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人間脊髄後索の構成(各回節横断面に於いて占む

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人間脊髄後索の構成(各回節横断面に於いて占む
400
人間脊髄後索の構成(各回節横断面に於いて占む
ろ各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域1
金澤讐科大學久留外科教室(主任 久留勝教授)
土
屋
良
光
}わ∫乃擁∼魏 7k!’6妙ゐ
(昭和24年6月21目受附)
(本研究は文部省科學砺究費の支持に依る一久留勝)
第1章緒
論
人聞脊髄後根線維の走行を全般に互って確實
余がこの方面の研究をかく精密に行ふを得た
に追跡するには,後根障碍例の脊髄並に延髄を
し
Marchi声誉切片として検索するのが,現在の
本を自由に楡起し得た事に依るが,特に近時脊
虞唯一一の下野な方法であろう.云ふ迄もなくか
髄硬膜内蜘蛛膜下酒精注射(DOgliotti ii)法)が
エる楡索の機魯は極めて稀であり,爲にこの方
不治重症癌腫患者の劇痛時勢の爲の容易且適確
のは,もとより教室多年の努力蒐集にか玉る標
面の報告は意外に少なく(Pfeiffer 56), Sottas 70),
なる治療法として普及し,我々は手術を加へら
Gombault一一:PhilipPe 22), Nageott 52), Soques 69),’
れざる後根障碍例に敏多く接し得る様になった
D6jerine Thomas io), Margulies 48), Zappelt 76),
爲に依る.余は實に酒精注射法施行の5症例の
w’allenberg 74}, Russe1−Risien鋤, Jacobsohn 27),
野手標本を検索する幸蓮に恵まれたのである
Schaffer fi5), Hom奄n 26),、Marbu㎎47), Collier一
が,か瓦る症例に於ける酒精の作用箇所は,後
:Buzzard s),£umke 7),:Bok 3),佐野63)),而も
根自禮であって,直接脊髄友白質に及ぱなV・か
これ等報告中の症例は何れも極めて綿密に楡索
ら(久留教授梶谷31>,津端72)),これ等症例は
せられてるるに拘らす,Wallenberg 74)の3症例
すべて輩純なる後根障碍例として槍討可能なる
報告を除き,局所解剖學的に最も重要な事項,
のみならす,一般には多数後根の同時障碍の像
印ち或る後根に由帯する線維が任意の脊騰随節
を示し,時として偶々1箇叉は数箇置きに数箇
後索横断面内に於いて如何なる位置を占むるか
の後根が障碍さる工如き極めて得難き標本に接
の問題に關して,i教ふる所が極めて少ない。
する事もあり,輩濁後根障碍例の槍索のみを以
コ
余は恩師久留教授の命に依り,多年敦室に蒐
てしては,到底窺知し得ない部分をさへ閾明し
集せられたる尾髄より頸髄に至る種々の高さに
得るものである.酒精注射の5症例を含む余の
於ける後根乃至後索障碍例11症例に,:最近敏室
13症例の槍索は,後述のFr6hlich ls)の方法を
に於いて維験せられたる頸髄後根切蜥及横断障
参酌する時は,實に後根蜀蜀障碍例27症例の楡
碍の2症例を追加,これ等13症例脊髄各髄節横
索と等しv・島西を有する.
断面標本(内12症例はMarchi染色,1例のみ
かくの如くして得られた結果は,從來多くの
Scharlach染色)を槍白し,之に画面のWallen−
著書に引用を見たiFoerster iG)の全く架室的な
berg 74)その他の報告例を参照し,人平脊髄の種
模式圖の債値を充分批判し得るものであり,
々の高さより入る後根線維が各騰節後索横噺面
叉主として動物に於ける實験から作製された
内に於いて占むる領域の決定を試み,略之に成
Winkler 75)の模式圖を人罷にそのまNi適Jllする
功した.
事の危瞼を示唆して鯨りあるものである.我々
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は久留i教授3S) 37):S) 3”) 40)散弾紛が幾多の輝か
野際の解剖に劃する我々臨床讐家に課せられた
しV・業績の上に多年主張しつfけられて來た祠1
役目の重大性を今改めて痛感するものである.
第2章症
症例は第1表に表示する旧くである.
例
の進入二二より上位髄節後索三山面内に於いて占むる
本章亜に第1表より第3i表ま(…及爲眞1より:三三14
領域を示し,dC6, dTh5及dL4等はそれぞれ第6頸
1腿後根,第5胸牛後根及第4腰腿後根等の下行性線維
までに穿ては次の略字を使用する.即ち:No・1, No・2
及No・3等はそれぞれ第1例,第2例及第3例等を
が,それぞれの後根の進入髄節よb下位髄節後索横断
示し。COl, S2, L3J Th‘及C5等はそれぞれ第1尾
面内に於いて暗むる領域を示し,a(Co1−Tblo)等は第
輩節,第2薦難節,第3腰髄節,第4胸懸節及第5頸
1尾蟹節より第1⑪胸腿節までの連呼する全後根線維が
購現時を示し,eCOh eS2及eL3等はそれぞれ第1尾
第9胸当節以上の騰節後索横隔面内に於いて占むる領
腿後楓第2薦購後根及第3腰髄後根等の,それぞれ
域を示し,d(C5−Th2)等は第5頸麗節より第2胸臆節
の高さの後索横断面内に於ける根進入域を示し,aLi,
までの連曲する全後根の’下行性線維が第3胸腿節以下
aTh2:及aC3等はそれぞれ第1腰越後根,第2胸腿後
の髄節後索横断面内に於いて臨むる領域を示すものと
根及第3頸鶴後根等の上行性線維が,それぞれの後根
する.
第3章 所見並に各髄節横断面に於いて各後根に由賦する線維
(上行性並に下行性)の占むる領域を決定する方法
第1節上行性線維に就いて
COI:左側Co1の後根障碍の存するNo.1に
S5及S4のそれに比し遙:かに四大であり,後柱
依れば,eCo1は後序内縁の最:外側部よbその
:Fig.2).このeS2の内縁とWallenberg N)の報
内縁の大部分を取園む細帯欺部として決定可能
告例のaS4の外縁との悶の部分は略aS3と承
(第3表:Fig.1).このeCo1の内側縁に隣接し
認されて良かろう.
てa(Co,一Co,)が存在するものと考へられる.
S1: aCOiよbaS3までの領域はS2に於ける
S5:No.1のaCo1が上行と共に内側に移動す
と略同様に決定可能.その結,果はNo. 1, No.2
る爲,その外縁と鼻柱頭部内縁との間に生する
室隙部は略eSsと承認されて良かろう.
及Wallenberg 74)の報告例に於いて, aCOiは後
S4:eS4はWallenberg 7g)のS4の後根障碍例
及ぶ細帯瓶部として観察され(第3表:Fig. 3),
の報告を参照して判定可能.叉eS4の内縁と
それよりaS5, aS 4及aS3の順序に内側より外
N⑪.1のaC⑪iの外縁との間の部分は略aS。rと
側に配列してみるが,その各々は凸を内方に向
内縁の外側約3分の2を占めてみる(第3表
生中隔に近接して後索嬉嬉隅より後交蓮背斜に
な
けた弧状をなし,後柱内縁と弾正中隔とのなす
承認されて良かろう.
S3:aCρ1よ夢aSsまでの領域はS4に:於ける
角度の二等分線に略興行して存し,内方移動と
と略同様に決定可能.aS4はWallenberg 74)の
共にその面積を減少せしめてみる.叉:No.2に
報告例を参照して判定可能.eSsはNo.1に於
,依り判明するaS2の外縁と後柱頭部内縁との聞
いて後柱内縁の最外側部よりその内縁の大部分
の室隙部は,略eSlと承認されて良かろう.
を包園する如く進入し來た,水2F叉は斜に走る
Ls : aCo1よbaS2までの領域はSiに於ける
線維群として観察される.
と略同檬に決定可能.:N⑪.1に於いてa(Co3−
Sx:aCOIよりaS4までの領城はS3に於ける
Co1)の腹側端は後交響との接燭を失ひ,n後正
と略同勢に決定可能.又輩猫に障碍されたS2の
解隔に滑ひ背側に移動する.野洲の後根が箪
後根をもつNo.2に依ウ判明するeS2の面積は
猫に障碍されたNα3に於いて制明するeL 5は
【129コ
402 人間脊腿後索の構威(各腿節横衝面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性亜に下行性〕の領域)
後門内縁の外側約孕分を取團む帯状部として認
:L1:aCorよba:L5までの領域はLsに於け
められるが,脊騰横断面積の増大と共に,平野
ると略同巧に決定可能.Wallenberg 74)の報告例
後根の根進入域に比較してその面積は増大して
を参照するに,aS1の腹側端は後正中隔に澹ひ
居る.このe:Lsの内縁とNo.2のaS2の外縁
背測に移動してみる.叉aL4よりeLiまでの
との闇の部分は略aSlと承認されて良かろう.
領域は,1箇置きに後根璽障碍されてるる:No・4
L4:aCo1よりaS1までの領域は:Lsに於け
に依って極めて判然と到平出來る.印ちこの例
ると略同様に決定可能.この高さに於いては
では障碍のあるaL5, aLs及e:L1等が,障碍の
N。.1及Wallenberg 70の報告例を参照すれば,
少V・aL4及a:L2と交互に配列して,恰も模式
aS,r及aS4の腹側端も順次弾正中隔に澹ひ,背
圖を見る如くに野州と,内側より外側に配列し
側に移動する事が判明する.叉aL5はNo.3に
て居るのである(蜘蛛膜下で接績後根が偶然互
依って剰定され,eL4は下平に障碍された:L4
ひ違ひに重り合ってみたので,表暦のものに特
の後根をもつWalLenberg 74)の症例報告を参照
に強く酒精が作用したのであろう)(薦眞1).
して判定可能.
又同一例に於いてaL4及a:L2の部分にも早早
L3:aCOIよりaL5までの領域はLgに於け
の攣性線維群の散在が認められるが,その密度
ると略同檬に決定可能.No, 2に依るにaS3の
はaLsよりもa:L4に張度である.叉a:Lgはし,
腹側端も笹野正申隔に滑ひ背側に移動する.又
の高さに於けるよりもその幅が凹くなり,1同時
Nα4に明なる如く,aLsの外縁も著しく内側に
に:L$で極めて散在的に見られた攣性穎粒はつ
移動し,eL3は後柱頭部内縁を取園む攣性線維
群として観察され,e:Lsの内縁とa:L5の外縁と
っと集合したかの観を呈してみる.之は隣接叉
は近接する髄節の後寝線維は上行するに從ひ次
の間の,腹背に細長い聖歌の室隅地として観察
第にその混合の度を強くするものと解繹さる早
される部分は略aL“と承認されて良かろう(第
きである.
Th,”:aCo1よりaL2までの領域は:L1に於
3表Fig.4).
L2:aCOIよりa:L4までの領域はL3に於け
けると略同様に決定可能.aL1はN. o.3に於い
ると略同様に決定可能.:No.2に円い七aSsの
て,叉erhi2はNo.2に於いて卜定可能・叉
腹側端は後門中隔に滑ひ背側に移動するのを知
N⑪.1に於いてはClarke平門に進入する線維,
る.No.4に依ってa:L・と聴罪頭部内縁との間
叉はその側副枝の中,後交連野縁に滑ひ,叉は
の室隙部は略eL2と承認されて良かろう.而し
後索内で後iE中隔を直角に貫いて樹側脚柱基底
てNo.1, No.2, No. 4及W批Uenber974)の報告
部の内縁に近き部分に向ふ少数の線維が翻察さ
例に共通して,aC⑪1及a(S5−S1)は内側に移動
れる(第3表:Fig.5の矢印).
し,その外縁の腹側端は後柱内縁に滑ふ後索野
Thll l aCOiよりaLiまでの領域はTh,2に:
よb,“この蓬の高さから著明に左右に幅を増大
於けると略同様に決定可能.叉、No・3に於いて
した後交連の背縁に滑ふ後索野に移動するのを
認める.之はとりも直さすa(COI一一S1)申門柱の
eThnは後柱頭部内縁を取圏む攣性線維群とし
て判定可能.同一例に於いてaLiが確然として
諸細胞に絡末する申等長又は短線維が既に羅く
みるから,eTh11の内縁とaLiの外縁との間の
後柱内縁よ1)進入して後門内へ入り,軍に遠く
塞隙部を略aThi2と承認して良かろう(第3表
延髄に迄上行する長線維のみが後索中に残留
Fig.6)賦
する事となったこと,EPち所謂後索の内側部
l
Th1。=aCOiよりaTht2までの領域はThllに
(Goll雪下)が大略劃然と形域:された事を意味
於けると略同様に決定可能.N⑪.1に於ける
する.絢後柱に於いてはこの高さよりClarke氏
aC。、は後索の背内側隅に限局するが,略この
柱細胞が集團的に幽現する事は注目を要する.
位置を保ちつNC1まで追跡される.叉a(Th11一
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Th,)の引跡されるNo.3に於いて, a(Thll一一
存する耳。・12に於V・て,攣性線維群の外縁は
Th,〉の内縁帥ちaTb11の内縁が判明し,叉:No.4
大略aTbsの外縁と,叉No.2に於いてa(Thi2−
に於いてa(”rh12−Thll)の外縁穿ちaTh11の外
Th,)の外縁は略aTh,9の内縁と解繹されるか
縁が判明するから,aTh11は確然と判定する事
が出撃る.同時に叉乳Th11の外縁と後事頭部内
ら,aThsは内外爾縁が分明した事となる.叉
:No.12のaThsの外縁と後柱頭部内縁との聞の
縁との聞の察鹿部を略e’rhloと解葎ずる事が許
室町部は略eTh7と承認されて良かろう.
Th6:aCo1よりaTh宕までの領域はTb7に
されて良かろう.
Thg:aCOiよりaTh11までの領域はThioに
於けると略同様に決定可能.叉No.ミに於いて
於けると略同様に決定可能。No.2に於いて
a(Th12−Th7)の外縁撃ちa「rh7の外縁と,後柱
a(Th12−Thl。)の外縁EPちaThieの外縁と後世頭
頭部笹縁との間の室白重は,略eTh6と承認さ
部内縁との聞の西口部を略eThgと認定する事
れて良かろう.叉Nα12に於いて,その攣性
が出前る.叉:N⑪.4に於いてa(Th,2−Thii)の外
線維群の外縁は略arrh7の内縁と解樺さる可き
縁は略aThi。の内縁と承認されるから, aThiO
であるから11a「h7は内外爾縁が分明し,その
は内外爾縁が判明し,その領域は判定可能。叉
領域は決定される.
:No.4に於いてa(COI一一:L5)の領域の外縁の腹側
Th5:aCo1よリゴrh7までの領域はTh6に
端は後柱内縁に滑ふ後索野より後交響野縁に滑
於けると略同様に決定可能.叉No・3の:右側の
ふ後索野に移動し,所謂後索の内側部を形成す
a(ThnrTh6)の外縁部ちaThe,の外縁と,脚柱
るのを知る.
頭部内縁との聞の室白部は略eThsと承認され
Ths:aCOiよ りaThioまでの領域はThgに
於けると略同様に決定可能.叉No.2に耀い
て良かろう。叉同一側の:左側のa(Th1聾一Th7)の
外縁師ちaTh7の外縁は略aThc,の内縁と認め
せ
て,左側のa(TbrThg)の外縁と後聞頭部内縁
られるから,aThc,は内外竿縁が分明し,その領
との間の洋白部を略eTh8と認定する事が出來
域も判定可能,叉L1に横噺障碍の存するNα11
る.同一例に於いて,攣性せる右側のa(’「hir
の憂性線維群の外縁即ち略aLiの外縁の腹側端
「rhi6)の外縁と後柱内縁との闇の漂白部は略
は,略後柱内縁に滑ふ後索野より後交連背側に
a’rhgとeThsとの和と思はれるから,この右
滑ふ後索野に移行し,大略所謂後索の内側部を
側の室白帯の甲唄:部,帥ち全室白よゆ左側の卵
形成するが,その外縁は轡曲の綾慢なS字歌を
白部の面積だけを減じた残部を,略aThgと解
呈し,從って左右爾側を合すれば底を後索背甲
労する事1が出図る (Fr6hlichの法,爲眞12).
上に,口を後交連背縁上にもつ塚形(:FlatauiS),
解同一例に於いて,Th12よりaThgまでの各領
Dydynski i2)の所謂Flaschenfbrm)を呈す(第3
域は,それぞれの高さで後索に進入してより,
表Fig.7).之はN⑪.1,:No・2, No・4並に
.Thsの高さに至る賜に,その面積を縮小せしめ
Wal!enberg 74}の報告例に明なる如く,この高さ
てみるのが認められるが,之ば主として無二の
ではaCOiよりa㍉までの領域の腹側端は後車
魂胆に終末する多敷の短線維を後柱内縁を通し
中隔に滑って專ら背側に移動する爲に,内側移
て逡糊せしめた事に基因する.而してその各々
動としては,aL3よりaL1までの領域の腹側半
の後根の領域は凸を内側に向けた弧を書いて内
の移動が特に著明に観察される事に基因する.
側よ吟外側に順次に配列し,その各々の弧は後
叉No.2, N⑪.3, N⑪.4,:No.11及:No・ 12に:共
柱内縁と後正中隔とのなす角の二等分線に略蟹
通して,aL5よりaThsまでの領域が上行する
行してみるのを認める(窩眞2).
に從ひその面積を漸次墜縮せしめつs内側に移
Th7:aCOiよりaThgまでの領域はThsに
動し,後柱内縁と後門中隔とのなす角度の二等
於けると略同様に決定可能.Thsに横断障碍の
分線に略竿行して配列する様を明瞭に槻察する
[ 131 ]
4⑪4 入間脊髄後索の構成(各髄節横蟹面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域)
事が出來る(第3表Fig.7及爲眞3).特に:No2
に於いて明なる如く,a(Thi2−Th1の,及a(Thiジ
のTh2及Th1後根障碍例から判定されるeTh2
の内縁は略aTh3の外縁と解鐸されるし,一方
Thg)はS字状をなし, Th8に於けるよりは著
ミ
xva llenberg 74}の報告例のa(Th3−Th1)の内縁
しくその面積を減少せしめてみるが(爲眞2凹
は明にaTb3の内縁であるから, aTh3は内外・
凹眞3),之は主としてThsよりTh5まで上昇
平縁が分明し,その領域は決定される.叉Ne.1
する間に,Clarke氏柱細胞に終末する中等長の
に於V・てa(C⑪i−Thie)の腹側端はこの高さで
線維が,多藪後学内に邊られ,後索に隣る線維
後柱内縁とめ關係を失ひ,後交連珊珊に澹ふ後
が著しくその数を減じた事に基因するものであ
索野に移行し,大略所謂後索の内側部を形成
しその外縁は概形を呈するのを認める(第3表
ろう.
Th4:aC⑪正よ)i aThr,までの領域はTh5に
Fig.9).
於けると略下様に決定可能.叉No.9の攣性線
.Th1:aCOIよ!1)aTh$までの領域はTh2に
維群の外縁は略aTh5の外縁と認め得べく,從
於けると略同様に決定可能.S〈.Th2及Th1の後
ってこの外縁と後柱頭部内縁との闇の室凸部は
根障碍の:存するP驚if飴r附の報告例,及びTh,
略eTh4と承認されて良かろう.叉:No.3の
a(Th11JI㌔6)の外縁帥ちaTh6の外縁は,略
74>の報告例に依って,e「1 hiは後柱頭部に斜叉
aTh5字)内縁と認められるから,ぎ「hsは内外爾
は水準の走行をなして進入し尽る線維群とし
縁が分明し,その領域は決定される.
て大略判定可能,同様Pfeiffer 56)の報告例より
よりTh1までの後根障碍の存するWallenberg
Th$:aCOiよりaTh5までの領域はTh引に
aTh2も亦大略制定可能.叉No.11に於いて明
於けると略同様に決定可能.叉Wallenberg 74)
なる如く,上行と共に次第に内側に移動した
の報告するTh,よJl Th1までの後根障碍例を
a(COI−L1)の外繊 即ちaLiの外縁の腹側端
は,この高さでは既に後交連判型に滑ふ後索野
滲照し,eTh3は制定可能・eTh3の内縁は略コ
aTh;の外縁と,叉No.9のaTh5の外縁は略
より後正中隔に滑ひ背側に移動し,aLiの腹側
aTh,iの内縁と解繹されて良かろうから, aTh4
端は爲に後交連との連絡を失ってみる(第3表
は内外絶縁が分明し,その領域は決定される.
:Fig.10).從ってNo.2に於いて見らるN如く,
而してNo.4に於v・ては堤形の攣性線維群の中
∼二の高さではa(Th,,一Thg)及a(’rh12一一Thlo)の
に於いて,後刷中隔の背側野牛分を高さとし,
内縁,師ちaTh12の内縁の腹側端は,後正中隔
頂属島を腹側に向け,底邊を後索平縁上にもつ二
の腹側端の上で左右合一する(第3表Fig.11).
等邊三角形を想像するならば,その左牛分に相
aTh7よりaTh2までの領域は:N⑪.2,:No.3,
野する部分(第3表:Fig.8のd。D.),:叉その三
lo.4, No. 9, Wallenberg 7a)の報告例及Pfeiffer
角形の頂鮎より引凹き腹側に,後正中隔の一部
56)の報告例に共通して,次第に内側に移動する
を樹角線とする小菱形を想像するならば,その
と共にその面積を減少してみる事が明瞭であ
左平分に相即する部分(第;3表:Fig・ 8のV・R・)
る.
とに,攣性線維が特に密集してみるのに氣付
胸髄髄節に於いてはClarke氏柱細胞(b伊達
く.之はWallenberg 74)の記載したdGrsales
が極めて顯著であって,之に終末する後根線維
Dreieck並にVentraler Rhombus tC該労する
の数は甚だ多い.この事はNo.2に於いて明瞭
ものであり,彼は前者は主に薦髄後根の上行性
なる如く,a(Th12−Th9)がTh8とTh5の間で
線維,後者は主に腰髄後根の上行性線維よりな
著明にその占むる面積を減少する事でも分明す
るものと解繹してみる。
る(爲眞2及岬町3).
Th2:aCo1よDaTh引までの領域はTh3に
CslaC⑪1よ)l aTh3までの領域はTh,に於け
於けると略同檬に決定可能.叉Pfeiffer 56)報告
[ 132 )
ると略同様に決:定可能.a(Th2−Th,)はPfeiffer
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の報告例に依り分明.叉N。.6に依って判明す
eCsの面積は一見eCs及eC”,等に比し著しく
る如く,eCsの面積は胸髄後根に於ける根回入
域に比し著しく廣大なる爲(第3表:Fig.12),
荻少の檬に見えるが,之はC5後根の全部が切
断されてるないから俄に決定を許さない(第3
a(Th12−Thl)は極度に内方に璽縮せられ, No. H
表:Fig.19). N⑪.11に於いて明なる如くa(Co3−
に於V・て明なる如くaLiの外縁とeCsの内縁
との間の細い1條の帯歌地帯を形成する(第3
L1)はこの高さで最高度に背側に移動し,爲に
表Ffg・13及Fig.12).
aL三の粥腹側端は後正中隔の略中央に位する如
くなる(爲眞5).この高さではa(Thi2・一Thi)
C7:aCo1よりaTh1までの領域はCsに於
はaLiの外縁(No.11)とaCsの内縁(No.6)
けると略同様に決定可能.No.6に於いて制定
との間の細い帯門地を占むるに過ぎない(爲眞
されるaC8の面積はeCsの面積に比し著明に
5及爲眞4).
・
減少してみるが,それは後柱諸核に短線維を野
q、三・C・・よりaC6までの領域は亨・に於け
末せしむる他に(第3表Fig.12),多数の下行
ると略同様に決定可能.:No.10に於いて判明
性線維を尾側に邊る事に基因するものであろう
するaC5の外縁と門柱頭部内縁との問の室門
(第3表:Fig.14).又aCs iの外縁と後門頭部内縁
門の大部分は略eC4と承認されて良かろう.
との間に生する室白部は略eCTと承認されて
Wallenberg 74)のdorsales Dreieckとventraler
良かろう.
Rhombusは:Nむ.4に於いてこの高さまで観察
一
。Cc,:aCOiよりaCsまでの領域はC7に於け
される.:No.2及N⑪.5に於いては, a(Th12−
ると略同門に決定可能,叉No.7に於voて判定
Thg)及a(Th12−Th7)に属する線維がa(Ls一:L1)
されるeCtiの面積は廣大である(第3表:Fig.
の領域内に多数に混入し(爲眞6及第3表Fig.
15).而してaCsの外縁とeCfiの内縁との闇の
20),爲に後索の内野部内に於いては,各後根
室;白部は略aC7と承認されて良かろう.叉No・9
上行性線維の凹むる領域の境界は不明瞭とな
に於いて明なる如く,この高さでaTh5の外縁
の腹側端は三二内縁との關係を失ひ,後交野背
り,從來の走行を参考にして辛じて判定可能と
なる.
縁に澹ふ後索野に移行し,a(CoザTh5)は著し
C3=aCo1よりaC5までの領域はC,に於け
く首の細長い下形を呈し,所謂後索の内側部の
ると略同様に決定可能.:No.8に於いて判明す
形成に關貸する(第3表:Fig.16).叉:No.2に於
るeC3の面積はeCs及eC,薄に比し遙かに狭
V、て明なる如く,a(Thn−Thn)及a(Th12−Thlo)
少である(第3表:Fig.21).叉:No。10に於ける
がTh5の高さに於けるより,更に遙かにその
aC5の外縁とeC3の内縁との問の部分は略aC4
面積を縮小せしめてみるのは,主として後根線
と承認されて良かろう.
維が上行するに從びその直径を滅肥する事に基
C2:aCo1よDaqまでの領域はC3に於け
ると帯同檬に決定可能.No.9に依砂判明する
因するものであろう(凹凹3三下眞6).
eC2の面積はeC3のそれと同様狭少である(第;
C5:aCoiよりthCsまでの領域はC6に於け
ると略同様に決定可能.No.7及No.9に依っ
3表:Fig.22).叉N⑪.8のa(C,一C2)の内縁は
て判明するaC,iの面積はeC、jに比し著明に減
帥ちaC3の内縁であり,叉eC2の内縁は略aC3
少するが(第3表Fig. 17),それは後柱諸核に
の外縁と考へられるから,aCsは内外爾縁が制
短線維を絡末せしむる他に,,多数の下行性線維
明し,その領域は決定される.本髄節に於いて
を尾側に逡る事に基因するものであろう(第3
はNo.1のaCOi, No」1のa(Co3−L1), No.5
表:Fig・18)・このaCtiの内縁とaCsの外縁と
のa(Th12−Th7),:N().9のa(Co3−Th5), Nα6の
の間の部分は聖旨C気と承認されて良かろう(第
aC8の内縁即ちaTh1の外縁等は,何れrもC3の
高さまで保持せる壕形を失ぴ,その下端を後正
3表Fig.17及爲眞4).叉Nα10に於ける
[ 133 )
406 入間脊騒後索の構成(各騰節横蜥面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域)
1
第
性1年
症 例
病
姓 名
別
齢
名
訴
門
No. 1
1 .EI.
9
54
卵集癌再護
腰部より爾側一部に及
ぶ激痛
No. 2
K.K.
6
57
癌性腹膜炎
剣吉突起より爾側腸骨前
上棘に至る部分の激痛
A.H.
9
37
直腸癌再護
爾側上部激痛
No. 3
表
治療として加へられたる
申椹帥三内侵襲
左第12胸推の高さ
第工回 左第9胸椎の高さ
第2回 右側11胸椎の高さ:
第3回 左第12胸椎の高さ
第1回 右第11胸椎の高さ
に於いて脊
臆硬膜内蜘
蛛膜下純酒
精 (⑪・9一一
1.2cc)注射
第2回 左第12胸椎の高さ
(Dogliotti法)
No. 4! 1.S.
9
53 ¥子宮癌
第1回 左第11胸椎の高さ
腰部激痛(主として左側)
第2回 左第12胸椎の高さ
No. 5
K.F.
9
40
胃癌再{薩
腰部激痛亜に左側胸部激
烈なる刺痛
Ne. 6
K.T.
6
50
不治胃癌
腰部激痛
C7の高さに於いて爾側前側索蜀翫同
1時に手術拠作の爲雨側Csの後根切断
潤D 7
U.N.
9
52
S紐状結腸
腰部激痛
C7の高さ:に於いて爾側前側索切断同
時に手術操作の爲爾側C(iの後根切隊
No. 8
S.T.
6
26
舌癌再護
左下顎部,左耳下腺部よ
り後頭部に放散する激痛
左側Cl. C2及Csの後根切断
頸胸椎肉腫
轄移
職災にて病床日誌燐失せ
るにより不詳
N’
N・・9 h・J・}♂
aNo.10
S .II.
No. 11
Y.T.
No. 12
No. 13
9
6
/
41
25
M.N.
9
36
o.y.’
8
26
癌
右乳癌再三
第1腰椎1塗
迫骨折
右乳癌第9
胸椎轄移
第6.7.8
頸椎隅隅骨
左門ll胸椎の高さ
x
×
Ctの高さに於いて左側前側四切翫同
時に手衛操作の爲左側Csの後根の一
右上肢劇痛
部(下%)切籔
灘聯動剛第1・胸幅第3直面の騰師
L
隣以下の下溝1身知畳及運
動麻痺藍に直腸膀胱障碍
一)一一一一一一
下牛身の知畳及運動麻痺
第2胸椎より第5胸椎までの椎弓藏除術
折
中壁上にもつV字形を呈し,從って全艦として
に配列し,その帯の幅は背側の方に廣く,その
は扇形となり腹側に移動する、(第3表Fig23,
…帯の縦軸は元正中隔と後歩内縁とのなす角度の
:Fig.24,:Fig.22及丁霊7>.叉aC8(:No.6),
二等分線に略平行する(爲眞7,第3表Fig.
aC6(:NQ.7>, aC5(N(L 10), aC3(No.8)及eC2
25,Fig.26, H9.27及Fig.22).
(No.9)等は何れも腹側端を後交蓮背縁上叉は
CI l Ziehen 77)の記載に依って, C2の上端よ
後柱内縁上に,背側端を後索背縁上にもつ帯状
り錐膿交叉の下端に至る聞をC1とすれば,
[ B4 ]
例
症
効
後根叉は後
索障碍後死
亡までの日
著
41
治
明
407
屋
土
一異型例
宇
Marchi
横
豚
面
心績切片作製の範團
Co3−Thltの各腿節の全部
Th10一一C{の費瞳節の一部
門 腿 の戸部
顯微鏡的検索により判明せる
障碍後根亜に障碍脊髄k節
酒=.ThiO−Co3の16後根
左=COIの1後根
右:Th匹。−Thl・‘の3後根及S2の
著
明
24
Marehi
1後根
S5−C2め各調節の一部
左:Th9−Th12の4後根及S2の
Co3・・一L1の各麗節の全部
右:Thfi−Thllの6後根,並に
.1後根.
著
明
37
Marchi
Th12−Csの各腿節の一部
二二二二の全部
/
:Lr−Ctの各腿節の一都
左;ThlrThエ2の2後根, Ll,L3
及しsの3後根,並にS1−
〔廷騒点画の全部(失朕面縦断)〕
著
明1
著
明
著
明
著
明
著
60
Marchi
26
Marchi
44
Marchi
Marchi
46
Marchi
/
Marchi
時期以内
Marchi
著
124
Weigert
煎に
Scharlach
明
明
延 腿の全部
無
効
125
/
68
無
46
L2−L,sの8後根
Co3の8後根
1帳講灘簾鵜窪鵬秀繍))
Cg一一C1 の各腿節の全部
延 腿 の全部
Sl−Ctの各照簾の一部
延腿の一部
左=ThrL1の7後根
1左:Csの一後根,亜にC7の高
さに於ける爾側薗側索切断
’
右=C6の1後根
左:Caの1後根,並にC7の高
さに於ける爾側糸側索切子
Co3−Csの各髄節のt−Xn
C仁C1の各騰節の全部
延髄 の全部
左 Cl, C2及C33後根
Co3−Cユの各腿節の一部
左:C2及C6の2後根,並に
Ths−Thsの間の横断
延 騰 の全部
Marchi
Ll及:L,sの2後根
左:Th7−Thllの6後根,曲に
1二二誰灘潔繍灘翻〕
Thg. 一 Thsの二二節の一部
41
__._一
Thlrqの各駈節の一・部
廷麗の各部分の一部
Thm−Clの各腿節の一部
左:Csの1後根の一部(下%},
並にCsの高さに於ける左側
前側索切断
L1 一一 Th12の闘の横断
延腿の全部
Marchi
Co3−C1の各騰節の全部
Thsの高さに於ける横窓
延鵬の全部
COI 一 ”Clの各腿節の一部
効
Marchi
C6, C7及Csの横断
廷髄の全部
,
aCo1よゆaC3までの領域は略C2に於けると
は水雫に:走ゆ,垂直に走るa(C3−C2>の線維群
同様に決定可能.その結果はaCo3よりaThβ
と明に遜:別出回る線維群は略eC1と認めて良か
までの領域がC・に於けるより多少腹倶IIに移動
ろう(第3表:Fig.30).而してN⑪・1, No・11,
せる外(第3表Fig・28及珊9・29), C2の白白
N⑪.5,Wallenberg : 4)の報告例, No.4,:No・6,
と大差はない.:No.9に依りaC2は判定可能.’
:No.7, No. 10,:NQ.8及.No.9の諸症例の】瞼索
叉:No.8に於いて後柱頭部内縁を取園んで斜叉
を総括するに,a(Cs−C1)の領域,就中aC s,
[ 135 )
4⑪8 入間脊鶴後索の構成(各獺」横噺面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域)
aC7及aCGの領域が罵倒的に廣く,次でa(Ls一
少数の攣性線維が認められる(第3表:Fig.37
L,)及a(S2−S著)が早く,a(Th12−Th1)及a(S,r
:B).Thg以下に至れば著しく線維数が減少する
Co3}の面積は前二者に比較すれば著しく狭少
爲に定型的な形を失ふが,その背側膨大部の痕
である事は注目を要する(腐眞7,第;3表Fig.
跡は遠くTh11の高さにまで追跡される.
29,Fig.31, Fig.32,:Fig.30及Fig.28).叉
No.7に於けるdCr,はC7の高さに於いては
各後根線維の好むる領域は,後弾中隔と後柱困
樹その根進入域に止まるが(第3表Fig.18},
縁とめなす角度の二等分線に略平行して配列す
d(CrC3)に比し著しくその線維数が多い.下行
る(第3表Fig・28, Fig.34,:Fig.33, Fig.29,
と共に次第に内側に移動し,Th1の高さよ吟腹
:Fig・31,:Fig. 32,:F{9.30).又第8例に於いて後
倶曝と背臨唖に履影大部をもつ腹背に八田長い稿亨ナ{犬を呈
交連野縁を通b,封測後壁に向ふ線維が少数槻
するが(帥ちKomma−BUndel(Schultz♂6))に
察された(:Fig.3⑪).
一致する),C7よDTh,までの間に於VOては野
る後根の上行性線維が,種々の高さの後索横断
帰内縁よ国後柱内に進入する線維も観察される
ち
(第3表:Fig・18及Fig.38).Th2の高さに至
面内に於いて,占むる領域を示す模式圖を作製
ればdC・,の内縁は更に内側に移動して堤形を
すれば,第2表のCo1よりC1までの各脊髄
呈し,aThloの外縁即ち後索の内li{1部の外縁に
髄節横断面の右牢(圖の右回)の如くなる(第
略一・致し(第3表:Fig.9),從ってd(Ci−C3)と
本節の所見を基礎として,種々の高さより入
略同位置を占めて下行する事になる(窮眞8).
2表).
第2節 下行性線維に就いて
下位細節に至り次第に内側部の外縁が内側に近
箪1項後根障碍例
づけば,dC,の内縁も亦内側に移動し, Th5の
No.8に於けるdC1, dC2及dC3は後根障碍
高さに於いて内側部の外縁がaL1の外縁に相當
の存する髄節の直下の髄節に於いては,略その
する時はdC・の内縁も亦aLiの外縁に略一致
根進入域に止まるが,上行性線維に憎し線維数
する(爲眞9及第3表:Fjg.7).この間常に腹側
は著しく少なく,叉細径である.次第に下行す
膨大部の腹方端はClarke身柱部の琴柱内縁に
るに從って内:方に移動し,C4及Csの高さに至
接燭を保ち,Th4及Th5の高さに於いては
るまでには腹背に細長い帯状を呈し,後軍内縁
Clarke氏柱の中に散在する攣性線維も観察さ
よb後世内の二階に進入する線維も観察され
れる(爲眞10).dC,は略この位置及形状を保
(第3表Fig.35), Cfiの高さに至れば, d(Ci−
持しつ製,下行と共に次第に内側に移動し,
C3>の腹側端は後角交両部内縁に,背側端は後
Th12に至れば線維歎の減少も著:明となるが,そ
索背縁に達し,その内縁は壕散を呈する(第3
の減少は主として腹側膨大部に著しく,爲にL1
表:Fig.36).その位置及替歌からd〈C,一C,)の
の高さでdC,が準正中隔に接近する時は背側
外縁はaTh5の外縁帥ち後索の内側部の外縁に
膨大部の線維が主犯となる (bandelette peri・
phergqtleに一致する,第3表F{g.39).次でL,
略一致する(自防d(CrC3)はKomma−Btindel
(Schultze 6fi))に一致する,第3表:Fig・16及
の高さに於いては更に内側に移動して一部門線
:Fig.36).かくの如く後索の外側部にあって,外
維は途に後弓中隔に密接するに至るが,密接す
側部と内側部の境界部の位置を保ちつ玉下行と
る線維の大多数は後正野隔の背測約宇部に存在
共に次第に内側に移動し,Th1の高さに至れば
する事になる(第;3表:Fig.40).1・3の高さに至
腹側及背側に膨大部を形成する(第3表:Fig.
ればdC,,は後唄中隔の背側約宇部に密接する細
37A).この腹側膨大:部の腹側端は常にClarke氏・
長い地帯となり(帥ちevales Feld(Flechsig】5))
外部の後柱内縁に接隅を保ち,特にTh2の高さ
に一致する〉,L4及し5に於いては後転申隔の
に於いては時としてClarke氏柱内にも極めて
背側約3分の1部分に背退し (帥ち triangle
[ 136 ]
土
4e9
屋
(G⑪mbault−Ph{lippe!2))に一致する,第3表
d:L1は術その外側に追跡される(第3表Fig.
:Fig。41),その痕跡はSzの高さにまで追跡され
る(響町11).S2以下は標本が作製されてみな
44).S】及S2の高さに至ればdL1はd(Th7−
Th12)に近接し,その境界は不明瞭となり,
い.
dL・1及d(ThrTh12)は全艦として後正中隔に:
No。6に於けるdC8はdC,と略同様の経過
滑って背退し,後索の内背側隅に略三角形をな
をとって下行し,Thsの高さに於いてその内縁
は後索の内側部の外縁に一致してd(C1−Cl)及
して限局する(即ち面angle(Gombaitlt一一PhilipPe
22))忙一致する).而してその三角形の平内側部
dC,等と略暦位置を占めて下行するが(帥ち
に比較的攣性線維が少なく室白に見える部分は
:Komma−Btindel 〈Schultze 6‘}))に一一致する), Th4
d{Th1一”Th6)及d(CrC呂)の憎むる位置と推定
以下の標本が作製されてみなV・.dCfSと同様下
される(爲眞12).S3以下は標本が作製されて
行性の線維はd(C1−C3)に比し多敷である(第
みない.
No・3に於ける右渕のd(Th,一Th11), d:L1及
3表Fig.14・).
:No.5に於けるd(Th7−Thi2)の中d(Th,一
d』並に左側のd(Th7−Thlz)及d(L2一:L5)の
Thlo)はTh8よりThio q高さまでは上行性の
経過はS2の高さまではN⑪.5に於けるd(Th7−
攣性線維群と混在する爲追跡が困難であるが,
Th,,)及dL1と略同様であるが, S3に至れば
Th11の高さに於いてはaLiの外縁に溜ふ細径
d(Th・,一Thii)及dL1並にd(Th7−Th12)は後正二
の攣性線維群として親察され (卸ちKomma
丁の背側に密接し,後索の内背側隅の三角形部
:BUndel(Schultze働)に相刑する), L1の高さ
に限局するが(帥ちdorsomediales Sacralbdndel
に至り始めて平芯内縁の最:深部より後索背明に
(Obersteiner 53))に一致する〉,右側のd:L5及左
及ぶ帯状の攣性線維群として観察される(第3
側のd(現一:L・,)はその外方にあって門柱内縁の
表Hg.42).:L2の高さに至ればd(ThrTh12)
最深部よb後索背縁に達する帯下地域として存
は更に内方に移動して後正中隔に近づくが,
し,後干内縁の最:深部より同側の後明内に進入
dC,の場合と異なり,攣性線維数は背側膨大部
する線維も見られる.叉その内縁よDd(Th6r
に少なく,腹側膨大部に著しく多い (即ち
Th・1)及d:L1並にd(Th7−Thi2)の申に多数の
ventrales Hinterstrangsfeldに一致する). d:L1は
線維を混合せしむるのが観察される(爲眞13).
樹eL2のq1に止まる.:L3に於いては’d(Th7一一
かくしてdL5は下行と共に内側に移動し,次第
Th,2)は更に後正中隔に近づくが,後弓中隔に
に線維敷を減少せしめ,SボよりCeiの高さに
完全には密接せす,多少の室白部を残すが,そ
至ればd(Th6−Thn)及d:Ll並にd 〈Th7−Thi2)
の室白洲はd(Thi−Tha)及d(Ci−Cs)の通過す
の形成する三角形(帥ちdoTsomediales、Sacral−
る部分と推定される.攣性線維群の接近は後門
bUndel(Obersteiner 53) )に相解する)の外縁に
中隔全長に亘って行はれるが(印ちseptomar・
集合する.S5及Co1の高さに於V・ては,これ
ginal tract(Bruce−Muir 5))に一致する),腹側
等下行性線維群の中には後IE中隔に滑って腹側
後索野より後正中隔の腹側牛部に接近する攣性
に移動し,押柱内縁の最深部よb帯側の友白質
線維が特に多い.d(Th7−Thi2)の外縁より外側
中に進入,その諸物(恐らくはMtilEer 5i)の中
の後索野にdL1が追跡される(第3表:Fig.43).
闇闇の細胞)に終末するものが槻察される(第
更に下行と共に内側に移動し,L4に於いては
3表Fig.45).
馬匹中隔に滑ふ細帯欺地域となり,:賑に於い
N⑪.2に於けるd(Th, 一一Th1“.)及d(Thlo−Thm2)
・
ては腹側後索野の攣性線維を審く背側に移動
はS2の高さまではN⑪.5及No.3のd{Th7−
し去り,後交連野縁に滑ふ後索野には殆んど
Th12)及d(Z’h,,一Th11)と略同様の経過をとるが
ノ
d(Th7−Thlg)の攣性線維は認められなVO.但し
(第3表Fig・2), Saの高さに至れば後索の内背
[ 137 )
41⑪ 入間脊騰後索の構成(各髄節横断面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域)
側隅の三角形部に密集し(帥ちdorsemediales
よb後索背縁に及ぶ帯歌地域をなすものである
Sacralblinde1(Obersteiner 53))に一致する),そ
事を知るのである.
の外側に於いてeS3の部分にdS2が追跡され
本項の所見並にH⑪m6n 2fi), Jacobsolm 27),
る(第;3表Fi9.46). dS慧は下行と共に次第に
NVallenberg 7b, C⑪llier一:Buzzard 8)等の所見を基
内側に:移動するが,:N⑪.3に見られたd:L5及
礎として種々の高さよiJ入る後根の下行性線維
dσ・rL5>よりは外側に位置しつN,それ等の憎
の種々の高さの下位髄節後索横断面内に於いて
むる領域に多少の線維を混合せしめ,後柱内縁
噛むる領域を示す模式圖を作製すれば,第2表’
より後索中門に及ぶ帯歌部として追跡される.
のC1よりCo1までの諸圖の左牛の如くなる。
叉S3よりS5までの高さに於いては, d(Thザ
この模式圖に於ける各後根の下行性の線維の占1
Th五1)及d(Thie−T’h12)は再び後引中隔に滑ぴ
むる領域が,同じ圖の右回に記入せられた上行
腹側に移動し,後弓内縁の最深部より同側の友
性線維の占むる領域に比し,一見四大であるか
白質内に進入する線維が襯察される.dS,の線
の如く書かれてあり,不審の感を抱かせないで
維中にも後柱内縁の最:深部より同時の友白質中
もなV・が,之はその線維の存在し得る領域の外
に進入するものが槻察される(第3表Fig.47).
劃を示したに止まり,国際線維の密度は遙かに
以上の症例の他にdCs,はHom色1i 26)の報告
粗であゆ,勿論線維激に至っては比較にならぬ
例に依り,N⑪.7のdC,,と略同様に, Csの高
程少数のものであるに過ぎぬ事を忘れてはなら
さに於いて後索の内側部と外側部との境界部に
ない。
達し,:No.8のd(C1−C3)と略同じ位置を占めて
下行する事が明であり(EPちKomma−BUndel
第2項横断障碍例
No.13に於いては横蜥障碍直下のTh1の高
(schultze ff6))に一致する), dTh1はJac⑪bsohn
さに於いては後索の外側部全艦に存する多数の
27))の報告例に依り,Th4の高さに於V・て後索
攣性線維群の他tz ,飛騨中隔の腹側3分の1
の内側部と外側部との境界部に達し,No.8の
部分にも少数の攣性線維が認められる(帥ち
d(C,一C3)及No.7のdC,等と略同位置を占め
ventrales Septalbtinde1に:一致する,第3表Fig.
て下行する事が判明し,(2PちK:omma一:Btindel
48).この後正中隔の腹側3分の1部分の攣性線
(Schultze 6「」))に一致する), dTh,はWallenberg
維群はTh,では著しく少考となり, Th3以下に
70の報一手例に依り,略Th5乃至Th6の高さに
は認められない.後索の外側部の攣性線維群は
於いて後索の弾琴部と外側部との境界部に達す
下行するに從ひその最外側部は後柱内縁より離
る事が明瞭である(9Pち:Komma−Btinde1(Sch−
れ,Th3に至れば背側及腹側に膨大部をもち,
ultze働)eC 一致する).叉dL3はCollier一:Buzzard
り
s),dL4はN]Vallel)berg 74)の報告例に依り∴L3よ
腹背に細長V・帯厭を呈し(帥ち:Komma一:BUnde1
IJ COIまでの後索横断面内に於いてはNo. 3及
後柱舞核に終末する線維を四半せしむるが(第
No.5に見られだdL1よりは外側に存し,大略
3表S;ig.49),それ以下はdiCe,と略同様の位
(Schu!伽冊))に一致する),後嗣外縁より進入し
No.3のd(L2一:Ls)の位置及形欺に一致する事
置及置歌をとって下行し(第3表:Fig.50),次
が判明する.樹Wallenberg 74)の報告例に於V・
第にその線維敷を減するが,その減少は腹側膨
ては,dS1よ』りdS5までの領域がSiよりCo1
大部に著しく(第3表Fig.51),爲にL1及し2
の高さまで追跡されてるるが,これ等下行性門
の高さで後正申隔に接近する時は背側膨大部の
馬線維の上記各引解後索横噺面内に於ける位置
線維が主膣となる(帥ちbandelette perEpherique
は,余のNo.3のdL5の位置の更に外側に存
に相撃する,(第3表Fig.52).:L3の高さに於
し,而も高位のもの程内側に,低位のもの程外
いては途に後正中隔に密接するに至るが,密接
側に順次に配列し,各の占むる領域は後柱内縁
する線維の大多数は後正中隔の背側牛部に存す
[ B8 ]
屋
土
一 411
る事:になる(帥ちovales FeZd(Flechsig i5))に
は背側膨大部のものは後索の内背側隅より(即
相當する,第3表:Fig. 53).:L4以下では背側に
ちbandelette pC・riphC・riquサに相當する),腹側
移動し,後索の内背側隅の三角形部に限局し
膨大部のものは腹側後索野より後一階隔に近づ
(t魚ngle(Gombault一 PhiliPPe 2fi))に相當する),
き・(即ちventrales Hlnterstrangsfeldに相学す
S3に至るまで略その位置に止まるが(師ち
る),途に後下中隔の全長に滑ふ帯下の攣性地
dersomediales Sacralbifiide] (Obersteiner 53) iclfa
帯を形成する(即ちsbpt⑪murginal tract 〈Bruce一一
干する,第3表:Fig・ 54), S5よbCo・に至れ
Muir)に相野する,第3表Fig.57).腹側膨大
ば再び後正中隔に滑って腹甲に移動し,後干最:
部及腹側後索野に攣性線維が多く,且つ後干中
深部の野縁を通して同一の興野友白質内に進入
隔の全長に滑って控性線維群の存する事がNo.
し,M廿11er 51)の所謂中間層の諸学に絡下すると
13と異なる瓢である.:L・i,の高さでは後門中隔
思はれる線維が襯察される(第3表Fig・55)・
の背側3分の1と中央3分の1との境界部に特
:No.9及No.12に於いて,横断障碍直下の
に攣性線維が密集して携園形の膨大部を形成す
Thgの高さに於いては後索全般に攣性線維群が
る(塵P’ちovales:Feld(:Flechsig i5))に相當する,
散在するが,後柱内縁の背側約3分の2を一邊
第3表Fig.58>. S2の高さより背側に移動し,
とする略三角形の形に特に攣性線維の密集せる
S3よりS4の高さまでは後索の内背側隅の三角
部分が齪察される;Th11及Th,2の高さに至れ
形部に限局するが(即ちdorsomediales Sacra1−
ばこの密集部は更に内側に進み,後索の内側部
ttndel(Obersteiner 53))に一・致する,爲眞14及
と外側=部との境界=部に略限局し(EPちK⑪mma一
第3表:FigL 59), S5及Co1に至れば後正中隔
:BUndel(Scbu】tze醇防lc相當する),所謂腹側膨
に滑ひ腹側に移動し後柱内縁の最深部より同側
大部を形成する.背側膨大部に相野するものは
の友白質内に進入する線維が観察される(第3
後索背割に滑ふ細長v・帯歌部にイf一する攣性線維
表 Fig.60).
群である(第3表F{9.56)・L3の高さに於いて
第4章紬括並に考按
以上述べた13症例の,主として第3表の模式
1乃至2髄節上行して友白質に入るもの(短線
圏作製の根管となれる重要なる所見に關し,総
維),(2)Clarke氏桂:細胞に絡るものN如く,
括的な考察を試みる事にする.
少なくとも4髄節以上上行して始めて荻白質に
入るもの(中線維),(3)後索を上行して延髄に
第1節 上行性線維に就いて
至るもの帳線維)に分類してみるが,骨髄後根
各後根線維は後索の最:外側部に於いて後角先
端に密接して進入し,所謂根進入域を形成す
では,下行性線維が寧ろ長線維に,延髄に至る
る.該域に於いては進入後根線維は主として斜
線維は寧ろ短乃至中線維に数ふべきであろう.
叉は水卒に走る線維として槻察される.後根の
兎も角後索申には上行,下行爾下刷とも長,短,1
含有する線維を短,中団長の3種類に分類する
中3種類の線維が含有されてみる.今尾髄節よ
事はSchaf学帽以來一一般に行はれてるるが,こ
り中部以下の胸髄節に至る全後根に四脚する上
の分類は少なくとも腰四部後根に關しては好都1
行性線維のみを考慮するに,既に進入髄帆に於
合である.教室の佐野鋤は腰薦部よ1)の後索線
いて短線維は他のものより’分れて管柱内に入
維を(1)中間暦外側核,後柱固有核,前柱蓮動
り,一部は下前柱脚中間層に向ふ.次で同じ後
細胞門中間門内側核に絡るもの並にL・issauer氏
根線維が上方髄節横断面内に於いて占むる領域
周邊域を上行するもの等の如く,同髄節叉は
は後柱内縁より後索晋縁に亘り,腹背に細長
[ 139 )
412
入間脊腿後索の構成(各髄節横断面に於いて忌むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕の領域}
く,凸を内側に向けたる弧歌を呈するに至る。
之は當該線維が上行と共に内方に移動する平門
移行する.帥ち内側部に於ける各後根線維の占
むる領域が上位頸髄節に於V・て腹側に移動する
ある.かくして1乃至2門守上行する問に短線
事が分明する。かくの如く中部胸髄節以下の後
維はすべて後柱先端或は門柱内部に入るが,大
根由來の上行性線維の警むる領域は複雑な位置
略4髄節上行すれば,中線維が分れて後柱内に
凹形厭をとるが,上部胸髄節及頸髄節の後根由
進入する.而して既に弧歌を呈し來つた後根の
’來の上行性線維の占むる領域は上行と共に内側
上行性線維の占むる領域は次第に内測に移動
に移動するのみであるからその攣化の模嫌は簡
し,後索の略中央部に於いて腹背に細長い帯歌
軍である.笙.一1頸髄後根の存否に早しては種々
地域を形声するに至る.次で更に3乃至4髄節
議論の存する所であったが,K:azzander 33)は第
も上行すれば,中線維も亦全く門柱基部に淡
1平町後根は人間に於いて屡々痕跡的であり,
し,長線維のみ残存し,このものも薪たに入り
副瀞i脛よりその線維を受けたり(21%),叉は全
來る上位後根由來の線維に依り内側に歴迫せら
く訣除する場合もあるが(8%),少なくとも60
れ,漸次内側に移動して,所謂後索の内側部を
%以上に於いては完全に開立して存在すると主
形成する。かくの如く後索中を上行する刷る高
張し,一般にその存在は認められるに至った
さからの後根線維の位置は上方に至る程次第に
Ziehen 77)).丁丁脊髄iに回しては:Bumke 7),動
内側に移動し,途には後正門隔に直接又は近
接した位置を取る.これ帥ち:Kahler鋤氏法則
Davenport−Doles鋤, c⑪rb{n 一一 J⑪seph 9)及James−
(1882)である。この内tfiVl移動の仕方は後根の即
Kendall等が何れも第1頸髄後根切断例を報告
する髄節の高さに依って必ずしも同一でなV・
してみるが,余も亦第1頸髄後根と思はれるも
が,兎も角内方移動そのものは各後根線維の占
のを切断したる症例の第1頸聖節後索横断面に
物實験に於いてはvan Gehuchten i9), Ranson−
むる領:域の位置及西門の決定に最:重大の意義を
於ける根竹入域部に明に憂性線維を認めたの
有するものである事は疑ふべくもない.帥ち尾
で,その領域を記載した,
髄節より中部以下の胸髄節までの四丁節後根由
次に或る後根の上行性線維の後索横断面内に
來の上行性線維の占むる領域は,上行して内側
於いて占むる領域の面積は上行と共に減少する
部を形成し,途に後四四隔に接するに至れば,
が,之はMayer以來G⑪mbault Philippe 2e),
その朦門端は背側に移動して後索の内背側隅に
Zingerle 7s), Schaffer G4、, Ziehen 77)及Pollak 57》
限局し,下位のもの程内背側に位置する如く配
等の記載する如く,その聞に短及中線維が分離
列する.而して内背四隅に多数の後根線維の領
して友白質中に進入するからである.更に叉長
域が集積するに至ればその外縁はS字厭を呈
線維みみとなれる領域も上行と共にその面積を
し,左右を合すれば,:Flaschenf⑪rm(Flatau i4),
減少せしめるが,之はziehen 77)の指摘せる如
Pydynski is))を呈する事になる.内測部外縁の
く,側副枝を分岐せしめる爲,長線維の直径が
この特殊な形状は大略第5胸髄の高さより出現
減少する事に依るものであろう.事實後索横断
し,その堤の首に相當する部分は上位髄節に至
面内に於ける内側部の線維は外側部のそれに比
るに從って細長くなり,略第5町勢の高さに於
し,著しく細径である.然しながらRansan s9)
いて最:高度に細長くなる.之はとの高さに於い
の考へる如くに後上に入る線維が大部分後索上
て強大なる頸髄後根線維に璽迫せられて後索の
行性線維の側副枝なDやは甚だ疑問とすべきで
内側部が最:高度に内子測に移動する事を意味す
ある.かくの如く上行と共にその面積は減少す
る.第4頸髄以上の高さに至れば,堤の首の部
るが,尾髄後根の上行性線維でさへも確實に延
分は再び短かくなるのみならす1その外縁が直
髄まで追跡され得るものであるから,Jacobsohn
線歌を呈し:Flaschenfbrmは次第に扇形の形に
28)がかSる下方よりのものは下部胸髄節以上に
[ 140 ]
土
屋
到達しないと考へたのは極めて早計である。
4Z3
XVinkler 7「’)の模式圖は,人艘脊髄には該堕し難
云ふ迄もなくずべての後根は決して同一比率
い.
に長,中,短3種類の線維を含有するものでは
叉焼1頸髄横断面に於V・て弛むる各後根の占
ない.この事實は種々の高さより入る後根線維
むる面積が略同大に記入され,從って全胸髄後
が種々の高さの後索横断面内に於いて占むる面
根の占むる面積が最:大である如く書かれある
積の大小を決定する最重要な因子をなすであろ
:Foerster塒の模式圖に至っては,全く架室的な
う,試みに第1岬町横断面に就いて考察を加へ
ものと云はざるを得ない.
て見よう.尾特牛下部薦髄の後根は細く,線維
後索の主要構成因子である脊髄紳経節延髄
数も少なく,長,中,短3種類の線維は何れも
路は,高等動物に於ける程良く護達し,四つ
数少なく,爲に第1日晒横断面に於いて占むる
て人類に於いて最高度に獲達せるものとされ
その面積は最小である.上部薦髄及腰髄後根は
(Brouwer 4), Kappers 32)), Head!S> 14), 1’etren
線維数多く(Ziehen 77》に依れば腰部膨大部で
54),Fabritius 13)以來その機能は2鮎聞の識勝
850⑪0),根進入域も潜く線維密度も稠密であ
(tactile discrirnination)を具備する鰯翌翌の傳
り,短,中畑線維も少なくないが,下肢の皮膚
導が主であり,所謂識別的(epicritic)の高等な
分劃に相當する塁壁の長線維が多数に含有され
知畳門門を主宰するもので,頸髄後根線維に塵
てみる爲,頸髄横断面に於いて占むるその面積
倒的に多いとされて居り(Bok 3)),久留43) #ft
は比較的播く,頸臆後根のそれに次で第2位で
授ほ就中乎指に關聯する第6,第7及第8頸髄
ある.泣目すべきは,翼oda四ゆが最近猫の脊
後根線維に特に多い事に言及されたが,余の所
髄に序して作製した,模式圖に於けるこの部分
の面積が,人艦脊随に關して)丁製された余の模
K⑪dama 34)及NVinkler 70’)の模式圖と余の模式
式圖に於けるものより遙かに皆野である事であ
圖との相違は,平野紳経節延髄路の有する機能
見はζれ等の主張に全く良く合致する.前述の
的意義の動物に依る男憎として容易に理解さる
る.胸髄後根の線維数は中等度であり(ziehen
77)に依れば7000),特にこの髄節はClarke氏
幻,†であり,Br⑪uwer 4} , H’ead 23 )24), Petr6血54),
:Kappers 32)及久留43)敏門戸の主張を裏付ける
柱の最:も良く護達した部分に相野し,之に干る
N
中線維が極めて多数に含まれてみる爲,長線維
ものであろう.
は少なく,・從って中,下下線維を分離せしめた
次に下る後根の上行性線維が脊髄後索内を上
後に於いては急速にその面積を減少し,第1頸
髄横断面内に於いて弾むる面積も狭く,全胸髄
行の際,それが後索横断面内に於いて占むる領
域と隣接叉は近接する他の後根の上行性線維の
後根線維の占むる領域を合しても,絢頸部膨大
それとの境界は常に劃然としてみるも㊧ではな
部の軍一後根線維の占むる面積にも及ぱなV・
く,互に線維を混合せしめ合ふものである事は
(Winkler 75)).頭随後根は太く,根進入域も廣
:Mayerの實験旧臣周知の事實である・zingerle
く,線維の密度も稠密であP,その線維数も墜
7S), Schaffer 64), Ziehen 77), Po]lak fi7)’, Kodaina’
倒的に多いが(Ziehen〒7)に依れば頸部膨大部で
鋤等何れも之に就V・て記載して居り,余も亦随
174000),:就中延髄に至る線維が多い故,第1
所に之を観察し得たが,この混合は上行するに
頸髄横断面内に於いてその占むる面積は最大で
從って彊度となる如く思はれた.從って勿論余
ある.特に第5,第6,第7及第8電導後根の
の模式圖に於けるそれ等領域の境界は嚴密なも
占むる領域の面積は墜倒的に廣大である。然る
のではなV・事を附記する.然しWallenberg 74
に人艦頸髄後根の示すこの著明な特性が無縄さ
れて,第6,第7及第8頸髄後根の領域が余の
の主張に一致して,上述の如く領域相互間の概
幽略の境界の判定は決して不可能なものではなか
模式圖に於けるよil’ ・kかに狭く轟かれてある
つたのである.
[Ml)
414 人間脊臆後索の構成(各鑓節横断面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性亜に下行性〕の領域)
Kahler so)氏法則がそのまS下行性線維にも該
叉労る後根の上行性線維は上位髄節後索横断
面内に於いて,腹背に細長い帯朕を呈する事は
當する事が分明する(食edlich 61),:Flatau 14),
既述の如くであるが,との帯猷の領域の長軸は
Goldstein 2i), C⑪llier−Buzzard S)).而してこの内
該横断面上に於ける後柱内縁と後正中隔とのな
側への移動の仕方は特有であって,後根の鵬す
す角度を二等分する線に略雫行して配列する
る髄節の高さに依り必ずしも一定しない。即ち
頸回及胸髄後根の下行性線維は進入髄節の直下
が,この事は根回入域に於ける後根因子中,延
髄まで上行せぎるものが略牛撒を占むると云ふ
に於いては根管入域に止まるが,下行と共に速
事を意味するものと云へようから,Sherrington
かに内側に移動し,この間控柱内縁より後門固
有核その他の諸核に絡末する線維を進入せしめ
t;7)の報告に略一致する事になる.然るにこの領
つX凡そ3乃至4髄節下方に至れば,その占む
域の長軸が後柱内縁に即行する如く書かれてあ
る領域の内縁は後索の内側部と外側部との境界
るN?Vinkler 75)の模式圖は入閻には該帯しない.
部に略一致する.それ以下では内側移動は極め
WaUenberg T4)は男呼髄及下位腰髄後根の上
行性線維は上部胸髄節附平野節横断面の後索内
て綾慢となD,略この位置で内側部と外側部と
に於いて,それぞれd⑪rsales Dreieckとventraler
の境界に澹って下行し,その間恐らくはClarke
Rhombusとを形成すると記載してみるが,余
も亦之を観察し得た、この特殊な形の認定は野
氏柱細胞に絡干する線維を後柱内に進入せしめ
るものと推定される.上位腰髄節に至れば急速
性線維が何れの後根に由期するかの推定の必要
に内側に移動して,後弓中隔に直接又は近接
な際に時として役立つであろう.
し,以後之に滑って薦尾髄まで下行する.この
余は叉Clarke氏柱脚後角交連核に至る線維
’特有な走行は後索の内側部が上位腰髄節以上に
の中極めて少数のものが後学蓮を維て封側の燈
於いて始めて明瞭な形を得,その外電に副寺中
柱及中帯暦に行くのを槻察し得たが,この所謂
隔が形成せられ,之が上位髄節後根砲撃の下行
交叉性の線維の走向及雪平は,既にCajal 57),
性線維の内側移動を妨ぐるに依るものと云はれ
FoeTster−Gagel−Sheeh:nV), ’Polla!〈57>, Ranson−
てるるCollier−BuzLard S)).腰髄及薦髄後根の下
Doles 一DavenP⑪rt鋤及イ左野信3)等の詳細な報告に
行性線維は下行と共に次第に内側に移動し,途
依ll)明にされてみる.余はこれ等の線維の他
に後門中隔に直接叉は近接し,以後は之に滑っ
には,下側後索を上行する交叉性の後根線維
(Lenhoss疎45))及交叉性の知畳蓮動反射側副枝
て下行するのでその走行は比較的簡輩である..
四四一部の人がKomma一:Btinde1(Schult呂♂6))
論無髄性乃至極めて細径の有髄性の交叉性線維
の重要構威因子として後根の下行性線維を學
げなかつπ理由の最:大なものとして,それが
の存在は,Loul〕⑪ushille鋤, van Gehuchten 20),
:Komma一:Bifnde】(Schllltze 6防に比し遙かに短距
(Lavdowsky 44》)等を観察し得なかった.然し勿
離しか追跡され得ない事が指摘されてるるが
:Kopszynski S5),新藤的, Kodama 34)等の云ふ如
くには完全に否定し得るものではなかろう(van
(Gombault一一Philfppe 22), Margulie’s 4D), Ziehen
77)),然しJacobsohn 97), Homen鋤, Marburg
Valkenburg 73)).
笙2節 下行性線維に就いて
o7), vall Gehuchten 20), Golds tein 2i),:Bok 3》及
Kodama俺等は数髄節叉は十二空節に亘って後
Cajal以來その存在の知られてみる後根の下
行1生線維は,上行性線維に比し著しくその数少
根の下行性線維を追跡し得たと報告して居り,
なく叉細径であるが,下行と共に内側に移動し
余も亦頸髄後根障碍例と胸髄後根障碍例の後根
て僧正中隔に直接叉は近接し,後索骨筆面内に
の下行性線維が,Komma一〕Bttnde](Schultze 6fi)〉
於いては上位髄節に由糊するもの程内方に位置
の位置及形1伏を保持して,下部胸髄節まで追跡
する如く配列する.帥ち上行性線維に於ける
されるのを翻察し得た.從って頸髄及胸臆の後
[ 142 )
415
崖
土
根の下行性線維がKomma一一:Bifndel (Schuユtze紛)
c’f’))とlange Bahn V。n H。che 25)とは本質的
の形成に最重要な役割を演ずる事は疑ふべくも
には全く同一のものである事を明にした.略同
ない (ZapPelt 7fi), Flat昂u 14), Jac⑪bsohn 27),
様の事はBarbacci i), Marguliξs 4D), Goldstein 2i》
Hometi 2fi). PetrC」n r’5). Go]dstein fli). Col]ier−
及Matuszewski 5。)等に依り何れも横断障碍例
t 一 v−」Lv一一 t vv一一v一一v」一一 p
Buzzard S>, Bok 3), Kedama 34)).
に照して報告されてるる.余も亦頸髄横鰍障碍
最:近K⑪dama 34)は猫の頸髄後根切断例に於
並に胸脚横断障碍例に於いて略同勢の所見を観
いて,:Komma一:BUnde1(Schultze fStl))の中には
察し得たるのみならす,四四後根障碍例に於い
Clarke氏桂細胞に絡解する頸髄後根の下行性線
ても亦,その頸髄後枳の下行性線維に坐して略
維が含有されてみると報告してみる.余は第
同様の所見を観察し得た,從って頸髄後根の
1,第2及第3頸髄後根切断症例に於いて,そ
下行性線維は胸髄節に於V・てKomma一】3ttndel
(Schultze f16})の形成に重嬰なる役割をもつが,
れ等の後根の下行性線維は,下行當初に於いて
は勿論後桂固有核その他に絡末する線維を分
その背側膨大部の線維は更に下行して腰髄節に
岐せしめるが,上部胸髄節に至って:Komma一
於いては⑪咽eミE俘id{測禦1≧slg 15)),薦髄節に
:BUndel(Schultze ff6))の形をとって下行する際
於いてはtriangle丈90mbault−PhiliPpe 22))及
は,そのKomma−Btindel(SchultZe 6fi))の腹側
dorsomediales Sacrabtindel(Oersteiner 53))の形
端が,常にClarke氏柱部の後柱内縁に接燭を
保つ事を確認し得たるのみならす,上部胸髄節
ヨ
成にも亦重要なる役割をもつ翫の.と云へよう.
のClarke一側内に,極めて少数の攣性赫誰の
B‘indel(Schul亡ze邸))を:形成する事を詮明し,判
:Kodama鋤が頸髄後根の下行性線維がKomma輯
散在を認めた.このClarke氏柱内に散在する
このものがSeptalbtindelに移行する:事を承認し
攣性線維の存在は,第6頸髄後根切断症例に於
つ玉,これ等以外の下行性線維を否定した事
いて,更に明瞭に認められたのである.從って
や,Kopszynski fi3}カ§dorsomediales Sacralbtinde1
猫に於けるK⑪dama 3a)の主張は略人間にも該
(Obersteiner 53))中に頸際後根綜維の存在を認
即して,入間脊髄のKomma−Btindel(Schultne
め得ないと主張したのは,何れも早計と思はれ
fifi) )の中にも, Ciarke押柱細胞に絡帯する頸瞳
る.
後根の下行性線維が,少数ながら恐らく含有さ
余は叉中部以下の胸髄後根の下行性線維の
中,Komma−B雌del(Schult鵤晦)の腹側膨大部
れてみるものと推定されるのである.
のものが上位腰髄節に於いてはventrales Hin一・
H⑪che 25),〔Bruce−Muir 5)及Dydynsl{i i2)等は
Komma−Blindel(Schultz♂“))と所謂lange Bahn
terstrangsfeldの形をなし,中部腰髄節に至っ
von Hoche 2s)とは全く無關係なものであると記
て後学中隔に到達すれば,Komma−Btindel
載してみるが,Stewart 71)は頸髄1横断障樹例に:
(Schultze t’ls))の背側膨大部の線維と合一して
於いて,Komma−Btinde1(Schultze 6G》)の腹側膨
septomargnal t】act(Bruce−Muir [))の形をなして
大部は下部胸髄節に於いて殆んど溝失するが,
下行し,薦髄節に於いてはtrino.91e(Gombault−
その背側膨大部の線維が下部胸髄節の高さに於
Philippe 22))及dorsomediales SacralbtindeI
ける横断面に於いては,後脳中隔に近い後索背
(Obersteiner「“3))の形をなしで観察されるのを
縁に滑ふて左右劃稽的に配列する2條の細幣1伏
追跡し得た.一方叉下位胸髄横蜥障碍例に表は
部(bandeletしe pξriph短que)に移行し,腰髄節
れたる下行性線維の腹側膨大部のものが上部腰
に於いてはovales:Fe]d(Flechsig 15)),薦髄節
髄節に於いてはventrales Hinterstrangsfeldを形
に於いてはtriangle(GoLubault一:Pl)ilipPe E2))及
づくり,中部腰髄節に於いてはKomma一:BUnde1
り
derny. omediales Sacralblindel (Obersteiner 53)〉 (c
(Schul亀z♂β))の背側膨大部と合一してsep亡om三Lr−
移行する:事を槻察し,K⑪mma−BUndel(Schultze
ginal tract(Bruce−Muir 5))となり,薦髄節に至
ノ
[ 143 ]
416 人間脊髄後索の構成(各騰節横購面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性曲に下行性〕の領域)
ればtriangle(G⑪inbault一 PhilipPe 22))及d⑪rso−
Feld (Fiechsig i S)〉, septammrginal tract (Bruce−
mediales Sacralbiindel(Obersteiner fi3))を形成す
Muir 5)), ventrttles Hinterstrangsfeld, triangle
る事を讃明し得た.発って下部胸髄後根の下行
(Gombault−Ph{lipPe 22) )及d⑪rs⑪mediales Sacr−
性線維はseptomargina’1 tract(Bruce−Muir 5))
alb面de1(Obersteiner fi3》)等の形成には後根の
及ventrales Hinterstrangsfeldの形成に重要な
下行性線維が最も重要なる役割を演ずるものな
役割をもつものと云へよう(Zappelt 7‘e))・
る事が{判明した(R’edlich 61), Pet合n 55), Bruns fi),
腰髄後根の下行性線維は薦髄節に於いては
:Flatau i4), Schaffer fi4), Goldstein 2i), Bok 3)).そ
下位胸髄線維の形成する triangle(G⑪mbault−
の他にend⑪genの線維があるか否かは余習の
Phi駈ppe 2防の領域の外縁に近接して追跡され,
研究の範園では未解決:に残される.然しながら
撃ってtriangle(G⑪mbault−Philippe’22))の形成
兎も角鐸ogenの線維のみに就いて論ずる限
に参與するが,薦髄後根の下行性線維は尾髄節
り,これ等の古典的な名構は,輩に後根の下行
に至るまで常にこのtriang]e(G⑪mbauk−Phil虹)pe
性線維の示す複難な形相のある限局した一場面
鋤)の外側にあって,僅かにこの中に線維を混
を表現するものに過ぎない事が明白になったわ
合せしむるのみである(Wallenberg 74) .
けである.
Wallenberg 74)は胸髄及腰髄後根障碍時に
頸髄横断障碍例の障碍部直下の髄節に於い
dorsomediales SacralbUndel(Obersteiner慣〉)の中
て,後言申隔の腹方3分の1等分に之に澹ひ少
に認められた下行性線維の数が,横断障碍例の
数の攣性線維群が観察せられ,2髄節下方ま
場合のそれに比し,僅少なる事を理由とし七,
で追跡されだが,之はvelltrales Sep瓢bUlldel
この束の主要構成因子としてのendogenの線
(Hoche 25)) に相當するものであり, C⑪】lier−
維の存在を主張して居b,:Bickeles z)も亦略同
BuzzaLrd S》ばこのものが横断障碍の2髄節下方
様の意見を表明してみる.WaUellberg 7引)がこ
で後正申隔に滑ひ腹側に進み,途に友白質中に
の横田障碍例との比較に用ひた症例は,軍一胸
進入するのを謹明し得たと記載してみる.
髄及隅一腰髄後根障碍例であるが,この比較に
後根の下行匪線維が下位髄節横断面内に於い
は勿論多数の後根が連判して障碍せられた症例
て占むる領域は,近接叉は隣接後根の下行性線
が選ばるべきである(Winkler 75), Bok 3)).余
維のそれと互にその繊維を混在せしめ合ふもの
の槍上せる上述の第7胸髄よゆ第1腰髄までの
であり,從ってそれ等領域相互間の境界は劃然
全後根が蓮即して障碍せられた症例(脊髄蜘蛛
たらざるのみならす,下位髄節後根の上行性線
膜下酒精注射)に於いては,同東塔に遙かに多
維の占むる領域とも,同一後索横断面内に於い
数の下行性線維が塩鱒明せられてみる.更に叉他
』て明確なる境界なく,互に混在するものである
の症例に於いては,∼二の束の中にWa11enberg 74)
(Matrburg 47), Goldstein 2i), Ziehen 77)). ,
が考慮に入れなかった頸髄後根の下行性線維も
下行性線維の絡末部位に平しては,明確なる
含まれてみる事を確認し得たから,同関内に含
記載に乏しいが(Hoche 25),:Bruce−Mu{r 5),
]LV[inller 5i)), Collier−Buz7rard 8), Wallenberg 74),
まれるex⑪genの線維の歎はWallenberg 74〕の
推定に比して遙かに多数である事が疑ふべくも
Zlehen 77), Klodama鋤等),それは極めて適當な
ない.從づてendogenの線維の存否は別とし
時期のMarchi染色標本に依るにあらざればそ
て,exogenの線維がd⑪rsomediales Sacralbtindel.
の追跡が困難な爲と思はれる(Collier一:Buzzard
(Obersteiller fi3))の主要構成因子たる事に弄し
S)).余の症例に於いては,頸勢門胸髄後根の下
ては議論の野地がない.
行性線維が1乃至2髄節下行する聞に,後柱固
以上の如くにして從來後索の下行性線維とし
有核その他に短線維を終末せしめ,4髄節以上
て周知のKomma−Btindel(Schultze c,fi)),’ovales
下行してK⑪mma−Btindel(Schultze Ge))を形成
[ 144 ]
417
屋
土
するに至れば,Clarke氏柱細胞にも線維を絡末
等の線維は尾髄節ですべて友白質中に入ると云
せしめるものと思はれる所見が得られた.又そ
ふ.二二髄後根の下行性線維の中にも後柱内縁
れが更に下行してtriangle(Gombault−Phhippe
の最深部より同測の後山内に進入する線維が観
22))及dorsomediales SacralbUndel(Obersteiner
察ぜられ,叉横断障碍例に見られた後索申の下
53)〉を形成して下位薦髄節に至れば,その中に
行性線維に於いても,後根の下行性線維の場合
は後正中隔に滑ひ腹側に移動して後干内縁の最:
と略同様の所見が得られた事を附記する。
深部より同罪の友白質内に進入するのを認め
後根の下行性線維が下行に俘ひ急遽にその線
(Hoche 75), Bruce−Muir 5), Collier−Buzzard S),
維歎を減少するのは,云ふまでもなく比較的多
Ziehen 77,),それ等の申にはMtiller 5bの所謂中
い短,中爾線維を後柱内に終末せしむる爲であ
間暦の細胞に絡末するものと推定されるものも
ろう(Collier一:Buzzard 8}}.
ある事を明にし得た。ziehen 77}に依ればこれ
/
第5章結
(1)余は晃髄より頸騰に至る種々の高さに
論
在ぜしめる.
於ける後根乃至後索障碍例13me例脊髄四半節横
(6)同一後索三門面内に於V・ては,上行性及
断面標本(内12症例はMarchi染色,1例のみ
下行性線維の占むる領域には劃然たる境界な
Scharlach染色)を槍下し,各髄節横断面に於V・
く,互に混在する。
て占むる各後根由來線維(上行性並に下行性)の
(7)或る後根の上行性線維が,上位髄節後索
領域の決定に成功し,各髄節につきその分配模
横断面内に於いて工むる,腹背に細長:い帯猷の
式圖を作製し得た.その結果Foerste 1のの四半
領域の長軸は,二二内縁と後正中隔とのなす角
的模式圖は勿論,Winkler 7S)及Kodama s4)の模
度の二等分線に略雫行ずる。
式圖も人間には該當しない事が判明した.
(8)wallenberg 74)の所謂dorsales Dreieckと
(2)Kahler 30)氏法則は入間脊髄後根の上行
ventxaler Rhombnsは観察された.、
性線維に該序するのみならす,下行性線維にも
該當する.
(9)入間脊髄後根の下行性線維は Komrpa−
B記㎞del(Schultze 66)), ovales:Feld(Flechsig 15}),
(5)或る後根に由來する上行性及下行性線維
septomarginal tract(Bruce−Mnir 5⊃), triangle
がそれぞれ上位叉は下位髄節の後索横断面内に
(GomdaulトPhihppe 2掌)), dorsomedi良les Sacral−
於いて占むる領域は,その後根の所驕する髄節
bindel(Obersteiner)及ventrales Hinterstran−
より遠ざかるに伴ひ減少する.
gsfeld等の形成に重要なる役割を演ずるもので
1(4)第1頸髄後索横断面内に於いては,頸髄
あり,exogenの線維のみに就V・て考ふる場合,
後根線維の占むる領域は最:も廣く,腰髄及上部
これ等の古典的な二二は,軍に:或る後根の下行
轡型後根線維の領域之に次ぎ,胸髄,下部薦髄
性線纏D走行のあらはす複雑な形相の,限局し
及尾髄後根線維の領域は前二者に比し遙かに弓
た一場面を表現するものに過ぎない.
削である.
欄筆するにあたり,御懇篤なる御指導亜に御校閲を
(5)隣接叉は近接後根の上行性乃至下行性線
賜わたる恩師久留敢授に衷心より感謝の意を愚ぐるも
維の上位叉は下位髄節後索横断面内に於いて占
むる領域は,その境界部に於ける線維を互に混
[ 145 ]
のである.
418
人闇脊腿後索の構成(各髄節横噺面に於いて占むる各後根由來線維〔上行性並に下行性〕.の領域)
主 要
文獣
1)Barbacci,0.:Anatomischer und experi−
MOd.39,1249−1252 (1931〕.
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し
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Untersuchung
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d訊r95stdlし Leipzig(1876)・
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On a descend量ng degeneration in th¢ P⑪sterior
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die seczmd且ren Degenerati⑪論en mch Verletzung
intraspinaten Faserverlaufes e量nzelner h童nterer
der er5ten Halswurzel beim Mcngchen. Neur。
R“ckenmark召wu厩eln. Arh. Obersteiners 11,
ZbL 24, 1138−1140 (19⑪5)・
378−382(1904).
8) Collier,
19)Gehuchten, A. van:
』.駐nd E. F. Buzz轟rd =The degenerations
Rechere窩sur Ia terminaison centrale des nerfs
へ
resulting
from lesibns of posterior nerve foots
sensibles peripheriques. IV・La racine po5t壱ri−
and from transverse lesi⑪ns of the sp量nal cord
eure des deux
in man。 A study⑪f twentアcases. Brain 26,
(Schmidt/s Jahfb艇cher 279,138(19⑪3).)より
559−591(1903).
9)C⑰roin, K. B. and
引用・
pre皿ieres nerfs cervicaux.
20)Gehu¢hten, A. van言Rccheres
C.H. Joseph:Intramedullary cource of the
sur正a terminais⑪n centrale de5 nerfs sens量も1e5
dersal root fibers of each first four cervicユ1
p壱riph邑r量que5. V. ]La raeine pos姫rieure du
モ
ロ
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10)D6jerine,」。 et A. Thomas:Contribution
dorsale. (Schmidt’s、Jahrbilcher 279, 138
(1903)・)より引用.
ム1’etude du trajet intramedullaire racines po飢一
erieure5
dans la
し
21)Goldstein, K.含
Die Zusarnmensetzung der R廿£kenmarkshinter.
r壱gion cervicale et dorsale
superieur¢ de Ia moelle をp三ni壱re. (Schmidt/s
str義nge . Mschr. Pβychiatr.14,401−427(1903).
Jahresbifcher 225,275(1897).)より引肚
22)Gembault, A. et Phi五ippe=Contribution
11)1)ogliotti, A.:M.:Traitement des Sアnd卜
a 1’etude des 1壱sions systemati託e5 dans le5
omes douloureux de la periph邑rie par l’alcoolis−
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土
419
屋
’
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nabst Be皿eτkungen 廿ber das Verhal舵n der
Cho・d・t⑪mie・・一Ein Beit・ag・ur、F・age de・U・s一
Refiexe
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L
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37)Kttru,
しあ
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mischen Standpunkt aus. Zロgleich eln:Beitrag
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38) Kuru,
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:L甑mung, zugleich ein Beitrag zur:Lokalisation
】ateral ascendierenden〕B{indels, unter besonderer
des Cent川m C至1三〇§pinale und zur Patholog量e
Berttcksichtigung
der tabes dorsahs. Z. klin. Med.37,228−255
Systems, des Tractus spino−juxtaso】itarialis・
」
eines
neuen
spino−bulbfiren
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intramedull蕊ren Verlauf von hinteren Wurzeln
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に就いて(特に二獣経路一T凪ctus spinothalamicus
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3275,629−634,(1942)・ a41)久留勝=人
30)Kahler,0.=Ueber die Ver益nderungen,
盟脊下知畳傳導経路の解剖内的研究,日本醤學,
welche sich im RUckenmarke infolge einer geri−
3382,703・一707,(1944).
nggradigen Compression entwickeln. Nebst einem
延騒路の起始及機能に就いて.甲州生殖器堅甲を
42)久留勝:理解
die sekundttre DegeneratiGn im Rttckenrnarke des
廷髄生殖器中福に連絡する一新経路の記載,署學
Hundes betreffenden Anhang. Z. He量lk.3,187_
と生物學,6,88−93,(1944)・
232(1882).
43)久留勝:
人謹知畳傳導路の中櫃性走行に關する二三の考
31)岬町環及久留勝:脊鵬蜘
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,
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das Zentrale Verhalten der Hinterwurzelfatsern
apr邑s arrachement du
nerf sciatique.(Schmidt’s Jahrbttcher 279,138
ノ
bei der K:atze. Fol. Anat.∫ap.21,291−334
(1903)・)より引用.
[ 147 )
47)Marburg.0・:
囑
420
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ロ
’
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E. : Die Pathologie de r tabischen Hinte rstra一
Wink ler, C.:Opera iomnia. T.6, Manael de
【1銘】
74)
75)
土屋論文附圖(1)
第 2 表 (模式圖)
右孚は各後根の上行性線縞左牛はその下行性線維の各臆節横断面に於いて占むる領域を示す.
u
凶く謬
ω{, ’♪,う。
塒翫}
↓,
Th 12・脚 c““、
㌔,脂1、
’ 隣一5,
け
ズ しロ
L2 ぼ卿
、帥一二,
Th l t伽 獣偏
■8一臼,
5}∼9
5、5,
敬、旧鍬
ず
りほしし ココ
お きヒ
∼1、Lt
“ 曜「一s
梁矢
L外
贈…tit鱒蟹望
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土屋論文総総(3)
第豊圖(Ne 4 LD
第4例の第豊腰臆横闘面,Mi:chz鱗木,50μ厚さ.脊臆硬膜内蜘蛛膜下酒懇懇射によむエ箇おきに後根
線維か障碍せbれたる篤各腰騎後根線維の占むる領域か模式圖を見る難く制然と示さて居る.
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第2例の第三胸騒横難面fl Marchi標本,5⑪μ厚ざ 右側最下位の3胸懸後楓左側最下位の4跳鴨後根
の攣性線維の占むる領域を示す.左右を欝欝する事に依りs第息胸鰭後根の蕪蒸入域及第費胸膳後根線
維の占むる領域を略推定し得る
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土屋論文附圃(4)
第3圖(N⑪2,Th等)
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むる領域の内縁か所阿:F]aschenf⑪rmを呈するを示す.
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第4圖(N⑪6,C,)
第極例の第5頸臆横駄面,Marcka鱗木,5⑪ft厚さ欝欝せられたる第8頸髄後根線維の占むる領域を示
す爾働前側索に於ける攣愴線維は第7讐雌の高ざに於て施行せられたる爾側前測索切三四によるもの
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第5圖(No1LCう
第蕪例の第5総総横難面,総懸ch且標本,5⑪μ厚さ.第1腰瞳横断障碍によわ攣織せられたる第1腰髄以
下の全後根蘇維の占むる領域を示す
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線維の占むる領域か窮欝欝懇懇員3に於けるよ軌
著しくその面濱の減少せるを示す 又その占むる領
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第7圖(Ne.6, Cの
第6例の第露頸駿横断面、)di[a rchi標為5⑪ft厚さ。切懸せられたる第8頸蜷後根の攣性線維群が占むる
領域を示す.その領域の内外爾縁とも直線肌を呈して居鱈 叉その帯状の領域の長軸は後桂内縁と後正
中隔のなす角度の二等分線に略學行ずるを示す.
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第7例の第2胸騒横難面,Marclii標本,50μ厚&切臨せられたる第6頸雛後根の下行性の攣性線維の
占むる領域がKemma−Bitndel(Schultze)を形成するを示す。爾側の側索に於ける攣性線維群は第7顕
腿の高ざに於て施行せられたる爾側前側羅切蜥術に基織する.
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土屋論文附圖(7}
第9圖(N⑪7,Th弓)
第7例の第5胸懸横難面,Marck・標本tl 5⑪μ厚さ 第6頸臆後根の下行性の攣性線維群の占むる領域か
]:ommn−Bnndel(Schu]tie)を形成するを示す。矢印はその内縁を示し,之が後索の内側部と外側部との
境界線に略一致して居る。叉その腹方端はCl=rke氏柱(c・c・)に相當する後柱の内縁に沿弓後索野に存
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第1⑪圖 (No 7, Th轟)
第7例の第4胸腿横議面,Marchr標本,50 fX厚&diCr)は第6頸鷺後根の下行性線維がK伽組a−Bundel
(Schu翫e)を形成するを示し,(1)はK:⑪mma−Btzndel(ScZ]w]t■e)の申よb繋柱内縁を経て後柱内に進
人する線悸を示しs(2)はCユarke繋柱四に散在する攣性線維(恐らくはdC,,の鍵性線維のCiarke氏
柾細胞に’冬回する臨の)を示す.C・C・はCiarke氏杜を示す.
(1) (1)
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土屋論文附圖(8)
第 亘1 圖
(No 7, s2)
第7例の第1薦購横難面sMarehi標鵡5⑪fX厚ざ 薦腿節まて遭跡せられたる第6頸瞳後根の下行性の
鍵性線維群か⑪vales Feld(Flech罫i9)乃至diorsemedirales SaCTalbunde](Obemstemey)の一部を形成す
るを示す.
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第12圖(N。5,勘
第5例のee 2総総横難面, Marchi標本,50μ厚さ 脊腿硬膜内蜘蛛膜下酒椿注射によ:む連回して第7胸;
腿よil第1腰髄まての至後根か障醸せられたる症例に於ける下行性の攣性線維が夢dOrsoniedia]es SacarX
bundel(OberstezneSC)の一部を形成するを示す(舅謙譲を比較せよ)
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土屋論文附記(9)
第工3圖 (Ne. 3, s3)
第3例の第蓼薦腿横欝欝brSarchi標識5⑪fX厚$.脊騎硬膜内蜘蛛膜下酒構注射によbs中部胸腿よむ
下位腰髄に至る種々の高さの後根か多少の障碍を受け,それ等の後根の下行性の攣性線維か.上位の懲
の程背内方に,下位のもの程腹外方に配列せる楳を示す。
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第14圖 (NPt. s 2, s,)
ee12例の第2薦篭横難面Marchz標本,50μ厚さ 第8胸繋横議障碍に於て追跡せられる下行性の鍵性
線維群がdio「sOmedgaies Sacralbundel(Oberstemer)を形威するを示す(肩眞12を比較せよ)・
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Neurologie. Haarlem 1918. 76) Zappelt,
Z934・ 78) Zingerle, H.: Ueber Eukra−
J. : Beitr5ge zur absteigenden Hinterstrangsde−
nkungen der unteren RUckenmarksabschnitte
generation. Neur. Zb]. 17, ylO2−107 (1898).
nebst einem Beitrage tiber den Verlauf der
77’) Ziehen, Th. : Anatomie des Centralnerve−
secundaren Degenerationen im RlickenrnaTke.
(s¢hmidt’s Jah・bUehe・271,150(1900)・)より引
des Menschen Bd−4, Jena Ab. 11899; Ab. 2
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