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台湾旅行記 平成 22 年 8 月 7 日∼11 日) 台湾の山・森・地質を見たく

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台湾旅行記 平成 22 年 8 月 7 日∼11 日) 台湾の山・森・地質を見たく
台湾旅行記
平成 22 年 8 月 7 日∼11 日)
台湾の山・森・地質を見たく旅行を計画したが,既存の観光コースは台湾を一周する企画ばかりだっ
た.山を見るには 3000m 級の山々の間を縫う台湾横断が一番だと思い,
(株)日本旅行の河野匡さんに
相談したが,現地の旅行業者に問い合わせた結果,台湾横断道路は寸断されていて,不可能な話だった.
しかたなく,既存のコースに阿里山を加えた 4 泊 5 日の観光コースを作っていただいた.
コースと日程を決めた後で知ったことでだが,昨年(平成 21 年)の 8 月 7 日に台湾は台風に襲われ,
阿里山の南の小林(ショウリン)村では大雨で裏山が深層崩壊し,全村民 500 人が一瞬のうちに亡くな
ったそうだ.そう,台湾は台風の通り道なのである.出発までは毎日の天気配置図が気になっていた.
平成 22 年 8 月 7 日(土)日本から台湾へ.台北市から花蓮市へ.
日本時間 5 時起床,6:20 自宅出発.6:50 空港行きバスに乗車.高速道路が渋滞し,8:15 中部国際空
港着.セントレア名物の長蛇の列に並び搭乗手続き.出国手続きを済まし,10:00 発 CI151 便で台湾に
出発.機内食を食べながら台湾時間 12:00 に桃園国際空港着.ガイドの王新志さんが出迎えてくれた.
日本語ペらペらで,ガイドも通訳も最強の人物であった.ワーゲンのバンで台北駅に向かう.台北駅か
ら 14:30 発の特急「自強号」で花蓮市に向かう.電車は快適だが,非常に寒かった.東部海岸は山が急
峻で,植林地がなく,常緑樹の自然林が広がっていて素晴らしい.花蓮 16:45 着.美侖大飯店に入り,
17:45∼18:50 夕食.12 皿も出てきて食べきれなかった.19:00 にホテルを出て,アミ族の踊りを見に行
く.表面的にアイヌと似たところも多いが,古い特徴が似ているだけであろう.踊りはかなり観光化さ
れていて,儀式的なところは良くわからなかった.21 時にホテルに戻る.
8月8日(日)花蓮市(太魯閣渓谷)および高雄市
6 時起床.8 時出発.バンに乗せられいきなり大理石工場に行く.大きな岩をダイヤモンドカッター
が付いた多数の円盤で切り,厚さ 15mm ほどの石板を大量に切り出していた.大理石は変成作用が不十
分なためか,化石も含まれていて,地質マニアの私には興味津々.次に,社長自ら運転手となり(種明
かしは後で)
,太魯閣渓谷に案内してくれた.途中,街路樹がライチやマンゴーだったり,赤い花の鳳凰
木の並木があったり,いかにも南国であった.また最高においしい台湾バナナを買ってくれた.
太魯閣渓谷はあこがれの台湾横断道路が縦貫している.入口の装飾された門の前で記念撮影.それか
ら太魯閣渓谷に入るが,石灰岩質の岩盤がほぼ垂直に切り立った渓谷が続き,変成作用を受けてできた
褶曲が圧力の凄さを物語っていた.絶壁の内外を縫うように道路が作られているため,道路幅の狭いと
ころを徒歩の観光客と大型バスが行き交うことになり,かなり危険.ガイドの王さんの説明では,日本
軍が絶壁の上の方に極めて細い台湾横断道を穿っているという.絶壁をえぐって作られた道で,何とい
う恐ろしい根性で道を築いたのだろうか.また,よくあんな絶壁の道を歩けたものだと感心した.横断
道路は行き止まりであった.帰路,工事で殉職した人たちを祀った廟があり,1 つは日本軍のもので,1
つは台湾人のものだそうだ.ずいぶん多くの方が亡くなったのであろう.
太魯閣渓谷から戻り,社長の大理石工場に着くと売店に直行.花蓮産の翡翠のネックレスをしっかり
勧められ,ずいぶん散財してしまった.運転手兼ガイド料ということで,良しとしよう.昼食後,花蓮
空港に向かい,14:30 過ぎの飛行機で高雄空港に移動.1 時間ほどで高雄空港着.
花蓮市内の山並みと森,台湾バナナの売店,太魯閣渓谷の入り口,太魯閣渓谷の渓谷と岩肌,太魯閣渓谷の廟,花蓮市内の海岸
高雄市は夕方になったが,バンで移動し,澄清湖を訪問.池の中にギザギザに折れ曲がった橋があり,
子ツバメに歓迎されながら歩く.王さんの話では,悪霊は真直ぐにしか進めないため,角を曲がるたび
に自分に着いた悪霊を払うのだそうだ.次に蓮池潭に移動し,やはり自分の身に憑いた悪霊を払うため
龍虎塔をくぐる.商売繁盛の神様を祀った啓明堂にも寄る.それから宿泊先の漢来大飯店に入り,夕食.
食後,まだ非常に蒸し暑い六合路夜市に出かけ,果物屋や焼肉屋や麺の屋台を見て楽しむ.最後に壽山
に上り港町でもある高雄市の夜景を見てから漢来大飯店に戻った.ホテルに隣接する百貨店で絵葉書と
カメラのメモリーを求めてうろうろするが,午後 9 時を回っているにもかかわらず,大勢の客がショッ
ピングをしていて驚いた.
高雄市の蓮池潭,
蓮池潭の龍虎塔,
鳳凰木(?)
幾重にも装飾された啓明堂と鎮守の獅子像,六合路夜市の果物屋.
8月9日(月)高雄市から台南市を経て日月潭へ
6 時起床.漢来大飯店の 45 階でバイキングの朝食.8 時出発.9 時過ぎ台南市に入り,延平郡王祠を
訪れる.台湾を植民地化していたオランダ軍を追い払った鄭成功を祀った廟であり,日本人の奥さんの
ことも記述があった.日本軍と蒋介石軍によって何度か手を加えられている.隣接して民族文物館もあ
った.次に台湾最古の孔子廟を回ったが,撮影禁止のため,タイワンリスを撮っただけだった.続いて
やはり鄭成功を祀っている赤
楼を訪れる.ここはオランダ軍によって築かれた城であり,鄭成功がオ
ランダ軍を追い払った後は一時廃墟になるものの,復興されたらしい.
本来ならばここから今回の旅行の目玉である阿里山に行くはずであったが,数日前の大雨で再び道路
が分断され,阿里山行きは中止となり,がっかり.天災ならば仕方あるまい.嘉義市の北回帰線をくぐ
り,兆品酒店で台湾料理の昼食を摂る.野菜たっぷりで良かった.
それから日月潭に向かい,15:30 頃日月潭南側の玄奘寺に到着.このお寺には何故か玄奘三蔵の遺骨
が祀られているとか.
かつて南京にあったものを日本軍が略奪し,
堤さんの努力で蒋介石に戻されたが,
結局南京ではなくここに納められている.この一帯はサオ族の聖地であったが,溜池にされてしまい,
それが観光地になってしまった.16:30 頃儷山林哲園會館に到着する.部屋のベッドには赤いバラの花
びらが置かれ WELCOME と書かれていて,部屋のすぐ下が湖で,いかにも新婚用リゾートホテルらし
い.時間に余裕があったので,サオ族の土産屋を覗く.でも,山も森も見えず.18:30 からホテルの食
堂で夕食.食堂は水面に浸るくらいの高さで,沈む夕陽を見ながらの食事となった.
鄭成功を祀る台南市の延平郡王祠と赤 楼,嘉義市の北回帰線記念碑,日月潭の玄奘寺,宿泊先の儷山林哲園會館と夕食の風景.
8月 10 日(火)日月潭から台北市へ
6 時起床,朝日に輝く水面を見ながら朝食を摂る.8:30 出発.日月潭北側の文武廟を見学する.こ
こは孔子を祀った廟と関羽と岳飛を祀った武聖殿があり,それぞれ台湾最大級の九龍のレリーフがある.
台湾はどこに行っても孔子や関羽を祀っている.大理石の椅子や壁の彫刻や装飾が豪華であった.屋根
の上から望む湖の風景もなかなかのものである.
日月潭の文武廟,武聖殿と文殿にそれぞれ九龍のレリーフがある.大理石の椅子.蝙蝠の切り絵風彫刻.日月潭の眺望は最高.
10 時すぎ文武廟を出発し,南投市を抜けて台中駅に向かう.途中マコモ畑(?)
,バナナ園,ビンロ
ウ植林地など農耕地が多くなる.ビンロウの種子(ビンロウジ)は噛むと口の中が真っ赤になるやつで,
麻薬の一種になる.それほど儲かるとは思われないが,あちこち山を切り開いて乾燥しきった植林地が
あった.川沿いの崖は第三紀と思われる傾いた地層が露出し,大陸から押し上げられている力を感じさ
せた.台中市で早めの昼食を取り,新幹線で台北市に移動し,台北駅に 14:00 着.
当初の台北のスケジュールは過密であったので,真っ直ぐ台北市の北側にある故宮博物館に向かい,
見学を 2 時間たっぷりとる.それでもガイドの王さんの説明は膨大なものであり,展示物も豊富で,予
備知識を持たなかった我々には消化不良であった.さすがに中華文明の歴史と文化は凄い.写真撮影で
きなかったのが残念であった.王さんの説明によると,ある民間の陶工が素晴らしい壺を焼きあげたと
ころ,それを眼にした皇帝が搾取したのは当然であるが,同じものが市場に出回らないようにその陶工
を殺害したとか.歴史の裏には恐ろしい話がたくさんあった.
夕方,今度は市の南側にある龍山寺を訪れる.1738 年に建立された由緒あるお寺で,観音菩薩を中心
に,海運の神様である媽祖も祀られており,実に多くの参拝客が熱心にお参りをしていた.一度ホテル
に入り,バタバタと夕食を済ませた後,台北 101 に向かう.5 階から高速エレベーターに乗り,一気に
89 階の展望台まで昇る.意外とすいていて助かった.ここから台北市内の夜景を 360 度見物する.展
望台には免震構造の巨大ボールやマスコットの人形があった.22 時ホテルに戻る.疲れた.
南投市の褶曲の路頭.
故宮博物館正面.
熱心な参拝客が多い龍山寺,夜景を見るため台北 101 に昇る.5 階のモール街.
8月 11 日(火)九份と桃園国際空港
6 時起床,8 時出発.九份に向かう.雨の日が多い所だが,何とか曇りで済む.途中,墓地の山や,
高層ビルの住宅街を通る.車中で王さんが九份の歴史を語ってくれた.米国の黄金狂時代に出稼ぎに行
った人が帰国し,偶然川で砂金を発見したのが始まりだったとか.かつて台湾最大の金鉱があり,日本
軍によりほぼ掘り尽されたことや,隣の瑞芳では無煙炭が出て,こちらも日本軍によって基隆港から運
び出されたとか.結局九份は台湾の黄金狂時代に金鉱で働かされていた人々が生活していた町で,傾斜
の急な斜面に娯楽施設が発達したようだ.金が掘り尽くされ,閉山になると,台湾の人々の記憶からも
消え去り,廃墟となったそうだ.再び脚光を浴びたのが,問題映画「悲情城市」のロケ地になったこと
で,再び街に活気が戻り,阿妹茶酒館も整備された.恐らくその後宮崎駿監督がここを訪れ「千と千尋」
の構想を練り上げたのだろう.そして日本人観光客の必見の場所になったようだ.
商店街の古い店は日本式の建築で敷居が残っていたり,阿妹茶酒館の隣には朽ち果てた「昇平劇場」
があったり,医院「彭園」が復元されていたり,かつて日本軍に虐げられていた人々の悲惨な生活を彷
彿とさせるような跡があちこちに見られた.とは言え,台湾に金鉱があったり,無煙炭が出土したり,
地質おたくの私にとっては興味深い地域であった.また,阿妹茶酒館で正しいウーロン茶(?)の入れ
方を講習してもらったり,鉱山の抗口では奇怪な動物の声を聞いたり,狭い道路幅ギリギリにトラック
が強引に通っていくのを見たり,あっと言う間の 2 時間であった.
九分に向かう車中の風景:ビル群とお墓の山.
階段だらけの九份.廃墟の昇平劇場.
九份から望む基隆山.敷居が残っている商店街.
中国風の家の玄関いろいろ.
梟の置物.
復興された阿妹茶酒館.
金鉱 5 番抗口.
11 時前に九份を出発し,初めて豪雨に遭う.台北市内で小龍包が有名な鼎泰豊で人ごみの中であわた
だしく昼食を摂る.王さんに言わせると台湾ならどこの小龍包もおいしいとか.いくら有名でも,鶏の
食事場みたいなお店は観光コースから外してもよさそうに思う.昼食後,
松山空港近くの免税店に寄り,
それから桃園国際空港に入るが,交通渋滞もなく,早めに到着した.空港で搭乗手続き後,王さんと別
れる.空港内の免税店は延々とあり,購買意欲がなかった割には散財をしてしまった.桃園国際空港の
中は想像以上に長く,出発ロビーにたどり着くまでにかなりの時間を要した.ややくたびれ果てて帰国
したのは言うまでもないが,台風にも出会わず,充実した台湾旅行であった.日本旅行の河野さんとガ
イドの王さんに感謝.
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