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神父さん、教会には春休みってあるんですか

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神父さん、教会には春休みってあるんですか
NO.143 2009 年 復活祭号(2009 年3月 22 日発行)
巻頭言●主任司祭 藤川神父
神父さん、教会には春休みってあるんですか
前回のシャロームは「神父さん、ふだんは何してるんですか」というタイトルでした。
あの時、ウチの若いモン(サレジオ会の大学志願生)が発したそんな質問に少なか
らずムッときましたが、それはそれで、それを機に、ふだんの教会の様子や、日曜日
だけでは気づかない目に見えない教会の動きを書いてみました。
あれからしばらく経って、今度もウチの別な若いモンからこんなことを言われました。
「神父さん、教会には春休みってあるんですか」。この突拍子もない質問に、思わず
吹き出してしまいました。もっとも、その質問を発した若いモンは、ふだんから、どこ
かしら浮世離れした空気を身辺に漂わせている人だったので、大した驚きもなく、そ
の顔つきと声の表情からむしろほのぼのとしたものが伝わってきて、何となくのどか
な春休みの気分にさせてもらいました。
春休み、世間でも学校でもあわただしいときです。短い期間に、進級、年度がわり、
転勤、配置換えなど、のんびりと休み気分にはひたれません。
教会も例外ではなく、この頃は四旬節たけなわとなり、枝の主日、聖週間、復活祭
と過ぎ越しのときで、典礼においては質、量ともに教会生活のピークを迎えます。そ
れに復活祭の受洗に向けて洗礼志願者たちの最終段階となり、お祝いの準備に表
や裏でも大童(おおわらわ)です。また転入や転出があったりで事務方もじっとして
おられません。
そんな私たち以上にいそがしいのはイエス・キリストさまです。ふだんでさえハード
スケジュールで福音活動に従事しておられるのに、枝の主日、エルサレム入り後の
イエス・キリストさまの一週間の予定表はまっ黒になるぐらいびっしりと書き込まれ、
毎日毎日、劇的でダイナミックかつ痛ましいできごとで埋めつくされています。
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十字架上で息絶えても、ゆっくりと死んでもいられません。3日目にはそそくさと復
活して、今度はご昇天までの短期間に更に殺人的なスケジュールをこなしてゆかな
ければなりません。死んだにもかかわらず復活したという最大級、最高級の福音をあ
かしする使命が残っているのです。
大勢の人や団体さんごとにまとめて、またマニュアルに沿ってやればいいというの
であれば、ある程度、手間が省けて事は簡単に済むのでしょうが、そんなわけには
いきません。厄介な人たちが多いので、ひとりひとりに、それなりにかかわらなけれ
ばならないのです。
たとえば、反射神経抜群でやる気マンマンではあっても、粗雑で見通しの効かな
い思慮分別のもち主ペトロ。いのししの如き、猪突猛進型の愛情をかかえたKY(ま
わりの空気が読めない)のマリア・マグダレナ。気づかいばかりが先行して、複雑な
心理をくもの巣のように張りめぐらし、却って網に足をとられてしまいがちなトマス。こ
うした人たちには、個人面談よろしく、ていねいに、根気よく、何度もかかわってあげ
なければならない。 主にあいそが尽きたのか、サッサとケリをつけてエマオへ旅立
った弟子たちを追いかけてゆかなければならない。いろいろな人たちに、それぞれ
に応じた出会いをするため、ガリラヤ中をかけめぐるイエス・キリストさまもご苦労なこ
ったと同情したくなります。
復活したキリストさまの働きは 2000 年前だけではなく、あれからずっと、いつでもど
こでも継続し、今でも、とりわけ春休みの頃は超過密スケジュールにちがいありませ
ん。私たちだって、そんないそがしいイエス・キリストさまに、申し訳ないなと思いつ
つも会いたいと思うでしょう。それは、どこで、どのようにしたら、お会いできるのでし
ょうか。
「さあ、行って弟子たちに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行
かれる。かねて言っておられたとおり、そこでイエスにお目にかかれる』と」(マルコ
16/7)
「キリストは復活し、ガリラヤへゆき待っておられる」(復活の続唱より)
復活されたキリストさまが待っておられるガリラヤとは“どこ”なんでしょうか?
復活されたキリストさまは、弟子たちが数人以上、ともに集まっているところにあら
われています。みんなでパンを裂き、食事をともにしている場にあらわれています。
復活というできごとは、信仰をもった人たち(共同体・教会)がともにいたときの体験
であったといえます。
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主キリストさまにお目にかかれるガリラヤとは“どんなところ”なんでしょうか?
「二、三人がわたしの名によって集まっているところには、その中にわたしがいる」
(マタイ 18/20)
ともに祈り、ともに神をたたえる教会がまさに最高のガリラヤです。みことばを聴き、
ご聖体をいただけるミサという典礼が最高のガリラヤです。いくら聖書に通じ、いくら
個人的に熱い祈りを捧げていても、教会共同体とつながり、教会生活をしない限り、
復活したキリストさまにお会いすることはむずかしいと思います。また、救いのありが
たさを実感することもないでしょう。
あのトマスは言いました。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそ
のわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ 20/25)
あのマグダラのマリアは、キリストさまからとがめられました。
「わたしにすがりつくのはやめなさい」(ヨハネ 20/17)
トマスやマグダラのマリアのように、触れるとかすがりつくことによって復活されたキ
リストさまを確信したいと思うのは私たち人間の常であり、自然の情でしょう。復活さ
れたキリストさまに会うということは、触れるといった感覚的経験に依りません。復活さ
れたキリストさまを信じることが可能になるためには、ものごとを見ようとする目だけで
も足りません。もうひとつの“目”が大切だと思うのです。もうひとつの“目”とは何でし
ょうか。
キリストさまの復活を最初に信じることができた人は、「イエスが愛しておられた弟
子」(ヨハネ 21/20)でした。その弟子は、イエスさまから愛されていることを十分に感
じとっていたのでしょう。愛されていることを喜び、誇りにしていたのでしょう。だからこ
そ、福音書の中で自分のことを「イエスが愛していた、あの弟子」と表現しています。
愛されていることを実感できる者が、愛することができるようになります。そしてその
愛こそが、信じるための前提となります。つまり、信じることが可能になるのに大切な、
もうひとつの“目”というのは、“愛し、愛されている心”なんだということがわかります。
私たちキリスト信者としての生き方をふり返ってみるとき、その歩み、努力、熱意、
エネルギーがどんなところに注がれていたのでしょうか。それはほとんどが、神を求
め、神を知ろうとし、神を愛そうとすることではなかったかと思うのです。しかし、神こ
そがこのわたしを求め、知ろうとし、愛そうとなさっていたことに気づいていたでしょう
か。
私たちが問うべきことは、「どのように神を求め、見出すか」以上に、「どのように神
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に求められ、見出していただくか」なのだと思います。また「どのように神を知るか」以
上に、「どのように神に知っていただくか」なのだと思います。さらに「どのように神を
愛するか」以上に、「どのように神に愛していただくか」ではないでしょうか。
私たちはつぶやきます。「神が見えない」「神がわからない」と。しかし神の方こそ、
きっとこのように仰っておられるにちがいありません。「おまえが見えない」「おまえの
ことがわからない」と。
神がご自身をかくして、私たちから見つかりにくいようになさっているのではなくて、
私たちの方が神から身をかくし、見つかりにくいようにしているのではありませんか。
かくれているのはどちらでしょう。見えないのはどちらでしょう。わからないのはどちら
でしょう。
神のみ前に自分自身をさらけ出し、祈るときにも心をひらき、惜しみなく自分を与え、
自分をすべて委ねるときに、神からたっぷりと愛していただけるようになるにちがい
ありません。こうして、自分のいのちの隅々にまで神の愛をしみじみと実感する、そ
のときこそ、イエス・キリストさまの復活をしかと信じられるようになるのだと思います。
教会には春休みはありません。イエス・キリストさまにも春休みはありません。春休
みが訪れるたびごとに、復活したキリストさまにお会いしたいという望みを熱くし、そ
していつか必ず出会えるという希望を強めていきましょう。
私たちの信仰の歩みに春休みなんてありません。いつでも、ちょっとずつ、過ぎ越
していく。生涯、求道者のつもりで過越の人生を歩んでゆく。洗礼を受けてキリスト者
になったということはこういうことだと思います。
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●シャローム No.142(降誕祭号)の特集「ボランティア・グループのご紹介」から、
編集作業のミスでふたつのグループが抜けてしまっていました。本当にごめんなさい。
謹んでお詫びするとともに、あらためてご紹介させていただきます。
調布教会内のボランティア・グループの皆さんへ「6つの質問」
① キャッチフレーズなどあればお教えください。
② グループの目的・目標をお教えください。
③ グループの歴史についてお教えください。
④ 皆さんへの呼びかけ、アピール、お誘いをどうぞ。
⑤ 要望、課題、困っていることがあればお教えください。
花ボランティア
① 神を賛美し、花を活ける。
② 神をたたえ、マリアさまをたたえ、また、皆の心を和ませる。
③ 当初は、オーストラリア人のご夫婦が、花を活けてくださっていました。
ご夫婦が活ける花は、いつも色鮮やかな花が多く、華やかだったよう
です。その後、ご夫婦が花を活けることができなくなり、マリア会で
という話もありましたが、マリア会ではできないということで、Mさ
んが引き受けて一人で花を活けてくださっていました。それから、何
年か経ちMさんが多忙になり、花を活けることが難しくなったため、
私が、7 年位前に後を引き継ぎました。引き継ぐ前は、クリスマスの時
など、Mさんが活けるのを横で見させていただき、教えていただきま
した。その後、徐々に友人に声をかけたり、奉仕してくださる方を、
教会ニュースで募集したりして、5 人になりローテーションを組んでや
っていました。先日、Sr.Oが入ってくださり、現在は 6 人でやってい
ます。
④ 花がお好きな方、活けてみたいと思う方、メンバーに声をかけてくだ
さい。お待ちしております。
⑤ とくになし。
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コーヒーコーナー
① 皆様の憩いの場をめざします。
② 聖堂建設資金を集めるのも大きな目標ですが、教会に来た皆様の交わ
り、分かち合いの場を提供しましょうという目的で、始められました。
③ 4 年ほど前。
聖堂建設中はマリア像の裏軽井沢をおかりしていましたが、今は素敵
な中庭で、ミサにあずかる方々をお迎えしています。常連さんはもと
より(素通りできないよっ!)新しい顔の出会いの場になっています。
④ コーヒー、紅茶、お砂糖、ミルク、お菓子などなど、寄付大歓迎です。
⑤ とくになし。
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2008 年 12 月 24 日(水)
降誕前夜祭
クリスマスミサに与かって ――久しく待ちにし 主よ、とく来りて――
暗い聖堂に、静かな讃美歌 94 番が流れていました。淡青のベールがひらひらと私を包ん
でゆくような、ゆったりとしたオルガンの音は、聖堂に集まって来る人々の間を、繰り返し繰り
返し流れてゆき、灯りは天井高くから差し込む小さな外の光だけでした。降誕祭の御ミサ開
式を待つ間、初めての聖夜と 94 番の賛美歌に強く引かれていった当時の自分を思い出し
ていました。真理など理解できない 10 代の自分をです。
久しく待ちにし
主よ、とく来りて
み民のなわめを
解き放ちたまえ
主よ主よ、み民を 救わせたまえや
病弱だった幼い日、何に引かれていたかは定かではありませんが、佐渡島の小さな教会
から朝に夕に聞こえていたアンジェラスの鐘の音はこの 94 番の賛美歌を伴っていたのであ
ろうかと、10 代の私はそのとき思ったのでした。あの日以来、この歌詞は、私を支えたもう一
つの御言葉になりました。
久しく待ちにし
主よ、とく来りて
降誕節の御ミサの中では、牧童の歌声と老爺のようなやさしい歌声でこの賛美歌が歌われ
てゆきました。静寂の冬の夜半に貧しさの中でそっと誕生なさってくださった御子を、わたし
は心に抱きしめさせていただきました。美しい歌声と共に外からの灯りが少しずつ聖堂を照
らし包む中で、今宵この聖堂に立てない家族と友人、病気の方、亡き友人、そして遠い北の
国に拉致されたままの人々と御家族のことを切に祈りました。
ちからの君なる
輝くみくらに
主よ、とく来りて
とわに 即き給え
主よ主よ、み民を 救わせたまえや
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2009 年1月 25 日(日)
聖ヨハネ・ボスコの祝日/新年会
1月25日、聖ヨハネ・ボスコの祝日にチマッチホール(旧聖堂)で新年会が開かれました。
参加者の方に出身地、趣味を書いた名札を付けていただいたことで、これまで話したことの
なかった人の間でも会話が弾み、お料理も一段と美味しく、楽しいひと時を過ごしました。
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お知らせ
これまでの主な行事
12月14日
共同回心式 クリスマス音楽会/合同クリスマス会
12月24日
降誕前夜祭 洗礼式(子供ミサ)
12月25日
降誕祭
1月 1日
神の母・聖マリア 元日ミサ
1月25日
聖ヨハネ・ボスコの祝日 新年会
2月22日
2008年度第二回信徒総会
2月25日
灰の水曜日
3月 1日
洗礼志願式
これからの主な行事予定
3月29日
共同回心式
4月 5日
受難の主日/枝の主日
4月11日
復活徹夜祭 洗礼式
4月12日
復活祭
4月19日
神のいつくしみの主日 初聖体
5月24日
富士聖母巡礼
5月31日
聖霊降臨の主日 堅信式―カテドラル
2009 年度第 1 回定時信徒総会
6月21日
主任司祭感謝の日
7 月 24∼27 日
日曜学校サマーキャンプ
8月15日
聖母被昇天 納涼会
9月13日
敬老の祝い
10月25日
合同バザー
11月15日
七五三の祝福
11月22日
王であるキリスト
11月29日
待降節第一主日 教会合同墓地墓参
12月13日
共同回心式
12月20日
クリスマスチャリティーコンサート
12月24日
クリスマス・イブ
12月25日
クリスマス
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聖週間、復活祭のごミサ
―どなたでも、どうぞご自由にお入りください―
4月9日(木) 聖木曜日(主の晩餐)
19:30
(神学院聖堂にて)
聖木曜日は、イエスと使徒たちの最後の晩餐を記念する日で、聖体および司祭職の制定がなされた
日とされています。最後の晩餐の席で、イエスが使徒たちの足を洗ったことにならい、この日のミサの
なかでは洗足式が行われる予定です。
4月10日(金) 聖金曜日(主の受難)
19:30
(神学院聖堂にて)
聖金曜日はイエスの受難と死を記念する日です。英語では「Good Friday」。イエスが私たちの罪を
背負い、あがなってくださった。その愛の限りない深さを思い、祈る日。ミサの最後には聖体の移動、
保管が行われ、聖堂内から聖体がなくなります。
4月11日(土) 復活徹夜祭
19:30
(教会聖堂にて)
復活徹夜祭は、炎の儀式、ロウソクの点火にはじまり、聖書のなかから十近くの箇所が朗読されるほか、
聖歌、説教などによって、旧約・新約を通じての神のご計画、イエス・キリストの受難と復活の意味が、
喜びとともに解き明かされていきます。この日のミサのなかで洗礼式が行われます。
4月12日(日) 復活の主日
カトリック調布教会
8:00 と 10:30 (教会聖堂にて)
〒182-0033 調布市富士見町 3-21-12
Tel: 042-482-3937 Fax: 042-481-6339 http://chofu-church.ciao.jp/
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