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四角い板と雷光形を銜える獣

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四角い板と雷光形を銜える獣
四角い板と雷光形を銜える獣
隋唐鏡に見える異形の獣
(1)
山本 忠尚
はじめに
隋から初唐に位置づけられる多くの鏡のうち、
「方格四獣鏡」と「方格四獣十二支鏡」という2鏡種の
みに、四角い板状の物を銜んだ獣形が認められる(中国では、一般的に十二支を「十二生肖」
、稀に「十
二時肖」
、
「十二辰」などと称するが、日本でなじみのある「十二支」を用いる)。この板は長方形で顔よ
りやや大きく、周縁部を少し厚く造ってある、
ように見える〔第1図〕
。
この事実は2鏡種間の深い繋がりを示して
いるだろうし、この獣が何物で、四角い板が
何をあらわしたものなのか、なぜこの2鏡種
にかぎってあらわされているのか、あるいは
4獣のうち1獣だけが銜むのはなぜなのか、
といった疑問を喚起させる。これらの点につ
いて検討してみたので、ご報告する。たかが
紋様と蔑む向きもあるが、過去の人びとの生
活を復原するのに役立つ、そのことを示した
い。
ほかにも、ごく少数ではあるが、稲妻に似
た「雷光形」と仮称する物を銜えた獣も見る
ことができる。この雷光形を銜む獣は、方格
四獣鏡・方格四獣十二支鏡ばかりでなく、瑞
獣銘帯鏡および海獣葡萄鏡にも見え、これら
も合わせて検討の対象にする。なお、小動物、
魚、あるいは蛇などを銜えた獣や闘争意匠も
かなりあるが、これらは板状の物とはいささ
か異なるので、別に扱うことにしたい(
「隋
唐鏡に見える異形の獣(2)
・
(3)
」を予定
している)
。
第1図 方格四獣鏡
(上)
と方格四獣十二支鏡
(下)
9 Ⅰ 四角い板を銜む獣
集成できたのは方格四獣鏡1
4面、方格四獣十二支鏡1
5面の計2
9面である。少ないながらある程度の傾
向はつかめるであろう。集成した資料を鏡種、銘文、獣の向きなどの違いによって分類しつつ、その属
性を一覧表にまとめてみた〔表1〕
。以下は本文末にかかげた表にもとづく分析である。ただし、線描の
ものが2例含まれており、現在の所蔵者が不明のものもあるため(鏡は骨董市場を通じて移動する)、何
面かは重複している可能性が無いわけではない。
⑴ 外形と紋様構成
表示した諸例はいずれも円鏡で、直径の判る方格四獣鏡のうち8面は18㎝代(5面は不明である)
、善
齊吉金7
6の8寸3分(2
4.
9㎝)は異例であり、総じて中型鏡と言える。一方、方格四獣十二支鏡は、不
明6面は対象外として、銘文のない1面以外はすべてが20㎝を超える。十二支紋帯のある分大きいと言
えよう。
内外区の境に太い圏線をめぐらせ、外区内縁に銘文帯、方格四獣十二支鏡のばあいさらに十二支紋帯
を設け、外縁には鋸歯紋あるいは二重S字状紋などを配する。
内区の紋様は両鏡種に共通する。半球形の鈕に座として伏獣を置き、そのまわりを方格で縁取る。各
辺に沿って四獣を背を内側に向けて配置し、それらの隙間、すなわち方格の四隅に対向するようにV字
形(規)を置き、その中にも各々紋様を入れる〔第1図〕
。
⑵ 銘文
安徽の1面を除き、ほかのすべてには外区内縁に銘文帯があり、それぞれ「霊山孕寶」、「絶照覧心」、
「阿房照膽」
、
「美哉霊鑒」あるいは「仙山竝照」ではじまる四言句を鋳出してある(絶照覧心のみは四
言句2+六言句4。以下の記述においては、それぞれを始めの2文字であらわす)。銘文は楷書体で陽
出されており、いずれも初句の前に「・」を置いて始点を示してある。
以下に釈文を記す(強調体にした語句は後に検討する)。
霊山孕寶 神使觀爐 形圓暁月 光清夜珠 玉臺希世 紅粧應圖 千嬌集影 百福來扶
仙山竝照 智水齋名 花朝艶采 月夜流明 龍盤五瑞 鸞舞雙情 傳聞仁壽 始験銷兵
阿房照膽 仁壽懸宮 菱藏影内 月掛壺中 看形必寫 望裏如空 山魑敢出 氷質慙工 聊書玉篆 永鏤青銅
美哉靈鑒 妙極神工 明疑積水 w若澄空 光涵晋殿 影照秦宮 防姦集祉 應物無窮 懸書玉篆 永鏤青銅
絶照覧心 圓輝属面 蔵寶匣而光掩 挂玉臺而彩見 鑒羅綺於後庭 寫衣簪乎前殿
絶照が1
1面、霊山が9面とやや多く、前者は方格四獣十二支鏡、後者は方格四獣鏡にほぼ対応する。
阿房3面は十二支鏡の方に属するが、絶照とは細部で違いがある。
美哉は3、仙山は2面しかない。これらの5面は、以下に示すように、獣の配置や伏獣の向き、さら
には規の内部が絶照・霊山のばあいといささか異なる。
10 ⑶ 獣の配置、姿勢と尾の形
四神あるいは四獣鏡の獣は、方格の各辺に沿って背を内側に4頭が配されるのが一般的であるが、獣
の向きによって、
すべて同一方向の「循環」
1頭だけ逆向きの「一逆」
対向する位置の2頭が同じ方を向く「並行」
隣り合う2頭が向きあう「対面」
の4タイプに分けることができる。霊山と阿房は対面、絶照と仙山は並行、美哉は一逆であり、銘文と
獣の向きが対応する。循環は1例もない。
4獣のうち1獣だけが見返りの姿勢をとるが、対面のばあい四角い板を銜む獣の左側の獣、一逆では
右隣の獣、並行においては向こう側という違いがある。
また、四角い板を銜む獣は、尾
の形状によって次の3種に分けら
れる〔第2図〕
。
ⅰ 後方に伸ばす
ⅱ 上方に巻き込む
ⅲ L字形に下に垂らす
尾ⅰと尾ⅱは方格四獣鏡、尾ⅲ
は方格四獣十二支鏡にのみ認めら
尾a
れ、対応する。また、尾ⅰのばあ
い銘は霊山、尾ⅱのばあい銘は美
哉あるいは仙山、また尾ⅲは阿房
か絶照であり、ここにも対応関係
が認められる。
また、四獣すべてを対象に銘文
と尾を対比させると(四角い板を
銜む獣を起点に時計回りで記す)
、
尾b
霊山はⅰⅱⅲⅰ、美哉はⅱⅱⅱⅱ、
阿房はⅲⅰⅰⅱ、絶照と銘文なし
はⅲⅰⅱⅱ、といった具合に銘文
と尾の形がきれいに対応する。
⑷ 規内の紋様
規の内部には三岳、一岳あるい
は獣面が入れられている。そのう
ち獣面には、
尾c
第2図 尾の形 a:蒼穹堂 b:張鉄山 c:出光美術館
11 獣面a
三岳
獣面b
一岳
第3図 規内の様相
a 正面形
b 側面形
の2種があり、どちらも内外区の境をなす圏線を噛む〔第3図〕
。
銘が霊山のばあいは三岳、絶照は獣面b、阿房と仙山および銘なしのばあいは獣面a+b、美哉は一
岳という対応関係が認められる。ただし、規を欠くものが霊山に1、美哉に1ある。
⑸ 鈕座
四葉座の4例を除くほかのすべては鈕座として伏獣を採用しており、四角い板を銜む獣に対して上向
きが7、下向きが4、左向きが1
1、右向きが1面とばらける。しかし上向きのばあいその銘は霊山、下
向きは阿房と仙山、また左向きは絶照、右向きは銘文なしと対応する。なお、先述のように四葉座のも
のが4面あるが、すべて方格四獣鏡で、美哉銘が3面、霊山銘が1面である。これらは規内一岳あるい
は規なしであり、例外的存在と言えよう。
⑹ 外区の様相
外区外縁には、霊山のばあい二重の凸鋸歯紋、美哉は複線鋸歯紋、仙山と阿房は二重の横S字状紋、
絶照は楕円を主体とする紋様をそれぞれ配している。外縁の差が銘文の違いに対応しているのである。
12 方格四獣十二支鏡では外区の銘帯と外縁の間に十二支像を反時計回りにめぐらせるが、それらの間を
区画する帯状部分に四葉花を入れてある。ところが、絶照と銘文なしのばあいに限り二葉花で、しかも
1箇おきに獣頭に替えてある。
⑺ 小結
以上のように、鏡種と銘文に対応して紋様にも違いが存在する。方格四獣鏡のばあい、銘文が霊山で
あれば四獣対面、尾がⅰタイプで鈕座の獣上向き、規内部に三岳が入る。銘文が美哉であれば四獣一逆、
尾がⅱ、鈕の回りに四葉座があり、規内部が一岳である。方格四獣十二支鏡のばあい、銘文が絶照であ
れば四獣は並行で、尾がⅲ、鈕座の獣は上向き、ただし銘文が阿房であると下向きもある。外縁の様相
については上述した通り。
このような対応関係の大本は鏡種の違いにあり、それぞれが別の工房で製作されたことを示唆してい
るように思える。あるいは工房ごとに異なる銘文を採用した可能性もあろう。発掘資料が皆無なため出
土地に関しては不明であり、その観点からの追求はできないので、別な手がかりを求めて検討する必要
がある。
Ⅱ 四角い板は何か
⑴ 後漢~魏晋の類例
上記のような口に何物かを銜む獣の表現は、後漢~魏晋の神獣鏡の仲間である「画紋帯環状乳神獣鏡」
あるいは「三角縁神獣鏡」などに多く認められる。3世紀と7世紀を結びつけるのにはいささか躊躇す
るところがあるが、後漢代の方格規矩紋や銘文の一部は隋・初唐期に再登場しており、このころ復古の
気運があったと思われるので、一応確認しておきたい。
この何物かについて『鄂州銅鏡』は「矩」すなわち曲尺とする 〔註1〕。たしかに直角に曲がった直線状
のモノを銜んだ例が存在する。たとえば鄂州市五里墩邵家湾出土の画紋帯環状乳神獣鏡(鄂州2002;10
5)
などである。しかし、鄂州市洋瀾湖電排站出土の画紋帯環状乳神獣鏡(鄂州 200
2;119)では環頭大刀
のようにも見え、後藤守一は神獣鏡の図様のうち龍虎が口に銜む棒状、鍵形などの器物は「鉅」、すなわ
ち武器であると考えた 〔註2〕。
駒井和愛は、武器説や口に燭・燈または炬を銜んで仙界を照らしているとする説、などを否定したの
ち、
環頭太刀、矛、斧
棒状、矩形あるいはまたそれが曲折して一種雷光形とも称すべきもの
の2種があると指摘、後者についていくつかの鏡銘文にあらわれる「口銜巨」の「巨」にあたると考察
した。巨は音通の故に使われているのであって、棒状・矩形・雷光形をなすものは「虛」である、と断
定している 〔註3〕。虛は本来は楽器(編鐘)を懸ける架台の柱であるが、このばあいは有翼の神仙が坐っ
ている架台が雷光形に曲折し、その足を獣が口に銜むところに注目したのである。
駒井が依拠したのは三角縁神獣鏡で、銘文は「陳氏作竟」で始まるもの2首と「吾作明竟」1首であ
り、いずれも「口銜巨」の前文に「龍虎身有文章」があるとする。文意はさほど変らないが、これらは
13 七字句「上有神守及龍虎」および「身有文章口銜巨」として理解すべきである。ほかにも同様の銘文が、
「中国古鏡の研究班」集成にかかる三国西晋の鏡銘のうち、三角縁四神四獣鏡0
8・09と五神四獣鏡1
0に
見え、これらも同様である 〔註4〕。
西田守夫は、駒井説が回向式神獣鏡のみを対象とし、環状乳神獣鏡の図紋を無視していると批判、三
角縁神獣鏡にみえる上記の銘文に加え、環状乳神獣鏡の「天禽四守 銜持維剛」を手懸かりに、「巨
「守」は獣の仮借であり、神獣の代表格である
(鉅)」は日月星辰を繋ぐ「維綱」であると考えた 〔註5〕。
龍虎をわざわざ抜き出して強調している、とするのである。
後漢鏡にはさらに「距虛空」なる銘文がある。中国古鏡の研究班によると、これはあたまの「通」
が脱落したもので、「距」は「巨」の繁字または「鉅」の仮借であり、「虛空」は天空であるという。
つまり「巨(鉅)」=「維剛」=「巨」であり、獣が口に銜えている天空の堅い柱にほかならない、のだ
と 〔註6〕。
これらの鏡背にあらわされた獣が銜む物には多様な形があり、どの説にも可能性があるように思える。
いずれにしろ、何物であるかは確定できないものの、獣が何物かを銜む図像は後漢~三国のころにはさ
ほど珍しいことではなかった、と言えよう。この状況が隋唐代まで受け継がれたのであろうか。
⑶ 先人の解釈
馮雲鵬・馮雲鵷『金石索』は、
「六朝霊鑑」と題して美哉以下の鏡銘40字を録した後、四獣のうち一麟
。民国初期にすでに四角形の板に着目している
は口中から「玉書」を吐く、と記している 〔註7〕〔第4図〕
のである。この解釈の元は『拾遺記』の「孔子生之夕、有麟吐玉書於闕里」にあると思われるが、これ
により玉書であると断定できるわけではなかろう。吐く物としては大き過ぎるし、この獣が麟であると
断定できるのか、疑問が残る。
『辞海』によると、玉書には上の他に「道家修練之
書」と「玉文書」の2義があるというが、どれも瑞獣
が銜むことと直接は結びつかない。梁上椿
『岩窟蔵鏡』
4
3
9(=『大観』
4)は次のように記し、四角い物に着
目している 〔註8〕。
四か所にあるV形文は、大型の方格の四隅に平
行して、内区を四区に分割する。各区それぞれに
獣を一体配する。いずれも虎の姿に似ており、一
体は口に四角なものをくわえ、一体には二本の角
があり、活発で躍動的である。
以後注目されることなく時は過ぎた。最近になって、
王綱懐らは「主紋四獣中有天狗傳書」と解説している
が、残念ながらその根拠は明らかにしていない(唐詩
2
0
07)。天狗が飛脚のような働きをしていると見るの
であろうか。天狗は『山海経』西山経の陰山の項で
14 第4図 『金石索』
「有獣焉、其状如貍而白首、名曰天狗、其音如榴榴、可以禦凶。」と記されている。「貍」は郭璞の註に
「或作豹」とあり、狸や豹に似た動物とされる。四角い板を銜む獣は確かに狸に似ている。ただし、先
秦時代の記述と唐代の鏡を直接結びつけるのはいささか無理があるし、
「傳書」が何に由来するのかは依
然として不明である。
両者がともに「書」の仲間としているところに注意しておきたい。銘文の内2種、阿房照膽には第9
句「聊書玉篆」
、美哉靈鑒にも第9句「懸書玉篆」という句があり、玉書と何か関わりがありそうだ。四
角い板が玉製で、篆書で文字が彫られているとすれば符合するであろう。
聯書とは何か不明、
『辞海』によると懸書は懸法と同義で、法令を懸けるという意がある。
⑷ 工房の違いか 2グループの存在 以上のような分析結果をいかに解釈すべきであろうか。いくつかの観点からまとめてみたい。
方格四獣鏡のうち霊山銘を有するものは四獣が対面し、尾は時計回りにⅰⅱⅲⅰの順、鈕座上向きで、
規の内部に三岳を入れる。これに対して美哉銘のばあいは四獣一逆で、尾はⅱⅱⅱⅱ、鈕座は四葉座、
規内部には一岳を入れるかもしくはなし、といった違いがある。一方、方格瑞獣十二支鏡の方は、阿房
銘が四獣対面、尾ⅲⅰⅰⅱ、鈕座下向き、獣面a+bであるのに対して、絶照銘は四獣並行、尾ⅲⅰⅱ
ⅱ、鈕座左向き、獣面bである。
上述のように違いがあるものの、霊山と美哉は共に規内に山岳を入れるのに対して、阿房と絶照は獣
面であるといった共通点もあって、この2グループに分けて捉えることができる。仙山と銘文なしは後
者の仲間であろう。鏡種・銘文などいくつかの要素を同じくするこの2グループは、大本は同一の流派
に属すものの、それぞれ別な工房の製作にかかるのではないか。あるいは同じ工房であって別人が作っ
た可能性もあろう。
一般的に鏡背紋と銘文の内容が一致するわけではない。同じ銘文であっても鏡種が違うことは本稿の
中でも明らかであろう。工房あるいは工人群との関わりを考えるばあい、鏡種を優先するか、それとも
銘文を優先させるべきか、が問題となろう。
同じ方格四獣鏡や方格四獣十二支鏡であっても、四角い板を銜まないばあいもある(美哉のばあいは
集成した2例ともが銜む)
。銜む鏡と銜まない鏡の間になにか相違があるだろうか。方格四獣鏡を2
7面、
方格四獣十二支鏡を1
1面集成し、分析してみた。
前者においては、霊山と絶照が占める割合は少ないが、他の比較的多い「玉匣聯開鏡」や「賞得秦王
鏡」という銘文のばあいも四獣対面にして規内三岳であって、銘文の違いを超えた共通性が見出せる。
後者の1
1面のうち、淮南銘1面を除く10面が四角い板を銜えている。残る淮南鏡1面は、方格四獣十
二支鏡の仲間ではあるが、実は方格と規を欠いた特殊なもので、広西省で出土した。
⑸ 時期差か
2グループの存在は時期差をあらわしている可能性もある。
四神十二支鏡・唐草十二支鏡・多格瑞獣十二支鏡を隋初唐第一段階の鏡とすると、方格四獣鏡と方格
四獣十二支鏡は第二段階に下がる(いわゆる「海獣葡萄鏡」は第三段階のもの)。
15 第一段階の鏡には以下のような紀年墓出土品があっておおよその年代が知れる。
劉偉墓 :隋開皇三年(5
8
3)
李静訓墓:隋大業四年(6
0
8)
李寿墓 :唐貞観四年(6
3
0)
第二段階で時期を示す資料はほとんど無い。唯一「窺庄益態」銘のある方格四獣鏡が出土した陜西西
安郭家灘6
1号墓(田德元墓)が隋大業七年(611)の紀年を有する。咸享三年(672)の牛弘満墓からも
同式鏡が出土したと報告されているが、図が無く実態は不明。
2グループが時期差をあらわしているか否か、判断するのは難しい。
Ⅲ 雷光形を銜えた獣
⑴ 瑞獣銘帯鏡
隋・初唐鏡には、数面ではあるが、口に四角い板状ではないモノを銜んだ類がある。
まず、浙江省紹興出土の「瑞獣銘帯鏡」
(浙江 1987;111)を見ていただこう。主紋は四獣が2頭ずつ
相対する四獣対面タイプであるが、四獣がすべて何かを銜えているのである〔第5図〕
。3頭は魚・小猪
と尾の長い小動物を捕らえたところと見なせるが、もう1頭が銜えて上に振り上げているものは魚獣で
はない。折れ曲がったような、折り重なったようなところは雷光のようにも見えるので、
「雷光形」と呼
ぶ。なお、この鏡の銘文は霊山ではじまるが、「寶」が「v」となった特異なものである。
四角い板を銜む獣をあらわした鏡のうち6面には、この浙江鏡と同じ雷光形を銜えた獣もあらわされ
ている〔表2〕。両者が描き分けられているのである。
阿房鏡3面において、四角い板を銜む獣の右側の獣は、顔を上に向け、口に雷光形を銜んで上に差し
第5図 浙江出土1
1
1鏡の四獣が銜むもの
16 上げている。美哉鏡2面、霊山鏡1面にも同様の場面があらわされている。これらの獣の姿態と銜む物
が上の浙江例とそっくりなのだ。こちらの方が巨にふさわしいのではないか。これらを「巨」の系統と
捉えると、四角い板は巨ではあり得ないことになる。尾もすべてⅱタイプである〔第6図〕
。
『岩窟』4
3
7は方格四獣鏡で絶照銘を有するが、1頭の獣は上と同じような物を銜んで上方に差し上げ
ている。雷光形のようにも見えるが、小動物ではあるまいか。反対側の獣は、今まさに兎か土竜のよう
な小動物を喰おうとしている〔第7図〕
(解説は「一体にはさらに小型の獣がともなっている」とする)
。
これと同じ図様を持つ鏡が中国歴史博物館(現、中国国家博物館)とケルン東洋美術館が所蔵している。
これらも方格四獣鏡で絶照銘を有する〔表3〕
。
四角い板と雷光形はあきらかに別の物として表現されており、一方は口に銜えているが、他方はさら
に頭上へ持ち挙げているのである。
第6図
第7図
17 ⑵ 海獣葡萄鏡
いわゆる「海獣葡萄鏡」にも、少ないながら、上の雷光形によく似た物を銜えた獣が認められる。表
2の下位に示した4例で、口に銜えて差し上げるのではなく、寝そべって地上に置いた雷光形を噛んで
いる。周囲が丸みを帯びているところも若干異なる
〔第7図〕
。これら4面のうち3面は凸線界圏式で面
径1
7㎝前後、6獣のうち伏獣鈕の左側の1頭が座位、右下の1頭が横向きである。また外区に走獣4、
飛禽5を配するなど、紋様構成がきわめて似ており、同型鏡の可能性が強い。
千石鏡においては、立位であばらと陽物を露わにした猿と思われる獣が前3者とはいささか形の違う
スパナ形のモノを両手で支えて噛んでいる(難波 200
4;7
3)
〔第8図〕
。これだけが棚形帯圏式で、面径
21.
7㎝と大きい。この立位の獣の他に7頭の獣があらわされているが、うち2頭はじゃれ合い、仰視、
尻を向ける、などさまざまな姿態を見
せている。
⑶ 小結
上に見た雷光形を「巨」の系統と捉
えると、四角い板は別のモノとなろう。
いまのところ、
「天狗傳書」説が妥当、
と考える。また、方格四獣鏡の角張っ
たものと海獣葡萄鏡の曲線的なものと
が、同じ雷光形の仲間と捉えて可であ
るのか、あるいは別物なのか、判断で
第8図 スパナ形を銜える獣
きかねている。
むすび 外交手段としての鏡 鏡の最も基本的な用途は姿見であろう。水に姿を映したことから鏡が生まれた、と言われている。こ
の延長上に化粧具としての鏡の存在がある。他に、考古学的な証拠から考えられるのは、墓への副葬、
鎮壇具・莊厳具など仏具としての使用(経塚への埋納も含む)、仏教以外の祭祀での使用、そして下賜を
含めた贈答用である。そこにもう一つ加えよう。
上で見てきた種々の異形の獣をあらわした鏡は、突厥(ソグド系を含めて)などの遊牧諸民族へ外交
文書を持って行く際の印しである、と考える。つまり印璽と同じ機能を想定するのである。そして身分
が証明された後、贈ればよい。
その理由として、第一に時期が重なる。突厥は630年に唐に滅ぼされたが、679年、再興のため遺民た
ちが反乱を起こし(突厥降戸の乱)
、これは鎮圧されるが、682年には第二突厥帝国が成立、復興をはた
した。当時の皇帝は高宗であるが、実質的支配者は武則天、以後706年まで入寇と和親が繰り返された。
賜与するために、遊牧民が好む特別なデザインの鏡を作った可能性を想定したい。この頃までに突厥は
独自の文字を持つようになり、盛んに石碑を建てている。トニュクク碑文、ビルゲ可汗碑文、キョルテ
ギン碑文である。漢文を読める者もいたはずであるが、図様の方が判りやすい。
18 第二に、後漢の始めまでは印を賜与することをもって服属した地方支配者として認めた証としたので
あったが、後漢の半ばになると鏡に換わっている。倭国には方格規矩四神鏡、内行花紋鏡、三角縁神獣
鏡、画紋帯神獣鏡などを与えている。三角縁神獣鏡も倭のために造ったものであった。この状況は、一
時中断するものの、奈良時代まで続いている。正倉院宝物の唐鏡は聖武天皇のために遣唐留学生たちが
購ったものであるが、そこには唐王朝の格別な配慮があったはずだからである 〔註9〕。
唐王朝は、千秋節に際して臣下に鏡を与えているが、漠北の支配者にも、まず異形の獣をあらわした
鏡を、次いでいわゆる「海獣葡萄鏡」を与えたのではなかろうか。残念ながら突厥の地からはこの種の
鏡はほとんど出土していない。かつて岡崎敬が、この地を含めた範囲において出土した中国鏡を集成し
たが、漢鏡は多いものの唐鏡は少なく、トゥーヴァのケノターフ古墳から出土した「賞得秦王鏡」銘を
有する瑞獣銘帯鏡以外には海獣葡萄鏡の仲間が少数知られるのみである 〔註10〕。その後も発見の情報は得
ていない。
第三に、この手の鏡は南では出土せず(浙江紹興が唯一)、判明している限り出土地は陜西と河南にほ
ぼ限られる(山東に1面あり)
。これによって製作地を云々できるわけではないが、中央の要請によって
造鏡がなされた可能性が強い、と言うことはできよう。
動物闘争意匠をはじめとして、動物を銜んだり、戯れたりする図像は、遊牧民が好むデザインである。
鏡にこのような図像が表されるのは方格四獣銘帯鏡が初めで、海獣葡萄鏡になるとその数が増える。こ
れらの鏡が、突厥などの遊牧諸民族へ贈答するためのものだった可能性はかなり高い、と言えよう。
海獣葡萄鏡のうち、帯圏式と棚状帯圏式には確実に墓から出土した、と認められる資料はない。その
逆に、正倉院以外にも大山祇神社・香取神宮・春日大社・宗像大社、法隆寺などの社寺に、それら古い
タイプの海獣葡萄鏡が伝世されているのだ。
一方、連珠界圏式・凸線界圏式と界圏覆飾式には、少ないながら墓出土のものがある。連珠界圏式に
は次のような例が知られ、高松塚古墳出土鏡もその中に含まれる。( )内は埋葬年である。
河南芝田8
8HGZM1
4
6
陜西西安韓森寨独狐思貞墓(6
9
8)
陜西西安十里鋪3
3
7号墓
陜西西安王家墳1
2
9号墓
湖南長沙魏家冲7
6
6号墓
凸線界圏式には、
河南偃師杏園1
3
6
6号墓(李守一墓:69
4)
河南偃師杏園1
7
1
0号墓(李珣墓:71
8)
河南芝田8
8HGZM8
9
陜西西安世家星城2
5
5号墓
陜西西安韓森寨4
0
1号墓
陜西西安高楼村3
3
3号墓
界圏覆飾式には、
河南洛陽関林垂拱元年墓(6
8
5)
19 河南偃師杏園1
0
4
1号墓(宋思真墓:6
9
5)
河南洛陽澗西万歳通天二年墓(6
9
7)
河南洛陽龍門安菩夫婦墓(7
0
9)
河南温県楊履庭墓(7
1
1)
河南偃師杏園1
1
3
7号墓(廬氏墓:盛唐)
陜西西安高楼村3
1
6号墓
などがあり、ほぼ河南と陜西とに集中している、と言えよう。帯圏式等は界圏式等より先んじて初唐の
後半でも高宗期に、後者は武則天の治世に盛んだった鏡種であり、海獣葡萄鏡は贈答用から副葬用へと
その用途を変えた、と見得るのではないか。換言すると、68
2年から706年にかけて、突厥に渡す必要が
無くなるにつれ、臣下へ下賜するようになり、それが墓に入れられたのであると。
盛唐期、すなわち玄宗の開元から天宝にかけて、再び鏡を下賜する風習が盛んになるが、この際の鏡
は盛唐鏡、例えば盤龍鏡・対鳥鏡・道教鏡などがその候補となろう。
註
1 鄂州市博物館『鄂州銅鏡』中国文学出版社 2002
2 後藤守一『古鏡聚英 下篇』大塚巧芸社 1935(東京堂出版 1977による)
3 駒井和愛「龍虎銜巨図」『中国古鏡の研究』岩波書店 195
3 4 中国古鏡の研究班「三國西晉鏡銘集釋」『東方學報』京都第8
6冊 2011 5 西田守夫「三角縁対置式系神獣鏡の図紋 “神守”銜巨と旄節と“乳”をめぐって」
『国立歴史民俗博物館研
究報告』第5
5集 1993
6 註4に同じ
7 馮雲鵬・馮雲鵷『金石索』182
1 8 梁上椿『巖窟蔵鏡』1940 42(田中琢・岡村秀典訳『岩窟蔵鏡』同朋社出版 1989による)
9 山本忠尚「正倉院にはなぜ大型鏡が多いのか」『郵政考古紀要』第51号 2011 1
0 岡崎敬「中央アジア発見の唐鏡について」『東西交渉の考古学』平凡社 1973
表1 四角い板を銜む獣一覧
出土地・所蔵者
鏡種
径
外縁
銘文
獣向
尾
鈕座
規内部
出典
方格四獣銘帯鏡
24.
9 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ ?
三岳
善齊吉金 7
6
故宮博物院(北京)a 方格四獣銘帯鏡
18.
6 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
故宮蔵鏡 7
8
浦上蒼穹堂
方格四獣銘帯鏡
18.
4 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
蒼穹堂 1
3
東京帝国大学文学部 方格四獣銘帯鏡
18.
3 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
原田 2
8上
陜西岐山県博物館
方格四獣銘帯鏡
18.
3 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
岐山県博
陜西宝鶏市博物館
方格四獣銘帯鏡
18.
2 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
宝鶏市博
劉體智
方格四獣銘帯鏡
?
凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
小校経閣霊 1
徐乃昌
方格四獣銘帯鏡
18.
0 凸鋸歯
霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 上向 三岳
小檀欒室巻 4
不明
四獣銘帯鏡
?
二重S字 霊山孕寶 対面 ⅰⅱⅲⅰ 四葉 規なし
小校経閣霊 3
参考(線描) 方格四獣銘帯鏡
?
複線鋸歯 美哉霊鑒 一逆 ⅱⅱⅱⅱ 四葉 規なし
金索 1
0
1
不明
方格四獣銘帯鏡
?
複線鋸歯 美哉霊鑒 一逆 ⅱⅱⅱⅱ 四葉 一岳
図典 5
0
9
劉體智
方格四獣銘帯鏡
?
複線鋸歯 美哉霊鑒 一逆 ⅱⅱⅱⅱ 四葉 一岳
小校経閣美
中国歴史博物館
方格四獣銘帯鏡
18.
7 二重S字 仙山竝照 並行 ⅲⅱⅰⅱ ?
不明
20 獣面 a
歴博
(四)
3
張鉄山 a
方格四獣銘帯鏡
1
8
.
7 二重S字 仙山竝照 並行 ⅱⅲⅱⅰ 下向 獣面 a+ b 唐詩 2
2
出光美術館
方格四獣十二支鏡 2
0
.
9 二重S字 阿房照膽 対面 ⅲⅰⅰⅱ 下向 獣面 a+ b 出光 2
9
2
古曽志
方格四獣十二支鏡 2
0
.
5?
羅振玉
方格四獣十二支鏡 ?
張鉄山 b
阿房照膽 対面 ⅲⅰⅰⅱ 下向 獣面 a+ b 秋山 6
二重S字 阿房照膽 対面 ⅲⅰⅰⅱ 下向 獣面 a+ b 古鏡図録 30
方格四獣十二支鏡 2
2
.
2 楕円
絶照覧心 一逆 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
止水集 2
6
伝陜西西安・梁上椿 方格四獣十二支鏡 2
1
.
4 楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
大観 4
故宮博物院(北京)b 方格四獣十二支鏡 2
1
.
4 楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
故宮蔵鏡 77
村上開明堂
方格四獣十二支鏡 2
1
.
4 楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
開明堂 6
2
施萃峰
方格四獣十二支鏡 2
1
.
2 楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
歴代銅鏡 60
關信太郎
方格四獣十二支鏡 2
1
.
1 楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
桃陰廬 2
6
銭x
(線描)
方格四獣十二支鏡 ?
楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
浣花拜石巻 2
不明
方格四獣十二支鏡 ?
楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
図典 5
0
2
劉體智
方格四獣十二支鏡 ?
楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
小校経閣絶 1
劉體智
方格四獣十二支鏡 ?
楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
小校経閣絶 2
劉體智
方格四獣十二支鏡 ?
楕円
絶照覧心 並行 ⅲⅰⅱⅱ 左向 獣面 b
小校経閣絶 3
安徽望江
方格四獣十二支鏡 1
8
.
7?
なし
並行 ⅲⅰⅱⅱ 右向 獣面 a+ b 図典 5
0
3
表2 雷光形を銜えた獣
出土地・所蔵者
鏡種
径
銘文
獣向
銜えるモノ
規内部
出典
浙江紹興
瑞獣銘帯鏡
14 霊山孕v 獣 4対面 魚/小猪/小動物/雷光形 規なし
浙江 1
1
1
劉體智(前出)
方格四獣銘帯鏡
?
霊山孕v 獣 4対面 四角い板 /雷光形
三岳
小校経閣霊
不明(前出)
方格四獣銘帯鏡
?
美哉霊鑒 獣 4一逆 四角い板 /雷光形
一岳
図典 5
0
9
劉體智(前出)
方格四獣銘帯鏡
?
美哉霊鑒 獣 4一逆 四角い板 /雷光形
一岳
小校経閣美
古曽志(前出)
方格四獣十二支鏡 20
.
5 阿房照膽 獣 4対面 四角い板 /雷光形
獣面 a+ b 秋山 6
出光美術館(前出)方格四獣十二支鏡 20
.
9 阿房照膽 獣 4対面 四角い板 /雷光形
獣面 a+ b 出光 2
9
2
羅振玉(前出)
獣面 a+ b 古鏡図録 30
方格四獣十二支鏡 ?
阿房照膽 獣 4対面 四角い板 /雷光形
内区
外区
馮毅
海獣葡萄鏡
21
.
8 なし
獣8
雷光形
獣 6鳥 6
今照 1
7
9
千石唯司
海獣葡萄鏡
21
.
7 なし
獣8
雷光形
獣 6鳥 6
王朝の粋 73
泉屋博古館 M53 海獣葡萄鏡
17
.
2 なし
獣6
雷光形
獣 4鳥 5
博古館 1
21
浦上蒼穹堂 22
海獣葡萄鏡
17
.
1 なし
獣6
雷光形
獣 4鳥 5
蒼穹堂 2
2
大伴公馬 20
海獣葡萄鏡
17 なし
獣6
雷光形
獣 4鳥 5
含水居 2
0
表3 小動物を銜え挙げる獣
出土地・所蔵者
伝河南・梁上椿
鏡種
径
銘文
獣向
モノ
規内部
出典
方格四獣銘帯鏡 15 絶照覧心 獣 4循環 小動物を見 /噛 /銜 /撫
三山
岩窟 4
3
7
ケルン東洋美術館 方格四獣銘帯鏡 14.
8 絶照覧心 獣 4循環 小動物を見 /噛 /銜 /撫
三山
海外遺珠 175
中国歴史博物館
三山
歴博
(四)
8
方格四獣銘帯鏡 ?
絶照覧心 獣 4循環 小動物を見 /噛 /銜 /撫
表の出典略号(日本語表記の五十音順)
秋山 秋山進午「隋唐式鏡綜論」『泉屋博古館紀要』1
1 1995
出光 出光美術館『中国古代の美術』出光美術館 1978
王朝の粋 難波純子『中国 王朝の粋』大阪美術倶楽部 2004
21 海外遺珠 国立故宮博物院編輯委員会『海外遺珠』国立故宮博物院 1985
開明堂 西村俊範『古鏡コレクション 開明堂英花』村上開明堂 1994
浣花拜石 銭x『浣花拜石軒鏡銘集』百一廬金石叢書第5冊 1921
岩窟 梁上椿『巖窟蔵鏡』1940 42(田中琢・岡村秀典訳『岩窟蔵鏡』同朋社出版 1989による)
含水居 奈良文化財研究所飛鳥資料館『含水居蔵鏡図録』東アジア金属工芸史の研究2 奈良文化財研究所飛
鳥資料館 2002
岐山県博 郭子直・龐文龍「岐山県博物館蔵古代銅鏡選萃」『考古與文物』1992年第1期
今照 浙江省博物館『古鏡今照 中国銅鏡研究会成員蔵鏡精粋』文物出版社 2012
金索 馮雲鵬・馮雲鵷『金石索』1821
故宮蔵鏡 郭玉海『故宮蔵鏡』紫禁城出版社 1996
古鏡図録 羅振玉『古鏡図録』1916
山東民間 張道来・魏傅来『山東民間蔵鏡』齊魯書社 2006
止水集 王綱懐『止水集 王綱懐銅鏡研究論集』上海古籍出版社 2010
小校経閣 劉體智『小校経閣金文拓本』193
5(『小校経閣金石文字』大通書局 1979による)
小檀欒室 徐乃昌『小檀欒室鏡影』
浙江出土 王子倫『浙江出土銅鏡』文物出版社 1987
善齊吉金 劉體智『善齊吉金録』1934
蒼穹堂 浦上蒼穹堂『隋唐鏡』浦上蒼穹堂 2010
大観 梅原末治『唐鏡大観』京都帝国大学文学部考古学資料叢刊第三冊 美術書院 1945
図典 孔祥星『中国銅鏡図典』文物出版社 1992
桃陰廬 梅原末治『桃陰廬和漢古鑑図録』關信太郎 1925
唐詩 王綱懐・孫克讓『唐代銅鏡與唐詩』上海古籍出版社 2007
博古館 泉屋博古館『泉屋博古 鏡鑑編』泉屋博古館 2004
原田 原田淑人『東亜古文化研究』座右寶刊行會 1940
宝鶏市博 高次若「宝鶏市博物館蔵唐鏡精粋」『考古與文物』1993年第1期
歴代銅鏡 施翠峰『中国歴代銅鏡鑑賞』台湾省立博物館 1990
歴博
(四)
楊桂榮「館蔵銅鏡選輯(四)」『中国歴史博物館館刊』1993 2(総21)
図の出典
第1図 上:方格四獣鏡 故宮蔵鏡78、下:方格四獣十二支鏡 故宮蔵鏡77
第2図 尾の形 尾a:蒼穹堂13、尾b:唐詩2 2、尾c:出光292 第3図 規内の様相 獣面a:蒼穹堂1、獣面b:出光292、三岳:蒼穹堂13、一岳:
第4図 『金石索』の図と記述 金索六101
第5図 浙江鏡の四獣が銜む物 浙江出土111
第6図 雷光形を銜え挙げる獣 1:出光292、2:古鏡図録、3:図典502、4:岩窟437
第7図 雷光形を噛む獣 上:含水居20、中:蒼穹堂22、下:博古館M53
第8図 スパナ形を噛む獣 王朝の粋137
22 
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