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5月 - 台中日本人学校ホームページ

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5月 - 台中日本人学校ホームページ
家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信
発 行 所
No 413
2010年(平成22年)5月28日発行
台中日本人学校(台中縣日僑学校) 電 話 04-2567-2079
ホームページ http:// tjs97.myweb.hinet.net
e-mail [email protected]
FAX 04-2567-2085
校 長 室 よ り
校 長
浦
幸 子
今日まで、表現や競技の練習をはじめ、応援練習、そして各係の準備等を行ってきました。4月30日の結団式
からおよそ1ヵ月。よい結果を出すことを目標に練習に励んできた子どもたちは、明日は、最高の力を発揮してく
れることと思います。しかし、これまでの過程では、暑さやきつさとの戦い、友達との意見の対立、練習過程での苦
労、など、いろいろな経験をしています。
中学部生の友情のスクラムは、新1年生を加え、最初は歩くことからスタートしました。それがゆっくりした駆け足
まではよかったのですが、徐々にスピードを上げてくると、だれかが転びます。まっすぐに、緩い駆け足ができる
ようになったところで、コーンを回る練習に入りました。これも、90度くらいまではどうにか回るのですが、あと尐し
で回り終えるというときに、誰かが転ぶ。そして、また、はじめからやり直しなのです。そこで中3生を中心にうまくい
かない点について気付いたことを話し、もう一度やってみる。これの繰り返しでした。新1年生にとって、見るとする
とは大違いだったことと思います。9回の練習を経て明日があります。全員がよい結果を出したいと願っていると思
いますが、良い結果になったとしても、思わぬ結果になったとしても、結果からは計り知れない思いの詰まった友
情のスクラムになりそうです。
また、小学部1~4年生の表現「よさこいソーラン」も、低学年にとってはかなりハードで体力を要する踊りでした。
最初の練習では、低学年の動きはぎこちなく、曲の速さにもほとんどついていっていませんでした。むろん、3,4
年生の中にも、なかなかうまくいかない子がいてのスタートでした。でも、練習することがいかに大事かということを
目の当たりにしました。これは、高学年・中学部の組体操にも同じことが言えます。組体操は、昨年の中3生に倣っ
て自分たちでそれぞれ春、夏、秋、冬と分担を決め表現の内容を練り全体の構想を立てていきました。この段階で
お互いの考えを共有することに苦労があり、また、それを全体に教え、指導していくのにも多くの困難を感じなが
らの練習でした。
「よさこいソーラン」も「組体操」も明日の本番にいたるまでには、言葉に尽くしがたい努力があったことを感じ取
っていただければ幸いです。
たくさんの見せ場があります。お子さんの頑張りとともに、応援団長を中心にした一糸乱れぬ応援、また、進行
がスムーズにいくように、たくさんの係を受け持ってくれている高学年、中学部の子どもたちの仕事振りにも目を向
けていただき、また、励ましていただけますと、たいへん有り難く思います。
家庭訪問、お邪魔しました
5月3日からの家庭訪問では、ご家庭での教育方針をはじめ、お子さまの様子や子育て上の課題などを聞
かせていただくことができました。各担任、お子さまを伸ばしていくこれからの指導に役に立てていくこと
ができます。有難うございました。訪問予定時刻に遅れ、たいへんご迷惑をおかけいたしたご家庭もあった
こと、申し訳ありませんでした。
昨年度まで、1週間続けておりました授業参観週間を本年度から、1学期に3日間、2学期11月に2日
間をとって行うことにいたしました。1学期は、6月9日(水)
、10日(木)
、11日(金)の予定で計画
をしております。
この週間では、いろいろな授業を参観されることが可能です。お子さまが、しんけんに学習に取り組み、
考えたり、発表したり、また、表現したりしている姿をご覧ください。さらに、鉛筆の持ち方や学習への心
構え、姿勢など、学習態度面にも目を向けていただきたいと思います。
授業時間の他に、朝の会や朝学習の様子、さらには、昼食や昼休み、清掃の様子、高学年の部活動なども
参観することができます。学校生活を頑張っているお子さまに励ましの声かけをしていただくとともに、課
題と思われることについて、ご家庭でお子さまとじっくり話していただき、改善への手立てを講じていただ
ければ、参観週間を設けている目的にも叶います。
参観後に書いていただくアンケートを各クラスの入口においております。
お気づきの点やご要望等ござい
ましたら、記入され、職員室前のアンケート箱にお入れください。その日の提出が難しい場合は、ご家庭で
ご記入後、お子様に持たせていただいても構いません。本年度の重点としております「挨拶の日常化」や「礼
儀正しく、正しい言葉遣い」につきましても、お気付きのことがございましたら、ご記入ください。
また、6月10日(木)には、先にご案内いたしました明徳義塾高校並びにオイスカ高校の進路説明会を
計画しております。担当の方が日本から来られますので、中学部の保護者の皆さまに限らず、小学部の保護
者の皆さまもお気軽に参加ください。
お子さまの将来の進路を考えられる上で貴重な情報を得ることができ
ると思います。
お知らせ
① 運動場改修について
全天候型トラック(運動場の芝生化)への改修工事を6月2日より始めることが、18日の学校運営委
員会で承認されました。保護者の方から、運動場改修にかかわって、全体像を知りたいという要望があり
ましたので、お知らせいたします。
200メートルトラック及び110メートルの直線5コースは、 ポリウレタン仕様、周りは全て芝生
になります。スプリンクラーを配置し、定期的な草刈りなども行う予定です。業者の方は、本校の交流校
をはじめ、数校の工事を請け負われており、実績も十分にあります。
工期は3ヵ月で8月31日までに完了予定です。この間、体育の授業は、水泳学習を中心に行い、部活
動については、アスレチックや体育館、プールの活用を図るなどして、運動の機会を確保していきたいと
考えています。完成予想図は、下記のとおりです。
(左側が校舎)
② 復興10周年記念
1999年9月21日の台湾中部大地震後、
2000年に大雅の現在地に新校舎が完成してから10年
が経ちました。当時、多大なるご尽力をいただいた李登輝様をはじめ、当時お世話になった皆さま方に学
校が着実に発展してきていることを報告する機会を設けた方が良いと、
交流協会よりご指導を賜りました。
この件につきまして、学校運営委員会で検討いたし、2学期に10周年記念式典(感謝の会)を開催する
ことに決まりました。
具体的な時期、内容はこれから詰めていくことになりますが、保護者の皆さまにご協力をお願いするこ
とが出てくるかもしれません。その際には、どうぞよろしくお願いいたします。
窓
4月27日(火)
◎生徒総会
中学部前期生徒総会を行いました。生徒会執行部、各委員会から活動目標や活動計画などの提案がありました。
活発な討議の後、提案が承認されました。台中校をより良くしていくためにそれぞれが活動し始めています。
4月28日(水)
◎こいのぼり集会
小学部で、こいのぼり集会を行いました。企画委員会によるこいのぼりクイズをした後、縦割り班に分かれ
て、一人ひとりが作った小さなこいのぼりを集め、みんなで大きなこいのぼりを完成させました。出来上がっ
た大きなこいのぼりは、班ごとの工夫が見られ、小学部1階の廊下を楽しく泳いでいました。集会の途中にや
しまるが現れ子どもたちは大喜びでした。
4月30日(金)
◎漢字コンテスト
計算コンテストに引き続き漢字コンテストを行いました。前年度に学習した漢字から出題されました。合格者
には合格証書が渡されました。次回は2学期、たくさん漢字を使えるようになってほしいです。
4月30日(金)
◎運動会結団式
運動会の結団式を行いました。各組のメンバーは決まっていましたが、赤組になるか白組になるかは、結団式
で決まります。団長が赤白玉を引き赤・白が決定しました。児童生徒は組が決まるとそれぞれの組に分かれて応
援の練習を開始しました。朝や昼休みにも応援練習を続け運動会に向けて気持ちが高まっています。
5月12日(水)
◎外清掃
全校外清掃を行いました。運動会間近ということもあり、グラウンドのごみや小石拾い、草抜きをしました。
暑い中でしたが、一生懸命に作業をしていました。自分たちの手できれいにしたグラウンドで運動会を行うのが
楽しみです。
5月17日(月)
◎学部別朝会
小学部朝会では、環境委員会からお知らせを聞いた後、運動会の小学部種目「大玉送り」の練習をしました。
中学部朝会では、運動会に向けて、赤白に分かれてミーティングを行いました。
リレーエッセー
私の国際理解
台湾に住んでおよそ1年が過ぎ、生活する上での不便はほぼなくなった。しかし、今だ、越えられない異文化
の壁を感じることがある。
このリレーエッセイで、自分の国際理解について振り返り、異文化の壁についても考えてみたいと思う。
私の国際理解の原点。それは、最初に外国人を見たときに遡る。小学生時代、2軒隣の海側に里田さんという
名の洋館があった。海辺の田舎町で、自分の周りは全部日本家屋。その中にあって、その家は、絵本に出てくる
家だった。洋館は私にとってまばゆく、魅力があった。そこのおばあちゃんは、白髪の美しい女性。ときどき近
所の私たちにチョコレートや甘いクッキーなどをくれた。日本語をとってもゆっくり話すおばあちゃんだった。
夏になると、その家によく来客があった。その中に、外人(今は外国人というが、当時は外人と言っていた)の
顔があった。初めてみる外国人は、棒のような腕に入れ墨のある男の人や色白の女の人たちだった。彼らは、い
つも前の海で、水上スキーを楽しんだ。夕方になると芝生の庭から何ともよいにおいが漂ってきた。今思うに、
それは、屋外バーベキューだったのだろう。外国の人は、ちょっとこわいような気がしたが、その生活振りに憧
れた。私の国際理解は、ここから始まった。
中学に入ってから英語の学習が始まった。そのとき、英語の先生との出会いがなかったら、小学校時代の思い
は消えただろうと思う。当時、英語の授業と言えば、CDはもちろん、テープレコーダーさえない。ただ、読ん
で日本語に訳すことが一般的だった。ところが、その先生は、英語をしゃべった。発音の仕方をこと細かく生徒
に注文した。日本人が苦手なthやfの発音を仰々しく演じてくれた。thの発音など舌を上歯と下歯の間にベ
ロッと出す。演示した後は、50人はいたと思うクラスの一人ひとりに真似をさせた。最初は、それがとても嫌
だった。でも、真似をしなければ鼻ピンをする(当時は体罰大隆盛)
。その真似がいやでなくなったのは、先生が
当時まだ駐留していた米軍の基地に連れて行ってくれた時だったように思う。
金網で取り囲まれた米軍基地の中に入っていくと、そこには、異次元の世界があった。芝生の庭に鮮やかな色
の屋根。レンガの煙突がついている。その一軒に先生は、連れていってくれた。先生が外国人とぺらぺらとしゃ
べっている。何だか、笑顔の人たちが先生を迎える。抱き合う(今のハグ)。そして、多分私たちを紹介している。
自分では何もしゃべれず、何もしゃべらず。しゃべりたかったけれど、全く英語は出てこなかった。自分が習っ
ているのと同じ英語だろうか、とさえ思った。でも、先生が、家族と親しげに話しているのをみると、やはり英
語なのだ。
2年生になっても、たまたま、その先生が担任となった。そして、田舎の中学校だったのに、市の中心で行わ
れた英語レシテーション(暗唱)コンテストなるものに出場することになった。そのコンテストで、先生が褒めて
くれた。そのころから、英語大好き人間になっていった。このような体験をとおして、英語をしゃべることにも、
英語をしゃべる人々の世界にも憧れた。
高校に入学後、2年生の担任がまたまた英語担当であった。この担任は、当時アメリカへの留学制度(これが
当時唯一の留学の機会だった)フルブライトの話をいつもした。その試験に何回か挑戦し、結果がだめだったと
言いながら、
「また、挑戦する」と熱く語っていた。中・高と英語に燃える先生に出会い、自然に自分の進路が決
まっていったように思う。
大学に入学すると、そこに、フルブライトで留学した先生との出会いがあった。その先生の最初の授業で、
「言
葉と文化」或いは「外国語と文化」というようなテーマで、フルブライト留学での体験をたくさん聞いた。
大学のキャフェテリアでの経験。「Ice cream,please]と言うと、ウェイトレスが「What kind?」と聞く。その
質問が「ワ、カイン」と聞こえ、何回聞き直しても、全然分からない。そこで、紙に書いてもらって「ワット カ
インド」と聞いていることは分かったが、それは何を意味するかが分からず、また、戸惑ったそうだ。今でこそ、
何の種類?と聞かれたら、チョコレート、とか抹茶などとすぐ答えるが、当時の日本では、アイスクリームと言
えば、だいたいバニラをさしていた。種類なんて聞かなくてもよかったのである。言葉はまさにその国の文化(生
活)を表している。このような話を折々聞くにつけ、未知の国、米国への憧れがますます強くなっていった。
ところが、ずっとアメリカに抱き続けていた思いが、変わった瞬間があった。
その一つが、短期留学したときの黒人女性(今では、アフリカ系アメリカ人と呼ぶが、当時の言葉をあえてその
まま使う)との出会いである。彼女は、同室で暮らす友人の友達であった。医学部に在学し、毎夜のように友人の
部屋にやってきた。私も一緒に話したが、彼女の外見にどうしても囚われてしまう自分をいつも見出した。自分
でもどうしようもなかった。私は十分に偏見と差別意識をもっていたことに気づかされることになった。将来は
医者になるという夢の実現に向け、いつも厚い本を抱えて頑張っている彼女を尊敬した。と同時に、どこかで、
彼女を敬遠しているのを感じ、そんな自分に驚いた。そんな自分がいやだった。いやだったが、どうしようもな
かった。
時を同じくして、自分が差別される経験もした。当時、まだ、日本にはなかったスーパーマーケットでのこと。
原因はよくは分からない。多分スーパーでの買い物の仕方に慣れていない自分がモタモタしていたのだろう。レ
ジのおじさんが何か言っているが、それが聞き取れない。そんなやりとりをしているそのとき、私は「ジャップ」
と言われた。ジャップとは、日本人を差別する言葉である。30年以上たった今でも忘れられない一言である。
今、これを活字にしただけでも、当時の心の疼きが蘇るほどである。
憧れの米国に住んだことで、私は、
「人と人が理解し合う」ことの難しさを感じることになった。文化の異なる
相手を理解することはできるのだろうか。理解し合えたらどんなにかいいだろうと考えた。
その後、縁を得て、英国の家庭に何度かホームステーをする機会があった。ここでは、30歳にもなる私を「私
の娘」と言って可愛がってくれた。帰国すると、節目ごとに手紙をくれ、「今度はいつ来る?」と温かいメッセージ
が届いた。ここで「人は理解し合える」ことを実感した。
その後、長く小学校での教員生活を送ってきたが、これまでの経験が学校における国際理解教育の原点となっ
ている。それは、見方・考え方が異なっても、文化が異なっても人々は理解し合えるし共生できる、ということ
である。また、そうでなくてはならないということでもある。これは、異国ではなくても、日本人同士でも同じ
ことが言える。
香港に住む友人との話の中で気付かされたことがある。中国の内陸に行くと見られる「ニーハオトイレ」
。「あ
ればかりは、理解できないよ。人が見ている前で用を足すなんて」と言うと、彼女は「日本人はもっと恥ずかしい
ことをしているじゃない」と返された。
「??」と思い当たる節がない私に、彼女は「温泉よ。大衆を前に裸になる
でしょう」と。私たち日本人にとって、裸で入る温泉は当然のこと。それと同じように、ニーハオトイレも彼らに
とっては当たり前のこと。この話を聞いた後、私は、
「ニーハオトイレ」のことを頭から理解しようとしていなか
ったのだなと思い至った。理解しようという意志を持てば、必ず理解できるものなのだ。
今、英語からも憧れた欧米諸国からも遠ざかっている。でも、これまでの様々な経験があるから、新しく出会
った国でもスーと入っていけてるのかなと思っている。と同時に、若いころはスーと乗り越えることができた異
文化の壁を、乗り越えにくくなっているのを感じる。年齢も関係しているのかもしれない。でも、異文化の壁を
全て乗り越えるのが国際理解とは思わない。その人それぞれ、乗り越えられない異文化の壁はある。それはあっ
て然り。大事なことは、異文化を理解し合い、認め合い、尊重し合うことだ。その意志をもつことだ。
私の国際理解は今、ここまで到達した。これからどんな体験をして、自分の国際理解が深化していくのか楽し
みにしている。
むら
まじょ
★『ぞくぞく村の魔女のオバタン』 末吉暁子(小学部低学年以上)
ゆかい
なかま
まじょ
す
なん
ぞくぞく村には愉快な仲間がいっぱいいます。その中で,オバタンという魔女が住んでいました。この魔女は何でも
じょうず
の
れんしゅう
ひ
上手にできるのに,ほうきだけには乗れませんでした。もちろん練 習 はしています。でも,ある日,オバタンはほう
よ
たの
きに乗れました。どうやって乗れたかは読んでのお楽しみ! おもしろいので,ぜひみんなも読んでみてください。
(小学部学習委員)
まじょ
たっきゅうびん
★『魔女の宅 急 便 』 角野栄子
はなし
しゅじんこう
たび
(小学部中学年以上)
で
はなし
まち
あか
このお 話 は主人公のキキが旅に出るお 話 です。コリコの町へ旅に出たキキは,赤ちゃん
とき
いっしょ
く
す
や
の時から一緒に暮らしていたジジとコリコ町に住むグーチョキパン屋のおかみさん,おソノさ
たっきゅうびん
しごと
そら
と
もの
んと一緒に住んでいます。そのうち,キキは宅 急 便 の仕事をして,空を飛んでいろいろな物を
はこ
でんわばんごう
運んで仕事をしていきます。おソノさんのおかげで123-8181というすてきな電話番号
よろこ
ひ とつぜん
まじょ
となり 喜 んでいましたが,ある日突然,ケケというもう1人の魔女があらわれて…!?
(小学部学習委員)
てんこうせい
★『おかしなおかしな転校生』 高井信(小学部高学年以上)
ほん
ねんせい
さとみ
しょうかい
おも
か
この本は,ぼくが4年生のときに里見さんが紹 介 しました。おもしろそうだな,と思って借
よ
しゅやく
ゆう た ろ う
ひ
やきゅう ぶ
かえ
りて読んでみると,とてもおもしろかったです。主役は友太郎で,ある日,野球部の帰りに,
び しょうじょ
で あ
ちが
かのじょ
し
ある美 少 女 と出会ってすれ違うと,彼女はあいさつしてきました。その美少女は,友太郎が知
ふ し ぎ
まえ
らないのにあいさつしたのです。でも,不思議なことはそれだけではありません。彼女は3年前
ふ し ぎ
からこのマンションに住んでいたというのです。もっとたくさんの不思議があります。ぜひ読
んでみてください。 (小学部学習委員)
もり
★『森のすみか』 さくらいともか
はなし
(小学部中学年以上)
わ
め
ほし
つき
かりば
この 話 は5つに分かれています。一つ目は,星のおくりもの。二つ目は,月の狩場。三つ
もり
わ
目は,森のすみか。四つ目は,ポックルの輪。五つ目は,ヒヅメの森です。どれもとてもおも
よ
いちばん
ばめん
しろいので,すべて読んでみてください。そして,わたしが一番おすすめする場面は,36 ペ
かわ
ところ
お
たいへん
ージのクルルが川をとびこえる 所 です。もし,川に落ちてしまったら…とても大変なことに!
き
ひと
としょかん
い
か
どうぶつ
す き
ひと
気になる人は,ぜひ図書館に行って借りてください。動物が好きな人もあまり好きではない人
にもおすすめです。 (小学部学習委員)
★『ヘレン・ケラー』 加覧俊吉
びょうき
(小学部中学年以上)
さんじゅう く
み
き
はな
ヘレン・ケラーは病気のため,三 重 苦になってしまいました。見ることも聞くことも話す
あじ
て
かんかく
さい
とき
こともできないかわりに,味やにおい,手の感覚がするどくなります。ヘレンが5歳の時に,
かみ
け
き
かあ
た
もの
とちゅう
マーサの髪の毛を切ってしまいました。また,お母さんが食べ物をとっている途中に,カギを
ひ
せんせい
ゆび も じ
れいぎ
かけてしまいました。ある日,アン・マンスフィールド・サリバン先生がヘレンに指文字や礼儀,
も じ
おし
ねん
あいだ
いっしょ
つ
文字を教えてくれるようになり,それから 50年もの 間 ,一緒に付きそってくれます。しか
な
きせき
し,ヘレンが 56 歳の時にサリバン先生は亡くなってしまいました。三重苦をのりこえた奇跡の
かんどう
はなし
人とサリバン先生との感動するお 話 です。
(中学部学習広報委員)
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