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p333~p361 - 千葉県教育振興財団

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p333~p361 - 千葉県教育振興財団
千葉県内出土 の発火具 の集成 と様相
白 鳥
章
目
1.は
次
…………………………………… ……………………………………………………… ………・
・335
じめ に 。
2.発 火具の概説 と研 究史
(1)発 火具の概念
(2)研 究史
・………… … …………………………………………………………… ……………335
・………………………………… …………… … …………………………………………335
・…………………………… ………………………………………………………………………336
3.県 内出土 の発火具 の集成 と様相
・………………………………………………………………… …………338
(1)火 鑽板 の集成 と様相
・……………………………………………………… …………………………・
・338
(2)火 鑽棒 の集成 と様相
・…………………………………………………………………………… ………341
(3)火 打鉄 の集成 と様相
・……………………………………………………………………………………343
(4)火 打石 の集成 と様相
・………… …………………………………………………………………………351
4.お わ りに
。
……………………………………………………………… …… … ……………………………・
・356
白 鳥
1.は
章
じめ に
人類の歴史は,火 の使用 の歴 史 とも言 える。今年 ,約 79万 年前 に人類が火 を使用 して い た ことを示す最
。
古 の例が ,イ ス ラエ ル北部 のゲ シャ・ベ ノ ッ ト・ ヤ ー コブ遺跡 で発掘 された (朝 日新 聞 2004・ 4。 30)。
ヒ トは,直 立 二 足歩行が で きるようにな り,両 手が 自由にな った。それに伴 い ,発 火 の技術 を習得 した と
考 え られて い る。近 年 ,道 具 を使用す る類 人猿 の事例 が報告 されて い るが ,発 火 の技術 を習得 した とい う
話 は 聞 いたこ とが ない。
ここ数年 ,博 物館や学校等 の体験学習 で ,火 起 こ しが ,ち ょっ としたブームで ある。筆者 も例外 ではな
"」 (1)(財
団法 人
く
年前 か ら,火 起 こ しに興味 を持 ち,教 育現場及 び「土器 (ド キ)ッ と古代 “宅配便
,20数
千葉県文化財 セ ンター普及事業 )等 で実践 して きた。そ の きっか けにな ったのは,岩 城 正夫氏の 『原始時
代 の火』 (1977)で ある。
これ まで の実践 を通 して ,火 起 こ し具 =「 舞鑽 (ま い ぎ り)式 」 とい う構造 が 一 般 に定着 して しまってい
るこ とに,危 惧 の念 を抱 くよ うになった。岩城氏 をは じめ何 人か の研究者 が ,舞 鑽式が火起 こ しの一 般 的
な技法 ではない ことを以前か ら指摘 して い た。
以上 の ことか ら,国 内 の発火具 の歴 史 と変遷 を考古学 的 な見地か ら再検証 した い と思 い ,本 稿 を執 筆す
ることに した。そ の手始 め として ,県 内の 出土例 を集成 し,発 火具 の様相 を概観 して い きた い。
2.発 火 具 の 概 説 と研 究 史
(1)発 火具の概説
研究史を記載す る前に,発 火具 の法式 とその具体例 を分類 してお きたい。
一般的 に,発 火法は「摩擦式発火法」 と「火花式発火法」 に三分 で き
(高 嶋
。1985),そ れ らをさらに細
(2)。
分化する と表 1の ようになる
表 1 発火具 の法式 と具体例
B
摩擦式発火法
発
A
発 火具の法式
A
火花式発火法
B
(打 撃法)
C
A
B
光学式発 火法
(太 陽 エ ネルギー
)
圧縮空気式発火法
火打石 ・ 火打鉄
ガス ライ ター
マ グネ シウム ?
レンズ・水晶玉
凹面鏡 (オ リンピック聖火 の採火)
マ ッチ
スパ ー クプラグ
電子 ライ ター (電 圧素子 )
バ ッテ リー ライ ター (電 圧 素子 )
ビス トン
プ ロバ ンとブ タンの混合
山 雷
火 落
B
自然発火
A
A
A
ガス混合法
B C
電圧式発 火法
A
A
科学発火法
火
具
回転摩擦式発火法 (a鑽 揉み式 , b紐 鑽式
往復摩擦式発火法 (a火 溝式 ・プラウソ式
(山
火事)
―-335-―
の
,
,
具
体
F!
c弓 鑽式 , d舞 鑽式)
b鋸 式, c糸 鋸式
)
千葉県内出土 の発火具の集成 と様相
杵
︱ ︱︲ Ⅲ = 旧 旧Ⅲ 胴 ︱ ∪
日==︱
棒 ︵
︱︱
︱
鑽
火
ハ ン ドピース
(弓
鑽用・紐鑽用)
V字 カ ッ ト
回転摩擦 式発火具 の各部品 。各部位 の名称
なお ,回 転摩擦式発火法の各部品 。各部位 の呼称 につい ては各種 あるが ,本 稿 では,第 1図 の とお りに
第 1図
統 一 した。 また ,「 火打金」 の 表記 には,他 に「火 打鉄」「魃鉄 」「魅鎌」等 を用 い る場合があ るが ,本 稿
は,「 火打鉄」 を採用 した。
(2)研 究史
戦後 ,発 火具の研 究 を体系 的に行 った研究者 は,岩 城正夫氏 と高嶋幸男氏 である。 岩城氏 は,発 火具 を
製作 実験 し,発 火のメカニ ズム を技術 史的に分析 した。その成果 は,『 原始技術 史入 門』 (1976)と 『原始
時代 の 火』 (1977)に まとめ られ ,火 起 こ し指南書 のバ イブ ル となっている。近年 の火 起 こ しブ ーム に火
を付 け たのは,正 に岩城氏 であ る と言 って も過言ではない。
後者 の高嶋氏 は,岩 城氏 と共 同研究 し,考 古学的 な見地か ら,古 代 の 木製発火具 を研究 し,図 面で集成
した (岩 城 。1978・
1979)。
発火具 を遺物 との 関連で集成 したのは,こ の両氏 の研 究論文が最初であろ う。
1980年 代 に入 り,岩 城氏 は,関 根秀樹氏 と共同研究 を重ね ,発 火の技術 をさらに究 明 して い った。 と り
わ け,関 根氏 は,高 度な発火技術 を持 ち,そ の著作物 も多 い。 また,火 起 こ しの講師 として ,教 育普及 に
も貢献 して い る。
近年 ,博 物館 をは じめ ,各 社会教育団体が 主催す る,火 起 こ し体験教室 の元 をた どれば ,ほ とん どが
,
両氏 の研究実践 に端 を発 して い る。 筆者 自身の実践 も両氏 の影響が大 きい。
発火具 の研 究 を, よ リー 層発展 させ たの は,高 嶋氏 で あ る。 氏 は,『 火の道 具』 で ,発 火具 を考古学的
かつ 民俗 (民 族 )学 的見知 に よ り集成 し,分 析 した。 今 回,本 稿 を執 筆す る きっか け となったの も,氏 の
書籍 で あ り,氏 の論文 に頼 る ところが 大 きい。
高嶋氏 による と,発 火具 に関す る文 献 の初見 は,『 古事記』である とい う。『記』上 巻「大 国主神 の 国護」
には,「 海布 の柄 を鎌 りて ,魃 臼に作 り,海 尊 の柄 を もちて 魅杵 に作 りて,火 を鑽 り出でて
云 ひ しく」
とあ り,鑽 揉 み式発火法 の存在 を示唆 して い る。
この 文面か ら推測 して ,海 布 は火 鑽板 に,海 草が火鑽棒 に比 定 され るが ,岩 城氏 の実験 では,火 は起 こ
るが 木材 に比 べ て ,極 めて劣 る との ことで ある (3)。 また , 8世 紀 に書かれた とい う 『倭姫命世記』 (神 道
五 部書 )に 「佐佐牟乃木」 とあるが ,こ れは,シ ャシャンボ
る (岩 城 ・ 関根 。1983)。
(ッ
ッジ科 )の ことでは ない か と推測 して い
『延喜式 』『貞観儀式』『年 中行事秘抄 』『令義解 』 に も,古 代 の火 鑽儀礼 が記 載 されて い るが
,全 て
―-336-―
,
白
鑽揉み式であ ろ うと推測 してい る
(高 嶋
鳥
。1985)。
火打石にまつ わる記載 については,『 記』「景行 天皇」 の中の巻又は 『 日本書紀』に,倭 建命 の東国征服
の際,駿 河 の国で草薙 の剣 を用 いた神話が有名であるが,こ れは,火 打石 を使用 した可能性がある と言 う。
時期 としては,古 墳時代後期 か ら奈良時代で,火 打鉄 の形態 は,「 山形」 の紐 で,ぶ ら下げるタイプであ
ろ うと推測 してい る (高 嶋 。1985)。
中世 にお いては,発 火具 にまつ わる文献 は稀少 となる。ただ し,『 七十一番職人歌合絵巻』『職人尽絵』
に,穿 孔具 としての舞鑽式使用例 を表す絵図があるが,弾 み車が小 さく,片 手で回転す るタイプである。
近世になる と
献や絵図 における記載が多 くなる。『古事記伝』 (寛 政10年 。1798)に は,出 雲大社 と
,文
伊勢神官 の火鑽神事が紹介 されてい る。出雲大社では,火 鑽板 に ヒノキを,火 鑽棒 にウツギを使用 してい
ることがわかる。伊勢神宮 の火鑽神事は,火 鑽板 に ヒノキを,火 鑽棒 に ヒノキとヤマビワを使用 してお り
,
両神事 とも鑽揉 み式 で発火 している。なお,現 在 の伊勢神宮 の神事 は,舞 鑽式 で行 ってい るが,出 雲大社
では,古 代 か ら伝 わる鑽揉 み式で行ってい ると言 う。
菅江真澄著 の 『伊勢参宮名所図絵』 (寛 政 10年 。1798)に は,火 鑽板 に ヒノキを使用 し,長 さ 1尺 ,幅
4寸 ,厚 さ 3寸 とあ り,舞 鑽式の図が掲載 されていることか ら,高 嶋氏 は,こ の20∼ 30年 前に穿孔用舞鑽
か ら発火用舞鑽 に転化 したのではなかろうか,と 述べ ている。 また,同 著者 の『 ももうす のかた』の「陸
奥国蝦夷洲 の火鑽 の図」 には,ア イヌの弓鑽 の図が見 られる。火鑽棒 の押 さえ
(ハ
ン ドピース)に 茶碗 の
底 を使用 してい るように見てとれる。
岩城 。関根両氏 は,ヒ ノキを「火 の木」 と見立てるようになったのは,近 世以降ではないか として推測
して い る。 また,ヒ ノキは,「 針葉樹 の 中で最 も白 く香 りもよ く,古 来神社建築 にも縁 の深 い ヒノキが
近世になってか ら特別 の木 と して選ばれた」 (岩 城 ・ 関根 。1983)の であろ う と推定す る (古 文献 を見て
,
も,中 世以前に,ヒ ノキを発火材料 にした記載は皆無である と言 う。)。
なお,穿 孔具 の様子 は,『 人倫訓蒙図彙』 (元 禄 3年 。1690),『 和漢 三才図絵』 (正 徳 2年 。1712)で も
見 られる。
また,岩 城 。関根両氏 は,近 代 の践詐大嘗祭 で「大正天皇 と現天皇が即位 した ときにはマ イギ リを用 い
た とい う宮内庁 の報告があるが,明 治天皇 については,触 れ られてい ないことか ら,あ るいは,明 治 。大
正期あた りが神宮式にマ イギリが もち こまれた時期であ ろ う」 (岩 城 。関根 1983)と 仮定 してい る。
近代では,鳥 井龍蔵氏 が 『東京人類学会雑誌』第126号 の「発火用紐錐 二就テ ノニ事実」で,「 蜂 の巣石」
(凹 石)に 着 目し,紐 鑽式 のハ ン ドピース と見な したのが始 ま りである。発想の根拠が どこにあるか定 か
ではないが,お そ らく,民 俗例か ら引用 していると思われる。現在 ,凹 石 は発火具 ではないことは明 らか
であるが,一 時期 ,こ の説が席巻 していたことがある。
戦後にな り,日 本考古学 の新 しい開幕 に花 を咲かせたのは,登 呂遺跡 の発掘 である。皇国史観が崩壊 し
,
新 しい 日本 の歴 史を求める考古学者 の注 目の的であった。
1947年 ,登 呂遺跡か ら弥生後期 と思われる火鑽板 2点 と棒
(弓
)状 遺物が出土 した。 さらに,1948年 に
も,火 鑽板 1点 が出土 した。大場磐雄氏 は,『 考古学雑誌』34-11の 「登 呂発見 の火鑽具に就 いて」で
,
出土 した木製品が伊勢神宮 で使用 して い る火鑽具 と酷似 してい ることを根拠 に,「 火 きり盤」 (火 きり板 )
であると推定 した。 また,棒 状遺物 を火鑽弓か舞鑽 の弓
(両 手 で上下 させ る板)と
してい ない。 また,大 場氏 は,『 先史文化論考』 で棒の重 り
―-337-一
判断 したが,根 拠 は示
(弾 み車)が 出土 してい ないことの理由 とし
千葉県内出土の発火具の集成と様相
て ,凹 石 の 使用 を類 推 して い る。
この 大場 氏 の 説 に対 し,堅 田直氏 は ,『 み つ が らす 』 3号 の 「ふ い ち とひ き り」 の 中 で ,発 火具 で は な
く,穿 孔 用 舞 鑽 弓説 を提 唱 した。 また ,木 下 忠氏 も 『新 版 考古 学 講 座
4』
上 〕 で ,火 鑽 板 と
原 始 文化 〔
「 弓状遺物」 の 出土地点が異 なる こ とか ら,舞 鑽式発火具説 に疑 間 を投 じて い る。 また ,高 嶋氏 も, 6点
の理 由か ら舞鑽式 を否定 して い る (4)。
また ,こ の ころ,東 京都 内 の発掘調査 にお い て,江 戸遺跡 に注 目が集 ま り,遺 跡 か ら出土 した火打石 ・
火打鉄が よ うや く認識 される よ うになった。それ までは,近 世考古学 に重 きが置かれてお らず ,見 落 とさ
れが ちであった発火 具 を再認識 させ る意味で ,大 きな意 義があ った。 また,江 戸遺跡研 究会 の小林克 。小
川望両氏 らによ り,火 打石 の産地同定 と流 通 に も目を向け られる ようになった。 同時期 ,関 西で も,近 世
遺跡 における火打石 の研 究 も進め られて い た。
現在 ,こ れ らの研究者諸氏 の功績 に よ り,火 打具 に関心が 集 ま り,仏 具展 で しか手 に入 らなかった火打
具が ,今 では, ミュー ジアム・ シ ョップで も入手で きるまでになった。
3.県
内 出 土 の 発 火 具 の 集 成 と様 相
(1)火 鑽板 の集成 と様相
(表
2,第 2・ 3図
)
県 内 の 出土例 としては,弥 生 時代 中期 の常代遺跡 (第 2図
-6。
7・
8)と
長須賀条里制遺跡 の火鑽板
が 最古級 で あろ う。時期的 には,弥 生 時代 中期か ら古墳 時代 に集中 して い る よ うである。 国内 の 出土例 を
見て も,古 墳 時代が最 も多 い と言 う (高 嶋 。1985)(5)。 なお ,国 内最古級の資料 として ,北 海道忍路土場
遺跡 と三重 県柚井貝塚 の火鑽具が挙 げ られる。
県 内出土 の火鑽板 の規格 であ るが ,長 さは,20∼ 30cmの 間 に集 中 して い る。 ただ し,欠 損 して い る物
が大 半 で ,平 均値 は推定 で きない。おそ ら く,完 形 品 で ある国府 関遺跡 の 出土例 (第 3図
-10)が 平均 的
なサ イズ と思 われるが ,本 例 は,携 帯用 と推定 されて い るので ,常 備用で使用す る大 きさよ り,若 干小型
と思 われる。
幅 の 平均値 は,約 19.6mmで あ る。 厚 さの 平均値 は約 14.lmmで
,20mm以 上の火鑽板 はほ とん どない。
これは,実 験 で も実証済みで ,厚 さが20mmを 越す と,急 激 に発火 率が落 ちる ことがわか っている (6)。 理
由は,20mm以 上 になる と,回 転摩擦 に よって生 じた木粉 が ,V字 カ ッ トか ら板 の 下部 に落 ちる までに熱
を奪 われ ,発 火点 までに達 しな い か らで あろ う。 ちなみ に,火 鑽具 に よる発火 (無 炎燃焼 )温 度 は,300
∼400℃ と言 われている。
自 の 直径平均 は,約 11.5mmで あ る。 これ は,必 然 的 に火 鑽棒 の 大 さに連動 して くる。実験 で も10mm
位が ,発 火率が高 い とい う結果 を得 て い る。なお ,以 上の各数値 は,国 内出土例 の平均値 に近似 して い る。
共伴遺物 は,木 製品が多 く,低 湿地帯か らの出土が 多 い。常代遺跡や市原条里制遺跡の よ うに河川跡 と
思 われる場所か らの出土や ,長 須賀条里制遺跡の水際 祭祀遺構 と思 われる場所 か らの出土 を考慮 に入れる
と,何 らかの祭祀 的行為 の結果 (祭 祀で使用 した火 鑽具 一 式 を河川 に流す ,ま たは廃棄す るな ど儀礼 )と
推定 で きる。 なお , 日常 の生 活備 品 としての火鑽具 は,完 全 に消耗 した らその まま焼却 されて しまうのが
通常 であ り,遺 物 として残存す る確 立 は,極 めて低 い はず であ る。
―-338-―
土
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暉ヽ中 oヽ
ヽくキ
キ ヽ体 ヽ
≦基
≦ 世択
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嘩ヽ 中 口 ヽ
ヽ■
≦世 収
曜ヽ 中 ● ヽ
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中ヽ 口 、
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千葉県内出土の発火具の集成 と様相
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―-340-―
13=1/4)
8
1(2∼ 5=1/2, 6∼
火鑽 板実測 図集成
第 2図
5
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面正ス喜菱亙肛藤凸コ厖
l
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い
D12
14=1/2,11=1/4)
自の断面形 は,① U字 状 ,② 凹状 ,③ 盟状 ,④ W字 状 ,⑤ V字 状 に分類で きるが,一 般的には,① ② の
第 3図
火鑽板実測図集成 2(10・
12・
形状が多 いようである。長須賀条里制遺跡 の資料 に一部 ,④ タイプが観察で きるが,全 体的 には稀少であ
る。実験結果 によると,④ タイプは,ア ジサイ,ウ ツギ,シ ノダケなどのように,芯
(瑞 )が スポ ンジ状
か,空 洞 になってい る樹種 を使用 してい る場合 に見 られる。
アジサイなどは,確 かに発火速度が速 いが,④ タイプが少ないこ とか ら判断 して,当 時 の人 々は,そ れ
にこだわってい なかったようである。実際,実 験 してみる と,ス ギなどの一般的な樹種 で も,慣 れれば
,
アジサイなどに遜色な く発火 で きる ことがわかった。ただ し,ケ ヤキやカシなどの堅木は,発 火速度が遅
く,不 向 きなことが実験か らわかってい る。
(2)火 鑽棒 の集成 と様相
(表
3,第 4図
)
火鑽板 と比較 して,出 土例が極めて少な く,管 見に触れ た資料 は 3点 だけである。本来は,火 鑽板 とセ
ッ トで使用す る道具であ り,同 数出土 して もよさそ うなものである。
時期 は,弥 生時代中期以降に多 い。当然 ,旧 石器時代 ・縄文時代 も火鑽具 を使用 していたはず であるが
―-341-―
,
千葉県内出土の発火具の集成と様相
県 内で は確 実 な出土例 を聞か な い 。
火 鑽棒 の 先 端 の 直径 平均 は ,約 10mmで あ る。 これ は ,前 述 した火 鑽板 の 臼 の 直径 とほぼ 符 合 す る。 筆
者 の 実験 で も,そ の 値 が 最 も発 火 率 (発 火 速 度 )が 高 か った 。 15mm以 上 に な る と自 との 抵 抗 が大 き くな
り,棒 の回転力が低下するようである。反対に,細 す ぎると,自 との摩擦部分が減 り,発 火点に達するま
でに時間がかかることと,棒 を鑽揉む際,回 転力が上が らない とい う欠点がある。筆者は,実 験 の際,先
端部分の直径 を10mm前 後 に し,鑽 揉 む部分
(棒
(手
を当てる部分)を それより若干太 くす るよ うにしている
を全体的に太 くし,先 端部分 をlomm前 後に削 って使用 してい る)。
南借当遺跡の出土例は,火 鑽弓の可能性 を報告 してい る。根拠 として,両 端 に 1条 の沈線が加工 されて
い ることによる。共伴遺物 は,縄 文土器 ,櫂 ,石 器 ,砥 石 ,煙 管 ,火 鑽板 ,火 打石等が認め られるが,本
遺物が,確 実に縄文時代 の遺物で,火 鑽弓であるとは断定 し難 い。その根拠 として,火 錐弓に しては短 い
こと
(現 在長約21cm。
筆者 の実験では,40∼ 50cm位 が適 当),弓 鑽式 は北 方系 の発火技術であると言わ
れてい ることの 2点 が挙げられる。他 の用途 として,飾 り弓等が考えられ よう。
出土 した火鑽棒 の長 さは,15∼ 16cmが 大半であるが,ほ とん どが,折 れてい るか使用済みの物 である。
当然 ,使 用前の長 さは,こ れ よ り長 いわけで,お そ ら く,30∼ 40cm位 はあ ったであろう。筆者 が実験用
に製作する場合は,40cm程 度に してい る。使用が進むにつ れて短 くな り,20cm以 下になると,前 屈 みの
姿勢が きつ くなる上に,手 の上下動 の距離 も短 くな り,効 率が悪 い。
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Ⅲ
U
01
第 4図
火鑽 棒 ほか 実測 図集成 (1・
―-342-―
4=1/2, 2=1/3, 3=1/4)
白
鳥
表 3.火 鑽棒 一 覧表
挿図番号
遺跡 名
所在地
遺構番 号
市 原市
市 原地
区 ・2192
16D
区‐
2
常代 遺跡
群
オ:津 市
SD 220
3
国府 関
4
南借 当
長 さ (mm)
直径 (om)
形
態
樹
種
木取 り等
丸棒状
不明
心材
供伴遺物
備
弥生 中期
156
九棒 状
ムラサキ
シキブ属
′
きなし削
り出し
茂原 市
弥生 末 ∼
古墳 初頭
164
九棒 状
イメガヤ
心材
多 占町
縄文
,
先 端焦 げ付 き。杵 ?溝 は
l日 河 り
‖か
,
箸 の 転 用 ?先 端 焦 げ付 き
木製品
縄文土器
櫂 ,縄 文
時代石器
,
丸棒 状
?
文献番号
考
先端 半球状・ 焦 げ付 き
折 れ の部 分 は金属 で 裁 断
か
, ,火
器品
土
,
生製器板
弥木石鑽
市 原条里
制
期
駄等
下足
田大
l
時
火 鑽 弓 か 。 両 端 部 に 1条
の 沈線 が加工 され る
,
(注
) ( )内
の数値 は 、現 在 長 を 表す。 また、 空襴 は、 不 明 を表す 。
(3)火 打鉄 の集成 と様相 (表 4,第 8∼ 11図
火打鉄 は,火 打石 とセ ッ トで使用す る道 具 であ り,分 析 も両者 の 関係 で見 る必要がある。火打石 と比 べ
て ,出 土遺跡 の分布 に偏 りが な く,本 来 の使用分布 に近 い と思 われ る。火打鉄 の部位 の名称 は,第 5図 の
)
とお りとした。
T 幅⊥
(第
9図 -4),印 内台遺跡
向作 遺 跡 (第 9図
(第
9図
-5),松
-14),久 我 台 遺 跡
(第 11
図 -50)に 散見 で きる。 ただ し,文 脇遺跡 (第
11図 -45。
46)の 製 品が ,火 打鉄 と断定 で きれ
頂部
; り あ り H 恥
本県 の場合 ,古 墳 時代が初 出で , 日秀西遺跡
│
ば,弥 生時代後期 か ら古墳 時代前期 の 資料 とな
り,最 古級 となる。
なお ,印 内台遺跡 の資料 は (第 9図
-5)錠
第 5図
火打鉄 の部位 の名称
形 を してお り,火 打鉄 とは断定 で きて い ない。 一 般的 に,錠 形 (第 6図 の B)の 出土 は,近 世 に多 く,苧
引 き鎌 (鋸 )等 の他 の鉄製品 の可能性 も否定で きない か らである。市原条里制遺跡 の 資料 (第 10図 -30∼
41)は ,時 期が限定 で きないが ,キ セル等 が共伴 して いることか ら,近 世 の可能性 が大 きい。
日秀西遺跡 の 資料 (第 9図
-4)は ,い わゆる捻 り鎌 で,県 内では,市 原条里制遺跡
(第 10図
-35)と
-48)の 3点 だけである。 これ ら 3点 に共通す る特徴 は,小 型である とい うこ とで
あ る。近世 中期 にな り,物 見遊 山等 の旅行が大衆化 し,携 帯用 として小型 化 した とも考 え られ るが ,本 3
山田水呑遺跡 (第 11図
点 の 出遺跡 と も,古 代 か ら近世 にわたるため ,時 期 を ど う捉 えるかが ,今 後 の課題 である。 なお ,市 原条
里制遺跡の資料の残存状態 は極 めて 良好 で ,重 量感があ り,赤 彩が施 されて されて い るのが特徴 である。
また,松 向作遺跡 の資料 (第 9図
して ,南 広遺跡 (第 9図
-14)は ,両 端 を渦巻状 に巻 き上 げて い るのが特徴 で ある。類似 品 と
-15),宮 内遺跡
(第
9図 -17)の 資料 が上 げ られ る。 さ らに,渦 巻状 とまでは
い か ない まで も,両 端 を角 (つ の)状 に跳 ね上げ るタイプ として ,花 前 I遺 跡 ,村 上込の内遺跡 ,井 戸 向
遺跡 ,江 原台遺跡 ,高 沢遺跡 ,宮 内遺跡 ,永 吉台遺跡 ,久 野遺跡 ,久 我台遺跡 の各資料 が指摘 で きる。両
端が渦巻状 か否かに,時 期的 な特徴 は特 に見 られない。
高嶋氏 の形態分類 をまとめ る と第 6図 の とお りで あ るが ,今 回の集成 をそれ に当てはめる と,山 形が全
体 の 約 91%を 占め る こ とになる。 なお ,筆 者 は山形 を,さ らに,日 玉 ク リップ形
―-343-―
(A-1・ 2),渦 巻 き
千葉県内出土 の発火具 の集成 と様相
形
(A-3),角 形 (A-4),三 角 。笠形 (A-5),
捻 り鎌
(A-6)の
6形 式 に分 類 した
(第
7図 )。
篠本城跡か ら多量 の火打鉄が 出土 して い る (第 11
図 -55∼ 72,第 8図 -73∼ 83)。 筆者 の 実見 で は
,
B錠 形
A山 形
そ の 内 ,火 打鉄 の可能性 が高 く,形 態 も類推 で きる
のは,55と 56の 資料 で ある。他 の資料 は,断 片的 で
あ り,断 定 は難 しいが ,同 遺跡 か ら多量 の火打石が
出土 して い ることか ら可 能性 は大 きい。 なお ,断 片
C短 柵形
的な場合 ,農 具 の鎌 との 区別が難 しいが ,火 打鉄 の
D
第 6図
場合 ,打 撃部分が鎌 の よ うな刃 になってお らず ,厚
火打鉄の分 類
みが ある ことが特徴 で ある。夏台 遺跡 の 資料 (第 H
凸
図 -54)は 短冊形 を呈 して い るが ,実 見 した限 りで
は,形 態的 に火打鉄 とは断定 し難 い。 ただ,中 近世
A-2
か ら,火 打鉄 の可能性 は否定で きない。
A-3
△
,
紐 を通 す穴 で あ るが ,そ の理 由 として,携 帯用 のス
△A-
A- 5
トラ ップ,打 撃す る際 に紐 を指 に絡めて 固定 させ る
第 7図
,
)
o
凸
の土墳墓か ら火打 石 と古銭 のセ ッ トで出土 したこ と
火打鉄 には ,大 概 ,小 孔 が穿 たれてい る。 当然
台形 (不 定形
鉄板形
6
山形火打鉄 の分類
紐 を火打袋 に結 わえてお くな どが 考 え られ よ う。
近世 において ,火 打箱 に入 れ る火 打鉄が盛行す るが (78),こ の タイプは,鎗 状 の鉄 を板 に打 ち込 む製
作 方法で,小 孔 はない。 なお ,小 判状 (短 冊状 )の 火打鉄 には,小 孔がある。
火打鉄 の 断面 を観察す る と,打 撃部が最 も厚 く,約
3mmが 平均 である
.9'。
また,打 撃部か ら頂 部 にか
け て 薄 くな ってい くのが通 常 で ある。 また,片 面 (表 面 )が 蒲鉾 上 に膨 らみ ,反 対面 は扁平 な場合が 多 い。
市原条里制遺跡 の 資料 を実見 した ところ,大 半がそ うで あった。小孔 もよ く観察す る と裏面 にバ リが 残 っ
︵V ュ
ていることが多 い。 これは,表 面か ら望で小 孔 を穿 った こ とが わか る。以上の ことか ら,金 床 で鋼鉄 をた
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73
当 一
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80
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79
第 8図
火 打鉄実測図集成
―-344-―
4(1/2)
》2-
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82
1
1
83
章
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千葉県内出上 の発火具の集成 と様相
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火打鉄実 測 図集成
20
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―-348-―
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27
第 10図
火打 鉄 実測 図集成
一-349-―
2(1/2)
30
千葉県内出土の発火具の集成 と様相
│
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54
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58
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66
第11図
火打 鉄 実 測 図集成 3
--350-―
(1/2)
-m
62
白
鳥
たいて薄 く延ば しなが ら整形 し,最 後に小孔 を穿 って完成 させた工程が想像 で きる。
打撃部の形状 は,① 直線的な タイプ②外側 に弧状 に膨 らんでい るタイプ③本体 の内部に凹んでいるタイ
プの 3種 類 に分類で きる。近世お よび現代の火打鉄 を観察する と,② のタイプが多 いことがわかる。実際
使用 してみると納得す るが ,② の タイプの方 が,打 撃 しやす いことがわかる。 したがって,③ の タイプ
(第 10図 -34。 38・ 39。 41・ 42・
44)は ,特 異な形態 か,あ るいは,使 用頻度が多 く,磨 耗 してそ うなっ
たか,今 後 の課題 である。
村上込の内遺跡 ,自 幡前遺跡 ,井 戸向遺跡 では,奈 良 。平安時代 の住居跡 の廃絶後に,火 打鉄が廃棄 さ
れた ことが推波│さ れてお り,祭 祀的な色彩 の強 い出土例 である。特 に,井 戸向遺跡 のD147竪 穴住居跡 一
括資料 は,特 筆 に値する。現在で も,火 打具 は,械 れを払 う行為 の「切 り火」 として生 きてお り,当 時 も
,
その ような儀礼 があったことが想像で きる。
(4)火 打石 の集成 と様相
(表
5,第 12・
13図 )
火打石は,火 打鉄 とセ ッ トで使用す る道具であるが,火 打鉄 の出土点数 と比較す ると極 めて少ない。 こ
の原因 として,次 の 3点 が挙げ られる。① 火打石が消耗品であ り,打 撃部が磨耗 してエ ッジが丸 くなる と
火花が出づ らくなるため,破 砕 して小片にし,鋭 くなった割れ口を再使用する とい う過程 を踏むか ら。②
最終的に使用不能 になった段階で,廃 棄 されるか ら (小 林 。1993)。 ③調査者 の認識 に差異差があるか ら。
筆者 は,か つ て,佐 倉市弥勒東台遺跡 の調査に係 わった際,火 打石 の 出土に会 い,そ れ以来,火 打石 に
気 を止めるようになった。その後,他 遺跡 の調査 の表土除去の折 ,石 英 またはメノウの小石片に目が止 ま
るようになった。 また,近 世 の江戸 ごみの 中に,同 様な石片 を目にするようになった。 これ らは,上 記①
で述べ たように,火 打石が破砕 されて再使用 され,後 に廃棄 された物 であることがわかった。それまでは
,
用途不明の石
(い わゆる雑扱 い)と
して,そ の場 で処分 されるか,表 土一括 の雑扱 いになる品である。 こ
れ らが ,火 打鉄 と比べ て,出 土点数が少 ない原因の一つ になってい ると考え られる。小川氏 は,「 調査時
ll・ 1996)と 指摘 してい
に火打石 を認識 し,見 落 とさないこと,そ れを報告する ことが必要である。」 (小 り
るが,同 感である。
本県 の場合 ,井 戸向遺跡 のよ うな特異な例 を除けば,住 居跡 か らの出土例は少ないが,比 較的,奈 良 ・
°
° (宮 内遺跡 ,神 山谷遺跡)。 一 方 ,中 近世 になると土墳墓
平安時代 では,住 居跡か らの出土例が 多 い
,
地下式坑 ,塚 ,堀 か らの出土例が多 くなる。
火打石 を出土 した遺跡 の分布 を見ると,東 総地域 に集中 している。 これは,火 打石 の使用地域 の特徴 で
はな く,発 掘担当者が,意 識的に火打石 に目を向けた所産である。
と りわけ,篠 本城跡 か ら多量 の火打石
(第 13図
-34∼ 54)と 火打鉄が出土 してい る。石材 を見るとメノ
ウが大半 で,チ ャー トと石英がそれに続 く。実見 した ところ,無 数の打撃使用痕 が認め られた。形態に特
徴 は認め られないが,川 原 の転石 の ような円礫 が多かった。石材 の産地は不明である。規格 は,様 々であ
るが,平 均値 を見 ると,38.3mm× 292mm× 17.9mmで ,重 量は,27.5gで あった。なお,県 内の出土例の
°
り
平均値 を求めると,364mm× 28.Omm× 17.9mmで ,重 量 は,29.lgで あ り ,篠 本城跡出土 の資料 は県
平均 に近 い と言える。
ちなみに,現 在 ,仏 具展 で販 売 している火打石 の重量 を調べ る と,110gか ら53gの 間で あ つた と言 う
(/1ヽ 本
本。1993)。
一-351-―
千葉県内出土の発火具の集成 と様相
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火打石実測 図集成
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2(1/2)
火打 石 実測 図集成
第 13図
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千葉県内出土の発火具の集成と様相
弥勒東台遺跡 出土の火打石 (第 12図
-4)を 観察す る と,形 態 は,ほ ぼ平行四辺形で
(断 面形 は三 角形 ),
重量 は75gで ある。 また ,破 砕 して再 使用 した痕跡 もな い ことか ら,購 入 当時 の形態 と規格 をほぼ保 って
い る良好 な資料 と言 える。
。縄文時代 の石器 の
県 内出土 の 火打石 の石材 を観 察す る と,石 英 とメノウが多 い け
'。 石材が ,旧 石器
それに似 て い るため ,見 誤 る可 能性 があ る。 ただ,よ く観察すれば,火 打石 の場合 ,石 の 目や窪み に汚れ
や シ ミが付着 してお り,水 洗 して もなか なか取れないのが特徴 で ある。また,旧 石器時代 の石材 と比 べ て
,
濁 りと くすみが多 く,稜 線が磨耗 して い るの も特徴 で あ り,慣 れる とす ぐに見分 けが つ く。
井戸 向遺跡 のD147竪 穴住居跡 か ら,合 計 20点 の 火打石が出土 して い る。一 住居跡 か らの出土 としては
,
破格 の点数である。また,共 伴品 として,火 打鉄 2点 ,三 彩陶器托 ,三 彩陶器小壺 ,炭 化米等が挙げ られる。
これ らの石材 は白色で透 明感があ り,茨 城県 山方町諸沢産出の石材 らしい (小 林 。松崎 。2001)l13。 火
打石 の 大 きさは,実 測 図が報告書 に掲 載 されて い な いの で ,明 確 な こ とは い えな いが ,写 真 で見 る限 り
,
大小様 々で ある。 また,火 打石特有 の汚れ も確認 で きる。
D147竪 穴住居跡 は,奈 良 ・ 平安時代 の遺構 で, 2m四 方 の小型住居である。覆土 に炭化材や焼土 ととも
に炭化 米が堆積 してお り,焼 土 層 の上 面か ら三彩 陶器托が ,直 下か ら三彩 陶器小壷が出土 して い る。 報告
書 に よる と,こ れ らの遺物 は,「 祭祀後 の廃棄 ,あ る い は住居廃絶後 の なん らかの行 為 の結果」 と推測 さ
れて い る。
同住居か ら, 2点 の火打鉄 も出土 して い るが ,内 1点 (第 8図
-11)は ,か な り大型 で,今 回の集成中
で最大級 で あ る。 これだ け の大 きさは,異 例 で,実 用的 な使用 よ り,祭 祀的 な使用 を考 える方が ,妥 当 で
あろ う。 なお , 2点 とも火 打石 と近接 して出土 して い る。
三彩陶器托 は,受 部 の欠損部にススが付着 してお り,灯 明皿 として二次使用 されてい たことがわかる。
火打鉄 ,火 打石 ,灯 明皿が一住居か らセ ッ トで出土 した事例 は,極 めて稀 であ り,興 味ある出土例である。
4。
おわ りに
今回,県 内の 出土例 を集成 し,発 火具の様相 を概観 しようと試みたが,集 成に思 いの ほか手間取 って し
まった。 したがって,先 学 の研究に頼 ることが多 く,そ れに,管 見に触れた資料 を追加するに留 まった。
よって,資 料 の集成に相当の遺漏があると思われる。おそ らく,今 回の集成 の数倍 は出土例があると想像
す る。
本稿 は,資 料紹介が中心 とな り,発 火具各種 の系譜 と歴 史的な位置付 けがおろそかになって しまった。
また,形 態分類や編年,民 俗例 との比較 ,火 打石 の産地同定 と流通等 も不十分であった。将来,ま た,執
筆す る機会があれば,そ の点を補強 してい きたい と考える。
「火」 は,人 類 にとって必 要不可欠であ り,「 人類の歴史は,火 の使用 の歴 史で もある」 と冒頭で述べ
た。 しか し,反 面 ,発 火具 の報告例は少な く,連 動 して,研 究 も十分 とはい えない。発火具の報告例が少
ないの は,腐 食等で残存する可能性が少ないことと,調 査時での見落 としが多 いこ とが指摘 で きる。 しか
し,隠 れた もう一つの要因として,当 時の人 々は,一 度手にした火 を安易 に絶やそ うとはせ ず,火 種 を大
事 に守 り続けた ことを忘れてはならない。
―-356-―
白 鳥
章
以前 ,テ レビで,先 祖代 々一度 も竃 の火 を絶や した ことの ない旧家が紹介 されたが,原 始古代 の人々も
こ うして,炉 や カマ ドの灰 の 中で,火 種 を守 り続けていたに違 い ない。人類 にとって,火 は格別かつ神聖
なものであ ったことが よ くわかる。
本稿 を執筆す るにあた り,下 記 の諸氏 には,資 料実見並 びに資料提供 に際 し,多 くの御教示 と御配慮 を
賜 りました。末筆なが ら御芳名 を記 して感謝 の意 といた します
(五 十音順 ,敬 称略)。
相京邦彦,井 口崇 ,城 田義友 ,田 井友二,高 梨友子 ,竹 内久美子 ,多 田信子 ,蜂 屋孝之 ,松 本太郎,道 澤
明,横 山仁
註
(1)引 用・参考文献85参 照
(2)鑽 揉 み式・ 弓鑽式発火具は、使用時に火鑽板 に 2∼
3 kgの 圧力 を、煙が出てか らは 3∼ 4 kgの 圧力 をかけると発火すると言
う。 また、舞鑽式の場合、火鑽棒 の重量が150g前 後が よい と言 う。鋼鉄 は、 シ ヨアー硬度88程 度 で、塁、スパ ナー、小刀、
鋸 の背などで も代用で きるらしい。なお、小川貴司氏 の実験 によると、鉄なら何で も良いわけではない と言 う。
(3)深 津正氏は『燈用植物』 (1980)の
中で、海布 をヒノキに、海尊 をウツギに比定 している。
(4)高 嶋氏は、以下 の 6点 の理 由か ら舞鑽式 を否定 してい る。①長 さが大 きす ぎる。②弾み車が出土 してい ない。③ 出土例がほ
かにない。④弥生時代以降の各地 の低地 の出土例 を見 ると、鑽揉み式の火 きり杵 (棒 )が 出土 している。⑤鑽揉み式で十分
発火が可能である。⑥舞鑽式であったとして も、穿孔用の可能性がある。
(5)火 鑽具の 出土 は、弥生時代か ら中世 まで確認 されてい るが、古墳時代が とりわけ多 い。 これ らは、実用品か儀式用かは不明
である (小 川・ 1"6)。
(6)袖 ケ浦市の飽富(あ
きとみ)神 社 の筒粥神事 (千 葉県指定無形民俗文化財 )で 使用 される火鑽板 は ヒノキで、厚 さは約50∼
lCXlmmも あ り、なおかつ板 の中央に自を設定するが、 これは神事 による特例であろう。なお、火鑽棒 の規格は、長 さ約40cm、
棒 の先端 (摩 擦部)の 直径 は、約 15∼ 20mmで 、先端の方が太 くなっている (写 真 1・
2)。
(7)火 打鉄 は、古墳時代後期末か ら近世 にかけて出土する。古代は、住居跡、経塚、祭祀遺構、古墳か らの出土が多 く、中近世
になると、集落か城館か らの出土が多 くなる。なお、錠形 と短冊形は、近世になって出現 した と言 う。
(8)近 世における火打鉄 の生産地は、関東では、「上州吉井本家」 (江 戸後期
)、
関西では、「本家明珍」が有名であった (火 打石
研究会・2C101)。 なお、関西では、「火打鉄」、関東では、「火打鎌」 と呼んでいた と言 う。
(9)火 打鉄の規格 は、厚 さ 4mm前 後、長 さ40∼ 102mm、
幅 18∼ 415mmに 集中 してい る (鶴 見・1999)。
(10)平 安末期 は、経塚か らの出土例が多 く、 日光男体 山頂遺跡か ら130点 の一括資料が出土 してい る。 また、中世では、鎌倉市 の
若宮大路周辺遺跡 の ように透か しが入った装飾的な火打鉄 も出土 してい る。
(11)江 戸遺跡 の 出土例か ら、火打石 を分析す ると、購入時は50∼ 60gあ り、9g以 下になる と廃棄 されるが、3g以 下で も使 いやす
い物は使用 された と言 う (小 林・ 1993)。
(12)火 打石 は、鋼鉄片 を削る硬度65∼ 7の 石であれば種類 は問わない。例えば、黒曜石、石英、水品、 メノウ、ホル ンフェンス、
サヌカイ ト、花商岩、玄武岩、磁器などで も可能である。
「江戸 ノ火打 イシハ 、水戸 ノ白馬脳ナ リ」 とあ り、 また、「守貞漫稿 Jに 「撻石、京坂
(13)「 本草綱 目啓蒙Jの 「王火石」 の項 に、
ハ淡青 ノ石 ヲ用 ヒ、江戸 ニ テハ 白石 ヲ用 フ」 とあることか ら、江戸市中では、諸沢産 の 自石
ことがわかる。
―-357-―
(白
色石英)を 好んで使用 した
千葉県内出土の発火具 の集成 と様相
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財団法人千葉県文化財セ ンター
白
L
写真
1
袖 ケ浦市飽 富神社 の 筒粥神事 の火鑽
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写真 2
同
祭
―-361-―
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