や企画財政人事などの 管理セクション(財政の論理が優先しやすい)に権力が集中し、現場の保健医療福祉専門 職(具体的な住民へのサービスを優先する)の意見を聴かないという危険も存在する。 そもそも、わが国には、明治政府の「文官任用令」以来の文官優位、技官軽視の文化が 地方自治体に根強く残っている。文官優位・技官軽視の文化は、財政優先・現場軽視の組 織文化につながっている。 かつて第一次分権改革において、保健・医療分野における国の関与について最も問題と なった事項の一つが「保健所の必置規制」と「保健所長の医師資格規制」の見直しであっ た。1996(平成8)年3月の地方分権推進委員会の中間報告では、保健所・福祉事務所・児 童事務所などの必置規制に関して地方公共団体の自主組織権の問題とし、規制の見直しを 行う必要があること。併せて保健所長の医師資格、図書館長の司書資格などの資格規制に ついて見直しを図ることが提言された。提案に対して、全国保健所長会や医療関係団体が 反対を表明し、最終的に保健所の必置規制は存続され、保健所長の医師資格については、 厳格な条件がつけられて部分的に緩和された。 今日、新興感染症の蔓延や食中毒事件の頻発、大規模災害の発生など、住民の生命と健 康を脅かす問題が次々と起きている。住民の生活を守るため、厚生労働省や衛生関係研究 機関とのネットワークを有する保健所や医師の保健所長の意義は大きい。保健所や保健所 長の医師の必置要件を定めることは、国が保健医療の政策の質を確保するために、現場の 専門職に権限を与えているという考え方もある。地方分権との関係でいえば、中央集権化 することで、中央省庁や研究者と政策ネットワークを有する自治体内の保健医療福祉など の技術専門職の地位や権限が強化され、住民への行政サービスの質が向上する可能性があ るいう視点もあることに注意すべきだ8。 これから到来する超少子高齢社会は、都市部における後期高齢者の急増、地方における 人口減少による地域消滅が深刻な社会問題になると考えられる。絶対的な医療介護サービ スの不足に加えて、個人の孤立やコミュニティの崩壊が起きる可能性が高い。筆者は、超 高齢社会における社会の混乱を解決するためのカギは、保健医療福祉専門職の専門性の発 8 残念ながら、自治体内の保健医療福祉専門職の置かれた立場があまりに弱いためこのような議 論をせざるを得ない。本来であれば地方分権の中で保健医療福祉専門職が尊重され権限が発揮され るべきであるが、そのようにはなっていないのが現状である。 ⓒ2016 Institute of Statistical Research ECO-FORUM Vol. 31 No. 4 49 揮であると考えている。能力のある保健医療福祉専門職に権限と予算・人員が与えられ、 地域問題解決に取り組むことで、結果として社会的な混乱を解決し社会コストの抑制につ ながると考える。技術専門職の「専門性」の尊重という視点で見ると、地方分権も違った 視点で見える。 【参考文献】 伊関友伸(2014)『自治体病院の歴史―住民医療の歩みとこれから』三輪書店. ⓒ2016 Institute of Statistical Research