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平成27年度アーユポワン(7月)
コロンボ日本人学校 学校便り アーユ・ボーワン 平成27年7月23日(木) No.4 校長 柴田恭孝 「手とり足とりで絆が深まった交流会」 今年の交流会では、「手とり足とり」の触れ合い場面をたくさん見ることができました。 それぞれのブースで、よく考えられた体験活動が行われていました。皆さんが自信を持ってアショカの人 たちと接していました。 「日本の伝統文化をしっかりと伝えたい。」「自分に与えられた役割を全うしたい。」「アショカの人 たちに楽しんでもらいたい。」・・・皆さんの気持ちが「手とり足とり」の行動となって現れたのでしょ う。皆さんの思いは、アショカの人たちに伝わりました。言葉はわからなくても、以心伝心で気持ちがわ かり合えました。すばらしい交流会をつくり上げた皆さん、また一つ大きく成長しましたね。 苦しくなったときに、読む本がありますか。その本を開くと、もやもやとしていたものが、ぱっと消え てなくなる。そんな本に、今年の夏休みに出会えるといいですね。私には、そんな本の一冊に「教師に元 気を贈る56の言葉(山田洋一著、黎明書房)」があります。以下、引用 -弱さは強さー 亡くなった私の父は、私が教師になった時に、こんなことを言いました。「落ちこぼれだったことを、 忘れるな。」続けて、私が保育園に通っていた時、年長クラスで一番最後に縄跳びができるようになった という話を、ニコニコしながら語って聞かせました。(中略)ところが、この「落ちこぼれだったことを 忘れるな」という言葉を、私はそれからたびたび思い出しました。というのは、教師という仕事では、 「できない子の気持ち」を理解することが、とても大切だからです。それも、「分からない子の気持ちが しん しん しん しん 分かる」などという程度の浅い感じではなく、です。それはもう、「心から」「芯から」「深から」「身 から」分かっていることが大事なのです。 「わからない・できない」ことの辛さ、居心地の悪さ、惨めさ…そういうものを、身をもって分かって いなければならない。そして、それを克服した時の喜びも。そういう意味で教師自身が「落ちこぼれ」で あるということは、実に値打ちがあることのように思われたのです。「わからない・できない」という、 ふつう人生において「弱さ」と評価されるようなことが、教師にとっては「強さ」にも転化するのだと思 う。【分数の割り算ができなかったとき、ノートを隠した私を忘れずにいようと思います。】