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主体と客体の共進化プロセス ―「関係性の経営史」序説
【研究ノート】 主体と客体の共進化プロセス ―「関係性の経営史」序説― The Co-evolutionary Process between Subjects and Objects ―The Introduction to“Business History of Relationship” 宇 田 理 Osamu Uda 要約 アルフレッド・D・チャンドラー Jr. が『組織は戦略に従う』で,企業の長期的パフォーマン スを左右する重要な要因は企業者性能だと主張したが,その後,戦略と組織の適合性の問題に多 くの関心が注がれ,チャンドラー自身の研究の力点も変化したため,企業者性能の解明は,あま り進まなかった。もっとも,別の角度からの研究は進んだ。なかでも,企業の長期的パフォーマ ンスは,何も主体たる企業者(経営者)だけではなく,何が長期的パフォーマンスに資するのか といった考え方(世界観)によっても決まるし,主体と客体の共進化のなかでも醸成されること が分かってきた。そこで本稿では,かかる研究を下敷きにしながらも,主体と客体の関係性それ 自体をより積極的に概念化し,これまで主体たる企業あるいは客体たる環境の記述に終始してき た経営史研究の分析領域の拡充を図るための試論を展開することを企図している。 1.問題の所在 企業発展および企業の長期的パフォーマンスを規定している要因は何か。これは長らく経営史 研究の中心テーマであり続け,現在も形を変えて議論されている。なかでも,経営史家のアルフ レッド ・D・チャンドラー Jr. は,戦略論という研究領域の興隆を導くことになった『組織は戦略 に従う』という著書において,大企業が繁栄を勝ち取るためには「企業者性能(トップマネジメ ントの有能さ)」が何よりも大切であることを強調した。同書では,企業者性能は,電気や内燃 機関の発明といった技術や,都市化の進展と製品需要の拡大といった市場に代表される構造的要 因よりも大企業の繁栄を左右するものと位置づけられた。まさにチャンドラーが「各企業が個々 の経営者の寿命をはるかに超えて生き続けられるのも,技術や市場の要請によって成長が左右さ れるのも確かだろうが,にもかかわらず,おおもとの経済的役割を健全に果たせるかどうかは, もっぱら経営陣の力量次第なのだ1)」と述べているとおりである。 しかし,チャンドラーが同書の中で打ち出した「組織は戦略に従う」という命題風のメッセー ジの強烈さも相まって,企業者性能の中身や,それを分析するための枠組みの開発に取り組む研 究者はほとんどいなかった。そのため,戦略論の分野では,チャンドラーの研究を「戦略―組織 パラダイム」として図式化し,戦略と組織の適合性(フィット)の問題に関心を注いだし2),経 営史研究の分野でも,多角化戦略に伴って職能別部門組織から事業部制組織への組織イノベー ―53― 『情報科学研究』第 20 号 ションを成し遂げるプロセス,つまりチャンドラーの言う「制度的対応(あるいは制度的革新)」 の歴史を,戦略と組織の問題として各国企業に適用することに傾注した3)。 『組織は戦略に従う』で提示されたチャンドラーの企業発展の説明の流れを図式化すると「環 境変化→[経営者の主観的な環境解釈(企業者性能)→成長方式(戦略)の変更→組織の変更] →経済発展ないしは社会変動」([ ]は企業内の行為を指す)となる4)。しかしながら,上述し たように, 多くの研究は[企業者性能→戦略の変更→組織の変更]といった部分の「戦略と組織」 の流れに集中した。それは,結果としての(すでに終了した)「戦略の変更」を起点に議論を展 開したものである。かりに,経営者の主観的な環境解釈の「中身」まで含めれば,研究の中心は, いかにして経営者がそうした経営行為に至ったのかという「企業者の解釈メカニズムの分析(経 営者の認識の分析) 」,あるいは,そうした経営行為のプロセスを暗に規定するイデオロギーや文 化コードは何かといった「解釈メカニズムの規定要因の分析(文化構造論など)」にも至るはず である。しかし,当初「企業者性能」の重要性を指摘したチャンドラーとて,続く『経営者の時代』 という著書では,企業者性能の中身を探求するよりもむしろ,企業者性能を「生産から販売に至 る財の流れをいかにうまく調整できるか」といった能力に集約し,そうした調整機能のパターン は,その時々の市場と技術が決定したというように説明した5)。なぜなら,チャンドラーは,な ぜ米国で「大企業という制度」が誕生,発展したのかを説明しようとしたため,市場と技術とい う構造要因に重点を置くことになったのである。さらなる研究書『スケール ・ アンド ・ スコープ』 も,『経営者の時代』で描かれた米国の大企業制度の生成 ・ 発展史を,英国・ドイツも含めた国 際比較研究にまで拡げたものである6)。 さて,企業者性能の中身の研究が進まない理由の一端には,当然のことながら,経営者の主観 的な環境解釈を実証するのが難しいという側面がある。それでも経営史家の大河内暁男氏は「経 営構想」という概念を使って,経営者(企業者)の頭の中にある主観的なアイデアを説明しよう と試みた。経営者の主観的な解釈は「経営の客観的条件のなかから,自己の企業経営行動にとっ て必要な経営要素を選択し,編成して,経営行為の形を作り出し,もって経営構想を客観化する7)」 プロセスのなかで表面化し,「企業者が有する動機,理念,意欲,能力など,総じて企業者の主 体的条件と,企業経営の客体的条件とが,客観的条件に含まれている経営諸要素の編成の仕方と いう技術によって媒介されつつ,1つの有機的構造を形成する8)」ことになる。なお,カール ・ ワイクやジェームス ・ マーチらが進めている「組織認識論」という研究領域では,チャンドラー の研究の流れとは別に,環境解釈に関する研究蓄積があることは指摘されねばならない9)。こう した研究は,組織による環境認識過程を「意味決定(sense-making)」という行為を通じた組織適 応のプロセスと見なす。そのため,そこでの認識は,ありのままの環境を捉えるというよりも, 環境自体が行為や意味づけを通じて主体的に創り出されていくものと考えられている。そうした 認識は多義的である(複数の意味決定が併存する)故に,組織内には意図の異なる複数の戦略行 為が存在するが,逆に,多義的であることが環境変化への対応力として機能する。そして,その 対応力を「結果として」の企業者性能と見なしている 10)。 しかし,本稿で考えたいのは,大河内氏の試みた「経営構想」という概念や「組織認識論」の 研究成果を経営史研究に取り込み,「経営者の主観的認識」の歴史を記述することではない。む しろ,主体としての経営者(企業者),客体としての環境(市場,業界,ときには競合企業や提 携企業も入る)のどちらにもあえて深く立ち入らない研究アプローチを企図するものである。そ れはすなわち,主体と客体の「関係性」を積極的に議論するということである。しかしそれは, 『情報科学研究』第 20 号 ―54― 主体と客体といった構成要素を分析の範疇から落とすことではない。より正確には,「関係性」 を「主体と客体の共進化 11)プロセス」として描き出すための概念装置を模索することが本稿の ねらいとなる。別言すれば,本来,主体と客体それぞれを別個に分析することを通じて説明され てきた「関係性構築のプロセス」を,「共進化」という概念を援用することで,関係性それ自体 に注目して記述するアプローチを構想しようというものである。 それでは,なぜ,関係性の分析に焦点を当てるのか。それは,経営者や企業といった経営主体 の採る「戦略の合理性(効率性)」の説明に留まらず,経営主体の「存在意義」,ならびに,経営 主体の「行為の正当性(適切さ)」を担保している「何か」を説明することで,企業発展を規定 する「別のモード」を明らかにできると考えているからである。事実,こうした経営主体の存在 意義とその行為の正当性に注目している研究がある。例えば,チャンドラーの研究から影響を受 けたニール ・ フリグスタインがその最たるものだろう 12)。例えば,フリグスタインは,行為の 正当性は,経営主体にとって何が効率的なのかを規定する「世界観(world views) 」を巡る闘争 フリグスタインの言う「世界観」という支配のルー によって決まるとしている 13)。しかし筆者は, ルを成すイデオロギーに焦点を当てることの意義を認めつつも,そうした世界観の対立がどうい う局面で起き,また,そうした世界観の対立が最終的にはどのように裁定されるのかにより関心 がある。それらを説明するには,フリグスタインのように主体の行為を規定する何かを「世界観」 ではなく,主体と主体,あるいは,主体と客体の間の「関係性」に求めていくというアプローチ を採ることが必要となる。すなわち,筆者にとっての「何か」は「関係性」ということになる。 本稿では,こうした研究アプローチを採る背景を整理したいと考えている。そこで,まず,関 係性そのものを対象としたわけではないが,影響力という意味で,主体と客体の関係性に触れた フリグスタインの考察の意義を整理し,新たな視座を構築する上での参照点を確保する。次に「共 進化ロックイン」という興味深い視点を与えてくれたプロセス派の戦略論者,ロバート・A・バー ゲルマンの研究を取り上げ,その意義と問題点を検討し,共進化概念を関係性に読み替えるため の下地をこしらえる。それらを踏まえて,主体と客体の共進化プロセスの鍵となる「関係性」を どう議論していくべきかの暫定的な展望を明らかにし,本稿を閉じることにする。 2.フリグスタインの世界観の闘争による行為の正当化分析の意義 2. では,フリグスタインが提起する世界観の闘争による行為の正当化分析の意義を見ていくこ とで,筆者が考える主体と客体の「あり方(正当性)」を規定する「関係性」の議論を展開する 上でのヒントを探る。 チャンドラーは,企業発展および企業の長期的パフォーマンスを規定している要因を,大企業 が採用した成長戦略に適合(フィット)した組織を選択したかどうかに求めた。しかし,フリグ スタインは,チャンドラーの対象とした時期を第 2 次大戦後まで拡張し,異なる説明理論(社会 学的アプローチ)を採用することで,大企業が生き残れる(持続的な成長を可能にする)のは, その時々の企業が成長し続け,収益を上げ続ける考え方(あるいは世界観)にあるという分析を 行った。つまり,フリグスタインは,チャンドラーが重視する企業者性能のコアたる「戦略が市 場にフィットしているからである」とか「戦略のコンテンツ(内容)が優れているから」という よりも,同時代で,どの戦略がもっとも効率的(収益性が見込める)と考えられているかという「効 率性の基準を暗に規定している世界観」によって経営主体の正当性が担保され,持続的成長が約 ―55― 『情報科学研究』第 20 号 束されると見るのである。そして,その世界観を支えている準拠集団(reference group)が何か について考察を進めていく。彼が提示する準拠集団としての括りは,個別企業,業界,国家となっ ており,準拠集団同士の複雑な交渉ゲームの結果,世界観が規定されると見なすのである 14)。 フリグスタインは,行為主体の合理性の記述に関して,方法論的には「社会学的効率性 (Sociological Efficiency)」という概念を導入する。つまり,行為主体の効率性(あるいは合理性)は, 企業,組織フィールド(業界),国家(司法省)といった諸制度間の相互作用の結果,生じてく ると考える。そのため,市場が構造化,すなわち「企業成長や長期的なパフォーマンス(収益性) を生み出す場となるかどうか」は,現時点での企業コントロール(支配)に関する基本理解,そ うした理解から生じる戦略,企業コントロールに関する理解の正当性,によって規定されるとす る。別言すれば「市場がもっとも効率的な社会組織を生み出す」のではなく,「政治的・社会的 相互作用が,社会学的な意味で効率的市場を生み出す」のである 15)。 その結果,フリグスタインは,チャンドラーの議論のさらに後景に迫る。すなわち,ある企業 にかかる戦略を採用させしめた「世界観」は何であったのかを解明することで,チャンドラー以 上に複雑な世界を描き出す。具体的には,チャンドラーの想定した,ある環境条件(市場)に対 する経営者の環境認識の下,適切な戦略を選択し,企業の持つ経営資源を組み替えながら,選択 した戦略にフィットした組織を構築していくという因果連鎖に留まらず,ある環境条件(市場) ですらも,そこに関わる利害者集団の思惑の相互作用の末に形成されるもので,そこにかなり複 雑な社会的相互作用を見て取るのである。そのため,チャンドラーの大企業の制度史的分析を, 同時代のもっとも優れた技術を採用し,サプライヤーから最終消費者までの財の流れを保証する ことで生産能力の最大化を図ることを目指したという意味で「効率モデル」と位置づける。また, チャンドラーが組織イノベーションと捉える「複数事業部制組織」でさえも,多角化によりリス クを拡散させ,成長とパフォーマンスを保証するという意味で,同じく「効率モデル」のなかに 位置づける 16)。 こうして,フリグスタインは,チャンドラーの主張を「効率モデル」と位置づけ,「社会学的 効率性」を標榜する自分のモデルと対置するのである。こうした対置の仕方には若干の意義があ るものの 17),フリグスタインの社会的相互作用は,まさに,筆者が考えようとしている「関係 性」の問題に大きな示唆を与えてくれる。なぜなら,相互作用という名の関係性を彼の研究のな かに見いだすことができるからである。フリグスタインは,社会的相互作用を読み解くキー概念 として「企業コントロール(支配)に関する基本理解(the conception of control)」を措定している。 具体的には,19 世紀末から 1960 年代までの大企業の歴史を,この概念で整理している。例えば, 19 世紀末から 20 世紀初頭まではオーナー経営者による「直接的なコントロール」により企業発 展が促された。しかし,1920 年代に入り,競争が激化すると防衛的な M&A が流行し,前方統合 によって原材料を確保しつつ,後方統合によって消費者を囲い込もうとする。そして,安定した 生産を確保できるよう「生産をコントロールする」ことで,また,市場における製品差別化を徹 底するために「販売をコントロールする」ことを通じて企業発展が促された。こうして 20 世紀 前半に大企業が支配的となっていくが,企業がコントロールを及ぼす範囲も,生産・販売といっ た職能別の同業者からなる業界から,複数の製品分野が複雑に絡み合う生産から販売までが統合 化された大企業からなる業界へと重心が移動した。こうしたコントロールの重心が変化してきた 背景には,反トラスト法の影響などにより,経営者が考える効率性の概念が変化してきたことも 含まれている。そして,コングロマリット経営が流行する 1960 年代以降は「財務的なコントロー 『情報科学研究』第 20 号 ―56― ル」が企業コントロールの中心手段になっていくのである。 フリグスタインの視点は,「経営者による企業コントロールに関する基本理解」の変遷を軸に, 複数の対立する基本理解を体現する集団同士の闘争の結果,支配的になった集団の考え方(イデ オロギー)が,大企業の存続する根拠(あるいは正当性)を規定するというものである。こうし た分析の仕方は,関係性を核にした史的分析を目指す筆者にとって大変参考になる。筆者はまさ に,複数の対立する基本理解を有する集団同士の考え方の闘争プロセスをある種の「関係性」と いう概念に還元したいと考えている。さらには,闘争だけでなく,時には,協調あるいは次に述 べるように共進化することもありうる。その意味では,経営者という主体同士,あるいは,経営 者という主体と環境という客体との関係性を,どういった概念を用いて記述するかを考える必要 が出てくる。そうした議論に入る前に, 「共進化」概念で戦略形成のプロセスを記述しているバー ゲルマンの研究を見ていくことにしよう。 3.バーゲルマンの「共進化ロックイン」から見る戦略行為分析の意義とその問題点 3. では,プロセス派戦略論の研究者,ロバート ・A・バーゲルマンが提起する「共進化ロックイン」 という概念を整理しつつ,主体たる戦略行為者と客体たる業界との「共進化」から得られる戦略 行為(行動)に関する知見とその問題点を指摘する。 バーゲルマンは世界的な半導体メーカー,インテルの元 CEO アンディー・グローブの協力の下, 20 年にわたるインテルの発展プロセスを『インテルの戦略―企業変貌を実現した戦略形成プロ セス』という書物にまとめ上げた。同書で記された事例はいずれも示唆に富むが,代表的な事例 は以下の 3 つに集約できる 18)。 第 1 に,DRAM 撤退があげられる。外部環境の厳しいプレッシャーが社内に適切に反映され た(内部生態系が作用した)ことで,トップは DRAM をコア事業にインテルを成長させるとい う意図を変えなかったが,工場レベルでは DRAM の生産が抑制される事態が進行した。そのた め,DRAM からマイクロプロセッサ(MPU)への戦略変更が社外に明示化される前に,図らず も,社内は DRAM 撤退を進めやすい環境になっていた。そして,トップは DRAM 研究開発部門 の社員を MPU の開発部門へスライドさせ,DRAM で培った研究開発能力の温存に尽力する一方, DRAM の製造部門の社員の配置転換を図ることで,DRAM 事業からの戦略的撤退を成功させた というものである。その根底には,工場所属の現場レベルのコントローラー(経理社員)が,製 品ごとの利益率に比例して資源配分を行ったことの効能が語られている。具体的には,いくつか の工場に分散している複数の製造ラインを製品ごとに,どう割り振るかといった「製造ラインの 配分ルール」を徹底させ,利益率の高い製品から優先的に製造ラインを割り振った。そのため, 利益率の低かった DRAM 製品は製造ラインを確保できず,生産がままならなかった。しかし結 果的には,インテルは DRAM の作りすぎを事前に抑制することができたのである 19)。 第 2 に,MPU の単独サプライヤーになるという決断があげられる。インテルのような部品サ プライヤーにとって,IBM などのセットメーカーに MPU を納入する際,セットメーカー側の担 保のために,必ずもう 1 社予備のサプライヤーを用意させるセカンドソース契約という慣行が あった。しかし,インテルは次世代 MPU,80386 のリリースの際,セカンドソース方式での契 約は結ばず,単独供給方式での契約をセットメーカーに要請する戦略をとった。 当時,インテルが,あえてセットメーカーとセカンドソース契約を結ばず,その結果として, ―57― 『情報科学研究』第 20 号 IBM という最大の顧客を失うことが自明である戦略を採用した背景には,PC(パソコン)業界 のトップの IBM を追随するコンパックの戦略判断が効いていた。つまり,コンパックにとって, PC 業界で最初にインテルの次世代 MPU の供給を受けることができれば,それだけで高性能機 種を求めるユーザーの注目を集めることができ,IBM を出し抜くチャンスを得られると考えた。 コンパックは最新の MPU を得られるならば,契約の形態にはこだわらなかった。そのため,イ ンテルはセカンドソース契約を反故にしても良いと判断した。この判断は奏功し,コンパックの 発展を約束するとともに,インテルに莫大な利益をもたらした。また,事後的には,IBM すら もこの単独供給方式に従わざるを得なくなったのである。 第 3 に,インテルの PC 業界との共進化プロセスがあげられる。インテルは部品サプライヤー であるため,基本的には最終消費者との直接の接点はなく,消費者への直接的な価値訴求は難し かった。そこで,インテル ・ インサイド ・ キャンペーンを張り,「インテルが入っている PC」は 優れているというイメージを,セットメーカーの協力の下,最終消費者にアピールする戦略を採っ た。具体的には,セットメーカーが販売する PC や箱に「インテル ・ インサイド」のラベルを貼っ てもらう代わりに,セットメーカーに対して MPU を割引価格で提供する方法を採ったのである。 当然,IBM などのブランド力と技術力のあるセットメーカーは,このキャンペーンを嫌がった。 これまで,こうしたセットメーカーは,インテルの MPU の供給を受けていても,そのまま PC に取り付けていたわけではなかった。自社のスペックに合わせて MPU をカスタマイズし,他社 にはない付加価値を付けた「ブランド化された PC」として消費者に販売していたのである。そ こには技術に裏付けされたブランド力が生じていた。しかし,デルやパッカード=ベルといった 中小のセットメーカーは,自社でカスタマイズする能力を持ち合わせておらず,インテル ・ イン サイド・キャンペーンに乗ることで,MPU 購入に際してコスト削減が可能になるため,諸手を 挙げて歓迎した。 一旦,こうしたキャンペーンが常態化すると,消費者はインテルの MPU が入っているか否か が PC 購入の選択基準となり,どのメーカーの PC にも同じインテルの MPU が入っている限りで は,メーカー同士での差別化が効きにくくなる(厳密には,IBM の PC はカスタマイズされ,他 社製品より高性能であったが,一般の消費者にはほとんど関係のない話であった)。その結果, 各社とも価格競争に走ることになり,需要が喚起されることになった。そのことで PC 業界はさ らに拡大した。同時に,インテルには莫大な利益がもたらされた。つまり,インテル・インサイ ド・キャンペーンという戦略の浸透が PC 業界の発展につながったのである。そこにインテルと PC 業界との「共進化」を見て取ることができる。 ところが,この「共進化」の結末は,インテルにとって必ずしも歓迎すべきものではなかった。 セットメーカーが自社ブランドで差別化できなくなったことにより,どのセットメーカーも PC 業界の発展につながるような技術への投資を控えるようになってしまった。そして,各社が控え た投資分を肩代わりすることになったのがインテルであった。インテルが投資を渋れば,PC 業 界の魅力が減じ,その成長も止まる。このプロセスをバーゲルマンは,共進化に囚われてしまう という意味を込めて「共進化ロックイン」と名付けた。バーゲルマン曰く「インテルの戦略とパ ソコン業界という外部環境の共進化の物語は,同社がその環境の創造者であるのと同時に,その 環境の囚人でもあった 20)」のである。 このとりわけ第 3 のインテルと PC 業界の関わり合いは,本稿で問題にしたい主体(インテル) と客体(セットメーカーや PC 業界)との共進化の物語そのものである。インテルは,まず,イ 『情報科学研究』第 20 号 ―58― ンテル ・ インサイド・キャンペーンを通じて,セットメーカーとの共進化を創造した。デルやパッ カード=ベルとの共同キャンペーンは,顧客のインテルに対する評価を高め,インテルのブラン ド力を高めることにつながった。その結果,PC 業界の中心プレーヤーであった IBM の戦略にも 影響を与え,最終的には,セットメーカーすべてがインテルのキャンペーンに関わることにな る。それはインテルのキャンペーン戦略が,一部のセットメーカーとだけでなく,PC 業界全体 と共進化するレベルに移行したことを意味している。こうして PC 業界とインテルは「ともに手 を携えて発展(共進化)」した。しかし,拡大した PC 業界は,上述したように,インテルに対し, 単独に近い形での巨額の研究開発投資を強要することになったのである。 この事例分析のなかで,バーゲルマンは,インテルの戦略を共進化の「主体」と位置づけ,セッ トメーカーや PC 業界のあり方を共進化の「客体」として描いている。共進化とは,ある生物学 的要因の変化が,それに関連する別の生物学的要因の変化を引き起こすことであり,共進化の主 体と客体は双方向に作用し,インテルの戦略に影響を受けた PC 業界は,今度はインテルの戦略 にも影響を及ぼしたのである。 しかしながら,この事例分析には2つの関連する問題が横たわっている。第1の問題は,共進 化は,ダブル ・ コンティンジェンシー(二重の不確実性)問題とどう関係づけたらよいのかとい うことである。 ダブル ・ コンティンジェンシー問題とはドイツの社会学者,ニコラス ・ ルーマン曰く「どのよ うに自分自身が行為するのか,およびどのように自分自身がその行為を相手の人に接続しようと しているかに,相手の人がその行為を依存させており,その立場を変えて相手からみても同様で あるのなら,相手の人の行為も自分自身の行為もおこりえない 21)」ことを指す。すなわち,行 為主体は合理的な選択を目指して,双方が相手の出方を読み合うが,最後は,お互いに相手の出 方に依存して行為が決まるため,両者ともに行為を始められない「手詰まりの状態」となる。し かし,実際には,全く行為を控えることは困難なので,双方が相手のリアクションのイメージ(相 手行為の想定)に基づいて試行することになる。そして,相互行為を進めていくなかで,当初, 意図・設計されたものとは異なる「創発的な秩序」が形成される。つまり,ルーマンは逆説的だ が「ダブル ・ コンティンジェンシー(手詰まり)問題が存在するから,社会秩序(社会システム) が生まれる」と主張している。 バーゲルマンはダブル ・ コンティンジェンシー問題について直接触れてはいないが,彼が使用 する以下の概念から,その問題を内包していることが分かる。ひとつは「ビジネス ・ エコシステ ム 22)」という概念で,共進化が進むなかで,エコシステムというある種の業界秩序(筆者の用 語では「関係性」)が形成されると見ている。つまり,緊密にネットワーク化されたエコシステ ム(生態系)の一部になることを議論している。これは経営主体の戦略行動と,客体たる外部環 境や業界との相互作用を通じて,ある種の関係性が構築されたということである。しかし,バー ゲルマンは「関係性」自体を議論すると言うよりも,戦略行動の議論に注意を振り向けている。 そのため,彼はもうひとつ「戦略の惰性(Strategic Inertia)」という概念を設定する。戦略の惰性 とは,ある戦略が一定のエコシステムの一部として取り込まれたり,共進化のなかで確立された 関係にロックインされた場合,戦略が硬直化,つまり,戦略が変更しにくくなるというものであ る。別言すれば,経営主体の戦略行動が,エコシステムや外部環境に適応している限り(あるい は淘汰されない限り),また,市場で自社製品が売れている限りは,その戦略の正当性が確保され, そうした状況では戦略変更を控えるといった保守的傾向を生むと考えている。 ―59― 『情報科学研究』第 20 号 こうしたインプリケーションは戦略を考える上で,大きな示唆を生む。しかし,バーゲルマン は進化論的視点を援用し,戦略行為(行動)を分析単位とした環境適応を前提として議論し,戦 略(主体)と外部環境(客体)との間に構築される関係性(つながり)自体を積極的に捉えてい ない。新規事業に関わる戦略行動ですら,社内あるいは外部環境のなかで淘汰されると見ており, そうした戦略行動が,新たな変異と外部環境の間に「何らかの関係性(つながり)」を構築する 行為としても捉えていない。 戦略行為(行動)が外部環境にいかにうまく適応できたのかという事後的な合理性に意識を向 けすぎると,共進化の結果生じたロックインという状況がもたらす構造的意義について積極的に 議論できなくなる。これは次の第 2 の問題と関連して,バーゲルマンの枠組みの問題点となって いる。 第 2 の問題点は,バーゲルマンは,インテル ・ インサイド・キャンペーンというインテルの戦 略を共進化の主体に位置づけている。しかしながら,筆者はこの研究アプローチには問題がある と考えている。なぜなら,主体あるいは客体に注目するあまり,共進化における「主体と客体を つなぐもの」への意識を希薄化させてしまっているからである。筆者は,まさにこのキャンペー ンという戦略こそが主体と客体をつなぐもの,筆者の言葉でいえば「関係性」であると考えてい る。そして,この関係性の構築に成功したことで共進化が生じたのであり,それが PC 市場の拡 大を生む一方,PC 市場のあり方に囚われてしまう原因となったのである。つまり,この「関係 性」は良くも悪くも主体と客体のあり方を規定しているのである。別言すれば「共進化ロックイ ン」という「手詰まりの状態」は,ある種の「関係性」を構築した結果,生じたものと考える方 が,ロックインされた状態を記述しやすいし,関係性をマネジメントし直すことで,主体と客体 の関係を変更する方法も探れるのではないかと考えている。 しかし,ここでは若干の注意が必要である。それは実際の経営主体にとっては,バーゲルマン が主張するように,共進化プロセスを通じて主体と客体が相乗効果をもたらすため,主体と客体 がお互いにロックインされた状態に事後的に気づく。つまり,共進化の過程ではロックインとい う状態を認識するのは困難である。ところが研究者にとっては,筆者が示したような「関係性」 という概念装置によって,ロックインという状況を客体視できるので,事前に何が起こりうるの かある程度の予想ができる 23)。それゆえ,戦略行為者にとっては,後から気づくという事後的 な認識パターンは,ごく自然な知覚の方法であるが,戦略行為者が直面している「共進化ロック イン」の状況の意義を探り,そこからインプリケーションを得ようとするならば,「共進化ロッ クイン」をもたらした「共進化プロセス」を「関係性」という概念に置き換えて客体視し,再考 察する必要がある。 整理すると,関係性という概念を用いることで,共進化の「プロセス」をより正確に記述する ことができ,それは共進化ロックインの持つインプリケーションをもっと潤沢なものにする可能 性があるということである。次の 4. では,「関係性」という視点によって,行為者の主観的な環 境解釈で議論する範疇も拡大できることを「暫定的な展望」として示そうと思う。 4.暫定的な展望 3. では「共進化」を,主体と客体といった行為を 1 つの分析・記述単位として切り分けて別々 に扱うのではなく,主体と客体の関係性の問題に含めて考えることで,より潤沢なインプリケー 『情報科学研究』第 20 号 ―60― ションが生まれる可能性があることを示唆した。ここでは,現段階で筆者が想定する 2 つの視点 を記したいと思う。 4-1 アフォーダンスからインターフェースの視点へ まず,自覚無自覚に関わらず,「環境が行為主体に情報を与えている」という「アフォーダン スの視点」から考えてみよう。行為主体が環境認識をする場合,経営史家の大河内暁男氏が「経 営構想」として概念化したような,まだ表象化していないが,企業者の頭の中に存在している「あ る種のアイデアや知識」だけに依拠するわけではない。知識やアイデアは,企業者にとって外部 にあるデータとの(自覚無自覚に関わらない 24))やり取りのなかで決まる部分もある。 アフォーダンスの問題を考える上で,ドナルド ・ ノーマンの議論は大変参考になる。ノーマン は『誰のためのデザイン』のなかで,プロのタイピストでもタイプライターのキーに記された文 字配列通りにアルファベットを並べることができないことを例示している。つまり,ノーマン曰 く「正確な(タイピング)行動はできるのに知識は不正確であるという矛盾がある 25)」。これが 意味するのは「正確な行動をするための知識のすべてが必ずしも頭の中に入っていなければなら ないとは限らないからだ。一部は頭の中に,一部は外界に,そしてさらに一部は外界がもってい る制約の中にというように,正確な行動をするための知識が分散した形で存在することがありう る 26)」ということである。 ノーマンは逆に「知識が不正確なものであっても正確な行動を行うことができる」ケースを挙 げている。①情報が外界にある,②正確さが必要ではない,③元から制約が存在する,④文化的 な制約が存在する,の 4 つである。そして,外界にある知識と頭の中にある知識の特徴をうまく 整理している。例えば,外界にある知識は視角・聴覚が整っていれば,いつでも検索可能である が,頭の中にある知識は,記憶を頼りに検索する以外にない。ある課題を解決するのに必要な知 識が外界にあっても,すぐ入手できるのなら学習の必要はないが,頭の中にある知識は,かなり の学習(繰り返し覚え込ませるなど)の結果,蓄積されるものである。逆に,外界にある知識は 見つけ出し解釈するのにかなりの時間がかかり効率的ではないが,頭の中の知識は,一箇所にま とまっており効率的な場合もある 27)。 これらを踏まえると昨今の「クラウド ・ コンピューティング 28)」は,まさにこの外界にある 知識と頭の中にある知識をつなぐ役目を担っている。クラウド ・ コンピューティングはその名称 から「雲のなか」とか「あちら側 29)」などといわれるが,最も重要なのはネットワークの「こ ちら側(PC 端末)」と「あちら側(グーグルのサーバーなど)」の「関係性」にある。そして, クラウド ・ コンピューティングという仕組みこそが「関係性」と言いうる。厳密には, 「ハードウェ ア(モノ)」としての通信インフラやウェブサービスが提供されるプラットフォームも「関係性」 の構成要素ではある。しかしながら,その通信インフラを利用して何をやるかという「ソフトウェ ア(コト)」,例えば,グーグルが提供しているサービスなどが「関係性」の中身となる。それら はハードを基底にして階層化されているが,その最上階に位置するソフトウェアが,階層化した 関係性のあり方を大方規定している 30)。 この「関係性」は「インターフェース」と読み替えてもいいかもしれない。インターフェース という言葉は,もともとコンピュータとプリンターなど周辺機器との接続規格を指すものだった が,最近では,「マン = マシン ・ インターフェース」と言われるように,人間がコンピュータを 操作する際のディスプレイ(モニター),キーボード,マウスといった道具や,日本語入力ソフ ―61― 『情報科学研究』第 20 号 トといったフロント・エンド・プロセッサ(FEP)などを指すようにもなっている。しかし,本 稿では主体同士あるいは主体と客体を取り持つ「階層状の調整(関係づけ)媒体」と定義する 31) 。こうした「調整媒体としての関係性」に注目することは, 「経営者の主観的な環境解釈」と「外 界にある知識によるアフォーダンス」といった 2 つの視点を「インターフェースという関係性」 に集約・移行させることを企図している。ただし,先述したように,インターフェースも 1 つの 要素(層)からなっているのではなく,いくつもの構成要素が階層状に配置されて成立する。そ のため,そこに接する我々は,ある一階層しか見ていないし触れていないという意味で, 「インター フェースという関係性」は,主体と客体を「ある制約のなかで」接続しているのである。逆に言 4 4 ・・ 4 4 ・ 4 4 ・・ ・ ・・ ・ ・・・ ・ ・・ 4 4 4 4 ・ ・・・ ・・ えば,こうした制約の形が主体と客体のあり方を規定する要因となっている。実践的文脈に置き 換えて言うと,「インターフェース」をマネジメントすることで,主体と客体をコントロールす ることも可能になるといえる。 コンピュータの歴史を振り返ると「インターフェース」の意味がより理解できる。1960 年代 のコンピューティングで,初めて「モニター」というグラフィック表示をする画面が必要になった。 それまで,ほとんどの作業はバッチシステムという決められたタスクを一度に行うプログラムを 走らせることが中心であった。そうした時代にはインターフェースは,コンピュータを稼働させ るスイッチとその動作を確認するランプだけで十分であった。一度,プログラムがスタートすれ ば,後は手続き通りに進むからである。しかし,逐次新しいデータが割り込んできたり,新しいデー タに基づいて処理する内容が変わったり,状況に応じて別の処理に変えたりしたい場合は,コン (現 ピュータと対話できる状況が求められる。そこで必要になったのがモニターであった 32)。ATM 金自動預払機)の操作パネルもまさにコンピュータと対話するという意味でモニターである。こ の一連のプロセスは,まさにコンピュータに何をさせるかという人間の意図とコンピュータ自体 の技術進化の共進化プロセスであるが,それを仲介することになったのが「モニター」という「イ ンターフェース」である。そして,コンピュータは,この時期に構築されたインターフェースの あり方に何十年も規定されてきた。 そのため,文字情報だけの操作からアイコンとカーソルを使っ た操作に変わるまで,約 20 年もかかったのである。そして,マウスでカーソルを操作し,アイ コンをクリックすればプログラムが実行できるといった視覚的な操作画面,すなわち,GUI(グ ラフィカル・ユーザー・インターフェース)に変わるや否や,多くの人々がコンピュータを自分 のもの(パーソナルな道具)として使うようになった。しかし,それは従来の「人間とコンピュー タのあり方」とは全く異なるものであった。GUI によって,ユーザー(使い手)は,操作がや りやすくなったが,使える機能は限定されたのである。こうして「インターフェースという関係 性」は,主体としての人間と客体としてのコンピュータのあり方をますます左右するようになっ ていったのである。また,GUI を通じてしかコンピュータを操作できない人間を数多く生み出 してきたのである。 さて,「関係性」は制約要因として働くだけでなく,創発的な秩序形成にも関わってくる。そ れはルーマンが指摘した「ダブル ・ コンティンジェンシー問題」に見られる意図せざる結果とし ての創発的秩序形成だけでなく,松岡正剛氏が提起する「遊びとしての編集」のなかにも見て取 ることができる。 4-2 編集の視点 松岡正剛氏は『知の編集工学』のなかで,「編集という行為」が「一種の連想ゲーム」のよう 『情報科学研究』第 20 号 ―62― な「遊び」を通じた「創発的意味形成の担い手」であるとしている。例えば,編集とは「該当す る対象の情報の構造を読みとき,それを新たな意匠で再生するものだ 33)」と述べている。ここ でいう編集は「主体の主観的な環境解釈」と捉えることもできるが,主体にも客体にも属さない 「関係性」だと捉えることもできる。さらに松岡氏の次の叙述はまさに「インターフェースとい う関係性」を指している。つまり,「編集というしくみの基本的な特徴は,人々が関心を持つで あろう情報のかたまり(情報クラスター)を,どのように表面から奥にむかって特徴づけていく かというプログラミングだったのである 34)」。例えて言うならば,編集とは「情報が階層状に配 置されたインターフェース」なのであり,松岡氏が「意味単位のネットワークの分岐を辿る 35)」 と述べているように,階層状に配置された情報をジグザグと辿りながら,色々と(あるいは試行 錯誤的に)考えを進めていくことである。 ここから分かることは,編集とは,主体と客体をリニアーに(目的論的に)つなぐ「関係性」 とは異なり,主体と客体をノンリニアーに(自由な意味交換のなかで)つなぐ「関係性」である。 それ故に,そのプロセスの中で様々な予期せぬ意味形成が行われる。それはダブル ・ コンティン ジェンシー状態のときのように,主体同士が,あるいは,主体と客体がお互いに相手を意識して 読みあうという「互いの実体を意識した解釈」ではなく,主体が自分の興味のある方向へ意識を 向けながら,「客体を無自覚的にも解釈する」というモードになる。こうした主体の意識付けや 注意を向ける方向によって探索する情報の分岐が起こるなかで,創発的な秩序(関係)形成が生 じるプロセスは「主体と客体がどう出会うか」ということに関する新しい知見をもたらしてくれ るはずである。 5.おわりに 4. では,共進化プロセスにおける関係性の意義についての暫定的展望を「インターフェース」 を 1 つのキー概念として見てきた。ここで重要だったのは,関係性が主体と客体のあり方を規定 するということ,また,関係性自体にもいくつかモードがあり,創発的秩序(関係)形成を促す ものがあることが確認できたことである。これらを経営史研究のなかに包摂することで,これま であまり問われてこなかった経営主体のあり方に関する新しい議論が可能になる。具体的には, そうした創発的な関係性が,いかに形成されてきたのかという歴史記述を積み重ねることで,主 体と客体の出会い方を規定する関係性を明らかにすることができると考えている。さらに,これ まで主体の存在意義は,その主体の行為の結果としてしか,つまり,すでに終了した(事後的に 観察可能な)戦略行為(行動),または戦略行為(行動)の結果もたらされる(経済)成果とし てしか言及できなかった。しかし,経営主体の行為の正当性を規定している,もっと広範な価値 が存在するはずで,それらを考察するには,主体それ自身に光を当てるのではなく,主体と客体 を結ぶ「関係性」に注目することで,見いだせるものだと考えている。 謝辞:最初に本誌 2 名のレフェリーの方々による有益なコメントに対し,心より御礼申し上げ ます。本稿は,平成 20 ~ 21 年度日本大学商学部研究費(共同研究)「知識境界のマネジメント と IT イノベーションに関する研究」 (研究代表者:児玉充教授)による成果の一部であります。 ―63― 『情報科学研究』第 20 号 注 1) Alfred D.Chandler,Jr., Strategy and Structure, MIT Pr.,1962,1990,有賀裕子訳『組織は戦略に従う』ダイヤモンド社, 2004 年,484 ページより。 2) 代 表 的 な 研 究 に,Jay R. Galbraith & Daniel A. Nathanson, Strategy Implementation: The Role of Structure and Process, West Publishing Co.,1978,岸田民樹訳『経営戦略と組織デザイン』白桃書房 , 1989 年がある。 3) 代表的な研究に,Derek F. Channon, The Strategy and Structure of British Enterprise, Harvard U.P.,1973 や Gareth P. Dyas & Thanheiser T. Heinz, The Emerging Enterprise: Strategy and Structure in French and German Industry, Macmillan,1976 がある。 4) 榎本悟『アメリカ経営史学の研究』同文舘,1990 年,156 ページの図 5-1 を参照。 5) Alfred D.Chandler,Jr., The Visible Hand, Harvard U.P.,1977,p.373 鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代(上・下) 』 東洋経済新報社,1979 年,642 ~ 643 ページ。 6) Alfred D.Chandler,Jr., Scale and Scope, Harvard U.P.,1990, 安部悦生・川辺信雄・工藤章・西牟田祐二・日高千景・山口 一臣訳『スケール・アンド・スコープ』有斐閣 ,1993 年。 7) 大河内暁男『経営構想力』東京大学出版会,1979 年,99 ページより。 8) 大河内暁男,前掲書,99 ページより。 9) Karl E. Weick, Sense-making in Organizations, Sage Publications,1995, 遠田雄志・西本直人訳『センスメーキング・イン・オー ガニゼーションズ』文眞堂,2002 年が,この分野を象徴する研究である。また,日本人研究者のなかでは組織 認識の意義を早くから指摘した,加護野忠男『組織認識論』千倉書房,1988 年や,ワイクの訳でこの分野をリー ドしている遠田雄志『あいまい経営学』日刊工業新聞社,1990 年などを参照のこと。マーチの研究に関しては, 論文集ではあるが近年の研究が一望できる,James G. March, Explorations in Organizations, Stanford Business Books,2008 が参考になる。 10) 後述するロバート ・ バーゲルマンも「変化への適応力」という事後的な企業者性能をベースにした説明をして いる。 11) 共進化とは,ある生物学的要因の変化がきっかけになり,それに関連する別の生物学的要因の変化が起こるこ とを指す。 12) Neil Fligstein, The Transformation of Corporate Control, Harvard U.P. ,1990. 日本人の書いたものでは,佐藤郁哉・山田真茂 留『制度と文化―組織を動かす見えない力』日本経済新聞社,2004 年が,フリグスタインを的確にフォローし ており大変参考になる。ちなみに,フリグスタインは,市場社会という制度の研究に進み,以下の本を上梓し ている。ここでも当然,効率性が焦点となる市場経済ではなく,社会的効率性が焦点となる市場社会の問題を 「アーキテクチャ」という概念を使って議論している。Neil Fligstein, The Architecture of Markets An Economic Sociology of Twenty-First-Century Capitalist Societies, Princeton,2001. 13) Neil Fligstein, op.cit, p.295. 14) Neil Fligstein, op.cit, p.2,佐藤郁哉・山田真茂留,前掲書,160 ~ 161 ページ。なお,正当性という観点に関して は,フリグスタインのオリジナルというわけではなく,メイヤー & ローワンの下記の論文が,その議論の嚆 矢となっている。John W. Meyer & Brain Rowan, Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony, The American Journal of Sociology, Vol.83, No.2(Sep.,1977)を参照のこと。同論文の p.353 の図表 2 に組織存続の枠組 みが図示されている。 15) Neil Fligstein, op.cit, p.300. 16) Neil Fligstein, op.cit, p.299. 17) チャンドラーは制度の効率性だけを議論しているわけではない。もちろん,フリグスタインが参照した『組織 は戦略に従う』や『経営者の時代』に留まらず,『スケール・アンド・スコープ』でも「規模の経済(Economy of Scale)」と「範囲の経済(Economy of Scope)」という 2 つの概念を使って,米国・英国・ドイツの大企業の 経済効率性を比較している。その意味では「効率モデル」といえる。しかし,チャンドラーは「生産・販売・ マネジメントへの三つ叉投資」,「一番手企業」,「組織能力」といった概念を使って,企業の成長戦略の中身も 議論している。これらの概念のなかには,フリグスタインの言う「生産のコントロール」や「販売のコントロー ル」といった側面も入ってくるし,組織イノベーションのなかには同時代の色々なアイデアが入り込んでくる という意味で「効率モデル」と一蹴するのは適切ではないと思われる。だからといって,フリグスタインが提 起した制度理解に関する新しい視点の意味が減じることはない。チャンドラーの用いる概念については,拙稿 「ポスト ・ チャンドラー時代の経営史にかんする一考察」『商学集志』第 72 巻 第 2 号(日本大学商学研究会), 2002 年を参照のこと。 18) 以下の 3 つの代表事例は,Robert A. Burgelman, Strategy is Destiny How Strategy-Making Shapes a Company Future, Free Press, 2002,石橋善一郎・宇田理監訳『インテルの戦略―企業変貌を実現した戦略形成プロセス』ダイヤモンド社, 2006 年のなかで詳細に説明されている。 19) 実は, ここで語られている DRAM の作りすぎを事前に抑制した戦略行為は,2 つの「先行的」適応を含んでいる。 『情報科学研究』第 20 号 ―64― 1 つは,DRAM 自体の生産を抑制したことで,その後に訪れる DRAM の値崩れと多大な損失が生じる可能性を 防いだ側面,もうひとつは,DRAM を抑制した代わりに MPU に多くの製造ラインが割り当てられ,収益に貢 献するとともに,その後に訪れる MPU 急成長の基盤を形作ったという側面である。これらは起こった変化に 対して適応した,いわゆる「対応的適応」ではなく,意図していたわけではないが,将来起こりうる変化に対 して,事前に対応がなされているという意味で「先行的適応」と呼ぶ。本稿では議論の対象ではないが,コト が起こるのに先行して適応が起こる「先行的適応」こそ,企業が持つ「見えざる(Invisible)」競争優位の源泉 となる。 20) ロバート・A・バーゲルマン,前掲訳書,355 ページ。 21) Niklas Luhmann, Soziale System. Grundriβ einer allgemeinen Theorie, Suhrkamp Verlag,1984,佐藤勉監訳『社会システム理論 (上)』恒星社厚生閣,1993 年,158 ~ 59 ページより。 22) エコシステムの議論に関しては,さしあたり,Marco Iansiti & Roy Levien, The Keystone Advantage, Harvard Business School Press.2004,杉本幸太郎訳『キーストーン戦略―イノベーションを持続させるビジネス ・ エコシステム』 翔泳社,2007 年を挙げておく。 23) この切り分けに関しては,社会学者のアルフレート・シュッツの言う行為主体側の「主観的意味連関」と行為 主体を対象とする学者側の「客観的意味連関」の視座を参考にしている。 24) アフォーダンスを意識することがかならずしも自覚的ではないとすると,行為主体が環境解釈を無自覚的に 行っているモードもあるはずである。こうしたモードは,行為の結果を見るなかで,行為者の意識の俎上に ない適応を記述することでしか表せない。しかし,こうした視点は,世界観によって行為の基準が規定され るというフリグスタインの視点では見落とされる事柄を捉える契機となる。Edward S. Reed, Encountering The World Toward an Ecological Psychology, Oxford U.P., 1996,細田直哉訳・佐々木正人監修『アフォーダンスの心理学―生理心 理学への道』新曜社,2000 年を参照のこと。 25) Donald A. Norman, The Psychology of Everyday Things, Basic Books, 1988,野島久雄訳『誰のためのデザイン ?―認知科学 者のデザイン原論』新曜社,1990 年,88 ページより。 26) ドナルド・A・ノーマン,前掲訳書,88 ページ。 27) ドナルド・A・ノーマン,前掲訳書,129 ページ。 28) クラウド・コンピューティングに関しては,Nicholas Carr, The Big Switch, Rewiring the World, from Edison to Google, W.W. Norton & Co.,2008,村上彩訳『クラウド化する世界』翔泳社,2008 年を参照。 29) 梅田望夫『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』ちくま新書,2006 年,56 ~ 57 ページ。 30) コンピュータは,まさに,こうしたハードとソフトが階層状に配置されたシステムである。Paul E. Ceruzzi, A History of Modern Computing 2nd ed., MIT Press, 1998,2003, p.4,宇田理・高橋清美監訳『モダン ・ コンピューティング の歴史』未來社,2008 年,21 ページを参照。 31) 児玉充氏は,筆者の言うインターフェース概念に似ているが,より実践的文脈で意義ある「バウンダリーマネ ジメント」に関する枠組みを提起している。児玉氏は「バウンダリーチーム」を作ることで「バウンダリーイ ノベーション」を引き起こすといった,まさに,境界の巧みな運営から生まれる創発的成果をマネジメントす るという野心的な研究を精力的に進めている。筆者も大いに影響を受けているが,筆者は,注 23 で述べたシュッ ツの「客観的意味連関」を重視した枠組みの構築を目指している点で若干スタンスが異なっている。児玉充 『バウンダリーチーム・イノベーション』翔泳社,2010 年,Mitsuru, Kodama, Boundary Management Developing Business Architectures for Innovation, Springer,-Verlag, 2010 を参照のこと。 32) 穂坂衞『コンピュータ・グラフィックス』産業図書,1974 年,5 ページ。 33) 松岡正剛『知の編集工学』朝日文庫,2001 年,19 ページより。 34) 松岡正剛,前掲書,19 ページより。 35) 松岡正剛,前掲書,63 ページより。 Summary Alfred D. Chandler Jr. said that the talents of administrators are most important factor to accomplish the company's health and effectiveness in his book,“Strategy and Structure.”Even though the study to make the talents of administrators clear was frustrated by a variety of factors, other seminal studies proceeded. Those studies focus into new factors, for example, the world views of administrators or the co-evolutionary situation. While depending on those newly studies, we present another argument, focusing into‘the relationship between subjects as company and objects as environment'. ―65― 『情報科学研究』第 20 号