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平和の誓いを この胸に
平和の誓いを この胸に ■問合せ/総務課総務担当 ☎ 22-5111 広島市の相生橋から原爆ドームを背にして 平和都市宣言事業の取組として、本市の中学生8人が広島市 を訪れ、平和記念式典に参列しました。平和記念資料館での学 習 や 被 爆 体 験 記 朗 読 会、 と う ろ う 流 し へ の 参 加 な ど を 通 し て、 しょうい 平和の大切さを肌で感じてきました。また、同じ広島県の福山 はり実物の迫力は違い、胸が痛く ろしさを身をもって体感しました。 たりするほど、私は原子爆弾の恐 なったり、話を聞きたくなくなっ 4 28.10.1 市へも訪問し、焼夷弾による空襲被害の実態も学びました。 「聴いたこと」 「感じた 参加者が本事業を通じて「見たこと」 こと」をご紹介します。 平和の大切さを 訴える なりました。また、被爆者の方の 第二中学校 井上 美羽奈 今日の聞き手は 明日の語り部 体験などを聞いて、改めて戦争の そんな中、私と同じくらいの年 の子たちが平和について語ってい 第一中学校 我妻 孝樹 怖 さ を 感 じ ま し た。 被 爆 さ れ た る姿が心に焼き付いています。「平 した方々の話―。目をそむけたく 方々の平均年齢は約 和になるためには、戦争について ほぼ全壊した原爆ドーム、一瞬 で 町 が 地 獄 と 化 し た 写 真、 被 爆 した。そのため、生の声を聞ける る こ と が 大 切 だ 」。 私 も 一 人 で も 平和について深く考えた3日間 でした。テレビや本などで様々な 時間は限られてきました。 多くの人に平和の大切さを訴えて ことを知ってはいたのですが、や 今回、聞いたこと、見たことを 今度は僕たちが語り部となって学 いきたいです。 歳となりま 校のみんなや様々な人たちに伝え 僕はこの3日間の広島訪問でい 第三中学校 秋葉 圭汰 広島を訪問して 知り、発信して、みんなで共有す ていきたいです。そして、一日で 世界が来ることを祈っています。 も早く核兵器がなくなり、平和な 80 平和都市宣言事業 広島訪問記 平和記念式典 式典には、国内はもとより世界各国から数多くの人 が参列し、 原爆で尊い命をなくされた犠牲者への祈り、 平和への誓いを行いました。式典終了後、会場中央に ある原爆死没者慰霊碑を参拝し、平和への思いを新た にしました。 広島平和記念資料館 館内には原爆に関する資料が様々展示され、中には 思わず目を背けてしまうような悲惨な展示物もありま したが、中学生たちはしっかり向き合って見学しまし た。また、今年5月に広島市を 訪れたオバマ米国大統領が寄贈 した折り鶴とメッセージが展示 されており、注目を集めていま した。 ▲オバマ大統領の折り鶴 被爆体験記朗読会 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館には、被爆体験 者の記録が数多く保存されており、その記録を広く継 承する活動の一つに、今回参加した被爆体験記朗読会 があります。本市中学生も朗読し、被爆者が体験記に 込めた記憶や思いに触れ、改めて原爆の恐ろしさと平 和の大切さを感じていました。 ▲(上)原爆の子の像。周囲には国内外から寄せられた数 多くの折り鶴が掲げられていました。 (下)原爆死没者慰霊 碑を前に、深く平和を祈りました。 福山市人権平和資料館 広島市訪問の前日、広島県の東部にある福山市を訪 未来へつなげる 今回の広島訪問で一番印象に 残 っ て い る の は、「 ひ ろ し ま 子 ど ろいろなことを学びました。原爆 きく傷つけ、さらに心にまで一生 もの集い」での発表でした。自分 しくなっています。被爆者が今ま で伝えてきた思いを、今度は私た ちが未来につなげ、世界中が平和 になるようにしたいです。 平和の願いを 次世代へ 第五中学校 山本 大輝 28.10.1 今回の広島訪問では、平和記念 式典に参加したり、原爆資料館を 見学したりする機会をいただきま した。 私 は 今 ま で、「 平 和 」と は、 戦 争が起きないことだと思っていま した。しかし、今回の広島訪問で、 戦 争 が 起 き な い こ と だ け で な く、 兵器が存在しなくなることだと思 いました。そして、広島の方々は 5 71 第四中学校 古川 詩央吏 消えない傷をつけました。 たちが、戦争の悲惨さや平和の大 ▲焼夷弾 ドームを見て、どれだけの被害を もう過去には戻れませんが、未 来なら変えることができるはずで 切さを、未来につなげようと一生 ろしさを学びました。 受けたのかが分かりました。原爆 す。僕は世界中の人々が戦争の悲 懸命に発表している姿を見て、と を聞き、焼夷弾による空襲の恐 は、なんの罪もない人々の体を大 惨さや核兵器の恐ろしさを知るこ てもすばらしいと感じました。 示されており、職員からの説明 と同じくらいの年のたくさんの人 とが大切だと思います。そのため された空襲予告のビラなどが展 に僕も今回学んだことをいろんな 資料館には実際に投下された焼夷弾や、事前に投下 戦争から 年後の今、実際に被 爆した人は少なくなり、当時の状 の 80%を焼失しました。 人に伝えていかなければならない された 556 トンの焼夷弾による空襲を受け、市街地 況を直接伝えることはどんどん難 25 分から 1 時間の間に、B-29 爆撃機 91 機から投下 と思いました。 問しました。福山市は昭和 20 年 8 月 8 日午後 10 時 1 今回学んだ、核兵器の恐ろしさ や広島の皆さんの思いを、多くの が分かりました。 がそうなることを願っていること もちろん、日本中、世界中の人々 なき命が奪われないように、一人 きました。二度と戦争によって罪 されていて、戦争の悲惨さや平和 なるような写真や映像が多く展示 資料館には、思わず目を覆いたく 命の尊さ 教育指導部 佐藤 哲 示物がありました。私は、それら 資料館を見ると、その人その人 の思い、原爆の悲惨さが分かる展 世界を創る必要性を実感すること 目でしっかり見ることで、平和な 今回広島を訪問して、原爆の恐 ろしさや、戦争の悲惨さを自分の 南原中学校 上野 愛莉 感じ、また、平和を願う各地の子 人とともに、戦争の悲惨さを肌で 界の実現を祈りました。中学生8 まさに心を一つにして、平和な世 たくさんの人々が集まっていまし 8月6日、平和記念式典会場に は、国内はもとより、世界中から を見て鳥肌が立ちました。この ができました。 けた一日でした。 平和な世界を創る います。 今回学んだことを家族や友人な ど多くの人に伝えていきたいと思 が大切だと思いました。 り、平和への強い思いを持つこと でも多くの人が悲惨な過去を知 の尊さについて実感することがで 人に伝えていきたいと思います。 肌で感じたこと 第六中学校 小野塚 胡桃 今回の広島市訪問で、多くのこ とに触れ、深く学ぶことができま し た。 原 爆 は、 学 校 で の 学 習 や、 テレビで見た映像よりもずっと恐 年前の出来事をけっして忘れては 直接戦争を体験した方が少なく なってきている今、平和な世界を ろしいものであることを肌で感じ いけないと思いました。ここで感 創るために私たちにできることは ました。 じたことを学校の友達など、たく 原爆なんて、私たちには関係ない」 何でしょうか。私は、「戦争なんて、 ると確認したところです。 我々訪問団に与えられた課題であ この貴重な経験を一人でも多 く の 人 た ち に 伝 え て い く こ と が、 るように、3日間で学んだことを 学校の友達など、多くの人たちに 伝えていきたいと思います。 8月6日、広島市平和記念式典 社会福祉課 島貫 晶江 平和記念式典に 思うこと と考えている人を一人でも減らせ どもたちの熱心な発表に感銘を受 た。 参 加 者 は 様 々 な 境 界 を 越 え、 さんの人にしっかり伝えていこう と思います。 平和な未来を 創るために の平和について考え、学びました。 僕は、この3日間の広島訪問を 通して、核兵器の恐ろしさや本当 第七中学校 古山 新汰郎 71 2 3 平和都市宣言事業 で、平和への願いを語り伝えてい 年を迎えた現 くことを2人の小学生が力強く宣 言しました。戦後 な機会をいただきました。 長崎から 「平和のオール」を米沢に 本 市 は、 平 成 年 度 か ら「 日 本 非 核 宣 言 自 治 体 協 議 会 」に 加 現地では広島と長崎両方で 二 重 被 爆 を し、 公 式 に 初 め て 材 し ま し た。 そ の 方 は 朗 読 と 認定された方のお孫さんを取 今 年 度、 同 協 議 会 が 主 催 す る 「親子記者事業」に、本市の遠藤 盟しています。 人々の想いを次の世代に伝えてい 紙芝居による体験談を語り継 日 ま で の 4 日 間、 長 崎 市 で 記 者 てはならない原爆の恐ろしさ 爆 資 料 館 も 見 学 し、 繰 り 返 し き く 貢 献 さ れ て い ま し た。 原 ぐ 活 動 を 進 め、 平 和 教 育 に 大 と し て「 こ ぎ 出 そ う! 新 し い 平 に、 少 し 触 れ た よ う な 気 持 ち になりました。 和 の 海 へ 」を テ ー マ に 平 和 祈 念 どを行いました。 子どもを持つ親として、この 悲惨な歴史を風化させずに次世 感しました。 (母・京子さん) 代に語り継ぐことの大切さを痛 ここでは遠藤さん親子の感想 をご紹介します。 式典への参列や被爆者の取材な れ ま し た。 二 人 は 8 月 8 日 ~ かなければならないと思います。 総務課 丸山 真哉 今回の派遣事業では広島市とと もに、昭和 年8月8日、甚大な 空襲被害のあった広島県福山市を 訪問しました。 「祈りの長崎」で 恒久平和を誓う 身近に戦争体験をされた方 は い ら っ し ゃ い ま す か。 戦 後 年 の 今、 戦 争 が 忘 れ 去 ら れ て い な い で し ょ う か。 私 た ち 親 子 は、 長崎の平 今回遠藤さん親子が作成した「お やこ記者新聞 ( 第9号 )」は日本非 核宣言自治体協議会のHPに掲載さ れていますので、ぜひご覧ください。 約6000発の焼夷弾が投下さ れた福山の眠れぬ夜、そしてたっ た一発の原爆によって壊滅状態に なった広島の朝。2つの都市を巡 り、身近な生活に迫る戦争の悲惨 さに背筋が凍るような気持ちでし た。 戦争を知らない世代として、い かに戦争や原爆被害の悲惨さを知 和祈念式 典に参列 ▲取材をする遠藤さん親子 派遣事業を終えて 恋 羽 さ ん( 上 郷 小 )親 子 が 選 ば 二 度 と 戦 争 を 繰 り 返 さ な い よ う、 からこそあるものだと感じます。 代に伝え、平和を願い続けてきた がその経験を決して忘れず、次世 や原爆により苦しんだ多くの人々 ています。しかし、平和は、戦争 在、平和は当たり前のようになっ 71 り、伝えなければならないか、中 11 する貴重 28.10.1 7 26 ▲長崎平和記念像 の前で 20 学生たちと共に深く考える3日間 でした。 71 4 【写真の解説】 ①②広島平和記念資料館。原爆投 下直後の写真や被爆者が身に付け ていた衣服、そして現在も続く白 血病の後遺症。数々の展示物が物 語る被害の大きさは筆舌に尽くし がたいものがあります。③福山市 人権平和資料館。米軍が投下した 焼夷弾にも触れ、見た目よりもずっ と重いので驚きました。④広島城 の前で。天守閣の展望台からは多 くの人たちの力によって復興・発 展した広島の街が一望できます。