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塩江の”川”の達人
塩江の 川 の達 人 だって感じま す け ど 。 ま だ、 下 流 の 人 の 方 が 意 識 し と る ん じゃないかな 。 川 の 水 は 最 終 的 に 海 に 流 れていくじゃ な い で す か 。 私 た ち は 水 道 さえあれば、 川 が 無 く た っ て 生 活 で き る けど、海で生 計 を 立 て て い る 漁 師 さ ん た ち は そ う は い か な い。 川 が 汚 れ る と か、 何か問題があ れ ば 、 自 分 た ち の 生 活 に 直 接 影 響 し て き ま す か ら な。 ﹁ 塩江の源流 が、魚や海藻を育んでくれている ﹂とい うのを、自分 ご と と し て 知 っ と る ん や な いかと思いま す ね 。 川 と の 関 係 性 を 知 っ ているということは、常に川を〝 思える 川の思い方が ね 、 前 と は 違 う な ぁ と 思 い ︵ 意 識 で き る ︶〟 と い う こ と。 今 は ね ぇ、 ます。自分の 身 を 振 り か え れ ば 、 僕 だ っ て、川との関 わ り が ほ ん と に 薄 れ と る と 思いますよ。 そ れ が 今 の 社 会 な ん や ろ う なぁ。 ││ 川での思い出があれば、教えてくだ さい。 僕 ら が 子 供 の 頃 は、 川 で 遊 ぶ ゆ う た ら、地域にお る 高 学 年 の 子 供 た ち が 低 学 年 の 子 ら を 引 っ 張 っ て い く わ け で す よ。 子 分 に す る わ け ね。 自 分 ら も 高 学 年 に なったら、知 ら ん 間 に 親 分 に な っ と る ん やけど。そうしたら親分が﹁お前ら、あー せえ、こーせえ ﹂って指示してくれるん ですよ。子供 の 社 会 の 中 で も 、 ち ゃ ん と 縦のつながり が で き て た か ら 、 遊 び の 中 私たちは 川に生かされている。 塩 江の〝 川 〟の達 人 喜 多 維 昭さん ︵ 高 松 市 ︶ 川 と の 関 係 性 を 知っていれ ば 、 常 に 川 を 意 識 でき る 。 豊かな山々に囲まれた塩江町の水がめ内場ダム 魚を獲る様子や、川で溺れたときの話 など、 まるで映像を見ているように語ってくれた喜多さん お話を伺ったのは内場ダムの展 望デッキ。背後には讃岐山脈を有し、豊かな水をたたえた湖畔は、まさに塩江の自然の豊かさ を物語っているよう 鏡のように透き通った香東川の上流 (香川県立香川中央高等学校3年) (昭和20年生まれ・70歳) た た これあき き で自然と川の し く み や 川 と の 付 き 合 い 方 を学べたわけ で す 。 喜多さんから受け取った言葉 ││ 塩江では、どのように暮らしの中で 川と関わってこられましたか? 僕を含めてここらの人は、特別﹁ 川で 暮らしている ﹂っていう意識はないんで す。 昔 は、 川 が 生 活 の 一 部 だ っ た か ら。 家庭でも、まず生活するのに水がなかっ たらいかんでしょ。食事つくるときやお 風 呂 や ト イ レ と か。 昔 は そ れ ら を 全 部、 川の水に頼っていたんです。洗濯するの も、今は洗濯機があるけど昔は全部川で 洗 い よ っ た。 お 風 呂 に 水 を 入 れ る の も、 川から桶で汲んでくる。野菜なんかも当 然、川で洗っていました。とにかく、川 の な い 生 活 は あ り 得 な か っ た。 で す か ら、川っていうのは一番大事な場所だっ たんです。でも今は、水道が完備されて いるから、川の面影が生活の中からだん だん消えていっていると思いますね。自 然 災 害 を 考 え た ら、 や っ ぱ り 川 が 必 要 れに巻かれて、川中に持っていかれるか らほんとに苦しいんよ。でもしばらくす ると、自然に川の両端の方に流されてい くから、なんとか足が立つところを探し て、オエオエって言いながら自分で水を 吐くの。溺れることを、この辺りの方言 で﹁ ま い こ む ﹂と 言 う ん よ。 ﹁ あ れ、 ま いこんだやろ。えらかったやろ。だいぶ 水吐いたやろ ﹂って、そんな話するんで す、仲間同士でな。でも大人には言わな い。子供は子供の世界で本能的にわかっ とるんですよ。親に言うたら怒られるっ て。 今 は そ ん な わ け に い か ん や ろ う け ど、僕らからすれば、本当に自然を知る なら、まず水際まで降りてみたらええと 思うな。多少危ないくらいの思いをした らね、水の怖さを思い知る。川は上手に 付き合わなきゃ。人間は水に生かされて いるんですから。 喜多さんのお話は本当 に楽しく、インタビュアー ということを忘れて聞き 入ってしまいました。川 での思い出や、実際に体験した出来事などを話すときは 声のトーンが上がったり、笑顔がキラキラしていたり。 言葉以外の面からも、喜多さんの信念や伝えたいことを 感じました。私も聞き書きを通して、読んだ人に、喜多 さんの川に対する熱い想いや、明るく気さくな人柄が伝 えられると嬉しいです。 3 だ あさ と 多田安里さん 喜多維昭さん 香川県と徳島県の県境に位置する高松市塩江町。深い山あいに集 落が広がり、そこに流れる川が人々の生活を潤してきました。その町 で生まれ育った喜多維昭さんは、町内にある「ホテルセカンドステー ジ」の代表取締役を務める スーパーおじちゃん でもあります。幼い 頃は塩江の川で遊び、生活の一部として川の水を利用していた喜多さ ん。長年、塩江を見守り続けてきた間には、生活が便利になって人が川 から遠ざかったり、温泉街が衰退して観光産業の大きさを痛感したり。 塩江の酸いも甘いも噛み分けた経験を話してくれました。当日は紅葉 が美しい塩江の山々を眺めながら、内場ダムのほとりでお話を伺いま した。 また魚獲り に 夢 中 に な っ て 、 溺 れ か け たこともあり ま す 。 川 で 溺 れ る と ね 、 流 参 加 者 の 感 想 1 2 4 コーディネーターより