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JEAP留学・サマーセミナーレポート
JEAP留学・サマーセミナーレポート アメリカ・カリフォルニア大学リバーサイド校 国際交流学科 木村 春香 私は2008年3月24日から2009年3月24日までカリフォルニア大学リバーサイド校に留学しました。 長期留学は中学生の頃からの夢でした。高校時代に何度かの短期留学やホームステイを経験し,また 大学1年次には海外留学奨励奨学生として同大学に1カ月間派遣もしていただきました。そのため, 出発前は海外やホームステイに対する不安はなく,ようやく叶う1年間の夢のような生活を楽しみに していました。 私のアメリカでの1番の目標は, 「辛いことを経験する」というものでした。それは何か壁にぶつ かり,その壁を乗り越えて成長したいと思ったからです。またもうひとつ,「世界中の友達をつくる」 という希望もありました。さまざまな環境で生まれ育った人とコミュニケーションを取り,共に学び, 語り合い,たくさんの価値観を知って自分の世界を広げたいと思っていたからです。 私はホストファミリーと一緒に生活していました。ホストファミリーは私を本当の家族のように受 け入れてくれ,ホームシックとは無縁の生活でした。彼らは, 「春香から日本の話を聞くと実際に日 本に旅行した気分になって楽しいから,もっと日本のことを教えてちょうだい」と私の話をいつも聞 いてくれました。またアメリカについて質問すると,自分の意見をはっきりわかりやすく伝えてくれ, 時にはディスカッションすることもありました。明るいホストファミリーのおかげで家の中はいつも 笑いが絶えず,楽しい毎日を送ることができました。 私は春学期,夏学期,秋学期,冬学期と4学期間勉強しましたが,最後の冬学期以外の3学期は毎 回ルームメイトがいました。私は2人の韓国人のルームメイト,1人の台湾人のルームメイトと過ご しました。私たちは同じ部屋で生活し,バスルームも共用でした。学校が終わるとお互いのその日の 出来事を話したり,共通の友達や好きな歌手,また将来の夢などたくさんのことを共有してきました。 ルームメイトたちは私より年上だったこともあり,いつも私を妹のように気遣ってくれ,私も自分の 姉のように慕っていました。しかし誰かと同じ部屋で一緒に生活するということはときには苦労もあ ります。お互いの国の文化が違い,考え方や感じ方が違うのは当然のことです。相手を尊重し,なお かつ自分自身をストレスで押し殺さないように保ちながら生活するのは大変難しいことでした。ある とき私はルームメイトとスタイルが合わず,苦しい思いをしていました。友達に相談しても良い解決 法が見当たらず,私はホストマザーに相談しました。彼女は私の話に涙を流しながら真剣に聞いてく れました。そして「春香がアメリカという異国で,英語やアメリカの文化について悩むのではなく, ─ 35 ─ 自分らしく生きることに関しての悩みを持っていることがとても嬉しいし誇りに思う。あなたは生活 していく上で必要な英語を習得し,文化にも理解を持って適応しているという証拠よ」と言ってくれ ました。そしてさまざまな問題に対してアドバイスをくれました。肌の色が違っても母国語が違って も,私はホストファミリーを第2の家族だと思っています。 そんな私のホストファミリーが,第2の家族と呼ぶある家族がいました。クリスマスや年越しも一 緒に過ごしたほど,この2つの家族の絆は深かったです。週末になるとホストファミリーと一緒にそ の家族の家に遊びに行きました。そこは大家族で,週末になると息子夫婦や孫たち,いとこや祖父母 と大勢の人たちでにぎわっていました。一緒にバーベキューをしたり,仮装したり,踊ったり,歌っ たり,ゲームをしたり,大勢のアメリカ人に囲まれて過ごした週末は忘れられません。みな私を家族 の一員として受け入れてくれ,一緒に話していてわからないスラングを教えてくれたり,遊びに誘っ てくれたり,いつも気にかけてくれました。ある日,友達と約束がありその家に遊びに行けなかった とき,3歳の男の子が「春香がいないよ,春香はどこにいるの?」とみんなに聞いて歩いていたとホ ストマザーから聞き,英語が通じないこともあるのにも関わらず私のことを友達として認めていてく れたことを嬉しく思いました。帰国するためファミリーの家を出る最後の夜もその家族とパーティー をしました。泣きながら「春香に会えたことを神様に感謝しているし,もう家族の一員と思っている。 いつカリフォルニアに帰ってきてもいいからね。 」と言ってくれたことが本当に嬉しかったです。 学校では目標通り,韓国・台湾・タイ・中国・サウジアラビア・トルコ・イタリア・ブラジル・ロ シア・フランスなど世界中の友達をつくることできました。授業でのグループワークやペアワークを 通してクラスメイトと仲良くなっていき,授業以外でも関わるようになっていきました。アメリカで の生活が始まって約1カ月後だった私の誕生日には,すでに30人ほどの友達ができてパーティーを開 いてくれました。出会ったばかりの私のために集まってくれたことと,そのような恵まれた環境で生 活していることに感謝しました。友達とは勉強でわからないことを教えあったり,ホームステイの話 をしたり, お互いの国の話など多くのことを共有しました。放課後や週末に映画館やショッピングモー ルに出かけたり,ロサンゼルスやサンディエゴに行くこともよくありました。気の合う仲間と過ごす 時間は本当に楽しく,国籍や宗教にとらわれずに充実した時間を共に過ごしました。いつも冗談を言 い合って笑いが絶えず,勉強などで辛いときは相談しあいました。ときには喧嘩をして言い合うこと もありましたが,すべて「英語で」です。その環境が私の英語力向上に大変力を貸してくれたのだと 思います。1年間でたくさんの人と出会いました。「出会いがあれば別れもある」と言うように,私 はたくさんの別れも経験しました。留学生は帰国したり,転校したり,人の入れ替わりが激しい環境 にいます。留学生はいつもそれぞれの夢に向かって努力し,お互いの夢が叶うことを信じているので す。そして成長していつかまた会うことを約束してきました。 私はこの1年間本当にたくさんのことを経験しました。カナダとニューヨークに一人旅をしたり, 友達とサンフランシスコに旅行しました。夏は金曜日の午後に海へ行き,1週間の疲れから解放され ました。日本語教員養成課程で日本語教授法を勉強しているので,アメリカ人の社会人クラスで日本 語の授業にも通っていました。また,本キャンパスで戦争映画の授業を履修し,アメリカ人の中に日 ─ 36 ─ 本人1人だけで勉強したこともありました。その授業では,進むスピードがとても速く,ICレコーダー で授業を録音しながら勉強していました。毎日たくさんの宿題におわれ,涙を流すこともありました。 ハロウィンの日には友達と仮装して学校へ行きました。たくさんの人と共に笑い,共に泣きました。 数えきれないほどの出会いと別れを経験しました。本当に中身の濃い1年間を過ごすことができまし た。私はその中で,相手の文化や価値観を尊重し,たとえ国籍や母国語が違っていても信頼関係は築 くことができるということがわかりました。1日1日が貴重なかけがえのないもので,毎日が新しい 経験であり,たくさんの人に出会い交流することができました。そして私はそのような素晴らしい環 境を与えてくれたJIUと支えてくれた家族と友達に感謝しています。この1年間で「心から感謝する」 ということを教えてくれたアメリカでのさまざまな経験は私にとって宝物です。私を支えてくれた人, 出会ってくれた友達,カリフォルニアという土地,すべてに心から感謝しています。 スペイン・バルセロナ自治大学 国際交流学科 古谷 尚理 皆さんはスペインと聞いて何を思い浮かべるでしょうか。サッカー,闘牛,フラメンコ,パエリア, 生ハム,サングリア,そしてガウディやピカソ,ダリなどに代表される芸術作品の数々,挙げれば限 りがないことでしょう。イスラムの支配と大航海時代を経て長い歴史を刻み,豊富な観光資源に恵ま れたスペイン。私は平成20年9月から翌年7月までの11カ月間,スペイン第2の都市,バルセロナに 留学しました。 スペイン語を始めて1年半たらず,基礎知識もおぼつかない状態での挑戦でした。日本社会にはす でに外来語として多くの英単語が浸透し,中学生から培ってきた知識もあります。果物の英単語は覚 えなくても誰もが知っています。しかし,スペイン語の場合は文法も単語も全てがゼロからのスター トです。日本語には馴染みのない文法表現や覚えても覚えても出てくる新しい単語の数々。そして, 初めて行くスペイン。バルセロナへ留学することは単に語学を学ぶだけではなく,新しい世界で自分 がどれだけ頑張れるのか,どれだけ多くのことを吸収して力を発揮できるのかを問われる機会でもあ りました。 正直なところ, いつまで経っても成長を実感できず何度かこの留学が本当に正しい選択だっ たのか悩んだことがありました。ろくにルームメートとも言葉を交わさない日や向上心に欠けがちな 日々が続いたこともありました。しかし,こうした状況に負けずにやり遂げられたことが成功のカギ だったと感じています。 バルセロナ自治大学はカタルーニャ州に位置し,独自の文化と言語を有する地域にあります。その ため,テレビや新聞はもちろん大学の講義もカタルーニャ語で行われています。私たち留学生にとっ て,このカタルーニャ語はとても厄介なものでした。というのは,単語は多少似ていても発音がスペ イン語とは異なるため,街中や大学構内でカタルーニャ語が聞こえてくるのはとても複雑な感じだっ ─ 37 ─ たからです。また,興味のある科目がこの言語で行われていることもしばしばあって,履修できる科 目が限られてしまったこともありました。人によっては,スペイン人であってもカタルーニャ語でし か話さないという人もいました。スペイン語を勉強しているのにカタルーニャ語が耳についてしまう のは学習者にとっては複雑な環境ですが,私はむしろこの環境にある種の異文化を感じました。長く 複雑な歴史の中で培われたカタルーニャの民族観を一番わかりやすく感じられたのは言語です。街で 「カタルーニャ語を勉強しに来たのかい」と聞かれたり,スペイン語でこれは何て言うのかを聞くと, よく「ちなみにカタルーニャ語ではね」と親切に付け加えて教えてくれたりもしました。自分はカタ ルーニャ人だ,と胸を張って言うその心意気には私たち日本人にはない自分の町への愛情や誇りを垣 間見ることができました。スペインには他にも独自の言語をもつ地域があり,これはスペイン文化の 特徴であり良さです。スペインと一口に言っても地域によって歩んだ歴史も話される言葉も違い,そ こに住む人々の価値観も違います。この奥深さがスペインの魅力ではないでしょうか。バルセロナで その一面を感じることができたのはとても良い経験です。 現地での生活についてですが,留学中は大学構内にある寮で生活していました。寮母さんや食堂が あるわけではなく団地のような広々とした部屋で,私にはスペインとフランスの間にある小さな国ア ンドラ出身の子と2人のスペイン人のルームメートがいました。同じ部屋に住んでいても自分のこと は自分でやるのが共同生活の基本なので,食事や洗濯,時間の管理も各自で行います。スペインの生 活スタイルでとても面白いのは食生活です。 スペインは1日5食,というのは聞いたことはあるでしょ うか。これは本当で,毎食しっかり食べるのではなく,朝起きてからクッキーを何枚か食べ,10時頃 にサンドイッチなどの軽食,そして2時頃にしっかりと昼食をとり,夕方5時頃にまた少しつまんで 最後に9時か10時頃にスープやサラダなどの軽い夕食といった具合です。一般的にスペインでは昼食 は2時頃,夕食は9時頃が目安で,私が最も慣れなかったのが,このような食事の時間帯です。余談 ですが,スペイン人はお皿を洗わず,シンクに山積みにするとイメージする人がいるのではないで しょうか。実は私もそう思っていた一人です。私の実体験からすると,日本人と比較すると大雑把な 面があるのは事実で,実際に私のルームメートもよく使った食器をシンクに置きっ放しにしていまし た。これに我慢できずいつも私が洗っていましたが,彼女に言わせると後で洗うつもりなのに私が先 に洗ってしまうのだそうです。サービスに徹する社会を重んじる日本人がスペイン社会に入ると嫌で も親切になってしまうようです。実際にはきちんと洗い物をするスペイン人はたくさんいますし,整 理整頓をしてゴミを分別して捨てられるスペイン人もいるのです。 次に大学生活についてです。 バルセロナ自治大学には留学生別科のプログラムがありません。スピー キング,リスニング,ライティングなど語学を学ぶ上での分野別の授業はなく,留学生のための特別 な授業も一切ありません。通訳・翻訳学部に所属して,現地の学生と同じように講義を受けて学期末 にはテストがあります。まだ基本的な知識しかない私にとって,いきなり講義をスペイン語で受ける のはとても大変で,特にスペイン文学や歴史の授業では何を言っているのか全く分からず,プリント や黒板に書いてある単語を辞書で調べるだけで精一杯で,いつもクラスメートに助けてもらっていま した。留学生別科でない分,現地の学生と一緒にレベルの高い授業に参加できたことは貴重な経験で ─ 38 ─ す。この学部には日本語を勉強しているスペイン人学生がたくさんいて,日本のマンガやアニメを教 材にした翻訳の授業がありました。文法やスピーキング,ライティングスキルに重点を置く授業も大 切ですが,翻訳という観点から専門的に表現の方法を学ぶのはこの学部ならではの授業でとてもため になりました。特に好きだった授業は現地の学生向けの日本語の授業で,先生として参加しました。 自ら必要な資料を準備して,敬語や難しい表現を教える時は絵や紙芝居を作成したりもしました。日 本語を学習者に教えるのは意外と難しいもので,間違いを指摘することは簡単でもそれを専門的な知 識を持って教えるのは簡単なことではありませんでした。さらに,スペイン語で教えるので頭を2倍 使います。 パートナーとの会話の練習では教え方が一方的になってしまい,呼吸が合わずコミュニケー ションのやり取りに苦労しました。コミュニケーションは自分の考えを相手に伝えることが重視され がちですが,時に大切なのは相手の気持ちをよく見極め,どこに疑問を感じ,何を考えているのかを しっかりと理解することだと思います。そうすることでより深い信頼関係を築けるのではないでしょ うか。 「話すより耳を傾けろ」ということがこの授業で学んだことです。 授業外の課外活動でも素晴らしい経験ができました。日本の団体がバルセロナに立ち寄ったとき, プロジェクトの一環で行われた市役所での平和宣言に立ち会い市内観光のガイドを務めたり,バルセ ロナにある日本企業が主催する「餅つき大会」では来客者への会場案内や司会を務め,さらに日本語 弁論大会や日本人学校でのボランティア,日本総領事館の見学もしました。スペインで活躍する日本 人や日本企業で活躍するスペイン人,日本とスペイン双方の交流の場を目にして私も近い将来,何ら かの形で異文化交流に貢献したいと改めて思いました。 言うのは簡単なのに伝わらない,どんなにゆっくり話してもらっても分からない,生活リズムの違 いによるルームメートとのすれ違い,認めがたい他の留学生との差,たらい回しが得意な役所関係者, ちょっと待っていてくれと言って永遠に戻って来なかった駅員,私が遅刻したら「すごく待ったよ」 と5分や10分しか遅れてないのに大げさに言うくせに自分が遅刻したら何の悪気もなく「日本人は時 間に正確だね」と言う友達,自分から電話すると言ったからずっと待っていたのに,いつまで待って もかかってこないから電話してみると「なんで電話してくれないんだ」となぜか怒られてうんざりす る日々。異なる文化の中で育ったから時間の感覚が違うのは当然で,気持ちの受け取り方や伝え方も 様々です。こうした文化の壁を越えて楽しみを共有できることに異文化交流の素晴らしさがあると思 います。育った国が違っても同じ人間がそこにはいて越えられない文化の壁はないはずです。異文化 の楽しみを教えてくれたのは意外にも厄介な人たちでした。彼らに出会えてとても嬉しいです。また 会える日を楽しみにしています。¡Hasta luego! ─ 39 ─ バース・スパ大学 国際交流学科 田中 絢子 私は2009年の4月16日から9月までの約半年間,イングランドの南西部の町BathにあるBath Spa 大学に交換留学生として留学しました。 最初は留学を視野に入れていなかったので,実現することになったのは本当に思いがけないことで した。しかし,子供の頃から英語に憧れ,なんとなくイギリス英語を学びたいと考えていたので,こ のチャンスを逃しては絶対にいけないと思い,留学を決意しました。また1年生の時に「短期留学奨 励奨学制度」でアメリカのカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)に行かせていただいたこと もあり,留学の意味と重要性を十分に理解しているつもりでした。海外での経験は必ず自分の英語学 習の自信につながり,コミュニケーションの面でも自分自身と向き合えるチャンスです。イギリスに 行かせていただけることが本当に嬉しく,また誇りに思いました。 イギリスは伝統的で,由緒正しい格式のある国です。現代においても女王が国を治める立憲君主国 であり,古い城や教会など歴史的な建築物が多く残っています。 私が滞在していたBathは“bath(風呂) ”の語源にもなった町で,ローマ支配時代に,豊富に湧き 出る温泉を利用して,貴族たちの保養地が作られました。現代にもその時に作られた宮殿と大浴場の 一部が残されており, 国内屈指の観光地でもあります。Bathの町並みは,伝統的な「フラット(flat)」 (ア メリカのapartment)が並び,地面は石畳,家と家の間からは,広い牧草地や農地がのぞき,まるで 映画のヒロインのような気分にさせてくれます。一歩郊外に出れば何十年も前からある可愛らしい小 さなコテージが並び,水路では水鳥たちが遊びます。私も滞在時にはよく散歩に出かけ,風景の写真 を撮りながら歩きました。 Bath Spa大学では,foundation courseを履修し,30分休みを挟み一時間半の授業を午前中に2コ マ,午後は2時間1コマの授業を受けました。午前中の授業はレベル別の少人数クラスで,各クラス 5〜15人程度でした。Listening,Writing,Speakingを総合的に伸ばすためにディスカッション形式 で行われ,時には先生や学生のアイデアで,テキスト以外のことをも授業に組み込まれます。私たち のクラスでは,各生徒が持ち時間1時間で,先生となり授業を行いました。その1時間のために1週 間前から準備をしたり,先生と相談したりと,今まで培ってきた自分の英語のスキルをフル活用せざ るを得ない,今まで経験したことのない英語学習方法に取り組みました。午後の授業は選択授業で, Culture,Oral,Reading & Writing,テスト対策クラス等の中から,各学生が自分の興味のある授業 を履修することができます。私はCultureとOralクラスを履修しました。Oralでは発音やアクセント について学び,Cultureクラスではイギリスの食べ物や文化,歴史に関係することやイギリス文学の Readingも組み込まれました。Readingでは私にとってまだ難しかった課題が与えられたので,毎回 クラスメイトに助けてもらい,泣く泣くやっていたことを覚えています。昼食は,大学にある売店で ─ 40 ─ サンドウィッチやピザ,果物やスナックなどが買えました。しかし私は毎朝バターとジャムでサンド ウィッチを作り,紅茶をいれた水筒を持って行っていました。 大学は週に何回かソーシャルプログラムの一環で,パーティや,イングランド各地へ日帰り旅行を 企画してくれました。旅行では,ロンドンだけでなく,カーディフやコッツウォルズにも無料送迎バ スを出してくれたので,現地での旅行プランを友達同士でたて,自分たちの好きなように大聖堂や観 光地を回りました。他にも,仲の良い友達と,少し遠いスコットランドまで数日間の旅行をしたこと もあります。 新しい街で伝統的な食べ物や生活様式,街並みに触れることは,とても刺激になりました。 留学中の滞在はホームステイでした。私はこの前にもアメリカで1カ月間のホームステイを経験し ていたので,うまくいけば,ホームステイはとても楽しいものだということを知っていましたが,ど んな家族なのか,うまくやっていけるのかなど,実際に会うまではやはり不安なものです。 イギリスでの私のホストファミリーは50歳くらいのホストマザーでした。彼女は猫とモルモットを 飼っていて,とても優しく,親切な方で,帰るころには本当の家族のようでした。ホストファミリー には本当の娘のように私と接してもらいたいと留学前から思っていた私は,とにかく重要なのは,感 謝の気持ちを伝えることだと考えていました。英語にまだ自信がないのなら,行動で感謝の気持ちを 伝えれば良いと思い,毎食後は二人分の食器を洗い,紅茶を入れるところまでをやらせてもらいま した。その後は,ホストマザーと一緒にテレビを見たり,その日の出来事を話したりしました。週末 には家事やペットの世話を手伝うなど,できるだけホストマザーと一緒にいる時間を作りました。ま た,彼女が出かけるときはいつも私を一緒に連れて行ってくれました。まだBritish Englishに慣れて いなかった私は,迷惑をかけているのではないかと不安だったのですが,その場にいる人たちみんな が話の内容を分かりやすく直してくれたり,私が話せる話題を作ってくれたりしたので,いつも楽し く過ごせました。長い期間,英語に自信が持てずにいたのですが,そんな時だったからこそ様々な人 たちとの出会いの場と英語に触れる機会を常に彼女は作ってくれていたのだと思います。食事に関し て,ホストマザーはステイする学生には,できるだけイギリスの家庭料理をふるまうようにしている と言って,忙しい中,キッシュやコテージパイ,ローストディナーなど,毎晩イギリス料理を作って くれました。もともと料理が好きな私のために,週末にはクランブルやスコーンを一緒につくってく れることも度々ありました。ホストマザーのおかげで,クラスで一番イギリス料理に詳しくなりまし た。ホームステイをすることで,イギリスの言葉,生活スタイル,愛情表現の方法等をしっかり学ぶ ことができたと思います。 帰国まで,勉強面や,国籍の違うクラスメイトとのコミュニケーション方法の違いなど毎日戸惑い と困難の連続でした。しかし,友達や先生方に支えられ,毎日ホストマザーと会話することで,うま く乗り越えられたと思います。特にホストマザーとは,お互いに辛いことや今までのこと,恋愛の話 など,女二人だからこそ話せたことがたくさんありました。語学の向上はもとより,新しい場所で, 自分ひとりの行動力を頼りに実践する勇気と,自分は誰かに支えられているという認識,感謝の気持 ち,人を信頼できるということの大切さを,改めて肌で感じることができた,貴重な経験だったと思 います。将来,子供と接する仕事に就くことを目標にしているので,この経験を活かしながら,私に ─ 41 ─ しかできない指導を考え,自分とは違うものをたくさん吸収できる児童教育のお手伝いができればと 考えています。短い期間であっても,海外での経験は今後の自信になり,誰にも盗まれることのない その人の財産になります。私はこれを自分の強みに変えて,今後の目標に向かって,少しずつ前進し ていけたらと思います。 セント・メアリーズ大学 国際交流学科 千葉 恭平 私は2009年2月から8月までの約半年間,カナダにあるSaint Mary’ s 大学に留学していました。 私は,入学当初から留学をしてみたいと思っていました。高校の時にカナダに研修で行ったのがそも そものきっかけです。それからずっと留学することに憧れていました。私の目標は,現地の人とスムー ズに英語でコミュニケーションをとることでした。 2009年1月末,私は念願叶ってカナダに留学することが出来ました。私の留学先はカナダの Halifaxという場所です。空港に着いた時にはすでに夜遅くでものすごく寒かったのを今でも覚えて います。それから私と友人2人はそれぞれのホームステイ先へ車で送ってもらいました。車から降り るとホストマザーが出迎えてくれました。私のホストマザーは一人暮らしのおばあさんでした。ホス トマザーとはいろいろな話をしました。前にも日本人が来たことがあったようで,お土産のお箸や折 り紙にとても興味を示してくれました。おかげでそれほど緊張することなくまた気を引き締めて留学 生活をスタートできました。 大学生活の始まりの日のことです。大学まではバスで通っていました。バスで家から15分ほどの場 所に学校がありました。学校に着いて簡単な説明を受けるとすぐにクラス分けのためのテストがあり ました。ほとんど何を言っているのか,何を書いたらいいのかも分からずじまいでした。結果は予想 通り一番下のクラスでした。正直ついていけるのか不安でした。授業が本格的に始まってみるとやは り難しいものでした。 講義は全体的にディスカッションが中心で意見を求められることもしばしばありました。日本で やったこともない方法の授業に最初は緊張であまり声も出なかったりしました。しかし,何度か皆の 前で発表をすることで何とか伝えることが出来るようになっていきました。友達も少しずつ出来てく ると授業中もコミュニケーションがとれるようになっていきました。最初こそ電子辞書を片手にコ ミュニケーションを取っていたものの次第に簡単な挨拶や会話は辞書を使わないでもできるようにな りました。また,朝はいつも一番に教室に行って先生と朝からいろいろな話をすることが日課にもな りました。2カ月も経つと,授業でもそれ以外でも英語を使う機会は来た時とは比べ物にならないく らい増えました。家でのホストマザーとの会話はもちろんクラスや友達との会話,買い物の時に店員 と会話をするときもありました。2カ月で1セメスターというくくりで授業を行うので,当然テスト ─ 42 ─ も最後にあります。結果はともかく,自分の実力は確実に上がっていると感じました。普段家に帰っ てからインターネットが使えるようになるまでは,TVドラマをホストマザーと一緒に見るか宿題を するかしかなかったこともあり, 家で宿題以外にも勉強するようになりました。 家では単語練習を したり,薄い本を買って読んだりすることも多かったです。ホストマザーのお孫さんもよく家に遊び に来ていたので彼と遊んであげることもたびたびありました。 学校の中にはトレーニングジムもありました。学生なら学生証を見せることで無料でいつでも使え ました。ジムには筋肉トレーニングマシンや関連機具だけでなく,ヨガや柔道をはじめスカッシュな どインストラクターに教えてもらえるようなクラスもいくつかありました。外には大きな人工芝のグ ラウンドもあり,アメリカンフットボール,サッカー,トラック競技などができました。そこには観 客席もあり,大学のアメリカンフットボールリーグ,女子高生のサッカーリーグなどそれぞれシーズ ンになると観客も入ることができるようになっていました。私は友人と定期的に通うようにして体調 管理をするのに活用していました。室内では特にランニングマシンを中心に使っていました。屋外で は陸上トラックを使ってランニングや友人とサッカーをしたりしました。私は利用しませんでしたが, 学校の近くにプールやスケートリンクもありました。Halifaxにはバス通りのいたるところに大きな 公園があったので週末にもなると公園に行って体を動かすこともありました。公園にもテニスコート やバスケットコートはもちろんスケートボードコート,BMXコートなど場所によっては様々なスポー ツができました。 私たちのクラスのあるTESLセンターでは様々なアクティビティが(課外活動として)ありました。 毎日のカンバセーションランチをはじめ,大学の中でお菓子を食べながらみんなで映画を見たり,放 課後にいろいろなスポーツを通してコミュニケーションを取ったりしていました。特に私はサッカー のアクティビティには毎回のように参加していました。TESLセンターにいた男子学生の大半はサッ カーが好きで,いつも大人数で楽しく,時には激しく活動していました。他にも休日を使って大人数 で旅行にも行くアクティビティもありました。特にPrincess Edward Islandに旅行で行ったことが一 番楽しかったと思います。そこは赤毛のアンの舞台になった場所で,アンの家もありました。そばに は海があり,みんなで海へ行って遊んだり,夜はバーベキューをしたり星を眺めたり色々楽しめまし た。帰りにみんなで大きなロブスターを食べたりもしました。 TESLセンターには夏休みもありました。日本の学校のように長い休みではありませんが,1週間 程度の休みがあります。その中でモントリオールとニューヨークにも行きました。自分たちでホテルや飛 行機の予約を取ったことはとてもいい体験だったと思います。もちろん自分たちの言いたいことを英語 で伝えることは大変でした。しかし, それをやり遂げたことは大きな自信に繋がるものだと思います。 また, タイムズスクエアや自由の女神像など色々な観光地を回ったこともとても印象に残っています。 私の半年間の留学はとても充実していたと思います。外国に行き日本との違いを肌で感じたことは もちろん,自分の英語能力,コミュニケーション能力の向上に成果があったと思うからです。特に, 帰国してからは留学以前より自分をだせるようになったと思います。残念ながらTOEICのスコアは あまり伸びませんでしたが,それでも私にとってはとても良い経験ができたと思います。 ─ 43 ─