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パウカルタンボの祭(ペルー) 近藤元子 「チリ民俗音楽について」と題して

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パウカルタンボの祭(ペルー) 近藤元子 「チリ民俗音楽について」と題して
パウカルタンボの祭(ペルー)
近藤元子
「チリ民俗音楽について」と題して始めたこの不定期シリーズも、第 9 回目となりまし
たが、もはやチリ国内には留まらず、国外へ飛び出してしまいました。
さて、7 月 16 日は聖母カルメンの日です。チリでは今年、この日が祝日として定められ
ました。聖母カルメンを祭る教会は、イキケのラ・ティラナ、サンティアゴのマイプー教
会が有名で、チリで民族舞踊を踊る人々は通常ラ・ティラナへと向かい、フィールドワー
クをします。ラ・ティラナの祭については過去に書いたことがありますので、省略します。
今年は更に北上し、ペルー、クスコ近郊にあるパウカルタンボという村で行われる祭へ行
ってきました。
1.
いざパウカルタンボへ
世界的な観光地であるクスコに比べ、パウカルタンボは知る人の少ない村なのではない
でしょうか。実際クスコに到着し、
「パウカルタンボに行く」と言うと、怪訝な顔をされま
した。しかも、情報がほとんどない状態でのクスコ到着でした。手持ちの情報は以下の通
り。
1. クスコからバスで 3 時間半
2. 途中断崖絶壁を通る
3. 宿はほとんどない。寝袋を持っていって民家の土間で寝るしかない
4. 祭は4日間続く
5. 夜はものすごく冷えるらしい
とりあえずは観光局へ行ってみました。すると幸運なことに、その祭に行くという男の子
が担当でした。で、彼が言うには「え?宿?大丈夫、大丈夫、なんとかなるよ。寝ないで
祭を楽しめばいいよ!」
。まったく情報になってないんですけど・・・・・。パウカルタン
ボ行きのバス発着場所を教えてもらい、翌日 14 日の早朝にバスに乗り込みました。
バスは満席になると出発し、途中もう席がないのに通路にまで人が乗ってきます。クス
コの町を離れ、田舎道に入っていくと、舗装道路は終わり、凸凹砂利道、しかも山道特有
のカーブの多い道になりました。やがて、情報の通りバス一台がやっと通れる道の横は断
崖絶壁となり、窓の外を見るのが恐ろしく、ただただバスの揺れに身を任せるのみとなり
(余談ですが、チリに戻った後、祭り最終日の夜中にクスコへ向かって出発したバスが転落し、乗客全員死亡
ました。
という話を聞きました。
)更に、周りでは子供が吐くなど最悪の環境になり、ついでに自分もだい
ぶ具合が悪くなってしまい、来たことをちょっぴり後悔し始めました。「たぶんもう二度と
来ることはないだろう・・・」と。
しかし、その後、私はこの言葉を撤回することになるのでした・・・・
到着後、バスで一緒だったおじさんが、オスタルに連れてってやるというので、着いて
いくと、数件ある宿はどれもいっぱいで、結局ダメ。しかし、このおじさんは村長の知り
合いでもあり、村では結構な有名人のようで、通りですれ違う人は全て知り合いでした。
ようやく部屋に空きがあるという人を見つけてくれ、結局私はそこに泊まることになりま
した。ベッドもあり、なんとか寒さをしのげる場所をゲットし、冷たい土間に寝袋を敷い
て寝る羽目にならず一安心。
村は 30 分もあれば一周できるほどの小さなもので、もう既に屋台や店が並び賑わってい
ました。踊りのグループも各控え所で最後の練習をしていました。
2.
1 日目
7 月 15 日
Entrada
朝、笛や太鼓の音で目が覚めまし
た。どうやら音はこちらに向かっ
てきているようなので、起きて入
り口へ行ってみると、音楽隊とた
くさんの男の人が戸口の前に集
まり、寝ぼけ眼で立っている私
に、温かい飲み物とクッキーをく
れました。その中に、私が泊まっ
ているうちのご主人がいて、「こ
れは祭の始まりを知らせて歩く
儀式なんだよ。」と教えてくれま
した。私が泊まった家のご主人は Qhapaq Negro(カパックネグロ)という踊りのグループの
踊り子さんでした。各グループは過去の carguyoc(グループの担当者)の家々を回り、サ
クランボの温かい飲み物(ポンチェ)やクッキーを配って歩きます。
各グループはそれぞれ Cargo Wasi(Casa de Cargo)、すなわち担当の家を持っており、そ
こを控え所として踊り子や招待客、関係者に食事が振舞われたり、グループ内の催し物が
開かれたりするのです。
午後 1 時、教会の前で待機していると、最初のグループであるカパックチュンチュが馬
に乗って登場。彼らが踊り終わると、次はサクラという悪魔の踊りのグループの番です。
悪魔というよりは怪獣のような仮面をつけて、ピエロのような七色の衣装を着た踊り子た
ちが、巻き舌で「ルルーッ!」と言いながら列を組んで踊ります。こうして次々とグルー
プが到着し、それぞれの振り付けを披露していきます。後で思えばこの日が一番踊りをよ
く見ることができました。他の日はほぼ行進のみで、しかも観客がいっぱいで見るのがや
っとでした。
3. 踊りの種類
パウカルタンボの祭では 16 種類以上の踊りを見ることができます。事前に各踊りの名前
や特徴、意味をある程度覚えていったのでどの踊りも楽しくみることができました。
私の所属しているグループは主にボリビアの踊りを踊るため、パウカルタンボの踊りはど
れも新鮮で、国が違えばこんなにも踊りの種類も違うのか、と改めて感動しました。
主な踊りは下記の通りです。
カパックチュンチュ:ジャングルの戦士を表した踊り。長い鳥の羽の冠に、馬の尻尾で出
来た後ろ髪を付けている。聖母カルメンの護衛役。
サクラ:虹の七色の服を着て、動物をモチーフにした仮面をかぶった悪魔の踊り。
カパックネグロ:植民地時代の黒人奴隷を表した踊り。聖母に捧げる歌が勇ましさと物悲
しさが入り混じっていて心に残る。
マヘーニョ:ビール瓶を手に、お酒に酔ったように踊る。
ワカワカ:「ワカ」は「牛」の意味。闘牛を表す踊り。
チュクチュ:黄熱病を表す踊り。病の痕跡を表すように目がただれていたり顔が崩れてい
たりと不気味な仮面をつけているが、看護婦役の踊り手がいて黄熱病で痙攣が始まると大
きな注射で治療してくれるところがおもしろい。
ダンサック:スパンコールとビーズで美しく飾ったポンチョに七色の足あてをつけた勇ま
しい踊り。踊り子は男性のみ。
パナデーロ:踊り子の条件は独身の男女という、パン屋さんを表した踊り。道で出会うと
小麦粉をかけられる。
カパックコージャ:覆面をしてリャマの毛を紡ぐ動作をする。入隊試験にはケチュア語で
の質問も含まれるという。
チュンチャチャ:女性だけで踊るジャングルの踊り。冠から後ろ髪のように垂れる羽飾り
がきれい。踊り子が全員女性ということで、女の子の憧れの踊りらしい。
アウカチレーノ:太平洋戦争時のチリ人を風刺した踊り(アウカは敵という意味。こんな
ところでも反チリ感情が!)
コントラダンサ:男性だけで列になっておどる踊り。
マクタ:祭のピエロ役で、周りで
見ている人にいたずらをしてか
らかったりし、笑わせるだけでな
く、踊りのグループがきちんと踊
れるように、観客を後に下がらせ
たり、近づき過ぎないように注意
する警備員のような役割をしま
す。
共通するのは、どの踊りでも踊り子は全員仮面をつけていることです。どの国の文化でも、
仮面は宗教的儀式や儀礼に用いられ、仮面をつけることによってそれがかたどるものに人
格が変化したり、神が乗り移ったりすると信じられています。パウカルタンボのすべての
踊りが仮面を伴うというのも、こういうことにつながっているのでしょうか。
4.
2 日目
7 月 16 日
Dia Central
午前中は、アルマス広場にてカパ
ックコージャによる Bosque。
これは、広場の中心に建てられた
やぐらから、カパックコージャの
踊り子達が、果物、ざる、家具の
ミニチュアなどを観客に向かっ
て投げるイベントです。バナナが
ブーメランのようなものすごい
勢いで飛んでくるわ、木でできた
ミニチュアの机や椅子が凶器の
ように飛んでくるわで、入手どこ
ろではありません。飛んでくるものを避けつつ、物に群がる人に押しつぶされないように
注意するのに精一杯でした。
さて、パウカルタンボの祭では、踊りのグループに招待されると、その家(控え所)で
朝・昼・晩と食事が振舞われます。知らない人の家に行って、どさくさに紛れてタダ飯を
食べるようで気がひけるのですが、この日は宿で部屋を共有している親子からコントラダ
ンサという踊りのグループの家へと招待されたため、一緒に行ったところ新人踊り子の洗
礼儀式に出くわしました。
新人踊り子はリーダーと洗礼
親(肉親でも友人でも可)と共に、
グループ所有の聖母像に挨拶し、
洗礼親から鞭をお尻に受けます。
洗礼の仕方はグループによって
異なるようですが、この方法が最
も伝統的です。この鞭打ちを受け
て初めて、グループの一員として
認められるのです。
ただ踊りが上手だから、踊りが
好きだからという理由ではグル
-プに入ることはできません。まず、欠員がないと入れないうえ、人間的にいろいろな観
点から評価を受けて認められないとは入ることはできません。応募者はグループの会議や
イベントに参加し、お手伝いをします(これを Camachic といい、ケチュア語で、先輩の踊
り子のアテンドをする人という意味)。祭当日もグループに付き添い、甲斐甲斐しく働きま
す。その後、そのグループに入団できるかどうかが決められるのです。別のグループでは、
入団希望者は一人一人、出身地、希望理由、推薦者を述べ、何ダースものビールや飲み物
などを寄付していました。
宗教心もありますが、パウカルタンボの踊りはただの踊りのグループとは違う、と感じ
ました。ただ踊りが上手だからという理由ではグループに入ることができないし、入った
としてもすぐに根をあげてしまうと思います。しかし、入ることができたならば、それは
性格が品行方正と認められたということであり、しかも
長い間グループに所属しているということは、入ってか
らもそれを継続しているということになります。
この日は祭が最高潮に盛り上がる日でもあり、午後には
聖母カルメン像が教会から運び出され、村を一周しま
す。たくさんの飾りがついたカルメン像がゆっくりと運
ばれます。村の狭い道は観客と踊り子でいっぱいになり
ます。民家の屋根には悪魔の踊りサクラが待機し、聖母
カルメンが通ると、その神々しさと聖なるエネルギーを
受けて苦しむ様子を見せます。他の踊り子達は聖母に背
を向けないよう、聖母の方を見ながら踊ります。
5.
3 日目
7 月 17 日
この日、踊り子達は朝早くから
ミサに参加し、その後それぞれ村
の外れにある墓地へ向かいます。
そこで亡くなった踊り子へ祈り
を捧げるのです。
墓地は踊り子を始めたくさん
の人でにぎわっていました。
その後、聖母像が再び教会から
出され、村の入り口にある橋まで
運ばれた後、アルマス広場で踊り
子達の行進が始まりました。この
日は Guerrilla といって、カパックコージャとカパックチュンチュの闘いなど、見所があ
ったらしいのですが、あまりに人が多く、ほとんど見ることができませんでした。
夕方にはカパックネグロの家へ行き、夕飯をいただきました。
総リーダーによる演説の後、グループへの入隊希望者を受け入れるかどうかの発表があ
りました。現在の希望者は 1 名のみで、7 年も待っているという男性。彼は踊り子に立候補
してからずっと手伝いをし、活動に積極的に参加したことが評価され、また国外への出張
が多く、不在となる踊り子がいるということで、めでたく新しい踊り手として合格しまし
た。
その後はダンスタイムとなり、ペルーの民謡(ウァイノ)を中心に夜中の 1 時まで続き
ました。2900mの標高にもかかわらず、いくら踊っても高山病にはならなかったので安心
しました。このペルー民謡ウァイノはすべてのペルー山岳地帯の踊りの基本になっている
といっても過言ではなく、根本的に自由なステップであり、いろんな人と踊るとそれぞれ
ステップが違うので勉強になりました。ちなみにこのウァイノはペルーだけでなく、ボリ
ビアやアルゼンチン、そしてチリの踊りにもあります。アルゼンチンではカルナバリート、
チリではトローテと名前が変わり、踊り方やリズムも若干異なりますが、音楽を聞いてみ
ると元は同じなのがよくわかります。
6.
4 日目
7 月 18 日
祭は 15,16,17,18 の 4 日間ですが、私は日程の関係もあり、最終日の朝にクスコへと帰
りました。
帰りのバスは、小型マイクロバス。案の定、窓を閉めていても土埃が入ってきます。タ
オルをマスク代わりにして耐えました。椅子の座り心地もすごい。油断すると椅子から落
ちそうな勢いです。来る時は車酔いでほとんど景色を見ることができませんでしたが、帰
りはバスの条件も体力的にも行きよりも悪いはずなのに、ちっとも酔わず、窓の外の景色
を楽しむことができました。
バスはくねくね道を登り、パウ
カルタンボの村がどんどん小さ
くなっていきます。アンデスの
山々に囲まれた小さな村、周りに
広がる丘では、ジャガイモが干し
てあったり、農作業に勤しむ人が
見えたり、のどかな風景が広がっ
ていました。自然のままの川や
峰、丘の他には本当に何もないと
ころで生活は不便ですが、住んで
いる人にとってはこれが普通の
状態なのだろうと思います。便利さになれてしまった私たちには、それがない生活に戻る
のはほぼ不可能ですが、ここで生活している人々を一概に「貧しい」という言葉で片付け
てしまうのも問題があると思います。モノには恵まれていないけれど、心は私達よりもず
っと豊かかもしれません。私達が普段生活している世界は、次々と新しい物が作り出され、
それを手に入れるため四苦八苦したり、競争の中ストレスで病気になったり、忙しすぎて
なかなか心に余裕を持てない世界です。だからこんなにも自然のままの風景を見ると、心
が和むのでしょう。
そんなことを考えながら、土埃と揺れの中およそ 3 時間、各駅停車で小さな村をいくつ
か経由しクスコに到着した時は見事に全身埃まみれ。どこもかしこも叩けば埃が舞う状態。
自分がまるで小麦粉の袋にでもなった感じでした。
7.
最後に
ラ・ティラナの祭では聖母に対する信仰心という観点から踊りを見ましたが、今回は、
団体の中における個人のあり方や、祭の中での細やかな習慣と伝統を受け継ぐ踊り子達が
印象的でした。私が今まで見てきた祭は、観客と踊るグループが別れていて、観客は見て
楽しみ、踊るグループは踊って楽しみ、そして見せて楽しむという感じでした。しかし、
今回は言葉と踊りについての知識という助けもあったためか、一観客に過ぎない私が踊り
のグループと交流できる機会にも恵まれ、一緒に祭りを楽しむことができたように思いま
す。
今回でなんと 4 回目となったクスコですが、訪れる度に新たな発見があり、パウカル
タンボへ向かった日は、
「二回目はないだろう」と思っていましたが、旅が終わって思い出
すと、「また行きたい!」と思うようになりました。
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