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経済というよりは、イスラム文化社会を研究していました。
経済というよりは、イスラム文化社会を研究していました。 彼女は SFC の卒業生なわけ。だからその意味では最初から学際的にやっている のですよ。だからそのイスラム研究というのは、言語の研究とね、切り離せな いわけですよ。総合政策学部出て、修士、博士出て、今は博士の候補ですけど、 そういう形で勉強しているので、なになにが専門で言語もやってんですよね的 なそういう表現になじまない。SFC 的な新しいタイプの先生と言っていいんじ ゃないですかね。私は例えば法学部出ているし、でそこで法律の勉強、基礎法 学という分野なんですけど、それでだけどそれをやるためにはイスラム法とか を感心もつとですねえ。アラビア語がわからないことには、お話にならないん ですね。これはもうどうしようも無いんですよ。実はイスラム法ってなんなの ということを知るためには誰かが日本語で書いたものを読んでたんではたどり つけないわけ。授業で結構話してるんですけども、イスラムを理解するのに、 世界を理解するのに、イスラムを理解せずして、世界を理解できない。くらい の立場なわけ。 それは歴史の話じゃないですか。歴史の話なんかしていなくって、そんな歴史 なんて言っているからとらわれるわけですよ。歴史に真理があるかなと思って、 歴史研究ってされるじゃないですか。そこに間違いがあるわけですよ。歴史だ けじゃこの世の中動かないわけですね。歴史だけで動くとですね。歴史は繰り 返すという話で、繰り返されるだけだったら真っ暗じゃん。いつも戦争して、 作っちゃ壊して、そんな繰り返ししか人間できないとしたら、本当に人間は愚 かじゃないですか。そこを抜けていくためにはどうしたらいいのかというのは、 歴史が教えてくれますか、と。歴史の法則を学んで分かったことはまた次もく るぞ、と。また戦争やるぞと、そんなことがわかったって人間どうしようも無 いんじゃないかと。そこから抜け出すためにはなんかしなくちゃいけないんじ ゃないのと。そういう時に、日本人に圧倒的に遠くて、しかし、圧倒的にヒン トになるのが、その啓示というものだろうと。啓示ってわかりますか? 神から の言葉ね。そういうふうなさ、ものであろうと。じゃあ僕達がいま使っている 言語のなかで、啓示を伝えてくれる言語があるのかなと考えていくと、コレが さ、あると思う? いや、あるんだよ。それが、アラビア語なわけ。啓示という とどんな本がありますか? 旧約聖書、新約聖書、コーラン。旧約聖書や新約聖 書も人間がまとめたものなわけですよ。紙のことばそのものじゃない。イエス・ キリストがあの言葉を喋っていたわけではないじゃないですか。少なくとも後 の時代になってからまとめられたものですよね。まとめる時に結構政治的な意 図だとか、その時代的なものも盛り込まれてしまっているわけですよ。そうな ると、これぞ啓示というものなのかというとちょっと違うよね、と。じゃあ、 これぞ啓示というものがどこにあるかと言えば、まあアラビア語、コーランに あると。アル・クルアーンですよ。アル・クルアーンにあるとすれば、アラビ ア語にあると。じゃあ、人間がものを考えるときに圧倒的に足りないのが啓示 的な考え方だとすれば、それを勉強しなきゃならないじゃない? じゃあ、キリ スト教の聖書を読めばいいのか、でも聖書自体がちょっと怪しいよと。そうな ると、これぞ啓示という形のテキストってどこに保たれているのかというと。 そうなるとそれはコーランという話になる。そうすると、必然的にアラビア語 を勉強するためになり、コーランを勉強しなきゃということになるのですね。 いつからそういう風に考えはじめたか これはね。学んで行くうちにね、だんだんわかってくるんだよ。最初は僕は純 粋にヨーロッパの法律、中世にできたスペインの大きい法典があって、ヨーロ ッパの人は西洋の奇跡だ!とかヨーロッパの奇跡! とか言ってすごく持ち上げ んの。でもなぜか法律の分野だけはアラブなり、イスラムの文化がヨーロッパ の近世、近代に及ぼした影響というものが論じられないのですよ。それはロー マ法の伝統があるので、彼らはその法律の伝統に自負を持っているので、そん なものがよもやね、アラブ世界とかさイスラーム世界からなんていうことはね。 あんまり考えないだけれどもそれを実証してやろうと思って、修士のころから 博士のころにかけて、中大で研究していたのですよ。だからそのころは純粋に スペインの法律(フエロ・レアル? 七部法典?)にイスラム的な要素はあるのかな いのか、というのを探していたという感じなのよ。その後、シリアで私、93 年 から 99 年まで、ここにくるまで 6 年間、在外の研究をしてたんだけども、その 時にいろいろ向こうの先生に教わるじゃないですか。そうすると、法律やりた いんだってという話で、法学やりたいんだったら神学やった方がいいよと、要 するに法学やって神学やってそれがセットにならないと法学もわからないよと いうことになって、それで、向こうでイスラーム神学ねこれの手ほどきを受け たわけですよ。で、そのへんから物凄く世界が広がりましたよね。 アッラーを信じられるようになったのはいつか それはね。人による。僕はね転換点がどこかっていうよりは、じわじわなって たと思う。イスラームに入る時も、なんか特別な出来事があって入っていった というよりも、ずーっとそのコップに水が少しづつたまっていって、それがい よいよ溢れだしたか、そういう感じで、イスラームに入っていったように思い ます。具体的な話をすれば、シリアの田舎に調査に行ったわけよ。JICA の下請 けの調査にいって、その村の長老にモスクでお話をうかがってたのよ。その長 老の人と座ったら、アザーン(礼拝の鐘)がなっちゃって、それでそんときにイマ ームという若い礼拝を指導するモスクのその地区のリーダーみたいな先生がい んだけど、多神教徒の方が不信心者よりもいいよねとかなんか変なこといった のよ。その時に、「ちょっと待てよ」と、「俺の方が絶対にこの先生よりイスラ ームのこと勉強しているぞと」なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ と腹がたって。(アザーンが鳴ったので) 外で待ってるよといった時にそれを言 われて、それで 20 分くらいジリジリと暑いなかで立ってたんだけど、そのとき に考えたのは「いや、自分の行動が間違っている」というわけですよ。要は私 が、イスラームのことを研究していてイスラムのことをいいと思っていて、わ かっているのにも関わらず、礼拝しないとか自分はイスラム教徒じゃないみた いな変な立ち位置でいるからさモスクのその人もさ、自分と同じものを信じて いる人なのか、どうなのかわからないでさ結局そういうことになっちゃうわけ じゃん。私がイスラム教徒です。って言ってればさ、わざわざ日本から来てく れて、って多分全然逆の展開になるんですよ。イスラムを好きだけどイスラム 教徒じゃないってさ全く矛盾してるじゃない。やってることがさ。わかりにく いですよね。心情的にはイスラム教徒なんだけど、行動はイスラム教徒じゃな いなんてさ。この説明のつかないことをしているわけでしょ。これは自分が変 なんじゃんと思って、それでそんなことやってちゃダメだそういうこと思って、 なので割合すんなりですよ。 もう1つはシリアで6年間いたうち、大学で勉強するのではなくて、シリア って人口 2000 万くらいいる都市なんですけど、そこで私はシャートゥビー(シ ャーフィフィー?) という人の本を読みたくて、それを読もうとした時に一番い い先生は誰かなあという時に、街中探せるような感じなんです。で探してみる と、大学になんかいなんですよ。市井の在野の哲学者というか宗教者というか、 いるわけ。それは弁護士の先生だった。昔はある省の大臣をしていた人で(オフ レコ)、そういう方に、探して行ったら出会って、その方にシリアにいる間中お 世話になるわけですよ。で、神学をやりなさいといったのもその先生なんだけ ど。だから、その先生の生き方なんかを見ていると。なんていうかなあ。政治 家になって、偉くなって、でも彼はモスクの説教台にすら立たない人だから。 だけど、弁護士として後進を育て、困っている人、貧しい人、旦那が働かなく て食べ物がない人とかさ、貧窮者困窮者をそこのオフィスにおとずれては、な んか食事を分けてもらえないかと言ってくるんです。そうするとですね。そこ の地下には食糧がさ、蓄えてあるわけよ。貧しい人が政府に記録を出す必要が あるから、ちょっと記録を取ってね。小麦とか砂糖とかお茶とかを渡してたり するわけ。それみてさ、イスラム教徒として、生きる生き方というのはさ、ム スリム同胞団とかさ、革命興してやるとかさ。あるいはそのなんだろうな。そ ういう形で社会に発信していくことではなくて、自分の身の回りから、自分の 信仰をしっかりと持って人々と接していくことがさ信仰の実践なのだよと。そ ういうことに(法学) に感心のある人達を集めて勉強会とかをやっていたわけ。 その当時のシリアは秘密警察がすごく強くてだから結構危ないのよ。そういう ことやってると! だから転々とさ勉強会の会場が、変えていてさ。そういう勉強 会をずっとやられていて。そこで感動したのは、自分がさっき言ったシャーテ ィビーの主著をですね、別に大学の先生じゃない、研究者ってわけでもないよ。 そうじゃない普通の人達だけど敬虔な人たち、それが何年もかけて読んでいて、 僕が行ったときがさ、これで最後の会ですっていうわけ。二分冊の分厚い本を みんなで何年もかけて読んでいるわけ。これは 13 世紀(14 世紀) くらいの本よ。 古典をみんなで読むわけさ。私は幸運にもこれで読み終わるという最後の2回 に行ったんですよ。それでさあ、あのねえ信仰者というのはそういうことなん だねえと。日本ではさあいろんな立派な先生にも会いましたし尊敬している先 生もいっぱいいるわけですけも、でもね、信仰と学問それと生活というのをバ ランス良く両立させている方っていうのがシリアにいて、その先生との出会い というのがさ自分の中で大きいね。だから日本ではそういうモデルが必ずしも ないからさ。 分けちゃう人が多いですよね。(植) イスラム教徒であることを隠しつつ大学のセンセイやってるような人もたくさ んいるし、イスラム教徒でないのに、イスラムのことをイスラム教徒かのよう に語っている人もいるし。イスラム教徒でない人が語るといつまでたっても他 人ごとでしょ? 語る人にとっていつまでたっても他人ごとだったらさ、聞いて いる方はいつまでたっても自分のことと思えないじゃないですか。だけど、イ スラームって、みんなのための宗教なの。みんなに開かれているところがあっ て、もし世の中に一個だけ完全なものちゅうのがあるとするならばそれはアッ ラーなわけなんですよね。 そういうものが想定できるとしたら、それをそう呼ぼうというね。(植) そう。そういうものがあるとしたらそれをアッラーと呼び、それを神としよう。 日本にはさ、いろいろ変な神様いるじゃない? そこら中に、野球場にもいるし サッカー場にもいるし、色んな所にもいるじゃん。いろんなところに。それも 日本的な神の表れなのかなと思うんだけど、でもさ、野球の神様が他の分野に も出てきてなにかしたりはしないじゃないですか。野球の神様は野球の分野の 神様なわけだから。イスラームはそうわけない。むしろその全てを包むような 完全な一個のものがあるんじゃない、とそういう風に捉えているから。日本人 はどうしてもさ、分けちゃうわけです。でもなんか縋りたいんで、みんな、自 分に関係するところで神様をみちゃうわけですけども、それはなんかに打ち込 んでいる人には良い考え方なのですよ。水泳の神様がいて最後に笑ってくれた んで金メダルとかさ。わかりやすいじゃん。話として。でもその境地まで水泳 やったり野球やったりね、これはなかなか大変ですよ。その神様を笑わせるの は。だから日本人のストイックさな側面とそのような宗教観は結構マッチする んだけど、だけど世界全体からみるとこれじゃあ救われる人はあんまり多くな いね。日本だって、信仰から弾きだされているか、神様がインフレ起こしてど んどん安くなっているじゃん。なんで、もうちょっとどうでしょうね。もう少 し整合性のとれた俺が信じているものも、困っちゃってどっちにいくかわから ない人が信じているものもそれもおんなじなんだよと。受験勉強でさまよっち ゃった人とかさ、ネット依存症になってさ、ネットが神みたいになっている人 もさ、SNS が神様みたいなさそういう人いるじゃないですか。そういう人たち に対してさ、いやいやそうじゃなくて、自分たちが頼っていうるものとかすが っているものとかみんな一緒だし、それってすごく大きいもので、みんなを受 け止めてくれているし。それがイスラム教徒の場合はそういうものがあると信 じて、ある意味積極的にそういうものを受け入れて生きている人たちがイスラ ム教t、だけど、その神様は他の人達全く関係ないかというと全くそういうこ となくて、それこそさ、中村くんがさこの世に生まれてさ、やがて死んでゆく じゃないですか。この生まれてきたのはさ、自分の意思かというと全く違うじ ゃん。自分で命を断てばそうかもしれなけれど、普通はさどこで死ぬかもしれ ないじゃない。親は親で産んでくれたりはしたけれども、君が親の言う通りに 生きたかと言えば違うわけじゃん。だから、それぞれ自分の人生を生きるわけ じゃないですか。そうすると、親も偉いしそれぞれ世話にはなっているんだけ ど。親に頼って親に守られてってだけじゃない。というので、そういうのって アッラー的な考え方をそこに一枚入れていくと、そういう種類のことからどう しても逃げられないものがあるよねということに気がつくわけですよ。日本人 も多分それに気がついているし、今の時代それをすごく欲していることもわか るけど、でも日本人の方にこっちに飛び込んでこいよって言うと、すごく躊躇 するし、勇気がいるんで。 彼女だってあれですよ、SFC に入ってきたときは普通の宮崎から出てきた一 地方の優秀な高校生なんですよ。インドの貧困問題やりたいとか言って、その 意味では普通の感じの SFC によくいる感じの AO 入試のそういう学生だったん ですよ。でもそれからイスラムの勉強をしてね。アラビア語の勉強をしていく うちにさ彼女自身もイスラム教徒になってっていうさ。そういう意味ではすご く難しい特殊なことかっていったら、そうではないと思うんだけど。 まあ話を戻すと、自分の場合はいい先生がいたっていうのと、あとはね、勉 強していると信じざるをえなくなっていくのよ。ここがポイントなの。 これはどうやら真理だと思うんですよね。そうしたら後は、自分がやるかどう かっていう問題になる。もちろんやらないのもありです。でも、やるのもあり ですよね。そういう時に、自分の生き方としてどっちがしっくり来るだろうと 考えると自分がこれはいいぞと思うものを考えや理論をやらないと意味が全く ないからそういう風に思える。そういう感じですよね。(植) それはもうねやってなんぼなんですよ。 そうそう。やらなきゃねなんの意味も無い。(植) やらなきゃなんの意味もない。 知っててもしょうがない 植 よくラマダーンやってみましょうっていうじゃないですか。断食ね。 「イスラム 教徒は断食するんだって」。これは単に解説じゃない。一年に一回断食します。 これで、断食を伝えたことになるのかと。授業でそういう風に言ったときにさ。 聞いた方は「一ヶ月断食するんだ。まあ大変だね」とか「厳しい宗教だね」と か「面白い習慣持ってるな」とかさそれは受け止めかたはいろいろじゃないで すか。それをねやってる人が言うとさ、全然風景が変わりますよ。 「ラマダーン やるとね」とさ、やったときの話が言えるよね、少なくとも。でね、信じてや っている人とね信じないでやってる人ととはね。全然違うんだコレがまた。信 じて無い人はね、腹ばっかり減るんだよ。ラマダーンやると。喉も乾いて、な んでこんなツライことやるんだろう、わけわかんないんだけどって言って、だ いたい持たないんだよ。気持ちが不純だから始めるときのアッラー信じてやっ てるわけじゃない。俺らはなんでそれが続くかというと、アッラーを信じてい るでしょ? ラマダーンをちゃんとやったことが、あの世にいったとき、死んだ 時に、死んだ後に人間は全部裁かれるということになっているんですよ。最終 的にこの世であったことを全部清算してもらえんの。この世であなたのやった ことをさ、SFC CLIP 頑張っている。そのことをだえrが評価してくれるんだ ろうと思ったときにさ。結構虚しくないですか。単位はこないしさあ、金にな るわけでもないし、誰かにありがとうと言われるよりもさあ、なんであんなこ と書いたんだと言われることの方が多いんじゃないかとで、こんなに一生懸命 やってるのに、メジャーな、そういう意味でのメディアは振り向かないしさあ。 なんだろうと思ったりしません? そこで、そんときにさ、断食も同じようなも んでさ、一日中水飲まない飯食わないってときにさ、なんて馬鹿なことやって るんだろうという感じなんだけれど、なぜやるんだろうと考えてみると、アッ ラーが命じたことなわけ全部あなたがここにいる、いさせてくれている存在が 「お前も人間なら一年に一回ぐらいみんなと一緒にご飯食べないってことぐら いやってみな」とこういう風に言っているわけですよ。これは結構基本的な義 務なんでそういう風にやりましょうと。これがねやるとね。来世でさ報われな い感じがさどこで報われるというと、僕らは来世で報われるからいいんですよ。 という風に思えるんですよね(植) 僕らは信じているんですよ。この世はつらいですよ。いろいろ良いことばっか りじゃなくて、大体人に騙されたり裏切られたりとか、友達と思っていた奴に 裏切られて最高に腹がたったりとかがっかりするじゃないですか。この先生な ら大丈夫と思ってついていったら、全然面倒みてもらえなかったり、色々あり ますよね。世の中。そういうのをさ、どこで拾って貰えるのかと。この世だと さひどい場合は誰にも相手にされないでそのままということも出てくる。 みんなが同じような幸せを追求したら持たないですからね。(植) 持たない持たない。とてもじゃないけど。それでさ、、来世天国いくか地獄にい くかの分かれ目のところでさ、審判があるわけですよ。我々が人知れず頑張っ てきた人はそこで報われるんですよ。むしろ、人知れず頑張った忍耐したとい うことが評価されるから。 「本当になんでこんなにツライんだろう」ということ が来世ああってそこでちゃんと報われる。ここでちゃんと忍耐しとけば、報わ れるぞということがわかるわけじゃないですか。しかもさ、天国というのは理 論的には永遠なんだよ。こわいですよね。この世は終わるんで終わるからいい んですよ。死ぬのは怖いかもしれないけど、死ねるので最後にしても終われる んだ。でもあっちは終われないんですよ。非常に困るわけ。それならいい方行 きたいじゃないですか。という仕組みになっているわけ。それじゃあまあそう だよねと。そしたらラマダンとか食べないだけだよ、楽だぜこれは。無理矢理 満員電車に載せられてそれを三十年間続けたり、誰かにいじめられたりしまし たとかそういう忍耐じゃないから。一ヶ月間一食抜くというだけの忍耐だから さ。そうすると少し楽じゃないですか。じゃあこれが誰のためっていったら結 局は自分のためなんだよ。来世で幸せになるためなんだけど。だけどさ、これ をやれるとねえ。周りからみたら「あいつ水も飲まないのにやたらと元気だと」 普通だったら飲むな食うなと言われたらぶーたれてそうなのにさ、むしろ元気 出ちゃってるよと。イスラム教徒がおっかないのはさ、その人達がみんなそん なんでやってるわけじゃん。それで、みんな一緒に我慢している同士って連帯 感生まれるじゃん。 「お前もつらいよね、俺もつらいんだ」っていう連帯感。そ れで、この連帯感が一気に強まるのはさ一緒に飯をくった時よ。18 億が我慢し てるんだぜ、それで日が沈みましたはい食べていいよつったらさ、みんなでご 飯食べるんだよ。これがいいんだよ。この達成感はないよ。野球の神様にかけ てるひとはさ、イチローくらいになったりさ、ダルビッシュぐらいになればい けると思うけどさそこまで行くには、その達成感を得るにはなかなか得られな いけど、ラマダーンは結構な達成感よ。それで自分生きてるって思えるからね。 あえて食べないでたべるでしょ。美味しいっておもうじゃん。美味しいってお もうことはさ、生きていることの実感じゃない。SNS の海のなかで溺れちゃっ て、人からあいてにされないとさ、あーもう生きている実感ないわって思うじ ゃん。なんで俺は生きているんだろうと、だれも相手にしてくれないしさあ。 こんなことなんの意味があるんだろうと、そんなこと思ううちにやんでいくじ ゃんココロがなんかさ。最初はそうじゃんくても、その思考に落ちるとどんど んどんどん悪い方へ悪い方へいくじゃん。気がついたらうつ病になってたとか、 そういうのってあると思うんですよ。食べないとさ、お前友達一人もいないけ れども生きてるじゃんかということが実感できる。今日も1日頑張れたすごい ねっていうのが自分で実感できるというさ。こういう具合なので。しかも、み んななにを夢見てるかって来世の幸せじゃん。みんな目指してるもの一緒だか らさ、連帯感生まれていくでしょ。 譲りあったりしようって思いますよね。(植) これを大学の授業で、ラマダンというのはイスラム教徒の習慣ですみたいに教 えて、一ヶ月間イスラム教徒は食べませんというのと、今僕が言ったような話 を聞くのと、どっちの方がイスラム教をわかったようになりますか。そういう ことなんですよ。イスラム教徒いうのは、実践というのがあって、初めてすご く生きてくるし、人々がそれをやることによって生きていき、宗教もいいもの になっていくんだよね。自分の人生がなにしろさ、豊かになるよ〜。そうじゃ んだって。わけわかんないで我慢させられて、わけわかんないで評価されない でウジウジしてさ、そのことにイライラするよりもさ。いーよと有名になって 世の中からの承認欲求みたすようなことにしている人たちにさそれはそれでい いよと。俺が承認されたいのはアッラーだけなんだと思えばさ。強いじゃん。 カッコイイじゃん。誰に認められなくても、アッラーに認められればそれでい いそう思えればさ、信念を持っていきていけるじゃないですか。そして今の日 本人に欠けているのはこの手の信念だよ。囚われない、真っ直ぐな自由な生き 方だよ。こういうものが日本人にないからさ、集団的自衛権とかさ、特定秘密 保護法とかさ、ああいう(ナショナルな?) ものに絡め取られてしっているじゃな いですか。そういうのを批判するだけじゃなくて、 「じゃあどうしたいんだ」と それをカチッといえるようなさ、そういう世界観を持たなきゃ。 確かにいままで広まったのは、ユーラシア大陸の中緯度の地域、北アフリカと いうのがイスラームが広まった地域なんですけれども、このような考え方を必 要としているのはいまや全世界。啓示宗教とか一神教とかに無縁だった東アジ アのこういうふうな地域もこういう生活の様式が結局みんな欲望ベースになっ ているじゃん。拝金主義でさ。 消費をいかにさせて食べるかっていう(植) そういうものに囚われないでさ生きていくためにはどうすればいいか、それを 神道に求めるか、仏教に求めるか、無理じゃないですか。だから、僕はイスラ ームの時代が日本にもいよいよ来たなとおもっていて、ハラール、ハラームの ビジネスの台頭や、東京オリンピックの開催されるからイスラム教徒の対応し なきゃというのでさ。日本はちょっとそっちに動いていますよね。かつて、イ ンドネシアにイスラームが入っていったときもね。商売と神秘主義で入ってい ったんですよ。それで入っていって、インドネシアというのはイスラーム国に なっていったわけですけれども。イスラーム国という言い方がまたさ、日本人 は「俺たち宗教国家になってしまうのか!?」っていう、「テロリストになってし まうのか!?」っていう。一つのものに染まっていくこと自体日本児はすごく嫌う ので、その言い方が通用しないんですけど。日本人がもう少しブレない生き方? 平和が大切だと思うんだったら、それをキッチリ守っていけるようなさ、自分 たちの背骨みたいなものを入れる必要があって、宗教という言葉がまずいんだ ったら、日本人もう少し生き方の軸をさ、持ちましょうと。生き方を考えると き軸になる考えを自分に入れようよと。こういうことが必要で、それに答えて くれるおそらく唯一の宗教がイスラームなんだ。 イスラム教徒は 18 億人いるわけですよ。アラビア語の話者というのは大体 2 億 5 千万なんですよせいぜい。残りの 15 億はアラビア語圏以外の人たちなわけ。 そこがまた問題なんですよ。クルアーンという本をね。SFC ではですよ。コー ランを教える授業があるという、世にもめづらしいことが起きているんですよ。 こんな大学は滅多にないですからね。これがアラビア語じゃん。普通の人は読 めないよね。だから、みんな日本語で書いてあるところを読んだりとか偉い先 生が書いてきてくれたことを読むわけ。でもね、イスラーム教徒の人たちがど ういう風に生きていくかという指針は全部ここに集約されている。これだけは 変わらないんですよ。確かに、変わらてもいいよねってくらい確かなことしか 書いてないの。ね。ということは今問題なのは具体的なルール、2 世紀、3 世紀 に作られたような。イスラーム哲学の体系というのは、イスラームができてか ら 300 年くらいで大体出来上がったという説もあるわけ。そうするとそういう ルールにイスラム教徒自体が縛られてしまうようなところがあるわけ。日本な んかにそれを持ってきたってさ、アラブの砂漠だったり、商人ばっかりいるよ うなところのルールだからさ、それを日本に持ってきて合いますか? 合いませ んよね。じゃあ日本なりのルールというのをつくっていかなきゃならない。あ るいは、グローバル化の世界でさ、人、もの、金がさ、国境越えてうじゃうじ ゃ動いてくるようなところで、どういうルールだったらみんなが納得してくれ るのかなというのを作らなきゃいけないでしょ。引き出さなきゃいけない。引 き出す元がこれなのよ。逆にいうとコーランをちゃんと勉強していけば、作れ るのよ。これがプラットフォームだから。なので、アラビア語勉強しようよと。 そうすればさ、これを引き出せるじゃん。誰にだってできることじゃないよ。 学問やっている人だからできるわけ。そういうものを SFC から世界に発信して 行きましょうとそういう思いだよ。アッラーがなぜこういったのか。またコレ は本あるんだけど、ムハンマドの言行録があって、スンナという。そういうの は各国語で読んでもいいんだけど。だけど、これはアラビア語で読まなきゃい けないの。 スンナもムハンマドの言葉を誰が聞いて伝えたかという由来が全てわかってい るものを基本的には使います。それを根拠にしていればみんなが納得するって いうものがハッキリしているので。(植) これはね、考えようによっては素晴らしいことです。なんで日本と中国がわか りあえないかって言ったらさ、両国の間にこういうものがないからでしょ? お 互いにさ、あいつらこんなこともわからないとか、食品の約束守らないとか賞 味期限切れたもの送ってきたとかね。こういうのもさ、コーラン見れば約束守 れよって書いてあるわけよ。 秤をごまかしたら商人は地獄へ行くと言われているんです。商売をする人って すごく責任が重いんです。ものすごい倫理書ですよね。コーランは。 良き商人は預言者と同じところに行けるけれども、悪い奴は地獄に落ちるぞと 書いてあったりとか、だから、これを 18 億人のひとがさ曲がりなりにも共有し ているっていうのは、凄いことなのよ。アフリカ、東南アジア、日本の大都市 にもモスクたくさん建ってるでしょう。そういうところの人はコーランで書い てあることをさ読めば、あああれねって全てわかるんだよ。凄いと思わない? 僕 らがこの本読んでいけば彼らとすぐ友達になれますよ。もう私なんか、コーラ ンを勉強している立場なんで、まあすぐに仲良くなるね。日本人の方が僕にと っては遠いよ。こっちがこの日本人わかってねえなっていう感じで入ってしま うところがあるんで申し訳ないんだけど。だけど、世界中どこにいってもこれ でいけるんで、結構いろんなところいきますけど、もうすぐに仲良くなれる。 でも、そのなかでいい人と悪い人っているんですよ。だって、イスラムの本に 死刑が書いてあったり、ムチ打ちとか刑罰が書いてあるそれはイスラム教徒に だって悪い奴はいるわけよ、人間だから。教えがあったって守れない人がいる んで、当然イスラム教徒みんながいい人じゃなくって普通の社会だからいい人 もいれば悪い人もいるわけじゃん。そんなかで、コーランを読んで共鳴出来る 人、これが見つけられてそういう人たちとこれをベースに学術交流とかできた らさ強くないですか? 俺達はさ、ケータイ電話とかさインターネットがつなが ったぐらいじゃ納得しませんよ。価値観、それがちゃんとつながった時にね。 おんなじもんを信じているだから信用できるそういう話になるんじゃないです か。だからね、SFC に一番必要な学問だと思っています。学問分野をつなぐも のだし、IT の人たちは物理的につないでくれるじゃん。ネットでもなんでもさ。 でも気持ち、自分たちのハートの部分とかさスピリットの部分とかをつないで もらえんの? あとはこっちに投げられているわけじゃんそれって。俺達はもう つないだからねと。つないでさ、SNS ばっかりやってそういう使い方ばっかり してさ、そっから抜けられなくなっちゃってしまったら、(結局)ダメじゃないで すか。だから SFC のグローバルなネットワークのコンテンツをつくるというか。 いや、コンテンツなんてヤワなもんじゃないな。本当の価値観、バリュー、あ るいはクオリティを支えていくというか。そういうことができるのが、多分こ の勉強。 イスラム教の保存能力について、ラテン語なくなっちゃって、聖書が拡散して しまって、でもアラビア語はなくならない。 イスラムは実践の宗教なんですよ。大体、キリスト教というのは、貧しい人、 困った人に対する教えなんですよ。世界の人に開かれているとはいえ、その宗 教ができたときの状況を見ると、ユダヤ人たち圧倒的に虐げられた人たちが、 キリストだってユダヤ人じゃないですか(ネットで調べるとそんな感じの記述多 し)。だけど、ユダヤ人で圧倒的にひどい状況なんだけど、それでも神はいると、 諦めちゃいけないということを教えた宗教。つまり、キリスト教というのは人 を選ぶんですよ。ユダヤ教は民族を選ぶ、キリスト教は民族は選ばないけれど も、状況を選ぶんだな。それでも広まったというのは、ローマが国教にした、 国教にするとみんなその宗教じゃないですか。しかしもともとは弱い人のため の教えであると、強い人達のためには、あまり教えてないのですよ。だから強 い人がキリスト教徒になるとちょっと手をつけられなくなるのよ。で、それと あと、キリスト教の場合は、精神世界は強いんですけど、社会的なところが弱 いんだよね。だからカエサルのものはカエサルに、神のものは神にと分けてし まう(修正、両方やれという意味という説が濃厚) この世の理屈とあの世の理屈 が別なんだよね。となると、なにがおきますか? 言っていることと、やってい ることが違う、偽善者ということになることもある。そういうところが大きな 傾向としてある。イスラムはそこは、偽善者はよくないねと言っていることと やっているところを一致させましょうというのがイスラームなんで、だから続 くということはある。 入るにはそんな大した作業はなくて、実は。証人の前で言えば成立みたいな。 アラビアのインテンシブ 2 というのがシリアのアレッポ大学の日本センターと いう奥田先生も設立に関わられた場所なんですけども。初めていったのは学生 として現地研修を受けるものとして行ったんですけどもそっからシリアの社会 が保っているイスラームを実践しながら生きている人たちがいて、凄いなって いう衝撃をうけて、そこで何回も行きましたね。修士にあがるまでに多分、8~10 回ぐらい行ったんですかね。(植) うちの研究室は 2 回行くんですよ春と夏に大体9月と3月外にでる。彼女は大 学に入って一年目秋から入ったんですけど、でも、春にもいっていたんで、ほ ぼ毎回いっていたんですよね。 アラビア語を上達させたいというのもあったんですけど、やっぱりムスリム社 会が持っている豊かさみたいなものをやっぱり描きたいし、学びたいと思って。 そういう豊かさの研究というものをしていたので、それでずっとやってたんで すけど。で、修士になってようやく研究テーマをちゃんと固めてフィールドワ ークを一年ぐらいやりたいっていうことで、やらせていただいて、大学の三年 生くらいから改宗を考え始めて日本の状況もあるし、家族のこともあるし結構 いろいろあって、でもいずれ自分もなるぞと思っていたんですけど、なかなか そう状況が整うまでと思って修士のときまでまって、これで、なにかが変わっ たということでもないのですけども、これえ晴れてムスリムとして、シリアで 暮らしながら研究がしたいなと思ってそういう形で、短い時間ですがあちらに 10 ヶ月くらいいて、向こうの慈善活動をしている人たちを対象にフィールドワ ークをさせてもらったり、してそんなかで、アラビア語をやりながら、そうい う人たちの生き方からにじみでるイスラームの教えと、コーランに書いてある ものをいったり来たりしながら。シリアは今あんな状態になっているけど、本 当はすごく豊かな社会なんですよ。金がある、物があるじゃなくて、すごく人 間力が高い人達がたくさんいて、社会の潜在能力がすごく高い。それがけっこ う、イスラムを敬虔に信じていて、中道的に実践している人たちが大多数なん ですよね、シリアは。そういう人たちがつくる豊かさみたいなものは絶対に制 度的に行き詰まったりしている社会とかにすごく効くと思う。制度はすごくあ るけど、人はどんどん孤独になっていっていく社会が一方にあって、シリアっ て人を一人にしない社会なんですよ。で、なんか人が人間として人間を作り出 している社会というのがどうしたらできるんだろうなというのが、(私の興味)。 貧困問題を彼らがどう解決して入るかというと、制度に頼っているわけではな くて、なんかその自分が信徒として当たり前のように困っている人を助けると いうだからなんか税金を払ってやるとかじゃないんですよね。だから、そうい うものに学びたいとおもって、それはアラビア語をやっていないとそういう世 界があることも知らなかったし、かなり飛び込んでいった感じではあるんです けど、やっpりアラビア語やって自分は人生変わりましたね。かといって、こ れが全く自分が思い描いていなかったものかというとそうでもなくて、そうい うものを求めていたと思うんですけど、なんていうですかね、いっていること ととやっていることを全然違えずにやれるんですよね。研究で例えば、貧困問 題を解決しなければいけない。そのためには制度をつくってこうすべき、でも なかなかやれないわけじゃないですか。制度を自分一人でつくるって無理だし。 でもイスラムって自分のちょっとした行動でいろいろ変わるからがんばれよと いうそういう教えなんですよ。で、自分が研究している内容と自分の生き方の なかで葛藤せずに済むというか、(そうなんですよ奥)自分ができることからやっ ていけるというのが。本音と建前つくらなくていいというかこれをやればいい ということに答えてくれるんですよね。それをアラビア語を学ぶなかで学んで いったということですかね。 私はずっと貧困層の人たちを支援しているグループとずっと一緒に活動や生活 をしながら、フィールドワークをしていたんですけど、おおっぴらにはやらな いんですけど、普通の人達が自分の人生のふとしたところでやっているんです よね。ザカート(制度的喜捨) を払ったり。いまシリアのなかで、避難もできず に困っているような人たちとかがいますが、その人たちのために物資をこちら から送ると困っている人たちの薬局プロジェクトというのがあって、薬自体が 足りていないのでそれをまず仕入れて格安、もしくは無料で配布して、その利 益でなんていうか廻してくという活動をしていて、そこで、病院でできない予 防注射をしたりしているんです。でも、この活動をしている人というのは自分 も家を追われて困っているような中流層の人たちがそういうことを普通にやる んですよ。チャリティとかって、すごく恵まれた人たちがバーンてお金だして いるイメージもありますけど、そういうのとも違うチャリティがシリアなどの イスラム圏にはあるんですよ。だれが、やっているかもわからないし、大規模 にやるひとは本当に大規模にやるし、そうじゃない普通の人でも、それぞれ義 務として喜びとしてやっているという豊かさを持っていて、なんかこうそうい うところから学べるというかね。(植) いまのさ、話でさ、ラマダーンと同時にザカートというのがあって、それをね。 研究でさ、貧困問題やってますとかさ、国際協力やっていますとかさ、そうい う奴はあまたいるじゃんこのキャンパス。俺はね、彼らにいってやりたいこと は、実際そういう人がいたからなんですけども。じゃあ君は貧困問題を自分な りに解決するためになんかやっていますかということを聞いてみたいわけ。ど ういう意味かというと例えばさ、法律なんかやっているとそうだけど、この法 律のここのところが悪いからこれを変えたらいいとかさ、この制度のここのと ころが不味いからここを変えたらいいとかさ、国連の制度のここを変えて、こ んな部署をつくったらいいとかさこんな NPO をつくったらいいんじゃないで すかとかさそういう提案はみんなするんだと思うんだよ。あるいは、NPO の現 場にいって、見てくる人もいるでしょう。だけどさ、あなたは一体なにをやっ ていますかと。私はイスラム教徒になったおかげで、このザカートとというも のを払わなきゃならないんですよ。ね。だんだんさ、教授なんかなってくると さ、ザカートってね。一年間のさ自分のところにお金たまるじゃん。自分がそ れなりの生活をして、その必要な分というのはカウントしなくていいんだけど、 一年間まったく使わなかった分というのがあるじゃん。その浮いた分の 2.5%と というのをさ、出さなきゃいけないのよ。1000 万浮いてると、25 万円なのよ。 例えばさ。2000 万浮いたら 50 万なわけ。例えばそんなにあるわけじゃないん だけど、そういうお金を自分で配ってこなきゃいけないのよ。 どこに? 困るでしょ。困るじゃん。ちょうどシリアにいますよーちゅうと、ちょうど彼 女が留学していたあたり、一緒にみさせてもらうわけですよ。支援している人 たちを。子供が 10 人いて 5 人が障害者という家にいったのよ。ひとりは四つん 這いで走り回っていて、一人は壁に頭をガンガン打ち付け、一人はかきむしっ ているわけ。なんかさ、動物園以下の状態、そんなうちに連れて行かれて、そ の家には健常者のおねえちゃんがいて、その子を支援して、美容室を1階でや って、そのあがりでなんとか自立させようというプロジェクトがあって、本当 にちっちゃいプロジェクトなんだけど、それをやっている人たちを彼女が調査 していたりするわけ。こういうのってさ、日本にもそういう人がいるに違いな いじゃん。確率的な問題だから、でもさ、日本にいたんだったら絶対にみない よね。なぜかっていうと、法律に守られ、施設に守られ、家族に守られている から、そういう人達ってあんまり外に出てこないじゃない。だから、ある意味、 社会から隔離されていますよね。でも、ザカートがあるおかげで、そしてそれ を私は払わなきゃと思うお陰でね。 そして、ちゃんと使われなきゃいけないので、自分で本当に大変だということ が大切で推奨されるんですよ。だれでもいいからあげちゃうじゃ困るわけよ。 額が物凄く多い人はある程度委託したりしているんですけど、信用できるとこ ろへ。(植) だけどね。それでね、普通だったら見ない見えないところ、例え自分が社会の 問題を研究してたってさ、そういうところまで視野に入らないでもの書くと思 うんですよ、普通だったらでも、イスラム教徒であったおかげで、ザカート払 わなきゃいけないから、 結構探しますよね。 そうすると探すわけですよ。で、探してなんていうかなあ。困っている人で、 またシリアにはね、先ほどの活動家のような人もいるし、それから、各地区に 民生委員みたいな人たちがいて、その人達のところににいって、困っている人 はいませんかというと、どこどこにいるので、行ってみてくださいとか。家ま で連れて行きますからと言われて、ついていったりとかそんなことも。 よくあることですよね(植) だから、日本みたいに税金で一律もってかれて、そのお金がどうやって使われ ているかもわかんない。そういう福祉のありかたもいいのかもしれないけれど、 シリアみたいなね、確かに予算は少ないよ、でも人々が直接みてで、自分に余 裕があるんだったらぜひこういう方に使っていただきたいという風にして、自 分で納得してお金を払うじゃないですか。日本の消費税なんか全然ダメじゃん。 なにに使われていくのかわかんない。税金払うときにさえだよ、ふるさとなん とか税とかいってさ、これこれの税金がくるから故郷に税金収めとくみたいな 話になっちゃってる。特典がつかなきゃ税金さえ収めないみたいなさ。だから、 社会の一番大切なことというのが忘れられちゃっている。で一方で、私はおか げさまでイスラム教徒であり、実践していくということを通じて、普通に大学 教授をやっていては見れない、見せてもらえないようなものをそうやって見る ことができて、しかも日本の話というのはそれこそ世界のいろんなところに行 って、おかげさまでいろんな仕事で海外にいくじゃないですか。ラマダーンが ぶつかるんだよこれにね。そうなると、そこの間になんとか払わなきゃってい って、レバノンの病院にいってザカート払ってきたこともあるし、ウズベキス タンに行ったときには、そこの大学にいって学長先生にさ「ザカート払いたい んだけど」というと、 「この学校で地方から来た生活に困っている人はいないか」 と聞くと、学生を二人ぐらいすぐ連れてきてくれて、そういう人に話して渡し てきたりとか。 みんな結構善行は口に出さない方がいいということになっているので、だれも 言わない。だから統計に全然現れないんですよ。お金の流れが。だけど、そう いう価値がある社会って結構強いんじゃないですかと思うんですよね。(植) だから、そういう意味で日本の社会が忘れてしまっているところ、なんでもか んでも見える化したいわけじゃないですか、なんでも記録に残したいし、それ が全てだしみたいな世界になっているじゃん。そこで、信じるものを持つとい うことの素晴らしさ。それも自分勝手な神様の話じゃなくて、自分だけの神み たいな話じゃなくて共有できる神様、みんなで頼れる究極頼れるものに気がつ くっていうのはさ、いまの日本の社会には必要だし、いまの若い人ちには必要 だし、それから中国とかも含めてさ目覚めて欲しいわ、ホントに。そういうた めにも、新しい形で、コイツを世界に発信していく義務があって、それが SFC のさ、アラビア語教育とイスラム研究が目指しているところなんだよ。 他の大学じゃできないですからね。(植) 他の大学じゃできない。こんなに自由なところないもん。これはね、専門がバ ラけているからね。 奥田先生以前の SFC 良い質問だね。まず、インテンシブが SFC の目玉なんですよ。で、開学当時に 外国語と IT これが二枚看板だったの、SFC の外国語の看板の中身はなにかって いうと、1年生からの週四コマのインテンシブのコースで勉強できますよとい うのがウリだったわけよ。この時点で四コマではじめられていたのは、独仏英 中ハングル、マレーインドネシアも多分あったのかな? その時点でなかったの は、スペイン語とアラビア語なわけ。スペイン語については山本潤一先生がお 話になると思うけど、僕が始めるよりまえにやっているので、SFC 始まってか ら 5 年か 6 年で SFC 始まっているはずです。アラビア語の方は人はいたらしい んですけど、上手く先生が見つからなくて、 教養アラビア語というベーシックみたいな一週間に2コマみたいなのを非常勤 の先生がたまにきてやっていたというのが最初なんですね。(植) SFC はね 99 年に来ましたからここに、十周年くらいたったところで、看護医療 ができたぐらいかな。そこで、言語の方もこれで全部いいのかなということが 話合われた時期があるわけ。そこで、アラビア語のインテンシブをつくったほ うがいいんじゃないかという話が出てきて、それで人を探すということになっ たんですよ。最初に教えていた方はライラ井上さんといってフランス語の井上 輝夫先生の奥様、(当時)なのでこの話題もあんまり触れないように。その方が、 週 2 コマの授業を東京外大のアジア・アフリカ言語文化研究所というところの 先生で、黒木英充さんという、これは僕のごく親しい友だちで、その方が教え られていました。誰か専任で教えてくれる人がいないかということで、それで 私に話が来たんですよ。それから私は 1999 年にシリアから戻ってきて、ここで、 就職することになり最初に 1 年 2 年はインテンシブを準備するための期間とな り、そして本格的にアラビア語が始まると、そういうことでした。 インテンシブが始まったのは 2001 年 4 月からですね。私が第一期生だったので。 (植) その後は、年々少しづつ拡張しながら、いまは大コミュニティだと思われてい るけど、でも人数はそんなに多くない。ちっちゃいよ、規模としては。 アラビア語だけじゃなくて、イスラム研究をしているという人も多からね。そ れに、CLIP にも時々だしてもらっているけど、アラブ人学生歓迎プログラムと いうのがあるじゃないですか。あれがね、一大イベントなんですよ。ラマダー ンじゃないんだけど、合宿所で 2 週間、いまの段階でも普通に春学期から準備 を始めるので、だからほとんど半年かけて、やっているようなプロジェクトな んですね。これを植村さんが 2002 年の第一回の委員長なんですよ。今は 2014 年なんで、13 回目なんですね、今年ね。で、だから毎年毎年やるんで、七夕祭 でケパブやシシタウ食べたことあります? そのお金を全部ここに突っ込んでい るので、一銭もあそこから僕達取りませんよ。普通は、みんなで儲けたんだか ら飲み食いすりゃいいじゃないということになるかもしれないけど、そのお金 は大切なお金なんで、全額つぎこもうと。 というより、お金がなくてじゃあ七夕祭でケパブ売ろうということになったん ですよ。 お金ないのよ。本当にあの活動はお金が無いんだよ。それでなんとかしなきゃ と。基本は自立じゃなきゃね。どっかからお金が降ってくんの待っててもしょ うがないんで。とはいいながら塾には結構お世話にはなっていて、未来先導基 金頂いたりとかしているんですけれども。だけど、そういうのをさ苦楽を共に しながらね。あと、他の言語の先生はわからないけど、僕は現地研修全部一緒 に行くのよ。一ヶ月 24 時間一緒なのね。で、私だけ五ツ星ホテルに泊まるみた いなこともしないし。 9月と3月は子供達と 24 時間一緒にいると。研修って結構ハードでさ、朝八時 くらいから始まって、4 時間勉強して、昼休みがちょっとあって、午後また 3 時間 4 時間勉強して、最後にまたミーティングやって終わってみたら夜 10 時半 みたいなさ、そういうのを 2 週間やるわけよ。毎日ミーティングがあるわけで すね。今日どうだったてっていう話をみんなから聞いて、それでさあ、一日3 食一緒に食べてたりするわけよ、その間は。これはね。ファミリーみたいにな るよね。 先生のお仕事いっぱいあるトーク 1 時間 17 分時点 ベーシック 1 の授業にも出てて忙しいっすね むしろね。1 春というのはね。大切なんですよ。大学に入ってきて、一番最初に 習うアラビア語ですよ。ここの所をね、責任教員が教えるということがポイン トだとすごく思っているの、だって学生の方だってさ、非常勤の人に適当に教 えられるよりも、いや適当じゃないけどさ。まあ非常勤もいろいろあってさ、 本当にその時間だけきて教えてくれる先生と、昔の大学で言えば助手的な人の 二つがいるわけですよ。訪問講師の先生は日本語できないので、ティーム・テ ィーチングの先生は日本語できないので。ベーシックの一番最初の時期にさ、 アラビア語を学ぶ必要性やら意義やらを織り交ぜつつさ。 せっかく SFC でアラビア語を勉強するなら奥田先生にならわないと、もったい ないなと思っているので、先生お忙しいけど、 ベーシックの一番最初のところはとにかく自分がやらなきゃと思っているので すよ。量産するのじゃなくて、やっぱり質の高い学生、アラビア語ってやっぱ り難しいわけ。SFC はだいぶ効率的に先輩達が協力してくれているので、すご くいいものにはなっているのだけどそれでも時間はかかる。学生もただお客さ んで座って授業を受けているという立場ではなくて、学生自身も自分の中での 変化をとらえつつ、自分のモチベーションをあげていこうということがさ、上 手く作用していかないと、そこのところはね。やっぱり、最初が大事。数はい らない。 そうはいっても、奥田先生は中上級の授業も結構見ているんですけどね。(笑) しかも、研修もいくしね。でもこれも大学の言語教員の特権かもしれないと思 っていて、というのはね。大体植村先生の場合などは大学一年からさ博士まで だからさ、13 年ぐらいの付き合いなわけだけど、修士まで取ってくれると 6 年 間付き合えるわけよ。6 年というとさ、小学校をずっと同じ先生で持ち上がって いくようなのと同じ状態じゃない。これは、大学の先生でもなかなかそうはな らないじゃん。SFC みたいな特殊なところで、外国語教育+専門教育で、学問分 野横断的にやっているお陰でさそういうことが可能になっているじゃないです か。大人としてだよね。示さなきゃいけないことってあると思うんですよ。民 主主義の世の中で子供も偉いかもしれないけれど、けれどね、責任ある大人と してだよ。教員としても含めなんだけど。大人としてさ、自分の生き方なりな んなりを伝えていく、あるいは、そういうのを学生たちの目にさらして、で、 それは従う従わないはともかく伝えていかなきゃならない、その責任はあると 思っているんですよ。それは。自分のところにさ、縁があってさ、来てるそこ んところは大切に大切に大切にしなきゃという思いもあるし、こういうところ で一緒にやっていく、研究して世界を広めていくことがね、またこれの特徴だ と思うんだよ。研究会というような勉強のあり方。だからね、結局 4 年間ずっ と見ちゃうんだな。 (勉強のやり方は)変わってきていますよ。だんだんとね教科書なんかもレベルア ップして行きました。前の教科書を学生達が実際勉強しながら変えていった。 革命的に変わったのは、もっと現地で使えるような教科書を作りたいというわ け、奥田研というのは二つあって、活動中心のゼミと研究中心のゼミが二つあ るわけ。活動中心の方は奥田研 1 というほうですけども、ここでは十個を超え るプロジェクトが同時並行でバーっと進んでいるんですよ。走っている。その 中の一つが、教材開発プロジェクトなの。毎年学生たちが、ただ単に前のやつ をなんかしましょうじゃなくて、いいものを作りたいと、これをやってくれて いるわけですよ。これは植村さんとね、あと外務省でアラビア語ができる人と して、すぐに世に出てくるやつがいてそういう SFC の卒業生がいるの、これは すごかったよ。アラビア語っきゃやってなかったよ。修士mでここで出て、外 務省の外交官の試験で、外国語を選択するわけですよ。唯一がアラビア語を受 けて、その氏 k 年をパスして、で、いま、外交官になっている人がいるわけな んですが、もうちょっと、現地で使えるものをつくりましょうということで、 他の言語の研究室にいったりして、こんなんで教えているみたいっつって、機 能別言語機能に着目してやっている教科書とかいいみたいですよって言って、 いろいろやっているわけ。そういうの勉強して、アラビア語ではどうやるんだ ろうと、それで教科書つくって、スキットつくって、今度これをね。ここのキ ャンパスのプロジェクトで、メンバー+シリアのアレッポ大学の日本センター の学生たちが面白がって、これがまたよってたかって、つくってくれるわけ。 そういう風に 教科書を作っていますよ。ビデオとかも撮影しましょうって言 ったら、ここの学生達はみんなカメラができるじゃないですか、こっちからカ メラ担いでいって、あっちでエキストラだしてもらって、こっちで主人公出し てそれで、撮影して、だから年々進化ですね。あと面白い試みは、チューター 制度というのを取り入れていて、これは福澤先生の半学半教の精神にのっとっ て、先輩が後輩に、復習のところを面倒みてもらうと。少人数で3人とか4人 とかそれで、チューター大学院生、あるいは四年生が先生になって、週に一回 そういう授業やっているんですよ。そうすると教室では聞き逃したこととか、 ついていけなかった部分とかをチューターの人にフォローアップしてもらうと。 で、これがまた先輩後輩のつながりを生むにはさ、こういう意味でも良い仕組 みで、そうするとだんだん横のつながりだけじゃなくて、縦も意識するじゃん、 そしたら、アラビア語をやってくとこんな感じになるのかとか、そういうこと もだんだん見えてくるので、そういうのを取り入れたり。後は現地研究のやり 方もどんどん進化してまして、特徴としては、少人数で、現地の日本語を勉強 しているアラブ人が待ち受けていると、そういう仕組みがつくってあるのです よ。そういう人たちとこっちはアラビア語使ってみて、あっちは日本語使って みてという感じで、そういう人たちと一緒になって、課題を問いてもらうと。 そういう仕組みをつくっています。 奥田先生がいたころは? 行けもしないよ。行けもしないよ、僕はさあ。僕の第2外国語はドイツ語でし たからね、大学時代。大学はドイツ語で、大学院に入りましたと、そしたらね。 文献読むばっかりなのよ。大学の授業というのは、そのころはね。月曜日はド イツ語、火曜日が英語、水曜日がフランス語、木曜がもう一回英語の文献で、 金曜日がスペイン語、土曜日アラビア語と。勉強しましたよ。本読まなきゃし ょうがないからね。今みたいに、インターネットがあるわけじゃなし、ちょっ とお金だせばそこにいけちゃうわけでなし、もう本読むしかないわけですよ。 それが 30 万年前の日本なわけですよ。今おれ 54 なんで、30 年前だよ。22,3 歳 の時の俺は、大学院に入りました、さあ文献よみましょうかみたいな感じでさ、 フランス語の文献をボーンと渡されてさ。読んでこいみたいな。自分で言語の 勉強しながら、読まなきゃいけないわけですよね。 大学院に入るじゃないですか。慶應の大センセイなんですよ、私の先生。井筒 俊彦の一番弟子が俺の先生だったわけ。鈴木先生なんていうのはですね。私達 の基準から言うと、 「鈴木孝夫? フーン」みたいな世界よ。鈴木先生が逃げちゃ ったみたいなところで頑張ってた先生が俺の先生なんだよ、アラビア語の。黒 田寿男さんといって有名な人ですよこの人も。このころは先生がねえ。。。 大学 院の授業に行ったんだよ、中大でさ。行ったらさ、2年に1回しか人が来ない んだよ。その授業は、履修者が 2 年に1回しかいないわけですよ。しかも、そ れは先生の家でやるんですよ。初回だけ先生が学校に出てきたのね。「奥田君、 やっぱり来たんだ」と学部の授業取ってたんで向こうは知ってくれててさ。じ ゃあ来週から代々木上原にマンション持っててさそこでやるからって言われて、 渡された本がこの本でさ。「奥田君、日本語読めるよね」と言われてさ、「読め ます」と言ったら「ここにアラビア語の文法書があるから、やってきて」と言 うわけ。それで、これがね、課ごとに練習問題があるわけ。 初めてみたら、なんの練習なのかもわからないですよね、これ。(植) まず、ページをめくると文字があると。イキナリ文字を覚えてこいと。その時、 俺が言われたのが、 「3日でこれを覚えられたら、やっていいよ」と。才能があ るからということでね。 「できなかったらダメだね」と、そう言われると人間必 死で覚えるじゃん。それで、覚えて、ここは文字の解説なんだけどさ。イキナ リこんなに単語が出てくるんだよね。はい文法入りますと。課ごとに練習問題 があるし、解説もあるから読めばわかるだろうって言うしさ。この練習問題の 答えだけするからって言われてさ。ここは単語のっているだけど、ここに文章 がのっているわけよ。これを訳してこいというわけさ。正直ね、なんの解説も なくこの本渡されてね。いやあ一行やるのに、数時間かかるんだよ。謎解きな んだよ。アラビア語って、それで、というのをマンツーマンでやるんだよ。2 年に一人しか取らない授業だからさ。それでやってね。なんとこれが、半年で 終わるんだよ。二人でやってるからさ。毎週一課やると終わるじゃないですか。 それで終わったら、 「じゃあ来週から本読むから」と言われてさ、読むのがアラ ビアンナイト。俺も「ちょっとそれは無理じゃないですか?」と言うんだけど、 その黒田先生も井筒先生に教わった時に、いきなりジャーヒリーヤの詩ですよ。 ジャーヒリーヤというのは、イスラム以前の 3,4 世紀のアラブのこと。そんな時 代の詩を読んでたわけさ。でね、それは確かにアラビア語の基礎なんですけれ ども。難解を極めるわけですよ、当然。 「お前は千夜一夜なんだから楽だよ」と 言われたら「そうっすか」と言うしか無いじゃない。もうやるしかしょうがな いから、半年千夜一夜読んでみたいな。だから、読めるんだけど、しゃべれた りはしないっすよ。そのころ、修士のころはね。修士の頃、博士の頃というの は、割合アラビア語をやっていたけど、さっきいったスペインの法律の方の研 究を一緒にやっていたんで、そのスペインの法律読むの大変なのよ。スペイン 語で書かれているわけじゃないからさ、書かれてんのカスティーリア語なんだ よ。だからスペイン語の古典ね。だから、まずカスティーリア、スペインの辞 書を引くわけ。古語辞典みたいなやつで、それがまた百科事典みたいな時点な のよ。それから、スペイン語日本語辞典というの引いて、要約意味がわかる。 そして、そのテキストをラテン語と比較しないと意味がないんですよ。ローマ 法大全を移されたもんじゃないかと言われているから、左にラテン語のローマ 法大全をおきつつ、カスティーリア語の法律を右において、頭にはイスラーム 法が入っていて、比較していると。そういう研究を当初やっており。そんな感 じでアラビア語をやっていたと。でも決定的に変わったのは、シリアに以前い ったときに、ちゃんとやんなきゃと思ったということですよね。文献は日本に いるころから難しいの読んでいるんですよ。本としては、翻訳は外に出してい ないですけれども、ムハンマド・イスラムバーキルッ=サドルというイスラム経 済論というのが有名な人なんですけれども、この人が法律についても書いてい て、そういう人の本をね、まあなんていうんだろうな。それこそ、いい時間か けて訳してたね。400 ページぐらいの本ですけどもね。そういうことをやって たということもあるし、だけど話せないんですよ。テープだのなんだの、まず そういうものはないですよ。いまなら NHK のアラビア語講座とかもあればさ、 アルジャジーラだってみれるじゃない? そんなんじゃないんで、文献というこ とになって、それで、シリアにいったときに、一年間はアラビア語の先生につ いてですね、それこそ小学校1年生の教科書からやったよ。そっから積み上げ ていって、中学ぐらいまでは全部読みました。そういうことをやったあと、い よいよ専門の先生を探さなきゃと思って、2年目以降はさっきいった、こんな 先生もいたかといってみつけた先生の門を叩いてね。勉強させてもらうと、弟 子入りだね。黒田先生自体が井筒先生の書生だったので、それこそ住みこんで、 勉強してましたから。また、僕がいったところがシリアで、大学で授業として 習うんじゃなくて、本当によく知っている方から直接教わってこいという勉強 をしたので。イスラム神学の勉強はモスクのイマームに直接教わっていますし、 そういう意味では、かなり昔のタイプの勉強をしてきたかもしれません。 大学に入ったのは 79 年とかそういう年じゃないですか。84 年ぐらいに大学院 が出ていますからね。簡単に言うと私の二十代は大体中央大学と共にいた 20 代 なんですよ、30 代がですね、最初にいた国際大学という大学とシリアに留学し ていた。だから、19 から 29 までが中大、29 から 39 までが国際大学とシリア、 39 以降がここなんですよ。だから 10 年たったらまたどこかにいくんだろうな と思っていたら、ここに居続けていて、でも 10 年の間に研究の幅は少しづつ広 がってきていて、入った当初予想していたよりも広がっていますね。 植村先生のときは? やっぱり奥田先生がこれをもっとわかりやすくされたものを使ってましたね。 (植) 私が使ってたやつをもっと使いやすくしたものを使っていましたね。それプラ ス、私がシリアで学んできたものの知見が入っているので、ちょっと変わって いますね。 会話とかは、先輩とか訪問講師の先生が協力して作っていましたね。(植) あと、ここに来た頃のことなんだけど、NHK の最初の TV アラビア語講座の講 師が俺なんですよ。ラジオは前からやっていたんですけど、TV の方でも本格的 にアラビア語をやりますよということで、夏休みに全六回の特別番組としてや ったんですよ。その時に、テキストとかをつくらせていただいて、いまインテ ン 1 で使われている教科書の原型というのはそこで使われているんですね。6 回で短かったけど、エッセンスは盛り込めたので。NHK の放送というのは小学 校の1年生から 80 歳のおばあさんまでわかるような放送にしなきゃならないの よ。文法用語一つ使うにしたって、 「これ小学生わかりません」とこう来るわけ ですよ。アラビア語が言語教育の一角を得ていく過程としては良かったんだけ ど、でもそれは出来る人を増やすという意味では、大学で学生と向き合いなが ら教えたほうがいいなと思って。自分もね、NHK のラジオ講座とかよく聞いて いたんですよ。朝から聞くとさ、英語から始まってフランス語、ドイツ語、ス ペイン語、ハングルと聞いてくと大体 2 時間で 5 ヶ国語話せるのよ。でもさ、 そんなことしたってできるようにはならないわけ。放送するほうになってよく わかったよ。だって全部なんて言えないんだもん。説明しきれないんで、教科 書にかいてあることすら、全部は言えないんですよ。だから、これは大学でち ゃんと教えなきゃと、一層気を引き締めることになった。それから語学教育に 向き合えたね。25×6 回の放送だったんだけど、ちゃんとやろうとすると半年 かかるわけですよ。もちろん、アラビア語をいろいろな人に知ってもらうとい う意味ではよかったけどね。 いまでは、結構中級ぐらいまでやりますよね。どこまでできるようになるかは わからないけど(植) 半強制的に授業という形でやるというのは、結構できるようになるし、そうい う意味では意味のあるシステムかなとも思う。そんな感じ。 2年ほど前にね日本の大学のアラビア語教育というシンポジウムがあって、そ んときに呼ばれたのがね、東京外大、大阪外大、それと SFC ですよ。サウジの 人は、ここのことは注目されていてました。あとは、同志社。 そのなかで、コーラン教えたりとかした上で、中上級の授業をしているという のがうちの特徴かな。もうひとつの特徴は早いうちからみんなが海外にいける 仕組みができているのも特徴だと思います。他の大学でも優秀な奴は奨学金も らって いけるんですけど、でも習いたての奴が研修いけるかというとそういう仕組み にはなっていないんですよ。私の考えでは、アラビア語始めた人がすぐに現地 にいって、その人がアラビア語のプロになるかはともかくとして、中東なり、 イスラム圏なりにいったことがあるというのは、すごく意味があることだと思 っているので。人と触れ合ってもらうというね。そのことが、すごく重要なの で、今回なんか 4 月に勉強を始めた学生があと 2,3 週間後にはヨルダンに行けるという(植) 連れて行かれてしまうという。それなりのレベルに仕上げているので。そこは ね。多分特徴。ヨルダンの場合はシリアとはまた違う感じなんですけどね。 喜捨とかは普通に行われていますけどね。 教育の特徴としてはね、ここまでイスラームと密接に関係しながら教えている 学校はここだけ。それは間違いない。他の大学は結構イスラームと関係が無い 感じで、教えているんですよ。 新聞やニュースなど、メディアにアクセスできる人間を育てるというのが主眼 ですね。(植) あとは、伝統的に商社にいったり、外交官になったりした人が多いので、どう してもそういうことが多いかもしれない。大阪外大は口語のアラビア語、方言 だったりとかに特化してますね。モロッコ方言とかインド方言とか。うちは、 コーランがあるので、コーランや古典、それを読むことがアラビア語を学ぶ意 義だぐらいのスタンスなので。 もちろん、現地で人と話すことも重要ですがね。(植) そう、そこもやりつつのコーランじゃないですか。そう考えているので、特徴。 その知識を持っているから、現地にいっていろいろわかるんですよ。なにも知 らない人がね、ただその人をみただけじゃザカートはらっているとか、ラマダ ンやってるなんてわかりゃしないんですよ。あるいは、この人達がどのくらい 信仰深いのかなんてアイデアさえ涌かないわけ。でもイスラム研究をやって、 初めてわかるんだよ。そこはセットなんです。あとはね、修士博士に行く人が やたらに多いんですよ。神学希望者がおおいんですね。いま奥田研の博士がい っぱいいるんですよ。まず、奥田研出身のイスラム教徒は全員イスラム教徒で あると。ほぼか。多少例外はいるけどね。うちの研究室、イスラエル人のハー フとパレスチナ人のハーフが一緒に頑張っていると、本当に光栄なことだと思 います。世界平和を実現したかったら、こういう方法で実現できるんだよと。 それを身をもって示せている感じがします。モロッコ、ヨルダン、サウジ、今 度イランから留学生がいます。アラブイスラーム圏から集まっていると。コー ランの精神を尊重できる人たち同士のサークルというか、学問のつながりがで きればいいなと思っているので。ちょっと他の言語とは違うんじゃないんです かね。 アラブ的気質とイスラム的気質というのは全然別のものです。アラブ人という のはやんちゃな小学校の 3 年生みたいな。 いやいや、気性がね、正直な(植) そうなんか人間そのままみたいな感じ。 気持ちのいい人たちでもあり、ちょっと困った人でもある。とても魅力的な人 たちなんですけど。(植) それが元気良すぎると困ったねみたいな。欲望のままに生きちゃうところもあ る、正直だからね。それから、親兄弟は大切にするんだけど、地縁とか血液の つながりは大切なんだけど、他はちょっとねだし、現世で儲かりゃ最高だし、 偉い人いうことはよく聞くと。それがアラブなのよ。 元々はね。(植) いまもちょっとそう。映画をつくると全員が監督で主役みたいな。そういう世 界。そういう人たちに少しは人間らしく生きなさいというので、降ったのがイ スラムなんですよ。人間を社会的なものにするのがイスラム。王様がいるとか、 お金儲けができるとかじゃなくて、そういう誘導じゃなくて、 「お前は人間なん だろう」と「ならもっとちゃんと生きなさいよ」そういうのがイスラムなわけ。 そう考えていくとさ、みんな中学生の中二病だろ。そういう人にさ、 「お前人間 だろ、ちっちゃいこと言ってないで、ちょっとおおきい世界で生きてみたらど うよ」とそういう教えに、研究していくうちにきづいていくわけ。そうすると、 「俺も大人になろう」としたとき、どういう選択肢があるかなと、 「ちょっとイ スラム教徒として生きてみるか」とそうしてみんなイスラム教徒になるんじゃ ないですかね。多かれ少なかれそういう話だと思います。みんあ自分のダメな 所、弱い所というのは、成長してくれば見えてくるし、そういうものから卒業 していく次の段階に行くというのが、人間が大人になるということではないで すか。その時に大人になろうと言って、大人をみたらさ、いまは大人が子供み たいじゃない。どうしようもないじゃない。そういう時に、イスラムってすご くまともだと思いますよ。考え方として、ここの研究室で、こんな先生じゃん? 俺はさ、日本のイスラーム世界ではまともな日本人だと思われているのですよ。 まともというか常識的な。 常識が通用するという(植) そう。そういうめづらしい存在として知られているのですよ。自分で言うのも 変だけど。こういう生き方ってありなんだなって学生たちも思ってくれている と思うんですよ。要は私がサウジ人みたいな格好してさ、オリエンタル丸出し だったら学生も考えちゃうと思うんだよね。俺がそうやったら、だれもついて きてくれないでしょう。だから、その意味で責任が大きいと思っていて、普通 の日本人として生きるのに、イスラムという一本の芯も入っていると。私の教 員プロフィールにも書いてあるけれど、何者にも囚われない生き方を実践しま しょうと。でも社会的なつながりの中にいるから、囚われないわけにはいかな いのよ。しょうがないじゃない。だけど、とらわれないという生き方。そうい うところが見せられたら。日本もファナティックな人結構いるんで。イスラム 教徒でもさ、なりたての人はとくにファナティックになりがちだし、そういう ふうじゃ無いというのは、植村先生が入信されたころからそういう話はしてい る。私自身が普通の日本人だし、ファナティックになればなるほど、イスラム から離れていくという側面がイスラムにはあるわけ。中道でいかなきゃという のは昔から思っていることで、人間として成長していく過程のなかで、イスラ ムという選択をしたということなんじゃないかな。普通のライフステージのな かで、人のなかで地位とかお金に関係なく人と付き合いましょう。困っている 人がいたら手を差し伸べましょう。とらわれないように、信じるべきものはア ッラーでと。なんかそういうふうなところに到達すれば、日本はまだまだやっ ていけると思うし、他のところはしっかりしているからね。だから、授業でも アラビア語を取るのでもいいからイスラム教徒という形の表明じゃなくてもい いんで、これで教徒になると毎日五回祈りましょうとか、都度都度思い出すよ うになっているからそれがいいとは思うけど、SFC で私の授業やアラビア語を 取ってくれたりする人もちろん、それ以外のかたでも、そういう人間として成 長してほしいなと。美味しい話があることにつられたり、具体的なつながりが ないと生きていけないとかそういうことに惑わされないようになるといいなと 思っているよ、それは。 人間というのは、言葉によって考えるわけですよ。その言葉が二種類あるわけ、 そらが神の言葉人間の言葉というのがどうしてもあって、フランス語、英語、 ドイツ語というのは人間の言葉の世界なんですよ。人間の言葉の世界と神の言 葉の世界があると、人間の言葉だけでは考えられないこともあると。神は人間 はやらかしたことも神の教えだし、物の名前も神が教えたと言っているけれど も、言語についてはいろんな言語があっていいと言っていると。でも、倫理や 慈悲慈愛のあり方というのは動物にもわけたんだと。だから動物でも愛しあう のだと、これはムハンマドのことばだけど。で、外国語教育ばっかりやりすぎ ると、人間のことばばっかりやっているとこれが膨らんじゃうわけだよ。ね、 だから外国語同士で喧嘩しているわけだよ。languege というのはアラビアだと ルガーというのですよ。語源を調べていくと、雑音的になうるさい言葉なんで すよ。天国にいくとね、そんな言葉をしゃべっている人は一人もいないんです。 ラグンですね。じゃあなんの言葉をしゃべっているかというと、神の言葉をし ゃべっていると。普通の言葉なのか、啓示としての言葉なのかというのは非常 に重要で、それでランゲージのレベルでやってもらってももちろんいいんだけ ど、でもさ、啓示の言葉も勉強しなよと。この二つが合わさった時にトータル になるんじゃないですか。 相対化できますよね(植) 言語至上主義から逃れられるのですよ。いろんな言語があって、しかも、言語 の二重性が抑えられているキャンパスであるとその両方が勉強できるキャンパ スだと。そういう観点でもアラビア語を教えている。