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日本独文学会2007年春季研究発表会研究発表要旨
日 本 独 文 学 会 2007 年春季研究発表会 研 究 発 表 要 旨 2007 年 6 月 9 日(土)・10 日(日) 第 1 日 午前 10 時より 第 2 日 午前 10 時より 会場 東京大学・駒場 I キャンパス 目次 第1日 6月9日(土) 口頭発表:文学1 (14:30∼17:20)B 会場 … 1 司会:一條 麻美子、宮田 眞治 1. 2. 3. 4. 5. 資料から見るエンデの貨幣論 「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」の伝承と受容 アジアにおけるヘッセ受容 カフカにおける〈ユダヤ民族〉のテーマ: カフカとシオニズムの関係について フランツ・カフカの「ユダヤ民族ホーム」支援と リリー・ブラウン回想録 川村 和宏 山本 潤 竹岡 健一 中村 寿 高野 佳代 口頭発表:語学 (14:30∼16:45)C 会場 … 4 司会:幸田 薫、稲葉 治朗 1. drohen と versprechen の文法化 − 通時的データをもとに − 2. ドイツ語の感情を表す動詞に見られる 他動詞文と再帰文の分布について 3. Systematischer Wortschatzerwerb mit und ohne Computer: Effektivität durch die Berücksichtigung von Gedächtnismodellen 4. Besonderheiten der Partikelverben im Deutschen. Oder was ist bei Partikelverben anders als bei Präfixverben? 宮下 博幸 三宅 洋子 Markus Rude Gabriela Schmidt –i– 口頭発表:ドイツ語教育 (14:30∼16:45)D 会場 … 8 司会:田尻 三千夫、Dagmar Oswald 1. ドイツ語音声におけるスピーチリズム − 母語話者と 日本人学習者のドイツ語スピーチリズムの比較 − ドイツ語学習動機の変化 − ドイツ語圏への留学体験がもたらすもの − Die DDR als Thema im Deutschunterricht (DaF) Flash 語学教材の現状と開発 − より効果的なドイツ語の授業を目指して − 2. 3. 4. 安田 麗、林 良子 藤原 三枝子 Christian W. Spang 濱野 英巳 口頭発表:文化・社会1 (14:30∼17:20)E 会場 … 11 司会:川中子 義勝、大石 紀一郎 1. 18 世紀における「国語」としてのドイツ語へのステップ − 同時代の文法家・言語思想家の目を通して − 清水 朗 1940 年代後半から 50 年代におけるルクセンブルク語 正書法議論等にみる知識人の言語意識 小川 敦 伝記の発見で分かった最初のお雇いドイツ語教師 カデルリーの生涯 城岡 啓二 19 世紀後半から 20 世紀初頭におけるドイツ労災保険 思想の展開 ― エルンスト・エンゲルの企てを手がかりに ― 高岡 佑介 ムネモシュネーの術 − H. グレーツと 19 世紀ユダヤ歴史哲学 向井 直己 2. 3. 4. 5. ポスター発表 (14:30∼17:20)F 会場、G 会場 … 15 (ポスター発表は同時進行です) – ii – ・ 『CALL ドイツ語』(メディア教育開発センター) ― カスタマイズ可能な e ラーニング文法教材 ― 杉浦 謙介、Andreas Kasjan、細谷 行輝(F 会場) ・ Mißverständnisse bezüglich der lateinischen Schrift ― Mangelhafter Romaji-Schrifterwerb als mögliches Lernhindernis im DaF-Unterricht Elke Hayashi(G 会場) 第2日 6月10日(日) シンポジウム I(10:00∼13:00) B 会場 … 17 日本文化におけるドイツ文化受容 − 明治末から大正期を中心に Die Rezeption der deutschen Kultur in Japan – vom Ende der Meiji- bis Taishō-Zeit – 司会:依岡 隆児 1. 「パンの会」におけるドイツの影響 ― 「情調」を中心に ― 依岡 隆児 2. ホフマンスタール『エレクトラ』日本初演 (1913) をめぐって 関根 裕子 3. 異界の系譜 ― ハウプトマンと鏡花 ― 坂本 貴志 4. 柳田国男とドイツ・ロマン主義文学 佐谷 眞木人 5. 日本におけるハイネ受容の系譜 − 感傷詩人と政治詩人のはざまで ― 関口 裕昭 シンポジウム II(10:00∼13:00) C 会場 … 21 ブレヒト演劇における言語、身体、振舞 Sprache, Körper und Verhalten in Brechts Theater 司会: 高橋 宗五 – iii – 1. 2. 3. 4. 5. ガルガイとガルガ ― 『都会のジャングル』における アイデンティティをめぐる闘争― ラジオ実験としての教育劇『リンドバーグの飛行』 叙事演劇と寓意劇 − 寓意劇の舞台とはどのような演劇空間か − ブレヒトの俳優術論再考 ブレヒトを聴く/読む ― ハイナー・ゲッベルスの 音楽劇の試みを手がかりに ― 摂津 隆信 川島 隆 高橋 宗五 中島 裕昭 四ツ谷亮子 シンポジウム III(10:00∼13:00)D 会場 … 26 〈ドイツ語教育部会企画シンポジウム〉 職業教育としてのドイツ語教育−現状・課題・可能性− Deutsch als berufliche Qualifikation in Japan? 司会:相澤 啓一、吉満 たか子 基調講演: ドイツ語を駆使するプロフェッショナル達の育成を目指して − 独日英会議通訳者の視点 − 吉村 謙輔(中央大学) 1. 2. 3. ドイツ語翻訳者に求められる能力の分野別考察 在日ドイツ系企業におけるドイツ語:体験談を中心に もっと学生をしごいてほしい日本のドイツ語教育 Felix Einsel 岡 美保 坂本 明美 口頭発表:文学2/文化・社会2(10:00∼12:50)E 会場 … 31 司会:石光 泰夫、Gabriele Stumpp – iv – 1. ベル『そして何もいわなかった』試論、 住みえない世界から住みうる世界への転換点 2. Negative Utopie. Arno Schmidts Längeres Gedankenspiel über boshafte Dämonen, Hoffnungslosigkeit und Negativität 3. Streitgespräch mit dem Tod. Mittelalterliche Todesmotive in Thomas Manns ,,Fiorenza“ 4. Durch DaF-Unterricht Pioniere für Umweltschutz - Modelle für motivierenden DaF-Unterricht des 21. Jahrhunderts 5. 〈生〉の共同体 エーリヒ・ウンガーにおける「神話的民族」の概念 木本 伸 Arne Klawitter Eva Ottmer Michael Höhn 森田 團 ポスター発表 (10:00∼13:00)F 会場、G 会場 … 35 (ポスター発表は同時進行です) ・ 初修外国語学習者における学習チェックシートの試行 山川 和彦、瀬川 真由美、石村 喬、鈴木 克則、草本 晶 ・ 外国語学習環境における動画・音声配信教材の意味と機能 − podcasting を中心に − Multimedia-Abos und Fremdsprachenlernen − Lernende als Empfänger und Sender beim Podcasten 太田 達也、藁谷 郁美、Marco Raindl、江面 快晴 –v– A 会場= 900 番教室 第 1 日:総会、学会賞授賞式、Lesung、60 周年記念講演・シ ンポジウム B 会場= 5 号館 2 階 525 室 第 1 日:口頭発表:文学1;第 2 日:シンポジウム I C 会場= 5 号館 2 階 524 室 第 1 日:口頭発表:語学;第 2 日:シンポジウム II D 会場= 5 号館 2 階 523 室 第 1 日:口頭発表:ドイツ語教育;第 2 日:シンポジ ウム III E 会場= 5 号館 3 階 533 室 第 1 日:口頭発表:文化・社会1;第 2 日:口頭発表: 文学2/文化・社会2 F 会場= 5 号館 1 階 515 室 第 1 日:ポスター発表;第 2 日:ポスター発表 G 会場= 5 号館 1 階 516 室 第 1 日:ポスター発表;第 2 日:ポスター発表 H 会場= 5 号館 1 階 517 室 第 1 日: 「大学ドイツ語入試検討委員会」展示・発表; 第 2 日:同左 I 会場= 5 号館 1 階 518 室 第 1 日:ドイツ語教員養成・再研修講座;第 2 日:同左 – vi – 第1日 6月9日(土) 口頭発表:文学1 (14:30∼17:20)B 会場 司会:一條 麻美子、宮田 眞治 1.資料から見るエンデの貨幣論 川村 和宏 本発表では、 『鏡の中の鏡』や『鼠捕り男』に含まれるエンデの経済思想、特に その貨幣論成立の経緯について、長野県黒姫童話館に寄贈された書簡を中心とす る未公刊資料に基づいて検討する。 『鏡の中の鏡』(1984 年刊)においてエンデは、彼が「虚無からの価値創造」と 呼ぶ利子の問題を作中に描き込んでいるが、これは作品執筆当時に NWO 運動の 提唱者 S. ゲゼルの貨幣論に触れた影響によるものである。ゲゼルに関しては、国 民経済学者 W. オンケンとの往復書簡を通じて知ったものと思われる。 ゲゼルは、市場の活性化のために貨幣から利子を排除すべきであると論じたが、 J. M. ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』 (1936 年刊)の中でその利 子論の矛盾点を指摘している。それでもエンデの描写がゲゼルの貨幣観をほぼ踏 襲しているのは、R. シュタイナーの社会三層化思想に基づき現代経済を問題視し ていたからである。しかし、この時点ではエンデはまだ貨幣と利子が不可分であ る現状への「実行可能な解決策」を見いだせてはいない。 一方、晩年の作品『鼠捕り男』(1993 年刊)には、エンデが書簡中で「貨幣の 黒魔術」と表現した利子論が、 「文学・芸術的な形式に置き換え」た形で再び登場 する。そこには明らかに貨幣論と錬金術思想を関連づける意図が込められている が、これは H. Ch. ビンスヴァンガー著『貨幣と魔術』 (1985 年刊)の触発による ものであると考えられる。その経緯も未公刊書簡から読み取ることができる。 2. 「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」の伝承と受容 山本 潤 「ニーベルンゲンの歌」と「哀歌」は、僅かな例外を除いて常に結び合わされ、 時系列的に連続した、内容においても相互補完的な複合叙事詩として伝承されて –1– いる。しかし、こうした伝承上の強固な結びつきに反して、前者が口承文芸的な 特徴を有するのに対し、後者は逆に書記文芸との親近性を示しているなど、両叙 事詩は正反対の特徴を備える作品同士でもある。すなわちこの伝承形態は、二つ の異なる力点を持つ作品を一個の単位のうちに並存させる特異なものといえるが、 Bumke は「ニーベルンゲンの歌」から「哀歌」への移行部分に注目し、同箇所の 分析から写本ごとのテクスト収録に際するコンセプトの解釈を試み、この伝承形 態に対する研究に先鞭をつけた。 作品全体へと対象を拡大し、各写本におけるテクスト収録方法を検証してみる と、写本 A 及び B では作品の形式に対する収録方法上の揺れが見受けられ、特に 写本 A では初め、「ニーベルンゲンの歌」の詩節形式が認識されていなかった可 能性があることや、また写本 C が積極的に視覚面からの両叙事詩の有機的結合を 試みているのに対し、さらに時代が下った写本 D や J では両叙事詩の形式上の差 異が明確に示されており、写本 C で意図されたと思しき視覚的均一化は、引き継 がれなかったことなどが明らかとなる。本発表はこうした写本ごとの収録方法を 分析し、この複合叙事詩に対する同時代の認識を探るものである。 3.アジアにおけるヘッセ受容 竹岡 健一 ドイツ語圏の作家の中でもヘッセが日本で特に幅広く受容されている一因とし て、作品の「東洋的」な側面があげられる。つまり、仏教や古代中国哲学などと の思想的な近親性である。ところが、日本のヘッセ研究は、そうした思想の源泉 となっている、ないしはそれを共有する国々、つまり「東洋」そのものに対して、 従来ほとんど関心を払ってこなかった。 そこで、本発表では、日本以外のアジア諸国におけるヘッセ受容へと目を向け てみたい。中心となるのは韓国であるが、中国と台湾についても補足的に取り上 げる。具体的な内容は、受容の全般的な状況や歴史、翻訳の種類や数、研究論文 のテーマ、学界の動向、教育やメディアでの取り扱いなどである。また、これら に基づいて、日本における受容の経緯も考慮しながら、アジアの国々のヘッセ受 容に見られる共通点や相互関係、相違点や問題点などについて跡づける。 最後に、以上の考察を踏まえ、アジア諸国のヘッセ受容に目を開くことは、それ 自体興味深いだけでなく、日本のヘッセ研究の位置づけや特殊性を再認識し、複 –2– 眼的な視野を備えた異文化研究としての要素を取り込む契機となるのだというこ とを説明したい。 4.カフカにおける〈ユダヤ民族〉のテーマ:カフカとシオニズム の関係について 中村 寿 離散ユダヤ人というコンテクストに注目して、カフカ (1883 − 1924) のテクスト が語る意味を再検討してみたい。カフカは複数民族が混在するかつてのプラハの 混成的な環境を共有していたが、中流のユダヤ人子弟としてオーストリア社会へ の参入が要請されていたために、オーストリア・ドイツ文化に対して積極的に同 化していた。しかし、カフカには同化ユダヤ人以外のユダヤ人との接触がなかっ たわけではない。1911 年 10 月から東方ユダヤのイディッシュ語劇団がプラハを訪 問し、カフカは劇団の役者を通じて東方ユダヤの習俗を知り、後にその体験を通 じて父親から譲られたユダヤ教を相対化することに成功している。カフカと東方 ユダヤ人との出会いはこれ限りではなく、彼は第一次世界大戦中に、戦場となっ たガリツィアから避難民としてプラハに逃れてきた東方ユダヤ人と接触した。彼 にとって、この東方ユダヤ人の避難民との出会いは、 〈ユダヤ民族〉のテーマに取 り組むきっかけを与えたできごとであり、この経験を経て 1916 年以降に書かれた カフカの散文テクストにおいては、 〈ユダヤ民族〉のテーマがより顕在的に語られ ることになる。本発表では、1917 年に執筆された散文テクスト『ジャッカルとア ラビア人』、『万里の長城』二編を題材とし、そこで〈ユダヤ民族〉のテーマ、特 にユダヤ人は国家を建設すべきか、それとも離散に生きるべきであるかというシ オニズムに関する議論が展開されているという事実を読み取ってゆく。そしてシ オニズムという離散ユダヤのコンテクストを踏まえた上でこの二編の散文テクス トを読み解いてゆくと、このテクストからは、カフカ自身がシオニズムに対して 抱いた賛否両論の見解を明かすことによって、彼とシオニズムとの関係について 語っているという意味を導き出すことができるのである。 –3– 5.フランツ・カフカの「ユダヤ民族ホーム」支援とリリー・ブラ ウン回想録 高野 佳代 フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)は、かつての婚約者フェリーツェ バウアーが、東方ユダヤ難民を収容し教育を施す「民族ホーム(Volksheim)」で ヘルパーとして働くのを熱心に支援した。これを M・ブロートはカフカの「実践 的シオニズム」と位置づけている。その際、カフカはリリー・ブラウンの著作『あ る女性社会主義者の回想』をフェリーツェに読ませて、 「自己犠牲」的に他人に奉 仕することを促した。ここから、彼の女性観および男性性をめぐる問題を考察す る。カフカにおけるジェンダーの問題は、従来からもユダヤ・アイデンティティ との関係で考察されてきたが、そこに同時代の女性解放運動との接点という視点 を導入し、カフカの女性観の歴史的位相を探る。 ブラウン回想録へのカフカの関心は、近代市民社会における家族制度への批判 に根差しているだけではなく、近代家族的なものへの郷愁をも示している。なぜ なら、ブラウンは女性の社会進出を擁護する一方、 「母親」という伝統的なジェン ダー役割を絶対化するがゆえに、男女の性別役割分業という近代家族の枠組みを 一面では容認してしまっているからである。カフカは、フェリーツェの労働によっ て「我が身を養う」という理想を述べている。それは、シオニストの手になる民族 ホームの体制を借りて、女性の「自己犠牲」的献身によって自身の男性性を保ち、 近代家族の根幹をなす異性愛体制を維持しようとする企てだったと考えられる。 口頭発表:語学 (14:30∼16:45)C 会場 司会:幸田 薫、稲葉 治朗 1.drohen と versprechen の文法化 − 通時的データをも とに − 宮下 博幸 drohen と versprechen には (1a)(2a) の用法と並んで,(1b)(2b) のような助動 詞的な用法がある。 –4– (1) a. Der Chef drohte ihm, ihn zu entlassen. b. Die Mauer drohte einzustürzen. (2) a. Er versprach ihr, früher nach Hause zu kommen. b. Das Mädchen verspricht schön zu werden. (1b) と (2b) ではそれぞれ悪いもしくは良いことが起こりそうだという意味が表 される。これらの助動詞的な用法が,本動詞の用法からどのように生じたのかが 本発表のテーマである。 上の動詞の文法化を扱った研究には Heine/Miyashita (2004),Gunkel (2000), Kokutani (2004) などがある。しかしこれらはどれも共時的データに基づくもの で,この文法化が実際にどのような過程を経たのかは,歴史的データにより検討 する必要がある。そのためグリムドイツ語辞典に含まれる両動詞の全用例を調査 した。その結果,統語的には本動詞に近いが,意味的には助動詞的な用法に近い タイプが文法化に重要な役割を果たしていることがわかった。このタイプは助動 詞的な用法以前に存在しており,この段階を経て,17 世紀頃から次第に助動詞的 な用法が発達していった。また助動詞的意味の発達には,メタファーとメトニミー の認知メカニズムが関わったと考えられる。 2.ドイツ語の感情を表す動詞に見られる他動詞文と再帰文の分布 について 三宅 洋子 人間の感情(喜び、怒り、驚き、羞恥、愛憎)を表す動詞(以下「感情動詞」) には、感情の担い手が 4 格目的語で現れる用法 (1a) と,1 格で現れる再帰文の用 法 (1b) が見られる。 (1) a. Das verwunderte mich gar nicht. b. Sie verwunderte sich über sein Benehmen. この例のように、他動詞文と再帰文はある感情動詞のもとにペアとして現われる ことが多い。しかし、ある種の感情動詞には(2)のように再帰文のみが現れ、逆 にある感情動詞には(3)のように他動詞文しか見られないという現象も見られ る。 (2) Sie schämte sich ein wenig (*Das schämte sie ein wenig) (3) Das überraschte mich (*Sie überraschte sich) –5– 本発表の目的は、感情動詞に見られる他動詞文と再帰文との現れ方を、意味論 的な立場から説明しようとするものである。 本発表ではまず Hopper&Thompson (1980) などの主張する意味的な他動性のプ ロトタイプにより、感情の担い手を 4 格目的語で表す他動詞がスカラー化される ことを示す。そしてこのスカラーにおいて他動性の高いと位置づけられる動詞に は再帰文では現れないことを示す。この他動性の度合いは、そもそも動詞によっ て表されるそれぞれの感情の意味内容、つまり、 「喜び」、 「羞恥」、 「驚き」といっ た感情の様態に基づくものであり、感情の様態と再帰文、他動詞文という統語形 式の間には、整合性があることを主張する。 3. Systematischer Wortschatzerwerb mit und ohne Computer: Effektivität durch die Berücksichtigung von Gedächtnismodellen Markus Rude Häufig gibt es bei DaF-Lernenden in Japan erhebliche Mängel im Grundwortschatzbereich. Dagegen mangelte es noch nie an Vorschlägen, wie Wortschatzarbeit zu bewerkstelligen sei. In diesem Vortrag sollen verschiedene Möglichkeiten des systematischen Wortschatzerwerbs vorgestellt werden, denn Wortschatzerwerb stellt ein elementares Element im Fremdspracherwerb dar [BUTZKAMM, NATION, MEARA]. So gibt es zunehmend Computerprogramme − auch im Freeware-Bereich − mit denen fremdsprachliche Strukturen (Vokabeln etc.) systematisch wiederholt werden können. Und es gibt natürlich auch herkömmliche Möglichkeiten, die die Medien Papier und Karton nutzen [LEITNER]. Ausgehend von Gedächtnismodellen, insbesondere zu unserem mentalen Lexikon [AITCHISON] und zum Prozess des Vergessens [EBBINGHAUS], sollen diese verschiedenen Möglichkeiten vorgestellt und anhand eines Kriterienkatalogs miteinander verglichen werden. Zwei der software-basierten Möglichkeiten, die OpenSource-Entwicklung jMemorize [DJEMILI] und eine prototypische Eigenentwicklung, werden dabei genauer betrachtet, wie zum Beispiel verwendete Zeitpläne des Wiederholens oder erzielbare Lernkurven. –6– Die Thesen dieses Vortrags lauten, dass erstens effektive Systeme zum Wortschatzerwerb zur Verfügung stehen, die viele Soll-Kriterien [BAYERLEIN] erfüllen; zweitens, dass diese Systeme im DaF-Kontext in Japan praktikabel und vermittelbar sind; und drittens, dass diese Systeme allein noch keinen Lernerfolg garantieren, sondern dass eine gute Vernetzung und Abrufbarkeit des Wortschatzes zusätzliche Maßnahmen erfordern. Eine Beschreibung von Wunsch-Kriterien für zukünftige Lernsysteme beschließt den Vortrag. 4. Besonderheiten der Partikelverben im Deutschen. Oder was ist bei Partikelverben anders als bei Präfixverben? Gabriela Schmidt Partikelverben (án-kommen, áb-fahren, wég-gehen; áuf-stehen Englisch to get úp, Niederländisch óp-staan) zeichnen sich durch einen vorderen, trennbaren Teil (Verbpartikel) aus, der den Akzent trägt. Sie werden morphologisch zu den Präfixverben gestellt (begı́nnen, verspréchen) und verhalten sich syntaktisch wie Verbalgruppen aus Hilfsverb und Vollverb bzw. Funktionsverbgefüge (gekómmen sein, lérnen müssen, in Gáng kommen). Neuere Studien fassen sie als Phraseme auf. Einige dieser Partikel werden auch in Kopula-Konstruktionen (Das Licht ist áus.) sowie in Ellipsen gebraucht (Lós! Áb ins Bett!). Partikelverben stehen in gewisser Hinsicht dazwischen. Ihr trennbarer Teil ähnelt Präpositionen, wird aber adverbial gebraucht: ,,Jetzt aber réin!“ (< hinein-gehen) ist eine Satz-Ellipse, *Jetzt aber in! mit Präposition ist jedoch ungrammatisch. Dieser singuläre Gebrauch ist eines der Kriterien, durch die die Verbpartikel differenziert werden können. Es kann damit gezeigt werden, dass diese trennbaren Verbbestandteile eine semantisch-pragmatische Funktion haben können. Weitere Thesen zur Klassifierzung sind: ,,Ab“ gehört wahrscheinlich zwei Wortarten an. Es gibt also eine Präposition ,,ab“ und ein Adverbial ,,ab“; der trennbare Verbteil trägt immer den Akzent. Er muss daher mit der Akzentstruktur anderer Verbalgruppen verglichen werden; Verbpartikel bilden wahrscheinlich keine einheitliche, morphologische Gruppe. Eine mögliche Differenzierung wäre: selbständige Adverbiale (ab, weg), kombinierbare Adverbiale (her, hin, da) und unselbständige Verbpartikel (bei, ein-). –7– 口頭発表:ドイツ語教育 (14:30∼16:45)D 会場 司会:田尻 三千夫、Dagmar Oswald 1.ドイツ語音声におけるスピーチリズム−母語話者と日本人学習 者のドイツ語スピーチリズムの比較− 安田 麗、林 良子 本発表では、 「より自然なドイツ語スピーチリズムを習得するためには、どのよ うな学習を行うべきか」という問題について、実験音声学的観点より分析した結 果を報告する。各言語には特有のリズムがあり、伝統的にドイツ語は stress-timed rhythm (強勢主導リズム)、日本語は syllable-timed rhythm (音節主導リズム) の 言語であると言われている。外国語学習において母語のリズムが干渉するため、 目標言語のリズム習得を困難にしていると言われている。しかし、学習者のリズ ムを定量的に記述した研究、特にドイツ語を目標言語とした実証的研究はあまり 見当たらない。 このため、本発表では言語リズムを分類する指標として提案された PVI (Pairwise Variability Index、Grabe, 1999) を用い、ドイツ語母語話者と日本人ドイツ語学習 者の読み上げ文音声を分析した。その結果、ドイツ語学習者の音声は PVI 値が小 さく、音節主導リズムであり、ドイツ語母語話者の PVI 値が大きく、強勢主導リ ズムであるという点と異なっていることが分かった。また、話速に関しても、ド イツ語学習者は母語話者に比べて非常に遅かった。これは、一つ一つの語を区切 るようにして読む日本語リズムの干渉と考えられた。 2.ドイツ語学習動機の変化 − ドイツ語圏への留学体験がもた らすもの − 藤原三枝子 ドイツ語圏に一年以内の短期留学をした学生を対象に、留学体験によってドイ ツ語学習の動機づけがどのように変化するかを探ることにより、留学とドイツ語 学習動機との関連性を明らかにしょうとするものである。ドイツ語専修学生を対 象に実施した量的および自由記述質問紙による調査の結果、留学体験のある学生 –8– たちの学習意欲が留学を通じて強化されたことが確認された。この結果に基づき、 本発表は、短期留学によって動機づけの種類がどのように変化するかということ を、インタビュー法によって質的に調査した事例研究である。留学と動機づけの 変化についての調査研究は少なく、とりわけ、日本人大学生のドイツ語圏への留 学と学習動機との関連性についてのものは少ない。また、これまでの動機づけ研 究では量的なアプローチが採られることが圧倒的に多かったが、動機は、個人が 置かれた社会的文化的な影響を受けると同時に、学習者自身のもつ内的要因と切 り離して考えられない以上、動機のダイナミズムを解明する質的なアプローチが 必要である。 本調査では、ドイツ語学習自体に対する興味という内発的動機よりも、むしろ 自己決定度の低い外発的なものから学習を開始した学生たちの動機づけが、留学 体験により、 「相互作用」 「他者と対話する意思」 「国際性」等の内発的動機や外発 的なものでも自己決定度の高い動機に変化していったことが確認された。しかし、 英語や日本語教育の調査で確認されるような、就職するために学習するといった 道具的動機はそれほど強化されない結果となった。Dornyei (2001) が指摘したよ うに、 「どこで」 「誰が」 「どの言語を」学習するのかによって動機づけは異なるの であれば、ドイツ語学習状況での調査研究を量的にも質的にも蓄積していく必要 がある。 3. Die DDR als Thema im Deutschunterricht (DaF) Christian W. Spang Vorbemerkung: 2005 veranstaltete der DAAD in Naruto ein Lektorenfachseminar zur Behandlung historischer Themen im DaF-Unterricht und 2006 in Berlin ein Kolloquium zur interkulturellen Erinnerungsarbeit. Angeregt durch diese Veranstaltungen, möchte ich mich mit der Didaktisierung des Themas ,,DDR“ im Rahmen eines Seminars an der Sophia Universität beschäftigen. Kursverlauf: Im Sommersemester wurden durch Lektüre, Unterrichtsgespräche und personenbezogene Referate die historischen Grundlagen erarbeitet. Durch regelmäßige Rechercheaufträge im Internet, konnten die Hemmungen der Lernenden abgebaut werden, deutsche Homepages zu verwenden. Im Wintersemester musste Jede(r) einen Bericht des ARD-Magazins ,,Kontraste“ im Rahmen einer selbst gestalteten 45-minütigen Unterrichtseinheit so didaktisieren, dass die Anderen den Bericht verstehen konnten. Die beiden Referent(inn)en, die gemeinsam –9– eine Unterrichtsstunde bestritten, arbeiteten jeweils eng zusammen, so dass eine eigenständige Unterrichtsgestaltung erreicht werden konnte. Internet: Die Lernenden surfen zwar regelmäßig im Internet, aber es fehlt Vielen an Erfahrung im Umgang mit deutschsprachigen Homepages. Hier sollten besonders die muttersprachlichen Lehrkräfte ansetzen und den Student(innen) die nötige Unterstützung zukommen lassen. Ich möchte hier eine im Zuge der Kursarbeit erstellte und von den Lernenden wöchentlich ergänzte Liste überwiegend deutschsprachiger URLs zur DDR sowie einige relevante Homepages vorstellen. Links: ・ DAAD-Lektorenfachseminar 2005: http://www.deutsch-in-japan.de/lektorenfachseminar-2005/index.php ・ DAAD-Kolloquium 2006: http://www.deutsch-in-japan.de/lektorenrundbrief/rdbrief29.html#berlin ・ Kontraste ,,Auf den Spuren einer Diktatur“: http://www.bpb.de/themen/JIRGFC,0,0,Kontraste_Auf_den_Spuren_ einer_Diktatur_.html 4.Flash 語学教材の現状と開発 −より効果的なドイツ語の授業 を目指して− 濱野 英巳 近年のドイツ語のコマ数減に伴い、教師はこれまで以上に限られた時間内で最 大限の効果を上げることが求められている。その際に CALL 教材の利用(必ずし も CALL 教室の利用は想定していない)は大変に有効であるが、より効果的な授 業運営の為には、従来の自習を主目的とした CALL 教材ではなく、教師自らが授 業内容に応じた教材を用意する必要があるだろう。しかしながら、専任のコンテ ンツ開発者、プログラマを置く大学が未だごく少数であることを考えれば、個人 での教材開発はあまりにも負担が大きいというのもまた事実である。発表者は過 去 3 年に渡り、複数の大学で自作の Flash 語学教材を用いて授業を運営して来た が、それらの教材は必ずしも高度な機能や複雑なアニメーションを備えたもので はない。むしろ重要なのは限られた時間の中で教師の意図が十分に反映された教 材を作成することにあると考えるからである。本発表では (1) 従来の CALL 教材、 及びオーサリングツールの概観、(2)CALL 教材作成ソフトとしての Flash の長所 – 10 – と短所、(3)Flash 語学教材の作成方法と授業の運用方法、についてを主に扱うが、 併せて、個々の教師が作成した教材をテンプレート化、データベース化すること でのドイツ語教師間の連携についても提案ができればと考えている。 口頭発表:文化・社会1(14:30∼17:20)E 会場 司会:川中子 義勝、大石 紀一郎 1.18 世紀における「国語」としてのドイツ語へのステップ − 同時代の文法家・言語思想家の目を通して − 清水 朗 ドイツ語の規範化・標準化への試みが組織的な形で始まるのは 17 世紀の「実り を結ぶ会」を中心とする「言語協会」によってだと言えるが、同世紀末にはそれ とは独立に哲学者ライプニッツもラテン語のように学術の使用に耐えるドイツ語 形成への提言を行っている。 18 世紀はこうした 17 世紀における試みを踏まえた上で、有力な文法家・言語 思想家がより深められ、具体化された形の「標準ドイツ語」を提案した時代だっ た。同世紀前半にはライプニッツ大学教授でフランスを範とした文学理論をもう ち立てたゴットシェートが啓蒙主義・合理主義の思想的基盤に立つ規範的ドイツ 語を提唱し、その影響はドイツ北部・中部のみならず南部にも浸透する。また同 世紀後半にアーデルングはその文法書や辞書を通じ「上流階級の上部ザクセン方 言」を範としたドイツ語を目指し、ドイツ古典主義の文豪ゲーテ、シラーにも重 視されることになる。 しかし、ある言語が「国語」であろうとすれば、それには必然的に国民国家と しての「ドイツ国 (Die deutsche Nation)」が前提とならざるを得ない。その意味 で、 「民族=言語共同体」のシェーマをうち出したヘルダーは、実体としての「ド イツ国」成立に一世紀近く先立ちながらも、その新たな Volk という言葉の定義 により、近代的「国語」の概念を − 間接的ながらも − 初めて提唱した人物だと 言える。 – 11 – 2.1940 年代後半から 50 年代におけるルクセンブルク語正書法 議論等にみる知識人の言語意識 小川 敦 現在のルクセンブルクでは、モーゼル・フランケン方言の一つであり民衆語で あるルクセンブルク語、そしてフランス語、ドイツ語の三言語が、それぞれ機能 分化しながら用いられている。第二次世界大戦期のナチス・ドイツによる支配を 通じたナショナリズムの高揚の中で、ルクセンブルク語はドイツ語の一方言では なく独自の言語として認識されるようになり、それ以後国民意識と言語意識は切 り離せないものとなった。 ルクセンブルク語は慣習的にドイツ語的に綴られていた。しかし、第二次世界 大戦後の反ドイツ感情の高まりから、ルクセンブルク語を英語的に綴ることで、ド イツ語とは異なることを視覚的に主張する新正書法が、1946 年に出された。とこ ろがルクセンブルク語には規範がなく、民衆もルクセンブルク語の読み書きに慣 れていないため、この正書法は受け入れられず、結果的に失敗に終わった。1948 年、混乱を収拾するためにルクセンブルク語辞典委員会(Wörterbuchkommission) が言語学者らによって組織され、1950 年から刊行されるルクセンブルク語辞典 (Luxemburger Wörterbuch)の中でドイツ語的な綴りをする正書法を示すことで 決着がついた。ただし、この辞典は書き言葉としての使用を推進するために規範 を示すというよりも、言語学的・方言学的な記述に重心が置かれたものであった。 本発表では、特に正書法改革の流れの中で書き言葉としてのルクセンブルク語 の使用について、辞典委員会のメンバーらに代表される 1940 年代後半から 50 年 代の言語学者の考え方を整理し、考察したい。 3.伝記の発見で分かった最初のお雇いドイツ語教師 カデルリーの生涯 城岡 啓二 仏人ガローが明治 2 年 5 月に独逸学と文学の教師になったという間違った記述 も文部省年報(明治 6 年)に見られるが、カデルリーが最初のお雇い教師である。 カデルリーは大学南校でドイツ語を教え、有名な『文典』を出版しているが、経 歴や年齢など不明なことが多かった。 – 12 – 『スイス歴史事典』にカデルリーらしき人物の記載がある。19 世紀末に「世界 旅行家」の伝記が故郷へ送った手紙などをもとに死後に書かれていた。経歴詐称 的傾向はあるが、日本側資料などと基本的に一致しているので、カデルリーであ ることは間違いない。伝記が明らかにしたことは多いが、お雇い教師としての正 確な採用時期や南校を満期になり、再任がなかった理由については触れていない。 『公文録』や『太政類典』を調査すると、雇い止め直前から始まる南校との争い が記録されていた。 『文典』の無断出版に対する抗議なら故山岸光宣氏が触れたこ とがあるが、それとは別の争いが基本にあったようである。カデルリーは契約書 の職務以上の働きをした「熱心で、優秀な」教師だったのだが、解雇が決まって から、その分の報酬をスイス領事を通して要求したのである。採用された当初は 英語を教えていたことや加藤弘之や司馬凌海にドイツ語の個人レッスンをしたこ とにも触れている。カデルリーを非難するフルベッキの長文の見解もあり、様々 な情報を読み取ることができる。 4.19 世紀後半から 20 世紀初頭におけるドイツ労災保険思想 の展開 ― エルンスト・エンゲルの企てを手がかりに ― 高岡 佑介 本発表の目的は,産業社会におけるリスクの統治という観点から労災保険に焦 点をあて,そうした安全確保のシステムの中で統計学が果たした機能を考察する ことである。 ウルリヒ・ベックの時代区分に従えば,19 世紀後半は産業社会が進展した段階 として位置づけられる。この時期には,とりわけ都市部において,機械労働に伴っ て生じる事故などの現象が問題化していた。こうした危険現象は人間の生産活動 に付随してある程度の規則性と範囲の偏りを伴って発生することから,計算・予 測・制御可能な危険, 「リスク」として捉えられる。そうした事態に由来する人々 の危険意識の高まりは,保険と呼ばれる補償実践の要請につながる。 ここで統計に代表される数量化の技術が重要な役割をもつだろう。というのも, 危険は人々の意識と相関して存在するからだ。すなわち,リスクはその存在感を 知覚可能性や専門知による説明・定義に依存する。統計学は,一方でリスクを可 視化するための表現媒体(例えば政府刊行物に載せられた統計資料)として,他 方で危険現象の発生率を計算,予測してリスクに備えるための礎として大きな役 割を果たしたと考えられる。 – 13 – ここでは考察の手がかりとしてエルンスト・エンゲル (1821-1896) に焦点をあ てる。プロイセン統計局長として,統計学者の育成とともに社会改良に取り組ん だ彼の試みは,本発表の目的にとって重要な意義をもつだろう。主な資料として, 同局機関紙『プロイセン王国統計局雑誌』上のエンゲルのテクストを参照する。 5.ムネモシュネーの術 − H. グレーツと 19 世紀ユダヤ歴史哲学 向井 直己 本発表は学的ユダヤ史の大成者とされる H. グレーツ (1817-1891) が、そのユダ ヤ史のプログラムとして記した「ユダヤ史の構成――ひとつのスケッチ」(1846) を取り上げる。このテクストを手がかりに、19 世紀のユダヤ史家が抱いていた歴 史意識を浮き彫りにすることが本発表の目標となる。 19 世紀のユダヤ史家に関する言説のなかでは、G. ショーレムによる「敗北」と の否定的評価が日本でもよく知られている。この評価は一面では妥当なものであ るが、一方では 18-19 世紀のハスカラ (ユダヤ啓蒙) やユダヤ人解放の流れを、単 線的な「同化 Assimilation」の運動として割り切ってしまうものでもあった。近 年では、当時のドイツ-ユダヤ共同体内部の変容を要素相互のより複雑な関係のも とに捉えようとする研究が主流であり、この流れのなかで、対象テクストも 2000 年に N. レーマーによる注解つきで再刊されている。 今改めてこのテクストに触れるなら、当時のユダヤ史家の意識がショーレムに 評されるほど単純なものでないことは容易に理解できるだろう。本発表ではこの 意識をとくに ”ムネモシュネーの術 ”というグレーツの印象的な表現にひきつけ、 すでに存在しないものに向けられた、物静かな思考の営みとして解釈したい。彼 あるいは彼等にとって、歴史の記述はあったことの記述であるだけでなく、また どこにもなかったものへの追想でもあった。 – 14 – ポスター発表 (14:30∼17:30) F 会場: 『CALL ドイツ語』(メディア教育開発センター) ― カスタマイズ可能な e ラーニング文法教材 ― 杉浦 謙介、Andreas Kasjan、細谷 行輝 2006 年 12 月にメディア教育開発センターからドイツ語 CALL 教材『CALL ド イツ語』が出された。制作したのは、外国語 CU プロジェクト (代表:伊藤直哉、 システム担当:細谷行輝、ドイツ語教材 WG:岡野進 [代表]、杉浦謙介、阿部吉 雄、Andreas KASJAN) である。この教材を用いた新しい e ラーニングの方法が 研究対象である。 ドイツ語 CALL 教材は、すでにいくつも世に出ている。しかし、日本のドイツ 語教育の現場で、初級文法を体系的に教えるための CALL 教材は少ないし、教員 が自分の授業用に簡単にカスタマイズできる教材も少ない。 『CALL ドイツ語』は、 「講義」 ・ 「練習」 ・ 「テスト」および「ビデオスキット」によって、文法事項を体系 的に学んでいく。また、ここから教材パーツを取り出して、独自の教材に作りか えたり、別の教材と関連づけたりすることができる。 『CALL ドイツ語』は、初級文法の体系的学習に焦点をあて、再編集が容易な 教材である。すべての素材ファイル (HTML ファイル、XML ファイル、MP3 ファ イル、SWF ファイル) は、個別に取り出すこともできるし、その文字データを書 き換えることもできる。教員が自分の授業に合わせて柔軟にカスタマイズするこ とが可能である。これによって、それぞれの学習環境に適合したドイツ語初級文 法の e ラーニングを実施することができる。 – 15 – G 会場: Mißverständnisse bezüglich der lateinischen Schrift ― Mangelhafter Romaji-Schrifterwerb als mögliches Lernhindernis im DaF-Unterricht Elke Hayashi Der Einfluss des (amerikanischen) Englisch, der in Japan zuerst erlernten Fremdsprache, auf den DaF-Unterricht in den Bereichen Rechtschreibung, Grammatik und Aussprache werden als hinlänglich bekannt vorausgesetzt. Aus unserer Sicht stellt im DaF-Unterricht jedoch außer dem Schreiben im Sinne von Rechtschreiben auch das Schreiben im Sinne von handschriftlichem Schreiben und Schriften-Lesen für japanische Lerner ein Lernhindernis dar. Unkorrektes Schreiben aufgrund mangelnden systematischen Schrifterwerbs führt, wie Wissenschaftler in Lateinschrift-Ländern nachgewiesen haben, auch in der Muttersprache zu Lernschwierigkeiten, zum Beispiel im Bereich der Rechtschreibung oder der Grammatikanalyse, beispielsweise, wenn Groß- und Kleinschreibung nicht korrekt erkannt werden (Weinert/Simons/Essing 1966; BERGK 1987; ROBER-SIEKMEYER 1997). Wir vertreten die These, dass beim Fremdsprachenerwerb dieses Lehr- bzw. Lerndefizit bezüglich der korrekten Schreibweise einzelner Buchstaben fehlerhaftes Erkennen der Buchstaben(folgen) bewirkt. Insbesondere die Handschrift der Lehrkraft stellt eine erhebliche Hürde dar, selbst wenn mit Druck-, statt mit der im deutschsprachigen Raum in der Erwachsenenschrift üblichen Schreibschrift geschrieben wird. Wir gehen des weiteren davon aus, dass beides schließlich negative Folgen für die Aussprache hat, da das falsch Gelesene so falsch memoriert wird. Der Teufelskreis schlie.t sich, wenn der Lerner schließlich selbst etwas schriftlich formulieren möchte, weil aufgrund der unpräzisen Lesegewohnheit eine unbewusste Verwirrung eintritt, was die Schreibweise einzelner Buchstaben(folgen) betrifft. – 16 – 第2日 6月10日(日) シンポジウム I (10:00∼13:00)B 会場 日本文化におけるドイツ文化受容―明治末から大正期を中心に Die Rezeption der deutschen Kultur in Japan – vom Ende der Meiji- bis Taishô-Zeit – 依岡 隆児 当シンポジウムは日本文化におけるドイツ文化受容を扱い、特に、明治末から 大正期にかけての受容が、ドイツとの同質性の確認から、自らのうちに潜在する ものの発現を促し、日本近代文化の生成に影響を与えたということを問題とする。 明治末から大正期は、国力も増大し、国際的存在感も増すなか、西洋近代の影 響を自明のこととして受け入れる作家が台頭する時期である。それがコスモポリ タン的文化主義を生み、その前衛性を継承・発展させていく一方で、その近代性自 体が日本的なるものとの親和性を持ち、その発現を促し、日本回帰や後のナショ ナリズムへとつながる側面も有していた。その際、日本は特に、ドイツ文化に自 らの内に潜在する傾向との同質性を見て取り、そこからその志向性を強調し、と きにそれを制度化していったと考えられる。日本文化をドイツ文化からの影響と いう視点で見ることで、文化を超えて連動する同時代の文芸潮流を理解すること も可能となる。 先行研究としては、文化交流史的アプローチでは、モダニズムはドイツから日 本へという方向でのみ論じられがちで、その日本的展開や日本性の発現という点 は弱い。また、比較文学的アプローチでは、西洋と東洋の相互影響関係にも触れ るし、個別作家に関する研究蓄積もあるが、それぞれの文化の独自性が自明視さ れがちである。それに対して、ドイツへの日本文化の影響を論じたとはいえ、デ ランクやシュスターの研究は、ドイツの前衛芸術の日本の伝統文化への親近感を 指摘しており、示唆的である。また、最近のモダニズム研究やナショナリティ研 究などでも、文化自体がナショナリズムを生み出す側面を持つこと、伝統と近代 性、あるいは文化と政治の共犯関係が分析の対象となっている(鈴木貞美)。た だ、この方面での日独関係での研究は、美術中心のものはあるし、 「日本における – 17 – ドイツ年」を契機に、日本とドイツの文化の連動性が話題とはなったが、未だ不 十分である。そこで、本シンポジウムは、こうした相互連動性に注目した比較文 学的なモダニズム研究の動向を踏まえ、手薄とされるドイツから日本への文化受 容を考察していく。 個別発表においては、ほぼ時代順に明治末から大正、昭和初期へ、という流れ で、日本の象徴主義・印象主義受容における特徴と日独の間の親和性、さらには 日本的なるものの顕在化のあり様の考察(依岡、関根)、そして、ロマン主義を媒 介とする日独の文学・民俗学で共有される土着的・異界的なものへの志向性の発 現の比較検討(坂本、佐谷)、最後に、ドイツ文学受容からあぶりだされる日本近 代の中の、相矛盾する潜在的傾向の検証(関口)をする。 こうした研究には学際的アプローチが不可欠である。そこで、ここに日本文学 の専門家にも参加を求めた。こうした試みが、「ドイツ文学」という閉鎖された ディシプリンを開くきっかけとなれば幸いである。 1. 「パンの会」におけるドイツの影響 −「情調」を中心に − 依岡 隆児 明治末に生れた「パンの会」におけるドイツからの影響を、特に、当時の文芸 思潮を融合する「情調」という概念を取り出し検証する。 この会を主催した木下杢太郎らは、世紀転換期からのドイツ文化の影響を強く 受けていた。また、途中から加わる美術研究家の F.ルンプはドイツ人だった。そ の機関誌となった『屋上庭園』はドイツの文芸雑誌をモデルにしている。さらに、 この会で強調される「情調」は、フランスの象徴主義の主要概念だったが、また 一方ではドイツ・ロマン主義からの伝統もあり、ドイツ語圏での象徴主義や新ロ マン主義の日本への移入とその日本的な展開として捉えることも可能である。 その「情調」的雰囲気で、特にドイツ文化との親和性の中で、異質な文化や時 代が交感する開放的な場が生まれた。「パンの会」では古い江戸と新しい東京が 並列され、日本と西洋が混在する状況に強い関心が抱かれた。これがまた、その 後、西洋近代を受容しつつ、日本の独自性を再発見していく作家たちの出発点と もなった。 だが、 「パンの会」の研究は進んでおらず、日本近代文学の枠内で主としてフラ ンス文芸の影響下にある耽美的グループとして位置づけられるにとどまる。そこ で、本発表ではドイツ文芸受容から、この「近代」の中で日本的なるものを模索 – 18 – していく過渡期にあった文学・美術の集いを検証し、ある種の危うさを秘めた「情 調」という概念がその基点となったということを問題にしたい。 2.ホフマンスタール『エレクトラ』日本初演 (1913) をめぐって 関根 裕子 大正2年ホフマンスタールの『エレクトラ』が、松居松葉率いる公衆劇団によっ て、帝国劇場で初めて上演された。イタリア人ローシーが演技指導し、女形河合 武雄がエレクトラを演じたこの公演については、たしかに否定的な意見が多い。 しかしこれをめぐる松居や森鴎外が作者と交わした書簡や「とりで」派との論争 は、当時の演劇界の状況を伝える資料として大きな意味をもつ。 『エレクトラ』上演にあたり翻訳・演出家の松居松葉は、ホフマンスタール宛 てに演出上の指示を仰ぐため 3 通の手紙を送り、作者から 1 通の返信を受け取っ ている。この返信には、ハーンを愛読し、言語危機解決の糸口を古代オリエント の延長線上にある日本にも求めていた彼が「西洋から見た東洋的なものを表現し た」 『エレクトラ』の日本上演に高い期待をしていたことが読み取れる。結果的に 公演は筋をなぞるだけで精一杯のもので、作者の求めた時間・空間を越えた「古代 オリエント」の雰囲気はほとんど表現されなかったようである。しかし松居を鋭 く批判する小宮豊隆の批評などにはホフマンスタール作品に内在する「気分」の 重視など、世紀末文学への造詣が見られる。 本発表では、 「アヴァンギャルド詩人」としてのホフマンスタールの好意的な受 容が始まった大正初期の『エレクトラ』論争の分析を通して、思想と実践の両面 からドイツ文化受容の多層性を見ていく。 3.異界の系譜 − ハウプトマンと鏡花 − 坂本 貴志 ニンフ(水の精霊)というモティーフは、文学的形象であると同時に民俗学的 対象である。セイレーン、ラミア、メリュジーヌ、ローレライ、白蛇伝、白鳥処 女と、洋の東西、古今を問わず、半身が魚、蛇、鳥の相違はあれども、水にまつ わる精霊は迷信の対象であり、文学モティーフの供給源であった(ニンフはまた – 19 – 往々にして美しい歌声を持つ)。パラケルススがニンフをウンディーネと名指して 以来、このモティーフは特にロマン主義の時代に好んで取り上げられた。 ハウプトマンの『沈鐘』 (1896)は、こうした文学的・民俗学的モティーフの系 譜の中に位置づけられる。だがそこにはまた別なるルネサンスの思想が流れ込ん でおり、ハウプトマンは、トマソ・カンパネッラの『太陽の都』 (1602)に影響を 受けて、『沈鐘』では「太陽」がひとつの重要なキーワードとなっている。 鏡花の作品の代表的モティーフは、周知のごとく、水、女性と、これらによっ て開かれる異界である。その作品世界は、本来、西洋的ニンフのモティーフとは 独立してあるが、彼は登張竹風と『沈鐘』を共訳した (1907) 後、これのパロディ ともいうべき戯曲『夜叉ヶ池』(1913)を著した。『沈鐘』を媒介として、鏡花は 西洋ルネサンスに出会っている。本発表では、ハウプトマンの「異界」と鏡花の 「異界」との遭遇の意味を考察する。 4.柳田国男とドイツ・ロマン主義文学 佐谷 眞木人 日本における民俗学の成立に深く関わった柳田國男が、青年時にハイネを愛読 していたことはよく知られている。特に、ハイネの『流刑の神々』は、後の柳田 の思想を方向付ける重要な役割を果たしている。キリスト教によって在来の信仰 が追い払われていくという同書のテーマを、柳田は日本における仏教に置き換え、 自らの学問の方向性を見出していく契機とした。 一方、柳田の 1921 年、22 年の二度にわたる渡欧体験が、柳田の学問に大きな 影響を与えていることは既に指摘されているが、本発表では特に、民俗学の研究 対象としての「常民」概念の形成と、研究範囲として「一国民俗学」の主張を取 り上げる。柳田の「常民」概念は、当時のドイツ民俗学における所謂「フォルク 論争」と深く関わっていると思われる。また、 「一国民俗学」という表現も、ドイ ツ語の「フォルクスクンデ」と関わりが深い。ドイツ民俗学は、ヨーロッパ諸国 における民俗学の中でも、特にグリム兄弟との関係などからロマン主義文学の影 響が色濃い。その影響を柳田が強く受けていることは、先のハイネの影響と照応 するものである。本発表では、柳田の学問形成の検証を通して、日本民俗学の進 んだ方向が、ドイツ民俗学とどのような相似性を持っていたかについて考えてみ たい。 – 20 – 5.日本におけるハイネ受容の系譜 − 感傷詩人と政治詩人のはざまで 関口 裕昭 ハインリヒ・ハイネは、日本で最も早く受容されたドイツ詩人のひとりである。 『於母影』(1889) に収められた「あまおとめ」をその嚆矢とし、爾来、尾上柴舟、 太田玉茗、生田春月らの名訳は広く愛唱され、明治大正期の新体詩の発展に大き な影響を及ぼした。また高山樗牛、田岡嶺雲らの評論家の思想形成にも決定的な 役割を果たした。 これらの基礎的研究については、すでに鈴木和子による詳細な文献目録があり、 個々の作家の影響関係については、井上正蔵、伊藤勉らにより詳しい比較検討が なされている。しかし、先行研究から 30 年以上を閲し、ようやく 20 世紀前半を 支配していた政治的、文学的思潮を客観的に見ることが可能な現時点から、ハイ ネを架け橋にして、日独の文学思潮のささやかな俯瞰を試みることは意味がある のではないか。感傷 (恋愛) 詩人と政治詩人の二つの顔をもつ詩人ハイネは、その どちらに力点を置くかによって、まったく違った様相を見せる。近代化と国家主 義の道を驀進していた日本にとって、ハイネは都合よく理解される側面を持って いたことは否定できない。 本発表では、20 世紀前半のドイツ語圏における、とりわけユダヤ系作家のハイ ネ像も視野に入れ、日独両文化を横断しながら、次の二点を具体的に分析する。 1 ハイネ翻訳の様式と詩人の創作との内的関連性。 2 「猶太人」としてのハイネ が日本でどのように理解されたのか。これらの考察を通して、ハイネ受容の、そ して日本文化の二重性を浮かび上らせるのが発表の趣旨である。 シンポジウム II (10:00∼13:00)C 会場 ブレヒト演劇における言語、身体、振舞 Sprache, Körper und Verhalten in Brechts Theater 高橋 宗五 ブレヒト演劇を語る際にはこれまで「叙事演劇」や「異化(効果)」という術語 で語られることが多かった。しかしこれらの術語はブレヒト自身が編み出したも – 21 – のであり、こうした術語を用いてブレヒト演劇について語ることは、ブレヒト自 身がこれらの概念に与えた定義の枠組みを越えることが少ないという憾みがあっ た。そこで本シンポジウムでは視点を変えて、 「言語」、 「身体」、 「振舞」という観 点からブレヒト演劇の再検討を目指す。 近代演劇では台詞とそれを語る登場人物とは不可分であると考えられてきたが、 『男は男だ』以降、特に一連の教育劇や Medienexperimente の後、ブレヒトの芝 居の台詞はそれを語る登場人物の個性や性格との結びつきは稀薄になっているよ うに思われる。いやそれどころか登場人物に個性や性格というものがそもそも見 られない。本シンポジウムではどうしてこのような演劇が成立し、またそれがブ レヒト演劇をどのように規定し、さらにはそれが演劇そのものにとってどのよう な意味を持っているかを検討する。その際、初期の作品、中期の教育劇、後期の 寓意劇に即して「言語、身体、振舞」という視点からブレヒト演劇を検討する。 ブレヒトにとって芝居のテクスト、つまり台本は舞台稽古を通し、舞台の上での 検証を経て始めて成立するものであった。つまり台詞は舞台の上で語れることを 前提として書かれている。芝居であればこれは当然のことであるが、ブレヒトの 台詞はある一定の演出を前提とした上で書かれている。その前提とは、彼が「叙 事演劇」あるいは「叙事的俳優術」という言葉で総括する原理のことである。そ こでブレヒトが考えた叙事演劇の言語とはどのようなものであり、叙事演劇にお いてテクストにはない身体が舞台の上でどのように現れるのか、そして両者が切 り結ぶところに現れる身振りの持つ諸相と意味について「叙事的俳優術」の観点 からも考えてみたい。 ブレヒトが二十世紀の演劇に与えた影響は極めて大きい。ブレヒト演劇はどの ように受容されたかを通して、ブレヒト演劇の可能性についても考えてみたい。 作曲家で演出家でもある Heiner Goebbels(1952?)においてブレヒトがどのよう に受容されているかを、彼の作品とその演出等を通して検討する。これはブレヒ ト演劇において今日尚 haltbar なものがあるとすれば、それは何かを考えるため の手掛かりとするためである。 ブレヒトのテクストの中に叙事演劇がある訳ではない。しかし叙事演劇は舞台 が総てでもない。叙事演劇においては、テクストと舞台は互いに参照指示を与え 合う緊張関係の中にある。本シンポジウムではこれまで別々に行われてきた文学 研究と演劇研究の欠を補う形でブレヒト演劇を再検討する予定である。 – 22 – 1. ガルガイとガルガ ―『都会のジャングル』におけるアイデン ティティをめぐる闘争― 摂津 隆信 本発表では、 『都会のジャングル Im Dickicht der Städte』 (1921 年執筆開始) における「闘争」を手がかりにして、アイデンティティを巡る問題を考察する。こ こでは作品論ではなく、ブレヒトの作劇法、すなわち人物形成のあり方をその言 葉や振舞から問い、後の教育劇などで前景化される個人と社会のあり方を考察す る上での基盤としたい。 本発表の起点となる仮説は、 『都会のジャングル』の主人公ガルガは、ブレヒト が 1918 年頃から構想していた人物像「ガルガイ Galgei」の化身ではなかったか ということである。処女作『バール』の主人公は個性の塊として描かれたのに比 べ、それ以後の初期作品群の主人公は個性を失っていく傾向にある。そしてバー ルとほぼ同時期に生まれたガルガイの構想は、1921∼24 年の間、いったん中断さ れていた。中断された理由は「ガルガイ」ならぬ「ガルガ Garga」、すなわち 『都会のジャングル』を執筆するためであった。この作品ではガルガのアイデン ティティを形而上学的な「闘争」を挑むことで消滅せしめんとする周囲に対し、言 語の不完全性が露わになることで闘争そのものが不可能となる。だがそれと同時 に、この作品ではガルガのアイデンティティを保持するための「闘争」もまた繰 り広げられている。この意味では、 『都会のジャングル』はバールという個性の塊 がゲーリー・ゲイという無個性へと変化していく過程を如実に示している作品だ と見ることが可能なのである。 2.ラジオ実験としての教育劇『リンドバーグの飛行』 川島 隆 ブレヒトの実験的なラジオ劇『リンドバーグの飛行』 (Der Lindberghflug)は、 1929 年にバーデン=バーデンの室内音楽祭で初演される。当時はドイツにおける ラジオ放送の草創期にあたり、この新しいメディアに対応した芸術の刷新という テーマに関心を寄せた人々は少なくなかった。 『リンドバーグの飛行』の作曲に携 わったクルト・ヴァイルも、純粋に音声のみによる芸術である点にラジオ音楽の 可能性を求めていた芸術家の一人であった。 – 23 – ところがブレヒト自身の構想は、従来多くの研究者によって確認されているよ うに、必ずしもラジオに固有の芸術を前衛的に志向したものではなかった。ブレ ヒトが企図したのは、ラジオ聴取者の作品参加を前提に、社会主義国家の形成に 寄与するべき個人の集団化の「訓練」の場としてラジオを用いることであった。こ の構想は、後に「教育劇」としての改稿を経て明確化されていく。 本発表では、ブレヒトが音楽祭での公演に際し、ラジオ装置と聴取者の関係を 舞台形式で視覚的に提示することにこだわった事実に着目する。そこから、彼が ラジオ自体の使用価値を追求するよりも、都市の消費文化の中で受動的な立場に 固定された聴取者の「身体の消耗」への処方箋を示すことに関心を抱いていた経 緯が明らかになる。この点について、20 世紀初頭に興隆した文明批判的な身体文 化との関連性を視野に入れつつ、ブレヒトの試みの文化史的な位置を探りたい。 3.叙事演劇と寓意劇 −寓意劇の舞台とはどのような演劇空間か− 高橋 宗五 ブレヒトの教育劇は総て寓意劇的内容を持っており、教育劇以降ブレヒトの芝 居は寓意的傾向を強める。1931 年の『男は男だ』のベルリン版は明確に寓意劇と しての方向を打ち出し、1932 年末に完成した『とんがり頭とまん丸頭』は最初の 本格的な寓意劇となった。西洋演劇では 1940 年代以降所謂「不条理演劇」などを 含め 1970 年代まで数多くの寓意劇が書かれることになるが、ブレヒトはこうした 流れに先鞭を付けた劇作家である。 寓意劇を書いた多くの劇作家の中で演劇論や演技論、或いは作劇論を作り上げ たのはブレヒトだけである。彼の「非アリストテレース的劇文学」の基本として、 アクチュアルな問題を扱うのに舞台を外国に設定したり、時代を過去に移したり する手法があるが、これはまさに寓意劇の作劇法に他ならない。この「距離化」の 手法は寓意劇の手法であると同時に叙事演劇の原理そのものであり、寓意劇=叙 事演劇という等式が成り立つほどである。 しかし戯曲は演劇そのものではない。ある原理に従って書かれたブレヒトの戯 曲が舞台の上で実現するためには、然るべき方法が必要なのであり、またそのよ うにしなければブレヒトが期待した効果は得られないのである。それ故にブレヒ トは自らの芝居や叙事演劇について絶えず説明しなければならなかったのである。 – 24 – このような背景を踏まえた上で、ブレヒトの演劇、特に彼の寓意劇の舞台とはど のようなものであるかを考えてみたい。 4.ブレヒトの俳優術論再考 中島 裕昭 ブレヒトの俳優術に関する記述を分析することによって、特定の状況におかれ た人間の行動の演劇的提示についてブレヒトがどのように考えていたか、という ことを検討し、ポストドラマの時代と言われる現代演劇において、ブレヒト演劇 がなお持っている可能性を明らかにしたい。 演劇がパフォーマンスとして捉えられようとしている現在、演じられることへ の距離化によって「異化」的あるいは「叙事的」効果を成立させようとするブレヒ ト的俳優術を、われわれはこれまで以上に重視すべきではないか。演劇を成立さ せる際に決定的な、言語と身体の結びついた俳優の振舞についての記述に焦点を 合わせて考察することで、ブレヒトが人間の行動をどのように考えていたか、と りわけブレヒト演劇の根幹である社会変革の可能性ということと、人間が社会的 選択について学ぶということを、演劇的提示においてどのように関連づけていた か、ということを確認したいと考えている。考察において中心となる「社会的身 ぶり」という概念は、ブレヒトによって明確に定義づけられているわけではない が、演劇が単に特定の個人やグループの情緒を代弁するのではなく、一定の社会 的意義を獲得しようとするならば、不可欠なものであったと言える。つまりこの 「社会的身ぶり」は、演劇が現代的な意味でコミュニケーションの芸術として成立 するためのキー概念となりうるものであり、ブレヒト演劇のアクチュアリティを 証明するものの一つと考えられる、ということである。 5.ブレヒトを聴く/読む − ハイナー・ゲッベルスの音楽劇の試みを手がかりに − 四ツ谷 亮子 1952 年生まれの音楽家ハイナー・ゲッベルス (Heiner Goebbels) は、1970 年代 後半の“ いわゆる左翼急進派の吹奏楽団 ”での活動を出発点に、文学テクストの – 25 – もつ強度を徹底的に解析し、種々の音楽素材と融合させることで、ジャンル横断 的な音楽作品を作り続けている。音楽の鳴り響く空間を三次元の‘ テクスト ’と 捉えるゲッベルスの芸術観は、そこに予め観客の内包を想定する、ポストドラマ 的(H-Thies Lehmann)な視点によっても支えられている。 そのようなゲッベルスにとって、ハンス・アイスラーとブレヒトの関係は、活動 の初期より重要な参照事項であり、1998 年にはアイスラーの生誕 100 周年にちな み、ブレヒトの詩によるアイスラーの楽曲を再構成する,,Eislermaterial“のステー ジコンサートを開き、その後、同作品の劇場ライブ録音を一枚のCDに編集して いる。ゲッベルスはこの試みにおいて、ブレヒトとアイスラーの作品、芸術論が 生成した‘ 場 ’そのものの引用を正面からおこない、ブレヒトが教育劇で排除し た‘ 観客 ’/聴き手に、体験共有の磁場で共鳴体として身体を鳴り響かせる、予 期せぬコロスへの変容を強いているかにみえる。 本報告では、音楽と文学テクストの相関関係をより大きな視点から捉えようと するゲッベルスのこの試みを手がかりにし、ブレヒトのテクストと音楽のあわい に出現するダイナミズムを、同時期に書かれた彼の戯曲テクストの上演、芸術論 に伴う問題に結びつけて考察してみたい。 シンポジウム III (10:00∼13:00)D 会場 〈ドイツ語教育部会企画シンポジウム〉 職業教育としてのドイツ語教育 − 現状・課題・可能性 − Deutsch als berufliche Qualifikation in Japan? 司会:相澤 啓一、吉満 たか子 ドイツ語を学ぶ学生の中には、大学卒業後「ドイツ語を使える職に就く」とい うことを目標にしている者も多いが、実際にその希望を叶えることができるのは 少数である。また、学生(特に学部生)がドイツ語圏への大学へ正規留学を希望 する場合においても、語学力不足によってそれを断念するといったケースも稀で はない。いずれの場合においても高度なドイツ語力が要求され、履修者のほとん どが第 2 外国語として週 2 コマ程度を 1 年間しか学習しないという大学の現状で は、履修期間内に仕事で使えるドイツ語やドイツの大学での語学試験(DSH)に 合格するだけの力をつけるのは不可能と言える。 – 26 – しかしながら、学生にある一定のドイツ語力を保証することは授業を提供する 側の義務であり、それはすなわちドイツ語教育が担う社会的な義務でもある。1 年 間での習得は無理だとしても、2 年次以降での学習次第ではドイツ語が必要とさ れる企業への就職や留学が可能になるような学習環境を作り出すことがドイツ語 教育の課題なのではないだろうか。 「ドイツ語を使う職場への就職」や「留学」は ドイツ語を専攻する学生、つまり文学部や外国語学部における Germanistik にの み関連する事柄であると捉えられがちであるが、ドイツへ留学希望者の専攻分野 は多岐に亘るし、企業がドイツへ派遣する社員はドイツ語を専攻した者とは限ら ない。そのためには、専門としてのドイツ語のみならず、教養教育としてのドイ ツ語においても、初級段階での授業において何をどのように教え中級段階に繋げ るのかといったカリキュラムの問題や、学習を継続させるための動機付けの問題、 語学力を証明する手段としての検定試験など、様々な側面を考慮する必要がある。 それと同時に、大学の外、すなわち日本の社会にけるドイツ語の需要を把握する ことも不可欠である。 日本独文学会ではこれまでにも職業とドイツ語の関わりをテーマにしてシンポ ジウムが開催されているが、その後のグローバル化や経済の変化に伴い、ドイツ 語をめぐる状況も変化した。また、ドイツ語教育を取り巻く環境も以前に比べ良 くなったとは言えず、むしろドイツ語教育の持つ意味がより一層問われる時代に なっている。本シンポジウムでは、ドイツ語が実務において使用されている職業 分野に携わるパネリストを招き、それぞれの職業分野における現状を発表しても らいドイツ語教育を職業教育の一つとして捉えた場合の課題や可能性を探る。 基調講演: ドイツ語を駆使するプロフェッショナル達の育成を目指して − 独日英会議通訳者の視点 − 吉村 謙輔(中央大学商学部) 日本の語学教育は「三つの孤立」によって衰退した。それは「語学の孤立」、 「専 門教育の孤立」、「教養の孤立」である。ここからの突破口は「現場主義のドイツ 語教育」にある。 – 27 – 1. 語学の孤立 現場では「語学」は専門知識と結びついていなければ無意味である。語学 教室から外に一歩足を踏み出した瞬間、そこは「営業利益」、や「実効税率」 の飛び交う世界なのである。しかもこれら一般教養語は反射的に、かつ効果 的に使えなければ知らないも同然である。語学の授業は当然「即応力重視」 「政治経済用語重視」でなければならない。 2. 専門知識の孤立 今日の風潮は、狭い専門分野に特化した、あらゆる「ムダ」を省いた「教 育」である。しかし国際実務の場では専門知識・プラスアルファーが必ず求 められる。そのプラスアルファーとは創造性、柔軟性、倫理性、異文化に対 する興味と理解、そして知識を解り易く伝えるコミュニケーション能力など である。そして語学教室はこれらの「ムダ」を体得するための空間である。 3. 教養の孤立 「教養」を孤立から解き放たねばならない。独文学者達は会計学の入門書 を買い求めるべきである。逆に会計士達は文学に親しむ時である。「文学」 があらゆる分野に応用できる絶大な武器であることを我々は認識するべきで ある。そしてその上で他の専門分野を学ぶべきである。それこそがフンボル トが目指した「教養」に他ならない。「三つの孤立」の克服は、我々の日々 の授業の中から始まる。 1.ドイツ語翻訳者に求められる能力の分野別考察 Felix Einsel(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所) ドイツ語翻訳者に求められる能力を、3つの分野別に考察する。 1. 技術分野の場合 ドイツ語力と技術についての知識のどちらが重要か?技術の知識が優先す る分野である。ドイツ語がバックグラウンドの方は、技術知識の習得に相当 苦労するが、需要が大きい分野なのでチャレンジの価値がある。なお、ドイ ツ文化の理解を最も必要としない分野でもある。なるべく、用語の解釈をせ ず、直訳することが重要だからである。したがって、ドイツへの留学経験は 必要なく、逆に弊害になる場合もあろう。 – 28 – 2. 法律分野の場合 ドイツ語力と法律についての知識のどちらが重要か?基本的にはドイツ語 力が優先する分野である。法律の知識も重要だが、契約で決められる事項は パターン化されていることが多いので習得可能である。高度に専門的な領域 とはいえ、生きたドイツ語翻訳をしなければならない側面もあり、若くして (できれば25歳以前)ドイツへの留学をすることが望ましい。 3. 専門知識のいらない分野 日常生活に密接に関係してくる分野なので、純粋なドイツ語力以外に、ド イツ人の考え方など文化的な理解が必要不可欠な分野。そうした理解がない とドイツ語の真の意味をなかなかとらえられず、良い翻訳にはならない。最 も生きたドイツ語の知識が必要な分野であり、ドイツへの留学経験は必須と 考える。 2.在日ドイツ系企業におけるドイツ語:体験談を中心に 岡 美保(バイエル株式会社) ビジネスのグローバル化の流れにともない、在日ドイツ系企業においても外国 語能力として求められているのは主に英語である。そういった環境にありつつも、 非常に珍しいケースではあるが、筆者の場合は業務において継続的にドイツ語に 携わってきている。 ドイツ本社での状況にも影響されるが、ドイツ語との関わり方も変化している。 1980 年代後半は本社から届く資料もドイツ語のものが多く、独文和訳に携わる機 会が多かった。1990 年半ばからはプロジェクトの中でドイツ人マネジャーのアシ スタント兼通訳として参加。また、2001 年にはドイツ本社へ転勤し、滞独中は日 常業務のすべてをドイツ語で行っていた。2005 年に帰任した後はドイツ人役員と の折衝等ではドイツ語を使っているケースが多い。英語でも可能ではあるが、ド イツ語の方がお互いに細かいニュアンスを伝えやすいメリットがある。 業務におけるドイツ語レベルについては、意思疎通をほぼ100%こなす能力 が最低限の条件となる。筆者も学生時代を含めて勉強をしてきたが、実践用とし ては不十分だったと思う。言語は単体で存在しているわけではなく、その背景に ある文化や社会に対する理解が不可欠となってくる。これはビジネスにおいても – 29 – 同様であり、関連するビジネス知識を習得してはじめて語学力を生かすことがで きるようになるというのが実感である。日ごろからドイツ関連の情報や、一般情 勢に関心を持つことが重要と思う。 3.もっと学生をしごいてほしい日本のドイツ語教育 坂本 明美(社団法人日本カール・デュイスベルク協会) ドイツ語では就職できない 優秀なドイツ語通訳者と翻訳者は必要だが、需要は少 なく、グローバルな外資系企業では英語しか使わない。 ドイツ語で仕事をしたければドイツに行く 研究職から職人まで、仕事と言葉がで きる人にはドイツなどで日本人ができる仕事がたくさんある。 ドイツ語での昇進 在日ドイツ企業でもドイツ語だけでは採用しないが、英語で仕 事ができ、ドイツ語もできる日本人には、幹部社員にするために若くしてド イツ本社に出向させ、本社で人間関係を築かせる。この役目がうまく果たせ るのはドイツ語ができる人間だけ。なぜなら本社はドイツ語の世界だから。 日本での就職準備 在日外国企業や在外日本企業が必要とする、税理士、会計士、 弁護士、あるいは IT 分野の資格と能力を身に付ける。日本人は日本人であ る特徴を活かして活躍するのが楽で有益。そのためには大卒後、日本企業に 入社し、最低 3 年間は業務、企業経営法、人間関係などを学習し、日本国内 の外資系企業、ドイツの日系企業もしくは外資系企業への転職を志す。 日本でしかできないドイツ語学習 文法を勉強しない人は、死ぬまでドイツ語圏に いても、あるいはドイツ語人と結婚しても、人前で喋れるドイツ語は身に付 つかない。日本で日本人教師に文法を教わり、ドイツ語圏で実力を付ける。 日本のドイツ語教師へのお願い 文法は短期間に集中的に学ばせ、学生以外の希望 者にも文法学習の機会を与えてほしい。 – 30 – 口頭発表:文学2/文化・社会2(10:00∼12:50)E 会場 司会:石光 泰夫、Gabriele Stumpp 1.ベル『そして何もいわなかった』試論、 住みえない世界から住みうる世界への転換点 木本 伸 本発表は、ベル『そして何もいわなかった』(1953) の作品解釈を行なう。ベル 研究の現状については大きく二つの点が指摘できる。それは研究の活況とそれに 対する冷めた視線という相反する傾向である。現在、初めての歴史批判版全集が 刊行中であり、これにもとづく文献学的研究が活発に発表されている。その一方 で、戦後文学の代表者であったベルに対する一般的関心の低下も否定できない。 ベルは同時代の諸問題から目を逸らすことがなかった。しかし、彼が描いた人間 と社会は過去のものとなりつつある。それに応じて、その作品は現在の読者に訴 える力を失いつつあるというのだ。このような状況において問われるべきは、ベ ルの視線の射程である。彼の文学は同時代の表層をなぞっていただけなのか。そ れとも、それは現在も有効な人間理解を示しているのだろうか。このような問題 を考える上で、 『そして何もいわなかった』は格好の作品である。この作品は発表 当時、卑近な「住宅問題」の小説として受け取られるとともに、「戦後文学の傑 作」という高い評価も得ていた。この二種類の評価は実は矛盾しない。なぜなら 現実に直接するがゆえに、作家は現実を翻すことに成功しているからだ。ここで 描かれるのは、当時、社会問題化していた劣悪な住宅環境である。主人公のボー グナー夫妻は住まいのあまりの狭さのために別居している。しかし、それは住宅 環境が整備されれば解決するような問題ではない。二人にとって世界を住みえな いものにしているのは、彼ら自身の現実への根源的憎悪である。作家は教会やカ フェでの出会いを通して、二人の主人公の根源的憎悪が翻されていく過程を描い ている。作品の表題で暗示される神の沈黙は、憎悪を翻し、現実を受容していく 宗教的契機に他ならない。発表では、このように時事的な問題に即応するがゆえ に、神学的射程を得た作品の解釈を試みたい。 – 31 – 2. Negative Utopie. Arno Schmidts Längeres Gedankenspiel über boshafte Dämonen, Hoffnungslosigkeit und Negativität Arne Klawitter In meinem Vortrag möchte ich den Topos des Fluchtasyls sowie die Konstruktion der negativen Utopie bei Arno Schmidt untersuchen. Den Ausgangspunkt bilden die frühen Erzählungen Arno Schmidts, die vor dem Hintergrund von Kriegsund Fluchterfahrung entstanden. In der Erzählung Leviathan begann Schmidt, seine negative Theodizee zu entwickeln, die er aus Versatzstücken der modernen Philosophie und Naturwissenschaft formte, wie z.B. Schopenhauers Willensmetaphysik und Einsteins Relativitätstheorie. Die Erzählung illustriert die Macht des Leviathan, den Schmidt nicht nur als Demiurgen begreift, sondern als einen destruktiven Teil des menschlichen Wesens. In den Romanen Die Gelehrtenrepublik (1957) und Kaff auch Mare Crisium (1960) inszeniert Schmidt die Bedrohung durch einen neuen atomaren Krieg und beschreibt zum einen, wie aufgrund von Mutationen durch radioaktive Strahlung eine halb menschliche, halb tierische Spezies entsteht, und zum anderen, wie eine Gruppe von Künstlern und Wissenschaftlern auf einer künstlichen Insel inmitten des Pazifiks überlebt und ein rein geistiges Leben fristet. Die klassische Utopie verkehrt er dabei ins Negative, indem er darstellt, wie die Amerikaner und Russen, wiederum in zwei politische Lager gespalten, nach ihrer Umsiedlung ihren ideologischen Krieg wieder aufnehmen. Als Untersuchungsmethode wird die Diskursanalyse genutzt, wobei aufgezeigt wird, wie Schmidt zwei verschiedene Diskurse (den Theodizee-Diskurs und den Utopie-Diskurs) kreuzt, aber die Bestimmungen der beiden Diskurse bestreitet. Seine Texte lassen sich daher als moderne Dystopien begreifen. – 32 – 3. Streitgespräch mit dem Tod. Mittelalterliche Todesmotive in Thomas Manns ,,Fiorenza“ Eva Ottmer Der Totentanz ist eines der zentralen Leitmotive in Thomas Manns Frühwerk. Dies ist von der Thomas Mann-Forschung bisher weitestgehend ignoriert worden, weshalb auch die Frage nach der Entstehung und Entwicklung des Motivs bisher unbeantwortet geblieben ist. Mann verwendet mittelalterliche Todesbilder zum ersten Mal in seinem Drama ,,Fiorenza“. Darin gestaltet er die historische Begegnung des sterbenden Lorenzo de Medici mit dem Bußprediger Savonarola als eine Begegnung mit dem Tod. Das Kräftemessen der beiden Gegner erinnert an einen ,,Conflictus“, eine für das Mittelalter typische Textgattung, in der der Tod angeklagt wird und letzlich dennoch den Sieg davon trägt. Diese Gattung ist verwandt mit einem anderen makabren Motiv, dem ,,Triumph des Todes“, auf das Mann in ,,Fiorenza“ drei Mal Bezug nimmt und damit auf den triumphalen Siegeszug des Bußpredigers vorausweist. Beide Gattungen sind Vorläufer der Totentänze des auslaufenden Mittelalters, die wie die Predigten des düsteren Savonarolas als Bußpredigten zu verstehen sind. Mann nimmt die historische Parallele auf und lässt Savonarola selbst als den spöttischen Knochenmann der Totentänze auftreten. Meine These ist, dass Mann, durch den historischen Stoff angeregt, das Totentanzmotiv für sich entdeckt und in seinen späteren Werken weiterentwickelt hat. 4. Durch DaF-Unterricht Pioniere für Umweltschutz - Modelle für motivierenden DaF-Unterricht des 21. Jahrhunderts Michael Höhn Was ist mehr gefährdet − der DaF-Unterricht oder die Umwelt in Japan? Eine tiefsichtige Antwort ist ,,die Umwelt des DaF-Unterrichts“! Außere und innere Umstände gefährden die Zukunft des DaF-Unterrichts und stellen die Existenz – 33 – der Germanistik bedrohlich in Frage. Noch dramatischer aber sind die globalen Umwelt-Gefährdungen, wie nicht nur die aktuellen Filme “不都合な真実” (“An Inconvenient Truth”) und “Die Wolke” (Tschernobyl) oder fast tägliche Nachrichten in renommierten Massenmedien beweisen. Warum hier nicht aus der Not eine Tugend machen? Das Thema “Naturzerstörung” bewegt bisher oft nur die Studierenden, aber leider noch zu wenige Kolleg/innen in den DaF-/Germanistik-Abteilungen. Eine Neu-Orientierung zu einem ,,thematischen“ DaF-Unterricht, seiner Materialien und seiner Syllabusse scheint unausweichlich. Und ,,Ökologie“ ist nur eines von vielen Themen, das wieder mehr Studierende für den Deutsch-Unterricht interessieren kann. Ein attraktiver Unterricht ist praktisch, persönlich und motivierend und berücksichtigt dazu diejenigen Themen des 21. Jahrhunderts, zu denen Deutschland sehr positiv beitragen kann. Wo dies in der DaF-Forschung berücksichtigt wird, kommen Lehrwerke und -materialien wie Klaus Willands “UMWELT-REPORT - 環境レポート” oder der Dokumentarfilm “緑の国ドイツは今” über die WohlerSchule Frankfurt/Main zustande. Doch die zukunftsweisendsten Projekte 2006 und 2007 werden von der Universität Osaka präsentiert. 5. 〈生〉の共同体 エーリヒ・ウンガーにおける「神話的民族」の概念 森田 團 エーリヒ・ウンガー(1887-1950)は、ユダヤ教研究者であったオスカー・ゴル トベルク(1885-1952)から強い影響を受けながらも、独自の思想を展開した哲学 者である。本発表では、ウンガーの『神話的現実性の問題――ゴルトベルクの著 作『ヘブライ人の現実性』への序論』(1926)において展開される神話的民族と 呼ばれるべき概念とその基礎となる生の概念を検討することを通して、彼特有の 〈共同体〉の理論を浮き彫りにすることを試みる。すでに最初の著書『政治と形而 上学』 (1921)において、ウンガーは、議会主義を根本において規定している妥協 の政治が、到達すべき状態へと漸近的に接近すると称しているものの、実際はそ の実現を先送りするシステムにほかならないことを批判しつつ、妥協の政治が産 み出す現実を覆すための基盤となるような「民族」概念を練り上げようとしてい – 34 – た。この民族概念が『神話的現実性の問題』において、より詳細に規定されるこ とになる。ウンガーにとって神話的民族は、 「精神」や「身体」とは区別されるよ うな「生」の領域に存立基盤をもつ。この民族は、精神の連帯や身体(力)の総 和において存在するわけではない。個々人が生における「多数性 Vielheit」に参 入し、それが総体として実在するときにのみ神話的民族は出来するのである。こ のような民族はもちろんもはや存在しない。しかし、ウンガーによれば、神話的 民族の基盤となる生は、単純に失われてはおらず、生みずからの可能性として潜 在的になお存在している。彼の〈共同体〉の理論は、この生の可能性としての民 族とまとめられる考え方に見出されることになるだろう。 ポスター発表 (10:00∼12:50) F 会場: 初修外国語学習者における学習チェックシートの試行 山川 和彦、瀬川 真由美、石村 喬、鈴木 克則、草本 晶 初修外国語学習においては、多様な学生を対象とし、目標言語(ドイツ語)に 対する社会的要請も、学習意欲の十分な動機付けにはなり難い事情から、教員の 意図と学生の学習成果が一致しない状況が顕在化している。加えて学習者が自ら の学習過程を省察するという観点は多くの場合に欠落している。 報告者は上述のような環境で、クラスサイズが大きくてもなお、ドイツ語の学 習効率の向上に寄与する方策の一つとして、自己モニタリングを伴う自立学習支 援のための「仕掛け」を提案する。 (1)教材に学習言語(ドイツ語)の言語学的 特性を反映させ、その教材に準拠し作成した「チェックシート」を用い、学習者自 身により、学習過程における到達度を自己確認させる。 (2)当該の教材と「チェッ クシート」に連動したテストにより、再度の自己確認を促す。 (3)上記の自己確 認を踏まえ、学習者自身による適切な教材へのアクセスを自由化(コンピューター 学習、WBT 教材など)する。また、シラバスの記述の具体化、学習項目と評価ポ イントの明確化を前提とする。教材作成では、文法訳読法を脱却し、演繹的文法 指導と帰納的文法指導の折衷を目標とする。具体的には学習者が文法事項を発見 できる工夫が求められる。 – 35 – 本発表では、2006 年度に本学外国語学部ドイツ語学科 1 年生文法クラスで行っ た学習チェックシートの運用、学生の理解認識とテスト結果の照合、本学が採択 された平成 17 年度「現代 GP」の一環として施行した本学独自のドイツ語能力試 験の結果などを事例として報告する。 G 会場: 外国語学習環境における動画・音声配信教材の意味と機能 − podcasting を中心に − Multimedia-Abos und Fremdsprachenlernen − Lernende als Empfänger und Sender beim Podcasten 太田 達也、藁谷 郁美、Marco Raindl、江面 快晴 これまで、学習者がどれだけ IT 教材を利用して自発的に学習するかどうかにつ いては、各学習者の主体性や嗜好性に依存する部分が大きいことが確認されてい る。こうした多様な学習スタイルに対応するためには、さまざまな形の教材を提 供することが求められるが、iPod を利用した podcasting は、従来の IT 教材と異 なる新しい学習環境を構築するのに有効なツールである。 その理由は、まず第一に、動画教材を授業と連動させる形で自動配信すること によって、学習者の学習に一定のリズムをもたらすことが可能となる。第二に、 提供側から一方的に教材を配信するだけでなく、授業でのアクティビティの成果 (パートナー作業で学習者が作った会話など)を学習者が提供・配信することに よって、学習者が教材そのものに主体的に参与する双方向的な学習環境を構築す ることも可能となるだろう。本ポスター発表では、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパ スでの実践および学習者へのアンケート調査の結果について報告し、podcasting を利用した新しい学習環境デザインの可能性について提言する。 Der Vortrag behandelt die Frage, was Podcasting zur Gestaltung von Lernumgebungen beitragen kann, die selbstständiges Lernen fördern. Dabei wird geprüft, ob sich Podcasting als ,,Lern-Schrittmacher“ eignet. Auch werden die Möglichkeiten des Mediums für ein interaktives Lernmodell untersucht, in dem die Lerner selbst zu Produzenten von Lernmaterialien werden. – 36 – 《MEMO》 – 37 – 《MEMO》 – 38 –