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クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・ 宇佐の農林水産
( 1 ) 肥料科学,第36号,1∼25(2014) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・ 宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ (七島藺: Lam.)の栄枯盛衰と 試験研究 林 浩昭* 目 次 1. はじめに 2. シチトウイの作物としての特徴と栽培 3. シチトウイ生産の歴史と経営 4. シチトウイに関する土壌肥料学的試験研究 5. 終わりに * 国東半島宇佐地域世界農業遺産推進協議会 会長 ( 2 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 1. は じ め に 大分県国東半島宇佐地域は九州の北東部にあり,宇佐市,豊後高田市,姫 島村,国東市,杵築市,日出町からなる(図1A)。瀬戸内海西部に突き出 た円形の半島部は,中心に位置する両子山(721m)から放射状の谷が海ま で連なる特徴的な地形を示している(図1B) 。平野部は河口周辺に限られ, 図1 国東半島宇佐地域の位置と景観 A:大分県北東部に位置する国東半島宇佐地域。宇佐市,豊後高田市,姫島村,国東市,杵築市, 日出町より構成される。B:半島中心部から半島東部瀬戸内海方向を見下ろす。Aの矢印始点より 矢印方向の写真を示した。細い谷にへばりつくように人家,田畑,そして谷の最上流域にはため池 が見える。尾根付近からは,クヌギ林を中心にした広葉樹林が広がる。 短くて急な川が削った谷底に大部分の細い耕作地が連なる典型的な中山間地 である。平均の年間降水量は1400mm 程度であり,地域全体が降水量の少な い瀬戸内海式気候である。また,地域内では,明治時代から植林され続けて きた広大なクヌギ広葉樹林が維持されており,萌芽更新による循環型森林利 用が大規模に行われている。その中心にある生産活動が原木シイタケ生産 であり,シイタケ生産農家は,クヌギ広葉樹林の維持管理から,原木シイタ ケ生産そして収穫したシイタケの乾燥までを行い十分な生計の糧を得ている。 原木シイタケ生産農家が,クヌギ広葉樹林を循環的に利用することにより, 図らずも,厚い A0層を持つ褐色森林土壌の生成を促すことで,少ない降水 1 はじめに ( 3 ) を涵養できる森林作りに寄与してきたのである。また,このような地形的そ して気候的特徴のために,この地域の水田農業経営は非常に困難であったこ とは間違いなく,古くから多くのため池が造営され,現在でも1300程度のた め池が適正に維持されており1),その現在的価値も再認識され始めている2, 3)。 歴史的にはこの地域は,国東半島北西に広がる宇佐平野にある宇佐神宮 が8世紀より多くの荘園を支配し半島内に新田の開発を推し進めた地域で あり,多くの荘園が山間に点在していた。そのような荘園景観は,戦後の 圃場整備事業で日本中からほとんど失われてしまったが,豊後高田市田染地 区は,住民の多大な努力により14世紀前半からの土地や集落利用形態が当時 のまま残されており,平成22年には文化庁より, 「田染荘小崎の農村景観」 として国の重要文化的景観に登録されていた。このような特徴的な農業シス テムを育んできた国東半島宇佐地域が,2013年5月,国際連合食糧農業機関 (FAO)より,世界農業遺産に認定されたのである1)。 世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems -GIAHS)とは, 「近代工業化が進むなかで,失われつつある伝統的な農法 や農業技術をはじめ,生物多様性が守られた土地利用や美しい景観,農業と 結びついた文化や芸能などが組み合わさり,ひとつの複合的な農業システム を構成している地域をさします。そうした地域のシステムを一体的に維持し, 次世代に継承していくことが,世界農業遺産認定の目的です」4),と武内和 彦(国連大学上級副学長,東京大学国際高等研究所サステイナビリティー学 連携研究機構長・教授)氏が著書の中で述べているように,一次産業に携わ る我々農林水産業者が日常の生産活動を送りながら地域に特徴的な生産シス テムを維持発展させながらその重要性を世界に発信していく重要な認定制度 であり,FAO が2002年に提唱したプログラムである。農林水産省広報誌 aff 5) (あふ) には,2013年に認定された静岡県掛川地域,熊本県阿蘇地域そし て大分県国東半島宇佐地域の特集が掲載されており,世界農業遺産の意義が 広く広報されている。2014年8月現在,2011年に認定された,新潟県佐渡地 域,石川県能登地域を含め,13カ国31地域が認定されている。また,2014年 ( 4 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 3月には農林水産省内に世界農業遺産専門家会議が設置され,10月には日本 の新たな3候補地が選定された6)。 世界農業遺産の提唱者の一人で,現在世界農業遺産基金総裁のパルビス・ クーハフカン氏は,著書中で,「動的な保全が先導的な世界農業遺産の行 動規範である。過去を尊重し,博物館のように貴重な農業現場を保存する よりもむしろ,世界農業遺産では,農と文化を包含する総合的なビジョン の下で農林水産業システムの未来像を計画し,それを進化させていくこと を歓迎する」7)(林 浩昭日本語訳)2) と述べた後に,世界農業遺産アンデ ス農業(ペルー)の例を引き合いに出し,「To Andean farmers, diversity - of products, variety, activities - is the best guarantee of survival and permanence. To Andean product consumers, diversity is a feast of flavor and health. That’ s why GIAHS works to connect them all.( ア ン デ ス の農民にとって,農産物,品種(バレイショ) ,そして生産様式が多様 であることにより,生存そしてその永続性が最大限に保証される。アン デス農産物の消費者にとっては,生産物が多様であることは,様々な香 りを楽しむこともできるし豊かな健康を享受することにもつながる。だ から,GIAHS プログラムは,双方をうまくつなぐことができるのです。 (日本語訳 林 浩昭) 」7) と強調している。まさにこの点こそが,世界農業 遺産プログラムを活用した地域再生の核心となるべき地域のありかたであろ う。 国東半島宇佐地域では,尾根にあるクヌギ林からため池を経て小さな川を 通って瀬戸内海干潟まで続く水やミネラルの循環に裏打ちされた多様な農林 水産物が生産されている。乾シイタケなどの林産物,コメやシチトウイなど の水田作物,瀬戸内海気候を最大限利用した果樹(ミカン,カボス,ブドウ, キウイフルーツなど)や野菜(小ネギ,白ネギ,バジルなど),高度な施設 園芸(温室ミカン,小ネギ,イチゴ,バラ,キクなど),城下カレイ,クル マエビ,ワカメなどの豊富な海産物などである。パルビス氏が指摘するよう な多様性あふれた一次産業がこの地域には継承されており,更には一次産業 2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 ( 5 ) とともにある生物の多様性が守られているのである。 この小論文では,この地域に独特の特用作物であり,江戸時代からこの地 域に大きな富をもたらしてきたシチトウイに焦点をあててみたい。シチトウ イは,イネ目カヤツリグサ科の植物であり,畳表や筵(むしろ)の原草とし て栽培されてきた貴重な植物であるが,現在の国内栽培地は国東半島のみに なってしまっている。農業用の水が限られたこの地方において,水田で栽培 するシチトウイが,なぜ日本で最後の栽培地になるまで生きながらえてきた のか。今まさに農業の六次産業化が叫ばれ,地域再生が強く議論され始めた この時期に,2014年9月17日現在,わずか1ha まで栽培面積が減少してし まったシチトウイ産業の栄枯盛衰を調べていくことには大きな意味があると 考えている。そしてそこには,日本という国の生活様式の変化とともに試験 研究機関が地域産業の発展に貢献してきた歴史を見ることができる。特に土 壌肥料学的研究がシチトウイ産業の基盤になってきたことを明らかにしてい きたいと思うが,このことは土壌肥料学的研究がこれからの地域農業に果た す役割についても示唆を与えてくれるはずである。 2. シ チ ト ウ イ の 作 物 と し て の 特 徴 と 栽 培 シチトウイは,2m近くまで成長することができる三角形の茎を持つ珍し い植物である。トカラ列島から江戸時代に大分県内に伝わり8) その後日本 各地で栽培されたとされているが,平成5年以降は大分県のみで栽培され9), 現在では県内でも国東半島が国内唯一の生産地になってしまっている。 江戸時代の日本を代表する農学者の一人大蔵永常(1768-1860,豊後国日 田郡生まれ)は,その著書「廣益国産考」三之巻の中で, 「席草 七嶋藺と もいふ」10) として,農民そして藩財政に富をもたらす作物としてのシチト ウイを詳しく紹介している。主産地として豊後国(大分郡,府内城下,速見 郡,日出城下,杵築城下,國東郡)を挙げ,また,稲作が困難な深田にたく さんの肥料を施して栽培すると多くの収量が有り利益が上がる10) と述べて いる。農家自身が栽培から加工までを手掛け,少ない面積で高収益を上げる ( 6 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ ことができる作物として江戸時代から重宝されていたことがわかる。図2 図2 生育中のシチトウイ A:大蔵永常のスケッチ10)。B:真夏,収穫直前のシチトウイ。C:水耕栽培のようす。D:Cの 根部拡大図。水耕液の組成:ハイポネックス原液(New レイシオ6-10-5, ハイポネックス ジャパ ン)3ml,メネデールやさい肥料(原液6-6-6-1+鉄,メネデール株式会社)1ml を15L水道水に 加え,pH 調整剤ダウン(MAXIMUM GROW pH DOWN,水耕栽培どっとネット)で pH を4.9に 調整。2週間に一回交換。 のAには永常のシチトウイのスケッチ10),Bには水田で生育中のシチトウ イ,Cには水耕栽培により栽培されたシチトウイ,そしてDにはCの根部拡 大図を示した。旺盛な成長の特徴がよく現れており,真夏の水田では,1.5 mを超えて成長している。図3は,短日条件下で形成されるシチトウイの 花 とその雄しべ拡大図 を示した。通常の栽培条件では,花が形成され る前に収穫が行われるが,花序が形成されても気温の低下により不稔とな り,大分県内の圃場では発芽する種子は全く得られない11)。図4Aは,1m 近くに伸びた一本のシチトウイを下から約17cm ごとに切断し並べたもので ある。一番基部のa部分では,二枚の葉鞘と葉身(ハカマと呼ばれる)の間 から茎が伸びている。一番上のf部分では,先端に数枚の苞葉が形成されて いる。また,それぞれの切断面を左に示し,その拡大図を図4B(a,b),C (c,d) ,D(e,f)に示した。それぞれの茎の切断口の拡大図には,三角形の茎 の様子がよく現れているが,上部のeやfの部分では,茎内部の細胞には中 身が蓄積されておらず三角形が内側に歪んでいる。一番下の基部の切断口よ 2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 ( 7 ) 図3 シチトウイの花序と雄しべ A:シチトウイの花序。B:開花した花の雄しべ拡大図。目盛りは1mm. 図4 シチトウイの地上部と断面の写真 A:1mに生育した地上部をおよそ17cm ごとに切断し基部から並べた(a→f)。また,その断面 を示した。茎の最下部切断面より,ラック赤色素(2g/L水耕液)を24時間吸収させた後に切断。 B:それぞれの切断面の拡大図。目盛り間隔は1mm. ( 8 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ りラック赤色素(2g/L水耕液)を24時間吸収させた後に切断しているため に内心部にある多数の維管束が染色されており,これらが通導組織として機 能していることが確認された。シチトウイの茎は,表皮および葉縁組織 維 管束および保護組織,網状柔組織からなるとされているが11),図5には,西 図5 シチトウイ茎の断面スケッチ(1949年西川五郎による12)) 括弧内の文字は,林浩昭が書き入れた。表皮のすぐ内側,すなわち葉縁組織の外側に小硬膜細胞 束が点在し,葉縁組織の内側に比較的大きな硬膜細胞束が散在し,さらに内心部に散在する各維管 束は多数の硬膜細胞に囲まれている。 川五郎によるシチトウイ茎の詳細なスケッチ図12)を引用した。表皮内側に 存在する葉縁組織の外側にある小硬膜細胞束,内側にある比較的大きな硬膜 細胞束,そして内心部の維管束周辺にある多数の硬膜細胞が,シチトウイに 繊維作物として強靭さを付与していると考えられている11, 12, 13)。実際,イグ サにくらべ表面が少し荒い感じの畳表になるが,曲疲労強度と摩耗強度はイ グサの5∼6倍と耐久性に富み,またイグサの2倍以上の耐焦性も確認され, 吸湿性や耐熱性にも優れていることが確認されている11)。香り豊かな国産琉 球畳として首都圏を中心に引き合いは非常に旺盛である。 シチトウイは地下茎で増殖する宿根性の作物である。現在では,収穫後の 株をそのまま残し,翌春株から出てきた新芽を掘り起こし新たな苗として5 月に水田に田植えする。地下茎の根帯よりはまず葉がでてきてその葉鞘の中 から地上茎が伸長してくるが,その成長点は地下茎の最先端にあり茎を押し 2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 ( 9 ) 11) 上げるように成長してくる 。梅雨期以降伸長最盛期には,茎の伸長はとて 図6 シチトウイ伸長部位の特定 A:基部より5cm 間隔で白シールはり,24時間の伸長を観察。下2枚のシールは葉鞘の上。 B:同一個体の葉鞘をはぎ取り,茎のさらに基部での33時間の伸長の様子を観察。 も旺盛で一日に5∼10cm も伸びるとされている11)。その伸長の様子を改め て観察してみたのが図6である。水耕栽培されたシチトウイの地上茎基部 の伸長程度をみたものであるが,葉鞘や茎にシールを張り,その24時間の動 きを写真で示した。Aでは,下から2番目の印と3番目の印の間が,24時間 で5cm 広がっていることが観察できる。葉鞘の間から地上茎が押し出され ている様子がよくわかるが,葉鞘や茎の他の部位は伸長していない。さらに, 翌日に同一個体の葉鞘を剥き,地上茎最下部からの伸長の様子を調べてみた (図6B) 。33時間経過後,最下部が5cm 伸長していることが分かる。この ような地上茎最下部が伸長し茎を押し上げていく性質は栽培上重要である。 シチトウイの収量を上げるためには,次々に出てくる茎をある程度太さや長 さがそろった形で収穫することが必要である。そのために,1.4m以上にな った地上茎を1.3m程度に切りそろえる梢切り(うらきり)作業を数回行な うことで,生育のそろったしかも地上茎の充実したシチトウイを最終的には 1.5m程度の長さで収穫することができる。このような栽培管理は,地下茎 ( 10 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ から地上茎が押し出されてくる性質があるからこそ可能となるのである。 図7は,昭和40年代頃のシチトウイ畳表生産までの様子を,平成23年∼ 図7 シチトウイ栽培から畳表織りまでの作業過程(1960年代の再現) A:植え付け(6月) ,B:収穫前のシチトウイ(7月) ,C:鎌で収穫(8月) ,D:割台での分 割作業(8月) ,E:天日乾燥(8月),F:半自動織機により畳表織りの作業。 26年に再現したものをまとめたものである。普通期のイネの田植えよりも 前(5∼6月)に,昨年の株から伸びてきた苗を堀り上げ水田に植え付ける 。水が多く必要な時期は植え付けてから2週間ほどで,その後は間断灌漑 を繰り返しながら,むしろ深水による根腐れに注意しながら水管理を行って いくが,少ない灌漑水を稲作に重点的に使うためにも水の需要期が重ならな い点が重要である。肥培管理を確実に行い,また最も重要な病害であるべっ 甲病に注意しながら,7∼8月の収穫期を迎える(B,C) 。収穫後はすぐに, 針金を張った木作りの道具で茎を2分割していく 。シチトウイはイグサに 比べ太く三角の茎を持つために,そのままでは畳表に織りあげることが難し いからである。最後に,天日乾燥 に織り上げていくのである した原草を農閑期に半自動織機で畳表 。江戸時代から続くこの産業は,筆者の幼少 期(1960年代)までその原型のまま継承されていたことに驚きを覚える。そ 2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 ( 11 ) の後1970年代に入り,分割作業,乾燥過程は機械化され,収穫作業が天候に 大きく左右されることはなくなった。半自動織機は今でも使われているが, 2014年になってイグサ畳表用の全自動織機がシチトウイ用に改良されつつあ る。 図 8 は, シ チ ト ウ イ 栽 培 上 主 要 な 病 害 で あ る べ っ 甲 病( 病 原 菌: 図8 重要病害であるべっ甲病の病徴 A:健全茎⒜からべっ甲病徴が激しくなるように(b∼f)で茎を並べた。⒢は健全苞葉,⒣はべ っ甲病に冒された苞葉。B:断面の拡大図。⒤は病班部位,⒥は健全部位。目盛りは1mm。 (Ideta)S. Ito)の病徴を示したものである。図8Aに は,健全茎⒜から病徴が激しくなる茎(b∼f),健全包葉⒢と罹患包葉⒣を 示した。病徴が激しくなると,べっ甲様の茶色模様が全体に広がり,最終的 には病徴より上部が枯れてしまう。図8Bには,病徴部分⒤と健全茎の⒥の 切断面を示した。病徴が茎の内部まで侵入し大部分の維管束を覆っている様 子がわかる。激しい病徴では,その上部が枯れ上がるが,茎の一部に病徴が 現れただけでも畳表の原草としては使用できず,栽培農家には恐れられた病 害であった。栽培管理や薬剤の研究が進み,最大の懸念材料であったこの病 気もようやくコントロールできるようになってきている14)。 図9は,大分県でのシチトウイ栽培面積の変遷をまとめたものである。そ れとともに大分県の試験研究機関の編成,とりわけシチトウイ関連の研究 ( 12 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 図9 大分県でのシチトウイ栽培面積と研究指導機関の変遷 1892年∼1979年( 阿 南 正・ 前 田 哲 夫・ 本 多 公 司(1980)15)),1975年∼1994年( 農 林 水 産 省 (1995)9),1994年∼2005年(大分県農林水産部(2007)16))および2006年∼2014年 大分県東部振 興局調べ(未発表)をまとめてグラフ化した。1975年から2014年までは縦軸の拡大図を囲みにいれ た。上部には,大分県の農業関連研究機関の変遷39)を,2列目1933年より2000年まではその中でも シチトウイ関連研究機関11, 19, 39) の変遷を示した。 施設の変遷を時代ごとに書き入れてある。大分県内での栽培面積は,最大 1600ha を越えたが,第二次世界大戦時の食糧増産(コメにシフト)や人手 不足のために,400ha まで落ち込んだ。その後農家の換金作物としての地位 を取り戻したが,1960年以降は,高度経済成長に伴う生活様式の欧米化によ る畳表の消費減・価格低迷により,2014年では1ha までその栽培面積は減 少している。特に夏場のつらくてしかも天候に左右される天日干し作業など が畳表の価格に見合わなかったことから,農民はシチトウイのことを「貧乏 草」17), 18) と呼び始め,新たな現金収入作物であるミカンなどの栽培に切り 替えていったのである18)。また,シチトウイの多くが川沿いの深田で栽培さ れており,1941年の大水害で優良シチトウイ田が消失したこと17),1961年の 大水害においては災害復興の土木作業に従事する人が急増したこと18),大分 県内の主要産地であった大分地方の水田が,新産業都市建設指定による大分 鶴崎臨海工業地帯造成で失われていったこと19),1970年代から国東半島で始 2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 ( 13 ) まった国庫事業大規模区画整備による水田の乾田化や大規模化が図られシチ トウイの小規模家族経営が難しくなったことなどが,シチトウイ栽培面積減 少の要因であると考えられる。さらに,1965年代頃よりの中国四川省でのシ チトウイ栽培の開始そして高品質畳表の逆輸入18, 20) は,大分県とりわけ国 東地方のシチトウイ栽培農家に決定的な脅威となったに違いない。 そのような厳しい状況下にあっても,現在まで国東半島にシチトウイ産 業が存続していることは,驚愕に値する。国東半島にシチトウイに特化し た公立の試験研究機関が,図9に示したように,1933年∼2000年まで存続 し(1933年∼1953年大分県農事試験場七島藺試験地開設(1950年大分県農業 試験場七島藺試験地に改称),1949年∼1985年藺業指導所(藺製品製織指導 所として杵築試験地内に開設,1950年に藺業指導所へ改称),1985年∼2000 年大分県農業技術センター杵築試験地)11, 19),最先端の試験研究結果をシチ トウイ栽培農家に供給し続けてきたことが重要な要因であったと考えられる。 特に,有望な品種選抜,施肥改善や倒伏防止などの収量安定化技術の開発11), 主要病害であり最大の脅威であったべっ甲病の総合防除の確立などである14)。 2000年4月に,大分県農業技術センター杵築試験地が廃止された後も,同セ ンターや大分県東部振興局によりシチトウイ栽培農家への技術指導が続いて おり,最近では,マイナー作物であるシチトウイへの農薬登録への試験研究 が農家の圃場を利用しながら続けられている。 図10を見てほしい。国東半島の中央部にある国東市安岐町両子地区の1975 年と2013年の航空写真図である。両子地区においては,1975年頃まで維持さ れてきた古来からの水田形状が,それ以降区画整理され,20a程度の近代的 水田に整備されてきた。この圃場整備過程では,灌漑水路や排水口も整備さ れ水田の水管理が自由に行うことができるようになった半面,シチトウイ栽 培に適した深田が消失してしまった。1975年と2013年の写真を注意して比較 してみると,水田の形状が整備され一枚一枚の面積が大きくなったことと, 小さな支流にへばりつくように開墾されていた棚田がほぼ失われてしまった ことが分かる。それら支流上流にある小さなため池や数キロ上流からの水路 ( 14 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 図10 国東半島中心部の土地利用の変遷(国東市安岐町両子付近) A:1975年2月24日 航 空 写 真(CKU748 C16C-15) B:2013年 1 月12日 の 同 じ 場 所 の 航 空 写 真 (CKU20122X C2-29) 。いずれも,国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより。 が水の供給源であったが,いずれも現在は使用できないほど朽ちてしてしま っている。どのような形で水田農業を後世に伝えていくかに関して,この地 域と先に述べた田染荘小崎地区での耕地利用の変遷過程を比較することは, 地元住民の合意形成過程に関する社会学的研究にとっても重要な示唆を与え るものと思われる。 3 . シ チ ト ウ イ 生 産 の 歴 史 と 経 営 シチトウイに関しては,江戸時代から注目され研究普及されてきたことは 先に述べたが, 「廣益国産考」10) によれば,元肥としてよく発酵させた人糞 を,梅雨前に追肥として人糞尿,油粕あるいは干鰯粉を1反当たり銀30∼40 目分,さらに土用前に同様の追肥をすることが記されている。イネと違い, 肥料を多く入れた方が良いできになるとされた。このころの1反あたりの収 量は,筵にして600枚であり,代金として銀900目であり,税金(銀250目) 3 シチトウイ生産の歴史と経営 ( 15 ) 10) 「利 や肥料代銀80目を除くと銀570目の利益になるとされている 。しかし, 分多きやう見ゆれども,作り方の手間織手間ハミな家内打よりすることなれ ば,其働き大ひなり,然れども米をつくるより勝手宜しきとてつくるものあ れど,一概にも論じがたし」10) とし,高収入を得るためには家内労働で長 時間かけて筵まで生産する必要があること,単に収入だけでなく労働時間の 多少を考慮することなど,現在でも重要な点が当時既に指摘されている。 国東半島住民に対する民俗学的聞き取り調査17, 18) が大学の研究者により 最近行われているが,その中に昭和時代のシチトウイ栽培の様子が詳述され ている。昭和初期にはすでに,魚の締め滓や油滓と化成肥料を混合したシ チトウイ専用の肥料である七島肥料が用いられていたことがわかる17)。また, 除草のために田植え後に麦藁を敷き詰めること,収穫後に有機物を大量に敷 き込むことなどにより,必然的にシチトウイ田の地力は高まっていったと考 えられる18)。 1969年第7回農業祭受賞者(農産園芸畜産部門)である大分県東国東郡国 東町C.K. 氏の農業経営状況が報告されているが,そこには1960年代のシチ トウイ栽培を含む国東半島の典型的な農業形態が詳述されている21)。水田で は,夏場に水稲とシチトウイ,そして肉用牛のための飼料作物がその裏作と して冬に栽培され,少ない水を効率的に利用しながら,限られた労働力を 最大限に生かしてきた様子がよく描かれている。また,ちょうどこの頃より 新たな現金収入の道として,シチトウイ栽培から国営パイロット事業でのミ カン栽培へのシフトが起こり始めていることがわかる。15aの水田にシチト ウイを栽培し,820枚の畳表を生産し453,750円(当時)の売り上げ,70aに 作付けされた水稲からは,63俵(60kg/俵)収穫され,497,750円の売り上げ であり,シチトウイが小面積から大きな現金収入を得ていたことがわかる21)。 ただ,真夏の収穫時期の労働分配の難しさ,冬場の畳表の織り作業の時間の 長いことなど,問題点も考えられる。 大分県が1995年調査したシチトウイ栽培の経営指標が公開されているが22), それによるとシチトウイ栽培10a当たりの販売額は,1,575,000円(350枚の ( 16 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 畳表を生産,一枚の単価は4,500円当時),堆肥や硫安などの肥料代は10,659 円(当時) ,労働時間は,年間1,098時間に及んでいる。その中でも,8月∼ 9月の収穫・乾燥作業に420時間,9月から翌年の3月までの畳表製織作業 に503時間がかかるとされている。現金収入の道としては優れているが,こ のような長時間のつらい作業にこの地方の人々は耐えてきたともいえる。少 年期を国東半島宇佐地域で過ごしたいわゆる団塊の世代の人々は,その多く がシチトウイ畳表の収入で大学への進学を果たす事ができたことも事実であ る。多くの国東半島出身者が幼少期の思い出の一つにつらい夏場のシチトウ イ収穫作業を挙げる点から23),筆者は,これからのこの地域の一体性形成に シチトウイの果たす役割が非常に大きいのでは考えている。 4. シ チ ト ウ イ に 関 す る 土 壌 肥 料 学 的 試 験 研 究 江戸時代においては,日本各地特に豊後国においてシチトウイの栽培が奨 励され,したがって,農民への栽培管理や畳表生産の指南書が大蔵永常によ り編纂されたものと思われる。 明治以降昭和初期にかけても,シチトウイは大分県に限らず日本各地で研 究対象となってきた。 特にその主要病害である疫病,べっ甲病の克服に向けた 24-30) 病理学的研究の歴史は古く, 「本邦に於ける植物病害に関する文献目録」 によると,特用作物の病害に関する事項に挙げられている明治初年から昭 和4年までの740文献のうち22編がシチトウイ関連の研究報告となっている。 桑,煙草,茶,甘藷などとともにシチトウイ(七島藺)が日本の重要な特用 作物としての研究対象であったことがわかる。 江戸時代より日本でのシチトウイ栽培の中心地は大分県であり,1940年で 1,368ヘクタールのシチトウイ栽培面積があり,全国のおよそ67.2%を占めて いた31)。したがって,大分県においてシチトウイに特化した試験研究の要求 が高かったと思われる。1908年に大分市東新町に大分県農業講習所が開設さ れた当初から,栽培法,施肥法,病害虫防除に関する試験研究が公立の機 関により行われ11, 19),それ以降も先に記した大分県の試験研究機関を中心に 4 シチトウイに関する土壌肥料学的試験研究 ( 17 ) 面々と試験研究が続けられてきたのである。さらに,植物栄養・肥料学的研 究として,大分県以外からは,東京大学12),近畿大学32),静岡県33, 34),広島 県35),岡山県児島湾干拓農協36) などからも研究成果が報告されている。 シチトウイに関する膨大な試験研究資料の中から,2,3の例をあげなが ら土壌肥料学分野の研究過程を振り返ってみたい。大分県国東半島で行われ た民間の研究,安岐町史37) にその全文が納められている, 「明治44年度七島 藺肥料試験の経過及び成績報告書候也」をまず見てみようと思う。この資料 発見の経過は以下のように記述されている。「西安岐村農会の反故同然たる 資料のなかに見いだし」 ,その資料の表紙には,「「郡設七島藺肥料試験報告 書」とあるを見ると,単独農会の事業としてではなく,郡農会の事業ではあ るが, ―― 」37) とされており,西安岐村中園の小股富太郎が西安岐村農会 の井上律会長宛に報告した資料である。本資料が論文として出版された形跡 は今のところ見当たらない。甲 肥料種類試験の部と乙 肥料同価試験の部 の2種類の実験が行われており,表1(実験計画)と表2(結果の一部)に その詳細をまとめ直してみた(一部,資料表中に欠落が見られるが,林 浩 昭が推定できる範囲で補った) 。甲実験では,窒素とリン酸の成分量を合わ せた肥料試験であり,10aあたり,窒素15.2kg,リン酸10.2kg,カリ1.3∼ 4.8kg 施用している。カリ成分だけを含む肥料が手に入らず,その量を合わ せることができなったと記載されている。乙の実験では,様々な肥料をその 価格が同じになるように施肥して収量や品質を比較したものである。いずれ の肥料も元肥として施用されているが,硫酸アンモニアだけは,半量元肥, のこりの半量を2回に分けて追肥している。しかも,追肥は水や砂土に混和 して施肥をしている。これは「硫酸安母尼亜を使用すれば青筵製織後色沢を 落失する」37)との噂があったようで,その使用法に注意したためであると 思われる。最後に所感として結論が述べられているが要約すると以下のよう になる。試験地は砂質土壌で有り,速効性と遅効性の肥料を混合して使用す ることの重要性,元肥一回施用よりも分肥施用の効果が大きいこと,同じ価 格でも窒素成分の多い肥料を用いるほうが経営的に有利あること示し(同じ ( 18 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 20 200 (75.6) * ** 甲第三区は,資料では抜け落ちているが,結果の表 1. 括弧内の数字は,kg/10a に換算,2. より推定し書き入れた。3. 施肥方法および時期:甲試験,第一∼第三区は,全量田植え前に施肥。 第四区は,過燐酸石灰,木灰は全量,硫酸アンモニアは半量,田植え前に施肥。植え付け後30日 目に硫酸アンモニア1/4量追肥(約270Lの水に溶かして) ,植え付け後56日目硫酸アンモニア1/4追 肥(容積2倍強の砂土に混和して)。乙試験,第一区は,半量田植え前に施肥,植え付け後30日目 に1/4量追肥(約270Lの水に溶かして) ,植え付け後59日目に1/4追肥(容積2倍強の砂土に混和し て)。第二∼第四区は,全量田植え前に施肥。第六区は,鰊粕は全量田植え前に施肥。食塩は,植 え付け後40日目に施肥(乙試験第五区に関しては,資料に言及なし)。 1. * 良藺量()内の数字は kg 換算,いずれも乾物。2. ** 長さ()内の数字は cm 換算。3. 総価 格には畳表に使えない原草(撰出イやクゼ)の価格を含む。 4 シチトウイに関する土壌肥料学的試験研究 ( 19 ) 価格では鰊粕や菜種油粕の窒素含有量は,大豆油粕や硫酸アンモニアの半分 程度) ,鰊粕や菜種油粕よりも大豆油粕や硫酸アンモニアなどの人造肥料の 有利性を見いだしている。有力な指導者がいたと思われるが,考え抜かれた シチトウイの肥料試験が,1911年(明治44年)当時,農家自身により実施さ れていたことに驚きを覚える。 次に,大分県農事試験場より投稿され1938年日本土壌肥料学会誌に掲載さ れた「七島藺の肥料に就いて」38) について少し触れてみる。さまざまな化 学肥料を用いた三要素試験と食塩施肥の効果,当時使用可能であった有機質 肥料をもちいた有効性試験,土壌 pH を調整したポットでのシチトウイの土 壌 pH 反応性の試験結果が報告されている。⑴三要素 + 食塩区は,品質の 良い大茎の収量増,⑵三要素 + 石灰区では,石灰過剰による生理障害によ る減収,⑶硫酸アンモニアのほうが塩化アンモニアより窒素肥料として優れ ている,⑷無機質の窒素肥料とりわけ化学肥料の窒素吸収率や増収率が有機 質肥料に比べて高いこと,⑸ pH6.2∼6.7が生育に最適で,3.7以下,8.7以上 では収穫できなかったこと,などを報告している。 「経済的に見て品質など の点を考慮するときに自給肥料に安価な無機態窒素を配合するのが合理的」 38) と訴えている。また,大分県の標準配合七島藺肥料として鰯粕1.3貫(1 貫は3.75kg) ,硫酸アンモニア5.0貫,強過燐酸石灰2.7貫,塩化カリ1.0貫の割 合で混合し,これを反あたり5叺(1叺は37.5kg)施肥し,さらに堆肥300貫 を施肥すること38) を提唱している。 上記の研究も含め,大分県では,1908年農事講習所が開設され(栽培法, 土壌肥料,べっ甲病の発生生態と防除技術) ,農事試験場七島藺試験地(品 種改良,栽培法,病害対策,土壌肥料,跡地利用,加工),藺業指導所(品 種改良,生理生態ならびに栽培法,病害虫の防除と農薬の実用化,作業の 機械化,製織加工技術,新製品の開発,中核農家育成のための訓練生の養成, 栽培農家の技術指導),農業技術センター杵築試験地(シチトウイおよびイ グサの試験研究全般と畳表格付け業務)で2000年まで継続的に試験研究が 行われてきており,その内容は,試験研究全般11, 19, 39),べっ甲病克服関連14) ( 20 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ の文献によくまとめられている。また,実際の実験値などの詳細は,上記の 4文献の引用資料から辿ることができる。 特に土壌肥料に関連する試験研究11) のみ抜き出してまとめてみると以下 のようになる。⑴土壌酸度とシチトウイの生育,収量,品質との関係(シチ トウイは酸性に強い作物で,pH4付近でも生育できる) 。⑵土質とシチトウ イの生育,収量,品質との関係(殖壌土が最適。グライ土より排水のよい 水田が好適。EC は生育期間中0.2∼0.3mSを維持)。⑶シチトウイの収穫期乾 茎における成分(N 0.97%, P2O5 0.44%, K2O 1.61%, CaO 0.52%, MgO 0.37%, SiO2 1.8%, Na2O 1.33%) 。⑷肥料の3要素の効果(窒素の肥効が最も高く茎 の伸長と分げつに不可欠) 。⑸3要素の適量と施肥法(適量は,窒素成分3.8 ∼4.3kg/a,リン酸成分1.7∼2.1kg/a,カリ成分2.7∼3.2kg/a)。⑹シチトウイ 生育期間中の要素含有率吸収量および吸収パターン(施肥量に対する吸収率 は,窒素40∼60%,リン酸46∼50%,カリは施肥量を超えて吸収)。⑺窒素 質肥料の種類とシチトウイの生育,収量,品質の差異(収量は,速効性肥料 が,品質は,遅効性肥料が優る) 。⑻基肥の施肥法がシチトウイの生育収量 に及ぼす影響(耕起前,荒代前の全層施肥が効果的) 。⑼シチトウイに対す る食塩の施用量と生育の関係(シチトウイの耐塩性は強い。食塩23kg/a 施 用までは生育良好) 。⑽食塩施用量とシチトウイ収量,品質の差異(適量は 3∼6kg/a,それ以上は品質低下) 。⑾海水の施用がシチトウイの生育,収 量,品質に及ぼす影響(食塩が不足した時代,海水180L/a を分げつ期2回, 伸長期2回施肥により,生育および品質が向上) 。⑿石灰施用の効果(定植後 一週間9kg/a 施用で除草効果あり,しかし品質収量ともに低下する。) 。⒀除 草用の石灰施用とシチトウイの生育,収量,品質の関係(一般的除草目的施 用(20∼30kg/a)では茎の伸長不良,べっ甲病多発,品質収量ともに低下 する) 。⒁シチトウイに対するけい酸,石灰,苦土の効果(炭カルは悪影響, けい酸は,生育,収量,べっ甲病耐性などに効果無し。土壌 pH を上げにく い苦土肥料が効果あり) 。⒂シチトウイの農畜産処理物の施用限界(限界は, 乾燥牛ふん300kg/a,乾燥豚ぷん200kg/a,乾燥鶏ふん45kg/a,ナタネ粕30 4 シチトウイに関する土壌肥料学的試験研究 ( 21 ) kg/a,籾殻200 kg/a 程度) 。 これらの初期から綿々と続く研究に基づき,1998年には最終的な指導書で ある「七島いの栽培・加工の手引き」22) が編纂され広く普及活動に活用さ れている。さらに,シチトウイの試験研究機関が2000年に廃止された後も, シチトウイ栽培講習会は県東部振興局により継続されており,数軒まで減っ てしまった農家の生産活動を支援し続けている。上記のような大分県での研 究成果の普及が,国東半島のシチトウイ農家を勇気付け,ここでのシチトウ イ産業存続の大きな基盤になってきたものと考えられる。 2010年には,くにさき七島藺振興会が,栽培農家,大分県,国東市,流通 業者,JA,畳業者,工芸品工芸士などにより結成され,シチトウイ生産の 継続,新規就農者の発掘や支援,試験研究,宣伝活動,畳表織り手や工芸品 工芸士の育成,工芸品の提案など多岐にわたる活動が展開され始めている。 世界農業遺産の中でのシチトウイの位置づけは重要であり,江戸時代から続 く六次産業の典型的な例,ほとんど失われてしまいそうな産業の復活の例, 小面積の水田をうまく活用する例,少ない水と限られた労働力を稲作と分け 合いながら行っていく例,などとして大きな注目を集めるようになってきて いる。 かつてこの地で農協長を務めた青木繁(1893∼1985)は,その著書「林想 樹心」40) の中で,自転車を飛ばしながら彼自身がおこなってきた戦後のシ チトウイ農業改良普及活動について記している。栽培適期を考慮すること, 熱帯作物であるシチトウイの特性を利用すること,など細かな指導を行って いたことがわかる。多くの先人に支えられ受け継がれてきたシチトウイ産業 が,世界農業遺産認定を機に,未来に確実に継承され同時に新たなイノベー ションが起こることを願ってやまない。 5. 終 わ り に 国東半島宇佐地域での貴重な作物であるシチトウイの栽培の様子や土壌肥 料学的試験研究について述べてきたが,今回調べてきた文献はシチトウイ関 ( 22 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 連研究のごく一部である。シチトウイの育種,栽培管理法,病害虫防除,畳 表製造,機械化,経営調査,などなどありとあらゆる試験研究が大分県の研 究者により綿々と行われてきており,その集大成が,現在のシチトウイ産業 に凝縮されているのである。また,シチトウイの養分吸収様式,成長や花成 過程,植物体元素組成,乾物生産量,施肥量,栽培様式,などは,同じ水田 に作付されるイネとは大きく異なり,新たな土壌学や植物栄養学的研究の対 象植物としても魅力的である。さらに,2mにもなる均一な三角形の地上茎 は,篩管や導管内の物質や情報伝達物質の移動などの研究を行う上でも理想 的な実験材料になると考えられる。シチトウイのマイナー作物としての注目 度も上がりはじめており,栽培農家の支援はもとより,多くの若者や研究者 がシチトウイ産業の復興に携わってくれるよう,国東半島宇佐地域から情報 発信を続けていく覚悟である。 世界農業遺産の認定基準は, 「食料及び生計の保障」, 「すばらしい景観及 び土地・水管理の特徴」, 「文化,価値観及び社会組織(農文化)」, 「知識シ ステム及び適応技術」 ,そして「生物多様性及び生態系機能」の五つである。 認定地域はアクションプランを作成し,それらの基準を勘案しながら世界農 業遺産の発展に努めているところであるが,多くの研究者が認定地域に興味 を抱いていただき研究対象として認定地域の一次産業の発展に繋がる基礎的 な研究やフィールド研究に取り組んでいただけることを切に願っている。生 物多様性を考慮した農林水産業の有り方を探る研究では,生態学者に加えて, 土壌肥料学者の研究も重要であり,特に国東半島宇佐地域の世界農業遺産の 主要テーマである“農林水産循環”では,多くの重要な研究が展開されうる。 広葉樹林での土壌生成過程や物質循環は,この地域の一次産業が継続してい く上で最も基本的な関心事項であるが,最近でも世界中で基礎研究が続いて いる分野41) であり,新たな発見がこの地からなされることを望んでいる。 最後に,貴重なラック赤色素を提供いただいた大分大学教育福祉学部准教 授 都甲由紀子氏,直近のシチトウイ栽培面積のデーターを提供いただいた 大分県東部振興局,文献の収集に協力いただいた大分県教育委員会,大分県 引用文献 ( 23 ) 農林水産研究指導センターおよび住友化学株式会社開発・マーケティング部 顧問(元大分県農林水産研究センター長)挾間 渉氏,本投稿の機会を与え ていただいた公益財団法人肥料科学研究所常務理事 尾和尚人氏,本稿の校 閲を行ってくれた林泰子(妻)に深く感謝申し上げる。 引用文献 1) 国東半島宇佐地域世界農業遺産推進協議会:世界農業遺産「クヌギ林とた め池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」∼森の恵み しいたけの故 郷∼,http://www.kunisaki-usa-giahs.com/(2014) 2) 林 浩昭:世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農 林水産循環」の価値と未来 都市と農村をむすぶ,753(7月号):34-43 (2014) 3) Kazem Vafadari Tameike Reservoirs as Agricultural Heritage: From the Case Study of Kunisaki Peninsula in Oita, Japan. ,4:220-230(2013) 4) 武内和彦:世界農業遺産 ―注目される日本の里地里山,祥伝社(2013) 5) 農林水産省:aff(あふ)7月号 特集1守っていきたい,次世代に伝え たい ようこそ!世界農業遺産へ(2013) ,http://www.maff.go.jp/j/pr/ aff/1307/spe1_01.html 6) 農林水産省:世界農業遺産(GIAHS),世界農業遺産専門家会議(2014 年10月20日 開 催 ) ,http://www.maff.go.jp/j/press/nousin/kantai/141021. html 7) Parviz Koohafkan and Liana John Food and Wisdom:Sustaining our future by harvesting Diversity. Roma, Italy:FAO/GIAHS(2013) 8) 杵築市誌編集委員会:杵築市誌,本編(2005) 9) 農林水産省:い・七島いの関する資料(1995) ,http://www.library.maff. go.jp/archive/Viewer/Index/001475375_0001 10) 大分県教育委員会:大分県先哲叢書,大蔵永常,資料集第三巻(2000) (底本 廣益国産考 大蔵永常 筑波大学附属図書館蔵・ヒ000−368) 11) 大分県農業技術センター:研究資料第7号,大分のシチトウイ ―試験研 究編―(1991) 12) 西川五郎:七島藺の栽培に関する研究,日本作物学会紀事,18:173-176 (1949) 13) 西尾康三:組織化学によるイグサ,シチトウイの比較,日本作物学会紀事, ( 24 ) 世界農業遺産「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」での重要特用作物シチトウイ 61:147-148(1992) 14) 冨来務,藤川隆,本田公司,岡留善次郎,佐藤俊次,菅澤栄児,河野信 人:シチトウイべっ甲病の発生生態と防除に関する研究,大分県農業技術 センター研究報告,26:21-86(1996) 15) 阿南正,前田哲夫,本多公司:藺業30年のあゆみ―大分県藺業指導所設立 30周年記念誌(1980) 16) 大分県農林水産部:特用農作物データブック(2007) 17) 段上達夫: 「行入地域の民俗」第3章 経済1農業,p66-83,国東町歴史 民俗資料館(1993) 18) 武蔵大学人文学部日本民俗史演習:大分県国東半島,武蔵町の民俗 (2006) 19) 大分県農業技術センター:大分県農業技術センターのあゆみ,試験研究80 年のあしあと (1987) 20) 大分県農業技術センター水田利用部:七島い栽培講習会,資料(2000) 21) 財団法人日本農林漁業振興会:第7回 / 農業祭受賞者の技術と経営,116125(1969) 22) 大分県:七島い栽培・加工の手引き(1998) 23) 林 浩昭:ゆるやかな帰郷,国東高校東京同窓会「両子山」vol.57(2014) http://homepage3.nifty.com/kunisaki-hayashi/kunisakipdf.pdf 24) 西門義一,松本弘義:本邦に於ける植物病害に関する文献目録(1910年以 前),農学研究,21:473-542(1933) 25) 西門義一,松本弘義:本邦に於ける植物病害に関する文献目録(1911-20 年),農学研究,19:395-468(1932) 26) 西門義一,松本弘義,菅原 一:本邦に於ける植物病害に関する文献目録 (1921-25年),農学研究,12:91-159(1928) 27) 西門義一,松本弘義:本邦に於ける植物病害に関する文献目録(1926年) , 農学研究,11:132-168(1927) 28) 西門義一,松本弘義,菅原 一:本邦に於ける植物病害に関する文献目録 (1927年),農学研究,12:160-189(1928) 29) 西門義一,松本弘義:本邦に於ける植物病害に関する文献目録(1928年) 農学研究,14:470-505(1930) 30) 西門義一,松本弘義,上村 穰:本邦に於ける植物病害に関する文献目録 (1929年),農学研究,16:196-237(1930) 31) 男澤智治:い業の現状と課題,中村学園研究紀要,34:99-105(2002) 32) 岩村淳一,小牧恭介,駒井功一郎,平尾子之吉:シチトウの精油成分,日 本農芸化学会誌,52:561-565(1978) 引用文献 ( 25 ) 33) 山本狷吉:七島藺に対する硫酸礬土の影響に就いて,日本土壌肥料学雑誌, 9:365-376(1935) 34) 稲垣栄洋,大石智広,高橋智紀,松野和夫:田んぼの恵みを科学する,静 岡県農林技術研究所環境水田プロジェクト,p.28(2012) 35) 定平正吉,中野善雄:シチトウイの日長反応と採種に関する研究,日本作 物学会紀事,37:482-488(1968) 36) 小林忠男:農作物の耐塩性に関する研究,日本作物学会紀事22:36-38 (1954) 37) 安岐町史刊行会:安岐町史,628-640(1967) 38) 荒川左千代:七島藺の肥料に就いて,日本土壌肥料学雑誌,12⑶:275-281 (1938) 39) 大分県農林水産研究センター:農業試験研究最近の主要成果 ∼農業研究 100年のあゆみ∼(2008) 40) 青木 繁:林想樹心,農業業書刊行会(1962) 41) C. Averill, B. L. Turner and A. C. Finzi Mycorrhiza-mediated competition between plants and decomposers drives soil carbon storage. 543-545(2014) 505;