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第 35 回世界クロスカントリー選手権(ケニア・モンバサ 2007・3・24) 医務

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第 35 回世界クロスカントリー選手権(ケニア・モンバサ 2007・3・24) 医務
第 35 回世界クロスカントリー選手権(ケニア・モンバサ 2007・3・24)
医務報告書
日本陸上競技連盟医事委員
野田晴彦
1. はじめに
第 35 回世界クロスカントリー選手権大会は 2007 年 3 月 24 日ケニア・モンバサで開催され、日
本選手団は選手 26 人(シニア男 8、女 6、ジュニア男 6、女 6 人)
、役員 13 人(チームドクター1
人、トレーナー男女各 1 人)、支援コーチ 9 人、ツアーエスコート 1 人の 49 人で構成され、帰路ナ
イロビまでの支援コーチ 1 人を除いて全員が同一旅程であった。開催地の環境等を考慮して初めて
チームドクターが帯同したが、その決定が 2 月上旬と遅く、選手決定は更に選考大会後の 3 月上旬
であったため、準備期間が十分とはいえなかった。
2.派遣前準備
モンバサはインド洋に面した港町で赤道直下のため、マラリア等の感染症とともに、高温多湿に
よる熱中症対策が重要であった。事前に入手できる情報が乏しく、大会ホームページも期日が迫っ
てからようやくチームマニュアルなどが掲載され、出発直前にやっと現地状況がつかめる状態であ
った。このため、結果論であるが感染症対策には大きな労力を費やした。
蚊に媒介されるマラリア、デング熱、黄熱、リフトバレー熱(直前にケニアで流行)対策は、蚊
避けスプレー(日本でも DEET12%が発売されたので、3%と 2 種類用意)と蚊取線香をチームで
持参し、黄熱(希望者は A 型肝炎も)の予防接種を陸連負担で推奨した。蚊忌避剤は大会で配られ
るとの情報があったが、実際にはなかった。マラリアの予防内服は、IAAF 医事委員会よりの情報
で実施すべきと判断し、日本では入手困難なマラロン(アトヴァコン・プログアニル合剤)を購入
し、カウンシル会議出席者 5 人を含めて同意書を取り、3/19-4/2 の期間服用とした。
日本食は約 150 食持参したが、消化吸収の良い食品とスポーツドリンク粉末を用意できなかった
のは反省点となった。
現地情報収集のため、ケニアの日本大使館駐在の医務官と連絡を取り、前年のモンバサ視察の状
況等を把握した。医務官はナイロビ到着時にも直接ホテルを訪問され、正確な情報を提供された。
チームの滞在したホテルはリゾートホテルであり、事前の想定よりも環境面では良いほうであった。
遠征期間が短いこともあり、医務バッグはほぼ通常の内容で準備した。
3.出発から現地到着まで
関西国際空港による集合し、全体ミーティングでマラロンを配布、説明(毎日夕食後服用)現地
での注意をしたが、時間が限られたので注意内容を印刷してナイロビ到着時に配布した。ドバイ乗
継でナイロビ着(夕刻)後 1 泊し、翌日午前中にモンバサに移動した。ナイロビで明るいうちに集
団ジョグの時間が取れ、モンバサのホテル着が夜中にならなかったことは、ナイロビでの移動の面
倒さよりもましであった。往復の機内からキリマンジャロが良く見えたのは、この遠征での唯一の
観光であった。
選手団の滞在したアフリカンサファリクラブは、欧州の観光客の多いリゾートで、周囲とは隔絶
されていて、英語とドイツ語の案内が置かれていた。水道水はホテル専用井戸で海水が混じって塩
分が多く、洗口用にポットの真水が用意されていて、これは安全であった。居室にはクーラー(部
屋によっては故障していた)のみで蚊帳、蚊忌避剤、冷蔵庫、電話はなく、割り当てられた部屋が
広い敷地内に分散していて不便であった。
食事は敷地中央の食堂でビュフェ形式で 3 食取れ、その際に無料でミネラルウォーター(1ℓ)2
本まで提供された。表示はなかったがこれは硬水で、そのためと見られる軽い下痢が多かった。大
会前には組織委員会より軟水のミネラルウォーターも若干提供され、会場では全てこちらであった。
食事の衛生状況は、ホテルではヨーロッパ基準と説明していたが、フルーツは全て小さくカットさ
れ、適当に追加するので、古いものが混在してやや警戒が必要であった。料理は植物性ではあるが
油の濃いものが多かった。コーチ1人が卵が原因と思われる胃腸炎を起こした。現地でチームとし
て電子レンジと電気ポットを購入し、大会前日からは、多くの選手は日本食中心の食事をしていた。
洗面所に水を溜める栓がなく洗濯が困難なため、電気洗濯機も購入してトレーナー室に設置した。
トレーナー室は居室と別に1室確保した。
ホテル内の衛生環境は、蚊(確認できたのはイエカ)も少なく、野生のサルの群れ(ホテルの注
意書きにもあった)が時折見られた程度で、夜間はクーラーの効いた部屋では蚊取線香も不要であ
った。プール、シャワーも塩水ではあったが衛生面での危険はなかった。日中は直射日光が厳しく、
少し動いただけで汗が出たが、風通しの良い日陰ではしのげる程度であった。気温・湿度は高く、
ほぼ日本の真夏と同じで夜間も気温はあまり下がっていなかった。午前中にスコールの降る日があ
ったが、湿度が増すだけであった。レース日にはスコールは降らなかった。
4.現地での医務活動
大会当日(競技会場)は大変な状況であったので別途記載する。
現地滞在中の医務活動は、環境面の心配が薄らいだこともあって比較的平穏であったが、高温多
湿の環境下で日本国内に準じた調整を行う選手も多かったため、日を追って徐々に体調を下げる選
手が見受けられた。
医務(診療)の利用は、レース会場を除いて 19 人(役員 7、選手 12:男 6 女 6)
、22 件、延 31
回であり、1 件の擦過傷をのぞいて全て内科的トラブルであった。下痢・軟便が最も多く 11 件、
上気道炎が 4 件、皮膚炎・脱水症 2 件、飛行機酔い・過労 1 件であった。日付別では 3/20:1、3/21:
1、3/22:5、3/23:7、3/24:14(レース前 9、レース後 5)
、3/25:1、3/26:2 回と日を追って
増えていた。
下痢を訴えた選手はレース前 3/22:2、3/23:3、3/24:2、レース後 3/24:1、3/25:1人であ
った。全て感染性胃腸炎とは考えられない症状であったが、競技への影響はあったものと思われた。
1 人(ジュニア女子)はレース前日に、1 人(シニア男子)はレース後に脱水症のためホテルで点
滴をした。上気道炎は、日本で発症して現地で悪化したコーチの化膿性扁桃炎以外は軽症であった。
トレーナー活動では氷の確保に苦労をしたが、レース当日はスーパーで購入することで対応した。
外科的な故障がほとんどなく、コンディション調整での利用が主であったが、全員が 2 時間でスタ
ートするため、トレーナー2 人でも十分とは考えられなかった。
5.アンチ・ドーピング活動
ドーピング検査は 2006 年福岡大会並に実施されるとの事であった。競技前の血液検査もホテル
敷地内に検査室(ホテルルームを 5 室使用)があり、3/22 に日本選手 15 人(シニア男 7、女 2、
ジュニア男 4、女 2 人)が採血検査を受けた。スタッフは全てケニア人のようで、通告には 2 人が
リストを持って訪れた。ジュニアコーチ 2 人と共に 3 人で同伴者として対応したが、実質約 1 時間
弱で終了した採血に比べて、通告から記録書記入の待ち時間が長かった。採血は 2 室で 2 人ずつ4
ヶ所で実施され、1人の BCO が全ての作業を行って、平均 12 分かかっていた。手順には慣れて
いるようで不安なく見ていられた。血液検査はモンバサ市内に搬送して行われるとの事で、尿検査
の対象者はいなかった。
競技会での検査はゴール後の混乱が激しく、どの程度実施されたか不明であるが、ジュニア女子
1 人が対象となった。会場傍のクラブハウス内がドーピング検査室であったが、ゴール後の選手の
対応に追われて同伴できず、英語で同伴できるコーチがいないため陸連渉外担当に任せざるを得な
かった。記録書に選択基準の欄がない(なぜ選ばれたか解らない)のに、本人確認をナンバーカー
ドでできない(誰を選んだのか知らない)のは疑問であったが、現場では構っている暇がなかった。
IAAF アンチ・ドーピング部の活動として、選手会メンバーによるチームへの啓発プログラムが
実施された。日本チームは 3/22 昼食後に、ホテル内に男子 800m 世界記録保持者の W.キプケテ
ルを迎えて、約 15 分のスピーチと質疑応答、その後サイン会と記念撮影を行った。渉外担当とツ
アーエスコートが出られなかったので、通訳を担当した。集合写真は WXC ホームページにも掲載
された。チームは初めあまり乗り気でなかったようだが、結果的には盛り上がった。
チームでの TUE 申請はなかった。
6.大会当日(レース会場)
大会会場はモンバサゴルフクラブの海岸沿いコースを使い、選手ホテルからバスで 40 分以上か
かる場所であった。町の南端に位置してアクセス道路が 1 本しかないため、行きはパトカー先導(そ
れを待つのに 1 時間)で会場入りできたが、帰りはバスが会場を出るだけで 1 時間以上かかった。
スタートがゴールから最も(約 1km)離れた地点にあり、最初の周回はショートカット(約 1km)
してゴール横を 1 回余分に通ってから約 2km の本周回に入るというコース設定が、第 1 レースの
ジュニア女子で先頭が周回間違い(1 周残してラストスパートした)の原因となった。コース内で
はバンカーを何度も通り、細かいアップダウンも多く、海沿いで湿度が高く日陰のないタフなコー
スであった。公式には気温 33℃湿度 62%であったが、体感温度は数度高いと感じられ、日陰でじ
っとしていても汗が出た。
スタート地点には選手用の大きなテントがあったが、中を仕切ってあったため風が通らず、ほと
んど役に立たなかったようである。コースがアクセス道路を横切るため、競技中はスタートとゴー
ルの間の行き来がまったくできず、選手の衣類・荷物も届かなかった。トレーナーを両地点に 1 人
ずつ配置したが、携帯電話もつながらなかった。ゴール後の混乱にもコーチが戻って来ないため、
人手が足りなかった。
ゴール地点にはチームテントが用意されていたが、下は草地で広さも十分ではなかった。大会の
メディカルテントはベッド 10 台分、アイスバス4基をゴール後方に置いていたが、ジュニア女子
のゴール後の救護だけで明らかに不足になった。以後は医療テントの周囲の覆いを外し、倒れた選
手の冷却と容態観察、意識レベルの低いものは市内病院に次々に搬送するという対応になった。給
水はコース上に設けられていたが、ペットボトルを渡すだけでは飲めないと選手は言っていた。
日本選手は 26 人全員がスタートし、シニアの男女各1人がゴール地点近くで途中棄権となった。
競技後ほとんど全員が程度の差はあれ熱中症の状態で、冷水等で身体を冷却してチームテントに戻
った。メディカルテントでベッドに乗せられたものはジュニア女子2人、ジュニア男子1人、シニ
ア女子1人で全員に過換気症状があったが、本質的には脱水と熱中症であった。ジュニア女子1人
は比較的速やかに回復したが、もう1人はチームテントで点滴が必要であった。生理食塩水を点滴
し、シニアレース終了までには回復した。ジュニア男子は手が足りず、IAAF 医事委員長の説得で
コーチが1人付き添って近くのアガ・カーン病院に搬送した。ここは事前に大使館医務官から利用
可能と確認していた病院である。ホテルには深夜に元気に戻った。シニア女子はコーチとトレーナ
ーが主に付き添い、帰りのバスに乗る頃には下肢の脱力感があったが自力歩行可能であった。
残りの選手は着替えの衣類が来なかったので、チームテント内の日陰で座っているしかなかった。
大会運営全体を通じて、選手をほったらかしにしているという印象が大変に強かった。
ホテルへの帰りのバス内でシニア男子1人の体調が悪くなり、ホテルに到着後ドクター室で点滴
を行った。全選手の回復を確認したのは深夜 0 時ごろであった。翌朝には日本に向けて出発のスケ
ジュールを守ることはできた。
7.まとめ、終わりに
ケニア・モンバサでのクロスカントリー大会開催が決定したときから、十分なメディカルサポー
トの必要性を訴えていたが、結果的に派遣されて必要とされるサポートは何とかできたものの、十
分に出来たとは言いがたいと感じた。高温多湿下でのレースは想像以上に過酷で、6∼12km の距
離で 20%近い途中棄権率であった。レース後のメディカルテントの貧弱さ(スタート前に IAAF
医事委員長は「これだけ準備させるのが精一杯だった」と語った)は、ゴール地点の混乱に拍車を
掛けていた。日本チームも下見の段階でゴール後のケアに十分スタッフを配置するように計画すべ
きであったが、スタッフ構成は代表選手とそのコーチであるので、スタート地点に集まってしまい、
ゴール地点に戻れなかった。選手輸送バスがスタートにやっと間に合うという運営も、現地では十
分に予測可能であった。
「レースは 1 日だけ」ではなく「1 日に全力を投入しなければならない」
遠征であることを肝に銘じたい。
現地の環境面は事前の悪い方の想定よりも良い方であった。それでも食品の取り扱いなどには日
本より劣る面がいくつか見受けられ、気候条件も加わって選手が通常の体調を維持することは決し
て簡単ではなかった。調整トレーニングとはいえ、多量の発汗(暑熱順化も必要だが)、硬水によ
る水分補給、胃腸の疲れなどで下痢症状が日を追って増加していた。ロペラミドの投与でコントロ
ールできるものが多かったが、薬は丁度使い切ってしまった。抗生物質はあまり使わなかった。チ
ームとしてスポーツドリンクを用意しなかったのは大きな反省点である。
条件の厳しい遠征の中で協力して下さった団長、監督、コーチ、支援コーチの方々、岩井・長田
両トレーナー、そしてケニア日本大使館の川越医務官に深く感謝いたします。
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