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こまえわが町 元和泉 [670KB pdfファイル]
おとめ かわいらしいブロンズの乙女 像「たまがわ」は、横浜市 の山下公園にある「赤い靴は いてた女の子」の像で知られ る彫刻家山本正道さんの作 あずまうた は和泉村の領主のひとりであ いしがや ぼ だい る旗本・石谷家の菩提寺とし て整備された。また、明治か 西河原公園の多摩川堤防沿いのサクラ(写真は昨年) 点のあいとぴあセンターに加え、西河原 公民館、むいから民家園、都立狛江高校、 ら大正にかけて狛江村の村役 場が本堂内に置かれた。 同寺の子育て地蔵は江戸時 代から戦前まで広く江戸や多 くの人々に親しまれた。 ル、交通のかなめの北口ロータリー、市 財天池、神人歌舞画像鏡が発見された亀 内最大の商業施設などがあり、多くの人 塚古墳など歴史的にも見逃せない史跡が でにぎわう。駅前には、狛江弁財天池特 残っている。 ちゃくしょく 絹本 著 色 石谷貞清画像、 ざ ぞう 木 造 石 谷 貞 清 坐 像、 慶 長 うんぱん 15(1610)年の雲版、石川 じょうざん せん ぶん 別緑地保全地区の緑が広がる。一方、西 現在は住宅地に変わったが、かつて元 端には市内最大の西河原公園があり、桜 和泉では東側の崖 線 上に寺や農家が建 の名所として親しまれている。福祉の拠 ち、多摩川に沿って水田が広がっていた。 さだきよ そうじゅん こ じ ばん し 丈 山 撰文「宗 淳 居士挽詞 ならびにじょ へんがく 序」の扁額など数多くの がいせん 市指定文化財がある。木立に 囲まれた境内には江戸後期の しょうろう クがほしいとの市民の希望を 保全地区にある池。 「しみず」 受けて、平成8年に設置され の名で親しまれ、和泉の地名 た。玉川碑に刻まれた万葉歌 もこの池などにちなんだもの に出てくる乙女を現代的に表 といわれ、市の文化財に指 現している。 定されている。奈良時代の大 2 教育発祥之地の碑 北口の三角広場に立つ狛 江教育発祥之地の碑は、明 狛江教育発祥之地の石碑 ら110年にわたってこの場 年に立てられた。一小は、駅 所に小学校があったことを伝 北口再開発事業のため、昭 えようと第一小学校の卒業生 和62(1987)年に和泉本町 などが中心となって平成16 の現在の場所へ移転した。 2階建ての鐘楼や開山堂、山 干ばつのとき、 門などが建つ。 ろう べん 良 弁 僧正が雨 乞いをしたとこ 6 ろ、竜神が現 れて雨を降ら 泉龍寺弁財天池 わき出したとい う伝説が残っており、池から ら後期の集落、古墳時代から 狛江高校 絹本著色石谷貞清坐像(部分) 5 田 中 橋 世紀初めに造られた、張り出 しをもった帆立貝形の古墳。 た。 間、池の周りで人々が生活し 池 の 中 島 に は、 明 暦2 石棺など3カ所の埋葬施設か ていた様子がうかがわれる。 らは、 「神人歌舞画像鏡」を (1656)年の手洗い石や弁財 さらに、弥生時代末から古 はじめ金銅製毛彫金具、銀 天をまつった元禄6(1693) 墳時代初めごろと推定される 年の石祠がある。 一辺18mの大形の方形 周 しゅう 環、 直刀、 鈴付きの腕輪、 いた六郷用 水にか かっ 橋 は、 昭 和 年の用水の 田中橋の石柱 駅 世 通り 谷 田 ■元和泉の地域 データ、 他の施設 一覧は中面に ぴあセンター(健康福祉会館・ 2-35-1) 。健康課、社会福 埋め立てによって姿を消し、 祉協議会、高齢者在宅セン あいとぴあセンター 高千穂稲荷(1-14)のわき ター、障害者地域自立生活支 た日替わりランチ (500円) いな り に移設された当時の橋の石柱 援センター、在宅介護支援セ は安くて家庭の味が楽しめる がわずかにおもかげを伝えて ンター、休日応急診療所、休 とお年寄りなどに好評。トー いる。 日歯科応急診療所などが置か ストサンド(400円)やケー れている。 キセット(450円)も人気。 む∼ 1階にある「夢」は狛江市 営業は午前 障害者団体連絡協議会が運 11時 ∼ 午 営する喫茶と軽食の店で、来 後 3 時30 館者だけでなく散歩の折に寄 分で日・月 る人も多い。野菜を多く使っ 曜休み。 日替わりランチ 誌面刷新 新シリーズスタート 狛江の街と人の魅力をガイド 今号から誌面の拡張、本文文字の変更と拡大など、 読みやすさをめざして「わっこ」の刷新を行いました。 亀塚古墳 政権と結びつきを持った人物 も発見され、この地域に大き 面の彫刻の図柄が高句麗(朝 りからは正装した男子や馬具 1万数千年前の旧石器時代の な力を持った権力者がいたこ を付けた馬などのはにわもみ 石器製作跡、縄文時代中期か 鮮半島)の古墳壁画に似てお とを示している。 り、大陸の影響を受け、畿内 つかった。 こう く り 教育研究所 狛江の福祉の拠点−あいと の墓と考えられる。周囲のほ 財天池遺跡からは、いまから 弁財天池特別 緑地保全地区 7 あいとぴあセンター てい た 田 中 40(1965) エコルマ ホール 東和泉 3丁目 むいから民家園 発見された。毛彫金具は、表 溝墓や5世紀前半の円墳の跡 摩 多 橋 道 水 境を流れ て 玉類、馬具など副葬品が多数 こう ぼ また、池の北側に広がる弁 亀塚古墳 1 西河原自然公園 40mもあり、5世紀末から6 奈良時代にかけての集落など 1丁目 中 和 泉との (1-21)は、かつては全長 の跡が見つかっており、長い 3 元和泉と ずかに残っている亀塚古墳 流れ出した清水川は長い間、 せき し 元和泉 弁財天池 市民ふれあい広場 亀塚古墳 猪方や駒井の水田をうるおし 2 泉龍寺 第三中 いまは住宅に囲まれ、わ せ、この泉が り ら通 さく 六郷 4 6 そうとう しゅう い。「和泉村」の地名のもととなった弁 一首をしのばせるランドマー 西河原自然公園 末に曹洞宗となり、江戸時代 駅北口には、文化の拠点のエコルマホー 駅前としては珍しい緑が広 よって観 聚 学舎ができてか 泉 龍 寺 摩地域などの家々を回り、多 がる狛江弁財天池特別緑地 かんしゅうがく しゃ 4 ふれあい広場など教育や文化の施設も多 泉龍寺弁財天池 通り 元和泉市民 テニスコート と伝えられる古寺。戦国時代 泉 品。駅前にも万葉集の東歌の 治5(1872)年の学制発布に 泉龍寺の鐘楼 東端の市の玄関にあたる小田急線狛江 3 5 西河 原 2丁目 奈良時代に良弁僧正が開いた まれた元和泉はいろいろな顔を持った町。 狛江駅北口の池の横にある 西河原公園 雲松山泉龍寺(1-6-1)は、 昭和56年11月の住居表示によって生 1 乙女像「たまがわ」 川 摩 多 小田急線狛江駅北口ロータリー。 手前は乙女像「たまがわ」 いろいろな顔を持った町 乙女像 教育発祥 市役所 田中橋石碑 「たまがわ」 之地碑 あいとぴあセンター むいから民家園 7 32 狛 江 4 中和泉 線 平成18年 編集・制作 ●特定非営利活動法人 k-press 〒 201-0012 狛江市中和泉 3-2-16 プランツベルツ 201 ☎ 3430-6617 FAX3430-6743 [email protected] Homepage=http://www.k-press.net/ 元 和 西河原公民館 急 2006 小 田 発 行 ●狛江市市民協働課 〒 201-8585 狛江市和泉本町 1-1-5 ☎ 3430-1111 FAX3430-6870 [email protected] No. わっこ 和 泉 Monthly Wacco Monthly 駅 2006年4月1日発行 多 摩 川 わっこは毎月1日に発行します 狛江市民活動・生活情報誌 今号から新シリーズとして「こまえ わが町」を12 回にわたって掲載します。狛江の魅力を見直していただ くため、市内の11の町と多摩川を取り上げ、その特色 や歴史、施設、史跡、人などを紹介します。町の情報 や知りたいことがら、ご意見、ご感想を市民協働課(☎ 3430-1111)へお寄せください。