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及地未子さんご孝労さま 調布市文化協会会長 高 岡 宮 子 調布 三 曲協会会長、渡辺泰子 さんは、 この 度 14年 間 の調布 三 曲協会会長職を退かれると の ことですが、調布市文化協会 として非常 に 残念 な思 いの 中、声高 らか に 「ご苦労様」と 申 し上げます。 渡辺泰子 さん との出会いは六年前、私が文化協会会長に就任 したその年 に 調布 三 曲協会創立 40周 年記念演奏会が開催 され ご挨拶 に伺 った ときで した が、それ以前 よ り渡辺泰子 さんの偉大 さ、 日本 における邦楽界 での知 名度、 活躍ぶ りは、前吉尾調布市長をは じめ多方面の方々よ り聞き及んでい ました。 三 曲 に 関す る作 曲や編 出さらに後進の指導 もさることなが ら、三曲協会会員 の 合 同演奏の企画、 とりわけ平成 19年 の 調布 三 曲協会創立 45周 年記念演奏 会で の 布 田小学校合唱 クラブの皆 さん との コラボ レー シ ョンは、圧巻 としか 例 えよ うもな い素晴 しい もので、長友調布市長 と並び拝聴 しなが ら、鳥肌の たつほ ど興奮 し、感動、感銘 を受 けた次第です。文化協会 に加盟す る舞台発 表部門 の 多 くは、会派や グル ー プ ごとの 舞台で の発表が殆 どですが、 この 回 体で の 合 同演奏 はその組織 力 の 充実 さに繋が るものであ り、 まさに渡辺泰子 さんの会長 としての人 間性 と、邦楽の世界を熟知、極めた証 しと、後継者 育 成 の努力 とともに 自然体で の 活動が今 日の成果 に繋が った もの と尊敬 して止 まない次第でございます。 「ご苦労様」 ……それは寧 。三絃 ・尺八 とい う三 出 の高貴な調べ と素晴 しさ と、仲間の輪、 日本古来の伝統文化を絶やさぬ努力を怠 りな く退進 して こられ たこと等、細心の配 りで長年調布三曲協会会長職を勤め られました渡辺泰子さ んに、あ らためて 「ご苦労様」と申し上げます。 普段何気な く使 う 「ご苦労様」の言葉が こんなに意義ある言葉なのかを しみ じみ思い知 らされま した。 調布市民文化生活向上に ご尽力され、感謝 しきれない感動をいただきました 渡辺泰子さんに 「ご苦労様」の言葉 と共に厚 く御礼 申し上げます。 シル クロー ド 第一 客 駒井 友辺 工子 綿 前 孝子 ヤ西賀代手 口代 せ つ子 大切 す 佐藤 兵 終 ` ル ロー ユー ラシア大 陸の永おをつ なく シ ク ド。 f人 の使 考 がナ いた主 は、やがて世 界ヤの人 々が群 がる東易の場 と してキ え、人 類 の夫化 歴史に大 きく貢献 しました。 いにしえ人の夕 と憧 れ、牧 と野望がうごめ くシルクロー ドく ある考は宮 を、ある考 はイ ニ月 R を、またある考 は技 を、そしてある考は修 りを得 ました。 その主 は地 球 の隅 々まで後 り巡 らされ、時 を超 えて現 在 に続 いていま抗 1980年 、NHK待 ‖ シルクロー 作 の ドキュメンタリー春組 NHK特 隼 「 ド」が次雄 れ子率を与夕那がシンセサイザーで作 前 し、多くの人々に愛 されました。そ の前 を客尺八で編前 したもの を今 日は年 と切弓お閲 きい ただきます。 2凸 口流 竹生 島 等 異菖 洋 子 二 絃 吉川 和 博 0対 千代口校杖 作静 博 寿 竹生島は滋賀忌の発色湖にある角く 角のヤにある宝駐寺 には子率 の神弁財夫が容られていま曳 今 日演秦する 「 t生 角」は、繰曲からく る物告 を縮約 して唄われていま曳 “ 帝 に仕 えると下が竹生島に参者 したおり、漁箱 とあまが寮内をし ました。と ころがあまは弁財夫 となり社炊 に入 り、漁箱は竜神 となり 水ヤに八 ってしまいました。 やがて社炊 より弁財夫 が塊 れ、豆妙 な 子率で葬 を弁 い、湖岳 より竜神 が全鉱 殊 工を持 って塊 れ、これを巨 "と い 夫 お、たたび社敗 と湖水 にもどってゆきました。 う物孝 下に捧 ↓ をうたっています。 3尺 八4三委曲 フ ト!末 ジョン海 hネ プチューン 作 曲 r尺6寸尺八 約 的 冷 観 r尺8寸尺八 P日棒 長 男 二 輸 棒 夫 2尺r寸 尺八 佐 藤 ラ、 キ 2尺4寸尺八 給 本 第一 率幸 は尺八のルーツ、伝範的な本 前 をもとに作前 したもので曳 日本 の子階、自由なリズム、間を重礼 してあえて衡潔 なものにしました。 第二 率幸 はヨー ロヽ ノパ的 ルーツ、とくに16世 そ この対住法に感化 され 挿八 されたよリリズミカルな木端 が特徴 で曳 ︱ 泉後の率幸は趣 きを添えるためにところどころ日本 の陽旋 法 の子階 が ︱ て作 ったもので坑 4北 日雪賦 負沢麻夜 作 前 ︱ ︱ 第一奪 寒 口 浴 子 第二等 原 口 長樹 子 十七釜 潤 、 林 千 患子 二 釜松 本 食 子 かまくら」と 町ゴん この前は、未北地 方に古くから伝 わる雪のまつ り 「 てん」 に兆をあて、雪とそれに深 くかかわりながら生きる人々のえ歌 を推 ︱ お いたものです。 「 かまくら」は、3月 15、16日 に行 なわれる小二月の行事。 雪室に ホ神様 を容 り、その年 の望年 を析 りま抗 雪と兆の許長のヤに、さまざ まな子の幻想が広がっていきま曳 町ゴんてん」 は、大 きな御帯 を神社 に奉約する身壮 な行事。 雪に閉 ざされた人々の、この日にかけたエネルギーの昴揚 と魂 の理勃 が感動的 ´ に作曲されていま鬼 5さ らし風手 事 挙高春 村 同 ふ み 宮成主雄 作 曲 門寄 カ ヨ子 挙なる ヤ 的 淑 子 昭わ 27午 (1952年)作 前の岳低 2部 の年による二童秦前で坑 宇 “ llのさらしの様子 をお いた地唄 「 治ブ 古ざらし」に現れる3種 類の さら "を し手 オ材 とし、それを白静に変化発尺 させた作品です。 布 などを水 に幡 して漂白する作業はリズミカルなものであり、水 の流れる子の擬子 的衆塊 とともに、器率的素材 として格好 のものでありました。 七共的妥 とに富んだ前です。 素 を巧みにいかした交イ EE E 6挙 独委的 道 溜 締御 等 渡 辺 泰 子 ` まっすく な整、まが りくねった主、太い主、約 い主、坂 主、災な主、 いろいろな主 がありますかヽ吉者や夫化、人 権や風習の主う人 たちが互 いを認 め、理解 し谷 い年月をかけて一つになった作大な主 ・… その主に願 いを込 めて ・… 。 口布 付歌 わ が町 調 布 高野臭代子 作 む 分 木全兵子 作詞 友辺 泰子チド率件 秦 綿 む 第一筆 渡 辺 泰 子 門寄 カ ヨ子 ヤ 西 賀代 子 口村 博 寿 第二挙 原 口 具樹 子 駒井 孝 子 ヤ拘 淑 子 兵菖 洋 子 二 絵 対 同 ふ み 松本 食 子 吉川 れ 博 十七釜 米 口 浴 子 口代 せ つ子 小 林 千 患子 尺 八 P日棒 良 男 橋本 洋 佐藤 ラ 、 キ 約拘 冷 祝 歌 佐 二輪 捧 夫 藤 兵 終 調布市市歌 である わ が Wr判 布 を年二 絃尺八で演 条できるよう綿 前 致 しました。 送 る言葉 調布 三 曲協会 の会員 となって 30年 、会長 として 14年 本 当 に ご苦労様 で ござい ま した。調布 三 出協会創立 35・ 40。 45周 年記念演奏会や、北部公民館での新春邦楽 コ ン サー トや調布市文化会館たづ くりでの 「 如月 にひ く」な ど の 自主公演 は とても楽 しい思い 出 とな りました。 今 日は この演奏会 のために、調布市歌であ ります 「 わ が町調布」の編曲を していただきま した。 これは私たちの みな らず調布市 の宝物 とな りました。 これか ら機会有 る ごとに演奏 してまい りたい と思います。 今 日は心を こめて演奏致 します。 渡辺さん長 い問あ りが とうございました。 調布三 曲協会一 同 町 調 布 (調布市民 の歌) わが 木 野 鈴 高 ひか りとゆめを がまちに わ みずとの は み あ 一 か た し き き ― の や ま が わ み の ものひかる た は くお うぶつの じ んだ い じ ね む ― め ゆ とお きれ き ― し ― の か ぜ 一か お 一 り りに 1 く す の み ど 登美子 作 詞 美代子 作 曲 二 、 百 日 紅 の花 ひ ら き いき か う 人 も に ぎ わ し く ﹂だ ま す る 並 木 の路 に ヽ つた 声 も わ か も の た ち の ヽ 、 あらたな鐘 の 鳴りわたる 光 と 歌 は ち り ば め る 風 と 陽 は わ が 町 に 町 にあ ふ れ る 力 あ り 三 望 み こめ 町なみに 太陽 の あ す の調 布 の 未 来 を え がく る み ど り と 花 と め ま 美 し き 日 の 願 いあ り り 空と地は わが町 に ち 光 と 花 を ち り ば め る