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産經新聞社賞 「少数派の不便」 同志社香里中学校1年 村上 英 足を骨折
産經新聞社賞 「少数派の不便」 同志社香里中学校1年 村上 英 足を骨折した。それも、治って一か月も経たないうちに同じところを二回。 初めて乗る車いすに最初は「歩かなくて楽チンだ」と、ちょっとうれしかった です。でもしばらくすると車いすから見る見慣れた町は不便で、とても暮らし にくいと思うようになりました。 学校までの道は、曲がることはあっても平らだと思っていました。本当は真 ん中が高くなっていて左右に下がっていました。左側に寄ると左のタイヤを回 す手に、右に寄ると右のタイヤを回す手に力がかかります。真ん中を行くと車 にクラクションを鳴らされました。 電車に乗って塾に行く時などは、ちょっとした大冒険です。まず、切符がう まく買えません。歩いていた時は当然、券売機に向かって直進。でも、車いす だと真っ直ぐ進めば、高さは良くても足がつかえて手がボタンまで届かないの です。方向転換をして横向きで切符を買います。改札は背筋をピーンと伸ばし て腕を高く上げないと切符はうまく入りません。つかえた時なんて最悪です。 後ろの人に「ちぇ」と舌打ちをされたこともありました。電車とホームとの間 に苦戦するのはもちろんですが、電車を降りてからも意外な落とし穴がありま した。ホームから改札までのエレベーターはあったのですが、JRから地下鉄 に乗り換えるための地下に行くエレベーターはありませんでした。電車は連絡 していても、身障者の人は乗り換えができないと思いました。私はお母さんが 一緒だったので、結局エスカレーターを使いました。 車いす生活で一番印象深く残っていることがあります。それは、町のあちこ ちで見かけるスロープです。競技用の車いすかアスリートの人でないと登れな いようなスロープだらけでした。お年寄りだったり、私のような子供では登れ ないような傾斜や、平らなところまでが遠くて長いスロープです。 骨折するまでは、 「身障者の人用にスロープがあるんだなぁ」ぐらいで、深く 考えることはなかったです。でも、自分が車いすに乗ってみたら「だれがこれ を考えて、作ったんだろう」と少し腹が立ちました。これでは、身障者の人が 自立した暮らしを送ろうと思っても、だれかに手伝ってもらったり、周りの人 に迷惑がかかるという理由から外出の回数が減ったり、あきらめる人がいるか もしれない。そんな毎日が続けば、嫌になって生きる目標も楽しみも持てない かもしれないのではと不安になりました。お母さんにこの話をしたら、 「骨折し たら、頭の中でカルシウムを作るようになってる」と笑いながら、左利きの苦 悩について話してくれました。 お母さんは左利きで、小さいころ右にきょう正させられたそうです。でも、 結局字を書くのが両利きになっただけで、他は左利きです。そのお母さんが言 うには、左利きのアイテムは最近充実してきたけれど、世の中は昔とちっとも 変っていない。右利きの人が住みやすいように作った社会だと言っていました。 かぎの回す方向、車いすでも切符がいれにくかった改札。左手の場合は、自分 の進路をふさぐように斜め右に手をのばすそうです。意識をすれば嫌になるく らい、数えきれない不便があるそうです。その上、右利きの年配の人からは、 珍しがられ「ぎっちょなのに器用ねぇ」と、よく言われていたと聞きました。 骨折で十か月間不自由でしたが、今は普通に歩けるし、右利きです。でもも し、ずっと不自由だったら、お母さんみたいに左利きだったら、少しでも不便 だと感じずに生活できたらいいなと思っていました。 少数派の人を切り捨てないで、話をよく聞いて、その人たちの立場になって 考えたいと思いました。そして、考えるだけではなく、優しい心を持って、行 動できる人になりたいと思いました。