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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】 1 知花

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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】 1 知花
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
知花
全員、おそろいでございますので、早速、第 3 回厚沢部町国民健康保険病院あり
方委員会を開催させていただきます。委員の皆さまには、ご多忙にも関わらず、ご
出席を賜り、厚く御礼申し上げます。私は、暫時の間、進行役を務めさせていただ
きます、あり方検討委員会事務局の知花と申します。よろしくお願いいたします。
本日、第 3 回の会議につきまして、委員 6 名のうち、林委員以外の、5 名の方にご
出席をいただいております。本日、新たにご参加いただいている方のみ、この場で
紹介をさせていただきます。その場で、ご起立いただければと思います。前山形県
知事、齋藤弘様です。
齋藤
どうぞよろしくお願いいたします。
知花
ご参加いただきまして、本当にありがとうございます。開会に先立ちまして、本
日、お配りいたしました、資料の確認をいたします。
『第 2 回厚沢部町国民健康保険
あり方検討委員会の議事録』、『日本海総合病院の概要、再編・統合と独法に至る経
緯について』
、『あり方検討委員会報告書』となっております。
ただ今より、第 3
回あり方検討委員会を開催いたします。まず初めに、齋藤様より日本海総合病院の
概要、再建・統合と独法に至る経緯について、お話をいただき、検討会議に移って
まいりたいと思います。齋藤様、よろしくお願いいたします。
齋藤
きょうは皆さん、こんにちは。
同じ雪国ですが、山形県からやってまいりました。おかげさまで、きょう、会議
室が新千歳の空港、そのものの中にあるということで、山形市に私は住んでおりま
すが、午後から出てきて日帰りができるという、なんと恵まれた 1 日かなというふ
うにあらためて思います。先ほどちょっと早くに着きまして、空港内の、買い物の
所の、ごった返する所で、私も負けじといいだけお買い物してまいりましたけれど
も。きょうは、本当にお招きいただきまして、ありがとうございます。
私は、きょう、ここにお邪魔する経緯になったのは、ここにいらっしゃる長先生
から、私どもの山形県の県立日本海病院と酒田市の市立酒田病院との合併・統合の
ときに、長先生からも大変、ご尽力いただきまして、背中を押していただいた以上
のことをやっていただきまして、そのご縁で、今日、お招きいただいたということ
でございますが、あともう一つ、私、知事時代に全国自治体病院開設者協議会の、
全国の会長をやっておりました。
これは、私の前任が、後に総務大臣も務めになられた増田寛也さんが、岩手県の
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
知事退任のときに、彼が全国の、いろいろなそういう役職をやっていたのを全部、
私に下ろしていきまして。私も同じ東北で、その関係で自治体病院開設者協議会、
ご案内のとおり、開設者協議会と自治体病院協議会と二つございまして、開設者の
ほうは、きょう、町長さん、お見えですか。自治体の首長がメンバーになっていて、
病院協議会のほうは、まさに病院の先生がたがメンバーになっていくという、こう
いう関係でございますが、退任後の病院側のほうもせっかくだからそちらのほうに
ならないかということで、引き続き病院関係には自治体病院協議会のほうでつなが
りを持たせていただいております。そんな経緯で、きょう、こちらにお邪魔するこ
とになりました。
お話しする大切なポイントは、最初の 5 分か 10 分で、そこに集約されるというふ
うに申し上げてよろしいのかなというふうに思います。これが日本海総合病院、そ
のものでございますが、1 年半で、合併・統合が県立病院と市立病院との合併・統合
ができたと。かつ、それが非公務員型の独立行政法人になって、病院法人になって、
今、財政指標などを含めて隆々としてきたと。こういうことでございます。
結果はこうなんですが、自治体病院の統合をするときの、まさに肝は何かという
ふうに思いますが、私はその肝というのは二つあるというふうに思います。まず第
一は、目的は何かということをはっきりさせるということです。財政状況の改善な
のか、病院サービスの、医療サービスのさらなる高度化、サービスなのか、いろい
ろ考え方があるというふうに思いますが、この第 1 点目の目的をはっきりさせると
いう意味では、私は常に三つのことを言っていました。安心、信頼、高度、この三
つのキーワードをいっつも自分自身に言い聞かせておりました。ですから、当然、
県立病院の開設者としての、山形県知事の立場でお話しするときは、必ずこの三つ
の、安心、信頼、高度、このキーワードを言っていました。
その心は、住民への、やっぱり医療サービスの話なんです。住民本位であって、
何を、住民に対して、安心できる、信頼できる、高度であると。まず、この医療サ
ービスを提供することが全てであるということを、私は中心命題に置いておきまし
た。
実は、山形県内で、私はうんと評判が悪い知事でございました。半分、評判が悪
いのは、きょうも公務員のかたがた、いらっしゃって大変、恐縮ですが、公務員か
ら評判が悪かった。一般県民から、とても評判が良かった。地方というのは大変、
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
公務員比率が高うございますので、110 万ぐらいの、山形県の全体のでございますが、
山形県庁として一般財政から給与が支出されているという意味では 2 万人いるんで
す。2 万人いて、1 万人は学校の先生です。残り 1 万人のうちの、半分の 5000 人が、
いわゆる県庁職員です。残り 5000 人、最後の 5000 人は 2500、2500 で、病院と警察
です。この人たちから、私は評判、悪かったんです。
なぜかというと、やっぱり改革、がんがんやったからです。がんがんやりました。
橋下さんほど飛び抜けてはおりませんでしたが、山形県内では相当、やりました。
評判がよろしくなかった。なぜ、評判がよろしくなかったかというと、やっぱり財
政改革をやりました。毎年、10 年間、山形県で毎年ですよ。平均して 500 億円の県
債発行をやっていたのをやめて、2 年目で、それが発行しなくなるまでやって、逆に
今度は過去の県債残高を返済できるまでです。政府の、今、プライマリーバランス
の均衡という目標がありますが、プライマリーバランスの均衡だけでは実は過去の、
利子分の返済はできませんので、プライマリーバランスと利払いの均衡までいって、
初めて過去の県債分が、返済が集まるという、県債残高がマイナスになる形になり
ますので、それをその 2 年間でやり遂げたと。こういうことですから、これは並大
抵のことではないことをやったと。だから、評判は悪かったと。公務員のほうから
は。一般県民のほうからは評判は良かったということで、町長さんも恐らく相当、
選挙、お強いんでございましょうが、私は 30 万票対 31 万票で、1 万票差で負けまし
て、今、ここにあるわけですが。
それほどのことをやっているので、齋藤弘は、日本海総合病院の統合は財政改革
の一環としてやっているんではないかというふうに見られがちなんですが、そうで
はありません。目的はやっぱり県民、住民に対する医療サービスの安心、信頼、高
度、これをどうやって提供できるかって、これに尽きるということです。この目的
を、とにかくはっきりとするということが、とても重要なことなんだろうなという
ふうに思います。
それから、二つありますと言ったうちの 2 番目ですが、これが大切なのは、やっ
ぱり首長のコミットメントです。首長の揺るぎないコミットメント、これがどうし
ても必要ですよと。このときは、私どものほうは県立病院と市立病院ですから、酒
田市の市長と、それから山形県の県知事と、この 2 人の間で揺るぎない信頼関係を
つくってやるぞという、コミットメントをがっちりやるという、これが揺らぐと絶
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
対、駄目です。職員のほうも右往左往してしまいますし、やるんだということをす
る。明確に組織に対してメッセージを発信するし、実際にそういうことをやると。
このことがとても大切だなというふうに思っています。
これは後で申し述べますが、酒田市立病院と県立日本海病院は、たけているとこ
ろ、足らざるところがちょうどマッチングしているような感じになって、こういう
ように歯車がちょうど合うような形になっていたので、それぞれ足らざる部分は一
方が足りている、一方がたけているものが一方はまさかの劣っていると、こういう
関係にあったので、ちょうど歯車がうまくかみ合ったような、こんな感じの統合で
ございました。それがいかにして、こういう地域の病院が、これからも持続可能な
地域の病院として存立するためにやりうる重要なポイントというのは、この二つだ
というふうに思います。
あえて、三つ目を申し上げようとすると、それはやっぱり人事です。これが医局
としての山形大学と、それから医学部、それから東北大学医学部、それぞれが山形
県の、今の県立病院と市立病院にお医者さんをやってくださる。そこ出身のお医者
さんが多かったもんですから。それぞれの、二つの大学の医学部長にメンバーにも
なっていただき、それぞれのお医者さんに実は 1 年前に内々示をしました。直前で
はなく、1 年も前、統合したら、あなたは統合したところの、多分、内科の先生だっ
たら、第 1 内科の医長さんよというようなことを 1 年前からやっていただきました。
これは、やっぱり特にお医者さんたちが、医師が不安に思っているようなことを解
消し、気持ちの上では安定して、引き続き統合の作業をやっている間も、キチッと
そこに勤務していただいているという状況をつくり出そうということで、これは 2
人の医学部長から大変なご尽力いただきまして、そういうことをやったと。これも、
やはり人事の中の、一番大切なことです。
もう一つ、人事の中の小項目というか、申し上げると、これはやっぱり組合長さ
んです。これはさすがに首長が出る場面でありませんが、事務方もやっぱりこれは
相当、綿密に計画を立てて、がっつりやっていただきました。しかも、組合はそれ
ぞれ違う系列の組合だったもんですから、もちろん県の自治領ですし、市のほうは
共産党系の組合でございましたので、この二つの組合に対しての説明を丹念に丁寧
に何回でも納得していただくまで、納得はしないけれども、理解はしていたくまで
丁寧にやると。この組合対策というのはやっぱり肝だったんだなというふうに、あ
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
らためて思います。こういうことです。
あらためて申し上げると、目的をはっきりさせると。首長同士が本当に揺るぎな
い信頼関係をつくって、そのコミットメントを揺るぎないものにすると。それから、
人事の面でしっかりと先を見据えるんです。人事対策をやるというのは、これをや
ったからこそ、その 1 年半で、こうした統合・合併ができたんではないのかなとい
うふうに思います。
「これで失礼します」と言って帰っていいぐらいなんでございま
すが、日本海病院、現在はこういうことですが、基本的にこちらのほうが、山形県
は昔からの藩政が。この人の顔、向こうを向いてあっつってビックリしたような顔
が、これが山形県です。全国で、9 番目に大きい、面積を持っている県です。おしん
のふるさとでもありますし、サクランボウは今、まさに代名詞になっているような
形でございますし、山形県には六つ国宝があるんです。こういう地域性ですが、昔
のそうした藩政を引いているので、こちらのほうを多分、米沢中心とした下町と、
山形市を中心とした村山地域、それから新庄市を中心とした最上地域、そして酒田、
鶴岡、この二つの都市は仲悪いです。一方は港町で、一方は城下町ですから全然、
相いれないんですけれども、庄内地方とか、こういう四つの県域があって。ここに
は、それぞれ基幹病院、フラッグシップホスピタルとして、四つ。山形県は、何で
も四つなんです。こういう関係にあって、ここにある酒田の県立病院と酒田市立病
院は合併したと、こういうことでございます。
この間、最初に私も自分で行ってみました。最初にこっちに来まして、
「あっ」と
言って、酒田市立病院ってこんな所にあるんだなと初めて分かりまして、
「ちょっと
日本海病院に向かってくれる」と言って、私も時計を見まして、わずか 6 分でした。
こんなに近いんだというのが、そもそもの始まりでございました。
大体、鶴岡も含めると、さっきあまり仲が良くないんだよみたいな話をしていた、
圏域として、酒田のほうと鶴岡のほうと、この二つがあるんですけれども。もう一
つ、ちょっと話はずれますが、日本海側に面している都道府県で、日本海側に県と
県庁所在地がないというのは、実は山形県だけなんです。こんな所に、県庁所在地
があるんですよ。山形市というのは。秋田も新潟も、ずっとこっちに日本海側にあ
りますよね。必ず港を持っているのが、都道府県です。だから、山形から行くと、
私、国際教養大学という所で、秋田にある大学で教鞭を執っているんですが、多い
んです。山形と秋田だから、4 時間もかかるんです。どんな方法で行っても、4 時間
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
かかります。いや、秋田が遠いんじゃないんです。山形が遠いんです。中に入って
いるから。
一方で、その県都同士が、山形市と仙台市です。こっち、宮城県仙台。県都同士
が県境を画しているっていうのは、全国に三つしかないです。県都同士ですから、
人口も多いし発展もしているので、行き来がすごく、山形の人たちはみんな、仙台
に買い物に行ったりと。宮城県の人たちは、山形においしいものを食べに行ったり
という、そういうことでやっぱり県都同士が隣同士だと、すごく交流人口というか、
交流が活発なんです。
他の二つって、ご存じの方いますか。他の二つ、県都同士の県境を画している都
道府県というのは、あと二つあるんです。それは、一つは大津市と京都市です。そ
こもすごく近いです。本当に隣町みたいな感じで。あと最近、平成の市町村合併で(県
都同士が県境を画するようになったのは、福岡市と佐賀市ということです。この三
つ、全国に事例があるんですけれども、そういう地理関係であります。今、申し上
げていたのは、この酒田市という、こういう海辺にある町です。大体、県域として
は似たり寄ったり、人口もそうですし、高齢化率も似たようなものです。こういう
地域であります。
17 年、合併前の病床として、県立病院は 528、市立病院は 400、ちょっと大きいと。
その他に、市町村合併する前にそれぞれの町がありましたので、そこにもそれぞれ
病院がありました。何でもやっぱり人為的な行政区域の中に、どうしても病院を持
たなければいけないという気持ちがあったのでしょうか。それぞれの地域に、こう
いう病院が百貨店経営をやっていたわけです。
統合前というのは、こちらが日本海病院で、こちらが市立病院です。これを見て
いただくと明らかなんですが、財政的には、この市立病院のほうが明らかにこれは
良かったんです。日本海病院のほうは、人件費の高止まり、これがだいぶ足かせに
なっていたわけですけれども、病院の診療所によってと、確かにむしろこっちのほ
うがいいぐらいなわけで、だけど欠損金が出ているという、そういう姿になってい
ますから、1 カ月の人件費、コストも高いかということが分かるというふうに思いま
す。
ここにまとめているんですけれども、まず市立病院の建物自体が大変、老朽化し
ていたので、建て直そう。せっかく当時、酒田市は合併しましたので、起債有利な
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
合併特例債というのと充当することができたんです。ですから、酒田市長はそれを
当てにして病院を立て直そうと、そういう意味では自分でほとんど決断して、合併
特例債を使って病院を立て直すんだという、そういう気持ちにも、そうですね。9 割
方、傾いておられました。他方、日本海病院というのは、最初から不良債部があっ
て、いつも財政を組むときに振出金の問題ですったもんだするような、そういう経
営状態でございました。
それから、今、申し上げた地域としては、救急救命センターがなかったんです。
それから、どこの地域も今、そうですけれども、医師不足という問題は当然にここ
の地域でもあったということです。ここを境にして 1 年半でこれを成し遂げるとい
う、こういう計画になってたんですけれども、それぞれ、長先生はここでご活躍な
さったんです。
A と B を足して、どうするのかと。当然、病床数においても、これからの人口減少
などを視野に入れながら、それでやると必ず減るわけですよ。そうすると、やっぱ
り地域としては、必ず不満が出てまいります。そうじゃないんだ。ここの地域とい
うのは、まさに安心、信頼、高度、これを病院としてサービス提供できるようにす
るんだということなので、機能分化をしました。
日本海病院は、そういう意味では急性期やると。こっちの市立病院のほうは、一
部、やはりせっかくですから合併特例債を利用して、建物もリニューアルしながら
療養型にこうすると。もちろんこれまでの病床数というのは減るわけですが、これ
が 760 になると。しかし、機能分化をここで成し遂げると、こういうことなんです
が、併せて救急救命センターを設けました。ここには書いてございませんが、ヘリ
ポートを同時に造りました。そういう意味で、第 3 次救急機能、救急救命センター
がないというところに対する対処ということになるということです。
さっきも既に申し上げましたが、統合にあたって、議論になった点というのは、
やっぱり両病院の医療機能調整と患者さん、それの、分化させて同時に成し遂げよ
うと、こういうことを今、ここに四つぐらい書いてございますが、成し遂げたと。
病床数調整も、この移行期間中も後も含めて、このようにやると。それをやるため
の有識者委員会も、キチッとやると。これ、私も必ずいろいろ行政庁は公務多忙な
わけですけども、
「この委員会だけは絶対、外すなよ」と言って、私はここには必ず
出ていました。そのぐらいしないと、やっぱりコミットメントの強さを表せないと
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
いう、そういう風潮としての判断があったということです。大体、最初の、第 1 回
目のキックオフミーティングぐらいに出ておいて、後は任せたというのが、大体、
首長のスタンスであることが多いわけですが、
「そんじゃ駄目だ」と。「少なくとも
これについては、俺、毎回、出るぞ」と言って、必ず出ておりました。
それから、幾つか、ここにあたっての課題というのがあるわけですけれども、人
事的にはもう一つあるんです。日本海総合病院の院長先生と、酒田市立病院の院長
先生が、東北大学医学部同期だったんです。これ、統合させると。これはどっちを
院長にして、どっちを理事長にするのかっていうのは、これは今だから半分、にこ
にこ笑いながら言っていますけれども、これは難しい。同期ですから。やっぱり普
通で考えると、やっぱり県立病院のが上かなと思って、県立病院の先生を理事長に
据えてですよ。それで、市立病院の先生を院長に据えると。普通に考えるとそうで
すよ。
そうするとどうなるのかというと、酒田市立病院のほうはやっぱり俺たち吸収さ
れてしまったんだと、こういう感じが職員の中に出てくるんです。
「俺らはこういう
ふうにこうするんだ」と言うと、今度は県立病院のほうのプライドがありますから、
これ、また難しいわけですよ。どっちにしようかなとか、本当にこれは悩んで、ど
っちかの先生を病院事業管理者というポストが県の中にありますから、副病院事業
管理者みたいなポストを設けるとか、そこに外れていただくという手もあるかなと
か、いろいろとにかく悩みました。
そしたら、そのうちの一方の先生が、先ほどの、上杉藩である所の、米沢中心と
した置賜のほうに、そこの病院長に行きますというふうに自分から願い出てきてく
ださったもんですから、自分のふるさとでもあるのでということで願い出てきてく
ださったもんですから、一気にその悩みが解決し、結果的に市立病院、栗谷先生に
なっちゃいますが、栗谷先生が両方のポスト、理事長として、また院長として兼務
するという形で収まりました。これも、大変、頭の痛い問題ではありました。
それから、経営形態もやっぱり公立病院じゃなくすということで独立法人化させ
ましたので、自らのそういうインセンティブを働かせるという意味で、3 年間ですが、
モラトリアム期間を設けました。どっちします。だから、3 年間は身分を保障するわ
けです。公務員としての身分を保障すると。3 年目に、どっちするのか決めていただ
きますよと。私はやっぱり公務員の身分のままでいいですというふうに言ったら、
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
その人は今度、そうですかということで、転勤も辞さないということですねという、
こういうことになるわけです。県職員でいた場合には「県職員のままでいる」と言
ったら、全県区転勤も辞さないと。だから、看護師を中心にして、やっぱり私は地
元に、ここにいたいというような人は 3 年目に身分を転換すると。意思確認をする
ということで、結果的には 7 割の方が居残ってくださったと、こういうことになり
ます。
こういう姿が全体の流れでございましたが、今、まさに栗谷院長先生ご自身も大
変、バランスシートの見方を鋭くやっていただいていて、全体としてはとても順調
に、もちろん黒字化して再編等の経営にあたっていただいていると、こういうのが
現状でございます。全体としては、従ってこういう姿です。
ここも新しく救急救命のほうも計画しているわけですけれども、そうです。ここ
ヘリポートを設けて、救急救命にあたる、こんなところが、取りあえず私が申し上
げたいことでございますので、皆さんからご意見とか、ご質問を頂戴したほうがよ
ろしいのかなと思い、取り急ぎここまでにさせていただきたいと思います。ご清聴
ありがとうございました。
知花
齋藤様、ありがとうございました。日本海総合病院の概要について、何かご質問
等、どなたかいらっしゃいますでしょうか。
佐々木
厚沢部町国保病院の佐々木といいます。貴重な話、ありがとうございました。こ
の数字とか、いろんなことを言うと、悪いところはなさそうに見えるんですけど、
先生が言われた目的や何かというのは、住民の皆さんの安心、信頼、高度という目
標を掲げて、住民の皆さんは結局、二つの病院を統合した結果、それに関してはど
ういうふうに。もちろん、住民のかたがたのためには非常に良くなっているとは思
うんですけど、100 何人かの職員が辞めているということは、統合した結果、3 分の
1 近くのスタッフがいなくなる。その中に医師も含まれているでしょうし、結局、住
民の皆さんの満足度というか、そういうのはどういうふうにやるのか教えていただ
けないでしょうか。
齋藤
私が言うのも、私がどうかという評価よりも皆さんがどう評価されているのかと
いうのが多分、正しいと思うんですが、せんだて、1 カ月ぐらい前です。酒田市が統
合して 10 年目を迎えたので、記念式典があったんです。そこで、酒田市の、当時の、
合併したときの市町村とは違う市町村でしたけれども、合併式典のあいさつの中で、
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
この 10 年間で、酒田市にとって最も良かったのは病院の統合であったということを
式辞の中ではっきりおっしゃっておられましたので、そういうのが客観的な評価に
なっているのかなというふうに、私は受け止めました。
佐々木
これは非常に良かったなと思うのは、こないだ夕張へ行ったんですけど、夕張は
確かに 170 床の市立病院が 19 床の有床診療病院なんです。有床診療ができるぞとい
っても、入院している患者さんは、3 人とか 5 人らしいんですよ。9000 人の町の中
に、5 人しか入院できないようになると、状況になって、病院で働いている先生がた
は、スタッフは本当に一生懸命、頑張っていて、自分たちの身の丈にあった医療を
して、身の丈にあった給料をいただいて、身の丈にあったことを一生懸命していく
ということになる。
結局、統合とか、合理化とか、そういうのの裏にはやはり患者さんとか、町の人
たちとか、そういう人たちのために本当になっているかと。夕張自体が町が町で、
住民の人たちも破たんした町に覚悟して住めるんだから、自分たちも我慢せにゃい
かんと。だから、入院する設備がなくても、自分たちはそれでしょうがないんだと
いう気持ちがあるのか。
まず、ここは明らかに歯車が掛け違うような形で合併したので、非常にいい結果
をもたらしたということだとは、やはり首長さんとか、そういう本当の意味での改
革しようという強い意識を持った人たちが引っ張ったというのはおっしゃったと思
うんですけど。このことが先生は他の所でも全てうまく、例えば酒田市の場合は大
丈夫でしたけど、山形県内、他にもたくさん公立病院があると思うんですけど、た
くさん恐らく出ると思うんですけど、そういう所はなかなか手は付けられなくなる。
齋藤
そうですね。そこは非常にいいポイントだというふうに思うんですが、今の、ご
指摘の点というのは本当に重要なポイントだというふうに思いますが、そもそも公
立病院って何であるのかと。経済学的にペイするんであれば、それは民間の参入が
自由ですから、民間が来て、そこで医療というビジネスをやって、医療はそこでも
うかるわけなんです。だけど、そうやらないで公立病院があるゆえんというのは、
そもそも公立病院というのはもうかっちゃいけないというか、もうからないような
仕組みになっているはずなんですよ。だから、公立ですよ。でなきゃ東京のように、
いっぱい民間病院があるようになるわけです。
だけど、そうじゃない地域なので、人も少ないし、そんなペイするような高度医
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
療を常にやっているわけではないし、そこに住んでいる住民たちを、健康状態を守
れないままでいていいのかと。それは違うというので、公立という病院が税金を使
ってそこに参入して、住民の信頼を、安心を形作っているということなので、経済
原理だけでやっぱりなかなか割り切るというのはできないというふうに思います。
さっき申し上げましたように、私も実は金融マンで、22 年間、日本銀行に勤めて
いたんです。ですから、金融経済のことは自分でも一応プロだというふうに思って
おるんですが。なので、県民もそう思ったんです。ここで、それやりましたでしょ
うと。そしたら、この地域というのは本当に 8 万人しかいない地域なんですけど、
それぞれ自治体があって、ここに新庄病院という県立病院があるんです。一般県民
は、
「齋藤は、ここで県立病院を民営化した」と言っているんです。県立病院は、あ
いつは民営化した。俺たちの県立病院を公立化、合理化とか言って、あいつ民営化
するに違いない。2 回目の選挙のとき、ちょうどそれで、ここで評価、グッと落っこ
ちゃったんですよ。あいつは、経済合理性だけで割り切っている。いや、全然、そ
んなつもりじゃないんです。だけど、そういう評判が立って、大変な思いをしまし
た。
山形県の加藤紘一先生いて、加藤紘一先生はここの、鶴岡市のご出身でいらっし
ゃいますけれども、加藤先生からいいかと、齋藤、この会場では新庄病院を民営化、
県立病院じゃなくするなんていうことはしませんという一言だけ言えば、君は大丈
夫だからみたいなことを言われるぐらいに、住民からの反発がありました。なので、
やっぱりそういう意味で、よく地域を見て、本当に何が先ほどのような安心、信頼、
高度に向かっていくときに大切なのか、県立病院がここにフラッグシップ病院とし
てガンとあって、逆にそこしかないと。
今、例えばお産をやる所は、そこしかないんです。民間病院も二つ開業医、お産
をやっていましたけど、その後、やめちゃって、県立病院でしかお産できないとい
う。だけど、今度はそういう意味で、ここは 40 分ぐらいで行きますのでお産もやり
ますし、本当に高度医療のときは、こっちに走っていくという道路整備のほうが進
んでいたりするところなので。
そういう状況にありますから、必ず日本海病院と酒田病院の統合・合併がどの
地域にも当てはまるかというと、それはそうではないと。それで、駄目なら、独法
化していったら、選挙で大変なことになっちゃうという、そういうジレンマがある
11
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
と思います。そういうところは、やっぱり公立病院としてやっぱり機能充実をさせ
るというのが、それは赤字だというふうに言われるかもしれませんが、それは必要
なコストであるというふうに説明する、割り切るしかないと思います。地域性をよ
く見て、そこは判断しなきゃいけないと思います。
高橋
高橋病院の高橋です。酒田市には思い出がありまして、3、4 回、お伺いさせてい
ただいています。日本海総合病院の電子カルテは、私がユーザー会会長をしている
会社のものと同じものが入っていて、それとベッドサイドシステムという患者さん
の床頭台にあるモニターシステムも入れていただいて、それと、あと地域連携ネッ
トワークの ID‐Link も既に島貫先生に入れていただいて、とても印象に残っている
んですけれども、いずれにせよ、栗谷先生と島貫先生という、リーダーシップをと
れる方がいて、非常にガバナンスがとれているんだろうなと。それが、大きな成功
の一因じゃないかなと思います。
二つ質問がございまして、1 点目は経営自体を見直すということで言うと、いわゆ
る地方公営企業法の全適応、あるいは独法化、あるいは指定管理者制度等々あると
思うんですけれども、なぜ独法化を選ばれたかということと、もう一点、以前はホ
ールディングカンパニーといわれて、今でいう地域医療連携推進法人ですけれども、
酒田市、あるいは先ほどの鶴岡市も含み、近隣でそういう他の病院を巻き込んだ、
いわゆる大きな地域連携、医療連携推進法人等々をお考えになられているのかとい
うのを、お伺いしたいのですが。
齋藤
第 1 点目については、完全な民営化っていう、病院のことを考えたときに、やっ
ぱり一番近いのが非公務員型の独立行政法人なのかなと。これが最終的な判断でし
たけれども、やっぱりその中にはどうしてもこの二つを見たときに、こういう姿が
あったものですから、一番、栗谷先生が手腕を発揮できる方法と形態ということで、
こういう姿を合併したらきちんとなるようにということで、独法化を選んだという
ことでございました。
独法化を選んだときに合併するわけですけど、この累積債務を帳消しにする、そ
んなマイナスの、いわば借金が出るんです。孫の代まで背負わせて、嫁に出す親い
ないわけでございますので、やっぱりそこは県で穴埋めをして、バランスさせて送
り出したと。こういう、そこもやっぱり県としての、知事としての判断というのは、
少なくないお金でございましたので、全部で 27 億だったかな。合併のために、それ
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
はどうしても必要だというふうに思ったりして、それで送り出したというような県
もございました。できるだけ、栗谷先生が自由に自分の思うようにデザインできる
病院であればいいということでございました。
それから、病院連携は、実際に私、今、知事職にあればまた病院連携の話もどん
どんしていきたいなというふうに思いますけれども、どこまで病院連携を構想して
いるのかというのは今のところ、県全体を視野に入れているのかどうかはちょっと、
少なくとも庄内地域の中ではやろうという。先生がたが酒田のほうも鶴岡のほうも
いらっしゃるので、庄内地域は必ずなるというふうに思います。
あと、さらに一歩進んで、せっかく電子カルテを持っているんだったら、やっぱ
りそれの、電子カルテの統合というのを地域だけじゃなくて、本来であれば、日本
全部でやったほうがいいと思うんですよ。デンマークにメディコンバレーという、
スウェーデンとデンマークにまたがる地域がありまして、ここは生まれたとき、お
ぎゃあって生まれた赤ちゃんのかかとから採血して、それをずーっとゲノム解析や
って DNA 解析をやって、死ぬまで医療データを全国民に取っているんです。当然、
生まれてこういう人はこういうような遺伝子型をしているので、成長の過程で病気
になって、死因というのをちゃんと明確になるような、それもそのデータベースか
らなるようになっていて。何で死んじゃったか。
そこで、やっぱり病歴をキチッと把握し、今の、ビッグデータの解析をやって、
病気療養に役立てると。その病院のデータというのは厳格な匿名化の上でオープン
化されて、そこには従って医療産業がわんさか入ってきていまして、なんとデンマ
ークの GDP の 2 割を稼ぎ出しているんですよ。医療産業だけでです。そこの医療産
業だけで、GDP の 2 割を稼ぎ出しているような状況なんです。それは、そうやってナ
ショナルデータとして、個々人の、デンマーク人の医療データを蓄積し、それを匿
名化の上、オープン化し、そこに産業が参入してきているという、こういう姿にな
っているんです。
GDP の 2 割というと、ちょうど 100 兆円です。日本は今、500 兆円の GDP ですから、
それの 2 割というと、100 兆円ということで。安部政権が新 3 本の矢というのを出し
まして、これを「GDP を名目で、2020 年まで、今の 500 兆、600 兆円にする」と言っ
ているんです。これが 1 本目。2 本目は、出生率を 1.8 まで持っていくぞと。今、1.42
ぐらいですか。それを 1.8 まで持っていく。それから、3 本目が介護離職者ゼロと。
13
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
こういうことを言っているんですが、実際、そういう医療データ、デンマークと
同じようなことをやれたら、医療産業だけで、デンマークで 2 割だったら日本でも 2
割というふうにすると、ちょうど 100 兆円、捻出できるというような、そういう計
算も成り立つのかなと。だから、やっぱり医療産業の、そういうデータの取り扱い
方というのを、やっぱり相当、これから日本国家として考えてやるということは、
われわれの、これからの健康のためにもどうしても必要なのかなと、私は思いまし
た。
だから、そういう意味で今、いろんな病院の、実際の診療の紹介とか、そういう
形でネットワークからできていますけれども、せっかくデジタルで保っているデー
タをやっぱりプールして、何らかの形でオープン化できるようなことになったら、
その地域から発信していくこともできるのかなと思ってはしています。とても重要
なことであると思っています。
丹羽
愛知県の東栄病院の丹羽治男です。貴重な講演、ありがとうございました。私ど
もも、長先生に平成 17 年においでいただきまして、指定管理者制度に基づく公設民
営化をいたしました。私どもの特徴は、やっぱり滅びゆく地域というのが最大のと
ころで、残念ながら、病院ないしは医療の役割を地域存続にどう寄与するのという
ところが大前提ですよね。恐らく厚沢部の、今の姿と、私どもの 10 年前と、これは
人口構成で、年齢構成と同じぐらいかなというふうには考えています。
そういう地域の中にあって、住民の安全、安心というのは、実は最上位の課題で
なくなっているというのが実感です。住民の安全、安心は老後どう暮らすかという
ところに行ってしまうわけで、家がなくなる、地域がなくなることは既に諦めてし
まっていると。そういう地域の中にあって、どうやって地域をよく存続するのかと
いうのが、恐らく地域の最上の課題であり、今後日本の課題だというふうに思って
います。
その中によって、厚沢部ではどういう経営形態がいいのかなというのは、非常に
悩ましいところで。10 年前は公設にわれわれが選択しましたけど、それもいいとこ
ろはありましたし、地域の将来、住民の姿、自分の姿と医療との関わりというのが
非常にまた難しい。
私どもも今、本当に苦労しているのは行政とのコミュニケーションで、本当に苦
労していますし、他の連携すべき、他の地域の、また首長さんとのコミュニケーシ
14
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
ョンも本当に苦労しています。厚沢部の町長さんは、力強い発言をいつもされてい
ますので、本当にうらやましいなと思います。今の東栄町の町長さんが悪いわけで
はありません。医療を携わるもの、行政を預かるもの、どうやってうまく一緒に地
域の将来に向けてやっていけるのかということが、恐らく最大の、まず最初の課題
だろうなと思いました。山形では非常にうまく市長さんと県知事さんタッグを組み
ながら、院長先生とうまくコミュニケーションを取ることができたのだろうなとい
うふうに拝聴させていただきました。ありがとうございました。
山本
今のお話、聞いていて、トップダウンでやられたというようなことで非常に素晴
らしいと思います。だから、本当にいいのは、市のほうの方と、県立病院の方とが
協調したということです。本件では北海道知事さんがうまく話を擦り合わせなきゃ
いけないというふうに思いました。本件の 3 地区にある道立病院とその二つの町立
病院の三者が協調してやっていかないとおかしいのかなという感じがありますけど
も、今、ここで見ていると、厚沢部町でだけ議論が行われていて違和感があります。
齋藤
それは高橋はるみさん、引っ張ってってください。いや、恐らく高橋さんて、と
ても関心は高いはずなので、皆さんからやっぱりそういうのを働き掛ける必要があ
るのではないですか。
山本
ちょっといいですか。私は別の道立病院をどうするかという会に、参加していま
すけれども、道の方針は全部適応でゆくと決まっているようです。ここで打ち出す
方針は独法化ではないというものです。その方針が厚沢部町とは違うのでこういう
席に出てこれないみたいじゃないかなというふうに感じています。
長
やっぱり給料を減らすのではなく、それにふさわしい仕事をしてもらうというの
が今回の流れです。
こういう 4,000 人の小さな町だから、診療所にするのではなくて、何かいい方法
はないか。これは、組合も道も、同じだと思うんです。どうやったら職場へ戻れる
んですかという観点からも、もう一度、考え直してほしいと思っています。ですか
ら、ここ以上の、へき地の愛知県の東栄でも、人が足りなくなるぐらい、10 年間や
ってきたわけですから、やればできると思うんです。だから、総人件費は変わらな
くても、努力した人が報われるような体制にしていってほしいと思っています。
あとは、首長さん次第でしょう。
15
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
渋田
この検討委員会も今回 3 回目ということでございまして、実は昨年から国のほう
は病院の構想というものを出してきて、末端の転勤については、よく考えて検討し
なさいと。こういうことが去年から言われてはいるんですけど。これも 28 年度は地
域医療構想というものを作るという、原則になっているわけですから。
その中で、南檜山の、この病院の中で、どこがベッドを減らすんですかと。今、
南檜山で 50 のベッドが余るわけです。これで減らせるのかどうか。
こういうことの中で、既に私どもがこの内容については十分に説明をしてきまし
た。住民は驚いていました。そんな状態になっているのと。厚沢部国保病院は、約 3
割。あとは、全て函館。こういう病院で、今後、どうやって生きているのか。
今年の交付税の 12 月の配分をしました。そして、なおかつベッドが減って、職員
がどう減らしたらいいのか。こういう問題がすごく付きまとうわけですから、私ら
は、今、交付税の歳入のことを、大変、心配しています。
先生、やはり言われたように、財政再建が、あるいは住民サービスかということ、
住民自体にサービスする機会がないと同じですよ。こんな状態の中に、今、この病
院をどういう方法にするのが、一番、これからの厚沢部の子どもたちに、育ててい
く過程の中で、医療というものの置き方が適性なのか。これが、われわれにしたら
一番、住民に伝える最終報告になるわけ。
昔から病院と、金融機関と、郵便局の財閥は滅びるって最初からいわれています
けど、そういう中に病院はなくされません。医療機関をなくすということができな
いよ、こういうことになるんですけども。問題はどういう残した方ができるんだと、
これが今、地域医療構想ですから、われわれは要するに最後の評価だと思うんです。
われわれも目的に向かうラインというものが壊されるのか、つないでもらえる、こ
れが今、少なくとも 3 月までには出るんだと思います。
そういう中にいるわけですから、いろいろ、地域性の見直しというふうな中で、
われわれも十分、この五つの形態というのは勉強しました。どれがいいのか。
ですから、この交付税がどんどん減る。この穴を、どこでどう財政の中で、埋め
られるのか。そして、行政の医療機関として、町民に満足してもらえる病院にいつ
なるのか。これが、町財政の命運を分けるだろうと、こういうふうに思います。で
すから、今、つい最近の話ですが、この検討会が始まってから、やたらと病院の患
者が増えているようです。
16
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
指定管理者制度になるのか、あるいは、地域の人たちとで、その危機感が十二分
に伝わっていっているのか。れは最高の薬だと、私は思う。
ですから、どうこの形態の見直ししても、自分たちの身に降りかかるわけですか
ら。これが、非常に自分たちでも危機感を持って、やったらいいんですよ。正直に
言う。外来も入院も増えていると。今、どのくらいの勢いで伸びていくのか、1 月、
2 月、3 月辺りまで見なきゃならないと。
ただ、非常に速いペースで、そうやっているというのが、現実であると。その流
れの中で、私がやっぱり病院職員だというものは役場職員と同じですから、ベッド
減ったから辞めなさいな、あるいはどこへ行きなさいなという、そういうに退職を
足してやったって、ほとんどの職員は行きたくないという考え方がほとんどだと思
います。この行きたくない職員たちを、どう、ここの施設の中でうまく活用しなが
ら、今、この交付税の計画も、プラスマイナスゼロでいいと思っているんです。
そんな中で、私はやっぱり 1 回は職員は経営というものに大きく関心を持ってほ
しいと。それがこういうふうに実効性が出てくるということは、薬よりうんと効く、
こういうふうに思います。
長
今日高橋先生からご提案がありましたので、それを追加した形で、報告書の原案
をまとめます。
高橋
一昨日ですが、北海道新聞に道内自治体病院の 12 月分の特別交付税が出ておりま
して、厚沢部町が昨年度の比でマイナス 18 パーセントということで、非常にビック
リしたんですけれども。今、町長さんのお話では、最近の厚沢部国保病院の入院稼
働の伸び率がいいので少し安心しました。先ほど町長さんがおっしゃいました、地
域医療構想なんですけれども、私も南渡島圏域で慢性期、在宅系の座長をさせてい
ただいていて、地域医療構想の目的というのは病床の削減ではなくて、あくまでも
地域の安心の保障だと思っているんです。
どういう医療提供体制が望ましいかを考えることが目標であって、その実現のた
めには、それぞれ地域においてどのような街づくりを行うかということを、自治体
の基本構想と整合性を持ったものでなければうまくいかないと思っている意味で
は、CCRC のほうに厚沢部町が全国で北海道でただ一つ選ばれたということは、非常
に街つくりがうまくいっているんだろうなと。これは町長さんはじめ、皆さんのリ
ーダーシップが、非常に良くいっているんだろうなと思っているんですけれども、
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
どのような改革をするにしても、地域住民の納得というのは絶対必要だと思うんで
す。
高齢化が進む中で、病床を削減するということは在宅のケア量を増やすというこ
とになりますので、それは必然的に今よりもご本人、家族の心理的な、あるいは経
済的な負担を増加させる可能性が高いので、その辺りは地域医療構想というものを
考えて、いつか南渡島圏域と南檜山圏域がディスカッションできればなと思ってお
ります。
もう一つ、やっぱり今後考えるところは、一つ一つの医療機関が頑張っていくと
いうのはなかなか人員的にも難しいと思っていますので、新しい発想で言うと、先
ほどチラッとお話ししました、地域医療連携推進法人という考え方が非常に大事な
んじゃないかなと思っています。ご存じのようにヘッドは一般社団法人で、独立行
政法人、医療法人、あるいは介護事業を手掛ける非営利法人などを、グループとし
て一体的に事業を行っていくというものだと認識しているんですけれども、その法
人間で資金面の融通もできますし、人材のリクルートも可能性がありますし、当然、
医療機器の共同利用というのもできますので、高額な医療機器を持つという重荷か
らも解放されると思っています。
最近では、岡山大学がメディカルセンター構想ということで、六つの公的病院が
一つになって、地域医療連携推進法人をまずは手掛けるというところがあるんです
けれども、道立江差病院さんの全適という話もありましたけれども、厚沢部等々の
国保病院さんが、どうにかして地域医療連携推進法人を探っていく道がないかどう
かです。
これは経費も考えつつ、そういう手も今後、あるんではないかなということで、
私の提案というわけではないんですけれども、そういうところが今後、考えていく
必要があるのかなとも思っております。
長
地域医療連携推進法人で連携していこうという話ですから、あまり無理じゃない。
報告書には地域医療連携推進法人を検討されたいというのを、厚沢部町の取り組
みの、一番最初にやらしてもらうと思いますあくまで今は、病院は自発的に危機感
を持って、勉強を始めるようですから、これを進めていただいて、皆さんで決めて
ほしい。齋藤前元知事もおっしゃったように、この職場を守るためにとにかく一緒
に戦おうと、そういう観点で、報告書は簡単にします。
18
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
先日は農林省の畜産部長の所に行きまして、治療的乗馬協会。乗馬は身体障害者、
健常者、知的障害者にはいいらしいんです。
齋藤
私も実は、それ、よく知って存じ上げていて、精神のほうから体にも来ていて、
かがんでしか歩けない男の子がいたんです。それが、アニマルセラピーではないん
ですが、乗馬をやっていたら、1 週間で背中がぴんとなっちゃったんです。普通に歩
けるようになったんですよ。そういうこともある。
馬祭りというのもやっている。町の中にフェンス造るんですよ。そのフェンスは、
山形県の中でも大きい山形建設というのがあって、建設会社ですから、こうやって
足場、組んで、
「馬がくるくる回れる所をやるなんていうのは、お手のもの物」なん
て言ってです。その建設会社に、地域の、そういう所へ貢献ということで、建設会
社の費用でやっていただき、馬をそこに連れてきて、健常の子どもたちに馬を乗っ
ける。障害を持っている方にも馬を乗っけるということをやっています。
長
それで、雲仙市に 30 年やっている社会福祉法人が民間である。30 年、ホースセラピ
ーやっている。ふるさと納税もやったらいいんじゃないかと。
齋藤
1 日町長というのがあって、ふるさと納税で 100 万円以上やってくれた人には 1 日町
長のチケットあげますと。
今まで全然なかったんですけど、今回、初めて 1 件現れまして、間もなくその人が 1
日町長をやってくださるみたいです。
長
この環境のいい厚沢部で、ふるさと納税で人間ドックを親に受けさせませんかとい
うのをやるといいかもしれません。飯山赤十字がそれで成功したんですから。
それでは、これで本委員会は終わりにしますが、最期に各先生方、コメントをお
願い致します。
岡田
齋藤様、ありがとうございました。実は 10 年くらい前に、全国自治体病院協議会
で議長てい談というのをやらせていただいて、そのときに、いや、組織経済の在り
方についての議論があったので。私はちょうどそのときに、こちらの法人化までの
経過と一緒なんですけれども、ある自治体の包括外部監査にもしていたので、地方
独法化というのを進めたんですが、すごいやっぱり抵抗にあっていろいろな方から
なかなか納得していただけないという、あつれきを感じたんですが。
今の、地方独法化の最大のメリットというのは、やっぱり管理者を完全に独立し
た執行機関にするということだったもんですが、日本海総合病院の場合というのは、
19
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
先ほどやっぱりリーダーシップのある理事長、院長先生だというお話を聞いている
んですけれども。ガバナンスというか、意思決定と実行に至るまでの、スピード感
であったりとか、今までとの違いというのは独法化後はいかがですか。
齋藤
栗谷先生ですので、加速こそあれ、停滞は全くないというふうに私は理解してお
りますが。とにかく自由に大胆にやれというのが栗谷先生の、皆さんに対しての、
いつものメッセージであるので、そういう意味で、そこで働いておられる先生や看
護師さんやそれから職員のかたがたも、かなりそういう意味では、トップがそうい
うメッセージを発しているが故に、やりがいを持って、押さえつけられることなく
やっておられる結果として、ないいうということになっているのかなというふうに
私は理解しておりますし、またそういうふうなメッセージを発する栗谷先生を大変、
私も尊敬いたしております。
長
森さん、感想をお願いします。
森
今回、こういう案を、あり方検討委員会ということを各専門のかたがた、お集ま
りいただいて、本当、いろんな意見を出していただいて、非常にありがたいことだ
と思っているんです。こういうものは、実際、話すことはなかったですし、今回、
こういうような町長からもお話があったように、今回、こういう委員会があるとい
うことで、職員も自分自身、実感がやはり湧かなかったことがあるんです。
ただ、やはりこういう地域医療構想ですとか、病院が、市議会がかからんとかと
いうものをこれから進めるにあたって、全体でやはり話す機会も何回かありまして、
非常にやはり一人一人が危機感を持って、これからどういうふうに自分が何をして
いかなきゃならないかというのを本当に考えていただいたということで、非常に感
謝しております。ここについて、本当に自分自身も分からないことばかりですので、
ぜひまた何かありましたら、ご相談させていただきたいなと思います。本当にあり
がとうございます。
佐々木
消滅する自治体の病院がいかにそれをうまくランディングというわけじゃないで
すけど、将来のためにどうすべきか。
渋田町長とお話しするのは、世界一、すてきな過疎の町というんですけど、2025
年問題とか、大前提が人口はこういうふうになって、町の人口は激減して、そして、
将来 2040 年、2070 年には 50 年後には滅びてしまうと。だけど、滅びないようにす
るのが、行政とか、政治とか、自分たちの病院とか、田舎の病院で勤める者の責務
20
【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
じゃないかと。結局、そういうのを前提にやっていくと、2070 年後に消滅する、全
国、たくさんの自治体というのは、なくなることを前提に今から考えたら、それは
夢を持っているとか、自分の人生を懸けてやっていけるのかと。
だけど、きょう、朝、NHK テレビを見てみてビックリしたんですけど、一応 6 歳か
ら 29 歳の、若い都会に住む人たちに「将来、どうしたいか」と聞いたら(46 パーセ
ントが田舎に住みたいとか。孫留学とか、孫が田舎に行きたいという人たちがいる
かもしれない。そこで、田舎に病院もなくなって学校もなくなって、そういう所、
消滅する所だったのに、行く人がいなくなる。だけど、そうならないように、知恵
を絞るというか、都会に集まっていくことが日本国の消滅というか、自滅につなが
っているという危機感がないのかっちゅうか、田舎は何の意味があるかと。
それから考えたら、やはり自分たちの進むべき道はどうすべきかというのは、や
っぱり人間の欲望というか。僕も委員長をしていて、現場の仕事がほとんどですけ
ど、委員長としては現場の業務はよく増えたほうがいいけど、現場の業務、よく出
ると、自分の、実務の負担が増えて。だけど、数字というの現場の人にそういう人
たちがこつこつやっていたのを積み重ねが医療周辺につながるので、数字を上げる
ということは簡単には言えますけど、いや、本当は地道な現場の一つ一つの、特に
丹羽先生、感じておられると思う。それの積み重ねなんですよ。
かっこいいことは言えますけど、数字を良くするということは本当は大変なこと
で、現場の一人一人の人たちの積み重ねがあると。昔の人たちがやっていたことの
積み重ねで、そういう昔の人たちの言っていたことの、生きる上の大事さっちゅう
のは、またこの厚沢部国保病院の在り方というのに対しても、自分たちのもらって
いる給料というのは、自分たちが働いている分野でもかなりたくさんの給料をもら
ってるんだよと。それを、長先生が言われるように、妥当な水準にしようと。そう
いうことは、やっぱりこれをしてちゃんとお金をもらえる、もらうという、当たり
前の人間の社会というか、仕事の在り方とか。
でも、人というのはそれだけでは、仕事を就かないと。やっぱり仕事をしていく
上で医療人として働くというのは、医療業務から受ける充実感、充足感というのが
ないといけないと。うちの病院の、やっぱり一番の問題は運営うんぬんかんぬんよ
りも、やはり自分たちが医療人として働いたときの、医療を、仕事をしたときには
医療人として、これ、充足間が足りないと思うんですよ。だから、給料だけですが、
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【第 3 回 厚沢部町国保病院の今後のあり方検討委員会 議事録】
働くための医療を見いだせないという、本当はそこんところが、一番これが難しい
ところですけど、僕自身は病院ちょっとして職場の皆さんに分かっていただきたい
のは、医療人として仕事の充実感を持っていく。
ちっぽけな田舎の、1 個の病院を、そこを頼ってきてくださる患者さんが、本当に
この病院になって良かったなと。50 歳の下顎がんという、ものすごい大きながんを
持った方が、新潟から「ふるさとの病院で最後を迎えたい」と言って、3 カ月後に亡
くなったんですけど、最後に亡くなるときに「本当にこの病院にして良かったよ」
と言ってくださったから。そういう現場に社長室で働いたりとか、スタッフとして
一緒に働いたときの喜びというか、そういうのの積み重ねをもっとやっぱりやって
いくことで、今、うちの病院の、地域の人たちから、見られている状況というか、
10 パーセントとか、30 パーセントしかない、受診率というのはやっぱり回復できて
いくんです。
先生が言われた、安心、信頼、うちは高度という言葉はなじまないかもしれない
んですけど、疑わない、信頼を持ち抜いたという、力を入れていくことが逆に言う
と、この数字の上にも反映されていくんじゃないかなと思います。本当にいろんな
方面からの、先生がたのご意見を聞かせていただいて、なかなか聞いたことをうま
く現場に伝えることができませんけれども、何とか何年、1 年後、2 年後に本当にこ
のあり方検討委員会のことがきっかけになって、それが本当に地域に信頼される病
院になったと言われるように頑張っていきたいと思いますので、本当、先生がた、
ありがとうございました。
長
それでは、この厚沢部が日本一すてきな過疎の町になることを確信して、この会
議を閉廷させていただきます。今日は、どうもありがとうございました。 (了)
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