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昨年の十二月二十五日から二十八日までピ ョ ンヤンでひらかれた朝 鮮
チ ェ 思想と マ ル ク 産主義的に教育し、改造しなければならず、人民大衆の創造的知恵と 物質的土台をしっかりときずくとともに、社会の主人である人間を共 衆にありますoそれゆえ社会主義、共産主義を建設するためにほ国の 社会の主人ほ人民大衆であり、革命と建設を押しすすめる力も人民大 会の主人であり、すべてを決定する基本的要因であります。社会主義 課題のひとつであるとして次のようにいっている.「人間ほ自然と社 つつ、人びとを共産主義的に教育し改造することこそもっとも重要な 争後の復興期、社会主義建設期等の各時期の課題と路線を明確にのべ けつに要約しながら、反帝反封建民主主義革命期'強いられた朝鮮戦 義革命と社会主義建設のための共和国政府の闘争の基本的路線をかん 強化しょぅ」と題する演説をおこなっている(2)。そのなかで社会主 最高人民会議の初日キム・イルソンほ「わが国の社会主義をいっそう 人民共和国社会主義憲法と、とくに社会主義がつけ加えられている。 民共和国憲法となっていたのに対し、今回の新憲法にほ朝鮮民主主義 鮮特別人民会議で可決され、六二年の部分的な修正'補充、廃棄のあ った旧憲法が全面的に改正されたのである。旧憲法が朝鮮民主主義人 憲法が採捜された(1)〇 二十四年まえの1九四八年四月二十九日北朝 鮮民主主義人民共和国最高人民会議第五期第一回会議で同国社会主義 昨年の十二月二十五日から二十八日までピョンヤソでひらかれた朝 ュ 革命的情熱を賛極的に発揮させなければなりません」(3)。社会主義、 思想 いう二つの面をチュチェ思想ほもつといい'さらに第五回党大会決定 て自主的立場、自然と社会の改造をになうものとしての創造的立場と 面での自衛となるのであって、主人としての責任を全うするものとし た」とのべ、チュチェ思想が政治面での自主'経済面での自立、軍事 すべての問題を解決してい-わが党の路線が正しかったことを証明し 存の公式や命題にたよるよりも自由人民の利益と自国の実情に押して 記者の問いにキム・イルソンほもともと真のマルクス主義者であれば 自主性と創造性とをもつのほ当然であると答えながら「生活はある既 の関係についての新しい哲学を創始したのではないかという毎日新聞 および同十月六日「『世界』編集部安江良介氏との会見記」(6)等にふれ られているが、チュチェ思想が民族的任務と国際主義的連帯の任務と 年の九月十七日「『毎日新聞』記者が提起した質問にたいする回答」(5) 新憲法第四条に明記されているのである。チュチェ思想についてほ昨 に適用したチュチェ思想をその活動の指導指針」としているとのべ、 護し、労働者階級の革命偉業の遂行に服務すべき使命をもってい る」(4)ものであり「マルクス・レ-ニソ主義をわが国の現実に創造的 和国北半部に樹立された社会主義制度とプロレタリア独裁を法的に擁 て重大な「基本的要因」であることが強調されている。新憲法は「共 共産主義の建設には物質的要塞とならんで思想的要塞の確保がきわめ 村 にふれながら「われわれほ、ただ漠然と重工業を発展させるとか軽エ 1 チ ス 民族の闘争の道をしめす新しい理論と戦術戦略をうちだしたものであ り'また世界革命の勝利をかちとるための理論であるとして、マルク 業を発展させるというのではなく、人びとを骨の折れる労働から解放 するための三大技術革命の目標をうちだしたのも、経済建設や技術革 ス・レ-ニソ主義の革命原則を具体的、歴史的、民族的条件のなかで 自主的、創造的に適用したもので、ナショナルであると同時にインタ -・ナショナルな性格をもつと指摘した。いまチュチェ思想の形成プ 命がそれ自体に目的があるのでほなく、人民に国家と社会の主人とし てのはりあいのある生活をもたらすための手段とならなければならな っているように1九三〇年代から1九四五年八月十五日の解放までの ロセスをたどろうとすればその原型をわれわれはチェ・ヨソゴソがい のが.ほかならぬチュチェ思想の要求である」とのべ あろう。三・一蜂起以降いわゆる武断政治から文化政治への移行は実 いという労働党の1賞した視点をはっきりとあらわしているのであっ て、すべてのことを人間を本位として考え、人間のために奉仕させる はある理論のための理論でほなく、複雑な革命闘争の過程でえた経験 と教訓にもとづいてわれわれがうちだしたわが国の革命と建設に閲す 質的には日本帝国主義の朝鮮における植民地支配にはなんらの変化を もたらさなかった(9)。労働者、農民の前衛党として朝鮮に共産党が 「チュチェ思想 思想でありますoわが国でチュチェ思想は社会生活のすべての分野に る指導具現された厳然たる歴史的現実であります。チュチェ思想を深 結成されたのは一九二五年四月であった.しかしこのころの党は「朝 いわゆる反日民族統7戦線、抗日武装闘争期にもとめねばならないで く把握するためにほ、わが党の政策とわが国の現実を具体的に研究す 多くの労働者'事務員が失業し、就業労働者の労働時間の延長、賃金 の引下げのなかで二九年の年間スト一〇二件、参加人員八二九三名、 - 2 鮮近代革命運動史」(10)にもいわれているように分派主義者によって、 次におよぶ検挙(1九二五・十1、一九二六・五-六、一九二八・二' 1九七二年四月ピョンヤンでの社会科学老犬会においてヤソ・ヒョ ソソプは「偉大な首領キム・イルソン同志の革命思想を徹底的に擁護 小作争議四二三件、参加人員五三一九名と激増し(ll)、日本帝国主義 た) - る必要があります」とのべているo新憲法がチュチェ思想を唯1の指 その運動と発展に大きな弊害をこうむった。ソウル派'火曜派、北風 場から自国の実情にあうよう創造的に適用していくものであり'しか も「複雑な革命闘争の過程でえた経験と教訓にもとづいた」(7)もので 1九二八・八等)によって1九二八年末には解党にまで追いこまれたo 導思想としており、マルクスレ-ニソ主義の一般的原則を主体的な立 あるからにほ、その形成過程を朝鮮の歴史のなかで明らかにしていか l九二九年にはじまった大恐慌ほ農産物の価格の暴落、それにもかか 派、上海派'エム・エル沢、ソサン派等の分派活動による弱体化と数 なければならない。 わらず固定化(ときには引上げ)された小作料、租税、水利組合費等 し、ひろく解説、宣伝するための社会科学の任務について」と題して によって、農民の窮乏化は促進され、また工場の休業、閉鎖により数 基調報告をおこなった(8)。報告はキム・イルソンの革命思想が社会 主義制度樹立後の時期に提起される諸問題に解答をあたえる科学的学 説であり、民族独立をかちとり、新しい社会を建設するための被抑圧 ほ一九三一年秋、延青、荘清、輝春、和竜の各県で日本帝国主義 は検挙、治安維持法の改悪をもって弾圧した(S3)0日本の殖民地圧制 によって移住した東満八〇万の朝鮮人(大部分ほ小作農、雇農であっ 岳1 打倒、反動地主の打倒、小作料の引下げ、手先団体である朝鮮人居留 年夏、4L倫で開かれたがキム・イルソンはこの会議で「反帝反封建氏 よると、共産青年同盟、反帝青年同盟(17)の指導メンバ-は7九≡○ 二九 倒して祖国を解放し'わが国で反帝反封建民族主義革命をへて社会主 ができ-・革命の対象は日本帝国主義およびそれと結託した地主'隷 属資本家、親日派、民族反逆者で-・革命の任務ほ日本帝国主義を打 主主義革命における基本的原動力は労働者階級をはじめ、そのもっと も信頼すべき同盟者である農民と小ブルジョアジ-とも連合すること 民会打倒等のスp-ガンをかかげて激しい秩収暴動をおこし10万余 名の農民が参加した.二九年を中心とした朝鮮人の解放闘争ほこうし て労働者、農民、学生らの統7運動を政治的性格をもつものにまで発 展させ、マルクス・レーニン主義にもとづいた前衛党の形成を要求し ていたのである。 (撫松一帯に反 ピョンヤソのマンギョソデの貧農の家庭にキム・ヒョソジク 一七年チョソン国民会を結成した)とカソ・バンソク 義、共産主義を建設し、ひいては世界革命をなしとげること」である とのべている。(18)「つま先でまで武装した強盗」である日本帝国主義 日帝人団体を結成した)との長子として生まれたキム・イルソンは一 (打倒帝国主義同盟)、セナル少 た日本帝国主義の中国侵略二九三丁九)いご抗日遊撃隊の創建、 者と闘うための抗日武装闘争路線がうちだされ、反日民族統7戦線、 チョソソ共産党創立の方針が示された。恐慌の突破口を中国にもとめ 問題を「キムイルソン同志の革命活動・略歴」(S)によれば、かれは 遊撃根拠地の創設二九三一・十一明月清会議)を決定して三二年 四月二十五日安囲県で抗日違撃隊が結成された。「金日成伝」のつた えるように「人間と武器ほ武装力をかたちづくる二大要素」(-9)であり' 軍事活動にほそれにともなう朝鮮人間の分派活動の問題、対中国人問 題として'中国人反日部隊(救国軍)(空との共同戦線の問題をふくめ ての真のマルクス・レ-エーソ党である共産党の再建問題があったo 分子が自分たちの革命性を誇示するために主観的に'客観的条件を考 大衆はた-さんの血を托しながらたたかった。しかしこの暴動ほ分派 井をほじめとする東満の各地で暴動が展開された.この暴動で革命的 のは上述の秋収暴動事件のころであった.「1九三〇年五月三十日竜 をまきおこし」(te)書林監獄に投欲されたキム・イルソンが出獄した 布され、苛政発税はな-なり、男女平等権と無料義務教育制が実施さ の土地を没収して農民に無償分配し、八時間労働制と最低賃金制が宣 によって'遊撃根拠地にすでに人民革命政府が(a)樹立されていたこ とを特記しておかねばならない。そこでは日本帝国主義者と親日地主 なければならない」とするキム・イルソンの指導と人民革命政府路線 列をたえず拡大強化し'敵との戟のなかで共産主義者を育成し鍛錬し 「われわれは抗日武装闘争をすすめていくあいだにわれわれの武装隊 慮しないで組織したために日本帝国主義の野蛮な弾圧で革命的勢力に れていたo(S3)1ニ二年における極左的傾向(社会主義革命の即時実現 買収しそそのかしてチmソン人反日運動家にたいする1大検挙旋風 するもののいずれをも批判し分派分子の策動を克服する闘争をおこな ったという.「日本帝国主義者ほ1九二九年の秋、中国の反動軍閥を おけるへゲモニ-ほ民族ブルジョアジ-がにぎらなければならないと るものとチョソン革命はブルジョア民主主義革命であるから、革命に 「チョソソ革命の現段階において」「チョソン革命をどのようにおこな ぅべきであるか」とし、チョソン革命はプロレタリア革命であるとす 年同盟、チmソン人吉林少年会等を紅織したのであるが、この時期の 九二六年中国東北地方にいきE・こ ドウ ば-大な損失をもたらして失敗におぁった」(S)のである.「略歴」に - 3 - トウ とのデマから生じた混乱(S3)の原則的解決のための闘い、これらは「朝 あるいは共産主義の隊列のなかに「民生団員」が数多-清入している を派遣する等の情勢のなかでの「救国軍」に対する冒険主義との闘いI 和竜などに「集団部落」をつくり、満州派遣軍を増強し、朝鮮駐屯軍 というスロ-ガンのもとで土地の私的所有を全面的に否定するとい う)との闘い、あるいはその翌年、当時日本帝国主義が延書、嘩春' とることができず'そのため民主主義的中央集権制の原則にもとづい 級に統山的な党がなく、その他の階級も自己の政党と政治組織をもっ は東南会議で朝鮮革命の主体を確立する決定がなされた。「労働者階 は抗日民族統一戦線がとられ(「実践論」'「矛盾論」)、朝鮮において 主義的人民戦線の結成をよびかけた。植民地化の危機にあった中国で バの資本主義国での反ファシズム人民戦線の、植民地諸国でほ反帝国 シズムを必要とする理由である。」(gi)と報告はのべ、決議はヨ-Pゲ 鮮革命の主体を確立するための愛国的で原則的な闘争でもあった」(a) といわれるようにやがて南潮頭会議における中核の形成(三六・二) 朝鮮の基本矛盾が日本帝国主義、それと結託した地主'買弁資本'親 た単1の大衆組織形態という統1戦線体」がえらばれたのである(管. 祖国光復会がこうして誕生した.十大綱領(Es)に示されているように、 反日義兵闘争、あるいは二〇年代の共産主義運動とはレベルを異にし 朝鮮の現実をもっともラディカルにとらえたものであり'それまでの 4 - ていなかったため-・他国でのように諸政党の連合戦線という形態を 同年五月五目撫松県東尚会議での祖国光夜会の結成にまで結実してい く。周知のように三五年八月二十日コミンテルン第七回大会はディミ トロフ報告にかんする決議を採択した。「深刻な経済恐慌の発展にと 日分子と労働者階級、農民、都市小ブルジョアジ㌧民族資本との矛 盾である以上、朝鮮革命は反帝反封建民主主義革命でなければならな を求めているo彼らはファシズムによって勤労人民にたいして異常に たものであって、いごの解放運動の確固たる礎石となるものであった0 かった.じつに十大綱領は遊撃根拠地での実践にもとづいて'当時の 侵略的な措置をとり、ソ同盟に攻撃をくわえ、中国を奴隷化し分割す た。支配者であるブルジョアジ-はますますファシズムのなかに救い るため侵略的な帝国主義戦争を準備し、またこういうすべての手段に 東南会議ほさらに活動の中心を白頭山を中心とした鴨録江'豆満江沿 岸の朝鮮北部地帯への進出とマルクスレ-ニソ主義党の創建準備を決 よって革命をふせぎとめようとしている。帝国主義的サ-クルは恐慌 のすべての負担を勤労人民の肩におきかえようとしている。これが彼 らがファシズムを必要とする理由である。彼らに弱小民族を奴隷化す 定した.光夜会の旗じるしのもとに戦闘と工作のたゆみない-りかえ しのなかで解放運動は大きく展開した.朝鮮のチュチェ思想の原型は まさに抗日パルチザソの革命精神にあるといわねばならない. 義支配の暗黒の生活から解放と自由をかちとった。キム・イルソンは 1九四五年八月十五日チmソソ人民は三十六年旺わたる日本帝国主 昏2 ることによって'また植民地の抑圧をつよめ新たに戦争という手段に うったえて世界を再分割することによって、市場問題を解決しょうと して.いる。これが彼らがファシズムを必要とする理由であるo彼らほ にたいして軍事的攻撃をくわだてることによって、革命の 諸勢力の成長にたいして先手をうとうとしている。これが彼らがファ の保塁 … - が革命化してくるとともに、ファシズムほ広汎な攻勢にのりだしてき もない'また資本主義の全般的危横がきわめて激化し'勤労人民大衆 労働者と農民の革命運動をうちくだき、ソ同盟!プロレ 「新しいチョソソの建設と民族統1戦線について」(g;)のなかでチョソ ソが長いあいだ日本帝国主義の植民地であったこと、したがってチョ ルジョア民主主義ではなく、労働者階級が指導する人民民主主義革命 (反帝反封建)であり'労働者階級のリ-ダ-シップのもとでの広汎な たえる政治、人民に主権がある政治という意味では'これはみなよい ろ民権だの、民主だのということばをよくききますo人民に権利をあ 独自性をだんことして保持すべきであるとのべながらいう。「このご 性を強調し、そのために日和見主義、極左主義と闘争しながら、党の 族資本家をふくむすべての愛国的民主勢力が参加する統7戦線の重要 て、労働者階級のイニシャティプのもとで農民との授けい、良心的民 当面の課題ほ反帝反封建民主主義革命をいかに遂行していくかであっ 有、小作制は撤廃し'負債は消滅し、土地ほ個人に無償分配された。 権は耕作するものにのみあたえられ、日本人および薗鮮地主の土地所 揚のなかで農地改革が実施された(g!)o 土地改革令によって土地利用 四六年、三・一には二百余万の農民がデモをおこなうという闘争の高 十月ころから小作料の減免闘争がおこったのである。(三・七制闘争) 民の絶対多数は小作、雇農で封建遺制はそのまま残っていた.四五年 四%の地主が総耕地面積の五二・八%をしめ'人口の八〇%に近い農 に参加するという民主主義であった。解放直後チョソソでほ全農家の 農民と都市小資産階級、さらにほ1部の民族資本家をもふくめて革命 ことばであります.しかしこんにちのチmソソにほアメリカやイギリ ソソの資本主義が未発達であり、封建制がねづよく残存しているので ス式の『民主主義』は適しません。西ヨーロッパの『民主主義』ほす (第2、3粂)、継続的に小作させて 改革令をみると'土地利用権を耕作者に賦与し (第1粂)、日本国家、 日本人および日本人団体の、また民族反逆者の所有地、また五町歩以 上の地主の超過分所有地を没収 号ほ軍政を宣布したものであり、かつ英語を公用語とさえしていた。 このような国際情勢の対立が南と北とでのそのごの展開になんらの影 決の原則にたった布告をだしたのに対して、マッカ-サ-の布告第1 アメリカは進駐と同時に対照的な布告を発布した(空.ソ連が民族自 チョソソにほチョソソの実情に適した新しい進歩的な民主主義制度が うちたてなければなりません。」三八鹿線の北と南に進駐したソ連と られていることで東欧のハンガリ-、ポ-ランド'チェコスロバキア、 令で特徴的なことは無償没収・無償分配の原則、均等分配の原則がと 家族のうち労働能力をもつものの数に比例して分配している。この法 にだすことができない 公共機関の利用にあて 負担、負債を免除(第30条)地主の毒力、農業用機具、住宅その他1 と規定し、日本国、日本人および一 切の日本人団体の、または朝鮮人地主所有の果樹園を没収し(第4粂\ - 5 - でに時代おくれになっているばかりでなく、もしわれわれがそれを採 用すれば国の独立を達成しょうとするわれわれの目的ほ実現されず、 響をも及ぼさなかったとはいいきれないであろう。しかし国際博勢が いるものの土地の没収(第LD粂)割譲された土地と関連のある1切の すべてを決定したということほできない。重要なことほチョソソ人民 ル-マニア'ブルガリア等とちがっている点である(c"eQ).さらに売買、 ふたたび外国帝国主義の植民地に転落してしまうでしょう。それゆえ が主体的にいかに条件のなかで自らの途を切りひらいていったかとい 切の建築物、土地を農民に分与し、建物の7部は学校、病院その他の 1条)分与された土地ほ売買'抵当'小作 う点にある。 抵当、小作の制限によって資本主義的要求がでてくること、小作制度 の再生の芽をチェックしていることである。この土地改革が二月十日 キム・イルソンが新しい民主主義というとき、それは古い形態のブ (第10条) (第1 結成された北チョソソ臨時人民委員会の指導のもとに各種人民委員会、 雇農、小作農に依拠した農村委員会の責任のもとにおこなわれている ことも附記しておかねばならない。農業現物税は水田二七%'畑一〇- 活動、教育活動も十分といえなかったし職業同盟に対しても指導が欠 け統一した民主主義政権の樹立という当面の課題への障害となってい 朝鮮人氏自身による統一的な臨時政府の樹立ということで合意をみ 治'経済'文化の各方面で男子と同等の権利をもって積極的に活動で 義的搾取の地盤がなくなり自立独立国家建設の経済的基礎がきづかれ るにいたった。平等権法によって女性は蔑視と虐待から解放され、政 性と創意性が高度に発揮されるようになり、国有化法によって帝国主 ため利用されるようになったo労働法令によって植民地的強制労働か ら解放され労働と生活の基本的権利が保障されたので勤労大衆の積極 やすためでなく農業をふくむ人民経済全般の発展と人民の生活向上の 的土地所有関係ほ清算され、単一農業現物税は搾取者の享楽や富をふ 地改革によってチョソソ社会の後進性と停滞の要因となっていた封建 政府の諸条件を明らかにしたものであった.すでにふれたように、土 を弾圧解散させたアメリカに対して朝鮮人民がのぞんでいる民主的な でっちあげ、「精版社事件」をフレ-ム・アップして南チョソソ共産党 をしき、日本人旧官吏をひきつづき雇傭しっつ南チョソソ過渡政府を 府の性格に関して二〇カ粂の政綱を発表した(A).二〇カ条政綱は抗 日武装闘争期の十大政綱をふえんしながら、南チョソソにおいて軍政 共同委員会がひらかれているころ北チョソソ臨時人民委員会は臨時政 によって、叫八時間労働套l条)I たソ米英三国会議の決定にもとづいて四六年三月ソウルで第一回ソ米 1三%であった(S%)o同じころ発布された労働法令(四六・六・二四)、 男女平等権法(四六・七・三〇) ㈲有害、地下労働は七時間(第2条)、㈲7四-1六才は六時問労働、 「有害な労働条件をもつ生産部門と地下労働における少年労働の禁止」 (第3粂)、軸1四未満の年少者の労働の禁止、㈲時間外労働ほ年間二 (第5粂)'㈲同1労働、同1賃金(第 7条)その他産休毛七日)社会保険が規定され'植民地時代と-に 五〇時間をこえてはならないo 日本の中国侵略戦争、太平洋戦争期に苛幣をきわめた、低賃金、長時 間労働に終止符がうたれた。(産業、交通運輸'逓信、銀行等の)国 有化法令は日本国家と日本人の私人及び法人の所有又は朝鮮人民の坂 道者の所有となっている1切の企業所、鉱山、発電所、鉄道、逓信、 銀行、商業及び文化検閲ほすべて無償で没収して朝鮮人民の所有、す なわち国有とした。国有化法ほしかし資本主義的所有1般の1掃を断 行したものではなく、反帝反封建民主主義革命の一環としておこなわ れたのであって、没収の対象ほ日本帝国主義と隷属資本家の所有にか ぎられ、人民主権と民主改革を支持し'人民経済の復興発展につ-す 中小商工業者にたいしては国家的指導にしたがうという原則で、これ を奨励する政策がとられた(a;).北チョソソ臨時人民委員会の委員の 地に派遣して土地改革の歴史的意義を広汎な農民大衆に解説した」(3) する一一、五〇〇余りの農村委員会を組織し」また「宣伝員を全国各 の主導的部隊である労働者たちを農村に整過し、雇農と貧農を中 で勤労農民の勝利を保障するためにもっともすぐれた党員や祖国建設 きるようになったo「党は地主と小作農、雇農とのするどい階級闘争 出身階層別ほ労働者五・七%農民七丁八%、知識人、商人その他二 二・五%で'四五年十二月十七日現在の北チョソソ共産党の階級構成 は労働者三〇%、農民三四%、その他三六%でキム・イルソンが「北 チョソソ共産竜各級党組織の活動について」(空で報告しているよう にいまだ真の労働者階級の党になっておらず'大衆のなかでの組織 - 6 - た。 主主義を遂行することである。だから労働党になったからといってマ キム・イルソンはのべた。現在われわれの当面の課題は反帝反封建民 の統7的発として北チョソソ労働党を創立した.創立大会を総括して あった。北チョソソ共産党とチョソソ新民党は四六年八月'勤労大衆 の民主化と完全な独立のための北チョソソ民主基地を強化するもので ないであろう。しかし北チョソソでのこの有利な条件はチョソソ全体 で住みょい社会に発展させるための有利な条件をつくった」(38)にすぎ 携、反帝反封民主主義路線のなかではじめて可能となったのである。 もちろんこれらの改革ほ「われわれの社会を、これからもっとりっば というように四六年代の諸改革法には労働者をリ-ダ-とする労農挺 和国では成功裡になしとげられた四七-四八年の人民経済復興発展計 ソソに駐留しつづけることは内政干渉にほかならない」のである。共 総会決議1九五号が「大韓民国」 「朝鮮における唯1合法な政府」 としたことは不当であって、むしろ「アメリカ軍がひきつづき南チョ 「朝鮮民主主義人民共和国(九・九)との正当性に関して第三回国連 国会議員選挙の不法を量11aし、総選挙(S)によって統1した共和国の 創建を決定した。このような経過からみて「大韓民国」(八二重と 回連庸会議ほ前月の単独選挙反対闘争の高揚を強圧し、戒厳令下での すみやかな民主的統7政府の樹立を訴える撤文を発表した.六月第二 もふ-まれていた).遵唐金議は「朝鮮政治情勢にたいする決定」を 採択し、外国の干渉に反対し'南の単独選挙ボイコット'救国闘争、 ルクス・レ-エソ主義の原則をすてるべきであるとか、あるいはマル るとかいうのほいずれもあやまっていると(翌〇 クス・レ-エソ主義者のみが現段階の民主主義課題の実践紅参加しう 画ののち二カ年人民経済計画に着手した.頂)計画ほ糾解放前の工業 叫基本的な生活必需品の生産をいっそうゆたかにし、人民の文化的、 南チmソソ経済を短期間に復旧しうる物質的条件をととのえること、 台をきず-こと、㈱祖国統1ののち、アメリカ支配によって破壊した 生産水準をこえるように生産の成長速度をいっそうたかめること、㈱ 日本の植民地支配から結果した鍍行性をなくし、自主的民族経済の土 四七年原爆外交、ドル外交をかかげたトル-マン・ドクト-ソによ って第二回ソ米共同委員会は決裂した。中国の放棄、ソ連との対決、 日独の再武装を構想したトル-マン・ドクトリンはチョソソ人民によ (ボ-ルドゥィソ)。国連憲章、モスクワ協定に違反し' (国連チmソソ委員団) 和国はいご三年にわたる朝鮮戦争をよぎなくされるのであるが、スト -ソ'コソデ、マ-ク・ゲイン(g)等の著者たちによって詳述されて いるのでここではふれない。年表をぬきがきしておけば、四九年九月I 日本での朝鮮連盟の解散命令、ひきつづいてのレッド・パ-ヂ、五〇 挙戦での)惨敗'六月七日南北チョソソ七1の政党、大衆団体を網羅 挙でおこなおうとした。国連小総会が南チョソソだけの国連監視下の キム・ウオルソン 年1月米「韓」相互防衛援助協定、軍事顧問団設置に関する協定、五 キム・ギユング 単独選挙を議決したころ、済州島では単独選挙に反対する三〇万の武 アメリカはチョソソの統7を国連監視下 治がしかれた」 年団のテロの嵐のなかで昌運辛が暗殺され'「甫チョソソにほ恐怖政 せ同時に軍政府から流れでた資金によって■ひきおこされた朝鮮民選同 文化的水準空荷めること、これが計画の課題であった.五〇年六月共 る政府をのぞまなかった。諮問対象団体で不当な申請をだし'混乱さ - 7 - を 月、ジmンソソ (国防長官)、ブラッドレ-(総合参謀本部長)、マッ カ-サ-(極東軍司令官) の三者会談、同月末のり・スソマンの の選 装蜂起があり、ピョンヤソでは南北連唐金議がひらかれた。南北チョ ソソの党員1000万をもつ五六の政党'大衆団体の代表者が参加 ク (南からの参加者のなかには金九、金圭植、金丹松等の民族主義者 キム (選 こない、六月十九日共和国最高人民会議常任委員会は南チョソソの国 して結成された祖国統一民主主義戦線ほ二度目の平和統一の提案をお 中核とする勤労人民の前衛部隊であり'革命的なマルクス・レ-エソ である。第四回給金報告でキム・イルソンは「わが党は労働者階級を あれ三年におよぶ戦争において北半部に投下された爆弾は太平洋戦争 五九棟、被害をうけた郡1四、岡里1三六(4)といわれている。とも による侵攻四一、人民虐殺二〇八、人民泣致1'三四〇、家慶破壊五 八六〇余、侵入人員数六五、四六八'航空機による襲撃二五九'艦船 における三八鹿線以北地域にたいする南の武力侵犯統計は侵入回数一、 積橡的行動をとる」と声明した。四九年一月より五〇年六月二十三日 度線を偵察したダレスは二十二日「アメリカは数日中に極東において 情を考慮にいれていませんoかれらは、大衆の頭にほまだ日本帝国主 しておらず、わが党の歴史が浅-、党員の政治的水準が低いという実 路線を規定していますo-・一部に党の大衆的性格をじゅうぷん理解 義の原則とわが国の具体的な現実から出発して自己の組織原則と政治 連の特殊性をもっていますoわが党ほ、つねにマルクス・レ-ニソ主 わが国の歴史的条件と具体的な実現からして、自己の発展における】 諸党の闘争の経験からたえず学んでいます。これと同時に、わが党ほ、 学説を自己の活動の理論的指針としており'ソ連共産党をほじめ兄弟 会と最高人民会議連合による平和的統一を提案した.六月十八旦二八 主義の新しい型の党であります。わが党はマルクス・レ11ソ主義の 中日本に投下された量の、密度において十倍に達し、停戦まぎわには 義思想の残りかすがた-さんのこっており、南北が分断されているき わめて複雑な環境のもとでわれわれの闘争がおこなわれているという 細菌戦さえおこなわれ(g)八'七〇〇の工場が破壊され、文字どおり 瓦凍の山と化した.朝鮮戦争は四つの段階にわけられる。叫六月二十 成し逆包囲するまで、叫五1年中頃から坑道式陣地戦に移り'「国連 川江での反撃から三八鹿線以南に「国連軍」を駆逐し'第二戦線を結 線とこれに参加している諸政党にたいする活動にあらわれたまちがっ 核の育成、幹部配置等においての)にふれ、次に祖国統一民主主義戦 織問題の取扱いにあらわれたいくたの偏向尭勢拡大'処分問題、中 ことなどを考慮しないで、党員を完全なマルクス・レ-エソ主義者と みなし、かれらにその水準をこえた要求をしています。」とのべ党組 軍」の八・一八夏季攻勢、九・二九秋季攻勢、一二一一高地の戦闘、 た傾向にふれその原田として糾大衆との遊離をあげていうO チヨン 五日人民軍が反撃、南下し、太田の戦闘をへて釜山三角地帯を包囲す るまで、㈱アメリカ軍の仁川上陸にともなう戦略的後退の時期'㈲清 停戦協定成立まで。戦争中もたれたチョソ労働党中央委員会第四回総 利益をようごするにはかならず大衆とのむすびつきを日常的に強化し なければならない」さらに㈲目的志向性を失っていること㈲批判と自 て懲罰主義の是正'中核の育成、思想、意識水準の高揚、祖国統1民 「大衆の でおこな 会(S)(一九五一・十こ'第五回総会(5)(l九五二・十二) ったキム・イルソンの報告を中心に以下若干の問題点をさゃってみよ 己批判が建設的におこなわれていないこと如カソ。ハニアのみに没遷し て内部活動への関心がはらわれていないこと等をあげ当面の課題とし 解放された地域で党員の再登録と組織の整理をおこなった.それに関 ための改善策として'党内問題として、チョソソの勤労人民の八〇パ 主主義戦線の強化、官僚主義的作風の一掃をあげている。そしてこの 連して党と大衆'党の路線、党と祖国統一民主戦線等の関係をより正 しく規定し、祖国解放戦争の勝利への途を方向づける必要があったの えノ0 第四回総会に先立つ数カ月まえチョソソ労働党は一時的な占領から チョンガン - 8 - 強化され'党勢の量的拡大と質的強化'党性の確立があり'部分的に は試験的な協同農場'ヒチョソをほじめ各地に大規模な地下磯雄工業 -セソトをしめる農民、解放後倍増したとはいえきのうまで農民であ った労働者を関門主義によってチェックすることは大衆を党のまわり 1四1号、「朝鮮 に結集するという労働党の路線にはずれるものであると指摘し'また 「朝鮮時報」(1九七三・l・六)'月刊「朝鮮資料」 基地の設置等があったのである。アメリカにとって朝鮮戦争は「勝利 なき戦争」(クラーク) となったのである。(未完) 処分が問題の解決にならないといい、祖国統7戦線の強化に関してほ 註(1) 学術通報」ⅩN。1等 「朝鮮資料」同右1二-四八ペ-.,,i. 同二四ペ-ジ。 ヽ (友電との) 干渉ではな-相互の忠告を重んずべきであるとのべていう「上層統一 ばかりでな-下層の統一をつよめることに多くの力をそそぐべきであ ります.‥‥下層の統1戦線をいっそう強化することによって'上層 8293 部にのこっている1部の動揺分子に進歩的な下層からの圧力をくわえ 「朝鮮学術通報」ⅨNO5、6 同三三ペ-ジo 1 02 てかれらの動揺をおさえ'また、上層の一部の不純分子を大衆から孤 1九七二・十二月号. 「世界」 29 させぅるようにすべきであります。」北半分の民主基地では戦争中に 「朝鮮学術通報」ⅨN。3 同右。 24266 もかかわらず、五二年度は前年比、国営・協同団体工業総生産額ほ 78492 2 94 (一部友好国の援助にもよる) 山辺健太郎「日本統治下の朝鮮」 1九七1年o 「朝鮮近代革命運動史」一九六四'二五九ペ-ジ。 1 72 26-28 ( 一・二倍、小売商晶流通額は二・三倍 同右二七三四ペ-ジ。 ス件1 23-25 貨物輸送量一・三倍、穀物総収穫高1・三倍(g)と伸びたのである. 人291 争数o33 口貝 卜数人 40飢1 15 3 9 29 第四回大会ほ「党の組織活動にあった極左的誤りをただし、党の隊列 をかためるうえで大きな意義をもつ会議」(9)であったo 朝鮮戦争においてチョソソ人民が達成した勝利を「金日成伝」(a)紘 山祖国の自由と独立と人民主主義制度を守りぬいたこと㈱共和国の地 1鰯- 州雛6 8862 63 1920-22 5 26-28 「朝鮮近代革命運動史」二八七ペ-.,,i. 打倒帝国主義同盟ほ一九二七年反帝青年同盟と改称した。 「略歴」二〇ペ-ジ。 岡右一四1五べ-ジ。 同一六ページ. 三〇年検挙された「思想」犯ほ四〇〇名で二七年の四倍に達した。 ピョンヤソ外国支出版社1九六九 1920-25 位と権威が高まったこと㈲共和国北半部の人民民主主義制度がさらに 発展し'人民の政治的'思想的統1がはるかに強化されたこと納金世 界の平和と民主主義、進歩と自由のためにたたかう進歩的人民の前進 運動に大きなはげましとなったこと㈱社会主義陣営の東方の噂所を守 りぬいた点に大きな意義があると指摘するoとくに㈲についてつけ加 ヽ_ノ 員 - ヽ_ノ 7 ( ′、 ヽ-ノ l.∂ 9 ( 5 ヽー 8 ヽ-・・′ ′ ヽ - 2 3 ヽ_ノ ヽー 6 ヽー 4 ′ーヽ ヽヽ一′ ヽー ′一ヽ 、 ′ ′-ヽ ( 11109 ′■ヽ ヽ_ノ ヽ-ノ ヽ_ノ ′一ヽ 18171615141312 ′、 ′ヽ ′ ヽ えておくなら、第五回中央委員会総会のキム・イルソン報告で分派主 義との全党的な闘いのアピールのなかで反党分派分子の反人民的性格 が暴露され道に各種人民委員会が 五1年の夏季および秋季攻勢の時期、さらにほアイクの第二戦線 結成計画等に呼応しょうとした - ヽ、ー ヽ-._ノ ヽ-′ ヽー ′`ヽ ′ ヽ - べク・ボン「金日成伝」一九六九Ⅰ 〇九ペ-ジo 張学長軍閥の魔下にあった旧東北軍の 部で反日の旗じるしのもとに 立ちあがったもの.未満'南満'北満各地の県庁所在地をはじめ多の中小都市と農村地域に勢力をもっていたが、地主と資本家の権益を 代表する民族主義的な軍隊で日本帝国主義の分断政策により'1方で は朝鮮人側の分派主義とも関連し「万宝山事件」にまで深刻化した。 機関誌「戦闘報」、「軍人常識」'「反帝戦線」'「少年尖鋒」、「唯物史 観」等が発行されていた。 すること。 8、奴隷労働と奴隷教育を撤廃し、強制的な軍事服務および青少年に たいする軍事教育に反対し、わが国のことばと文字で教育し、無料 義務教育を実施すること。 9、八時間労働制の実施、労働条件の改善、賃金引上げ、労働法秦の 確定'国家境開が各種の労働者保険法を実施し'失業勤労大衆を効 済すること。 10、チョソソ民族にたいして平等に待遇する民族および国家と親密に 連合し、わが民族解放運動にたいして善意と中立を表明する国家お よび民族と同志的親善を維持すること。 未来社1九七 キム・イルソソの著作集ほ3「金日成著作集」1-5 一完結のものと㈲「キム・イルソン著作選集」1-5、チョソソ・ピ ョソヤソ外国文出版社未完があるが引用は㈲によったo 「選集」 1- する公用語とする。」 土地改革令についてほ 「朝鮮民主主義人民共和国の国家・社会体制」 ればならない.」(ソ連軍の布告)これに対してマッカ-サ-布告第1 号は「‥‥本官は、本官にあたえられた太平洋アメリカ陸軍の最高権 限をもって、こんごチョソソの北緯≡八鹿線以南及び同地域住民にた いして軍政を実施する。よって占債に関する条項をつぎのように布告 する。チョソソの北緯三八鹿以南の地域と同住民にたいするいっさい の行政権は当分のあいだ'本官の権限のもとに行使する.住民は本官 および本官の権限によって発布した命令にただちに服従すること、占 領軍にたいして反抗的な行動にでたり'あるいは秩序'保安をみだす ものは容赦なく厳罰に処する.軍政期間中英語をあらゆる目的に使用 だチョソソの歴史の第一ペ-ジとなるにすぎない。みのりゆたかな果 樹園は人間の労働と努力のたまものである。そのようにチョソソの幸 福もチョソソ人民が英雄的にたたかい、えいえいと努力して'はじめ て達成することができる。チョソソ人民よ'記憶せよ-幸高ほあな たたちの手中にある。あなたたちは自由と解放をなしとげた。いまで ほすべてがあなたたちにゆだねられている。ソ連軍はチョソソ人が自 由に創造的な労働にとり-めるよう'あらゆる条件を保障するであろ う。かならずチョソソ人民自身が自分たちの幸福の創造者とならなけ 「チョソソ人民よ・・‥チョソソは自由な国となった.しかしこれはた lOペー.'・L 「略歴」三八ぺ-ジ。 二二五ペ-ジ。 「朝鮮人民の自由と解放」 車鮮労働党中央委員会党歴史研究所一九 七一、一三三ペ-ジ、一五一-1五二ページ. 「金日成伝」I l八五ペ-㌔. 「反ファシズム統1戦線」国民文庫 七八べ-ジ. 「金日成伝」- 祖国光復金十大綱領 1、チmソソ民族を総動員し'広範な反日統1戦線を実現することに よサて強盗日本帝国主義の統治を転覆させ、其のチョソン人民政府 を樹立すること。 2、在満チョソソ人は'チョソソ・中国両民族の親密な連合によって 日本およびそのかいらい(満州国)を転覆し'中国領土内に居住す るチョソン人の其の民族自治を実行すること。 3、日本軍隊'憲兵、警察およびその手先の武装を解除し、実にチョ ソソの独立のためにたたかう革命軍隊を組織すること。 4、日本国家および日本人所有のすべての企業所、鉄道、銀行'船舶I 農場、水利磯関ならびに売国的親日分子の全財産と土地を没収して 独立運動の経費に充当し'その一部で貧しい人民を救済すること。 5'日本およびその手先たちの人民にたいする債権'各種の税金'専 売制度を廃止し、大衆の生活を改善し'民族的工業、農業、商業を とどこおりな-発展させること。 6、言論、出版'集会、結社の自由をたたかいとり'日本帝国主稲の 恐怖政策実現と封建思想の鼓吹に反対し'いっさいの政治犯を釈放 すること。 7'両班、常民その他の不平等を排除し'男女'民族、宗教など差別 のない人倫的平等と婦人の社会的待遇をたかめ、女性の人格を尊重 -10- (翌 (聖 (31) ′、 ′ -ヽ ヽー ヽー ヽ_ノ ヽ_.′ ′ ヽ ′ ・ヽ 27 26 2524 (箔) 一九六六 二二四べ1ジ'分配の方法等についての規定は高昇孝「現 代朝鮮の農業政策」 1九七一二〇六-二1四ペ-ジo 七二年四月チョソサソリ協同農場できいたところでほ、農業の機械化 にともなって工場に転出してい-労働者は'土地の権利を無償で放棄 している。 農業現物税ほ五六年二一・1野'五九年八・四界に下げられ六六年廃 止された。 「金日成伝」Ⅱ、1〇四ペ-ジo 「著作集」Ⅰ、一〇二二ペ-ジ。 (3) (3) (4) たたかうこと。 いる地主の土地を没収し'小作制度を撤廃して'没収したすべての 土地を農民に無償で分配し'その所有とすること.港概業にぞ-す るすべての施設を無償で没収し'国家が管理すること。 12'生活必需品の市場価格をさだめ'投機業者および高利貸し業者と 13'単一で公正な税制を制定し、累進所得税制を実施すること0 14、労働者、事務員の八時間労働制を実施し'最低賃金を規定するこ と。十三歳未満の少年労働を禁止し'十三歳から十六歳までの少年 には六時問労働制を実施すること。 15、労働者と事務員の生命保険を実施し、労働者と企業所にたいする 保険制を実施すること。 16、全般的な義務教育制を実施し、国家の経営する小'中'専門学校 および大学を広範に拡張すること。国家の民主主義的制度にのっと り'人民教育制度を改革すること。 17、民族文化'科学および芸術を積極的に発展させ'劇場'図書館' ラ..・7tオ放送局および映画館の数をふやすこと. をひろ-設立すること。 18、国家機関と人民経済の各部門に必要な人材を養成する特別の学校 こと。 19'科学と芸術に従事する人びとの活動を奨励し、かれらを援助する こと。 20'国営病院の数をふやし'伝染病を根絶し、貧民を無料で治療する 著作選集-'1六〇 「北チョソン労働党第二回大会でおこなった中央委員会の活動報告」 著作選集-、二二六ペ-ジ。 「われわれはことし何をしどうはたら-べきか」 ペ-ジ。 「著作選集」九〇-1〇一ペ-ジ. 四八年八月二十五日の代議員選挙で北の投票率は九九・九野、南は七 七・五労であった. 「青年にたいする思想教育組織は民青組織の基本任務」「著作選集」二七六ページ。 工業生産は四六年を一〇〇とすると四七年1五三、四八年二1七であ った.「著作集」I l四八ペ-ジ. 「秘史朝鮮戦争」新評論社'コソデ「朝鮮戦争の歴史」太平 ストーン - ll - 二〇カ条政綱 1'チョソソの政治・経済生活から、かつての日本帝国主義支配のあ らゆるのこりかすを、徹底的にとりのぞ-こと0 2'国内の反動分子や反民主的分子とは容赦なくたたかい、ファッシ ョ的'反民主的な政党'団体および個人の活動を絶対に禁止するこ 3'全人民に、言論、出版'集会および信仰の自由を保障すること。 民主的な政党、労働組合'農民組合'その他の民主的な大衆団体の 自由な活動条件を保障すること。 4、全チョソソ人民は'一般'直接'平等の秘密投票による選挙によ って'地方のいっさいの行政棟閑である人民委員会を結成する義務 と権利をもつこと。 5、性別'信仰および財産の有無にかかわりな-、すべての公民に' 政治・経済生活における同等の権利を保障すること。 6、人格、住宅の神聖不可侵を主張し、公民の財産と個人の所有物を 法的に保障すること。 7'日本帝国主義の支配当時に行使され、または'その影響をうけて いるいっさいの法律と裁判擁閑を廃止し、民主主義の原則にもとづ いて人民裁判横閲を選挙すべきであり'1般公民に法律上同等の権 利を保障すること。 8'人民の福利増進をはかるために、工業、農業、運輸および商業を 発展させること。 9'大企業所'運輸機関、銀行'鉱山、山林を国有にすること。 10、個人の手工業と商業の自由をゆるし'これを奨励すること。 11、日本人'日本国家、売国奴の土地およびひきつづき小作にだして (37) (40) (41) (43) とO (32) (33) (34) (36) 出版社、マ-ク・ゲイン「ニッポソ日記」筑摩書房 写真帖「キム・イルソン同志の革命活動」ピョンヤソ外国支出版社に 「細菌戦果書」蒼樹社一九五三年 「党組織の組織活動におけるいくつかの欠陥について」(五一・十一・ 三二八-三二九ペ-ジ。 「著作選集」(五1・十1・11) 1)「党組織の改善について」 1四1三五1ペ-.I,i. 「党の組織的思想的強化はわれわれの勝利の基礎」(五二・十二・十五) 「著作選集」三七四-四一四ペ-ジ。 「著作選集」≡八三ペ-ジ。 同三八九ペ-ジ。 べク・ボンⅡ 12- - (47) (50)(49)(48) よる 三 Chuche and Jinya Marxism EAWAMURA* SUMMARY Chuche is The socialistic internation・al. a is specified in the constitution of DDPR. it. It is butalso upon not only national for the people pressure model under of colony and to from The transition of socialism communism. fundamentalthouht construction It offers a for in a period the people following papers tries to clarify 1930 to 1945. *哲学教室(Dept. of as is based the process Philosophy) -13- of the formation of Chuche from