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砂漠の王の花嫁 - タテ書き小説ネット

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砂漠の王の花嫁 - タテ書き小説ネット
砂漠の王の花嫁
夏目
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
砂漠の王の花嫁
︻Nコード︼
N6588DC
︻作者名︼
夏目
︻あらすじ︼
﹁屈辱と辛酸だけをあげる﹂
魔獣を倒す赤都の使徒であるアオは、つがいであるユーマと掃討に
駆り出され、そこで魔獣の王と名乗るジェバに出会ってしまう。色
が支配する砂の国で起こった魔獣の王との出会い。
1
前編
砂の王が襲い掛かってくる。
紫都、青都、緑都、黄都、赤都。
色が支配する砂の国。
***
﹁なぜ私はむかわなければならぬの﹂
桶たっぷりに入れた清浄な水を覗きこんだ。しかめっ面が水面に
映りこむ。アオは一度溜息を吐いて、水面に映り込むユーマを睨み
つけた。
金と力が何より尊い紫国。高邁と低劣が入り乱れるこの国で唯一、
金と力よりも力を持つ宝石。それが水だ。砂やごみを一切含まぬ水
はときに命より貴い。
望めば
赤都の石壁は魔獣の侵入は防ぐが、砂塵の恐怖から守ってはくれ
ない。
砂は井戸を蝕み飲めなくしてしまう。
だからこそアオのもつ純水は巨万の富を生む。
﹁お金、手に入りますよ﹂
﹁金に興味はない。術師である私がこの国で困るとでも?
一夜で金の山が築けるよ﹂
2
﹁羨ましいことだ。だが、赤都の使徒はつがいで参戦しなくてはな
らぬでしょう? ひきずってでも連れていかねば﹂
ユーマを水面ではなく直に捉える。砂に食われかかっている壁に
体を預けてアオと視線を絡ませる。その瞳は血のように濃い。気だ
るげな野獣の優雅さで微笑を浮かべていた。
﹁赤都の使徒たる我ら。魔獣を殺しにいくためだけに存在している﹂
涼しげな面をみせるユーマに内心舌打ちした。
高位術師として強制的にだ。
確かにアオは赤都の守護を担っている赤都の使徒に所属している。
父と母に売られ、赤都の使徒を幼い頃からやってきたアオはこの
仕事が嫌いだった。
貧民街出身者にとって赤都の使徒は憧れの存在だ。特権階級を持
つ赤都の使徒は魔獣が襲ってくる心配がない石壁のなかで生活し、
一生遊んで暮らせる金を手に入れられる。だからこそ英雄視され、
志願者があとを絶たない。その分、魔獣に殺され入れ替えも早いの
だが。
赤都の使徒として古参のアオは赤都の使徒の隠すべき醜悪を何度
も見てきた。人が魔獣になすすべなく食われていく姿を目撃すれば、
自分ももしやと行くのが億劫になるのは無理からぬ話だろう。だか
らこそ、アオは重く腰を据え、めったに使徒活動をしていない。
しかし、いつもならばなかなかお呼びがかからないアオに声がか
かるのは珍しい。つがいであるユーマにお呼びがかかりいやいやな
がら出発することはある。だが、今回はユーマが呼びに来る前に正
式に黒蝶という伝達術で赤都の将軍から直々に指令を受けた。
出ていかなくてはならぬのにぐずっても仕方がない。
﹁どこに出たの?﹂
3
しぶしぶと口を開く。
やっと行く気になったかとユーマは壁から体を離した。帯刀して
いる剣がかちゃりと音を立てる。
蠱惑的に唇の端を釣り上げる。この男は普段は優男然としている
のに、悪人の顔がよく似合う。
﹁赤都壁外の市場のようですよ﹂
赤都は石壁に囲まれた壁内とその周りの壁外に分けられている。
壁内には貴族が、壁外には平民や商人たちが住んでいる。今回魔獣
が出たのは壁外のなかでも東部にある市場らしい。人の海と例えら
れるほど人通りが多く、商売が盛んな場所だという。
﹁人はなぜ喧騒を好ましいと愛でるのか。私には理解できないもの
だ﹂
賑わいのある場所は好きではない。人は次を持つ。次とは穢れだ。
魔獣が放つ瘴気と同じく浴びすぎれば毒となる。清廉な水はとくに
次に弱い。水を操るアオにとって人混みは術の強度を下げる場所で
しかない。
﹁そう言わず。他の使徒に獲物を取られるのは業腹でしょう?﹂
﹁一向に構わないが﹂
むしろそちらのほうが好ましい。
ふてぶてしく言い放ったアオにユーマは苦笑で返した。相変わら
ずの人嫌いだと嫌味を言ってきそうだ。めんどくさい説教をきく前
に退散しようと桶を抱えて、家のなかに運ぼうとした。だがユーマ
はアオの手からするりと桶を奪い取った。そしてそのまま頭から水
4
をかぶってしまう。
ばしゃりと軽快な音をたてて水が砂の地面に吸収されていく。ユ
ーマの黒曜石のような髪が太陽の鋭い光線で反射している。
相変わらず乱雑な男だ。
アオが用意した清浄な水は魔獣にとって毒と同じ。また瘴気を体
に取り込むのを防ぐ効果があるため討伐の際には必ずユーマに浴び
させている。
宝石のように扱って欲しいものなのだが。内心文句をいいつつ彼
をじろりと睨んだ。
﹁水もしたたるなんとやら、ですかね?﹂
アオの視線などさらりと無視してユーマがふざけたことをぬか
す。
青い宝石を砕いてまぶしてある優麗な黒衣までびしょびしょだ。
剣は退魔の剣であるがゆえ、水を吸収し、美しく七色に光った。
犬のように頭を振って水気を飛ばす。頬に水滴が飛んできてアオ
はむっとした。
﹁まったく、肝の据わった男だ。そこに桶を置いていていい。すぐ
に支度を整えるから、いい子で待っているといいよ﹂
子供じゃないんだからというユーマの声をききながら家の中に入
る。
黒衣の外套と日よけの布。それと聖水を入れた瓶をつめた鞄を下
げて、いくらかの装飾品を身に着ける。なにかあったとき換金でき
るようなものは用意して損はない。非常食の菓子を鞄に入れる。乾
燥したパンのようなものだ。歯が取れそうになるほどかたいが栄養
価は高い。
紐で髪をくくる。アオが持つ白髪に赤の色のよく映えた。服は動
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きやすさを重視したもの。術師のなかには身分知らずにも華美な衣
装を纏う派手好きもいるが、女の格好は魔獣と戦うときに邪魔にな
る。
外で待っていたユーマはアオが姿を現すと蠱惑的に微笑んだ。い
まから行われる争いを待ち望むぎらぎらとした眼差しだった。
﹁さあて、けだもの退治をしましょうか﹂
斜めに差し込む強烈な光線を浴びて蜂蜜色に焦げた石壁。椰子の木
はひび割れた地面から我慢強く生えている。砂に埋もれた井戸。赤
の天幕を張った店が花園のように咲き乱れている。無秩序で、店の
かたちも高さもてんでまらばらなのに統一された赤。
壁の周りを囲むようにして栄えた東部の市場は中心にオアシスが
あったはずだ。アオとユーマは目を細めてその中心部を見据えた。
上がる粉塵に市場は混乱を極めている。押し寄せてくる人の波は地
面を這う蟻のようにもみえる。
幸いなことに東の関所にはまだ魔獣が来ていないらしい。
だが、逃げ惑う人の群れは通行許可証がなければ入れぬ壁内へと
向かっていた。騒がしいことだ。門兵と商人たちのあいだで小競り
合いが起こっている。商人の団体が中にいれろと喚きたてているよ
うだ。しきりに荷馬車を指さし、強引に押し入ろうとしている。混
乱に乗じて壁内に入ろうという魂胆らしい。豪胆なものだが、門兵
達が自分たちの益にならぬことを見逃すはずもない。剣を抜き、応
戦している。
みれば、荷馬車には砂漠を越えた先にある隣国の紋章が。しきり
に商人が指さしていたのはこの紋章だろう。他国の商人が紫国のし
きたりもしらずに揉めているのか。後ろの紫国の商人が苛立ち、門
兵達に加勢し始めた。一方的に斬られていく商人たちの横で物取り
の子供たちが荷馬車の中身を物色し始めた。
6
争いを横目でみながら、粉塵の上がった場所を目測する。
﹁濁国の商人たちのようですね。この国では黄金と己の剣しか役に
立たぬと習わなかったのか。宝石の一つや二つ与えてやればすんだ
ものを﹂
わくわくと好戦的に瞳を光らせ、ユーマが興奮した様子で言う。
濁国。紫国の西に位置する国の名前だ。最も黄都が近く、紫都が
遠い。
かの国の商人達は赤都まで出稼ぎにやってきたらしい。
﹁ありゃあ荷物どころか、命まで差し出すことになる﹂
呟いたが、助けにいくことなどしない。紫国は自国民にも残虐で
愛想がないが、他国に見せる顔はもっと冷酷だ。外交を必要としな
い強国であり、自然の要塞に守られた神秘の国。それゆえ、他国の
人間を歓迎することはない。他国の民だからと保護することは一切
せず、紫国の法で裁かれ、罰せられる。国内で他国の人間が死んで
も知らん顔で、抗議しようものならその国ごと奪い取りにかかる。
現王は歴代のなかでも最も残酷な王だ。数年前にも蛮国という国
を攻め落とし、女子供を皆殺しにして、男は奴隷として働かせてい
る。本来なら約束されるべき奴隷の法も、蛮国の奴隷には適応され
ないときく。
さらに領土拡大に積極的で、開戦理由になるからと嬉々として
民の暴虐を望んでいるのだ。
紫国で、他国の者に情けをかけるものは少ない。もともと同郷の
ものに対する慈悲の心も欠落している。
肉親以外は仇同然であり、滅多に信頼などしない。
異国の商人たちが倒れ伏すと、我先にと荷馬車や商人たちに群が
り、金品を奪っていった。衣装も剥ぎ取られ、用無しだと体を投げ
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捨てられ、その体を鳥たちが貪りに来る。紫国の民は奪った金品や
衣服で壁内へと入っていく。ここら辺ではよくみる、ありふれた風
景だ。
﹁余所者の末路より己の心配をしたほうがいい。ほら、ごらん。桃
の狼煙が上げられている﹂
のぼる色を指差しながらアオは毅然として言った。
﹁あれ、ほんとだ。ということは中級以上の魔獣がいるということ
ですか﹂
魔獣には人間が定めた位がある。それに応じて狼煙の色が違い、
決められた位に基づき赤都の使徒は参戦する。低級の魔獣を示す橙
色は自警団やギルドでも倒せるが、中級からは赤都の使徒が担当す
ることになっている。ちなみに中級では茜色、中級以上だと桃色の
狼煙が上げられる仕組みだ。
﹁ひさびさに桃の狼煙を見ました﹂
﹁そういえばそうだ。この頃はよくて茜色だったからね。やはり、
陰書に記された予言の影響か、今年に入ってから魔獣どもの動きが
盛んだ﹂
﹁陰書の予言ってあれでしょ? 王の十八の生誕祭の日、獣の王が
現れるってやつ。眉唾物って聞いてますけど﹂
﹁さてね、だが、王の誕生年に入って魔獣の活動が活発になったの
は事実。偶然であろうと必然であろうと私たちのやることは変らぬ
が﹂
﹁それもそうですけど﹂
軽口をたたきながら人の波に逆らっていく。肩がぶつかり罵られ
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るが知らん顔で突き進む。
﹁だいたい、獣の王とは? 魔獣は理性なき種族のはず。王などた
てれるわけがない﹂
﹁陰書に書かれていることだ。なにかの暗喩なのかもしれないよ。
たとえば、濁国の王は獣のように髪を伸ばし権威を示すという﹂
﹁まさか、濁国と戦争が起こるという予言だとでも?﹂
﹁さあて、どうだろうね?﹂
バンと軽い衝撃が肩に走った。どうやら、騒動に紛れて金品をす
ろうとしたらしい。謝り、人の流れに乗ろうとしていた男の肩を掴
む。最初はなんだと不機嫌そうな態度をとっていたが、アオたちの
身なりをみて態度を軟化させ媚び始めた。嵌めていた指輪の一つを
投げてやると訊いてもいないのに市場の中心部のことを語りだす。
﹁赤都の使徒様がおいでになさったんですけどねぇ。見たこともな
い瘴気の霧で。ひとりまたひとりとどこかに行かれて。俺は残った
ほうがいいといったんですが、みんなが逃げつうもんだからしかた
なく﹂
﹁弁解は不要。魔獣は見たの?﹂
﹁いいえ。でも、隣の店の店主はみたそうで。すっげえ形相で、あ
りゃあ俺らじゃ対処できねえて言うんです﹂
﹁どんな魔獣だと言っていた?﹂
﹁さあ。ともかく逃げろとだけ言われて。必死で逃げてきたんでご
ざいます﹂
これ以上の話しはきけそうになかった。アオは指に嵌めていたも
う一つの指輪を投げ与えた。ありがてえと頭を下げて、男が走り去
っていく。
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﹁人を従わせるのが大層お上手だ﹂
皮肉と称賛を交えて口笛を吹かれる。
黒衣の服は魔獣狩りをしている者の証。髪留めの赤は赤都の使徒
たる証左。応援の赤都の使徒だと分かったから男は中心部の情報を
教えたのだろう。状況が分からずに飛び込むのは馬鹿がすることだ。
赤都の使徒ならば自分の情報を高く買ってくれると思ったに違いな
い。
﹁魔獣は傅かせるのに、人に傅く必要はないだろうよ﹂
それはそうだと、ユーマは愉快そうに喉を鳴らした。
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後編
進んでいくうちにどんどんと瘴気が濃ゆくなり、人がいなくなる。
狼煙が上げられた場所に到着した。いまだに桃の煙が漂っている。
あたりには掘立小屋のような簡素な作りではなく、住居群が立ち
並んでいた。店屋よりも食堂や娼館が多い。赤い幕が垂れ下がった
ままの見世物小屋のなかには、足の不自由な少女が虚ろな目をして
こちらを眺めていた。檻の中から逃げたのか、野獣どもの唸り声が
どこからか聞こえてくる。
男の話しでは先に数人、赤都の使徒がやってきているはずだ。ア
オ達はあたりを警戒しながら使徒を探した。
目に見えるほど、色濃く瘴気が漂い始める。魔獣の放つ瘴気は喉
を焼き、体を蝕み、理性を蕩かす。なるべく吸い込まぬように身を
屈め、口をおさえる。
そんな対策をしてもユーマの顔色がよくない。水の加護を与えた
はずだが、効果がないのだ。あふれかえる瘴気に浄化が追いつかな
い。自分のために張っていた水の膜を広げ、応急措置を施すが、戦
闘となればそうはいかない。もっと水を浴びさせておくのだったと
後悔する。気丈に振る舞っているが、体に負担がかかっているはず
だ。
中心部をぐるりとまわってみたが、仲間の使徒は誰一人見当たら
なかった。中級以上を相手取っているといえ、どこにもいないのは
おかしい。それに、あたりの建物に被害がない。気性の荒い使徒達
が暴れまわった場所が、こう綺麗な外観を保っていられるはずがな
い。
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﹁アオ、この瘴気、なんだか紫色じゃあありませんか﹂
渋面でユーマが囁く。
紫国では紫が数ある色のなかで最も貴い色とされている。代々の
王も紫の髪と瞳を持つ。件の現王は歴代で最も美しい紫を持つと言
われている。
アオは純度の高い青い瞳を持った術師だ。青は紫に次ぐとされて
いて、魔力が高く、しかるべきところに行けば相応の地位を与えら
れる。
魔獣も放つ瘴気によってアオの瞳と同じように位が決められてい
る。瞳の順と同じく、赤、黄、緑、青、紫と順に高くなる。中級以
上と呼ばれるのは緑色の瘴気からで、低級は赤以外の濁った色を出
す。
﹁これは、もしかすると珍しい人型かもしれないよ﹂
﹁人型?﹂
﹁魔獣にもいろいろな姿はある。人型はほかの姿に比べ、一際魔力
が高いという。それに智能も高い。私も、人型を見たことがない﹂
人型がいるとしたらますます注意せねばならない。先に来ていた
はずの使徒達がいない理由は、その人型にあるのかもしれない。紫
の瘴気、いったいどんな魔獣がいるというか。
悩み込んでいたせいで、ユーマの怒鳴り声に反応が遅れてしまっ
た。
気が付いたとき、すでに後ろから首を掴まれていた。褐色の指が
視界の端で動く。
ぞわりとした。これは魔獣の指だ。分厚く長い爪の先が肌に食い
込んでいる。
水に触れたような寒気が走る体温だ。まず人のぬくもりではない。
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﹁アオ!﹂
声とともにユーマが腰に下げていた退魔の剣を振う。 後ろにいた魔獣はすぐに飛びのき、剣をすれすれで避けた。
完全に油断していた。ユーマがいなければどうなっていたことか!
未熟な自分が腹立たしい。驕っていた。
ここは戦場だというのに!
咳をしながらついユーマをきつく睨みつけてしまう。
﹁礼はあとで。油断されると困る。貴女の加護がなければ俺も死ぬ。
この瘴気のなか、守護がなければ耐えられまい﹂
﹁分かっている! あとでいくらでも願いを叶えてやろうとも。あ
あ、女でも服でも食事でもなんでも賄ってやろう﹂
ユーマは片目をつぶり、唇に指をあててアオへと投げた。心憎い。
死にそうになったというのに軽薄に許そうとする。まるで信用さ
れているかのようだ。つがいといっても肉親ではない。気を許し過
ぎてはいけないのに。悶々となりながら、絶対に借りは返すと心に
誓う。
︱︱それにしても、どうやって私の術を。
魔獣には毒となる清潔な水を用いて作った膜結界だ。膜の先に触
れただけでも肌が爛れる、強い術。術の構成には絶対の自信がある。
でなければ、術師であると堂々と名乗りはしない。
人型の魔獣には効かないのか。それとも、この強い瘴気のせいな
のか。
﹁面妖な術。我の指がこのように爛れるなど。面白い。この術は、
ぬしの術?﹂
場にそぐわぬ、おっとりとした声が後方から発せられた。二人揃
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って慌てて飛びのき、声の主を探す。
﹁おや、その雲のように白き髪。術師か﹂
﹁だったら、なんだというの﹂
力の強い術師はみな白髪だ。さらに目の色の純度が高いほど、紫
に近いほど秘めた力を授かっている。
﹁そう邪険にするでないよ。ぬし、美しいなあ﹂
そういって頬を高揚させる魔獣は美しかった。砂漠と同じ滑らか
な乳色の髪と透き通る紫の瞳。褐色の肌で、唇は娼婦のように艶っ
ぽい。中性的な体つきをしていた。
なぜか顔半分を獣の面で隠しており、厳めしい角が二本生えている。
一目で異形と分かる出で立ちだ。
だが、強そうではない。穏やかな口調がそうさせるのか。妙に人
間らしい仕草が警戒を緩めるのか、弱弱しく映る。忌々しい瘴気を
放っていなければ、さきほどの見世物小屋から逃げてきた子供だと
誤認していただろう。どう見えても人に害をもたらす魔獣には見え
ない。
﹁美しく、淫らな汚れの業だ﹂
﹁なにをわけの分からぬことを﹂
﹁なに、人とは浅ましいと再確認しただけのこと﹂
魔獣はじいとアオを見つめている。アオの青い瞳を紫の瞳が。足
元から火に炙られるように熱くなる。恥ずかしがるように顔を背け
た。どくんと心臓が高鳴っている。なんだ。あまりにも自分らしく
ない反応に戸惑う。
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﹁ふふ、どうしたの。照れている?﹂
﹁アオ﹂
窘めるように名を呼ばれた。弾むような気持ちを殺し、咳払いを
する。
﹁違う! お前、私に魅了の術をかけようとしたな? 小賢しい真
似を﹂
楽しそうに魔獣が笑う。術師のアオに導師が使うような魅了の術
は通用しない。それなのにその術を使うということはからかわれて
いるのだ。
﹁そう憤らなくてもよいだろう。ただの遊びではないか﹂
﹁⋮⋮お前、我らの仲間はどうした?﹂
﹁うん? 殺しつくしてしまったよ。あれはだめだ。弱すぎた﹂
くつくつと笑みを浮かべていた魔獣があっけらかんと言い放つ。
ユーマがぴくりと体を揺らす。アオも眉を顰めた。
﹁ぬしらはどう? 我を楽しませてくれる?﹂
魔獣の手から赤い閃光が飛び出す。ユーマの前に出て、水の膜を
広げる。赤い閃光は水の膜に触れ、眩い光となって弾ける。虹のよ
うに七色に光り、目が眩んだ。場にいる誰もが瞬きをする一瞬の間
にユーマが飛び上がり、魔獣の首に剣を振り降ろす。
だが、なぜか魔獣の肌に触れる前に跳ね返った。突然のことに
体制を崩したユーマに魔獣がさきほどの閃光を叩きこんだ。
石がぶつかったような鈍い音がした。
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﹁ユーマ!﹂
頭をしたたかに打ったのか、頭を抑え蹲る。
目を凝らしてみてみると魔獣の周りに紫の膜が張ってあった。何
者の攻撃も跳ね返す術だ。強力な呪い返しのようなもの。恐ろしい
ほどの魔力を消費するはず。それを張り、閃光まで放つことができ
るのか。魔獣の奥に眠る無尽蔵とも言える魔力に絶望感を覚える。
アオ一人どころか、ユーマと一緒でも敵うまい。
一度、撤退しなくては。
外見で惑わされてはいけない。これは化け物だ。
この魔獣は二人だけでは倒せぬ。立ち向かった使徒がどれほどい
るか分からないが、すべてが息絶えたわけではあるまい。運よく逃
げおおせたものもいるはずだ。彼らと結託し、再度攻撃を仕掛けた
ほうが勝機は高い。
そうと決まればやることは一つ。ユーマを連れてここから脱出す
るのだ。
だが、先回りされてしまった。魔獣がユーマの頭に足を置き、ア
オを見遣ったのだ。みしりと頭蓋骨が軋む音がした。
﹁そう無下にするでないよ。術師の女。我が声をかけているのだ。
愛想をみせてもよいのでは﹂
﹁人間にも振りまいておらぬものを魔獣に振りまけとは、土台無理
な話だ﹂
﹁なあ、女よ。これはぬしの男では? 過ぎた口は災いしか呼ばぬ
よなあ﹂
﹁⋮⋮涙など知らぬ。仇を討つくらいの甲斐性なら持ち合わせてい
るが﹂
けたけたと魔獣は笑った。さきほどからなにがそんなに面白いの
か。上質な絹でできた衣を揺らし、尖った歯をみせる。
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﹁女とはよく泣き、笑う、けたたましい生き物だと思っていたが。
雷のような癇癪を起し、聖母のごとく慈悲深くなる﹂
﹁お前に人間の女が分かると? 魔獣風情が、知った口をきく﹂
﹁砂の歴史にはこう記されておるからなあ。我ら、人を生み、人か
ら生まれた。人とは我らであり、我らとは人なのだ。かつて兄と呼
ばれたものが人であり、弟と呼ばれたものが我ら魔獣であるだけ。
神がつくりし我らは、ゆえに殺戮を好み、慈愛を持ち合わせる。我
らは同じ血を分け合う兄弟だと﹂
陰書に並ぶ三大禁書のひとつである砂起聖書の一節だ。原初の記
憶が書かれており、その内容は過激だ。一部修正が施され出回って
いる陰書に比べ、断片的な情報しか開示されておらず、いまだに秘
匿されている部分が多い。人伝に聞いた話だと人と魔獣の誕生が書
かれており、なんと人と魔獣は元はひとつの種族だったといのだ。
人間と魔獣が同じ種であると肯定してしまえば同族殺しとなる。だ
からこそ偽書扱いされ日の目をみることがないのだ。
また、この聖書では、やがて訪れる審判の日に魔獣の襲来により
国は亡び、魔獣は人と名乗るだろう、と記されているという。一部、
陰書の予言とかぶる箇所があり、審判の日は今年来るのではないか
という声もある。
なぜこの魔獣がそのことを知っている。
智能の高い人型だからできることだというのか。
﹁魔獣の女も変わらぬ。煩わしいことこの上ない。我に擦り寄り喘
ぐ。人より理性がないものだからはしたなく、すぐに股をひらき、
子をと希う﹂
心底、鬱陶しそうにぼやいた。人のような悩みだ。
もとは同じ種であった。それは真のことであるかもしれない。人
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型は表情が読め、声質で感情が伝わってくる。
アオにとってそれは抜き差しならぬことだった。今まで心かわせ
ぬと無情に屠ってきた魔獣と対話できるなど、誰が思おうか。
いずれ魔獣が人となる日が克明に描ける。そのとき、人はどうな
っている?
寒気と明確な拒絶が頭を支配した。
それはならない。魔獣が人になりかわるなど許せるものか。
﹁魔獣が甘言を弄し、誘惑したところで無駄だ。魔獣は魔獣らしく、
おとなしく人に滅されよ﹂
﹁おや、反撃を考えぬ人らしき考えよな? 傲慢だ。だが、そこが
愛い﹂
﹁舐めたことを!﹂
水の術式を展開する。敵わぬと頭では分かっている。
だが、このまま魔獣と会話しているとそのまま唆されてしまいそ
うだ。
水が体の周りを踊る。空中に漂う瘴気を浄化しながら、魔獣へ
矢のように飛んでいく。
﹁おや、ぬし、生意気だ。我に術は通用せぬというのに刃向かうと
は。お仕置きして欲しい?﹂
やはり、魔獣の前で術が跳ね返る。水同士で打ち消し合わせ、矢
を相殺する。
﹁ねえ、女。ぬしは魔獣は魔獣らしくと言ったね。では、人間は人
お前らは女を襲い、種を植えつけることもあるときく﹂
間らしくわれの下に侍っては﹂
﹁誰が!
18
魔獣はいたずらに女を襲い、魔獣の子を産ませることがある。這
い出てきた魔獣は母親を食べ、骨さえ残さない。
﹁魔獣とは口が上手いのか。初めて知った!﹂
﹁我がぬしらの築いた文明の書物の内容を知っておるから怯えてお
るのか﹂
﹁魔獣が文字を読めるなどきいたこともない。お前達は人間に害を
為す生き物だ。だからこそ、魔獣は処分されるべき﹂
﹁人はそういい獣も殺してきたなあ。ぬしらは脅威という仮面をか
ぶらせ殺戮する。我らが人を選ぶのは享楽をそちらが望むため﹂
﹁魔獣と交わりたいものがいるとでも?﹂
﹁我らと交わりたがらないものがいるとも?﹂
﹁少なくとも、私は違うのでね﹂
魔獣は嘲笑した。小賢しいとばかりに片目が細められる。
﹁術師はとくに享楽を呼びやすいと思うが。なあ、ぬし、名をなん
というの?﹂
﹁だれが馬鹿正直に答えると?﹂
﹁名を、なんというの?﹂
のどかな声色から発せられる言葉は引力があった。言葉に魔力が
ともっているのだ。月に魅入られるように、一気に引き込まれてい
くのが分かる。抗うように頭を振ると魔獣は驚いた。
﹁我の力に抗うとは。珍しき女よ﹂
魔獣は口元を緩めた。梅色を基調とした衣ですぐに隠されたが、
うきうきとたのしげだ。
19
﹁我が名はジャバ。魔獣達の王。ぬしらの不幸の種。人に変わるも
の。我はぬしを気に入った。力はこの世の全て。力で支配できぬも
のはなし。力を持つぬしはこの世を支配できる﹂
﹁王だと、お前が?﹂
魔獣は理性を持たぬけだものだ。人が勝手につけた強さの位はあ
れど、野生の奴らに位という制度はないはずだ。だが、魔獣の王だ
と。では、魔獣どもは意志の疎通ができ、崇める対象がいるのか。
それでは本当に人と変わらぬのではないか。
いや、待て。魔獣はその名の通りケモノの姿をしている。人にと
って変わるなどできぬはずだ。偽典の言葉を信じてどうするのだ。
﹁いずれ人世の王ともなろう﹂
ユーマの髪を足先で弄んだ。指先で髪をすくい上げ、その髪をひ
いて持ち上げる。
﹁そのときには人は奴隷にでもしようか。この男など見目好い。女
達にはこのまれような﹂
﹁その男を離せ﹂
﹁ぬしの男ではないのだろう。そう怒るな。さっきは泣かぬと言
っておったのに﹂
﹁言ったはずだ、仇は取ると。それ以上の狼藉は許さない﹂
﹁では、ぬしの名を寄越せ﹂
アオは舌打ちしながら自らの名を吐き捨てた。
﹁それは仮名であろう。華名があるはず。それをきかせよ﹂
華名は術師にとって心臓と同義だ。生まれつき与えられた華名は
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術師を世に繋ぎとめる杭。他人に知られれば、術師はたちまちその
者に縛られ、支配される。奴隷よりも酷い。死ねと言われれば恍惚
と死なねばならぬのだ。
だからこそ術師は自らの名を隠し、仮名を名乗る。他者に取られ
ぬため、親が華名を教えぬこともある。
ーーどうする。
華名を教える危険を考えるとユーマを見棄てたほうがよい。アオ
は上位の術師だ。もし魔獣に華名を取られてしまえば取り返しのつ
かないことになる。
だが、ユーマを見棄てるのか。
髪を掻き毟りたい。ユーマは仲間だ。一年以上、仲間として活動
してきた。それに、人を見殺しにしてまで逃げていいのか。親に捨
てられた子が、人を踏み台してまで生きたい理由はあるのか。
品なく悪態をついてしまう。
﹁この男を醜女たちに捧げるならばそれでもよい。どうせ我はこの
男が生きようと死のうと知らぬ﹂
げほげほとユーマが咳き込む。瞼が開き、血のように赤い瞳が驚
愕に見開かれる。
魔獣にいたぶられそうになっているとすぐ分かったのだろう。
早く逃げろ!﹂
アオと目が合うと唇の端をひくつかせた。
﹁なにをやっている、アオ!
この魔獣は
荒々しい言葉遣いだ。怒鳴り散らすように必死の形相で逃げろ
と繰り返す。
﹁ユーマ、だが﹂
﹁なにを躊躇っているんです、逃げろといっている!
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すぐに倒して、追い付くので心配無用です﹂
ユーマ一人で敵うはずがない。死ぬ気なのだ。心臓を掴まれた気
がした。誰のために死のうとする。私を逃がすためにか。
﹁逃げたらこの男の首を落とそう。そしてぬしをすぐに捕まえよう
か﹂
ジャバがくすくすと残酷に笑う。爪の先でユーマの首先をなぞり、
アオに問い掛ける。
それでも逃げるのか、と。
首筋に汗が流れ落ちる。早く逃げろと催促するユーマと試すよう
に問い掛けるジャバ。聖人か悪人かを決める審判でも受けている気
分だ。
アオは首を振り、汗を払った。覚悟を決める。
﹁くれなゐだよ、私の華名は﹂
﹁さようか!﹂
﹁ユーマから手を離せ。その男は殺していい男ではない﹂
﹁おや、その言いよう。なんだか妬けてしまうね?﹂
上機嫌なジャバはユーマの頭を押してアオの近くに転がした。痛
みに呻き、ユーマはぎゅっと目を閉じる。地面に積もった砂でも目
の中に入ったのだろう。
水の術で体に入り込んだ瘴気を取り除く。後遺症を残さないため
にも念入りに瘴気を吐き出させた。
﹁くれなゐ、よい名前だ﹂
名を呼ばれた瞬間体がズドンと重くなる。鉛を足に巻きつけた
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奴隷にでもなったようだった。
華名の拘束は恐ろしいものだ。
アオはいつの間にか王に傅くように膝を折っていた。屈辱で体が
火をつけたように熱かった。
﹁魔獣を王に見立てるなど、躍起が回った﹂
﹁言うたであろう。人世の王に、いずれなると。では今のうちに我
を王としておくのは賢きこと﹂
﹁だれがお前などに忠誠を誓うものか﹂
﹁うんうん、ぬしは我に忠誠など誓わぬでよいよ。ぬしには忠誠な
ど望まぬ。屈辱と辛酸だけをあげる﹂
アオの白髪を持ち上げ、ジャバは顎を掴んだ。そして力任せに唇
を合わせた。
噛みつくような口づけ。獣が本能でやる行為そのものだった。唇
を吸われ、齧られる。このまま食われてしまうのではないか。反撃
しようにも、華名を取られてしまっている。舌を噛むことすらでき
なかった。
至近距離でみた紫の瞳は不謹慎にも美しかった。人を惹きつける
眩惑の色。
口づけは通り雨のように唐突に終わりを告げた。
﹁慣習にならい期間は三百日、つまり半年待ってあげよう。猶予期
間を与えてあげる、花嫁様﹂
﹁どういうこと﹂
感謝するべき。
唇をごしごしと手の甲で擦りながら、アオは詰問した。ジャバが
なそうとしていることがわからない。
﹁人間の女を番とするのもよいと、そう思ってね?
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その前に死と番になっているよ﹂
命も救い、愛でてやってもいいといっている﹂
﹁お前の番になるだと?
﹁華名の呪縛はそう断ち切れるものではあるまい。我が死ぬことを
許可しなければ、なにもできぬはず﹂
では、半年、魔獣の番になることに怯えて暮らせというのか。並
みの女ならば発狂する。魔獣と交わらなくてはならないのだ。産む
のは人ではなく化け物。生んだあとは蜘蛛のようにその化け物に骨
までむしゃぼられる。アオでも正気を保っていられるかわからない。
死ぬこともできぬというならなおさら。
嫌味な魔獣だ。屈辱と辛酸だけをあげると言った口で愛でるなど
軽々に口にする。
負けたくない。
この魔獣の思い通りになることは許せない。
﹁では半年のうちにお前を殺す計略でも考えよう。次会ったとき、
その唇に死をくれてやる﹂
﹁それは楽しみだ。では半年後、また迎えにこよう。ではね、花嫁
様。その美しい業が磨かれるのを期待している﹂
ぶわりと砂が瘴気をまきこみ空へと浮かび上がる。
砂が入らぬよう目を瞑り、開いたときにはジャバの姿はどこにも
なかった。
髪をくしゃくしゃにまぜる。
魔獣の花嫁だと、ふざけている!
苛立ちを発散させながら我にかえる。苛ついている場合ではな
あのようなケダモノに身を捧げるなどあってたまるものか!
ユーマに駆け寄り、体を触れ合わせ、アオの体内から水を送り
い。
込む。瘴気はなんとか取り除けた。だが、ユーマの肩は骨が折れて
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いるし、足は変に曲がっている。すぐさま治癒術を使い、処置を行
う。
﹁痛いが、我慢しなければならないよ﹂
外見はひどいありさまだが、まだ意識は保てるらしい。痛い痛
﹁痛いのは、嫌なんですけどね﹂
いと声をあげながら、懸命にアオを見上げてくる。
﹁なんで見棄てなかったんですか﹂
﹁見棄てても捕まえるとあの化け物が言っていたろう。それなら見
棄てても意味はない﹂
﹁華名ってなんです?﹂
﹁お前は知らなくてもよいこと﹂
﹁花嫁って言われてませんでした?﹂
﹁うるさい﹂
﹁口づけをされていました﹂
﹁黙れ﹂
やれやれと首が小さく振られた。この男、余裕があるな。自力
で壁内へ帰らせようか。
考えなくもない真実をむしかえされた腹いせに邪悪なことを考
えてしまう。
﹁俺は助けてもらったというのに、なにも教えてもらえぬ﹂
﹁恩に着せるつもりはない。助けたつもりもない﹂
﹁だが、俺は確かに助けられたのでね。まあ、いいですよ、何も教
えられぬからといって拗ねるのも大人げない。アオ、赤都に戻りま
しょう﹂
﹁分かっているよ﹂
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瘴気が消えた市場の中心には水のない泉があった。からからに
干からびている。水の気配はない。この泉は枯れてしまったのだ。
途中で、見世物小屋の檻の中にいた少女が檻から出て行く姿を見つ
けた。足を引きずり、懸命にもがいている。
アオはなんとなく側に近寄った。体はへとへとだが、興奮してい
るせいか頭はすっきりしていた。呪文を構築し、足をさする。
アオを警戒していた少女は、やがて信じられないとばかりに立ち上
がり、転けた。その姿に、微笑ましくなる。
﹁自由におなり﹂
髪の毛を撫でて、アオはその場を離れる。
ユーマは出ている店から林檎をくすねて、一口かじるとアオに
投げ渡してきた。砂をかぶった林檎は見るからに美味しそうではな
い。かぶりつくと見た目と反してみずみずしい果実の甘みが口いっ
赤都の使徒のなかでも上位の強さを持っていた十二人が土葬さ
ぱいに広がった。
れた。粛々とした静謐な葬式だった。アオとユーマ以外、参列者は
いなかった。赤都の使徒は貧民街の憧れであっても、魔獣を倒せな
かった屍は英雄などではない。使徒にとって、死とは無価値と同意
義だ。魔獣に倒されたとなれば、娼館で身を売る女よりも汚らしく
罵倒される。もっともだ、彼らにとって魔獣の到来は英雄によって
退かれるものであり、その逆は認められない。認めてしまえば、そ
のときは自分も死ななければならないのだから。
清潔な水で育てた花を砂の上に置く。キジュと言われる赤い花だ。
花弁から茎、根に至るまで真っ赤で出来ている。死者への手向けに
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埋まっている使徒達にはろくに喋ったことがないような奴もい
使われる由緒あるものだ。
た。それどころかアオに悪態を吐くものまで。だが、不思議なもの
で、死んでしまうと愛惜の念がわく。偽善だと嘲笑した。付き合い
もない者に傾ける情などいっときの気紛れに過ぎない。見世物にさ
れていた少女への慈悲さえ。
ジャバ一人を倒すために十二人も死に、結局、狩ることはでき
なかった。赤都の危機は去ったが、それだけだ。いつまたジャバが
口内に砂が入りこみざわりとした。
目を瞑り、黙礼する。
やってくるとも限らない。
﹁どこいくんですか﹂
星降る夜。静寂の中に響いた低い声の問いかけに舌打ちした。
砂漠特有の高低差に負けぬ黒駱駝に荷物をくくりつけ、いざ行
かんとしていたアオを止めたのは、ユーマだ。
髪に金の髪紐をつけ、紺の長衣を黒の腰紐で結んだ姿をしてい
る。とても星空見たさの散歩ではない。昼間のように着飾りはしな
いが動きやすい実用的な格好だ。
赤々とした瞳は星空の光を浴びて怪しく煌めいている。
﹁お前には関係ないこと﹂
﹁俺はあんたの相棒でしょう﹂
どういうことです?﹂
﹁私は赤都の使徒を辞める。故にお前とはなんの関わりもなくなる﹂
﹁赤都の使徒を辞める?
ユーマの言葉を無視して駱駝に乗ると、手綱を持って静止され
尋ねれば答えると思っているのか。
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た。どけと目で命令しても、頑なに拒まれた。
﹁⋮⋮紫都に行く﹂
﹁あの魔獣のこと、調べにですか?﹂
あの魔獣は偽典を知っていた。そして、そこに書かれているよう
に魔獣が人となると。
偽典は写しが出回っている。だが、写しゆえ訂正が行われ、規制
で章ごとなくなっている部分も多い。紫都にある原本の偽典を調べ
れば解決策が見つかるやも知れぬ。
アオはこのまま狂い死ぬことは嫌だった。せめて、一矢報いた
答えてやる気はなかった。
だが、それにこの男は関係ない。
い。魔獣に投げた言葉は偽りなき本音だったのだ。
口を固く閉ざしたアオにユーマはむっとした。
﹁なぜ教えてくれぬのか。そんなにあの魔獣に負けた俺が疎ましい
?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁足手まといになったことは謝ります。俺の力不足だった。舐めて
いたというのもある。実戦を積み、自信過剰だった﹂
﹁私はお前の懺悔室ではないよ。退くことだ。でなければ、関係の
ないお前などどうしてやろうかね?﹂
﹁では理由を﹂
﹁言えば退く?﹂
﹁言わなければ地の果てまで追いましょう﹂
ユーマの性格は理解している。この男は飽きやすく見られがち
アオは深く息を吐いた。
だが、とことん強情で自分を曲げない。追うというのならば追って
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くるだろう。
﹁私は魔獣の花嫁になるつもりなどない﹂
﹁紫都にはあの魔獣を倒すなにかがあると﹂
今ここで示して
一人で?﹂
﹁紫都は紫国の首都だ。なにかしらの手がかりがあるだろう﹂
﹁紫都までこの駱駝で行く気ですか?
﹁私の強さならば、お前も知っていると思うが?
やっていい﹂
﹁あんたは強いが、女一人旅ってのは危ないです﹂
知り合い
﹁私より強い護衛がいれば雇ってもよかったのだがね、残念なこと
にままならない﹂
﹁では、俺を雇っちゃあくれませんか﹂
一瞬、耳を疑った。
﹁俺、それなりに有能物件だと思いますよ。どうです?
価格で安くしておきますよ﹂
﹁馬鹿な。お前、とうとう頭までお気楽になったの?﹂
赤都の使徒は確かに放り出したくなるほど苦難なものだが、見
﹁酷い言いようだな﹂
返りは大きい。一生不自由のない生活を赤都の壁内でおくれるのだ。
望むものは全て手に入り、魔獣さえこなければ身の危険はない。
ジャバの一件で揺らいでいる概念であるが、今まで通り暮らしに
不自由することはないはずだ。
﹁赤都の使徒はどうするつもり﹂
﹁あんたが辞めるってなら俺も辞めますよ﹂
﹁そんな、なにを考えているの。別に私に付き添う必要はないはず。
纏わりつくな、迷惑だ﹂
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辛辣に言葉を放ってもどこ吹く風。ユーマは駱駝の頭を叩いた。
駱駝が嫌そうに首を振る。
﹁紫都に行くなんて今までの俺では考えもしなかった﹂
﹁そのまま考えないままでいるといい。私は一人で行く。お前など
不要﹂
﹁女一人ではなにかと危ない。保険と思い連れて行ってください﹂
﹁くどい。退け﹂
﹁そうはいきません。俺はあんたに借りがある。あんたも俺に借り
があるはずだが。金でも人でも願いを叶えてやると誓ってくれたは
ずだ﹂
それはそうだが。すっかり忘れていたがジャバとの戦闘でそん
な約束をしたのだった。
アオは深く息を吐いて、駱駝から飛び降りた。
﹁なにが欲しい。約束したのだから果たさねばな。金でも女でもく
れてやる。だから私につきまとうな﹂
﹁ではあんたの護衛にしてください﹂
﹁おい﹂
﹁願いを叶えてくれるというなら俺を連れて行ってください﹂
待て待て待てとアオはユーマに突っ込みを入れたくなってきた。
﹁魔獣狩りもあんたと組むのに慣れているし、腕っ節もある。愛想
のないあんたのかわりに人に溶け込むことも容易い。役に立ちます
よ、俺﹂
たしかに私には愛想はないさ。だが、だからと心配される必要
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は。
くどくどと関係ないことを考え込んでしまう。
懇願するように呼ぶな。もう、どうしろというのか。
﹁アオ﹂
頭をくしゃくしゃとかき混ぜる。なんなのだ、この男。私など
構わなければ良いのに。
借りなど貸したつもりはない。華名を名乗ったのはそれが最良
赤玉のような瞳。月光を浴び、血のように煮詰まった色をして
だと考えたからだ。情けをかけられるためではない。
いる。じっと見つめる視線に、とうとう折れてしまった。
﹁馬鹿が﹂
ユーマの顔がぱあと明るく輝いた。口の端を上げて笑う。
﹁ありがとう、アオ﹂
﹁知らぬ。準備するなら早くしてくるといい。遅ければ置いていく﹂
﹁はーい﹂
駆け出したユーマはアオを振り返り、腕を前に突き出した。
﹁俺はあんたの護衛です。だから、あんたは安心して命を預けて下
さい﹂
ユーマはすぐに戻ってきた。黒駱駝に荷物を括り付け、夜着の
上に漆黒の外套を羽織ってきた。遅くなったら本気で置いていこう
としたのに。やはり、ままならない。
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夜明けを告げる鳥の鳴き声が高らかに響いた。
赤都の石壁を越える頃には地平線から太陽が顔を出していた。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n6588dc/
砂漠の王の花嫁
2016年9月9日14時28分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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