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Page 1 Page 2 鹿沼市の都市的位置 ー970年(昭45)以降, 鹿沼市の
目本大学文理学部自然科学研究所研究紀要
No,33 (/998)PP.43−55
中心商業地の衰退と再生
栃木県鹿沼市の現状をふまえて一
永 野 征 男
Decline and Resumption of Central Commercial Areas
The Case of Kanuma City,Tochigi Prefecture一
Yukio NAGANO
(Received November11,1997〉
In a field of the urban geography,researches have been conducted for years with the decline
of the civic centers in local cities in view of analyzing the causes of the decline or of explaining
the change of ways of the land use.In recent years,new urban nuclears are one by one constructed
with the roadside shops located in the Qutskirts of the cities as urban nuclears, Owing to the
above fact,a tendency is especially noted that the urban nuclears which have long been in existence
in 亡he cides are ln decllne.
On the other hand,old urban nuclears have started to grope for the methods to activate
themselves with their commercial areas as pivotal regions,The places taken up as examples once
flourished as castle tQwns in the middle ages,and also flourished as relay stations and market
towns.The places have also been the sites that have played a role of daily−life−oriented activity
in the co㎜unities of aghcultural disthcts.However once roardside shops sta丘to accumulate
themselves in the outskirts of the metropolises,it is extremely difficult to resume the old urban
nuclears even in the local cities having historical backgrounds.
定した、市街地は黒川の扇状地上に南北に長く展開し,
1. はじめに
東側を黒川左岸の洪積台地,西側を丘陵により画され
中世に壬生氏の城下町として栄えた鹿沼は,江戸期
ている。市街地内には,その人口規模に不釣り合いな
になると日光例幣使街道の宿場町として,また黒川の
2本の主要街道が縦貫している。これは,目光へ徳川
谷口集落として,周辺の農山村の中心的な市場町でも
家康の霊廟を建造する際に,社参街道に沿った鹿沼宿
の町割が再編され,中世以来の旧道である田町筋(東
あった。特産品の大麻は各地へ送られ,栃木方面から
方面へ輸送された.明治以降は,上都賀郡役所が設置
側)に対し,新しい内町筋(西側)が開通したためで
ある。このように一つの宿場町に形成された二っの中
され,交通路も整備されると,地域内に地方中心的な
心地は,六斎市を三日交代で開設するなど,宿場町内
機能が高まった。とくに,早くから栽培されてきた大
で互いに対立した歴史を有している。
麻により,1887年(明20)にはこれを原料とする下野
麻紡績(現在の帝国繊維鹿沼工場)が市街地の北東に
鹿沼市の代表的な産業としては,業種別で卸売業の
開設した。
鹿沼市の木材工業は,これまでも工業製品出荷額の過
入ってくる塩・海産物が,鹿沼を中継して日光・足尾
建築材料卸売業が77店(24。5%・1994)を占めている。
人口が3.2万人となった1948年(昭23)に市制が施行
半数を占め,市内に建具製造所・製材所が多く立地し
され,その後,周辺の町村を合併して現在の市域が確
ている.背後に足尾山地の林業地をもつ鹿沼市では,
日本大学文理学部地理学科1
〒156−8550世田谷区桜上水3−25−40
Department of Geography,College of Humanities and Sciences,
Nihon University:3−25−40,Sakurajousui,Setagaya−ku,Tokyo
l56−8550,Japan.
43
(43)
永 野征 男
すでに1867年(慶応3)には,鹿沼宿に建具師などの
職人が多く移住していたといわれる。この土地に多数
の製材所が設立された理由は,冬季の低湿さが木材を
工業の火災発生率を下げるため,1962年(昭37)に協
短期間で自然乾燥するのに有利であった.また1890年
(明23)の国鉄日光線の開通,1903年(明36)の下野電
工場も多く,家内工業的な色彩が強く,一部の工場は
中心地の商業地にも分布している.
同組合が設立され,1965年(昭40)には木工団地(36ha)
が造られた.現在でも木工業の経営規模は10人以下の
力会社の創立が製材業を発展させた.その後も製材技
2.鹿沼市の都市的位置
術の進歩や,1912年(大1)に電力用木材の工場が北
部に設立され,東京市場での競争力を増した.
1970年(昭45)以降,鹿沼市の人口は世帯数とともに
第二次大戦後は,荒廃した都市部の復興のため,木
微増を続けてきた。市内における地区ごとの人口変化
材の需要が急増した.しかし,木材の大量生産は貴重
では,中心部での減少を除くと増加傾向にある(表1).中
な森林資源の枯渇を招いたため,一時期,規制による
心部では,銀座1丁目がわずかに増加しているが,そ
製材業の停滞がみられた.1949年(昭24)に鹿沼市は
れ以外の地区では減少が激しく,銀座2丁目では一34.2%
重要木工集団として指定され,建具資材の優先的な入
手権を得た.わが国の外材依存率も,1960年代には50%
の最高値を示している。旧鹿沼全域の人口減少率(一!.3%)
を超えたが,鹿沼市は地元に伝統的な建具職人も多く,
一方,流出入人口では,1990年に流入人口が上回っ
にくらべても,中心部の値は大きい。
製品を東京市場ヘトラック輸送した帰路に,外材を積
たものの,宇都宮市に対する値では,依然として流出
載して戻った.
超過となり,両都市の関係の大きさが分かる.
建具工場は第二次大戦前から市街地北部の戸張町・・
図1のように,黒川の流域に展開する市街地は,東
泉町に立地し,大戦後は南部の鳥居跡町に大規模工場
が分布した.市域東部の茂呂地区には,騒音対策や木
部にJR日光線が通過し,鹿沼駅の年間の乗降客数は79
万人(1991),西部の東部日光線では浅草と2時間で結
.蟹簸蹴
云鞭講融紅聾
_灘華
(44)
44
中心商業地の衰退と再生
表1 鹿沼地区中心部の人口増減率(町名は図2参照)
地区名
石 橋 町
昭和60年
208
昭和61年
昭和62年
211
194
増減率平2/昭60
平成1年
平成2年
184
175
182
一12.5
昭和63年
天 神 町
397
386
383
356
343
339
一14.6
久 保 町
179
174
165
154
158
155
一13.4
銀座1丁目
銀座2丁目
91
92
116
95
91
98
73
66
64
59
58
48
一34.2
仲 町
163
163
151
147
140
127
一22.1
上 田 町
550
547
516
481
486
479
一12.9
末 広 町
332
331
310
303
300
278
一16.3
中 田 町
352
352
340
332
333
321
下 横 町
88
92
93
96
94
87
811
813
781
756
718
721
一11.1
2,835
一12.6
下田町2丁目
小 計
3,244
3,227
3,113
2,963
2,896
鹿沼地区計
27,724
27,665
27,655
27,460
27,397
27,366
鹿 沼 市
88,079
88,406
88,763
89,192
89,650
90,044
7.7
一8.8
一1.1
一1,3
2.2
住民基本台帳による
ばれ,新鹿沼駅の乗降客数は97万人を数える.市域の
の栃木県による調査がある。その際には,主要12品目
の購買調査が実施された.鹿沼市と関係の大きい一次
南部には,東北自動車道鹿沼インターチェンジがあり,
商圏としては,市南西部に隣接する粟野町が含まれる。
JR鹿沼駅と結ぶ段丘上の道路沿いに,「晃望台」のロー
宇都宮市との関係は,概して宇都宮商圏への流出が減
ドサイドショップの一大集積地がみられる.
少しており,市内でも買回品購買率の高さからも,鹿
鹿沼市の都市化傾向は,人口集中地区の拡大から分
析すると,市域南東部やインターチェンジ方面,そし
沼市内の大型店の出店が,これに影響していると考え
て木工団地方向への市街地の発展がみられ,宇都宮市
との連関度が分かる.つまり,鹿沼市をはじめ今市・
られる。
真岡・栃木の各都市は,県都の宇都宮にとっては衛星
一方・市内の各商業地に対する購買動向としては,
中心部が46.8%,晃望台が17.8%,東武線新鹿沼駅周
都市的な存在であり,県全体の都市化方向も県南から
辺が10。7%を示し,とくに新鹿沼駅周辺の上昇が目立っ
県北へと拡大しつつある.
ている。
さて,全国655市区(1990)のうち,人口20万人以上
の都市の多くは県庁所在地か地方の中核都市である。
3−1.市内における小売業の動向
さらに,鹿沼市のような人口10万人規模に絞ると,そ
市内に位置する小売店舗1,300店(1993)の94.3%が
の3分の1が合併による市域の拡大がみられた。そし
て,中心市街地の周辺部に農村部がせまり,中心地は
従業員10人未満の小規模店である。大型店(第1種・
第2種)18店の売場面積は34。9%を占めている.1987
年(昭62)開店のイトーヨーカドー,1989年(平1)
周辺農村の生活中心として栄えてきた(図2).あえて,
鹿沼市が他の類似都市と異なる点をあげると,宿場町
に開店した福田屋・いせやなどが第1種大型店である
という歴史的な慣性を有していた点にある.しかし,
(表2)。しかし,1973年(昭48)に開店した中心市街
うと,利便性の面で大きく遅れていた。利便性を判断
地のジャスコが,1991年(平3)に閉店したことは,
中心地の地盤低下を表している。
する一つの要素として,市内の商業集積をあげること
市内の商店の業績構成は,買回品店が53.3%(96店)
ができる.人口が少ないことは,商業面で住民の二一
ズに対応することが難しく,そこにはおのずと限界性
を占め,最寄品店は21.7%(39店)を示している。こ
れらの数字から,鹿沼市の商業は地域の中心地として
がある。
成り立っており,とくに飲食・サービス関連の低さが
10万都市として,地域への定住化が深められたかとい
来街者の増加に欠けている要素といえよう。
3.鹿沼市の商圏
年間販売額(1991年)では37,5%と,県平均の43.7%
この地域の商圏についての分析は,1991年(平3)
よりわずかに低い.しかし,この値は宇都宮市・小山
45
(45)
永 野征 男
市に次いで高い水準を示している。商店数では,1985
年(昭60)から1991年(平3)の間に7.4%が減少し,
県平均(4.1%)より大きい.なかでも従業者10人未満
表2 鹿沼市内の商店・商店街の利用状況
最もよく利用する
の商店の構成比が94.3%を占め,その内で1・2人規模
の商店の減少が多くみられる.
3−2.中心商業地と新核(晃望台商業地)との比較
1 位
2 位
3 位
4 位
2番目によく利用する
福田屋 22.1% 福田屋 26.3%
イトーヨーカドー20.5%
イトーヨーカドー24.0%
中心商店街 21.8% 中心商店街 15.6%
宇都宮大型店 10.6% 晃望台商店街 8.4%
平成5年来街者調査による
いまや旧都市核に位置する中心商業地の衰退は各地
に生起する一般的な傾向といえる。とくにバイパス沿
摘している、総じて,市民感覚から鹿沼市の中心とな
道のロードサイド店やショッピングセンターなどの開
る街については,66.8%の人が都心部にある商店街と
設は,車利用の利便性と開設時の地価の安値から,広
い駐車場を有する商業地として発展している。したがっ
考えている。一方,このことに関して,晃望台地区を
街の中心と答えた人は11.5%に過ぎない。
て,これらの店舗は,はじめから広域の集客を目的に
ロードサイドショップが軒を連ねる晃望台の急成長
郊外へ進出し,その売場面積の大きさが各店舗の販売
額にも表れている(表3)。
の理由は,品揃いの豊富さにあり,かつ低コストによ
る低価格,広い駐車場をもつことにある。それに対す
ちなみに,郊外型のロードサイドショップの建設は,
る中心部の商業地では,これまで有効な対抗手段を見
わが国では都心の再整備のための具体的な手法として
いだすことは出来なかった。将来の中心部としては,
多く用いられる。諸外国では,ドイツのように地区詳
低価格路線を採ることが,これまでの経営方針から困
細計画(Bプラン)が,地域・ブロックで決められる
難なことでもあり,かつ大型店と正面から対抗できな
ため,郊外型の建設は困難である。フランスは日本の
大店法に似ているロワイエ法により,郊外では公共性
い。したがって,再生への途としては,一般小売店か
ら専門店への切替え,複合型店舗化,扱い品目の絞り
の強い施設のみが認められている。イギリスでは,ニュー
込みなどの努力,つまり店舗の位置づけの見直しが,
タウン以外の郊外部に出店は認められていない。アメ
リカ合衆国は,この種の商業施設の建設が規制される
目前の課題となろう。
4.近年の大型店の進出と都心の変化
こともない。
鹿沼市においては,消費者の年齢層から中心部と郊
1992年度以降の全国における大型店の動向に関する
通産省初の調査(「撤退・空き店舗調査結果1992」)で
外の晃望台を比較すると,中心部では60歳以上の買物
行動が21.2%と高く,晃望台は30歳代が29.5%を占め
は,1996年度までに1,031店舗の閉鎖が報告されている、
ている。晃望台地区の顧客層として高年齢者が少ない
年度別では1992年度の196店舗の閉鎖から,その後は毎
理由は,郊外店への交通アクセスの不便さが一つの原
因となっている。また,中心部と郊外の比較を購入品
年200店舗前後と推移してきた。なかでも第1種大規模
小売店舗(店舗面積3,000m2以上,ただし政令指定都
でみると,中心部および市街地にある大型店ともに食
市では6,000m2以上)の閉鎖は,1993年度の14店舗か
料品の購買率が高く,前者は51。5%,後者は74.0%と
ら,1996年度は25店舗に増えた。その理由としては,
重複していることが分かる.この現象から,今後は業
態面での区分が必要であることを示している。
大型店舗問における出店競争の激化による採算の悪化
や,施設の老朽化などがあり,その閉鎖店舗の大半が
さらに,両地区への来街目的としては,中心商店街
駅前などの中心商業地にある店舗といわれる。これら
の場合は,その78%が買物を主目的としており,他に
閉鎖後の店舗は建物の有効な再利用もみられず,空き
仕事・待ち合わせ・無目的であると答えている.一一方,
晃望台地区の場合には,買物が88%と高率を占め,12%
店舗の状態で残るために,このことが都心部の空洞化
に拍車をかける要因となってきた、
が食事を目的としている.このように,中心部は郊外
に位置する商業地と比較して,「街」としての機能を維
しかし,その背景には,1990年代に大型店の出店を
規制する「大規模小売店舗法(大店法)」が大きく緩和
持していることが分かる.しかし,中心部に位置する
され,都心から郊外部への出店の増加にともなう競争
各店は,店舗としての魅力に乏しく,必ずしも消費者
が生じたことにある.規制の緩和以降は,チェーンス
の二一ズに合致しているとは云えない(図3).
トア系企業が低コストで開店可能なマイカー対応型の
しかも,中心部の来街者数は年々減少傾向にある。
郊外店へ指向を強めた。規制では,街づくりへの視点
が重要視されていても,企業側のベースが強くなるに
その理由としては,過半数の人々が大型店の開設を指
(46)
46
中心商業地の衰退と再生
つれて,都心部の活性化のための核店舗としての出店
として再活用されている。一方,新規出店数は1996年
は敬遠されがちとなった.さらに,緩和策と時期を同
度に史上最高の2,269件を記録するなど,大型店はいわ
じくして,バブル経済の崩壊,景気の下降,低コスト・
ゆる「多産多死」の時代に突入したと云われる・
低価格指向などの趨勢により,都心部のデパートや高
級専門店も商業床コストヘの考えが厳しくなった.
政府は,1998年度末で大店法を廃止する方向で動い
ている.その理由としては,政府の目指している経済
したがって・都心部の再開発や近代化事業で,大型
店の参加する共存的手法から,参加が得られないといっ
構造改革を進めるためには,いまの流通規制の象徴で
ある同法の廃止が必要と判断したからである.実施さ
た新たな課題が生じてきた.これらを克服するために
れると,これまでのように大型店の進出を規制してき
は,地元行政が本格的にリーダーシップを発揮して,
た,店舗面積・営業時間などの審査は撤廃され,流通
補助や融資による事業化を押し進めることが重要になっ
分野における大きな転換点を迎えることになる・
てきている。そのためには,地元がどのようにして行
政当局を引き込むかといった課題も多い。しかし,商
大店法の見直しは,通産省(産業構造審議会・中小
業地区の住民が,街づくりに対する確固たる理念と実
践を先導的に果たすことは,一つの解消策となろう。
たが,アメリカ合衆国の廃止を求める動きや,景気の
企業審議会)の内部でも修正する方向で議論されてき
テコ入れ策をも含めて,急速に緩和策が進められてき
前出の報告書によると,1995・1996年度に閉鎖した
店舗の40%が空き店舗のままであり,33%が商業施設
た。
ただし,大店法の廃止後であっても,大型店の進出
図2鹿沼市における中心市街地(11町)
47
(47)
永 野 征 男
表3 中心商店街とロードサイド店舗との比較(平成3年)
商店数
宇心商店街
.績粛凹ゑ丁目
従業員数
年問商品
販売額
売場面積
(単位:万円)
1店当り
1店当り
1店当り
従業者数
販売額
売場面積
71
275
448,856
8,001
3.9
47
234
780,185
!3,077
5.0
16,600
23,028
一
593,333
6,322
坪効率 従業者
1人当り
(万円/坪)
販売額
112.7
185.1
1,632
278.2
196.9
3,334
234.7
一
・仲 町
晃 望 台
・茂呂地区
大 型 店
3
』
1,780,000
8,342.7
「鹿沼市の商業」による
の際には,地元地域の環境維持のためのルールが必要
店舗(500m2∼3,000m2)は10.7%となっている。県内
であり,大店法に代わる新法の制定が考えられている。
の大規模店の総数299店舗のうち,鹿沼市は第4位の14
この新法は,大型店が市町村に出店する際に,出店の
店舗を占めている.
届出と地域住民の意見をふまえた審査を実施するもの
鹿沼市では,中心商業地の活性化に,若年層の購買
と思われる.具体的には,環境・交通などの社会的な
視点から,出店審査がおこなわれる可能性も強い.不
行動を高く位置づけ,1994年に市内の中学・高校生
適切な点が分かれば,市町村の勧告によって出店内容
施した。回答者の居住地は市内が76.5%,今市市が
7、2%,宇都宮市が6.7%の順になっている.買物先で
2,654名(有効回答率90.5%)に対してアンケートを実
を変更させることがあると云われる。
大店法を廃止することによって,中小の小売業者か
らの反発は強くなると想定されるため・たとえば,駅
前などの市街地空洞化が加速するのを防ぐ目的で,「中
は,食料品の場合の40.8%が大型店3店舗,59。2%が
専門店舗となっている。とくに中学生のケースでは,
心市街地活性化法(仮)」が立法化される予定もある。
高校生を約20%も上回る結果となっている.靴・鞄で
も同じような数値を示し,総じて市内には中学生の二一
いずれにしても,規制緩和を後押しする新法が,逆
ズに合った専門店の少ないことが推察される。時計・
に運用しだいで規制の強化になりかねない,と云った
危惧もある。今後は,大型店の出店調整の権限が,国
メガネ・アクセサリー・電気用品・靴・鞄では,専門
店利用が71.5%と大型店を大きく引き離している。調
や都道府県から地方の自治体へ移るために,地方都市
査項目の13品目の中では,買回品の専門店利用,最寄
品の大型店利用の傾向が読みとれる。
によっては,大型店を都市機能の一部として誘致に努
力したり,反対に大型店を排除する街づくりを指向す
買物先としての選定する理由は,中心地・晃望台で
は近接性が高いこと,また大型店では商品の種類と量
る動きも起こるであろう。
が豊富であると答えている.買物回数は,週と月単位
5.鹿沼市における大型店進出の現状
でも,中心地の商店街が大型店や晃望台地区より少な
栃木県内における大型店は,!995年末時点で72店舗
あり,さらに出店が地元との問で調整中(とくにホー
ムセンター業種)のものが26店,新規に計画中(スー
く,その低迷がうかがえる。一方,買物に出かけない
理由の中には,中心地の商品の少なさ,晃望台では交
通アクセスの悪さ,また,大型店のサービス不足をあ
げており,今後の地域商業の活性化の方向性がみえる.
パー業種が中心)が12店,さらに増床計画が7店と大
店法の規制緩和後の出店ラッシュとなっている.宇都
宮市は72店舗中の26.4%を占め,店舗面積(34.8%)
6.撤退した大型店の跡地利用
においても県内の他都市を引き離している.鹿沼市は
1973年(昭48),市街地酉部を南北に通過する国道121
店舗割合と,面積ともに5・6%と,足利・栃木・佐野市
号線沿いの仲町に開店した大型店ジャスコは,199!年
に次いでいる.しかし,新規開店や増床計画は全くみ
(平3)に閉店した。その跡地は,市街地の中心部で交
られない。
通の要衡にもあたるため,都心の全体計画に与える影
ちなみに,第1種大規模小売店舗が,県内の年間商
品販売額に占める割合は15.1%であり,第2種大規模
響も大きい。また市街地の回遊性の面からは,東西に
(48)
鉄道駅を有するために,これまで南北方向の回遊性に
48
中心商業地の衰退と再生
も乏しいことが指摘されてきた。
遊性の向上を図っている。
本来,歩行による回遊形態には,距離や時間以外に
そこで,ジャスコ跡地の再利用については,市街地
も安全で楽しく,合理的であることなど,商業活動上
北部へも新たな波及効果をもたらすような方策が思考
されている。この地区については図5のようにジャス
の魅力に要因があると思われる。現実的には,容易な
コ跡地(約5000m2)のみの有効活用を思考する場合と,
距離としては安全な街区内で300m(5分程度)とされ
ている.もちろん,店舗構成が魅力的であったり・各
店舗・各施設の存在が強い場合では,500m(10分程度)
隣接する南側の地区(約11,600m2)を併せた計画が提
案された.図7は跡地部分についてのみ,パサージュ
(小路)方式による再生を計画したものである.鹿沼市
が一応の限界と云われている。それ以上を回遊させる
ことは,一般的に無理と考えられる。
の伝統工芸である木工品や,海外からの木工工芸品・
建具を一堂に展示する建物を核施設とし,周辺に店舗
歩行回遊をこれまで以上に強化するためには,ハー
を配置する計画である.パサージュにふさわしい店舗
ドの面としての中継的な機能や目標の設置,さらには
街路に楽しさを盛り込むことであろう。その点,郊外
構成と,低層(2階)の簡易駐車場をレイアウトして
のショッピングセンター地区では,両端に核となる大
いる。
型店舗を配置し,できる限り平面的にも立体的にも回
図8は,跡地部分の約半分の土地に新たな商業ビル
図3 中心市街地における店舗分布(平成3年)
49
(49)
永 野 征 男
を建設し,残りの土地を200台前後を収容する
厩艶
駐車場にする計画である.商業ビルとしては
5∼6階の中層の建物で,若者をターゲット
にした専門店を中核に,アミューズメント施
設の併設を考えている。
図9は,南側の隣接地をも併せて開発する
プランである。建物としては60∼70店舗を収
容する大型店を配置し,都心の一大集積施設
一互
慶1
とするものである。取扱商品はファッション
隼L到
系の買回品に比重を置き,デパートと大型店
冊…壁
の中間を指向するものを考えている。駐車場
は自走式の600∼800台規模を想定している。
図10は都心としての都市機能の充実をはか
るために,商業棟の上部に高層の都市型ホテ
ルとビジネス棟の2棟を計画するものである。
嘆約17ha〉灘
〔瞬
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ホテルは周辺地域をも含めた,非日常的な空
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間として洗練された都市型施設を目指し,業
務については専門職の事務所や市民生活のサー
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ビス機関を誘致し,全体として複合的な再開
窟,L’
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発ビルを想定している。
上記の再生計画を実現するためには,後述
するような具体的手法を用いて実行に移すこ
図4 中心市街地内における重点整備地区
とになる。
7.都心部活性化のための具体的な手法
皆鋸』蝿鉦
について
商業地に関わる各種の計画は,一般の都市
計画と異なる特殊性をもっている。いわゆる
商業施設計画では,まず,不特定多数の市民
という顧客が望んで流入し,できるだけ長時
間滞留する環境と雰囲気をもつことが重要で
ある。次に,都市計画では群衆としての人間
の行動を扱うが,商業施設では個々の顧客の
消費行動に最大の視点をおく.また,商業地
は自由空間であるという認識が大切である。
家庭や職場から離れた出入り自由な空間であ
り,適度な変化と刺激が得られる場所である。
q
さらに,車社会や他の人からの安全性が確保
された場所であり,多様な商品とサービスの
中から,みずからの嗜好で選択できる利便性
が求められる空間でもある。
具体的に鹿沼市では,1988年(昭63)に中
心商業地の活性化に関わる基本構想が検討さ
れ,1992年(平4)に市当局が再生計画を立
案し,商工会議所も具体的な実施計画の検討
をはじめた。その結果,活性化の可能性に関
(50〉
図5 市街地におけるジャスコ跡地
50
中心商業地の衰退と再生
表4 大型店の進出状況(平成3年)
人 口
商業人口
小売業
1種大型店。面積 合計
売場面積
(人)
(人)
(m2)
2種大型店・面積
(店) (㎡) (㎡)
3・ 24,200
1種大型店
面積比率
大型店
(%)
(%)
面積比率
鹿沼市
90,889
82,857
109,051
38,091
!5・ 13,891
22.2
34.9
宇都宮市
425,144
617,328
535,927
16・!66,176
252,595
74・ 86,419
31.0
47.1
足利市
167,505
163,298
183,772
22.0
35.0
栃木市
86,085
98,271
115,477
33.1
45.8
佐野市
83,713
86,368
104,806
18.5
34.1
小山市
142,534
158,981
159,043
35.3
45.1
真岡市
61,207
74,691
70,534
21.6
40.4
1,940,115
1,940,115
2,051,967
県
5・ 40,508
64,299
18・ 23,791
5・ 38,193
52,846
11 14,653
2・ 19,374
35,745
12・ 16,371
5・ 56,149
71,700
13・ 15,551
2・ 15,220
28,501
9・ 13,281
「平成4年鹿沼市統計書」による
する調査がおこなわれ,行政側の補助金・助成金に至
るまで議論された.それらに基づき,1994年(平6)
そして,その後にようやく着工にこぎつけるが,この
間においても,ソフト面では組合運営・業種・商品計
には,具体的な内容が立案化された.
画などの適正規模の計算や投資採算の課題がある。
商業地における近代化実施計画を事業化し,都心の
整備を実施するには,以下の手順を踏む必要がある。
7−1.都心部における不動産の所有形態について
まず第一に,現在の商工会の組織を任意の団体から法
さまざまな計画の実施に際しては,事業費としての
人格(商店街振興組合など)にしなければならない.
出費がつきものである。しかし,それは現金というよ
また,街区整備は高度化事業(小売商業商店街近代化
事業など)として行ない,その区域内で共同店舗事業
.糾
を並行する場合は,別途に協同組合をつくる必要があ
る。
第2に,街区ごとの整備計画を,その街区内の構成
員で検討し,街区ごとに個別の計画を策定することに
なる・この計画は・都市計画事業との関連が深く,市
当局と密接な連絡が望まれる。その上で具体的な整備
事業として申請し,実施計画書を県へ提出することに
なる。
第3には,この申請と合わせて街区内の組合員に対
して,ときには街区内の建物所有者全員が街づくり協
定を結び,その内容を守ることが必要である。
第4としては,街区内での核店舗や駐車場,そして
組合の共同施設の用地確保のため,権利調整をしなけ
ればならない.この段階では多くの日数を要し,困難
な問題もあるため,専門家の協力を得ることになる.
図6 ジャスコ跡地詳細図
51
(51)
50
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52 -
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中心商業地の衰退と再生
りは,これまでの遊休資産の置き換えであったり,長
両方で40%となり,とくに借地借家人の多くみられる
期低利の融資を活用することもあるので,資金がない
市街地南西部で,活性化のための計画立案の難しさが
と活性化事業が出来ないこともない。
読みとれる.
しかし,高齢者が多く後継者もいない場合は,この
ようには進まない。たとえ,地区の若返りによって,
7−2.具体的な手法について
他人へ譲渡できる価値が発生したり,経営者の若返り
上記の実施計画の策定に際しては,その事業手法と
を期待するとしても,商業者に定年・恩給・退職金が
して次の5タイプが考えられる。一般的な手法として
は,下記の①②,特殊なものとしては③が用いられ
ない現況では難しい。
この問題は,不動産の所有関係にも関連することが
らである.商業地の価格が安定して,土地・建物が自
る。
①民間デベロッパー方式は,個別の商店が単独でプ
由に流通するだけでも活性化は大きく前進する。土地
ロジェクトを推進する場合に活用され,権利調整や資
が「因縁ある土地」という考えから脱皮し,適正に評
金が不足する際に,おもに建築業者が権利取得と施設
建設をおこなう方式にあたる。
価され流通できる商品となることが必要である.
いうなれば,商業者自身の内面にもつ課題が,少し
ずつでも前向きに議論されはじめると,一つの解決の
方途が見出せると思われる。
②権利者デベロッパー方式は,土地・建物の権利者
が集まり,土地の高度利用をはかるケースである.地
権者が集まって共同でビル等を建設する場合には,「分
さて,図11は都心地区における土地・建物の権利関
有方式」と呼ばれ,土地・建物を個別に所有するため
係を表したものである。これらの調査は,将来の市街
の縦割と横割が用いられる。とくに横割のケースでは,
地内における各種の整備計画を実行する上で重要な分
土地の形状が複雑でも効率的にビルを使用でき,共同
化のメリットは大きくなる。さらに,「区分所有方式」
析といえる。総調査戸数418戸は,次の4タイプに区分
し図化した。
と呼ばれるものは,土地は共有とし建物部分を各自が
1)AAA……この区分は,土地と建物の所有者,およ
び建物の占有者が同一人物の場合である.ここでは,
個別に所有するものであり,各地で採用されている.
また,「建物共有方式」は,土地は個別に所有し,建物
土地利用や不動産の売却にからむ意志の決定がスムー
ズに行われる可能性を秘めている。しかし,一方では,
を共有するものであり,建築費は土地所有者が土地の
持分の比率に応じて負担する.これは賃貸ビル経営を
今日までその土地に居住してきた愛着心も強く,とく
おこなうときに多く採用されている.ただし,建物を
に土地・建物の共同化に反対するケースが起こりやす
共有しているために,上物の売買・処分などは共有者
い。
全員の合意を必要とする。そして,もっとも効率的な
2)ABB……この場合は,建物所有者と占有者は同一
であるが,土地だけは別の所有者がいることを表して
「土地建物共有方式」がある.
これらのパターンは,該当する街区や権利状況によっ
いる。つまり,地主と借地人の関係を有する場合であ
る。したがって,その土地の活用に関しては,両者の
て用いられるが,中心地の商業地では土地所有に固執
することが多く,分有または建物共有方式が一般的で
同意を必要とする。
ある。
3)AAC……これは,土地と建物を同一人物が所有し,
③経営者集団デベロッパー方式は,高度化事業(中
占有者が別人の場合である。つまり,借家人が住んで
小企業高度化事業)を用いて実施するものである.も
いることになる。なかでも,借家の形態が借家人の住
ともと,この事業は事業団の資金に県が追加をして貸
居をもかねている場合では,整備計画に対する同意を
付・回収を行うものであり,融資制度を活用して実施
得ることが難しい.むしろ,借家人がそこを営業用の
する方式である。近年,この事業に多くの個別事業が
みに使用しているケースの方が,対応としては簡単で
設けられている。
ある。
たとえば,「小売商業等商店街近代化事業」などでは,
4)ABC……土地所有者・建物所有者・占有者の三者
20年の償還期限で事業費の65%が助成される.なかで
が別人の場合である.その場所に関係する権利者は3
も,公共的な共同施設(アーケード・カラー舗装など)
名となり,事業を実施する際には,その権利関係の調
整はもっとも難しいと云われている。
の設置には,無利子で80%の助成が受けられる。さら
都心地区では,AAAに該当する場所が全体の半数(205
売商業店舗等集団化事業」「商店街整備等支援事業」な
戸)を占めている.また,借家は109戸,借地は60戸と
ど,いずれも低利(2.7%)の長期融資がある。最近は,
には「共同施設事業」「小売商業店舗等共同化事業」「小
53
(53)
永 野 征 男
とする融資を受けられる。また各種税法上の優遇措置
この制度をさらに利用しやすくしたものに「街づくり
会社制度(商店街整備等支援計画)」がある.内容は公
としては,土地などの譲渡・所得の特別控除や既存の
益法人と株式会社の形態をとる場合があり,前者は公
施設の特別償却が講じられている。
共団体や協同組合などが資金の1/2以上を拠出し,理
事の大半が公的な機関から選出される。後者は,一つ
7−3. 中心商業地の近代化事業
の大企業の出資が全体の1/3以下であり,大企業が最
1960年代以降,わが国の流通全般には大きな変化が
大株主になることだけは禁じられている.いずれにし
表れてきた。その一つが,自然発生的に発達した中小
ても,この制度はコミュニティホール・イベント広場・
零細な店舗の集積する商店街の衰退化である.さらに,
駐車場など,商店街の活性化をはかるための施設を設
急速な郊外化現象によって,これまで大都市でしか見
られなかった郊外の商業中心地が,多くの地方都市に
おいても形成しはじめたことである、とくに,中心商
置する事業が対象となる。
上記の①∼③の事業の実施に際しては,その基本に
「特定商業集積の整備の促進に関する特別措置法(商業
業地の衰退は.中心市街地そのものの衰退を意味して
集積法)」がある.内容は,高度商業集積型と地域商業
いた。
活性化型とに分けて支援策が定められている.これに
各都市では,1969年(昭44)から中心市街地の活性
化のために,地域計画の一部として「商業近代化事業」
よると,各自治体が活性化のための基本構想などの作
を実施してきた。つまり,該当する商店街の診断を経
成に自治省から250万円が補助され,ほかに建設省から
も調査費用が援助される.この法規では,民間事業者
て,第1種市街地再開発事業や優良再開発建築物整備
に対する支援も行われている.支援される事業主は,
促進事業が行われてきた.翌1970年に中小企業庁は,
第3セクターが主であり,商業施設の基盤整備に対し
全国の商工会議所へ近代化計画の策定を依頼した・そ
て,目本開発銀行やNTTなどから事業費の50%を上限
の結果,全国509の商工会議所の中で,243地区が計画
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図11 市街地における土地・建物の所有に関する実態調査(平成3年)
(54)
54
中心商業地の衰退と再生
を策定した.しかし,1990年(平2)には,アメリカ
してきたが・これといった効果的な方策を見いだせず
合衆国からの大店法に対する要請などが影響し,各地
にいる。
の近代化計画も地元による見直しがはじまった.さら
これまでも,共通的な方策として取り上げられるの
に,同事業名称は1991年に「商業活性化事業」として
は,都心部へ車で乗り入れが可能となれば,再生も可
改称され,今日に至っている。
能と云われた。総じて車利用ばかりに思考が偏向し,
7、結 び
郊外部と同じような駐車場の建設が,最大の活性化策
と考えられてきた。しかし,今後は居住のしやすさ,
都市にとって,都心や中心地のもつ意味は重要であ
生活の場として優れている点を総合的に評価できる方
ると云われる。好感のもてる都市は,外観上から都市
策が必要であろう.つまり,日常的な生活環境を整え
の表玄関にあたる駅,都市のシンボルマークである庁
舎が・どの程度の配慮のもとに立地しているかが重要
ためにも都心へ積極的に住宅を導入する策が求められ
ることは,旧核心地に課せられたテーマであり,その
である.また,その都市の内なる歴史性は,魅力的な
中心地や風格ある郷土を特色づける.
る。
むしろ,車時代であるがために,豊かで快適なアメ
したがって,都心を活性化・近代化することは,そ
この都市基盤を強化することに結びつく.とくに,1960
ニティに富んだ歩行環境が大切なのではないだろうか.
年代以降の流通革命は,都心の変化を余儀なくさせて
はなく,その中の一つである都市アクセスを確保する
きた.なかでも,地方都市のように自然発生的に発展
一事業にすぎない。
この認識に立つと,駐車場問題は街づくりの解決策で
し,中小の店舗が集積した商業地の衰退化は著しいも
にバイパス沿いに進出するロードサイド店やショッピ
ングセンターは,都市の顔ともいえる旧都心の衰退を
本研究は,平成5年度「鹿沼地域商店街等活性化実施計画
策定委員会」の分科会長として現地調査した報告の一部であ
る.調査に際しては,現地の各種団体・市民の皆様から多大
のご協力と,また,商工会議所の保木山義人氏には,資料や
法規上の諸点で貴重な助言をいただきました。ここに記して
もたらした.そこで,各地で都心の活性化対策を指向
深く感謝します。
のがある。
また,たびたび述べたように,都市化の進展ととも
参考文献
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生に向けて」.
再生計画」.
16)中心商業地活性化連絡協議会(1993):「中心商業地の再
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55
(55)
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