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行政行為の将来

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行政行為の将来
資料
行政行為の将来
−行為形式論は﹁インフォーマルな行政
活動﹂の興隆から学習できるかり・
白塗ルー一儀インツ・ラデーア
ドイツ行政法理論研究会訳
一 行政法総論の批判と改革をめぐる議論の現状
エ 行政法ドグマーティクをめぐる議論に、ここ数年間、変
動がおしよせてきている。ファーバーは、行政法総論の叙
れば、どちらかと言えば懐疑的ではあったにせよ、ともか
述を従来の行為形式論志向から解放するという試みにより、
ヨ [かつての]ヴァルター・シュミットの入門的教科書に比べ
る 理の諸問題により着目するシュミットの同書は、これもま
くもはるかに多くの反響を引き起こした。情報の入手・処
二 行政行為の硬直性と﹁インフォーマルな行政活動﹂の
た新志向であったが、今のところ再版されていないのであ
一 行政法総論の批判と改革をめぐる議論の現状
柔軟性−誤解を招く二者択一p
四 行政行為概念の計画的合理性による革新へ向けて
が予定されている。ここ数年大量に出版された新たなモノ
法改革叢書﹄を創設し、今日までに二巻が出版され、続刊
る。ホフマンーリームとシュミットーアスマンは、﹃行政
ら 五 行政行為の拘束効の柔軟化へ向けて
グラフィは、新たな﹁参照領域﹂︵勾庶臼①コNひq①ぼ①8︶︵環
三 不確実性という条件の下での法律への拘束一矛盾P
六 展望
境法、経済法、技術法︶を探査し、それが行政法総論に
とっての生産的な進展をもたらしうるものであるかどうか
吟味することによって、行政法総論の周知の諸概念を発展
させるものであった。
﹁インフォーマルな行政活動﹂は、何年もの間むしろ法
社会学と行政学の研究者達の間で関心を惹いてきた後に、
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資料
行政法学の視野の中に強く入り込んできたのだが、そこで
いる。その一方で、リスクの評価・監視過程に私人をより
αqo葱塁⊆ロoq︶﹂は、﹁実体法的正しさの条件﹂と認識されて
引き起こされたのは防衛反応のみではなかった。それどこ
強く組み入れることが﹁︵行政︶法の機能的等価物﹂とみ
ろか、﹁インフォーマルな行政活動﹂が近年受容され、新
なされるのであれば、ここでは行政と行政法との関係につ
ほ いての根本問題が提起されていることになるのではない
たな法類型︵﹁協力負極﹂︶の承認が請求されるに至るまで
の無防備さは、それと︵おそらく必然的にP︶結びついて
﹁協力﹂の正当性付与力の淵源が﹁諸人格﹂︵℃①学
お 場合、諸人格は権力に服する客体としてではなく、同等の
ωo昌Φロ︶とのコミュニケーションに求められている︵この
かP
いる逆説にまで考えを及ぼすならば、時に違和感すら引き
︵−o︶
起こすものである。かくて、シュルツェーーフィリッツの場
合は、﹁インフォーマル[11非形式的]な⋮決定形式﹂
︵!︶への言及すら見出されるのである。ここで次のよう
権利を有するパートナーとして捉えられることになる︶の
ゼ的に着目することからその活力を得ていたのであって、
統的固定的な行為形式論︵特に行政行為論︶にアンチテー
また不明確な点である。なるほどその際、両側面は完全に
即して︵ω90霞9︶調整すること﹂にあるのかというのも
か、それとも重点はむしろ﹁生活領域の⋮諸問題を事柄に
な疑問が生じる。﹁インフォーマルな活動﹂は、むしろ伝
それが今や伝統的理論の横に並び、さらには追い越して新
互いに独立したものではないが、 [﹁協力﹂と]伝統的な
ヘ ヘ へ
たな行為類型を捜し求めるに至っては、本末転倒なのでは
行為形式との関係の規定という問題を考慮するだけでも、
に行政行為の︵やや硬直的︶に理解された機能を想定して
行為形式、特に行政行為は、﹁官憲的下命﹂として引き立
[両側面の]比重測定の重要性は明らかであろう。伝統的
ヘ ヘ へ け ないかP[シュルツェ﹂フィリッツの]所論は、その背後
いるが、のみならず、・法律の機能も道具的制御︵ヲ
の市民志向的・民主的性格が明瞭になるのである。しかし、
て役を演じ、それとの対照において、かの新概念[協力]
め れているのである。それに対して、﹁手続における、そし
協力の問題は、行政行為及び古典的﹁道具的﹂制御的法律
ω耳ニヨ①耳Φ=①Qり$二優彗oq︶のみを専らとするものと想定さ
て手続による協力的な法獲得︵内08①鐙聴く①菊①o耳ω・
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述するところである。
とって必ずしも有益なわけではない。この点に関しては後
ら。批判と危機とのこのような同時発生は、概念形成に
形式論の体系構築力への懐疑は十分に広まっているのだか
れたことは不思議な事ではない。つけ加えて言えば、行為
活動の体系︵Qり賓ω8∋︶を変化させる挺子としても認識さ
ら激動に鑑みれば、﹁インフォーマルな行政活動﹂が行政
諸規範が問題となっているような場合がそうである。これ
の実現確保を法的に全くあるいは不十分にしか規定しない
分的にしか定めない計画法のように、目的のみを定め、そ
すます出現するようになっている。例えば決定の要件を部
の﹁影﹂として現れるだけではなく、制定法の内部にもま
行為形式論の革新であれ、既存の行為類型の機能的等価物
は注目すべき部分ドグマーティクが展開されているものの、
の変動が生じているということである。しかし、個別的に
は、行政法総論の内部において、またそれを超えて、一つ
再び取り上げるところである。ここでさしあたり示したの
不明確なる概念の一つ﹂とすら表現した!この問題も後に
についても、一部では激しい言葉によって、疑念が表明さ
れているところである。ハンス・マイヤーはそれを、﹁最も
為形式論の革新にとっての﹁法関係﹂という構成の有用性
行政契約は、行政の独自の法形式として、それに求められ
の てもしかるべき役割を果たすには遠く及んでいない。︶行
柔軟化の必要性が繰り返し懇請されていることからすれば、
せられていないのだが。また、行政と私人との[関係の]
あるが、これを行政行為論と結び付けるとすればやや説明
慮されているもう一つの中心的概念は、﹁法関係﹂概念で
作りうるとすればどこまでかということはまだわからない
くような大枠をその変動が一体作り出しうるものであるか、
の形成であれ、行政手続法総論の形成であれ、それらを導
り 行為形式論の動態化︵ζoσ臼ωδ歪昌σq︶のために近年考
ね が必要であろう。行政契約法であれば、民事法理論との連
のである。最後の[行政手続法総論という]法素材である
︵20︶
接可能性へと立ち戻る事が比較的容易なのであるが。
が、・これは近年、インフォーマルな協力と行政の局所的
︵悪鳥εΦ=︶決定機能との中間というその位置づけにより、
︵もっともここでは行政契約は考慮の外に置くこととしよ
料 う。それに関する法律規定の不十分さは、理論上の類型構
資 築︵﹁o﹁ヨげま§αq9︶によってもこれまで全く埋め合わ 新たに注目されている。しかし、現行法では、行政手続法
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資料
化が達成されないかという問題を設定する事ができるだろ
力点を移動すれば、行為形式論にとっても有益である柔軟
はあるが、情報の産出及びその処理の重要性へと︵その︶
にしても極めて結果志向的に形成されてしまっている。で
とを、一歩距離をおいた観察を可能とするような参照枠組
せつつ、従来の[行為]諸形式とそれと結び付いた諸知見
が期待される。それは一方では革新と柔軟性に焦点を合わ
役割が配分される。つまり行政法総論には、自己省察能力
ーアスマンによってまさに近年の議論を考慮しつつ正当に
づける事もでぎよう。しかしそれは何よりも、シュミット
個別的には全くもっともらしく提示したこととまずは関連
ホのような著者が法関係論と行為形式論との結合可能性を
思われるこの問題設定であるが、例えば、最近ではショッ
ようという試みである。一見[最近の流れに]逆向的とも
の程度まで利用可能なものであるかという観点から探査し
政行為概念の開放と柔軟化のためにそもそも、あるいはど
以下は、ここまで略述した諸発展を、それが︵特に︶行
に限界線を設定することである。その限界線を遵守する事
定の裏面は、複雑な政治的経済的社会的等々の機能の理解
有の機能﹂となる一という観点である。このような自己限
としての法1そのようなシステムの安定化こそが法の﹁固
りつつ相互に結合された連接強制・連接可能性のシステム﹂
能とするのである。ここで特に重要なのは、﹁可動的であ
んとする新たな﹁候補者﹂へ転用する可能性を探る事を可
造化の能力を、競合的あるいは補足的ドグマーティクたら
超えて、・既存のドグマーティクが持っていた安定化及び構
ある。このような参照枠組は、個別分析と費用便益衡量を
︵幻Φ︷①﹃Φ昌N﹃僧7﹃口⑦﹃P︶として利用するような能力のことで
も再び取り上げられた、﹁行政法総論の機能﹂の規定とい
によってのみ法︵特に行政法︶は、効果的たりうる
う。
う問題設定と関連しているのである。彼の所論によれば、
︵σqΦ≦ぎ昌Φ昌︶のである。問題設定をこのように明確化
.︵ωOΦN都県Φ西区σq︶する事は、本稿のテーマの枠内で言え
お さまざまな個別ドグマーティクの多様性に鑑み、また、包
括的な法制度すらが断片化しつつある傾向に抗して、行政
法総論には、個別のさまざまな理論的構成とその方向付け
させることをより正確に狙う可能性と結びついている。さ
ば、新たな状況と行政法に向けられるべき諸要請とを両立
ハれ 機能とを調整し整合することに寄与すべき﹁摂取媒体﹂の
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資料
もなくば、新たな諸発展の複雑性が、多かれ少なかれ、構
造化されぬまま行政法においても複製︵曽びげ一一αΦ昌︶されて
行政行為の硬直性と﹁インフォーマルな
ルな行政活動によって行政行為論との緊張関係が生じてい
察され記述される。ついで吟味されるのは、インフォーマ
から、インフォーマルな行政活動の事実的法的特殊性が観
以下ではまず、行政法総論の伝統的な行為形式論の立場
行為によって明らかにする﹂こととの関連において捉えら
効果﹂の産出、実体的法状態を﹁︵多くは︶終局的な決定
動﹂に求めようとする論文において、行政行為は﹁外部的
あるいはそれに替る選択肢を﹁インフォーマルな行政活
近年、行政行為に関して批判的に取り組もうとする論文、
行政活動﹂の柔軟性−誤解を招く二者択一P
るのか、生じているとすればどの程度かという問題、そし
れている。行政行為には、何よりも、国家と社会の関係の
しまう危険が生じるのである。
て逆に、行政行為論の側でも、新たな紛争ラインにおいて、
歴史的発展により自由主義的法治国秩序の下で必要となつ
れ ハ インフォーマルな活動の実態から学習し、革新を果たしよ
た﹁境界線設定⋮機能﹂を実践的に明確化︵ωO①N三﹄?
ぶ 歪ロひq︶することが帰せられているのである。この理論的
り大きい柔軟性を用意するための新たな明確化︵ω℃ΦN尉
ゆ風Φ≡昌σq①コ︶を獲得する事はできないかという問題であ
定式は、オットー・マイヤーの有名な定義に遡ることがで
もに、同時にその構造化ポテンシャルを変容させて、新た
の中間形態とは、行政行為概念の機能に結び付きうるとと
関連させて言えば、﹁中間形態﹂の探求に向けられる。そ
本質的な変化が生じた、とされるだけのことである。行政
領域と内部領域との関係が常に変位してきた限りにおいて、
の概念規定と結びついている。この観点からすれば、外部
きる。知られているように、行政手続法三五条の規定もこ
ね る。その際の関心は、再びシュミットーーアスマンの議論と
な問題にも連接可能性を有するようなものなのである。
わ 行為の構成に対するマルテンスの批判は、どちらかといえ
ば伝統的用語法︵﹁高権的﹂︶の継続[への批判]に執着し
ていたと思われるが︵確立された権利保護システムに鑑み
66 (3 ・291) 1135
二
資料
議論は、行政行為をその正当化や産出手続ではなく、その
れば、私見によればあまり重要な批判ではない︶、最近の
れば、全くもって未来へ向かって開かれた発展可能なもの
クによって細分化される。それは㍉この数十年の発展を観
﹁効果﹂にのみ一方的に着目して位置づけることを標的に
えとなっているのは経験知という認知的基盤であるが、例
であることが示されていると言えよう。このシステムの支
している。行政︵行為︶手続法にしても、決定行為ばかり
日では、正当化と法具体化手続への関心は、むしろ﹁イン
し、正当化へと志向を転換すべきことを主唱していた。今
ら、行政行為概念をその効果にのみ定位させることを批判
を志向しているとして批判される。ブロームは既に以前か
の援助を得つつ︶発展しうるものであり、その継続性が根
利用する﹁平均的経験則﹂は、事例ごとに︵時には専門家
例によって輪郭づけられている。警察あるいは行政一般が
とってのその意義は、特にプロイセン上級行政裁判所の判
えば危険の帰責︵N霞Φoぎ巷αq<800貯ぼ①昌︶の問題に
お フォーマルな行政活動﹂の方に向けられ、行政行為は自由
本的疑いにさらされることはないのである。職権調査主義
主義的分離思考の遺物であって、形作られつつある国家と
も最終的にはそれ︵[平均的経験則]︶に基づいている。行
れ 社会の融合状態にはもはやなじまないとみなされるのであ
実際のところ、プロセスによって決定の認知的・規範的
在庫として行政にとってアクセス可能なのである。この基
の中に貯えられている蓋然性の想定傷評価は公共的知識の
政は私人からの情報を詳細に必要とするが、経験およびそ
基礎を形成・生成するという契機は、行政行為の概念規定
礎の上で、行政行為もまた﹁最終的決定行為﹂として立ち
る。
ではあまり現れてきていない。行政行為概念は、何よりも
現れることができる。ここでは個別︵α鋤ωbdΦωo口α①﹃①︶を
的問題であれば法律にあてはめることだけが問題になって
﹁参照領域﹂としての警察法及びその暑いくつかの行政法
が、.それら諸領域では、行政は公的なものと私的なものを
いるからだ。、これはただし、裁量を自由に1言い換えれば
一般︵α飴ω≧侭①ヨ①貯⑦︶、即ち事実問題であれば経験、法
法によって境界設定するという安定的モデルを前提にする
状況的︵ωヰ8拙く︶に、限定的にしか伝達可能ではなく実
の伝統的諸領域において発展し明確化されてきたのである
ことができた。その参照枠組は主観的権利のドグマーティ
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もはるかにモデル化︵ヨOαΦ=一Φ﹁Φ昌︶、つまり未来への投企
条件︵じdΦ臼コひq琶ひq︶の下において、決定の基盤を以前より
いるが、それだけではなく、複雑性と不確実性という前提
せねばならず、また経験に依拠しうることが少なくなって
れることはなかった。近時、行政はより多くの知識を考慮
あるが、知識基盤の変化とより厳密に理論的に関連づけら
たと言える。この変化はしばしば記述されているところで
政行為概念の個別﹁参照領域﹂において重要な変化が生じ
認められていない限りであるが。この観点からすれば、行
においてはますます、[行政行為の]局所的決定としての
格自体が問い直されることになるからである。特に環境法
が、それだけではない。それによって行政行為の完結的性
全くの膨大さに鑑みれば引き受けざるをえないからである
に関する選別機能を引き受けるから、そして細目的事実の
獲得する。それ︵[手続的契⋮機]︶が考慮されるべき諸事象
ここでは、手続的契⋮機が決定の結果に対して固有の意義を
法における事後的命令の比例性の[有無の]決定である。
な施設や新たな技術︵遺伝子技術︶のリスク評価や、環境
困難になるのは、若干のみ例示するとすれば、高度に複雑
においても解明されたとはとうてい言えない。それだけに
ぶね
と予測的構成の契機を統合しなければならないのである。
性質を体系上︵望ω8旨鋤け一ωoび︶相対化する、かの事後的命
務の中に暗黙化されている知識に従って1行使することが
このような諸条件は、部分的には、計算困難な相互依存に
も
令を発する可能性を認める法律が制定されているのである。
これも環境法・技術法においてよく見られるものであるが、
よって特徴づけられている。その相互依存は、その戦略的
行動ポテンシャル故に、私人の参加を強いるのである。こ
ぶ のことは特に計画法、環境法、技術法の領域で妥当する。
事前許可と部分決定による決定対象の多段米化︵﹀σ−
ω〇三6耳門昌σq︶を通じてもたらされている。これらはまさに、
行政決定の更なる時系列化︵↓⑦ヨOo鑓=ω属§ひq︶は、
このために法律及び行政実務は、経験によってもはや確
定され得ない限界を通常状態︵り40﹁bP四一一叶世辞︶の﹁限界価
﹁インフォーマルな行政活動﹂が特に普及している行政分
ロセス化することや事後的命令の維持可能性︵貫徹可能
野でもある。統一的許認可を一連の部分決定に分解してプ
れ 値﹂で置き換えることに関る全く新たな諸形式を発展させ
料 ているが、その理論的位置づけは事実的側面︵﹁先取りさ
資 れた専門家鑑定﹂︶においても法的側面︵﹁基準設定余地﹂︶
66 (3 .293) 1137
状況の特定は必ずしも容易ではない。
性!︶は、強度の協力を前提とするのだが、そこでの利害
る。後者では、多段同化が許認可付与の迅速化に役立って
とを示している。前者の例では行政行為に協定が取って替
いる。もちろんこれでは﹁インフォーマルな行政活動﹂の
ハ この不確実性はまた、﹁インフォーマルな行政活動﹂の
全ての状況を挙げるにはほど遠い。しかし、部分決定︵及
び事前許可︶という比較的新しい制度は、行政行為が現行
実定法上も柔軟化ポテンシャルを提供するものであり、な
かんずく部分知識による処理を可能にするものであること
と構造化を促進すべき企業にとって重要な利害である。こ
・より迅速化される場合もあるが、この迅速化は情報の創出
における決定が、企業との協定と協力のもとの多段階化に
知り得ないということもある。また、複合的な許認可手続
すか、投資が制約されることになるため、行政は確実には
そのことがその後の決定可能性にどのような帰結をもたら
事後的命令が法的に果たして貫徹可能かどうか、そして、
基づいた協定︵﹀げω只β。09︶をも可能にすることにある。
フォーマルな活動の優位性は、何よりも、不確実な知識に
の更なる発展との連接可能性を開きうるのである。イン
そして一再帰的︵お自Φ×開く︶に1行為形式ドグマーティク
せよ一回的終局的決定のみに固定されうるものではないこ
とになろう。部分許可という制度は、行政行為がいずれに
滞りなく対処し続けられるようにすることが考慮されるこ
によって正当にも充足されている柔軟化の必要にぜひとも
能を可能ならば再定式化し、﹁インフォーマルな行政活動﹂
上記二つの状況に関する考察からすれば、行政行為の機
力義務によって支えられている。
ため異議を早期に申し立てねばならないという第三者の協
も基づいている。この拘束的効果は、排除効の危険がある
する部分決定に対して拘束的効果を産み出すところの一に
だけでなく、申請施設に関する仮の積極的全体判断一後続
れぞれの部分に関する知識基盤による評価に基づいている
を示しているとは言える。部分決定は、プロジェクトのそ
ゆ れらの例は、決定の状況が極めて多様なものでありうるこ
け§ぴq象︶と限界への新たな視角を開きうるものであり、
﹁インフォーマルな行政活動﹂のさまざまな能力︵い蝕。。・
徴づけられた行政行為パラダイムへの関連づけこそが、
︵法律︶と事実性︵知識基盤︶との一定の関係によって特
興隆にとっての前提条件の一部でもある。上述の、通常性
資料
66 (3 。294) 1138
フォーマルな行政活動﹂は固有の実現可能性︵H箏
なる。これは企業には不都合である。その限りで、﹁イン
その事業者との︶にとっての信頼の基礎を揺るがすことに
事者関係が入れかわり、事業者が能動的な側である場合、
問題を発生させ、後の許認可手続における協力的決定︵当
ルな協定が守られなかった場合、行政にとっても正当化の
ざるを得ないことに基づいているのである。インフォーマ
僅少なものであり、基本的に、お互いの将来の協力に頼ら
ばなるまい。それに対応して、拘束的効果は概念必然的に
﹁協定﹂の対象の不明確さが、柔軟化の裏面とみなされね
みることにする。第一に、しばしば書面化すらされない
フォ.ーマルな活動の弱点と、行政行為の能力とを比較して
度とりあげることにしよう。まずは逆の観点から、イン
とを示している。このような発想については、後でもう一
とが困難であり、そのため長所と短所の評価がほとんどで
ンフォーマルな活動の実体を総体として観察し記述するこ
問題を発生させるにちがいない。関係者が確定されず、イ
しないにしても、決定のインフォーマル性はやはり正当性
原理が行政実務にとって有している構造化機能を過大評価
それと関連しているのが、インフォーマルな活動の統制
ホ 可能性に関するもう一つの問題である。階層性原理及び同
は異なる。︶
構造化において必要となるものであるが一の場合はこれと
担保的なインフォーマルな協力1それは例えば部分決定の
的に引き起こすに違いない重要な疑念となる。︵行政行為
とは、行政行為代替的なインフォーマルな取り決めが必然
との連接可能性を探求しようとするのであれば、上記のこ
面を結合する必要性を強調し、そのため行政行為の柔軟化
きないからである。またそれは、行政側の人員が信頼形成
あ と予期の拘束のためにその個人的威信︵零①ω鉱αq①︶のみを
亘Φヨ①葺鋤低。昌ω∋ぴσq浮7開①ぽ昌︶を有している。しかしイ
ンフォーマルな取り決めの開かれた性格と強制的に実現不
もっぱら用いることと結び付いて生じうるところの癒着
伝統的モデルに反するのみならず、第三者が実質的に広範
もってアンビバレントな現象である。非人格的決定という
︵<臼。。ヨ。ざ昌ひq︶効果の点からも問題である。これは全く
可能なことがとりわけ問題なのは、ケースバイケースの運
用︵OO①ユ霞Φ昌︶が、かつては経験の継続性と個別的決定
料 によるその拡張で保証されていた学習︵いΦ讐Φロ︶を困難
資 にするからである。まさに、決定の認知的側面と規範的側
66 (3 ●295) 1139
資料
とになる。協力それ自体が正当性を生み出しうるというの
マル性は、行政に当事者の範囲を決定する自由も与えるこ
に排除されてしまうことが問題である。活動のインフォー
の点で、﹁インフォーマルな行政活動﹂は、まさにその非
こと、もまた無視されてはならないということである。こ
基盤を拡大し、新たな決定状況への連接可能性を準備する
しか提供しない。もっともこのことは、いずれにせよ学習
形式的な性質︵雲霞巨。ω凶σq評Φεのため、限定的な可能性
より詳細に具体化されない限りにおいて疑わしい。行政の
が阻害されているような状況にも共通する特徴ではあるの
は、協力手続が透明でなく、﹁協力的法﹂の法的諸要素が
学習可能性に特に向けられた本稿の視点からすれば、以下
︵∼﹁鋤﹃凶βo仲一〇コ①昌︶への連接可能性を提供しているのではな
だが。しかしながら、ともかくもこれは一つの問題ではあ
単にインフォーマルな、各事例毎に差異化された調整と協
いか という問いが後で再帰的︵﹃①h一①×圃く︶に投げかけら
のことが重要である。﹁インフォーマルな行政活動﹂は、
力という実践では、控えめに言っても、同じ程度にまでは
れるのだが、上の問題についてはその時に詳しく触れるこ
る!行政行為概念は、複雑性という条件の下で、イン
期待できないかもしれないということである。また、この
とになるだろう。行政行為改革へのこのような考察に立ち
確かにきわめて柔軟で状況適合的でありうるが、個別事例
ことから示されているのは、行政行為による決定と﹁イン
入ることができるようになるためには、まずもって中間段
フォーマルな活動の長所・短所との比較という刺激を受け
フォーマルな行政活動﹂とを比較するという本稿で選択さ
階として、不確実性という条件の下で行政行為の法的拘束
指向が行き過ぎてしまうおそれがあり、行政行為という行
れた方法、そして行為形式論の発展を熟考することが有意
性の意義がどのように変化するかが問題とされるべきであ
て、上記の移転機能が新たな形でもたらすところの、変異
義だということである。つまり、次のことが明確になる。
ろう。
為類型の選択と結びついている決定に必要な情報の貯蔵が、
それは、行政行為は決して確定的・法具体化的機能のみを
有しているのではなく、認知に関する移転機能︵↓鑓昌甲
︷巴①一ωε轟︶、即ち個別紛争事例の決定から得られた知識
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法律への拘束−矛盾?
不確実性という条件の下での
ことによるものである。それに伴い、一方では法の不確定
知識基盤自体が少なくとも部分的には重要な変化をとげた
性がより大きくなり、他方では法の具体化︵菊①o洋ωズ。亭
にそこにあるとされる意味に賦活する︵鋤評叶一く一①﹃Φコ︶こと、
すΦ怠ω冨毎ロσq︶が︵法の解釈︵カ①o簿ωぎ審壱﹁Φ8鉱。コ︶1一既
であった︵行政内部的にも、階層制と裁判的統制の保障に
とは異なり︶、法概念が参照するところのその時々の実務
行政行為の法的拘束性の構成と統制にとって従来特徴的
ついても等しく言えるのだが︶演繹的思考というものは、
ことは、旦ハ体的状況を︵再︶構成することによって初めて
領域の文脈により一層依存することになるのである。この
が る。それ[演繹的思考]が前提としているのは、複数の命
法を適用することができるということを意味する。その際、
決定の知識基盤としての経験の構造と密接な対応関係にあ
題からなる規則基盤︵肉Φひq色σ器邑が既にその中に結論を
また新たな命題の導出によって変化をうけないということ
意味である。もちろんこのことは、法がその適用によって、
て導かれるような諸命題を[既に全て]含んでいるという
ら、当該体系の内部で承認された方法的規則の助けを借り
務を考慮するならば、それは行政裁判例への一層の依存を
伴うことになる。判断余地を限定的にのみ承認している実
のような事態は、規範的不確実性の新たな契機を必然的に
結を目指さなければならない。しかし行政にとっては、こ
導出﹂ではなく︶むしろ試験済の事案解決例との水平的連
︵法的︶決定者︵特に裁判所︶は、︵階層的な﹁規則からの
を意味するものではない。しかし、このような変化は、経
意味し、かかる状況は同時に、インフォーマルな活動への
全て秘めているということである。つまり、実体的規則か
験の継続的拡大と同様に、規則の安定性を揺るがすもので
逃避を助長する。なぜなら例えば技術的施設の許認可のよ
ゲ はない非本質的変異︵<鋤﹁凶駅戸一〇昌︶として扱われてきたの
うな複合的行政決定においては、金銭投資と多くの時間・
仮に法的統制の一層の拡張に原則的には問題がないとし
人員の投入とが賭せられているからである。
である。法の具体化の今日的変種︵<p。ユ鋤暮︶にとって、
料 かかる演繹的思考がもはや方向を示すものではないことは
資 確かである。これは何よりも、法と密接な相互関係にある
66 (3 ●297) 1141
三
資料
とっての在来型知識基盤を想定することが困難になればな
ないか、という問題が重要になる。まず次のことが問題と
ても、次のことは期待してもよいであちう。すなわち行政
判断対象たる事項的領域に内在するものとして受け入れる
なる。複雑な決定手続によって生み出される情報量が、操
るほど、︵狭義の計画の領域にとどまらず、︶[一般に]複
ことである。なぜならそれ[事項的領域]は、もはや経験
作可能性の限界一この限界はしばしば踏み越えられるもの
裁判所が法を不確実性という条件の下に組み入れる契機を
という基盤の上で無造作に評価されうるものではないから
であるが一を超えた場合、実際なお決定の質の向上につな
雑な決定手続において、情報産出の一定の選別性を法的コ
である。それは、裁判所が決定の﹁事理への指向により規
がるのだろうか。もはや経験の継続性という一体性創出的
受け入れ、それによりまた、暫定的措置の実務的合理性を
定された通常性﹂において、例えば﹁計画の素材に由来す
パラダイムによって構造化されていない知識基盤が複雑か
ンテクストによって正当化されたものとみなすこともでき
る諸要素を⋮認識し﹂あるいは承認しなければならないと
つ多様であることに鑑みれば、﹁職権調査﹂11利用可能な
より実験的活動に対応したものとして発展させる必要性も
いうことを意味する。狭義の計画においては、﹁事柄の性
規整︵幻Φ舳四①一二昌ひq︶は、他の手続︵連邦イミッシオン防護
を真剣に検討することなど不可能なのである。このような
形で限定されることになる。考えられる全ての競合的利害
画構想が部分的にそれ自体選別目的に用いられうるような
されたかどうかに関する審査は実際上一定程度、行政の計
僧上[計画衡量に]投入されねばならない諸利害が投入﹂
べきであろう。その場合、行政には、この観点からの様々
透明性によって合理性を高めることもできないか、熟考す
うになる。ここでは、むしろ確定行為︵閃①巴Φσq彗ひq︶の
体系的に産出されねばならず、そのため決定に依存するよ
ルによって予め構造化されていないのだから、方法的かつ
訣別すべき時なのかもしれない。知識は、もはや経験モデ
情報を可能な限り完全に﹁収集﹂すること、という観念に
ゆ ユ 法︶にも見られる異議排除という手続法上の仕組みや、建
な手続法的拘束を課された上で、優先順位を設定するにあ
たってのより大きな自由が与えられることになるかもしれ
築詳細計画の無効事由となりうる墨壷の限定︵建築法典二
一四条以下︶などによって補完される。しかし、決定に
66 (3 ・298) 1142
な臨㌍まさにこのことを可能にするのが﹁インフォーマル
が、優先順位設定の上に立った実用的な調査方法書
とである。他方、内在的・法理論的視点からは次のことが
に構成しそれを設計する必要性にもはや適わないというこ
政の法的拘束に関する伝統的な構想は、知識基盤を選別的
が浸食過程に既にさらされてしまった以上、職権調査と行
以上の中間考察から明らかになることは、経験の統一性
となるのである。
され評価される。その他の点については全て開かれたまま
一致を事実上拘束するのに必要な限りにおいてのみ、確定
も実際上、協力の上で限定的にのみ、つまり相互の予期の
査義務が限定されている。遺伝子技術法のリスク評価につ
規則が設定された上で︶委ねられ、行政の調査可能性・調
学物質法による化学物質の審査では、決定が私人に︵手続
行政との責任分担という形態︵<凶﹁冨耳︶で、試みていた
ヨ
ところである。例えば薬事法のリスク評価であるとか、化
はないにせよともかくもいくつかの法律において、私人と
性を縮減するための手がかりならば、立法者が、体系的で
不確実性という条件の下での行政決定の知識基盤の複雑
しいことであろう。
全性という擬制にそれが縛りつけられないとすれば、望ま
︵d口け①﹁ω二〇げ二﹃戸ひqωα①ω一遇四昌︶が発展し、事実状況の調査の完
示される。不確実性という条件の下での法適用についての
いても、今日では部分的には類似のことが妥当する。複雑
な行政活動﹂である。[この場合]事実状況は、少なくと
理解を広げれば、法規範とそれが引照する事項的領域の実
な事実状況の行政による評価を、例えば方法、仕様
あ お 地規則︵勺$×凶ωおひq①一昌︶との﹁間一規範的﹂連結の必然性
則によって、限定的にのみ規律するということは一般的に
︵UΦω一ひqロ︶を確定することによって、あるいは他の手続規
めうるであろうということである。それについての手がか
もありえないであろうかPリスク評価について私人が責任
に鑑みて、事実状況の評価におけるより一層の柔軟性を認
りを現行法上明文で与えているのは、環境適合性評価法に
を負う領域にのみこれを限定しておくことは、到底適切と
減するための手がかりならば、環境法の事前配慮について、
は思われない。いずれにせよ、事実状況調査の複雑性を縮
おけるスコーピング手続である。調査対象の確定は同手続
料 の助けによってなされうるし、それが望ましいとされてい
資 るのである。同規定の実際的意義を予想することは難しい
む 66 (3 ・299) 1143
資料
束されることにより、重点設定の可能性ともまた結びつく
連邦行政裁判所の判例が与えている。判例は﹁構想﹂に拘
よりもよいのではなかろうか。このテーゼの背後には、不
タの墓場を建設するための金銭的・人的資源を必要とする
事例毎に不確定な基準によって決定し、それと同時にデー
お ことになったのである。
確実性という条件の下での決定は、狭義の計画法の領域を
超えて、さまざまな段階で計画的性質を帯びるという想定
中間総括として次のことが確認できる。一方では認知的
決定基盤の変化、他方ではインフォーマルな活動に手をつ
がある。次節ではこの考え方を略述し、ついで、中間的帰
カ 結が、行政行為概念に柔軟性を組み込むための構想へと再
けること︵閑⇔O評ひq﹁凶︷h︶によって明るみに出された伝統的
行為形式の硬直性に鑑みれば、行政行為による決定の法的
構成されることになる。
革新へ向けて
行政行為概念の計画的合理性による
拘束性は、事実状況の調査において優先順位を設定する余
地を与えることによって柔軟化されるべきであろうという
こどである。かつて技術固有の法則性を行政の﹁行動的専
門知識﹂︵げ国口血①一①昌α① ω鋤Oゴ<①﹁ωけ鋤昌α︶の正当化のために
本稿のテーマによって設定された枠からすれば、計画の
お 考慮する発想があったが、これはその再定式化でもある。
かつてのこの議論自体はさほど説得力があるものではない
概念︵より正確に言えば、計画の諸概念!︶に詳細に立ち
に対しては、法理論的視角からしても、複雑性に適つた知
いとき、事実状況の調査は理論的には無制限となる。それ
のとなりえず、さまざまなモデルが作りだされねばならな
いう正当な関心があった。経験がもはや方向性を定めるも
法律が予め与えた基準にしたがって予め構造化されている
ある。水平的拘束効とは、、ごく一般的に決定裁量について
て複数の決定を共時的あるいは時系列的に連結することに
クマールは、水平的拘束効を産出するプログラムを利用し
とどめることとする。計画的合理性のもっとも重要なメル
入ることは許されない。本節は以下のテーゼを展開するに
の 識基盤の構成と発展の手続的合理性によって対応する方が、
しての﹁職権調査﹂の複雑性を事理の必然性上縮減すると
が、その背後には、不確実性という条件の下で、決定に際
四
66 (3 ●300) 1144
独立性について、単に信頼保護や行政の独立性に依拠する
ここで再び、法律の根拠からの行政行為の効力の部分的
より複合的に理解するのに役立ちうるのである。
かれた決定状況に対処するために、行政行為の決定機能を
る。即ちそれは、多極的、動態的であり、時間について開
ドグマーティクにとってより興味深いのは第二の形態であ
者についての拘束を生み出すのである。しかし行政行為の
可に関する決定は、同時に、狭義の三面関係を超えた第三
要請についての判例に見いだすことができる。水法上の許
第一の形態の例は、例えば建設法並びに水法における配慮
並びに拘束強制を時間的に段階づけて作り出す場合もある。
束が共時的に連結して作り出す場合もあれば、拘束可能性
ら生じるものであり、そのようなネットワークを複数の拘
束のネットワークを作り出すところの﹁動態的な﹂決定か
強制を生み出すものである。拘束効は、相互依存的な諸相
のみならず、むしろこれら諸決定の連接可能性並びに連接
為概念︵内。コNΦ讐︶を得ることができる。そのような概念
新たな﹁参照領域﹂からの補給を受けた﹁再帰的﹂行政行
可能な拘束効を付け加えるとすれば、環境・技術法という
果﹂を広くとらえ、他の私人及び公行政の後続決定へ移転
れていなければならないのである。行政行為の﹁外部効
れは、環境法において、当初の決定と体系的に結びつけら
とは、事後的命令についてはなお一層強くあてはまる。そ
の拘束効をも発生させるべきだということである。このこ
当初の行政行為が後続する私人の︵また公行政の︶決定へ
定の前提が不完全であったり誤ったりしていたときでも、
決定である。この法制度において考慮されているのは、決
うな連結についての最も単純な例となるのは、撤回・取消
よって初めて可能になる協力の一形式なのである。このよ
接強制を生み出すことに求められる。これも行政行為に
活動可能性を開き、その活動が再び後続の行政決定への連
られるべきものである。その根拠は、決定が私人の新たな
ず、最初の決定によって創出された連接可能性と結びつけ
達成しようとしていた行為可能性の柔軟化が、部分的には、
のであり、そして、﹁インフォーマルな行政活動﹂もまた
のではなく、より精確に述べることができる。決定として
は不確実性と複雑性という条件の克服により適合しうるも
の行政行為は、法状態について明確性を創出するのみなら
料 ず、後続の決定へと拘束効を引き継ぐという点で動態的要
資 素を獲得する。その拘束効はもはや法律のみからは導かれ
66 (3 ・301) 1145
資料
ある。それにより行政行為は不確実性の克服を可能にし、
し公行政による決定へと引き継ぐことを可能にするもので
行政行為は、規範的には、決定の拘束効を他の私人ない
ある。
再び行政行為制度の機能︵い①凶ωε謬αq︶と連結されうるので
て決定には﹁発展に開かれたシステム﹂としての性質があ
る。法関係は、決定には、局所的確定ではまさに尽くされ
ないような効果があるということを示すものであり、そし
係のネットワークへと作用するものなのだということであ
のであり、既存の、また、決定によって更に発展される関
どのような形であれ常にコンテクスト依存的になされるも
る。
中間考察としでまず確認しなければならないのは、﹁イ
五 行政行為の拘束効の柔軟化へ向けて
﹁相互作用システム﹂とみなされていることは特徴的であ
的統一体﹂、﹁規範的に秩序付けられた行為の意味連関﹂、
︵65︶
ることを示すものである。民事法の債権関係もまた﹁複合
新たな知識の生成による認知的学習可能性を︵私人にとっ
ても行政にとっても︶.保証する。それは、後続決定にとっ
てもまた有益なものとすることができる。
この基礎の上で、法関係概念もまた、行為形式論、なか
んずく行政行為理論と連結されうるだろう。法関係はむし
ろ決定の事実的付随効果︵当事者間についてでもありうる
ね し、行政行為によって結びつけられた関係のネットワーク
る︶を示すものである。このような連結を作り出し、法関
ンフォーマルな行政活動﹂は少なくとも行為形式論の欠点
に組み入れられている限りで第三者に対してでもありう
係が、その基礎にある行為形式から独立した、予測不能な
とやや硬直的な法適用の概念にも帰せられうるということ
せることもないであろう。結局のところ、同概念は、民事
利益に刺激を受けて︵一﹁﹃一け一Φ﹃け︶、まずは伝統的行政行為観
ンフォーマルな行政活動に明らかに伴って生じる柔軟性の
である。﹁再帰的﹂・比較的な[本稿の]アプローチは、イ
法的効果が際限なくあふれる泉であるかのような印象を
[与えることを]回避するとすれば、同概念が人を困惑さ
法においても公法においても特徴的な判断の一つの現象形
念の要件をより精確にすることを可能にした。事実的な
おレ
態にすぎない。その判断とは、法の具体化というものは、
66 (3 ●302) 1146
してそれにより他の決定への拘束効の移転が柔軟化・時系
験の価値低下によって相当程度変化してしまったこと、そ
いう動態的効果がある。その際、知識基盤がなによりも経
の行為への拘束効を体系的に移転する︵9σ霞嘗鋤σq①コ︶と
である。この視点からすれば、行政決定には、来るべき他
連結の更なる発展を志向する新たな省察への準備となるの
軟化による事実的学習と法的決定効との体系的・再帰的な
長所への視点をより鋭くし、また、行政行為の拘束効の柔
の短所を明るみに出しただけでなく、逆に、その隠された
﹁インフォーマルな行政活動﹂との比較は、行政行為制度
のみ認められる。事後的命令についても類似している︶。
照準を向けている。︵撤回と取消は特別の要件が備わって
ること、その一方で、誤りのコストが限定的であることに
新たな可能性が第三者に対しても行政に対しても産出され
も、決定によって経験と連結されることと、新たな知識と
グマーティクの再定式化が生み出されたが、それは何より
︵決定に関する︶知識と規範的な決定効との連結から、ド
政行為はしばしば理論的考察の対象となっている。興味深
との方が個別施設の費用よりも重要である。近時、仮の行
とである。企業にとってはしばしば決定が速く下されるこ
保した上での仮の許可の可能性とその区別を結びつけるこ
負担︵その限界︵ζ弩σq①︶を確定せねばならない︶を留
多かれ少なかれ簡単に変更できる部分とを区別し、事後的
との調整の上で、例えば変更困難な全体構想と施設の中で
についての叙述と関連するが、複合的施設の場合、申請者
認知的観点からまず考えられるのは、スコーピング手続
も素描し具体化することとしよう。
ちうる意味について、以下で例を用いて、その輪郭だけで
のあることからする行政行為の長所である。そのことのも
水平的連結可能性を開く行政行為の可能性は、発展可能性
的﹂に法律から導き出される必要のない、新たな活動との
諸決定を結びつけ、また各決定を下す度に、新たに﹁垂直
行政行為ドグマーティクの照準となるべきではなかろうか。
習可能性が経験の欠如を埋め合わせうるようになることが、
行為が可能になるように体系的に調整され、それにより学
いずれにせよ幅広い決定・形成余地を有している分野であ
いことに、それが広まっているのは、他でもなく、行政が
列化されねばならないということが考慮されている。拘束
料 効が、部分許可、事後的命令などのような従来の連結形式
資 を超えて、柔軟且つ協力的に不確実性という条件の下での
66 (3 ・303) 1147
資料
検証されるべきであろう。リスク評価は、施設の構想の規
転用する可能性が、法律が実験の余地を開くことによって、
る補助金法においてである。それを環境・技術法の領域へ
う利益を提供するであろう。
の決定への移転可能性を通じたよりよいコントロールとい
述べたことを超えて、このような過程は、比較可能性と他
設の自己監督への力点の移動が可能になるであろう。以上
にわたる厳密さが失われることは、時間の利益と、そして
まずモデル化により体系的に産出されねばならない。詳細
い評価基準が細分化したこととに鑑みれば、比較の前提が
とと、しばしば申請者自身にしか全面的には利用可能でな
かったのであるが、今日では、施設の複雑性が増大したこ
は、かつては利用可能な経験知の基盤があるため問題がな
とっても比較による学習を可能とするであろう。この比較
ものになるが、まずもって企業にとって、そして行政に
激となる。最後に、数量化は、その常として単純化された
たリスク評価という手法の発展に協力することへの良い刺
は、企業にとって、将来に開かれた、数量化・規格化され
ごく現実的な手がかりが示されている9決定促進・単純化
ことで簡素化されるべぎである。それについては諸論稿で、
︵冒。σ旧び≡ω梓凶ωoげΦω<臼富耳⑦昌︶による評価を可能にする
合︶を、リスク上乗せの余地を開いて軽減するものである。
のリスク︵例えば確定された環境限界基準の不達成の場
決定へ移転可能な効果を約束するものであれば、失敗の際
を確定するが、仮に生産過程が総体として動態的な、他の
ある。枠組的行政行為は、試行の概要とその︵自己︶監督
るような生産過程の実験︵国﹃O﹃Oげ医学oq︶を促進することで
組的行政行為﹂によって、新たな、特に環境負担を軽減す
その際また考えられなければならないのは、暫定的な﹁枠
機能可能性︵一U①凶ωけニコαqωh節︼日一簡四評①圃叶︶を強化するものである。
の投入によって可能になる後続決定への拘束効の移転との
続化の必要性をより一層展開し、そのために行政行為とそ
場は、不確実性という条件の下における学習の構造化と手
それも考慮に値する発想ではあるが、本稿で述べてきた立
リスクに備えて強制保険を導入することを提案している。
最近ボーネは、一方では許認可決定を単純化し、他方で
格化された分解可能な諸要素を確定し、蓋然性判断手続
何よりもリスクに関する新たな知識が得られることで十分
アメリカ合衆国では、柔軟化のこの形態︵<巴き樽︶が
ハれ 以上に補いがっくかもしれない。同時にそれによって、施
66 (3 ●304) 1148
﹁技術革新免除﹂︵一昌コO<動植O昌≦鋤凶く①﹁︶という形式で限定
よって手続を簡素化することも考えられよう。学習の用意
織化したことを示した企業に対し、立証の軽減と推定に
的に試みられている。エコ監査を実施し、学習の用意を組
を考慮することを試みた。他方で組織は、限定的ではある
通じて明確化︵紹ΦN田N凶①耳︶され確定されはしないこと
である︶、その行動の方向付けはもはや第一次的に経験を
決定手続において、行政行為の相手方はほとんど常に組織
した構想では、決定の両方の側には組織が存在し︵複雑な
があることは、︵いずれにせよほとんど不可能な︶複合的
が、同時に可変的な学習可能性を有し、個人よりもはるか
れ 施設の許認可申請の包括的な審査よりも全くもって高く評
に高い程度において知識を創出し一連の決定における複雑
軟性によって不確実性の克服を可能にするところのモデル
可能性が欠如していることを、組織は、豊富な選択肢と柔
的に利用可能な経験とそれに含まれた新たな行動との連接
な問題を分解し、計画的に構造化することができる。一般
価されるべきなのである。
六 展望
これ以上の詳細については、ここでは断念せざるを得な
もって語りうるのではないか。それは、何よりも﹁イン
ここまでの成果から、いずれにせよ次のことは蓋然性を
政行為制度の適応可能性こそが問われるべきであるからだ。
の戦略的可能性に着目するようにすれば、行政行為は全く
関係のネットワークとそれに含まれた一連の決定の形成へ
書に着目するのではなく多角的、なかんずく間一組織的な
に対する行政行為の制御機能を明確化し、それを個人の行
形成によって埋め合わせることができる。複雑な決定問題
れ フォーマルな行政活動﹂の興隆に鑑みれば、行為形式論に
新たな意義を獲得することができる。行動のネットワーク
い。何よりも、ここでの問題は行政法の改革ではなく、行
新たな柔軟性をもたらすような﹁中間形態﹂を探し求める
の中における様々な拘束を構造化し移転する[行政行為
りに状況依存的にふるまい知識の貯蔵に本来的にあまり適
の]可能性は、まさに不確実性という条件の下では、あま
ことが有益であるということである。これまでのドグマー
料 テイクも、それに対する批判も、行政行為の﹁制御効果﹂
資 をあまりに局所的な行態確定に限定してきた。ここで略述
66 (3 ・305) 1149
資料
においても外部においても学習をよりょく可能にするとい
さない﹁インフォーマルな行政活動﹂と比べ、行政の内部
されたのである。
化および意図されざる副次効果の産出といヶ危険がもたら
行政法総論の断片化の危険に鑑みて有意義であるというこ
本稿による素描で少なくとも蓋然的にあきらかにしょう
独立専門家委員会﹂︵いわゆるシュリヒター委員会︶の法
とである。この法的素材は汲み尽くせない省察の可能性を
う機能︵一U①凶ωゴ﹂Pぴq︶を果たすのである。
政策的提言において柔軟化への手がかりが表明されている。
含むものであり、それはポスト産業社会における法の内部
としたことは、行政の行為形式についての省察は、まさに
そこではまさに、インフォーマルな柔軟化を再び正式の行
の進化過程の自己観察にとって高い価値をもつものだとい
ごく最近、﹁計画・許認可手続の簡素化と迅速化のための
政手続へと導き入れることが問題になっている。特に導入
うことがここで示されている。行政行為の概念は、まさに
れね
されるべきとされる迅速化の様々な形態についていくつか
向していることは問題だと思われる。そのため、決定の複
副所長の閑.芝.Qり。ゴ簿N教授︶に表現されている一を強く志
方法一例えば経済学者の参加︵キール大学国際経済研究所
は歓迎すべきものではあるが、それがむしろ経済的な考察
案についてここで詳細に立ち入ることはできない。それら
事後的コントロールの意義の強化などである。これらの提
究科の両大学の教授である。単著の著書として、℃oω壁
部及びヨーロッパ大学共同研究所︵フィレンツェ︶法学研
カールーーハインツ・ラデーア氏は現在ハンブルグ大学法学
δヨ①葛﹂<Φ﹃≦巴ε昌αqω碧。ぼく由りO㎝矯ω・留一hの翻訳である。
αΦ日﹀鼠ω菖Φひqα①ω︾貯ho﹃三巴①昌く9≦巴εpひqωげきα①ぎ︽
<①﹃ミ巴9口ひqω⇔耳ω・〆鋤昌昌9①=魍昌已⊆づσqω8琶①巳⑦ぼΦ①⊆ω
︿付記﹀本稿は、閑僧準=o貯Nい巴250δN爵彗津α①ω
獲得することができるのである。
の例のみを挙げれば、延引的︵oqΦω寓oo耳︶許認可手続の インフォーマルな活動の観察から、新たな計画的合理性を
︵訳註2︶
可能性、一種の﹁枠組条件﹂︵審査を本質的問題に限定し、
雑性の増大によって生じた行政法の変化に対する自己再帰
§&①ヨ①菊8ぽω嘗①o慧Φ℃P>蔑貯晦P一8仰U鋤。。ロヨ≦Φ一学
その具体化を申請者の自己責任へと移転すること︶の導入、
的・自己批判的視線は遮られることになり、不適切な単純
66 (3 ●306) 1150
大学大学院法学研究科大橋11角松ゼミナールにおける本論
である。本翻訳のベースになったのは、一九九六年度九州
けるポストモダン的潮流を代表する論者の一人として著名
ω二黒Φ耳⊆口α菊Φo窪ωω嘗鼻樽二こ零。。があり、ドイツ法学にお
ロ窪①ω℃霞p。虫ひq∋p。αΦω<臼芝巴ε口σqωお9けωし㊤。。心旧ヵΦ9辞ω−
﹃8窪α臼≦♂ω9ひqΦω色一8冨盈一り㊤押、、﹀げ毛帥σq二口ひq、、−①営
正している場合がある。
記・引用ミスと思われるものは、特に指摘することなく訂
宜上付加したものである。また、原文における明らかな誤
のは原註であり、[]を付したものは、訳者が理解の便
究員︶、大脇成昭︵同上︶。なお、文中で︵︶を付したも
学大学院法学研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研
究科博士後期課程︶、西村枝美︵同上︶、中村英樹︵九州大
げ餌コα①ぎρO<oσ一匿一り。。。。℃㎝ωω︷h●旧閃ユ巴﹃冒ゴω906戸U臼
α臼ω;O凶①い①ぼ⑦<o昌自①⇒菊①9房︷o﹁∋2匹①ω<9≦巴ε昌αq?
αΦω巴一σq⑦ヨ①ぎ2<Φ﹃≦巴ε⇒ひqω器9けρU<HOゆ倉一ω謡︷引
︵1︶ ︿σq一.簿をg。国げ駐兵aQD曾ヨ置け・﹀ゆヨ碧PN霞閃§評二8
文の輪読である。同ゼミナールの成果に基づき、角松が本
文について素案を作り、研究会による集団的検討を経て、
各分担者が注を含めた完全原稿を作成した。本翻訳実現の
機縁となったのは、一九九七年九月置ラデーア教授が九州
大学法学部で行った講演︵主催“日独法学会及び九州大学
法学部国際交流基金。山本隆司訳﹁環境行政における秩序
く臼富耳窪ωαqΦ9p冨凶ヨ巴一ゆq①ヨ①ぎ2<震≦巴ε昌ひq巽①9戸
O<お㊤N卜。=手引=①一3彗ω魯二一NΦ・コ①一一貫く9≦巴ε農ω・
法の限界と新しい経済的及び計画的手法の投入の可能性﹂
法政研究六四巻四号一九五頁︶であり、その際本論文の翻
お。葺巴○αqヨ鉾貯9。一ω牢ON①ゆα臼C⇒σq一Φ凶9N①三αq評①一戸U<
匹①ω<臼≦巴ε⇒αqω﹃Φo窪ω﹂≦ρ口98一㊤。。P
︵3︶ <σq一’芝巴8﹃oっ要具置8田三〇耳§ひqぎ&Φ牢○ぴ一⑦∋①
6⇔げぎσq8一㊤りい。.
︵2︶<σqド富①凶ざ守げΦきくΦ﹁≦讐§σqω﹃①。亘も。.﹀魯帥σqρ
dヨげ≡9四U<一8NωO罵噛・
一㊤㊤企b。謡h東山①耳ヨ旨uu◎器ごく臼≦巴εコσqωお9邑Φ汀①§
訳を願い出たところ、快諾を頂いたものである。ラデーア
教授及びゼミナールを共催された大橋洋一教授の厚意にこ
の場を借りて謝意を表したい。本研究会参加者は以下の通
り。角松生史︵九州大学大学院法学研究科助教授︶、勢一
料 智子︵西南学院大学法学部講師︶、相澤直子︵九州大学大
資 学院法学研究科助手︶、木村茂喜︵九州大学大学院法学研
66 (3 ●307) 1151
‘
資料
︵4︶ 同書の批評についてはさしあたり以下を参照。=雪出
隅9。〇三日閑8戸Z<≦Nお。。P鼻ζ9弓㊤aω9﹃巳①き
?Wドお。。。。ヒ昂竃9。三白巴N巳Φ①窃q﹄︶O<δ。。。。℃O㎝ら●
閃§冒ユ8ωげ巴ぎαq§ゆq窪§α国鼠。茜ω9お冨ぼぞ魯①ヨ①ω
ざ昌器昌ω⊆巴。戸く。コ奉犀§ひq。・﹁8げβζ雪9gお8⋮9﹃ω●層
≧侭。ヨ①ヨ。。・<①墓門け§σqω﹁①o三巴ω↓①凶三口O譲邑凶。冨コ
ぎま§β。ぎ拐。aきお”凶罠口O自重緕。目黒Φミ。。9ヨ一黛
﹀ゆヨ鋤ヨ\ω6冨署①具貯ωαq・×害ゆpα︶℃ω●・。吋鎚●
66 (3 ●308) 1152
8﹁ヨ巴。幻09け沼$β。rじロ。﹁ぎδ。。ド
︵9︶<σqH=。ぎ三ωoε幕−霊巴貫閑。ε9憂く。ω幻①9二§
︵6︶<ぴqド℃①冨﹁島国魯Φお閑8ざ員9N曽豊中凶ヨ<①学
9ヨをΦαqNロヨ呂巨甘汚目躍四口ω9鎚圃昌”幻.<o韓︵=﹁ωαQ・︶噂
欝80巨ρU<口σドH㊤O♪①切試h引α臼ω.”Uo﹁い①<凶鋤旨き碧h
ω冒弓§ひq。。ho置く8寄畠け鋒鎚房只ぎN言§血く。諏9げ﹁魯甲
壽ぎおω§ドω9音9。口呂2魯g&幻8算舅げ爵げ①圃
﹀げ8鼠巴く。ヨω富9。叶一且O畠犀①当山ヨω言置ぎごd巴。亭
り 浮げg<①ヨ葺§ぴq層↓害ヨαq①”HO㊤廿竃彗昏一”ωω魯巨ユ苧
凋8拝U<δO軽”O民︷引=o拐けU邑①おぎ8目日巴①のく①雫
しd
×δδOω堕①ミるαH昼臼ρ竃①﹁匹.ω<臼≦巴εづσqω﹁8ゲ邑9﹃①
﹁8耳ω﹂罠幻・芝巴け。増︵=﹁ωσQ.︶こ.ζ霞匹−芝①昏§α≦貯評−
ぎ閑8冨ωω樽器eN⊆ヨ白きα色α①﹁Uoαqヨ9。鉱評冒。自gけ・
器ぎ葺①5げ①暑99巨伽q”↓雲ぎσqgH㊤㊤会=きω出。凶ロ膏げ
ω9ヨ冨凶計妻δ昌δ㊤Pω●㎝O鼻竃雪ヰ巴b口巳ぎαq”閑。εo﹁自。・
巷α島⑦冨三蒔①9三ω9①Uooqヨ9。白重畠①ω<①ヨ葺§σqω−
円把樽ρ望Φ岡。﹃8ゴ轟N惹8冨昌σq遷aお魯岳臼臼寄。凶・
Kω什2①歪コσqω雲鳥凶四日巨冒08臼巴くgω冨等量U.
只9。民ρUO<お。。P卜。刈試島国∋の梓出⇔器。田け8きU器菊8算
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︵⋮8︶ 先駆的なものとしで、<ひqド審①遵雲鳥bdoぎやU霞言・
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︵10︶<αqピω9巳N?霊Φ洋N︵﹁島コ●㊤︶もくbU=り逡るα誠h‘9。。・
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66 (3 ・309) 1153
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①ヨヨ①艮99暮鎚。け①目零呂浮言ぎ雷げ=。冨堵6り︽
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資料
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︵29︶<σqドω9∋聾5ゆ∋き口︵﹁¢穿。じ導ω・冨韻’
︵30︶ω9巳No由良言︵閃島PO︶︾U<じdドお㊤物象韻‘①ON●
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︵21︶<α。炉9N⊆些αq・ぎ暮∋⊆目口d碧①﹁℃ぎBωω§伽qω箒×圃−
︵31︶︿σqピω魯∋弾・﹀ゆ§雪三猛鳥ゆPご﹄︶<卑お。。。。ふωωh︷‘
b δ 麟 h h ● ’
︵33︶<σqド竃9旨2。。︵3じ。巳。。︶.
︵32︶<αqドζ昌①二害ゆP5●
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︵22︶霞雪ωζ①罵さ<<Uω勇ピ&︵巳。。ジミb。.
︵34︶︿ぴqドω9自α雫﹀ゆ3鋤目︵男⊆穿と”U<O口Hお。。。。℃㎝ωρ
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︵24︶<ひ。ド宰凶⑦盆9ω98戸U臼<①暑鋤巨昌σqω①ζN註・
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︵36︶<αq甲≦ロ詮巴田。ぎ鴇U一①U。ひqヨ四算血①ψ<①暑寧
︵35︶<σqピ豊σqΦヨ①高じσ9。蝿臼︵閃‘ゆ己︶旧ω90。三﹁島巳︶.・
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︵37︶<αqピ<’竃自。斜ζoαqぎゴ冒魯§二三筈﹁8冨巨言算Φ津
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66 (3 ●310) 1154
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︵26︶<σq卜ω魯盆祭自暴目︵﹁二ゆ巳︶しくH8駆騨同。。藻・
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︵27︶︿ひqHω魯鼠α梓−﹀ゆBき三二¢ゆ己︶”O<お㊤軽り.同。。藻.
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資料
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︵49︶<ひqピ目﹁じ口く。毫ρd雪曇く。雲門●ご零餅bd<Φ毫Ω国麟導
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︵50︶ 環境法のみに関するものであるが、<ひq一こ閑輿一・団Φ貯N
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︵41︶<ひq憎量N二月=ひq①ヨΦぎU帥く凶α9=ぎαq﹁己αqρ↓滞ω。。一巴
︵51︶<σq巴囚胃悟=①ぎNい巴①霞噂¢ヨ≦Φ芽Φ旨譜浮冥画什甲
氏①ω¢ヨ≦窪と&↓8ぎ貯﹃①o窪ω巳り企ω.b。り試h・
︵42︶<σqド紆N三日①貯N①ぎ窪UoωΦ︵﹁島P㊤ソ
凛9§σq§α卑邑辞こまσq<8¢∋≦Φ犀げ①虫三士。薮αq§σq9
08需。ご︷↓Φ。ぎ90σqざζ葺8内Φ遷Φωδ。。ピ
︵43︶<αqピUoωΦ︵二身・㊤︶.
匹§σqNニヨざ霧①g三①﹁8コ○層二88臼ヨ①ωωΦpU<o◎ピ
窪。げ毛巳hσqきσq国。跨ヨ四重・空①β︿。コα①﹁﹀三鑓σqω玄p−
︵44︶<ひq田9N⊆霊﹁芝Φヨ嘆=80①\自費欝じU8評ヨき戸⊆三目C轟①三穿Φ雪げ巴陶轟§αqΦpN8お㊤斜最.<σqド
¢∋≦①年Φ09竃雪質窪δ。。P吻5カα霞﹂卜。ω温謡勾α霞p
刈。。3吻8皇居∋●釦ωh粘●
︵52︶<σq憎¢α。望凄三ρ<Φ暑鋤一ε口ひqω①三ω9Φ己巷σq血霞。げ
︵45︶<ひqピ量Ng聾σq①ヨΦぎ雷。﹁ω二︶邑9震Φ鑓﹃。三8げΦ ちり倉①O要略◎
<①毫四諸語σq巨αΦ∋o町会一ω9魯ωけ二一−Ω窪①ωρ更ε①=Φ
︵46︶ そのため、﹁インフォーマルな行政活動﹂を法的に拘
9噌団×①パ三貯ρ↓自ぎひq①⇒お㊤ド
日冨℃①三ωo噛C霞$。。o舜げ冨田ω宥ぎ8﹁∋讐凶oP
貯ぼgρ︿Φ暑﹀噌9﹂㊤㊤Oしりω︷h・旧<αqド甘ぎω.>O℃すσq讐ρ
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Φ×8粟窪留9︿9ω訂&一﹀ヨbd画ω豆巴紆ω費甲
束する試みは、すぐに限界に突きあたる。<αqドα蝉N⊆
閃①σq三二oQ℃9畠鋤&日。×一。Gっ9ωβロ8ωO。暮﹁or
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︵48︶<αqドΩ二ω8℃①N鋤8巴①℃O。∋豆①ωω冨餌①=◎おαq︷。器
Oユ臼6斜勾①ひq陣8勺﹁象一8お㊤ω”。。陣h
66 (3 。311) 1155
︵53︶<σq日OΦa芝葺9寄ひq鉱二おωヨ①ωω感げ①巨O①融亨
OΦ葺Φ警三町①。算轟9血①﹁Zo<①=属§σqこNお逡”零窪.
︵54︶<αq二Φ巨智ぎ類苑餌三\=①量曾σq竃魯三口σqΦき冨ω
g8∋げ①薯①窪OaΦ﹃きα9ωoa①きO×8aお㊤倉ω.ω。。. ω8ヰ﹁①9戸U<b㊤ピ巳逡るおhh
︵47︶<σqピ峯9色く睾﹂①内①﹃9。<Φ\閃轟潟。δ○ω戸いΦσq巴
お㊤ρ①ミ︷︷∴じ08げヨ︵﹁=ゆコb︶しωωま
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︵64︶<αqドω90魯︵害穿●・。ら︶”ω●NO。。⋮ωo註①巴︼伽qoヨ①凶器昌
︵55︶<αqドbd<①ヨρ¢昌①=<oヨ嵩.母O。。合ごd<①嚢O国①P国×覧雪巴8ρ9ヨび&σq①\竃鋤ωω﹂㊤㊤ρ
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︵56︶<σqピ℃①8﹁いΦ﹃9ρ閑①定評鑓沖§α﹁①。げ二一。冨﹃≦雪・
66 (3 ●312) 1156
︵65︶<σqドω98三寄穿.N自ω幽・。O。。b室
︵59︶<σqド9N信U口霊〇二出島昌・じ”ψωO霞・
︵58︶<oq轡昌霞出。署①︵哨島Pお︶・
芝鋤霧①冥8拝d℃幻おOb。”。。一噛h●
夘①oqoピお窪﹂︶<しdピおOドON㊤︷h.⋮ωo乱。餌=σq①日①貯冒﹁ぴq
Oo鍵冨。諏。﹁8げ§ぴq巴ω﹀昌≦①巳§αqω壁=く。冨三剛αqo﹁
<9≦巴ε轟沼算 げ。両巷ぴqo三。。。。①∋ω鎚9<①讐巴θ一
注﹁ωoN凶巴巨hoH8NるN竃h●⋮dαo監守ぴ凶P<o﹁庫猛αq2
︵68︶ぐσ・ド田Φ量aud。ぎρ<Φ邑。げ。善。・ω暮α巴①・霞
︵67︶<αqドい巴。霞︵3穿●§.
︵61︶<αqド量Nロじ口き〇二団円昌と層ω●ωO最.
ぎく婁三8ωぴ。ω。巨①§侭§σq§α.N・ヨ9>窪きく8
<o=窪αq巴。欝凶吟9.ぎ諺置据9ω凶9①遵Φ凶辞ω﹃o。拝一︶<bdド
︵69︶<αqド2噌空。冨aUd●ω件睾鋤員図。胆丁目。P冒ぎく甲
おO“しO段h●
︵63︶ ﹁限定された合理性﹂のも之での行動︵O需二臼窪︶形
ヨ9。昌︾ユ自巳ωq餌二〇pN①一けωo年捧旨﹁9Φoq①ω鋤ヨ画①5ω冨鉾甲
︵70︶<αqド9N⊆宍巴出。ぎN冨ユ2き08ぼαq討匪d昌8雫
ーま昌り088讐9。巳℃﹁8二80﹁国8δぴq凶6巴ω。導
すξ︵田ωぴ。●︶bロくぎ昌ヨ。口け巴いβ。≦鋤a守。ざぴq冨亮①ω唇亭
穿く蹄8∋①自爆冨ぎぎ”O・↓①呂器﹃\﹃守﹁§臼\U●寓祭
邑砂書⋮国8ざ讐。巴困ω詳ω”a窪①勺88含轟蔚鋤けδ昌。噛
領。。q①葺智αqδ昌諭旨。9δo・。しφ謎引臣壽aζ。Ω⑦山
雪戸田巴8巴蔓⇔&U︽コ曽巨oOぎド①一岡。巨9鉱。ロ三
ω賢
.曾三幕二§岩戸。①82けml。り禮αqδω邑鋤聾凶。奉一幽畠量
惹ωωgω99。ぽミ官話国一りO倉に段鴇●<σqドα爲口碧。ゴU碧己
国ロσqΦ㌍い⑦oq9幻①ω℃8器ω89⊆民巴幻①窪8聾蔓ぎ09ー≦o﹁ぎO門守。ヨ㌶冨≦菊。<凶①≦δ。。ド旨α縮︷‘ヨωぴω●罠O刈噛・
鉱op9。巳﹀ユ巳三ωq巴<。9ヨ>088℃ε巴閃8∋o−
フ拘束効について、︿ひqド鋤⊆oげbd二=ぎひq︵閃¢じ。昌・OどψN刈茶噛・
Φq①ロ<oロ<o暑巴言コαqω9ζopじσ巴①昌・bd巴。ロ一〇。。O旧行政行為
︵62︶<αqド紆N⊆ζ婁﹂費σq魯ω①凶げΦユも二巴Wぎ含おω惹﹁冒ロ亭
℃o犀凶。巴国88ヨ鴇おOω憶嵩。。︷h
08ω樽凶ε鉱8ρ雪α夢。導けぼ。。。oh菊巳①ω”08ω葺犀ユ89。一 言9ρ<R警h凶αqoω冨9。一ω9。犀σ︾・↓oびぎαq9巳㊤ド
︵60︶<σqド9N二鎚=αq・臣≦”a閃・ζoΩ①目①戸山巴8巴圃多
菊①6監房。αqヨ巴ω900歪目色ooq8α①ωZ四9げ碧ωo冨9①ωω
ぎ鋼耳一①ぎ器蝿Φωぎωけ歪ヨ。昌乱①﹃<Φヨ巴け§αqb魯ω。ゲ﹁強
︵57︶<σqドbu碧①﹁︵守穿.じりω・ωO匡●⋮閑9。﹁憎=①ぎNU巴窪﹁噛 ︵66︶<αqド搾出慈巳9錦8P一︶。署。忌急σq①<①暑畏¢農・
9 ㌍じσ凶巴①ho置HO。。ド
じロ
。。
式としての行政行為の概念について、<αqドOぼ韓09
資料
O薦①三ω讐陣oPO三魯①ωけ①噌一㊤逡噂ωb8h︷・
合によっては許認可の後の時点にまで延引する︵三爵二ω・
ω〇三①げΦコ︶ことが認められなければならない。また、この
ような﹁延引的﹂許認可手続は、次のような場合にも認め
︵71︶ また、まさにこの情報基盤の選別可能性のためにより
一層、行政活動の評価︵団一く鋤一蛋鋤鼠O昌︶が、行政学的にのみ
られる。重要な法律上の要請のみについて審査し、一種の
﹁枠組的許可﹂のみによってその遵守を確認する。そして
ならず、行政法的にも不可欠になるのである。参照、行政
学上のものとしてとりわけ、国﹁宕ζ○コ三嘆\<冒。⑦馨ω層Φづ・
℃o一一ユρ⊆①ω簿寓川口鋤σq①ヨ①嵩侍℃虹げ一一。一㊤露”①ほ詐行政法上の
の︶継続的[自己]点検義務を引き受ける限りにおいて、
合については、投資者が︵前述の環境監査のような種類
関係規定と技術水準︵mWθ蝉づα αΦ﹁ ]りΦOげ﹃F=︽︶への個別的整
ものとしてとりわけ、O貯評団巨匠ρUδ国8霞。一5<8
その自己責任に委ねるというものである。﹂
す鍔⊆①がピ.0<巴奏二〇口α蝉コω冨巳①⇒αq5α①冨9qω凶OP
ω偉σ<①口詩。コ①づ﹂︶<口ご一.目㊤㊤ρ◎。9hh
︵72︶ <σqぎ霞 98 Qり6三旨耳①お 一=<Φω葺凶。霧♂こ①歪口ひQ
α霞6ゴ自⑦蚤亘①O①コ①げヨ戯二昌αqω<①味鋤ぼ魯一U<bu一.巳㊤ρ
嵩ω噛h.旧︼≦震ニロuu巳=昌αq⑦5ぎくΦ巴菖。霧♂aΦ﹁⊆コぴq匹霞9
轟〇三茜σq①σQ98耳①二pユ評oo需﹃餌ユ<①切①蓉三2三閃ニロひqニヨ
OΦコ①ゴ∋戯⊆コσq。D<①臥①ξ①コしN一8♪一一8暁暁・
︵訳註1︶ 原註︵49︶の該当箇所のうち、前二者すなわち﹁事
理への指向により規定された通常性﹂及び﹁計画の素材に
由来する諸要素を⋮認識し﹂の部分は=○薯Φからの引用
であり、最後の﹁事柄の性質上[計画衡量に]投入されね
ばならない諸利害が投入﹂のみが、連邦憲法裁判所判決か
らの引用となっている。
︵訳註2︶ Qooび一凶。窪巽︵閃⊆ゆP謁︶”QD.一置山胡﹁委員会の見解に
よれば、許認可行政庁に、起業案の具体化と法律の要件の
具備の証明を段階的に︵強調引用者︶要求する可能性、場
66 (3 ・313) 1157
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