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インドへの旅
-紅茶の里ダージリンとデリー&アグラを訪ねて-
中村千里
今回の旅行先を知らされたときには、紅茶には興味もなく旅行後にお腹を壊してくる
と言うインドなので心が躍る状態ではありませんでした。しかし、エベレストをも望め
られるかもしれないという、ヒマラヤの麓のタイガー・ヒルからの景色を見た途端に写
真を撮れる楽しみがこみ上げてきました。
今回も ANA ワンダーアースと言うツアーです。成田17:55発の NH917 便で機種
は B767-300、座席は 03C で、デリーまでの飛行時間は9時間45分ほどを予定。今まで
夕刻出発のツアーは無かったのですが、離陸して夕食が出て、そのまま眠って起きたら
着陸と非常に楽な行程に思えましたが、いつもと違うのは着陸直前に客室乗務員が殺虫
剤を客室内に噴霧してまわる決まりがあるのと着陸時間が真夜中0時であることです。
デリーの空港敷地内は写真撮影禁止になっており、本物の小銃を持ったインド兵が監
視しているのでとても撮影する気にはなれません。ある人の旅行記には追いかけられて
没収されたとありましたからクワバラクワバラですよ。この空港は2007年に新しく
なって世界8番の広さがあるようで、予想(インドは汚い)した以上に綺麗でした。
今回の添乗員は昨年アフリカで一緒だった林さんで頼もしく、他の4組もビジネスク
ラスで何回も海外旅行をしている人達でした。現地のスルーガイドはハリッシュさん。
例によりホテルまでのバスの中で説明を受けます。
1ルピーは大体2円。気温は40℃になっても乾燥
している。車は左側通行なので日本と同じ右ハンド
ル。トラックは昼に市街地に入れないので夜間が混
み合うこと。挨拶は朝昼晩とも「ナマステ」で両手
を合わせる。ありがとうは「ダンニュワード」。治安
はホテルとバス等の移動中は大丈夫。
ホテルは新
-1-
興地域グルガオンにあるジ・オベロイで、入場時にバスにもセキュリティチェックがあ
り我々も下車後玄関前で手荷物 X 線検査とボディチェックがありました。これだけ厳重
ではホテルの外に出る気にもなれませんねぇ!
深夜の到着にもかかわらずスタッフも多く出迎えてくれ、
ウェルカムドリンクとスカーフ様の布を首に巻いてくれて、
おでこに赤い印を塗られました。歓迎の儀式のようです。部
屋もかなり広く快適ですが、朝も早いのでシャワーを浴びて
お休みなさいで初日が終了しました。
【第2日目はデリーからダージリンへ】
時差のためか5時にはもう目覚めてしまいました。ヨーロ
ッパなら朝の散歩に周辺に出向きますがさすがにここでは自
重しますよ!ホテルの池や窓や床など至る所で朝早くから清
掃しており、その人がファインダーに映り込み邪魔でした。
朝食は定番の卵料理とかハム類が少なく何やら口に合いそうもないものが多かった気
がします。これがインド料理なのか?食後はフロントで両替をしてルピーを手に入れま
した。室内は空調が効いているので快適ですが外の気温は全く不明。
10時に出発して空港へ向かいます。正式名はインディラガンジー国際空港ですが、
今回はジェット・エアウェィズ航空 9W711 便で機種は B737-800 の国内線エコノミーで
約2時間かけてバグドグラ空港へ飛びます。幸いなことに座席は12 A なので左側の窓
の外が見えると言うことは、ヒマラヤ山脈の奥にエベレストも見える可能性があると言
うことです。天気は快晴ですから陸地は延々と見渡せます。すると途中からとてつもな
い広さの大河が見下ろせました。今までに飛行機から見た
川では最大です。水量は少ないようですが川幅は広く中州
も至る所にありました。あとで確認するとガンジス河の一
部のようで納得。この川をずっと追いかけていた訳じゃな
いのですが、川幅が広がったり狭くなったり蛇行したりと
飛行ルートに沿っていましたが、肝心のヒマラヤ山脈は白
く立ち上った雲の中に隠れているようで全く見えません。
13時50分にはバグドグラに着いてしまいました。予定
より30分も早い到着で、以前は時間にルーズと言われた
インドも最近は異なって早めになっているようです。もし
かするとヒマラヤ付近をショートカットしたのかもしれま
せん?
標高 130m 台のバグドグラから標高 2,100m を越えるダージリンまでは4台のミニバン
(トヨタイノーヴァ)に分乗して約3時間の山道を行きました。道が狭いので大型バス
はすれ違いが難しく、この地域では乗り合いジープが主要な交通手段になっておりたく
さん走っています。しかも、1台のジープに少なくても10人は乗っているし、時には
屋根にまで乗っているのであきれてしまいます。気温は20℃台とデリーより暑くあり
ません。町はカンボジアを思い起こさせる賑やかさ?ゴチャゴチャしています。掃きだ
-2-
めに鶴のようなレストランでの昼食後は延々と山間の道路を登っていきますが、さすが
に主要幹線だけあって一応の舗装はされていました。次第に周囲には霧も出てきて時折
見渡せる集落も数少なくなってきます。道路脇に2本のレールが現れて、あの世界遺産
のトイ・トレインが身近に迫ってきたことを感じさせ別世界に踏み入れてきた感動が湧
いてきます。ちょうどすれ違ったのはディーゼル機関車でしたが、それでもその姿は可
愛いものでした。すっかり陽も落ちて暗くなった18時30分にダージリンのホテル;
メイフェアーに到着。このホテルも周囲の状況を考えたら非常に綺麗で贅沢な造りにな
っており、水道も電気も何の問題はありませんでした。
ダージリンは紅茶で世界的に有名ですが、そもそもインドがイギリスの支配下にあっ
たときに避暑地として発展した場所です。また、ネパール国が閉ざされていた時代には
エベレストをはじめヒマラヤ登山への玄関口として発展した経緯があります。その位置
を示すと、南はバングラディッシュ、東はネパール、西はブータン国、北はチベット・
中国、とおよそインドとは思えない場所にあります。従ってその住民も我々日本人に似
た顔つきの人が大部分を占めており、特にネパール系の人が多いようです。同乗してく
れた現地ガイドさんはシェルパ族のようで山岳への見識が高かったです。またこの地に
来る外国の観光客は少なくインド国内の人が圧倒的に多いそうです。
【第3日目はダージリンにて】
今日がヒマラヤを眺める待望の日です。朝の3時にモーニングコールが入りますが、
既に目覚めており何を着込んでいこうか思案中。外では雨音がしとしと聞こえています。
4時に出発した時点では霧雨状態。まあ、半分以上はあきらめてはいましたが一瞬でも
晴れる時があるとのガイドの言葉を信じ祈る気持ちで町中を走りました。この時間に車
のエンジンをかけているのはみんな標高 2,590m にある展望台タイガー・ヒルに向かうと
のこと。幹線道路を外れてからは舗装もない悪路をひたすら登っていき、40 分ほどかけ
て頂上の展望台に着きました。 3階の有料展望室 は椅子も完備されそれなりに温かいの
ですが、多くの地元の人々は外で日の出を待っているので非常に寒そうです。
-3-
我々は5時10分の日の出予想時間までミルクティー「チャイ」を頂きながらガイド
の話を聞いてひたすら待つのみ祈るのみですが、一面霧の中の無風状態ではいつ朝日が
昇ったのかさえ全く分かりませんでした。いくら世界第3位 8,586m カンチェンジュンガ
の麓にあっても自然には勝てず、ましてや遙か東に運が良ければ望める世界第1位
8,848m のエベレストも全てが霧中でした。本当に自然には勝てないし、ある本では「霧
の町ダージリン」と書いてあったので妙に納得できたと言えるかもしれません。
ホテルに戻る途中のグームの町にある グーム・ゴンパ (ラマ教寺院)に立ち寄りまし
た。1850 年建立のこの寺院はこの周辺では最も有名で、本堂には弥勒菩薩像があり、ダ
ライ・ラマの写真が飾ってあったのが記憶に残っています。いくら霧の中でもお寺まで
が「霧隠れ」いや「雲隠れ」することはなくて一安心です。
ホテルでビュフェ形式の朝食を頂いてから一旦休憩後10時にホテルを出ました。
今度は世界遺産のダージリン・ヒマラヤ鉄道 、通称「トイ・トレイン」に乗車するので
す。ダージリン駅にはディーゼル機関車が停まっていましたが、あのチビ蒸気機関車は
傍らで修理をしているようで何やらイヤな予感。開業は 1881 年とアジアで最も古い登山
鉄道とのことで線路幅は61cmと非常に狭く、路面電車のように道路脇や民家の庭先
を縦横無尽に線路が敷かれており全長は88kmにも達し
7時間半で結んでいるとのことです。我々が乗車するのは
ダージリン駅とグーム駅の間だけの観光乗車になります。
予感通りに今回乗車するのはディーゼル機関車で、それ
も進行方向を背中にして乗客が乗り込みました。定刻を過
ぎることなく機関車は動き出しました。まさかそのまま走
るとは思いませんでしたが、そのまさかが現実になり後ろ
向きに進行していきます。きっとどこかでスイッチバック
すると思ったのに願いは叶わず。この鉄道には踏切も信号
も囲いも何もないので、ほとんど警笛を鳴らしっぱなしで
走ります。線路幅 61cm とトロッコより狭くても客車は4
人が並んで座れる広さなので、よくまあ横転しないのか不
-4-
思議ですよ。本当に店先数cmを通過していきますが地元の人は慣れたもので平然と避
けていきます。窓の外は相変わらずの霧で遠くは分かりませんが、乗り合いジープと何
台もすれ違ったので乗車人数を数えたりしていましたよ!ほとんどが TATA 自動車のジ
ープでした。機関車では特別な音声案内もありませんが、途中の戦没者慰霊公園?で写
真タイムをとってくれます。おおよそ1時間かけて隣のグーム駅に到着しました。ここ
は世界で2番目に標高の高い駅として紹介されていましたが現在はどうなんでしょう?
昼食は珍しく洋食でインドのカレー風味から解放されました。この場で初めてツアー
メンバーの簡単な自己紹介を行いました。みなさん各所に旅行されているようで、昨年
同じ添乗員の林さんとケニアで一緒だったことを紹介するとアフリカ旅行が話題の中心
になってしまいましたよ。そのためもあって動物園にも重点を置く作戦に出られたかも
しれません。
食後は ヒマラヤ登山学校 へ行きましたが、ここには動物園
も併設されていてじっくり説明を聞きながら園内をまわりま
した。クマ、レパード、ウルフ、ベンガルトラ等中には稀少
なものもあって良い経験をしました。登山学校内の博物館は
撮影禁止でしたが、昔、ここはヒマラヤへの基地だったこと
もあり、特にエベレスト関連の記録や装具など多数が展示さ
れています。最初の登頂者として有名なヒラリーと並ぶ、シ
ェルパのテンジンさんはこの学校の初代校長でもあります。
日本関係では田部井淳子さんの業績が展示されており、以前
には植村直己さんの展示もあったようです。過去から現代ま
でのエベレスト登頂の装備の変遷が実物で展示してあるので
山岳関係者にとっては貴重な博物館だと思いますし、実際に
ここには登山の訓練学校があるので卒業生の多くがエベレストへ登
頂しているようです。庭先には テンジンのお墓と像 が建てられてい
ました。
次は、 チベット難民センター に行きます。名前の通り難民がここ
で手に職をつけることになっているようですが実際はここでずーと
生活している人が多いようで、薄汚い建物の中で糸を紡いでから絨
毯を織り上げる課程を見学してきました。売店も併設されていたの
で何か購入しようと捜しましたが見つかりません。寄付をするのも
失礼だしいろいろ考えさせられますよ。その後はホテルに戻ってビ
ュフェ形式の夕食。急遽明日もタイガー・ヒルに希望者が行くこと
に決まりました。7名が再チャレンジで当然我々も朝4時の出発に
間に合わせなくてはいけません。ダ
ージリンの町に出ることもないので
早速お休みなさいになりました。
-5-
【第4日目はダージリンからデリーへ】
昨日と同じ手順でタイガー・ヒルに向かいます。違うのは車が2台になって分乗しま
す。この地に来ていた H・S のツアーは9名が1台のミニバンに乗ってきたようなので
まだましでしょう。でもでも、昨日よりも事態はもっと深刻で見事なまでの真っ白の世
界に浸っていました。めいめいが心眼で「こちらに見えるのがカンチェンジュンガ」と
虚しくつぶやく声が聞こえてきます。もしかすると自分の声かもしれませんが 、、、、特
別な観光地でもないので売店もなく絵はがきも売っていません。ただ CD とパノラマ写
真とガイドブックを手渡し販売してくれました。気温は10℃以下です。
←この奥にカンチェンジュンガが見えるはず!?
さっさと霧の中を引き上げてホテルに戻り、ダウンジャケットを着替えてから朝食と
荷物を出して7時半に紅茶農園に向けて出発です。バグドグラへ戻る途中で一時休憩所
がありますが、その先を脇にそれるとまたまた悪路がつづき周りの紅茶畑を眺める余裕
もないまま紅茶農園に到着しました。すでに気温は20℃を超えて暑くなってきました。
そこで出迎えてくれたのは小豆色の服に身を包んだオーナー本人で、そのまま工場の説
明まで全部行ってくれました。我々は帽子にマスク、靴カバーに身を固めての見学にな
ります。紅茶と緑茶の違いは木の種類と加工方法の違いによる。紅茶に適しているのは
大葉種。緑茶は無発酵茶であるのに対し紅茶は発酵茶であるのが大きな違い。工場内で
は、日陰乾燥された葉をローラーで揉みながら葉の中の汁を揉み出し発酵させる。葉の
色が緑から銅色にかわり熱風を当てて完全に乾燥させ等級別に分別して箱詰めされる。
これらの課程では機械も使われていますが葉っぱを運ぶのは人手による作業になります。
工場見学後は紅茶のティスティングを指導してくれました。最初は一番茶をスプーンに
紅茶農園での見学
オーナーからティスティングの説明
-6-
紅茶畑
すくい空気と一緒にずっずっと一気に口に含み飲まずにはき出しスプーンを水で洗う。
次からも同じ所作で6種類の紅茶の味を比べたのですが、今となっては何が何でどの様
な味だったのかさっぱり思い出せません。最後に直売所でありながら品数が少なく一人
一人しか入れない売店だったのが残念で、このオーナーはロイヤルファミリーの大金持
ちで周りの山林全部所有している資産家らしいので、ケチらず売店を大きくして道路の
整備をしてもらいたいなぁ!
その後は来たときと逆の行程を進むだけ。バグドグラの同じレストランで昼食を食べ、
空港では買いそびれた紅茶をたくさん購入し、窓の下のガンジス河を眺めながらインデ
ィラ・ガンジー国際空港へ予定より30分も早く着陸しました。デリーの気温は36℃
なので、ダウンジャケットから半袖まで着替えも忙しかったですよ!空港からの行程は
初日と同じでホテルもジ・オベロイ・グルガオンになります。18時に到着し歓迎のお
でこの赤点も全く同じです。ただ、ただ大きな違いがありました。部屋が全く違うので
す。何かの間違いかとも思ったり、ヒマラヤが見えなかったお詫びじゃないかとも勘ぐ
ったほどの驚きです。案内された部屋は端で遠いなぁとちょっとガッカリしたのですが。
案内嬢が扉を開けた5140号室は経験したことのないホテルの部屋?でした。部屋
と言うよりマンションの一軒家に入った感覚でしょうか?初日に泊まった広い部屋が今
回は従の寝室・バス・シャワー・トイレ・クローゼットで、主の寝室は別にあり続き部
屋にバス・シャワー・トイレ・クローゼットも同じくついています。これだけでなくゲ
ストのトイレ室・キッチン・洗濯室が独立してあり、リビングルームは一体何十畳ある
のでしょうか?付随して書斎があって、ベランダにはプライベートプールがあるではな
5140号室
従の寝室
主のバス・シャワー
トイレ室
従のバス・洗面台
キッチン
主の寝室
ランドリー
主の附属部屋
リビング
寝室をつなぐ廊下
プール
いですか!初日の部屋の5~6倍の広さがあるので少なく見積もっても3
00㎡以上はあると思います。大統領ご一行様とかマイケルジャクソンご
一行様とか複数の人が使う部屋だと思いますが、たった2人ではどこに何をおいたのか
さえ忘れてしまいそうで我が身の生活範囲を改めて知らされた思いで一杯になりました。
ちなみに私は従の寝室使用でおかみがメイン寝室を使用させていただきました。この広
さだと1泊何十万円~百万円以上も場所によってはあり得るようで生涯一度の体験をさ
せてもらいました。部屋の写真と
動画を一眼カメラ、コンパクトカ
メラ、スマホと記録に残す作業に
追われましたよ。どうしてこのツ
アー料金で泊まれたのか全く不思
議。霧の彼方の神様のおぼし召し
-7-
と考えましょう。
夕食の時間も忘れてしまいそうでしたが、今回のメニューは本格的なコース料理でつ
いついワインもおかわりして興奮冷めやらずでした。考えれば町の片隅の貧困さとこの
ような贅沢な世界と両極端なのがインドの現状かもしれません。たった1泊ではもった
いないのですが、まだ旅行が続くので寝ないといけないのが残念。
【第5日目はデリーからアグラへ】
6時半に結構まともな朝食をとり、両替をフロントで行い、
無料 Wifi でホテルの部屋を FB(フェイスブック)に投稿して
8時にアグラに向けて出発です。デリーの中心部を通るので各
国大使館の連なる綺麗に整備された場所やインド門を車窓観光
していきます。国会議事堂や大統領官邸もあるこの周辺にはさ
すがに貧民街のような場所は見あたりませんでした。郊外から
アグラまで高速道路がようやく整備されて順調にバスは走りま
すが、ただこの高速にはほとんど車が走っていません。アグラ
までの高速料金が50$なので時間がかかっても並行して走る
一般道路を選ぶからのようです。他の日本のツアーもほとんど
が一般道路を選ぶのはどうしてでしょうか?車窓観光できる場
所があるのかないのか不明。高速を降りるともうひどい大渋滞
で三輪のリキシャがウジョウジョ走りクラクションの音が至る
所で鳴り響きそれはもう喧騒のアグラと言う第一印象になって
しまいました。大体定員通りに乗っている車ってあるのでしょ
うか?インドの人口が世界一になるのは時間の問題と実感でき
る光景が続きます。
正午には着いたので4時間の移動になりました。早速昼食に
なりますが、ここではインドの郷土料理であるターリーをいた
だきました。このレストランには日本人観光客が集まる場所の
ようで安心感があります。ターリーは小さな器に15種類のカ
レーや豆料理やデザート等入ったものでこれにナンがついてき
ます。まあ珍しくあってもたくさん食べたいとは思いませんで
した。アグラをかかず椅子に座って食べましたよ。
1時半にレストランを出てタージ・マハルの駐車場に行き、ここから電動トレインで
入場口に向かいます。例によってセキュリティチェックを受けて入場ですが、まずは正
門の前でいろいろレクチャーを受け第一弾の記念写真をみなさんが撮りました。
-8-
タージ・マハルの写真は幾度も見てきました。世界一綺麗で大きなな大理石のお墓と
言う印象です。世界遺産に1983年登録されたその建物は、1631年から22年も
の歳月をかけて膨大な大理石を使って建造された霊廟で、ムガール帝国第5代皇帝シャ
ー・シャハーンが亡くなった妃ムムターズ・マハルを祀るために建造したもの。ここに
来て初めて写真撮影の被写体が現れた気持ちにもなりましたが、そもそも内部はどうな
っているかの興味が以前からありました。他の観光客と同様に、その美しい外観を写真
に納めてから中に入ります。もちろん靴にカバーを被せての入場ですが、あいにく内部
は撮影禁止でした。それでも撮影しているのは現地人でインド人ガイドのハリッシュさ
んは嘆いていましたよ。座ってはいけないと書いてあっても大勢で座っているのはイン
ド人。文字が読めない訳じゃないようですが 、、、、。あの大きなドームの中心には妃のお
墓が祀られており、その傍らに少し小ぶりの皇帝のお墓もありました。ただ、本物はこ
の地下深くにあるのでレプリカを見ている形になりますが、大きな違いはないでしょう。
たったその2つの墓しかないのに巨大な建物は不釣り合いにも思えますが、墓よりも時
間と光によって微妙に色合いを変える総大理石の建物自体のお陰で皇帝やお妃の名前が
後世に残ったのだからきっと本望でしょう。
タージ・マハル正門
タージ・マハル
観光後は駐車場に戻りましたが、ここで驚く光景に出会
いました。遠目で見て大きなお猿さんが走っているのかと
錯覚したのは可哀想な少年。ブラブラして尻尾に見えたの
は近づいてみると完全に弛緩性麻痺をおこし萎縮してヒモ
のようになった左下肢で、両手と右足で動物のように走っ
ていたのでした。これに該当する疾患はポリオしかあり得
ません。川崎医大の中野貴司先生がアフリカで撮影したス
ライド写真と全く一緒でした。
同じ世界遺産でもすぐ近
くに建つアグラ城は歴代皇帝の居城で、その外壁は赤砂岩
の城壁に囲まれており多くの宮殿が点在しているはず。現
在観光できる箇所はごく一部ですが、何せ40℃近くの暑
さでガイドの内容も次から次へと蒸発してしまいました。
-9-
アグラ城
ただ記憶に残るのは、タージ・マハルを建立した皇帝が晩年こ
の城に幽閉されてしまい、窓の外に見えるヤムナー河の奥のタ
ージ・マハルを見ては嘆き悲しんだと言うエピソードだけかも
しれません。
観光後は今回のツアーで一番期待していたホテルに移動です。
部屋からタージ・マハルを眺められるのがポイント。でも、デ
リーで生涯一度を経験したので部屋のつくりは普通に思えて残
念ですが、同じ系列ホテルの1ランク上なのでホテル全体は非
常に豪華で綺麗でした。夕食時にホテルの売店を探しましたが
貴金属しかなく値段をながめてあきれるだけ。レストランは民
族衣装に身をまとったイケメンが給仕してくれますが、セット
メニューでもカレー味が中心で特別美味しいという感想はありませんでした。残念!
また、部屋からタージ・マハルを眺めることが出来ましたが、お墓のライトアップは行
わないそうで、あっという間に闇の中に消えてしまいましたよ!お休みなさい。
【第6日はアグラからデリーへ】
ロビー
部屋からのタージ・マハル
朝の景色は美しかったです。朝日に浴びて刻々と表情を変えるタージ・マハルをいろ
いろな角度から写真に納めたり、ホテル内を散策しました。外にブティックが併設され
ていたのでちょっと覗いて象さん購入し7時半に朝食です。
ホテル後方のタージ・マハル
ホテル正面
大理石販売のブティック
出発までの短時間にもう一度ブティックを訪れたら、他の
店も開店してくれたので大理石の土産を販売している店に突
入です。テーブルや椅子など大型のものは日本へ輸送すると
言っていましたがとてもとてもその気になれません。小さな
大理石に細かく描画された小箱が妻のお気に入り。棚から出
したその値段は 6,000 と書いてありましたが、何とルピーで
はなく$でした。一体いくら??危うく散財の危機回避で良か
部屋からのタージ・マハル
った!
9時出発で、来たときと全く反対の行程でデリーに向かいました。あのガラガラの高
速道路が凸凹と知ったのはこの時で、何を急ぐかバスがバウンドをするではありません
か?でも事故もなく13時にはデリーの日本食レストラン「たむら」でご飯にみそ汁と
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幕の内弁当をいただきました。やはり醤油味は懐かしく緑茶も懐かしかったです。
このレストランに向かう時に初めてと言って良いほどインドの土を踏みしめました。警
笛鳴り響く雑踏の中でバスを降り、お互いはぐれないように歩いたので群衆の臭いまで
を感じた一瞬でもあります。やはり日本は良いですよ!
午後の観光予定は世界遺産の2箇所です。まずはクトゥブ・ミナールに行きました。
ミナールとはモスクの尖塔(ミナレット)のことで、ここの高さは 72.5m とインドで一
番高い尖塔とのこと。ヒンズー教徒に勝利した記念に奴隷王朝創始者クトゥブディーン
・アイバクが 1192 年に第1層を建て始め、後継者が残りを建立し、第4,5層は地震等
で壊れて修復されたので各層の造りが微妙に異なっています。内部には 369 段の階段が
あって塔頂部に以前は昇れたようですが現在は入場不可。まあ昇るより被写体になった
方がお互いの身体に優しそうですね。この塔を見上げている間にも何機もの飛行機が重
なったので空からもきっとこの塔が見えていることでしょう。決して突っ込んではいけ
ません。
倍の大きさ目指した未完の塔
クトゥブ・ミナール
最後の観光地はフマユーン廟になります。ここはタージ・マハルの原型となったと言
われるムガール建築の傑作で、ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟。妃の指示に
より 1565 年に建造されました。ここには部屋がいくつかあって王妃や子孫なども眠る墓
が置かれています。外壁は赤砂岩と大理石が入り交じったもので前庭の池の水が建物を
映し出す様子で、タージ・マハルが同じ手法を用いていることがわかりました。ここが
最後の観光地なのでガイドのハリッシュさんと添乗員の林さんにお願いして記念撮影を
しました。お二人とも実に親身になっていろいろ面倒をみてもらいました。
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フマユーン廟
廟内部の天井
内部はお墓で撮影可
廟の前で
ガイドのハリッシュさんと添乗員の林さんと
各種カレー料理
一番飲んだチャイ
最後の晩餐はインド・ケバブ料理の夕食になります。これは簡単に言えば BBQ(バー
ベキュー)と同じで串刺しにした肉やソーセージなどを温めて食べます。またインドの
カレーを何種類か集めて食べ比べもしましたが、インドで一番辛いと言われるものが通
常の日本の辛さに近かったので先入観は怖いと思いましたよ。インド人にとってのカレ
ー味は日本人にとっての醤油味と同じような感覚のようです。
今回のメンバーの素性が最後に大体判明したのですが、埼玉・栃木の夫妻と港南区の
夫妻は同業者で滋賀の夫妻は不明、兵庫・大阪の母娘も不明でしたが皆さん良い方ばか
りでした。ツアーで今までイヤな思いをした同行者を思い出せないのは不思議でなりま
せん。
22時20分に空港に到着し、NH918 便 1:35 分に離陸して予定よりもまたまたショート
カットして?30分も早く成田に帰国しました。
今回の旅行をまとめると 、「大自然相手には勝てないしヒマラヤを見たけりゃ心眼で
見ろ。きっとご褒美に素敵なスイートルームを体験させてくれる。インドは噂に違わず
人口が多く貧富差が激しく発展途上の国で日本人顔の地域もある。基本的に暑い国 。」
となるでしょうか?褐色の肌は私と同じでも料理に関しては私の好みとは多少以上に違
っているようでした。
2013.5.13記載
- 12 -
イ ン ド へ の 旅
-紅茶の里ダージリンと
デリー&アグラを訪ねて-
2013.4.27-5.3
- 13 -
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