...

True at First Light 論

by user

on
Category: Documents
5

views

Report

Comments

Transcript

True at First Light 論
31
True at First Light 論
— Patrick Hemingway の編纂方法とその問題点 —
杉本 香織
はじめに
ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899-1961) の生誕百周年にあたる 1999
年 7 月,彼の二度目のケニア・サファリ体験をフィクション化した未完の原稿
が,次男パトリック(Patrick Hemingway)の編纂によって True at First Light(『夜
明けの真実』,邦訳名は『ケニア』)と形を変え刊行された。この作品は,ヘミ
ングウェイの遺作小説としては『海流のなかの島々』(Islands in the Stream,
1970),『エデンの園』(The Garden of Eden, 1986)に続いて三冊目となるが,
他の二作の例にもれず大幅なカットが行われた。ヘミングウェイに関しては生
前,編集者たちから原稿の加筆・修正・削除等を勧められても,本人がノーと
言えばそのまま出版されたとのいきさつがある。にもかかわらず,膨大な量と
全体を通じて一貫性の欠けるプロット展開が,打算的な出版を前にして大幅な
編纂に拍車をかけたようだ。
本稿ではパトリックの編纂方法とその問題点に焦点をあてる。まずは『夜明
けの真実』編纂の経緯を略述し,その編纂方法をケネディ図書館に「ヘミング
ウェイ・コレクション」として所蔵・公開されているオリジナル原稿と比較す
ることによって紹介しながら,彼が編纂時にポイントとした点を列挙する。そ
してそれらのポイントがオリジナル原稿自体に及ぼした影響を検証し,編纂の
問題点を探る。最後にパトリックの編纂の意図を明確にするとともに,「『夜明
けの真実』研究=オリジナル原稿研究」と位置付けることの危険性を問うてい
きたい。
1 『夜明けの真実』編纂の経緯
ヘミングウェイは生前,作品のタイトルに関しては原稿をすべて書き終えて
からリストを作り取捨選択していたという。 1 したがって本稿で扱う未完の原
稿も「アフリカ日記」(‘African Journal’)という仮題の元で書き進められたま
32 杉本 香織
ま正式なタイトルを付けられることなく封印されたため,パトリックが出版直
前に“True at First Light”と命名するまではケネディ図書館でも,「アフリカ日
記」という名で原稿が分類されていた。 850 頁目の中ごろ,文の途中で突然打
ち切られたこの原稿
2
はまず 1969 年,ペンシルヴァニア州立大学が行った遺
稿調査の後,雑誌『スポーツ・イラストレイティッド』(Sports Illustrated)(以
下『イラストレイティッド』)の編集者の目にとまり,約 4 分の 1(約 5 万 5
千語)の分量にまで削減されて,同じ 「アフリカ日記」(‘African Journal’)
というタイトルのもと 1971 年 12 月 20 日号,72 年 1 月 3 日号,同 10 日号の 3
回にわたって掲載された。したがって今回出版された『夜明けの真実』はオリ
....
ジナル原稿の再 編纂本ということになる。しかしパトリックは『夜明けの真実』
のイントロダクションにおいて,この「アフリカ日記」については一切言及し
ておらず,そのことが出版直後,批評家等の批判の中心となった。
2 『夜明けの真実』編纂方法―オリジナル原稿との比較により検証
2.1 語数
[表 1]はオリジナル原稿を『夜明けの真実』の章分け(全 20 章)に準じ
て区切り,各章のオリジナル原稿の語数を 1 とした場合の編纂本の語数を比率
で表したものである。平均値は 0.56,つまりパトリックは, 196,886 語から
112,110 語へと全体の約 44%をカットしたことになる。右図のようなグラフで
表すと,章によって大きくカットされた章( 11-13 章,17-20 章)と,逆にほ
とんどカットされなかった章( 5 章,10 章,14-16 章)に大別できる。具体的
には,11 章から 13 章までは「作中人物ヘミングウェイのヒョウ狩りの場面」,
17 章はカットの大半が「新宗教に関するヘミングウェイの考察場面」,また 19
章から 20 章までは「彼が第二のライオンを狩る場面」となっている。この第
二のライオンの話は,おそらくヘミングウェイがこの辺りから展開しようとし
た新たなプロットであったと推測できるが,未完で展開が中途半端なためパト
リックが丸ごと削除したようだ。一方,
5 章は「妻メアリ( Mary Welsh
Hemingway)と彼女が追うライオンについての場面」,14 章から 16 章は「メ
アリの不在中に繰り広げられるアフリカ女性デッバ( Debba)との恋と別れの
場面」,そして 10 章はパトリックがタイトルとしてオリジナル原稿より引用し
た“True at First Light” のことばを含む章となっている。これらによりパトリッ
クが場面によって意図的に比重の置き方を変えていたことが明らかとなる。
True at First Light 論 33
2.2 章構成
ヘミングウェイは当原稿の執筆段階では細かく章番号を設定していた訳では
なく,“New Chapter”と書くことによって新たな章を区別していたに過ぎなか
った。全体を概観すれば章の区切りに特に規則性は見られないが,前半に限っ
ていえば,カーロス・ベーカー( Carlos Baker)が著書の中で,ヘミングウェ
.....
イが二度目のサファリ体験後に「アフリカ生活をもとにした一 連の短篇を手が
けた」(傍点筆者) 3 と記した通り,オリジナル原稿 9 章までの各章では「パッ
プとケイティの師弟関係」や「アフリカ(特に宗教について)」等のキーワー
ドが柱となっており,その切り替わりが次章への橋渡しになっている。
オリジナル原稿 9 章の最終ページは,すでに 154 頁目にあたる。その後メア
リのライオン狩りから始まる一連のエピソードが複数章をまたいで展開される
ことから,ヘミングウェイはこの 9 章以降早い時期に短篇から長篇へと切り替
えたと推察できよう。一方のパトリックは,結果的に全 20 章にまとめあげ,
特にメアリのライオン狩りが完結する 8 章までは朝から夜までの一日単位で章
を区切っていったが,それ以降の章に何ら規則性は見受けられない。
2.3 作品構成
元々ヘミングウェイがこの作品で展開しようとした作品世界は,詳細に描か
れる journal(狩りの日常やアフリカの描写)の枠の中に, fiction の要素(その
中でも二大狩猟として「メアリのライオン狩り」と「ヘミングウェイのヒョウ
狩り」を並列させ,その脇にデッバとの関係を添えるもの)と, reminiscence
の要素(パリ・スペインでの思い出や,過去の人間関係等)を組み込んだもの
であった([図1]参照)。二大狩猟である狩りがそれぞれ順に終わった後は,
新たに第二のライオンの話を展開させようとした形跡が見受けられるが,先述
の通り未完のため状況の提示のみで終わっている。
次に『イラストレイティッド』編集者による「アフリカ日記」だが,これは
タイトルをヘミングウェイの仮題を踏襲したのに伴って,純粋に二大狩猟だけ
を並列させた構成となっている。デッバに関しては簡単な人物紹介がなされる
だけで,その後の作中人物ヘミングウェイとの接触は完全に削除されている。
そして最後にパトリックの『夜明けの真実』だが,これは彼がダスト・ジャ
ケットに“ A Fictional Memoir”,イントロダクションに「ヘミングウェイの原
34 杉本 香織
稿は・・・間違っても journal ではない」(9)と断言していることからも明ら
かなように,fiction の枠が journal のそれと並列に置かれるほどにまで押し上
げられている。そして「ヘミングウェイのヒョウ狩り」の場面を大幅に削除し,
単なる日常の狩りのひとつとして journal に移行させてしまった。しかし編纂
後も,ヒョウ狩り実行に至るまでの細かな伏線がいくつか残されており,単に
日常の狩りのひとつとして解釈するには不自然さが残る。これに対しデッバや
メアリが登場する場面は,作品全体を通じてほとんど削除されることなく残さ
れ作品全体の大きな位置を占める。またメアリのライオン狩りについては,ラ
イオンにとどめの一発を命中させたのは誰かということの真相が,狩りに携わ
った人物の見解(間違いなくヘミングウェイがとどめを指したという見解)の
カットによって曖昧さを増した感がある。
こうして三つの視点からオリジナル原稿と両編纂本を比較していくと,オリ
ジナル原稿を素材に『イラストレイティッド』の編集者とパトリックがそれぞ
れ独自の見解をもって編纂したことがうかがえる。が,同時にそのどちらもが
オリジナル原稿とは異なる様相を呈しており,「単に削除しただけで,新たに
独自の文章を付け足してはいない」という編纂者の注釈が,オリジナルの本質
を損ねていないことの表れに必ずしもなっていないことが明らかとなる。
3 『夜明けの真実』編纂のポイントと問題点
さて以上のように編纂された『夜明けの真実』だが,パトリックは『イラス
...
トレイティッド』の編纂よ りはオリジナル原稿の作品構成に近い形で物語を展
開させた。しかしデッバの場面をカットすることなく用いても,それ以外のポ
イントとなる場面(「ヘミングウェイのヒョウ狩り」「独自の新宗教」「メアリ
のライオン狩り」)を上述通りどれも大幅にカットするか,半端な形で終わら
せているため,結果的に作品全体の主題が曖昧になっている。合わせてこれら
とは別に,パトリックが全体を通じて細かく丁寧に削除した項目―「象と象牙
についての考察」と「対ケイティとの関係」の場面―も無視できない。そこで
ここではパトリック編纂の問題点として,まず大きくカットされた場面,「ヘ
ミングウェイのヒョウ狩り」と「独自の新宗教」の接点と,逆にほとんどカッ
トされなかったヘミングウェイとメアリ,デッバの関係をそれぞれ述べ,その
後パトリックにより完全に削除されたオリジナル原稿の冒頭場面を略述し,そ
の冒頭場面の根底に流れている主題と「対ケイティとの関係」とが上記のポイ
True at First Light 論 35
ントとして挙げた各場面にいかに繋がっているかを検証する。そして最後に他
の遺作との関連から「象と象牙についての考察」の場面が持つ意味を考えてい
きたい。
3.1 「ヘミングウェイのヒョウ狩り」と「独自の新宗教」の接点
ヘミングウェイのヒョウ狩りは『夜明けの真実』の 13 章で行われるが,そ
の伏線は物語の前半から細かく張られている。これはヒョウ狩りが「新しい宗
教」(243)を設立するための重要な「儀式」であること,メアリのライオン狩
り以上の価値があることを強調するための伏線だ。またこれと平行して彼は,
この「儀式」を遂行するにあたってヒョウ狩りの夢を見たといった予言めいた
嘘をいくつか語る。すなわちヒョウ狩りとそれを実行するまでの諸々のプロセ
スは,このときすでに彼の中で芽生えていた新宗教設立を見据えており,その
ために必要な「儀式」として大きな意味を持っていたのである。
またヘミングウェイの新宗教は,特にケイティ( Keiti)やチャロ( Charo)
が信仰するムスリムを強く意識したものとして描かれる。ムスリムよりも優れ
た楽園を創造してみせると意気込むだけでなく,ヒョウ狩りを成功させれば何
よりもムスリムにこの新宗教の威力を見せつけることができると考えているか
らだ。メアリのライオン狩りに G.C.など,白人やハンティングのプロが同行
し万全の状況で臨んだのとは対照的に,ヒョウ狩りではヘミングウェイが先頭
に立ち,ングイ( Ngui)やムスカ( Mthuka)らが後に続く。そしてどうにか
ヒョウをしとめ成功を収めると,今度は「新しい宗教を最も高邁かつ崇高なも
のへと高めていく」(243)次段階へと移行する。そして狩りに参加したングイ
やムスカがその宗教にそのままメンバーとして名を列ねることになる。こうし
てヒョウ狩りは結果的に,ヘミングウェイが彼らの指導者としての権威を確立
する格好の場となったのである。
ところが以上のような意味を持つヒョウ狩りと新宗教設立の各場面の大半が,
パトリックの編纂により損なわれてしまった。ヒョウ狩りは単なる日常の狩り
のひとつとして片付けられ,新宗教に至っては設立までのプロセスはおろか,
その具体的な内容や彼独自の世界構想までもが丸ごと削除されてしまったので
ある。
3.2 ヘミングウェイ・メアリ・デッバの相関関係
36 杉本 香織
パトリックはデッバの登場場面だけでなく,ヘミングウェイとメアリの夫婦
愛を喚起させる場面もほとんどカットすることなく使用した。そのためヘミン
グウェイ,メアリ,デッバの三人の関係はとかく愛憎の三角関係でもって解釈
される傾向にあるが,果たして作家ヘミングウェイの意図もそこにあったのか。
まず作中人物ヘミングウェイとメアリの夫婦関係からみていく。表面的には
ヘミングウェイは妻をいとおしく思う夫に終始し,一方のメアリもそんな夫の
みならず,彼の婚約者( fiancée)と称されるデッバの存在をも受け入れる心の
広い妻として描かれている。しかしいったん狩りの場面になると,一転して師
弟関係を意識するヘミングウェイの言動が顕著になり,ふたりの間で口論が始
まる。この言動は,彼が 1933 年から 34 年にかけて行った一度目のアフリカ滞
在の際に,彼をさまざまな面で導き教育したフィリップ・パーシバル( Philip
Percival),通称パップ( Pop)を意識したもので,かつてのパップを自分に,
そして彼を師と仰いだ過去の自分を今度はメアリに置き換えたからに他ならな
い。この時点でヘミングウェイにとってメアリは,自分がパップの位置にまで
登りつめるための道具と化し,また同じ「アフリカにやってきた白人・西洋人」
でも「脱西洋・脱白人」を図る自分とは対極にある存在となる。それらを順に
追っていく。
まず師弟関係におけるヘミングウェイとメアリに関しては,彼がライオン狩
りの際に,かつてパップが口にした「ライオンを油断させるんだ」(48)とい
う助言を繰り返し,「戦士( a warrior)」(41)と自らを称するメアリを成功に
導く立役者に徹しようと努める場面に代表される。そこに見え隠れするのは夫
婦というよりむしろ師弟の構図だ。にもかかわらずヘミングウェイは土壇場で,
彼女の目の前でライオンのとどめを刺してしまう。憤慨するメアリには彼女自
身が撃ったと納得させ喜ばせつつ,影ではプロハンターである G.C.やケイテ
ィが彼の功績を称え,彼女の銃持ちのチャロまでもが実はヘミングウェイに「ど
うかあなたがライオンを仕留めて終わりにしてください。女がライオンを撃つ
なんてきいたことがありません」 (283)と懇願していたことが判明する。こう
してメアリの知らぬところで,彼女以外に彼女がライオンを命中させたと信じ
る者,もしくはそもそも彼女の成功を望んでいた者などいなかったという状況
を作り出してしまう。
また「アフリカにやってきた白人・西洋人」でも「脱西洋・脱白人」を図る
ヘミングウェイとは対極にある存在としてのメアリは,クリスマスを強く意識
True at First Light 論 37
し行動する彼女(ひいては西洋)の宗教が,カンバ族などのアフリカ人には理
解不能なものとしか映らないことに端を発する。そしてそんな彼女を横目にヘ
ミングウェイは「なにしろメアリはメンサヒブだからな」(189,memsahib:
社会的地位を有する白人の婦人,西洋人の既婚夫人に対して用いた敬称)とい
って早々に一線を画す。クリスマスの呼称についても,ヘミングウェイはメア
リのいう「クリスマス」(Christmas)ではなく現地の人間に合わせて「幼子イ
エスの誕生日」(the Birthday of the Baby Jesus)(45)の方を用いる。またメア
. ..
リは彼が設立した新宗教のメンバーに名を列ねることさえできない。「部 族以
...
外の者が信者になるにはメンバーの承認が必要だ」(277,傍点筆者)と彼が考
えているからで,いまや彼にとってメアリは,完全に異なる部族・宗教の人間
として位置付けられていることが明らかとなる。そればかりか彼が一度目のサ
ファリに同行した二番目の妻ポーリーン( Pauline Pfeiffer)を回想する場面で
. ..
も,「ポーリーンが死んだということは知らせていなかった。まして,彼 らの
............
気に入りそうにない別の女と結婚していたこともあって」(281,傍点筆者)と,
メアリひとりが蚊帳の外へ追いやられてしまう。ヘミングウェイにとってポイ
ントとなる場面―「デッバとの恋と別れ」,「新宗教についての考察」,「ヒョウ
狩り」,「デッバに銃を構えさせる」―がすべてメアリのナイロビ旅行中,つま
り留守中に行なわれるのも何ら不自然なことではないのだ。
一方のデッバに対しては,ヘミングウェイは自らが握る銃に彼女の手を重ね
合わさせ,二人一緒に獲物を狙うという普段メアリには決してしないことを敢
行する。そして「カンバ語には『愛』と『すまない』という言葉はない」
(143)
ことを都合よく利用してデッバと付き合い,都合よく別れた後もせっせと会い
続ける。彼女は若くて美人, 4 そして何よりも「作家」という職業がどのよう
なものかを知らず,彼に対して何の不平不満もこぼさないという作家ヘミング
ウェイが描く「理想的非アメリカ人女性」の典型として設定されている。しか
しこれはあくまで,いまや弟分と化した妻メアリには期待できない女性の領域
―作中人物ヘミングウェイを無条件に敬愛し,ホルスターを握る仕草で求愛す
る―を担う人物に限られている。だからこそデッバの場面は作品全体を通じて
満遍なく出てくるにもかかわらず,二大狩猟の両場面で見受けられるほどの発
展的な筋を備えてはおらず,作品の主題との関連も薄いのだ。
しかしヘミングウェイがメアリを道具にして成しえようとした「脱西洋・脱
白人」の試みは,彼が結婚を本気で望むデッバに対して重婚を認めないアメリ
38 杉本 香織
カの法を楯にその思いをとどまらせようとした瞬間,その浅はかさが露呈され
る。この言動はメアリに「アメリカ(西洋)人・白人」の衣をかぶせ,それと
は対極にある自分を強く打ち出そうとしたそれまでの意図と大きく矛盾するか
らだ。しかしそもそもデッバがヘミングウェイを好きになったきっかけや尊敬
し続けた理由を探っていくと,実際にはそれらも「アメリカ(西洋)人・白人
の成せる技」の範疇にしか存在しえないことが分かる。彼女の尊敬の念を維持
できたのも『ライフ』(Life)の切り抜きに掲載された写真や薬品を使った医
療行為のおかげであったし,そして何よりも豊富な財力があったからだ。さら
にオリジナル原稿 34 章において,彼が夜デッバを誘って狩りに出ようと思い
立つものの,すぐに取りやめる場面がある。そうすることによってケイティや
チャロに対して自分と新宗教の威厳を損なう恐れがあると考えたからだが,や
はりここでもデッバ以上にケイティを意識し,新宗教を第一に考える彼の真の
姿が垣間見える。
3.3 オリジナル原稿の冒頭場面の完全削除と「対ケイティ」への意識につい
て
3.1 と 3.2 では,「ヘミングウェイのングイやムスカたちに対する地位確立」,
「ヘミングウェイとメアリの師弟関係」の構図を述べていったが,オリジナル
原稿を読んでいくと,それらの原点がパトリックによって完全に削除された冒
頭の場面にあることが分かる。これはパップとケイティの師弟関係についての
描写で,『夜明けの真実』の冒頭に先立って 702 語,約 1 頁半にわたって描か
れている。ここではふたりの名前は言及されず,「偉大な白人ハンター」(パッ
プ)と「老人」(ケイティ)が長年にわたっていかに互いに信頼し賞賛し,尊
敬し合ってきたかが述べられ,『老人と海』(The Old Man and the Sea, 1952)の
サンチアゴ(Santiago)とマノーリン( Manolin)の関係を彷彿とさせる。その
後引き続いてサファリをしに渡ってくるアメリカ人が冷ややかな視点から語ら
れるのだが,この冒頭場面にはメアリやデッバはおろかヘミングウェイ自身も
登場しない。先述のように当初ヘミングウェイがこの作品を短篇として書き始
めたことを考慮すると,これらの場面の持つ意味は軽視できず,その後長篇と
姿を変えてからもこの場面が軸となって様々な形に展開されたと推測できるし,
現にそのような作品構成になっている。その軸とは「アフリカへサファリ・ツ
アーにやってきたアメリカ人」から,自身も敬愛するパップの位置にまで登り
True at First Light 論 39
つめようとする作中人物(あるいは作家)ヘミングウェイの奮闘である。そし
てその過程がアフリカの日常を通じて,二つの方向性―「パップ:ケイティ=
ヘミングウェイ:ングイ&ムスカ」,と「パップ:ヘミングウェイ=ヘミング
ウェイ:メアリ」の図式―をもって実行に移されたのだ。事実 3.1,3.2 でも
ヘミングウェイがケイティを意識していることは明らかで,オリジナル原稿に
も彼がパップの信頼を得ているケイティに対してライバル心を露にする場面が
所々に描かれているが,その大半がパトリックにより丁寧に削除されている。
ヒョウ狩りや新宗教設立にングイやムスカを従え,一見黒人に対する支配力の
固持を目指した言動に映るが,むしろ白人(特にパップとメアリ)やライバル
のケイティを強く意識した結果生み出された言動といえよう。
3.4 他の遺作との関連性―『エデンの園』の場合
『エデンの園』はスクリブナーズ社の編集者トム・ジェンクス( Tom Jenks)
の手によって 20 万語から 7 万語にまで編纂された遺作であるが,その杜撰な
編纂が及ぼした弊害はすでに様々な研究者によって明らかにされている。ヘミ
ングウェイはこの作品において,現在進行中の男女の愛の物語に作中人物であ
る新進作家デイヴィッド( David)の創作という設定で,別のいくつかの短篇
小説を平行して書き継ぐ「劇中劇」の仕組みを取り入れた。その短篇のひとつ
が「巨象狩り」の話で,この象が『エデンの園』のデイヴィッドと『夜明けの
真実』のベテラン作家ヘミングウェイをつなぐ掛け橋となっているという指摘
が『夜明けの真実』出版から遡ること 3 年,1996 年にローズ・マリー・バー
ウェル( Rose Marie Burwell)によってなされている。彼女は著書の中で「象
は,読者の作家ヘミングウェイに対する期待や public image に添おうとするこ
とで生じる重圧のメタファーとなっている」 5 と述べ,その象の場面が『夜明
けの真実』のオリジナル原稿にも,ヘミングウェイがメアリの留守中にひとり
ベッドに横になり象について考えを巡らす場面となって再現されていると指摘
した。ここで彼は巨象の牙に関して,象牙が見事であればあるほど象にとって
大きな武器となり魅力となるが,その反面それが故に人間に象牙を狙われ命を
も奪われる危険も増すため,象牙も結果的には最大の欠点になると考える。こ
の長所や魅力に対する周囲の賞賛・期待が,最後には自身の破滅をもたらすこ
とになるといった状況は,作家ヘミングウェイに置き換えてみれば,二度目の
サファリの最中に二度の飛行機事故に遭い,メアリの日記に自ら“
Semi-
40 杉本 香織
unbearable suffering”6 と記すほど健康を害したことで今まで以上に周囲の期待
や public image に敏感になり,それに添うことに必死にならざるを得なくなっ
た焦りと作家としての限界を示唆していると考えられる。事実メアリの『実際
のところは』(How It Was, 1976)にも,ヘミングウェイが象を「非常に大きく
て,偉く,気高い」 7 と表現し,殺すことを頑なに拒んだと記されている。
また『夜明けの真実』のオリジナル原稿を執筆中の 1955 年には,アドリア
ーナ(Adriana Ivancich)に手紙を送り,アフリカに関するこの物語を「単なる
楽しみのため,そして苦痛で気が狂ってしまわないために書いている」
8
と記
している。さらにこの作品に関しては,「自分が死ぬまで出版を待った方がい
いのではないかと思っている」 9 とヘミングウェイが語ったとの記録がある。
これらから彼が作家としての限界と逃避を,遠いアフリカを舞台に,「作家」
という職業の意味をほとんど知らないアフリカ人との交流を通じて吐露したと
も考えられる。ところが,パトリックはこの象と象牙についてのヘミングウェ
イの考察場面の大半をことごとく削除した。元々『エデンの園』の中の「巨象
狩り」の話も,全体の作品から抜き出され別に「アフリカ物語」(‘An African
Story’)というタイトルを付けられて,同じく死後出版の『ヘミングウェイ短
篇全集』(The Complete Short Stories of Ernest Hemingway, 1987)に収録されたい
きさつがある。 10 これに追随するかのように今回も同じようなことが繰り返さ
れたといえよう。
4 『夜明けの真実』編纂の意図
以上を踏まえてパトリックの編纂意図を探っていくと,四つの意図が浮かび
上がってくる。まず一つ目は彼が『イラストレイティッド』編集者の「アフリ
カ日記」に反発,ヘミングウェイや編集者とは別のタイトルを新たに考案し,
オリジナル以上に fiction 色を強くすることによって,幅広い読者層に受け入
れられることを狙いとしたことである。そしてその fiction 色強化は,『イラス
トレイティッド』の編集者が意図的に削除したデッバを執拗に登場させること
で成しえようとした。
また二つ目はパトリックのメアリに対する同情の念である。彼はヘミングウ
ェイの二番目の妻,ポーリーンの子であるが,父ヘミングウェイの後妻メアリ
に対する辛辣で乱暴な言動を幾度となく目の当たりにしており,「ふたりの夫
婦関係の残忍性」 11 にとうに気付いていた。そしてメアリが実は見かけほどタ
True at First Light 論 41
フではないとの確信を強めていたようである。 12 だからこそ亡き母のポジショ
ンにいるメアリのことを,『夜明けの真実』のイントロダクションにおいて「妻
として真の一流であった」(9)と記し,作品においても「ライオン狩りの成功
を村の皆から祝福され,夫にも愛される妻」の印象を強めるような編纂を施し
たといえる。これは同時にデッバの場面を多用しながら,実際にはイントロダ
クションで彼女のことを「一種の dark-matter で・・・メアリとは反対の人物」
(9)と位置付け,彼女に対する愛着の薄さを露にしたのとは対照的である。
三つ目はタフガイ・ヘミングウェイの復活である。ヘミングウェイのアフリ
カ滞在中に彼と対面したパトリックは,二度の飛行機事故の後,明らかに父の
容態が悪化したことを見てとった。事実この作品の執筆中も左眼の視力が弱く
なったり,左耳が聞こえなくなるなどの症状が出ており, 13 そんな現状が,意
図的であったかどうかは別にして作品内に象と象牙の場面となって吐露されて
いた。しかしパトリックはヘミングウェイの作家として・人間として衰えつつ
ある姿,逃避する姿をいずれも削除した。息子パトリックも父に劣らず public
image に固執していたようだ。
そして四つ目は,パトリック自身が長年抱いていた fiction を書きたいとい
う思いである。彼はジェイムズ・プラス( James Plath)とのインタビューで以
下のように語っている。
James Plath: Why haven’t you written a biography? Both of your brothers
have written one, and Mary has written one.
Patrick Hemingway: I think that I would very likely write something, but I
have felt that what was outstanding about Hemingway as a writer was that he
was a writer of fiction . . . and until I can feel myself able to write fiction, then
I’d just as soon not write. I’m not particularly interested in memoir . . . .14
すなわちヘミングウェイのオリジナル原稿を fiction だと確信しながらも,『イ
ラストレイティッド』の編集者が fiction の要素をすべて取り除き journal 色に
終始したことを逆に利用して,パトリックがヘミングウェイの原稿をモチーフ
に,長年自らが夢見た fiction を仕立てあげたと考えられる。そうであるとす
れば,テーマがヘミングウェイのものと異なった様相を呈しても不思議ではな
いが,その時点でこの『夜明けの真実』はヘミングウェイの作品ではなく,パ
トリックの作品として世に送り出されなければならないし,「『夜明けの真実』
42 杉本 香織
研究=オリジナル原稿研究」の位置付けも成立しなくなる。
5 結論
結論に入る前にまず,『イラストレイティッド』編集者の「アフリカ日記」
の欠点にふれる必要がある。彼の編纂はオリジナル原稿を 4 分の 1 の量にまで
削減せざるを得なかった事情を考慮すれば,二大狩猟に絞ることによってプロ
ットを簡潔にし,「アフリカ日記」として必要最低限の責務は果たしたといえ
るが,実際オリジナル原稿には「静」の場面が多く,そういった会話や思索に
ふける場面がこの作品を単なる「日記」に限定させていないため,その大半を
削除してしまった編纂は簡潔ではあるが,作品全体を無味乾燥なものとさせて
いる。そしてパトリックの編纂は「静」の要素を残しながらも実はその本質を
削ぎ落としており,かつ「動」の二大柱であるはずの狩猟話も中途半端な形で
片付けてしまっているため,『イラストレイティッド』編集者の編纂以上に深
刻な問題を抱えている。パトリックの fiction 色を強く打ち出した今回の編纂
は,タンガニーカでの長年の経験を生かして平淡なアフリカ描写にメリハリを
生み出したまではよかったのだが,逆にヘミングウェイ自身が生み出そうとし
た別の fiction 面を損なってしまったことは以上のことから十分に指摘できる
ところである。
そもそもこの作品が fiction たる所以は,心身ともに追いつめられた作家ヘ
ミングウェイが,作中人物ヘミングウェイの姿を借りて狩りの成功や新宗教設
立を土台にある種の楽園を創造し,それによって敬愛するパップに近づこうと
した試みにあるのであって,あくまでも fiction 化の対象は「ヘミングウェイ
自身」なのである。したがってパトリックのメアリに対する同情が彼女の場面
カットを最小限にとどめさせ,さらには夫婦愛の好印象を付加することによっ
て,イントロダクションで言及しているような「テディベア」 (11)のイメージ
を編纂本から喚起させようとしても(What I offer in True at First Light is a child’s
teddy bear.),その思惑は全くの見当違いでしかない。夫婦・恋愛関係にしても,
ヘミングウェイが描いたのは妻メアリとその関係ではなく,同じアフリカにあ
って彼女と対極にありたいとする自分自身の姿であり,その欠如した夫婦関係
を埋め合わせる役割としてデッバが登場したに過ぎないからだ。
しかし本稿はヘミングウェイの未完作品が秀作で,その良さがパトリックの
編纂によりすべて損なわれてしまったということを主張するためのものではな
True at First Light 論 43
い。あくまでパトリックの編纂方法とその問題点を明らかにすることを眼目と
したため,ヘミングウェイがこの作品で提示した主題や作中人物ヘミングウェ
イの描き方,また両者の融合・差異などといった微妙な距離感や相互関係につ
いてのさらなる考察は別の機会に論じることになる。しかし他人の手によるこ
うした場面の削除や文章の移動が,小説・フィクション合わせ五作もの遺作(も
う一作存在するとのことだが) 15 を持つヘミングウェイの総括的遺作研究に及
ぼす弊害は計り知れない。
19
17
15
13
の章
11
9
Tru7
e at
5
3
ght
t Li
Firs
教
新宗
象
ウ
ヒョ
ba
オン
ライ
yと
Deb
Mar
比率
較
Firs
数比
の語
e at
Tru
t Li
ght
【資料】
1
0
0.2 0.4 0.6 0.8
1
20191817161514131211109章8章7章6章5章4章3章2章1章
[表
* 編 計
1]
纂本 章 章 章 章 章 章 章 章 章 章 章
の語
数/
オ
オ
リ
ジナ
196 1 1 リジ
ル
1
1
1
1
1
1
1
4,476
8
,0,1
2,,3
88
3,0,31
1,17ナ
8ル
6,5 4,274
8,0,95
7,1 45,3,13 4,270,33
,22681,627
,
,
7
1
本
2
1
5804 9 89758 977 5 7
の語0 2
3 2 2 385458283
数
オリ
ジ
編
112
纂
本
11,
,1
31
5
4
2
1
6
3
6
6
4
4
8
8
5
6
9
3
8
1
, , , , , 7,65,57,49,14,47,40,90,87 53
524,400,552,338,318,1
130219684127198
8 3 3 1 7 2 1 2 8 8
比率
*
0.50.20.40.40.30.70.90.80.40.40.30.70.70 0.40.50 0.60.70.60.6
6 2 1 7 6 1 8 2 8 4 9 9 1.6 9 7.9 5 5 2 4
44 杉本 香織
*H
ay
l
》
Jou
rna
ョウ
Hの
ヒ
ライ
Mar
オy
ンの
Firs
t Li
ght
l ’》
Jou
rna
Ligh
t
ican
Firs
t
Afr
の構
成比
《 較
l
《‘
Tru
e at
Jou
rna
Fict
ion
Tru
e at
Fict
ion
ba
Deb
ウ
Hの
ヒョ
ライ
Mar オy
ンの 思 イン
パリ -ceRnem
幼少
人間
仲間
妻や
での
・ス ce inis
時代 い出
関係
との
作家
ペ
ウ
Hの
ヒョ
[図
Jou 1
]
r
n
a
l(狩
Fict
《
り・
オ
i
on
オリ
アフ
ライ
Mar
リジ
ジ
リ
オy
ンの
ナル
カ描
ナル
原稿
写)
原稿
》
ba
Deb
e c n e c s i n i me R
ライ
第二
オン
の
ngw
emi
=H
・‘
Afr
True at First Light 論 45
ican
Jou
rna
l
46 杉本 香織
*本稿は,日本アメリカ文学会中部支部 11 月例会(2001 年 11 月 17 日,於名古屋大学)
での口頭発表原稿を加筆修正したものである 。
Notes
本稿に引用した原文およびその箇所は以下のテキストによる。
True at First Light (New York: Scribner, 1999).
1 Harold Bloom, ed. Ernest Hemingway: Modern Critical Views (New York: Chelsea
House Publishers, 1985), p.133.
2 オリジナル原稿の最終頁は 850 頁だが,以下のような欠頁・重頁がみられるため,
実際の総頁数は 829 頁である。
欠頁:271-279,623,656,717,790-799
重頁:627
3 Carlos Baker. Ernest Hemingway: A Life Story (New York: Charles Scribner’s Sons,
1969), p.526.
4 パトリックは『夜明けの真実』末尾の人物紹介において,ヘミングウェイが女性
を写実的に描く能力に欠けていると論評されていることに言及しているが,彼自
身デッバの身体的特徴が記された一文をカットしている。
5 Rose Marie Burwell. Hemingway: The Postwar Years and the Posthumous Novels
(Cambridge University Press, 1996), p.145.
6 Mary Welsh Hemingway. How It Was (New York: Alfred A. Knopf, 1976), p.389.
7 Ibid., p. 372.
8 Rose Marie Burwell の前掲書, 135 頁。
9 Ibid., p. 138.
10 『エデンの園』における作中の短篇「アフリカ物語」については,西尾 巖『ヘ
ミングウェイと同時代作家―作品論を中心に』(鳳書房, 1999 年),201-208 頁を
参照。
11 Bernice Kert. The Hemingway Women (New York: W. W. Norton & Company, 1983),
p.453.
12 Ibid.
13 Carlos Baker の前掲書, 530-531 頁。
14 James Plath and Frank Simons. Remembering Ernest Hemingway (Key West: The Ketch
& Yawl Press, 1999), pp.50-51. インタビューは 1986 年5月 29 日に行われ,The 1986
Hemingway Days Festival に関連して Clockwatch Review III:2 に初掲載された。
15 Charles M. Oliver. Ernest Hemingway A to Z (New York: Facts On File, Inc., 1999),
p.333. この未完の原稿は鉛筆書きで 20 章まで仕上がっており,“Jimmy Breen”
という暫定的な題目がつけられているという。
Works Cited
Baker, Carlos. Ernest Hemingway: A Life Story. New York: Charles Scribner’s Sons, 1969.
Bloom, Harold.,ed. Ernest Hemingway: Modern Critical Views. New York: Chelsea House
Publishers, 1985.
True at First Light 論 47
Burwell, Rose Marie. Hemingway: The Postwar Years and the Posthumous Novels. Cambridge
University Press, 1996.
Hemingway, Ernest. True at First Light. New York: Scribner, 1999.
Hemingway, Mary Welsh. How It Was. New York: Alfred A. Knopf, 1976.
Kert, Bernice. The Hemingway Women. New York: W. W. Norton & Company, 1983.
Oliver, Charles M. Ernest Hemingway A to Z. New York: Facts On File, Inc., 1999.
Plath, James and Frank Simons. Remembering Ernest Hemingway. Key West: The Ketch &
Yawl Press, 1999.
西尾 巖『ヘミングウェイと同時代作家―作品論を中心に』鳳書房,1999 年
Fly UP