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続・憲法を学んで、仕事と暮らしに活かそう

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続・憲法を学んで、仕事と暮らしに活かそう
続・憲法を学んで、仕事と暮らしに活かそう
(2014 年度 なのはな会 理事長講話)
目 次
はじめに
・職員人事の概要
・地域サポートセンター棟の建設
・障害者権利条約の批准
1.今年度の理事長講話のテーマ
昨年度のテーマ「憲法を学んで、仕事と暮らしに活かそう」
―― 職員の感想文から ――
今年度の講話も続けて同じテーマでやりたい。
2.憲法闘争の具体例
(1) 障害者自立支援法違憲訴訟
「基本合意」による和解・取り下げ
・障害者の選挙権保障
(2) 朝日訴訟 (憲法25条)
重症の結核患者・朝日茂さんが提起した生活保護基準の違憲訴訟
・岩手県沢内村(現・西和賀町)の生命行政
3.日本国憲法と私たちの暮らし
(1) 日本国憲法の基本原理
(2) 日本国憲法における権利条項
(3) 「憲法が最高法規である」ということ
以 上
1
2014 年度なのはな会
理事長講話
はじめに
お早うございます。新しく「なのはな会」の職員になられた方々を心から歓迎します。
なのはな会には 40 年近い歴史があります。これまで大事にしてきたことをきちんと受け継
いで、新しい仕事で大いに力を発揮していただきたいと思います。
先ず、今年度の職員人事の概要については、いま辞令交付を緊張の中で済ませました。
これが、なのはな会の新年度の職員体制です。昨年度の理事長講話で「これまで施設長人
事は定年退職された校長先生をお迎えすることが続いたけれど、今後はなのはな会で育っ
てきた人を登用したい」と言いました。その第1号が、先ほど辞令交付した「はまなす苑」
苑長の佐藤弘康さんです。佐藤さんは、平成6年、1994 年に福祉系専門学校を出て、なの
はな会・こまくさ苑に就職され、その後、はまゆう、はまなす苑など勤続 20 年になります。
昨年から「はまゆう」の施設長代理を兼務してもらっていました。また、なのはな会の職
員代表者委員会の委員長を 3 年ぐらい担当されていました。同委員会は、非常勤職員も含
めて全職員の選挙で選ばれた委員会で、重要な問題についての労使協議の場として運営し
ています。そういう経歴等を総合的に評価して、今度の人事になりました。
もう一つの特徴としては、主任クラスについて、昇格 3 人と配転 4 人の大幅な人事異動
を行いました。その中で、今まで施設勤務だった芝田和史さんを事務長補佐に抜擢しまし
た。主任クラスの人たちは、いずれは佐藤さんに続いて、施設長や事務長になってほしい
と思っています。
2番目には、地域サポートセンター棟の建設があります。私が理事長になったのは 2000
年ですが、その直後からレスパイト棟の建設計画があって、仙台市に用地を提供してほし
いという理事会の決議がありました。詳しい経過を話しませんが、予定地が二転三転して、
ようやく仙台市泉区の上谷刈(かみやがり)という場所に確定しました。レスパイトだけで
なくて、いくつかの地域事業を統合した地域サポートセンター棟の建設となったのです。
開所までには未だ日時がかかりますが、上谷刈地区に隣接する地域には3.11大震災の
被災者のための災害公営住宅の建築計画があり、その地域に被災地からお互い面識のない
人たちが移住されることになっています。サポートセンター棟は、地域共生のサポート施
設として、障害者・高齢者および子どもたちのための地域コミュニティのセンターとして
の役割が期待されています。なのはな会にとっても新しい事業展開だと思います。
障害者権利条約の批准
障害者権利条約がようやく批准されました。この権利条約は、2006 年 12 月に第 61 回国
連総会で採択されてから、もう7年くらいかかっています。批准というのは、国会の承認
と内閣の調印があって始めて国内法として効力を発生するのです。国連の加盟国は 194 カ
2
国ありますが、日本が批准したのは 140 番目くらいでした。なぜこんなに批准が遅れたか
と言えば、この間に国内法の整備を行っていたのです。批准された条約の効力は法律より
も上位規範に位置付けられます。ここで法律というのは国会が制定したものを指しますが、
批准された条約は法律よりも上位規範ですから、それに反する法律や命令などは効力を失
うわけです。そういう吟味をしていて手間取ったわけです。事実、この間、障害者虐待防
止法や障害者自立支援法を改称した障害者総合支援法が制定されました。さらに障害者差
別解消法も制定されましたが、これはまだ発効していません。このように、条約違反で無
効にならないように国内法整備を先行させたのです。
それでは、完全に国内法が整備されたかというと、そうは言えません。その判断基準は
後で触れますけど、
「障害者自立支援法は憲法違反」という訴えに対して、判決が出る前に、
原告と被告(国)との間で和解して、「合意文書」を取り交わしました。この話は昨年の講
話でも話しましたが、その合意文書の内容が十分に取り入れられていない。また、合意文
書を交わした後で、障害者団体を主なメンバーとした障がい者制度改革推進会議・総合福
祉部会が提唱した「骨格提言」なども、ほとんど省みられていないからです。
だから、障害者権利条約の批准によって、これまでの施策がガラッと一変することはあ
りません。批准された条約は法律よりも上位規範だけれど、憲法が最高法規ですから、憲
法に違反しているかどうかが基本問題なのです。それでは、何一つ変わらないかといえば、
条約の実施状況を監視する権利委員会が国連に設置されて、同委員会に対して加盟国は国
内における実施状況を定期的に報告する義務を負うことになります。今まで国内問題だけ
で済ませていたことが、今後は国際的な視野から検討されることになります。また、条約
の批准とは別個に、選択議定書を批准すれば、個人の立場でも権利委員会に通報すること
ができます。いずれにしろ、国際的な視点から日本の障害者施策が見直されるという新し
い局面に入ったということです。
障害者団体の関係者は、権利条約の批准は「ゴールではなく、スタートに過ぎない」と
言っています。私たちは、以前に学習会をやりましたが、権利条約を生かすことが今後の
課題になるので、あらためて学習する機会を持ちたいと思います
1.今年度講話のテーマ
理事長講話は、2011 年の3・11 大震災の後では昨年度までに3回ありました。3・11 の
あった年の4月にも辞令交付式をやりました。余震が気になったけれども、あえてやった
のですね。2011 年度の理事長講話では、
「大震災を超えて」というテーマで、震災関連の話
をしました。2012 年度には、「大震災で『失った』もの、『知った』こと」で、やはり大震
災を中心に話しました。昨年度は、「憲法を学んで、仕事と暮らしに活かそう」というテー
マで話しましたが、それは私が個人用として出している年賀状に印刷した文章で、
「
3 ・11
東日本大震災で改めて思ったことは、命と暮らしが守られる社会でなければならないとい
うことです。そのためには日本国憲法の国民主権、人権尊重、平和主義の基本原理を具体
3
化することだと思います」を紹介して、憲法の話に入ったのです。
大震災から 3 年経った現在も、家を津波で流出・破壊された人、流出・破壊はなかった
が原発事故による放射能汚染で自宅に戻れない人など、未だ 20 数万人の避難者がおられま
す。仮設住宅の生活で体調を崩して亡くなるという関連死が続いており、関連自殺もあり
ます。震災の復旧・復興や原発被害等は決して収束していないのです。それにもかかわら
ず、安倍首相はオリンピックを東京に誘致したいという一念で、国際オリンピック委員会
(IOC)の総会で、世界の人たちが一番心配している3・11の原発事故による放射能
汚染問題に敢えて触れ、
「状況は完全にコントロールされている」、
「健康問題は、現在も、
将来も、まったく問題ないと約束する」と言い切りました。現地の人たちは、
「何を言って
いるんだ」と怒っているのです。
今回も大震災関連のテーマで話そうかと思いましたが、今年の年賀状には、
「安倍政権は
『海外で戦争をする国』に向かって暴走し続けています。戦後 68 年間守ってきた平和を維
持するために、今こそ憲法9条の規範力と主権者としての国民の底力を発揮するときだと
思います」というものでした。
昨年度は、憲法の話を中心に話したのですが、それに対する感想文を職員代表者委員会
が集めてくれ、64 人分が私の手元にあります。そこには私の言いたかったことが、きちん
と受け止められていると思いました。例えば、
「今の憲法が多くの犠牲、2千万人のアジア
の人民と 310 万人の日本国民の命を奪い、その反省に基づいて成り立っているという話を
聞いて、ハッとした」とか、
「憲法は、国家権力の濫用を抑えて国民の人権を守るもので、
『権力を縛るもの』だという話にびっくりした」とか、
「私たちは主権者なのだ。主権者と
は、国の政治のあり方を最終的に決める力を持っているものをいうが、大日本帝国憲法時
代はそれが天皇だった。今の憲法では国民が主権者なのだ。だから、政治に関して『知ら
なかった』とか『騙された』と言って、被害者のような顔はできないのだと聞いたとき、
ハッとした」。
「なのはな会の基本理念は、憲法を実現することになっているのがよく分か
った。そのことに誇りを持つ」、
「憲法の学習は、まだまだ足りない」など、多くの職員が
感想を述べていたのです。
今日は、なのはな会の基本理念については、資料として用意していませんが、皆さんは
手元に持っているし、新しい人たちにはお渡しします。
安倍政権の「戦争する国づくり」政策
先ほど、今年の年賀状で「安倍政権が海外で戦争する国に向かって暴走し続けている」
と書いたと言いましたが、それは、昨年末にかけての臨時国会で、国家安全保障会議設置
法、これはアメリカにもあるので「通称・日本版NSC」と言われているものです。国家
権力を集中して、いざというときには司令塔になるものです。それを全面的に改組・強化
したのです。それと、特定秘密保護法の強行採決で、短期間に多くの人たちや各種団体が
立場の違いを超えて、
「戦前の治安維持法や軍事機密保護法の再現である」と言って、反対 ・
4
批判・慎重論が急速に広がったのですが、それらを一切無視して強行したのです。戦争や
有事の場合には国家間や国家秘密を保全しなければならないと、現行の公務員法や自衛隊
法などの法規制のほかに、国民までも適用対象として厳罰化を図ったのです。これは、政
府にとって都合の悪いことを隠しながら、国民の知る権利を奪う憲法違反の悪法です。こ
れら一連の法案を強行したのは、いま安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認しようとして
いるのと一体をなすものなのです。
普通、自衛権とは、他国から攻められたときに反撃する権利をいうのですが、集団的自
衛権はそれとは違うのです。日本が攻められてもいないのに、同盟国等の戦争のために武
力行使することです。
「戦争を放棄し、戦力を持たない」と定めた憲法9条の下では、それ
はできないと、長年にわたって歴代内閣は言ってきたのです。
とっくにないというのはおかしい」と、集団的自衛権の行使を容認しようとしています。
確かに、国連憲章51条には個別的自衛権と並べて集団的自衛権を規定しています。し
かし、それは権利であって義務ではではないのだから、国連憲章上の権利といえども、そ
れを行使するか否かは加盟国の選択に委ねられています。わが国が「憲法9条があるから
集団的自衛権は行使しない」と決めることは、少しもおかしくないのです。
実は、安倍政権はとっくに「集団的自衛権の行使を容認する」と決めているのです。2
006年9月から翌年9月まで1年間続いた第1次安倍内閣の時に、安倍首相の私的な諮
問機関として、
「安全保障の再構築のための法的基盤の再構築を検討する懇談会」(略称・
安保法制懇)を発足していました。安保法制懇が「集団的自衛権の行使は違憲ではない」
という報告書を提出したときには、すでに安倍さんは体調不良を理由に辞任しており、そ
の後の内閣は報告書を無視したのです。それを、第2次安倍内閣では、まったく同じ顔ぶ
れで再開したのですから、結論はもう分かりきっているのです。
先ほど話したように、
「集団的自衛権の行使を容認する」ための準備は、もう完了してい
るわけですから、それを前提とした国家安全保障会議の設置や特定秘密保護法の制定、さ
らには武器輸出禁止を解禁する武器輸出三原則の見直しなどによって、
「海外で戦争ができ
る国」に着々と進めているわけです。
こういう話をこのまま続けると、それだけで講話が終わってしまうので、この続きは別
の機会で話すことにしたいと思います。
2.憲法闘争の具体例
昨年度の講話に対する皆さんの感想文の中に、
「憲法について、身近な問題だと実感して
いなかった」とか、「自分の生活が憲法と直接関係あるなんて思ってもいなかった」という
率直な感想がありました。そこで、今回は、実際に自分の生活や権利を守るために、憲法
を行使した事例をいくつか取り上げてみたいと思います。
5
(1) 障害者自立支援法の違憲訴訟
第一に、昨年の講話で取り上げ、先ほども少し触れましたが「障害者自立支援法の違憲
訴訟」です。障害の重い人ほど自己負担が増えるという応益負担方式を押し付ける障害者
自立支援法は憲法違反であるとの訴えを、全国で 71 名の障害当事者が原告となって 14 の
地方裁判所に出したのです。その法的な根拠としては、これからお話する憲法 25 条(生存
権の保障)、憲法 13 条 (個人の尊重・幸福追求の権利)、憲法 14 条(法の下の平等)等の人
権条項に反しているというのが訴えの趣旨でした。
この裁判がどういう結果になったかというと、判決で決着をつける前に、自公政権から
民主党政権へと政権交代があって、民主党は「障害者自立支援法を廃止する」と選挙公約
で掲げていましたから、もう裁判を続ける気がなかったのです。そこで和解して取り下げ
たのです。当時の厚労大臣は、
「障害者自立支援法の立法過程において、十分な実態調査の
実施や障害者の意見を十分に踏まえることなく、拙速に制度を施行するとともに、応益負
担の導入などを行ったことにより、障害者、家族、関係者に対する多大な混乱と生活への
悪影響を招き、障害者の人間としての尊厳を深く傷つけたことに対して、心から反省の意
を表明するとともに、この反省を踏まえて、今後の施策の立案、実施にあたる」と述べて、
合意文書を取り交わして訴えを取り下げたのです。
一人の女性が法律改正をさせた ―― 成年被後見人の選挙権
昨年、ダウン症の女性で、名児耶 匠(なごや たくみ)さんという人が、2000 年から施
行された新しい成年後見制度によって、
「今まで行使できていた選挙権が、成年被後見人に
なったことで、公職選挙法 11 条の規定『成年被後見人や、禁固以上の刑に処せられその執
行を終わるまでの者など』に該当して、選挙権が行使できなくなった。これは 憲法 13 条(個
人の尊重)、憲法 14 条(法の下の平等)
、憲法 15 条・44 条(選挙権の保障)などに違反し、
無効である」との訴えを提起したものです。これに対して、東京地裁は、全面的に原告の
訴えを認める判決(2013 年 3 月 14 日)を下しました。
この訴訟は、お父さんが、彼女の財産管理について自分の責任を全うしようと成年後見
制度を利用したのですが、まさかそれによって娘さんが選挙に行けなくなるなどとは考え
ていなかったのです。判決は、
「選挙権は国政参加の機会を保障する基本的権利で、民主主
義の根幹を成す。憲法も、投票によって政治参加の権利を保障し(中略)、選挙権やその行使
を制限することは原則として許されない。制限するには、選挙の公正確保が不可能か著し
く困難と認められる『やむを得ない事情』がなければならない。財産を管理・処分する能
力の有無と選挙権を行使する能力は異なる。財産などの適切な管理や処分はできなくても、
選挙権を行使できる人は少なからずいると認められる。そもそも被後見人も国民だ。国民
には障害者や老化に伴って判断能力が低下している人などさまざまなハンディキャップを
負う人が多数存在する。そのような人もわが国の主権者なのは言うまでもなく、選挙権を
奪うのは極めて例外的な場合に限られる。第三者が特定の候補者に投票するよう不正な働
6
きかけを行うなど不公正、不適正な投票が行われることがあり得る。しかし、それによっ
て選挙の公正さが害される恐れは見いだし難く、不公正、不適切な投票が相当な頻度で行
われることを推認する証拠もない。(中略)制度の趣旨が異なる後見制度を利用して、一律
に選挙権をうばうことがやむを得ないとは言えない」として、公職選挙法の規定は憲法違
反であり、無効。原告には選挙権があると認められ、次回の国政選挙で投票できる」とし
たのです。
判決を言い渡した後で、裁判長は「名児耶さん、どうぞ選挙権を行使して、社会参加を
してください。堂々と胸を張って、良い人生を送ってください」と、声をかけました。
ところで、判決の効力は名児耶さんだけに及ぶわけですが、彼女と同じ立場にある人は
全国で約 13 万 6 千人おります。そこで公職選挙法 11 条の改正が必要だということで、公
職選挙法改正案を国会の全会派一致で採択しました。朝日新聞の社説(2013.3.15)では、
「後見と選挙権・民主主義が問われた」という見出しで、民主主義とは何か、社会と繋が
るとはどういうことか、それらを考えるときに必ず立ち返るべき裁判となったという主張
を載せています。
これは、一人の女性が、
「自分の扱われ方が、どうしても納得できない」ということで、
憲法を自分の暮らしに活かしただけでなく、国政にも大きな影響を及ぼした事例です。
(2) 朝日訴訟 ―― 重症の結核患者が国を訴えた裁判
次の朝日訴訟は、私が大学で憲法や社会保障法の講義をしていたときは、必ず1回分の
授業全部を当てて取り上げてきた問題です。ここに、『人間裁判』という朝日さんの手記を
まとめた本を持ってきました。もうボロボロで今にもバラバラになりそうな本です。学生
諸君が、
「読みたいけど本屋にはなくて、図書館にもなかったので、貸してもらいたい」と、
貸しているうちにボロボロになってしまったのですが、これは私の宝物です。私がまだ福
祉の現場で働いていた 20 歳代の頃に手に入れたものです。
この朝日訴訟とは、どういう裁判だったかというと、朝日さんは結核を患って岡山県内
の療養所で暮らしていたのですが、福祉事務所が、
「誰か、朝日さんを扶養できる身内はい
ないか」と調査した結果、戦時中は外地に住んでいて 25 年間も音信不通だった兄さんが、
今は九州に住んでいるのを探し出しました。そこで、福祉事務所から兄さんに対して「貴
方の弟さんがこういう状況でいるから、送金してもらえないか」と頼んだのです。兄さん
は自分の生活も楽ではないが、結核で療養している弟のためにと、毎月 1500 円の仕送りを
引き受けてくれた。朝日茂さんは泣いて喜んだのですが、福祉事務所がとった処置は、1,500
円のうち、600 円は従来どおり日用品費として本人に渡すが、残りの 900 円は医療費の自
己負担分として国庫に入れるというものでした。結局、朝日さんにとっては何一つ変わら
なかったのです。
そこで、朝日さんは「重症の結核患者にとって病院の給食だけでは食欲がないときがあ
る。せめて補食費を含めて手許に月額 1,000 円残してほしい」と、担当のケースワーカー
7
に言ったけれど拒否されたので、生活保護法の規定どおり県知事に、次いで厚生大臣に不
服申し立てをしたのですが、いずれも却下されました。やむなく国を相手にして、東京地
裁に訴えを提起したのが 1957 年 8 月です。
この訴訟の経過については詳しく話す時間はないので、レジュメの「朝日訴訟日誌」を
見てください。一審判決(東京地裁 1960.10.19)は、朝日さんの主張を全面的に認めて、福
祉事務所のとった処置は「憲法違反で無効」という画期的な判決でした。憲法 25 条や生活
保護法 3 条の「健康で文化的な生活」という文言は、
「たんなる修飾ではなく、特定の国に
おける特定の時点においては一応客観的に決定すべきものであり、またしうるものである」。
「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指
導支配すべきもの」と判示したのです。また、生活保護を受給していない、いわゆるボー
ダーライン層の生活実態を基準とするのは間違っていると言ったのです。
この東京地裁判決に対しては、国が不服として高裁に控訴して「すこぶる低額ではある
が、違法とまでは断定でない」という判決で逆転敗訴になりました。今度は、朝日さんが
最高裁に上告したのですが、判決が出る前に、1964 年 2 月に朝日さんは 51 歳で亡くなり
ました。亡くなる前に養子縁組をして養子になった人が訴訟を承継したのですが、最高裁
判決(1965 年 4 月)では、
「本件訴訟は上告人の死亡と同時に終了した」としながら、
「な
お、念のために当裁判所の意見を付加する」として、意見を述べた上で上告棄却の判決を
下しました。その意見の中で、
「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの判断は、い
ちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されている」が、「憲法および生活保護法の趣旨・
目的に反し、裁量権の限界を超え、または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として
司法審査の対象となる」と述べています。
結局、朝日訴訟は、訴訟半ばで原告の朝日さんが亡くなったこともあって、最高裁で敗
訴が確定しました。それでは、この訴訟は意味がなかったかというと最高裁で終結するま
での 10 年間で、日用品費 600 円が 10 倍に引き上げられ、生活保護基準全体でも6倍にな
りました。さらに、憲法 25 条「健康で文化的な最低限度の生活保障」は、政治や行政の目
標を定めたプログラムに過ぎないと言われていたのが、法的な権利であって「裁判の対象
にもなり得る」と最高裁も認めましたから、画期的な意義があったのです。
生活保護基準は、
「ナショナルミニマム」といって、国が義務として保障すべき国民生活
の最低基準を定めたものですから、社会福祉や社会保険などの社会保障給付額や、賃金・
労働条件などの労働法制等、国民生活に関わる領域での算定基準の根拠となるものです。
だから、
「生活保護基準は自分には関係ない」などと言える人はいないのです。
いま、生活保護基準が大幅に引き下げられようとしており、
「自助・共助」が強調され、
民法上の私的扶養を優先して、
「公助」すなわち国の責任を縮小しようとする動きがありま
す。朝日さんが命がけで闘った訴訟の意義を、あらためて確認する必要があると思います。
8
沢内村(現・西和賀町)の生命行政
次に、岩手県沢内村の生命行政を取り上げたいと思います。これは数年前に、
『いのちの
山河』という映画になって、私もその映画の上映運動の呼びかけ人になりました。仙台市
内でも何回か上映しましたから、ご覧になった人もいるでしょう。ああ、おられますね。
岩手県の沢内村(現・西和賀町)というところは、冬は豪雪地帯で交通が途絶し、医者にも
かかれずに多病・多死で、住民所得も県下で最低という貧しい村でした。その村に、深澤
晟雄(ふかさわ まさお)という人が、1957 年に村長に就任しました。深澤さんは東北帝大
法文学部(現・東北大学法学部)の出身で、私の先輩になります。深澤晟雄さんは「命を守る
ことが行政の一番大事な仕事だ。それは本来、国がやるべきものだけれども、それを待っ
ていられない。国は後からついてくる」と言って、1960 年 12 月から 65 歳以上の高齢者は、
村立の沢内病院では窓口負担ゼロの 10 割給付にして、次の年には高齢者を 65 歳から 60 歳
に下げ、さらに乳児の医療費も窓口負担ゼロにしました。
そのときに、国や県から、
「窓口負担ゼロというのは国民健康保険法に反して違法だ」と
是正を求めてきました。その時、深澤村長は、
「国民健康保険法に違反するかもしれないけ
れども、憲法には違反していない。訴えるなら訴えてもいい、私はとことん争う」と言い
返したのです。これは私の推測ですが、深澤さんは先ほど話した朝日訴訟の一審判決を知
っていたと思います。わずか 2 か月前の判決であり、その中で「憲法 25 条は、国のあり方
を示したプログラムなんかじゃなく、国民の権利を保障したものだ」とあるのを、法学部
出身の深澤さんが知らなかったわけがない。
『いのちの山河』の映画でも取り上げられていましたが、それまで赤ちゃんが生まれて
も次々と死んでいた。ところが、窓口負担ゼロだから、症状が軽いうちに早期発見・早期
治療ができるし、保健婦をふやして予防衛生にも力を入れたので、1962 年には乳児死亡率
がゼロになった。当時、こんな記録は全国の市町村では無く、沢内村が最初だったのです。
深澤さんは、1965 年に村長2期目の途中、59 歳で亡くなりました。多くの村人たちが沿
道に列をなして遺体を乗せた車を見送る感動的な場面で映画は終わるのです。
しかし、深澤さんが亡くなってからも、高齢者と乳児の窓口負担ゼロの制度は続けられ
たのです。その後、乳児は県としてやることになって、沢内村の独自事業でなくなったの
ですが、深澤村長の死後も町村合併まで続いたのです。
沢内村は、2005 年に隣町の湯田町と合併しました。湯田町は他の市町村と同じように5
割負担(その後、3 割負担)でやっていたので、
住民の医療費負担の違いをどう調整するかが、
最大の合併協議事項でした。結局まとまったのは、高齢者は 65 歳以上に引き上げ、通院の
場合は1カ月最高 1,500 円、入院の場合の自己負担は 5,000 円を限度とし、それを超えた
場合は町が全額負担する。それを旧湯田町の個人医院や薬局にも適用し、さらに年齢に関
わらず非課税世帯は無料とすることになりました。最近、西和賀町役場に、
「今どうなって
いますか」と問い合わせましたが、
「今もそれを維持している」という返事でした。
9
3. 日本国憲法と私たちの暮らし
(1) 消費税の引き上げと憲法問題
今日から消費税が3%上がって8%になりましたが、これをさらに来年は 10%にすると
政府は言っています。消費税というのは「誰もが同じ率で負担するから公平だ」というの
は違います。所得の高い人も低い人も同じ税率で負担させるというのは、公平なんかでは
ない。ヨーロッパでは、食料品や生活必需品なんかは、一般の税率よりも低くされていま
すが、日本ではそういう扱いもしていない。税金は、その人の経済的能力に応じて負担す
るという累進課税が原則なのですが、消費税は、所得の低い人には重く負担がかかる逆進
性の税制なのです。
この消費税は、「社会保障の税の一体化」という理由で引き上げたのですが、社会保障の
給付は、むしろ引き下げられています。それでは、何が変わるかと言えば、今まで法人税
や所得税を財源にしていたものを消費税に切り替えるというのです。だから、国はそれで
余った金を他のほうに使えるわけです。それを見込んで、防衛費は11年ぶりに増えまし
た。消費税の引き上げには、そういう仕組みがあるわけです。
消費税の引き上げは、
「社会保障を維持するために、しょうがないだろう」と思っている
人もいるかもしれない。だけど、消費税の引き上げが社会保障の水準を引き上げることに
なっていない。それどころか、年金支給額は下がっているし、生活保護費も大幅に引き下
げられ、今後も引き下げるとしています。
社会保障は、朝日訴訟のところで述べたように、憲法 25 条 1 項の「すべて国民は、健康
で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を実現するために、同条 2 項の「国は、
すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけ
ればならない」にもとづくものです。今は、それと逆行する方向で進んでいるわけです。
消費税を社会保障の財源とすることで、
「社会保障を充実させてくれというなら、消費税
の引き上げはやむを得ないでしょう」「消費税の引き上げ反対というなら、今の社会保障給
付は維持できませんよ」ということになる。これでは、どっちも選びようがない。こうい
うのを「悪魔の選択」というのです。消費税は、そういう意味で非常に問題のある税制度
なのですが、この話は、時間の制約があって今日はもうできません。
次に、せっかく憲法の条文を資料にしてもらっているので、これを引用しながら憲法の
話に移ります。レジュメの関係条文を参照してください
(2) 日本国憲法の基本原理
昨年の講話では、
「日本国憲法は、占領軍によって押しつけられた憲法である」という考
え、自民党の見解でもありますが、これを取り上げて批判しました。また、日本国憲法の
基本原理とその相互の関係について、国民主権でなければ基本的人権の保障はあり得ない
し、基本的人権の保障を根こそぎ奪うのが戦争である、という話もしました。
今回は、その続きを話すことにします。
10
先ず、前文ですが、これは昨年も話したように、「まえがき」などではなく、憲法のエッ
センスであり、基本原理を掲げたものであって憲法の一部をなすものです。
前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生
存する権利を有することを確認する。
」という、平和的生存権を規定しています。これは、
先ほどの朝日訴訟以前の裁判所のように、「理念を掲げたものであって法規範にはならな
い」という見解を多くの裁判所が踏襲していました。これに対して、「自衛隊のイラク派遣
は憲法違反である」とした名古屋高裁判決(2008.4.17)は、
「平和的生存権は具体的な権
利であり、すべての人権の根拠になっている基底的な権利である」と述べています。
第 1 条は、条文の主語が「天皇」で始まっていますが、
「この地位は、主権の存する日本
国民の総意に基く」と、国民主権を宣言したものです。国の政治のあり方を最終的に決め
る力を有しているのは、かつてのように天皇ではなく、今も内閣総理大臣ではなく、国民
であるということです。
次に、第 9 条は、戦争放棄・戦力不保持を定めている平和主義です。これには、第1項
と第2項があり、自民党の憲法改正案では、第 1 項はそのままで、変えないのだから平和
主義を守っていると言っています。しかし、第 1 項の「武力の行使は、国際紛争を解決す
る手段としては放棄する」というのは、国際法上は、侵略戦争を意味すると解釈されてき
ました。だから、日本も不戦条約(1928 年)を批准しながら、満州事変や日中戦争を「侵
略戦争ではない」と言って、太平洋戦争へと続く 15 年戦争をやったのです。
日本国憲法の徹底した平和主義は、第 2 項の「戦力は保持しない、国の交戦権は認めな
い」にあるのですが、自民党の憲法改正案では、これを全部削除して、「国防軍」つまり軍
隊にするというのです。
(2) 日本国憲法における権利条項
人権保障については、
「
第 3 章 国民の権利及び義務」の中で規定されています。選挙権・
国務請求権を含む 10 条から17 条までの総則的規定と、17 条から 40 条までの各則的規定
とに分類されます。総則規定には、基本的人権の享有と性質(11 条 )
、国民の自由・権利
の保持義務(12 条)、個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重(13 条)、法の下の
平等(14 条)等があります。
一般に、「権利とは、法によって認められた利益」のことですが、それらの権利のうち、
「人間が人間である以上、生まれながらにして当然もっている基本的な権利」のことを、
とくに、人権または基本的人権と言います。憲法上の権利は、ほとんどが人権なのです。
各則規定は、大別して、国家といえども干渉できない自由権的基本権と、国家の積極的
な関与によって実現する社会的基本権に分類されます。さらに、自由権的基本権には、思
想・表現などの「精神的自由」
(18条~23条)
、警察・検察・裁判所等から守るための
「人身の自由」(31条~40条)、企業活動・財産権などの「経済的自由」(22条、29
条)があります。
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総則規定にある「公共の福祉」は人権相互の衝突を調整するものですが、各則規定のう
ち、経済的自由条項だけに規定されている「公共の福祉」は、政策的な立場からの制約法
理と解されています。例えば、企業活動の自由や財産権の保障に対して、独占禁止法や労
働基準法等が制定されているのは、それに基づくものなのです。
「人身の自由」というのは、警察・検察・裁判所等の司法機関による人権侵害から国民
を守るための規定ですが、先日、大きく報道された袴田事件は、無実を訴えてきた袴田 巌
(はかまだ いわお)さん(78 歳)を、死刑囚として 40 数年間も拘束していた事件で、最
近、東京地裁が再審決定(2014.3.27)をして、死刑と拘置の執行停止と、裁判のやり直
しを命じたのです。取調における拷問(36 条)、自白の証拠能力(38 条)等、憲法・刑事訴訟
法違反であるとして、日本弁護士連合会(日弁連)も支援している再審事件です。
社会権的基本権には、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(生存権)
(25 条)
、教
育を受ける権利(26 条)
、勤労の権利(27 条
)、団結活動の権利(28 条)等の規定がありま
す。この中で、26 条と 27 条には「義務」条項もありますが、これは、子どもに義務教育を
受けさせる保護者の義務と、生活保護や雇用保険を受ける場合の条件とされるものであっ
て、本来の趣旨は、権利保障の規定なのです。
法的な意味で義務と言えるのは、30 条の「納税の義務」だけです。これは、国や地方自
治体を運営するための財源となるものですから、国民にとって不可欠な義務です。しかし、
近代国家の歴史は、「自分が納めた税金が、どのように使われるかについて発言する権利が
ある」という、納税者(タックス・ペイヤー)の思想によって、民主主義を発展させてき
たのですから、実は権利問題でもあります。また、消費税という税制度が、人権保障との
関係で大いに問題があることについては、先ほどお話したとおりです。
(3)「憲法が最高法規である」ということ
① 最高法規とは
最後に、
「憲法が最高法規である」ということを話して、この講話の結びとしたいと思い
ます。憲法第10章で、基本的人権の本質(97 条)、憲法の最高法規性、条約・国際法規の
遵守(98 条)
、憲法尊重擁護義務(99 条)の三つの条文があります。
97 条は、
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の
成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵
すことのできない永久の権利として信託されたものである」というもので、基本的人権の
本質について規定した条文ですが、自民党の憲法改正案では、この条文そのものがバッサ
リと削除されています。一体何を考えているのかと思います。
98 条は、
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び
国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。② 日本国が締結した
条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」というもので
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す。この条文については、憲法と条約の効力関係が問題になりますが、法律と同様に、国
会の過半数の承認だけで成立する(61 条、60 条 2 項)条約が、改正するには、「両議院の
3分の 2 以上の発議と国民投票の過半数の賛成を要する」(96 条)憲法に優位することは、
論理的にあり得ないでしょう。条約は、98 条第 1 項の「国務に関するその他の行為」に該
当すると解されます。
99 条は、
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、憲法を尊重
し擁護する義務を負ふ。」というものです。これに対して、自民党の憲法改正案 102 条では、
「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない。② 国会議員、国務大臣、裁判官その他
の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」となっています。これについては、昨年の
講話で詳しく述べたとおりですが、
「憲法は国家権力を縛るもの」という立憲主義の立場か
ら、国家権力に携わる者だけが対象になるのであって、国民は主権者として自らが制定し
た憲法を「不断の努力によって、これを保持しなければならない」(12 条)のです。
自民党改正案では、「憲法は国民に対する命令」になり、やたらに国民に対する義務を定
めた条項が増えています。
いずれ、自民党の憲法改正案については、全面的に検討する機会を持ちたいと思います。
昨年の感想文には、「憲法が身近に実感できない」という人もいましたが、いくら実感が
なくても、
「障害者自立支援法は憲法違反で無効」とか、
「私から選挙権を奪うのは憲法違
反」という訴えは、憲法が最高法規だからできるのです。そのことは、民法や労働法など、
私たちの身近な法についても同様です。
憲法の最高法規性については、先ほどの三つの条文以外にも、憲法 81 条の「最高裁判所
は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有す
る終審裁判所である」があります。この条文の主語が「最高裁判所」となっているのは、
末尾の「終審裁判所である」という文言につながっているからであって、先ほど紹介した
朝日訴訟の一審判決や、自衛隊のイラク派遣訴訟の高裁判決のように、地裁や高裁でも「憲
法違反で無効」という判断はできるのです。
② 憲法改正手続
安倍首相は、96 条の憲法改正手続について、国会の発議要件が 3 分の 2 以上となってい
るのは、「ハードルが高すぎて、主権者である国民の過半数が憲法改正に賛成であっても、
憲法に手を付けることができないのは問題だ」として、これを過半数に引き下げるべきだ
と言っています。
しかし、どこの国でも憲法改正の要件は、法律よりも厳しくなっているのです。例えば、
アメリカでは、連邦議会の上・下院の各 3 分の 2 による発議と、51 の州議会の 4 分の3の
承認との二つを要件としています。ドイツでも、連邦議会と上院にあたる連邦参議院のそ
れぞれ 3 分の2の賛成を要件としています。国民投票制をとっていないのは、かつてヒッ
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トラーが率えるナチスが、国民の熱狂的な歓呼の声に迎えられて登場し、ワイマール体制
が崩壊してドイツを破滅に導いた歴史を踏まえているからです。また、韓国では、国会議
員の 3 分の 2 以上の賛成と、有権者の過半数による国民投票で、その過半数の賛成を要件
としています。わが国では、国民投票が成立するための最低投票率の定めがないので、2 割
か 3 割などの低い投票率でも有効になります。
「ハードルが高すぎる」というのは、知らな
い人は本気にするかも知れませんが、知っている人は「また、嘘を言っている」と直ぐ分
かるのです。騙されてはいけません。
時間が来たので、ここでやめますが、最後に、私の好きな言葉で「明日の天気は変えら
れないが、明日の政治は変えられる」という言葉を紹介します。どんなに政権の力が強そ
うに見えても、それを「しようがない」と諦めてはならない。明日の天気はどうしようも
ないけれど、主権者である国民が賢く行動しさえすれば、必ず政治は変えることができま
す。
「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」という言葉を、今日の講話
の結びとしたいと思います。
ご静聴 有難うございました。
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